いつの日か、我々すべてが真理を知るようになるでしょう。最終的には我々はすべて死んでいくのです。誰もが霊界に行き着いた時、そこでは真理が太陽の光のごとく輝いています。そこでは誰一人、真理から逃れることはできません。その日にこそ、我々は全き真理を目の当たりに見るでしょう。しかしながら、この地上に生きている間に、真理を受け入れるほどの謙虚さをもち得る人は幸いです。真理と神に対するこの地上の知識が、あなたの永遠の生命を決定するのです。
(祝福家庭と理想天国Ⅱ 400頁 キリスト教の新しい未来」)
統一教会(世界基督教統一神霊協会)は、人類歴史に現われたあらゆる宗教の問題点を解決し、堕落世界の無明の中で苦しんでいる人類を救済するために出現した教会であると宣伝してきました。それは、神が、現在我々が暮らすこの時代に、救世主であるメシヤを送られ、そのメシヤの手によって設立された宗教団体だと信じているからです。
その尊い救世主こそが文鮮明師なのです。かつて、2000年前に十字架上で死んで逝ったイエス様の再来として、現世に復活された再臨主であると統一教会の信徒たちは固く信じています。統一教会は1954年に韓国でその看板を掲げてからわずか40年余りの期間に、全世界に版図が拡大されました。
世界平和のための様々な社会運動や国際的会議、巨大な建設事業などを通して、理想世界を実現しようと熱心に取り組んできました。また、青年たちの国際的な合同結婚式(祝福)を通して、理想家庭の実現を目指し、世界にその数が10億人を超えたことを報じています。
しかし、現実の統一教会は、内部が腐敗し、宮殿建設などの莫大な献金目標を達成せんがために、その活動は宗教の範囲を超え社会犯罪化してきています。 そのため、合同結婚式に参加した多くの人々は教会から脱会していきました。
信仰を続ける祝福家庭においても、離婚や親子の断絶による家庭崩壊が起きています。残念ながら、統一教会の基盤は、今や一刻の猶予もないほどに差し迫った滅亡の危機に瀕していると言っても過言ではありません。
そして、最も深刻な問題は、祝福を受けたカップルから生まれた子供たち、祝福二世と呼ばれる人たちの現状です。祝福二世の多くは、神や、再臨主としての文鮮明師に対する信仰すら失い、中には、人生を悲観し自殺しようとする子供や、様々な社会問題を引き起こす者すら出てきています。
このようなことは、統一教会においては伏せておきたい内容であり、事実、多くの一般信徒たちには教会の恥部にあたる情報は何も知らされていません。しかし、今すぐに目を覚まさなければ、問題はより深刻で大規模な段階へと進展して行きかねないことを考えると、勇気をもって警鐘を鳴らし、覚醒を促さなければならない事態なのです。
宗教における信仰生活や活動の原動力は、その教団の持つ「教理」にあります。それは、教典に示された神学であり、哲学であり、思想であります。それを「真理」として信奉し、それに則って日々の信仰生活や活動を営んでいきます。
統一教会の場合は、教団設立の初期に弟子の手によって書かれた「原理講論」がその教理の中心であり、信徒たちに対する原理教育の教科書となっています。教団組織が責任をもってセミナー等で教育するのは、この原理講論の解説に止まります。
しかし、実際の統一教会内には、文鮮明師の語られる膨大な量の御言「説教集」があり、また、ご子息様や幹部指導者たちの語る言葉や指示内容があります。一般の信徒たちや祝福二世たちは、原理講論の教育を受けた後は、文鮮明師の御言よりも、幹部指導者たちが語る言葉や指示内容に従って信仰生活を営み、様々な活動に従事しているのが現状です。
それは、文鮮明師の御言が、信徒にとっては難解で複雑なものと受取られていることがその原因と思われます。ところが困ったことに、幹部指導者たちの証言によれば、彼らですら御言は難解なものとして、その全貌、核心が理解できないでいるのです。
原理講論には、総序の結論として、「ここに発表する御言は真理の一部分である」と明記されており、その内容が真理の全てでないことが弁明されています。又、文鮮明師の指摘によれば、そこには誤った内容が記述されているというのです。(177頁参照)ところが、不思議なことに統一教会では、これを教典として今日もなお教育し続けています。
真理の一部分しか記述されておらず、しかも誤った内容が含まれた本が示す人生の道案内は、羅針盤を失った船に乗って危険な夜の海を漂うようなものです。再臨のメシヤである文鮮明師の御言「説教集」に関しては、1997年より訓読会が初められ、熱心に拝読してきましたが、果して、そこに書かれている再臨主の語られた御言の意味がどの程度理解されたのでしょうか?
