抗議が終わった主権回復の会のみなさんが、歩いて
靖国神社に行かれた後、 私たちも靖国神社にむかいました。
福岡のノコさんも、お参りしたいということで
お参りをしました。
そして再度、靖国会の沼山様に出会い、
事務局次長の方を紹介してくださり、
西村修平さんに、ご紹介くださることになりました。
その前に茶店で お腹がすいたので おうどんを。
五右衛門さん、ノコさん、おつる、相方、maggieさん。
私は途中だった、バチカン大使館への手紙を仕上げる・・・
時間も限られた中で必死で書き続ける・・・
「靖国神社の茶店で、くわえたばこをしながら
なぜか バチカン大使館に必死で手紙を書いているおつる笑」 ・・
と、ノコさんに言われて ふと、自分の異常な状況に気づく
あははははは笑 不謹慎このうえない私
神様 ごめんなさい。
で、みんなで おうどんを食べ終わり休憩していると
そこに 主権回復の会の代表の西村修平様が
お話をしましょうと来られました。
かの有名な西村修平さん、
私たちは再度、ご迷惑をおかけしましたと心からお詫び。
「いえいえ、あなた方に謝っていただく必要はないんですよ」 と
そして、カトリックについて、今日の抗議について、
お話することができました。
本来のカトリック、クリスチャンというのは、
隣人を愛すること、そして対話することの必要性を説いているはず。
どうして、今回、抗議している方々に対して
カトリック正義と平和協議会は向き合わないのか・・・・
聖イグナチオの信徒代表の方も
神父様を守ろうと彼は彼なりに、勢いっぱいだったとは思いますが
嘘をついたり、カトリックなのに暴力的威圧的行動をしたり・・
誠意ある対応だったとは、言えないでしょう。
私は、普段、ウイグルの問題などに対して
中国領事館に抗議したり、NHKに抗議したり、
していますが、中国領事館やNHKは誠意もなく、無視です。
この中国やNHKと同じ対応を 正義と平和協議会はしていると
いうことです。
誠意があるなら、真のクリスチャンとしての姿勢があるならば
まず対話が必要なのではないでしょうか
私が、もし個人的に誰かを傷つけ、ネットでの誹謗中傷のような
姑息な手段ではなく、直接抗議に来られたならば
まず、誤解であれば、誠心誠意説明するだろうし
本当に傷つけたのであれば、心からお詫びするでしょう。
まして、自分が隠れて、逃げて、他人にまかせるような事は
しないでしょう。 逃げて隠れて、対応もせず無視とは
どういうことでしょうか。
カトリック正義と平和協議会は、クリスチャンの精神に
反しているのではないでしょうか
私たちは、西村修平さんが、本来ならば
初めてお会いする私たちカトリック信徒に対して、
激しい抗議をされてもおかしくはなかったはずです。
カトリックの名のもとに反靖国行為を繰り返し、反天皇行為をし
そんなカトリック正義と平和協議会は、カトリックの異常な一部の
組織とはいえ、私たちもその同じカトリックの信徒なのです。
しかも私たちは、今まで抗議の声をあげたり、バチカンに訴えたり
カトリック正義と平和協議会の司教様とも直接会って
質問してきたり、抗議してきたりはし続けていますが
結局、反靖国行動や今までの左翼的行為などを
阻止できなかった事は、見過ごしてきた、甘いと言われても
しかたのないことです。 ここに私たちは深く反省しているのです。
教会に政治的言動を持ち込んでほしくないと訴える私たちですから
逆に正義と平和に対する 抗議運動や署名運動やデモなどの
具体的行動は、できていなかったのです。
ですから、西村修平様や 靖国会の沼山様は
私たちに対して、激怒しても当然なのです。
なのに・・・なのに・・なんて紳士的なのでしょう。
しかもtontonさんは、ソフトクリームをぺろぺろなめながら
私と西村修平さんやノコさん、相方はビールを飲みながら・・笑
そして、私たちはバチカン大使館に行くということで
お別れのご挨拶をと思っていましたが
西村修平さんから、「せっかく大阪からわざわざお越し下さった
のですから、事務所でお茶でも御馳走させてください」とのこと。
「お疲れでしょうから」とご遠慮したのですが
仲間が、せっかくのお誘いですからご訪問させていただこうと。
というわけでバチカン大使館の後に行くことに決めました。
靖国にお別れを告げ・・・・今度は
<大バチカン大使館へ>
まず失礼のないようにお電話でアポイント
女性が出られ
今日は、大使も秘書の方もお出かけだということでしたが
とにくお手紙だけは手渡したいとお願いしました。
少し歩いて、
バチカン大使館
門をはいり、お庭を通り抜け、建物の入り口へ
チャイムを鳴らしてしばらく待つと、白い服のシスターが
にこやかに出迎えて下さいました。
大阪・神戸・福岡からまいりましたと ご挨拶。
昨日の荘厳ミサでの感動などをシスターにお話して
秘書の方に翻訳をことづけたいと手紙をわたしました。
手紙には、昨日の荘厳ミサの感動とお礼、
3月にお手紙をさせていただいたあと、セルフインティンクションに
ついて司教団にお叱りいただいたことへの感謝。
そしてカトリック正義と平和協議会、いまだに大阪教区の
左傾化、政治活動が続いていることへの懸念
そして・・・・本日の聖イグナチオ教会での出来事のご報告
tontonさんも 同じく昨晩寝ないで書かれた手紙をお渡ししました。
大使様とバチカンへ、私たちの思いが届きますように
バチカンへ別れを告げて・・・・
いざ、主権回復の会の事務所、西村修平様のところへ
本来ならば、カトリック正義と平和協議会が、ご訪問して
事務所で抗議を受けて誠意を持って対話し、謝罪すれば
聖イグナチオ教会への抗議もなかったかもしれないのに・・・
西村修平様のところでは、カトリックの事、今回の抗議の件
そして、ほとんどは、西村様が、ご自身の活動などについて
たくさんお話をしてくださいました。
私もかなり プライベートな事までいろいろご質問しました。
1時間半ぐらいもお話したでしょうか。
西村修平さんは、ルネサンスのポリフォニーやクラッシックが
大好きでいらして、それがうちの相方と趣味が同じ♪
うちの相方はドイツ国費留学で、ルネサンス、バロックの勉強
をしてきたリコーダー奏者ですし、西村さんもリコーダーがお好きで
よく、カトリック教会で行われるコンサートにも行かれた
そうです。
美しい高尚な音楽を愛する人に悪い方はいません
今後も、音楽の話ができればいいですねとお互いに
話しながら、お別れのご挨拶をしました。
今回のことで、ネット上では、私や埼玉の頬白親父さんが
まるで、この方々をけしかけたように批判されていますが、
そんな憶測の批判などどうでもいいこと。
真実は、神様がわかって下さいますもの。
今回の出来事は、すべて神様のお導きだと思います。
わたしは神様に感謝しています
今回の事で、聖イグナチオ教会でカトリック正義と平和協議会は
政治活動や、洗脳活動、反靖国の活動はできないでしょう。
この上、まだ繰り返す勇気などないでしょう。
聖イグナチオ教会の方々もやめてくれとおっしゃるでしょう。
そこに私は 靖国分科会が中止になった事と同じぐらい
喜びでいっぱいです。
教会の外で、未信者の団体が抗議しても
教会の方々の敬虔な信仰心がなくなる事はないでしょう。
しかし、反靖国・反天皇・反バチカン・典礼破壊の思想を
カトリック正義と平和協議会の手で、じわじわと
内側から長い年月をかけて、計画的に浸透させられることのほうが
より、卑劣で恐ろしい事です。
教会の子供たちまで、染まってしまうのですから。
そして、これは激しい抗議活動と違って、巧妙であり
阻止しにくく、防ぎにくい事なのです。
ですが、聖イグナチオ教会は 守られた。
わたしは そう思います。
しかし、今回の出来事に対して、
カトリック正義と平和協議会から声明も聖イグナチオの信徒さんへの
謝罪も、何の対応もないようであれば、それは異常なことです。
カトリック新聞には、今回の記事はのるのでしょうか。
とにかく今回の件を憂う信徒のみなさんには、ぜひ カトリック正義と平和協議会に対して
対応してほしい、聖イグナチオ教会の信徒様や神父様に迷惑をかけないでほしいと
謝罪や説明をしてほしいと アクションをおこすことが必要だと思います。
●カトリック正義と平和協議会
〒135-8585
東京都江東区潮見2-10-10
日本カトリック会館 tel: 03-5632-4444 fax:03-5632-7920
email: jccjp@me,com
●さいたま教区事務局 谷 大二司教
埼玉県さいたま市浦和区常盤6-4-12
TEL:048-831-3150 FAX:048-824-3532
info@saitama-kyoku.net
●大阪玉造聖マリア大聖堂 松浦補佐司教
大阪大司教座聖堂
大阪玉造カトリック教会
大阪大司教館および教区事務所
540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2-24-22
TEL.06-6941-9700 FAX.6946-1345
鎮魂の祈りは絶へずこの夏も靖國神社に蝉鳴き止まず
西村修平氏のことばより
http://www.shukenkaifuku.com/KoudouKatudou/2009/091011.html
追記 抗議団体に参加されていて
名刺交換させていただいた、まきやすとも氏のブログより
〜
このように書くとカトリック教団全体が、反日で行動しているように誤解されるかもしれない。
しかし、実態としてはカトリック教団の中のごく一部指導者が政治活動に奔走。「憲法9条を守れ」「靖国神社解体」等の過激なスローガンを口走り、教団を私物化しているのだ。
当日も心あるカトリック信者は、分科会の開催に抗議しに来た。
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=361#comments
**************************************************
ともに行動した仲間のブログもあわせて お読みください。
tontonさんのブログ
聖コルベの娘―あなたの火のような愛で主を愛したい―
分科会中止の余波 ― ネット対応に忙殺 ―(2)
旅日記
分科会中止の余波 ― 無責任な人々 ―(3)
迷走!正平協全国大会(4)
http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore/archive/2009/10
頬白親父さんのブログ
頬白親父の一筆啓上
最新記事
神の御旨を果たすため
第4分科会中止騒動に係るお詫びと御礼
長澤助祭、逃げないで!Part3
長澤助祭、逃げないで! Part2
長澤助祭、逃げないで!
