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[20294] 黒色精霊種(ダークエルフ)さんちの女の子 【ファンタジー世界 探偵モノ】
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:56dce35d
Date: 2010/08/02 23:32
精霊種(エルフ霊獣種(リカントなど、様々な種族がひしめき合う、ファンタジー世界を舞台にした探偵モノになる予定です。

トールキン型の所謂剣と魔法の世界観。

酸いも甘いもごった返す街で、探偵物語とかカウボーイビバップみたいな話が書けたら格好いいかもしれないと思って執筆を始めました。

そんな需要があるのかどうかはなはだ不安ですが、何卒よろしくお願いいたします。

ご意見&ご感想をいただけましたら大喜びして狂乱しますので何卒よろしくお願いいたします。 


7/31 ルビふりしました 振り忘れやタグの閉じ忘れなどありましたらすみません。どしどしご指摘ください
※ちなみにrubyタグはIEが独自に導入しているらしく、firefoxやsafariでは反映されないようです



[20294] プロローグ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 22:40
 


 「先生、お願いします」

 「お願いしますと言われてもなぁ」

 アルフリート・ウルグルスは彼を頼みとすがるヒト種(ヒューマンの老人に向かって苦笑すると、「子どもじゃないか」と言うしかなかった。

 彼の目の前にいるのは確かに子どもだった。

  それもヒト種(ヒューマンと見られる脆弱な子だ。

 年の頃なら六つか七つ。

 栄養状態があまりよくないのか痩せてい て、ボロキレ同然の着衣から伸びる手足は枯れ木のように細い。

 珍しい真紅の髪もぱさぱさで、死界の草のようだ。

 目ばかりがギラギラとこちらを睨んでいて、野生の獣を思わせた。

 「子どもといって侮っちゃいけません。大の大人がもう何人ものされてるんで さぁ」

 「はぁ」

 小柄な童子にそんなことが出来るものなのか。

 これが戦うために生まれてきたよう な、屈強な鬼人族(ホルンの子どもならば別であるが。

 だが、食糧を食い荒らされたという貧民街(スラムの長老の言葉を捨て置けない。

  ここで隠居する以上アルフリートもまた、この地の食料事情に影響を受ける身だ。

 もっとも。

 欠食児童一人の食事量など 高が知れているだろうが。

 「ま、いいだろう」
 
 言いながらアルフリートは己の肩を掴み、こきこきと鳴らして見せた。

  このところの運動不足の解消になればと、この依頼とも言えぬ依頼を受けることにしたのだ。

 貧民街(スラムに身を置くのが道楽なら貧民 達の依頼を受けるのも道楽。

 アルフリートはその気になれば誰とも関わらなくとも生きていけるほどの資産を持ってはいるが、それでは生き ているのがあまりにも寂しすぎる。

 「長生きも考えものだ」

 そう言いながら、アルフリートは童子に向き直った。

  まるで猛獣のように牙をむき出しにして威嚇する童子。

 アルフリートが野暮ったいローブの袖を捲くると、黒色精霊種(ダークエルフの特 徴である褐色の、しかし美しい肌が晒される。

 女なら思わず抱きついて口付けたくなるほどの美貌を笑みの形に曲げながら、永遠の美を持つ という男は童子に向かって言い放った。

 「かかっておいで」

 どこかからかいを含んだ男の言葉を理解したのかどうか。

  童子はガラクタだらけの地面を蹴ってまっすぐにアルフリートに向かって駆けて来る。

 「ほう!」

 その速度に、アルフ リートは感嘆の声を漏らした。
 
 およそヒト種(ヒューマンならば成人した戦士であってもこれほどの速度で動けるかどうか。

  そんな速度で、年端もいかぬ子どもが駆けるとは。

 あっという間に距離が縮まり、童子がアルフリートに肉薄する。
 
 低 い姿勢で拳を構え、アルフリートを殴りつけようとふりかぶる。

 「そうはいかん」

 しかしそこは身体能力でヒトを大きく 上回る黒色精霊種(ダークエルフのアルフリート。
 
 流麗な動きで身を屈めると、すばやい動きでさっと童子の足を払ってしまう。

  「それでも子ども。動きが単調だ」

 アルフリートが余裕の表情でそう言った瞬間、貧民街(スラムの長老が警告するように叫んだ。

  「先生!まだだ!」
 
 「何?」

 足を払われ体勢を崩したはずの童子は、なんとその細腕一本を地面についただけでその体 を支え、あまつさえ腕一本のバネでアルフリートのほうへ飛びついてきた。

 「なんと!?」

 驚愕するアルフリート。

  その肩に跨った童子は銀の髪を乱暴に掴み、右腕を振り上げてあらゆる芸術よりも尚美しいと称される黒色精霊種(ダークエルフの顔面に叩きつけようと振り 下ろす。

 「エル・ダラリ(汝、その身を竦ませよ)」

 長老が思わず目を瞑った瞬間。

 アルフリートが 短く呪言ルンを呟いた。

 生命がその身に生まれながらにもつ力「霊力エーテル」。

 精霊種(エルフはその扱いに長けた種族だ。

 拳を振り上げたままその体をびくりと震わせた姿勢で動きを止めた童子を、アルフリートはむんずと掴んで引き剥がした。

  「ふぅ、確かにとんでもない子どもだ」

 術が解けた童子がじたばたと足掻くが、そこは文字通り大人と子どもの身長差。

  どうすることも出来ずに、童子は癇癪を起こす。

 「この変態!離せ、くそ野郎!」

 「ん?お前、話せるのか?しかもその 声、女か?」

 口汚い言葉で罵る童子を観察しながら、ふむとその素晴らしく整った己の顎に手を伸ばすアルフリート。

  「いいから離せ!この、イ〇ポ野郎!」

 「しかし、聞くに耐えんな」

 アルフリートはそう言うと顎に添えていた方の指先 をすうっと童子の眉間の辺りに宛がい、今にもその指に噛み付きそうな童子に向かって短く呪言した。

 「エル・シタリ・エラ・ヤータ(汝、 心を閉じよ)」

 アルフリートがそう呟くと童子はふいに暴れるのを止め、すうっと目を細めてぐったりとする。

 「こ、殺 したんで?」

 心配そうに駆け寄ってくる長老に、アルフリートは苦笑しながら首を横に振った。

 「まさか。眠っているだ けだ。子どもを殺す趣味は私にはないよ」

 なるほどよく見れば童子は寝息を立て、その薄い胸がかすかに上下している。

  長老はほっとしながらアルフリートに向き直った。

 「これで食べ物を食い荒らされる心配もなくなりました。先生にはいつもお世話になって て申し訳ねぇ。出来るだけのお礼は…」

 「いやいやお礼はいいよ。所詮は暇つぶしだ。それよりこの女子(おなご)を私に譲ってくれない か」

 「は?」

 「聞いてみると中央の方の綺麗な標準語を喋るし、身体能力はヒト種(ヒューマンの規格ではない。何故 こんなヒトが存在するのか興味がある」

 「はぁ」
 
 「道楽だ。捨て置けよ」

 アルフリートはそう言っ て、得心がいかぬままの長老を放ったまま、眠る童子を担いで自分の住処へと帰っていった。

 だがこの時アルフリートは長老が納得いくまで こんこんと語って聞かせるべきだったのかもしれない。

 翌日の貧民街(スラムではアルフリートが幼児嗜好者ペドフィリアであるとい う噂が、まことしやかに広まっていたのだから。



―――十年後


 
 そんな昔のことをまど ろみの中で夢に見た後、アルフリートは安楽椅子(ロッキングチェアの上で目を覚ました。

 いつの間に眠っていたのか。

  キセルでくすぶる煙草の火を慌てて消すアルフリート。

 寝煙草していたことがばれると同居人に怒られてしまう。

 隣室で は何かがくつくつと沸騰する微かな音がする。
 
 黒色精霊種(ダークエルフの優れた聴力に頼らずとも良いほどに、この粗末な家は壁が薄 い。

 鼻腔をよい香りがくすぐる。

 夕食にありつけるのはそう遠いことではないらしい。

 「ルカ。今日 の食事はなんだ?」

 アルフリートが寝起きであることを悟られぬように声を整えてから隣室に声を掛けると、「兎肉と春キャベツのシ チュー」というぶっきらぼうな返事が返ってきた。

 その声にはやや棘がある。

 料理好きの彼女は、食事の準備を邪魔され るとひどく怒るのだ。

 「それは楽しみだ」

 アルフリートがそう呟くと、きいっと扉が開いて一人の少女が室内に入ってく る。
 
 真紅の髪をした美しい少女である。

 年の頃は十五、六。恐ろしく丈の短いパンツに、胸元や臍を見せ付けるように 露出したタンクトップという軽装ではあるが、不思議と卑猥な感じはしない。

 幼さの残る、年相応のみずみずしさがあるだけだ。

  単に体型に起伏がないからだという者もあるかもしれないが。
   
 「イライの実、入れてもいい?」

 「いいよ」

  アルフリートがそう答えると、少女は台所に戻っていく。

 黒色精霊種(ダークエルフのアルフリートが舌を巻くほどの身体能力を持ち、希少な赤い髪をした不可思議な少女。
 
 彼が貧民街(スラムで拾いルカと名づけた、その少女が成長した姿であった。
  「あと、寝煙草は駄目だからね!」

 しっかりばれていたらしい。

 案外ずぼらな保護者の性格から存外にしっかり者に成長 した少女のことを思い、アルフリートは小さく苦笑した。

 その姿はだが、とても嬉しそうに見えた。


続く



[20294] 事件(ケース)① かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)Ⅰ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 21:23
薄暗い路地。

 月の輝く満月の晩。

  懸命に地面を蹴って、追跡から逃れようとする男がいた。

 「はっ、はっ、はっ」

 長身でがっしりとした上半身を持つ、鍛 え上げられた身体。

 一目で霊獣種(リカントと分かる特徴的なねこ科の獣のような耳。

 霊獣種(リカントはその身体 能力において鬼族(ホルン)と並ぶ種族であり、戦闘においては圧倒的な実力を示す。

 軍部においても霊獣種(リカントが占める割合は無 視できぬものがあり(もちろん繁殖力の強いヒト種がもっとも大きな割合を占めるが)、軍人種族の別名を持つほどだ。
 
その霊獣種(リカントの、若く逞しい固体が今、追いすがる追跡者から必死に逃げていた。
 
 見ればその身体は傷だらけ。

 背中に負った大 きな爪痕からだらだらと血を流し、身体のいたるところに打撲や擦過傷が見て取れる。

 であればこの霊獣種(リカント、敗北してそして逃げているのだ。

 男は名をケントと言う。

 彼自身は学生であるが、父は著名な軍人で、彼自身も将来は軍部に所属することを 希望していた。

 地面を蹴るケントは、しかしもう気付き始めてもいたのだ。

 自分の人生が今日ここで終わるかもしれない ことに。

 (だが、だがこのままでは)

 ケントは考える。

 走りながらも考える。

  (アリサに、アリサに誰が伝えてくれる?誰がアリサを助けてやれる?俺がここで死んだら、誰が…)

 こんな目に遭いながら、それでも誰か のことを思えるその精神は尊敬に値する。

 だが尊敬される人物が、いつも幸福であるとは限らない。

 どん。

  と大きな音がした。

 最低でも、相手はケントの後ろを走っていたはずだ。

 そのはずなのに。

 「馬鹿 なっ」

 いつの間に追い抜かれたのか。

 追跡者は彼の前に現れ、にたりと三日月のような笑みを浮かべていた。

  それはおよそ知性あるもののそれとは思えぬ、残虐な魔物のような笑みであった。

 「アリサッ………!」

 それが、彼が最 後に発した言葉であり、それきり彼の口が開くことはもうなかった。




 ◆◇◆◇◆◇◆




  貧民街(スラム

 天を突く塔が居並ぶ煌びやかな都の郊外に、寄生するように存在するその場所を、好ましく思うものは少ない。

  舗装されない道は雨の日などぐずぐずとしているし、日照など考えずに乱立した粗末な建物は、街を昼間でも明るくしない。

 あらゆるものが 売買され、犯罪に手を染めるものも多い。

 成功者は都に、敗北者は貧民街(スラムに。

 それが今の世の慣わしである。

  しかしその貧民街貧民街(スラムの一角に、不思議な看板を出した建物が存在する。

 二階建てのその古い木造住宅の玄関にかかる看板を見て、首 をかしげずに済むものもまた少ない。


 『万事、解決することがあります』


 やる気があるのかないのか。

  自信があるのかないのか。

 この建物はいつの頃からか探偵社と呼ばれ、ここに住まうものは探偵と呼ばれるようになった。

  早朝の探偵社。

 煙突から煙が噴出していて、なんとも言えぬ良い香りがしている。

 「アル、珈琲?エサム茶?」

  「珈琲で」

 「わかった」

 安楽椅子(ロッキングチェアに座り珈琲を注文した男は、透き通るような美しい美貌をした褐 色の優男である。

 やや長い耳や、女性なら飛びつかずにはおられないような圧倒的な美貌が印象的である。

 彼は精霊種(エルフ、それも希少な黒色精霊種(ダークエルフであり、名をアルフリート・ウルグルスと言った。

 貧民街(スラムでは先生と呼ば れ、顔役やマフィアからも一目置かれる存在である。

 何を好き好んでか、高貴な一生を約束された黒色精霊種(ダークエルフの 身でありながら進んで貧民街(スラム)に住まう変り種であり、この探偵社の責任者でもある。

 ちなみに普段はとても温和な性格であるが、 幼児愛好家ペドフィリアと言うと人が変わったように怒るから、注意が必要だ。

 アルフリートは今朝届いたばかりの朝刊を広げていた。

  「何かあった?」

 食卓に朝食の盛られた皿を置いているのは、何とも愛らしい顔立ちの少女である。

 真紅の髪は後ろで一 括りにされて長く垂らされているが、大きな瞳や明るい表情から、童子の様に快活で爽快な印象を受ける。

 もっともそれは、彼女の身体の起 伏が年の割にとぼしいことと無縁ではないかもしれない。

 ちなみに、彼女に幼女体型などとということも禁句である。

 こ の世には、指摘しない方がよいことも存在するのだ。

 「うん。まだ解決しないみたいだな。例の通り魔の事件」

 「あぁ」

  食卓の準備を終え、アルフリートに珈琲を注いでやりながら、彼の養い子たるヒト種の少女、ルカは返事を返した。

 「最初に霊獣種(リカントの男が殺されたやつね」

 「そう。昨日もあったらしい。これで、ひー、ふー、みー…。四人目か」

 「物騒ね」

  口に朝食を運びながら、ルカはアルフリートの新聞をのぞき見る。

 「今度は地霊種(ドワーフ!見境なしね」

 ルカが言いながら目を丸くすると、逆にアルフリートは眉間に皺を寄せながらその目をすうっと細めた。

 「…ひょっとしたら、月狂病ルナティックかもしれない」

 「月狂病ルナティック…?」

 アルフリートは頷きながら、自身も朝食を口にする。

  「さすがにまさか市街に闇の一族(モンストロがいるとも考えにくいだろう?だが被害者は皆、まるで獣に襲われたかのような酷い死に様だと言う。爪とか牙 の痕とかな。断定はとてもできないが、始めに襲われたのが霊獣種(リカントの男性だったと言うのが気になる。
 月狂病ルナティックというの は非常に珍しい、先天的な霊獣種(リカントだけの病だ。
 先祖返りのような凶悪な獣の姿になり、破壊衝動のまま他者を襲うようになると言う。症 例が少ないから、まだはっきりしたことは分からないが」

 「へぇ。でも、そんなお化けみたいのがうろうろしてれば、すぐに見つかりそうな ものだけど」

 ルカが不思議そうに首を傾げると、その愛らしい様に苦笑しながらアルフリートが言葉を続けた。

 「霊獣種(リカントはもともと超人的に運動能力の高い種族だが、月狂病ルナティックはそれに輪をかけて凄いらしいよ。見つけたとしても捕まえられないかもし れない」

 言いながらアルフリートは茹でたジャガイモの皮をむく。

 「アルなら捕まえられる?」

 「ど うかな」

 「私なら?」

 「どうだろう?」

 むぅ、と言ってむすっとするルカをからかうように笑うアル フレッド。

 「無理に関わりあうことはない。負けそうな喧嘩は買わないことだ」

 カランカランカラン…。

  その時、探偵社の呼び鈴が鳴る。

 「はぁい。誰だろ?心当たりある?」

 ルカはエプロンを外しながら食卓から立ち上が る。

 「さぁ?頼んでた本でも届いたかな」

 アルフリートの反応を確かめると、ルカは玄関の扉をガチャリと開けた。

  「うん?」

 最初に目に飛び込んできたのはふさふさの獣のような耳。

 そして次に見えたのは美人と言って差し支えない少女の顔だった。

 その瞳が不安げに揺れていることも、男の庇護欲をそそるかもしれいない。

 そして何よりルカの視界を圧迫したのは、年頃の女性らしい豊満な姿態だった。

 特によく膨らんで布地を押し上げる胸。

 それは道いく男性の目を引か ずには置かないだろうと思えた。ルカは心の中で小さく舌打ちをする。

 「わ、わたし何か気に障ることしましたでしょうか?」

  険しい表情でルカの不機嫌を察したのか。少女がおびえたようにそう言うと、後方からアルフリートがフォローの言葉をかける。

 「気にしな いでいい。ただのやっかみだ」

 「アル…。殴るよ」

 静かに怒りを溜めるルカに、しかし少女は自信なさげに言葉を続け る。

 「あの。黒色精霊種(ダークエルフの探偵さんはこちらでよろしかったですか?」

 「そうだよ。本人はあそこで珈 琲飲んでるけど」

 「おはよう」

 そう言って霊獣種(リカントと思わしき少女に、部屋の奥から手を振るアルフリート。

  その姿を目にして、ほうっと安堵のため息を吐きながら、少女ははっきりとこう言ったのだった。

 「私、アリサって言います。連続通り魔事件のことで、ご相談にあがったんですけど…」

 思いつめたような少女の言葉。

 ルカは怒りも忘れて、思わずアルフリート と顔を見合わせた。 



 続く



[20294] 事件(ケース)① かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)Ⅱ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 22:33
事件(ケース)① かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)Ⅱ


 それは一週間ほど前のことであったと言う。

 黄昏 時。

 若い二人の霊獣種(リカントはその手をしっかりと繋ぎながら名残惜しげに路地裏を歩いていた。

 フリルをふんだ んにあしらった桃色のドレスを身にまとうアリサは、まるで妖精のような可憐な霊獣種(リカントであり、その獣の耳を頂いた清楚な表情と、豊満で女性的な 姿態のギャップに、男ならば皆くらくらとしてしまうだろう。

 彼女をエスコートするケントはがっしりとした体格の美丈夫であり、ふたりは 本当に絵に描いたような似合いのカップルであるとサロンでも噂されていた。

 アリサとケントはお互いの両親が認め合う恋人同士であったの だと言う。

 アリサの家は資産家であり、軍人家系であるケントの家とは婚姻が成立すれば双方に色々と利点がある。

 だが 若い二人にとってはそんなことは考えの埒外のことであり、ただお互いを認め愛していた。

 ケントは未だ学生の身であるが、内定している軍 への加入手続きなどで忙しく、アリサもまたケントが落ち着けば執り行われるであろう二人の結婚式の準備に追われていて、こうして二人の時間を作ることがな かなか出来ずにいた。

 いずれ結婚すれば好きなだけ一緒にいられる。

 そう思いながらも、今このときの寂しさに翻弄され る若さを誰にも責めることは出来ない。時折立ち止まり互いを見詰め合うその瞳が濡れている。

 しかし、その日の記憶は気恥ずかしさと共に いずれ思い返されるだろう淡い思い出とはならなかった。

 決して忘れることのかなわない、血と喪失の思い出となったのである。

 

  「覚えていない…?」

 ルカにすすめられた珈琲に手をつける事もなく、アリサは一気に捲くし立てるように事の顛末を話した。

  その日、二人は人通りのない路地裏で確かに何者かに襲われた。

 だがアリサはその時頭を打ちでもしたのか記憶がなく、翌日になってケント とは違う場所で発見されたのだ。

 もちろん、そのときにはケントは無残な亡骸となって果てていた。

 一緒に歩いていたは ずの二人の間には、かなりの距離が開いていたのである。

 アルフリートが聞き返すと、アリサは申し訳なさそうに頷いた。

  「警察は、気絶した私と犯人を引き離すために、ケントがかなりの距離を走って逃げたのではないかと言ってました。最期まで、私の為に…」

  そこで、可憐な霊獣種(リカントの娘はついに両の手で顔を覆って泣き崩れてしまった。

 ルカはそれを、痛々しいものを見る目で見ているこ としかできない。

 彼女の養い親たる黒色精霊種(ダークエルフは、煙管の煙草を燻らせながら、何事かを考えているようだった。

  「霊獣種(リカントは戦闘種族だ。ケント君は病弱だった?」

 アルフリートの言葉に、アリサはがばっと顔をあげる。

  「まさか!軍への内定も決まってました。お父上に似た頑丈な霊獣種(リカントでした…」

 「すると、やはり…」

 「月狂病ルナティックってやつ?」

 「そうかもしれない」

 ルカが口を挟むとアルフリートは頷いて言った。

  「それはあの、忌まわしい先祖返りの…?」
  流石に霊獣種(リカントのアリサはそれを知っているらしい。
 獣人を恐ろしい魔獣に変える と言う悪魔のような病を思ってか、アリサがぶるりとその身を震わせた。

 「霊獣種(リカント。それも軍人を有望された青年を一顧だにし ない戦闘力。これは、警察の手には余るかもなぁ」

 「私もそう思います。でも、それじゃあケントが可愛そう。私、早く犯人を見つけてケン トの魂に安らかになって欲しいんです」

 アリサの真摯な言葉を聞いて、思案気に煙を吐き出すアルフリート。

 そんな己 を、期待のまなざしで見ている養い子の姿を見て、アルフリートは嘆息交じりの苦笑を浮かべた。

 「危なくなったら逃げる。了解できる か?」

 「うん」

 即答するルカに余計不安になるアルフリートであったが、彼女の意思は固そうだ。

  「ふぅ。あなたは運がいいよ、アリサ嬢。私にはやる気になったこの子を止める術がないっていう意味でだがね」

 「それでは…!」

  「依頼は受けよう。ルカ。早速アリサ嬢と現場に行ってきなさい。何かわかるかもしれない。そしてその為にはできるだけ早い方がいい」

  「はーい」

 感謝の言葉を述べるアリサに「いいよ」と手を振ってから手早く外出の準備を整えると、ルカはアリサの手を引くようにして家を 出て行ったのだった。

 「忙しない事だ」

 言いながらアルフリートは妙にひっかかるものを感じて眉根に皺を寄せる。

  「月狂病ルナティック…。少し調べてみるか」

 そう言って、アルフリートは巨大な本棚のどこにその本をしまったかを考えて、うんざり しながら腰を上げた。




◆◇◆◇◆◇◆

 
 
 「ここが殺害現場ね」

  「そう、らしいです」

 太陽が正午の高さに上る頃、二人は目的の場所に辿り着いていた。

 新聞には詳しい場所は書かれて いなかったが、都の大通りから二つほど路地に入ったこの場所で、ケントは獣のような何かに襲われた。

 霊獣種(リカントの青年を苦もな く殺すほどの何か。

 現場には他の血痕は残されておらず、その何者かが無傷でケントを圧倒したと警察は見ている。

 ルカ は不意にしゃがみこむと、地面に耳を当てて何かを探るように目を瞑った。

 「ルカさん…?」

 「しっ。黙ってて…。良 かった。まだ大地の記憶が残ってる

 アリサは慌ててその口をつぐんだ。

 「この、霊力(エーテル)が異様に乱れた奴がそ うね」

 ルカはそう言うと地面から耳を離し、腰のポーチから何かの小瓶を取り出した。

 タンクトップにぎりぎりの裾のパ ンツ以外には、ルカはそのポーチしか身につけていない。

 都では、年頃の娘の格好とはとても思えない。

 もっとも、スラ ムではそんな格好が当たり前だ。

 普段からしっかりとドレスを着こなしているアリサがこんな格好をすれば、彼女の父親などは卒倒するであ ろうが。

 「よいしょっと」

 小瓶の中身はどうやら何かの灰のようだ。

 ルカはそれをさらさらと地面に 落としながら、何かの紋章のようなものを描いていく。

 それは呪言(ルン)であった。

 「【シーカーの灰】よ。我が求め るものを手繰り給え」

 すると不思議なことが起きた。

 地面に落とされていた灰がふわりと風もないのに浮き上がり、はっ きりとある方向を目指して動き出したのである。

 「ルカさん。これって…」

 「【シーカーの灰】。きちんとした術式をや れば目的のものを辿ってくれる」

 「ル、ルカさん。こんな高等な術、霊術院でだって教えてないと思いますけど・・・。一体どこで?」

  目を丸くするアリサにきょとんとした表情のルカ。

 「どこでって、アルが教えてくれたんだ。たしか、十歳くらいの時かな」

  「じゅッ……」

 「いいから、さっさと後を追おう。こいつがどこから来たか。まずはそれが掴まないと」

 「は、はい」

  アリサは首をぶんぶんと左右に振って驚愕を振り払ってから、ゆっくりと浮き上がる灰のあとを追って歩き出した。

 

