Part 2

失われた10年の真因は何か (エコノミックスシリーズ)ジャクソンホールのシンポジウムの議事録をみていると、「世界経済は日本のようになる」とか「失われた10年を回避せよ」とか、日本はすっかり世界のトップランナーになったようだ。今ごろ「デフレ脱却」なんちゃらと騒いでいる政治家や評論家は、10年ぐらい前にマクロ経済学者が議論して決着のついた問題を、それと知らないで蒸し返していることが多いので、日本の教訓を学ぶための本をまとめておこう。

そのころの論争をまとめたのが『失われた10年の真因は何か』(2003)である。その中心は、Hayashi-Prescottの有名な論文だ。これはRBCモデルなので、基本的にGDPギャップは存在しない。経済変動をすべてTFPの変化で説明する荒っぽいモデルで、当時は強い批判を浴びたが、日本の90年代の問題を動学マクロモデルで初めて分析し、計量的に厳密な結果を出した業績は大きい。

その後もっと詳細なミクロデータによる実証研究が行なわれ、林文夫編のシリーズにまとめられた。実証の結論はかなりバラバラで、RBCモデルは成り立たないと断定しているものもある。ただ多くの実証研究が一致して指摘しているのは、長期不況の大きな原因が投資機会の不足と企業の新陳代謝の停滞にあるということだ。

いま思えばハードコアのRBC派も、日銀にすべての責任を押しつける「どマクロ」派も間違いで、真理はその中間にあったと思う。ニューケインジアン理論で考えると、80年代には金利が自然利子率を下回ったため、大きなプラスのGDPギャップ(バブル)が生じた。90年代のバブル崩壊はそれが自然水準に戻る過程だったが、オーバーシュートしてマイナスのGDPギャップを拡大してしまった。90年代前半の日銀の政策は誤りで、バブル崩壊後はすみやかに緩和に転じるべきだった。この点でFRBなどは日銀の失敗に学んでいる。

日本のもう一つの教訓は、金融仲介機能が壊れたままでは経済は本格的に回復しないということである。過剰債務が残っていると「デット・デフレーション」が続くので、不良債権処理が最優先なのだが、大蔵省が問題を先送りしたため、日本は自然利子率がマイナスになる「デフレの罠」に入ってしまった。この過程についての経済学の研究はなく、『検証 経済暗雲』のようなルポルタージュしかない。

2002年以降の量的緩和は、不良債権の清算の側面支援としては意味があったが、その後はほとんど意味がなく、アメリカの住宅バブルの一因となった。『ゼロ金利との闘い』は、そのころ日銀の審議委員として量的緩和や時間軸政策など、いま世界の中銀が勉強しているイノベーションを生み出した著者が当時の政策の効果をまとめたもので、これが学問的な結論に近い。

日本の経験からいえるのは、いったんデフレの罠に入ると脱却が非常に困難になる不可逆性があるということだ。過剰債務が10年も続くと、企業の債務返済によって投資が減り、それによって経済の見通しが悪化して投資が減る・・・という「悪い均衡」に入ってしまうのだ。日本の最大の失敗は、不良債権を最終処理するまでに12年もかけ、投資意欲の低いゾンビ企業を延命してしまったことだ。

だから各国の中銀が学ぶべき教訓は、金融危機の初期の段階で公的資金を投入し、すみやかに不良債権を処理して、つぶれるべき企業はつぶすということである。金利とか物価などのマクロ変数は、こうした構造的な問題を見る役には立たない。

デフレは経済の鬱病みたいなもので、金融緩和などの薬をいくら投与しても、本人の気持ち(企業の投資意欲)が変わらないと治らない。だから政府や中央銀行のできることは限られており、規制改革や税制改革によって自律的な回復の障害を取り除くことがもっとも重要だ。「小沢首相」になったら90年代の路線に回帰して、企業の新陳代謝を進めてほしいものだ。

