購買力平価ベースだと(人民元の対ドル・レートは購買力平価に比べると過小評価になっているので)、とっくの昔に追い抜かれているのだけれども、名目為替レートを用いたベースでも、今年の4−6月期にGDPの額で日本は中国に追い抜かれたらしい(図のデータは、IMFのWorld Economic Outlookによる。2009年度と2010年度の数字は推定値)。このことに象徴される国際経済環境の大きな変化に対応できていないことが、日本経済が長期にわたって低迷を余儀なくされている基本的背景だと考えられる。

JPN-China

このことは、私だけが勝手にいっていることではない。例えば、ケネス・ロゴフ(ハーバード大学教授)は、ダイヤモンド・オンラインのインタビューに答えて、

まず、日本経済がなぜ今のような停滞に陥ったのか、もう一度きちんと考えるところから始めるべきだろう。金融危機のせいにするのは簡単だが、それは間違いだ。

私は、大きな原因のひとつは、中国の成長をうまく生かせなかった点にあると思う。それどころか、中国の台頭で、世界経済における日本のグラビティ(引力)が下がってしまった。要するに、新たに中国を中心に加えて回りだした世界経済において、日本は敗者となってしまっているのである。

と述べている。ロゴフ教授は、同じインタビューの中で国債管理政策や金融政策のあり方についてもアドバイスしているが、忘れずにより本質的な停滞の原因を指摘している(注)。

(注)因みに、ラインハートとロゴフの著書 This Time is Different の中にも、日本の景気後退が長期化している原因に関して“not only to its financial collapse but also to the need to reorient its economy in light of China's rise”というインタビューでの答えと全く同種の記述がみられる。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソ連邦が崩壊する。これ以前と以後では、世界の経済環境は大きく変わった。冷戦下で、ある意味で日本経済は最も利益を受けていた。それゆえ、冷戦の終了に伴って日本経済は最も大きなダメージを受けることになった。同時期に多くの新興工業国が立ち上がってきた。そのことは、とくに東アジアでは顕著だった。しかし、バブル経済の崩壊という国内事情に関心を奪われて、国際環境の変化に対する感度は鈍く、対応の必要性についての認識も希薄なままだった。

しかし、日本人が現実をみていなかったからといって、現実の変化が止まるわけではない。1990年代と2000年代に、1970年代と1980年代に日本が米国を追い上げたのと比類できるような追い上げを日本は、中国や韓国などの新興工業諸国から受けることになった。日本の追い上げによって1980年代の米国は困難な状況に陥り、国内経済の空洞化の危機に直面する。けれども、米国経済は産業構造の高度化を実現することによって、1990年代以降、復活する。その米国ですら、いまなお新興国との競合で雇用を脅かされている。

換言すると、2010年代以降、日本経済が復活するためには、産業構造の高度化が不可欠である。産業構造の高度化には、スクラップとビルドの両方が必要になる。スクラップとは、もはや中国や韓国に譲った方がよい産業分野から撤退することである。それは、例えば、町工場で中小企業が担っているような分野である。町工場に働いている人々には、全く何の非もない。いままで以上にまじめに一生懸命に働いている。しかし、その生活は益々厳しくなっている。そうした人々に撤退を促すような非情なことはできないというのが、これまでの政策対応の基本スタンスだった。

ビルドは、中国や韓国にはまだ追いつけないような知識集約型の産業を立ち上げことである。米国では、マイクロソフト、インテル、アップル、グーグルといった企業が成長した。しかし、勘と経験を重視する日本には、知識集約型産業を支えるだけの(大学その他の)知的基盤が十分には存在していない。

要するに、スクラップもビルドもできていないから、産業構造は一向に高度化しないままである。それゆえ、米国経済のようなタイプの復活は、いまのところの日本経済には全く望めない。日本経済が歩んでいるのは、「日本の人件費も、どんどんアジア化していくという道」でしかないように思われる。アジア諸国に追いつかれ、その中に埋没していくということだろう。