今日も一緒にプロレスを楽しみましょう
プロレス応援団長のブログ
追悼 鬼軍曹
2010年08月31日 10:58 | フォルダ : プロレス
鬼軍曹。まさにその通り。「鬼コーチ」ではなく「鬼軍曹」だった。
坂口征二・新日本プロレス相談役から亡くなられた日の夜に一報を頂いたが「どこの山本さんですか」と聞き返していた。顔を会わす度に「柴田さん、東スポ どう?」と声を掛けてもらっていた。僕なんかよりはるかにお元気だったのに、とても信じられなかった。
思い出は書き尽くせない。日本プロレスの若手時代には本紙の現場記者が毎日、表彰していた「東スポ賞」の最多受賞者だったという。先輩記者から「若い時から、何事も真剣で凝り性。とことんやりぬく男だった」と何度も聞かされた。実際にお目にかかると、厳しいが優しい人だった。
妥協を許さない厳しさ、激しい闘争心。若手選手が気の抜けた試合をすれば「前座だって新日の試合なんだ!下手な試合をすれば猪木さんに恥をかかす事になるんだぞ!」と竹刀でボコボコにしていた。
小鉄さんの愛車キャデラックのエンジン音が聞こえると、道場にいる選手は一瞬にして緊張した。前田日明も高田延彦も直立不動になった。あまりの厳しさに、道場の裏にある白樺の木を小鉄さんに見立て、包丁を何度も突き刺す者もいた。
他人にも厳しいが自分にも厳しい。引退した後も練習を欠かさず、まさにストロングスタイルの象徴だった。「引退して30年も経つけど、練習してるからいつでもリングに立てますよ」と胸を張っていた。
厳しいだけではなく、優しく愛嬌のある人だった。新人記者やちびっこファンにも決して横柄な態度を取らず、常に丁寧な口調で接してくれた。学校をさぼって観戦に来ているファンを見つけると「僕は貧しくて、行きたくても学校に行けなかったの。あなたは学校に行かしてもらえるんだから、感謝しなくちゃダメだよ。だから休んだりしたらいけないよ。見に来てくれるのは嬉しいけど、学校休んでプロレスを見に来たら、プロレスが悪いって事になっちゃうの。だからファンなら休んで来たらいけないんだよ」。教え上手な小鉄さんは優しく諭していた。
新日プロのライオンマークのデザインを考えた時は「絵は上手く書けないから、ネコみたいになっちゃってねぇ」と頭をかいた。
トレードマークのスキンヘッドは、アメリカでの悪党修行で、床屋さんに行っても散髪を拒否され、仕方なく坊主にしたのが最初だ。「慣れれば楽ですよ」カミソリでチャチャッと手際よく剃る様を見て驚いていたら「柴田さんも剃る? それとも取る? フフフ」と茶目っ気たっぷりに笑った。
髪の毛の代わりに眉毛のお手入れに気を使っていた。下から上に眉ブラシで整えていた。「この方が威厳が出るだろ」とニンマリしていた。
愛妻家としても知られ、大変な子煩悩でもあった。「女房とは今でも手をつないで寝ていますよ。娘が生まれて今日で1万何日、孫が生まれて今日で何日」など、良き夫、良き父、そしてよきおじいちゃんであった。愛娘は学習院の総代を務めたほどの才媛で「柴田さんも学習院でしょ。うちの娘の先輩ですね」と握手を求められた。僕は総代でも何でもありませんでしたけど・・。
奥さんが学生時代に知り合って、その後、卒業するまで学費を小鉄さんが負担したそうだ。「女房になる人だからね、当たり前ですよ」。
藤波辰爾が夫人にプロポーズしたのは小鉄さんの家の電話からだった。「好きなくせに何だかハッキリしないから、もどかしくてね。うちで酒飲ませて言わせたの。僕がキューピットかな、アハハ。でもその時は結婚して下さいじゃなくて3年間待ってくださいって言ってたけど。まあ、めでたくゴールインして良かったですよ」。面倒見の良い小鉄さんであった。
天国でも、ひと足先に行った橋本真也や剛竜馬らの教え子たちに熱血指導をしているのだろうか。ひと昔前は豪傑な人が亡くなったら「三途の川で鬼を集めて相撲を取る」などと言われたものだが、小鉄さんは間違いなく竹刀を片手に鬼にスクワットをさせているだろう。 合掌。
