「晩火」〜 夏の終わりを飾る炎 〜
猛暑続きだった夏も終わりに近づいてきました。まだまだ残暑は厳しいですが、夕方にはトンボの群れを見かけたり、夜には涼しげな虫の音も聞こえてきます。少しずつ、秋が近づいているんですね。
京都の8月といえば、六道珍皇寺や千本えんま堂・千本釈迦堂などの六道参り・お精霊迎えから始まり、万灯会(醍醐寺、六波羅密寺、壬生寺、東大谷・・・)と続き、16日の「五山の送り火」まで、あちこちで様々なお盆行事が行われ、「灯り」で彩られた夜の京都が楽しめる、「京都マニア」にはお薦めのシーズンです。
生者亡者が賑わうお盆が過ぎても、今度はお地蔵さんの縁日である24日を中心に六地蔵めぐり・千灯供養とまだまだ明かりは灯り続けます。
この頃、郊外・・・いわゆる北山とよばれる山里では、「松上げ」が行われます。「松上げ」って、ご覧になったことありますか?
愛宕の神様に火を献じて、火除け・五穀豊穣を願う「松上げ」は、若狭の小浜から京都の愛宕山へ向う道程の、名田庄村、花背、広河原、久多、小塩、雲ヶ畑などで行われます。
「松上げ」は、高さ10m〜20m余りもある柱松(トロギ)のてっぺんに付けられた籠(モジ)に向って、下から運動会の玉入れの如く、手松明(上げ松)を次々に投げ上げていき、松明の入ったモジが勢いよく燃え上がると、トロギを支えていた綱を切り、松柱を豪快にバターンと倒す・・・という勇壮な火祭。
普段は静かな山里が人で溢れ、オレンジ色の小さな火の玉が次々と夜空を飛び交い、最後には大きな炎となって燃え上がる光景を見た帰り道、俗世との結界のような峠を越えながら、真っ暗な山道を、一人、車でひた走っていると「あれはホンマのことやったんかな?」「このまま走ってて、ほんまにうちに着くんかな?」と、長い夢を見ているような、狐につままれているような錯覚に陥ります。
花背の松上げ
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ついでといってはなんですが、松上げ発祥の源といわれる愛宕信仰についても、少し触れておきますね。
標高924m。比叡山より高く、京都市内でも最高峰の霊山、愛宕山。
愛宕信仰は、山伏によって全国に広められ、山頂の愛宕神社は、全国に900社以上あるといわれる愛宕社の本社となっています。7月31日の夜から8月1日の朝に参ると千日分の火伏せ・防火のご利益を授かるといわれ、その日は一晩中、何百人もの人々が、ひっきりなしに登る「千日詣」でも有名ですね。私も何回か参ってます。登るのはかなりキツイですが、早朝、下りる時の清々しさは気持ちよいものです。この愛宕信仰から、無数の火祭が全国各地に生まれたとか。松上げもその一つとされています。また愛宕信仰は、地蔵信仰とも深くつながっていて、松上げが24日頃に行われるのも、その影響なのかもしれません。
広河原では松上げの一週間前に、近くの峠に祀られているお地蔵さんを、わざわざ村の観音堂に移すそうです。
(注:花背の松上げは、近年、帰省時期に合わせて、15日に行っています。)
さて、松上げといえば「花背の松上げ」が有名で、私も最初に行ったのは花背でした。
松上げが行われる地域の中では、京都市内中心部から近い方ですが、それでも車で1時間ほどかかります。にも関わらず、最近では、鑑賞ツアーなどが増え、かなりの観光客が押し寄せるようになりました。
確かに、私が見た幾つかの松上げの中でも、花背の松上げには、洗練された美しさがあります。見物客は、川を隔てた車道から、少し見下ろすようなアングルで、行事を一望できるし、眼下に横たわる川面に炎が映りこむ様子は幻想的で絵になります。
昨年、初めて訪れた「小塩の松上げ」では、まだまだ手作り感覚の良さを味わえました。道沿いにずらりと吊るされた空缶に灯された火がユラユラゆれて、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。
