「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)とは一体何であり、“何の目的”のためにこの地上に出現したのでしょうか。
その掲げられている“中心的メッセージ”とは一体何なのでしょうか。
それは、明らかに「キリスト教」が2000年間、待ち続けてきた“再臨主”の到来を告げ、その終末の時に実現するとされてきた“最終的段階の救い”である「霊肉共の救い」の到来を告げ知らせることでした。それはまさに「人格の完成」と「理想家庭の出現」による「地上天国の実現」に他なりません。
しかし、1954年、「統一教会」がその看板を掲げてから、既に半世紀以上の歳月が流れようとしていますが、「統一教会」は、果たしてその“目的”を“実現した”、あるいは“実現しつつある”ということができるのでしょうか。
残念ながら、今日の統一教会の現状を見る限り、その目的が“実現されていない”ことは、誰の目にも明らかなことであると言えます。多くの祝福家庭が教会を去り、無原罪の“神の子”と言われた「祝福二世」も一般社会の中に埋没し、その多くが“神への信仰”すら失いつつあります。
一体何が起こったのでしょうか?
文先生の語られたメッセージは果たして“偽り”だったのでしょうか。
文先生の語られる『御言』が、神より与えられた “天啓”あり、人類に与えられた最終的な“救いのメッセージ”であるならば、本物の宗教であるべき「統一教会」に一体何故このような“憂慮すべき事態”が起きているのでしょうか。
多くの統一信徒にとって、今の現状は、 “これで良いのだ”、これで“救われているのだ”などと、“本心から”言うことは決してできないでしょう。
私たち「祝福二世相談室」は、統一教会の中において、特に “教会の実態”や“教理”に対する“真実”を、“何も知らされないまま”育てられてきた「祝福二世たち」の“悲惨な現実”を憂いています。
そもそも、統一教会の説く「救い」とは、一体何だったのでしょうか。
現在、統一教会内には、“正統的見解”と称し、「法廷論的贖罪観」や「生物学的血統転換論」「清平的救済論」などと呼ばれる、様々なタイプの「救済論」が語られています。しかし、それらの神学的見解は、本当に文先生の『御言』に根拠を持つ“正しい原理的見解”ということができるのでしょうか。
文先生の『御言』と精密に照らし合わせてみた時、結論として、それらの見解は、様々な教会の諸事情に合わせ、人間的、対策的に構築されたものであり、原理的には多くの問題を抱えていることを指摘せざるを得ません。
かつて、キリスト教のカトリック教会の歴史において、「聖書」の“み言”が、次第に“固陋な伝統”と“人間的な解釈”に蔽われ、人間の魂を覚醒させる“霊的な活力”を失っていった時、それを打破し、「聖書」を“教会の支配層”から“信徒一人一人”のものへと取り戻すべく「プロテスタント運動」が立ち上がったように、今こそ、統一信徒の一人一人が、文先生が直接語られた『御言』の“原点”に立ち返らなければならない“時”を迎えているのではないでしょうか。
まさにそのことの為に、文先生は「訓読家庭教会」の摂理を発表され、統一信徒の一人一人が、文先生の『御言』に“直接”相対することができるように指導してくださったのでした。
本書を通し、現在統一教会内で“主流的”“正統的”と称されている「救済論」に、如何に多くの“神学的問題点”があるのかを知って頂くことにより、文先生の『御言』にみる、原理的な「正しい救済観」が如何なるものであるかを理解していただき、特に「祝福二世」の皆さんが、“正しい人生”と“本当の幸福”を築いていく上で、少しでもお役に立つことが出来れば、筆者のこの上ない喜びとするところであります。
2008年10月25日
祝福二世相談室