東京地裁の判決 2    冨永氏天羽氏の実験の欺瞞

2010.09.01



山形大学天羽優子准教授は、お茶の水女子大学冨永靖徳教授(2010年3月退官)が2008年に神戸地裁に提出した実験報告書を、東京地裁に証拠として提出し、陳述書で以下のように述べた。




2009年7月27日 天羽氏の陳述書 東京地裁







天羽氏は、冨永氏天羽氏の実験によって、水に磁力線を通しても水の性質には変化がないことが分かった、と明言している。

しかし現実には、2000年にダブリン大学のコーエイ教授は、水を磁力線の中に通したところ析出してくるカルシウムの結晶の構造が変化したと発表している。10年も前のことだ。7年前には北海道大学が、磁気で水の浸透性が良くなることや表面張力に変化が生じることを報告している。4年前には信州大学が磁気を通した水で、銅のさびが抑制されたと発表している。

これが科学界の現実である。

天羽氏の主張は、世界の科学と対立している。

そこで私は東京地裁で、冨永氏天羽氏の実験について天羽氏に直接質問した。




尋問調書  2009年11月26日 東京地裁











原理的に不可能な実験


磁気で水が変わったことを実験で見つけることはできる。
ダブリン大学も北海道大学も信州大学も、それをやった。

しかし「磁気で水は変わらない」ことを実験で見つけることは、原理的にできない。

いくらやっても、実験装置の測定限界を越える現象については分からないし、いくらやっても、すべてを尽くしたことにはならないからである。一般に、「不存在の証明」はできない。

冨永氏天羽氏それをやろうとした。できないことをやろうとした。そして、できたと言った。
3つの実験をやり、3つともネガティブな結果だったことから、磁気によって水は変わらない、と結論した。

しかしそれは、最初から原理的に間違っているのである。
実験を 3つやっても4つやっても10やっても、原理的に、十分にはならない。
実験で何かの不存在を証明しようと計画すること自体、科学者として間違いなのである。

だから尋問で、「3つの実験で十分なのか」と正面から問われて、天羽氏は「十分ではない」と答えざるを得なかった。科学で「十分ではない」とは「正しくない」ということである。

すべてを否定するのは無理だ、と天羽氏は述べた。

当然である。

3つの実験で否定できることは、仮に否定できたとしても、せいぜい3つでしかない。
それをあたかも全て否定できたかのように言い、したがって吉岡の説明は誤りであることが明らかになった、と天羽氏は裁判所に対して陳述したのである。

しかし天羽氏は、私に問われて、その間違いを認めざるを得なかった。

「水に磁力線を通しても、水の性質には変化がないことが分かった」という天羽氏の結論が間違っていたことを、天羽氏は認めたのである。


つぎに測定限界について聞かれて天羽氏は、「それは表現が一言足りなかっただけで、どんな実験でも測定精度の範囲内でしか議論できない」と、当たり前だと言わんばかりに答えた。

表現が一言足りない、で済むのか。

天羽氏の陳述書には測定限界についての記述がまったくない。

この陳述書を読んで裁判所は、「磁気で水は変わらないことが実験で証明された」と思うだろう。
なにしろ、はっきりとそう書いてあり、そうとしか書いてないのだから、そうなる。

科学者としてそれでよいのか。

そしてここで天羽氏は、「測定精度の範囲内」という表現で答えたが、その言い方が、そもそも極めて紛らわしいのである。そんな紛らわしい言い方ではなく、「測定限界」あるいはもっと分かりやすく「分解能」と言えばよい。

そして「分解能」と言い換えれば、冨永氏天羽氏の実験結果は簡単に理解できる。

天羽氏が言う、

「水を磁力線の中に通しても水の性質には変化がないことが分かった」(陳述書)
  
    + 「ただしどんな実験でも測定精度の範囲内でしか議論できない」(尋問での補足)


とは、すなわち

「水を磁力線の中に通して水の性質が変化するかどうかを見たが、実験装置の分解能が不足でよく分からなかった」

ということである。

ただそれだけのことである。

むろん、そんな実験にはほとんど意味がない。そこからどんな結論も出せるものではない。
そんな実験から、「磁気で水は変化しないことが分かった」などと結論できるものではない。

