いつきの祭



今宮祭 行列の牛車
地域的な祭で本物の牛車が
使われるのは珍しい

あぶり餅(今宮神社前)



斎王代 上賀茂神社

葵祭前儀式の御蔭祭での葵の葉




京ことばピックアップ
ほうぼうの あちこちの
いごき 動き
ねき 近く
おいこと、おいこと とっても多い
よばれます 頂きます
五月の京は神さんの月です。ほうぼうの神社さんでお祭りをしゃはります。わたしにとって一番身近な神社さんは祇園さんになりますさかい、あまりよそのお祭りは詳しゅうないんですけど、今宮さんのお祭りなんかは、お神輿がお茶の庵のすぐねきを通らはんので、お囃子がよう聞こえてきます。

去年はお茶室でお稽古してて、お湯をわかすお釜の「しゅう」てゆう静寂な音にまじって、神輿行列のお囃子が大きなったり、小さなったり..。なんや半分、この世やないような不思議な感じがしました。

お茶の庵の主人がちいさい頃は、「お旅」での縁日で屋台をはしごするのが楽しみやったそうです。お囃子の調子はちごてますけど、中京の町衆の祇園祭のようなもんでっしゃろか。今々、着物をお召しになるお人もすくのなって、西陣は機織りの音も聞こえへんようになって寂しいことですけど、この日ばかりは小さい男の子がそこらへんを走りまわってにぎやかなことです。

わたしら中京で育ったもんから見ると、西陣のお子はなんや、やんちゃなかんじがします。中京がとりすましてんのかも知れまへんけど、西陣は職人の町ですさかい、一本すじの通った、ちょっと無骨なとこがあんのかも知れまへん。誇り高い職人の町と、気位高い商家の町、洛中にもそれぞれの気配があって、お祭りにもそれがあらわれてるようにも思います。

今宮さんの参道には、「あぶり餅」の店が二軒向かいおうてます。「一和」さんと「かざりや」さんていいますけど、おばちゃんの客引き合戦がなかなか見てて楽しいことです。どちらもお餅にきなこを混ぜた白味噌で、それはもう絶品ですけど、お味は微妙にちごてて、ごひいきが分かれるとこです。わたしは..、「かざりや」派ですなぁ。

神社さんのねきにはたいてい甘党のおたながあって、上賀茂さんやと「焼餅」、下鴨さんやと「みたらし団子」とゆうことになります。みたらし団子は下鴨さんが発祥の地やそうで、境内の「御手洗池」にうかび上がる泡をあらわしているそうです。お詣りの帰りに腰をおろして、おしゃべりしながらお餅やお団子をよばれるのは、めったに外でふらふらできひんかった昔のおなごさんには、唯一の気晴らしやったんやろうとおもいます。それも、厄除けの「なほらひ」としての意味もありますさかい、神事と兼ねて、心おきのぅ羽を伸ばされてたんでしょうねぇ。

「なほらひ」てゆうのは、神事のあとにお供えしたおさがりを皆でよばれることで、そのことで神さんのお力を分けていただく大切な儀式です。仏さんでも同じようなもんで、買うてきたお菓子はまずおぶったんにお供えしてからよばれます。わたしらが小さい頃は、そうやってお菓子を頂く前に、「まんまんちゃん、あん」したかって祖母によう叱られました。なんやへんな呪文みたいですけど、「まんまんちゃん」が仏さんで、「あん」が合掌してお祈りするとゆう意味やて教えられました。

そうゆうたら親戚のお家に上がらせてもらうと、仏間にそそくさと急いだもんです。おぶったんの前にちんと座って手ぇを合わせてますと、「ようできて、感心感心」たら褒められて、お菓子にありつけるてゆう寸法です。

西陣から寺の内をぬけて、堀川を東に渡って小川通りをちょっと上がると、表さんとお裏さんが隣りおぅたはります。御霊神社のお祭りでは、お家元の門前で、お子たちがはっぴ姿で元気に神輿をかついで、この日ばかりはちょっと厳めしい兜門の表情もこころなしか緩んでみえますねぇ。

端午の節供、五月は男の子たちのお祝いです。菖蒲をあしろうた兜を飾ってもうて、ちまきをよばれて、菖蒲湯に浸かって..、あっ、考えたらそれだけでしたなぁ。お雛さんのはんなりした景色とはちごて、大将さんのお人形も地味ゆうたら地味ですし、鯉のぼりもあんまり見かけしまへん。やっぱり京都はおなごはんの町なんかも知れまへんなぁ。