反省の上で総括を求める
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51444031.html
2009-10-13 00:55
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抗議は 最初から最後まで そばで聞きました。
本当カトリック正義と平和協議会の行為はお恥ずかしい限りで
心から この方々、いや日本中の方々を傷つけ侮辱したことに
お詫びする気持ちでした。
今回の抗議していた団体の抗議の趣旨は、正平協の反靖国の見学会がきっかけですが
ずっと以前から松井やよりを代表とするVAWW-NETジャパンの女性国際戦犯法廷の問題に
抗議されていたようです。
VAWW-NETジャパンは、カトリック正義と平和協議会と以前、住所と電話が同じでした。
日本人の象徴であらせられる天皇陛下を女性への性奴隷の罪で糾弾し有罪判決を下した
女性国際戦犯法廷をバックアップした無数にある日本カトリック教団
↓
ここには、カトリック関係の名前がずらりと並んでいます↓http://home.att.ne.jp/star/tribunal/supporting.htm
また先日、靖国神社の境内の中で、大騒動をおこし、神社職員に怪我までさせ、
神社の拝殿にのぼろうとまで企図した高金素梅の事件はご存じでしょうか。
これは、カトリックにたとえて言えば、
聖堂に入り込んで抗議をし、神父に怪我をさせ祭壇にあがるのと同じことです。
高金素梅の反靖国運動は
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」の
毎年行っている、反靖国行動の一連の行動にともなうものであり
その実行委員会に 今回のカトリック正義と平和協議会が、靖国見学分科会の
講師として呼んだ辻子実 という名があるのです。
この事実を知れば、日本中、右翼や保守団体、靖国神社関係者でなくとも
誰しもが、傷つき、カトリック正義と平和協議会に対して、憤りを感じるのは当然です。
靖国神社の境内に入り込み、拝殿前で過激な行動をした高金素梅
そして、その実行委員会の辻子実を、カトリック正義と平和協議会が靖国見学会として
境内の中に入り込ませ、遊就館に入り込ませようとしたこと
この事に対する抗議なのです。
私も戦死した伯父の写真が遊就館に飾られています。
大切な大切な伯父さんです。
もし、この伯父さんの写真の前を 反靖国の方々が
ぞろぞろと通り、偏った説明で、まるで
日本のために、日本の子供たちのために命をかけた伯父さんを
戦争犯罪者かのように語り 指さし、ぞろぞろと
通ることなど、許すことはできないです。
一度も会ったことのない伯父に対しても個人的には
そういう思いを抱くのに
夫が祀られているご遺族の婦人、父親が祀られている方々
親友が祀られている方、ともに戦地で過ごして、その死を
見守った人・・・そんな人々の思いはどれほどでしょう。
これに対して、
今回の抗議団体は、
聖イグナチオ教会の敷地内には、一歩もはいられず
入口前で抗議したのでもなく、入口から離れた外側の交差点での抗議でした。
比較するというのは、おかしい事かもしれませんが
靖国内部に入り込んだ高金素梅の事件に対して、まだ全国的に抗議の声があがっている最中に その高金素梅と関係の深い辻子実氏を 靖国に入り込ませようとした正義と平和協議会
に対し、
今回の抗議団体は、聖イグナチオ教会に一歩も入らず、暴力的な行為も一切なかった。
この事実を信徒のみなさんは知るべきだと思うのです。
そばに近づいた私に、警察官の方が、抗議の方ですかと聞かれるので
「いえ、私はカトリックの信者です。抗議に参加しているわけではないですけれども
正義と平和協議会の反靖国行為などに反対しているものです」と説明しました。
すると「カトリックの中にそういう方がおられるのですか!!??」と非常に驚いて
おられました。
普段、靖国神社のまわりを警備され、高金素梅の反靖国運動、
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」、反天連の卑劣で
過激な行為に対して、警察の方々も内心、憤りを感じておられるのではないでしょうか。
そして警察の方々もカトリック信徒は、正義と平和協議会と同じような思想という
イメージを持っておられたのではないでしょうか。
私たちは、その警察の方とも親しくお話させて頂いて、
誤解を解くことができたことを嬉しく思いました。
別団体の街宣車の右翼の抗議は、驚きましたが、この右翼団体というのは
日教組への抗議などで有名ですよね。
今後も、カトリック正義と平和協議会が、一切声明も出さず、対応や説明を
しなければ、こういう抗議活動はずっと続くと思います。
その場合、信徒数が多く、東京の中心的な聖イグナチオは靖国神社のそばにありますから
カトリック内部の事情を御存じない抗議団体の抗議対象になることが続くと思われます。
私たちにできる事は、一刻も早く、カトリック正義と平和協議会に対して
何らかの対応をしてもらうよう求めることではないでしょうか。
抗議団体に対して憂いているだけ、掲示板やネットで悲観しているだけでは
同じ事は何度も続くはずです。今回だけで、終わることではないと思います。
今回の行動を憂う信徒のみなさんには、ぜひ カトリック正義と平和協議会に対して
対応してほしい、聖イグナチオ教会の信徒様や神父様に迷惑をかけないでほしいと
謝罪や説明をしてほしいと アクションをおこすことが必要だと思います。
●カトリック正義と平和協議会
〒135-8585
東京都江東区潮見2-10-10
日本カトリック会館 tel: 03-5632-4444 fax:03-5632-7920
email: jccjp@me,com
●さいたま教区事務局 谷 大二司教
埼玉県さいたま市浦和区常盤6-4-12
TEL:048-831-3150 FAX:048-824-3532
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●大阪玉造聖マリア大聖堂 松浦補佐司教
大阪大司教館および教区事務所
540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2-24-22
TEL.06-6941-9700 FAX.6946-1345
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途中、西村代表が抗議文を渡しに行く時は
そのそばに行き見守りました。
途中、聖イグナチオ教会から出てくる男性のスーツの信徒さんたちが
「抗議している人の言ってることは正しいことだよ」 と
くちぐちに話しているのが、印象的でした。
聖イグナチオの信徒代表で入口の警備を担当されていた女性も
同じような事をおっしゃっておられました。
抗議が終わり、その団体は、靖国神社に歩いて行かれるということを
仲良くなった警察官の方にお聞きしました。
私たちも靖国神社に行ってから、バチカン大使館に行くつもりでした
が、立ちっぱなしと、この日のために新調したお靴で足が痛いので
「足痛いからタクシーで行こうよー」とおつる
お仲間のノコさんが「もう おつるさんはー 」と漫才みたいで
警察官の方が笑ってました。
Cにつづく
2009-10-12 16:07
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10/11(日)
この日は、聖イグナチオ教会のごミサへ
tontonさんと、バチカン大使館にお手紙を届ける約束もしていたので
朝からホテルで、バチカンへの手紙をしたためました。
昨晩は、疲れて寝ちゃったの・・・
しかし、今日の聖イグナチオでの出来事を書かなければと
その部分は、聖イグナチオ教会の出来事が終わってから
書きたすことに・・・
同じホテルに泊ったtontonさんとロビーで待ち合わせ♪
3月と同じ 半蔵門モントレホテルに宿泊したのです。
ここは、バチカン大使館のすぐそばで、靖国神社も近い。
イグナチオ教会にも近いのです。
相方と私とtontonさんと、そして九州のノコさんとも待ち合わせして
聖イグナチオ教会へ
途中、イエスの惑星BBSにご連絡を頂いた靖国会の沼山様に
ご挨拶をしていくことに。
靖国神社へ行きました。
到着して、私は、ニューギニアで戦死した伯父さんに
「久しぶりに会いに来たよ」とお参りしました。
そのあと 国立追悼施設反対の署名をしていると
沼山様のほうから お声かけいただきました。
沼山様には、今回、反靖国問題でカトリックがとても迷惑を
おかけしたことをお詫びしました。
本来ならば、カトリックに対して非情に憤りがあって
当然ですのに、私たちに笑顔で、対応下さいました。
胸に拉致被害者救済のブルーリボンバッジをおつけになった沼山様は
紳士で、「スーツに猫の毛がついてまして・・」 と笑
私も猫好きですが、沼山様も4匹も飼ってらっしゃるとのこと。
動物を愛する方は、いい人です。
そして、ご挨拶のあと、聖イグナチオ教会にむかいました。
聖イグナチオ教会のまわりや入口にこんな立て看板が。
教会の名前が看板で隠れてしまっています
↑ あらら、教会のしきたり、礼儀を守らない人は入れないなら
カトリック正義と平和協議会は入れないわよね笑
10時半ギリギリに到着、聖堂に入り、ごミサにあずかりました。
インフルエンザの影響で、口での拝領を禁じられたので
普段手で拝領しないので少しとまどいましたが、
ごミサは荘厳で、ひざまずき台もあり、
ベールをかぶった人も多くて、神父様のお話もとても素敵で、
聖歌隊もオルガンも素晴らしかったです!!
信徒様も上品な方、年配の方々が多く、子供さんもいて、
今日の抗議団体の 反靖国への抗議について、意味のわからない方
ばかりだろうなと気の毒に思いました。
このごミサでも、日本をお守りくださいとお祈りしました。
静かで美しいごミサが終わり、外へ出ましたが、
抗議の方々はどこにも見当たりません。
でも遠くから少し声が聞こえていました。
はじまったばかりのようです。警察官の姿が少し入口のあたりに
見えました。
頬白親父さんとご挨拶して、聖イグナチオ教会の信徒さんである
素敵なご夫婦をご紹介いただいて、お話しました。
頬白親父さんに抗議活動の場所を聞くと、教会の入り口ではなく
ずっと離れた交差点の場所でしているとのこと。
私は急いで、抗議活動の場所へ出向きました。
到着すると、たくさんの警官隊、私服の公安警察の方がいっぱい。
その中を抜けて、抗議活動をされている
主権回復の会、参加者さん40人ぐらいの方々のほうへ・・・
抗議の方は、右翼のイメージなどの人はおらず、
女性も、年配の方もいて、普通の市民の集まりという感じでした。
若い方もかなりおられました。
西村さんが演説をされ、参加者さんがシュプレヒコールを
あげるのを、受け、お聞きするために
私たちは、参加者さんの目前に立ちました。
私たちメンバーは、私、相方、tontonさん、福岡のノコさん
そして五右衛門さん。
五右衛門さんが、普段着の緑色の作務衣を着ていて、
警官隊に怪しまれてました・・・笑
私は、靖国神社を汚そうとし、天皇の名を汚し、靖国神社を冒涜するという反バチカン行為をした正義と平和協議会と、それを知らずとは言え、見過ごしてきたカトリックの信徒の一人として、目の前に立ち、抗議を受ける気持ちでした。
抗議団体の方々は、抗議活動の参加者ではない私たちが
教会のほうから、歩いてきて、目の前に立ち止まっていることを
カトリック信徒だと認識されていたと思います。
けれども怒号を浴びせるだとか、暴力的行為などは一切なく
整然と抗議をされておられました。
私は気づきませんでしたが、tontonさんによれば
私の相方が 「カトリック信者だろう!!」と
厳しく抗議を受けたそうです。
ただ、私たちの謝罪と思いを知り、
このあと、靖国にて 謝罪されたそうです。
この方々は、礼節のある方々だと思います。
私は前日 ギリギリに主権回復の会に対して、ホームページを見てメールをさせていただき、聖イグナチオの信徒様方は、
今回の靖国の件も御存じなく主任司祭様も責任者ではない旨はお伝えし、代表の西村修平様から、ご丁寧なお返事もいただきました。
その中には、神の僕ではなく白人の僕となり下がった
カトリックのこと、
戦前には、日本人の誇りを持ちながら、キリスト者として
立派な生き方をした人もいたこと。
酒井信彦先生のご見解など、非常に丁寧で紳士的なお返事でした。
私は最初から最後まで 仲間たちとともに
抗議団体の参加者さんたちの目の前に立ち、
抗議を受けるつもりで見守っていました。
主権回復の会の西村代表には、謝罪と、イグナチオの信徒さんは関係がないのですということを、お伝えし誠意を持って、抗議活動をされている合間にご挨拶しました。
普段の動画とは、違って、抗議に対してはいつもと違う、穏やかだと感じました。
靖国神社を焼き討ちから救ったビッター神父様のマッカーサーへの提言の文章を丁寧に読み上げられ、戦前のキリスト者の功績なども語られていました。
誤解されている方が多いのですが、主権回復の会というのは、右翼団体ではなく
東京大学の教授であり、退任されたばかりの酒井信彦先生が顧問をつとめる市民団体ですね
私はこの団体の方とお会いするのは初めてです。
スタッフさんは、スーツを着た、一般企業にお勤めのような
年配の知的な雰囲気の方の多い団体でした。
抗議の途中で、右翼団体の街宣車が
青い車が数台、また別組織の右翼団体の白い街宣車が数台
あらわれました。
さすがにその大音量と、日教組に対するような激しい抗議には驚き
ました。途中、主権回復の会の抗議の演説が、街宣車により
聞こえないことがあり、
主権回復の会の参加者さんが、「出ていけー」と逆に街宣車に抗議を
する場面がありました。
名刺交換をした、政経調査会のまきやすとも氏の街宣中にも
街宣車が妨害し、まきやすとも氏が堪り兼ねて、
「少しだまっていろ」というと黙りました。
街宣車に警察は騒音のレベルを測定し
忠告のプラカードを出したので 撤退していきました。
街宣右翼の車はたくさん来ましたが、あの右翼団体は、主権回復の会とは違う別団体です。
街宣右翼の方々が、来られるのは知らなかったので驚きました。
この方々の主張は、言葉は激しく、
主に松浦補佐司教にあてたものでした。
「マツウラ ゴロウ ゴラァ 出てこいー
テメー コノヤロー バーカヤロー」などと言う抗議でした。
私とtontonさんは大阪教区なものですから
その街宣車のお兄さんのマツウラゴロウの発音が標準語で
なんだか 不謹慎だけど 少しふふふっと笑ってしまって・・
街宣車のお兄さんも目の前で笑い顔の私たちに
面喰ったでしょうね。
関西弁の言葉に慣れている私たちには
「バカヤロウ」が、なんだかプロレスやアニメのセリフのように
聞こえてしまうんです。笑
言葉は乱暴でしたが、目の前に立ち耳を傾けると
カトリックに対して、「信者のみなさん、しっかりして下さいよ」
というような願いをおっしゃっているように聞こえました。
主張している内容は、こちらの方々も 乱暴な言葉ではあるけれど
間違ってはいないと感じました。
ただ、信徒の子供二人が、抗議団体の間をぬけて
街宣車のいる歩道をわたるときに、怖がってはいけないと思い
私は、つきそって歩道まで行きました。
でも、子供たちは案外、平気な顔してましたよ。
遠巻きに見ている大人たちのほうが、先入観からか
おびえているようでした。
残念なことは、カトリック正義と平和協議会の事務局の秘書N氏が
物陰からこっそりと見ていたのを発見しましたのですが
聖イグナチオの信徒さんたちが一生懸命対応していたというのに、
まったく何もせずにいて、他人のようにこそっと、
見ているだけでした。
主権回復の会などの方々に名刺をわたしてご挨拶しましたが、とても
礼節を持って、ご挨拶をかえしてくださいましたが、
それとは大違いで
この正義と平和協議会の秘書に、駆け寄り、名刺をわたして礼節を持って ご挨拶し、
「Nさんですか?今回の事についてどうお考えなのですか?
