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第2章 統一教会の救済観の問題点

【12】 「堕落性」という言葉

 「堕落性」という単語の頭についている「堕落」という呼称は、本来の「創造本性(神性)からズレた性質」という意味であり、その性質自体が既に天的評価を受けている、即ち、神のみ意にかなわない状態(罪)にあることを示しています。つまり「堕落性」は、別な言い方をすれば「罪性」であると言ってもよいでしょう。そうすると「堕落性と罪」という表現は、結局「性質としての罪と、行為としての罪」という意味であり、両方とも「罪」の状態にあることが明らかだと言えます。 

 勿論、厳密には、「罪」と「堕落」は、神学的概念としては異なるものですが(本書ではその詳細を論じることはできませんが…)、「善と悪」という、より包括的な概念からみれば、神の本性に反した「悪」という同一の範疇に入る価値概念であり、今論じている「堕落性と罪」というテーマでは、同じ概念とみることができます。つまり、「堕落した性質」「罪深い性質」という表現は、同じ内容を意味していると言ってさしつかえないでしょう。ヘンリー・シーセンは「罪は特別な種類のである。」(『組織神学』399頁)とも表現しています。

■「罪を犯す」と「罪をもつ」
「罪」という単語には、確かに「罪を犯す」という表現と、「罪をもつ」「罪ある状態」という、二つの用い方があるので、「罪を犯す」と表現すると、「犯される罪」と「罪を犯す性質」が分離され、一見別なもののようにも思えます。つまり結果的違法行為のみが「罪」であるかのようにも思えます。しかし、後者の意味としては、明らかに罪の「状態」「性質」そのものが「罪」の概念であることが分かります。

 

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救済論の問題点 目次
はじめに
第1章 統一教会における教典問題
【1】統一教会の「教理」と『原理講論』
【2】『原理講論』の“教典的位置”としての問題点
【3】『統一神学』の問題点
【4】『統一思想』の問題点
【5】「統一教会の教理」に関するその他の「解説書」
【6】文先生の『御言』の中にある「最終的真理」
 
第2章 統一教会の救済観の問題点
【1】「霊肉共の救い」を主張した統一教会
【2】統一教会の主流的救済観─「法廷論的贖罪観」の問題点
【3】「法廷論的贖罪観」が強調されるようになった経緯
【4】「法廷論的贖罪観」の強調は、“反対牧師対策”がその背景。
【5】「法廷論的贖罪観」の問題点。
【6】統一教会内にあった「二つの見解」
【7】「実存と法廷的評価」の分離は「キリスト教型の救済観」
【8】「罪」と「堕落性」の関係
【9】「罪と堕落性」という“対比の仕方”の問題点
【10】「堕落性本性」の内容と「罪」との関係
【11】「性質としての罪」の概念
 
【12】「堕落性」という言葉
【13】 「思い」や「性質」は“罪ではない”と主張する統一教会
【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
【15】 キリスト教における「堕落性と罪」の概念
【16】 「原罪」ついての二つの捉え方
【17】 人類始祖の犯罪行為としての「原罪」概念の問題点
【18】 「神の血統」の真の意味
【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱
【20】 「罪の遺伝(転嫁)」とは?
【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
【22】 もう一つの救済観─「生物学的血統転換論」の問題点
【23】 統一教会に混在する「二つの救済観」
【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
【25】 「心の遺伝」
【26】 「救済論」における「義認」と「聖化」
【27】 統一教会の救済論の重点は、「義認」より「聖化」
【28】 「義認と聖化」は“同時的”に実現
【29】 「罪と堕落性」「義認と聖化」からみた「イスラエル(選民圏)の変遷」
【30】 統一教会の本来の目的は「聖化」の完成
【31】 「第三イスラエル」としての統一教会と「第四イスラエル」時代の到来
あとがき