節分会







京ことばピックアップ
ぬくなってきて暖かくなってきて
やはらへんいらっしゃらない
しゃはるされる
小そうても小さくても
ぎょうさんたくさん
しもてくれたはるしまって頂いてる
大きならはって大きくなられて
「鬼わあぁそとぉ、福わあぁうちぃ!」寒さもきびしい如月の京都に、お子たちの声が響きわたりります。

わたしの育ったおたなでも、豆まきは子供の仕事と決まってました。わたしも最初は元気ようはしゃいで豆をまいてましたけど、神棚のあるお茶の間からまきはじめて、だいどこ、座敷、そして濡れ縁へと場所がうつるにつれ、一緒に声を出してた家族の数がだんだん少のうなって、最後は豆まきは子供のわたしひとりのお役目になってましたなぁ。

京の商家は間口はたいしたことあらしまへんけど、奥に長うて、店舗、母屋、離れ、荷作業場、お蔵と続いてて、けっこう広いんですわ。急な階段をのぼって、店員さんの着替え部屋、職人さんの作業部屋、ひとつひとつ部屋の主のお顔を思い浮かべて、鬼を退治していきます。おたなのひとらが帰らはった後の、静まりかえった古い町屋は、そこ此処に魔がひそんでるようで、じゅらくの壁のしみや廊下のきしみがこころにせまってきて、ふと現実との境がのうなるようなひとときがありました。

中庭に面した母屋の二階の、いつもはめったに立ち入れへん祖父母の寝室へ入ると、あらかじめストーブであったこうしてくれてた部屋に、お香の香りがして、ふだんとはちごた祖父母の生々しい気ぃを感じて、入ったらあかん結界の内側にいるようでした。わたしの寝起きしてた離れと逆から見下ろす中庭は、いつもとちごて、とりすました景色に見えて、そこからしばらく不思議なこころもちで、灯籠の灯をながめてたんをよう覚えてます。

長い内露地を奥に行くほどにあたりは灯が少のうなって、最後に真っ暗なお蔵に豆をまくときは、もう怖ぁて、怖ぁて、扉をあけたとこだけ、無言でぱっぱっぱっとまいて、さっさとみんなのいるお茶の間へ退散してました。ほうほうのていで、お膳につくと、イワシの塩焼きと、ほなが汁が待ってます。

二十四節気の大寒の最後の日ぃ、節分です。冬の節から春の節に移る境目におこなう厄払いの行事で、大晦日の年越しとおんなじような意味合いやとおもいます。前日から煎って、神棚にお供えした豆を自分の年より一つたんとよばれて、それとおんなじ数を半紙に包んでお地蔵さんにお供えします。だいどこではイワシを焼いてその煙で鬼をはらいます。焼いたイワシはお頭をトゲトゲの柊の小枝に刺して、玄関に飾るそうですけど、もちろん商家ではそんなことできしません。

おたなの裏にある母屋には玄関はありますけど、門てゆうほどたいそうなもんやあらしませんし、店先やお庭は立派に見せてても、家族の住むとこはごくごく質素なつくりでした。余談ですけど、四条や寺町、新京極の商家のおもてはみなシャッターで、毎朝学校行くときはがらがらぁとシャッターを上げてました。これがけっこうコツと力のいることで、表通りの商家のお子たちにとっては、普通の扉のついたお玄関はあこがれでしたわ。

ものごころついて、大きなってからは、もうおたなも出てましたし、豆まきはせんようになりました。そのかわり、毎年、吉田神社の「鬼やらい」に出かけて行ってます。夕方頃から、表参道は屋台が建ちならんで、えらい活気があります。なんでも平安のむかし、陰陽師が宮中で「鬼やらい、鬼やらい」と唱えながら、疫鬼を払ぅた名残りの儀式をやったはんのですけど、まぁ、周囲はたんとのひと、ひと、ひとで何をやったはるのかよう分からしまへん。

境内では八角に組まれた大きい火炉がつくられて、わたしらは古い神札を持って行って、燃してもらいます。ひとびとの熱気と一緒になって、浄火は冷たい夜気を揺らして夜空に立ちのぼります。わたしにはその炎が天にとどいて、待ち望んだ春をよんできてくれるように思えます。

昼間には壬生寺でも大きな節分会をしたはります。参拝者は門前で売ってる「ほうらく」に家族の名前と、願い事を書いて奉納します。「ほうらく」ゆうのは土でつくった素焼きのお皿みたいなもんです。四月になると、この「ほうらく」を壬生狂言の中で演者が舞台から、えらいいきおいで落として割っていきます。これを「ほうらく割り」てゆうてますけど、割られることで書いた願い事がかなうそうです。

