清平の摂理は、神が必要として始まったものでした。そして、そこで行なわれてきた様々な重要な儀式は、神の摂理を進めていく上でなくてはならないものでした。
しかし、ただ盲目的信仰で従うだけではなく、原理的観点から正しく整理し、理解しておく必要があります。
こでは紙面の関係上、検討すべき重要な問題点の中から四項目だけを取り上げておきたいと思います。
第一に、清平の中心に立っている「金孝南」婦人は、いかなる原理的位置に立っているのでしょうか? 文鮮明師の御言によれば、彼女が立たされている原理的位置は、神の摂理において霊界と地上界をつなぐ「通過体」として神がもちいる霊媒者、「ムーダン」であることを繰り返し指摘しておられます。
ムーダンは韓国語ですが、一般的には「シャーマン」と呼ばれ、特異な霊的体質を持っている人で、先祖霊による「憑依現象」を現す人のことです。清平の場合は、霊界から興進様や大母様が金孝南婦人に降臨し、霊界に住んでいる本人たちのメッセージを伝えてきたのでした。
ここで問題として検討すべき点は、金孝南婦人は、「神」や「メシヤ」ではなく、もちろん「完成人間」でもないということです。あくまでも「ムーダン」であり、先祖霊の「通過体」であるという立場です。ですから、金孝南婦人個人に対し、まるで神やメシヤに接するように崇め信じて、「人間信仰」をしてはならないのです。
また、語る言葉の全てを、善霊(興進様や大母様)の言葉だと信じることは、非常に危険な信仰です。霊媒者に必ずしも善霊が協助するとは限りません。文鮮明師が指摘するように、ムーダンの多くは悪霊が相対する要素を持っています。動機が誤っていて、堕落性が多い場合は、悪霊やサタンが利用するようになります。(第82条)
あるいは、霊媒者が常時トランス状態になっているのではなく、先祖霊が全く関係していない時が多々あり、その場合は、金孝南婦人独自の考えや思想、信仰観による言葉が話されています。
ですから、ムーダンの言動には常に細心の注意を払い、原理的にチェックしながら慎重に対さなければなりません。たとえ金孝南婦人に、「訓母様」等の呼称が与えられたとしても、原理的立場を正しく認識した上で、接していかなければならないのです。
第二に、「罪の清算」と「絶対善霊」の存在に関して重大な原理的誤りがあります。原理的には、罪の清算は献金や儀式によってはできません。それらは旧約的信仰観であり、象徴的儀式に過ぎず、実体的清算(蕩減復帰)ではありません。また、他力的な恩寵によって、犯した罪が清算されたりはしません。
また、たとえイエス様や興進様がメシヤであったとしても、霊界に逝った立場で地上人の罪の清算をすることは原理的にできません。先祖霊たちの救済は、彼ら自身が地上人に再臨して、残されている「人間の成長期間」を完成してこそ成し遂げることができるのです。
従って、現在まで清平で行なわれてきた「献金」や「按手」(身体を叩くこと)の儀式では、実体的な罪の清算は不可能であり、先祖霊が「絶対善霊」になることは原理的に有り得ません。地上人が絶対善人になってこそ実現されるのです。(第83条)
まして、免罪符(祈願書)による集金によって建てられた巨大な建造物は、神の御旨や人類救済とは一切関係のない話です。むしろ、文鮮明師の原理的観点からいえば、免罪符の発行や宮殿等の巨大な建造物を建てることは、宗教の最も悪弊として是正しなければならないことです。
原理講論は、腐敗した中世カトリック教会において行なわれた同じ悪弊に関して厳しく戒めています。そして、善霊の業か悪霊の業かは、「時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進」させることが記されています。(原理講論120頁 堕落論)
しかし、「原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難」とも指摘されており、聖職者の「無知」が、信徒たちを神の御旨に反する立場に追いやることを警告しています。実際、ユダヤ教もキリスト教も、摂理的に立てられた指導者たちの無知が、メシヤを十字架に追いやり、神の復帰摂理を延長させてしまったのです。
現在の統一教会においては、その危険性はないでしょうか? 私たちは、清平がいかなる状態になっているのか、正しい「原理」と「分立された目」を持って見分けなければなりません。(第81条)
第三に、霊的現象の「危険性」に関して十分認識しておく必要があります。なぜならば、サタンは非常に巧妙に人間に憑依するからです。原理講論には「堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うことがある」(原理講論 120頁 堕落論)ことが記述されています。
即ち、教会の内部であったとしてもその危険性が存在し、常に注意を払うべきです。たとえ文鮮明師が認知し、推挙した人であったとしても、その人がメシヤや完成人間でない限り、サタンが働く立場に就く危険性があるのです。
最初は、神が導き立てた使命者であっても、後にその人にサタンが働くこともあります。ユダは最初、イエス様が信頼していた弟子の一人でしたが、後に彼の利己心と金欲にサタンが入り、裏切りました。洗礼ヨハネや金百文も神が準備した重大な使命を持った人でしたが、原理的無知と利己心にサタンが入り、神の摂理を破壊してしまいました。統一教会の歴史の中にも、果たしてどれほど多くの人たちが再臨主を裏切り反対する立場に立ったことでしょう。
金孝南婦人は大丈夫でしょうか? 原理的に「正しい話」をしていますか? 原理的に「正しい行ない」をしているのでしょうか? サタンは嘘をつき、自分の罪を隠します。また、巧妙に原理を歪めて誤った道に誘います。そして、物質欲に主管され、贅沢を好みます。
何よりも、権威と地位、自分に対する賞賛の言葉がサタンの欲する美酒なのです。冷静で客観的な目を持って、清平の実態に関して精査する必要があります。
第四に、天国は霊界から始まるものではなく、地上から先に創られるのです。地上に住む人たちが、自分の心の中に天国を築けずにいるにもかかわらず、死んで、霊界に行くことで天国に入ることは不可能です。また、地上人が自分の心の中からサタンを追い出すこと(善化)ができないのに、サタンが本来の天使になったりすることはありません。
そしてまた、清平では、様々な病気の癒しを宣伝していますが、堕落人間の救済は、病気を治すことではありません。たとえ全世界の人たちの病気を治しても、人間の心が正しい心、神の愛に溢れた心を築けなければ永遠に天国は訪れません。
果たして清平で、実際どれだけ病気が治っているのでしょうか? 統一教会は、清平の実態を正直に公表し、病人に対する無責任な対応を改めるべきではないでしょうか?
神や文鮮明師の名を語って、人間の不安を利用した献金集めは即刻中止すべきです。それは、神や再臨のメシヤを冒涜する所業以外の何ものでもありません。
他にも、清平では多くの原理的誤りや、従軍慰安婦問題などの史実と異なる数多くの誤った教育や指導がなされており、一刻も早く誠意をもった改善が望まれます。(第84条)