イエス様は、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」(新約聖書 ルカによる福音書 17章20節)と語られました。
天国は、外的な見える形で現れるものではないことをまず理解しなければなりません。ですから、「見よ、ここにある」とか「あそこにある」などと言って、どこかの土地(国家)や建造物を指して「ここが天国だ」などということはできないのです。それでは、天国は一体どこにあるのでしょうか? イエス様の答えは、天国は「私たちの心の中にある」ということです。
それでは、心の中にどのような形で天国は実現するのでしょうか? イエス様の他の御言には、「心を入れかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう。この幼子のように自分を低くする者が、天国で一番偉いのである。」(新約聖書 マタイによる福音書 18章3節)と語られています。
どうやら、心が幼な子のように純粋で素直でなければならないようです。また、「あなたがたのうちで一番偉いものは、仕える人でなければならない。誰でも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるであろう。」(新約聖書 マタイによる福音書 23章11節)と語られている聖句からも分かるように、謙遜で柔和な心を持ち、自分を高ぶらない者となる必要があります。利他的愛の心を持って為に生きることのできる人格を築かなければなりません。
文鮮明師の御言にも、天国はどこか外的な環境を指して言うのではなく、「私の心」の中にあることが明確に述べられています。(第30条) 再臨のメシヤはイエス様が再臨復活した方であるので、イエス様と同じことを言われるのは当然のことです。私たちは、イエス様や再臨のメシヤが繰り返し語られた御言を通して、天国が心の状態によって創られるということが、原理の根本的観点であることをはっきりと認識しておかなければなりません。
それでは、統一教会で信仰生活をしている人たちは、このようなイエス様や文鮮明師の御言をどのように受け止めているのでしょうか? 心の中に真の愛の天国世界を築いてきたのでしょうか? 天国はどこに創られたのでしょうか?
それは、「韓国」でもなく、「清平」や南米の「パンタナール」でもありません。又は、「天正宮」や「聖殿」と呼ばれる建造物の中でもありません。どんなに巨大な建造物を建てても、立派な宮殿に住み衣食に満ち足りたとしても、それで天国になったりはしません。外的にどんなに満たされたとしても、心が貧しく、愛のない世界は凍りつく暗闇のような地獄の世界なのです。私自身の心の中に神の愛に満たされた人格基準を築かなければ、天国とは一切関係ないのです。
天国は、私たちの心の中にあります。私たちの心の成長による人格基準によって、内的に創建されるものです。それは、神を信じる信仰の強さではなく、献金の額によるものでもありません。(第28・29条) 私たちが、原理の示す公式通りに心情復帰の縦的8段階を上って行くことによってのみ得られるのです。(第31条)
「私」の心が、天の父、真の父母としての神の愛に満たされ、「為に生きる真の愛の人格」を完成したところから、私の心の中に個人天国が始まるのです。真の愛を体恤すれば、心が体を統一することができます。それが幸福を実現する、まず最初の天国の基になるのです。
そして真の愛は、家庭の中で育てられていきます。天国は一人だけでは完成することができません。必ず、二人以上の人と人との為に生きる真の愛の関係性の中に天国が現れるようになります。(第27条)
神の愛と一つになった真の父母の愛を通して、真の子女の愛が育ち、真の親子、真の兄弟姉妹、真の夫婦の愛が育まれるのです。真の家庭の中に、神の四大心情圏があり、天国の愛の基本的基台があります。ですから、神を愛する家庭教会が天国基地です。天国には、一人で入って行くことはできません。天国は、真の愛の家庭が単位になって入籍していく所なのです。(第32条)
心の中に他者を幸福にすることのできる「為に生きる真の愛の人格」を築き得た人が集まって、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国と愛が拡大されて、本当の天の国「天一国」になります。そこは、真の愛に満たされた心情文化世界です。これが天国創建の公式です。(第98条)