※この内容は、今まで統一教会内で繰り返し伝えられてきた説明ではなく、文鮮明師の御言を直接研究することによって発見した「原理本論」の視点から解説しています。
そもそも、「祝福家庭」が誕生した摂理的経緯はどのようなものだったでしょうか?
神が再臨のメシヤのために準備した本来の宗教はキリスト教であり、そのキリスト教の教えを信じるクリスチャンたちこそ神が選んだ第2イスラエル選民でした。キリスト教は、イエス様の十字架の復活から約2000年の歴史を費やして全世界に勢力を拡大し、朝鮮半島にもその教えが伝えられました。朝鮮半島に最初にキリスト教が上陸したのは、メシヤ再降臨準備時代に入った1593年、豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時にキリシタン大名であった小西行長によって、イエズス会の司祭を呼んだことが韓国歴史上最初のことでした。
本格的に朝鮮半島内でキリスト教が勢力を拡大したのは、1905年前後、プロテスタント教会によるリバイバル運動によってです。この時から、東洋のエルサレムと呼ばれるほどの熱狂的な再臨運動が興ったのです。そして、1919年、三・一独立運動の直後、文鮮明師が再臨のメシヤとして儒教の家庭に誕生されました。
文鮮明師の御言を研究すると、再臨のメシヤとしての使命を悟られたのは、16歳のイースターの朝、イエス様に出会った後であることがわかります。そして、20歳になる前(18歳)に、救世主としての御旨を出発されたことが語られています。(【図2】参照)
創造本然のアダムは18歳で個人完成します。(祝福家庭1990頁) 従って、復帰されたアダムとして来られた文鮮明師も1920年に誕生されてから18年間で個人完成(第一祝福)を果たし、その後、家庭的、氏族的に基台を整えていくための路程が、1938年から1945年までの最初の第1次7年路程としてあります。この期間に、ザカリヤ的家庭とヨセフ的家庭を統一し、氏族的基台を整えなければなりませんでした。
次の第2次7年路程が1952年までで、氏族的基台を民族、国家、世界に連結していくための期間でした。この時に再臨のメシヤに連結されるべき民族的基台が、第2イスラエル選民としてのキリスト教だったのです。
そして、第3次7年路程は1960年までとなっており、世界から天宙、霊界から神様まで連結しなければならない期間でした。これが、合計21年路程になっていたのです。そして、1960年に、神が準備した中心家庭としてのクリスチャンたちを引き連れて堕落圏(長成期完成級)を越え、人類の真の父母として立たれることが、文鮮明師のキリスト教を中心とした本来の神の計画であり、行くべき路程でした。
しかし、残念ながら、朝鮮半島のキリスト教は、最初の第1次7年路程の終了する1945年までに、再臨のメシヤのために準備された摂理的な中心家庭と氏族的基台となるべき中心人物たちが失敗したために、キリスト教はその使命的責任から外れてしまったのです。
実は、統一教会では、1945年から再臨のメシヤによる最初の公式路程が始まったと教えています。そして、文鮮明師を受け入れるべき最初の中心人物を、洗礼ヨハネの再臨型人物として出現した金百文であるとし、彼の失敗がキリスト教に連結されなかった最大の事件だと教えていますが、これは完全に誤った摂理認識です。
なぜならば、イエス様当時のザカリヤの失敗が、歴史的な蕩減として残っているために、再臨のメシヤの摂理的出発は当然、先ず最初にザカリヤ的人物が連結され、摂理的蕩減を勝利して越えていかなければならなかったのです。摂理の勝敗を運命付ける最初の最重要人物は、洗礼ヨハネではなく、ザカリヤの再臨型人物の使命完遂にかかっていました。
また、統一教会の現在までの教えでは、再臨のメシヤの公式路程の出発を1945年から始まったものとみて、1952年までのわずか7年間で、世界的基盤を築かなければならなかったと教えていますが、これも誤った摂理認識であると言わざるを得ません。
神の復帰摂理における摂理的進展には原理原則があるため、まず個人から始まり、家庭、氏族の基盤を整え、そして、民族、国家、世界と段階的に勝利圏を拡大していかなければなりません。この段階的順序に従って原理的蕩減復帰をしなければならない基本的観点が、統一教会の教えの中に抜け落ちているのです。
再臨のメシヤの路程においても、まず、第1段階の個人完成から成さなければなりません。その次には、イエス様が成せなかったザカリヤ家庭とヨセフ家庭の蕩減復帰を越えてからでなければ、氏族、民族、国家、世界には連結できないのです。一度に飛んでは行けないのです。
