コラム日記

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  3月31日  猫の入院

 先日、我が家の飼い猫のブン吉が「尿毒症」という病気にかかり、一週間ほど入院した。
 まあ、お陰さまで、とりあえずは元気になって帰ってきましたが、その費用たるや10万3千円も請求された。多少は覚悟をしていたが、やはり内心は「ゲッ、ゲッ!! た、高けえー!!」と、気落ちと驚きで血の気が引いていくような気分でした。ああこれで5ヶ月分の小遣いは飛んでいってしまったと、恨めしく思った。
 母は「10万円もあったら、こんなノラ猫じゃあなくて、いい猫が買えるのに」と冗談半分に言ってましたが、まあ車のように事故ったから新車に買い換えるっていう訳にはいきませんよねえ。
 その話を聞いて母の友人がお見舞いだと言って、柏餅を持ってきてくれました。もちろんブン吉が食べるわけではないのですが、大出費の国定家に対してのお見舞いだったのでしょう。
 また東京の叔母もお見舞いと言って1万円も送ってきた。これには驚いて「猫の入院までお見舞いを出すような、そんな付き合いはとってもできませんよ」と、笑いながら言ったのですが、その叔母は動物を無私で可愛がり「ノラ猫援助基金」というものに娘と毎月寄付をしていて、今月はそれが余っていたからといって送ってくれたらしいです。
 母は「これでなにか美味しいものでも食べに行こうか」と言ってましたが、動物愛護という気持ちは親族に叔母のような人をもちながら、DNAは全く伝わっていないようです。
 まあとにかくブン吉は元気になって、春の陽だまりで幸福そうに寝ています。10万円はとっても痛かったが、ブン吉の幸福そうな顔を見ていると、まあ仕方がないかという気になります。

  3月30日  春の日曜日

 今日の日曜日は天気も良かったし、桜の花も見頃のまことに気持ちのいい日であった。こういう気持ちのいい日曜日なのだから何処かに行こうかと思ったのだが、結局何処にも行かず家から一歩も出なかった。
 何度か瀬戸川の桜でも見に行くかとか、友達の家でも訪ねるかとか、喫茶店でも行って本でも読むかとか、いろいろ考えた。その他に、可愛いガールフレンドでも誘ってみるかとか、部屋の掃除でもするかとか、ジャンボエンチョーでも散歩に行ってみるか、図書館にでも行ってみるか、草花の手入れでもしてみるかとか、アルバムの整理をするとか、まあやろうと思えばやることはたくさんあったのだが、結局なんにもやらずにボーっと一日を過ごした。なんだか勿体無かったなあ、という気がしないでもなかったが、贅沢な時間の使い方をしたなあとも思った。お金は贅沢に使えるほど持っていないけれど、時間なら比較的贅沢に持っていると思っている。
 東南アジアのリゾート地に行くと、欧米の外人さんたちはホテルのプールサイドで日がな一日のんびり寝そべっている。夕方になると、やおら起き上がって、ブラブラとビールを飲みに行って、バーのカウンターでまたボーっとしている。
 それを見て「ああいうふうにはとっても出来ないなあ」といつも感じる。我ら日本人や韓国人の観光客は、バタバタと一日走り回って、あれも見てこれも見て、あれもやってこれもやって、というふうな、良く言えば充実した盛り沢山な旅をしないと気がすまない。のんびりとプールサイドなんかに一時間も居たら落ち着かなくて、何かしないと勿体無いという貧乏性がついでてしまう。
 まあそんなことを思い出したりして、今日は一日のんびり何もせずにいた。何かしないと勿体無いという気も何度かおきたが「まあいいか」と鷹揚に過ごした。「春の宵、値一刻千金」という言葉があるけど、その千金の一刻を湯水のように使ってしまった。
 時間貧乏性の日本人の小さな実験のような一日でした。

  3月28日  戦争の正当性

 TVなど報道は、毎日多くの時間をイラク戦争について費やしている。まあ今一番重要な国際的な問題であるのだから当然であるが、何を聞いても嬉しい内容ではない。
イ ラクは大量化学兵器をいつ使うのだろう、というのが一つの関心事であるが、これを使ってしまったら世界中から「ほら、やっぱり持っていた」と言われ、今度の戦争の正当性を裏付けることになってしまうので、使いたくても使えないというジレンマがあるだろう。
 しかしもし反対に実際持っていなかったら、アメリカの攻撃の正当性が無くなり、イラクを始め世界中から「どうしてくれるンだよー」と言われることになるだろう。
 アメリカは当初の大量化学兵器の問題を、今はイラク国民の解放ということにすりかえて戦争の妥当性を言ってるが、なんだか怪しい雲行きになってきたんじゃあないだろうか。
 嬉しいニュースではないけれど、やはり目が離せない問題で、こうした事柄を巨細に見ることによってなんらかの勉強になるのだろう。

  3月27日  次なる戦争

 「イラクの戦争も、もう飽きたなあ」と、TVを見ながら思った。
 毎日戦争で人が何百人も死んでいってるというのに、遠い国での出来事なので、いまひとつ自分とは関係の無い戦争であるという気楽さが、日本人には誰にでもある。しかしイラク戦争が終わったら、次なる戦争は北朝鮮との戦いとなり、そうなるとこんなにのんびりしたことは言ってはおれない。
 日本国は今回、国連決議より日米同盟の方を重要視してアメリカに追随したが、それは北朝鮮の脅威、または攻撃の時に助けてもらいためにアメリカ支持の態度を示したのだ。今はアメリカは、日本を攻撃することはアメリカを攻撃するのと同じ意味を持つ、なんて格好のいいことを言っているけれど、イザ北朝鮮戦争になると果たして日本を助けてくれるのだろうかと疑問に思う。日本のために、何故アメリカの若い兵士が死ななくてはならないんだと、きっとアメリカ国内で不平がおきるのではないかと思う。日本国は軍隊を出さないのに、その日本のためにアメリカでも何処の国でも軍を出すなんて馬鹿らしいと思って当然だろう。
 その時になって「日米安保なんて知らないよ」と言い出しかねないと思っている。だいたい条約とか約束なんて有事になると守られない事がほとんどである。今回だってアメリカは国連の約束事を破り、あるいは無視しているところを見ると、これからのことなんて判りゃしない。
 まあこの度の戦争は石油の利権を得るという魅力もあるが、北朝鮮には資源も無く、なんら魅力の無い国である。アメリカが兵士の命を賭けて勝ってもなんの得があろうか。そうなると日本と北朝鮮と戦うこととなり、実際日本は自国のみで戦えるのだろうか、と大いに不安に思う。隣国からテポドンが何発も打ち込まれてきたら、今回のようにのんびりとTVで戦争観戦というわけにはいかない。
 これは仮定の話でなく、案外、来年の今頃は日本対北朝鮮戦争が始まっているかもしれないと思うと、笑えない恐ろしい話である。

  3月26日  悲しみの人

 先日、静岡の知り合いの喫茶店に久し振りに顔を出した。
 ちょうど奥さんは居なく、従業員の女性が店番をしていた。そして「国定さん、奥さんのお子さんが亡くなったことを知ってた?」と聞かれびっくりしてしまった。東京で暮らしている30になる息子さんが事故でお亡くなりになったということだった。そんなことは知らなかったし、だいいいちそんなに親しい知り合いでもなかったので連絡もこなかったのだ。
 子供が先に亡くなるというのは親にとっては最も辛いことであるだろう。30という若さで、これからという時に事故で突然死んでしまうということは、筆舌に尽くしがたい悲しみであるだろう。なんと言ってよいか判らなかった。
 でもなにかお慰めの手紙でもと思って、ここ2〜3日文面を考えていたのだが、ちっともよい言葉が浮かばない。どんな言葉や文章を持ってきても表面的なものに感じたり、なんの慰めにもならないのではないかと思ったりした。短い手紙でもこれほど悩んで時間のかかったことはなかった。まあそれでも、わずかながらでも心の慰めになればいいと思って手紙を出した。
 イエスは「喜びの家に入るより悲しみの家に入れ」という言葉を残したが、喜びの家に入るのはたやすいが、悲しみの家に入っていくのは難しいことである。しかし人は悲しみの時にこそ心の助けを必要としているものだ。手紙ひとつでいかばかりの慰めにもならないだろうが、その手紙ひとつでもずいぶん大変だった。悲しみの家の人を慰めることは難しいことだと思った。