たまに、縁起がええ言うてこの「ほうらく割り」をお正月にしゃはるお席があるようですけど、ある板前はんが有名なお寺さんの茶会のお料理を任されはった折り、このことをお坊さんにお聞きしたところ、「あんた、長いこと京都にいて、そんなことも知らんのか」とえらい諭されはったそうです。お坊さんが言わはるには、「壬生寺さんの焙烙割りは、京都の節分の仏事や。時期外れやったり、壬生寺さんより先に、なんぼ形だけ焙烙割りしたかて、厄は祓えしまへん」のやそうです。

つらつらと節分会のことを書いてきましたけど、二月に入って最初の午の日に「初午」とゆうて、お稲荷さんのお祭りが行われます。お稲荷さんの初午詣はそらもうぎょうさんのひとで溢れてます。もしかしたら、節分より、こっちの方がわたしらには身近な行事かもしれまへん。

初午詣の賑わいは平安のむかしから続いてるそうで、清少納言はんも「枕草子」の中で参道を登るしんどさを嘆いたはります。清少納言はんが疲れてぐったりしたはる横で、七度詣をする元気なご婦人がやはったり、「今昔物語」ではふらちな殿方が、今でゆうとこのナンパしたら、自分の女房やったゆう笑い話があったり、 今と変わらへん賑わいが書かれてて、古の時代が身近に感じられますわ。そうそう、お稲荷さんゆうたら、縁起物の「しるしの杉」が有名ですけど、こんなお歌もあります。


きさらぎや

けふ初午の しるしとて

稲荷の杉は もとつ葉もなし

( 新撰六帖 光俊朝臣)


初午に詣でたしるしとして、みんなが杉の葉ぁををとっていってしまうさかい、お稲荷さんの杉はすっかり葉がのうなってしもうた」と歌たはります。むかしもお稲荷さんは庶民に一番人気のあった社やったんですねぇ。

この日ぃは帰ると「いなり寿司」と「かす汁」、「はたけ菜の辛子あえ」と決まってます。いなり寿司は「おいなりさん」てゆうてますけど、お薦めは左京の中村屋さんですなぁ。小ぶりで中はご飯と黒ごまだけです。冬の野菜で欠かせへんのが「はたけ菜」、ゆがくと独特の辛味が出ます。


如月は節分に始まり、梅花祭に終わります。節分も過ぎて、二月も半ばになりますと、ぼちぼち梅の花が咲く頃です。身を切るような寒さのなか、凛と咲く梅の花を見てたら、すぐそこまで来ている春の気配を感じます。枝にのこる雪に混じって咲く梅花の香りは清ぅて、その姿は気品にあふれてます。

「梅あって雪なきはこころならず」ゆう言葉があるそうですけど、冬の名残をのこすだけ、よけ春の訪れにこころ浮き立つ景色ですねぇ。天神さんの梅の花は、節分が済んだ頃からぼちぼち咲きますけど、今年はどうですやろねぇ。わたしのお気に入りは、本殿入り口ちかくの「緑咢」という名ぁの白梅です。がくの部分がみどり色で、うすみどりを帯びた白い花びらや、ふっくらとしたつぼみは何とも美しゅうて、趣があります。

梅ゆうたらお約束です。お茶のお稽古によせてもうてる庵の庭には、毎年この時期、天神さんからウグイスが遊びにきて「ほう〜ほけきょ」とかいらしい声で鳴いてくれます。あの声を聞きますと、ほんまにほっとしますわ。知らずしらずの内に、冬の寒さに気ぃはってたんやなぁて、はじめて分かります。


東風吹かば 

にほひおこせよ 梅の花 

あるじなしとて 春を忘るな

(菅原道真)


管公はん、古都の梅は今でもちゃんと春を忘れてまへん。
どうぞ、はるか西国で香りをたのしんでください。


記:修学院 式

壬生狂言:4月と10月に壬生寺で演じられる無言劇。
おいなりさん:伏見稲荷大社、稲荷神社の総本宮
梅花祭:菅公の祥月命日に北野天満宮で行われる祭。

■修学院 式
京都香梅会 会主。京都精華大学 非常勤講師。
京人形の老舗「田中彌」で外孫として育ちました。京都大学農学部造園教室にて日本庭園を学び、現在「京都香梅会」会主として、京の伝統をご紹介させてもうてます。西陣の文化サロン「京都粋伝庵」にて、茶の湯に精進の日々です。

京都香梅会 http://www.ko-bai.jp
京都粋伝庵 http://wabisabi.jp/suiden-ann/
田中彌 http://www.kyoto-wel.com/shop/S81010/


写真撮影:星野佑佳 "京都発 地球のうえ"資料写真提供
写真撮影:川崎秀典 "京都観光文化写真集 フォト京都.com"資料写真提供


すべての著作権は毎日放送に帰属します。記事・写真の一切の転用を禁じます。 Copyright©1995-2009, Mainichi Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.