聖イグナチオの信徒や神父様がわいそうだと思われませんか?」 と質問もしたのですが
アメリカ人がよくやる わからない、知らない、関係ないというおどけたポーズをして
一言もしゃべらず、その場をさっさと立ち去られました。
彼は偵察するよう言われていたのか、それとも対応したくて来たが
勇気がなかったのか・・・それは私にはわかりませんが。
「正平協の○○さーん、なぜ逃げるんですかー!!!」
と私は
逃げていく後ろ姿に大きな声で何度も訴えました。
警察の人やまわりの方も聞いていて、驚いていました。
それとは反対に 敷地内から、聖イグナチオ教会の日本人の神父様と思われる方が
ずっとこの抗議団体に対して、抗議の声をあげていらしたそうです。
私は、正義と平和協議会に知らん顔されながら、顔を相手側に見せ
逃げずに信徒を守ろうとされていた行動には、敬意を表します。
が、できれば、敷地から出られ、抗議文の受け取りも信徒代表にまかせないで、対話なされば、よりよかったと思い残念です。
Bにつづく・・・
2009-10-12 14:04
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10/10(土) 新幹線に乗り東京へ。
今回の目的は、一年に一度のカトリックアクション同志会主催の
「荘厳司教ミサ」に出席する事とに出席する友人たち、先輩方
主催の方々と会うこと。
10/11(日)に行われる カトリック正義と平和協議会の全国大会
当初は、分科会に出席し、レポートする目的でしたが
聖イグナチオ教会で抗議活動が行われる事を知ったからには
その抗議運動をこの目で見て、カトリック側の対応を知り、
その抗議団体、主権回復の会の代表の西村修平様や
靖国会の沼山様と対話し、カトリックについて対話し
そして謝罪もすることが目的でした。
ではまず、10/10(土)に行われた
荘厳司教ミサのレポートです。
荘厳司教ミサを主催しているカトリックアクション同志会は
1951年(昭和26年)、元外務事務次官の吉沢清次郎氏が発起し、土井辰雄・東京大司教の承認のもとに、田中耕太郎博士(当時最高裁長官)を会長とし、設立された。
ローマ典礼の粋とも言うべきラテン語の典文、グレゴリオ聖歌による荘厳司教ミサを、1991(平成3年)から、毎年、W・Aカルー大司教(前教皇庁大使)あるいは白柳誠一枢機卿に主司式をして頂いて、献げて来た。2009年(平成21年)で19回目になる。
今回は、白柳誠一枢機卿様が、ご病気のため
駐日ローマ教皇庁(バチカン)大使、
アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様の司式で
行われました。
このアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様には、
今年の三月、高田教授の東京シンポジウムのため一人で上京した時に
バチカン大使館により、お手紙をさせていただきました。
●2009年03月21日(土)
ジャンヌおつる東京へ 番外編@ 〜ローマ法王庁大使館(バチカン大使館)訪問編〜http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/754/
アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様は、
日本カトリックの典礼破壊を憂い、セルフ・インティンクションを
禁止するよう働きかけて下さり、そのおかげで、大阪教区や京都教区には、その旨、通達が出たのです。
日本のカトリックの左傾化、世俗化、典礼破壊を救う大司教様です。
そのアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様の
お姿を拝見できることは、喜びでいっぱいでした。
会場に着いて、Rickさんご一家、美しい奥様とお嬢ちゃま
そして、息子さんの小学生
おつると仲良しのジャン・バティスタくんと合流
主催スタッフの 吉祥寺五右衛門さんにご挨拶。
ノムさんとお嬢さんもおられました。
頬白親父さんやtontonさんにもご挨拶をして、
端のほうではありますが、一番前列のほうのいい席に座ることが
できました。
荘厳司教ミサは、ラテン語、グレゴリオ聖歌がふんだんに歌われ
パイプオルガンの響きも美しく
聖歌隊の素晴らしさに感動しました。
聖職者入堂の時の歌が、
CHRISTUS VINCIT であることに感動しました。
この曲は、先日の大阪北摂大会で、私たちの聖歌隊が歌うために
何度も何度も繰り返し練習し、私の伴奏で、本番で歌い、
たくさんの参加者から、賛美をいただいた曲だったからです。
長いごミサですが、荘厳な音楽で、時間を忘れました。
私は、美しい音楽の中、日本の将来について
そして、麻生元首相やお亡くなりになった中川昭一さんのためにも
祈りました。
そして、どうぞ日本の守護であられる聖母マリア様、日本を
お守りくださいとも お祈りしました。
中国に苦しめられる民族に対しても祈りました。
拉致された横田めぐみさんの誕生会が明日、
新潟で行われるということに関して
拉致被害者の方々のためにも祈りました。
そして、私にもっともっと 力と勇気を下さいと。
そして明日の聖イグナチオ教会での出来事が
日本カトリック教会にとって、素晴らしい方向へ導かれる目覚めに゜
なることをお祈りしました。
聖体拝領では、ひざまずいて、フランシスコ会の
ペドロ・フォン・エッセン神父様より授かりました。
パイプ オルガンの音色は本当に素晴らしかった。
1300人ぐらいの方が集まるごミサで
ほとんどの女性がベールをしていて、古き良き伝統的なごミサの
再現でした。
隣の席に、この荘厳ミサをずっと楽しみにしている車いすの
お母様を連れた、私と同世代の女性の歌声が素晴らしく
ごミサの後、いろいろとお話させていただき、今日の感動を
喜びあえたことが 幸せでした。
ごミサが終わり、懇親会場でいろいろな方とお話しました。
神戸の六甲出身の女性の信徒さんとも仲良くなりました。
Rickさんご一家は感動して涙を流されたそうです。
このような美しいごミサのような、カトリックの美しい魂が
これからも 日本各地で継続されますように。
カトリックの荘厳さが、世俗化し、左傾化したものへと
変貌しませんように。
形式美というものは、心にも影響を与えるものです。
典礼の破壊と世俗化が、カトリックの精神までもを
破壊しないよう 私たちは、世俗化を防ぎ
真・美・善、聖なるものを求めて祈り続けていかねばならないと
強く感じました。
その後、カトリックアクションの侍者をつとめた
九州のノコさんや フランチェスコさん、五右衛門さんら
仲間たちと二次会へ
そして
本来は、それぞれが、カトリック正義と平和協議会の分科会に
わかれて参加する予定でしたが
やはり明日の聖イグナチオが心配であり、
全員で 聖イグナチオ教会に行くことを決意しました。
Aにつづく
2009-10-12 12:21
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明日の外国人参政権反対デモへ行かれる皆さまへ。
明日頑張ってください。
********************************************************************:
鶴姫 おつる 中曽千鶴子
田中様、大圓様、松井様 そして手嶋さん
その他、明日の外国人参政権反対デモへ
行かれる皆さまへ。
カトリックの10/11の反靖国見学会が
中止になりましたが、主権回復を目指す会様が
その勉強会の場を提供した 聖イグナチオ教会(麹町教会)
に中止声明にかかわらず、抗議に行かれるようです。
当初、イグナチオの外人神父様は 左翼カトリック組織の
責任者でもないので、抗議は、
責任者である さいたま谷司教や大阪 松浦補佐司教に
していただくべきと思っておりました。
あまり今回の反靖国行動について
知らない聖イグナチオの信徒さんや
小中学生、小さな子供たちの信徒さんには、何の罪もないこと。
なんとか聖イグナチオでの抗議はやめていただきたいと思いました。
が、今回の外国人参政権反対デモの妨害予告の
賛同者のリストを見て驚愕しました。
カトリックのシスターがずらりと賛同しているのです。
たぶんシスターは、妨害行動に参加するわけではなく
何も知らないで、外国人差別がいけないと署名しただけの
人もいるかもしれません。
けれども シスターの中で、もっとも左翼的で
解放の神学にどっぷり浸った 弘田しずえ氏が名前を
連ねていることにきづきました。
こんな状況では、カトリック信徒全員が
同じようなイメージでとらえられてしまいます
このように 多くのシスターが妨害に参加しないまでも
賛同者として署名していることは
同じカトリックの信徒として お恥ずかしく
お詫びの気持ちでいっぱいです。
明日、東京で カトリック保守の仲間たちと
会議をします。
そして次の日、麹町教会 イグナチオへ出向き
抗議団体である主権回復を目指す会様に対して
左翼カトリックが謝罪しないのであれば
私たちが カトリック信徒の代表として
靖国を汚す行為を自浄できず、見過ごしたこと
左翼カトリックの跋扈を許してきていることに対して
謝罪をし、お話ができればと思っています。
靖国神社をマッカーサーの焼き討ちから救った
ビッター神父様の思いを無にできません。
西村慎悟先生の尊い生き方、
思いを踏みにじる行為を許せません。
主権回復を目指す会様にはメールで
まず、その旨をお知らせいたしました。
日本を愛し、靖国を愛する皆さま
外国人参政権反対の声を明日 大阪であげられる皆様
私は、このカトリック左翼の連中の恥ずべき行為を
同じカトリックの信徒として
心よりお詫びいたします。
誠に申しわけありません。
私の洗礼名の ジャンヌダルクは遠い昔
真実の道を歩まない堕落した教会、神父に
「お前は司教にさからうのか」と聞かれ
「まずは神に従うのです」
と答え 火あぶりにされました。
明日は、東京マリアカテドラルで
このカトリック左翼が撲滅し、本来の愛に満ち
排他主義ではない、
日本の神道や他宗教をも大切にするカトリックの道が
護られるよう お祈りしてきます。
おつる
2009-10-10 00:49
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本日、カトリックの左翼化組織
「カトリック正義と平和協議会」のホームページで
全国大会の中の
10/11 靖国見学分科会の中止の速報が出ていました!