  3月25日  見かけ

 先日喫茶店に行き、いつもの席に座ってコーヒーを飲んでいると、フト斜め前の席に26・7くらいの女性が男性と来ていてなにか喋っていた。お洒落をしてきたのか、なんだか気取った服を着ていて、持ち物と言えば当然ブランド品であった。でも顔を見るとあまり賢そうな顔ではなかった。男性と何かを喋っていたが、なんだか軽そうな話であった。
 こういう表面的な女性はあまり好きなタイプではありません。まあそれは男性についても言えるのですが。とにかく最近の若い女性は着飾ることだけを重視して・・と、つい老人っぽいことを言うような歳になってしまいました。
 しばらくしてその二人は席を立ってレジの方に向かおうとして、その時に私はその彼女がびっこをひいていることに気がつきました。よく見ると左足がかなり短いようなのです。レジで立っている時も左足はつま先立ちしているような格好となっていました。そしてドアを開けてびっこをひきながら出て行きました。
 その時に私はなんだか彼女がとても可哀想な気がしました。どんなにお洒落しようとブランド品を持とうと、健常な体を持つこと以上の幸せはないのです。彼女は一生走ることはできないだろうし、勿論テニスもスキーも出来ないだろう。どんなに化粧しようと着飾ろうと高級品を持とうと、それより健常な左足に勝るものはないのです。
 席に座っている時には足の悪さに気がつかず、ちゃらちゃらした女性だと見ていたのですが、人の生活や人生というものは見かけどおりなものではないと改めて知りました。私の生活だって見かけどおりのものではない。考えればほとんど全てのものが見かけどおりではないのかもしれない。それをつい見かけで判断してしまい、彼女の辛い部分を知ることはなかった。少し胸の痛みと反省を感じた。

  3月24日  ひらかな熟語

 どういう基準か知らないけれど、最近の新聞では難しい熟語はひらかなを交えて書くようになってきている。
 例えば「殺りく」とか「ろう城」「けん銃」「形がい化」など、本来はちゃんとした漢字があるにもかかわらず、読者に判りやすく読んでもらうためか、あるいはなんらかの基準のためにか、そうした表現を使っている。
 しかし私はこうした文字を見るたびに、なにか違和感というかおかしなものを見たような気分になる。なにも新聞がへりくだってそんなおかしな熟語を使わなくてもいいだろうと思う。しっかりと殺戮なり形骸化と書けばいいと思うし、それが正式であるのではないかと思う。
 まあ中にはその文字が読めない人もいるだろうが、童話じゃあないのだから、なにもそんな人のレベルに合わせなくてもいいと思う。そりゃ僕だって新聞でも小説でも読んでいる時に、読めない文字などはたくさん出てくる。それはその新聞なり小説が悪いのではなくて、読めない自分の無学が悪いと思っている。
 メデアと知性の新聞ならば、もっと高い意識をもって表現してもらいたいと思うのですが、どんなものでしょうね。

  3月23日  エデンの場所

 イラクの国の在る場所というのは、昔の聖書でいうところのエデンの園があった場所である。
 楽園のエデンの園が今では「地獄の園」と化している。非常にやりきれないような皮肉である。
またエデンの園を追い出されたアダムとイブの子供でカインは、妬みの気持ちで弟のアベルを殺害して、それは聖書では人類初めての殺人とされている。その初めて殺人があった場所で、今は戦争という大量殺人が行われていて、その因縁というか符牒の合い方に暗然とする思いである。
 大昔、神はその楽園の場に人間をおき、楽園と人類が地を覆い尽くすことを願われたが、アダムの反逆のためエデンを追い出され、人類に罪と死が入ったとされている。正に罪と死の集結たる戦争が同じその場所で行われているということは、なんたるめぐり合わせであるのだろうか。もし神が存在しているのなら、今のこの状態をご覧になって、大きくため息をついているか、あるいは冷ややかに見ているかもしれない。その神を旗印にしてアメリカは戦っているのだが、そこでも大きな矛盾というか皮肉を感じる。
 しかしまあ神でなく我々でさえも、この戦争が愚かなものであることは判る。何千年経とうと人間の愚かさというものは変らないようである。

  3月20日  野党の演技

 いよいよ戦争が始まった。
 今回は前回の湾岸戦争と違って、世論も支持国も二つに分かれてしまった。それぞれの言い分というものがあるだろうが、私はどうもアメリカのやり方には納得ができるものはない。しかしそのアメリカを日本が支持しているという姿勢に、一国民としてなんともいえないものを感じる。
 小泉首相はいち早く支持を表明したが、野党の党首たちはそれに対して反対の意見を強く言ってた。その時小泉首相もはっきりと「アメリカに助けてもらわなければ北朝鮮からの攻撃にやられてしまうじゃないか。だからとにかくアメリカにすがるしかないんだよ。」と言ってしまえばいいのだと思う。でもそんなことは野党の皆さんだって充分承知なのです。充分承知の上でとにかく首相攻撃のポーズをとっているにすぎないと思う。なんだか表面は激しいが、その中身は馴れ合いの田舎芝居のようなものなのかもしれない。
 検事と弁護士も裁判所の法廷では激しい遣り取りをするが、閉廷したら「やあ、やあ、先日はどうも・・」なんて、親しげに話をしているのを見てびっくりしたことがあった。国会だって激しい質問をした人とされた人が終わってから「あまり突っ込まないでよ。ハハハ・・」「なに言ってんだよ。ハハハ・・」と、これまた親しそうに会話しているのを見て、さっきのは学芸会だったんじゃあないだろうな、と思ったものでした。
 ちょっと話がズレてしまったけれど、野党の質問姿勢というものも、どこまで本気でどこから演技か判らないところがある。
 戦争の話をしようと思ったのだが、野党の演技の話になってしまった。まあ戦争も今日のところは小手調べというところで、明日くらいから本格的になってくるのだろう。そうなると下手なトレンディドラマよりもニュースの方が面白くなってくる。どのみち対岸の火事で、お気楽に戦争見物でもしていましょう。そうそう今度の戦争を対岸戦争と呼ぶのもいいなあ。
 ふざけた言い方になってしまったが、あまり真剣に考えてもあほらしい気分にもなります。

  3月19日  機能と内容

 先日ホームページの作り方教室に参加してきた。なかなか面白いもので、驚くような機能でいろんな表現ができるので感心してしまった。
 今更パソコンの機能の素晴らしさに驚嘆している人も珍しいだろうが、機械音痴の私にとっては「凄いなあ」の連続であった。どうしてこんなことが出来るのだろう、と思うようなことが次々と講師によって教えてもらい、その時は出来るつもりになったが、帰宅してやってみると全然うまくいかない。まあそんなものです。
 しかしそれにしてもちょっと思ったのですが、いろんな機能によってのバラエティな表現はできるのですが、内容というものまでは講師は指導できなく、充実したホームページというものはやはりその人が何をどれほど持っていて、どのように表現できるかということにかかっているのではないかと思いました。
 女性に例えれば、高価で綺麗な服を着せ、ブランドのバックを持たせ、メイクをしっかりとやってもらっても、その人の中身まで整えてやることはできません。そういう着飾った人と会って、少し話をしたら頭の中がお粗末だったということがあります。その反対に質素な服を着ていても内容のある人も居ます。
 まあそれをいきなりホームページに当て嵌めることはできませんが、自分が作るにあたってはそうしたものを意識してやっていきたいと思っています。と考えていてもこの程度のお粗末なものなので、偉そうなことは言えません。

