朝鮮学校前校長が書類送検されたという報道についての声明
8月27日、京都府警が、都市公園法違反容疑で京都朝鮮第一初級学校前校長を書類送検した、という報道がされました。
リンク>朝鮮学校前校長を書類送検 無許可で公園占用容疑
この書類送検は、2009年12月に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が京都府警におこなった「告発」(被害者でない第三者が、捜査機関に対して犯罪を申告し処罰を求める意思表示)をうけてのものです。報道では学校が「京都市が管理する公園を無許可で占用した」ことが書類送検の「容疑」である、とされています(報道は誤解を誘導しかねないものですが、書類送検の「容疑」は告発者の言い分をそのまま書き写す場合もあり、必ずしも警察の判断を示すものではないという指摘もあります)。
しかし、運動場のない京都朝鮮第一初級学校が公園を体育の授業で使用することは、なんの問題もないことです。体育の授業で公園をつかうなんて、どこの小学校でもあたりまえにおこなわれいることなのに、なぜ朝鮮学校がそれをすることを警察は問題化するのでしょうか。その点だけでも、ものすごい差別です。また、朝鮮学校が公園を使っているからといって、ほかの人が利用できないといったことも決してありません。公園に学校の器具を置いたことも問題であるかのように言われていますが、それもまた、市および地元住民が50年以上まえから承認してきたことです。しかし今回の報道は、こうした事実にはまったくふれず、朝鮮学校側の主張もまったくとりあげず、ただ在特会のでたらめな主張をそのまま伝えています。そもそも、考えてみれば当然ですが、「書類送検」はなにかの罪状が確定したことでは決してありません(これはいわゆる「推定無罪」として、法学における原則的な見かたでもあります)。にもかかわらず、在特会の主張内容をしらべもしないで、さも朝鮮学校がわるいことをやったかのようにこの件を記事として取り上げることは、朝鮮学校への偏見をあおる無責任な報道であるというべきです。
そもそも、なぜ朝鮮学校に校庭がなかったのか。いうまでもなくそれは、朝鮮学校が日本政府によって制度上の差別を受けてきた結果なのであり、これは、朝鮮学校が受けてきたいわば第一の暴力です。ところが、在特会は、差別の被害者である朝鮮学校を、「公園の不法使用」などといういいがかりをつけて、加害者・犯罪者あつかいしはじめました。その意味で、在特会がおこなった「告発」じたいが、明白ないやがらせ行為であり、いわば第二の暴力です(在特会はこのような理不尽な告発をただちに取り消すべきです)。さらに、昨年12月4日、在特会は、朝鮮学校におしかけ、暴言をはき、学校の備品を破壊するなどの暴行をおこない、それを、自分たちがでっちあげた根拠によって正当化しました。これはいわば第三の暴力です。
この第三の暴力についてだけは、8月10日に、威力業務妨害容疑などで在特会の幹部ら4人が、おくればせながら京都府警に逮捕されています。これを、警察の姿勢の変化として歓迎する声もありました。しかし、これはとうぜんのことであり、むしろ暴行の現場に警官がいたにもかかわらず、実行犯が現行犯逮捕されなかったことこそが問題です。それどころか、在特会幹部の逮捕につづく朝鮮学校前校長の書類送検、という流れによって、まるで、「けんか両成敗」であるかのような印象がうまれてしまっています。さきにのべたように、じじつは、朝鮮学校側が一方的に暴力をうけている、という状況であるにもかかわらず、です。じっさい、ネット上などでは、「在特会もわるいが朝鮮学校もわるい。どっちもどっち」「在特会のやりかたはよくないが、主張には一理ある」などの意見があふれています。このように、朝鮮学校が「やっぱり悪いことをしていた」という印象を人々にあたえる結果になったとすれば、在特会としては、宣伝効果をあげた、ということにもなってしまいます。
