1910年の日韓併合前後から、朝鮮半島出身の多くの若者たちが日本で学ぶため両国を分かつ玄界灘を渡った。戦後、こうした流れはいったん途切れるが、65年の日韓国交正常化後、日本を発展モデルとした韓国から再び、政治や経済、科学技術といった多様な分野を学ぶための留学生が日本にやってくるようになった。留学の流れは長く韓国から日本への一方通行だったが、近年は日本から韓国への留学も増えている。留学生たちは、日韓関係の現在と未来をどう見ているのだろうか。両国の若者3人ずつに留学先のソウルと東京で話を聞いた。
■日本人留学生たちinソウル
ソウルでは、延世大大学院博士課程の及川ひろ絵さん(35)、高麗大に交換留学で来た高嶋薫さん(21)、修士号を取り9月からソウル大大学院博士課程に進む湯山篤さん(29)が集まってくれた。【聞き手・西脇真一】
--韓国留学のきっかけは?
及川さん 大学時代にカナダへ留学し、一番仲良かったのが韓国人の友人。あるとき戦争責任や歴史問題で意見を問われ、何も言えずに謝ってしまった。「もっと韓国を勉強しなければ」と、日本の大学院で在日の人権問題を学んだが、1世のハラボジ(おじいさん)に「言葉もできないのにおれたちの気持ちが分かるか」と言われ、決心した。
高嶋さん 高校時代、韓流ブームで母とドラマを見始め「日韓高校生交流キャンプ」にも参加。大学に入り、海外で勉強したいと思い英語圏と迷ったが、発端である韓国にした。
湯山さん 大学時代の02年に小泉純一郎首相が訪朝し、日本人拉致問題が大きく動いた。指導教授に「社会問題として関心を持つべきだ」と言われ、拉致問題について勉強する中で、朝鮮半島への関心が高まった。
--暮らしてみての感想を。
及川さん 反日感情がないわけではないが、個人的に接するうえではメディアに取り上げられているようなことはない。韓国の人の情や温かさに触れ、韓国像が大きく変わった。
高嶋さん 反日感情があることを知る前に交流事業で韓国人と個人的につきあいがあったので、韓国に対するイメージは悪くなかった。サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の日本対パラグアイ戦を居酒屋で日本人同士で応援した。周りの韓国人客は日本がPKで外すと大喜びで、居づらい思いをした。
--歴史認識などを問われることは?
高嶋さん 留学してからはない。「日本のドラマや文化が好きでも日本人自体が好きかどうかは、別問題だ」と書かれた本を読んだことがある。仲の良い友人でも「独島(竹島)は僕らのもの」と書かれた靴下を履いているのを見て「ああ、そうなのか」と思ったことがある。ただ、韓国人はステレオタイプに見がち。日本人にもさまざまな意見を持っている人がいる。
湯山さん 歴史観を聞かれたのは滞在3年で5回ほど。全部酒の席だった。自分も歴史専攻ではないので、踏み込めないし踏み込まない。でも、韓国人も一般的なことは知っているが、深い話はできないのかも。一度、一緒にいた日本人の先輩が、まじめに議論しようとしたら、話がかみ合わなかった。
--未来志向の日韓関係を作るには?
湯山さん 今年からソウルの日本大使館で、日韓の留学生の交流会を始めた。そんな交流の場を作る地道な活動ではないか。
及川さん 日韓で共通に解決していかねばならない環境や人権などの問題を互いの市民レベルで取り組むネットワークづくりも必要だ。また、歴史を学ぶのは日本の若者の課題であり義務だと思うが韓国もベトナム戦争などで戦ったという意味では、加害者の歴史がある。平和を作るにはどうしたらいいのか、という教育を進めることで、若者の意識が変わっていくと思う。
■韓国人留学生たちin東京
東京では、一橋大大学院の具明会(グミョンフェ)さん(36)、東京大大学院の柳忠熙(リュウチュンヒ)さん(30)、慶応大大学院の宣善花(ソンソンファ)さん(27)の3人に集まってもらった。【聞き手・澤田克己】
--日本に来た動機は?
