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王さんが756号より記憶に残る最高の一発

2010年08月29日
スポーツ

関連キーワード :野球王貞治50周年

【東スポ創刊50周年特別企画「時空自在」】「生涯最高の一発」——。8(や)と9(きゅう)で“野球の日”の9日、現役プロ野球選手らが選んだ「最高の試合」に、長嶋茂雄監督(74=現巨人軍終身名誉監督)率いる巨人と中日の同率首位決戦(1994年10月8日)が輝いた。誰にも忘れられない名勝負・名場面がある。当時世界最高だったハンク・アーロンの755号を抜き、868本塁打の大記録を打ち立てた王貞治(70=元巨人、現ソフトバンク球団会長)が最も記憶に残るホームランは、71年10月15日、阪急と対戦した日本シリーズ第3戦、山田久志(62=現野球解説者)から放った逆転サヨナラ3ランである。

ひと振りでシリーズの流れを変えた逆転サヨナラホーマー
敗色濃厚で迎えた最終回。王は1番打者柴田勲に耳打ちした。
「どんな形でもいいから出塁してくれ!」。一死後、柴田は四球で歩く。二死から長嶋茂雄が執念でボテボテの中前打。走者一、三塁のピンチにも、阪急・西本幸雄監督と山田の頭に敬遠策はなかった。5番末次利光には三塁打を打たれており、タイミングが合っているのを嫌っていた。
 かくしてエースと主砲の一騎打ちに。1—1からの3球目、山田が渾身の力で投じた低めの直球を王はとらえた。快音を残して打球は右翼席中段に突き刺さる。ベンチは秋祭りのような大騒ぎ。後楽園球場を埋め尽くした巨人ファンは総立ちで“王コール”を合唱した。
 打球の行方を確かめずに両ひざをついたままの山田。興奮した王は「山田の姿は全く目に入らなかった」。宙に浮くようにフワフワした気分でベースを駆け抜けたのは後にも先にもこの時だけである。
 自分の打席で走者がいれば名誉挽回の予感がしていた。過去3打席とも凡退したが、すべて走者なし。“サブマリン投法”の山田のワインドアップモーションにタイミングが合わせにくかった。走者がいればセットポジションで投げるため、合わせやすい。第2戦で山田から放った本塁打がそれだった。
 31歳の王はペナントレース9年連続40ホーマーを逃し、打率も2割7分台の成績に終わった。一方の山田は23歳。プロ3年目で初の20勝投手となり、防御率のタイトルを獲得した。第3戦を重視する西本監督は、第2戦に先発した山田を中1日で先発起用。山田は3回から8回二死まで一人の走者も出さない快投で応え、西本監督は2回に挙げた1点で勝てると信じていた。
 その自信を覆す王のアーチで、巨人の川上哲治監督はV7を確信。通算2勝1敗とした巨人が続く2戦も制し、下馬評で優位とされた阪急の野望を砕いた。
 劇的ホームランには秘話がある。いつものように家族全員がテレビの前で応援。王が本塁打を放った直後、恭子夫人のそばから長女理香ちゃんがいなくなった。隣室にある神棚の前で手を合わせていたのだ。そのけなげな姿に夫人は思わず大粒の涙を流した。
 プロ野球史に残る名場面。「すごいホームランを打ったという興奮は、はっきり覚えている。ひと振りで勝負をひっくり返し、シリーズの流れを変えたということで最高の本塁打だった。756号もうれしかったが、この一本といえば山田から打った逆転サヨナラホーマーになる」
 記録男の生涯忘れられない一発。自信があったストレートで勝負して敗れた山田は後年、シンカーを覚えてひと回り大きくなった。

江夏を打った王は泣きながらダイヤモンドを回った

 王は本紙に、思い出深いホームランをほかに2本挙げた。
 山田からサヨナラホーマーを放つ1か月前の71年9月15日、甲子園球場で阪神のエース江夏豊から放った逆転3ラン。0—2で迎えた9回、2—3から速球を右翼に叩き込んだ。それまで3打席連続三振。ダイヤモンドを回りながら王は泣いた。唯一、涙を流した本塁打だった。

「全身に電流が走り、しびれたようになったのは初めて。勝敗よりも、自分の技術とパワーで打ったものなので、ものすごく印象に残っている。涙を流しながら生還したのはこの時だけ。それぐらい江夏は強力なライバルだった。ストレートは速くて重い。非力な打者は本塁打なんか打てる相手じゃなかった。初めて対戦した時から、江夏のストレートを打ち砕くことを目標に頑張った」

 そんな王が自信を得たのは、64年の開幕カード・国鉄(現ヤクルト)4連戦での4本塁打。後の400勝投手・金田正一から放った1号は特に肥やしになった。外角いっぱいのカーブを打ち返すと、打球はグングン伸びて後楽園右翼席場外、ローラースケート場の屋根を直撃。推定飛距離は実に151メートルだった。この年の王は1試合4打席連発もあり、シーズン55本。王の研究は必要なしとしていた金田が、対長嶋と同じように策を練り始めたことは有名だ。

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