統一教会の対応について
読者の感想
セミナーのご案内
お問い合わせ
本の購入

救済論の問題点 目次


HOME > 救済論の問題点 目次 > 【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
第2章 統一教会の救済観の問題点

【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現

 

 このように検討してくると、「堕落性と罪」という表現は、本来であれば次のように表記することが、より適切であり、概念が明確になるものと言えます。

 

統一神学

 まず、「動機から行為へ」(性相と形状)という観点から述べるのであれば、「堕落性」と真の意味で対比されるべき概念は、心のあり方、即ち動機や性質が原因となって結果的行動を引き起こす一連の時間の流れを示す「堕落性と堕落行為」という表現がより適切であると言えるでしょう。あるいは、“善なる思いと行為”ということで対比するのであれば、「創造本性と創造本然の行為」という表現になるでしょう。 同様に、「罪」という言語に対比されるべき概念といえば、それは「堕落性」ではなく、キリスト教的な表現を用いれば(後述)、「原罪と(行為)罪」、「ひとつの罪(sin)ともろもろの罪(sins)」、「存在(性質)としての罪と行為としての罪」といった表現になるでしょう。

 

 次に、「価値」(善と悪)という観点から述べるのであれば、「性質」としての「堕落性」と真の意味で対比されるべき概念は、「罪」ではなく、悪の性質と善の性質の対比を意味する「堕落性と創造本性」ということになるでしょう。一方「行為」としての「堕落行為」に対比される概念は、「堕落行為と創造本然の行為(善行)」ということになるでしょう。

  同様に、「罪」という言語に対比されるべき概念は、「堕落性」ではなく、直接の対極的言語(反対語)はありませんが、「有罪(悪)と無罪(善)」あるいは「罪悪性と善性」というように対比することが可能でしょう。

 

 結局、「堕落性と罪」という並べ方は、概念の比較という点で、いわば“カテゴリーエラー”を起こしており、人間の動機(原因)から行動(結果)への、一連の動き(時間的運動)は、精神的、性質的なものから具体的行為(行動)まで、全て「存在概念」なのであり、その全体に対する“天的評価”こそが「罪」、即ち「価値概念」であるということが分ります。

 

<<  第2章-【13】目 次 第2章-【15】 >>

前のページに戻る
ページトップに戻る

コンテンツ
救済論の問題点 目次
統一教会の対応
読者の感想
セミナーのご案内
お問い合わせ
本の購入
100ヶ条の提題サイト
インフォメーション
個人情報保護方針
サイトマップ
リンク集
お問い合わせ
救済論の問題点 目次
はじめに
第1章 統一教会における教典問題
【1】統一教会の「教理」と『原理講論』
【2】『原理講論』の“教典的位置”としての問題点
【3】『統一神学』の問題点
【4】『統一思想』の問題点
【5】「統一教会の教理」に関するその他の「解説書」
【6】文先生の『御言』の中にある「最終的真理」
 
第2章 統一教会の救済観の問題点
【1】「霊肉共の救い」を主張した統一教会
【2】統一教会の主流的救済観─「法廷論的贖罪観」の問題点
【3】「法廷論的贖罪観」が強調されるようになった経緯
【4】「法廷論的贖罪観」の強調は、“反対牧師対策”がその背景。
【5】「法廷論的贖罪観」の問題点。
【6】統一教会内にあった「二つの見解」
【7】「実存と法廷的評価」の分離は「キリスト教型の救済観」
【8】「罪」と「堕落性」の関係
【9】「罪と堕落性」という“対比の仕方”の問題点
【10】「堕落性本性」の内容と「罪」との関係
【11】「性質としての罪」の概念
 
【12】「堕落性」という言葉
【13】 「思い」や「性質」は“罪ではない”と主張する統一教会
【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
【15】 キリスト教における「堕落性と罪」の概念
【16】 「原罪」ついての二つの捉え方
【17】 人類始祖の犯罪行為としての「原罪」概念の問題点
【18】 「神の血統」の真の意味
【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱
【20】 「罪の遺伝(転嫁)」とは?
【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
【22】 もう一つの救済観─「生物学的血統転換論」の問題点
【23】 統一教会に混在する「二つの救済観」
【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
【25】 「心の遺伝」
【26】 「救済論」における「義認」と「聖化」
【27】 統一教会の救済論の重点は、「義認」より「聖化」
【28】 「義認と聖化」は“同時的”に実現
【29】 「罪と堕落性」「義認と聖化」からみた「イスラエル(選民圏)の変遷」
【30】 統一教会の本来の目的は「聖化」の完成
【31】 「第三イスラエル」としての統一教会と「第四イスラエル」時代の到来
あとがき