「栃若」で黄金期/若乃花年譜
花田勝治氏の年譜
◆1928年(昭3)3月16日 青森県弘前市で、父宇一郎、母きゑの長男として生まれる。10人兄弟の2番目。
◆34年(昭9) 両親はりんご園を営んでいたが、室戸台風で作物が全滅。一家で北海道室蘭市に移住。
◆46年(昭21) 二所ノ関一門の巡業で催された相撲大会に飛び入りで参加。序二段力士を数名倒してみせた。大ノ海(のちの師匠・花籠親方)にスカウトされ、二所ノ関部屋に入門。同年11月場所に若ノ花として初土俵を踏む。
◆49年(昭24) 5月場所で十両に昇進。
◆50年(昭25) 1月場所で幕内昇進。
◆56年(昭31) 1月場所で大関昇進。
◆56年(昭31) 5月場所を12勝3敗で初優勝。しかし9月場所前に長男(当時4)を亡くす。
◆57年(昭32) 日活が映画「若ノ花物語・土俵の鬼」を制作、若ノ花自身も出演。同年9月場所から若乃花に改名。画数占いで勧めてくれる人があったことと、長男の一周忌を機に心機一転をはかるためだったといわれる。
◆58年(昭33) 現行の年6場所制が定着。初場所を13勝2敗で優勝。前年11月場所も12勝3敗で優勝次点で、初場所後に45代横綱に推挙され、昭和生まれで最初の横綱となった。
◆59年(昭34) 夏場所では、初日から14連勝のライバル栃錦を千秋楽に下して優勝決定戦にもちこみ、逆転で優勝を飾る。
◆60年(昭35) 春場所では、栃錦ともに14連勝同士で千秋楽に対戦。史上初となる横綱同士による千秋楽全勝対決を寄り切りで制し、初の全勝優勝を達成。
◆62年(昭37) 夏場所前に引退。優勝10回、殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞1回。通算593勝253敗4分け70休。引退後は年寄二子山を襲名して花籠部屋から独立、二子山部屋を開く。
◆76年(昭51) 2月に日本相撲協会理事に就任。
◆88年(昭63) 2月に同協会理事長に就任。
◆89年(平元) 2月にNHK「第40回放送文化賞」受賞。
◆90年(平2) 9月にブラジル社会総合教育会の「グランクルス勲章」受章
◆91年(平3) 1月に文部大臣スポーツ功労表彰を受け、11月に紫綬褒章受章
◆92年(平4) 初場所で甥(おい)の貴花田(現貴乃花親方)が史上最も若い19歳5カ月で優勝。同場所は理事長として最後の場所だったため、目を潤ませながら賜杯を手渡した。2月に同協会相談役兼相撲博物館館長代理に就任、都文化賞を受賞。
◆93年(平5) 2月に実弟だった藤島親方(元大関貴ノ花)と名跡を交換。3月15日で同協会を定年退職。翌16日から相談役兼相撲博物館館長に就任。
◆96年(平8) 9月に所得税の申告漏れを理由に辞任し、角界から去る。
[2010年9月2日8時53分 紙面から]
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