菅直人首相が31日、民主党代表選への立候補を表明した会見の要旨は次の通り。
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6月8日に首相を拝命して3カ月近く政権運営にあたってきた。これからが本格的な政権の稼働する時だと考え、多くの課題、政策を実現するため、同志の推薦をいただき、代表選に改めて立候補することにした。
厳しい経済情勢などを考えると、多くの方々から代表選に時間を取られるのではなく、政策運営に全力を挙げるべきだという声もいただき、できるだけ融和を図ろうという姿勢で臨んできた。この間、鳩山(由紀夫)前首相を含めそうした努力をいただいた皆さんに心から感謝申し上げたい。
そういった中、今日、ようやく小沢一郎前幹事長と会うことができ、私のそうした思いも申し上げた。小沢氏からは、大いにこれからも協力してやっていこう、同時に選挙は選挙として戦おうという話だったので、私も、それならすっきりとした気持ちで選挙戦を戦い、その結果、どういう形であろうとも改めて全党一致で協力できるよう全力を挙げたいと申し上げた。今の日本は縦割りの霞が関の活動の中で、やるべきことがやれていない。日本の行政、政治のあり方を根本から変えていく、それが私に課せられた使命だと考えている。この選挙戦、首相の職務を最優先する中で戦っていきたい。
今回の選挙は、日本の次期首相を選ぶ選挙だから、国民には候補者のいずれが首相にふさわしいか、全国各地で声を上げていただき、民主党員やサポーター、地方議員や国会議員に国民の声を伝えていただきたい。
(以下質疑応答)
--小沢前幹事長は首相が挙党態勢を構築できないので立候補することにしたとの趣旨の話をしたが。
少なくとも私との話では、そういうことは全く言われなかった。全く私の認識とは違っている。私は全員参加で適材適所で、全党員が参加できる党こそがまさに挙党態勢だと思っている。今日の話もそういう姿勢で臨んだ。私が挙党態勢に反対したとか、受け入れなかったということは一切ない。あえて言えば、直接的にはないが、いろんな方から人事についての意見もいただいた。しかし、私は人事について国民の見えないところで議論したり、決めるのはおかしいと思ったので、間に立った方に、人事の話はこういう時期に密室でやるべきではない(と伝えた)。今日の小沢さんとの会談でも、人事の話は一切どちらからも出なかった。そのことが、挙党態勢を私が拒んだということとはまったく違う。
--政策は具体的に何を訴えるか。
日本を立て直す上で、経済の成長、財政の健全化、社会保障の強化、これを好循環になるような形で進めていくことが必要だ。社会保障のあり方と、その財源としての消費税のあり方については、大いに議論していくことが必要だ。
--昨日の融和姿勢から今日になって全面対決になった原因は。
昨日と今日、私が鳩山さんや小沢さんに申し上げたことは、全く変わっていない。民由合併後、ある時期には小沢代表、あるいは私が代表代行、あるいは鳩山さんが幹事長という時代もあって今日の政権交代に至ったが、そういう原点を大事にしたい。その事は申し上げて、小沢さんからも「自分もそう思う」と言っていただいた。小沢さんの気持ちまでは推察しかねる。
--政治とカネの問題で批判があったが、小沢氏との政治理念、政権運営の違いについてどう考えるか。
1974年に市川房枝さんを支援した参院選と、ロッキード事件に対しての憤りから初めて立候補した76年の衆院選が私の原点だ。政治の生い立ちという意味では、小沢さんと私はかなり違ったところからスタートした。政治とカネの問題で日本の政治が混乱したり左右されることがないような政治を作っていきたい。
--党内融和を図れず代表選になってしまった理由は何か。またその責任は。
政権にしっかり取り組めることが望ましいと思って行動してきたが、そういった意味では残念だ。しかし、代表選が9月に行われるというのは党の基本的なルールだから、立候補者がいるのはある意味では当然だ。正々堂々と戦いたい。
--以前、小沢氏に対して「しばらく静かにしていた方がいい」と言っていたが。
政治とカネの問題で辞任すると言われた直後で、やはり一定期間は静かにしているというのは、当然のことではないかと。私自身、年金未納問題、これは社会保険庁の間違いであったことが後に分かったが、それで責任を取って辞めた時には、しばらくは無役で静かに個人的な活動に専念していた。一般的な常識として申し上げた。
--鳩山氏との会談で、小沢氏を最高顧問に起用する考えを示したようだが。
私はポストについて言及したことは一切ない。党や内閣の人事を決める立場にある者が、あらかじめそうした発言をすることは好ましくない。
毎日新聞 2010年9月1日 東京朝刊