坂口征二・新日本プロレス相談役から亡くなられた日の夜に一報を頂いたが「どこの山本さんですか」と聞き返していた。顔を会わす度に「柴田さん、東スポ どう?」と声を掛けてもらっていた。僕なんかよりはるかにお元気だったのに、とても信じられなかった。
思い出は書き尽くせない。日本プロレスの若手時代には本紙の現場記者が毎日、表彰していた「東スポ賞」の最多受賞者だったという。先輩記者から「若い時から、何事も真剣で凝り性。とことんやりぬく男だった」と何度も聞かされた。実際にお目にかかると、厳しいが優しい人だった。
妥協を許さない厳しさ、激しい闘争心。若手選手が気の抜けた試合をすれば「前座だって新日の試合なんだ!下手な試合をすれば猪木さんに恥をかかす事になるんだぞ!」と竹刀でボコボコにしていた。
小鉄さんの愛車キャデラックのエンジン音が聞こえると、道場にいる選手は一瞬にして緊張した。前田日明も高田延彦も直立不動になった。あまりの厳しさに、道場の裏にある白樺の木を小鉄さんに見立て、包丁を何度も突き刺す者もいた。
他人にも厳しいが自分にも厳しい。引退した後も練習を欠かさず、まさにストロングスタイルの象徴だった。「引退して30年も経つけど、練習してるからいつでもリングに立てますよ」と胸を張っていた。
厳しいだけではなく、優しく愛嬌のある人だった。新人記者やちびっこファンにも決して横柄な態度を取らず、常に丁寧な口調で接してくれた。学校をさぼって観戦に来ているファンを見つけると「僕は貧しくて、行きたくても学校に行けなかったの。あなたは学校に行かしてもらえるんだから、感謝しなくちゃダメだよ。だから休んだりしたらいけないよ。見に来てくれるのは嬉しいけど、学校休んでプロレスを見に来たら、プロレスが悪いって事になっちゃうの。だからファンなら休んで来たらいけないんだよ」。教え上手な小鉄さんは優しく諭していた。
新日プロのライオンマークのデザインを考えた時は「絵は上手く書けないから、ネコみたいになっちゃってねぇ」と頭をかいた。
トレードマークのスキンヘッドは、アメリカでの悪党修行で、床屋さんに行っても散髪を拒否され、仕方なく坊主にしたのが最初だ。「慣れれば楽ですよ」カミソリでチャチャッと手際よく剃る様を見て驚いていたら「柴田さんも剃る? それとも取る? フフフ」と茶目っ気たっぷりに笑った。
髪の毛の代わりに眉毛のお手入れに気を使っていた。下から上に眉ブラシで整えていた。「この方が威厳が出るだろ」とニンマリしていた。
愛妻家としても知られ、大変な子煩悩でもあった。「女房とは今でも手をつないで寝ていますよ。娘が生まれて今日で1万何日、孫が生まれて今日で何日」など、良き夫、良き父、そしてよきおじいちゃんであった。愛娘は学習院の総代を務めたほどの才媛で「柴田さんも学習院でしょ。うちの娘の先輩ですね」と握手を求められた。僕は総代でも何でもありませんでしたけど・・。
奥さんが学生時代に知り合って、その後、卒業するまで学費を小鉄さんが負担したそうだ。「女房になる人だからね、当たり前ですよ」。
藤波辰爾が夫人にプロポーズしたのは小鉄さんの家の電話からだった。「好きなくせに何だかハッキリしないから、もどかしくてね。うちで酒飲ませて言わせたの。僕がキューピットかな、アハハ。でもその時は結婚して下さいじゃなくて3年間待ってくださいって言ってたけど。まあ、めでたくゴールインして良かったですよ」。面倒見の良い小鉄さんであった。
天国でも、ひと足先に行った橋本真也や剛竜馬らの教え子たちに熱血指導をしているのだろうか。ひと昔前は豪傑な人が亡くなったら「三途の川で鬼を集めて相撲を取る」などと言われたものだが、小鉄さんは間違いなく竹刀を片手に鬼にスクワットをさせているだろう。 合掌。
本日の見出し
不倫密会のアンタ柴田「ハメられた」
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