(cache) 天才青木のグローブ 待たれる殿堂創設 - 47NEWS(よんななニュース)
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     ジョフレ伝記の表紙は青木が敗れた場面

     「黄金のバンタム」―そのものずばりの題名で、ブラジルが生んだ屈指の名王者エデル・ジョフレの伝記が1962年に現地で出版されている。79年に再版された際、その表紙は初版の「試合後のリング上で祝福を受けるジョフレ」ではなく、「日本のファンにはあまりに有名な劇的な瞬間」の写真が採用されることになった。

     苦悶の表情を浮かべ、キャンバスに沈む直前の挑戦者・青木勝利(三鷹)。これは63年4月4日の東京・蔵前国技館、天才的強打とうたわれた青木が、難攻不落の名王者ジョフレの左に3回KOで敗れたあの試合だ。

     昭和30年代後半、ファイティング原田(笹崎)、海老原博幸(協栄)とともに「三羽ガラス」と呼ばれ、日本が未曾有のボクシング人気に沸いた時代に、時代の寵児であった青木。ライバルの原田、海老原らは、世界王座を獲得し、最も将来を嘱望されていたかもしれない青木は脱落した。

     しかし、ジョフレ戦では、試合前に右手を骨折していたという青木の母の証言もある。飲酒・喫煙などの不節制が災いして、うそのように勝てなくなった晩年でさえも、ほとんど練習せず、それでも試合をこなしてしまった事実は反面で、発展途上に終わった青木の「天才」の底知れぬ深さを物語っている。

     青木にあこがれてボクシングを始め、2階級で世界王座を制覇する柴田国明(ヨネクラ)はさすがに青木をKOで、しかも初回で倒している。これとて、「初対面の際、落ち目の自分を先輩としてたててくれた柴田君」と試合をするのは辛いと、青木は試合前に半ばの戦意喪失をほのめかしていた。

     引退後、姿を消した天才的強打者・青木の話をするのは、殿堂創設の機運が高まりつつある今日、あの青木の直筆入りグローブがコミッションに提供されたという報道を目にしたからだ。そのグローブは、三鷹ジムの後輩・飯田健一の日本フライ級王座獲得記念に、東洋バンタム級王座に再戴冠していた青木と公開スパーを行った際の貴重なものだという。

     とすれば、時代は64年。この年の10月に宿敵・原田と拳を交え、原田との「世紀の一戦」に敗れ失墜して行く直前の青木が、「最後の輝き」を放っていた頃の、そして日本のボクシング界が隆盛を極めた昭和30年代最後の年の空気をまとったグローブなのであるからして、まさに「貴重」。心して殿堂創設を待ちたい。(フリーライター・草野克己)

      【共同通信】