長年にわたる カトリック正義と平和協議会の
左翼化全国大会で、このようなギリギリの中止は
はじめての事だと思います!!
カトリックの名前をつけての
反靖国の行動を、事前阻止に至ったことは
大きな喜びです。
といっても、私は署名運動もまにあいませんでしたし、
抗議文なども持参しようと計画していただけで
まだ、なにも行動していない状況でしたので、
どなたかが抗議をして下さったのではないかと感謝しています。
在特会、主権回復の会、靖国会などが
大きな問題として注視して下さり
ブログや掲示板などに掲載して下さったことも
大きな影響があったのではと思います。
また、私も祈り続けていましたが
お祈りして下さった方々の思いが
神様に届いたのだと思います。
本当にうれしく、心から感謝しています。
有難うございました。
今後ともカトリックの左傾化とは、戦っていきたいと思います。
もしかしたら、完全なる中止ではなく、場所を変えて
などという姑息な手段をとり勉強会だけは
行われるかもしれませんが
とりあえず 神聖なる靖国神社、英霊が汚されることが
ないということは、大いなる喜びです。
前日の10/10に
東京カテドラル聖マリア大聖堂 で、
こちらは、カトリックの保守が集う、荘厳ミサがあります。
このごミサと後の懇親会で保守系仲間と喜びあいたいと
思います。
東京カテドラル聖マリア大聖堂 は
1900年に前身の教会がたてられたのですが
東京大空襲で全焼、1964年に今の場所に再建。
そのすぐあとに
故吉田茂首相の葬儀が行われた場所です。
麻生元首相がクリスマスに家族とともに過ごされる場所。
吉田茂元首相のゆかりの教会で
しかも 日本の国の守護である聖母マリアの
日本を代表する一番の教会
ここで、最後のメッセージ「国が危ない」という言葉を
残され、拉致問題やチベット問題にも深く関わられた
中川元大臣のために、心からの祈りをささげてきます。
反靖国の行動が中止に至ったことへの感謝の祈りも
してきます。
************************************************
正義と平和協議会ホームページより
速報
都合によりイグナチオ教会での第4分科会、
及び靖国見学ツアーは中止いたします。
第4分科会参加者の皆さんには、大会事務局から追って連絡いたしますので、
しばらくお待ちください。
この件のお問い合わせは、
正義と平和協議会事務局!!
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/home.html
*****************************************************
>
> 上記のカトリック左翼の全国大会では、
> 分科会として反靖国の講師を招いての靖国見学会という
> 姑息で、巧妙な反靖国活動が行われます。
>
> 私はデモで忙しく署名運動などをたちあげるつもりが
> ネット署名TVというサイトで認可待ちでしたが
> 結局却下され、署名を集める時間がありませんでした。
> 無念です。が、
> 東京のバチカン大使館に直訴しに行きます。
> そして抗議文、中止を求める文章をカトリック中枢組織
> 左翼組織に送付します。
> カトリック内部から、左翼カトリックを
> 崩し、つぶしていくことが必要です。
>
> この件について、カトリック保守の掲示板に
> 靖国会、主権回復の会の方より
> メッセージをいただきました。
>
> 在特会や主権回復の会の厳しく激しい抗議行動には
> 賛否両論もあるとは思います。
> 私自身が、今、行動をともにしたりお手伝いを
> したりはしていないのですが
>
> 子供たちに悪影響を与える従軍慰安婦展を阻止したり、中高生や大学生にも陰謀論からおもしろおかしく興味を
> 抱かせ、やがて左翼思想へと洗脳するリチャード・コシミズ
> に対する抗議など、
>
> そして反天連への抗議など・・・
>
> 過激ではありますが、今まで戦後60年間
> 左翼が過激な行為をし続けて左傾化した世の中を
> 戻すには、これぐらいの激しさもひとつの方法論として
> 必要なのではないかと
> 思い、子供たちへの洗脳を阻止してくれる行動には
> 感謝する気持ちがあります。
>
> また、カトリック左翼を外部から
> 圧力をかけてくれる団体は今のところ
> この在特会、主権回復の会だけですので、
> 感謝しています。
>
心より感謝しています。 有難うございました。
おつるの相方の問題提起
>
> > 10月10日〜12日に開催される正平協全国集会さいたま大会の案内書をWeb上で確認したところ、前回の大阪大会以上に思想的・政治的に偏った内容になっていることに、今更ながらに驚き呆れています。
> >
> > http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%A4%A7%E4%BC%9A.html
> >
> > 中でも、2日目の18個に及ぶ分科会・現地学習会は、これがカトリックのキリスト者としての勉強会ですか? と疑問符の付く内容と講師陣の多いこと!
> > 特に、「おいおい、これはいかんやろ」と気になったのが、第4分科会「憲法20条と靖国神社〜解説と現地見学で考える〜」
> >
> > 「戦前、国家神道の中心であった靖国神社は、戦後64年経過する今も、国家護持、首相の公式参拝、遺族を無視した合祀など、問題・議論が続いています。国家神道への反省から確立されている憲法20条(信教の自由と政教分離)が憲法改正、形骸化の中で危機を迎えようとしています。その中心的存在、靖国神社について、研究者のお話を聞き、現地見学しながら考えましょう。」
> >
> > との内容紹介が書いてあり、聖イグナチオ教会で主日のミサ後、午後1時からなんと、辻子実をガイドにして靖国神社と遊就館へ見学だそうです。
> >
> > このような不純かつ失礼な動機の下に、反靖国の急先鋒と言える人物を先頭にして、英霊が安らかに祀られているまさに聖域である空間へぞろぞろと見学に行くなぞ、カトリックの恥さらしではないですか。こんな愚かで失礼なことは断固中止していただきたい。
> >
> > ただ、もしかしたら参加者の中には、すべてを見て体感して、自分たちのやっていることが間違っていると気づいてくれる人がいるかも知れない。靖国神社や遊就館がどんな所なのか何も知らないよりはいいのか?
> >
> > いや。でもやっぱり動機が間違っている! その風景を想像するだけでもおぞましいワイ!
> http://yasukunikai.com/
中止ではありますが聖イグナチオ教会での抗議が
行われるようです。
聖イグナチオ教会よりも
やはりカトリック正義と平和協議会の一番の
中枢は、
大阪 玉造の 松浦吾郎補佐司教
さいたま 谷 大二司教 の お二人です。
この二人に対して 抗議していただきたいものです。
このような情報を見つけました。
速報 都合によりイグナチオ教会での第4分科会、
及び靖国見学ツアーは中止いたします。
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/home.html
10.主権回復を目指す会事務局 投稿日:2009/10/07 16:52 >>9
緊急阻止行動について
「正義と平和協議会」は嘘とでっち上げをその布教理念としてきている。
いわばシナ・朝鮮・反日極左と一体となって歴史捏造を煽ってきた確信である。わが国益を如何に害してきたか、その罪は計り知れない。
主権回復を目指す会はこの「中止声明」を問題としないで、当日は告知通りの抗議行動を実施する。
さらに、会場を彼らに提供した「聖イグナチオ教会」のドメニコ・ヴッタリ大司教の責任を追及する。
主権回復を目指す会事務局
この情報に驚きましたが
もし 実際に聖イグナチオ教会で抗議活動が行われるとすれば
松浦補佐司教や 谷 大二司教は
責任をとらねばならないだろう!!!!
靖国神社 焼き討ちから救った ブルーノ・ビッター神父
靖国神社を守ったブルーノ・ビッター神父のお話。
この神父様はマッカーサーが靖国神社を焼き払おうという計画をたてたとき次のように反対されました。
「自然の法に基づいてかんがえると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖国神社を焼却することは米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。われわれは、信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教などいかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものはすべて靖国神社にその霊がまつられるようにすることを進言するものである。」
稲田朋美伝統と創造の会より
http://www.inada-tomomi.com/dento-souzou/d_20060330.html
2009-10-08 01:27
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シルクロードへのロマンをかきたてるためにNHKが隠蔽し続け る、核実験場のあった楼蘭遺跡周辺の「不都合な真実」 について
そして、間寛平アースマラソンの危険について
2009-10-07 02:40
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東トルキスタン ウイグル /
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大阪での青山繁晴講演会の時に、
羽田様より、ご提案をいただいた
「間寛平アースマラソン」 について
高田教授が、ご自身のブログにもとりあげられ、
また
本日のチャンネル桜にご出演の際にもこの問題を大きくとりあげられました。
●チャンネル桜 本日ご出演の映像をぜひご覧ください!
http://www.youtube.com/watch?v=XXN_ujBlKtw
羽田様 有難うございます!!
日本シルクロード科学倶楽部としてこの問題を周知させましょう。
羽田様は、青山繁晴さんを通して、
関西テレビにもはたらきかけてはと
ご提案の時におっしゃって下さいましたが、私は青山氏とご挨拶できたものの時間の都合で 詳しくお話はできませんでした。
日本シルクロード科学倶楽部会員の皆様より、各報道機関やテレビ局、
そして吉本興業などへ
メールやFAXなどではたらきかけては、いかがでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
また会員以外の皆さまも この問題について
ご協力をぜひお願いいたします。
**************************************************************
高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより
アースマラソンの間寛平が危ない!
http://www.earth-marathon.com/
昨日10月3日、未明のコペンハーゲンからアースマラソンに挑戦している間寛平が、生中継でテレビ出演していた。その時見たヨーロッパ後の予定走
行経路地図には、カザフスタンから天山南路あたりが描かれていた。
現在のその地は、世界で最も危険な核の砂漠地帯である。中共がメガトン級の核爆発を1996年まで繰り返し、多数の人々が虐殺された地である。今も
放射線障害を受けた100万以上のウイグル人たちが苦しみ放置されている地獄地帯である。
マラソン中の深呼吸で、プルトニウムを含む砂が肺細胞に吸着するため、肺がんリスクが高まるのである。NHKのシルクロード番組に関わったカメラマ
ンが今年、肺がん死したとの情報が寄せられている。
寛平、シルクロード天山南路周辺を走るな!!!