  3月18日  開戦理由

 いよいよ明日にでも戦争が起こるのではないかという情況になってきている。
 今朝もある番組でイラク攻撃の問題について討論をしていた。ある人が「原点に戻って、なぜ戦争をするのか」という質問をして「小学生にでも判る答えを・・」と言ったが、おかしなことにそれについて明確な答えを出す人はいなかった。それぞれ込み入った情況なり過程を説明したが、子供にでも判る明晰で判り易い回答はなかった。
 たしかにこれは面白いことで、私もこれから会う人々に「なぜ戦争を始めるのか」と聞いてみようと思った。意外に答えられないものだろう。
 「難しい問題を易しく、易しい問題を深く、深い問題を面白く」と言ったのは井上ひさしであったが、この難しい問題をいかに易しく話せるだろうか。私には答えられない。たぶん多くの人は答えられないだろう。子供たちや後世の人たちの「なぜ戦争を始めたのですか」という質問に答えられないまま、いま正に戦争が始まろうとしている事態に暗鬱たる思いがする。

  3月17日  開戦間近

 アメリカによるイラク攻撃が秒読み段階に入ったとも言われている。
 これほど世界中の人々が戦争に反対しているにもかかわらず、アメリカは強行に戦争を開始しようとしている。その考えや理屈が判らない。多くの人々が言っているように、アメリカの正当性、または整合性というものがみられない。国連でさえ戦争開始の理由に当たらないと言っているのに、それを無視してまでも戦争をやろうとしているアメリカに疑念と、更に憎悪の気持ちさえ感じてきている。
 イラクに大量破壊兵器の破棄を求めておきながら、自国では核に次ぐ強力な爆弾を作って実験をしている矛盾に私は納得がいかない。またブッシュは「イラクを脅威に感じている」と発言したが、実際、脅威に感じているのはイラクの側ではないかと思う。ブッシュのいろんな発言について私はフェアな立場で考えても、どうも一方的な理屈であると感じている。
 まあ私がなんと言おうと、世界中の人々がなんと言おうと戦争を始めるのだろう。だがこの大きな過ちというものは世界史が続く限り、汚点として残るのではないかと思っている。それでも戦争をやる愚かさに暗澹たる気持ちを感じている。

  3月16日  惜しかった

 昨日は若くして亡くなった人の話をしたが、先日友人のおばあさんは97歳で亡くなられた。
 まあ97歳も生きれば弔問客は「大往生ですね」とか「長生きができて良かったですね」などと言うものですが、ある人が「惜しかったですね」と言われて、遺族達は「え?」と思ったそうです。97歳も生きれば惜しいという年齢でもないし、まあ誰だって惜しい人ということに当てはまらなくはないのですが、なんだかおかしな挨拶でした。
 その方は続けて「あと3年生きれば100歳だったのにねえ」と言われて、やっとその意味が理解できたのですが、それにしても100歳まで生きたからどうだと言うのでしょう。100歳まで生きれば100万円を貰えるというならともかく、面白い発想や挨拶をする人もいるものですね。
 ここ数日は深刻な話や悲しい話が続いたもので、今日はちょっと軽い話にしてみました。

  3月15日  突然の死

 13日に富士市で解体中のビルの壁が落ちてきて3人の方が亡くなった。
 その中に29歳の若い母親がいた。買い物に行くと言って出かけ事故に遭ったのだ。突然に残された幼い二人の子供たちのことを考えると、可哀想で言葉もない。
 本人もその朝起きた時には、今日自分が死ぬとは夢にも考えなかったことだろう。それどころか事故の3分前までも、そんなことは思ってもいなかったろう。いきなり命を奪われるというのが事故の本質であると知りながらも、死んだ者も残された者も納得ができるものではない。
 しかしそれは我々誰にでも起こりうる事で、もしかしたら死というものがすぐ背後に迫っているのかもしれない。そうしたことは知識としては知っていても東海地震と同じで「まあ今日は来ないだろう」と思っているだけである。確かにそんなことをいつも思って暮らしていたらノイローゼになってしまうが、富士市の事故のニュースを聞くと「突然の死」というものを改めて考えさせられた。
 中世ヨーロッパでは「死を想え」という思想があったが、常に死を考えることで生の重要さを認識していたようだ。自分ももう少し死と生について認識するべきであると思った。

  3月14日  マメ 真面目

 ある友人が僕のことを「マメだ」と言ったので驚きました。自分では随分ずぼらな人間であると思っていたのでびっくりしました。僕が多少手紙を書くからだそうで、それでマメだと思われたらしいです。
 またある友人は僕のことを「真面目だ」と言ったので、これは本当に驚きました。誰に言っても「エー!!」と言って笑われるし、自分自身が不真面目でいいかげんな人間と思っていたので、当人が一番びっくりしました。でも母に言うと「そうねえ、あんたは生真面目なところがあるねえ」と言ったので、母親が言うなら間違いはないだろうと思うが、自分はそういう人間かと改めて認識しました。
 また別の友人からは「賢い」とも言われ「おいおい冗談はよしてくれ」と言いたくなりました。僕は学校の勉強ができなく、成績も悪く、従っていい学校にも行けなく、コンプレックスとなっていたのです。特に暗記力、記憶力に弱かったのです。
 でもまあ「マメ」であるか「真面目」であるか「賢く」あるかなどということは一概には言えないものですね。僕にも誰にもそういう部分があるということであって、全般的にということではないと思います。例えば神経質ということでも、いいかげんな僕にでも極端に神経質になる部分というものがありますから。
 ただ自分ではちっともマメでもなく真面目でもなく賢くもないと思っていたので、ちょっと驚きましたが嬉しかった部分もありました。なんだかそう思わせてくれた方が自信がついて、これからも磨きをかけていこうという気持ちになりました。

  3月13日  春の朝

 かなり春らしくなってきて、庭の木蓮の花が満開です。
 梅はもう終わりましたが、桜の蕾がだいぶ大きくなってきています。土筆も出ているし蕗のとうも見かけます。名前も知らないたくさんの草花が花を咲かせています。なんだかそれだけで嬉しくなってきます。
 天気の良い春の朝というものが大好きです。今まで寒さに耐えてきたということもあってか、早春というものはなんだか可能性がたくさんあって、やる気もまた充分あります。青春という春はもうとっくに過ぎましたが、ほんとうの春はまだ何回も訪れることでしょう。
 ひとつ青春でも思い出して、なにかロマンチックなことにでも出会うように努力でもしてみようかという気になっています。

  3月11日  隠蔽

 刑務所の受刑者が、刑務官達からの暴行などの訴えがこの2年間に250件もあった。しかし懲戒処分などを受けた刑務官などは一人もいないことが判った。
 法務省は「内容を調査し、適正に処理した。暴行を隠蔽したことはない」としている。だが誰が考えてもこれには大きな疑問が残る。
 そもそも訴え(情願という)を出すこと自体、たいていの受刑者はしないし出来ない。ああいう権力の下に極端な管理をされている人々が苦情を言えますか。言うとどのような仕返しや苛めがあるかと考えると、たいていの人は苦情を言うことをしないでおくものだ。それを考えると、この10倍ほどの暴行などの苦情があるのではないかと推察できる。
 しかしお役所回答というのか決まりきった官僚語で答えている。250件の申し立てがあって、ただの一件もそうした事実、もしくは行過ぎた暴行などが無かったと言うのだろうか。それが法を守る法務省の言う言葉なのだろうか。
 刑務所に入っている奴らは悪い奴らだから、どのように扱ってもいいと思っているところがある。受刑者は弱い立場だから、なにも出来ないし何も言えない。言ったところでかくのごとく握りつぶされる。
 私はそうしたことに怒りを感じるし許せない。弱い立場と強い立場の人間関係で、絵に描いたように威張りくさり、日常的に暴行が繰り返されている。そして身内の法務省監査室は「何も無かった」と言うのである。これは戦時中の特高の体質となんら変る所が無い。そう正に特高と同じなのである。知らない人は現代はそんなことは無いだろうと考えるが、そうしたものであるということが最近明らかになってきている。
 刑務所でも警察でも不祥事に関して内部監査ではなく、外部の監査組織で調査するべきだと思う。イラクの大量破壊兵器の査察をイラク兵でやらせますか。そんな馬鹿なことしないでしょ。だったら外部監査組織を早急に作るべきだと思うのですが。

