阪神・矢野燿大捕手(41)が3日、大阪市内のホテルで会見を開き、今季限りでの現役引退を発表した。2日に球団首脳と会談し、引退を了承された。会見では、優勝争い中の公表に対する申し訳なさと、右ひじの故障に苦しんだ悔しさを、あふれる涙と共に振り返った。中日で7年、阪神で13年という20年のプロ野球生活にピリオドを打つが、将来、指導者の道を歩むことを視野にいったんユニホームを脱いで、解説者として新たな道を進む。
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戦いの日々に思いをはせた。幸せだった。同時に、申し訳なくもあった。優勝争いのさなかの引退の決意、その中にいられない、悔しさと寂しさ…。言葉にすると感情が込みあげてくる。矢野の目は、赤く染まっていた。
「これで人生が終わるわけじゃない。僕の人生の分岐点には、いつも悔しい思いであったり…そういう…ものがあった」
今季は正捕手でない中で、ベストを尽くした。思い返すと涙腺が決壊し、何度も言葉に詰まった。涙を流し、悔しさを乗り越えてきた20年間。胸を張れる。でも限界だった。あふれた涙と共にユニホームに別れを告げた。
「心技体の全部があってできる仕事で、すべての面で1軍の戦力になることができなくなってきたと感じました」
一昨年に右ひじを手術。今季も右ひじ痛で2軍調整を申し出た。常にプレーができるのか、できないのかと揺れ動いた中、2日に南社長に「引退」の旨を告げ、苦しい日々にピリオドを打った。
「球団には優勝争いをしている大切な時に申し訳ない気持ちとありがたい気持ちの両方です」。中日に入団して、98年に阪神にトレード移籍。野村、星野、岡田…。名将から多くのことを学べた。満員の甲子園も温かく迎えてくれた。
「振り返ると夢のような、想像する以上の素晴らしい野球人生を送らせてもらって、最高の野球人生でした。周りの人の支えでやってこれた」
阪神の正捕手で2度の優勝に貢献し、08年には星野監督の下、北京五輪に出場。「あんな震えた経験はない」という準決勝の韓国戦にスタメン出場したが敗戦。4位に終わり批判の嵐の中で帰国した。今でも忘れない。自宅に戻ると、2人の愛娘が笑顔で迎えてくれた。小さな手に、手作りの金メダルを持って。
「テレビでメダルを取れなかった悔しさを察してくれたんやね。昔、子供が何かで作った金メダルを探して、俺にかけてくれた。救われたよ」
心遣いに感情があふれ出た。涙でぬれた金メダルは悔しい経験と共に残る宝物。支えてくれた家族、チームメート、ファンへの感謝は尽きない。1カ月前には知人に、ある写真の拡大パネルの作成を依頼した。それは、06年に甲子園でソフトバンク・杉内から満塁弾を打った直後、スタンドのファンが大喜びしているものだった。
「これ、すごい好きなんや。自分が打ったことで、こんなにもファンが喜んでくれてるからな」
自分のことを喜んでくれるファンの存在が支えだった。もう一度、同じように活躍したい一心で、リハビリに励んでいた。どれだけ辛くても、応援してくれるファンのことは忘れなかった。形は変わっても、次の「恩返し」も頭にはある。
「(今季は)ぜひとも優勝してもらいたい。色々勉強して、またファンの人のところに帰って来れるようにがんばります」。誰からも愛され、同じだけ支えてくれる人を愛した。ありがとう、タイガース。涙の別れは、しばしの休息。タテジマを愛した男は、いつか必ず帰ってくる。