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矢野引退…芸能界の虎党にも衝撃走る

 始球式を行い、矢野捕手とがっちり握手をかわす西田敏行=2003年8月、甲子園球場
 始球式を行い、矢野捕手とがっちり握手をかわす西田敏行=2003年8月、甲子園球場

 阪神の名捕手・矢野燿大選手(41)の突然の引退発表に3日、ファンの間に衝撃が走った。矢野とは大阪・桜宮高校野球部の同級生だったお笑いコンビ「ケツカッチン」の高山トモヒロ(42)は「彼は野球人として、男として素晴らしい人間。いつか阪神の監督に…」と引退を惜しむと同時に、再びタテジマのユニホームを着る日を熱望した。また阪神ファン歴約50年の俳優・西田敏行(62)は「タイガースの永遠の39番 サンキュー(39)」と感謝の言葉を贈った。

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 矢野がキャッチャーで4番を務めた大阪市立桜宮高校野球部で、3番センターとして共にチームをけん引した高山は「彼は野球人として、男として素晴らしい人間。いつか阪神の監督として、野球界を盛り上げる存在になってくれたらと思います。本当にお疲れさまでした」とねぎらいの言葉をかけた。

 高山は卒業後も定期的に食事をしたり、高山のイベントに矢野が出演するなど交流を続け、漫才コンビ「トモちゃん・アキちゃん」を結成するなど、公私ともに息の合った存在だった。

 城島選手の入団で、世間では“矢野引退か!?”ともささやかれた中で開催された今年1月のOB会。矢野は「チームのために最後の最後まで活躍したい!」と仲間を前に熱く夢を語り続けていたという。「ただ、あのころからすでに、肩も調子悪かったと思うんですが…」と振り返った。

 虎党歴50年の西田は2003年8月、阪神‐巨人戦であこがれの甲子園のマウンドに立ち、初めての始球式を行った。「大好きなプレーヤーだっただけに、寂しいです。本当に心からお疲れさまでした。何年か前に始球式に招いていただいて、その時に受けてくれたのが、矢野選手でした。それが私の個人的な思い出です。タイガースの永遠の39番 サンキュー」とコメントを寄せた。

 デイリースポーツコラムでもおなじみのタレント・千秋は「矢野さん、試合に勝った時にマスクを取りながらピッチャーに走り寄るあなたの笑顔が大好きでした。『矢野さんの顔だけで白飯三杯イケる』ワタシでしたが、これから何をおかずにごはんを食べればいいのでしょう?長い間お疲れさまでした。近年、激動の阪神タイガースを支えてくれたこと、感謝しています。ありがとうございました。みんな、あなたを忘れません」と熱い熱い言葉を送った。

(2010年9月4日)





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