  3月10日  友達の定義

 以前にも書いたけど、友達の定義というものは難しいと思う。
 つまり「友達とは」という定義というかラインはそれぞれ違うから、誰が友達で誰が友達でないかということを各自で決めているので、友達のラインが曖昧になっているのだと思う。
 例えば「あなたは友達が何人いますか」と聞かれた時に「2〜3人」と答える人もいれば「メル友もいれたら1000人くらいかな」と答える人もいるだろう。それは各自が勝手な友達の定義をもっているので、こうした比べようもない結果となるのだ。
 ある友人は「なんでも話せるのが友人」といった定義をもっており、そうなると私には誰も友人はいないということになってしまう。その場所に同席していたもう一人の友人も「私もそうなってしまう」と言っていた。私も、もう一人の友人も全ての事を話せることができる友人はいないのである。だからといって友人がいないとも思っていない、
 このように友人のラインというものは、それぞれ独自の考えというかラインを持っていて、だから、自分が友人と思っていても相手が友人と思ってくれていないのではないかという不安が常に付きまとうのである。かといって友人のラインはこれです、といったふうには決められるものではない。
うーん、なかなか難しい問題だ。私はいつも誰かと会っている時に、そうしたかすかな不安を感じている。

  3月6日  国債

 個人向けの国債の売れ行きが上々だということで、けっこう人気があるのに驚いた。
 まあ元本割れしないし、国が保障してくれるから心配は無い、と考えているのだろうと思う。
しかし今、国債の累積額は466兆円という途方もない金額となっていて、それだけ借金があるのに更に借金を申し込んでいるようなもので、これが個人だったらとっても危なくて貸せるものではない。誰しも国に対して貸しているので心配は無いと楽観しているが果たしてそうなのであろうか。
 確かに元本割れしないかもしれないが、一千万貸していてインフレになったら、その一千万は500万の価値か300万の価値しかなくなるかもしれない。確かに一千万と利子の50万ですと言って返されても、その時は以前の一千万の価値は全く無くなっているかも知れない。そんなことあるものか、と言うかもしれないが、それは判らない。借りるだけ借りておいてインフレに仕掛けるかもしれない。そうすれば国の借金はチャラになる。
 先日行ったインドネシアの貨幣は1万ルピア(140円)とか10万ルピア(1400円)とかあって、ちょっと高額な買い物をしようとすると2000万ルピアとかいって、高額な金額を言っているようだが、実際はたいしたことはない。
 またトルコでは10万リラはなんと8円に値し、100万リラはたったの75円のことである。一千万リラは750円です。どうしてこんな馬鹿げた数字になったのでしょう。ここらへんにインフレの仕掛けがあったのではないかと推察しています。
 まあ日本がそんな仕掛けをするとは言いませんが、国というものはそんなに信用できるものでもありません。どのみち僕は国債を買うお金も無いのでそういう心配も無用なのですが。

  3月5日  話し上手

 話の上手な人との会話というものは楽しい。その反対に話下手の人との会話というものは苦痛に近いものがある。
 どういう点が違うのかといえば、まず話題の豊富さというものが基本であろう。話題の無い人は黙っているだけで面白くない。話題がなくとも質問をしたり関心をもったりすればいいのだが、そういう人はそれさえもしない。
 また自分の関心のある話しかしない人も退屈なものである。自分の話とか仕事の話を一方的にして、他の話題になると全く関心が無い顔をしているのも困りものである。こちらが関心があるのかどうかを洞察できなく、ただ話すだけで聞くことをしない人がいる。
 それに対してどんな話題でも受け答えができ、相手のレベルに合わせた話をして、正しく明瞭な日本語を使う人は聞いていても気持ちがいい。そういう人との会話の後では、何かを得たような気持ちになり、楽しかった時間という気分になる。
 会話というものは毎日おこなっているものであるが、その巧みさを考えている人は少ない。巧みなだけが良いわけではないが、心のこもった上手な会話というものは人の精神的なものに大きく貢献するものがあると思う。

  3月2日  普及品

 以前、棟方志功の版画を買ったので見せてくれるという、Oさんという年上の知人がいた。その時には私と、もう一人画廊店主がいて二人でかしこまって見せてもらったが、ひと目見てすぐに良く出来た印刷であることが判った。しかしOさんは本物と思い込んでいて「安く買った」と喜んで得々としている。
 私と画廊店主は何と言って良いか判らず、お互いに顔を見合わせていた。こういう時は困ってしまう。「印刷だよ」と言ってしまえば恥じをかかせ、ガッカリもさせてしまう。かといって「いいですね」などと言ってお茶を濁せば、いつまでも本物と思い込んでいるだろうし、我々も眼がなかったと思われるのもちょっと困る。
 画廊店主はOさんとの商売もあるので、真実であってもはっきり言えない立場でもある。そこで僕がさりげなく裏を見て(版画は裏を見れば真偽がはっきり判る)「かなりいい出来ですよね、オリジナルなら凄いですよね。」と当り障り無く指摘した。それでどうやら判ったようだが、その時は凍りついたような独特の空気が張りつめましたねえ。画廊店主もなんともいえない顔をしてました。
 それから別のある時は、藤田嗣治の版画だといって凄い立派な額に入れて「200万円はする」と言われて飾ってあった。その時には持ち主は居なかったのだが、やはり目を近づけてよく見ると印刷であることがすぐに判った。紙が汚れていたり破れている所まで一緒に印刷されているので、ちょっと見る人ならすぐに判るものである。しかしどうやら持ち主は判ってなかったようだ。喜劇であった。悲劇かもしれないが。
 美術品には絵でも焼き物でも、本人が本物だと思い込んで持っている場合がよくある。そうした時に指摘してやるのが良いのか悪いのか困る時がある。それらの作品は偽物というより普及品として制作された物なのであり、値段も安価なものなのだが、それが何処かを回ってる間に誤解曲解されて悲喜劇が生じてくるらしい。
 まあ何でも判っていない世界の物に多額の金を出さないことが一番だと思います。

  2月28日  新撰組

 来年の大河ドラマは「新撰組」ということになったらしい。楽しみである。
 幕末の新撰組は特別機動隊みたいなもので、もっと生々しく言えば殺戮集団のようなものであったともいえる。しかし、そうした殺戮集団に何故か人気がある。それはその活躍もさることながら、最後の武士たちの姿というものを後世に色濃く印象つけたからではないかと思っている。
 新撰組の主だった者たちはたいていは農民の出身であった。それゆえに尚のこと武士道というものを意識していたのだと思われる。外国が強行に押し入ってきて幕府の威信というものが弱くなり、薩長土などの藩がクーデターを企んでいる時期にその先鋒として働いたのが新撰組であった。彼らには強い思想などはなく、ただ主家のために命を投げ出すといった、武士道本来の節を通した姿勢が爽やかでもあり、滅び行く幕府と武士道というものに殉じたことが人気の理由ではないかと思われる。
 司馬遼太郎の「燃えよ剣」の本の中にこんな一節があった。
 「たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背を向けようと弓を引こうと、新撰組は裏切らぬ。最後の一人になっても裏切らぬ。」
 こういう男気というものにしびれるし、憬れもするし、信頼もする。
 どのような大河ドラマになるのか大いに期待している。

  2月26日  2・26事件

 今日2月26日は2・26事件の日でした。
 今からざっと70年も前のことですが、未だに全貌が公開されず不可解な点が多々残されているようです。今晩のNHKの特集でもその事件のことをやっていて、新たに見つかったり公開されたものを紹介していた。こうした謎の部分が少しずつ解明されてくるのというのは興味深いことです。
 これは昭和史の中でも大きな事件であるのに、軍部や天皇が関係しているので、その当時は勿論のこと、今でも閉ざされた部分が多くあるようです。私は一番の理由は天皇が何も語っていない、というところに不解明の原因があるのだと思っています。この事件だけによらず、戦時中の多くの方針の決定に天皇はどのように関わってきたかは触れてはならない問題とされてきている。
 司馬遼太郎も「ノモンハン」を書こうと準備したのだが、結局「天皇」まで言及しなくてはならなくなり、それが理由で書くことを断念したと語っていた。それほど「天皇」というのもはタブー視されてきていて、それが為に不明瞭な部分が依然として残されることになっているのだと思っています。
 昭和天皇は何も語らずに逝ってしまったが、語り伝えておくべきことが沢山あったのではないかと思っています。

  2月25日  嘘をつけ

 例えば取り調べられている犯人が嘘っぽいことを言ったら「嘘をつけ!!」あるいは「嘘をつくな!!」と刑事に怒鳴られたりする場面がある。
 以前からおかしいと感じていたのだけど「嘘をつけ」と「嘘をつくな」は反対の意味であると思うのだけど、どういう訳か同じ意味合いで使っている。   
 例えば「本を読め」と「本を読むな」ではもちろん正反対の意味であることは誰でも判っている。ところが「嘘をつけ」と「嘘をつくな」は全く同じ意味で使っていて何の不思議も感じていない。多分「嘘をつけ」という言葉の方が文法的にはおかしいのであるが、誰しも日常的に使っておかしいとは感じていない。
 まあこんな重箱の隅を突いて「おかしい」と思ってる人間の方がよっぽとおかしいのかもしれないが、どういう経過でそういうふうに使われたのか気になっています。
 まあ日常生活に支障をきたす訳でもないし、イラク戦争の流れが変る訳ではないのでどっちでもいいのですが、おかしいと思いません?

