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2010/09/01

ちょっと一息

今日は、完全に仕事モードです。
とりあえず、一方の仕事のノルマは達成。
まぁ、ノルマって言っても自分で決めてるからどうにでもなるんだけど。

そして前回の記事のリンク(は直接してないんだけどね)先の人が、その人のブログで反論してた。

なんか僕の mixi のアカウントにわざわざリンクを張ってまでさらされていたので objection を。

まず、この手の輩は、人が何事かに対して答える上で、相応の責任を負い、労力や時間も(些少ではあるかもしれないけれど)消費させられるものだ、という視点が欠如している。これに関しては、Linux 業界で有名な生越氏の(これはもうかなり前に書いているはずだけど)『我々は十分か』:

http://www.nurs.or.jp/~ogochan/linux/5.html

でも読んでみればよろしい。生越氏の言葉を借りれば:
それは、ここでの対象となっている「タコども」が、あまりに「お客さん」であり「感謝を知らない」ために、文句を言っているので ある。
……まあ、この手の質問に20年近くも答え続けていれば、誰でもこの心境に至るものだよ。


次に、上リンク先の人物が言うところの「やさしさ」に関して。これももう言い古された話で、僕も何度か open な場所で指摘しているけれど、この人物のいう「やさしさ」というのは、明らかに従来の「優しさ」ではない。知らないことを他者に教示してもらうよう乞うときに、そこに hospitality を要求する、というのは、これは「やさしく教えろやゴルァ」と言っているに等しい。先にも書いた、教える側の事情を何も斟酌していない態度だとしか言えない。

じゃあ、彼らの求める「やさしさ」が何なのか、というと、これは精神科医の大平健氏が言うところの「やさしさ」(彼は記号的に、このやさしさを平仮名で表記する)だと言えるだろう。この「やさしさ」に関しては、大平氏の『やさしさの精神病理』に詳細に記述・考察されているので、興味のある方はそちらをご一読いただきたい。

いやはや、しかし、上リンク先の人物、こういう風に書いている:
で二つ目は、mixiのTeXのコミュニティ。
TeXもマイナーなんで、同じ原理で(?)優しい人が多いんだけど、正直
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=546064
の人はどうかと思った。
荒れるってわけじゃないけど、傲慢さよく出てる・・・というか、自意識過剰な感じが良くない方によく出てる。
なんか・・・全裸説教強盗って感じ?
いや違うでしょう。むしろあなたみたいなのを居直り強盗というんだよ。

とまるまるコピペ。

なるほど。
言いたいことも、気持ちもわかる。

ただ、勘違いをしてる部分があると思う。
それは、労力などなどの消費をさせられてる云々だけど、これは違う。
まずこの(人の)場合、相手に対して何も対価を貰わないので、質問に答えるということは、善意によるボランティアということだ。
だから、労力や時間とかが惜しければ答えなければいい。
そもそもコミュニティの性質は、互助会だ。
もし、一方的に与えてると思えば、参加しなければいいし、参加してほしくないし、参加すべきでない。
なぜなら対価を貰ってないからだ。
質問者も必ず解答が得られると思ってるわけではなし、期待もしてない。
だから、回答者も面倒だと思うなら回答をしなければいい。

これを踏まえて回答するときの優しさについて考えてみる。
そしてそれが自分の真意だ。

基本的に、質問者からすれば、回答者の事情なんて知ったこっちゃないし、逆に回答者からすれば、質問者の事情も知ったこっちゃない。
そして、コミュニティは互助会の精神で参加すれば、質問と回答がスムーズに居心地良く行われるのが理想的で、そうあるべきだと思う。
このとき、質問者も回答者も、質問と回答に優しさを加えるだけで、いならい軋轢は生じず、スムーズに居心地がよくなる目的は達成できる(回答が質問者にとって満足いくものかは別の話)。
人が増えればそうでない人も出てくるのは当然で問題として考える余地が出てくるが、互助会の性質から、そういうのは無視すればいいだけで、この問題は解決する。
だから、質問者であれ回答者であれ、傲慢な態度というのは互助会の性質として望ましくないものなのだ。

互助会は、そもそも、「教えを乞う」という上下関係ではないのだ。
質問者も回答者もあくまで対等であり、困ったときにできれば助け合うだけなのだ。
日本的儒教観念では、教育者が上であり、被教育者は下であるという徒弟関係が染みついてるが、それは全体から考えたときに好ましくない関係だ。
なぜなら、知識が無い人=被教育者 は、将来コミュニティにとって大切な人材となる可能性を秘めているからで、環境によってそう育てるのが理想的で、行うべき規範と考えている。
徒弟関係は個人と個人の繋がりとして築くのは別に構わないが、あくまで全体から見たとき、人と人は対等なのだ。
だから、一人の傲慢な人によって、誰かが排除されるというのはやはり好ましくないのがわかる。
心でどう思おうと勝手だが、それを表面に出すべきではないのだ。

というのが自分の真意だ。

で、この人場合、この文章の「人に教えを乞う」という表現から傲慢さがよくわかる。
実際に、mixiのTeXコミュで、この人が答えた質問の質問文章は、「単にまだTeXをよく知らない普通の質問」であって、質問自体に問題はない。
不慣れなためにただ質問内容に対して回答が見えてないだけであって。

ちなみに、全裸説教強盗と表現したのは、質問の回答はこの人以外からすでにされており、それに乗っかる形で回答をしてる。
そしてそれが説教くさい。
乗っかるところが強盗っぽくて、説教くさいのが説教。
全裸は、傲慢さが出ているのが、周りから見ると全裸のように恥ずかしい状態だから、全裸説教強盗という比喩ですよ。

まぁ、たぶん荒れるんだろうけど、それはそれでいいや。
これも自分が思ったことで、それは事実思ったことを記録しただけだから。

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コメント

引用するなら、元の document にリンクを張った上で、なおかつ引用箇所に含まれる部分を勝手に削らないでいただけますか。それは恣意的引用の謗りを免れないし、そういう人が何をホタエてもその程度の扱いを受けてしかるべきなんですよ。

投稿: Thomas | 2010/09/01 21:00

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