お茶ゆうたら、五月からは冬の暖かみのある炉から、風炉ゆうて、夏の涼しげなお点前に変わります。わたしなどがえらそにゆうことやあらしまへんけど、お茶はお点前云々よりも、うつろう季節を味わえるのが何より楽しいことに思えますわ。この日のお裏さんのお床では「神」と一文字かかれたお軸が掛けられるんやそうです。きっと、葵祭を敬うたはんのでしょうねぇ。

五月は他にもたんとお祭りはありますけど、なんとゆうても葵祭が有名です。平安の衣装を纏うた行列が、ゆっくり都大路をすすむ景色は雅なもんです。斎王代はじめ女人列のはんなりとした様やうつくしい御所車の造作に平安のむかしの華やかさがしのばれます。

ただ、見物のおひとのおいこと、おいこと..、昔に通てた高校が御所に面してたんで、当時は見るとものぅ横目で見てたんですけど、いざ今、ええとこでちゃんと見ようと思たら一苦労ですわ。ゆうても、このお祭り、平安のむかしからえらい混みおぅてたみたいで、源氏物語に葵の上と六条御息所の車が場所を取りおぅたんは有名なくだりですねぇ。

葵祭の華は斎王代です。祇園祭のお稚児さんとおんなじように、このお役を勤めるのはお家にとってえらい名誉なことなんやとおもいます。「斎」ゆう字ぃは神さんに仕えるゆう意味で、「いつき」と読みます。斎王は賀茂神社に巫女として遣わされはった内親王のことで、わたしの大好きな平安の歌人、式子内親王もそのひとりです。


ほととぎす 

そのかみ山の 旅枕 

ほのかたらいし 空ぞわすれぬ

(式子内親王)

斎王は葵祭の前の日ぃに賀茂神社の北にある神山に籠らはったそうです。お祭りの当日の、暁のひとときを思い出したはるお歌ですけど、朝を迎えてほのかたらはったんは、ほととぎすだけやったんでしょうか。神さんへの神聖なお役目からもれいづる、おなごはんらしい心のいごきが、このお方のお歌の魅力です。


神山の

ふもとになれし あふい草

ひき分かれてぞ 年はへにけり

(式子内親王)

このお祭りは賀茂祭てゆうのが正式なんやとおもいますけど、たいていは葵祭てゆうてます。御所車や勅使の衣冠に、神山から取ってきた葵の葉ぁを飾ったんがこの名の由来やそうです。親王さんはご病気で斎王をやめはってから、御阿礼(みあれ)の日ぃになつかしい景色を見にもどってきはったんでしょう。慣れ親しんだ賀茂神社での暮らしを離れたさみしい気持ちを、摘まれる葵の草にかさねて詠たはります。葵は「あふひ」と書いて、逢う日とも読めます。むかしはきっとこのお祭り、しのぶ恋の逢瀬の場にもなってたんちゃいますやろか。

御阿礼(みあれ)は神さんがおいやすお山にお迎えにあがる神事と聞いてます。長い歴史で一度も公開されたことのない秘儀なんやそうです。京都はまわりを山々でかこまれてて、洛中から見あげますと稜線のむこうはいかにも人の立ち入られへんとこです。天上から神さんは雨にならはって、山に降りて草木を育て、賀茂神社の御手洗川から賀茂川へと姿を変えて、やがて、田畑をうるおして作物を恵んでくれはります。京都が平安京を名乗るずっとまえから、神さんはこの土地を見守ってくださってます。

記:修学院 式

今宮さん:今宮神社
お旅:お旅所のこと、お祭りの間、神さんの滞在しはる場所です
表さんとお裏さん: 表千家と裏千家
賀茂神社:上賀茂、下鴨、両神社の総称
■修学院 式
京都香梅会 会主。京都精華大学 非常勤講師。
京人形の老舗「田中彌」で外孫として育ちました。京都大学農学部造園教室にて日本庭園を学び、現在「京都香梅会」会主として、京の伝統をご紹介させてもうてます。西陣の文化サロン「京都粋伝庵」にて、茶の湯に精進の日々です。

京都香梅会 http://www.ko-bai.jp
京都粋伝庵 http://wabisabi.jp/suiden-ann/
田中彌 http://www.kyoto-wel.com/shop/S81010/


写真撮影:星野佑佳 "京都発 地球のうえ"資料写真提供


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