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第1章 統一教会における経典問題

【6】 文先生の『御言』の中にある「最終的真理」

 以上のことから、1954年に世界基督教統一神霊協会(統一教会)がその看板を掲げ、既に50年以上の歳月が経過しているにも関わらず、“統一教会の教えとは何か?”という、ごく当たり前とも言える質問に答えることが、決して簡単なことではないということをご理解頂けたのではないかと思います。

  残念ながら、現時点の統一教会においては、文先生の思想についての、論理的、組織神学的内容を充分に説明し尽くした正式な書物(組織神学)は未だ存在せず、現段階における教理解説書は全て、“真理の部分的記述”に止まっていると言わざるを得ません。

  その結果、現状では、文先生が示そうとされている「原理」の全貌を知るためには、統一教会員各自が、祈りつつ、「原啓示」とも言うべき、文先生の語られた、その難解ともいうべき『御言』から直接、心霊に感じつつ、教学的見解を導き出さなければならない、という大変困難な状況に置かれていることが分かります。

  まさにこのような統一教会の混迷した状況を鑑み、信徒一人一人が直接『御言』に取り組むことができるようにと、文先生は「訓読家庭教会」の摂理を発表されたのではないかと思います。

 「統一教会の救済観」等、「統一教会の教理」の内容を検討するにあたって、何故このような「統一教会における教典問題」を初めに考慮しなければならないのかと言えば、それは、宗教団体である世界基督教統一神霊協会(統一教会)内において公然と主張されてきた、『原理講論』を中心とした教理の理解と、文先生の直接の『御言』にみられる教学的内容との間に、“神学的な整合性”を持たせることが極めて困難な、余りにも大きな相違点が数多く見出されるからなのです。

 

 【文先生の御言】
 2006年10月30日、清海ガーデンで行われた「訓読会」で、「TF(文先生)は原理講論は成約のみ言ではなく、旧約と新約の聖書のみ言を中心に整理したものだとおっしゃいました。成約時代には、成約のみ言を制定されました。成約のみ言は、祝福家庭と理想天国Ⅰ、Ⅱを制定されました。」と、韓国統一協会会長・黄善祚氏がはっきりと報告されています。(「大陸観光ニュース」696号2006年11月2日)

 以上の『御言』から、『原理講論』が文先生の思想を体系化した“最終的な教理書ではない”ことは明らかであると言えるでしょう。最近の御言では、『原理講論』の次に、『原理本論』が出版されなければならないということが語られています。

 【文先生の御言】

  「原理解説という言葉が出て、その次には原理講論。原理講論の次には、原理本論が出なければなりません。真の父母、真の師匠、真の主人。それでこそ、けりがつくのです。そのような家庭的な基盤ができなければなりません。できていない状態では天国にいけないのです。
 ですから、この本も原理解説、その次に原理講論です。教えることができる教材。その次に何かと言うと、原理原本論。原理本体論です。父母様が暮らすそれ自体を、すべてそのまま印刷して、自分たちの写真が同じように、上を見ても、下を見ても、こちらを見ても、あちらを見ても、すべて統一教会の文先生に似ていると言う事ができて、神様が見ても、どのようにして統一教会の文教主に似たのかを言えるようにならなければならないのです。
 それが本体論です。原理本論が出版されなければなりません。原理一体論、本体論が出版されなければならないのです。神様の本体論の入章から、思想界から神様の本体論が出てきます。」(2008年8月31日「清平訓読会」)

 本書で述べようとする「統一教会の救済観の問題点」は、決して、他の宗教や、統一教会に反対する思想的立場からの、いわゆる敵対的動機に基づく反対派の批判的見解ではありません。

 どこまでも、統一教会の創設者であり、再臨主である文先生の直接の『御言』に基づく思想的観点に立ってみた場合、現在の統一教会の “主流的見解とされる教理”には、数多くの“検討すべき神学的問題点がある”ということを明示し、それによって、多くの祝福家庭、あるいは一般信徒の方々が、神の願われる“真の救済とは何か”ということについて、今一度『御言』の原点に立ち返り、再考する機会として頂ければ幸いです。

 

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救済論の問題点 目次
はじめに
第1章 統一教会における教典問題
【1】統一教会の「教理」と『原理講論』
【2】『原理講論』の“教典的位置”としての問題点
【3】『統一神学』の問題点
【4】『統一思想』の問題点
【5】「統一教会の教理」に関するその他の「解説書」
【6】文先生の『御言』の中にある「最終的真理」
 
第2章 統一教会の救済観の問題点
【1】「霊肉共の救い」を主張した統一教会
【2】統一教会の主流的救済観─「法廷論的贖罪観」の問題点
【3】「法廷論的贖罪観」が強調されるようになった経緯
【4】「法廷論的贖罪観」の強調は、“反対牧師対策”がその背景。
【5】「法廷論的贖罪観」の問題点。
【6】統一教会内にあった「二つの見解」
【7】「実存と法廷的評価」の分離は「キリスト教型の救済観」
【8】「罪」と「堕落性」の関係
【9】「罪と堕落性」という“対比の仕方”の問題点
【10】「堕落性本性」の内容と「罪」との関係
【11】「性質としての罪」の概念
 
【12】「堕落性」という言葉
【13】 「思い」や「性質」は“罪ではない”と主張する統一教会
【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
【15】 キリスト教における「堕落性と罪」の概念
【16】 「原罪」ついての二つの捉え方
【17】 人類始祖の犯罪行為としての「原罪」概念の問題点
【18】 「神の血統」の真の意味
【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱
【20】 「罪の遺伝(転嫁)」とは?
【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
【22】 もう一つの救済観─「生物学的血統転換論」の問題点
【23】 統一教会に混在する「二つの救済観」
【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
【25】 「心の遺伝」
【26】 「救済論」における「義認」と「聖化」
【27】 統一教会の救済論の重点は、「義認」より「聖化」
【28】 「義認と聖化」は“同時的”に実現
【29】 「罪と堕落性」「義認と聖化」からみた「イスラエル(選民圏)の変遷」
【30】 統一教会の本来の目的は「聖化」の完成
【31】 「第三イスラエル」としての統一教会と「第四イスラエル」時代の到来
あとがき