『原理講論』とは別に、従来の「キリスト教神学」との比較をより詳細に扱った、金永雲先生が書かれた『統一神学』(1985年日本語版)という書物があります。しかし残念ながら『統一神学』の内容をみると、やはり『原理講論』と同様の問題が起きていることが分かります。
それは、『統一神学』という表題であるにもかかわらず、文先生の『御言』からの引用はほとんどなく、過去のキリスト教神学の中に登場する、統一教会の見解と類似した神学的見解を列挙することにより、“統一教会がキリスト教の「異端」ではなく、伝統的キリスト教の流れをくむ、まさに「正統的キリスト教」である”ことを、論証(弁解)しようとして書かれた書物であることが分かります。
それは決して“文先生の「新しい思想」を、神学的に体系化(組織神学化)した書物”ではありません。
従って、本来の意味での、再臨主による「統一神学」(統一教会の「組織神学」)を提示するものとなっていないことは明らかであり、あくまでも“既成キリスト教会に対する弁証的、対策的意味合いをもつ書物”に留まっているということが分かります。
「統一神学」こそ、本来であれば、全キリスト教会の「教義学」を統一することのできる、再臨主の啓示を中心とした壮大な「組織神学」、それは、トマス・アクィナスの「神学大全」やカルヴァンの「キリスト教綱要」、K・バルトの「教会教義学」、ティリッヒの「組織神学」、ヘンリー・シーセンの「組織神学」、ミラード・J・エリクソンの「キリスト教神学」等といった、既存の組織神学の書物をはるかにしのぐ内容が展開されるべきなのに、未だにその期待に応える神学書が登場していないというのが偽らざる現状と言えます。
しかも現在、教団においてその作成に向かって充分な取り組みがなされているようにも思えません。