インタビューリスト
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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◆社長は、日本大学芸術学部を卒業された後、最初虫プロダクションにお入りになったそうですが、アニメ業界に入られたきっかけというのをお聞かせ頂けますか。

田代(以下T):
小さいときからというか青春時代から、我々の娯楽といえば映画だよね。
映画の中でもディズニーの映画、「白雪姫」とか「ピノキオ」とか「101匹わんちゃん」とかね。
それから何といっても「ファンタジア」。
とにかくディズニーは映像と音楽の融合をすごく大切にしているじゃない。
でもう、びっくりしたわけ、青春時代に。
それで自分もアニメーションで音の仕事が出来たらいいなという密かな思いを持つようになって。
その片方では放送にも興味を持っていたから、日大芸術学部の放送学科というところに入っていたんだけど、卒業したらちょうどたまたま虫プロダクションが募集をしていたんで、そこに入り込んだの。

◆では、最初から音の方面のお仕事を目指されていたわけですね。

T:そうそう。
で、虫プロに入って、それがちょうど「鉄腕アトム」の放送が始まった頃。
そこで音の仕事がしたいと話したら「うちはそんなもの無い」っていうわけ。
うちは絵を描くだけだって。
これはフジテレビで放送した国産初のアニメーションだったんだけど、フジの局側のプロデューサーだった別所さんが、フジテレビのスタジオを利用して役者を集めて、音楽はそのころもうアオイスタジオという貸しスタジオがあったんだけどそこで録って、効果音も専門の人をお願いして、それでフジテレビのスタジオでダビング作業をしていたわけ。
それが初めてのアニメーションの音の作業だったから、テレビ局が録音の仕事をするは当然のように思われていたんだね。
その時に別所さんと知り合ったんだけど、この人はアニメ業界では非常に有名な人で、アニメをここまでブームにした一人でもあるんだ。
僕は、いつもこの人の横に座って助手のような仕事をしながら、どうやって音の仕事をするのかを見ていたの。
毎回毎回そういう助手のような仕事をしていたから向こうも信頼して、「アトム」の音の仕事をときどき別所さんに代わって僕がやらせてもらえるようになった。
音響ディレクターという仕事をそこで、見よう見まねで覚えたわけ。
次に、これと並行して「ジャングル大帝」という企画が上がってきて、僕は自分に音響ディレクターをやらせて下さいと言ったんだ。
何よりまず当時のアニメ界には音響ディレクターという言葉が無かった。
音響の演出というのがなくて、東北新社あたりが、洋画の吹き替えがブームになって来て、吹き替えのディレクターがアニメも一緒にやっているという感じで、アニメ専門の人はいなかったんだね。
だから僕が音響ディレクターという名前を考えて、「ジャングル大帝」で初めて音響ディレクターとしてアニメ界に名乗りを上げたんだ。

◆ということは、今の音響監督の元祖でいらっしゃったんですね。

T:まあまあ、オーバーに言うとね(笑)。

◆すると、今みたいにアニメ会社に音響さんがちゃんといて、というのは、それからだいぶ後のことなんですか?

T:そうそう。
それまでは吹き替えとか日本語版制作の専門の会社があって、そういうところがアニメの仕事も一緒にやっていたんだけど、だんだんアニメがブームになってくるにつれて、アニメの音響専門の会社が出来てきたんだ、明田川さんのところとかね。

◆それから音響監督のお仕事を、ずっと虫プロダクションでなさってきたわけですね。

T:虫プロでは、「リボンの騎士」とか「悟空の大冒険」とか「どろろ」「山ねずみロッキーチャック」とか「ムーミン」とか。
劇場映画では「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「展覧会の絵」等の音響を手がけてきたんだ。
ただ、必ずしも自分の好きな作品ばかりがいつも作れるわけじゃないから、どうせなら自分で作品を作って、音の仕事も並行してやろうとだんだん思うようになって、虫プロを出て杉井ギサブローと一緒に作った会社がグループ・タックだったわけ。
それが昭和43年3月のことで、今年は昭和に換算すれば76年だから、33年前だね。
で、タックで好きな作品を作りながら音響ディレクターをしてきて、また音響ディレクターとして外からもいろいろ声がかかって、「宇宙戦艦ヤマト」とか「ルパン三世」「王立宇宙軍」など、結構いろいろやってきたかな。

◆タックを経営なさりながら、音響監督としてのお仕事も並行されてきたわけですけど、大変だったこともいろいろあったのではないですか?