しかし天羽氏はそう結論した。


そのことを正面から問われて、天羽氏は以下のように答えざるを得なかった。


吉岡  あなたの測定で見えなかったから、そのような現象は存在しない、という結論は出せないということですね。

天羽氏  そうなります。


天羽氏は、自分が出した結論を否定せざるを得なかった。

いくつ実験をやっても、十分ではない。
いくら分解能を上げても、十分ではない。

不存在の証明はできないのである。




世界の研究を知らない天羽氏




磁気活水の存在については世界でさまざまな研究があるが、当方の弁護士の質問に対して、天羽氏は次のように答えている。






中略





10年前にすでにダブリン大学のコーエイ教授は、バルクの水に1000ガウス程度の弱い磁気を当てて、磁気を取り去った後にカルシウムの析出の仕方が変わることを報告している。そしてその現象は磁気を取り去ったあとも200時間以上続いたと言っている。

それは世界的に有名な論文で、磁気と水とについて研究している科学者なら、たいてい知っている論文である。


天羽氏の答弁で分かることは、磁気と水との関係について世界でどういう研究がなされてきたか、天羽氏は知らないということである。



冨永氏天羽氏の実験


そもそも冨永氏が2008年に神戸地裁に提出した実験報告書はどんなものだったのか。

以下はその抜粋である。




冨永氏の意見書(実験報告) 2008年 神戸地裁


図 1









図 2



図 3




勝手な理屈


磁気などで水が変わる現象について、そのメカニズムの仮の説明として「クラスター仮説」がある。
仮説とは、その現象がどうやって起きるのかという、仮の説明である。仮の話だし、単なる説明だから、クラスター仮説を否定したところで、磁気で水が変わるという現象そのものが否定されたことにはならない。別の仮説が必要になるだけである。

それに、仮にクラスター仮説が正しくても、それは部分的な説明にしかならないと思われる。それは水の浸透性が良くなることの説明にはなるだろうが、カルシウムの結晶の構造が変わることの説明にはなりそうもないからである。

だから、「磁気で水は変わるや否や」を議論しているときに、クラスター仮説を否定してみたところで、ほとんど何の意味もないのである。

しかるに冨永氏は、クラスター仮説を否定することで、磁気で水が変わるという現象そのものを否定できると、なぜか思いこんでしまっていて、「クラスター仮説を否定するための実験」という、なんとも見当はずれな実験をした。

冨永氏はまず、クラスターの変化は水素結合の変化と同じことだ、と勝手に決めつけて、クラスターの問題を水素結合の問題にすり替えている。
なぜすり替えるのか。それは冨永氏の研究室にあるラマン散乱装置で分かるのは、かろうじて水素結合の変化でしかないからである。

水素結合の変化を見ることでクラスターの変化を論じようというのが冨永氏の企図である。

しかし実は、下記のように天羽氏が書いているように、ラマン散乱で水素結合の変化を調べても、クラスターのことは分からないというのが学会の定説である。



http://atom11.phys.ocha.ac.jp/water/water_cluster.html
水商売ウォッチング 水のクラスター

天羽

したがってこの分野で実験をして論文を書いても、下手なことを書くと論文は却下(リジェクト)されてしまう。水のクラスターの話はそのいい例で
実は我々のグループでもラマン散乱(直接空間情報がとれない)の実験結果からクラスターというモデルで議論しようとした論文がリジェクトされている。


このあたりの事情を知っている、ラマン散乱に詳しい私の友人は、「学会で否定されている説をシロウト相手の裁判所に持ち込んでいいのか?」と疑問を呈している。



また、以下は2008年神戸地裁での冨永氏の証言である。








このように冨永氏は、クラスター仮説を躍起になって否定している。

また、水に変化があれば「必ず掛かる」と自分の実験装置の分解能が無限であるかのように証言している。

このような勝手な理屈を組み上げておいて、冨永氏は実験でスペクトルに差がなかったことから、

「ラマンスペクトルに差が無いことは、水素結合に変化がないことを意味し、したがってクラスターに変化はなく、クラスター仮説は否定され、したがって磁気で水が変わること自体が否定され、したがって磁気活水器はインチキであり、ゆえにそれを売る者は悪徳業者であり、悪徳業者が法律を守るわけがないから、自分が管理する国立大学の公式サイトに「あいつらが法律を守るわけがない」と相手を名指しで書いても、何の問題もないことが科学的に証明された」