   「そんな…」

 小一時間後。

 灰は目的を終えてルカの小瓶に収まったが、その場所はアリサがケントと共に歩いていた路地 で、最後に記憶に残っていた場所であると言う。

 警察は二人がここで襲われ、そしてケントがアリサを引き離すために逃げたと考えている。

  アリサが別の場所で発見された理由については、意識が朦朧としていたアリサがケントを探して彷徨ったのだろうと考えていた。

 「ここで、 気配が消えている?」

 ルカは納得いかないというように険しい顔をしながらもう一度地面に耳を当てる。

 「…だめだ。こ こから先の記憶がない」

 ルカは思わず小さく舌打ちをした。

 実は【シーカーの灰】で犯人をたどるまではそう難しくない と思っていたのだ。

 それがまさかのっけから躓くことになるとは。

 「アリサさん。悪いけど今日は先に帰っててくれる? 明日またうちに来て見て。私、他の殺害現場も全部試してみる」

 「わ、わかりました」

 言うが早いかルカは風のような速 度で走り出してとたんに見えなくなってしまう。

 「ほ、本当にあれでヒト種(ヒューマンなのかしら」

 アリサは呆れた ようにそう言った。



 「ふむ…」

 本棚の前で分厚い本を広げながら、アルフリートは月狂病(ルナティッ ク)について調べていた。

 何しろその症例が恐ろしく少ない希少な病である。

 地下室を半ば占拠する形で存在するアルフ リートの蔵書の中にもその記述は多くはない。

 その少ない記述に行き当たる頃には、すっかり夕暮れ時となっていた。

  「真面目に読んだことはなかったからな。まさか、自分が関わることになるとは思わなかったし」

 そういいながらもぺらぺらとページを手繰 る、アルフリートは、とあるページの記述でぴたりと手を止めた。

 「これは…?そうか!しまった。私達はとんでもない思い違いをしていた ようだ」

 なにごとかに気付いたアルフリートは、そのまま本を取り落としてしまう。

 開かれたままの本のページにはこう 記されていた。


 『…月狂病ルナティックとは月の病である。月と共に霊獣の姿は闇の一族(モンストロのように変貌し血肉を 求める。だが、彼にその覚えはない』
 



 「まるでかくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)ね」

  丸い一日を掛けて何の成果も上げられず、ルカは地面にへたりこんだ。

 他の3つの殺害現場にも同じように「シーカーの灰」を使ったもの の、この3現場から立ち昇った灰はいずれもある屋敷の裏路地まで漂ってきて、そこで消えてしまうのである。

 すでに夕刻も終わろうとする 黄昏時。

 ルカは成果の上がらない結果に嘆息しながらも、夕食の支度をしよう一旦家に帰ろうとしてそして。

 不意にその ことに思い至った。

 「どうして、奴の気配はいつも、消えたり、現れたりするんだろう」

 それは、まるでかくれんぼのよ うに。

 現れたり消えてしまったり。

 消えている間、犯人は一体どこにいるのか。

 「……まさか。月狂病ルナティックっていうのは……」

 「ルカさん」

 突然掛けられた声に、ルカはびくりと震える。

  「アリサ…さん。どうしてここに?こんな時間に?」

 そこにいたのはアリサだった。

 昼間別れたばかりの彼女そのままで ある。

 アリサはにっこりと、それこそ男なら誰でも絆されそうな笑みを浮かべてから、なんでもないことのように言った。

  「この裏。うちの屋敷ですから」

 「…へぇ」

 言いながら、ルカは夜空を見上げた。

 月が。

  見下ろすように天に掛かっている。

 「ルカさん。私、記憶が戻ったんです。全部分かりました。犯人も、全部。ご苦労をかけてすみませんで した」

 「…それは良かった。じゃあさ、もう、帰っていいかな」

 からかうような、何かを諦めたようなルカの口調に、ア リサはにたりと、ぞっとするような笑みを浮かべながら首を横に振る。

 「…いいえ。お礼にルカさんには教えて差し上げようと思って」

  ざわざわざわと、アリサを中心に黒い気配が広がる。

 温和な気配はもう微塵も存在しない。

 「危なくなったら逃げるっ て、約束したんだけどなぁ」

 ルカはそう言いながら、無意識のうちに腰のポーチに手を掛けていた。



 続 く



[20294] 事件(ケース)① かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク)Ⅲ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 21:53
生物の肉体を変貌させる術というのはいくつか存在する。

外科手術に用いられるような術から、呪いと言われる呪術までさまざまで、ルカがそのすべてを知るわけではないが、しかし目の前の光景はそれでも異常の一言に尽きた。

まずバクン、と音がして。

少女の発達した胸が大きく膨らんだ。

それはまるで肺がより高い運動能力を発揮するために拡張し、肉体を押し広げたかのようだった。

次ににたりと笑った少女の唇が何と頭に頂いた獣の耳まで裂け、かつての可憐さなど微塵も見当たらぬその顔に満遍なく獣毛が生えだした。

ごきりごきりと音を鳴らして、少女の華奢な身体が見る見るうちに強引に変形していく。

肩が盛り上がり。

ひじの関節が張り出し。

重心が低く落とされ。

その手の先に鋭い爪が生え揃う。

それは完全に少女のドレスを着た怪物と化していた。

まったく、犯人が見つからないはずである。

一体誰が想像しようか。

可憐な霊獣種(リカント)の少女がかくも恐ろしい変貌を遂げるなどと!

『るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!』

歪な両の腕を広げて天を仰ぎながらかつてアリサという少女だった獣が月に向かって吼える。

その大きく開いた口にはびっしりと凶悪な牙が覗いていた。

「冗談きついって!」

ルカは目の前で起きた少女の変貌に少なからず衝撃を受けながらも、頭をフル回転させてこの怪物に対する対策を練っていた。

逃げることはこの期に及んでは論外である。

将来を有望視された霊獣種(リカントの青年が逃げ切れずに殺害されているのだ。

背中を見せた隙に食い殺されてはかなわない。

まずはよく見ることだとルカは考えていた。

ポーチから小さなナイフを取り出して、片手で握って構える。

『小さな牙ね。震えるくらい小さな』

意外にも少女の口調で、しかし地獄の底から聞こえてくるような重低音で獣はしゃべった。

まさか今日、当の犯人と戦闘になるなどととは思っていなかったルカは、正真正銘この小さなナイフしか戦闘に役立ちそうな武器を持っていはいなかった。

「ちょっと大きくなったからって調子に乗らないでくれる?女の子の影に隠れてこそこそしてた子猫ちゃん」

安い挑発だ。

だが、まずは相手の出方を見ることが先決である。

『これから駆られる野鼠がッ!精々粋がりながら死んでいくのねッ!』

少女の口調であることがかえって恐ろしい。

幸いと言うべきか。

挑発は功を奏し、獣は激昂して襲い掛かってきた。

『ぐるるるるっるるるぉぉぉぉぉぉんッ!』

それは正に目にも留まらぬ速度で。

ルカからある程度の距離を置いていてはずの獣は、瞬間後にはその数歩先で膝を折り身体を大きく沈め、魔獣のバネでルカに飛び掛ってきた。

「早っ」

巨大な口に居並ぶ牙の一撃を、ルカは寸でのところで身をよじってかわす。

「くっ」

すれ違いざまにその獣毛に覆われた腕の辺りに刃をひらめかすルカ。

しかし。

「いぃッ!?」

獣の肌を切り裂くはずの刃は、しかし根元からぐにゃりとひん曲がっていた。
 「ちょっと、冗談でしょ」

 『死にな!鼠が!』

 思い切り振りかぶって獣が豪快な一撃を繰り出す。

 その場を転がって難をのがれるルカ。

 身の軽さならば霊獣種(リカントをも凌ぐのではないか。

空振りした一撃は屋敷を取り囲む石塀にぶち当たり、難なくそれを粉砕した。

「まるっきり闇の一族(モンストロね。あれじゃ」

 冷や汗を掻きながら、土煙の中からまっすぐにこちらを見る獣から目を離せずにいるルカ。

 「仕方ない。真向勝負(ガチンコ)で行きますか」

 言うが早いか。

 悠然とこちらを見る獣に向かって、言葉通り真っ向から走りよった。

 『気が触れたか!』

 「そりゃあんたでしょ、月狂病ルナティック!」

ルカはその小さな身体のバネを思い切り利かせて、あっという間に獣に肉薄する。

『ぐるうぅうぅッ!』

「当たるかッ」

獣がすかさず爪を振り下ろすが、やはり身を捩って難なくその一撃をかわすルカ。

「るぁあああッ!」

そのまま。

身体の回転を利用した拳の一撃が、鉄の刃をも弾く獣の腹の辺りに炸裂する。

しかし少女の渾身の一撃と言えど、どれほどのことがあろうか。

そう、獣は侮っていた。

『ぐ、ぐおぉぉぉぉぉ……』

めり。

ルカの拳は彼女の手首ほどまで獣の腹筋にめり込んでいた。

内臓を破壊されたのか。

その口から鮮血を吐血する獣。

「腕っ節には、ちょっと自信があるのよ、私」

『き、貴様ッ!』

獣が半ば反射的に振り上げた腕をルカは片腕を使ってガードする。

圧倒的な一撃で彼女は弾き飛ばされ、反対側の石塀に激突してそれを破壊した。

並の人間なら最初の一撃で即死。

精霊種(エルフ霊獣種(リカントでも壁に激突した時点で致命傷だろう。

『どうだ!』

腹を押さえて石塀を見遣る獣。

しかし、そこには砂ほこりの中、悠然と立ってぱんぱんと埃をはらうルカの姿があった。

「あいたたた。ちょっと、この服高かったんだけど?」

『あなた、本当に人間!?』

「失礼ね。よく言われるけど…」

ルカは憤慨する様にささやかな胸を張って頬を膨らませる。

「ちょっとばっかり、頑丈に出来てるだけよ」

その何気ない仕草に気おされるように後ずさる少女であった獣。

『聞いたことがある。黒色精霊種(ダークエルフが飼いならす少女の姿をした魔獣の話。てっきり、黒色精霊種(ダークエルフの性癖を隠す為のデマだと思ってたけど』

「言っときますけど、私は人間だし、アルと私はそんなんじゃないからね?」

『ふふふふふ。丁度いい。その辺の男どもでは満足出来なくなってきていた所だ。あなたを殺して、今日はぐっすり眠れそうだわ」

狂気を宿した獣の瞳を見ながら、ルカは小さくため息をつき、人差し指を突きつけた。 

『何の真似だ?』

「あと一個だけ言っとく。このままじゃなんか、釈然としないから。あんたの恋人だった霊獣種(リカント。多分、彼を殺せたのはあんたの実力のお陰じゃないよ?」

『何を言うかと思えば。ケントは私に手も足も出なかったのよ?』

「手も足も、出さなかったんだよ。あんたと戦ってみて分かった。確かに一般人だったら人間だろうと精霊種(エルフだろうと霊獣種(リカントだろうと、あんたと出会ったら致命的だわ。でも、ケントは軍人候補だった。それも飛び切りの血統書付きのね。さっきからずっとそれが引っかかってたの。ケントには、あんたに一矢報いることくらい出来たはずだわ」

『…何が言いたい?』

獣の低い声に、ルカは初めて言いよどんでから、そして諦めるように言った。

「ケントはあんたが目の前で変わってしまうのを見ていた。あんたが発症したのはあの日が始めてだったんでしょ?どんなに姿が変わっても。心が変わっても。恋人のあんたに手出しするわけにはいかなったのよ!」

『うるさいッ!それがどうした!食い殺してやったんだ!私は、食い殺してやったんだよ!腕をへし折った!腸を抉った!喉笛を噛み千切った!私は、食い殺してやったんだ!』

激昂して。

獣はルカに飛び掛る。

いつの間にか、ルカの頬は涙で濡れていた。

 「あんた、もういいよ。哀しすぎるよ……」

 『ぐるるるっるるるるるるるっるるるるるうぉぉぉぉぉぉぉぉぉんッ!』

 「あああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 大きく振り下ろされた爪を掻い潜り、蹴りだされた脚をすり抜け、打ち合わされた牙を辛くもかわし、ルカの回し蹴りが獣の脳天を打ち据える。

 「あああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 ルカの攻撃は止まらない。

 怯んだ獣の左わき腹に拳を叩き込み、体勢を低くしてその脚をしたたかに払うと、元の少女の倍はありそうな、獣の巨体がぐらりと平衡を失って倒れる。

 「これでッ!終わりだッ!」

 立ち上がるその力を利用して、ルカが拳を握りこむ。

 その圧倒的な攻撃に翻弄される獣は天から自分を見下す月を見て、それから思い出したかのようにルカの姿をその目に収めた。

 「ありがとう。ルカさん」

 「ああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 たまさか見せた少女の笑顔は幻で。

 ルカの拳が獣の顎を叩き上げた。





◆◇◆◇◆◇◆
 



 アルフリート・ウルグルスは今日もまどろみから目を覚ました。

 慌てて寝煙草の始末をすると、台所からよい香りが漂ってくるのに気付く。

 昨日は大分憔悴していたようだが、今朝はもう台所に立っているらしい。

 とんとんとんと、リズミルな音も聞こえてくる。

 昨夜。

 遅まきながらも真相を見破ったアルフリートが駆けつけたときには、ルカはすでに血まみれの少女の隣で膝をついていた。

 アルフリートはすぐに少女に駆け寄り息があることを確かめると、その治療を施そうとして己が養い子に止められた。

「お願い。死なせてあげて」

 ルカの言葉に面食らいながらも、アルフリートは何とか彼女を説得し、アリサの命を止める事に成功した。

だがルカの危惧ももっともではあった。

いかに記憶がなかったとはいえ、いかに病のせいとはいえ。

いずれ万が一にも真相を知れば、少女は正気ではおられまい。

ここで生きるのが少女の為かどうか。

残念ながらそんなことを決められるほど、アルフリートという黒色精霊種(ダークエルフは傲慢ではない。

少女は深い昏睡に陥り、まだ目を覚ましていない。

それが少女が選んだ結末なのだとしたら、しずかに死んでいくのもまた仕方がないのかもしれない。

 
『…月狂病ルナティックとは月の病である。月と共に霊獣の姿は闇の一族(モンストロように変貌し血肉を 求める。だが、彼にその覚えはない』

本当にそうであればどんなにいいか。

アリサは薄々は感づいていたに違いない。

毎朝寝る前とは別の服を着ている自分。

夜寝る前の記憶を失っている自分。

おぼろげな自我の中で、彼女もまた誰かに止めて欲しかったのかもしれない。

「はい。ご飯よ」

物思いに耽っていると、ルカが食卓に朝食を並べだした。

焼きたてのパンを切り分けてアルフリートに差し出してくれる。

その姿はすっかりいつもの彼女のようだったが、その頬はまだ濡れていた。

「ルカ……」

「なんでもないよ。なんでもない。アル、何も言わなくていいから。何かいったら殴るから…」

 「うん…。今日のスープは、なんだ?」

 「…春キャベツと、白茄子…」

 「そうか…」

 アルフリートはそっとスープを口元に運んだ。

 よく煮込まれたスープは今日も美味しかったが、どこか涙の味がするような気がした。



かくれんぼ(ハイド・アンド・シーク) 了


事件(ケース)② とりかえっこ(チェンジリング)に続く



[20294] 事件(ケース)② とりかえっこ(チェンジリング)Ⅰ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 22:26


 たとえ老いさらばえて 私の姿が変わっても 燃える恋の火は変わりはしないわ

 時は私から 何も奪ってはいないもの

       ――古代の女流詩人 水霊種(ネレイドのリリスの詩『狂愁』より抜粋



 

 

 ヒト種(ヒューマンは総じて他種族に繁殖力で勝り、反面その他の全ての点で劣る。

 だから全種族中その個体数はもっとも多いが、どの国でも重要な役職についたり豊かな暮らしが出来たりすることは稀である――というよりほとんどないと言っていい。

 豊かで便利な都心部には、精霊種(エルフ霊獣種(リカントなどの優れた種が住み、貧民街(スラムにはヒト種(ヒューマンが住みつく。

 貧民街(スラムの治安はお世辞にも良いとは言えず、「貧民街(スラムの唯一の法は無法である」などと言われる始末だ。

 だが、どんな場所にも例外はある。

 例えば貧民街(スラムの片隅、本職でも近寄らない寂れた場所に、不思議な看板を出した建物がある。



 『万事、解決することがあります』



 やる気があるのかないのか。

 自信があるのかないのか。

 この建物は探偵社と呼ばれる不可思議な建物であるが、もっとも不可思議なのはこの建物に住み探偵を名乗る人物が、世界でも希少で高貴な種族として名高い黒色精霊種(ダークエルフであるということと、その黒色精霊種(ダークエルフヒト種(ヒューマンの娘子を育てているという奇怪な事実である。

 普通、精霊種(エルフヒト種(ヒューマンをさげずむ傾向がある。

 長い寿命を持つ彼らと比して、ヒト種(ヒューマンはあまりにも短絡的で、本能に忠実に過ぎ、そして視野が狭い。

 精霊種(エルフにとってヒト種(ヒューマンは出来損ないの種族であり、他種族の寛容が彼らを生かしているのである。

 であるから、探偵たるアルフリート・ウルグルスがヒト種(ヒューマンが住む貧民街(スラムに住み、あまつさえヒト種(ヒューマンと共に暮らしているなど、本来であれば到底信じられることではない。

 もっとも、精霊種(エルフよりも更に長い時を生きるとされる<黒色精霊種(ダークエルフには、元より変わり者が多いわけであるが。

 さて、アルフリート・ウルグルスは今日もうたたねから目を覚ました。

 世界広しと言えど、黒色精霊種(ダークエルフがうたたねしているところを見られる機会などそうはあるまい。

 だが目覚めたアルフリートの前には、みずみずしい肌を大胆に晒す彼の養い子の姿があり、もうそんなもの見飽きたとばかりに呆れて彼を見ていた。

 「何回言えばわかるの!寝タバコなんてして、火事になったらどうするの!」

 「ごめんなさい…」

 「まったく」

 どちらが養い親なのか、分かったものではない会話ではあるが、このアルフリート、今年で15、6になるだろう体が未発達な養娘の二十倍は軽く生きている。

 あまりにも長く生き過ぎて、己の年を正確には覚えていないほどである。

 もっとも、永遠の美を約束されるという彼の外見は、恐ろしく整った、女ならばむしゃぶりつかずにはおれない漆黒の美の化身とでもいうようなものであるが。

 アルフリートは未だ意識が判然としない状態で、己が養い子をちらりと見る。

 寝タバコに怒るルカは、両手の拳を腰に当て、薄い胸を張ってこちらをきつく睨んでいる。

 はっきりとした目鼻立ち。

 真紅の燃えるような艶やかな髪。

 そして絶対に美しい娘に育つと分かる整った造詣と張りのある肌。

 これで胸や尻の豊かさに恵まれれば、女性として完全であったのだろうが。

 「何か今、失礼なこと考えなかった?」

 「滅相もない」

 アルフリートが肩を竦めたのと、とんとんとんと扉がノックされたのとは同時だった。

 探偵社にはそう客が多いわけではない。

 探偵はアルフリートにとって職業ではない。

 道楽の類なのだ。

 「誰だろ」

 「ルカ。出てきて」

 「はいはい」

 ヒト種(ヒューマンよりも遥かに面倒くさがりの養父に呆れながら、ルカは玄関の扉を開けた。

 「だれ――」

 扉を開けて、ルカは絶句して後悔した。

 最初に目にしたのが、透き通るような白い肌をした、深い乳房の谷間であったからである。

 「ちっ」

 「随分だな。ヒト種(ヒューマンというのは客に会うなり舌打ちするのか?」

 ルカが思わず舌打ちすると、横柄な態度で女がルカをじろりと睨む。

 それは美しい精霊種(エルフであった。

 緑地の制服にハンチング帽を被るその職業の人物に、たとえどんな種族であろうとルカはあまりいい思い出はない。

 ましてやそれが、制服の胸のボタンが止まらないほどの、巨乳の持ち主となれば尚のことである。

 「警察が、うちに何か用?」

 ルカが嘲るようにそう言うと、女はふん、と鼻を鳴らしてから言った。

 それだけの仕草で豊かなふくらみがぷるると揺れるのが憎らしい。

 「ここに、アルフリート・ウルグルスという黒色精霊種(ダークエルフがいると聞いたのだが、どうやらデマであったようだな。栄養が肉体と頭に足りていない、ヒト種(ヒューマンの小娘はいるようだが」

 かちん、と音がした気がした。

 ひくひく、と頬を引きつらせ、こめかみをぴくぴく言わせながら、それでも警察と事を構える愚を知る少女は健気にも握った拳を収めた。

 「あいにくとこっちは成長期なんでね!だいたい、アルフリート・ウルグルスならそこにいるけど?寝起きだけど」

 ルカがそう言って養父を指差す。

 そこには、まだ眠気まなこの黒色精霊種(ダークエルフの姿があった。

 「あ、あ、る…」

 「あ?」

 「る?」

 アルフリートを視界に捕らえた女は、突然目を見開き、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしている。

 赤潮のときのフナの様な姿に、アルフリートとルカの二人が不審気な声を発する。

 だがその次の女の行動にこそルカは絶句した。

 「アルフリート様!」

 女は突然ルカを押しのけて家の中に入り込み、安楽椅子(ロッキングチェア)に揺られるアルフリートに飛び掛るようにして抱きついたではないか。

 大きな乳房がアルフリートの肩に当たってひしゃげる。

 「え、ええっと…」

 「覚えておいでですか!リリー・ダラーです!お会いしたかった!」

 「は、はぁ」

 アルフリートは困惑したように、頬をぽりぽりと掻いている。

 正直、この女性についてまるで思い出せることはないが、どうやら自分に好意を持っているらしいことは分かる。

 そして大抵の男は、自分を慕うプロポーション抜群の美女に抱きつかれて悪い気はしないものである。

 困惑しながらもアルフリートの頬がわずかばかり緩む。

 それはもしかしたら、彼女にあられもなく抱きつくリリーと名乗った精霊種(エルフに庇護欲を掻き立てられる幼さを感じたからかもしれなかった。

 突如、ぞくりとするような視線を感じてアルフリートは身震いした。

 恐る恐る。

 リリーの肩越しに視線の出元を辿る。

 そこには。

 「へ~~~~~~~。アルフリート…様……ねぇ………」

 そこには、両腕を組んでこちらを睨む、引きつった笑顔を浮かべる養い子のすがたがあり、アルフリートは―――。

 にこりと引きつった笑顔を返した。





 「―――子どもがとりかえられる?」

 たっぷり十分ほどもアルフリートに抱きつき続け、ようやく落ち着いたらしいリリーをルカが引き剥がして詰問を始めて初めて、アルフリートは「あ」と声を漏らした。

 「ダラーって、トーマス・ダラーのダラー?」

 「そうです!私、トーマス・ダラーの娘です!アルフリート様とは幼い頃にお会いしておりますわ!」

 目をきらきら輝かせるこの警察の女は、どうやらアルフリートの旧知の娘らしい。

 ちなみにアルフリートの旧知と言うと数年来から数十年来、下手をすると百年来となるから侮れないわけであるが。

 目をきらきら輝かせるリリーと仏頂面のルカと言う胃に悪そうな組み合わせの花を両手にしながら、アルフリートはリリーの話を聞き返した。

 こくりと頷き、話を続けるリリー。

 「このところ、都を騒がせている事件です。

 種族、身分などまったく共通項のない五つの家庭からある日忽然と子どもが消え去り、魔法生物と入れ替えられると言う悪質な事件が立て続けに起こっているのです。

 不審人物を見たと言う話はおろか、家庭によってはほんの数分目を放した隙に入れ替えが起こったと言うケースもあります。本部は闇の一族(モンストロ)の介入さえ疑っています」

 「ふむ」

 紅茶を口に含みながら、アルフリートは思案気に目を細める。

 「その魔法生物と言うのは?」

 「ふざけた、子どもくらいの大きさの蛙です」

 「かえるぅ?」

 「それはまた…」

 「愉快犯、なのでしょうが…。なんとも悪質なのです」

 「しかし、子どもを浚われた母親は心を痛めているだろうねぇ」

 アルフリートがそう言うと、リリーが複雑そうな表情で「いえ…」と言った。

 「それが、そうではないのです」

 「なぜ?」

 子を思わない母があるだろうか?