文鮮明師の場合は、個人完成までの期間が1920年から1938年までの18年間でした。そして、最初の路程の出発である家庭と氏族の基台を整えるための期間が、次の1938年から1945年までの七年間であり、その勝利権なくして民族基盤である第二イスラエル選民としてのキリスト教が連結されないことがわかります。そして残念ながら、御言には、その最初の路程を失敗していることが記述されています。
その結果、1945年以降の路程は、本来の路程を行く事ができなかったために摂理が大きく変更され、失敗したキリスト教基盤を取り戻すことを目的とした蕩減復帰路程となったのでした。
1945年8月15日、日本の終戦の日に、朝鮮では人々が万歳を叫び踊りを踊って祝いましたが、文鮮明師の御言には、その日、一人で小さな部屋の中にたたずみ、キリスト教の失敗に失望して、涙を流し、神に祈ったことが証しされています。そして、1945年から蕩減のための家庭的荒野40年路程に出発したことを地上の誰も知らなかった、と説明されているのです。(この内容は、1999年の「神の日」の御言の中に詳しく語られています。)
それでは、キリスト教の失敗をどのようにして取り戻すのでしょうか? かつて、第1イスラエル選民であるユダヤ教徒たちが、神の送られたメシヤであるイエス様を十字架で殺害してしまった結果、再び、霊的に復活されたイエス様を中心として、新たに第二イスラエル選民であるキリスト教を立てたように、再臨のメシヤも、イエス様と同じ同時性の道を歩んで行くことになりました。
1945年は、本来は民族的基盤としての朝鮮半島のキリスト教を中心とした第2次7年路程が始まるべき時でしたが、既に準備されたキリスト教の中心家庭や、氏族が失敗し、第二イスラエル民族を連結できない状態となっていたために、再臨のメシヤの行く道は、悲惨な蕩減路程が残されているのみでした。
キリスト教の最高の立場で準備された中心人物たちの失敗により、1945年から上がって行くべき7年路程が、下がって行く7年路程になってしまったのです。そして、そのごとくに、その後に展開された摂理的運命は坂を転げ落ちるようにクリスチャンたちの失敗の連続、最終的には再臨のメシヤが十字架の道へと送られてしまうのです。
1946年、洗礼ヨハネの再臨型人物である金百文が失敗。1946年9月18日、霊的に啓示を受け準備されていた女性の許孝彬が失敗しました。このような摂理的失敗の中でも最も残念なことは、中心的使命を担っていたキリスト教の牧師たちが、再臨のメシヤの行く道を阻み、共産党へ密告し身柄の拘束を促した事でした。これらの悲惨な摂理的失敗の連続の末、文鮮明師は北朝鮮の共産党政権下で拷問を受け、最終的には死刑宣告と同様である、共産党下の興南強制労働所において、2年8ヶ月(約3年)に渡って生死の境をさまよう十字架を背負わされたのでした。
文鮮明師の御言(ファミリー1994/5 40頁)では、興南の2年8ヶ月はイエス様の公生涯に当たると説明されており、この期間を月に換算すると32ヵ月間となります。それは、イエス様が33歳で十字架上で殺害されるまでの32年間の生涯期間を象徴するものであることがわかります。再臨のメシヤはこの期間を、興南強制労働所の獄中で過ごされ、その地獄のような環境の中で12弟子を取り戻す蕩減条件を立て、再出発(復活)するための基台を復帰していかれました。この期間は、イエス様の墓中3日間に相当する約3年の期間でもありました。
そしてイエス様が十字架から復活されたのと同じ立場に立った時が、文鮮明師が興南から解放された1950年10月14日でした。丁度その頃、雲の中にイエス様が現れて、多くの人に目撃されたと記録に残されています。
摂理的同時性の観点からみれば、その後の文鮮明師の歩みの中にも、イエス様が復活した後の出来事が同じように現れなければなりません。十字架復活後の、40日間にわたる十二弟子たちを収集するための伝道、10日後の五旬節(合計50日間)の聖 霊降臨。このペンテコステを基点にして、キリスト教開拓伝道が開始されました。これらの摂理的展開が、再臨のメシヤの路程にも現れるようになるのです。
【図3】で示したように、実に、イエス様の十字架からの復活後に現れた路程が、文鮮明師が興南から解放された1950年10月14日以後にも相似的に展開されています。興南解放後、再臨のメシヤも全く同じ40日間を動乱期の北朝鮮に止まり、弟子たちを再度呼び集めるための伝道期間としました。そして、12人以上の弟子を訪ねた後、釜山に向かって南下し、新たな摂理的出発をして行くようになりました。