  2月23日  国民性

 先日、友人のホームページに次のような小噺が書かれていた。

 ロシア人、サウジアラビア人、北朝鮮人とニューヨーカーが 道を歩いていた。
 世論調査員がその4人を止めて質問した。
 「ちょっとすみません。肉不足に関するあなたの意見をお聞かせください」
 するとサウジアラビア人は
 「すみません、不足するってどういう意味ですか?」
 ロシア人は
 「肉って何ですか?」
 北朝鮮人は
 「意見って何ですか?」
 最後にニューヨーカーは
 「すみませんって何ですか?」
 と聞いた。

 これにはちょっと笑えましたねえ。といっても苦笑ですが。各国の特徴がよく出た話だと思います。
 これによく似た話で「ドイツからコメディアンが出ないし、イタリヤから経済学者は出ないし、アメリカから哲学者は出ないはずです。」という皮肉っぽい話もある。
 いずれもそれぞれの国民性というものを表しているのだが、我が日本はどのように表現されるのだろうか。どう転んでも、あまり良いようには言われそうも無く、苦笑いを禁じえないものなのであろう。でも自国を客観的に見るということも必要なことだと思う。

  2月20日  皇太子

 皇太子といえば私のテニスの友人に警察官がいまして、その彼は山登りもするので、皇太子が登山をする時には警護の一人としてピストルを持って一緒に付いて行くそうです。
 山での食事というものはたいていカレーと決まっていて、その警護の山男達も、その時は食事作りをするそうです。その彼がジャガイモを剥いている時に、近くに皇太子が居たので、言わなくてもいいのに「手伝ってくれますか」とジャガイモを差し出したそうだ。すると皇太子は「お剥きしましょう」と言ったそうだ。
 それが彼の自慢話のひとつで、まあこのあたりまでなら微笑ましいといえるだろう。この「お剥きしましょう」と言った言葉ひとつからも皇太子の人柄なり立場といったものが窺えるような気がする。
 皇太子などはお金の心配もなく、いつも美味しいものを食べているのだろうと思っていたが、四六時中誰か彼かに見られているといった安らぎのない生活は疲れるものであろうと思う。皇族の実態というか実生活というものはメデアにおいてもタブーなものがあって、ほんとうのところはなかなか伝わってこないが、それだけにこうした小さい話でも興味を持って聞いてしまう。
 ヨーロッパの皇族のように、もう少し人間らしいというか、平民的でもあったらいいのではないかと思うのだけど、まだまだお堅い日本ではそうなるには遠いことであろう。

  2月19日  かけうどんの謎

 バリ旅行報告はこれくらいにしておいて、また気がついたことや思い出したことなどがあれば、その都度書いていきたいと思います。

 今度バリに一緒に行ったSさんという女性は頭脳が大変良く、学習院を卒業なさっています。その彼女から聞いた話なのですが、ちょうど浩宮様と同じ頃に学習院で学んでいたそうですが、なんと浩宮様の毎日の昼食は学食の「かけうどん」であったそうです。
 それが本当に「毎日」がそうなのです。ちょっと信じられない話ですが、これは多くの学友たちも知っていることで事実のようです。
 彼は(彼なんて気安く言ってはダメですね。なにしろ皇太子様なのですから。)毎日、決まって何も入っていない「かけうどん」を嬉しそうな顔をして食べていたそうです。お財布というものは持っていなく、ポケットから小銭をチャラっと出してかけうどんを頼むそうです。
 学友たちでは「あの家はお金が無いんだろうか」とか「お金をあれ以上持たせてくれないのだろうか」とか「うどんが好きなんだ」とかいろいろの憶測が飛んでいたそうです。まさか「おい、うどん以外のものを食べたいので、ちょっと金を貸してくれ」とも言えないだろうし「何で毎日うどんばかりなの?」と聞けもできないだろう。
 なんだか俄かには信じられない話だが、そういうものはかえってマスコミなどには取り上げられないだろうし、それを何度も目撃した人達が言うのだから間違いはないだろう。なぜ皇太子が毎日うどんなのか、これは世紀の謎のような気がする。もうこれは本人に確かめることしかないと思うのだけど、じゃあ一体誰が聞けるのだろう。それに例え聞いたところで本当のところを答えるとも思えない。うーん、ますますもって謎である。何か深い真意があるような気もするけど、単にうどんが好きなのかもしれない。
 いつか将来、気楽に腹を割って話せることができる関係になったら聞いてみようと思っています。その時はまたここでその謎の解明を報告いたします。

  2月16日  哀しきバリ島

 バリ島はもともとGNPが低いところにもってきて、昨年のテロ事件があったもので、観光産業は全く低迷していた。
 多くの人々は仕事がなく、あっても多額のお金にならないものでしかなかった。町や村を歩いているとたくさんの人から声をかけられる。たいていは「タクシー?タクシー?」とか、今晩の踊りの「チケット?ダンスチケット?」を買わないかという誘いである。それだってわずかな稼ぎしかならないのに、ずっと道に立って声掛けをしている。あまりにも次々と声を掛けられるのが煩わしくなって「タクシー?」には「ジャラン、ジャラン」(散歩)と答え、「ダンス?」には「カッタ、カッタ」(買った)と答えて歩いた。それがだんだん面白くなり「タクシー」「ジャランジャラン」「チケット」「カッタカッタ」「タクシー」「ジャランジャラン」「チケット」「カッタカッタ」と即座に答えて楽しんで歩いた。
 まあそれにしてもなんとなく気の毒な気がして、どうして国によって人によって富というものが違うのだろうと思った。炎天下の下を重い荷物を担いで働いている貧しそうな老人などを見かけると、のんびり観光などしている自分が後ろめたい気がした。楽しくてやがて哀しきバリ島かな、という気持ちでしたね。

  2月13日  水田

 バリの景色というものは昔の日本の景色とよく似ているところがある。日本では椰子の木は生えていないが、水田があって牛を使って田植えをしている風景は懐かしさを感じる。一面の青々とした稲田は豊かさと安らかさの裏づけのように思える。
 夜になるとこの稲田に蛍が飛び交うというのでタクシーを使って行ってみた。蛍などというものを見るのは実に久し振りである。真っ暗な田舎の水田にはたくさんの蛍が飛んでいた。暗いせいか随分遠くの蛍の光まで見えた。フラフラと飛んできた蛍を何匹か捕まえ帽子の中で見ると、それがどうして光るのかが不思議な気がした。蛍は日本のと違って茶色い色をしていた。
水 田の水の匂いや、青い稲の匂いなどが懐かしくも心を平安にしてくれます。今様の言葉で言えば癒されるというのでしょうか。そんなバリらしい水田風景でした。