 ましてそれが不可思議な魔法に浚われたとすれば。

 だがリリーは首を横に振って言い辛そうに言った。

 「母親達は、蛙を自分の子どもだと信じて疑っていないのです。食事を与え、共に寝台につく者すらいるのです」

 「は?」

 「そういう術式なのか?」

 「わかりません。母親の方には魔法の気配はまったく…。蛙には強力な霊力エーテルを感じるのですが…」

 アルフリートは何かを得心したように頷いた。

 経験豊かな黒色精霊種(ダークエルフの男は、何か思い当たることがあるらしい。

 「――なるほど。それで、私に相談に?」

 「はい!」 

 言いながらリリーは頬を赤らめる。

 「是非、偉大なる黒色精霊種(ダークエルフたるアルフリート様のお知恵がお借りできればと…」

 「ふむ…」

 アルフリートは目を瞑り、しばし何事かを考える。

 次に目を開けたとき、しかしその表情はどこか人の悪い笑みとなっていた。

 「ルカ。お前がついていきなさい」

 「はぁ?」

 「へ?」

 素っ頓狂な声を上げる二人の娘に、アルフリートは片目を瞑ってみせる。

 「何事も勉強だ。私が行ったのでは後進が育たないだろう?」

 そう言って、笑って見せた。




 続く




[20294] 事件(ケース)② とりかえっこ(チェンジリング)Ⅱ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 22:18


 ルカは一人の婦人を見ていた。

 上品な白いドレスに身を包んだ精霊種(エルフの貴婦人は、その種族と身分とに見合った高貴な雰囲気を醸し出している。

 紅茶を口元に運びながら、客人たるルカと警察のリリーと談笑する貴婦人。

 ヒト種(ヒューマンのルカに対して嫌な顔一つせずに応対する様から、彼女が人格者であることが窺い知れる。

 まったく非の打ち所がない素晴らしい女性である。

 時折、傍らに座る物言わぬ蛙に向かって、微笑みながら離しかけることを除けばであるが。





 「終始、あのような調子なのだ」

 屋敷の主人たる精霊種(エルフの紳士は苦い顔をしながら、別室に通されたルカとリリーにそう言った。

 「リヒャエル―息子だが―が浚われたことを説明しても納得しない。『あなた何を言ってるの?リヒャエルならここにいるじゃない』などと言って、蛙を抱きしめる始末でな。

 無理に引き離そうとすると怒り出すし、まったく手に負えんよ。こうしている間も本当の我が子がどこでどんな目に遭ったいるかと思うと、息が止まりそうだ。―まぁ、妻がそんな懊悩を抱えずに済んでいるのだから、一概に悪いとは言えないのだが――」

 紳士はそこまで行って、ふぅと溜息をついた。

 「正直言って気持ちが悪いのだよ。考えてみたまえ?あんな、子どもの大きさをした蛙に妻が話し掛けたり、あまつさえお休みの接吻をしたりしているのだよ?私には耐えられない」

 そう言って精霊種(エルフの端正な顔を歪ませる紳士。

 リリーが「お察しします」とだけ短く言うと、紳士は気分を害したらしくやや声を荒げて言い募った。

 「そんなことはしなくていいから、早くリヒャエルを見つけてくれ給え。私たちが日ごろ税を納めているのは、こういう時の為なのだからな」

 紳士はリリーをきつく睨み、リリーは―――

 「早急に解決いたします」と深く頭を下げたのだった。



 「あの狸親父め。貴様が税を納めているのは中央への義理立てとへつらいだろうが。大体警察官だって税は収めているというのに」

 屋敷を出てしばらく歩くと、リリーは途端に顔を歪ませてそんなことをぶつくさ言い始めた。

 言いつけで一言も口を聞かなかったルカは、そこでぎょっとしてリリーの端正な顔を見る。

 「――どうした?」

 「あんた、二重人格って言われない?」

 「なんのことだ?まぁ、メリハリが効いた性格とはよく言われるが…」

 「ははは…」

 物はいい様である。



 ルカが思い出していたのは、彼女の家を出るときのリリーの変貌振りであった。

 アルフリートに二人で事件を解決するように言われ、ルカはしぶしぶながらもそれを承諾した。

 リリーはいけ好かない女であるが警察に貸しを作るのは悪いことではないし、「子どもが魔法生物と取り替えられる」という事件自体にも興味が出始めていたのである。

 「では仲良くな。ルカ、リリーに迷惑を掛けるなよ。リリー、ルカをよろしくな。自慢の弟子だ。きっと君の役に立つ」

 「はい!ありがとうございます」

 ぱぁっと花が咲いたような鮮やかな笑顔でアルフリートの声に答えるリリー。

 張り出した大きな乳房の前で両の手を組んで感謝の意を示しているが、腕が胸を押し上げ、剥き出しの谷間をアルフリートに強調するような形になる。

 「ごほん。事件の早期解決を祈っているよ」

 「必ずご期待にお応えします。アルフリート様!」

 「いってきま~す」

 びしっと敬礼し―その動作でまた胸が揺れるのがルカには本当に憎らしいが―探偵社を出るリリー。

 その後に続いたルカは、まぁ頑張るか、そう思って扉を閉めて、「じゃあ、よろしくね」と、リリーに向けて一応にこりと微笑んだ。

 が、そのルカに向かって、リリーはきっつい視線を送りながら言ったのだった。

 「うるさい。私に話しかけるな、ヒト種(ヒューマン!アルフリート様があぁおっしゃるから一緒に来させてやるが、貴様なんぞに借りる力はかけらもない。この事件は私が解決する!いいな!お前は何も言わず、黙ってそこにいるだけでいい!」

 「はぁ?」

 「貴様なんぞ役に立つはずがないだろ?私は精霊種(エルフで貴様はヒト種(ヒューマンだ。そのくらいのことも分からんのか?」

 

 と、言う具合の最悪の出だしを切って、二人の冒険は幕を開けたのだった。







 ◆◇◆◇◆◇◆





 「先生。いつまでこの街にいるんですか?私すっかり飽きちゃったんですけど」

 日の差し込まぬ暗い部屋で。

 一人の少女が、椅子に深く座りうたたねとも瞑想ともつかぬ瞑目の中にいる男に声を掛ける。

 男はゆっくりと目を開き、静かな声で少女に答えた。

 「アナスタシア。君は料理も上手いし可愛いしよく気が利くが、飽きっぽいのがよくない。何事も、余裕を持って振舞わなければ優雅とは言えないよ」

 そう言われた少女は「はいはい」と言って耳の後ろあたりを掻いた。

 その何気ない仕草が妙に様になっている。

 少女、と言ったが、その肉体は成熟した女性と少しも変わるものではない。

 黒地に白いフリルのついたドレスに覆われた肉体は、豊満と言って差し支えないものであったが、その表情はまだあどけない少女のものである。

 大きな瞳に整った顔立ち。

 青い髪をした美少女。

 少女は二房に分けて頭の上から垂らした独特の髪を指で梳くと、男に向かって重ねていった。

 「お説教はいいですから。次行く所が決まってないならそう言ってください」

 「厳しいな、アニー。訂正。厳しい所もよくないね」

 「まったく…。大体先生は道楽が過ぎますよ。あんなことして、何か先生の得になるんですか」

 少女の指摘に、男は目を細め、そして楽しそうに口を開いた。

 「『たとえ老いさらばえて 私の姿が変わっても 燃える恋の火は変わりはしないわ

 時は私から 何も奪ってはいないもの』」

 「何ですか?それ」

 「古い謡だよ。なかなかいい詩だろ?」

 「まぁ先生の音痴で台無しですが」

 「うるさいな。私たちの心は移ろいやすい。それはどの種でも変わらない。私のようなものでも、君のようなヒト種(ヒューマンでもね」

 そう言った男の顔が数瞬光に晒される。

 長くとがった耳は精霊種(エルフの特徴である。

 その美貌もまた。

 だが、その褐色の肌は?

 男は満足そうに笑うだけだ。





 

 それから4件、ルカとリリーは同じ事件の被害者の家を回った。

 それは霊獣種(リカントだったり精霊種(エルフだったり地霊種(ドワーフだったりヒト種(ヒューマンだったりしたわけであるが、どの家も基本的には同じ被害にあっており、ご婦人方は蛙を抱きしめているばかりである。

 ルカは考える。

 これは非常に手の込んだ事件だ。

 ①子どもを浚い、それを魔法生物と入れ替え、

 ②母親にそれが子どもだと思い込ませる

 かなり高度な手法だが、目的は愉快犯だろう。

 近年、目立った戦争もなくなった共和国の時代。

 それまで高い魔導技術や戦闘技能をで名を馳せた天才達の才能の行き場がないことが大きな問題になりつつある。

 彼らの中には、都市を丸ごと破壊できるくらいの技術で、恐ろしく手の込んだつまらないいたずらをするものもいて、被害自体はたいしたことがないのに警察がどうにも解決できないと言う迷惑極まりない犯罪で、暇を潰すものがいる。

 「才能の無駄遣い(ネバー・ユースフル」と呼ばれるそれらの犯罪者は決まって社会的地位の高い者や、伝説級の人物であることがままあり、警察の悩みの種となっている。

 だからルカには、リリーがアルフリートを頼ってきた気持ちが分からないでもない。

 アルフリートもはっきり言って「才能の無駄遣い(ネバー・ユースフル」と変わらない。

 高い技術と才能を持ちながら、それを活かすようなことは何一つしていない。

 ヒト種(ヒューマンが身を寄せ合うように住まう貧民街(スラムで、一人のヒト種(ヒューマンの少女を育てながら、探偵などと言う益のない生業をしているだけだ。

 それすらほとんとはルカが動き、アルフリートは何もしてないに等しい。

 アルフリートが何を目的にしているのか。

 そんなものがあるのかどうかすら、ルカには検討もつかなかった。

 さて、栄えある中央の警察官、それも警部を名乗る女性であるところの精霊種(エルフであるリリー・ダラーは、相変わらず進展を見せない事態に苦い顔をしていた。

 そもそもにっちもさっちも行かなくなったからアルフリートの噂を頼りに貧民街(スラム)にまで足を運んだのである。

 それなのに。

 リリーは自分のとなりであくびをかみ殺す少女を射殺すように視線を送る。

 こいつさえいなければ・・・。

 大体、こんな女がアルフリートと一緒に暮らしているというだけで我慢がならないのだ。

 なぜ黒色精霊種(ダークエルフともあろうものが、ヒト種(ヒューマンの女などと一緒に暮らしている。

 「まさかアルフリート様は幼児嗜好者(ペドフィリア)なのか…?」

 「あんたぶっ殺されるよ」

 つい漏らしてしまった言葉におほん、咳払いしてごまかしていると、リリーの胸の谷間がぽわっと光った。

 リリーはごそごそと胸の服の中に手を入れて、美しく縁取られた輝く宝石を取り出す。

 「なんつーとこに仕舞ってるのよ」

 「うるさい。肌身離さず、が基本なんだ。警察官の身体情報(バイタル)も拾っているからな」

 精霊石である。

 魔導的にさまざまな特性を付与できるが、これは警察用に調整された特注品である。

 リリーが宝石に向かって短く呪言(ルン)を呟くと、宝石から男の声が聞こえた。

 遠くにいるものと声をかわすことが出来る「遠信」の術を簡易的に行うことが出来るのだろう。

 ルカは、へぇと感心したような声を出す。

 「そうか…わかった。うむ。いや、いい。私が行こう。相手が相手だ。あぁ、そうしてくれ。頼んだ」

 話が終わると、リリーは精霊石を再び胸の中にしまう。

 「どうしたの?」

 ルカが訊ねると、リリーは誇らしげに笑いながら言った。

 「警察の捜査力が、事件の直前に街に現れた魔導士風の奇怪な人物を洗い出した。貧民街(スラム)の一角に住み着き、若い女に買出しなどさせているらしい。十中八九今回の犯人と見て間違いあるまい」

 「ふぅん」

 「見たか。貴様の力など必要ない。私は今からその魔導士を制圧してくる。おそらくかなりの使い手だろうが、まぁ私にかかればどうということはあるまい。貴様は帰って私の吉報を待っているのだな」

 そう言ってリリーは腰に差した長剣の柄を握る。特殊な呪力が込められているらしく、リリーの気合に反応するように淡く光った。

 そんなリリーを見ながら、ルカはヒトの悪い笑みを浮かべてから言葉を返した。

 「私も行く」

 「は?」

 「だって、アルには私を連れて行くように言われてるでしょ?」

 「そ、それはどうだが…」

 「行くわよ、そんなの。こんなとこで放り出されても面白くないじゃない。さ、行きましょ。貧民街(スラム)なら私に知らないところはないわ」

 さぁ、どこなの?と詰め寄ってくるルカに、リリーは反論しようとするが、アルフリートがそう言ったことには間違いがない。

 「言っとくけど、ここで放り出されたらそのままアルに言うからね?アルの面子つぶす気?」

 アルフリートの名前を出されたらリリーにはどうしようもない。

 「き、貴様」

 「ほら、どこなのよ?」

 リリーは怒りにぷるぷると震えながら、その場所を口にするのだった。

 

 

 

 「ん?」

 暗い室内で、男は疑問の声を発した。

 「どうしました?」

 青い髪を揺らしながらアナスタシアがそう訊ねると、男は「ふむ」と細い顎に手を掛ける。

 「お客様だ。ここの入り口まで来てるよ。なるほど。警察と言うのもあながち馬鹿ではないらしい」

 まるで見えているかのように喋る男に、しかしアナスタシアは驚くでもなく呆れた声で言った。

 「だからそろそろ街を出ようって言ったじゃないですか」

 「起こったことをとやかく言っても仕方あるまい?ガルムを放っておいてくれ。私は出発する準備をしておくから」

 「ガルムって。警察のひと食べられちゃうんじゃないですか?」

 少女の声に、男はそれがどうした?とばかりに言葉を続けた。

 「警察なんだ。そのくらい、覚悟してるだろ?」

 そして支度を始める男には、すでに誰かの命のことなど意識にないようであった。





 「開けるぞ」

 「どうぞ」

 ぎぎぎぎと古びた扉を開き、リリーとルカは黴臭い建物の中に侵入した。

 「留守だったらどうするの?」

 「男は部屋を一歩も出ないらしい。余程目立つ外見でもしてるんだろう。見ればすぐに分かる」

 二人が慎重に室内に入って行くと、突然、部屋の奥から低いうなり声が聞こえだした。

 「…なるほど。留守じゃないみたいね」

 「なんだ?」

 リリーは腰からかちゃり、と長剣を抜き放つ。

 ルカもまた腰のポーチからナイフを取り出した。

 

 ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるる 



 部屋の奥からのそりと、大きな身体をした何かが歩いてくる。

 「ちょ、これって……『地獄の番犬(ケルベロス)』じゃん!?」

 「闇の一族(モンストロ)だと!?」 

 現れたのは、身の丈が天井に届くほどの三つ首の巨大な犬だった。

 凶悪な頭ひとつでルカやリリー一人分は裕にある巨体である。

 「やっと面白くなってきたじゃない」

 ルカはそう言うとぺろりと唇を舐め、ナイフを構えなおしたのだった。




続く



[20294] 事件(ケース)② とりかえっこ(チェンジリング)Ⅲ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:707fc7f9
Date: 2010/07/31 22:13


 地獄の番犬(ケルベロスは俊敏であった。

 屋外であれば平屋の屋根まで届いたであろうその巨体が、獣の運動能力を持って二人の少女に大きな顎を開いて飛び掛る。

 幸か不幸か。

 建物はホールの様な、がらんどうな構造になっていて天井も高く、巨大な闇の一族(モンストロ)が動き回るのに十分な広さを備えていた。

 何と言ってもその巨大さは、ルカなど一飲みにされかねないほどであり、実際その大きな口はルカがすっぽり入ってしまえるほどであった。

 無論、無数の牙が生え揃った口内に飛び込んで、無事に済むはずもないのであるが。

 「早い!」 

 ルカはその突進にも似た飛び付きを大きく右に跳んでかわした。

 リリーを見ると、左に回避しているようである。

 ルカはすかさずナイフで地獄の番犬(ケルベロスの前足に斬りつけるが、強固な毛皮に弾かれてしまう。

 「駄目か」

 元より通じると思っていたわけではない。

 その攻撃がしかし幾ばくかの痛痒は与えたか、地獄の番犬(ケルベロスが煩わしそうにルカを尾で払おうとする。

 「くっ!」

 頭上から打ち払われる一撃を、ルカはその場で横回転することで凌いで見せた。

 「危ない危ない」

 ととっと、たたらを踏んで後方に下がったルカに、リリーが呆れたように声を掛ける。

 「貴様、本当にヒト種(ヒューマンか?霊獣種(リカントみたいな身軽さだ」

 「あいにくと、か弱いヒト種(ヒューマンの女の子よ」

 ルカはそう言ってナイフを握りなおす。

 「なるほど。言うだけのことはあるようだな」とリリーは面白く無さそうに言った。

 「悪いけど、私には決定打がないわ。あれに殴りかかっても通じそうにないし、ナイフは弾かれるし。それ、霊刀?」

 リリーがその手に抜刀した長剣を指差してルカが尋ねる。

 「いかにも。鬼種(ホルン)の名工ガリュウの作、麒麟爾(キリンジ)だ。邪を払い魔を滅する。あんな巨大きな犬風情、斬り捨てて見せよう」

 「言ったわね。見せてもらうわ。私はフォローにまわる」

 「いらんわ。見ているだけでいい。私があれの首を刎ねる様をな!」

 言うが早いか。

 精霊種(エルフは硬い地面を蹴って飛び出した。

 「ちょっと!」

 攻めあぐねていたらしい地獄の番犬(ケルベロスはそれを見て、唸りを上げながら三つの大口を開ける。

 「遅い!」

 だが、精霊種(エルフたる彼女は地獄の番犬(ケルベロスの迎撃よりも尚早い。

 俊足から繰り出される攻撃が、地獄の番犬(ケルベロスの首を宣言通りに刎ねるかと思われたとき、しかし地獄の番犬(ケルベロスの口元に高熱が集中する!

 「あぶない!」

 後方から聞こえるルカの声。

 ぞくりと危険を知らせる精霊種(エルフの第六感。

 今にもその一撃が届きそうだというのに、リリーは知らず地を蹴り、大きく左に転がり込んでいた。

 その、たった今の今までリリーがいた場所に、見るだけで高温と分かる火球が地獄の番犬(ケルベルス)の口から放たれて轟く。

 ごう、と音がして、空気が熱で歪んだ。

 それは、明らかに人のひとりなど優に焼き尽くすだろう、マグマの様な業火だった。

 「なんという…」

 「ただの地獄の番犬(ケルベロスじゃないってわけね」

 眼前に立ち上る業火を前にしているというのに、ルカの頬を冷や汗が伝った。

 「くそ。次こそは・・・」

 「やめときなって!」

 尚も突撃しようとするリリーの長い髪を掴むルカ。

 うが、とか言って思い切り仰け反るリリー。

 「何のつもりだ?邪魔するな」

 「邪魔するなじゃないでしょうが。さすがのあんたよりも火焔の熱伝導の方が早いわ。まともにいったって無理だってば」

 「だからと言って。いつまでも逃げ回っていても、その内根気負けするだけだ。あるいは、犯人達に逃げられるだけ」

 「それも、そうなんだけど…」

 言いながらルカは考える。

 どうやらリリーは無策だ。

 面倒だがルカが考えるしかない。

 まったく、警察とは名ばかりの猪突猛進振りである。

 と言っても答えは最初から決まっていたようなものだ。 

 ルカにはそもそも決定打がないのだから。

 「…リリー。あんた、その剣であれを仕留められる自信は?」

 ルカが尋ねると、リリーはふん、と鼻を鳴らした。

 「ヒト種(ヒューマンごときに心配される謂れはないわ。近づきさえできれば、一刀の元に切り伏せてくれる」

 「その言葉、信じるからね」

 「何?」

 そう言うと、ルカはポーチの中から小瓶を取り出す。

 そして中に入った青い液体を指にとると、己の腕に何がしかの文様を描き出した。

 「水精(ヴォジャノーイ)の印?それは魔炭か。貴様、何をするつもりだ?」

 理解不可能とばかりに尋ねるリリーに、ルカはにこりと笑っていった。

 「へましたら、アルにチクるからね!」

 「なんだと?」

 「行くわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 雄たけびを上げるルカ。

 彼女はナイフを投げ出し、あろうことか無手で地獄の番犬(ケルベルス)へと突っ走る!

 「馬鹿な!」

 驚愕するリリー。

 それも止むを得まい。

 彼女は今や、豪火球の格好の餌食であるのだ。

 彼女の真意など構うこともなく。

 地獄の番犬(ケルベルス)は大きな口を思い切り広げた。

 「よけろー!」

 リリーの声が轟く。

 だがルカは。

 あえてその炎に立ち塞がるように立ち止まった。

 「イリ・ダニヤ・ラーシュテ(炎よ、我は汝を拒む)!」

 文様が描かれた腕をクロスして、ルカが呪言(ルン)を叫ぶ。

 文様が青く輝いて呼応したかと思うと、地獄の番犬(ケルベロスの豪火がルカの直前で弾けて拡散する!

 「あああああああああああああああああああああッ!」 

 「ヒト種(ヒューマンの身で、それを防ぐかッ!」

 「か、感心してないで!早くして!」 

 あまりのことに感嘆の声を漏らすリリーに非難がましく声を上げるルカ。

 ううん、と咳払いをして、リリーはルカと業火の横をすり抜け、地獄の番犬(ケルベロスに向けて突っ走る。

 「喰らえ!」

 炎を吐くには集中がいるのだろう。

 がら空きの地獄の番犬(ケルベロスの首に、リリーの長剣が閃く。

 ずばっと音がした。

 完璧なタイミングでリリーの剣が地獄の番犬(ケルベロスの首を薙ぐ。

 いや、音がした気がした。

 それはそれほどに見事な一撃だった。

 「は?」

 剣の刀身が触れた瞬間。

 ケルベロスはその身体を煙のようにかき消したのである。

 まるで、初めからそんなものが存在していなかったかのように。

 「なん…だと?」

 当のリリーも拍子抜けしたように困惑を表情を浮かべる。

 炎も消え、ルカも拍子抜けしたようにぽかんと口を開ける。

 今の今まで地獄の番犬(ケルベルス)がいたその場所には、なんと小さな子犬がいてつぶらな瞳でこちらを見ている。

 「……は?」

 ルカが思わず睨むと、きゃいんきゃいんとか言いながら犬は部屋の出口らしき方に走っていく。

 「――あらら。やられちゃったんですか?よしよし」

 そこにはフリルのついたドレス姿のヒト種(ヒューマンの女がいて、子犬を抱き上げて宥めている。

 青い髪を頭の上で結んで垂らした奇妙な髪型。

 整った顔立ち。

 そしてなにより服の上からでも分かる膨らんだ胸。

 主に三つ目が燗に触ったらしく、ルカがイラついた声で女に尋ねる。

 「あんたが、今回の犯人なの?」

 ルカの声に小首を傾げる女。

 リリーがその言葉の先を拾う。

 「青い髪にメイドのような格好。間違いない。貴様だな?魔導士風の男の買出しなどしているというのは?我々は貴様の主人に用がある」

 リリーの言葉に女はぴくりと眉を震わせた。

 「勘違いしないでいただきたいのですが、この格好は単なる先生の趣味であって、私は先生のメイドでも何でもありません。ですから先生は主人だとかではなく、強いて言えばロリコンの変態です」

 「アナスタシア。ひとがいないからって好き勝手言うのはやめてくれないか?」

 「あら?いらたしたのですか?」

 いつの間にか。

 頭まですっぽりフードをかぶったローブ姿の男が現れ、リリーとルカは身構える。

 だが男はひらひらと手を動かし敵意がないことを告げる。

 「ああ、別にそう構えなくてもいい。準備が終わったから、とっとと出て行くよ。それでいいだろう?警察のお嬢さん?」

 「いいわけがないだろう。貴様が浚った子ども達の居場所を、吐いてもらうぞ」

 言いながらリリーが男に向かって霊刀を向ける。

 やれやれ、と言いながら男は長い指でリリーの足元の地面を指差した。

 「サルース・ルル・アタリリス(風、立ち昇る)」

 「何?」

 男が呪言したかと思うと、リリーと男達を遮るように突風が壁となって立ち塞がる。

 「なんだと!?」

 突風に向けて霊刀を叩きつけるリリー。

 しかし自慢の一撃は風におし戻されるだけだ。

 「無駄だよ」

 そう言う男のローブのフードが風を受けてはためき、男の素顔が明らかになった。

 「!?」

 「うそ……」

 長い銀色の髪に、とがった耳。精巧な神像のように整った顔立ちに、褐色の肌。

 「黒色精霊種(ダークエルフ?」

 男はにこりと笑った。

 「どうしたお嬢さん?知り合いに黒色精霊種(ダークエルフでも?ん?おやおや、君はまさか……」

 男はそう言ってルカを見た後、アナスタシアと言うらしい少女を見やる。

 メイド姿の少女は不思議そうに小首を傾げる。

 「何です?可愛いからってただで見つめていいと思ってるんですか?」

 「私は一応君の養い親なんだがね?」

 「黒色精霊種(ダークエルフヒト種(ヒューマンの子を育てるだと?まるでアルフリート様のような――」

 「リリー!」

 しまった、とばかりに口を抑えるリリー。

 「アルフリート?アルフリート・ウルグルスか?そして迂闊なお嬢さんの言葉通りなら、君を育てているのか?アルフリートが?」

 男の声に答えることのないルカ。

 その表情を見て、男はにやりと笑った。

 「アルフリートも私と同じ事を考えているようだよ」

 「まさか、あれが【赤】なんですか?」

 「そう」

 「へぇ~」

 言いながら、品定めするようにルカを見るアナスタシア。

 「あなたがねぇ」

 「ナンなのよッ!」

 ふふふと笑うアナスタシア。

 「どうするんですか?」

 すっかり機嫌がよくなったアナスタシアが男に尋ねる。

 だが男は肩を竦ませてから言った。

 「どうもこうも。逃げるのさ。準備は終わった」

 「え?でも……」

 「まだ、時ではないよアニー。いずれ、私の方らかアルフリートに挨拶に行こう」

 「結構よ」

 「そういわないで。アルの奴に伝えておいてくれ。ルキフェルが、いずれ会いに行く」

 不満そうなアナスタシアをつれ、ルキフェルと名乗った男は懐から取り出した小瓶を足元にさらさらと蒔いていく。

 「【空遊びの砂】!」

 「その通り。またな、【赤】のお嬢さん。次に会うときは時が満ちているといいね」

 「また、会いましょう」

 「待って!子ども達はどこ?」

 少女の声に首を傾げるルキフェル。

 「地獄の番犬(ケルベロスのガルムを退けたのだろう?答えはもう出ていると思うが?」

 「どういうこと?」

 「私は何も奪っていない」

 印象的ににこりと笑って、黒色精霊種(ダークエルフは空間を跳躍する。

 後には、風の壁と二人の少女が残されているだけだった。

 「くそっ!どうする?」

 壁を蹴りつけるリリー。

 だがルカは静かに顎に手をあてて考えている。

 「子犬は地獄の番犬(ケルベロスの姿を借りていた?あいつは何も奪っていない?……そうか!」

 「どうした?」

 リリーが不思議そうに尋ねると、ルカは笑顔で「蛙よ、蛙」と答えた。





 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 「ただいま~」

 探偵社の扉を開けて、ルカは養い親に帰宅を告げる。

 「おかえり」

 部屋の奥。

 安楽椅子(ロッキングチェア)に腰掛けてそれに答える黒色精霊種(ダークエルフの姿。

 「思ったより、遅かったな」

 アルフリートの声に、ルカは憮然とした表情で答えた。

 「初めから、わかってたのね?アルには、今回の真相が」

 「なんのことだ?」

 からかうようにそう笑うアルフリートに、ルカは唇を尖らせる。

 あの後、最初に訪問した精霊種(エルフの家を訪れたリリーとルカは、子どもと入れ替わった蛙に、リリーの霊刀を触らせた。

 すると蛙はたちまちのうちにその姿を愛らしい精霊種(エルフの子どもに変え、主人とリリーを驚愕させた。

 何食わぬ顔をしているのは当の本人と、母親とルカだけだった。

 「初めから何も奪っていない。子ども達が蛙の姿をしていただけだったってことね?」

 「その通り。【借身】という古い術だ。使い手が、まだいるとは思わなかったがね」

 霊刀は呪術を打ち破る力を持つ。

 地獄の番犬(ケルベロスの姿を借りた子犬も、蛙の姿を借りた子どもも、霊刀に触れてもとの姿に戻ったというわけだ。

 「リリー・ダラーはどうした?」

 「残りの三件に行ってる。また改めて御礼を言いに来るって」

 「そうか」 

 言いながらアルフリートは深く安楽椅子(ロッキングチェアに腰掛けなおす。

 「なんで、母親だけには術が効かなかったの?それだけが分からない」

 「ふむ?」

 黒色精霊種(ダークエルフはそう言ってにこりと笑った。

 「母親であれば、どんな姿を借りようとそれが我が子であることがわかるものだ。それだけのことだよ」

 「ふぅん」

 釈然としない様子のルカにアルフリートは言った。

 「お前もいずれ母親になればわかる」

 「はいはい。私はまだ子どもですよ」

 そう言って台所に行こうとして、「あ」と思い出したようにルカがアルフリートを振り返った。

 「黒色精霊種(ダークエルフが今回の黒幕だった。ルキフェルって知ってる?」

 「ルキフェル?……そうか。生きていたのか。まぁそれなら。奴なら知ってるだろう、そのくらいの術」

 「彼は私を【赤】って呼んでた。そして、青い髪の女の子を連れてたわ」

 「何!?」 

 思わず椅子から飛び上がらんばかりに驚くアルフリートを、ルカはいぶかしげに見る。

 「何?」

 「い、いや……。ルキフェルは何か言ってたか?」

 「ううん。ああ、時が満ちたらいずれ会いに来るって」

 「そうか……」

 そう言ってアルフリートは瞑想ともうたたねともつかない瞑目に入っていく。

 ルカはその姿を認めてから台所に向かう。

 その脳裏に、別れ際のリリーの言葉が響く。

 

