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2010年9月 2日 (木)

「土俵の鬼」の思い出

 元横綱・初代若乃花の花田勝治さんが1日午後5時25分、腎細胞がんのため都内の病院で亡くなりました。82歳でした。

 一夜明けた2日は、報知を含むほとんどのスポーツ紙や一般紙が一面で報道。協会を退職されてからずいぶんたつのに、改めて存在の大きさを感じさせられました。

 「三丁目の夕日」の時代、昭和30年代には栃錦との「栃若時代」を築いて、熱戦で高度経済成長期の国民を熱狂させた名力士。引退後は、日本相撲協会理事長も務めました。

 「若・貴」にとっての伯父さん。2005年に先に亡くなられた元大関・初代貴ノ花のお兄さんです。

 私が大相撲を担当していた時には、すでに協会を定年退職されていたので、ほとんどご本人を取材したことはありません。ですが、2004年夏に一度だけ杉並区のご自宅へすっ飛んで駆けつけた思い出があります。

 若・貴の父、当時の二子山親方(元大関・貴ノ花)の花田満さんが重病にかかられたことが明らかになり、病状を取材していた時期でした。しかしお兄さんの勝治さんも大腸がんに罹られて入院していたことが判明。「ひょっとしたら兄弟ともに亡くなられてしまうかもしれない」という憶測が流れました。

 ある夜、品川駅前で後輩記者たちとビールで乾杯しようとしていた時に「勝治さんが亡くなられたらしい」という裏情報が流れました。病状が悪く、すでに高齢でしたから私も「あり得る」と思って、ビールに口をつけずに杉並区のご自宅へ向かいました。

 呼び鈴を鳴らしておかみさんに聞いてみました。すると当惑された顔で「いえ、ピンピンしておりますが」というお返事。単なるデマ情報だったわけです。

 しかしあとで取材したところ、だいぶお体が衰弱していたのは事実だったんですね。

 そんなことがあってから6年。復活して元気で過ごしていらしたのはやはり、体力、精神力も常人とは違うのではないかと感じました。その翌年の2005年に先に亡くなられたのは弟の花田満さんのほう。勝治さんが葬儀に出席されていたことも覚えています。

 1971年生まれの私は「土俵の鬼」の現役時代は映像を通してしか知りませんが、足腰の強靭さは今のモンゴル力士たちを上回っていると断言していいと思います。攻防の中での腰の粘りが今の力士たちとは別次元なのです。

 相手を土俵に叩きつける「仏壇返し」の迫力は、朝青龍の比ではないでしょう。179センチ、105キロは昭和30年代から小兵と言われていたようですが、今の力士とは格が違うのではないかと感じます。

 私が相撲担当になった頃は完全にご隠居だったので、取材に応じられることはほとんどありませんでした。最近の相撲界の体たらくをどうお感じになって旅立たれていかれたのでしょうか。

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甲斐毅彦

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