<「酷いことをしてしまった」と悔恨>第1回拉致監禁をなくすための集い─連載第04回
今回は別表1996年7月の項以降を参照してください。司会:
それでは、監禁後のお話に移っていきます。それぞれの立場からですね、今日のテーマの一番大事な部分の親子関係が、どのように修復していったのか、経験からポイントになることを、お母さん麻子さんお願いします。お母さん:
麻子がすごいアトピーになったのですね。そうすると麻子は、買い物にも行けなくなるし何もできなくなって「お母さん来て」ということで、私は泊まりでずっと、麻子の面倒を見るようになりました。そこから少しずつ麻子の言うことをだんだん聞くようなったんだと思います。麻子さん:
アトピーになったのは96年7月に解放されてからすぐでした。アトピーは体中全身に出て、ステロイド剤の後遺症で、全身が腫れ上がるほど酷い状態で、体中から体液が漏れ出る、という症状を起こしていまして、介護がなければ絶対一人では生活できない状況に追い込まれていました。お母さん:
そこで親と一緒にいるのは非常に精神的に嫌だったんですけれども、それでも居てもらわないと仕方ないと諦めて、仕方なく母親に来てもらうことにしました。
それと同時に、私の怒りという物を毎日のように親にぶつけるようになりました。親の方は、怒りを徐々に受け止めていくようになったのだと思います。ただ、「何が私の怒りになっているのか」という点については、母親は、まだ良く分かっていなかったようで 、それを理解するまにはもっともっと時間がかかりました。
私のアトピーが治まって、ホームページを立ち上げて、ホームページの内容を印刷して両親に見せて、手紙を添えて、これを読んで感想を送ってくれるように頼んで、それで母親が、これはいけなかったということを、謝罪の手紙に書いてくれました。
一言ではないのですが、ただ「悪かった」では、私の心はなかなか納得しなくて、本当に納得いく回答が得られるようになるまでもっともっと時間を要しました。
私は両親と、徐々に話し始めるようになるのですが、その中でたとえばテレビとかドラマとかで、子供が両親から虐待を受けて、酷い扱いを受けて、心に傷を受けるような場面を見ると、フラッシュバックを起こすのですね。
そのたびに、母親に「これと同じことをあなたはしてきたのよ」と、私は強く怒りをぶつけるのです。そうすると母親は最初のうちは「それは悪かったわね」と言うのですが、段々繰り返していくたびに「何で何度もこういうことで私を苦しめるの、私はいつまで加害者でいなくちゃいけないの」と怒るようになってきて、これでは分かってくれていないと、まだダメだと思うようになりました。
膠着状態は長く続きました。本当に分かってくれるようになるのは、やっと私が正社員になり始めた頃(昨年の1月頃)で、その頃になると、私が苦しかったことを言うと、「あれは悪かったことだったわ」と本当に、思い起こすように、言ってくれるようになりました。
いまから振り返ると、繰り返して言うしかなかったと思います。
戸塚教会の勉強会に参加されている脱会した方は、親子の関係が脱会してからうまくいっていない方の方が多いのですよね。米本氏:
ある方が座敷牢をやったというのですよ。そのとき私、座敷牢でもやるのだという感じにしか聞いていなかったのですが、そのお子さんが今、精神的にちょっと病んでいるということをおっしゃっていたのですね。
「ああそりゃそうだろうな、そんなことされたら、自分だったらどのような思いをする(だろうか)、辛かっただろうな」と、最近、つくづく分かるようになったんですね。
兄弟関係も、うまくいっていない方が多いのですよ、監禁から出てから(ブログ担当者注:監禁から解放されてからの意)。
前には(自分がどんなことをしてしまったのか)よく分からなかったのですよ、あんまり。
でも自分が監禁されたらどんなに苦しいかなということがすごく分かるようになった。この子に可哀想なことをしたなって、あんな酷いことを、すごいことをやったのですよ、うちの場合は。心に傷がつくのも無理なかった。
これは、やってはいけないことだと思います。もっと親子でなんでも話せるようにならなければいけないと思います。(泣)
麻子さんに手紙で謝られるようになってからも、お母さんたちはずっと黒鳥さんのところで勉強会に行かれるわけですね。麻子さん:
麻子さんが一方で苦しみ、それを看病しながら、お母さんは戸塚教会の勉強会で脱会の経験者として勉強会で話をする。
それは矛盾することですが、その矛盾がどうやって解けたのか。
1999年 2月、これは後でお二人に聞いてみたいのですが、今利理恵さんが黒鳥牧師と清水牧師を訴えた裁判の法廷が終わった集会で、ご両親と麻子さんが一緒に参加して、麻子さんがみんなに訴えるのです。
どのように訴えたのかは、麻子さんから聞いてもらって、その後お母さんからそのときのことを話してもらえれば良いなと思います。(このあたりは別表の1999年2月の項を参照してください。)
裁判に行った後に、それぞれ感想を一人ずつ言って回るのですが、私はみんなが「黒鳥先生に恩になったからと、(黒鳥先生の保護説得はなかったという主張に)賛成しているというのはおかしい」と言ったのですね。お母さん:
その後に黒鳥先生に呼び出されて「あなた、なんであんなことを言ったのよ。賛成するのは当然じゃない」と言われて……。(しかし)それはおかしいと、やっていること自体、拉致監禁であって、言っていることも嘘八百だし、それはおかしいと(私が)言っても(黒鳥先生は)「それは当然じゃない」と、嘘をついても当然なんだということを堂々と言っていました。それを聞いてこの人はもうダメだとはっきりと分かりました。
高塚さん(今利理絵さんの旧姓)が裁判になると黒鳥先生がおっしゃって、そのときになぜか黒鳥先生が私に凄くあたったのですよね。
黒鳥先生が言おうとしていることは、分からなかったのですが、「あなたが裁判になってもおかしくないのよ」とか、なぜ私を責めるのだろうと、そこのところがわからない。私に当たりやすかったのか。麻子が、拉致についてのホームページを出したから、私に当たっているのか、ともかく、黒鳥先生が、私に当たるようになりました。
私も裁判に行くようになって、(黒鳥先生は)間違ったことを言っていると感じました。
結局、黒鳥牧師は、拉致監禁でやってきたことを、陳述書に「私が言ってなくて、これはこの人がやった」とか、違うことを黒鳥先生が言わせて、親子の関係をどんどん、悪くしていった。
黒鳥先生が良くて清水先生が良くて、(高塚さんの子どもが訴えている保護説得などなかったということになっていけば)、高塚さん親子の関係はどんどん悪くなっていく。
こんな裁判で良いのかなと、こんな裁判に行かなくても良いって言うか、そういう思いになりました。だから一切、裁判には行かない。もう、黒鳥先生のところには行かない、ということを(決心)しました。