 「世話になったな。貴様を見くびっていたことだけは認めてやろう」

 「なにそれ?私と仲良くしたいの?」

 まさか、と笑いながら、リリーは「そうだ」と言葉を続けた。

 「あの二人について何か知らないか?あっちはそちらを知っている風だったが」

 「さぁ?知らない」

 「本当に?」

 「しつこいわね。なんで?」

 そうか、自分では気付いていないのか、と呟いて、リリーはその言葉を発した。

 本当はその言葉について、一番アルフリートに聞きたかった。

 でも。

 ルカには怖くて聞く事が出来なかった。

 それを聞くと。

 彼女とアルフリートの生活が音を立てて崩れていくような気がして。

  

 「お前とあの青い髪の女、顔がそっくりだったじゃないか。まるで姉妹のようだったぞ?」

  

 自分が何者なのか。

 その問いを、ルカは苦労して忘れることにした。



 とりかえっこ(チェンジリング) 了



 事件(ケース)③ 鬼ごっこ(チェイス)に続く




[20294] 事件(ケース)③ 鬼ごっこ(チェイス)Ⅰ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/07/31 22:38
 

 「こんにちわぁ」

 分厚い樫の扉をうんしょと開けると、からんからんと鐘がなる。

 膨大な量の本が居並ぶ書店の奥から、小さな眼鏡をかけた地霊種(ドワーフの老人がのそりと出てきた。

 「おや、ルカちゃん。今日はひとりかい?」

 「まぁね。うちのひと、ずぼらだから」

 そう言ってひらひらと手を振るルカに老人ははっはっはと豪快に笑った。

 「ルカちゃんにかかっちゃあ、黒色精霊種(ダークエルフの旦那もかたなしだのぅ。頼まれた本だね。用意するから、ちっと待っててな」

 「はぁい」

 「ほら、そこに座ってなぁ」

 「はいはい」

 そう言って、勧められた椅子にちょこんと座る赤い髪のヒト種(ヒューマンの少女に、老人は好々爺の視線を向ける。

 「でも大きくなったなぁ。一人でお使いに来られるようになるなんて」

 「……いや、まぁね。私ももう16だし。それにしても西区に来るのは久しぶり」

 「そうかい。今日はこのまま帰るのかい?」

 いいながら老人がグラスにジュースを注いで呉れる。

 「ありがと。ううん、久しぶりだから、どっかで一泊して帰るつもり」

 「そりゃあ、旦那が寂しがるなぁ」

 「あのひともそろそろ子離れしないとね」

 豪快に笑う老人。

 ルカもにっこりと笑いながら、グラスに口をつけた。

 







 こんこんこん

 ノックの音が、アルフリート・ウルグルスをまどろみから目覚めさせた。

 眠たげに目を擦るアルフリート。

 「ルカ。出てくれ」

 そう言ってから黒色精霊種(ダークエルフの探偵は「あ」と漏らした。

 「そうか。使いを頼んだんだったな」

 よくよく外の様子を窓から見れば、日は高く、最早昼といって差し支えない時間である。

 「私はルカに起こされないと昼まで寝てるのか…」

 やや自己嫌悪に陥りながら、アルフリートはくすぶる煙草の火を慌ててもみ消した。

 「誰だね?」

 がちゃりと扉を開けるアルフリート。

 そこに立っている人物を目にして、彼は少々の驚きと共にその目を大きく開いた。

 「どうしたんだね、リリー・ダラー。その、今日は私服なんだな」

 「ご機嫌麗しゅう、誉れある黒色精霊種(ダークエルフであられる方。いつぞやは大変にお世話になりました。今日は非番なのです」

 そう言ってにっこりと微笑むのは、金髪を棚引かせる美しい精霊種(エルフの娘、リリー・ダラーである。

 ルカが二重人格と称する彼女は、いまや完全にアルフリートに心酔する上品な娘の表情で笑う。

 白い、ふぅわりとした紙の様な薄手のドレスを纏っていて、風が吹けばあられもない姿になりそうなほどの薄着である。

 肩紐で支えられた胸元はしかしいかにも重たげに揺れていて、身長差があるアルフリートからは深い胸の谷間が覗いて見えてしまう。

 んん、と咳払いをして、アルフリートはリリーを室内に招き入れた。

 「休みの日にわざわざ来てくれたのかい?あいにくルカがいなくてね。満足にお茶を淹れる事も出来ないが」

 「知っていま――、いえ、そうなんですか?残念ですわ。ご息女・・・にもお会いしたかったのに」

 「ん?まぁ娘のようなものではあるが…」

 やけにその言葉を強調するリリーに小首を傾げるアルフリート。

 もちろん、ルカの留守を狙ってやってきたらリリーは心中を少しも教えない天使のような微笑で言葉を続ける。

 「あ、私がお茶をおいれしましょうか?台所をお借りしても?」

 「悪いね」

 言って恐縮するアルフリートに微笑みかけながら、リリーは小走りするように台所に向かい、小さくガッツポーズをした。

 「ここまではいい。ここまでは。だが慢心するな。『知人のかわいい娘』から『気になる素敵な女性』まで段階を上げるのだ」

 なにやらぶつぶつ呟くリリーを、アルフリートは不思議そうに見ていた。





 「竜王会?鬼人族(ホルンのかい?」

 「そうです。昨日、その首領(ボス)の座を巡って大規模なクーデターが起きたそうです。前首領(ボス)と幹部陣は粛清されましたが、一部が逃亡中で、そこここで抗争が起きています。西区の警察も対応にてんやわんやですわ」

 「そうか。ギルバートの奴がね…」

 「お知り合い、ですか?」

 「貧民街(スラムに住んでると色んな知り合いが出来る。人生が面白いよ」

 「は、はぁ」

 そう言って紅茶を口にするリリーは苦い顔をした。

 それを見てアルフリートも苦笑する。

 「まぁ、君の立場からすると、容認できるものではないだろうがね」

 普段は胸のボタンがしまらない制服を着ているリリー・ダラーは、れっきとした中央の警察官なのである。 

 鬼人族(ホルンという種族は、先の大戦ではその勇猛さで一目も二目も置かれる存在であった。

 屈強な肉体と生まれながらの飽くなき闘争心、そして何より刀剣の匠としての才能から、戦事となれば鬼人族(ホルンの存在は欠くべからざるものであったのだ。

 だが戦が終わり、共和国の時代になると、鬼人族(ホルン達はその力を持て余した。

 精霊種(エルフ達が行政や警察機構に、霊獣種(リカント達が規律正しい軍隊にその存在意義を見出す中、根っからの武人である鬼人族(ホルン達はそのどちらの選択肢も取れなかった。

 必然的に、多くの鬼人族(ホルンは、栄えある有力種族でありながら中央を追われ、光ある場所を追われ、闇の中にこそ潜むようになる。

 現在において鬼人族(ホルンとは、裏社会を牛耳る武威集団となっていた。

 すなわち、マフィアとかヤクザとか呼ばれる暴力団となっていたのである。

 「だが、それが悪いことばかりではないだろう?表向きと裏向きという二面性はどんな場所にも存在する」

 「必要悪と仰るのですか」

 「うん」

 にべもなく言い切るアルフリートに、リリーは表情を一層渋くする。

 「…そういうものでしょうか」

 「まぁ、今に分かるときも来るよ。美しく飾ったものが存在するためには、それに数倍するそうでないものが必要だ。だが、本当の美しさとは案外混沌の中にあるものだよ」

 リリーは難しい顔で考え込む。

 まぁ今無理に分かることもない、そう言ってアルフリートはくすりと笑った。

 「お父上は、君にはそう教えなかったかね?」

 「いえ、父もそう言いそうな気がします」

 そうか、と言うとアルフリートは紅茶を口に含んだ。

 ところで、とリリーが言葉を続ける。

 「アルフリート様にはご結婚のご予定はないのですか」

 ぶーっと思わず紅茶を噴出すアルフリート。

 「大丈夫ですか!」

 「だ、大丈夫、だが、今何て?」

 ナプキンで慌ててアルフリートの紅茶に濡れた服や口元を拭うリリー。

 その身体が、妙に艶かしく彼に密着する。

 「ですから―――ご結婚するご予定はないのですか?」

 その目が、下からアルフリートを見つめてうるうると輝いている。

 ドレスの胸元からは果実のような白い乳房が今にも零れ出しそうで、思わず生唾を呑まされる。

 「な、ないな。ほら、今はルカを育てているし。いや、まぁ育てられてるような気もしないではないが、一応養父だし」

 たはは、と乾いた笑いを浮かべるアルフリートに、リリーは見せ付けるように谷間を押し上げながら、妖艶に笑う。

 「私、アルフリート様なら、お子様がいらっしゃろうと、一向に構いませんわ」

 「……な、何が?」

 「あら、いけない方。女の口から言わせるおつもり?」

 いつの間にか、リリーの手がアルフリートのふとももに寄せられている。

 びくっと身を震わせるアルフリートにしなだれかかるリリー。

 「リリー…?」

 やわらかすぎる感触がアルフリートの胸板に押しつぶされてひしゃげる。

 濡れた瞳と、ふっくらした唇が震える。

 「私、ずっと前から貴方様のことが―――」

 こんこんこん

 扉が叩かれる。

 「だ、誰だろう。うむ。誰だろう!」

 どたばたと慌てて扉に向かうアルフリート。

 がちゃりと勢いよく扉を開けると、ヒト種(ヒューマンの初老の男が慌てた様子でまくし立てる。

 「先生!町でヤクザものが暴れてるんでさ! な、なんとかしてくだせぇ」

 男の声に、アルフリートは殊更大げさに「なにぃ!」と叫んだ。

 「そうか!それはよくないな!うむ、よくない。すぐ行こう。すぐ。今お客様が見えてるんだが、ことは緊急を要するから、仕方ないよな!」

 「へ、へぇ。いつになくやる気ですね、先生?」

 「私はいつもやる気だよ」

 「はぁ。あと先生」

 「なんだね?」

 さっさと行くぞとばかりに男をせかせるアルフリートに、男は若干怯えた表情で告げた。

 「なんであそこの精霊種(エルフのご婦人は俺を睨みつけてらっしゃるんですかね?」

 背中にきっつい視線を感じながら、アルフリートには振り向く勇気が出なかった。





 

 「やっぱり、銀鱈亭のご飯はおいしいわ」



 ぽんぽんとおなかを叩きながらルカは西区郊外のレストランの扉から出てきた。

 「また来てね、ルカちゃん。格好いい黒色精霊種(ダークエルフの旦那も一緒にさ」

 「は~い。ご馳走様~」

 店の女将に答えながらルカは上機嫌で石畳を歩く。

 このまま宿に帰ってもいいが、もう少しぶらぶらしていくのもいい。

 既に月もない時間ではあるし、この辺りは治安もすこぶる悪いけれど、そんなことを気にするルカではなかった。

 ルカは大きく伸びをしながら、路地をあてもなくふらふらと歩く。

 「静かないい夜ね~」

 だが、その時、突如騒音が彼女の静かな夜を引き裂いた。

 「何?」

 複数の男が叫ぶ声と、慌しい足音、そして何よりこれは―――

 「剣戟の音?」

 高い金属音がルカの耳にかすかに届く。

 今ルカがいる場所からはそこそこ距離があるようだ。

 およそ厄介ごとには違いない。

 ここで引き返せば、よもや巻き込まれることもあるまいが…。

 「面白そうね」

 そこはそれ。

 探偵の性というものか。

 それとも唯の物好きというべきか。

 ルカは自ら騒音の元へと駆け出した。







 「そっちだ!」

 「逃がすなよ!」

 男が路地を駆けていた。

 彼に追いすがるは黒いスーツ姿の十数人の男達。

 皆その手に抜き身の刀を持ち、白刃を煌かせながら男を追う。

 「はぁはぁはぁ。いい加減しつこいでござる」 

 やけに古風な喋り方をする男は、あいている方の手でわき腹を押さえ、もう片方の手には血まみれの長刀を引っさげている。

 彼の剣はこれまでに、すでに何人もの追手の血を吸ったらしかった。

 なるほど彼は屈強な外見をしている。

 彼もまた、追手と同じスーツ姿であるが、よく張り出した肩と分厚い胸板、そして何より長身がその存在を際立てさせる。

 壮年と言っていい年齢であるようだが、刈り込まれた短髪のその外見は、女性がいる夜の店などでは人気になるだろう伊達男と言っていい。

 そして特徴的なのはなんと言っても額から突き出た二本の角。

 天を目指すように突き出した人差し指くらいの長さのその角は、彼が鬼人族(ホルンであることを意味する。

 よく見れば、彼を追う者たちも皆鬼人族(ホルンである。

 「しまったッ!」

 痛むわき腹を押さえながら尚も走っていると、男は路地の袋小路へと行き着いてしまった。

 高い壁に囲まれた男はついに追手に追いつかれてしまう。

 「くっ。不覚でござる」

 「観念しろっ!丸一日も鬼ごっこさせやがって!」 

 「貴様らの様な下郎の剣にかかる謂れはない!」

 「うるさい!時代が変わったんだ!手前ェはここで、死ぬんだよっ!」

 男のうちのひとりが剣を振りかぶって切りかかってくる。

 追われる男が白刃を持ってそれを受けようとしたその時、突如風の様な何かが二人の間に割り込んできて、切りかかってきた男の顔面に小さな足がめり込んだ。

 「ぐば…」

 「アニキッ!」

 男はそのまま後ろに仰け反って倒れる。

 他の鬼人族(ホルンたちが慌ててその男に駆け寄る。

 「ふぅん。鬼人族(ホルンかぁ。マフィアってとこかな?仲間割れ?抗争?どっちにしても、多勢に無勢ってやつじゃない?」

 現れたのは少女である。

 その外見に似つかわしくない強力な一撃で大の大人をのした彼女は、どうやら高い塀の上から飛び降りてきたらしかった。

 「お、お主は一体…?」

 困惑して尋ねてくる追われる男に、少女――ルカはにっこりと笑って言った。

 「暇だから、おじさんの加勢してあげる」

 「は?」

 そう言うと、ルカは返事も待たずに男達に向かって拳を構えた。

 「そういうことだから。じゃ、始めようか」

 月のない夜。

 長い鬼ごっこの始まりであった。



続く



[20294] 事件(ケース)③ 鬼ごっこ(チェイス)Ⅱ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/08/02 23:30



 「舐めんじゃねぇぞ!小娘が!」

 極道の世界は面子が第一である。

 武威集団は舐められたら終わり。

 であればこそ、目の前でリーダー各の男を蹴り飛ばされても、鬼人族(ホルンたちがそれに臆することはなかった。

 彼らは妖怪の類と同じである。

 脅かすのが仕事なのだ。

 「貴様らッ!堅気の少女に、それでも任侠かッ!」

 ルカの背後から追われる男の声がする。自らが圧倒的な多数から追われる身でルカを案じるその心意気やよし。

 だが、ルカが案じるに値するかどうかは、また別の話ではあるが。

 「いいね」 

 少女に対し、迷うことなく刀で切りつけてくる鬼人族(ホルン達。それは正に外道の所業にふさわしい。

 「私も、遠慮しなくて済む」

 ルカはポーチから銀色の砂が入った小瓶を取り出すと、すばやく右腕に呪文を描いた。

 「スレイ・ダニヤ・ラーシュテ(刃よ、我は汝を拒む)」

 ガキキンという金属音を立て、なんと、鬼人族(ホルンの一刀が無手のルカの腕に弾かれる。

 「ば、馬鹿なッ!」

 「はッ!」

 驚く男を尻目に、少女は素早くその足を払う。

 「え?」

 突如己が宙に舞うことに驚く鬼人族(ホルンの男。

 その額に。

 大地まで叩きつける踵の一撃が振り下ろされた。

 想像を絶する嫌な音がして。

 男の頭が石畳に皹を入れる。

 「で―――」

 ルカが静かに言葉を紡ぐ。

 「―――次は、誰?」

 ルカをヒト種(ヒューマンの小娘と侮るのも無理はない。

 その顔立ちは未だ幼く、体つきなど輪をかけて幼い。

 しかし、この少女こそは幼少の頃、すでに黒色精霊種(ダークエルフをすら身体能力で脅かし、そしてその黒色精霊種(ダークエルフに十年をかけて育て上げられた埒外の少女。

 それが如何に鬼人族(ホルンであろうと、並みの使い手に止められるものではない。

 月に狂った、霊獣種(リカントすら大きく突き放す、規格外のヒト種(ヒューマンであるのだ。

 おののく鬼どもの気配。

 脅かすものが今、脅かされている。

 月のない夜。

 鬼達は、ヒト種(ヒューマンの少女の前にたじろいだ。

 だが。

 「いたぞ!」

 「そっちか!」

 「い゛!?」

 ルカは思わずその愛らしい顔を歪めた。

 後ろからこの袋小路に向けて、更に数十人の鬼人族(ホルン達が大挙して押し寄せてきたからである。

 「多勢に無勢って言ってる側から…」

 ルカが非難の声を上げる間もなく、増援を受け、一斉に切りかかってくる鬼人族(ホルンたち。

 「スレイ・ダニヤ・ラーシュテ(刃よ、我は汝を拒む)!って、多いわ!」

 片腕で剣戟を捌きながら、ルカは徒手空拳で鬼人族(ホルンのマフィア達を打ちのめしていく。 

 だが、なんと言っても数が多い。

 いつ刃が無防備な彼女の背を切ったり、あるいは無骨な腕が彼女を組み伏せてもおかしくはない。

 「これは流石に―――」

 ルカが不利を悟った瞬間。

 彼女の後ろで裂ぱくが爆ぜた。

 「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 怒号とそして爆音。

 土煙が豪快にその場にいる全ての視界を遮る。

 「ちょ、何?」

 ルカが状況をつかめずに困惑していると、彼女の手を取る力強い手があった。

 「助太刀かたじけないが、ここは逃げるでござる」

 「おじさんか。とりあえず賛成」

 土煙が晴れつつある彼らの先を見ると、そこには壁ごと建物を破壊して路地の向こう側へと続く回廊のような道が出来ていた。

 「うっそ。これを剣で?」

 その手に引かれてさっさと逃げ出しながら、おそらくは追われる男が行った破壊に、ルカはただただ目を回したのだった。







 しばらく走って後、鬼人族(ホルンヒト種(ヒューマンの壮年と少女は、廃ビルの一角で身体を休めていた。

 「はぁ、はぁ、はぁ。いや、年は取りたくないものでござる。これしきのことで息を乱すとは…」

 確かに肩で荒い息をする鬼人族(ホルンの男。

 だが、傍らで頭の後ろに腕を組む少女の評価はそうではなかった。

 「あんな連中と一晩中斬り合いしてたわけ?それじゃあ、体力がいくらあっても足りないでしょ?」

 「いやいや。あの程度の不貞の輩。若い頃なら何千人いようが歯牙にもかけなかったものでござる」

 「いや、それは流石に言いすぎ」

 と言いながらも、この鬼人族(ホルンの飛び抜けた力に感嘆を禁じえないルカも入る。

 特に、ビルを丸ごと一つ貫通させて道を作った、あの力量と言ったら。

 「おじさん、名のある侠客なんでしょ?何で追われてるの?」

 ルカの言葉に、男は目を丸くして、そしてくしゃっと顔をゆがめて笑った。

 「なんとまぁ、童はその年で、裏の事情に通じていると見える。それに先ほどの立ち回り。童こそ並の者ではあるまい?」

 「いや、私は通りすがりの正義の味方でいいんだけどさ。…竜王会の前のボスがやられたって本当なの?」

 ルカの言葉に、男は今度は苦痛に満ちた表情で、やはり顔を歪めたのであった。

 「…その通り。童は足ばかりでなく、耳も早いな」

 「噂を聞いたの。行きつけのお店でね」

 銀鱈亭で聞いた噂を、ルカは話したのであった。

 「クーデター、見たいなものだったって聞いてる」

 「そう。正に寝耳に水であった。ボスと幹部たちが定例の食事会を終えた直後。奴らは襲って来た。圧倒的な手勢。どんな魔法を使ったのか。我々以外のほとんどすべての構成員が敵と成り果てていた。拙者たちはお互いを庇うように逃れたが、一人、一人とはぐれていった。

 気が付けば、拙者も一人、夜の道を追われながら走っていたでござる」

 男の独白を、ルカは冷たい床の温度をお尻に感じながら、ただ聞いているだけだ。

 「誰が発起人であるか。おぼろげながら分かっている。此度の食事会でも、そ奴のことが議題とした上がった。ただ、あちらの方が手を打つのが早かったということ。極道の人生に未練はないが、あの男だけには竜王会を任せるわけには行かぬ」

 「あの男?」

 ルカが疑問の声を上げると、男は自嘲する様に笑った。

 「取るに足らぬ男でござる。名をハインリヒと言う。奴自信は小鬼あるが、奴の後ろには―――」

 そこで、男は一度言葉を切り、手に持つ刃を確かめるように握りなおした。

 「―――魔女がついている」

 「魔女?」

 その言葉には、不吉な響きが含まれていた。







 「魔女?」

 「そう。噂ですが、ハインリヒというその男には、怪しい術を使う恐ろしく美しい女がついていると言います」

 深夜近く。

 アルフリート・ウルグルスとリリー・ダラーは、やや遅めの夕食を取っていた。

 喧騒やかましい貧民街(スラムの酒場あるが、この時間にやっていて食事を出してくれる店を、アルフリートは他に知らなかったのである。

 街で暴れるチンピラたちは数ばかりが多く、その収拾に思いもよらぬ時間がかかってしまった。

 もっとも、何故か烈火のごとく荒れ狂う精霊種(エルフのリリーが大活躍したために、アルフリートの出番はあまりなかった。

 「ふぅん。種族は?精霊種(エルフかい?」

 アルフリートの当然の質問に、リリーはしかし首を横に振った。

 「それが分かっていないのです。まぁ、マフィアで魔術を行う女です。ヒト種(ヒューマンというわけではないでしょうが、なにしろハインリヒが他の誰にも見せたがらないらしくて…」

 「ほぉ。まぁそれはいいが…。で、魔女は、具体的にはどういうことをするんだね?」

 アルフリートが見るからに茹ですぎたパスタを巻き取りながらそう尋ねると、リリーはいい難そうにこう言った。

 「預言です」

 「は?」

 思わずアルフリートがフォークを取り落とす。

 その端正な顔が、ぽかんと口を開けて台無しである。

 そんな黒色精霊種(ダークエルフに、リリーは苦々しそうに言葉を続ける。

 「預言、という話なのです。魔女は、神の言葉を語ると言います」

 美しい精霊種(エルフの少女が語る言葉はしかし、あまりに不遜でそして、あまりに現実離れしていた。

 「神………ねぇ?」

 パスタを口に放り込みながら、アルフリートは苦々しげに呟いた。



 



 「神!?」

 「童!声が大きいでござる」

 ルカの口を慌てて塞ぐ、追われる鬼人族(ホルン

 ルカはその手を押し退けながら、やや声を落して言葉を続ける。

 「神ったって、このご時世に?なに、竜王会って宗教団体に鞍替えしたの?」

 矢継ぎ早に話すルカに、男は大きな溜息をついた。

 「発端は、うだつの上がらぬ小物であったハインリヒが、妙に羽振りが良くなってきたことでござった。あれほどひぃひぃ喘いでいた奴が、カジノや酒場で小銭をちらつかせるようになった。

 妙に思った仲間が問い詰めると、奴はしぶしぶこう言ったというのでござる」

 俺には神がついている、と。

 「勿論、始めは誰も相手にしなかった。だが、ハインリヒの言うことは妙に当たる。決定的だったのは、ほら、去年イルル川が氾濫して橋が落ちたことがあったでござろう?」

 「あぁ。大騒ぎになったよね。三百年かかっていた橋が落ちたって」

 「奴はそれを言い当ておった」

 「!?」

 「そのうちに、だんだんと奴の言う事を信じるものが多くなった。奴にはいつも侍らせている女がいる。これがどうも預言をするらしい。

 奴にはいつのまにか取り巻きが増え、奴らは女を巫女様と呼んでいるでござる。

 だが、我らは女を魔女と呼んだ。あまりにも不可解な点が多すぎる。

 それに魔女は、今の竜王会の幹部は神の御心に反していて、刷新されるべきだとそう言っていたらしい」

 「ちょっと待って!じゃあ、今回のクーデターを企んだのは……」

 ルカが思わず大声を上げたのを、男は今度は止めはしなかった。

 「魔女……。彼奴の差し金である可能性が大きい」

 





 

