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2009年7月29日 (水)

大津市民みんなに知っていただきたい歴史

大津には、長崎型原子爆弾「ファットマン」の模擬爆弾「パンプキン爆弾」が昭和20年7月24日に投下され、犠牲者数は「米軍資料・原爆投下報告書-パンプキンと広島・長崎」(1993年,東方出版)出版のために編集された表のデータをみると『大津市石山,東洋レーヨン滋賀工場において 死者14(15)名、負傷者250(104)名』とあります。「湖国に模擬原爆が落ちた日 滋賀の空襲を追って」(2009年,サンライズ出版)によりますと『死者16名(従業員、海軍軍属・軍人)、重軽傷者104名(従業員、徴用・動員学徒)とあるが、犠牲者はよくわからない。』とあります。

7月25日から8月30日まで開催される『戦争と市民~湖国から平和へのメッセージ~』(大津市歴史博物館)で販売されている資料を購入いたしますとその61頁に「東洋レーヨン空襲被害報告書」が掲載されており『死者16名、重傷者13名』とあります。

東洋レーヨン滋賀工場の当時の従業員数は昭和20年時点で約3,800人が働いておられ、当時は軍需工場としての運用がなされ、92式魚雷を製造していたそうです。このような軍需工場の空襲被害は敵に決して知られてはならない秘密事項でありました。ですから、いまだに正確な数字がどれであるのかわからないというのが現状のようです。

その、石山に模擬爆弾を投下したのは、アメリカ陸軍航空隊、第509混成部隊、第393爆撃戦隊所属であるB-29長距離通常爆撃機「ストレート・フラッシュ(英:Straight Flush)」であり、その爆弾の模型が、現在大津市歴史博物館で展示されています。

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この爆弾↑投下については、私の過去ブログ↓

2008年8月 9日 (土) 日本国土が実験場であった

をあわせてご覧いただければと思います。

そのようなことを詳しく知るのに、このような本がおすすめです。

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↑湖国に模擬原爆が落ちた日 滋賀の空襲を追って 水谷孝信著 サンライズ出版

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↑この階段を登ると大津市歴史博物館です

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私は、この企画展に2つの興味がありました。ひとつは前述した「パンプキン爆弾」、もうひとつは「軍都・大津」であります。

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↑大津市歴史博物館から琵琶湖側を望むこの地域は、明治8年から大正14年まで大日本帝国陸軍歩兵第9連隊が駐屯し、そのうち第3大隊のみ引き続き昭和4年まで駐屯します。再び昭和6年から昭和9年まで第3大隊が駐屯しますが、その後空き家となります。その後昭和12年には臨時大津陸軍病院が設置され昭和18年には敷地北側に移転、空いたこの地には昭和18年、大津陸軍少年飛行兵学校が設置されます。昭和20年8月15日の敗戦後、今度は同年10月に占領軍(GHQ)が進駐し、昭和32年6月30日の返還までの83年間もの間、軍事用地として運用されたのでした。

※第16師団歩兵第9連隊は昭和19年12月8日、レイテ島において玉砕

第16師団(サマール島含む)
参加者 18,608
戦死者 18,028
師団長 牧野四郎中将戦死

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↑出典:『新詳日本史図説』 浜島書店 2000年

このほかにも、現在の大津駐屯地には「大津海軍航空隊」が、唐崎駅周辺には「滋賀海軍航空隊」が、比叡山山頂には「桜花特攻基地」が、長等小学校には「大津連隊区司令部」が、職業安定所付近には「憲兵隊」が、西武百貨店付近には「天虎飛行研究所」が存在しており、まさに「軍都」でありました。

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そのようなことを詳しく知るのに、このような本がおすすめです。

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↑続 軍都・大津 中島峰夫著 ウインかもがわ

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↑戦争と市民 大津市歴史博物館著 大津市歴史博物館

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さて、この企画展では写真撮影をしても良い箇所が準備されています。

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↑わたしが特に興味深かったのは、この回覧であります。(故山田豊三郎家蔵)

大津市役所から住民に向けての回覧で、市役所にて白金(プラチナ)の買取を行うという内容であります。「白金は飛行機・軍艦・戦車・大砲等の近代科学兵器や強力な爆薬を造るためにはどうしても必要な資材なのであります。この際、皆さんがお持ちの白金を残らず国家のお役に立てて下さい。左記の通り即金買上を致します。・・・」

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↑この時計は、大津市議会副議長堀井幸男氏蔵であり、24時間表示となっております。当時の大本営のラヂオ放送は例えば「午後1時=13時」と表現されていたそうで、その表現に合わせて作られた時計なのだそうです。

(今でも自衛隊では、例:午後1時=ヒトサンマルマル と表現しています。)

目片市長は本年7月1日付で「平和市長会議」に加盟されました。そして“平和”を考える上で避けることのできない、戦時下の暮らしなどをテーマとした企画展が開催されたことは、たまたまタイミングが重なっただけとは言え、評価できるものであります。

このように、平和について「願う」だけではなく能動的に活動していくことが、平和構築に不可欠であります。

また、大津市には、陸上自衛隊大津駐屯地がありますが、新隊員や陸曹教育などを主に行っております。

彼らは、教育を終えると日本各地の駐屯地へ補充(復帰)されるわけでありますが、「平和なときに自衛官は何もしていない。」と幸せな想像をされる市民が多い中、実は「任務を粛々と遂行しているから平和が保たれている。」ことに気づく市民のいかに少ないことか。

日本は小さな島国であり、資源も食糧も約1億3,000万人分は自国で賄えませんから、輸入に頼ります。

空路・航路での資源輸送がわが国の平和と繁栄をもたらしますが、その安定供給に自衛隊と海上保安庁の努力及び同盟国の協力があります。この努力・協力を知らずして平和は語れません。

しかし、歴史を紐解くとき必ずしもそうとは言い切れないということも確かであります。

為政者の判断や周辺国の思惑が、時に不安定な情勢を招きます。

我々市民は、人に(マスコミに)与えられた情報だけを鵜呑みにせず、良書にめぐり合い、歴史を学び、自らの思考で自らの判断を行うことが大事であります。

平和は願うだけではかないません。

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ちなみに、戦後日本を形成したGHQの占領政策を知るには、次の本がお薦めです。

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↑占領下日本 半藤一利 竹内修司 保阪正康 松本健一著   筑摩書房

宮尾 孝三郎

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