08/10/18
(10/20改訂) もう随分昔ですが私は大前研一さんのフォーラムに属していて、フォーラムが解消した後もメンバーの一部との交遊は続いています。非常に高度な情報と知識が、飛び交った場所でした。(有料の会員制サイトでした。決して安価ではありませんでした)。
私の会社にも苦しい時期がありました。(当然、いかなる企業にもその時期はあるのです)。安値でも注文を取ろうとする強い意見が有力役員にありました。私は断固として、「遊んでいても安値受注はするな」と命じました。
困難に陥ったとき、企業でも人でも、迷います。より高みへ上ろうとするか、位置を下げるか。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
去る9月12日〜14日までフルダ市で[ Forum
Deutscher Katholiken](ドイツ・カトリック信者フォールム)という会議が開催されました。
残念ながらドイツ人信者の大半は、教会の不振、司祭不足などの諸問題を解決する方法として[女性司祭の導入]、[司祭の独身制度撤廃][プロテスタント教会との程よい妥協]などのみを要求する[下からの教会]や[我らは教会]などの動向に強く影響されているのが現実です。 全国各地から熱心な人々が集り、講演、公開討論会、3回のミサ(内一回はトリエント・ミサ)が行われました。終始一貫していた姿勢は、生命倫理の尊重と健全な家族・家庭生活の意義を重要視していることです。来賓として参加されたアウグスブルクの司教(Dr.Water Mixa)は、日頃、単刀直入な発言をするために、しばしば左翼政党やマスコミ、そして左傾した信者などから非難攻撃されることの多い方ですが、それをものともせずに[教会を滅ぼす恐ろしい敵は、イスラム教徒や無神論者ではなく、妥協的で怠惰な聖職者と信者である。]という発言をされて参加者の拍手喝さいを浴びました。
また女流作家ガブリエレ・クビー氏の講演では、昨今の日本でも取り沙汰されるジェンダー思想が完全にマスコミ、国連、ヨーロッパ連合ひいてはアムネスティに到るまで深く浸透しており、これに異議を唱えたとたんに自由、平等、人権保護の名目で、不寛容、人種差別、人権抑圧などの烙印を押され、多額の罰金を課せられたり、時には刑事訴訟にまで発展し、事態は非常に深刻であることを聞きました。私が8月23日にご報告したヴェッツラーの件もこの一例でしょう。
ご報告したいことはたくさんありますが、上述した[下からの教会]や[我らは教会]の意見は、その場限りの安直、愚劣な案でしかない、ということを再確認しました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
http://www.katholische-kirche.de/24063.html フルダ ── 「未来における教会:社会の支柱か、脇役のグループか?」というモットーのもと、純度の高いパネルディスカッション:
「ジェンダー思想は男女の性別のアイデンティティを壊している」そして「キリスト教徒はヨーロッパを形作らなければならない」というテーマの決議、一連の素晴らしい講演、並びに教皇ベネディクト16世への挨拶状が、フルダの会議センター・エスペラントでの今年の会議「信仰の喜び」の2日目の内容だった。 将来の教会についてのパネルディスカッションの中で、アウグスブルクのヴァルター・ミクサ司教博士がキリスト教の類なき人間像(?)の宣教に賛成し、国家と社会のカトリック信者に、自分達の信仰に対しておおやけに勇気を持って責任を負うよう勧めた。 「民の中の教会」として、カトリック教会はあらゆる社会的テーマ、特に何よりも婚姻と家族について発言しなければならない、そして人間についての問題には生命という意味によって答えなければならない。フルダのキリスト教民主同盟連邦議会議員でプロテスタントのミヒャエル・ブラントは、特にドイツ憲法によれば最上級の掟である生命保護の問題において、固有のキリスト教的信念に対する責任を持つ事が重要である事を明らかにした。正にカトリック教会はこの倫理問題においていつも明快に政治的に介入してきた。ブラント議員はいつでも教会に人が理解のできる言葉を期待している。 ナタナエル・リミンスキーの司会のもと、続けて有名なジャーナリストで作家のマティアス・マツセク、また映画監督で作家のインゴ・ラングナーが討論した。マツセクは確信をもって、この平凡化の時代の教会は、時代精神に関する敷居をあまり低く横たえるべきではないと言った。「誰もがファーストフード店のように[教会に]ふらふらと出入りしたら残念なことです」と自分の確信を強調した。 現代というのは、教会にとっての挑戦とチャンスを描く新たな「宗教へのトレンド」に特徴付けられるだろう。インゴ・ラングナー氏の確信によれば、教会は芸術と文化の世界との接触を恐れてはならない。自意識の欠如があまりに行き過ぎて、断固としたカトリック芸術家に与えられる芸術賞が少なすぎる。 昔は教会は、芸術家に何を望むかもっとはっきりと言っていた。「私は、教会は将来も負かされないだろうと思います」と映画監督は強調した。 朝、レバノン人カトリック神学者のAdel Theodor Khoury博士がキリスト教とイスラム教の関係についての講演で、キリスト教徒とイスラム教徒は人類の現在と未来に対する共通の責任を持つ道連れになれると示唆した。諸宗教は目下ある目覚めを経験している、そこでは宗教は「価値と意義のシステム」を描いている。その事について著作家のGabriele Kubyは、家族と社会にとっての「ジェンダー主流化」イデオロギーの危険の説明を以って続けた。男女の違いをぼやかす事、そして自分が性的にどのようになりたいか、何になりたいかを恣意的に決める「新しい人間」のイデオロギーに反対する熱狂的な弁論の中で、彼女は「ジェンダー主流化」の拡張が法の助け(中絶の「人権」、反差別法)をもって政府によってユダヤ・キリスト教的人間像への総攻撃を表し、遂には自由と民主主義を崩壊させるだろうと指摘した。この原因は、絶対的な真実がないという事、そしていわゆる性の解放の全体主義的要求という誤った相対主義的解釈にある。 キリスト教的婚姻と家族に関しては更にマリア・フォーダーホルツァー氏の講演の中で、救いの道としての罪の赦しに関しては医学博士ヘルムート・レナー氏が語った。午後にはローター・ロース博士が「私達の未来にとっての国家の責任」について語った。バイエルンのヨーロッパ議会議員ベルント・ポッセルト氏は、欧州連合内のキリスト教政治家にもっと支援を送り、生命保護の崩壊を止めるよう呼び掛けた。ペーター・ヴィリ博士は世界教会の一致と普遍性の保証としての教皇の意味を講演の中で提示した。シンポジウムの後、アントン・ツィーゲナウス博士は「今の時代への聖母のご出現と彼女の呼び掛け」をテーマ化した。
Freude am Glauben" 15.09.08 Fulda (bpf). Ein hochkarätig besetztes
Podiumsgespräch unter dem Motto "Kirche in Zukunft: Stütze der Gesellschaft
oder Randgruppe?", Resolutionen zu den Themen "Gender-Mainstreaming löst die
Geschlechtsidentität von Mann und Frau auf" und "Christen müssen Europa
gestalten", eine Reihe von brillanten Vorträgen sowie eine Grußadresse an
Papst Benedikt XVI. waren Inhalt des zweiten Tages des diesjährigen
Kongresses "Freude am Glauben" im Fuldaer Kongreßzentrum Esperanto. "Wir
