<怒りをドンドンぶつけて親子関係回復>第1回拉致監禁をなくすための集い─連載最終回
司会:じゃあ、麻子さんには被害者とそのご家族へのなにかアドバイスがありましたら、お願いします。麻子さん:
そうですね。私の場合ですけれど、私は統一教会に入る前は母親よりも下の立場で、いつも何か言われて怯えているという感じでしたが、拉致監禁があって初めて怒りというものが外に出て、親よりも感情が上に、立場が(上に)立ったのですね。親に対して、あなたと呼ぶようになり、「あなたこうして、あなたここが悪い。」と言い放つ。司会:
反対の牧師からも「この親は駄目な親だ」とレッテルを貼られて、「 麻子さんの言うことをよく聞きなさい」と親も教えられていたので、私もその通りにしてやりました。
母が私に「あなた、ここはこうしなさいと」言うのは悪いと、言い放ってやりました。母親が「あなたこうしなさい、あなたああしなさい」と何度も言うと、そういうことが嫌だと言ってやりました。
それと、何かにつけて親に怒りをまともにぶつけていました。怒りをドンドンぶつけていくことによって、親はすごくうろたえるのですね。でも、うろたえるのですけれども、怒りをどんどん言った先に、拉致監禁による怒りから出たものだということが、親には理解できるようになった。この親はやっと分かってくれたと感じるときがあったのです。
それから私が立場的に上ではなくなって、だんだんと平等な関係になっていった。その時からやっと普通の、異常じゃない親子の団らんというものを得ることができたように思えます。そうなるまでに10年かかりました。
ありがとうございます。10年のご経験が被害者の皆さんの役に立っています(ことを願います)。お母さん:
麻子は私のことを「あんた、あんた」と言って、「お母さん」「お父さん」とはずっと言ってなかったのですが、近頃は「お父さん」「お母さん」と言ってくれるようになりました。(拍手)司会:
時間がなくなったので、二人だけ質問受けます。<質疑応答>
@ :
3、4年ほど前にホームページを読んで、かつて統一教会のリーダーの位置を担っていたものとして、もう一度会ってお詫びをしたいなあという、その気持ちを話したくて(参加しました)。A :
ホームページで本当に心が痛かったのは「私はこの世の中で真実を探したのにどこにもなかった。統一教会にあると思って入ってきたのに教会にもなかった」という言葉でした。
その叫びが胸に痛くて、本当に統一教会が再びそういう真実を探す人の答えがあると(いう)そのような教会にもう一度するために、このホームページの内容を受け止めて、私は統一教会を改革しますという誓いを立てましたので、今日お会いできて本当に感謝です。ありがとうございました。
会員の一人の森田と申します。二つ質問があります。一つ目は麻子さん親子が現在は親子関係が修復されて、いい関係を築かれていると思いますけれど。10何年という間、身体がぼろぼろになるような経験をされた中、基本は拉致監禁の問題があったとしても、統一教会さえ無ければ、こんなことにはならなかったのではないか(と思いませんか)。統一教会の関係においていろいろな恨みとか、そういった問題をどういうふうに消化されているの(でしょう)か。米本氏:
もう一つは親子関係の話がありましたけれど、親子関係が拉致監禁の後、悪いところが多いという話ですけれど、もともと親子関係が悪かったのだけれど、拉致監禁によってより具体的に顕在されたのか、(それとも)親子関係は良かったのだけれど、拉致監禁によってそれが壊れていったのか。米本さんでもよろしいですが、その辺どのようにお考えでしょうか。
もともと親子関係が悪かった。親子関係が悪かったから、統一教会に居場所を求めて入って来る人は、そこで拉致監禁をされた場合には、脱会するにせよしないにせよ、結果はものすごく悪くなると思います。B :
親子関係が良好だった家庭もあると思います。うまくいっていたにもかかわらず、たとえば大学院に行っているエリートコースを歩んでいたのに統一教会に入ってしまった。そうすると、親は「何とかしないとこのエリートコースがだめになる」と、拉致監禁したという例もあるのだけれど、そこも保護説得後はうまくいっていないですね。
