HOME > 救済論の問題点 目次 > 【12】 「堕落性」という言葉
「堕落性」という単語の頭についている「堕落」という呼称は、本来の「創造本性(神性)からズレた性質」という意味であり、その性質自体が既に天的評価を受けている、即ち、神のみ意にかなわない状態(罪)にあることを示しています。つまり「堕落性」は、別な言い方をすれば「罪性」であると言ってもよいでしょう。そうすると「堕落性と罪」という表現は、結局「性質としての罪と、行為としての罪」という意味であり、両方とも「罪」の状態にあることが明らかだと言えます。
勿論、厳密には、「罪」と「堕落」は、神学的概念としては異なるものですが(本書ではその詳細を論じることはできませんが…)、「善と悪」という、より包括的な概念からみれば、神の本性に反した「悪」という同一の範疇に入る価値概念であり、今論じている「堕落性と罪」というテーマでは、同じ概念とみることができます。つまり、「堕落した性質」と「罪深い性質」という表現は、同じ内容を意味していると言ってさしつかえないでしょう。ヘンリー・シーセンは「罪は特別な種類の悪である。」(『組織神学』399頁)とも表現しています。
■「罪を犯す」と「罪をもつ」
「罪」という単語には、確かに「罪を犯す」という表現と、「罪をもつ」「罪ある状態」という、二つの用い方があるので、「罪を犯す」と表現すると、「犯される罪」と「罪を犯す性質」が分離され、一見別なもののようにも思えます。つまり結果的違法行為のみが「罪」であるかのようにも思えます。しかし、後者の意味としては、明らかに罪の「状態」「性質」そのものが「罪」の概念であることが分かります。