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[12791] 【ネタ】 銀の雨ふるふる 異世界トリップ 主人公TS 【完結】【外伝更新】
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/28 13:53

 前書き
 
 IFルート 『もしもあきのお相手がラッセンディル以外だったら?』
 
 このお話は本編第07話からの分岐となります。
 この場合『聖女あき』は存在しなくなりますね。登場人物たちもかなり変わってくると思いますし、小市民的なお話になります。
 それともう最初っから女性化させておきましょう。

 『銀の月につながるのは本編の方です』
 こっちはあくまでIFルートですから……。



[12791] 第1話 「落とし穴? トラップ? 異世界にご招待」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/08/28 14:02
 香月秋彦とコーデリアの冒険ものです。
 
 主人公はかなり強くなります。
 女性化もしてしまいます。
 魔法も出てきます。
 ハーレムにはならないかもしれませんが、なんたって主人公が女性になります。





 銀の雨ふるふる。

 プロローグ 香月秋彦の「恋」


 ―――小学五年の冬。
 そいつは突然、俺の視界に飛び込んできた。
 長い髪。
 綺麗な眼。
 真っ白な服。
 吹雪の中、彼女の周りだけ光が差しているかのように輝いている。
 どれくらい、そこで眺めていたのだろうか?
 立ち竦んでいた俺に彼女が笑いかけた時には体はすっかり冷たくなっていた。
 話しかけられたとき、何をどう話したのか、まったく覚えていない。
 しかし彼女の名前だけはしっかりと記憶されていた。
 ――夏恋。
 桜井夏恋。
 夏の恋と書いて夏恋と言っていた。
 今ならボケや突っ込みの1つも言っただろうが、その時の俺はただ頷いていたと思う。
 ただ夢中になって彼女と話していたようにも思える。
 楽しい時間はすぐに尽きて彼女は家族に呼ばれ去っていった。
 それからどうやって家に戻ったのか覚えていない。
 もう一度会いたい。
 それだけを思い続け……。
 他の事は頭から消え去っていた。
 これが俺の初恋で、彼女が俺の初恋の相手だった。


 鳴神秋彦から香月秋彦に名前が変わった。
 単純に生まれた家を追い出されて香月家の養子になっただけだ。
 もともと俺と鳴神家と関係は巧くいってなかった。
 俺は鳴神家の人間が嫌いだったし鳴神家では俺は嫌われていた。
 まだ幼い頃には嫌われているのが辛くて気を引こうとしていたが巧くはいかなかった。
 家の中では姉や妹に貶され罵られてきた。親も祖父母も味方ではなかった。
 そんな俺だったが、彼女――桜井夏恋――と出会ってからは、鳴神家の事も家族の事も頭から消え去ったようになっていた。
 恋は盲目とはよく言ったもんだ。
 だから鳴神家から香月家に養子に出された事も気にならなかった。
 これが海外に行くというのならまた話は違うのだろうが……それに……ここが大事な所だが、香月家の近くには……彼女が――桜井夏恋――が住んでいた。
 その事に気づいた時、養子に出された事さえ何か運命のようにも思えた。
 夏恋と再会した俺は彼女の通う――古流剣術――の道場に毎日通った。
 その頃の俺は真面目だった。
 夏恋に良い所を見せるべく剣術の修行に一生懸命だった!!
 その甲斐あって全国小学生大会優勝という結果をも手に入れた。
 全ては努力の結果だ。たとえどんなに動機が不純であっても……だ。
 ……ああ、あの時の夏恋の嬉しそうな顔。そして俺もきっと笑っていただろう。
 優勝した頃には俺と夏恋は仲良く一緒に居る様になっていた。
 そんな俺達は中学生になった時に付き合うようになる。
 無論俺から告白した。
 放課後の屋上に呼んで真っ赤な顔になりながらも告白すると夏恋も顔を真っ赤に染めながらOKしてくれた。
 こんなにも巧くいって良いのだろうか? と思うくらいだった。
 もっともそれから後が大変だったが―――。
 なにせ女の子と付き合うのは初めてだったし如何していいのかも分からない。
 それは夏恋も同じだったようで夏恋の部屋で話をしていると不意に言葉に詰まる。
 何を言って良いのか分からなくなる。
 その挙句に俺は夏恋に宿題をしようか? と言ってしまっていた。
 今から思えば馬鹿な事を言ったもんだ。
 あの頃の俺達の付き合い方というのは他の人達とはかなり違っていたと思う。
 毎日、道場で修業してそれから夏恋の部屋で勉強をする。その繰り返しを続けていた。
 そりゃあたまにはデートというものもした。
 映画を見たり、どこかに遊びに行ったりもしたけど……大抵は夏恋の部屋か俺の部屋で勉強をしていたように思う。
 そしてそんな俺達の付き合い方を決定的にしてしまったもの。
 それは中学に入ってから始めての夏休み前、終業式が終わってからの事だ。
 渡された通知表をお互いに見比べるとそこには夏恋が学年一位で俺が二位と記されていた。 確かに毎日勉強してたよ。お互いの部屋で……それぐらいしかしてなかったというべきか?
 通知表を見比べた俺達の顔は真っ青になっていた。
 
