このような観点からみて、『原理講論』と文先生の『御言』との関係を考えた場合、弟子である劉孝元先生の書かれた『原理講論』は、あくまでも文先生の『御言』の一つの「解釈」であり、「組織神学的解説」なので、文先生の直接語られた『御言』のほうに、より宗教的権威があることは言うまでもありません。(このことは、万が一、両者(『原理講論』と『御言』)の間に、対立する概念や表現があった場合、『御言』のほうを優先すべきであることを示しています。)
しかし、『原理講論』が文先生の『御言』の“組織神学的展開”だとしても、その啓示的資料となるべき『御言』が、1954年に統一教会がその看板を掲げ出発したごく“初期”の段階である“1966年5月1日(『原理講論』出版)までの内容しか網羅されていない”ということは、極めて重大な問題であることが分かります。
実際、文先生は『原理講論』の出版後も、現在に至るまでの四十数年に渡り、実に膨大な、重要な御言を語られているのです。そこには『原理講論』には全く登場しない、いくつもの新しい、重要な「単語」や「概念」が含まれています。本来は、それらの内容を“全部”網羅した上でしか、「新しい啓示の体系付け」(組織神学の構築)は行うことができないはずなのに、何故1966年というかなり早い時期に、宗教団体にとっては極めて重要な“教理の神学的骨子”のような書物が出版されたのでしょうか。
しかも、その後、文先生ご自身が『原理講論』の“不足面”や“間違った箇所”に度々言及されながらも【注1】、『原理講論』の「続編」や「改訂版(内容の大幅な補充)」などが出版されるという動きは全く見られないのです。(一度、三弟子のひとりであられる金栄輝先生によって、『原理講論』の補足版ともいうべき『原理教本』<1976年>なるものが出版されたことがありましたが、不思議なことに直ぐに絶版となってしまいました。)
【注1】 文先生の『御言』
「今あなたたちが学んでいる『原理講論』、これは歴史路程において成された結果的記録であり、これをいかにして蕩減すべきかということについては、まだまだ述べていない。それは先生自身が闘って勝利して切り開いていく。」(『み旨と世界』11頁 復帰と祝福)(『祝福家庭と理想天国Ⅱ』 11頁)
「原理講論は……1ページ1ページ(先生の)鑑定を受けたのです。間違っていたとしても、それを知らないのではありません。間違っているところ何ヶ所かを、そのままにしておかなければならないのです。全てを教えてあげるわけにはいかないのです。(『ファミリー』1995年2月/63頁 神の日の御言“真の父母様の勝利圏を相続しよう”)
『原理講論』の“不足面”や“部分性”については、『原理講論』自体がその総序において、「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」(38頁)と明確に述べているとおりです。
更に『原理講論』の記述方法には、他の宗教団体にはあまり見られない不思議な側面があります。通常、宗教団体の教理(神学)というものは、教祖の“新しい啓示内容”の神学化なので、ちょうどキリスト教神学が、“教典”である“聖書の言葉(聖句)”を引用しながら、神学の体系化を行ってきたように、統一教会の神学(統一神学)は、本来であれば、統一教会の“本当の教典”である“文先生の『御言』”を引用しながら、その内容の体系化(組織神学化)を行うべきである筈なのに、『原理講論』は、その論述のほとんどが聖書の「聖句」の引用によってなされており、その書物の体裁は、「統一教会の教典」というよりも、一見「キリスト教の新しい神学書(聖書解釈)」のようであり、まるでキリスト教の“一つの派”にすぎないかのように見えるのです。
しかし、本来、再臨主によって提示される「統一原理」は、『原理講論』自体も述べているように、単なるキリスト教の延長ではなく、文先生を通して人類に与えられた、まさに聖書啓示を超える、“再臨主の直接的な言語”による“全く新しい啓示”であるはずなのです。それは、決して既存のキリスト教や聖書の枠に収まるものではなく、それらを凌駕したまさに「新しいパラダイム」であり、伝統的キリスト教とは全く異なる「新しい神学」でなければならないはずなのです。(このことは、『原理講論』が、再臨主である文先生の思想を組織神学化した“最終的な教理書ではない”ことを物語っているように思います。)
更に、原理講論の総序で述べられている「宗教と科学の統一」という観点からは、本来であれば、『原理講論』の論理展開には多くの“科学的論証”が必要であり、又「宗教の統一」という観点からは、多くの“他宗教の経典”との“比較宗教的論証”も、もっと展開されていてしかるべきなのに、圧倒的に“キリスト教的観点からのみの論証”と言ってよい「聖書の解明」に始終しているのです。このことは、何か、統一教会が「キリスト教」の看板を掲げざるを得ない、つまり、あくまでも“キリスト教の枠内で真理を語らなければならない”何か“特別な摂理的事情”があったとしか考えることができません。
このように、教団にとってまさに教典的な権威を持つとされる書物が、一体何故、教祖が存命中であるにもかかわらず、その“弟子の手によって”、“真理の一部分”が、しかも極めて“初期の段階で”書かれ、その後は、教祖によって度々“誤り”や“不足”が指摘されているにもかかわらず“「改訂版」や「増補版」が出されない”という不思議な事態が起きているのでしょうか?