 暗い部屋に大きな寝台。

 角が生えた、鬼人族(ホルンと見られる裸の男が、ぶるぶると震えている。

 「俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない」

 一目で小物と分かる人相。

 広い部屋に似合わぬ狭量。

 自分がしでかした事の大きさにおののく小心。

 だがそんなどうしようもない男の肌を後ろから抱く、世にも美しい女の姿があった。

 うっとりとした仕草で、その裸の胸を撫でながら、その裸身を惜しげもなく晒す魅惑の美女は、言い聞かせるように男に言った。

 「そう。あなたは悪くない。すべては神の思し召し……」

 部屋の暗さが女の姿を完全には見せない。

 妖艶で蟲惑的な、白い肌が闇に妙に生えるだけ。

 「ディーチェ。神は、神はなんと言っている?教えてくれ!早く!頼む!」

 男が振り返り、縋りつくように女の下腹に頭をうずめる。

 豊かな乳房を押し付けるように男の頭を掻き抱き、ディーチェと呼ばれる巫女、あるいは魔女は、男を安心させるように言い聞かせる。

 「あなたは神に選ばれたのよ。もっと自信をもちなさい。ハインリヒ」

 それはうっとりするような美くしさでありながら、何故か余計に男の不安を掻き立てる、悪夢の様な声だった。

 「あぁ、ディーチェ。私のディーチェ……」

 男が女を組み敷く。

 甘い快感に酔うそぶりを見せながら、女は不吉に哂うのだった。







 「とにかく。おじさんは逃げたいのね」

 休憩を終える頃。

 二人が立てこもる廃ビルの周囲を、膨大な数の気配が取り囲むのを感じながら、ルカは男に確認する。

 その数は、四百と少し。

 下手な戦場よりもしゃれにならぬ数である。

 「身も蓋もないでござるな。だがその通りと言えばその通り。たとえ竜王会滅びるとも、あの女だけは野放しに出来ぬ。さればこそ、今は下賎の刃にかかるわけにも行かぬ。

 西区から出れば、この身を隠す当てもある。今は恥を晒してでも生き延びねば……」

 ルカは一度目を瞑り、そしてかっとその目を開いて男に言った。

 「よし。これも乗りかかった船。おじさんが無事に逃げられるまで付き合うわ」

 「いや、そういうわけには行かぬでござる。拙者が先に出るゆえ、童は隙をついて逃げるでござる」

 「何言ってんの。ここまで来たら何しても一緒よ。要はつかまるか、逃げ切れるか、でしょ、おじさん?」

 ルカが笑顔でそう言うと、ふぅと男は嘆息をついた。

 「おじさん、ではどうも締まらん。アイギスと呼んでくれ。それから童。お前先ほど呪禁を使って刃を防いでいたな。あれは霊刀には効かぬ。危ないから、これを使ってくれ」

 そう言うとアイギスと名乗った男は懐から一本の守り刀を取り出す。

 ルカはそれを手に取ると、白刃を夜の空気に晒した。

 「へぇ。いい刀ね」

 「拙者が打った。銘を【艶丸(つやまる)】。並みの霊刀であれば相手にならぬ」

 そう言って胸を張るアイギス。

 ルカはくすりと笑っていった。

 「ありがと。それから私のことはルカって呼んで。それでおじさん、私からいっこ提案があるんだけど」

 アイギスが眉をしかめるのも気にせずに、ルカは淡々と要点を話す。

 夜の鬼ごっこが始まる。

 





 続く



[20294] 事件(ケース)③ 鬼ごっこ(チェイス)Ⅲ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/08/05 22:19



 息を潜めて、廃ビルを睨みつける鬼人族(ホルンたち。

 その数420は各々の獲物を確かめながら、必殺のタイミングをうかがっていた。

 丸一日の鬼ごっこの末ようやく追い詰めた標的である。

 万が一にも取り逃がすことのない様、彼らは軽率に踏み込むことをしなかった。

 今でこそヤクザ者に身をやつしているとは言え、先の大戦ではもっとも有力な種族のひとつであったのだ。これだけの数がじっと好機をうかがう集中力は並みのものではない。

 共和国の軍隊とすらまともに応戦できるとまで言われる竜王会の構成員達。

 その牙が、野生の狡猾さをもって哀れな獲物に突き立てられようとしている。

 それらを率いる新体制下の幹部となった男、ギリアムは、廃ビルの向かいのビルからその挙動を見のがさなぬ様に、鋭い眼光で睨みつけていた。

 黒いスーツの上からでも分かる屈強で頑強な肉体。

 天を突き上げるようなたくましい角。

 ギリアムは実力者揃いの鬼人族(ホルンの中でも随一の戦闘能力を誇る、新生竜王会の実質的戦闘隊長であった。

 「まだ、動かぬか。だが、いくら時を待っても、己らの時は来ない…」

 すでに他の幹部陣は軒並み処刑されている。

 残る獲物はこの廃ビルに篭るを残すのみなのだ。

 油断ならぬ相手とは言え、時が過ぎれば過ぎるほど各地に散った仲間が集まってくるギリアムに有利に働く。

 所詮これは事後処理だ。

 新しい時代はここから始まる。

 その時―――

 爆発が廃ビルの一角を吹き飛ばした。

 「来たか――」

 ギリアムは慌てることなく、精霊石を使って指示を出す。

 「来るぞ。でてきた所を仕留めろ。絶対に逃がすな」

 が、しかし。

 廃ビルの四面。

 それぞれが順に吹き飛ばされる。

 「こちらを拡散させたいのだろうが…」

 ギリアムはそのたくらみを鼻で笑った。

 「誰がここで見ていると思っている」

 ギリアムは廃ビルのどこから獲物がでてくるか、眼力を凝らして睨みつける。

 すると、東側の壁面から人影が飛び出した。

 「東だ!」

 ギリアムが叫ぶ。

 と、同時に、西からも人影が飛び出す。

 「ふん!」

 陽動のつもりか。

 報告では、少女がひとり、標的と行動を共にしていると聞く。

 その少女は噂の黒色精霊種(ダークエルフに育てられた小娘であることを、ギリアムはほぼ確信していた。

 前のボスと貧民街(スラム黒色精霊種(ダークエルフは懇意であったと聞く。

 ならば、加勢が入ってもおかしくはない。

 だが、所詮は浅はか。

 確かに二人が二手に分かれれば、戦力を分散できるだろう。

 しかしそれでも200対1。

 まして如何に腕が立つとは言え、小娘などはあっという間に仕留められるに違いない。

 そうなれば、陽動などは意味を成さないのだ。

 ギリアムがあざけ笑いながら兵を二人に分ける指示を出そうとしたその時。

 しかし、北と南の壁面から、更に二つの人影が飛び出した。

 「は?」

 思わず間抜けな声を出すギリアム。

 敵は二人ではなかったか。

 いつの間にか四人に合流したのか。

 理由は分からないが、敵が四人なら部隊を四人に分けるしかない。

 しばし呆気にとられていたギリアムだが、あわてて部下達に指示を出す。

 「ぜ、全部の敵を追え!絶対に逃がすな!」

 叫びながら、自身もビルを飛び出す。

 100対1なら、小娘はともかく、戦場で鬼神とまで謳われたあの男を仕留め切れないかもしれない。

 それでも尚仕留めるとすればそれは、ギリアムの仕事だった。





 

 

 「上手くいったね」

 100人の鬼人族(ホルンたちに追いかけられながら、その包囲をまんまと突破した赤い髪の少女と黒いスーツ姿の壮年の鬼人族(ホルンは、夜の街をひた走っていた。

 「凄い術を使うでござるな。そなた本当にヒト種(ヒューマンか?」

 「よく言われるわ」

 そう言ってルカはにこりと笑った。

 「でも、【水鏡の術】はただ私たちの影を投影してるだけだから、壁とかはお構いなしに透過しちゃうの。だからあっという間に見破られると思う」

 「何の。こうして突破できれば十分。あとは逃げ切るだけでござる」

 水鏡の術とは、自らの幻影を左右とか上下の方向を決めて、鏡に映る姿のように同じ動きを取らせる術である。

 ルカたち自身以外の幻影はそれぞれ三方向に、ルカたちと同じ様にひた走っているわけだ。

 攻撃も当たらない。壁でも塀でもすり抜けるとあればすぐにばれてしまう。

 それでもアイギスが言うように、廃ビルを無事に逃げおおせたことは大きい。

 「このまま一気に逃げ切れるといいね。さすがに400対1はぞっとしないわ」

 「あの中には手練も混ざっていよう。戦わずに済むに越したことはないでござる」

 風の様な速度で走りながら会話を続ける二人。

 夜の空気が肌に心地いい。

 「たまにはいいね。思い切り走り回るのも」

 ルカがそう言って微笑すると、アイギスは呆れたように笑った。

 「敵わぬな、ルカ殿には。この状況を楽しんでいる?」

 「まぁ、ちっとはね。おじさんからしたらそれどころじゃないだろうけど」

 そう言って若干申し訳無さそうにするルカにアイギスはいやいやと首を振った。

 「せっかく逃げるのならば楽しい方がよいでござる。心苦しいのはルカ殿のような少女を巻き込んだこと」

 「気にしないで。勝手に巻き込まれたんだから」

 快活にそう言うルカに、アイギスは頭を下げる。

 「いつか、いつかルカ殿が本当に困ったことがあれば、誓ってそなたの力になろう。もちろんその時拙者に命があればあればでござるがな」

 そう言って、アイギスは自嘲気味に笑った。

 その時。

 二人の目の前の道の上に、黒い影が映った。

 「そこかぁぁぁっぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 「!?」

 慌てて思い思いの方向に飛ぶルカとアイギス。

 二人が立った今までいた場所に、巨大な大刀を叩きつける一人の鬼人族(ホルンがいた。

 「危なっ」

 ルカが思わずそう呟くのと、彼らの進路に数十人の鬼人族(ホルンが立ち塞がったのはほぼ同時だった。

 この隙に、回りこまれたのであった。

 「ちっ」

 空を見れば鳳が飛翔している。

 男はどうやら鳳の翼を借りてここまで先に現れたらしい。

 ルカは忌々しげにアイギスから預かった守り刀を引き抜く。

 アイギスは、現れた男と対峙していた。

 「ギリアム………か」

 その身の丈ほどもある大刀を軽々扱う鬼人族(ホルンの男に向かって、アイギスはそう呟く。

 その声音には複雑なものが馴染む。

 「お主ほどの男が、ハインリヒのような小物に従うとは………」

 アイギスが苦渋に満ちた声で顔を歪めてそう言うと、対する男は表情を変えずに言い放った。

 「時代が変わったのだ。巫女殿がハインリヒを望むならそれもいいだろう。我々は神の声に従うのみ」

 「神、だと?本当に信じているのか?ギリアム!」 

 アイギスの声はしかし、少しもギリアムに届いたようには見えない。

 男は大刀を構え、アイギスに対して辛らつな視線を寄越すだけ。

 「そうだ。だから死んでもらう。貴様の死は主が望まれたことなのだから」

 じりじりと後退しながら、ルカはアイギスに近づく。

 「どうする、おじさん?無理やり突破する?」

 ルカの言葉に、アイギスはしかし首を横に振った。

 「いや。あれを突破するのは並のことではない。ルカ殿は小勢を蹴散らして先に行ってくれるか?拙者は―――」

 アイギスは腰に提げた刀を引き抜く。

 済んだ水の様な音が周囲に響いた。

 「あれを斬ってから行く」

 高められたアイギスの気合が、空気を燐と震わせた。

 「抜かしたな、老いぼれ!」

 「口が過ぎるぞ、小僧!」

 瞬間。

 ギリアムが大刀を引っ提げてアイギスに切りかかる。

 その空気さえばらばらに破壊されそうな一撃を、アイギスは刃で受け流す。

 「おじさん!」

 「早く行け!ルカ殿!」

 そのまま返す刃でギリアムを斬り付けるアイギス。

 だがその技量も並大抵のものではない。

 低く身を沈めてそれをかわしたギリアムが、大刀を大地をさらうように突き上げる。

 「くっ」

 後ろに下がりそれをかわすアイギス。

 達人同士の決闘がそこで繰り広げられていた。

 「これは、手が出せないわね……」

 ルカの頬を冷や汗が伝う。

 それほどに、目の前の剣戟のレベルは段違いである。

 その時、ルカの視界の隅で、アイギスに向けて投げナイフを構える鬼人族(ホルンの姿があった。

 「ちょっと、無粋じゃない?」

 あっというまに駆け寄り、艶丸を一閃させるルカ。

 その一撃が、見事に投げナイフの刀身を断ち切る。

 「すごい切れ味……」

 そのあまりの鋭利さに見蕩れながらルカは男を蹴り飛ばす。

 「こいつらは私が片付けるから、おじさんは早くそいつをやっつけちゃってね!」

 「ルカ殿、しかし…」

 「いいから!おじさんはそっちに集中!」

 ギリアムと対峙するアイギスに余裕があるわけでは決してない。

 アイギスは再び切りかかってくるギリアムの剣を受け止める。

 「女に殿を頼むとは。落ちたものだな鬼神?」

 ぎりぎりとつばぜり合いをしながらアイギスを嘲るギリアム。

 アイギスはそんなギリアムに向かって辛らつに言い募る。

 「得たいの知れぬ尻軽女のその尻に敷かれる、貴様らよりはましでござるよ」

 「あの方を、そんな風に言うんじゃない!」

 激昂したギリアムの一撃がアイギスの肩口を掠めてスーツが弾ける。

 「お主の信念に誓って守りたいものを、履き違えるなギリアム」

 アイギスは刀を低く構えながら言う。

 「剣だけが、お主の頼みと知れ」

 「慮外者が!」

 ギリアムの剣をアイギスは紙一重でかわす。

 その目は、その心を見透かすように大刀の主を哀れんでいた。

 

 これまで、ルカは自分よりも確かに強い存在をアルフリートしか知らなかった。

 彼女に全てを教えた師であり父親でもある黒色精霊種(ダークエルフと何らかの理由で本気で戦ったとして、ルカの勝利はないだろうと確信が持てる。

 いつもは飄々としたあの自堕落な養い親は、それでも世界でもっとも希少な種族黒色精霊種(ダークエルフなのだ。

 だが、目の前の二人の戦闘は、彼女が養い親から習い覚えたものとは趣を異にしていた。

 ルカは鬼人族(ホルンの構成員を蹴飛ばしたり、殴ったり、投げ飛ばしたりしながら、二人の鬼人族(ホルンの戦いから意識を逸らすことが出来ない。

 「ぬぅ!」

 ギリアムが大刀を横薙ぎにはらえば、アイギスがそれを剣の腹でさばく。

 「せい!」

 アイギスがバランスを崩したギリアムに高速の平突きを繰り出せば、ギリアムはそれを身を捩ってかわす。

 「はッ」

 「いぇいッ」

 双方の体技が達人の領域。

 打ち合わされた太刀が甲高い悲鳴をあげ、夜の大気が不安げに震える。

 仮にルカがあの二人のいずれかと打ち合ったとき。

 それを考えるとルカの背筋を冷たいものが走る。

 どんな猛獣にも、闇の一族(モンストロにも、犯罪者にも臆したことがない彼女の本能が、圧倒的な技術の前に心胆を寒からしめていた。

 (勝てるのか?私は?)

 鬼人族(ホルンとは剣に生きる種族である。

 鍛冶に長け、剣術に長け、そしてその技を長い年月に渡って伝承し続ける。

 その技の集大成は、規格外の少女をして驚愕せしめる。

 

 それはまるでそう、剣舞の様な。

 あらかじめ入念な打ち合わせを終えた美しい剣舞のようにさえ見えた。

 だが、事実は違う。

 どちらかの首が地に落ちるまで続く血みどろの応酬。

 命を対価に死を賭した、救いがたい死闘。

 そして、それもまた終わりを迎える定めを持つものだ。

 昇った太陽がやがて沈むように。

 放り投げたコインが地に落ちるように。

 やがて死が二人を別つ。

 

 「な……に!?」

 その時、丸一日を走り続けたアイギスの足に異常が生じた。

 膝ががくりと折れ、彼の重心が一瞬間その制御を失いバランスを失する。

 それは、ほんとうに刹那の隙。

 アイギスの膝には再び力が篭る。

 だが、その瞬間を、飢狼のような剣士が見逃すはずがない。

 「覚悟!」

 勝負とは非情。

 待ったも否やもない。

 命を拾うも断つも捨てるも。

 すべてはいずれ最後に決まる。

 ギリアムが大刀を構えてアイギスの胸を貫く突きを放つ。

 それは完全に必殺。

 外れることも外されることもない完全なタイミング。

 双方が命の喪失を確信したその一撃はしかし。

 アイギスの胴を避けて地を穿ちた。

 「な!?」

 驚愕に目を見開くギリアム。

 アイギスは、ギリアムが情けをかけたかと驚いたがどうにも違うらしい。

 しかし、勝負は非情。

 この隙を見逃すアイギスではない。

 「疾ッ」

 致命的な隙に、しかしギリアムはアイギスの間合いにはいない。

 だからアイギスが狙ったのは、彼の大刀だった。

 ギャリィン、という金属音が鈍く鳴り響き、ギリアムの剣は半ばほどから折れ曲がる。

 「ちっ」

 すぐさま体勢を立て直し、後ろに下がるギリアム。

 自分の剣を見やって、彼はまた舌打ちした。

 「おかしな真似を……」

 ギリアムが睨みつけるアイギスに、ルカが声を掛ける。

 「おじさん!悪いけど、これ以上は無理」

 ルカの声にアイギスが路地を見遣る。

 そこには、視界を埋め尽くすほどの鬼人族(ホルンが集結しつつあった。

 「確かにな…。ギリアム。勝負は預ける。ハインリヒと魔女の首は必ず拙者が取るゆえ、その時に機会があれば続きと行こう」

 「馬鹿が!逃がすか!」

 そう言ってギリアムは折れ曲がった鉄の塊を持ってアイギスに飛び掛ろうとする。

 「シャー・スミーリ(霧よ、散り広がれ)」

 その視界を、突如生じた白い霧が遮った。

 「なに?」

 「おじさん、今!」

 「かたじけない」

 路地を覆って余りある膨大な霧を生み出したルカは、今のうちと、アイギスを伴って路地をひたかける。

 「おい!追え!逃がすな!」

 霧の向こうからギリアムの声が聞こえたが、ルカは舌を出して駆け続ける。

 「このまま一気に行こう」

 「わかった」

 追いすがる鬼人族(ホルン達を振り切るため、少女と鬼人族(ホルンは再び長い鬼ごっこを始めたのだった。







 「いや、本当に世話になった」

 西区の外れ。

 空が白み始める頃、二人は鬼人族(ホルンたちを撒いてようやくここまでたどり着くことが出来た。

 「どれほど礼を言っても足りるものではござらん」

 「いいっていいって」

 ルカはそう言ってはにかむ。

 「それよりおじさん気をつけてね。国を出ても追手はかかるかもしれないし」

 「なに、国さえ出れば何百人もの鬼人族(ホルンに追われることはござらんよ。しばらくは機を見るつもりでござる」

 「あ、これ、返すね」

 ルカがそう言ってアイギスに艶丸を返そうとすると、彼は首を横に振った。

 「せめてもの礼に、それはルカ殿に貰って欲しいでござる。他に出来ることもないが」

 「ええ?いいの?」

 「よい。刀もその方が喜ぶだろう」

 「やったー。気に入ってきてたんだ」

 そう言って刀を抱えて喜ぶルカに、アイギスは口もとを緩めて笑った。

 「ではまた。いずれどこかで会えるといいが。その時にこの恩を返そう」

 「恩とか、いいって。でも、また会いましょう」

 そう言って、ルカは差し出されたアイギスの手を握る。

 朝日が昇る中を、ルカはアイギスを見送りながら手を振った。



 



 「で、いつまでそうして見ているつもりでござる?」

 しばらく歩き、ルカの視界から出た後、アイギスが虚空に向かって声をかける。

 「ばれてたか」

 「ばれもしよう。ギリアムの攻撃を逸らしたのはそなたでござるな」

 アイギスがそう言うと、突如空間がぐにゃりと歪んで見える。

 そこから現れたのは、漆黒の肌をした精霊種(エルフ

 「お前がいなくなると、しばらく寂しくなるな。ギルバート・アイギス」

 「これも時代でござるよ。アルフリート・ウルグルス」

 ギルバート・アイギスと呼ばれた男、竜王会の前首領は、そう言って黒色精霊種(ダークエルフに寂しげに笑って見せた。

 「あれがお前の養い子でござるか。大きくなった。幼い頃拙者と会っていることなど、覚えてはいないようでござったが。良い子に育ったな」

 「言っとくが、惚れても嫁にはやらんぞ?」

 「阿呆か」

 二人の盟友の邂逅はほんの少し。

 やがてギルバート・アイギスは西へと旅立っていった。







 

 「思い通りに、いかないものねぇ」

 「申し訳ありません」

 暗い部屋で、ギリアムが女に頭を垂れている。

 全裸に薄い布を羽織っただけの女は、寝台に腰掛け、妖艶に足を組みかえる。

 「ま、いいわ。所詮は座興ですもの。大事に差し支えることでもないし」

 薄い唇からちろりと舌を出し、甘い何かを舐め取るように舌なめずりをする女。

 「ギリアム。寝台に上がりなさい。今日は貴方にご奉仕させてあげる」

 「ありがたき幸せ」

 そう言うと、屈強な鬼人族(ホルンである男は、女を寝台に押し倒し、重たそうな乳房を掴んで蕾を吸う。

 女の艶やかな嬌声が室内に響く。

 闇が、静かに胎動を始めていた。





事件(ケース)③   了





事件(ケース)④ 人形遊び(パペット・ショー)に続く



[20294] 事件(ケース)④ 人形あそび(パペット・ショー)Ⅰ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:56dce35d
Date: 2010/08/10 17:29
 

 

 何故こんなことになった?

 共和国代議士であるヴィンセント・テイラーは、その高価な布地で出来ているのであろうスーツをぐしゃぐしゃにして走りながら、一心にそれだけを考えていた。

 これが悪い夢の類である証拠を必死に探そうとしていたのかもしれない。

 大商人であり共和国にとってなくてはならない存在である卸商、ヒュッケンバリエ家の催した晩餐会に参加した帰りである。

 ヒュッケンバリエの15歳になる息子の披露を兼ねたその社交のステージは、参加した多くの有力者達に、澄ました顔の裏で鼻息を荒くさせた。

 ヴィンセント自身も己の娘を嫁がせようと裏で画策しているのだ。

 晩餐会が終り、随伴した妻と共に馬車に乗り込んだ所までは覚えている。

 ほろ酔い気味であったヴィンセントはそのままとろとろと寝入ってしまったのだ。

 それからどれくらいを馬車に揺られたのか。

 だからヴィンセントには分からない。

 ガタン、と大きく馬車揺れてヴィンセントは目を覚ました。

 その拍子に、窓にしたたかに顔を打ち付けたヴィンセントは反射的に御者に文句を言った。

 「おい!なんという運転をしている!」

 御者は確かヒト種(ヒューマンだったはずだ。

 精霊種(エルフであるヴィンセントからすると低俗すぎる種族である。

 まったく、満足に馬も扱えないのか。

 ヴィンセントはそう思うと腹立たしかったが、一向に御者台からは返事が聞こえてこない。

 馬車も走り出す気配がない。

 よもや居眠りをしているのではないだろうな。

 ヴィンセントはそう考えて御者台に続く扉を開けようとして、ふと隣に座る妻を見た。

 別に何を感じたわけでもない。

 本当にふと、隣に視線がいったのだ。

 その瞬間。

 共和国代議士ヴィンセント・テイラーは、まるで生娘の様な悲鳴を上げることとなる。

 「ひぃっ!!!!!」

 妻には首がなかった。

 いや、正確には首があるべき場所になかったと言うべきか。

 首なしの妻は、膝の上に、大事そうに、空ろな視線で虚空を見つめる己の首を抱えていたのだから。

 「うわぁっ!」

 ヴィンセントは慌てて馬車から転げ落ちるように飛び出した。

 そこは腐っても精霊種(エルフである。

 尻餅をつくような無様はしなかったが、その顔は恐怖で歪んでいる。

 御者台の上を確認すると、ヒト種(ヒューマンの御者が座っているのが見えた。

 「おい!ば、ばばばばば、馬車の中で……」

 「馬車のなかデ…?」

 御者は奇妙なアクセントで返事をした。

 だが、混乱のきわみにあるヴィンセントはそれに気が付かない。

 「そ、そうだ!つ、妻が、あぁ、なんでこんなことに…。いいから、は、早く見てくれ!」

 必死なヴィンセントと比して、御者は馬鹿にのんびりとした口調でそれに答えた。

 「それは、無理っテもんでしゅネー」

 「な、何を言っている!早くしろ!」

 ヴィンセントが怒りに任せてそう叫ぶと、御者の首がゆっくりとヴィンセントの方を向いた。

 その顔を見て、ヴィンセントは我知らず絶叫していた。

 御者の顔、その眼球があるべき場所は、まっくらな空洞になっていた。

 だらだらと血の涙を流しながら、何が楽しいのかうすら笑っている。

 「だっテ、目がないんでしゅカラ」

 そう言って、御者はにんまりと気持ちの悪い笑顔を作った。

 「な、なななななな、なんなんだ!」

 その時、馬車の扉からすっと白い手が伸び上がるのを、ヴィンセントはいやいやをするように首を振りながら見ていた。

 「アナタ、ねぇ、私ったラ、どこにおいたのかしラ。アナタ知ってなイ?」

 馬車の中から、己の首を持ったまま首のない妻が出てきた。

 完全に絶命しているはずである。

 精霊種(エルフと言っても、首を斬られて生きていける道理はないのだ。

 妻はとっくに事切れているはずの唇から言葉を発している。

 常とは違う高さから発される言葉はいっそう不気味だ。

 「私のカラだ、知らなイ?」

 「ひぎぃっ!」

 ヴィンセントは闇の中、一目散に逃げ出した。

 そのヴィンセントの後ろを、確かに追いかけてくる足音が聞こえる。

 「だんなサマぁぁぁあぁぁぁ。馬車をおいテ、どこにイカレルぅぅぅぅ」

 「あなたぁぁぁあぁ、カラだ、しってるんデショぉぉぉぉぉ」

 「うわぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」

 必死に逃げる逃げる。

 夢なら覚めてくれ!

 罰なら弁解をさせてくれ!

 冗談なら種を明かしてくれ!