 ――――もう後に引けない。

 成績が上の下ぐらいならたいした事は無かったろうが学年一位と二位なら成績が落ちたらすぐに目立つ。そしてその事が付き合っているからだ。と言われてしまうだろう。
 段々と成績が上がっていった訳じゃなく、いきなりトップになったのだから、それが当たり前だと思われてしまった……その事が無言のプレッシャーとして圧し掛かってくる。
 その事が通知表を渡す教師の表情からも窺えた。
 
 だから――もう後には引けなくなった。

 俺と夏恋が付き合っていく為に成績だけは維持していく。
 それが大前提として圧し掛かってきた。
 その上にさらに俺には剣道が残っている。
 全国小学生大会優勝、その経歴から……中学でも剣道部に入っていた。夏恋もだけど……。
 夏恋の両親や祖父さんからも期待されてしまっている。
 これがキツイ。
 キツイなんてもんじゃなかった。
 文武両道なんて言われても実際にやる方には辛いだけだ。
 結果としては俺は中学時代、一度も優勝出来なかった。
 まあ四谷や新橋の二人が居た事も原因だったが、ただでさえあの二人は強くてどっちか一人だけならともかく二人続けてとなるとそこで力尽きてしまう。
 三強といわれながら俺だけが優勝出来なかった。
 中学を卒業する頃には夏恋は疲れ果てていた。
 俺も疲れていたと思う。
 ―――そして夏恋に「別れてください」と言われた。
 そうして俺達の付き合いは終わった。
 ……告白したのは俺からで別れ話をしたのは夏恋からだった。
 高校も違う所に進学した。
 その頃の俺の成績からするともっと上の学校に行くべきだと言われたがどうでも良かった。
 夏恋はいわゆるお嬢様学校といわれるところに進学したそうだ。

 それから一年が過ぎ、俺は夏恋を忘れる為に剣道の練習に打ち込み一年で選手に選ばれ、個人戦で全国優勝をした。それも四谷と新橋の二人を破って……夏恋と付き合っていた頃には勝てなかったのに別れてから勝てるようになったのは皮肉な事だと思う。
 夏恋と別れてからの俺に残っていたものは……。
 それなりに優秀でそこそこ強い自分自身だけだった。
 ……もういい加減に吹っ切ってしまおう。
 もうすぐ――――。

 
 ―――春が来る。
 また新しい季節が巡ってくる。
 1つ学年が上がり、新しいクラスになり、新しい生徒――後輩もやってくる。
 新しい季節には新しい出会いがあるだろう―――。
 新しい恋に出会えるかもしれない。




