さて、このような状況の中で、その当時、反対牧師から信徒を守る責任を負わされていたH氏は、統一教会における「救い」の重要な要素としての「祝福による恩恵(他力)」を、殊更に“強調せざるを得ない、対策的立場に置かれていた”というのです。
多くの若い教会員は、反対牧師による膨大な批判にさらされることによって、知的にも情的にも“混沌”となり、まさに “統一教会を出て行くかもしれない”といった状況にまで追い込まれていったのです。
そのような状況の中で、“祝福後に”しなければならない“人格や心情の成長”といった、 “より高い次元”を目指した “自力的課題(努力目標)”を“一層厳しく要求すること”は、とてもH氏にはできない内容でした。それは、統一教会の毎日の歩みの中で、膨大な摂理的課題と献金目標のために“心身共に疲れきり”、キリスト教の恩寵による他力的救済観に“心の癒し”を求め、混沌と不安の中で“離教への思いに揺れている信徒”に対し、更なる“追い討ち”をかけることを意味していたのです。
このように、当時、反対牧師から信徒を守る対策的責任を担っていたH氏は、当然キリスト教の説く「恩寵」を更に“上回る”、“絶大な神の恩寵(他力)”としての「祝福の価値」を、力説せざるを得なかったというのです。そのような経緯の中で出現してきたのが、「法廷論的贖罪観」だったのです。
勿論、H氏のしたことは、単なる対策的作為的“方便”であり、教学的には“虚偽”であったという意味ではありません。しかし、明らかに、文先生の語られる救済論の“全体”からみるならば、一部分(祝福による恩寵的側面)のみを強調し、救済のための“自力的な課題(人間の責任分担)”を充分に取り上げなかったことが、結果的に、多くの信徒に「救いの本質」を理解する上で、大きな“誤解”と“障害”を与えてしまったことは、疑うことのできない事実なのです。
H氏は、その当時の教団内部の現実的要請と切羽詰った事態に対する避けられなかった対応とはいえ、現在、“深い悔恨の念”と共に、結果的に引き起こされてしまった教学的な誤解の事実をはっきりと認めておられます。
信徒たちの「救済観」や「祝福」に対する誤った認識を正していかなければ、「祝福家庭」の“悲惨な現状”を解決することができないということと、更に「祝福二世たち」が“これからの行くべき道”に対し、“誤った指針”を与える結果となってしまうことを危惧し、現在H氏は、統一教会の「法廷論的贖罪観」を主導した責任をとって、その是正に誠意を持って対処し、文先生の『御言』に基づく“「正しい救済観」の提示ために”尽力くださっています。