  2月12日  自分で作る道具

 かっての日本の村々もそうであったように、バリ島においても各村々によって産業工芸というものが違う。
 銀製品を作るチュルク村、バテックを作るトパティ村、絣のギャニアール村、木工製品を作るマスの村。その他ガムランを作る村、塩を作る村、石の製品を作る村など、ひとつひとつ訪ねて歩くだけでも興味はつきない。まさにバリ島は工芸の島と言ってよい。
 私は自分が木彫をするので、木工製品を作っているマスの村に関心があった。ただバリの木工芸のデザインは、日本人にとっては装飾過剰に感じ、凄いと思いながら辟易するものがある。
 マスの村も木工芸の店が軒並み並んでいて、少年から老人までが店の前か裏庭で鑿(ノミ)をふるっていた。その工芸技術たるや素晴らしく高度のもので、それが素朴な道具によって作り出されている。私は彼等が使っているその鑿に関心をもち、できたら購入したいと思った。それは全く一本の棒のようなシンプルな道具で、その大小の鑿と木槌だけでどんな作品も作るのであった。
 後で私の知り合いを通してその鑿を30本ほど買ってもらった。それはただの鉄板を切って落として焼きを入れただけのように見え、真っ赤に錆の粉が噴いていて、手に取ると茶色く汚れてしまった。まだ刃も付いていないし当然柄も付いてもいない。
 日本での道具というものは、買った時点ですぐに使えるように仕上げているが、どうやらここではこの錆まみれの鑿を自分で使いやすいように砥いで柄を付けるようだ。そういえば日本でも昔は道具というものは、半ば自分で作るものであった。規格品のように、自分が道具に合わせるのではなくて、道具を自分に合わせて作り上げるのが本来のものであった。
 ということで、いま手元にある錆だらけの鑿を自分で砥いで柄を付けてみようと思っている。どんな砥石が合うだろうか、どんな木で柄を付けようかと楽しみに考えている。そうして作った鑿はきっと自分にとって一生の貴重な道具となるに違いないと思った。

  2月10日  陽の光

 鳥の声で目覚めると、夏の朝のような清清しい空気と、陽の光の美しさを改めて感じる。
 バナナの葉を黄色く透かして光線は、低く斜めに差し込んでいる。私はその陽の光をまるで貴重な風景のように飽かずに眺めていた。朝の光がこんなにも清清しく美しいものだったのかと、なにか私は今まで思い違いをしていたかのような気持ちとなった。その光を言葉では上手く言い表せないが、ちょっとした驚きと疑問のようなものを感じた。
 智恵子は「東京には空がない」と言った。「本当の空が見たいと」言った。ちょうどそのような、毎日見ていた陽の光が「ほんとうはそんなものじゃあないんだよ」と言われたような気がした。
 この清清しい陽の光は何故なのだろうと思った。とっぴな考えかもしれないが、神々が居るからではないだろうかと思った。かっては存在していた日本の神々も、人々の不信仰や物欲や騒々しさのために何処かに行ってしまわれたのではないかと、冗談でなく考えた。そう思わせるはどにここには自然や静けさや安らぎや神々が確固と存在しているかのようだった。
よ く「現代人が忘れてる」あるいは「日本人が失ったもの」などということを聞くが、確かにここに来るとそれが何であったかということが教えられる気がする。たいていの人が忘れたり、気がつかなかったり、そんなものだと思ったりしているものが「空ではない」と智恵子が看破したように、私達も「本当の空」を今一度認識しなくてはならないのではないかと思った。

  2月9日  貨幣の単位

 インドネシアの一番の面倒さはルピア貨幣の問題である。
 一度行った人はその煩わしさが記憶にあると思うが、とにかく貨幣単位が大きいのである。1万円を両替すると73万ルピアになって戻ってくる。4万円を両替したが292万ルピアもくれた。いっぺんにお金持ちになった気分である。金持ち気分はいいのだけど、支払いも大きな金額を要求されてかなり戸惑ってしまう。
 食事をして26万ルピアなんて言われるとギョッとしてしまう。「うーん、日本円では・・・いくらかなあ・・」と電卓を叩かなくてはならない。紙幣に書かれてある数字がべらぼうで、千、5千、1万、2万、5万、10万ルピア紙幣と、馴れないとなかなか理解して扱えない。仲間内でも「さっきの食事代3万ルピアね」と言うと30万ルピアをよこしたり、とにかく1万と10万が間違いやすかった。
 日本人がそれに戸惑って間違えるからか、ずるいバリ人はゼロをひとつ多く言って誤魔化そうとすることがある。私も葉書を出そうと思って切手を5枚買う時に35000ルピアなのに350000ルピアと紙に書かれて、危うく誤魔化されるところであった。また両替の時も相手が間違えた振りをして、小額の紙幣をよこしたりするものだから油断ができなかった。
 小額のコインがあるにはあるがあまり流通しておらず、小銭のお釣りは飴玉でくれたりするので、かばんの中に随分と飴玉が溜まったことがあった。
 一度貨幣の単位を見直して小さな数字にしたらいいじゃないかと、誰しもが思う。しかし他所の国のことでもあるので「大きなお世話」と言われるかもしれない。でもこの問題がなくなると観光客の神経の煩わしさが随分違うのですがねえ・・。

  2月7日  テロの影響

 バリ島は昨年のテロ以来観光客が激減し、どの町も閑散としていた。
 島の人々は相変わらず平和で穏やかな暮らしをしていて、どうしてここでテロを起こさねばならなかったのか疑問と怒りを感じた。お土産屋のおじさんもタクシーのお兄さんも、テロの話を聞くと一応に小さく頭を振って「お客さん、来なくなった。生活、苦しい。」と顔を曇らせていた。
 お土産の店は軒並みに並んでいるが、店の売り子達は退屈そうに時間を持て余していた。知り合いのマディ君の店を訪ねると「今日はまだ何も売れてない。昨日も何も売れなかった。おとといも売れなかった。」と実に気の毒な情況であった。日本人なら居ても立ってもいられないだろうと思うが、バリ人はおおらかというか危機感が薄いのか、それが幸いしてまだ穏やかな顔をしていた。
 ほんとうにウブドの町もクタの町も全くと言ってよいほど観光客の姿はなかった。時たま観光客を見かけると「おお、あれが絶滅したと言われる観光客じゃありませんか」と我々は冗談を言いあっていたが現地の人には笑えない冗談でしたね。
 観光でもってる島に観光客が来なくなったら、もうこれは基本的な死活問題であろう。「少しずつお客さんが戻ってきた」と言う人も居て、確かに我々が乗ってきた飛行機もほぼ満席であったから、これから良くなるのかもしれないとも思う。是非そうなってもらいたいと思った。閑散とした観光地というのは独特の寂しさを感じますね。

  2月5日  鳥の声

 28日よりバリに行ってきました。これからしばらくバリ日記ということで、思い出や感想を書いていきます。

 ホテルで目を覚ます前から、いろんな鳥の鳴き声が聞こえてきた。まどろんでる頭にその声はとても気持ちよく感じられた。
 バリは熱帯雨林のためなのか木々が成長するのが早いようである。島全体が豊かな木々で覆われている。その木々を棲家としている鳥たちにとっても、ずいぶん暮らしやすい環境であるのではないかと思われる。私は鳥についての知識は全くないが、それでもその鳴き声はおおいに自然を謳歌しているように感じられた。
 一緒に行った立石さんは、鳥の声があまりにも素晴らしかったためか「テープを流しているのかと思った」そうだ。そう感じたということはちょっと寂しい気もするが、まあそれほど美しい鳥たちの鳴き声であったという裏付けであるということにしておこう。
 そういえば日本で鳥の鳴き声で目が覚めた、という経験は忘れるほどしていない。バリの豊かな自然と鳥たちの声で、まず気持ちの良い朝を迎えることとなった。良い旅になる予感がした。