ここでは松上げの行われる広場へ小さな橋を渡って行くのですが、昔、女性は橋から先へは入れなかったそうです。
地元のおばさんからその話を聞いた私、ずっと橋を渡るのを遠慮していたのですが、いよいよ松上げが始まる時間が近づくと、女の人も、男の人も、どんどん橋を渡って行きます。「昔」を知っているはずのおばあさんも、躊躇することなく橋を渡っていきます。
「あれ???」
思いきって、村の男性に聞いてみると、「昔はそうだったかもしれないが、今は関係ない」とのお答え。
慌てて、橋を渡り、広場の近くへ。すでに沢山の人が広場を囲んで、松上げの開始を今か今かと待ち構えています。おじいちゃん、おばあちゃんは、椅子まで持参して腰を据えています。 なーんだ。
「雲ケ畑の松上げ」は、ちょっと変わっていました。
他の松上げが、運動会の玉入れのようなスタイルなのに対し、雲ケ畑では、山に火文字を浮かび上がらせます。
遠くから眺めていると、松上げというより、五山の送り火に似ています。
雲ヶ畑では、二つの集落がそれぞれ別の山に、ほぼ同時刻に点火。出谷町の火文字は福蔵院から、中畑町のは高雲寺から見ることができます。両寺間には徒歩15分ほどの距離があり、大急ぎで移動すれば、両方見るのも可能ですが、ちょっと慌しいかな。
火文字作りを任されている村の青年達(昔は長男限定だったとか)は、昼から準備をし、点火後、松明を持って山を駆け下り、皆が集まっているお寺に走りこみます。その松明で焚き火をおこし、串に刺したスルメをあぶり、お酒と一緒に村の人達へ振舞います。
雲ヶ畑の松上げの目玉ともいえる火文字は、毎年変わり、どんな文字になるかは、点火されるまで秘密。
昨年の文字は、「心」と「士」でした。
「ふたつ合わせて『志』なんて、素敵ですね」と、村の方に話すと、「単なる偶然」だとか。
村同士で打ち合わせなどは、しないそうです。
あらら、ちょっと感動したのに。
ここ何十年分の献火文字一覧表を見ると、今までに使われた文字がわかります。天・上・正・全・京・光・生・吉など、縁起の良さそうな文字ばかりです。そうそう、「大」っていう字もありました。
火文字にするのが可能な形で、かつ、重複しないように文字を選ぶのは、けっこう大変だとか・・・今年はどんな文字が作られるのでしょう?
久多の松上げには、残念ながらまだ行った事がありません。
久多では、この時期、松上げだけでなく「花笠踊」が行われます。他の地域に比べて小規模な松上げより、むしろ、花笠踊の方が有名かもしれません。お盆が過ぎると、松上げの準備や、花笠用に和紙の花束を作らなければならないので、大忙しだそうです。
車社会の今では、観光客も少なくはないものの、「昔は市内の寄り合いに行くのに、片道を1日かけて歩き、市内で一泊し、また1日歩いて帰る。3日がかりだった。」という久多をはじめ、市内からはけっこう離れている松上げの地。
ずっと長い間、地元の方しか見ることのできなかったであろう、山間で守り継がれてきた伝統に、浮世を忘れて浸ってみませんか?
参考)佛大通信Vol 396 八木透先生の「丹波と若狭の松明行事」
文・写真:星野 佑佳
■星野 佑佳(ほしの ゆか)
京都市生まれ、在住の女性カメラマン。エッセイニスト。
2000年、海外放浪の撮影旅に出、帰国後自然風景や旅風景を求め、日本全国を旅しながら撮影。桜を追いかけて全国を旅する女性カメラマンとして、TBS系のTV番組に出演。2005年頃から再び、地元である京都の風景や行事を中心に撮影、現在に至る。
2007年度クラレ社の企業カレンダー(B3サイズ14枚)
JR北海道 2007年春の海峡物語キャンペーンポスター(2007年4月著) ほか
夢は「今までの旅で撮影した写真をフォトエッセイ集としてシリーズで出版すること」
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