さらば、鬼軍曹!日本プロレスや新日本で活躍し、引退後は解説でも人気を集めた元プロレスラーで新日本顧問の山本小鉄(やまもと・こてつ、本名勝=まさる)氏が28日午前6時42分、低酸素性脳症のため長野県軽井沢町の病院で死去した。68歳だった。通夜は9月2日、葬儀・告別式は3日に都内で、遺族の意向により近親者と関係者のみで行われる。喪主は妻ミツ子(みつこ)さん。
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突然の悲報だった。関係者によれば、山本さんは妻や長女、孫と夏休み恒例の軽井沢旅行に出かけていたが、ノドの不調を感じて24日に軽井沢の病院に入院。28日に容体が急変して亡くなった。数カ月前にもノドの不調を訴えており、先週から体調を崩していたという。
山本さんは引退後も道場に愛車キャデラックで乗り付けて練習するのが日課で、現役時代と変わらぬ肉体を保持。08年12月18日、昭和プロレスの後楽園大会で星野勘太郎との名タッグ「ヤマハ・ブラザーズ」を復活させ、グレート小鹿、ザ・グレート・カブキ組と10分間を戦い抜くなど、衰え知らずの存在だった。
近年はCS放送のJスポーツで解説者を務め、今月もG1クライマックスの12日・仙台大会と14日・両国大会をリングサイドで解説し、ファンに元気な姿を見せたばかり。15日の両国大会にも来場していた。
プロレスにささげた生涯だった。20代は日本プロレスで故力道山に師事。ヤマハ・ブラザーズで本場・米国マットを席巻し、シングルでは69年のワールド・リーグ戦でWWWF(現WWE)のスーパースター、故ゴリラ・モンスーンから大金星を挙げたこともある。
72年にはアントニオ猪木が旗揚げした新日本に木戸修、藤波辰巳(現・辰爾)、ユセフ・トルコと参加。80年に引退後は道場の鬼軍曹として、前田日明や闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)らを育て上げた。
また、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」では、解説者として当時、局アナだった古舘伊知郎との絶妙なコンビネーションを披露し、人気を集めた。プロレスに関する書籍も多数執筆し、プロレスの現状についても積極的な提言を続けるなど、マット界のご意見番として一目置かれていた。
今年5月24日には、全日本などで活躍したラッシャー木村さんが亡くなったばかり。昭和プロレスの盟友がまた1人、天国に旅立った。