  1月18日  映画「花様年華」

 最近借りてきたビデオ映画は面白くないものばかりであった。
 面白いものはもうたいてい見ていて、残り物の中から何か良いものがないかなあと探すのだから、あんまり面白い映画に当たることはない。
 しかし昨日借りてきた「花様年華」という映画は久々に良かった。1962年の香港を舞台にした恋愛映画であるが、たいしたストーリーがあるわけでないが、フランス映画のようなすごく洒落た雰囲気と心理がよく描かれていた。カメラワークが良くちょっと真似のできない動きとアングルであった。また音楽が実に効果的に使われており、せりふなどよりずっと有弁であった。更にスローモウション効果がその雰囲気をよく表しており、いつもはたいてい戦闘シーンや銃撃シーンに使われるばかりだが、こうして使うととっても感じがいいなあと思った。そのうえチャイナドレスがまた良く、彼女がいろんな柄の服を着ているのだがそれだけ見ててもけっこう楽しかった。今度絶対に私の彼女にチャイナドレスを作ってやろうと思いましたねえ。
 「切符がもう一枚取れたら一緒に来ないか」
 「切符がもう一枚取れたら一緒に連れて行ってくれない」
 ここのシーンが良かったですねえ。見ていない人には判らないだろうけど。この台詞から台詞の間が一分半ほどあって、彼女のじっとした姿だけを映し続けているのです。日本映画ではこういうことは絶対に出来ないなあと思いました。是非ご覧下さい。お薦めの映画です。ただし大人でないとその良さは判らないでしょうけど。

  1月17日  確定判決

 中村喜四郎議員の汚職問題で、上告を棄却され実刑が確定することとなった。
 そういえばそういう議員がいたなあと思ったのだが、彼がまだ議員であるとは思っていなかった。この事件は9年前に発覚して逮捕されたものであるが、その9年間、中村議員は国会議員としてやっていたということに驚いた。つまりその間2度の選挙があったのだが、その都度彼は当選していたということに、彼を投票した人達の奇妙さに驚きを感じた。どういう考えがあってそうした汚職疑惑の代議士に投票するのだろうか。それともよっぽど損得の深い関係があるのだろうか。当選される議員も議員だけど、投票する有権者も有権者だと私は不快に感じた。そういう馬鹿な、あるいは損得で繋がった有権者が居ることが政治家を腐敗させ、ひいては政治まで腐敗してくるのだ。
 それと9年前に逮捕されて一審二審と有罪判決が出ているのに、どうして彼は自由な身であったのだろうかと不思議です。最高裁までいって確定しなければ実刑とならないのだろうか。その間自由であることがおかしいと思った。一般の犯罪人だと収監されたままで確定するまで自由は与えられないのだけど何か特別なのだろうか。そこのところがよく判らない。
 まあでもとにかく失職し、実刑を受けることになったが、彼はどのように考えているのだろうか。皆やってる事じゃあないかとも思っているのだろうか。自分だけが犠牲になったと思っているのだろうか。まさか心から悔い改めているわけではないだろうと思う。
 でもとにかく「これにて一件落着!」ということなのだろう。

  1月16日  東海地震

 昨日TVで東海地震の特集をしていて、何気なく見ていたのだが、この静岡県に大地震が来ることは必然であるらしい。このことは以前からも言われていることであるが、多くのデーターや研究の結果、2007年までに来る可能性が極めて高いらしい。こうしたことはいろんなところで言われていることであるが、誰しもいまひとつ自分の事柄とは受け止めていないようだ。
 これはどうしたことなのだろうと疑問に思った。東海大地震についての知識や意識や緊急性を持っていないからなのだろうか。それともどこかで自分のことではないと思っているのだろうか。来たら来たで仕方がないと考えているのだろうか。
 ここ藤枝は津波の心配はないかもしれないが、焼津や静波、相良など沿岸はその危険性が非常に高い。また浜岡の原発も地震によってどのような被害を受け、放射能がどのように漏れるかも予想がつかない。また富士山も噴火するかもしれないと考えられている。
 そういう事態が必ず来るというのに人々は毎日同じような暮らしをしていて、明日もその日常が続くと考えている。私は昨日からこの静岡に住んでいることがとても恐くなってきた。まるで必ず落ちる飛行機に乗っているようなものだと思った。そういう飛行機からはいち早く飛び降りたいものである。しかし私を含め人々はまだ大丈夫だと思っている。そしてとうとうある日それはやって来て、自分と家族の命を奪い、家を倒し、平和だった日常を破壊するのである。
 それを考えると緊急にこの地から脱出しなくてはと考えるようになってきた。住み慣れた家を捨て、仕事を捨て、築き上げた交友を捨てても命に勝るものはないですからねえ。困った大きな問題です。

  1月15日  教えの期間

 人に影響を与える人とはどんな人なのであるのか、以前から関心があった。
 その人のどういうところに、人は学ぶのだろう。しかしそういう問題は一口に言えるものではなく、それだけで厚い本にでもなりそうなテーマであって、こんな簡単な日記で述べられるものではないだろう。
 ただ昨日なんとなくイエスのことを考えて、彼は30歳の時から教え始め、その宣教活動は刑死するまでわずか3年半であった。たった3年半の間に教えたことが多くの弟子たちを生み、その教えはすぐに広まり、多くの殉教者を出しても拡大し、この2000年間のあいだにイエスの教えというものは何億人という人の心の中に息づいてきた。その影響力というものは信じられないほどのものであるが、彼の何がそのような力があったのだろうかと、改めて考えることがある。
 また吉田松陰は有名な松下村塾で教えた期間は、これもわずか1年7ヶ月でしかなかった。しかしその弟子たちには高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文などの逸材が育ち、彼等のエネルギーが倒幕し明治維新を招来したともいえる。
 更に北海道農学校の「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士は、その在校期間はたった8ヶ月でしかなかった。しかし今尚その教えは受け継がれ、初期生徒達のなかには新渡戸稲造、有島武郎、内村鑑三などの精神性の高い人達が輩出した。
 こうしてみると人に影響を与えるということは期間的なものではないと判る。そこまでは判るのだが、それでは何が人を目覚ますのだろうとなると、一口では言えない領域に入ってしまう。しかし是非ともその核心を知りたいと思う。もちろん簡単に判るわけはないし、例え判ったところで自分がそれを実践できるわけでもないのだが、そうしたことを考えて知ろうとすることが大切なことではないかと考えている。

  1月13日  戦艦三笠

 えー、まだ続きの話なのですが、その「坂の上の雲」の本の内容があまりにも良かったために、一度それに出てくる戦艦三笠を見たいと常々思っていた。日露戦争で活躍したその戦艦三笠は、今は横須賀の岸壁で永久保存されていることは以前から知っていた。
 2年くらい前に東京に行く用事のついでに、時間を割いて横須賀まで立ち寄ってみた。知らなかったのだがJRの横須賀駅というのは随分町外れにあって、京浜の横須賀駅が町の中心にあったのだ。お陰でJR横須賀駅から保存してある三笠公園まで暑い中を随分歩かされてしまった。途中何度も聞きながら、ようやく三笠公園まで行くことができ、行く手に戦艦のマストが見えた時にはなんだかとっても感動を覚えてしまった。
 自分と何か特別深い関わりがある訳ではないのだが、その戦艦三笠の背景の物語を知ってるだけに、長年出会うことを待ち焦がれていたものにようやく出会ったような、そんな喜びに似た感動があった。
 三笠は思ったよりも随分小さく、これが日本海でロシアと国の存亡を賭けて戦った旗艦かと疑うほど小さかった。船のあちらこちらには、その時に受けた砲弾の傷跡が今でも残っていた。艦長室や士官室などは展示室となっていたが、当時の雰囲気がそのまま残っているようだった。艦橋に上がって、東郷平八郎が立っていたと思われる場所に私も立って当時を想ってみた。東郷をはじめ幾多の明治軍人達が、この場所で何を考えどう戦ったのかを思い、そしてその時の砲弾の音や人々の喧騒なども聞こえてくるようだった。
 当然のことながら、歴史を知らなければその歴史の現場に行っても本当の歴史を感じることはできないと思った。私にとって戦艦三笠は立ち去りがたい歴史の現場であった。