アースマラソンに挑戦する寛平を応援している科学者より
高田純 理学博士 札幌医科大学教授 放射線防護学
アースマラソンの公式ブログの日記の欄へ、本日、この件をコメントしました。
寛平を応援しているみなさん、是非、彼にこの危険を知らせてください!!!
関連情報
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SSP-J5.html
********************************************************************
2009-10-07 02:32
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中国の核実験 /
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チャンネル桜
NHKが放送しなかった楼蘭遺跡周辺の不都合な真実
チャンネル桜 今晩 10月6日 放送
放送時間
20:00−21:28
新刊「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」を材料に語ります。
1 日本人観光者の家族から寄せられた情報
2 タリム盆地油田と地下核爆発
3 アースマラソン・間寛平が危ない
チャンネル桜のHPより
もう一つの「NHKの大罪」Part2
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1520
キャスター:三輪和雄・児玉麻衣比
ゲスト:高田純(札幌医科大学教授
チャンネル桜のHPより
もう一つの「NHKの大罪」Part2
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1520
冒頭、水島社長から、NHKのJAPANデビュー隠蔽工作の事実が語られます。
こちらも、興味深い報告です。
2009-10-06 18:44
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中国の核実験 /
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2009-10-06 02:32
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
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2009-10-06 02:21
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中国の核実験 /
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 |
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チベットやウイグルや南モンゴルの人々を虐殺し、
資源を奪い、核実験による民族虐殺、女性への強制中絶、レイプ
反日教育をし、日本からのODAで軍備増強する国
大陸間弾道ミサイル、最新兵器の内外へのアピールの軍事パレード
中国建国60周年の軍事パレードを見て、憤りと悔しさで
涙がこぼれました。 体が震えます。
人権蹂躙国家・中国建国六十周年
抗議デモ
私たち日本人はこの方々の悲しみ・苦しみを見過ごすのか!!
本日、晴れました!! 神様が応援してくださってます。
10月3日(土)
集合時間:14時30分
集会開始:14時45分
デモ出発:15時15分
集合場所:大阪市西区うつぼ公園(東園、中央)
地下鉄四ツ橋線 本町駅 28号出口 徒歩5分
http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%C2%E7%BA%E5%BB%D4%C0%BE%B6%E8%A4%A6%A4%C4%A4%DC%B8%F8%B1%E0&lat=34.68233389&lon=135.496685&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&lnm=%BF%D9%B8%F8%B1%E0&idx=21
デモコース:公園を出発→中国領事館を一周→本町通りを東進→御堂筋 を南下→難波付近解散
*3民族旗、日章旗、台湾旗、プラカードの持込大歓迎!
*青天白日滿地紅旗(中華民国旗)は不可。
主催:きなの会
参加団体:日本シルクロード科学クラブ
連絡先:080-5707-7078(手嶋)
メール:uighur_uighur_tm@yahoo.co.jp
2009-10-03 09:09
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2009-10-03 09:00
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日曜日、10月4日(日)は、
アシジの聖フランシスコの祝日です。
アシジの聖フランシスコと言えば映画
「プラザーサン シスタームーン」で有名です。
今年は、この日が日曜日にあたっていますので、主日のミサが優先します。
箕面教会は、フランシスコ会の神父様によって創立され、育成された信仰共同体ですから、この大聖人のことも記憶したいとおもいます
エコ・ミサはそのためです。アシジの聖フランシスコは太陽や月を兄弟姉妹と呼んだり、小鳥に説教したりして神様のお造りになった自然をこよなく愛しました。それゆえ、この聖人は、事前環境保全(エコロジー)の聖人とされています。この機会にわたしたち、カトリック者こそ自然を大切にする第一人者であることを自覚したいと思います。
みなさん、どうぞペットを教会につれてきてください。
犬や猫、鳥や虫、なんでも生き物をご持参してください。
また信者さんでなくても、ペットの祝福をお望みの方は、祝福いたします。どうかお誘いになって 来てください。
おつるは、数か月前に生まれたチベタンの赤ちゃん 三匹を
連れていきます。
10月 和田幹男神父様の言葉
良心の究明のために
知らずに犯した過ち、隠れた罪から、
どうかわたしを清めてください。-詩編19−13-
主任司祭 和田 幹男
楽園で禁断の木の実を食べたエワは、神様から追及されてこう答えます。「蛇がだましたので、食べてしまいました」(創世記3の15)。新共同訳の原訳者の訳文では、 「蛇がだましたので、食べました」となっていました。これを検討した編集委員会で、国語委員の小川国夫氏から、「食べました」では神様に向かって「まずいことしてしまった」という後悔の心が出ていないと言われました。 開き直りとも聞こえます。そこで「食べてしまいました」と訂正されました。後悔とか悔悛とか、罪を悔やむ心とは、いかなるものか、参考になる話でしょう。 さて、周囲の人に迷惑をかけておきながら、本人はそれに気づかず、涼しい顔をしていることがあります。迷惑をかけられた人は、やきもきして、腹が煮えくりかえることがあります。 迷惑をかけた当の本人は、べつに悪意もなく、むしろ善意なので、反省することもない。 「地獄は善意でいっぱいだ」とは、わたしが大神学院に入学したとき、最初に受けた教訓で、自分の言動を反省するとき、ひとりよがりになってはならないと、頭にたたきつけられました。まだまだ十分たたきつけられてはいませんがね。
ゆるしの秘跡を受けるときだけでなく、毎日、夕の祈りのときなど、良心の糾明を行うことが、信仰生活上大切です。しかし、いかに良心の糾明をすればよいのか、教えられていないかもしれません。 参考までに、わたしは、告白の祈りの中で、「わたしは思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました」と唱えるところから、ヒントを得て反省するようにしています。 まず「思い」で、心の中で傲慢や軽蔑、反感や憎み、あるいは不潔など悪い考えをもったことがなかったか、つぎに「ことば」で、悪口や批判、名誉を傷づけたり、うそをついたりして無責任な発言などなかったかどうか、 「行い」で、昔は兄弟をいじめたり、今ではいじわるやセクハラなど、「怠り」で、親切を怠ったり、発言すべきときに黙ったりなど。たとえ小さな罪でも、神様を悲しませないようにしたいものです。
2009-10-03 00:04
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【特別号】 陸軍史あちらこちら−(31) 荒木肇
『進学先としての陸軍士官学校−(下)』━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□これまでの陸士研究のまとめ
廣田照幸(ひろた・てるゆき)氏が『陸軍将校の教育社会史』を出されたのは、1997(平成9)年のことでした。当時、東京大学大学院の助教授であられました。書店の店頭でみて、さっそく購読。その史料分析と論述のすばらしさに圧倒された記憶があります。しかし、いくつか疑問点もありました。
まず、廣田先生は高校への進学率が高かった都市部の一流校の中学生が、大正時代に「陸士離れ」を起こしたことに着目されたのです。そこから彼らが、陸士や海兵を「二流の進路」とみなすようになったと論じられました。論文の副題は「立身出世と天皇制」です。
「一流という進路」は高校から帝大。そうした了解が世間にあったということを前提に当時の若者の進学動機をまとめておられます。
へそ曲がりな私は考えました。いま、この現在(20世紀末)でも地域間には、さまざまな格差がある。情報処理能力の偏在、不公平がある。進路選択だって、完全に公平とは言えないだろう。昔は、もっと差があったのではないか。
大きなまとめとして廣田氏のいうようなことがあったにちがいない。それは間違っていないだろう。でも、地方の一流校の少年、あるいは伝統的に「軍人になることをよいこと」だと考える地域の気風があるところでは、どうだったのだろう。いまもそうであるように、誰もが立身出世、経済的成功ばかりを価値においているのだろうか。
また、前回、ご紹介した竹内洋先生も高校生のエリート性や都市性を論じておられます。『学歴貴族』といわれる高校生たちと陸士・海兵の生徒たちの違いを論じて、その隔絶していることを主張されました。
しかし、そう単純に考えていいのだろうか。そんなに陸士・海兵の生徒たちは主流から外れていたのだろうか。
いずれであれ、なんとか統計数字をつかって考えられないものかと考えていました。
▼陸軍当局者はどう見て、その実態は?