しかし、新たな出発は人類が待ちわびた実体救済のための再出発ではなく、失われた霊的キリスト教の基盤を再び取り戻すための苦難の蕩減路程でした。イエス様がそうであったように、準備されていた選民圏の失敗を蕩減せずして、そしてまた、何の原理的条件もないままに、再び実体的な救済摂理を開始することはできないからです。それは、復帰原理が奇跡によるものではなく、失った「位置」と「状態」と「経路」を再度取り戻さなければ救済ができない「蕩減復帰原理」によるからです。文鮮明師の御言にはこのことがはっきりと説明されています。(第86条)
原理講論にも、「再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。…(中略)… 洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。」(原理講論 427頁 第二章)と説明されています。
【図3】の統一教会の発足の経緯から、明らかに、統一教会の基盤は、失敗したキリスト教基盤(第2イスラエル選民圏)を再構築するための、新しい第3イスラエル選民圏の構築であったことが分かります。文鮮明師の使命は、メシヤの立場から洗礼ヨハネの立場へとその原理的責任分担が変更されたのです。
文鮮明師はこのような摂理的な目的をもって、1954年5月1日、34才になった時に世界基督教統一神霊協会(統一教会)の看板を掲げられました。これは、33才で十字架にかけられたイエス様が、復活の後に第2イスラエルを立てていった摂理と同じ霊的基盤の出発だったのです。
ところが統一教会では、イエス様は十字架で死んだために肉体を失い、霊的にのみ復活されたので救済も霊的救済に止まったが、再臨のメシヤは興南から霊肉の復活をされ、これにより実体的な霊肉の救済が可能になったのだと捉えました。そのため1951年以降の摂理を、再臨のメシヤによる実体(肉的)救済であると教育してきました。そしてその実体救済を成就するための儀式が、「祝福式」だと受け取ったのです。
しかし、原理的観点からよく考えて見ると、それは誤りです。再臨のメシヤもイエス様と同じく、第1次摂理において本来準備された「メシヤのための基台」を失ってしまい、十字架復活後は、信仰基台を持たない異教徒や異邦人たちを集め、象徴的に立てた弟子たちの基台を中心として、新しい選民基盤の再構築を始められたのであって、実体救済が可能な段階ではありません。
統一教会においても韓国で初期に集まった弟子たちは、キリスト教の牧師たちではなく、一般の学生や主婦であり、わずかにクリスチャンがいたものの、その多くは仏教や儒教を信仰する人々でした。又、日本においても同様に、初期の信徒はその多くがキリスト教徒ではありませんでした。後の日本統一教会会長となる久保木修己氏をはじめ、立正佼成会に所属する仏教徒たちが数多く集まり、他にも、創価学会や天理教などの信仰を持つ人々が多数統一教会に入教してきました。驚いたことに、マルクス主義を信奉する唯物論者たちもが入教し、後に原理講師や組織の責任者となりました。
再臨のメシヤを中心とした摂理は、本来キリスト教徒を中心とし、その中でも特に神が選んだ中心人物たちが集まって、信仰基台を立て、実体基台を確立した上にメシヤのための基台を構築していかなければならなかったのです。興南からの解放以降の摂理は、全く基盤のない中で異教徒や神を否定する唯物論者たちが集められて始まったのですから、たとえ再臨のメシヤが肉体を持って立っておられたとしても、すぐに実体的救済を始めることなどできません。従って、まず第一段階の準備の基盤として、キリスト教と同じ霊的な条件的基盤を整えていかなければならなかったのが、1954年から始まった統一教会の設立の目的でした。(第86条)
蕩減復帰原理に従えば、実体(霊肉)的救済をなすためには、再構築された新たな選民圏の信仰的基盤が版図を広げ、国家的、世界的、天宙的基盤を確立(蕩減復帰)し、その選民圏の中に信仰基台と実体基台を整えた「メシヤのための基台」となる中心人物たちを再度取り戻さなければならないのです。キリスト教の歴史を見ると、このような基盤を取り戻すために2000年の期間を費やしたのでした。
文鮮明師の御言によれば、統一教会を通してキリスト教の基盤を取り戻すため、御聖婚後の1960年から40年間が必要であったことが説明されています。(第87条) 「メシヤのための基台」は、厳密に「信仰基台」と「実体基台」を成立させた人たちの基台でなければなりません。完成された基準で実体的基台を整えた「メシヤのための基台」がメシヤと連結された時にこそ実体救済が可能になるのであって、象徴的、条件的に立てられただけの基台においては、実体救済を成すことは原理的に不可能なのです。実体救済のためにはメシヤが肉体を持っておられるということは重要な要件ですが、救われる側の実体的な原理的条件が整っているのかということも、同等に重要で必要不可欠な要件なのです。(第61・62条)
