統一教会の対応について
読者の感想
セミナーのご案内
お問い合わせ
本の購入

救済論の問題点 目次


救済論の問題点

はじめに

 「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)とは一体何であり、“何の目的”のためにこの地上に出現したのでしょうか。

 その掲げられている“中心的メッセージ”とは一体何なのでしょうか。

  それは、明らかに「キリスト教」が2000年間、待ち続けてきた“再臨主”の到来を告げ、その終末の時に実現するとされてきた“最終的段階の救い”である「霊肉共の救い」の到来を告げ知らせることでした。それはまさに「人格の完成」「理想家庭の出現」による「地上天国の実現」に他なりません。

 

  しかし、1954年、「統一教会」がその看板を掲げてから、既に半世紀以上の歳月が流れようとしていますが、「統一教会」は、果たしてその“目的”を“実現した”、あるいは“実現しつつある”ということができるのでしょうか。

 

  残念ながら、今日の統一教会の現状を見る限り、その目的が“実現されていない”ことは、誰の目にも明らかなことであると言えます。多くの祝福家庭が教会を去り、無原罪の“神の子”と言われた「祝福二世」も一般社会の中に埋没し、その多くが“神への信仰”すら失いつつあります。

  一体何が起こったのでしょうか?

 文先生の語られたメッセージは果たして“偽り”だったのでしょうか。

  文先生の語られる『御言』が、神より与えられた “天啓”あり、人類に与えられた最終的な“救いのメッセージ”であるならば、本物の宗教であるべき「統一教会」に一体何故このような“憂慮すべき事態”が起きているのでしょうか。

  多くの統一信徒にとって、今の現状は、 “これで良いのだ”、これで“救われているのだ”などと、“本心から”言うことは決してできないでしょう。

  私たち「祝福二世相談室」は、統一教会の中において、特に “教会の実態”や“教理”に対する“真実”を、“何も知らされないまま”育てられてきた「祝福二世たち」の“悲惨な現実”を憂いています。

 そもそも、統一教会の説く「救い」とは、一体何だったのでしょうか。

  現在、統一教会内には、“正統的見解”と称し、「法廷論的贖罪観」「生物学的血統転換論」「清平的救済論」などと呼ばれる、様々なタイプの「救済論」が語られています。しかし、それらの神学的見解は、本当に文先生の『御言』に根拠を持つ“正しい原理的見解”ということができるのでしょうか。

 

  文先生の『御言』と精密に照らし合わせてみた時、結論として、それらの見解は、様々な教会の諸事情に合わせ、人間的、対策的に構築されたものであり、原理的には多くの問題を抱えていることを指摘せざるを得ません。

  かつて、キリスト教のカトリック教会の歴史において、「聖書」の“み言”が、次第に“固陋な伝統”と“人間的な解釈”に蔽われ、人間の魂を覚醒させる“霊的な活力”を失っていった時、それを打破し、「聖書」を“教会の支配層”から“信徒一人一人”のものへと取り戻すべく「プロテスタント運動」が立ち上がったように、今こそ、統一信徒の一人一人が、文先生が直接語られた『御言』の“原点”に立ち返らなければならない“時”を迎えているのではないでしょうか。

  まさにそのことの為に、文先生は「訓読家庭教会」の摂理を発表され、統一信徒の一人一人が、文先生の『御言』に“直接”相対することができるように指導してくださったのでした。

 本書を通し、現在統一教会内で“主流的”“正統的”と称されている「救済論」に、如何に多くの“神学的問題点”があるのかを知って頂くことにより、文先生の『御言』にみる、原理的な「正しい救済観」が如何なるものであるかを理解していただき、特に「祝福二世」の皆さんが、“正しい人生”“本当の幸福”を築いていく上で、少しでもお役に立つことが出来れば、筆者のこの上ない喜びとするところであります。

 

 2008年10月25日

祝福二世相談室

 

<< 救済論の問題点トップ目 次 第1章-【1】 >>

前のページに戻る
ページトップに戻る

コンテンツ
救済論の問題点 目次
統一教会の対応
読者の感想
セミナーのご案内
お問い合わせ
本の購入
100ヶ条の提題サイト
インフォメーション
個人情報保護方針
サイトマップ
リンク集
お問い合わせ
救済論の問題点 目次
はじめに
第1章 統一教会における教典問題
【1】統一教会の「教理」と『原理講論』
【2】『原理講論』の“教典的位置”としての問題点
【3】『統一神学』の問題点
【4】『統一思想』の問題点
【5】「統一教会の教理」に関するその他の「解説書」
【6】文先生の『御言』の中にある「最終的真理」
 
第2章 統一教会の救済観の問題点
【1】「霊肉共の救い」を主張した統一教会
【2】統一教会の主流的救済観─「法廷論的贖罪観」の問題点
【3】「法廷論的贖罪観」が強調されるようになった経緯
【4】「法廷論的贖罪観」の強調は、“反対牧師対策”がその背景。
【5】「法廷論的贖罪観」の問題点。
【6】統一教会内にあった「二つの見解」
【7】「実存と法廷的評価」の分離は「キリスト教型の救済観」
【8】「罪」と「堕落性」の関係
【9】「罪と堕落性」という“対比の仕方”の問題点
【10】「堕落性本性」の内容と「罪」との関係
【11】「性質としての罪」の概念
 
【12】「堕落性」という言葉
【13】 「思い」や「性質」は“罪ではない”と主張する統一教会
【14】 「堕落性と罪」のより適切な対比表現
【15】 キリスト教における「堕落性と罪」の概念
【16】 「原罪」ついての二つの捉え方
【17】 人類始祖の犯罪行為としての「原罪」概念の問題点
【18】 「神の血統」の真の意味
【19】 「淫行関係」と「血縁関係」の概念の混乱
【20】 「罪の遺伝(転嫁)」とは?
【21】 「法廷論的贖罪観」の論理的問題点
【22】 もう一つの救済観─「生物学的血統転換論」の問題点
【23】 統一教会に混在する「二つの救済観」
【24】 『御言』にみる「正しい血統的転換論」
【25】 「心の遺伝」
【26】 「救済論」における「義認」と「聖化」
【27】 統一教会の救済論の重点は、「義認」より「聖化」
【28】 「義認と聖化」は“同時的”に実現
【29】 「罪と堕落性」「義認と聖化」からみた「イスラエル(選民圏)の変遷」
【30】 統一教会の本来の目的は「聖化」の完成
【31】 「第三イスラエル」としての統一教会と「第四イスラエル」時代の到来
あとがき