前の号では、明治30年代に受験時代がやってきたことをお話ししました。当時、軍人の人気は、相対的に低下し始めます。そのことは中学校卒業生が士官候補生に進まなくなることで分かるのです。1899(明治32)年には、全体の12.8%が軍職に進んだのに、1911(明治44)年には4.5%にしぼんでしまいました。しかも、この数字は兵役についた人たちも含んでいるので、ことは難しくなります。前にもお知らせしたとおり、この時代の中学生は、後のように13歳から17歳ではありません。だから、卒業と同時に兵役を果たしに入営するということがあり得ます。
問題は、その質です。当時の高官たちは、みな、そろって『近頃の士官候補生は質が悪い』とこぼしています。優秀な中学生は、みな高校から帝大をめざしてしまう。そういう風潮なのだと悲しんでいます。じっさい、そうだったのでしょうか。
1909(明治42)年の第3師団がつくった資料には、『中等以下ノ成績ノ者』が士官候補生を受験するとあります(防衛研究所にある密大日記に記載)。
ここに、丹念に力仕事をされた若い学者がおられます。武石典史(たけいし・のりふみ)といわれる方です。氏は東京大学大学院博士課程におられたとき、廣田先生の指導をあおがれました。氏はまさに、陸軍士官学校の入学難易度と志向地域性についての研究をされたのです。
2005(平成17)年12月号『史学雑誌』に掲載された論文をご本人からお送りいただきました。その成果をお借りしてみましょう(なお、廣田先生とも私はご縁があり、拙著をお送りしてご指導もいただいたことがあります)。
まず、武石氏の調査結果をみます。府立一中(現都立日比谷高校)の卒業生の席次と進路です。すると、1899(明治32)年の卒業生107名中、51名が現役で進学をし、一高へ行った者が34名もいます。陸士への進学者は6名であり、たしかに、その最高席次者は53位であることから、「中以下ノ者」かもしれません。しかし、54位、55位、65位、70位の生徒も一高に入学しています。五高、六高、七高などの合格者は下位の生徒です。これだけをみても、最上位の者は少ないが、地方高校の生徒とは同じであるといえるでしょう。
府立一中は極端な例かも知れない。そこで、地方の中学生も調べたと武石氏はいわれます。「浜松、新発田、三重二中、粕壁(かすかべ)」の四校を調べても、地方高校(一高以外の高校)進学者と陸士進学者の間に有意な差はないと結果をまとめておられます。金沢一中はどうかというと四高のお膝元であり、広い成績層からの四高進学者が目立つ一方、陸士進学者も上位層、中位層から出ていると指摘されています。
ここに日露戦後の陸軍上層部の自信喪失をみるのは私だけでしょうか。あるいは、焦りといってよいかも知れません。わが国が国民国家の意識をもてるようになったのは、明治20年代(1890年前後)からといっていいでしょう。国民はようやく、国家の伸張と自分を重ねて意識できるようになりました。そういう気持ちをもつ人が増えてきたということです。それが、日露戦争に勝利したとたん、国家は目標を失って、それぞれが自己実現ばかりを追い始めた。
その時にあたって、「陸軍とは国民という海に浮かぶ船であり、その船頭こそ陸軍将校である(田中義一)」という理想をもったのが陸軍上層部でした。将校は頭脳の面でも、トップでなくてはならないと考えたわけです。
▼大正時代の陸士志願者中の上位者割合
陸士の志願者は減る一方でした。世界大戦が始まり、バブルともいうべき現象が経済界に起きたからです。同時に、日露戦争のときに採用しすぎた陸士の卒業生の進級停滞がいわれていました。
陸軍は少年たちにとって、きらびやかな就職先ではなくなったのです。1916(大正5)年、陸士の志願者は4,328名。1920(大正9)年にはそれが1,428名と減少していました。もっとも、この頃、募集もまた300名をわるような事態ですから、それほど倍率が下がったわけではありません。
1917(大正6)年度の陸軍将校生徒試験常置委員会の報告が残っています。『中学世界』という受験雑誌です。現役、もしくは1年浪人して高等教育機関へ進学した者の調査でした。中学校卒業時に成績が上位2割にいた者の比率を武石氏が出しています。
陸士は67%、高校65%、海軍諸学校63%、陸軍経理学校49%、官立実業専門学校45%、医学専門学校29%、商船学校31%、その他公私立学校14%になっています。つまり、学校間格差があったとしても、陸士生徒の3分の2は母校の中学で上位2割に入っていたということです。
こうしてみると、陸士には優秀な青年が入校していたことが分かります。海軍諸学校というのは海兵、海軍機関学校、海軍経理学校を合わせたものです。だから、海軍兵学校だけをとると、もう少し高かったのではないでしょうか。
官立実業専門は当時では、京都高等工芸、名古屋、熊本、米沢、桐生の各高等工業、盛岡、鹿児島の両高等農林、上田蚕糸、東京高等蚕糸、京都高等蚕糸でした。いずれも、後の国立大学の各学部になる名門ですが、地味な進学先だったのです。医学専門は1903(明治36)年に官立医専としてスタートした千葉、仙台、岡山、金沢、長崎の5校。京都府立、愛知県立、大阪府立の公立医専がありました。
こうしてみると、当時の受験生の偏差値ランクは、一高がダントツ。つづいて陸士、海兵、海機、海経と並ぶ。次に官立実業専門。だいぶ下がって医専その他となることが分かります。結局、若者たちは、自分の身の丈に合わせた進学先を選んでいたのでしょう。
戦後教育は東大を頂点にした富士山型だ、戦前はさまざまな頂点がある八ヶ岳型だというこれまでの解説がウソにみえてきました。戦後の教育は画一的で個性を認めない、戦前は人それぞれにあった学校制度だったといわれてきました。いろいろなエリートがいた、今はみんな同じだというのが、ある時期、もてはやされた制度改革論者のいい方ですが、それは真っ赤なウソだと思います。実は、昔からわが国の受験体制は変わらないのです。
▼大正時代の高等学校間の格差と陸士
1917(大正6)年から、高等学校入試は共通試験総合選抜方式になります。せっかく学校ごとの単独選抜にしたのに、またまた、学校間の学力格差がいわれたからでした。そして、19年、わずか2年後にまた単独選抜に戻ります。この猫の目のようにクルクル変わる選抜方法の議論は興味深いのですが、教育史に入りすぎるので省きましょう。
この頃のデータによると、やはり、ダントツに1位が一高です。二番手は一高の最低得点の8割以上が必要とされた他のナンバー・スクール。これに続くのが地方の地名高校です。これもまた武石氏の研究によって、一高入学者の最低点を100点として、各高校の最低点をならべてみました(1922年調査)。
仙台二高が87.0、官立大阪86.7、京都三高85.6、岡山六高84.1、浦和84.3、松本83.8、金沢四高82.5となり、ナンバー・スクールでは鹿児島の七高が最低で74.3になります。地名高校では佐賀高校の66.4が最低で、他もおおよそ70点代でした。
陸士がこの中のどれと同じくらいかというと、地名高校とは同じか、それ以上と思われます。確定することの難しさは、陸士進学者はどうしても少ないからです。できる人は学年で1番という人もあり、多少低い人でも上位2割には入るという人がいます。また、当時、陸士と海兵は同時受験が可能でした。
そして、両方合格する人が多かったのですが、たいていが海兵を選んでしまいました。1917(大正6)年から20年にかけて、陸士と他の学校との重複合格者は437名。うち392名(実に89.7%)が海軍諸学校とのもので、342名が海軍学校を選んでいます。
▼海軍人気への仮説
よく陸海軍で比べると、海軍に人気があったとされます。実は、私はひそかにこう考えています。海軍と陸軍を比べると、海軍の方が経済的に恵まれやすいのです。
前にも書いた永田鉄山少将を例にとりましょう。比較するのは山本五十六海軍大将です。この例は、大江志乃夫氏がよくとりあげています。もっとも、氏は両者の部隊勤務経験の差に着目されたものです。陸軍は海軍ほど現場を知らなくても出世できるという例にあげておられます。
私が興味をもつのは、次のことです。2人の間には、進級速度の違いがあります。
永田少将は1884(明治17)年1月生まれ。山本大将は同年4月生まれです。学齢が1つ違うのですが、少尉任官は永田少将が1904(明治37)年11月、山本大将は翌05年8月です。したがって、山本大将は負傷した日本海海戦当時、少尉候補生でした。
さて、2人のことです。永田少尉が中尉になるまで3年。これに対して山本少尉は2年と3ヶ月で中尉に昇任。大尉になったのは、それぞれ少尉任官から8年と4年なのです。なんと、大尉になるまでに海軍は陸軍の半分しか要しない。
永田大尉が少佐になったのは少尉任官後から14年3ヶ月。山本大尉(だいい)は10年3ヶ月で少佐になりました。そして永田が少佐になった年月で、山本は中佐に昇進。山本中佐が大佐(だいさ)になったのは、少尉任官後18年。永田中佐が大佐になったのは同じく22年3ヶ月後でした。
このことは、あまり言われていませんが、結局、組織の違いというべきです。
歩兵を例にすれば、聯隊には大佐1、中佐1(聯隊付、後備歩兵聯隊長要員),少佐が3(大隊長)、大尉14(小銃中隊長+MG中隊長+聯隊副官)、中・少尉52(准士官含む)となります。完全なピラミッドになっています。
これに対して軍艦をみてみましょう。艦長と先任将校各1、機関長、主計長などの各科長にそれぞれ1名の附(ヅキ)もしくは「士(たとえば機関長に機関士)」、分隊長にも分隊士というように、ほぼ同数の配置になっています。
あまり厳密な比較とはいえませんが、概念的には、陸軍は「人中心」、海軍は「機械中心」であり、陸軍の方が将校を多く必要とするのです。
しかも、海軍は平時から訓練などで海外へ出たり、洋上勤務が多かったりする。そうであれば手当が違ってきます。海軍士官の思い出話の中で、陸上の学校に入校すると貧乏するといったことがありました。艦船への乗組手当だけでもけっこうあったし、航海すれば日額手当がさらに出る。士官学生として学校に入ると、とたんにカネがなくなったというのです。
また、海軍の3校では、健康で事故を起こさなければ、まずまず大佐(だいさ)にはするといった方針があったといいます。日露戦争に参加して「此一戦(このいっせん)」で大ベストセラー作家になった水野広徳氏。度重なるワガママと、勝手な言動、最後には軍備縮小論者になりましたが、その水野氏も満43歳で大佐になれました。陸軍だったなら、少佐くらいで予備役編入になったかも知れません。
こうした違いを、当時の受験少年たちは知っていたのではないでしょうか。もちろん、紺の制服と腰の短剣、帝国海軍の勇姿、遠洋航海での外国訪問などなどが魅力であったこともありましょう。しかし、安定した収入、しゃれた生活、将来性を考えたとき、野暮な陸軍と比べたら……。皆さんいかがでしょうか。
▼志望者たちの故郷
さて、現在の防衛大学校でも入校者は「西高東低」と思えます。旧軍以来、九州と中国地方は陸軍将校を多く輩出しています。福岡藩の藩校を起源にもつ「済々黌(せいせいこう)」や同じく熊本の「修猷館(しゅうゆうかん)」、鹿児島の元県立一中などは、いまだに防衛大への入校者は多いようです。
昔のデータを見ても、1917(大正6)年の例では、幼年学校、士官候補生の両者を合わせて、山口県47名、東京府37名、鹿児島36名、熊本31名、福岡26名、愛知19名、佐賀、岡山18名ずつとなっています。東京府が多いのは軍人の子弟のせいです(幼年学校卒業者が27名もいます)。本籍地を移した人が多かったのでしょう。
また、余談ですが、「士族」の数の減少をいう人もいますが、当時、分家をすれば華族も士族も平民になりました。大正時代、3代目軍人になると、初代から分家をして士族から平民になった人が増えたことがあります。
当時、人口が多かった大阪府や、神戸市のある兵庫県からは志願者は少なかったようです。どこか地域の気分が分かる話です。
さて、陸軍省統計年報をくってみると、採用者の本籍地がかんたんに分かります。1920(大正9)年から24(大正13)年までの数字をあげてみましょう。
北海道・東北地方6.9%、関東9.5%、東京4.2%、中部21.1%、近畿7.8%、中国・四国24.8%、九州25.7%となります。合計人数は639名です。志願者は9,130名。平均倍率は14.3倍というところです。
また、1919(大正8)年には、教育総監部は『志願者が著しく減少した』と、6府県をあげています。和歌山、滋賀、長崎、秋田、京都、岡山がそれです。また、『人口に比し志願者の著しく少なき府県』は、沖縄、北海道、滋賀、京都、秋田、岩手、神奈川、大阪となっています(武石氏論文)。
ただ、当時は中学校の卒業生数に偏りがあります。たとえば、北海道と東北六県の2,276名に対して、東京府は3,462名であり、関東は2,838名、中部4,014名、近畿3,685名、中国・四国3,677名、九州4,023名と、大きな格差がありました。
これをうまく解決できないかなと考えていたら、武石氏は「輩出度(はいしゅつど)」というアイデアを出されたのです。
▼輩出度をはかってみたら
志願者輩出度=中学校所在地別の陸士志願者数÷該当地方の中学校卒業者数×100。という計算法です。そして、全国の中学校卒業者100人あたりの輩出率を100として、それぞれの地方の輩出率の数値を修正する。それが輩出度指数になる。指数が100をこえると、その地方が全国平均を上回るわけで、志願熱意が高い地方ということになる。
そうして出た数字が次の通りです。大正10年から12年の数字になります。
北海道・東北は85.9、東京70.9、関東77.5、中部87.7、近畿56.2、中国・四国143.1、九州155.2。これが志願者輩出度数です。
採用者輩出度数を出すとおもしろいことが分かります。これは合格者の比較です。それは中部地方の数字です。志願者の指数は87.7であるのに、合格者は131.0という数字が出ています。進路指導が良いのか、学力が高いのか。他の地方は一様に志願の数字は合格者より高いのに、中部だけは逆になっているのです。熱意は全国的に見れば低いのに、合格実績はたいへん高い。つまり、必ず入りたいという生徒が多かったのでしょうか。
