福は〜うち! 

京都の2月のメイン行事といえば、やっぱり節分。
立春前日の節分は、暦のうえではほとんど春といえども、一年で一番寒い時期です。
「鬼のパンツは縞々パンツ〜」 おとぎ話の鬼は虎縞の腰巻一丁ですが、京都の節分では、案外たくさん着込んでいる鬼もみかけます。
あれれ?と思い返してみると、「わるい鬼」は、赤や黄、青などの単色の肌に虎のパンツだけ、「いい鬼」はきちんと服を着ている気が・・・ちょっと調べてみました。
ごめんなさい。
「いい鬼」には「方相氏」という立派な名称があり、悪鬼を祓う鬼神(または大舎人・大男)だそうです。方相氏は吉田神社や平安神宮の節分祭で登場しますが、見た目はちょっと違います。平安神宮の方相氏は、黒髪にのっぺりとした白い顔、歯はみせなくて、角も見当たりません。神職さんが履く黒塗りの靴「浅沓(あさぐつ)」で歩く姿はお公家風のもの静かな感じがします。
ところが吉田神社の方相氏は白いざんばら髪の真ん中に金色の角があるし、顔は真っ赤で金色の牙が剥き出し、高下駄をはいた様子は威厳を見せながらも、どこか番長風な猛々しさが。共通点はトレードマークの「金色の四つ目」と、上等そうな衣装を着こなし、矛と盾で悪鬼を追い払うところ。後ろには親衛隊のようなお稚児さん達が続きます。個人的には吉田神社の方相氏の方が節分らしく「正義の味方の鬼」っぽく感じるせいか、毎年必ず会いに行きますね。
毎年お目にかかれるのには、スケジュール的な理由もあります。
平安神宮をはじめ、ほとんどの寺社が3日の午後1時〜3時頃に追儺式を行うなか、吉田神社の追儺式だけは2月2日の節分前夜に行われるんです。
追儺式では世の中の災いの象徴である3匹の鬼(赤は怒り、青は悲しみ、黄色は苦悩を表しているのだとか)が夜を迎えた境内で暴れまわり、それを方相氏がやっつけます。
本殿前で方相氏に追いやられた鬼達は、露店の並ぶ山道へ逃げ込み、最後は大元宮に追い詰められて退治されます。・・・とここまでが表舞台。
実はその後、方相氏を先頭に、退治された鬼達や地元の人達はさらに山を登って、竹中稲荷まで行き、最後はみんなで記念撮影します。(笑)
鬼も人間も仲良くするのが一番ですね。
ところで京都の節分祭で一番盛大なのが、ここ「吉田神社」なんです。 節分には普段非公開の大元宮が開放されるのですが、ここに全国の神様が集まるといわれています。すごいでしょ。沢山の参拝客で賑わう八角形の社殿前には、氏子の長老さんが「これが大事なんや」といわれる「厄塚」が節分の間だけ置かれ、これに触れると穢れが祓われるそうです。
藁に包まれた柱風の厄塚は、一見「鈴緒」(神社の鈴を鳴らす時の綱)に似ているので、間違えて厄塚ごと振ろうとする参拝客もちらほら。子供の頃はそれを見ながら、「あ、あの人も間違えた!」とのん気に笑っていたんですが、厄塚は注連縄で社殿と繋がっているので、強く揺らすと危ないそうです。ご注意を。
吉田節分祭のクライマックスは、3日の夜中11時から行われる「火炉祭」です。そろそろ終バスの時間が迫る頃ですが、境内一帯は「おしくら饅頭」並みの混みようです。
古いお札やお守りが積み上げられた八角柱型の火炉は、高さが5メートル、直径も5メートルあり、これが一気に燃え上がるのですから、ものすごい火力です。これに当たると一年間無病息災でいられるそうですが、近づきすぎると、むしろ火傷しそうなほど熱い熱い。子供心に身の危険を感じたのを覚えています。
そう、実は私、小さい頃は吉田山のすぐ麓に住んでいて、「節分=吉田神社」はお約束でした。吉田神社の参道が通学路だったのですが、節分祭には東一条から吉田神社までの参道にずらりと露店が並び、夕方には混雑して危なくなるため、なんと小学校は午前中でおしまい。でも、帰宅後、学校で決められたお小遣いを持って、みんなでお祭に行くんですけどね(笑)
当時は夜の追儺式には興味がなくて、もっぱら露店でくじを引いたり、買い食いしたりがせいぜいでした。鬼が暴れていたのもうっすらと覚えていますが、それよりなにより、みたらし団子やたこ焼きでしたね。罰当たりな子供です。
もう少し大人になると、今度のお目当ては吉田神社から徒歩10分程にある須賀神社の懸想文。これを箪笥に入れておくと良縁に恵まれるとか、衣装に困らない等の言い伝えがある節分限定のお守で、覆面烏帽子姿の怪しげな男性が売っています。中身は去年の干支から今年の干支にむけてのラブレターで、それぞれの干支にちなんだ名前が使われています。例えば、比古さん、由紀さん、春さんという具合。
もっともこれを知ったのは、京都の行事を撮り始めた最近のこと。青春真っ盛りだった私は、「縁結び効果があるらしい」だけで購入、中身を気にすることもなく、即、タンスの中へ。懸想文の有効期限は一年間ですが、面倒くさがりの私はそのまま放置。かくして10年分程の貴重な懸想文が、我が家のどこかに保管される結果となりました。ずぼらな性格もたまには役に立つものです。
さあ、宝探しみたいにタンスを引っくり返して、昔の懸想文を集めてみました。干支は12年周期ですが、ラブレターの文章は毎年違うというので、早速確認。源氏物語のような和文が連なり、完読する気にはならなかったのですが・・・
・・・すごい事実が判明しました。なんと、そこには究極の三角関係が繰り広げられていたのです。懸想文の干支から干支への恋文という形式を考えると、当り前なんですが・・・こんな風になっています。