 第1話 「落とし穴? トラップ? 異世界にご招待」


 ―――ガブッ!
 妙に聞きなれた音と共に左手の指に痛みが走った。
 慌てて振り向くと後輩のぽちが指に噛み付いている。
「だぁ~噛むな!」
 今度はちろちろと口の中で指を舐められた。
「舐めるな!」
「くぅ~ん」
 ぽちは噛み付いていた指を離すと鳴く。
「なんのつもりかね? ぽち」
「それっすよ。秋先輩」
 ぽちは眉を尖らせ両手を腰に当てる。
 いつもの怒ってますよ。のポーズだ。
「なにがだ?」
「そのぽちってやつっすよ。だいたい秋先輩っすよ。ボクの事をぽちって呼び始めたのは」
「ぽちはぽちだろう?」
「なんでぽち、なんすか?」
「いや、なんでと言われても……」
 ぽちこと柏木春菜が剣道部にやってきた時に応対したのは俺だったがその時、なにを動揺したのか、ぽちは「ワンワン」と吠えた。
 本当だ。マジだ。本人は覚えていないようだが…。
 そのことがあってから気になって観察しているとどうもいぬっぽい所が多々見受けられる。
 撫でられると喜ぶ所とかなにやらタオルや人の服の匂いを嗅いでいる所とか……。
「なんでっすか?」
「ぽちはぽちとしか言いようが無いな……」
 いぬっぽいから…と続けそうになって、慌てて口を閉じる。
 するとぽちこと柏木春奈が口を大きく開けて鋭く尖っている犬歯を見せ付けてきた。
「あ~ん。ガブッといきますよ」
「そういう所がぽちと呼ばれる所以なんだが……」
「だいたいっすね、秋先輩がぽちなんて呼び始めたから冬芽先輩やその他の先輩方にもぽちって呼ばれるようになったんすよ。秋先輩の所為っすよ。責任を感じてくださいっす」
「ああわかった。わかった」
 そう言いながら頭を撫でてやるとぽちは気持ち良さそうに眼を閉じる。
 こういうとこがいぬっぽいんだがなぁ……。
「う~ん気持ち良いっす。冬芽先輩と違って秋先輩に撫でられるのは良いもんっす」
 ―――機嫌が直ったのか?
 相変わらずなんと単純な……。
 ―――ガブッ―――
 ぽちの頭を撫でていた左手をまた咬まれた。
「イタッ。咬むな!」
「秋先輩…今、ボクの事を単純だと思ったっすよねぇ~」
 ぽちは咬みつつ上目遣いで睨んでくる。
「――秋先輩、そりゃあボクはいぬっぽいとか小動物みたいだとかよく言われるっすよ…でもだからって単純だと思われるのは心外っす。その辺は気をつけてほしいっす」
「りょ、了解した。だから咬むな」
 ――どうして気付いたのだろうか?
 ぽちは咬むのをやめるとまた擦り寄ってくる。
 頭や頬を擦りつけられているとなにやらマーキングをされているような気分になる。
「――ああ!! 用件を忘れてたっす。秋先輩は今日は暇っすか?」
 上目遣いで見上げながらぽちはなぜかもじもじとしていた。こんなぽちは今まで見た事が無い。こいつはいつも元気ではしゃぎまわっている様な子なのにどうしたのだろうか?
「……悪い。今日は予定があってな。また今度誘ってくれ」
「……じゃあ秋先輩、今度でいいっす」
 そういうとぽちは寂しそうにとぼとぼと肩を落として部室を去っていった。
 ――悪い事したな。だが予定があったのだから仕方が無い。綾姉さんの買い物に付き合う約束をしてたからな。
 綾姉は俺が香月家に来た時いらい仲良くしている……まあ、俺にとっては義理の姉だ。いつも短い髪を揺らして走り回っている印象を持っている。なんと言おうか、黙っていれば美人。口を開くとうるさい。という感じの人だ。
 部室を出てシャワー室で汗を流すとさっぱりとした気分になる。その後はさっさと着替えて剣道の竹刀や防具、それと本身の日本刀に教科書などといった荷物を片手に家路を急ぐ。
 校庭では運動部の連中が部活をしているらしく掛け声が聞こえている。
 校門の前にはまだ人も多く残っているようだ。人波を縫うようにして学校を後にした。
 時計を見ると午後四時、いつもより早いこの時間に俺が帰るのは珍しい。自分でもなにか不思議な気になる。
 空もまだ青く。いつもとは違う事を主張しているかのように陽の光が輝いていた。
 