海兵との比較もおもしろいものです。1924(大正13)年の数字ですが、採用者で最も高いのは中国・四国です(147.0)。低いのは中部の55.6。これは北海道・東北の64.9より低くかったのでした。九州は136.7で、これも高い。高校はどうかというと、東京と近畿の指数がたいへん高い。
さまざまな数字を駆使してみると、東京と大阪、兵庫などは一貫して高校志向が強くなっていくことが分かります。海兵は近畿や東京という都市部ではなかなかの指数が出ます。
陸士では50前後の指数だった近畿、東京が、海兵ではそれぞれ70代、100代を出していることです。大東亜戦争のときの中佐クラスでは、陸軍より海軍の方が都会出身の現役将校の割合が多かったといえるかもしれません。
▼まとめとして
陸軍将校の地位は決して低いものではありませんでした。しかし、同時に、報われない職業でもあったのです。とりわけ社会的威信から見れば、多くの国民は官僚や、大企業の幹部、銀行の役員などの方が上位にあると考えていたのでしょう。明治20年代に、近代国家の枠組みがほぼできあがり、世間も資本主義、経済優先になりました。
日清・日露の両戦役がおわって、政党政治の力は増し、同時に強固な官僚組織ができあがっていきました。そんな時代でも、一部の青年たちは、陸海軍の将校をめざしたのです。大東亜戦後になって、戦前の歴史が否定されようになって、彼らを「滅私奉公」の存在だったように否定する見方が主流になりました。しかし、彼らの選択や、生き方をみれば、今の私たちと少しも変わらない「活私奉公」の考え方がよく分かります。人は、若者は、いつも夢や希望をもち、未来に失望せず、与えられた環境の中で懸命に生きるのです。
中国や四国地方、九州に今なお残る「尚武の気風」は、そのおかれた歴史的、地勢的条件が関係しているのではないでしょうか。異民族の攻撃にいつもさらされてきた九州や中国地方。反対に外敵に襲われることも少なかった関東や近畿。外国と海を隔てて接する中部地方の石川県や福井、富山、新潟の人々。軍事に対しての熱意は温度差が出てくるものなのでしょう。
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◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-10-02 23:52
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荒木 肇 先生 /
自衛隊 /
戦争 |
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皆さん、こんにちは。
皆さん東京、大阪三民族同時デモに参加いただき有難う御座います。
今日私たち三民族の人々と応援者の皆さんが中共の圧制に抗議する
声を上げ、悪魔の中共政権を歴史の舞台から退場させるために集まれ
ました。
60年前から中共侵略者らがウイグル、チベット、南モンゴルを植民地として
支配され、我々の独自の言語、文化、歴史を否定して、自分たちの
都合に合わせって嘘の歴史教育をさせ、言語教育、宗教活動を制限されて
います、我々はまさに民族としての生命が絶たれようとしています。
この60年間3民族あわせって500万以上の罪も無い人々の命がが色んな残酷な
手段で奪われました、そりによって中共が我々を完全に収めることができる
と思ってた、でも彼らが間違っています、私たち三民族は悪の暴力に頭を
下げる歴史は持っていません、またいま私たちの応援者、支援者は全世界に
広めっています、こういう状況で私たちは必ず民族の自由、平和を勝ち戻します、
どうか皆さんこれからも相変わらず我々の運動をご応援宜しくお願いを申し上げます、有難う御座いました。
日本ウイグル協会会長 イリハム マハムティ
2009-10-02 23:00
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
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日曜日、午前中にカトリック箕面教会で、オルガン担当。
オルガンで祈り捧げたあと、京都へ。
ペマ・ギャルボ先生の講演会に行ってきました。
前日のデモと今朝は早起きで、教会でのオルガン
京都行きの電車で爆睡してしまいました。
しかし、京都でしゃきっと目覚めて いざ護王神社の横にある
ホテルガーデンパレスへ・・・
到着すると、巫女さんや神社関係の若い男性が受付に。
神道関係の方の若い方々の礼儀正しさはやはり、素晴らしい。
これは、カトリックが見習うべきところだと思います。
会場に入るとすぐ、日本シルクロード科学倶楽部 京都の
リカさんがいらっしゃいました。
リカさんとは、青山講演会もデモも、最近いつもご一緒させて
いただいていますが、華奢で清楚な美しくいつも笑顔。大好きです。
同じく日本シルクロード科学倶楽部の リコリスさんに
席の確保をお願いしていたので隣へ
前から二番目のいい席でした。
隣にデモで大活躍のたなべさんも来られました。
そして・・・またまた レオご夫妻を発見。
レオさんご夫妻は、いつもご紹介した講演会に真っ先に来てくださいます。 感謝
後ろを振り返ると、本日の講演会をご紹介下さった
ハチドリの一滴こと、橘様。
リコリスさんの隣には、偶然、いつもデモでお見かけする
美しい女性とご主人が!!
志を同じくする方々とこうして、同じ講演会でご一緒するのは
とてもうれしいことです。
講演会の内容は、メモをとって聞きましたが、
日本シルクロード科学倶楽部のリカさんが、
詳細で素晴らしい記録をレポートされていましたので
最後に転載させていただきます。
日本は占領憲法から脱出すべきであるとお話される憲法学者の小森義峯様の閉会のご挨拶に耳を傾けるペマ・ギャルボ先生
講演会が終わってから、橘様に本日のお礼を述べたあと、
ブログにコメントを下さっていた もりやんさん、
そして浄土真宗僧侶のベルカンプくんと
そこへ、NHK京都デモでご一緒した、原田さんも合流
みんなで、ロビーでお茶をしました。
レオ様ご夫妻やリカさんが、ベルカンプくんのあまりに純粋で
強烈な印象とえんえんと続くお話に笑顔で・・・
話は、チベットの事、明智光秀と織田信長のこと、
宗教の左翼化の事、民主党の事、ありとあらゆる話題で、
話はつきません
そして、帰宅間際、京都のみなさんをお見送りして
大阪、兵庫組は、たなべさんの車で送っていただくことに・・・
駐車場へ行こうとすると、ベルカンプくんが
ペマ・ギャルボさんにどうしてもお会いしたいと。
もうとっくにお帰りになられていると思いましたが
優しいタナベさんが、ベルカンプくんのために、フロントに
聞いてくださいました。
そしたら、まだレストランの個室にいらっしゃるということ、
私もお名刺をことづけて、
「以前、東京のシンポジウムでご一緒し、ご挨拶させて頂きまして
本日もしご挨拶できれば、お願いいたします。
失礼ながらお約束もしておりませんので、ご無理ならば結構です」
とお話しました。
そうしましたら、護王神社の方が、メールで拝見しておりましたと
おことづけ下さいました。
メールで事前に、私の自己紹介をさせて頂いていたのです。
ダメかな・・・と待つこと数分。
なんと、ペマ・ギャルボ様がわざわざ、ロビーに来て下さいました。
私は、日本シルクロード科学倶楽部の事、高田教授の事、
中国の核実験のシンポジウムの事、
そしてペマ・ギャルボ先生が参加された東京の三民族連帯デモに
大阪も同時開催で、デモを前日にした事などを話しました。
笑顔でお話を聞いて下さいました。
チベット亡命政府議員 ケドゥープ トゥントップ閣下から
メッセージを頂いて感激した事、そのお礼をお伝えしてほしいと
お願いしました。
レオさんご夫妻も、もりやんさんもご挨拶。
たなべさんは、チベット語で、ご挨拶。
以前、チベットを旅した事などをお話されました。
ベルカンプくんは、一生懸命 思いを伝えました。
そしてみんなで記念撮影にも笑顔で応じてくださいました。
感激です。
ベルカンプくんの純粋な思いとたなべさんのおかげで
ペマ・ギャルボ先生とお話できた事に感謝。
************************************************************
リカさんの日記より
桐蔭横浜大学大学院法学部教授
チベット文化研究所名誉所長
ペマ・ギャルポさんの講演会に行ってきました。
護王神社 天皇陛下御即位二十年
記念特別講演会「心の中心、国の中心」
〜現代国際社会とおかげさまイズム〜
ペマ・ギャルポさんは
私ひとりの人間が考えていること、感じていることを率直に
お話したいと思います
と、前置きされたうえで
44年間、日本に生活させていただきまして
正直申し上げて、日本に来た最初の10年〜20年間は快適に過ごしておりました。
そして、日本はこれからも益々繁栄していき
世界に大きな影響をもつ国になると信じておりました。
しかし最近10年位は、それとは反対に
果たしてこの国が、このまま継続することができるのか
あるいは衰退の道を歩んでいくのか・・・
余計な心配かもしれませんが心配している要素もあります。
今日はまず最初に日本が置かれている状況について
専門分野でもあり、国際政治の話をして
それから、今日のテーマである「おかげさまイズム」は
それに対し、どうしたら良いかというような事の
ひとつの対応策としてお話したいと思います。
ぺマ・ギャルポさんの丁寧な美しい日本語を
省略してしまうのは、大変申し訳ないんですが・・・
以下要約させて頂きます
新しい政権になり
東アジア共同体という構想が
今出ているようですが
私個人としては、これは日本にとって
極めて危険だと思っている。
なぜならば、過去の歴史などにおいて
南アジアの場合
中国華僑中心の経済で
その中に日本だけが入るということは
日本にとっては、決して良いことではないと
思っている。
国際社会において
少なくとも日本は孤立状態になっている。
これから、更に今後もし日本の経済が衰退すると
同時に、国際社会に対する影響力も当然弱っていく。
しかし全く打つ手がないわけではない。
国内においても足腰が弱くなってきているのではないかと感じる。
44年前日本に来た時
兄から託された激励の言葉の中味は
「何が国を大きくするか」
かつての英国・ポルトガル・スペイン・日本など
小さい国でも、その国民が一丸となって
大きな目標をもっていれば、世界の大国になれる。
そして素晴らしい日本へ行くんだから
日本の素晴らしいもの・精神をもらって帰ってきて欲しいというもの。
実際に日本に来て、それを非常に感じた。
少なくとも今から40年前の日本は、
戦争に負けて、廃墟となったところから
わずか25年間で国を復興させ
世界の模範の国となった。
それは決して経済的な成長だけではなく
何よりも、世界一安全な国で
世界一安心して暮らせる国だった。
留学生で13歳の頃は、公衆電話はピカピカ光っていて
学校に通う駅のベンチは誰一人落書をする人がいなかった。
町の外套は夜になるといつまでも輝いていた。
そんな環境で過ごしていた。
埼玉の田舎で3人で合宿していた3年間は
先生でもまだ
兼業農家の方が多かった時代だった。
自転車に乗ってるお母さんたちに
すれ違う時には、帽子をとって挨拶すると
お母さんたちも、自転車を一回止めて
頭にまいているタオルとって
挨拶してくださった。
心のゆとりがあり、そういうものが今は懐かしく思う。
学校を休むと
必ず仲間が帰りに寄ってくれて
「今日は、ここからここまで勉強しました」
読めない漢字には、仮名をうってくれたり
友達のお母さんたちは甘酒をもってきて
町中村中が私たちを、自分たちのお客さんのように
あるいは家族のように
接してくださった。
洗濯機もなかった時代
でも、お互いに名前を知っていたし挨拶もしていたし
家に鍵をかける事がなかった
そういう時代を過してきてた。
1970年万博になり
世界中や日本の中でも
日本について研究が盛んになった。
しかし、ジャパンアズナンバーワンの本が出たあたりから
日本が軍事的に為し得なかったことを
経済的に文化的にやるんじゃないかという警戒心があったと思う。
日本を褒めている本ではなくアメリカへの警告本だった。
世界の注目があつまって
日本は少し傲慢になった気がする。
そしてそのままバブル経済に繋がっていった。
実態と幻想が伴わない
あくまでもこの現象がが続いてくという幻想を抱いてしまった。
それと同時に
戦後の日本の教育
特に核家族制度・平等の概念など
そういうことによって
それまであった縦糸がゆるくなってきた。
(すべての編み物は縦糸と横糸がある)
縦糸はあまり見えないが 例えれば、伝統・文化・歴史・言葉であり
横糸はその時代によって、多少色々流行が違ったりして
模様が変わってくる。
同時に横糸は家族・社会・風潮によってかわってくる
だんだんと
編み物の模様が見えなくなってきた。
以上前半のお話でした。
この続きと感想は後日。
頂いたパンフレットから引用
チベット問題に関心のある方は
「チベット自由人権日本100人委員会」までお問い合わせいただければ幸いです。
同委員会は、ダライ・ラマ法王のご指導の下、チベット人の
総意に基づく民族自決権を回復し、尊厳と誇りをもって
国際社会に貢献できるように支援しております。みなさまのお力添えを
よろしくお願い申し上げます。
http://tibet100.jp/
************************************************************
最後に、この講演会の事を教えて下さった橘様に
ハチドリの一滴のお話を聞いて感動しましたので、ここに
感謝をこめて記したいと思います。
ハチドリの一滴(ひとしずく)
「ハチドリのひとしずく〜いま、私にできること〜」という話を知っていますか?