  1月12日  続「坂の上の雲」

 昨日の続きだが、私の父も海軍の軍人であったので、日本海作戦には大いに関心があって、あの「坂の上の雲」の本をよく読んでいた。
 私もいつか借りて読んでみようと思っていて、ある日「その本を貸してくれる?」と聞いたら「ああ、いいよ」と軽く貸してくれた。見ると全6巻の内の6番目の本であって「第1巻は?」と聞くと「それしかない」と言うのだった。私はちょっと驚いて「エー、なに第6巻だけ読んでたの」と言うと「そうだ」と言うのだ。
 私はちょっと唖然とした。長編小説の最後の部分だけを買って読んでるというのは少し奇妙な感じがした。もちろんそれがクライマックスの部分であるのは判るけど、その所だけ読むという人はあんまり居ないように思われる。父も全巻を読みたかったのであろうが、全巻を買うだけの余裕がなかったのか、あるいは質素の気持ちでそうしたのかよく判らなかったが、なんだか可哀想な気がした。
 そういう気持ちもあって私は第1巻から5巻までを買って揃えた。父は喜んでそれを何度も読んでいたようだった。その本は今は私の書棚に並んでいるが、全巻の内、第6巻だけが父が買ったものだなあと、時々思い出す。
 まあ購入経過はどうであれ、作品の内容は素晴らしいものであり、私はそこから多くのものを学んだ。

  1月11日  「坂の上の雲」

 司馬遼太郎の長編小説の「坂の上の雲」がNHKで映像化されるそうだ。
 以前から映画やTVの話があったのだが、作者が「軍国主義と取られるおそれがある」として映像化を拒んできたのだが、今回「大河ドラマスペシャル」として制作がなされるらしい。私としては嬉しい限りで期待も大きい。しかしよくあることだけど、期待が大きいだけに、期待外れということも充分ありうる。今回は是非そうであってほしくないと思っている。
こ の小説は二度ほど読んだが、その歴史内容と共に明治の人々の生き様がよく描かれており、感動的な本であった。誰がどの役をやるかなど決まっていないし、だいたい放映が3年先だということである。しかしファンとしてはあの人物は誰がやるのが適役なのだろうと、今から大きな関心を持って見守っている。
 是非とも重厚で爽やかな作品を作ってもらいたいと思っている。

  1月9日  正確な言葉

 今日の新聞にどこそかの会社が23億円もの申告漏れがあったと報じていた。そういうニュースは嫌というほど聞いているが、その都度「申告漏れ」という言葉にひっかかってきた。「申告漏れ」と言えば、いかにも申告をすることをウッカリ忘れていたような感じに受けるのだが、ナニ、有り体に言えば「脱税」なんだろう。それを申告漏れなどというぼかした言い方が気に食わない。はっきりと何故「脱税」と書かないのだろう。
 以前にも書いたけど、何か不祥事が発覚したら、その役員達は「まことに遺憾に思っています」なんて他人事のように、そして全然詫びてなどいないような感じを私は受けるのだが、皆はどのように感じているのだろうか。この「遺憾」という言葉の響きがよくないと思う。この遺憾を辞書で調べたら「十分な結果が得られなく、心残りがする様子」とあって、どこにも謝罪する気持ちなどは入っていない。どうりで謝ってなどいない雰囲気だと思ったよ。
 最近、言葉というものについこだわるようになってきた。特に正しい言葉使いというものに関心があって、自分では全然出来やしないのに、人の不明瞭な言葉というものにいちいち引っかかる。  そういうことが良いことかどうかは知らないけど、とにかく正確な言葉と言うものが私は好きです。

  1月8日  自負心

 昨年の暮れとこの正月に自負心の強い友人が次々と来て、気分的にちょっと疲れた。
 自負心そのものは決して悪いものではないが、それは自信過剰や独りよがりなどとよく似ている。つまり行き過ぎると、自分の考えややり方が正しいと思い込み、他の人の言うことなどは耳に入らないのである。
 どうも話を聞いていても呆れる思いがするのだが、本人は滔々と喋っている。何度もいろんな方法で話の腰を折ろうとしたのだが、それに気付いた様子はない。そして全て自分の言いたいことを言ってしまわないと気がすまないようである。それは私に聞かせるというより、自分自身に聞かせて満足を得ているようであった。
 そういう人の話を聞かされていると気分的に疲労するものである。反対意見を言っても、なまじ自負心があるものだから人の意見など聞かない。私の意見が正しいとは言わないが、そうした人にはどうして判らせることができるのだろうか、その方法が見当たらない。
 悪いけど、その友人が帰ったら「たまらんなあ・・」と呟き、ガックリ肩の力が抜ける思いがした。

  1月6日  佯という字 

 羊年にちなんで考えたのだが、「人」という文字と「羊」という文字を合わせれば「佯」という文字になる。この「佯」(ヨウ)という文字はあまり良い言葉ではなく「いつわる」とか「あざむく」という意味があるらしい。佯言とか佯死などという熟語があるが、それらは全て偽りのとか振りをするという意味が含まれている。
 人と羊で偽るなら、これは当然人が温和な羊の真似をしているということなのであろう。まさか羊が人の真似をする訳ではないだろう。温和な羊を装うということは翻って言えば、それだけ人というものは悪どいものであるということになるのだろう。そういう人間が羊のように装って何かを企むことを佯というらしい。なんだか人と羊の文字でそうした意味になるのは情けない気がする。
 聖書の中でも羊という動物は従順で、神の選民に例えられて使われている。大昔から羊は良き動物で人は悪しき生き物と決まっていたらしい。なかなか考えさせられる文字でした。

  1月4日  本を読む

 今年はすこし本を読もうかと考えている。
 どうも2年前からパソコンを始めて以来、本を読む時間というのが少なくなってきている。まあそれだけパソコンというものが面白くもあって、その前に何時間も座っている人もいると聞いてる。TVと同じような魅力と性格があって、いつまでも向かい合ってしまうという癖がついてしまう。
 自分の本棚を見ると、いつか読もうと思って買っておいた本がけっこうそのまま積読となって並べられている。それなのに書店や新聞で新しい本を見るとまた読みたくなる。そうした気持ちも悪くはないが、読もうと思っているだけでは読書は進まない。
 ということなので、今年は極力本を読み進んでしまおうと思っている。まあもちろん読み切ってしまうことが良いこととも言えなく、そこから充分な糧を吸収することが大事なことであるのだが、とりあえずはまず読んでしまおうと思っている。

  1月2日  テレビ番組

 正月だというのに何も見たいTVがない、と母が嘆いていました。まあ確かにたいして見たい番組というものはなく、くだらない内容の番組ばかりのように感じました。どうしてあんな無内容な品のない番組ばかりなのだろうと疑問に思うが、それは結局視聴率の問題で、その視聴率が高ければスポンサーも付くし、TV局だってそうした番組を作り続けるだろう。そうしてまたつまらない番組が流れることになる。
 それはつまり我々視聴者のレベルが低いからなのであって、詰まらないと思う番組は見ないで、内容のある番組ばかりを見ていたら、視聴率というものが逆転しTV局だって視聴率の高い番組を作るようになるだろう。
 しかしそれは理想であって絶対にそうはならず、TV局は依然と下らない番組を作り、人々はそれを面白がって見続けるのだろう。
 それで仕方ないので昨日の午後は以前録画しておいた「街道をゆく」シリーズをまとめて母と見ていました。なんだかその方がはるかに内容と感動があって勉強にもなりました。
 TVが良いか悪いかなどいちがいには言えず、全て見る側の知的意識によって変ってくるものだと思っています。

  1月1日  新年

 静かな新年である。まあ新年というものは、いつでも静かではある。新年早々経済の動きも犯罪もないだろう。
 しかし静かなのは今だけであって、今年も激動というか、慌しい年になるに違いないと思っている。
 今年はどういうことを抱負にしようかと考えている。昨年もそれなりの抱負があって、多少意識して一年を過ごしたのだが、その抱負については誰にも言わなかった。今年も誰にも言わないでおこうと思っている。抱負を持ってもあんなものかと思われると少し恥ずかしいし、事実まだ何も決まっていない。
 ただ先日友人と話している時に「質素な生活は豊かでないとできない」という言葉がとびだし、その通りだなあとずいぶん感心してしまった。質素な生活というものは以前から関心があったのだが、私の場合はやむをえず質素な生活を強いられていて、豊かな心を持って質素な生活をするのが、なかなか上等でいいなあと思った。しかしそういうものはそう簡単には出来やしない。もっと簡単に一年くらいで出来る目標を探しているところです。
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