 タイも剥ぎ取り、肥満気味の体を持て余しながら、懸命に走るヴィンセント。

 彼の周りでどこからか、くすくすくすと子ども声の様なものが聞こえるのがまた、不気味でならない。

 自分がどこを走っているのかもしれずにどれだけ走ったのかもしれずに。

 ヴィンセントが一心不乱に走ると、やがて前方に一人の騎士服の男がいるのが見えた。

 「た、助けてくれぇぇぇ!」

 ヴィンセントが縋りつくように騎士服の男にしがみつく。

 「ど、どうしました?」

 男は困惑した表情でヴィンセントを見る。

 ヴィンセントは助かるかもしれない安堵感と心底からの恐怖で千々に乱れる心を何とか落ちつかせて泣きながら男に訴える。

 「お、追ってくるんだ!信じられんだろうが、追ってくるんだよ!」

 「落ち着いてください。何がです?」

 何が、と言われてヴィンセントは言葉を詰まらせた。

 「か、怪物だ。首がなかったり、目玉がなかったりする!と、とにかく何とかしてくれ」

 「なんとかと言われても…」

 男は困惑したように眉を寄せる。

 いきなりこんなことを言われれば無理もない。

 無理もないが、今の頼りはこの男しかいない。

 そう思ったヴィンセントは、尚も言い募ろうとして、はっとそれに気付いた。

 そして、その顔を心底恐怖に歪ませてひっと息を呑む。

 「無理ですヨ。腕がナイんですカラ」

 そう言った男のひじから先は鋭利な刃物で切断されたように傷口が見えていて、だらだらと滝のように血を流していた。

 「た、たすけてくれたすけてくれたすけてくれたすけてくれ…」

 もう何も考えられず。

 恐怖にかられてただそれだけを唱えるヴィンセント。

 その背後に。

 何かの気配を感じてヴィンセントは喉を詰まらせながら泣き始める。

 「アナタ、ねぇ、どこナノ、私のカラダ。ナンだったらアナタのをくれてもいいノヨぉ?」

 「ダンナサマぁ、サァ、なにを見ればいいんでしゅ?見るから、ちょいと目玉貸してくれましゅぅ?」

 くすくすくす。

 やはり、子ども声が聞こえる。

 よく見れば、何十と言う小さな膝の高さくらいの身長の子どもが、ヴィンセントを見てくすくすくすと笑っているではないか。

 それが、ヴィンセントの精神が耐え切れる限界だった。

 「ひぎゃあああああああああ!」

 暖かい感触が下半身を濡らすのを感じて。

 ヴィンセント・テイラーは意識を失った。



 



 「―――それが三日前の話なのでございます」

 「怖っ」

 赤い髪の少女は一連の怪談染みた話を聞いて、思わずソファにしがみついていた。勝気そうな顔はひきつり、剥き出しの二の腕やふとももに、鳥肌が立っている。

 対面に座るのはびしっとした身なりをしたヒト種(ヒューマンの老人だった。

 老人は貧民街(スラムに似つかわしくない二頭立ての馬車で探偵社を訪れ、テイラー家の執事と名乗ったのである。

 「そ、それで、ヴィンセントさんも殺されちゃったの?」

 「ルカ。殺されてたら、一体誰からこの話を聞いたんだ?」

 そう言ったのは、安楽椅子(ロッキングチェアに腰掛ける褐色の肌をした精霊種(エルフの男だった。

 探偵社の主でもあるアルフリート・ウルグルスは呆れたように己の養い子を見る。

 その言葉にルカははっとなって黒色精霊種(ダークエルフを見る。

 「ま、まさか死んだヴィンセントさんが!?」

 「いい加減にしなさい」

 アルフリートははぁっと溜息をついた。

 「翌日、路上で気絶している所を発見された旦那様が恐ろしげに話されるのを書きとめ、なんとか繋ぎ合わせるとこのような話のようなのです」

 それを聞いて、ルカが少しだけほっと薄い胸を撫で下ろした。

 「奥様と御者の遺体も一所に発見されております。旦那様は今も床に伏せっております。暗がりを怖がり、一日中灯りを灯させ、常に誰かを側に置きたがるのです。旦那様がそのような状態ですので、奥様の葬儀も行えません」

 「ふむ。それで?」

 アルフリートは老人に話の続きを促した。

 それで、何を頼みにきたんだ?

 アルフリートの声はそう言っていた。

 「実は、今朝のことでございます。旦那様も二日も立つと幾分気持ちを落ち着かせられまして、朝一人で用を足しに行かれました。その時、旦那様がトイレの扉を開けると――。あるいは唯のいたずらかもしれないのですが。トイレには大きな鏡が設えられております。その鏡にびっしりと、血のようなものでこう書いてあったのでございます」

 【今晩迎えに行く】

 「ひぃっ」

 「ルカ、うるさい」

 「丁度そんな風に。屋敷中に旦那様の悲鳴が響きました。高名なる黒色精霊種(ダークエルフたるお方。警察は優秀な人間を寄越すと言っておりますが、旦那様はとてもそれでは不安だとおっしゃいます。確かに幽鬼の類であれば警察の力の及ばぬのも道理。どうか。この夜だけで良いのです。当家にいらしてはいただけませんでしょうか?」

 そう言って頭を下げる老人。

 アルフリートはぽりぽりと頬を掻き、次いでルカを見る。

 「だ、そうだ。どうする?」

 ルカはそんな養い親を見て、次に頭を下げる老人を見て―――。

 珍しく情けない顔で乾いた笑みを浮かべた。





 

続く



[20294] 事件(ケース)④ 人形あそび(パペット・ショー)Ⅱ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:ec114646
Date: 2010/08/17 20:01
事件(ケース)④ 人形あそび(パペット・ショー)Ⅱ





 「黒色精霊種(ダークエルフの賢人、アルフリート・ウルグルス様をお連れしました」

 大きく、そして豪奢な扉だった。

 金の縁があしらわれた獅子の顔を設えた扉は、狼藉者が見れば震え上がりそうなほどに凝った意匠である。

 強力な、魔除けの力が込められているに違いなかった。

 それも、震え上がるこの部屋の主には、少しも心休まる要素ではないのであろうが。

 ヒト種(ヒューマンの執事に紹介を受けた、黒色精霊種(ダークエルフたるアルフリートは苦笑した。

 賢人とは、随分高く買われたものだと。

 「……は、入って頂け」

 部屋の中から消え入るような声がして、執事は「失礼します」と言ってゆっくりと扉を開けた。

 扉が開くと、アルフリートは一瞬顔を顰める。

 もう、日が翳ろうと言う時刻であるのに、部屋の中では煌々といくつものランプが光を灯し、昼間以上の明るさを作っていたのである。

 「暗闇が、恐ろしいと申されまして……」

 執事が耳打ちするようにアルフリートに言った。

 室内にいたのは哀れになるほど悲壮な顔をしたヴィンセント・テイラーその人である。やっとと言った風情で椅子に座り、がたがたと震えている。

 二人の侍従が側に控えていて、常に誰かがいるようにしているらしかった。

 始終この調子では寿命が縮まる思いであろう。

 事実、頬は痩せこけ、目の下には隈ができ、艶やかであったろう精霊種(エルフの髪はぼさぼさと見るかげもない。

 男はそれでも立ち上がると、アルフリートに向かって危なげに礼をした。

 「ヴィンセント・テイラーと申します。あ、アルフリート様にはご機嫌も麗しく…」

 「アルフリート・ウルグルスだ。卿は悲惨の様子だな。この度は、災難だった」

 黒色精霊種(ダークエルフが何かに傅く事はない。彼らはもっとも希少で高貴な種族と考えられている。

 神を失ったこの世界では、人々の尊崇の対象ですらある。

 共和国代議士たる野心家のヴィンセントならば、常なら目上の者に借りなど作りたくはないだろう。

 今回アルフリートを呼び出したことは、彼のよほどの困窮具合が見て取れる。

 「わ、わざわざのお越し、申し訳なく存じ上げます。ですが、何卒、何卒お頼み申し上げます。あ、あれから、わたくしめをお守りください。お願い申し上げます」

 「『あれ』?」

 アルフリートはその言い様に奇妙なものを感じた。あれとは一体なんのことであろうか。妻と御者の死体が再び起き上がり、彼に襲い掛かるとでも思っているのだろうか。

 だが聞き返そうにもヴィンセントは「お願いします」とただ念仏のように繰り返すだけだ。アルフリートは嘆息して、「出来るだけのことはしよう」と短く言った。

 



 「で、何で貴様がここにいるんだ?」

 「こっちの台詞よ」

 テイラー家のホール。

 そこでは二人の女性が、互いを睨みつけるように見据えながら言葉を激突させていた。

 一人は赤毛の少女である。

 タンクトップにショートパンツと言う軽装を好む彼女であるが、今日ばかりは流石に令嬢のようなフリルのついたブラウスを纏い、タイを垂らしている。

 穿き慣れぬ、踝まで長いスカートがどうにも窮屈そうであるが、その衣装は普段は奔放な彼女の魅力を、淑女たる涼やかな魅力に変えている。

 胸や尻に肉が足りないのがなんとも残念な少女だった。

 もっとも、大股で腰に手を当てなどしていれば、どんな格好をしていようと台無しではあるが。

 もう一方の女性は、緑地の制服を身に着けた精霊種(エルフの美女である。ただし、大きすぎる胸が布地を押しのけ、ボタンをとめることが出来ないために、ふくよかな胸の谷間が丸見えである。

 何かを口にする度にぷるぷると震えるその様が憎らしいのか、残念な少女は親の敵のように白い谷間を睨みつける。

 邸内にはすでに数十人もの精霊種(エルフの警官がひしめき合っており、あらゆる場所に目を光らせていた。

 ヒト種(ヒューマンのルカと警察官たるリリー・ダラーは、テイラー邸でまさかの邂逅を果たしていた。

 「ふん。あんた達が頼りないから私たちが呼ばれたのよ」

 「何だと、ヒト種(ヒューマン。霊だか死人だか知らないが、我が剣に斬れぬものはないわ。……待て、私たちとは――――」

 「これは珍しいところで会うな。リリー」

 「あ、アル―――」

 「アルフリート様!」

 執事を伴ってホールに現れ、二人を目に留めたアルフリートに、ルカを押しのけるようにして近寄るリリー。

 すかさずその腕を取り、豊満な乳房を押し付けるのも忘れない。

 「り、リリー。まさか君がこの件を担当しているとはね」

 「私も!まさかこのようなところでアルフリート様にお会いできるなんて!もう、これは運命ですわ!」

 「いや、たまたま依頼主が同じだけだが」

 たじたじのアルフリートに変わり、ルカがリリーを引き剥がす。

 「何やってんのよ!勤務中でしょ?」

 「私は公人たる私と私人たる私を分けないようにしている」

 「堂々と公私混同するな!」

 ふぅふぅ言いながら取っ組み合いでも始めそうな二人の女性に、「仲いいなぁ」とか言いながら、アルフリートは遠慮がちに声を掛ける。

 「時に、リリー」

 「はい!なんですか?あ、今日つけてる香水ですか。あぁ、まさかアルフリート様にお会いできるとは思ってなかったので、あまりいいものはつけてはいませんけど。シャングリアの12番です。私、甘い香りはどうも苦手なんですけど、この香水だけは―――」

 「いや、そうではなくてね。ちょっと聞きたいんだ。いいかな、リリー警部?」

 「…はぁ」

 役職を呼ばれ、きょとんとするリリー。ルカもまた不思議そうに小首を傾げる。

 「今回の容疑者は、もう大体分かって来ているのだろう?」

 単刀直入なアルフリートの言葉に、流石のリリーもうぐ、と息を詰める。

 「これはとても手の込んだ事件であり、どんな方法を用いても莫大な労力と魔法知識、あるいはそれらを依頼する資金が必要だ。これだけのことをして、誰かを害する必要はあまりない。今日殺すなら、三日前に殺しても、目的が殺害なら同じことだからね。ヴィンセント卿は、誰ぞにかなりの恨みを買っているようだね」

 そう言ってアルフリートがにこりと笑う。リリーは微苦笑しながらその笑顔に答えた。

 「やはり全てを見通してらっしゃるのですね。おっしゃるとおりです。警察も怨恨の線を疑っています。ただ殺すだけでは飽き足らない。恐怖のどん底に落とし込んでやろうと言う深い怨恨の線を」

 そう言ってリリーは胸の谷間に手を入れると、そこから手帳を取り出した。

 ルカの顔が不快げに歪むが、ここは悪態を吐くのは控えたようだ。

 今回の事件を、悪霊とか霊魂などというものと無関係に魔法的に考えれば、犯人は何らかの形で死体を操ったか、余程鮮明な幻覚を見せたかと考えるのが適当だ。

 精霊種(エルフの要人が乗っている以上、走行する馬車には魔力除けの結界が張られていただろうから、テイラーを起こすことなくこの馬車を止めて被害者の殺害に及ぶだけでも相当の魔術知識が要求される。

 それほどの使い手で、かつ犯罪に手を染めるものとなると、その数はそう多くはないだろう。そしてそう言う者を裏で使うためにはコネと、相応の資力が必要となる。

 「容疑者は3人まで絞られています。いずれもヴィンセント・テイラーに深い恨みを持つ者たち。一人目はミヒャエル・ダグラス。テイラーと同じ代議士で、彼とは以前から衝突が絶えません。一方が法律案を提出すればもう一方が必ず反対すると言う有名なライバルで、プライベートでもいがみ合っています。先日、ヒュッケンバリエの晩餐会で後継者のお披露目パーティーがあり、テイラーはその帰りに襲われていますが、ダグラスもその会には参加しています。テイラーもダグラスも、ヒュッケンバリエの息子に自分の娘を嫁がせようと画策しているようです」

 「でも、それだと動機が殺しても飽き足らないってほどじゃないよね」

 政敵を殺害するだけならまだしも、こんなに手の込んだ手段を使う必要がなさそうである。

 ルカがそう口を挟むと、リリーはきっとそれを睨みつける。

 「そんなことはわかっている!あくまで可能性の話だ。」

 「それで、あとの二人は?」

 「あ、はい。次はガンダル・ハイント。テイラーと同じ選挙区で戦い、敗れた為に中央を追われた人物です。虎視眈々と議会への復活をもくろんでいるのですが、その度にテイラーに執拗に潰されているらしく、心中の怒りはかなりのものかと。正直に言って、我々が一番の嫌疑をかけているのはこの男です」

 「ふむ……」

 アルフリートはそう言うと、顎に手を当てて何事かを考える。

 「最後は?」

 「はい。ええっと、最後はまぁ怨恨の線なのですが、まぁあまり確証のある情報でもなく…」

 急に歯切れが悪くなったリリーに、アルフリートはおや、と眉を上げる。

 「どうした?何でもいい。教えておくれ、リリー」

 「はぁ。テイラーは士官学校の出身なのですが、そこでレイン・ヒューバーと言う男と友人関係にありました。ヒューバーは由緒ある騎士の家系で、二人は勉学や武芸を競わせていたようです。ですが、後にヒューバーは違法取引で摘発され、家名と騎士株が剥奪され、第二刑に処された後、セブルス地方に追放されています」

 「それが、テイラーさんと何の関係があるの?」

 首を傾げるルカに、それを今から話すんだ、とやはり忌々しげに言うリリー。

 「もう五十年も前の事件で詳細は分からないのですが、当時ヒューバーは、その違法取引は本来テイラーが主犯であったと主張したそうです。テイラーはこれを否定し、ヒューバーが処断されたわけですが、その後のテイラーの躍進振りから、ヒューバーは利用されただけだったのではないかと言う者もいます。まぁ噂の域を出ませんが」

 「……セブルス?」

 「えぇ、ご存知ですか。辺境の地です」

 「あぁ、古い知り合いがいてね・・・」

 「そうですか。まぁ、ヒューバーには高度な魔法の技術も、資力もありませんし、実は生死も不明なのです。彼が関わっている可能性は低いかと。他にも怪しい人者はいるにはいるのですが、いずれも犯行が不可能だと言う点で容疑者には届きません」

 代議士などやっていると、どうにも敵が多いらしい。

 「どうしたの、アル?」

 何かを考え込むアルフリートにルカが尋ねる。

 「いや、そうか、しかし、何故……?執事さん、少し、見せて貰いたいものあるのだが、いいかね?」

 急に話を振られて、傍らにいたテイラー家の執事たるヒト種(ヒューマンはビクリと身を震わす。

 「え、えぇ。旦那様には出来るだけの便宜を図るように言われておりますので…。それで、その、何をお見せしましょう?」

 やや慄きながらそう言う執事に、アルフリートは女性なら卒倒しそうな極上の笑みを浮かべて言った。

 「奥方の遺体を」

 「え?」

 「は?」

 「えぇッ!?」

 三者三様の驚きの声を導き出しながら、黒色精霊種(ダークエルフは微笑を湛え続けた。

 





 広大な屋敷である。

 その分、多くの使用人が働き、人の気配に溢れている、そんな屋敷である。

 更に今は多くの警官が詰めていることもあり、大変な数が物音を立てている。

 部屋数は50を下ることはないだろうし、働いている使用人の数も20を下回ることはないだろう。

 だが、その一角、静謐に保たれたある一室だけが、しんと水を打ったような静けさを湛えていた。

 ヒト種(ヒューマンの老人の案内で、アルフリート・ウルグルスと彼の養い子たる赤毛の少女は、地下室に下りてきていた。

 老人が重たい鉄の扉を開き、カンテラに火を入れる。 

 淡い光が彼らの前方を照らした。

 「少し歩きますが、この先になります」

 執事の先導を受け、アルフリートとルカは歩みを進める。

 歩きながら、ルカはアルフリートに向かって小声で尋ねた。

 「どうして、死体なんか見たいの?」

 うん、とアルフリートはやはり低い声で答える。

 「確かめたいことがある。遺体を見るのが一番手っ取り早いのだ」

 「確かめたいこと?」 

 「リリーの話を覚えているかい?セブルスという地名が出てきただろう」

 「うん」

 「セブルスとは古くから人形使いたちが住む土地なのだ。ヒューバー氏がこの地を訪ねたのは正しいよ」

 「どうして?落ちぶれた貴族がどうして人形と関係あるの?」

 「落ちぶれたとはひどいな。さっき、リリーは第二刑に処されたと言っただろう?それが何か分かるかい?」

 「さぁ?」

 「精霊種(エルフの言う極刑は勿論死罪だが、第二刑とは両腕の切断と追放だ。死に次ぐ思い罰というわけさ。腕のいい人形師の中には義手の名手もいる。だから、ヒューバー氏の選択は正しいのさ」

 「両腕?……それって!?」

 思わず大きな声で聞き返した養い子の唇に、すっと人差し指をあてながら、アルフリートはしっと言った。

 「両腕のない騎士服の男の死体は見つかっていない。そして、どうやらテイラーはそれが誰だかわかっているようだ。でなければ『あれ』などと言わない」

 暗い道を歩きながら、アルフリートは前方の闇を見据えながら言った。

 「テイラーは、私に何かを隠している」

 「こちらでございます」

 そうこうしている間に一同はその部屋にたどり着いた。

 やはり、重たい鉄の扉が開かれると、中央の石の台の上に、婦人が一人寝かされている。

 それは本当に眠っているように見えた。

 だが首の辺りには白い布がかけられ、切断部が見えないようにしている。

 これが、テイラー婦人の遺体なのだとルカは思った。

 「どれ、失礼」

 アルフリートは執事が「あ」と言うのも聞かずに死体に近づくと、ぺたぺたとあちこちを触ったり覗いたりし始める。

 「あ、アルフリート様!そ、そのような不敬な…」

 「だいじょうぶ」

 何が大丈夫なのか。

 黒色精霊種(ダークエルフは少しも気にした風もなく死者を冒涜するようにその肉体を検分した。

 「死体愛好家(ネクロフィリア)…。アルにそんな趣味があったなんて…」

 「ないない。ないわ、そんなもの。ちょっと調べただけだ。概ね分かった」

 養い子を小突きながら、アルフリートはようやく死体から離れる。

 「な、何がお分かりなのでしょう?」

 執事が心配そうに呟くと、アルフリートはやはりにっこりと笑って言った。

 「事件は思ったより根が深いようです。まぁ、夜を待ちましょう」

 「や、やはり、その来るのですか?何かが旦那様を襲いに?それとも、その、奥方の遺体が…」

 起き上がるのですか、と言う言葉を執事は飲み込む。

 その問いに、黒色精霊種(ダークエルフはミステリアスに微笑んだ。







続く



[20294] 事件(ケース)④ 人形あそび(パペット・ショー)Ⅲ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/08/21 00:04


 警備は万全だった。

 警察隊は館の外をぐるりと取り囲み、テイラーの部屋の前には二人の見張りを置き、邸内のあらゆるところに人手を割いた。

 精霊石で密に連絡を取り合う彼らに死角はなく、時刻が深夜に差し掛かってもその士気に低下は見られない。

 むしろ、夜の闇が濃くなるほどに彼らは警戒を強めた。

 テイラー邸は雑木林の中にある。

 侵入者を防ぐ為、そここに深夜でも灯りが灯され、それは朝まで絶やされないはずだった。

 蝋燭や油の光ではなく、鉱石に霊力エーテルを通わせた魔法の光である。

 それは、邸内の灯りについても同様だ。

 張り巡らされた魔法装置によって煌々とした灯りが昼間のように屋敷を照らす。

 これほどに光を求めるのは、あるいは彼らもテイラーを襲った怪談染みた事件に、多かれ少なかれ奇怪な恐怖を感じているのかもしれない。

 死体が襲ってくると言う、その異常な事件に。

 「そもそも死体を操る術って、そんなの存在するの?」

 警察が目を皿のようにして侵入者を警戒する中、アルフリート・ウルグルスとルカは、邸内の客間の一室でお茶など飲んで眠気を覚ましていた。

 養い子の質問に、黒色精霊種(ダークエルフは「うん」と答える。

 「存在するよ。死霊術(ネクロマンシー)と呼ばれる術系統がそれにあたる。しかし、あれは死体を操る術であって、死人を操る術ではない。首を捜したり、テイラーの問い掛けに答えたりはしないなぁ。それに、準備に時間がかかる。新鮮な遺体を殺害した直後に死霊化するのはその道の大家でも無理なんじゃないか?」

 「ふぅん」

 それほど関心も無さそうなルカは、お茶の入ったカップを口元に運んで一口飲んでから、ちょっと顔を強張らせてから言った。

 「ちなみに、魔法と関係なしに、その、 本当に死体が起き上がるなんてことは、あるの?」

 その目に少しの怯えを見つけて、アルフリートは苦笑する。

 「どうかな?」

 「えー!」

 ルカが抗議の声を漏らしたその瞬間だった。

 邸内の灯りが一斉に消えたのは。





 「きゃーーーーーーーーーーーー」

 使用人だろうか。

 誰か女性の悲鳴が邸内に響く。

 「落ち着け!各員、精霊石に霊力エーテルを込めろ!」

 警察隊を預かるリリー警部は、すぐにそう言って部下達を叱咤した。

 自身も胸元から精霊石を取り出して霊力エーテルを込めて淡い光を得る。

 「どうしたんでしょう?」

 「魔法装置を壊されたか、鉱石を外されたか」

 一斉に灯りが消えたことから、前者であろうとリリーは予想する。

 「敵が来るぞ!全員持ち場を離れるな!」

 リリーがそう言って腰の霊刀の柄を握ったとき、ぞっとするような声が耳に届く。

 それは幼い子どもの声に聞えた。

 秋の虫の音の様に、あらゆる方角から鳴り響く。

 「け、警部!」

 「慌てるな。慌てれば敵の思う壺だ!」

 くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす

 やはり異様なのはそれが邸内のあちこちから聞こえてくることであった。

 しかし彼らはその理由をすぐに知ることになる。

 「ひぃっ」

 「どうした!」

 天井を見て悲鳴を上げた部下にそう言って自分も視線を向けたリリーは、思わず「げ」と淑女にあるまじき声を漏らす。

 しかし誰もそれを責めをしないだろう。

 天井にびっしりと張り付いた膝丈ほどの子ども達が、くすくすと楽しそうに笑うさまを見せられたのだから。

 その時、ばたん!とホールの扉が突然開く。

 開ける物も風もないのに開いた扉から、なんと何十という人影が緩慢な動きで入ってくるではないか。

 「そ、そとの奴らは何をしている」

 思わずそう言ったリリーであったが、外からも部下達の悲鳴が聞こえてくることから状況は同じであるのは明白だった。

 「っく。なんなんだこいつらは、まるで・・・」

 彼らには生気がない。

 目は空ろで、肌の色は暗闇にしても悪すぎる。

 動きは緩慢で、「うぅ」とか「あぁ」とか言いながら、しかし確実にこちらに近づいてくる。

 あれではまるで。

 「死霊じゃないか!」

 気が付くとリリーは抜剣していた。

 彼女が頼みと信じる剣を、自然抜かされていたのである。

 「全員、構えろ!あ、あれを近づかせるな!」

 ともすれば恐怖で震えそうになる声を抑えて、リリーは正眼に剣を構えた。









 突然消えた灯にパニックになりながら、ヴィンセント・テイラーが思い起こしていたのは目玉のない御者や首の捥げた妻の恐ろしい形相ではなかった。

 それはただ懺悔の言葉であった。

 許してくれ 許してくれ 許してくれ 許してくれ 許してくれ 許してくれ

 あれは罪であった。

 であればこれは罰なのだろう。

 かつてテイラーが犯した許されざる罪。

 警察も黒色精霊種(ダークエルフも、本当の死霊には敵わないのかもしれない。

 あれはきっと、この世の何者にもどうすることも出来ないのだろう。なぜなら。

 「許してくれ、ヒューバー」

 彼はもう、死んでいるのだから。

 テイラーがそう呟いたとき、突如どさりと物音がした。

 水か何かが詰まった皮袋が、無造作に床に取り落とされたような音。

 「おい……どうした?」

 暗闇の中、室内に控えるはずの侍従に声を掛けるが返事はない。

 代わりに、ガチャリと言う音が扉の方から聞こえ、すっと室内に光が差し込む。

 「あ、灯が戻ったのか?」

 テイラーはそう言ったが、次の瞬間には己の期待が裏切られたことを知った。

 「ひぃっ」

 室内に差し込んだ光は、床に倒れる二人の侍従を明らかにする。

 倒れたのは彼女達であったのだ。

 そして。

 ぎぎぃ、と不吉な音を立てて扉が開く。

 そこに立って入る者を見て、テイラーは心底からの悲鳴を上げた、

 「ひぃぃぃぃぃぃぃッ」

 憤怒の形相をしていたわけではない。

 血まみれだったわけでもなければ、首が捥げていたわけでもない。

 ただ騎士服の優男がにっこりと笑っているだけだ。

 その両腕から先を失い、だらだらと血を流しながら。

 「会いたかったよ、テイラー」

 「ヒューバー!」

 聞くものがあれば哀れに思うほど悲痛な声を上げて、テイラーはあとずさる。

 ヒューバーと呼ばれた異形の男は、ゆっくりと彼に近づいてくる。

 「ずっと、会いたかった。聞きたかったんだよテイラー。君は一度も僕を訪ねてはくれなかったから」

 「わ、悪かった。本当に悪かった。あの時はああするしかないと思ったんだ。私が麻薬を売買していることを警察はほとんど掴みかけていて、根回しが完了するまでどうしても時間が足りなかった。その間、麻薬を私の屋敷から隠し、どこかに置いておく必要があったのだ。だが誓って!誓って警察の捜査の手がお前の所まで及ぶとは思っていなかったんだよ!本当だ!何事も起こらないはずだったのだ!」