メシヤがたとえ霊肉の実体として復活しておられたとしても、選民圏において「メシヤのための基台」の原理的条件が象徴的範囲に止まっている限り、メシヤによって与えられる救いも象徴的な範囲を越えることはできないのです。これが原理の原則なのです。
第86条の文鮮明師の御言からも分かるように、統一教会を通して行なわれてきた40年間の復帰摂理は、キリスト教に代わる新たなイスラエル選民圏の復帰であり、この期間の救いの範囲は、キリスト教と同じ霊的象徴的な救済に止まることが明確に記されています。
キリスト教基盤の出発は、イエス様復活後の40日伝道終了後、10日間が過ぎて50日目(五旬節)に聖霊を地上に迎えた時でした。これと同じように、再臨のメシヤも、興南から解放後の40日伝道を終了した後、イエス様の10日間に代わる期間を10年間費やして蕩減復帰しました。それは、イエス様の墓中3日間を興南強制労働所で3年間かけて取り戻したように、10日間に代わる、より大きな蕩減条件として10年の期間をかけて蕩減復帰していかれたのです。
実際の路程としては、釜山に到着した1951年から1960年までの10年間がその期間に当たり、40数と10数を合わせた50数を数的条件として五旬節を迎えるに至ったのです。 キリスト教では、五旬節の時に霊的復活をされたイエス様と聖霊の降臨によって、弟子たちが霊的に新生されました。ここを基点にキリスト教である第2イスラエル選民圏が拡大していったように、統一教会においても、この五旬節に当たる時が第3イスラエル選民圏を出発していく重大な瞬間でした。
陰暦、1960年3月16日、天の啓示により聖霊の立場を象徴した韓鶴子女史がメシヤの花嫁に選ばれ、文鮮明師の御聖婚式と3弟子の祝福式が挙行されました。この時、文鮮明師が40歳、韓鶴子女史は17歳でした。聖霊降臨による五旬節の祝い、ペンテコステが起きたのです。歴史上初めて聖霊によって新生された立場で「祝福家庭」が誕生した瞬間でした。クリスチャンに代わる霊的救済圏内に立てられた「祝福家庭」、第二イスラエル選民に代わる、「第3イスラエル選民」の本格的出発です。
このような摂理的経緯の末に、祝福家庭がこの地上に現れたことを知れば、再臨のメシヤによって執り行われてきた「祝福式」は、実体救済としての天国への入籍ではなく、霊的条件的基盤としての第3イスラエルへの入籍の儀式であったことを、原理的観点から明確に理解することができます。事実、文鮮明師の御言に、第3イスラエルへの入籍は祝福によってのみ可能となることが明確に記されています。(第85条)
第2イスラエル選民であるキリスト教が、ペンテコステを基点として、クリスチャンを立てながら民族編成に向かって開拓伝道を始めたのと同じように、統一教会においても、聖霊の立場で韓鶴子女史を迎えた御聖婚式を基点として、最初の3家庭の祝福家庭を立て、その後、36家庭、72家庭、124家庭、430家庭と徐々に第3イスラエル選民圏が拡大されていきました。家庭的基台から始まって、氏族、民族、国家、世界、天宙とその版図が拡大されていったのでした。
統一教会では、祝福を受けることによって原罪が清算され、神の血統に連結し、天国に入籍できると教えてきましたが、それは誤った教育だと言わざるを得ません。文鮮明師の御言や歴史的経緯から裏付けられているように、祝福式は第3イスラエル選民圏への入籍に止まるものですから、(第85条) 残念ながら、現在の「祝福家庭」は、神の血統に連結され原罪が清算された立場に立っていないのです。(第4・5・6条) イスラエル選民圏の原理的立場は、将来、実体救済を実現するためのメシヤを迎える準備の基盤なのです。(第92条)
統一教会の存在目的は、失われた第1、第2イスラエル選民圏(ユダヤ教とキリスト教)の再構築にあったのです。(第87条)(【図4】)
統一教会における救いの範囲もキリスト教と同じ霊的救済に止まっています。霊的救済とは、聖霊現象を通した新生のことです。原罪清算、血統転換、理想的人格の完成や理想的家庭、理想的世界の実現は将来的な約束として「契約」されているだけです。文鮮明師の御言には、明確にこのような約束が結ばれる条件的な儀式が「祝福式」であったと記されています。また、現在まで統一教会で行なわれてきた祝福式は、厳密な表現をすると「条件的祝福」と呼ばれるもので、将来、「本然の祝福」を受けるための条件的な準備の基盤となるものなのです。(第9・10条)