水につきおとすという暴行をはたらき、落とされた人がひっしでなにかにつかまったことを「不法行為」とののしり、さらに、つかまっている手を足でふみにじる……これらはすべてゆるしがたい暴行です。在特会幹部が逮捕されたことは、いっけん、警察が、ふんでいる在特会の足をどかせたかのように見えるかもしれません。しかし、まるでそれと「ひきかえ」であるような今回の書類送検の報道をみると、じっさいに起こったことは、たんにふみつける係りが交代しただけのことだったのではないか、と思わざるをえません。
ところで、今回の書類送検については、警察は「告発」を受けたら法手続き上受理し「書類送検」せざるをえないのであり、起訴されるかどうかはまだわからないのだから冷静にみまもるべきだ、との意見もあります。しかしわたしたちは、警察が、在特会の理不尽な告発を受けて、朝鮮学校を「捜査」する姿勢をしめしたこと自体が問題であると考えます。日本の警察は、これまでも、朝鮮総連、朝鮮学校にたいして、ことあるごとに「捜査」という名のいやがらせ、暴行をおこなっているからです。「捜査」の理由となっている容疑はいずれも軽微なものです。
たとえば、六カ国協議が行われようとしていた2007年はじめには、滋賀、札幌、兵庫で、あいついで強制捜査がおこなわれました。滋賀では、「電磁的公正証書原本不実記録容疑」(いわゆる「車庫飛ばし」)の容疑で、大阪府警が130名で朝鮮総連と朝鮮学校に対する強制捜査をおこないました。土足で朝鮮学校の校長室・教員室に入り、学籍簿を含め容疑事件と関係ないものまで捜索し、電話番号などまで記載された保護者名簿などを押収する、という暴挙を行っています。このように、警察は在特会とおなじ、あるいはそれいじょうの暴行を朝鮮学校にたいして、「捜査」という名前でおこなってきたのです。
今回の警察のふるまいとそれについての報道もそのあらわれですが、現在の日本では、政府・警察・「行動する保守」・マスコミ・傍観者が役割分担をしつつ朝鮮学校への差別が進行しています。わたしたちはこの差別に抗議します。
ヘイトスピーチに反対する会
8月30日(8月31日一部改訂)
リンク>朝鮮学校前校長を書類送検 無許可で公園占用容疑
この書類送検は、2009年12月に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が京都府警におこなった「告発」(被害者でない第三者が、捜査機関に対して犯罪を申告し処罰を求める意思表示)をうけてのものです。報道では学校が「京都市が管理する公園を無許可で占用した」ことが書類送検の「容疑」である、とされています(報道は誤解を誘導しかねないものですが、書類送検の「容疑」は告発者の言い分をそのまま書き写す場合もあり、必ずしも警察の判断を示すものではないという指摘もあります)。
しかし、運動場のない京都朝鮮第一初級学校が公園を体育の授業で使用することは、なんの問題もないことです。体育の授業で公園をつかうなんて、どこの小学校でもあたりまえにおこなわれいることなのに、なぜ朝鮮学校がそれをすることを警察は問題化するのでしょうか。その点だけでも、ものすごい差別です。また、朝鮮学校が公園を使っているからといって、ほかの人が利用できないといったことも決してありません。公園に学校の器具を置いたことも問題であるかのように言われていますが、それもまた、市および地元住民が50年以上まえから承認してきたことです。しかし今回の報道は、こうした事実にはまったくふれず、朝鮮学校側の主張もまったくとりあげず、ただ在特会のでたらめな主張をそのまま伝えています。そもそも、考えてみれば当然ですが、「書類送検」はなにかの罪状が確定したことでは決してありません(これはいわゆる「推定無罪」として、法学における原則的な見かたでもあります)。にもかかわらず、在特会の主張内容をしらべもしないで、さも朝鮮学校がわるいことをやったかのようにこの件を記事として取り上げることは、朝鮮学校への偏見をあおる無責任な報道であるというべきです。