文鮮明師は、信徒たちに対して「皆さんが分かる原理を教えるその程度の先生だと思いますか。」(祝福家庭と理想天国Ⅰ 802頁)と訊ね、「皆さんは、これも知らなかった、あれも知らなかった、全部知らなかったというような立場に立っているのです。」(御言選集55/122頁)と、幹部たちや一般信徒が、再臨主の教える原理が全く分かっていないことをはっきりと指摘しておられるのです。
人類の救世主として来られたメシヤの御言が、準備された選民たちに理解できないとしたなら、これほど重大で深刻な問題はありません。かつて、無知がキリストを十字架上で殺害してしまったのですから、再び歴史の悲劇が繰り返されかねません。
実は、ここに統一教会の最も重大で根本的な問題があるのです。宗教における信仰生活や活動の原動力は、その教団の持つ「教理」にあるにもかかわらず、教典として用いられている本、真理の一部分であり誤った内容が記述されている「原理講論」を信奉し、そして、最も重要な「教理」として顕現しているはずの文鮮明師の御言が理解できないでいるのです。
私たち「祝福二世相談室」では、このことに10数年前に気付き、文鮮明師の御言の研究を重ね、御言を解明するための「鍵」を見つけ出したのです。その鍵を持って御言を拝読すれば、いかなる御言も明確にその意味を理解することができます。
その結果、原理講論に不足していた真理の全貌を発見し、誤った箇所の修正に成功しました。そしてついに、神の黄金の杖に導かれ、「原理本論」に辿り着いたのです。そこには、驚くべき神の歴史の秘密、文鮮明師が歩まれた人生の、言うに言えない苦悩の心情が浮き彫りとなったのでした。又、人類の実情を憂い、身もだえする親としての救済の情が、したたる血のごとく脈々と流れ出ていたのです。
御言の背後に流れる神の涙が、拝読する者たちの心を熱く震わせます。崩壊しつつある統一教会の実情を救済する方法は、信徒一人ひとり、そして祝福家庭の二世たちが、神の御言に直接触れ、その語られた真理の意味を知り、真の父母の心情に触れる以外に道はないと判断し、「原理本論」に解明された真理を通して、ここに、この本、「100ヶ条の提題」を発表する運びとなりました。
かつて、ルターはキリスト教徒の一人ひとりに「聖書に帰れ!」と、神の御言を自分自身の目で直接確認し、神の御言が示す正しい道を歩むことを訴えました。彼は、どれほどに当時のキリスト教徒を憂い、愛していたでしょうか。
今、統一教会の祝福家庭や一般信徒たちも、自分自身の目で、直接、文鮮明師の御言を確認し正しく理解することによって、神の示される真の人格と真の家庭、理想世界の実現を目指して再出発していかなければならない、人生の岐路に立っているのです。
私たちがこの本を出版した動機は、純粋に、「統一教会と祝福二世を救いたい!」というものであることをお誓い致します。神の理想と真理のために、殉教を覚悟して立ち上がった仲間たちの熱い思いをご理解ください。
ルターが、「95ヶ条の提題」をヴィッテンベルク城教会の扉に学問的討論の動機で提示したように、私たちも同じ、押さえがたい思いでこの本に願いを託さざるを得ませんでした。