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コメント一覧

  1. 1.
    • masboku
    • 2010年09月01日 17:28

    私の友人の英国人ヘッジファンドマネジャーも「日銀はデフレ対策を1870-1895年のビクトリア時代の英国を参考にするのではなく、1920-1922の政策、すなわち緊縮財政と大幅減税によるコンフィデンスの回復に求めたほうが賢明だ」と言ってます。ただ、疑問なのは「新陳代謝の停滞」が悪いのはそのとおりなんでしょうが、代謝を今進めたときの負のインプリケーションが心配な点です。ロバート・シラー教授もWSJのビデオインタビューで米国経済に懸念を示した上で「何でもいいから例えば大学の助手とか雇用を作る必要がある」と言ってます。日本の「代謝不全」は「ワークシェア」な側面があるわけでして、「80:20」のパレートの法則がこの国では「90:10」になっているだけのような気もします。それを「85:15」にせよという感じでしょうかね。

  2. 2.
    • xxgirard
    • 2010年09月01日 18:27

    潰れるべき組織を潰すと、潰れるべき個人も潰れるというのが怖いです。
    製造業のライン工とか非効率な産業があるが故に発生している雇用は結構あると思います。
    その辺の受け皿がどうにもならないっていうのもこの教訓が生かされない原因の一つだと思います。
    数百万人の失業者を出してその大半が行旅死亡人となってもやるべきことなのかもしれませんが、それに恐らく含まれるであろう自分としてはNoという意見になっちゃいますね。
    そう考えると最大の不良債権はスキルの無い個人ということになちゃうんでしょうか、自業自得とはいえ悲しい現実です。

  3. 3.
    • Dr. OK
    • 2010年09月01日 23:12

    はじめまして、小児神経学の医師です。うつ病の御理解に関してはやや誤解があります(本人の気持ちでは治りません)がいつも感心して思うのですが、先生の御主旨は非常に分かりやすいです。以前先生が「経済学は数学のような学問よりも医学に近いのでは」と仰っていました。まさにそう思います。医学は数学や論理学的な切り口で理解できる部分が多く、また極力そうすべきなのですが、人体は極度の複雑系で少ない数式や論理で全てを理解し解決する方法はありません。経済もまた正にそうなのだと思います。
    先生の仰る「金融緩和は根本的解決にならない」という話は似た話が医学でもしばしば認められることで、例えば重篤な細菌感染に陥って、呼吸不全や循環不全を起こした患者を助けるのに、抗生剤(根治療法)を使用せず、人工呼吸器、昇圧剤(対症療法)を使用している構図に似ています。医者の世界でもヤブな人は、しばしば対症療法でごまかす人が居ます。それは疾患の診断が上記の細菌感染くらいならば簡単なのですが、稀な難しい病態だと根治療法を探すのに知識や考察力が必要だからです。
    勝間和代が言うデフレ脱却なんかは、素人目にみても対症療法です。つまり彼女はヤブ医者(というか医者ですらないのですが)です。
    先生の仰るのは正に「痛みを伴う改革」が必要と言うことで、大きな腫瘍を摘出するような苦しいものです。ハードランディングで早く解決するか、逆かの選択はあるかもしれませんが基本的な方向性は変わらないはずです。
    僕は政治家たちがそろってそれが理解できないとは思えないのですが、理解していても本音と違うことを言うのがお仕事なのでしょうか。小沢さんもかつての自著の御意見といまのマニフェストとかなり違います(片山さつきさんはあれはゴーストライターと言ってますが)。どっちが本音か。後者なら当面日本の再建がなさそうですね。