T:ありますね。
テレビシリーズの音響監督をやるということは、1話につき最低3日拘束されるんです。
まずセリフ録り、それからダビングでしょう、それからラッシュ試写や打合せなど細かいことで約1日分。
一週間のうち3日拘束されるんだから、二本シリーズを持つと6日拘束されるんです。二本でもう満杯になっていて、うちには作画スタッフがいっぱいいるから企画や営業もしなくちゃいけないんだけど時間がなくて、社長業をやらないでスタジオにばかり入っていたんで「もっと社長としての仕事に専念して下さい」とスタッフから言われた事もあったんだ。
僕の音響の仕事は稼ぎとしてはほんのスズメの涙みたいなものだったから、やっぱり大きなアニメーションを自社で作るなど、社長としてもっとしっかり経営をしなくちゃいけないなと自覚して、音響の仕事はなるべく減らすことにして現在に至っているんです。
今はもういい年でもあるし、若い人にバトンタッチして……でも、これからも本当に自分が作りたい映像に出会ったら自分で音響ディレクターをやってみたいとは思いつづけています。

◆最近音響監督としてなさった仕事は何がありましたか?確か「王立宇宙軍」のDVD化のための新ダビングが3,4年前でしたね。

T:そうだね。
それからはあまりやっていないんじゃないかな。ずっとやっていたのが「日本むかしばなし」で、それ以後はテレビシリーズはほとんどやっていないと思うよ。
あとは「Kenjiの春」とかね。

◆もしまた社長に声がかかったら、やってみたいと思っていらっしゃいますか?

T:自分がやってみたい内容のものだったらね。

◆音響監督をなさっていて、大変だったという思い出は何かありますか。

T:いろいろ、作業が夜中になってしまったとか色が無くて点と線だったとか、そういう苦労はよくあることだよね。

◆音の担当として作りづらい音とか、このシーンにどういう曲をつけようかということなどでスタッフの人たちと悩まれたことはありませんでしたか。監督の注文と自分が思っていることとが食い違うとか・・・。

T:それはどの作品をやっていてもぶつかる問題なんだけど、僕はラッキーというか、僕の音の捉え方というか僕の音の演出というものを非常に大切にしてくれる人から僕に依頼が来ることが多かったんで、もちろん監督とかこだわりを持っている人たちなんだけど、自分の思いを相当大切にしてもらえて、衝突するということはまずなかったね。
ただ期待されてるだけに、期待以上のことをしなくちゃいけないし、僕の中に変なへそ曲がり的こだわりがあって、人がこう思うだろうということをひっくり返して否定してみて、人を驚かせることが僕は好きなんだ。
例えば「ヤマト」ではこだわりの強い、西崎さんというプロデューサーがいたんだけど、彼が音響ディレクターは田代さんじゃなきゃ駄目だというんで話が来たわけ。
で、いきなり地球が悲惨な目に遭っているところできれいなバラードを流したらびっくりしてね。
彼も、演出家とかの他の人も含めて、あの映像にきれいなバラードを流すなんてとても考えられなかったって言うわけ。
僕は「ヤマト」のすさまじい、肉体と鉄の塊の戦いの中に、必ずしも戦争の音楽を入れるんじゃなくて、その裏に何があるかを探し出して音楽で表現しようとした。
そして全体が美しくなくちゃいけない、立ち振る舞いは華麗であるほうがいいだろうという考え方を持っているんで、いつも華麗で格好よく、を心がけた。
表面を表現するのではなく、中の大切な部分を探し出してそれを表現しようとこだわったところが結構みんなから買われたんだね。
あの有名なスキャットも、みんなああいうところで使うとは思わなかったんだ。
だから苦労したことがあるかというと、それはもう何日も眠れなかったとか、疲れて疲れて病気になりかけたとかもあったけど、それは本当の苦労じゃないんだよね。
いかに普通でいられるか、当たり前に仕事ができるかということに自分の思考や体調を持っていくことが見えないところでの苦労なのかな。
監督との意見の食い違いが無かったといれば嘘になるけど、それは決して苦労ということじゃなかった。
正直いって、苦労したことありますかって聞かれたら、苦労したことは無い、だけど楽しんだことはたくさんありますね。

◆音響監督としてお仕事をしていらした中で一番思い出深いというか、愛着のある作品は何ですか。

T:うーん、いろんな思い出があるねえ・・・。

◆テレビシリーズの中で一番長かったのは、やはり「日本むかしばなし」ですか?

T:そうそう、約20年やってた。あれも思い出が多いよね。

◆あれは声優さんというか語り部が二人(市原悦子、常田冨士男)だけで。

T:そう、二人だけ。
あれも僕が選んだんだ。
両方とも芝居、演劇関係の人で、アニメーションのアの字も知らなかった。
当時アニメの声優がブームになっていて、声優という仕事を批判しちゃいけないし、分け隔てしちゃいけないんだけど、一生懸命作った声が売りになっていることにちょっと抵抗を感じたことが当時あったんだ。
いわゆるアニメ声ってのが気になっていたの。
やっぱり作った声より自然体の声、例えばお母さんやお父さん、おじいさんやおばあさんが枕もとで子どもに聞かせてあげるように、むかしばなしを映像を見ながら耳に快く聞いてもらえるにはどうしようと思っていた。
その頃、僕は芝居を見ることが好きで、芝居の一部を手伝ったりしていることもあったんで、市原さんと常田さんを選んで、二人だけで自由に語ってもらうことを思いついたんだ。