で、連載にて掲載します。このほど連載開始しましたSSさん(当時25歳)の証言の第二回以降分は、都合により本連載終了後とさせていただきます。なお、別表にて宿谷さん親子の拉致監禁(保護説得)関連の事項を時系列で掲載します。本文でも適宜照応できるように工夫いたします。
<娘が変わった、おかしい>第1回拉致監禁をなくすための集い─連載第01回
司会:それでは今日、宿谷麻子さん、麻子さんのお母さん、麻子さんは、拉致監禁をなくす会の役員でもあります。勇気を持っておいでくださいました。拍手をもってお迎えください。お母さん:
初めまして、麻子の母です。よろしくお願いします。何を話していいかわからないですが、いいかげんなことを話すかもしれませんが、宜しくお願いします。麻子さん:
宿谷麻子です。今日は皆様にお集まり頂き本当にありがとうございます。つたない言葉になるかも知れませんが、宜しくお願いします。司会:
当初はお母さん、麻子さんのお話をいただければと思ったのですが、お母さんは何分にも昔のことで、だいぶ忘れたということです。それで、皆様から質問を集め、私が変わってお聞きし、米本さんには随時、捕捉していただくということで進めていきたいと思います。また出来るだけ時間を取って質問を受けたいと思います。それでは順番にいきたいと思います。まず、お母さんへの質問です。
麻子さんが入信して以降、お母さんの目から見て、どんな変化があったか、たとえばこういう点で良くなったとか、悪くなったとか、話してください。お母さん:
私は肉の小売店をやっていました。ところが、世の中が変わって、スーパーとか大きな店が出来て、その影響で経営が悪くなる一方でした。どんどん売り上げが落ちていく店のことで、当時の私の精神状態は普通じゃなかった。だから、麻子の変化にはなにも気付かなかったのです。
最初に、変化に気がついたのは麻子の妹でした。
たまたま、昨日のことですが、妹が家に来まして、その当時の麻子の変化のことが話題になりました。
「お姉さんが変わっていく、なんかおかしい」
「夜にこそこそと何かをしている、ちょっとおかしい」
「いつものお姉さんではない。なんだか気持ち悪いな」
と感じたそうです。(別表1992年11月の項参照)
夜、何をしていたのか。
麻子が言うには「親子関係を良くしようとお祈りしていた」そうです。
親が嫌いなのに、親子関係を良くしようとお祈りをする。
そのことが話題になって、「無理矢理お祈りしているのだから、そりゃもうおかしい印象を与えるはずだよ」ということになりました。
変化の良し悪しの質問がありましたが、良くなったとも、悪くなったとも、どう言ったらいいか分かりません。
妹が変化に気付いた頃から、麻子は一生懸命、私に対しても「おはようございます」と言ってくるようになったのですが、当時は、先ほども話したように、店のことで、頭がいっぱいで、麻子の変化についてはあまり分からなかった。
司会:かえって私が、「店の経営をどうしよう」と麻子に相談していたぐらいで、麻子に重荷を負わせていたような感じでした。
ありがとうございます。麻子さん:
次は麻子さんに対して質問です。
麻子さんが入信してから、「嫌いな親を愛するように努力した」と以前におうかがいしたことがありますが、麻子さんにとっては親子関係の点でどのような変化
がありましたか。
私は入信する前は会社員だったのですけども、会社員になる前の大学の時から親子関係は断絶していると思っていて、親を親と思っていませんでした。「親はいない」という思いでいました。一緒に住んでいるアパートの同居人ぐらいに思って、暮らしていました。
そこまで親子関係が悪かったので、朝は食事して、会社に行くときも挨拶もせずに、帰ってきてもただいまも言わずに、ただ自分の部屋に行って、母親とも父親とも会話は全然、有りませんでした。
それを入信してから、「そんな親子関係は良くない」とアベルに言われまして、信仰の条件として親に毎朝、挨拶するようにと言われました。それで、しようがなく、しぶしぶとではあっても、両親に「行ってきます」と挨拶してから出かけるように、信仰条件を立てました。アベルなのでしようがないので、取りあえず、いやいや両親に挨拶していました。
最終的には、母親と父親を伝道しなければならないという思いがあったので、しようがなく、良い親子関係を取り持つように努力しました、その為に一生懸命お祈りとか条件とかをしました。