太郎さんは、緋美さんが好き。
美さんは、比古さんが好き。
比古さんは、遊喜さんが好き。
遊喜さんは、春さんが好き。

未来永劫、彼らの恋が実を結ぶことはなさそうですね。
ちなみに私の節分フルコース〜吉田神社編は、熊野神社で八つ橋のお接待(2〜3日、参拝者にお茶とおたべがふるまわれます)→ 聖護院で甘酒のお接待(3日のみ。生姜がたっぷり入っていて美味しい)→ 須賀神社で懸想文を買って→ 吉田神社にお参り(節分限定のくちなし色のお札とくじ付福豆を買う)→ 参道の露店巡り 
オプションとして、その後、花街(祇園方面)へ「お化け」を見に行く・・・といったところでしょうか。
鬼じゃなくてお化け? 節分の花街では芸妓さん達が仮装をしてお座敷にでます。これをお化けと呼んでいるんですが、「桃太郎」や「怪盗五右衛門」みたいにコミカルなものから、「鷺娘」「赤髪のしゃぐま」などのビジュアル系まで、かなり趣向がこらされています。
お座敷に縁がなくても大丈夫。夕方から深夜にかけて花街を歩いていると、移動中のお化けに会えるかもしれません。
最近ではお化けに変身する一般人も増え、花街のタバコ屋さんの前でダースベイダーとデビルマンに会いました。私はこっちの方が好みかなあ。
今回は京都の節分〜吉田神社編をご紹介しましたが、まだまだ他にも見応えある節分行事が沢山あって毎年大忙し。無事、立春を迎えるとヤレヤレ一息。梅の花が咲くまでは、おこたでゆっくりできそうです。

文・写真:星野 佑佳

■星野 佑佳(ほしの ゆか)
京都市生まれ、在住の女性フォトエッセイスト
00年 海外放浪の撮影旅へ出発、帰国後自然風景を求め、日本全国を旅しながら撮影。
05年頃から、旅のかたわら、地元である京都の風景や歳時記を撮影、現在に至る。
夢は「旅の風景写真や京都の写真を、フォトエッセイ集としてシリーズで出版すること」
ホームページ『京都発 地球のうえ 〜 旅の風景写真&京都の写真集』主催。

写真を担当した一般書に「京都12ヶ月 年中行事の楽しみ方」(ダイヤモンド社)、「京暦365日」(らくたび文庫ワイド版)、「旧暦びより」(コトコト社)、「京の茶の湯遊び」(らくたび文庫)等がある。
また、全国の風景写真を企業カレンダーやポスターに提供している。


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