統一教会では、祝福に2種類のものがあることを理解していません。この2種類の祝福の原理的意味を区別して理解できない上に、両者を完全に取り違え、自分たちの受けた条件的祝福が本然の祝福基準に至ったものと誤解したまま信徒たちを教育しています。
勘違いをしたままでは永遠に救われません。一刻も早く文鮮明師の御言に則った、正しい教学的修正が望まれます。そして、現在の「条件的祝福家庭」は「本然の祝福家庭」を目指して出発していかなければならないのです。
原理講論の終末論には、神の復帰摂理の目的は必ず成就されることが記述されています。即ち、人類を必ず理想の人間として復帰完成させ、理想世界を実現するということです。そして、そのような時代が近づくと、ノアが生きていた時代やイエス様が出現する直前の時代のように、社会は混沌となり、善悪観や価値観が崩壊し、世が乱れると記されています。聖書には、火の審判、即ち新しい御言の審判があることが記されており、古い御言が光を失い、その使命期間が終わる時に、新しい天と地を建設するために必要な新しい「成約の御言」が神から示されるのです。
今まで統一教会内で信じられていた教え(教義)も、新しい時代の到来と共にその光を失い、その使命を終えていくのです。その時は、一旦、混沌とした暗闇のような時代を通過するようになりますが、太陽が東の空から昇ってくるように、新しい完全な真理が明るく輝き、行くべき道を正しく照らすようになるのです。神の御言が、万民に明確に理解できる「実体的な真理」となって出現した時にこそ、堕落人間たちの「実体的な救済」が始まるのです。
聖書には「私はこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話して聞かせる時が来るであろう」(新約聖書 ヨハネによる福音書16章 25節)と記されています。文鮮明師の御言にも、御言が綿密に詳細に整理し分析された時に、実体的に真理を知ることができ、黄金のような時が来ることが予告されています。(第46条)
旧約聖書のダニエル書に「賢いものは悟るでしょう」と書かれているように、悟り深き人々は、現在が、そのような時代に入っていることを知ることが出来るでしょう。そして、新しい神の光を見ることが出来るに違いありません。 キリスト教の復帰摂理歴史における「メシヤ再降臨準備時代」に、いかなる終末的現象が起きていたでしょうか?
中世カトリック教会の指導者層は、贅沢な暮らしに溺れ、腐敗堕落し、正しい信仰を失っていました。そして、巨大な教会建設のために免罪符が売られ、民衆は貧困に喘いでいたのでした。統一教会において現在起きている様々な現象は、中世カトリック教会における末期的現象と酷似しており、これは、イスラエル選民歴史の終末現象以外の何ものでもありません。(第95条)
今が、統一教会の蕩減復帰摂理歴史の終末期であるならば、それは暗黒の時代であると同時に、新しい希望の光が輝いてくる黎明の時でもあります。かつて、神の摂理は腐敗したカトリック教会から新しく始まったプロテスタント教会へと、正しい選民基台を求めて大移動して行きました。
プロテスタント運動を中心として、民衆が各自直接的に聖書を読みながら正しい信仰の道を見い出し、神に対する信仰とメシヤ降臨のための準備が進められたように、今こそ、統一教会の信徒たち、祝福家庭の人たちも、文鮮明師の御言を各自が自分自身の目で詳細に確認し、その真意を悟って「正しい信仰の道」を見い出し、新しく始まった第4イスラエル選民圏に大移動して行くべき時なのです。これこそが神や文鮮明師の真の願いであることを知らなければなりません。
2001年を過ぎて、既に、古き第3イスラエル時代は過ぎ去り、新しい第4イスラエル時代が始まっています。神の復帰摂理歴史は大きく移り変わっています。 第4イスラエル時代は、新しい天と地を建設するために必要な新しい「成約の御言」が神から示されます。第3イスラエル時代の「原理講論」に代わる完全な真理が必要な時代になりました。今こそ、文鮮明師の御言集から探し出された、「完全な真理」としての「原理本論」(第44・46条)が出現する時です。
第4アダム心情圏時代は、人間の責任分担を完成する時代であり、三大祝福が成就されなければなりません。現在の条件的祝福家庭が、本然の祝福家庭として完成すべき時です。そのためには、「原理本論」による「責任分担教育」が施されなければなりません。
第1、第2、第3イスラエル選民圏の摂理的蕩減時代を終え、第4イスラエル選民圏において実体的救済が可能となります。(第九七条) そのための整備の仕事がホームチャーチ運動であり、本然の祝福に至る根本的基台がホームチャーチの実体的な基台なのです。(第17・74条)(ホームチャーチに関しては後章において説明いたします。)