そもそも、なぜ朝鮮学校に校庭がなかったのか。いうまでもなくそれは、朝鮮学校が日本政府によって制度上の差別を受けてきた結果なのであり、これは、朝鮮学校が受けてきたいわば第一の暴力です。ところが、在特会は、差別の被害者である朝鮮学校を、「公園の不法使用」などといういいがかりをつけて、加害者・犯罪者あつかいしはじめました。その意味で、在特会がおこなった「告発」じたいが、明白ないやがらせ行為であり、いわば第二の暴力です(在特会はこのような理不尽な告発をただちに取り消すべきです)。さらに、昨年12月4日、在特会は、朝鮮学校におしかけ、暴言をはき、学校の備品を破壊するなどの暴行をおこない、それを、自分たちがでっちあげた根拠によって正当化しました。これはいわば第三の暴力です。
この第三の暴力についてだけは、8月10日に、威力業務妨害容疑などで在特会の幹部ら4人が、おくればせながら京都府警に逮捕されています。これを、警察の姿勢の変化として歓迎する声もありました。しかし、これはとうぜんのことであり、むしろ暴行の現場に警官がいたにもかかわらず、実行犯が現行犯逮捕されなかったことこそが問題です。それどころか、在特会幹部の逮捕につづく朝鮮学校前校長の書類送検、という流れによって、まるで、「けんか両成敗」であるかのような印象がうまれてしまっています。さきにのべたように、じじつは、朝鮮学校側が一方的に暴力をうけている、という状況であるにもかかわらず、です。じっさい、ネット上などでは、「在特会もわるいが朝鮮学校もわるい。どっちもどっち」「在特会のやりかたはよくないが、主張には一理ある」などの意見があふれています。このように、朝鮮学校が「やっぱり悪いことをしていた」という印象を人々にあたえる結果になったとすれば、在特会としては、宣伝効果をあげた、ということにもなってしまいます。
水につきおとすという暴行をはたらき、落とされた人がひっしでなにかにつかまったことを「不法行為」とののしり、さらに、つかまっている手を足でふみにじる……これらはすべてゆるしがたい暴行です。在特会幹部が逮捕されたことは、いっけん、警察が、ふんでいる在特会の足をどかせたかのように見えるかもしれません。しかし、まるでそれと「ひきかえ」であるような今回の書類送検の報道をみると、じっさいに起こったことは、たんにふみつける係りが交代しただけのことだったのではないか、と思わざるをえません。
ところで、今回の書類送検については、警察は「告発」を受けたら法手続き上受理し「書類送検」せざるをえないのであり、起訴されるかどうかはまだわからないのだから冷静にみまもるべきだ、との意見もあります。しかしわたしたちは、警察が、在特会の理不尽な告発を受けて、朝鮮学校を「捜査」する姿勢をしめしたこと自体が問題であると考えます。日本の警察は、これまでも、朝鮮総連、朝鮮学校にたいして、ことあるごとに「捜査」という名のいやがらせ、暴行をおこなっているからです。「捜査」の理由となっている容疑はいずれも軽微なものです。
たとえば、六カ国協議が行われようとしていた2007年はじめには、滋賀、札幌、兵庫で、あいついで強制捜査がおこなわれました。滋賀では、「電磁的公正証書原本不実記録容疑」(いわゆる「車庫飛ばし」)の容疑で、大阪府警が130名で朝鮮総連と朝鮮学校に対する強制捜査をおこないました。土足で朝鮮学校の校長室・教員室に入り、学籍簿を含め容疑事件と関係ないものまで捜索し、電話番号などまで記載された保護者名簿などを押収する、という暴挙を行っています。このように、警察は在特会とおなじ、あるいはそれいじょうの暴行を朝鮮学校にたいして、「捜査」という名前でおこなってきたのです。
今回の警察のふるまいとそれについての報道もそのあらわれですが、現在の日本では、政府・警察・「行動する保守」・マスコミ・傍観者が役割分担をしつつ朝鮮学校への差別が進行しています。わたしたちはこの差別に抗議します。
ヘイトスピーチに反対する会
8月30日(8月31日一部改訂)
テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済