と主張した


そしてなんと、神戸地裁はその主張をそのまま認めた。

裁判所の証言台で国立大学の教授が、「ウソはつきません」と宣誓した上で、「必ず掛かります」と証言したのだから、裁判官はそのまま信じただろう。

「必ず掛かる」ものが掛からなかったのだから、そんなものは存在しないわけだ。

裁判所が「現代社会の経験則に基づく裁判所の判断としては、そのような事象は起こらないと認めるのが相当である」(神戸地裁判決文)と判断したのは無理からぬことである。

冨永氏の証言を何度読んでも、普通の人はそういう判断になるだろうと思われる。


測定限界についてはまったく語られなかった。
その場で聞いていて、「こんなの、ありか?」と呆れたものである。




ラマン散乱法の測定限界


さて、実験結果として冨永氏は「実験誤差の範囲で全く変化がなかった」と言っている。
では、その実験誤差とはどのくらいか。

冨永氏は図1で、25度Cの水のスペクトルと50度Cの水のスペクトルと、100度C、200度Cなど、極端に温度の違う水のスペクトルを例として示している。

25度Cの水と50度Cの水で、なるほどスペクトルが違う。
25度も違えば、スペクトルも違って当然だろう。
しかし今の場合、磁気活水器を通したところで水の温度はほとんど変わらないのである。

それでも差が出るものなのか?

そもそも、どのくらいの温度差ならラマンのスペクトルに差が出るのか?

これは、冨永氏が例示したスペクトルを見て、誰もが感じるクエッションだろう。


そこで私は神戸の裁判で代理人を通じてそれを尋ねた。冨永氏は以下のように答えた。



原告代理人  
5ぺ一ジのグラフを示します。これですね,25度,50度,100度,200度という温度差によって,このグラフが変わるということを示しておられるんですけれども。

冨永 はい。


これは,今,25とか50とかいう差が出てますよね。

冨永 はい。

これは,温度差でいうと,どれぐらいの差があれば違いとしてグラフが出るんですか。

冨永 これは温度だけでなくて,圧力も変わってます。飽和蒸気圧曲線に沿っていますので。ここで示してるのは温度だけです。ですから,100度を超しても液体状態で存在するということは,温度と圧力が両方変わっております。

私の質問は,25度とか50度とか100度とかというんで,色違いのグラフが,違うところを線が走っているのは分かりますよね。

冨永 精密に測れば,数度変われば,このグラフの差は出ます。

例えば,1度であっても,0.5度であっても,精密に測れば出るということですか。

冨永 そうです,出ます。1度あれば,精密に測れば出ます。

1度あれば出るということですか。

冨永 はい。


冨永氏は最初に、「精密に測れば数度変われば差は出る」と答えた。

「数度」というのが本当のところだろう。

1度Cでも見えるかと問われて、見えると頑張ったわけだが、ともかく冨永氏の装置の分解能が「温度差が1度C以下では差が見えない」と特定された。
前述の天羽氏の尋問でも、1度Cならなんとか見える、ということだった。

水は温度が上がると膨張する。25度Cの水に比べて26度Cの水は体積が増加している。
それは水分子と水分子の間の水素結合の平均距離が伸びていることを意味する。
すなわち、25度Cの水と26度Cの水とでは、水素結合に明らかに差がある。

1度C という温度差は小さな差ではない。温度計で簡単に測れる。温度計で測って2つの試料に1度Cの温度差があれば、その2つの水には水素結合に差があると言える。

ところがラマン散乱では、その程度の「水素結合の差」がやっと見えるかどうかなのである。
温度計から簡単に推量できることが、ラマン散乱ではよく分からないのである。

一方で、磁気活水器を通したところで、水温はほとんど上がらないことが分かっている。電磁的エネルギーが加わるのだから温度は上がるはずだが、微小過ぎて測定は困難である。むろん1度Cも上がることはない。

ゆえに、磁気活水器で水素結合に変化が生じていたとしても、それはラマン散乱の測定にかかるほどの大きさではないと考えられる。

要するにラマン散乱法は、水に対する磁気の影響を調べるには分解能が低すぎるのである。
ラマン散乱法は今の場合、適切な実験方法ではないということである。



実はこんなことは、ふつうの科学者には初めから当たり前のことなのである。

「え、どうしてラマン散乱で見たんですか?何も分からないでしょ、ラマンじゃ。だって情報が少なすぎますからね」

これは冨永氏の実験について説明を聞いた、ある分光科学者の第一声である。



以下は2008年神戸地裁での冨永氏の証言である。







冨永氏には、「変化がないことは、買わなくても当然想像が付くこと」だったという。
ラマン散乱では分解能が低すぎて何も見えないのだから当然である。



「見えなきゃ勝ち」 というルール



ふつうの科学実験は、何かを発見しよう、解明しようとして行われる。

だから目的を達成するのに最適な実験方法と装置を選ぶ。
分解能はなるべく高い方がよい。測定も1回では終わらない。
測定できなければ方法や装置を改善して再度行うし、測定できても間違いないことを確定するために何度も同じ測定を繰り返す。