 バス停には、やはりいつもとは違う顔ぶれが並んでいる。
 列の最後尾に並ぶとちょうど目の前に同じクラスの女子がいた。
 ……確か、こいつは同じクラスの……斉藤だったっけ? あまり話した事はないが目の前にいるのに無視するのも変だから挨拶ぐらいはしておこう。
「よお、斉藤。お前もいま帰りか?」
 肩を叩きながら声を掛けた。
「きゃっ」
 斉藤はびくっと体を震わせると慌てて振り向く。
「よっ」
「か、香月? な、なんで? ここにいるの?」
「なんで? と言われても俺も今日はこの時間に帰るからだが」
「め、珍しい。香月がこんなに早く帰るなんて。あっそうか、何か予定があるから?」
「まあな。斉藤はいつもこの時間なのか?」
「いつもはもう少し遅いんだけど今日はちょっと用事があるから……」
 斉藤はそう言うと俯いて視線を逸らした。
 ――うおっ!ろくに話した事も無いからって女子に嫌われているとまでは思わなかった。なんてこったい。嫌われてるんじゃしょうがない。黙っているとするか。
「声を掛けて悪かったな……すまん」
 そう言って視線を空に逸らした。
 まだ空は青い。少しづつ日が長くなっているようだ。
 なにやら視線を感じなくも無いが気のせいだろう。
 そうこうしているうちにバスが来た。
 流れるように乗り込みながら最後尾の席に座る。斉藤は前の方の席に座っていた。
 改めて周りを見渡せば見た事のある顔が幾つもある。
 ――そうか、こいつらはいつもこの時間のバスに乗っていたのか?
 自分の生活がクラスメイトとは違っていた事に改めて気付いた。

「あれっ? 香月?」
 隣に座っている女生徒―――天野葉子が不思議そうに声を上げる。
 こいつは同じクラスの女子だ。いつも同じ女の子のグループで行動している。
 でも何で、女の子って、団体行動をするんだろうか?
 おいおい。俺がこの時間に帰ったからと言ってそこまで驚く事も無いだろう……? そんなに不思議かよ?
「おいおい。不思議そうな顔をするなよ。俺だってたまには早く帰る事だってあるさ」
「いやだって、香月っていっつもクラブで忙しそうじゃない? 誘っても断るばっかしでさ」
「と言われてもだな、忙しいときもあるし、暇な時もある。忙しいときに誘われても断るさ」
「じゃあ今度の日曜日、クラスの蒔ちゃんたちと遊びに行くんだけど、香月も来る?」
「へえ、斉藤たちとか、ああ日曜なら空いてるからぜひ行かせてもらうよ」
「OKOK。じゃあ日曜日の10時に駅前でね」
「分かった」
 軽く天野に返事を返し、それからとりとめのない話をする。
 そうこうしているうちに家の近所のバス停に着いた。

 バスを降りた俺は、荷物を背負うと綾姉さんが待っているはずの店へと向かう。
 通りを右に折れ、左に曲がるその先に、手持ち無沙汰な顔をした綾姉の姿を見つけた。
「綾姉!」
 声を掛ける。
 振り向いた綾姉は手を振り、「おーい」と大声を出し、近づいてこようとした。
 俺も手を振って綾姉に応えた。
 綾姉に向かって歩いている途中、突然、地面が光った。
 周囲の景色がぼやけていく。
 そうして最後に見たのは真っ青な顔をして驚いている綾姉の顔だった。


「秋くん。秋くん。どこいっちゃったのぉ~」
「わーん。秋先輩~」
「……あなた誰よ?」
「えっ? ボクですか? ボクは秋先輩の彼女になる予定の柏木春菜です。よろしくお義姉さん」
「ちょっと! 待ちなさいよ。秋くんは誰にも渡しませんからね」
「うわっこの人、小姑だ」
「誰が小姑よ!」
「ううぅー」
「かるるるぅ」


 
 ノエル王国、アルル地方古都アデリーヌ。
 かつてローデシア大陸を統一したカプール帝国初代女帝と同じ名を持つこの都市は、帝国崩壊の際にカプールの王妃、王女、女官達が幽閉された都市として歴史に記されている。
 カプール帝国崩壊後、アデリーヌはノエル王国の領地のひとつとして知られてはいるが、大陸の最北端に位置するアデリーヌを訪れる者は巡回商人達の他にはさほどいないのが現状である。
 
