ところで、当初から、すでに統一教会の内部においても、この「二つの概念」(罪と堕落性、及び血統転換と心情転換)の捉え方については、かなりの“意見の相違”がみられたというのです。これは飽くまでもH氏の私見ということなのですが、次のような二つのタイプの見解の相違があったというのです。
ひとつは、「家庭部」や「教育部」のように、内部の教会員の“教育(育成)”を担当する部署の人や、比較的初期に来られた先輩信徒においては、祝福は“受ければ良い”というものではなく、「儀式」としての祝福は救いの「出発」であり、祝福家庭はむしろ“祝福を受けてからが大切”なのであり、祝福後に問題を起こしたり、脱落しないよう指導する責任を感じておられたことも相まって、それらの人々は、“祝福後に成すべき課題”、すなわち「人格と心情の完成」と「真の家庭形成」のために必要な、多くの“努力内容”や “努力目標”を強調したため、比較的この「二つの概念」(罪と堕落性、及び血統転換と心情転換)を分離せず、「救い」の概念を、“実体的な内実の伴った”、いわば“罪を犯さない、堕落性のない状態に至ること(本然の状態への回復)”として捉える傾向があったように思われます。
一方、「伝道部」「超教派部」「超宗派部」や、特に「対策部」等、他の宗教団体との比較の中で、「統一教会の救いの優越性」を特に強調する必要があった部署の人々は、祝福による法廷論的“恩恵(他力)”を強調し、上記の二つの概念を“分離する”傾向(必要性)が強くみられたということができるでしょう。
しかし、結果的には、当時統一教会において多教派や他宗教に対する教学的責任を持つ立場でもあった「超教派部」や「対策部」等の強い主張と要請によって、後者の考え方が“主流的”になっていったものと考えることができるのです。
このような経緯により、「罪と堕落性」及び「血統転換と心情転換」は、完全に“分離された概念”として統一教会内に定着していったものと思われるのです。
そして、問題なのは、統一教会の教学的な指導者たちにおいて行われた「概念の分離」が、“現場においては”次第に、文先生の『御言』が示している「成約時代の救済観」を“誤認する方向(現実的には安易な恩寵論)へと誘導するものとなってしまった”ということなのです。
つまり、「罪と堕落性」の内、「罪の清算」即ち「贖罪」だけが、「血統転換と心情転換」の内、「血統転換」即ち「法廷論的入籍」だけが“強調されてしまった”ため、それを成就するためのサクラメント(儀式)である「祝福」のみが過度に力説され、それをもって“救われた(・・・まさにそれが「成約の実体救済」である)”との誤解を与える結果となってしまったと考えることができるのです。
H氏の説明によれば、「贖罪論」と「救済論」は、もともと組織神学的には違うものであり、どんなに「贖罪(原罪の清算)」が完了しても、“救いが完了した“ということではなく、「贖罪論」はあくまでも「救済論」の一部であり、「贖罪」以外に、「聖化」や「栄化」といった“実体が完成していく過程”が必要であることは、教学を指導する立場の人たちにとっては“当然のこととして認識されていた”というのです。
しかし、そのような認識は現場においては薄く、「祝福さえ受ければ、救われる」といった、極めてデフォルメ(強調)された主張に変わっていったものと考えることができるのです。
結果として、文先生のトータルな『御言』から導きだされる「原理観」とは、大きく異なったこのような救済観は、現場の一般信徒に対し、極めて深刻な“憂慮すべき事態”をもたらしていると言うことができるでしょう。
特に、頻発する反対牧師問題に対する「キリスト教対策講義」が全国で行われるようになってから入教した比較的新しい信徒においては、そのような “デフォルメされ、偏った救済観”が、現実の信仰生活に強い影響を与えているということは、疑うことの出来ない事実なのです。