中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > プロ野球 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【プロ野球】

矢野 涙の引退 夢のような野球人生でした

2010年9月4日 紙面から

引退会見で涙を見せる矢野=大阪市内のホテルで

写真

 阪神の矢野燿大捕手(41)が3日、今季限りでの現役引退を表明した。大阪市内のホテルで会見を行い、時折涙で言葉を詰まらせながら20年のプロ野球生活を振り返った。ここ2年は右ひじ痛のため思うような成績を残せなかったが、03、05年には中心選手として阪神のリーグ優勝に貢献。猛虎の一時代を担った男が、ユニホームを脱ぐことになった。

 あふれ出る涙が止まらなくなった。数々の栄光、そして近年の苦悩が、矢野の脳裏に走馬灯のようによみがえった。

 「本当に夢のような、想像以上に素晴らしい野球人生でした」。テレビカメラ17台、報道陣約130人の前で発した言葉は本音だった。

 中日で野球人生をスタートさせたが、中村武志という壁を乗り越えられず、レギュラーの座を手にできなかった。転機は98年の阪神への移籍。中日を出された悔しさ、見返したい思いが成長への糧となった。そして数々の出会いが矢野を大きくしていった。

 捕手の大先輩である野村監督(現楽天名誉監督)、「一番の恩師」という星野監督(現阪神SD)。だから一番の思い出といえば、中日時代の1991年9月18日の阪神戦で、試合は敗れたが、初安打、初本塁打を放ち星野監督から手を差し出されたことだった。

 さらには「自分の中ではカネ、シモの存在が大きかった」と公言してはばからない金本、下柳という同世代のチームメートの二人。刺激し合い、切磋琢磨(せっさたくま)したから今があった。

 03年、05年にはリーグ優勝に貢献した。不動のレギュラーとして君臨した。08年オフに右ひじを手術してからの2年間はその影響で満足いくプレーはできなかったが、決して、その実績が色あせることはない。「これで終わりじゃない。どういう形になるか分からないけど、帰ってくるよう頑張りたい」。惜しまれつつ、名捕手が現役生活にピリオドを打った。 (島田明)

 

この記事を印刷する


中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