具さん 私は韓国外国語大日本語学科の卒業生だけど、大学入試の時の成績で学科を選んだら日本語学科になっただけ。でも、勉強しているうちに関心が強まり、02年に来日した。昔の留学生は使命感を持った日本留学だったけど、00年代は使命感より個人の目的意識が重要。今は日本で勉強しているけれど、日本でなければならないということはない。
宣さん おばさん2人が日本人男性と結婚して日本に住んでいたから、日本には親近感があった。本当は画家志望で美大に進みたかったけど、両親に「絵は趣味にしろ」と説得されて断念。それなら外国で勉強してみようと、02年に高校を卒業してすぐ来日した。
柳さん 韓国の大学で国語国文学、大学院で比較文化を専攻した。比較文化を勉強しようと思うと日本を外すことはできないので、08年に来日した。日本に来るのは人文系の人が多くて、経済や経営の人は米国だ。
--日本に永住するつもりはありますか?
柳さん 韓国に生活基盤ができるなら帰るし、日本で勉強を続けるための基盤ができるなら残ってもいい。
宣さん 日本で就職したい、日本に定着したいと考える韓国人女性が増えているように思う。私も、結婚相手の国籍にこだわりはないし、日本に永住してもいい。でも、日韓両国以外の国の人と結婚したり、まったく違う国に住むようになっても構わない。
具さん 私は韓国の大学で働きたい。来日した当初は、公共の場所で秩序がよく守られている日本の雰囲気がいいなと思ったけど、最近、堅苦しさが負担に思えてきた。
--日本人の友人と歴史問題などを話すことがありますか?
柳さん 研究者の友人と話していても、敏感な問題は避けてしまう感じ。謝罪してもらいたいんじゃなくて、研究者としての考えを聞きたいだけなのに。
宣さん 韓国にいた高校時代まで歴史には関心がなかったし、歴史は本の中に書いてあるものだと思っていた。歴史解釈については、日本に来て韓国とは違う意見があると分かった。でも、韓国にいる友人にそうした話をしても受け入れてもらえず、壁を感じることもある。
--未来志向の日韓関係を作るには、どうしたらいいでしょうか。
具さん 両国を往来する人の数は増えているけれど、留学生でも、相手国の表面的な部分だけしか見ないで終わることが多い。もっと生活レベルでお互いを知る努力を考えなければならない。留学も、大学より濃密な学校生活を送る高校生の交換留学などを増やした方がいいのではないか。
柳さん 韓国も、相手の意見を聞く態度が必要だ。強硬な反発だけでは議論が前に進まない。一方で、韓国の歴史解釈をただ追随する日本の人にも違和感を覚える。日韓両国の意見が違う点があっても、お互いに話をして相手を受け入れることは可能だと思う。
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韓国を初めて訪ねたのは学生時代の87年。ソウル五輪を翌年に控え、大きく変わるであろう隣国をこの目で見たかったからだ。真夏の公園の木陰で、見知らぬハラボジが日本語で「二度とあんな時代にしてはいけないよ」と言ったのを思い出す。
今回、あらためて時代の流れを感じた。「昔は使命感を持った日本留学だったが、今は個人の目的意識が重要」(具さん)。平成生まれの高嶋さんは、韓国に反日感情があると知る前から個人的な交流があったという。日韓間の「壁」が低くなりつつあるということだろう。
一方、ソウルの大学で日本語を教える及川さんから「中国語に押され、日本語を学ぶ韓国人学生が減っている」という話を聞いた。日本語を話し、日本の良い点、悪い点を知る世代が韓国から減っている今、何らかの仕掛けが必要だろう。そして、留学生に共通した「互いを知る」という思いに応える記事を、私もまた書いていきたいと思う。【西脇真一】
毎日新聞 2010年8月31日 東京朝刊