しかるに冨永氏天羽氏の実験は「見えなきゃ勝ち」という、むちゃくちゃなルールである。
自分の実験で測定できなければ不存在が証明されたことになる、というルールである。

冨永氏も天羽氏も、裁判で尋問されるまで、実験装置の分解能など気にした様子もなかった。
見えなきゃ勝ち、というルールだから分解能など気にしなくて当然である。
分解能はむしろ低い方がよいくらいだ。

そして1回測定して見えなかったら、それでおしまいである。
わざわざ、2度も3度も確かめたりはしない。
見えなかったら成功なのだから、それ以上やる必要もない。

「確かめないと説得力がないので」と冨永氏は証言している。
それは、確かめのたから説得力があるはずだ、という意味である。

冨永氏は、「磁気で水が変わらないことを証明した」 と本気で思っているらしい。




試料の温度

ところで試料の温度は実際は何度だったのか。

冨永氏は試料の温度は両方とも25度だったと書いている。測ってみたらぴったり25度だったというわけだが、ぴったりというのが不思議である。有効数字はいくつあるのか。25.0か、25.00か。どうやって測ったのか。何で測ったのか。ふつうのアルコール温度計を試料につっこんだのか。いつ測ったのか。測定前か、測定後か。


また、天羽氏は自分の弁護人の質問に対して、「2つの試料に温度差があると、温度差によるスペクトルの差が出てしまうので、2つの試料を同じ温度にした」と証言した。
以下は、原告代理人と原告とのやりとりである。








実験報告書にはまったく書かれていない新しい話で、唐突な証言だった。
これを聞いて疑問に思ったので、私は持ち時間の限られた私の尋問の中で、「温度を同じにした」という証言を再確認しておいた(前掲)。

弁護士が自分でこんな質問を思いつくことはないから、天羽氏が考えた質疑である。

しかし、物理実験をちょっとでもやったことのある人は、この証言に首をかしげるだろう。

試料の温度を同じにする作業は、かなりめんどうな作業である。
有効数字をいくつまで合致させたのか。恒温槽にでも入れたのか。
同じにするのにどのくらいの時間がかかったのか。

温度を同じにしたということは、同じにする前は違っていたということである。
どのくらい違っていたのか。なぜ違うのか。その差をどうやって測ったのか。

温度を同じにするために時間がかかれば、測定結果に影響があるはずである。
その影響をどう評価するつもりだったのか。


しかるに報告書には、「温度を同じにした」ことに関する記述は一切ない。
同じにする前には違っていたという記述もない。

それどころか、報告書のどこを見ても、冨永氏天羽氏が試料温度に注意を払った形跡はない。


そもそも温度については7年前に議論している。


2003年11月

天羽  
もし,分子の運動が活発になったというのなら,温度上昇として観測されるはずですけど。

吉岡  
温度は、原理的に言って上がっているはずです。ただし、それを観測できるかどうかは測定器の精度によります。



温度上昇はあるのが当然である。しかし測定できないだろう。

「あるなら観測されるはずだ」という天羽氏の言い方に、当時、「え、?」と驚いた記憶がある。

「あるなら観測されるはずだ」という考え方と、「測定されなかったものは存在しない」という考え方は表裏である。むろんどちらも間違いである。


以下は磁気活水を否定する天羽氏の理屈である。



天羽  

私が慎重になってる理由は,水や水溶液に磁場をかけても特に変化は生じない、ということをこれまでさんざん実験して知っているからなんですよ。実験屋の必需品としてマグティックスターラーというものがあるんです。磁石がモーターで回転する装置の上にビーカーを置いて、テフロンで覆われた磁石をビーカーの中に入れて、液体をかきまぜるのに使います。これで水溶液を作ったりするんですが、もし磁場で水の界面活性やpHなどが変化するのなら、ガラス棒でかき混ぜたときとスターラーでかき混ぜたときで、いろんな実験で違いが出てこないとおかしいんですね。
実験屋は忙しく、毎日世界中でいろんな条件で液体をかき混ぜているわけですから、何か派手な違いがあるなら誰かが必ず気付くはずです。でも、そういう話はこれまでにどこからも出てきてないんですよ。