  4. 4.
    • jestemneko
    • 2010年09月02日 00:20

    あまり大げさな改革をしなくても、小さな規制緩和を積み上げるだけでも景気はかなり良くなると思います。たとえば、もうすぐエコカー減税がなくなりますが、代替策として、新車の車検を3年から4年に延期するといったことは、おそらく可能でしょう。しかし、天下り先が弱体化するでしょうから、国交省の官僚は大反発すると思います。新車の車検を3年から4年に延期するだけでも、民間企業の基準で言えば、10議員年人分くらいの政治コストが必要になると思います。同じことが、たとえば運転免許証の書き換えの延長についても言えます。法務省の官僚は大反発すると思います。
    政治主導は、政権政党に必要な政治コストを負担する力があるかどうかでかなりの部分が決まると思います。民主党にその力はないでしょう。小沢体制になって、優秀な民間人の方々をたくさんスカウトして、政府の仕事をしていただくのであれば、民主党程度の政党でも必要な政治コストを負担することができるかもしれません。しかし、民主党にそんな知恵があるとは思えないですよw

  5. 5.
    • hogeihantai
    • 2010年09月02日 16:41

    混合診療の解禁は直ぐやるべきではないでしょうか?高齢化社会と医療技術の進歩で医療費は青天井です。混合診療の反対者は医療の平等を唱えますが、金持ちには大いに高価な先端医療を受けてもらい低所得者の治療費を補填してもらうという発想が必要です。航空会社の海外便もエコノミー客は赤字でビジネスクラスとファーストクラスで収益を上げてます。命が平等と主張するのであれば、安全性に大きな差がある大型車と軽自動車が並存するのもおかしいし、食生活も万人平等でなければなりません。更に保険外診療については医師の技量に応じて自由に診療費を決められるようにし、富裕層に全て負担してもらえば、内需拡大にも貢献します。

  6. 6.
    • jestemneko
    • 2010年09月03日 03:09

    hogeihantaiさん、実現可能な「小さな規制緩和」は無数にあります。私は、それらを積み重ねるだけで景気はかなり良くなるし国民の暮しも楽になると考えます。ただ、ひとつ行うだけで10議員人年かかってしまうというか、それくらいの政治コストがかかってしまうのが現実です。これは日本に限ったことではないでしょう。
    さしあたり政党が十分機能するかどうかが重要でしょう。個々の議員の役割分担をしっかり行い、「小さな規制緩和」を積み重ねる必要があると考えます。その点では、自民党のほうが民主党より若干ましではないかと思いますが、イギリスの保守党あたりと較べると、ヒューマンリソースの配分がまだまだ合理的でないという気がします。
    抜本的な打開策は、やはり地方分権です。個々の地方が、その地方の実情に合った「小さな規制緩和」を積み重ねれるようにしないといけない。ただ、話し合いの余地はあるかもしれませんが、民主党の言う地域主権が何を目的としているのか、私にはさっぱり分からんのですよw

  7. 7.
    • katrina1015
    • 2010年09月03日 17:49

    最近でいうと、MUFGとMSでしょうか?
    9000億ですからw
    バブルで学んだこと、「借金で投資をするな」。たぶん(?)時価でやられるとゾンビにされちゃうもんな~w
    小沢先生ならゾンビを一掃してくれるものと信じますw

  8. 8.
    • tom574
    • 2010年09月03日 20:14

    jestemneko さん、池田先生の先日の記事(8/25砂漠化する日本)にあるように、首都圏では規制緩和さえすれば、投資を喚起し大いに生産性向上を図ることが可能でしょう。今の日本経済に必要なのことは、地方の活性化ではなく大都市の再開発です。私も大都市圏の再開発を促すという意味で、地方分権化が一番重要であると考えます。

  9. 9.
    • jestemneko
    • 2010年09月03日 21:23

    tom574さん、地方分権の経済目的は、大規模な公共事業を行うことではなく、産業を全国各地に分散させ、活用されていない既存インフラを活用することにあると考えます。大都市再開発はケインズ的な政策でしょう。規制緩和とは正反対のように思います。
    別のところで書きましたが、私の言う地方分権は、たとえば法人税の税率を地方の裁量に委ねながら徴税権も含めて地方に譲渡する、というものです。東京は、一時的に潤うかもしれませんが、長期的には、大阪が勝ち組になり東京が負け組になる可能性もあります。東京は、中央集権に依存している部分が大きいですから。

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