すごい気になって、ボクが毎日見に行っているブログがあるのですが、
それが、よくコメントをいただいているmoharizaさんの、
「mohariza07メモ」というブログです。
10月17日の日記に、「
女性の広告写真〜何故、半開きの唇か?」という記事があり、ついついつられて、長文のコメントをしてしまいました。
以下、引用します。
<記事の引用>---------------------------------------------
女性の広告写真〜何故、半開きの唇か?
電車で女性のモデルの広告写真を見て…女性をモデルとした広告写真の顔は、ほとんどが、口が半開きだ。
口を閉めていると、きつい表情となり、「愛らしく」見えないからか?
何故、ほとんど、半開きにして、撮るのか?
笑い顔の口の開き方とも違う…。
唇の<てかり>と共に、何か、暗示するものがあるのか?
・・・・私は、半開きの口は、女性の男性への「ポーズ」のようにも、
誘いのようにも、思えるが、
マリリン・モンローを始め、半開きの口のポーズは、少し、パターン化しているようにも、感じる。
男性の願望(男性の写真家が、そう決めている…)が、
<そうさせている>ようにも感じるが、類型化しすぎている嫌いがある。
<自立した>女性の「きりりとした」唇も、知的で、そう、悪くは無いと思うが…。
下の写真は、私の好きな女優 イングリッド・バーグマンの写真
…バーグマンの写真を見直してみると、口が開いた写真より、閉まった唇の方が、
バーグマンの「知性」が感じられ、より良いように思った…。
<ねずきちのコメント>-----------------------
(不愉快に感じる方もあるかもしれませんが、原文のまま引用します)
心理学的には、女性の唇は性器の象徴なのだそうで、半開きの唇は、そのまま性へのいざないにあたるのだそうです。
ひさびさにイングリットバークマンの写真を観ました。 いやぁ、いいですね〜〜♪ いまみても色あせない知的な美しさ!!
バーグマンの時代は、人類史的には、はじめて人類が性病を克服した時代にあたります。つまり、淋病・梅毒、それと毛シラミに対する療法がみつかり、性そのものがある意味解放された時代といえます。男たちは性病の心配をすることなく、売春宿で性を処理することができた。
それだけに、自身の恋人には、性の対象ではなく、端的に知性を求めたし、女性たちにおける自己の主張・表現も、美しさと知性にあった時代であったと見ることもできようかと思います。
その後の人類は、新たな性的敵であるエイズの問題が解決できない課題として登場。ふたたび性は閉ざされたものとなります。
とりわけ日本では、女性の人権問題の台頭から、売春が規制され、男たちの性は捌け口を失います。この結果、イメージ画像としての写真は性を受け入れようとする半開きの唇が主流となったといえるのかもしれません。
ものすごく女性人権家さんたちには失礼な言い方かもしれませんが、
人類も生物として、自己の遺伝子のコピーを残すために生きている・・・と利己的遺伝子論的に仮定するなら、適齢期の男性にとって堪ってきたら、下痢してトイレにいきたいのと同様、どうしてもシタクなる。毎朝息子がギンギンになって、なんとかしてくれとせがむ。
公的売春宿のように、安全で安価に処理できる先があれば、男は男らしく悠然としていれるのでしょうし、女性たちに求めるものも、人格や知性・性格といったものになるのでしょうが、そうした捌け口がなくなると、要するに下痢して出したいのに付近のトイレが使わせてもらえない状態となり、男たちは心理的余裕を失い、トイレを持っている人たちに媚びへつらい、なんとかトイレをつかわせれもらおうと躍起になります。
これによって、男たちは、精神的ゆとりを失い、無理やり性的衝動を抑えつける結果、中性化し、宦官化してしまう。
同時に、女性も、性を売り物にすれば「モテル」状態となりますので、衣服の露出が多くなり、性をもって男性を揶揄するようになる。
すくなくとも、女性の知性は、広告的商品価値を失ってしまっている・・・
なんだかむなしいけど、そういうことではないかな、と思いました^^;
<moharizaさんの返信>----------------------
長文のコメント有難うございます。
>これによって、男たちは、精神的ゆとりを失い、無理やり性的衝動を抑えつける結果、中性化し、宦官化してしまう。
同時に、女性も、性を売り物にすれば「モテル」状態となりますので、衣服の露出が多くなり、性をもって男性を揶揄するようになる。
・・・は、人類の現代、未来について、示唆的ですね。
>心理学的には、女性の唇は性器の象徴なのだそうで、半開きの唇は、そのまま性へのいざないにあたる
は、知っていましたが、敢えて、記しませんでしたが、
>すくなくとも、女性の知性は、広告的商品価値を失ってしまっている・・・
は、本当に、むなしいと思います。
世の中、「抑圧社会」となり、男性は、中性化し、女性は、単に「性を売り物」にし、男性を「揶揄」する社会は、未来に希望を持てないですが、致し方無い人類の運命なのでしょうか…?