南米のアンデス地方に伝わる話
それはこんな話です。
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
出典・「ハチドリのひとしずく」 光文社刊
今日も神様が巡り合わせて下さった素晴らしい人々との出会いに
心から感謝
ごミサへのオルガンのご奉仕への神様のプレゼントね
2009-10-01 03:06
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
ペマ・ギャルボ氏講演会 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
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チベット臨時政府議会議員でダライ・ラマ法王の甥であられる
ケドゥープ・トゥンドゥップ氏 から
いま中国共産党は建国六十周年を祝おうとしています。
しかしチベット・ウイグル、そして南モンゴルは強制的に侵略され併合されたものです。
過去六十年の間に、我々主要な少数民族は尊厳を剥奪され、人間としての誇りを蹂躙され続けてきました。
今こそ我々は共に連帯して将来、共産主義国家・中国と決別すべきときです。
今後変化の時が来ます。
中国共産党政権が永遠に続く事は有り得ません。
中国共産党が終わりを告げるときです。
中国共産党は人民の心を掌握出来なくなっています。中国共産党は権力保持に執着するだけで、その権力は腐敗しています。
我々チベット人は、南モンゴルとウイグルの仲間達が自由になれる権利、そして自らの将来を自分達で決定する権利を持つ事をこれからも訴えていきます。もちろんその道のりは困難であり、私達には忍耐と非暴力が求められます。私達は共に道徳的に高い位置に立ち連帯しなければならないのです。
皆様にどうぞ宜しくお伝え下さい。
ケドゥープ・トゥンドゥップ
Dear Mrs.Nakaso
Thank you for writing to me. Please read my statement.
Communist China is going to celebrate sixty years since its founding. Tibet, Sinkiang and Inner Mongolia have been forcibly invaded and taken over. For the last sixty years we the major minorities have lost our human dignity. Our human values do not exist. It is time for us to unite and given any opportunity in the future to split from Communist China. The time will come, change is in the future, the communist party cannot last forever, this is the beginning of the end. The communist party in China is losing its grip on the minds of its people. It is only thinking of its power and its power is eroding.
So I appeal to my Mongolian and Uighur brothers we Tibetans support your rights to be free and to be able to determine your own future. Yes the road is rough but patience and non violence is the answer for all of us. we stand the moral high ground together.
regards,
khedroob Thondup
2009-10-01 02:56
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 |
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60年間も続けた中国共産党政府の圧迫に抗議するチベット、モンゴル、ウイグル三民族の大阪での集会&デモ行進に参加される皆様
こんにちは。
去年の3月14日、チベットの平和的な集会・デモ隊を武装警察が撃ち殺し、何百人の死者も出た。そして、今年の7月5日、ウルムチ市でのウイグル人達の平和的なデモ隊をまたも武装警察が撃ち殺し、もっと多くの死者が出た。こんな自分の国民を残酷に殺す政府が、この世の中で、中国以外にまだあるか。
南モンゴルについて皆様よくご存知ないかもしれない。過去何が起こって、現在何が起こっていると思いますか。「文化大革命」のとき、当時の南モンゴル人が13,14人の中で一人が殺された。日本人口の比率で言うと、1千万人が殺されたということになります。皆さん考えてみてください、その残酷さを。
現在、南モンゴルで毎年、春になると黄砂が起こるようになりました。それが日本まで飛んできている。これを日本人もよくご存知でしょうが、あの黄砂に有害物ついていることを日本人はそんなに知らないでしょう。それが、中国共産党政府が中国の南のほうの有害工場を南モンゴルに移動したからです。それでその被害は日本まで飛んできてます。だから、日本人も南モンゴル人と同じく中国共産党の被害者であります。
中国の憲法に認めている民族の自治権を求めたハダー氏15年監禁も宣告され、いまだに刑務所に受刑している。南モンゴルのモンゴル伝統医者であるナゴンビリゲー氏のところにモンゴル人患者が多く集めるため、「邪教者と非合ビジネス」の罪で10年監禁、妻のダゴーラー氏が5年の自宅監禁を宣告された。また、今年の5月1日に、南モンゴルの中心地のフフホト市でモンゴル文化について会議しようとしたら、逮捕して、1年自宅監禁した。要するに、中国共産党政府は、我々南モンゴル人の基本的な人権と自由まで略奪したのです。
現在、南モンゴルで、共産党政府の「放牧禁止」、「生態移民」等の政策の下でモンゴル人たちが自分達の何千年もの暮らししてきた故郷から、漢人でいっぱい町や農業やっている農村へ強制的に移動されている。自分達の伝統経済から強制的に隔離され、自分達のモンゴル文化から隔離され、民族教育から隔離されている。これは中国共産党が過去60年間行ってきた、南モンゴルに対する残虐な浄化政策の続きである。
中国共産党政府は、我々南モンゴル、そして、私達と同じ運命であるチベット、ウイグルに対して、またもあの「文化大革命」が行い続けています。中国共産党政府の植民地支配下の南モンゴル、チベット、ウイグルのこの60年間は本当に悲惨な60年間で、血だらけの60年間である。これを見て我々、南モンゴル人、チベット人、ウイグル人は、黙っていられるのか。これを見ている良心のある、正義心のある日本人の皆様が黙っていられるのか。
日本は単なる経済大国だけでなく、アジアにおいて模範的な民主国家でもある。そのため、アジア民主化において、欧米より積極的な役割を果たすべきであると期待している。自由、民主を愛し、人権、平等を尊重する日本人の皆様にも中国共産党政府圧迫を受け続けている南モンゴル人、チベット人、ウイグル人の自分達の自由、人権を取り戻すための運動への支持、支援を期待してます。アジアの各民族の自由、人権、平等があってからこそこの「アジアの共同体」と言う構想がありえる。
どうもありがとうございます。
モンゴル中連盟党幹事長 オルホノド・ダイチン
2009年9月26日
ダイチンさんから、お送りいただいた
南モンゴル人の牧民達の政府の前に座り込んで、
「牧場を返せ」と講義している写真
2009-10-01 02:44
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
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中華人民共和国建国60周年に抗議する三民族連帯集会&デモ
2009年9月26日
3民族連帯シンポジウムへのメッセージ
科学を力とする
高田純 理学博士
札幌医科大学物理学教授 日本シルクロード科学倶楽部会長
中華人民共和国建国60周年に抗議するチベット、南モンゴルそしてウイグルの三民族連帯集会デモに集まられたみなさん、こんにちは、高田純です。在日の3民族のみなさんと、これら3民族を支援する心ある日本人のみなさんが、本日、中之島公園に集まられたことは、大きな意義があると思います。日本とシルクロードでつながるアジアのこれら3民族の大いなる危機を、私たち日本人は見過ごすわけにはいきません。 台湾も含めて、これらの危機は、わが国日本の危機でもあります。
昨年10月、拓殖大学で開催された最初の三民族連帯シンポジウムへ、私は、ワシントンDCから、世界ウイグル会議総裁のラビア・カーデルさんとの会談、ブエノス・アイレスでの4年に一度の国際放射線防護学会で中国の核実験による大災害についての世界で最初の報告も含めた声明文を送りました。
その後、ウイグル支援の白石念舟先生ら多くの日本人支援者と連携しました。 シルクロードでの核の蛮行を初めとする中国共産党、すなわち中共の人権人命を無視した悪魔の行いを告発する運動を、憲政記念館での3.18シンポジウムを皮切りに展開しました。この時に、シルクロードの悲劇の解消を願うシルクロード科学プロジェクトとそれを支える日本シルクロード科学倶楽部が発足し、今、全国から参加いただいています。先輩たちが大切にしてきた大和魂は、まだまだ健在でした。ありがとうございます。
世界最初の科学報告書となった原著日本語の「中国の核実験」は、英語とウイグル語に翻訳され本年3月に刊行され、日本から世界へ情報が発信されました。直ぐに、イギリスとアメリカの有名誌が、この科学研究成果を報じ、世界が知ることになったのです。こうした図書は平和的武器です。私たちは、真理である科学事実を武器に、悪魔の勢力と戦います。私たちに暴力はいらない、国内国際の世論を喚起し、平和的に、中共の暴力を封じ込めます。みなさん、そう思いませんか!
2
時を同じくし、中共の影響を強く受けたNHKの台湾偏向番組である「Japan デビュー」放送事件が勃発しました。NHKへの抗議運動が立ち上がり、日本シルクロード科学倶楽部も合流し、全国的な国民運動に発展しました。中共寄りで反国民的なNHKの源流を、私は最初のシルクロード番組となった1980年の楼蘭遺跡の取材に発見しました。この地こそ、中共が、ウイグル・チベットなどのシルクロード民族を虐殺した核実験場だったのでした。
NHKはその核実験場のことを知りつつ、偽装したロマン番組の放送を続けたのでした。その結果、27万の日本人が核爆発の継続していた平成8年1996年まで、その危険地帯を観光してしまったのです。これがNHKの大罪です。NHKは、中共の核の蛮行を隠蔽するばかりか、日本人を危険な核の地獄に誘導してきたのです。反国民的NHKは日本の毒であり、こうした公共放送は無用です。
シルクロード科学プロジェクトでは、日本人のシルクロード核被災の調査を続けており、白血病、肺がん、悪性リンパ種の情報が寄せられています。日本人調査の展開は重要です。みなさん是非協力してください。これが1億2千万の日本人が、シルクロードの悲劇を知り、そして、世界中が知ることにつながるのです。これが日本の役割です。平成の時代に、大和魂が、新たな形で世界を駆け抜けるのです。
今月、この調査研究の成果が、「中国の核実験」の続編として、医療科学社から「核の砂漠とシルクロード観光のリスク NHKが放送しなかった楼蘭遺跡周辺の不都合な真実」が刊行されます。本日は、日本シルクロード科学倶楽部が、この会場で、新刊を先行して発売しています。これもお読みください。
みなさん、シルクロードの科学調査の協力、よろしくお願いいたします。
科学を私たちの力としましょう!
シルクロード三民族の悲劇解消のために力を合わせましょう!
ご静聴、ありがとうございました。
高田純
平成21年9月26日
2009-10-01 02:38
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