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第2章 統一教会の救済観の問題点

【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱

 ところで、“淫行関係を結ぶ”ということと“血縁関係を結ぶ”ということは、決して同じことを意味してはいません。
 しかし『原理講論』は、「罪の根は……天使と不倫なる血縁関係を結んだところにあった」(104頁)「人間はサタンの子孫である」「人間の祖先が天使と淫行を犯すことによって、すべての人間がサタンの血統より生まれるようになった」(102頁)などと、「淫行関係を結ぶ」ことが、あたかも「血縁関係を結ぶ」ことと同じであるかのように表現しています。この表現が「血統」の概念に、大きな誤解を与えてしまっていると考えることができます。
 前掲書の『誤りを正す』にも、人間が“サタンの子女になった”、“サタンの血統になった”ということを次のように説明しています。

「人間始祖と天使長が、偽りの愛によって性関係を結ぶことによって、神の血統がサタンの血統へと変わってしまった」つまり、不倫なる性関係によって血統が変わったというわけです。そして、神の血統がサタンの血統に変わるという現象は、「性関係を結ばない限り、絶対に引き起こらない現象なのです。」(『誤りを正す』光言社 106~107頁) 

 

つまり、“性関係によって血統が変わる”ことが強調されているのです。
 しかし、普通、男女が「性関係」をもつことを、直接「血縁関係を結ぶ」などと表現することはありませんし、SEXをしたからといって男女間の“血統”が変わったりはしません。
 「血縁関係」というのは、あくまでも、「親子」「兄弟姉妹関係」のことであり、「親子、兄弟姉妹関係の連鎖で結ばれる関係」を意味しています。広い意味では、“生物学的な血の関係”だけではなく、“養子関係”“共通の先祖をもつと信じあっている関係”をも含めることがあります。いずれにせよ、「夫婦関係」や「不倫なる性関係」をもつことを、“血縁関係をもつ”と表現することは適切とは言えません。

■ 『御言』にみる「血縁関係」
文先生の『御言』が示している「神の血統」とは、決して生物学的なものではなく、人類が、神を“共通の親”として「心情的に親子関係」を結んだときに、神を中心とした「一家族」、即ち「血族」になることを意味しています。人類は同じ「神の子」としての「心情的血縁関係をもった一家族」なのです。 また逆に、サタンを中心として“自己中心の動機を受け継いで繁殖した人類”は、サタンの血統に陥った「サタンの子」と呼ばれる存在となっているのです。「血統」は、「親と子」という“縦的な心情的関係の結びつき”によって決定するのです。

 つまり、天使長ルーシェルとエバが“性関係”を持ったからといって、天使長ルーシェルとエバが「親子(血縁)関係」になったりはしません。二人の間に子供が生まれれば、天使長ルーシェルとその子供は「親子」になるでしょうが、エバはそもそも“肉体の精子を持たない”ルーシェルの子を身ごもることは出来ません。人類はあくまでも「アダムとエバの子孫」なのであって、“ルーシェルの生物学的血統のもとに生まれた”のではありません。

  「天使長とエバ、エバとアダムとの性的関係」を一般的な事件に置き換えてみても、生物学的DNAという観点からみるならば、男女が性関係を持って子供を産んだ場合、その子は決して“その女性(母親)以前関係のあった男性の子”と呼ばれることはありません。

【参考】
■ 感応遺伝
一時期、血統書付きの犬の場合、一度でも雑種と掛け合わせた雌はそれ以降、二度と純血種の繁殖には適さないという説から、「感応遺伝」(テレゴニー、先夫遺伝、残存遺伝)などという言葉が「堕落論」の講義等で用いられたこともありましたが、医学的生物学的には、何の根拠も無いことが証明されています。(但し人間の場合、“霊的心情的レベル“では、勿論影響があることは言うまでもありません。)

 又、「霊肉共の堕落」のいきさつから、「人類はサタンの子」という概念を、仮に「生物学的血統関係」として捉えたとしても、淫行関係を結んだ“当事者同士は、決して親子(血縁関係)にはならない”ので、「サタンの子」という概念から、人類始祖のアダムとエバだけは外されてしまうという何とも奇妙なことになってしまうのです。

 

  結論として、“人類がサタンの血統として生まれている”というのは、それは文先生が『御言』の中で強調されているように、誰しもが“堕落人間としての普遍的心のあり方”である「自己中心の動機を持っている」という事実を述べたものであることが分ります。

【文先生の御言】
「どのようにしたらサタン圏の愛とサタン圏の血統から脱出できるでしょうか。自分を愛し、自分だけを考えれば、いつでもサタンが引っ張っていくのです。反対に、「私」を否定し、神様を中心として考えて生活するようになれば、サタンは「私」を管理できず、神様が臨在して管理するようになるのです。こうすることによって、サタン世界の天使長圏から解放され得るというのです。堕落した天使長の立場から、堕落しなかった天使長の立場に上がっていくのです。」(『祝福家庭と理想天国Ⅰ』 775頁 祝福の意義と価値)

 

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救済論の問題点 目次
はじめに
第1章 統一教会における教典問題
【1】統一教会の「教理」と『原理講論』
【2】『原理講論』の“教典的位置”としての問題点
【3】『統一神学』の問題点
【4】『統一思想』の問題点
【5】「統一教会の教理」に関するその他の「解説書」
【6】文先生の『御言』の中にある「最終的真理」
 
第2章 統一教会の救済観の問題点
【1】「霊肉共の救い」を主張した統一教会
【2】統一教会の主流的救済観─「法廷論的贖罪観」の問題点
【3】「法廷論的贖罪観」が強調されるようになった経緯
【4】「法廷論的贖罪観」の強調は、“反対牧師対策”がその背景。
【5】「法廷論的贖罪観」の問題点。
【6】統一教会内にあった「二つの見解」
【7】「実存と法廷的評価」の分離は「キリスト教型の救済観」
【8】「罪」と「堕落性」の関係
【9】「罪と堕落性」という“対比の仕方”の問題点
【10】「堕落性本性」の内容と「罪」との関係
【11】「性質としての罪」の概念
 
【12】「堕落性」という言葉
【13】 「思い」や「性質」は“罪ではない”と主張する統一教会
【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
【15】 キリスト教における「堕落性と罪」の概念
【16】 「原罪」ついての二つの捉え方
【17】 人類始祖の犯罪行為としての「原罪」概念の問題点
【18】 「神の血統」の真の意味
【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱
【20】 「罪の遺伝(転嫁)」とは?
【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
【22】 もう一つの救済観─「生物学的血統転換論」の問題点
【23】 統一教会に混在する「二つの救済観」
【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
【25】 「心の遺伝」
【26】 「救済論」における「義認」と「聖化」
【27】 統一教会の救済論の重点は、「義認」より「聖化」
【28】 「義認と聖化」は“同時的”に実現
【29】 「罪と堕落性」「義認と聖化」からみた「イスラエル(選民圏)の変遷」
【30】 統一教会の本来の目的は「聖化」の完成
【31】 「第三イスラエル」としての統一教会と「第四イスラエル」時代の到来
あとがき