1938年 | アメリカ合衆国アイオワ州に誕生。 |
1955年 | 映画「聖女ジャンヌ・ダルク」でデビュー。 |
1957年 | 映画「悲しみよこんにちは」に出演。 この時のベリーショートの髪型が、映画の役名にちなんで「セシルカット」と呼ばれ大流行する。 |
1959年 | ジャン・リュック・ゴダールの初監督作品、映画「勝手にしやがれ」で主演を務め、一躍ヌーヴェルヴァーグの寵児となる。 その後30本以上の映画に出演するが、これ以降はヒット作に恵まれなかった。 プライベートでは、次第に人種差別に対する公民権運動やベトナム反戦運動に傾倒。FBIにマークされるようになる。 |
1970年 | FBIによる監視とプレッシャーの中、子どもを身ごもるが、流産してしまう。 この時にジーンが妊娠した子は、政党「ブラックパンサー」(当時黒人解放闘争を展開していた政党団体)の幹部の子どもだというデマが流れ、流産から徐々に精神のバランスを崩し始める。 流産した胎児の写真を記者会見で公開するなど、不安定な言動もあった。 |
1979年 | 8月に失踪。11日後にパリ郊外に止められた車の中から遺体が発見された。 アルコールと薬の多量摂取による自殺と見られているが、真相は不明。 |