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“土俵の鬼”初代若乃花・花田勝治さん死去

 1960(昭和35)年3月20日、「名人横綱」栃錦と「土俵の鬼」若乃花(初代)が、史上初の横綱同士の千秋楽全勝対決。若乃花が栃錦を寄り切った
 1960(昭和35)年3月20日、「名人横綱」栃錦と「土俵の鬼」若乃花(初代)が、史上初の横綱同士の千秋楽全勝対決。若乃花が栃錦を寄り切った

 「土俵の鬼」が力尽きた。大相撲の元横綱初代若乃花で、日本相撲協会元理事長の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、腎細胞がんのため東京都内の病院で死去した。82歳だった。花田氏は昭和30年代前半に、横綱栃錦と「栃若時代」を築き、優勝10回を記録。05年5月に死去した元二子山親方(元大関貴ノ花)の兄で、3代目若乃花(現タレント・花田勝氏)、貴乃花(元横綱貴乃花)の兄弟横綱の伯父にあたる。東京都杉並区内の自宅では、角界関係者が次々と弔問に訪れた。

  ◇  ◇

 「土俵の鬼」が永遠の眠りについた。戦後の相撲界の黄金時代を築いた花田氏は、日本の復興の象徴的存在だった。横綱時代、全盛期でも体格は身長は178センチ、体重は105キロほど。小兵ながら、豪快な上手投げや、荒技の呼び戻しでなぎ倒す姿は、相撲ファンを魅了した。

 青森県で生まれ、少年時代は大型台風で一家は大打撃を受けた。10人兄弟の長男で「わしの両肩には家族の生活がかかっている」が口癖。46年秋場所に若ノ花のしこ名で初土俵を踏んだ。通り名の「土俵の鬼」が、全国に駆けめぐったのは横綱昇進をかけた56年秋場所だった。

 場所直前に長男が、部屋のちゃんこ鍋で負ったやけどが原因で死亡する悲劇に見舞われた。首から数珠をかけて場所入り。心労に耐えながら12連勝したところで、へんとう炎が悪化した。結局、優勝をささげられず、横綱も逃したが、悲劇性は日本中の涙を誘った。「若ノ花物語・土俵の鬼」という映画も作られた。

 58年初場所後に横綱に昇進。ライバルの栃錦とは「栃若時代」と呼ばれる黄金時代を築いた。本割での通算対戦成績は若乃花の15勝19敗。優勝は栃錦と並んで10回を記録した。62年夏場所前に34歳で現役を引退し、年寄「二子山」を襲名。2代目若乃花、隆の里の両横綱や、貴ノ花、若嶋津の両大関ら、多くの名力士を育て上げた。

 相撲協会でも重職を歴任した。審判部副部長時代の75年春場所では、実弟の初代貴ノ花が初優勝した際に優勝旗を直接授与し、“鬼の目”に涙を浮かべる姿が話題となった。88年2月から理事長に就任。立ち合いの正常化を目指し「待った」への制裁金を導入。退任する直前の92年初場所には初優勝したおいの貴花田(現貴乃花親方)にも天皇賜杯を授与した。

 93年3月の定年退職後は相撲博物館長を務めていたが、96年9月に「二子山」の名跡売買問題に絡んで館長を辞任した。昨年あたりからは体調を崩して入退院を繰り返していた。短命が多い歴代横綱にあっては長寿で、83歳で亡くなった初代梅ケ谷に次いで2番目の長寿だった。昭和の名横綱がまた一人、天国へ旅だった。

(2010年9月3日)





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