天羽  

まず,今回発表された研究成果のほとんどは,10T級の超電導電磁石を使用した実験結果である。この程度の磁場をかけて,やっと観測できる現象が起きるということなのだ(特にバルク水)。磁場のエネルギーが磁束密度の2乗に比例することを考えると,永久磁石を使ったのでは見ることができない現象なので,いわゆる磁気活水器を使っても現象が起きるだろうという考えは捨てていただきたい。

天羽  

磁場で水が変わると主張するのは勝手だけど,その主張が既存の実験事実をどれだけ広い範囲でひっくり返すものかということを少しは考えて欲しい。
もしそれが本当なら,磁場の強い方ではこれまでに行われたNMRの(特に生化学関係の)実験は全滅,病院のMRIの検査に重大な副作用の可能性を意味することになるし,磁場がそんなに強くない方では,どこの研究室でも使っているマグネティックスターラーでかき混ぜた溶液を使った実験は全部信用ならないということになる。



「測定されていない事象は存在しない」「報告されていない事象は存在しない」という天羽氏の思考が現れている。

測定されていない事象、報告されていない事象は、まだ測定されていない、まだ報告されていないというだけのことである。それは存在しない、ということではない。

ガラス棒で攪拌するのと、磁力で攪拌するのとでは、実験結果は違って当然である。しかしそれは比較しないと見えない。だが世界中でまだ比較した人はいない。だから報告がない。それだけのことである。比較すればいろいろと面白いことが分かるだろう。それが科学研究である。


実際、先の磁気科学会のセミナーでは、磁気と生命現象との関係を調べようとして、その前提として水自体は磁気では変化しないことを確認しておかないと、生命現象までたどりつけないから、まずは磁気と水との関係を調べてみようとしたら、うむむむ、これは何だろう、ということになってしまって困っていますという、正直な発表もあった。

天羽氏が述べている「磁気で水が変わるはずがない理由」は、いくら並べ立てても理学の証拠としては何の理屈にもならない、まったく意味のないものばかりである。




冨永氏の結論の欺瞞

冨永氏は「実験誤差の範囲で全く変化がなかった」と言う。

実はこの表現が、まったくの欺瞞なのである。


科学者は、何かポジティブな結果が得られた時は「実験誤差の範囲を越えて有意な差があった」と言う。

ポジティブな結果が得られなかった時は「差はあったが実験誤差の範囲内なので有意な差とは言えない」と言う。

しかし科学者は、「実験誤差の範囲で全く変化がなかった」とは言わない。

なぜなら、それは単に「実験装置の分解能が不足で見えなかった」というだけのことだからである。



つまり、



「実験誤差の範囲で全く変化がなかった」
            
                  = 「実験装置の分解能が不足で見えなかった」




なのである。


「分解能が不足で見えなかった実験」はボツになるだけである。

「実験装置の分解能が不足で見えませんでした」などと、いちいち論文を書く者はいない。

ましてやそのことから、「そこには何もないことが分かった」などと結論する者もいない。

100m先までしか見えない望遠鏡で200m先を見たら、何も見えなかった。
そのとき科学者は何と言うのか。
「何も見えませんでした」 「もっといい望遠鏡が欲しい」 と言うだけである。

もしその者が「実験誤差の範囲で200m先には何もないことが分かった」と言ったらどうか。

笑い者になるだけだ。


しかるに冨永氏はこう書いている。

2つのラマンスペクトルは実験誤差の範囲で全く変化がなかった。
これは、磁場を通しても水の水素結合の状態が全く変化していない事を意味している。


全然そんなことは意味していない。
自分の実験装置の分解能が低いだけの話である。


以上の指摘は赤外線分光についてもまったく同様である。
冨永氏の結論は、一部文意不明だが、以下のようになっている。

つまり、マグローブのように水のクラスターに対して、マグローブの磁気が影響を与えていないことがラマンスペクトルおよび赤外スペクトルの測定結果から明らかになった。


この実験からそんなことはまったく明らかになっていない。
逆に、磁気が水に影響を与えているという実験報告は世界にたくさんある。





表面張力の測定

冨永氏天羽氏はまた、磁気活水と普通の水(試料温度は例によって双方とも室温25度Cだったそうである)の表面張力を測定して、差がなかったことから、水は変化していないと結論している。



