景気が悪くなると政府(と中央銀行)は基本的にふたつの景気対策をすることができる。財政政策と金融政策である。財政政策は歳入面と歳出面にわけることができ、歳入面での景気対策とは減税であり、歳出面での景気対策とは主に公共事業のことである。金融政策による景気対策は金利を下げる金融緩和である。
これらが景気を浮上させる仕組みは非常に簡単である。減税をすると民間が使えるお金が多く残るので消費が増える。公共事業をすれば、その分の雇用が生まれ、政府が公共事業にお金を使う分、必ずGDPは増える。それはつまり公共事業に関わった人々の所得が増えるわけである。それらの所得はさらに何かに使われるだろう。中央銀行が金利、つまりお金の値段を下げれば、企業はお金を銀行から低い金利で借りて設備投資を増やそうとするし、個人も住宅ローンで家を買ったりする。そして景気が上向く。

驚くことではないだろうが「政府が景気対策をするべきかどうか。またするとしたらどのような方法ですればよいのか」については経済学者や政策担当者の間で大きく意見がわかれる。筆者は効率的な資源配分が歪み、それゆえに長期的には潜在成長率が毀損されていくということから、政府による財政出動(歳出面の財政政策)には反対の立場だ。しかし今日はそのことを論じるのではなく、これらの政府による景気対策の別の大きなコストを考察する。それは将来の選択肢がなくなるという、多くの人が気がついていないがとても大きなコストである。

金融緩和を考えてみよう。中央銀行が金利を下げれば景気がよくなるのだから、ちょっと景気が悪くなればすぐに金利を下げたくなる。金利を下げれば副作用として自国の通貨も安くなり、とりわけ輸出産業の大きい日本のような国では金融緩和への誘惑は大きい。実際に日銀は金融緩和を続けて随分昔に(短期)金利がゼロになってしまった。そうなのだ。金融緩和は基本的には金利がゼロになったらおしまいなのだ。

つまりいったん金利がゼロになってしまったら、2008年のような世界同時金融危機によって経済に大きなショックが加わり、世界的に景気が大きく落ち込んでも打つ手がほとんどなくなってしまうのだ。最近の円高にしても、多くの部分が日米、あるいは日欧の金利差の縮小に起因している。金融危機の前は4-5%の政策金利でもともと金利の高かったアメリカやヨーロッパでは、金融危機が発生した後に中央銀行が金利を大胆に引き下げ、金融緩和によってある程度ショックを吸収できたが、すでに金融緩和という選択肢(オプション)を金融危機の前に使い切っていた日本はほとんど何もできなかった。洪水という災害が起こり、金利という背丈がもともと極端に低かった日本が、世界より先に水没してしまったのだ。

財政政策による景気対策も同じである。政府がお金をばら蒔けばその分一時的に景気はよくなるだろう。しかしこれも限界がある。政府は財政出動のためのお金を赤字国債の発行により調達するわけだが、政府が無限に赤字国債を発行できるわけではない。どこまで政府の借金を膨らませられるかについては、経済学者の間にも様々な議論があるが、それが有限であることには違いない。GDPの200%にも達する政府債務を抱える日本にとって、それほど多くの余地が残されているとは考えない方がいいだろう。

為替介入による円安誘導も同じ種類の問題を抱える。すでに100兆円も外貨のポジションを抱えてしまって、さらにドルを買い増すのは国民に多大な為替リスクを強制的に取らせることを意味する。財務省お得意の家計の例えでいうのならば、年収400万のお父さんが、為替証拠金取引で一年に年収と同じぐらいの金額を損したり儲けたりする相場を張ることがいいことなのだろうか。為替リスクも無限に取れるわけではない。

多くの政策には、さまざまなオプション価値が内在している。そして将来の選択肢というオプションを理解することは、残念ながら多くの人にとってとてもむずかしいことのようである。金融緩和も財政出動もタダではないのだ。こんなことをいうのはすでに時遅しかもしれないけれども。

参考資料
ケインズの乗数理論(Theory of Multiplier)がどうしようもなくしょぼいことのサルでもわかる説明、金融日記
日銀がお金を刷れば問題は解決するのか? アゴラ
為替介入で円高を阻止しろと簡単にいうけれど、アゴラ
なぜグローバリゼーションで豊かになれないのか―企業と家計にいま必要な金融力、北野一