versichern Eure Heiligkeit unserer unverbrüchlichen Treue zum katholischen
Glauben, zur Kirche und zum Papstamt als dem Garanten der Einheit und
Universalität der Weltkirche", schrieb der Vorsitzende des Forums Deutscher
Katholiken, Prof. Dr. Hubert Gindert, in der Grußadresse an Benedikt XVI.
Nur die Lehre der Kirche mit ihrer Botschaft könne echte Hilfe und
Orientierung für einen Neuaufbruch im Glauben und für das Gedeihen der
Gesellschaft geben. Unter der Moderation von Nathanael Liminski diskutierten des weiteren der bekannte Journalist und Buchautor Matthias Matussek sowie der Filmemacher und Autor Ingo Langner. Matussek zeigte sich überzeugt, daß die Kirche im Zeitalter der Trivialisierung ihre Schwellen in bezug auf den Zeitgeist nicht zu tief legen dürfe. "Es wäre schade, wenn jeder hinein- und herauslatscht wie in eine Imbißbude", so seine pointierte Überzeugung. Die heutige Zeit sei von einem neuen "Trend zur Religion" hin gekennzeichnet, was eine Herausforderung und Chance für die Kirche darstelle. Nach der Überzeugung Ingo Langners dürfe die Kirche keine Berührungsängste mit der Welt der Kunst und Kultur haben. Das mangelnde Selbstbewußtsein gehe hier so weit, daß man Kunstpreise viel zu selten an dezidiert katholische Künstler gebe. In früheren Zeiten habe die Kirche viel deutlicher gesagt, was sie sich von den Künstlern wünsche. "Ich glaube, daß die Kirche auch in Zukunft nicht überwältigt werden wird", unterstrich der Filmemacher. Am Morgen hatte der libanesische katholische Theologe Prof. Dr. Adel Theodor Khoury in einem Vortrag über das Verhältnis von Christentum und Islam darauf hingewiesen, daß Christen und Moslems Weggefährten seien, die eine gemeinsame Verantwortung für Gegenwart und Zukunft der Menschheit hätten. Die Religionen erlebten derzeit ein Erwachen, da sie ein "System von Werten und Sinn" darstellten. Daran schloß sich Buchautorin Gabriele Kuby mit der Darlegung der Gefahren der "Gender-Mainstreaming"-Ideologie für Familie und Gesellschaft an. In ihrem leidenschaftlichen Plädoyer gegen die Verwischung der Unterschiede von Mann und Frau und die Ideologie des "neuen Menschen", der willkürlich entscheide, wie und was er sexuell sein wolle, zeigte sie auf, daß die Verbreitung des "Gender-Mainstreaming" durch Regierungsstellen mit Hilfe von Gesetzen ("Menschenrecht" auf Abtreibung, Antidiskriminierungsgesetze) einen Generalangriff auf das jüdisch-christliche Menschenbild darstelle und letztendlich Freiheit und Demokratie aushöhle. Ursache hierfür seien die irrige relativistische Auffassung, daß es keine absolute Wahrheit gebe, und ein totalitärer Anspruch der sogenannten sexuellen Befreiung. Um die christliche Ehe und Familie ging es sodann in einem Vortrag von Maria Voderholzer, um Vergebung der Schul als ein Weg zur Heilung dem Medizinprofessor Dr. Helmut Renner. Am Nachmittag sprach PRof. Dr. Lothar Roos über die "Verantwortung des Staates für unsere Zukunft". Der bayerische Europapolitiker Bernd Posselt rief dazu auf, christlichen Politikern in der Europäischen Union mehr Rückhalt zu geben und die Aushöhlung des Lebensschutzes zu stoppen. P. Dr. Peter Willi FSO legte in einem Vortrag die Bedeutung des Papstes als Garanten für Einheit und Universalität der Weltkirche dar. Nach dem Podiumsgespräch thematisierte Prälat Prof. Dr. Dr. Anton Ziegenaus "Die Erscheinungen der Muttergottes und ihr Anruf an unsere Zeit". © Bistum Fulda |