 テイラーは必死に弁解する。

 涙が目の端から流れ、鼻水がべとべとと顔を汚している。

 ヒューバーはそれを楽しむようにゆったりとした動作でテイラーに近づく。

 「テイラー?聞いているのは僕だよ。君は僕の質問に答えてくれればいい」

 「質問?」

 「そうさ。簡単な質問だ。それに答えてくれないと僕は死んでも死にきれないんだ。答えてくれるかい?」

 「こ、答える!何なりと答える!だから、だから命だけは!」

 「そうか、よかった」

 そう言って微笑するヒューバー。

 助かるかもしれないという安堵に涙が出そうなテイラー。

 だがヒューバーの質問は、とても彼を救う類のものではなかった。

 「何で僕を殺したの?」

 「お、お前……」

 その言葉で、おろかにもテイラーは全てを悟った。

 ヒューバーは尚もにこやかに微笑む。

 「君は僕に麻薬を預け、それを警察に垂れ込んだだろう?それで僕はこの通り、両の腕を切られて追放された。それで、静かに暮らしてたじゃないか。ねぇ一体どうしてだい?どうしてそんなことをしたんだい?ねぇ、教えてくれよ、テイラー?」

 「あ、あぁ、ああぁぁぁぁ」

 あとずさるテイラーの背についに壁面がぶつかる。

 もう、これ以上下がることはできない。

 この期に及んでは、ヒューバーの脇をすり抜けるようにして扉を出るしかない。

 そう覚悟を決めたテイラーは、勢い走り出そうとしてそして。

 思い切り前につんのめって倒れた。

 「あ、あが…」

 まるで引き摺り下ろされるように倒れ、強かに床で鼻を打ちつけたテイラー。

 何事かと思い自分の足を見て、テイラーはその顔を泣き笑いのように引きつらせた。

 「ねぇ、アナタ?やっぱリ、見つからないのヨ、わたしのカラダぁぁぁぁ」

 「さぁダンナさまさまさま、ちょいと目玉を貸してください。なにぃ、すぐお返ししましゅよぉぉぉぉ」

 そこには、目玉のない御者と首のない妻が、がっしりとテイラーの脚を押さえてしがみついていた。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 恥も外聞もない悲鳴が、邸内に木霊した。







 人の形をしたものを斬る。

 それが最早人でないとわかっていても、それには多大な決意が必要だ。リリー・ダラーは戦争を知らない世代である。

 彼女は今それを、心の底から思い知っていた。

 「く……そっ」

 緩慢な動きでこちらに近寄ってくる死霊の群れを、警察隊は剣でけん制しながらも確実に押されていた。

 くすくすという子どもたちの笑い声も背筋をぞくりとさせるが、あの死霊たちに捕まればどうなるかという恐怖が彼らの心を金縛りにする。

 「け、警部!一体、どうすれば……」

 部下達も若いものばかりだ。

 ここは自分が先陣を切らねばならない。

 そう思いながらも、リリーは動けずにいた。

 その時。

 不意に暗いホールの扉を、力強く開ける音がした。

 「うりゃああああああああ!」

 リリーには何が起きたのか分からない。

 分からないが、まるで横合いからぶん殴られたように、死霊の群れがサイドから総崩れになる。

 ドタドタと騒音が鳴り響く中、リリーは赤い少女が剣を抜くのが見えた。

 「ルカ!」

 「なにやってんのよ、あんたら」

 ルカは呆れたようにそう言うと、白く煌く艶やかな剣を閃かせ、そして躊躇することなく死霊の首を斬り飛ばした。

 「な……!?」

 リリーを初めとする警官たちの驚愕の声。

 明らかに自分達よりも幼いヒト種(ヒューマンの少女が、こうも冷酷に人の姿をしたものを斬り捨てるとは。

 警官隊の驚きを他所に、次から次へと死霊を切って捨てるルカ。

 腕を飛ばし首を切り胴を裂き脚をへし折る。

 少し過剰ともいえる徹底的な破壊だった。

 流石にどうかと思ったリリーがルカに話しかける。

 「お、おい。いくらなんでもやりすぎじゃないか」

 「は?何言ってんの?あんたたちも手伝ってよ」

 「いや、しかし、いくら死霊とはいえだな」

 「…………は?」

 リリーがそう言うと、ルカは怪訝そうに顔を顰める。

 「死霊ってなに?」

 「お前がさっきからスパスパきり飛ばしてるやつだ!」

 「これが、ねぇ?」

 ルカはそう言うと、死霊の首を斬り飛ばし、リリーに投げて寄越した。

 「ちょ、ええええええええ!」

 思わずキャッチしてしまったリリー。

 手の中でリリーを睨みつける死霊。

 その目は、ぎろりとリリーを睨んで………いなかった。

 「へ?」

 拍子抜けするリリー。

 真っ白な陶磁器の様な肌をした生首は、口を半開きにして表情を固め、目はまるでガラスだまのようで。

 「っていうか、ガラス玉そのもじゃないか!こ、これは、人形だ!」

 なんだってーとばかりに驚愕する警察たちを呆れ顔で見るルカ。

 「分かったら、さっさと退治する!子どもみたいなちっこい人形は魔法装置を壊して回ってるから、早めに駆逐しといて。一段落したらリリーは、ちょっと私と来てくれる?」

 「わ、私か?」

 「そう。アルが呼んでる」







 「大変そうだな。テイラー卿」

 いつの間にそこにいたのか。

 テイラーを押さえる死霊たちさえ、数瞬その姿に硬直する。

 椅子に腰掛けるアルフリート・ウルグルスは、打った鼻から流す鼻血と涙でぐちゃぐちゃになったテイラーの顔に向かって、余裕の仕草でそう言った。

 「あ、アルフリート……様?」

 テイラーは安堵よりも驚きの声でその黒色精霊種(ダークエルフの名を呼んだ。

 折角現れたのにテイラーを助けるでもなく、椅子に腰掛ける黒色精霊種(ダークエルフの表情は、どこか楽しげですらあった。

 「さぁ、テイラーどうしてほしい?」

 「は?」

 「どうしてほしいか言ってみろ」

 そんなことは決まっている。

 そうは思いながら、テイラーはどもりながらも大声で答える。

 「お、お助け下さい!こ、この死霊どもから、私をお守りください!」

 「うん?よく分からんが、守ればいいんだな?どうしたら私はお前を守れるだろうか?」

 「こ、ここから連れ出してください!二度とこいつらが私を追って来れない場所に!」

 「ふぅん。いいぞ。やってやろう」 

 まるで何事もないようにそう言うアルフリートに、テイラーは不審さよりも頼もしさを感じたらしい。

 「お、お願いします!」

 「時に、テイラー卿」

 アルフリートの声が低くなる。

 必死なテイラーはそれに気付かない。

 「お前を連れ出すのに大事なことだから正直に答えろ。レイン・ヒューバーを殺したのはお前か?」

 アルフリートの視線が射抜くようにテイラーを見る。

 その視線に気圧され、また助かりたい一身で、テイラーは我知らず頷いていた。

 「私が!私が殺しました!」

 「なるほど。ちなみに麻薬を密売したのもお前か?」

 「そ、そうです!資金が入用で、徹底的に売りさばきました!」

 「そうかそうか」

 「さ、さぁ、お願いします。私を助けて!連れ出して下さい!」

 「いいだろう。連れ出してやるとも。いいかな、リリー警部」

 「………は?」

 アルフリートがそう言って視線を扉の方へ向ける。

 テイラーもまた、ほうけた顔で扉を見つめる。

 いつの間にか。

 開け放しの扉の前にはリリー・ダラー警部が、間抜けな顔をして口をあんぐりと開けていた。

 「リリー?」

 「は、はい!」

 「聞こえてたな?テイラー卿は、レイン・ヒューバーの殺害を認めた。不正取引についても供述している。お望みどおり連れ出してあげてくれ。監獄でも刑務所でもお好きな所へ」

 「え?え、えぇえぇっぇ!」

 ようやく事態に気付いたのか、テイラーは驚愕に顔をゆがめながら絶叫し始める。

 「そ、そんな!あ、アルフリート様は、この死霊どもをなんとかしてくださるのではなかったんですか?」

 「何を言ってるのか、分かりかねるな。テイラー卿?死霊とは何だ?」

 「な、何を言ってる!この………。この?」

 「どの、だね。ヴィンセント・テイラー?」

 またしてもいつの間にか。

 脚に這いよる死霊も、騎士服の死霊もその姿を忽然と消していた。

 後に残ったのは絶望を絵に描いたような顔をしたテイラーだけであった。

 「そ、そそそそそ、そんなぁぁぁぁ!」

 「リリー。お連れしなさい」

 「は、は!」

 「それから、テイラー卿」

 リリーと警官たちに両脇を固められ、泣きながら連れ出されるテイラーにアルフリートは微笑んでから言った。

 「黒色精霊種(ダークエルフの私が証人だ。言い逃れが出来るとは思うなよ?」

 「~~~ッ………」

 「連れて行きたまえ」

 「は!」

 苦悶の表情をうかべながらしょっ引かれるテイラー。入れ違いで部屋に入ってきたルカが、嘲るようにその後姿を見送った。

 「ばいば~い」

 ルカが手を振り、警察もテイラーもいなくなる。

 しばらく椅子に座ってぼうっとしていたアルフリートは、頃合を見計らって廊下の方へ声をかけた。

 「入ってきたらどうです?いまさら隠れることもないでしょう?」 

 ルカも廊下の方を見る。

 彼女のことは、すでにアルフリートに聞いて知っていた。

 「あなたには、敵わないわねぇ。久しぶりね、アルくん」

 すぅっと、まるで霧から生まれてくるように、室内に入ってきた人影があった。

 「灯が消えた邸内で、光の中に潜むとは、貴女らしい。お久しぶりです。クローディア」

 「本当に、久しぶりね。アルくん。そして始めまして。かわいいお嬢さん」

 現れたのは精霊種(エルフの老婆だった。

 痩せ気味の体にふぅわりとした衣装。

 びしっと背筋の通った、若い頃はさぞかし美人であったろうと思わせる貴婦人。

 「紹介しよう、ルカ。人形遣い(パペットマスター)のクローディア・セルノさんだ。私の古い友人だよ」

 「はじめまして」

 ルカがそう言うとクローディアはにっこりと微笑んだ。

 「余計な気を遣わせたわね。ごめんなさい。アルくんは、いつから私のこと、気付いてたの?」

 老婆がそう言うと、アルフリートはひょいと肩を竦ませた。

 「テイラーの妻の遺体――そっくりの人形を見たときです。血管や皮膚の張りまで再現する、あんな精巧な人形を作れるのは、セブルスでももう貴女くらいでしょう」

 「お見通しね。さすが黒色精霊種(ダークエルフ。本人達には街の宿で魔法の眠りについてもらってるわ。放っておいても明日には目を覚ます」

 「それは良かった」

 さして興味も無さそうにアルフリートがそう言うと、クローディアはいっそう深く微笑む。

 「アルくん、ありがとう。私ではあんなにうまく警察に引き渡すことが出来なかったかもしれない。ううん。勢いあまって殺してたかもしれないわ」

 「なに。何もしてやしませんよ。遅かれ早かれ、これだけ騒げばいずれは同じ運命だったでしょう。叩けば埃が出る身ですからね」

 「でも、助かったわ。正直、あんまりこういうのは得意じゃないから。私民話とか、ラブストーリーみたいな演目が得意なのよ」

 クローディアはそう言ってルカに微笑みかける。

 思わず微笑み返すルカ。

 不思議な魅力がある女性だった。

 「ひとつだけ、聞いてもいいですか?」

 「な~に?」

 ルカの問いに、クローディアが嬉しそうに返事をする。

 「たぶん、腕を失くしたヒューバーさんは、クローディアさんのお客さんだったんですよね?」

 「ええ、そうよ。義手を作るのに、二月くらい私の屋敷に滞在してたわ」

 「その。どうしてここまでして敵を討とうって思ったんですか?」

 まっすぐなルカの問いに、クローディアは思わず苦笑した。そしてはにかむように笑いながら、ルカに言ったのだった。

 「……恋をしてたって言ったら、お嬢さんは笑うかしら?」

 「いいえ」

 思わぬ即答にクローディアの方が面食らう。

 「本当に?何百歳も年が離れているのに?」

 ルカはそれを聞いてほんの一瞬だけアルフリートを見て、「そんなの関係ないと思うから」と言った。

 「ありがとう。彼が殺されたとき、私はもう彼の側にいなかった。人伝に彼の死を知って、事故死に見せかけた殺人であることが分かって。犯人が代議士選を前にしたテイラーだってことがなんとなく分かった。不安要素を消したかったのね、きっと」

 「それにしても手の込んだことをしましたね。ヒューバー氏はよほど愛されていたと見える」

 アルフリートがそう言うと、クローディアは遠い目をして言った。

 「かわいい人だった。百年ぶりの恋だったわ」

 そう言って、寂しそうに笑ったのだった。



 

 

 ヴィンセント・テイラーは現在裁判中である。

 無事に帰還した彼の妻は優秀な弁護士をつけてその弁護に当たっているが、状況は芳しくない。テイラー本人が裁判に勝つことを望んでいないからだ。

 クローディア・セルノは、テイラー邸で別れ、彼女はそのままセブルスに帰ったのだろう。

 ルカと再開を約束して、貴婦人は風とともに去っていった。

 彼女の魅力的な笑顔を、ルカはそれからしばらくの間忘れることはなかった。







 人形あそび(パペット・ショー) 了



  

 事件(ケース)⑤ おままごと(ファミリー・ゲーム)に続く



[20294] 事件(ケース)⑤ おままごと(ファミリー・ゲーム)Ⅰ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/08/22 21:20



 舞台上では壮麗な衣装を纏った精霊種(エルフの貴婦人が、決して叶うことのない愛の歌を、歌い上げている。

 流れる清水のような流麗な歌声には、しかし何とも言えぬ悲しみが込められている。

 聞くものは草木しかない廃墟と化した城を背景とした湖畔の水際。

 この後、身分違いの恋の相手が現れるはずであったが、彼は事故による帰らぬ人となっており、貴婦人にはその知らせが届けられ、恐ろしい絶望が彼女を襲うのだ。

 有名かつ世代を超えて人気のある歌劇(オペラ)「シルフェリア」を特等席で観劇しているのは、舞台上で歌う美しい女優ですら霞んでみえる絶世の美を誇る黒色精霊種(ダークエルフの男、アルフリート・ウルグルスその人であった。

 アルフリートは女優の演技に感心しながら、隣の席でうつらうつらしている養い子を見て苦笑した。真紅の美しい短髪を髪留めで止め、令嬢というよりは麗人と言った方がしっくり来る白のスーツに身を包んだルカは、外見だけはこの場にふさわしいように見える。

 彼女の整った愛らしい顔立ちは、決して周囲の席の令嬢達に見劣りするものではないからだ。

 だが、彼女にはまだ歌劇(オペラ)の趣味は早かったようだ。

 ついに眠気に敗北したルカは、アルフリートの肩にその小さな頭を乗せてすーすー寝息を立て始めた。

 黒色精霊種(ダークエルフはその頭を撫でてやりながら、この歌劇「シルフェリア」について思いを馳せる。

 成立は200年前。

 実話を元にした物語とされ、三大英雄譚の一つとして名高い。

 シルフェリア・ディアナは共和制以前の世界において、絶大な呪言ルン霊力エーテルの力で英雄達を支えたと言われる女傑である。

 その姿はこの歌劇のように、清廉で穢れなく、聖女の様なイメージで描かれることが多い。

 それは作家の想像力だ。

 アルフリートがとやかく言うことではない。

 だが。

 「本物のシルフェリアを知っていたら、こんな話は書けなかったと思うがね」

 そう小さく呟いて、アルフリートは手元の招待状を広げる。

 彼がこの歌劇を見にくることになった切欠け。

 それは一通の招待状だった。

 中には二枚の観劇チケットと、ごく短い手紙が同梱されていた。

 

 『親愛なるアルフリート・ウルグルスへ  シルフェリア・ディアナより』

 

 もう、随分と長い間会っていなかったはずの旧い知人の手紙は、あまりにも唐突にアルフリートに舞い込んだ。

 手紙からは、彼女の目的は何も知ることは出来ない。

 だが筆跡から、確かに彼女のものであるとは知れる。

 無視するにはあまりにも意味深すぎて、結局アルフリートはルカを連れてここまで来てしまっていた。

 「何のつもりだ、シルフ?今になって……」

  アルフリートの疑問を他所に、歌劇は悲劇の盛り上がりを見せ始めた。





 



 「ふあ~あ。寝ちゃった。もったいないことした~」

 「もったいない?」

 終演後、アルフリートに起こされたルカは欠伸をしながら大きく伸びをしてからそう言った。

 「だって、ただでチケットもらったんでしょ?もったいないじゃない」

 「なるほど。ま、次は寝ないようにしなさい」

 「もう、来ないと思うけどね。ふぁあ」

 よほどぐっすり寝たらしい。

 ルカは未だ眠そうな目をごしごしと擦っている。

 結局、演目中には何事もなかった。

 アルフリートも、もちろん何かがあるなら歌劇が終わってからであろうとは思っていたのだが、果たして、何も動きはない。

 このままでは、普通に家に帰ってしまうが?

 アルフリートがそう思って思案気に顎を摩っていると――。

 不意に後ろから声を掛けられた。

 「あのぅ」

 「ん?」

 黒色精霊種(ダークエルフが振り返ると、そこにいたのは館の係員と見られる制服のヒト種(ヒューマンだった。

 「何かね?」

 黒色精霊種(ダークエルフなど始めて見るのだろう。緊張で挙動がおかしいその男は、やっとのことで言葉を発している。

 「そ、そそそその、あ、アルフリート・ウルグルス様でらっしゃいますでしょうかかかか」

 「まぁ、落ち着きたまえ」

 「別に、取って食べたりしないから」

 男の慌てぶりに、ルカも思わず嘆息する。

 「で、では。あの、職員の詰め所に、お預かりしておりまして、出来ましたらすぐにお連れいただきたいのですが……」

 「………?何をだね。ルカ、何か落したか?」

 「ん~ん。アルじゃないの?」

 「いや、その。落し物ではなくてですね――」

 ようやく息を整えた係員は、彼らが預かっていると言うものについて、はっきりと二人に告げた。

 「はぁ!?」

 「何ぃ!?」

 素っ頓狂な声を上げる二人に、哀れな係員は再び緊張を強いられることとなった。




 

 

 「……ここに?その―――」

 「は、はい。確かに、いらっしゃるのですが……」

 係員の詰め所の扉を前にして、アルフリートは小さく嘆息した。

 後ろでは、ルカが壮絶に不機嫌な顔でアルフリートを睨んでいる。

 「……だから、何かの間違いだと言っているだろう?」 

 「どうだか!」

 怖い。

 素直にそう思ったアルフリートは、早く誤解を解こうとその扉を開いた。

 そこには――。

 年の頃5歳くらいだろうか。

 白いフリルのついたふわふわのドレスを着た愛らしい精霊種(エルフの少女であった。

 何となく子羊の様な印象を受ける。

 くりくりとした瞳が興味深そうに色々なものを見ていて可愛らしい。

 少女は女性の係員と何事かを話していたが、ふいに部屋に入ってきたアルフリートを目に留めて、ぱっとその顔を笑顔で輝かせた。

 「パパーーーー!」

 「いぃっ!?」

 思わずたじろぐアルフリートに構わず駆け寄る少女。

 先ほど、係員は確かにはっきりと二人にこう告げたのだ。

 

 『アルフリート・ウルグルス様のご令嬢をお預かりしております』



 自分に娘などいるはずがない。

 その確信があってここまで来たアルフリートであったが、どうにも少女は自分を父と呼んではばからない。 

 あろうことか自分の胸に飛び込んできて、幼女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 こうまで愛らしいと、本当に自分の娘なんじゃないかとすら思えてくるくらいである。

 「なぁにがそんなはずないよ!でれでれしてんじゃないわよ!」

 「ル、ルカ、これはその、違うんだが、その――」

 妙に押しに弱い所があるこの世界でも希少な優良種は、困り顔をして眉毛を下げ、自分の胸に嬉しそうに頬を寄せる少女に向かってやっとのことで言葉を告げる。

 「き、君ね、その――」

 「私、フェリシア!」

 「フェリシア?あぁ、あのね、フェリシア……」

 アルフリートがフェリシアと言うらしい少女に向かって説得を試みていると、少女はふと視線を泳がせ、傍らで不機嫌極まりない表情をしたルカを見つけて、ふたたびぱぁっと顔を輝かせた。

 「ママーーー!」

 「えぇ!?」

 言うが早いか。

 フェリシアはルカの胸に飛び込む。

 少年のようにすら見えるルカには母親の包容力は望むべくもないが、それでも少女は嬉しそうにその薄い胸に顔を埋める。

 「ちょ、ちょっと、えぇっ!?」

 その時。

 アルフリートは驚愕に目を見開いて、自分とルカを見比べる係員達の姿に気付いた。

 彼らは何も言わないが、その目が雄弁に疑問を訴えている。

 

 『この少女との間に子どもを作ったんですか?』



 「違うからな!」

 黒色精霊種(ダークエルフは声の限りに叫んでいた。







 「どうしてこうなった……」

 「まぁまぁ」

 「まぁまぁ、じゃない」

 項垂れるアルフリートと、胸の中で眠る幼子を優しい目で見るルカは、帰りの馬車に揺られていた。

 最初こそ驚いたルカであるが、フェリシアになつかれるのが満更でもないらしく、今では本当の母親の様にその金糸のような髪を撫でている。

 「すっごいふわふわぁ。か~わいい~」

 まるで犬か猫かを愛でるようであるが、抱かれるフェリシアは嬉しそうである。

 結局、係員達は詰め所の前でフェリシアが座り込んでいるのを見つけ、父親はかのアルフリート・ウルグルスであると幼女が言ったことに驚愕し、迷子であると思い込んだ彼らは、終劇後、ただちにアルフリートに娘を預かっている旨知らせに来たのであった。

 てっきり探しているだろうと思ったのに、当の本人はびっくりするばかり。

 だが、置いてくるわけにもいかず、これほどに懐かれては人違いと言っても信じてもらえそうになく、仕方なく家に連れ帰るよりないと判断したのだった。

 「ほら、考えすぎると眉間にしわが残るよ?パパ?」

 「パパとか言うんじゃない!」

 わかっていてからかうルカに、アルフリートは頭痛がする思いであった。

 さて、がたがたと揺れる馬車の振動に、やがてルカが幼女を抱えたまま寝入っても、アルフリートは何事かを思案していた。

 「シルフェリア。これはお前の筋書きか?何を考えている?」

 旧知の魔術師から手紙とチケットが送られ、チケットを携えて観劇に訪れ、そして自分を父と呼ぶ少女に出会う。

 こんなことが偶然であるわけがない。

 アルフリートの苦悩は、そうであるとは思いながらも、シルフェリアの思惑が少しも分かりはしないということであった。

 「そんなに考え込むこともない。なに、少し考えれば分かることだ」

 不意に、誰かがアルフリートに声を掛ける。

 アルフリートははっとして振り向くが、そこには目を覚ましたらしいフェリシアが、ルカに抱きつきながらこちらを見ているだけだ。

 アルフリートが聞いた声は確かに、かの大魔術師シルフェリアのものであったはずだが。

 「……どういうことだ?」

 「こういうことさ」

 フェリシアは大人びた声を出してそう言いながら、ふふふと幼女とは思えぬ妖艶な声で笑って見せた。

 「私だよ。シルフェリア・ディアナだ」

 幼女はちっとも似つかわしくない声で、しかし己を誇るようにそう言った。

 「……お前、死んでたのか?」

 たっぷり5秒ほどの間を空けて、アルフリートは幼女に向かってそう言った。

 幼女は、それにこたえて頷く。

 「10年ほど前な。さすがに老衰だった。まぁ、お前やルキフェルと違ってこちらは寿命のある身だからな」

 「まったく…。どうなってる?近頃、昔の知り合いがよく現れるもんだ」

 「ん?誰と会った?」

 「ルキフェルと、クローディア。ルキフェルはルカと会っただけだがね。そうだ。トーマス・ダラーの娘とも会った」

 「ふぅん。良かったじゃないか。寿命の長いお前にとって、知己に会えるのは嬉しいことだろう?」

 そう言って笑う幼女の姿をした魔術士に向かって、アルフリートは嘆息して言った。

 「……まぁ、前置きはそろそろ終りにしよう。転生術なんぞ使ったのか?」

 「いいや、まさか。呆気なく、未練もなくこの世を去るつもりだった。が、まぁ私ほどの魔術士になると魂から記憶が消え去りはしないらしい。この少女に転生して、あっさりと私の記憶が蘇った」

 「ちょっと待て。お前二重人格とかじゃないのか?」

 「全然」

 「じゃあ、さっきからパパだのママだの幼児語をのたまわってるのはおまえ自身なのか?」

 「そうだ」

 「とっとと、ルカから離れろ!」

 「えー、いいじゃないか、ケチ。幼女が少女に抱きついて何が悪い?」

 「お前、同性愛者(レズビアン)だろうが!」

 「差別はよくないぞ。差別は」

 「やかましい。ルカをお前の毒牙に掛けられてたまるか!――まったく、誰が書いたんだあのオペラは」

 大体からして、シルフェリアに身分違いの恋人などいるはずがないのである。彼女の性癖は、それより更に世間からは認められにくいのだ。

 シルフェリアは「べー」と舌を出しながらルカから離れようとせず、逆に胸とか尻とかを撫で回し始めた。

 「お。何だ。見た目はあれだけど、結構――」

 「うわぁぁあ!離れんか、阿呆!」

 アルフリートは無理やりにシルフェリアを引き剥がし、彼女はぶーと頬を膨らませた。

 「ぶー」

 「ぶー、じゃない。まったく、年を考えろ、年を。で、そろそろ本題に入ってもいいだろう?何で私に手紙を寄越した?」

 アルフリートがそう言うと、幼女はまるで娼婦のように妖艶に笑って言った。

 「お前、探偵なんぞしているらしいじゃないか。【赤】の少女を育てながら。どう言う風の吹き回しだ?お前、反対してたんじゃなかったのか?」

 「五月蝿い。それはいいだろう?」

 「ふふん。まぁそれはおいおいでいい。話は感嘆だ。探偵さんにお願いがあるだけだ」

 幼女はそう言うと、馬車の中で起用にアルフリートの手を取ってから、背筋がぞっとするほど愛らしく言った。

 「フェリシアの、パパになって♪」

 「はぁ!?」

 悪路に揺られる馬車の中。

 黒色精霊種(ダークエルフの素っ頓狂な声が響き渡った。





続く 



[20294] 事件(ケース)⑤ おままごと(ファミリー・ゲーム)Ⅱ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/08/27 22:33