先ほど、お母さんが、麻子さんが「あんた」から「お母さん」と呼ぶようになったという話をされていましたが、保護説得(編者注:実質的には拉致監禁のことですが、首謀者たちはこのように呼びます)後に別居するようになった、一緒に住まなくなった人は、こういう関係にならない。ほんとうの意味での家族の団欒は復活していないと思います。
表面的には「お母さん」「お父さん」と言葉では言いますよ。でも、「お父さん」「お母さん」とは心の中では思っていないから。儀礼的に表面的に付き合っているだけだと思います。保護説得後、親子で再び一緒に暮らすようになった人はほとんどいないと思います。
一緒に住んでいない人は表面的になる。誕生日にはプレゼントしたり、逆にプレゼントのお返しされたり、「元気でやってる?最近は」とか言って、統一教会にまた戻っているのじゃないかと、親は心配だから、ときどき様子をうかがう。
子どもはそれを敏感に感じるから、また監視されているなということがわかるから、「元気だよ」と言葉を返すけど、あくまで表面的な付き合いしかしない。表面的であっても付き合うのは、また拉致監禁されるのが怖いからです。
もともとの親子関係が悪かろうが良かろうが、保護説得すると親子関係は確実に悪くなります。良くなることは決してない。
ちょっと観念的な質問で申し訳ないのですが、基本は親子で幸せに暮らしているのかどうかと私は心配するのですが、どこかで恨みをもったり、消化できないと、本当の幸福にはつながらないと思いますが、統一教会に入信したことが一つのきっかけになったわけですけれど、統一教会に対していろんな不満とか持っていると思いますが、どのように自分なりに消化しているのかお聞かせ願いたい。麻子さん:
統一教会に入っていたことで、拉致監禁されたからといって、統一教会が悪いわけでもない。もちろん、私が悪いわけでもない。だから、統一教会に恨みというものは全く持っていません。お母さん:
ただ、この拉致監禁があってから、一気にマイナスよりさらにマイナスになったということ、それが一番大きな問題だと思います。そこからまたゼロに戻すことができた。そして、親子関係が前よりも良くなった。拉致監禁が、統一教会が、そのきっかけになったということで、とてもよい経験をしたと私は思っています。
ただ、そこまで行くには、本当になんて言うか。統一教会の信者の方には、一人の人間として、自分として自覚をして、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)をしなくても一人で立って歩けるよう人になって欲しい。
本当に、こそこそしているとか、そういうように思われないような生活をしてほしい。献金をして大変だと思われないような、そんな教会員になってほしい。
監禁された信者の方々は、私は、こんなに痛いのよと、毎日眠れないのよ、どうしてくれるのよと、はっきりと言葉に出して、思いっきりぶち当たって、それで親が何の反応がなければ、あなたはそれだけの責任しか持っていなかったのかと、はっきりと責任問題を追求すべきです。
そこまで親に言って良いと思います。それだけの責任がなかったら、拉致監禁はやるべきではなかったと、はっきりと言ってください。
私は宗教に関しても統一教会も他の宗教も対して変わりはないように思うのです。ただ、統一教会はちょっとあくどいのかなと思いますけれど、創価学会にしても何にしても結構、上の指示に従って、新聞配りやこれは何部と決められてやっているみたいなのですよね。司会:
うちも商売していたときは、「新聞を頼むからさ、お金はいらないから頼むから置かせてください」と。なんか可哀想だと思って、どうぞと置いてもらうことにしました。でも、商売を辞めてからは商売に関係ないし、もう読まないので要りませんと断るようにしています。
選挙で誰々に命令的に入れてくださいと言われる。何で言われたことを、この人に入れないといけないのか。私は自分の考えで入れますから悪いけれどお断りします、といって断るようにしています。だから宗教というのはどの宗教もなんか、コントロールしている。
黒鳥先生の所は黒鳥先生のやり方でみんなをコントロールして、自分の言うように上手く、先生の方が正しいという言い方で、持って行くからそれが正しいような、感じに持っていく。見る目が、その世界だけにみんな入るような気がするのですよね。視野がこう狭くなってしまう。私は、統一教会だけが悪いとは思いません。
ありがとうございました。
以上で「第1回拉致監禁をなくすための集い」詳報の連載を終了します。