統一教会の対応について
読者の感想
セミナーのご案内
お問い合わせ
本の購入

救済論の問題点 目次


HOME > 救済論の問題点 目次 > 【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
第2章 統一教会の救済観の問題点

【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点

 統一教会の「法廷論的贖罪観」は、既に絶版となっている補助教材シリーズNo8『やさしい贖罪論』という書籍の中で、その理論的な解説がなされています。

「そもそも“罪”という言葉自体が既に宗教的、倫理的、法律的用語であることを考えると、それが“遺伝する”といっても、そのことが単なる生物学的遺伝を指しているのではないことは明らかです。つまり原罪の遺伝は、血液や遺伝子といったものを通じて、何か物質的なものが代々受け継がれていくということではありません。
簡単にいえば、人類始祖の犯した罪(原罪)が遺伝するとは、人類が血統的な有機的一体性を有しているがゆえに、その血のつながりを条件(因縁)として法廷論的(forensic)に罪の讒訴が後孫にまで及ぶということ……つまり、生物学的要素を媒介(条件)とした讒訴条件の伝播なのです。」(『やさしい贖罪論』光言社192~194頁)

 しかし、この説明にはある重要な論理的矛盾が隠されています。
それは、生物学的(存在論的)要素と、法廷論的(価値論的)要素との関係です。つまり、人類始祖の子孫への「罪責の転嫁」が、たとえ法廷論的な評価(価値)だったとしても、その“根拠”自体は、あくまでも“血がつながっている”という、“生物学的、血統的一体性”という「存在論的」なものであるということです。もしそうであれば「救済の転嫁」においても、法廷論的な無罪宣告を勝ち取るためには、今度は“血がつながっていない”という、やはり“生物学的、存在論的根拠を必要とすることになってしまう”ということです。

  つまり、「原罪の遺伝」について、一方では“原罪の遺伝は、あくまでも法廷論的なものであって、生物学的なものではない”と言いながらも、その救済方法においては、やはりメシア自身がまず、アダムからの生物学的血統から完全に独立した、全く別個な生物学的血統に生まれなければならないし、(…その点、ファンダメンタルなキリスト教は、イエスの誕生を、肉の父親にはつながらない、奇跡的な聖霊による処女降誕として、アダムの子孫であるという生物学的血統の連結性から切り離された存在として捉えている…)更に、そのメシアによって原罪からの無罪宣告を獲得しなければならない堕落人間も、実質的生物学的子孫(実際の肉的子女)として産み直されなければならなくなってしまう(…つまり、法廷論的な戸籍の移動ではなく、実質的、生物学的血統転換を必要とすることになってしまう)ということなのです。少し論理が込み入っているので、注意深く読まないと煙に巻かれるようですが、明らかに論理の矛盾がそこにはあるのです。

 

  このような理論上の混乱の原因は、統一教会の「法廷論的贖罪観」が、前述のキリスト教の「契約神学」と似ているようで、実際は「契約神学」と全く同じではなく、丁度カルヴァンの「連帯首長説」とアウグスチヌスの「自然首長説」とをミックスしたような見解であるためと考えることができます。つまり、「罪の転嫁」については法廷論的な「契約神学」と同じですが、その「転嫁の理由(根拠)」については、“アダムと神との契約”とはみなさず、“血統的な有機的一体性”というアウグスチヌスの「自然首長説」の立場をとっているためで、その論理が首尾一貫していないからと考えることができるのです。

 

<<  第2章-【20】目 次第2章-【22】 >>

前のページに戻る
ページトップに戻る

コンテンツ
救済論の問題点 目次
統一教会の対応
読者の感想
セミナーのご案内
お問い合わせ
本の購入
100ヶ条の提題サイト
インフォメーション
個人情報保護方針
サイトマップ
リンク集
お問い合わせ
救済論の問題点 目次
はじめに
第1章 統一教会における教典問題
【1】統一教会の「教理」と『原理講論』
【2】『原理講論』の“教典的位置”としての問題点
【3】『統一神学』の問題点
【4】『統一思想』の問題点
【5】「統一教会の教理」に関するその他の「解説書」
【6】文先生の『御言』の中にある「最終的真理」
 
第2章 統一教会の救済観の問題点
【1】「霊肉共の救い」を主張した統一教会
【2】統一教会の主流的救済観─「法廷論的贖罪観」の問題点
【3】「法廷論的贖罪観」が強調されるようになった経緯
【4】「法廷論的贖罪観」の強調は、“反対牧師対策”がその背景。
【5】「法廷論的贖罪観」の問題点。
【6】統一教会内にあった「二つの見解」
【7】「実存と法廷的評価」の分離は「キリスト教型の救済観」
【8】「罪」と「堕落性」の関係
【9】「罪と堕落性」という“対比の仕方”の問題点
【10】「堕落性本性」の内容と「罪」との関係
【11】「性質としての罪」の概念
 
【12】「堕落性」という言葉
【13】 「思い」や「性質」は“罪ではない”と主張する統一教会
【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
【15】 キリスト教における「堕落性と罪」の概念
【16】 「原罪」ついての二つの捉え方
【17】 人類始祖の犯罪行為としての「原罪」概念の問題点
【18】 「神の血統」の真の意味
【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱
【20】 「罪の遺伝(転嫁)」とは?
【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
【22】 もう一つの救済観─「生物学的血統転換論」の問題点
【23】 統一教会に混在する「二つの救済観」
【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
【25】 「心の遺伝」
【26】 「救済論」における「義認」と「聖化」
【27】 統一教会の救済論の重点は、「義認」より「聖化」
【28】 「義認と聖化」は“同時的”に実現
【29】 「罪と堕落性」「義認と聖化」からみた「イスラエル(選民圏)の変遷」
【30】 統一教会の本来の目的は「聖化」の完成
【31】 「第三イスラエル」としての統一教会と「第四イスラエル」時代の到来
あとがき