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女性の読者の方には、ものすごく不愉快に感じる表現があったかもしれません。ごめんなさい><;;
だけど、半開きの唇に代表される性的表現は、イングリットバーグマンの写真だけではありません。
オードリー・ヘップバーンの写真を見ても、半開きの唇でいる写真はほとんどない。みんな唇を閉じています。
そして、ほんとうに美しい。いま見ても、誰見ても色あせない美しさがあるように思います。
いちばん気になるのは、moharizaさんのおっしゃる、
『世の中、「抑圧社会」となり、男性は、中性化し、女性は、単に「性を売り物」にし、男性を「揶揄」する社会』
というところなんです。
動物行動学的には、人は自己の遺伝子を残すためにだけ生き、存在する、と仮定しますが、自分的には、やっぱり、
「人は心で生きるもの」って信じていたい。
動物行動学では、なぜ男性は「若い女性」を好むか、という設問に対し、
「女性は、出産可能年数に限りがあるから、できるだけ多くの子を産むことができる可能性の大きい。だから「若い」ことが、美として受け止められる遺伝子が生まれた」とたいへん衝撃的な結論を導いています。
だけど、思うんです。
若いうちの美しさももちろんだけど、年をとってからの美しさってものだってある。
実際、電車やバスに乗り込んできたお年寄りで、
「コノ婆ァ、乗って来ンな〜〜!!」と言いたくなるようなおばあちゃんもいれば、
「あら、このおばあちゃん、いい人生を送ってきたんだろうなぁ」と、思わず席を譲りたくなるような、素晴らしい人格を想起させる方もいるじゃないですか^^;
割烹料理屋さんなんかに行くと、仲居の女性は和服を着ていますが、和服って面白いもので、若ければ可愛く・・あるいは美しく見えるかっていうと、決してそんなことはない。
すごいおばさんでも、小粋に和服を着こなし、おお〜〜すげぇ美人〜〜♪って思わせる人もいる。
高そうな着物を着ていても品がない人もいれば、かすりの安い着物を着ていても、イキで、かっこよくて美しい人もいる。
ちかくで見ると、すごいおばちゃんだったりするんですけどね^^;
ボクは、けっしておばん好きというわけではありません。
男女の性別に関わらず、その人の生き方というか、人格というか、たぶん、内面的なもの、精神的なもの、あるいは「心」と表現するのが良いのかもしれない、そういうものが、やっぱり年齢とともに、顔やしぐさ、全身から発せられるオーラのようなものに出る。
やっぱ、人は心だよ!!って・・・そう思うんです。
「心」よりも、「カネ」や、「自己の楽しみ」を希求する社会ってのは、やっぱ、どっか歪んでいるのではないかと・・・・^^;
←気にいっていただいたらココをクリックよろぴく。ちょっぴりはげみになりますので^^v「心」ミドリカワ書房
そういう視点で周りの女性を見ると、面白いかもしれませんねw
女性の自己の忘我、自己陶酔、無心、無抵抗の側面もあります。
それは、「拒否」のポーズではありません。
何者も受け入れるとの表情ともいえるかもしれません。
…しかし、不自然に半開きした唇は、やはり、女性を「性の対象」として、写真家がポーズとして作らしてきたとも云えます。
女性も、自立した、「人は心で生きるもの」と云う観点で、捉える時期だと思うのですが…。
「パターン化し」、「類型化した」女性の半開きの唇のポーズは、そのうち、廃れるかもしれません…。
「やっぱ、人は心だよ!!」って、賛成!
日本の色々な風景をみていて本当にそう感じます。という事で、応援ポチです!
また、来ます!!
いろあせないですよね〜〜
ほんとです^^b
moharizaさんコメントありがとうございます。
動物的・肉体的な部位が強調されることよりも、やはり、多くの人から、精神的なもの、心根の美しさといったものが高く評価される時代がきてほしいものです。
まだよくわからないのですが、テレビは半開きの唇の時代をつくりましたが、もしかしたらネットは、口を閉じた時代を築くかもしれません。このことは、また項をあらためて描いてみようかと思います^^
robinさんコメントありがとうございます。
ボクもうかがいますね^^
kunさん、コメントありがとうございます。
日本の風景って、やっぱ、そういう気持ちを抱かせますよね〜〜^^