更に、「統一原理」の“哲学的分野における理論展開”として、李相憲先生の書かれた『統一思想』(広い意味で『勝共理論』も含む)がありますが、そこにおいても同様な問題が起きています。
『統一思想』は、著者である李相憲先生が他界されたこともあり、その理論の扱う範囲(量)とその展開の深さ(質)において、多くの課題を残したままであると言わざるを得ません。
本来であるならば、具体的な地上天国の建設を標榜する統一教会にとって、ありとあらゆる“既存の学問との関連”を扱わなければならない「統一思想(統一理論)」は、今後、ある意味では、全ての学問分野に亘って、最も充実させていくべき領域であるにもかかわらず、研究に携わる人材や資金面でも、教団として十分な取り組みをしていると言うことはできないでしょう。
事実、知的で探究心のある多くの統一教会員は、この思想部門の充実と発展にどれほど大きな期待を寄せていることでしょう。しかし実際は、李相憲先生を超える思想家としての後継者が出てきている様子もなく、現実的な理想国家建設に必須であると考えられる、具体的な「(統一)政治論」や「(統一)経済論」「(統一)教育論」等も、未だ発表されてはいないというのが現状です。
ただ「統一思想」には、『原理講論』『統一神学』には全く登場しない、文先生の『御言』にある沢山の新しい重要な概念の一部分(「四大心情圏」と「三大王権」)が解説されてはおりますが、その取り扱い方は決して充分なものとは言えず、かろうじて「改訂版」の中で“付録”として取り上げられているに過ぎません。(『新版 統一思想要綱(頭翼思想)』統一思想研究院 光言社 2000年9月18日初版)
更に、“宗教と科学の統一”を主張する立場からは、当然「原相論」「存在論」「認識論」といった「比較思想」「比較哲学」のテーマだけではなく、「比較宗教」としての「罪論」や「堕落論」「救済論」「メシヤ論」「霊界論」「天使論」といった様々な“宗教的テーマ”に関しても、『統一神学』だけではなく、『統一思想』の観点からも“哲学的科学的論証”を展開する必要があるにもかかわらず、それらについての言及がほとんどありません。
最新版の『統一思想要綱(頭翼思想)』(統一思想研究院)のまえがきに、「本書の内容は今まで発表された文先生の思想の主要部分を整理しただけであって、文先生によって、今後、より深く、より新しい真理が続々と発表されることが予想される。」(8頁)と述べられているように、『原理講論』と同様、『統一思想』も“真理の一部分的展開に留まっている”ということは明らかな事実であると言えるでしょう。
従って、“地上天国の具体的実現”の為には、まだまだ数多くの学問的分野にわたって、その理論的“不足面”が補われなければならず、現段階の「統一思想」をもって神の願いを成就することは、現実的には“不可能である”と言っても過言ではないでしょう。