 

 ルカが朝食の準備をしていると、起き出して来た幼女が目を擦りながら歩いてくる。

 その手には彼女と同じくらいの大きさの熊のぬいぐるみをずるずると引きずりながら。

 「お早う。ママぁ」

 本当に、子猫のように愛らしい声。

 庇護欲を掻き立てるその様に、ルカは思わずにへらと顔を歪ませながら、「お早う。フェリシア」と挨拶を返した。

 「フェリシアはちゃんと挨拶できて偉いね。もうすぐごはんできるから、向こうの部屋でお行儀よく待っててね」

 もちろん、16歳の、それもお世辞にも大人びているなどとは言えないルカが、ママなどと呼ばれる様子には違和感がある。

 幼女が少女をママと呼んでいる、そんな光景である。

 それでもルカは嬉しくたまらないらしい。

 女性には、生まれ持った母性と言うものがあるようだ。

 「はぁい!」

 幼女は元気な声を出して隣室の扉を潜る。

 そこで、沈痛な面持ちで頭を抱える、黒色精霊種(ダークエルフに向かって得意げに微笑んだのだった。

 「どうだ、アルフリート?完璧だろう、私の幼女っぷりは?」

 金髪を掻き揚げる5歳くらいの天使の様な幼女に、アルフリートは心底疲れた声ではぁと溜息を吐いた。

 「…お陰さまで、早くも後悔しているよ。お前をこの家に連れてきたことを」

 「連れないことを言うな。お前は私のパパになるんだからな?」

 その幼さに見合わぬからかうような口調のフェリシアに顔を歪めるアルフリート。

 その時、台所から声がかかった。

 「フェリシアちゃんはホットケーキに蜂蜜かける?」

 「うんー!フェリシアはちみつ大好きー!」

 うふふ、と笑いながら「じゃあたっぷりかけるね」と返事をする養い子の嬉しそうな様にこそ。

 黒色精霊種(ダークエルフは嘆息を禁じえなかった。





 

 「フィゾリン家とディアチ家?」

 「そう」

 劇場から戻る昨夜の馬車の中。

 幼女に転生したシルフェリア・ディアナは、彼女の言う「依頼」の内容をアルフリートに話した。

 フィゾリン。そしてディアチ。

 貴族であるこの二つの家は、以前から事あるごとに対立していた。共に精霊種(エルフの名家であり、中央で辣腕を振るう両家の仲の険悪さは有名で、だからフィゾリン家の跡取り息子がディアチの娘と結婚を発表したニュースは、それはセンセーショナルに受け止められたものだ。

 それは世紀の結婚と呼ばれるにふさわしいものだった。

 なぜなら、二人は互いを愛し合っており、愛ゆえに家の確執を越える覚悟を持っていたのだから。

 それは並大抵のことではない。

 政界に強力な力を持つ二つの家には、それぞれ影響力のある他政治家や派閥、商家などが複雑に存在し、既得権益を侵しかねない二人の婚姻に関して、大衆の賞賛を倍する憎悪の機運が、彼らの内から上がってきていた。

 しかしこの二人と言うのが並みの精霊種(エルフではなかった。己の目的を実現する才能と意欲に溢れたこの二人の若者は、徐々に外堀を埋めながら、寧ろ両家が手を取り合うことで生じる利益についてこんこんと説得を続けた。

 遂にはその工作が実を結び、二人の婚姻は認められ、両家は徐々に歩み寄りを見せるかに見えた。

 だが。

 「そう上手くは行かないものだ。一週間前、二人が乗った馬車が急峻な崖から転落すると言う不運に見舞われた。二人は即死だったそうだ。これが事故に見せかけられた殺人である可能性もないではない。本当に事故であったのかもしれない。問題は、二つの家がこれをどう捕らえたかだ」

 フェリシアは、その幼女の姿に露とも似合わぬ老獪な口調で言葉を続けた。

 結果として、両家はその事故を互いに互いの仕業と考えた。

 フィゾリン家はディアチ家を、ディアチ家はフィゾリン家をそれぞれ憎み、時代は再び対立へと逆戻り。

 両家の癒合はやはりまだ不十分なものであったのだろう。あっという間に政界は千々に乱れ、寧ろ以前にも増して混乱するようになった。

 「まぁ、急な変化への反動もあるだろう。共和国にとっても両家の和解は大きな意味を持っただろうに残念なことだ。結局、もともと和合をよく思っていなかった連中が中心になり、燃え上がる火にじゃんじゃん油が注がれているわけだ。砂上の楼閣と同じで崩れるのも早い。まったく、困ったものだよ」

 「しかし、それがお前と何の関係があるんだ?」

 幼女が一息に話したその話に、アルフリートは疑問を呈した。シルフェリアは確かに偉大な魔術士であるが、中央の政治的ないざこざに関与していたという話は聞かない。しかし、アルフリートは数瞬後には何かに思い当たり、「あ」と言ってシルフェリアを見つめなおした。

 暗い馬車の中。

 幼女はわが意を得たりとばかりに、妖艶に笑う。

 「お前、まさか…」

 アルフリートの言葉に、シルフェリアは改めて今の自分の名前を名乗った。

 「我が名はフェリシア・フィゾリン。フィゾリン家の正式な跡継ぎである身だ。もっとも今は両家にとってこの上なく煙たい存在だがね」

 事も無げに言い放つ幼女に、アルフリートは絶句したのだった。





 

 

 「よりにもよって、やっかいな家に転生したものだ」

 ホットケーキが焼きあがるのを待ちながら、アルフリートはそう言って溜息を吐く。シルフェリアの依頼とはフェリシア・フィゾリンの身の安全を守ること。その為に、彼がフェリシアの後見人となることだった。

 世捨て人然としているとは言え、黒色精霊種(ダークエルフたるアルフリートの存在は無視できるものではない。

 彼が後見人である以上、フェリシアに余計な手出しが出来るものはいなくなるだろう。

 「形式だけでいい。私の両親が『もしもの場合、友人たるアルフリート・ウルグルスに娘フェリシアを託す』と記した遺言書は捏造して金庫に入れておいた。それが公開されれば、お前が5歳の幼女の後見人たる権利は十分だ。良かったな。幼児嗜好者(ペドフィリア)冥利に尽きるというものだろう」

 「五月蝿いわ、同性愛者(レズビアン)」

 偉大なる魔術士である彼女にとって、そのくらいのことは分けのないことであったろう。二人とアルフリートに面識はないが、もともと伝説上の生き物の様に得たいの知れない黒色精霊種(ダークエルフのこと。

 そんなものが存在しても誰もおかしいとは思うまい。

 「ということで、よろしく頼むぞ、アルフリート」

 はぁ、とアルフリートが何度目か知れぬため息を吐いたとき、丁度ホットケーキが焼きあがったのだろう。ルカが皿を持って部屋に入ってきた。

 「はい。出来たよ、フェリシア。いっぱい食べてね」

 「うんー!」

 嬉しそうに返事をする幼女の姿をした魔女に、満足げな微笑を浮かべるルカを見ながら、アルフリートは昨夜のシルフェリアの言葉を思い出す。

 彼は断ったのだ。

 シルフェリアは昔の知人だが、そこまでしてやる義理があるわけでもない。だがそう言って首を横に振ったアルフリートに、シルフェリアは言ったのだった。 



 『なぁに。大したことではないだろう?この少女に本当のことをばらされることを思えば?』



 それを普通、人は「依頼」とは呼ばない。

 それは「脅迫」と呼ばれるものだとアルフリートは思うのだ。 









  「出かけてくる」と言って、珍しくも外出する養い親をルカは見送った。「遅くなるかもしれないから夕食の準備は要らない」と言ったアルフリートに首を傾げながらも、ルカは取りあえず一日をフェリシアを愛でることに費やしていた。

 彼女の両親の(偽の)遺言の公開と、彼女の後見人となる複雑な手続きの為に奔走するためであることなど、ルカにはうかがい知れない。

 「癒されるわー」

 とか言いながら家事の合間におやつを作ってやったり話し合い手になってやったりしてフェリシアに構うルカ。

 「役得役得」とか言いながら幼女が自分の胸や尻をまさぐっているなどとは露とも知らないルカは、終始上機嫌であった。

 しかし。

 幸福とはいつまでも続きはしないものだ。

 フェリシアの両親がその絶頂で命を断たれた様に。

 幸福な時間とは突然ぶつりと途切れるようになっているのかもしれない。

 貧民街(スラムの外れにある探偵社。その周囲を殺気が篭った数人の気配が取り囲んだのは、太陽が西に沈んだ直後のことであった。

 「!?」

 夕飯の片付けをしていたルカは、住居が数人の、しかも手練に囲まれていることを察知してすぅっと目を細める。

 そして居間でぬいぐるみに抱きつく幼女に視線を移し、そっと彼女に近寄った。

 「フェリシアちゃん?」

 「なぁに、ママー?」

 きょとんする愛らしい幼女に、ルカは微笑みながら話しかける。

 「ママ、ちょっと出てくるから、お留守番しててくれる?」

 「うんー!いいよー!でも、すぐに帰ってきてねー」

 そう言うフェリシアに「わかった」と答えてから、ルカは艶丸を取り出して玄関の扉を開けた。

 「…で、どこのどちら様なわけ?私がこの家に住んでることを知っての狼藉かしら?」

 外に出てみると、そこには頭に黒革のマスクを被って人相の知れぬ、全身黒尽くめの男達が夜に溶ける様にして探偵社を取り囲んでいた。

 プロだな、とルカは思い、そして嫌な汗を掻く。

 彼女一人ならどうにもでもなるだろうと思えた。

 あるいはアルフリートがいれば問題にもならないだろう。

 だが今養い親は留守で、彼女には守るべき娘がいる。

 ルカはスっと艶丸を鞘から抜き放つ。

 すると、黒尽くめたちも一斉に殺気を膨らませた。

 「悪いけど、うちに入れてあげるわけには行かないわ。今、ちょっと小さなお客様が来てるとこだから」

 ルカが軽口を叩いた瞬間だった。

 黒尽くめ達が一斉に襲い掛かってきたのは。 

 「くっ」

 その動きは訓練された暗殺者のものだった。

 仮に相手がルカでなければ、その気配すら察知させずに殺されていたかもしれない。

 一人が小刀を抜き放ってルカに向かってきたのを、彼女は艶丸を持って迎え撃つ。

 きぃんと言う高い音がして黒尽くめは後方に弾かれるが、すぐさま別の暗殺者がルカに向かって音もなく走り寄る。

 「ちっ」

 彼らは決して無理をしない。

 ルカをあなどりもしない。

 狼が獲物を狩るように。

 深追いせずに確実に群れでルカを追い詰める。

 訓練された組織は足し算ではなく掛け算の能力を発揮する。

 一人一人はルカに及ぶべくもない能力である黒尽くめたちが、確実に規格外の少女を追い詰めていた。

 「この―!ちょこまかと!」

 フェリシアを守らねばならないルカには気持ちの上で余裕が少ない。

 周囲に気を配り、万が一にも家に入り込まれないように注意を払っておかねばならない。

 だが結果としてその気配りがすべてに裏目に出ることとなった。

 周囲に意識を広げるルカは、最後まで気付かなかったのである。

 初めから、罠は彼女に向けて張り巡らされていたことに。

 黒尽くめたちをけん制しながら軽快なフットワークで駆ける少女。

 しかし貧民街(スラムの一角。

 未舗装の砂利の道を脚が踏んだ瞬間。

 突如雷撃がルカの身体を走った。

 「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 全身を貫く激痛にさいなまれながら、ルカは辛うじて己の足元を見る。

 そこには巧妙に隠蔽された雷電結界が、彼女の華奢な身体を食い破らんと凶悪な雷撃を放っていた。

 「し、まった……!」

 はじめからルカを何とかしなければ襲撃の成功がないことを黒尽くめたちは知っていたに違いない。そしてそれが容易ではないことも。だからこそ。

 あらかじめ罠を張って望んだのである。

 「く……そ……!」

 全身の力を集中させてなんとか結界を解こうとするルカ。だがよほど高位の術士が組んだものなのだろう。ルカの全力の抵抗をもってしても解除することができない。

 「う。うぅ、あぁぁぁぁぁぁっぁぁ!」

 全身を雷撃にさらされ、遂にルカがその意識を失った瞬間だった。

 不意に、雷電結界がその威力を喪失させたのは。

 「?」

 黒尽くめたちが不審に思って硬直する。

 そのうちの一人が、ぐったりと倒れるルカに近づいた瞬間。

 音もなく吹き飛んで廃ビルの壁に叩きつけられた。

 「ぐは…」

 ぐちゃりという不吉な音がして、男はそのままぴくりとも動かなくなる。黒尽くめたちは何が起きたのかも分からずきょろきょろと周囲を見渡す。

 そして。

 探偵社の玄関から出てきた小さな幼女をようやく発見したのだ。

 「ふむ。確かに強いが、まだまだ注意力が足りないな。まぁ若いのだし、その辺は今後の課題かな。時に貴様ら――」

 幼女は、すたすたと一見無防備に歩きながら、その外見に似合わぬどすの聞いた声で刺客に向かってすごんでみせた。

 「人の女に手を出して、ただで済むと思うなよ?」

 ゆらりと、黒い影が幼女の後ろに立ち上る。

 黒尽くめたちは、それを見て驚愕とともに絶句したのだった。

 





続く



[20294] 事件(ケース)⑤ おままごと(ファミリー・ゲーム)Ⅲ
Name: 偽作家◆e3f510c0 ID:31caf33b
Date: 2010/09/01 23:58


 

 両手を腰に当て、威圧するように黒尽くめの男達を嘲笑する幼女。その背後に、それは姿を現した。

 一言で言えば、それは怪物であった。

 10メートルはあろうかと言う体高は屋根よりも高く。

 身体を覆う毛皮は夜よりも闇色で。

 捻じ曲がった二本の角はどんな槍にもまして鋭く。

 地面を支える四肢は巨木の様に太く。

 そして凶悪な牙が並ぶ巨大な口はどんな迷宮よりも致死的だ。

 「も、闇の一族(モンストロ……」

 男の一人が思わずそう呟いた。

 怪物は、まるで金属を煮溶かしたような真っ赤な二つの目でその男を睨みつけ、そして獣の鼻を鳴らして吼えた。

 『るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんッ!』

 まるで嵐が来たかのごとく。

 家々がびりびりと震えて軋む。

 男達はその場に凍りついたように動きを止め、あるいはがたがたと震える。

 「腹が減ったろう、ベヘメト」

 たった一人、幼女だけは巨獣の毛皮をその小さな手で撫でてやりながら、容易く話し掛ける。

 「喰っていい。ただし、残すなよ」

 それを合図に殺戮が始まった。

 「うわぁぁぁぁあぁぁッ!」

 暗殺者達は恐慌に陥った。

 場数を踏んでいるのであろうプロの暗殺者達。

 しかしそれはあくまで人間を相手にした業だ。

 自分の数十倍もありそうな、怪物を相手にしたことなどあるはずもない。

 ある者は抵抗することも出来ずに丸呑みにされ。

 ある者は果敢に剣を突き立ててから丸呑みにされ。

 ある者は逃げ出そうと走り出した所を丸呑みにされ。

 ある者は幼女に跪いて命乞いをしながら丸呑みにされた。

 巨大な獣は巨体に似合わず俊敏で、誰も獣から逃げおおせることはなかった。武器はまるでその毛皮に通じなかったし、電撃結界に掛かるほど愚かでもなかった。

 男達は喰われることには疑念を持たなかった。

 人はあまりにも凶悪な運命を前にした時、己に襲い掛かる不幸には疑問を抱かない。

 ただ、不運を呪い泣き叫ぶだけだ。

 まるで嵐の様な数分の後、たった一人の黒尽くめを残して誰も姿を消していた。フェリシア、いやシルフェリアという偉大な魔術士は、満足そうに微笑みながら最後の男に向かって歩み寄る。

 「伯父上の手のものか?それとも従兄弟どのかな?」

 ひぃっと悲鳴を上げながらあとずさる男に向かって幼女は困ったように微笑んだ。

 「どちらなのだ?ほら、さっさと言え」

 男が震える声で懇願するようにフィゾリン伯爵ですと言った瞬間、男は背後から丸呑みにされていた。

 「なんと、爺様がねぇ。まったく、情け容赦のないことだ」

 言葉ほどの衝撃を受けた様子もなく、幼女はひょいと肩を竦める。

 「どうだった?久しぶりの魂の味は?」

 そして、彼女に傅くように頭を伏せる巨獣に向かってそう言って笑う。

 巨獣がほんの少しだけ身じろぎすると、その体がぶわっと広がった闇に包まれた。

 夜より濃い闇は数瞬ほども立ち込め、やがて風にかき消されるように拡散する。

 すると、そこにはもう巨獣はいなかった。

 ただ、真っ黒なスーツに身を包んだ、漆黒の髪と眼を持つ美しい青年が立っているだけだった。

 「率直に申し上げて」

 青年は幼女に優雅な姿勢で礼をしながら言葉を発した。

 「糞まずいですね。第一私はそもそも男の魂は好かないのです」

 忌々しげに顔を顰める青年を幼女は嘲るように笑う。

 「好き嫌いを言うな、ベヘメト。―――久しいな」

 巨獣の名で呼ばれた青年はその場に跪くと、幼女が差し出した手の甲にキスをした。

 「お久しぶりです、主。しばらく見ぬ間に随分縮まれましたね」

 「気にするな。ちょっとしたイメチェンだ」

 「イメチェンで済みますか!大体いつ亡くなられたのです?亡くなったなら魂くらい喰わせてくれてもいいじゃないですか」

 「身の程を知れ、使い魔の分際で」

 「相変わらず、連れないですねぇ。まぁ、そこがいいのですが。あ、心配しないで下さい。私の愛は外見の形に左右されませんので」

 「貴様も幼児嗜好者(ペドフィリア)の仲間入りだな」

 幼女がうんざりしたように言ったとき、ベヘメトと呼ばれる青年は再び顔を顰めた。

 「そう言えば、さっきからあのいけ好かない黒色精霊種(ダークエルフの匂いがするのですが?」

 「ああ、あそこがあいつの家だからな」

 そう言って幼女が探偵社を指差す。

 「ちょっと燃やしてもいいですか?」

 「やめろ。本人は留守だし、私は今あそこに住んでいるのだ」

 「………は?」

 「ふふん。なに、長い人生だ。黒色精霊種(ダークエルフの娘になってみるのも悪くはないと思ってな」

 「……ちょっとあの野郎を殺してきますね。心配なさらないでください。主は私がお風呂も着替えも面倒見て差し上げますから。じゅる」

 「涎を拭け。獣」

 きらきらと眼を輝かせながら涎を垂らす美青年を嫌そうにねめつける幼女。

 「なに、ちょっとしたおままごとだ。その少女のことも気になるしな」

 そう言って幼女が地面に突っ伏したままのルカを指差す。ベヘメトは彼女を見て首を傾げた。

 「なんでこんなところに【赤】が?」

 「【青】はルキフェルのところにいるらしいぞ」

 「……意味が分からないのですが」

 「だが、意味のあることだ」

 そう言って偉大なる魔術士である幼女は酷薄に笑う。

 「我々が【神】を殺して200年。社会はその有様を多様に変えた。最早民草は【神】について語ることもなければ、【神】に縋ることもない」

 「先ほど、男の一人が私のことを闇の一族(モンストロと呼びましたね。私が【神】に傅いたことなど一度もないのですが」

 「もう、そんな区別すら意味がないのさ。彼らは【神】のいない時代を生きている」

 興味があるじゃないか、と幼女は微笑む。

 「【神子】達が、果たしてそれでも何かの意味がある存在なのかどうか。もはや今の時代には必要のない存在なのか。二人の黒色精霊種(ダークエルフが期せずして同じ行動を取っている。これは偶然だが、偶然だけに必然でもある」

 「ルキフェルはともかく、あの男は【神子】には反対したはずでは?」

 「思うところがあるのだろうさ」

 魔術士はにこりと、まるで無垢な幼女の様に笑った。

 「その子を家に運べ。傷を癒して少し記憶を弄る」

 「随分ご執心ですね」

 「なに、私はいつも愛らしい女性の味方だ」

 「相変わらずの変態ぶりですね」

 「貴様に言われたくないわ」

 老女だろうが幼女だろうが変わらぬ愛を嘯く獣に向かって、魔術士はうんざりしながら言ったのだった。







 

 翌朝。

 ルカは寝台で目を覚ました。

 どうにも就寝した記憶がないのだが、ちゃんと着替えているし、風呂に入った形跡もある。誰かがルカを裸に剥き風呂に入れたはずもないので、ちゃんと自分でやったのだろうが。

 「疲れてるのかな」

 取りあえず朝食を作ろうと台所に向かうルカ。

 あ、と思いついたように客間の扉をそっと開けると、そこではフェリシアが天使の様な寝顔ですやすやと寝入っていた。

 ふふふ、と微笑んでから台所に向かうルカ。幼女が枕に隠れてにやりと笑ったのを彼女は知らない。

 アルフリート・ウルグルスが帰宅したのは、二人が朝食を食べ終え、太陽が正午の高さに昇った後だった。

 「ただいま」

 「おかえりなさい」

 「おかえり!パパー」

 フェリシアがそう言いながらパタパタとアルフリートに向かって走り、その胸に飛びつく。

 「パパー、フェリシアさびしかったー」

 「まぁ、フェリシアちゃんは甘えん坊ね」

 そう言って嬉しそうに微笑むルカ。

 アルフリートは二人を交互に見ながら、うんざりするように嘆息するのだった。

 「子供に向かって何て顔してるの?お腹空いてるんでしょ?とりあえずお昼ごはんつくるね。フェリシア、パパをお願いねー」

 「はぁい!」

 言いながらルカが台所に入っていくや否や、愛らしい幼女であったはずのフェリシアは、魔術士の口調でアルフリートをなじり始めた。

 「おい。貴様やる気はあるのか?もっとちゃんと演技しろ。私を見習え私を」

 「……お前の本性を知っていて、そんなことできるわけないだろう」

 「ふん。根性なしめ。まぁいい。首尾はどうだ?」

 はぁ、と溜息をついてからアルフリートは幼女の詰問に答える。

 「気持ち悪いほど上手く行ったよ。これで、晴れて私はお前の後見人だ」

 「私が根回ししたのだ。当然の結果だな。だが良かった。これで奴らも早々手出しはできまい。昨夜が最後のチャンスだったな」

 「何?何かあったのか」

 ふふんと鼻で笑いながら、幼女が昨夜の顛末を話す。それを聞いてアルフリートは青褪めた。

 「もっと注意力を持たせた方がいい。頑丈とは言っても限度がある」

 「……忠告としてありがたく受け取ろう」

 そう言って沈痛な面持ちで口を噤んだ黒色精霊種(ダークエルフに向かって「そうだ」と幼女がぽんと手を叩く。

 「私はこれからしばらくここに住むぞ。よろしく」

 「はぁ!?」

 「おいおい。後見人になっておきながら、こんなみそらの子供を放り出す気かね?」

 「お、お前形式だけだと言っただろうが!」

 「気が変わった」

 「おい!」

 「ちょっと、何子どもに大声出してるの?」

 その時、ルカが台所から顔を出す。そこにフェリシアがぱっと飛びついた。

 「ママー。これからはずっと一緒に住めるんだってー。パパがフェリシアのこうけんにんになってくれたのー」

 「えぇっ!本当なの、アル!この子の後見人になったの?」

 「え?あ、まぁ。その、たしかに後見人にはなったが、しかしだな……」

 「ありがとう!私、一生懸命育てるからね!」

 「え?」

 「わぁ、嬉しい!フェリシアちゃん、じゃあお昼食べたらお洋服買いにいこっかー」

 「うんッ!」

 きゃっきゃっと喜ぶ二人を前に何も言い出せないアルフリート。

 その時、こんこんこんと扉を叩く音がする。

 「はーい?」

 ルカが扉を開くと、警官の制服に身を包んだ抜群のスタイルの女性が部屋に入ってくる。

 「なんだ、あんたか」

 「なんだとは失礼だな。アルフリート様。ちょっと事件のことでご相談したいことが……」

 制服の前のボタンが止まらないほどの大きな胸を揺らしながら、リリーは室内を眺めて、その幼女を見て硬直する。

 「あ、あの、アルフリート様。その子どもは…」

 「ええっとだね、リリー。話すと長くなるのだが彼女は…」

 「パパー!」

 「へ?」

 図ったようなタイミングで、幼女はアルフリートを指差す。

 そして「ママー」と言ってルカを指差した。

 「えぇッ!ちょっと、アルフリート様。あ、あなたその小娘とッ……!」

 「ち、違う!誤解だ!」

 「フェリシアはパパとママの子どもだもんねー」

 「ねー」

 「ルカ!すすんで誤解を招くな!面白がるな!」

 黒色精霊種(ダークエルフの絶叫と精霊種(エルフの警官の悲鳴が真昼の貧民街(スラムに響く。

 何はともあれ。

 精霊種(エルフの幼女フェリシアであり、偉大なる魔術士シルフェリアでもある彼女は、探偵社に住むこととなった。

 「計算どおり」

 幼女はそう呟いて、天使のような笑顔で微笑んでいた。

 

おままごと(ファミリー・ゲーム)  了



事件(ケース)⑥ 眠れる森(スリーピング・フォレスト)に続く



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