HOME > 救済論の問題点 目次 > 【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
このように、様々な検討をしてくると、『御言』にみる「正しい血統的転換」とは、現在の統一教会において主流的見解となっている「法廷論的贖罪観」でも、「肉的生物学的血統転換論」でもないことがはっきりと分かってきます。
それは結論として、両者とは全く異なった次元における「心情的血統転換」であるということができるでしょう。今後、統一教会の中で人為的、対策的に作り上げられた理論ではなく、文先生の直接の『御言』に基づく「心情的な血統観」を中心としなければ、神の救済摂理を根本的に合理的なものとして理解することは、一層困難なものとなってくるでしょう。
キリスト教界において、様々な神学的見解が歴史的に乱立し、未だ教派間の対立を引き起こす深刻な要因となっているように、現在の統一教会においても、文先生の『御言』に明確な根拠を持たない様々な「救済観」が乱立し、まさに統一信徒は教学的な混迷状態の中に置かれていると言っても過言ではないでしょう。