冨永氏の実験報告は以下の通りである。





しかしこれも、測定したところ差がなかった、というだけで、分解能が不足していて見えなかったことを、例によって「実験誤差の範囲で変化していない」と言い換えているだけであり、論評に値しない。

我々も数年前に大阪市立工業研究所で測定してもらったが、市販の表面張力測定装置では、分解能が不足で差は見えなかった。「実験誤差の範囲で変化はなかった」わけだが、そこから何か結論が出せるわけではない。

2003年に北海道大学は、水を磁石を通して何度も循環させてから表面張力を測定して、有意な差を見出している。変化を増幅させるというのはひとつの方法だろう。




なんとも奇怪な、油をまぜる実験


しかし、それにしても奇怪なのは、油をまぜる実験である。

我々がやった測定は、試験管の中の水にサラダ油を定量混ぜて十分に攪拌した後、5分静置してから、その下層部分に残っている油の量を、量として直接測定したものである。測定装置はNMR装置を用いた。

冨永氏はなぜ、表面張力によって油の量を測ろうとしたのか。
油の量を調べるのに、油の量を直接測定するよりも、表面張力で見る方が優れているのか?


ほかの方法でも見えましたよ、ということなら分かる。
いろいろな方法でやったらよい。

しかし、我々の測定結果を否定しようとするなら、我々と同じ方法で測定する必要がある。
それは科学者のイロハである。

しかるに冨永氏は、冨永氏が別の方法でやったら見えなかったから、我々の測定結果は間違いであることが確認された、と言うのである。ラマン散乱も赤外分光も同じ考え方である。


この実験でさらに奇怪なのは、油を混ぜてから「30分以上」も静置していることである。

我々は5分後に測定している。なるべく早いほうが測定しやすいし意味があるのだが、攪拌の仕方による差が仮にあってもそれが治まるように、また、測定が段取りよく再現性よく行われるように、必要にして十分な待ち時間として5分と設定している。

油はだんだん元に戻る(上昇する)から、待てば待つほど測定対象は小さくなる。
だんだん「見えなきゃ勝ち」の領域に近づく。

冨永氏は「30分以上」も何を待っていたのか?

それに30分「以上」という時間の測り方も、物理実験では聞いたことがない。




8年前の冨永氏天羽氏の実験


かつて同じような実験報告を司直に提出した、と2003年に天羽氏が言っている。


http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html

天羽  
司直の頼みで,浄水器の摘発の際の鑑定嘱託も引き受けたことがあります。どう摘発するか,司直が勉強するのにウチのサイトの情報を使ったようです。その後,正式に書類が回って依頼されたので,実験して,水処理の前後で水素結合の状態に変化はないという結果を,冨永教授と一緒に出しました。


私はこれを読んだ時、どういう実験をすれば「変化はない」などと結論できるのか、大いに疑問をもったが、実験の内容が分からなかったのでそのままにしていた。

しかし今回の裁判で、冨永氏は実験報告書を裁判所に提出して、それがどういう実験だったかを明らかにした。

その実験は「水素結合の状態に変化はない」などとは、とうてい言えない実験だった。
水は変わっていないなどとはとうてい言えない実験だった。

その業者の器具に効果があったかどうかは知らないが、こんな実験で「効果なし」と決めつけられたのなら、それは明らかに「言いがかり」である。もしそれでその業者が倒産していたりしたら、まったく気の毒なことである。

しかしながら、科学の世界では通用しないこの冨永氏天羽氏の報告を、裁判所や行政や自治体はそのまま信じた。裁判所や行政や自治体は「磁気などでは水は変わらない」と思ってしまった。

その後も冨永氏天羽氏は、東京都や公正取引委員会などに自説を開陳してきた。

それが行政の指針となりマスコミの論調となり、インターネットには「ニセ科学批判派」の無責任な中傷があふれた。





これが、磁気活水器をめぐるこの8年間の日本の社会状況だった。



しかし、2009年に日本磁気科学会で水の磁気処理の有用性を認める論文が出た。
これによって、マスコミなどでのバッシングは治まってきたようである。

他にも、このサイトで紹介してきたように、磁気で水が変わっている、という実験報告は多数ある。



さらに、天羽氏が自分から提訴した今回の裁判で、

  ◆裁判所は、「水商売ウォッチング」が企業の営業を妨害してきたと認定した。

  ◆天羽氏は、自分たちの実験の結論は間違っていたと自ら証言した。




これでインターネット上での誹謗中傷も・・・少しは治まるのではないか。







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