 アデリーヌの近くにある森の中でコーデリアは、薬草を摘んでいた。
 コーデリアはローデシア大陸ではよく見かける小人と言われる種族である。大人、成人と呼ばれる年齢になっても人間の子ども……8歳前後と同じぐらいの体格にしかならない。平均寿命は人間よりもはるかに長いがエルフよりも短い200年ほどである。エルフは500年ほど生きると言われている。
 そのコーデリアの目下の野望は人間の女性と同じような、ないすばでぃーになる事だった。
 その為に魔術や錬金術などといった物を学んでいる。
 その成果はまったく現れてはいなかった。したがってコーデリアは今日もいそいそと薬草集めに余念がない。
 夢は大きく。道は遥に遠い。
 


 景色がはっきりとした。
 そこは見知らぬ森の中だった。しかも夜だ。
「おいおい。どこだ。ここは?」
「お主、何者じゃ!」
 きょろきょろしていると背後から声を掛けられる。何だか聞いた事のない言葉で何を言っているのかさっぱり分からない。
 慌てて振り向く。そこには小さい女の子がいた。両手を腰に当て、少し前屈みなその格好はどこかぽちに似ていた。
「気がついたらここに居た。ここがどこか分かるかな?」
 女の子の前にしゃがみ込み、目線をあわせ話し掛けた。
「何と言っておるのじゃ? 分かる言葉で話せ! それとわらわの質問に答えておらんぞ。お主は誰じゃ? はよう答えよ」
 小さな体を思いっきり反らせ精一杯に威厳? を出そうとしているちびっこだった。
「うん?」
 何を言ってるのか分からん。どうしよう……。
 途方にくれそうだ。
「ええい。子供扱いするでないわ。わらわはこれでも成人女性じゃぞ!」
「何言ってんだ? 分からん」
 俺は身振り手振りをしながら何とかコミュニケーションを取ろうとする。
 彼女も身振りで表現する。どうやら怒っているみたいだ。俺なんかわるい事言ったかな?
 そのうち埒が明かないと考えたのか彼女は俺の腕を掴むと歩き出した。まるで小さい子に手を惹かれている感じがして奇妙な気分だった。
 しばらく歩くと丘の下に丸い扉がある。
 どうやらここが彼女の家らしい。しかしなんと言おうか、横穴式住居? でも中は結構、快適そうだ。俺には少し、天井が低かったが。

 こうして俺と彼女の奇妙な生活が始まった。
 良いのか、これで?




[12791] 第2話 「未知との遭遇 性転換 ないすばでぃー」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/18 14:28

 第2話 「未知との遭遇 性転換 ないすばでぃー」


 コーデリアの家にやってきてから二月ほど過ぎた。
 身振りを交えながらどうにか片言の会話ができるようにもなった。
 知れば知るほどこの世界は元の世界とは違っている。

「だいたい魔法が存在するってどういう事だ。説明を求める!」
「知らんわ! こっちの世界では常識じゃ!」
「どうやって俺は元の世界に帰ればいいんだ……?」
「来た道を帰ればよかろう? うん。どうした?」
「それが分かったら苦労はしない!」
「怒るな。怒りっぽい奴じゃな」
「はぁはぁ」
「ぜいぜい」
 
 と、まあ……こんな生活がしばらく続いたんだな。これが……。
 ちなみにコーデリアは小人族の中では成人女性だった。どう見てもロリババァにしか見えなかったが……。
 夢は大きく、ないすばでぃーだそうだ。
 
 コーデリアの家に厄介になっている身としては手伝いの一つもしなければと思い。家事を手伝おうとすれば、竈だったり、薪で火をつける風呂だったりと、これまた厄介だった。
 電化製品とまで、言わないけどさ。俺こんなの使ったことねえよ!
 見よう見まねで何とか使えるようにはなったけど……必要は習得の母とは言うが、本当だな。使えなきゃ話にならんしな。

「あのさ……こういうのって、魔法で何とかならんのか?」
「魔法は崇高な学問じゃぞ。そんな世俗の事など関知しておらんわ」
「おかしいだろ! その考え。魔法が存在しているのなら魔法を使った文明が発達しているもんじゃないのか?」
「発達してるぞ。充分にな」
「そうは思えんけどね……」
 
 竈に転がっている薪を見詰めそう言った。
 横穴式住居にも慣れた。最初は頭を打ちまくったけどさ。
 この世界に小麦があるんだ。米はないけど……いや、存在しているかもしれないが、誰も見つけていないそうだ。まあ世界中を旅した者がいないそうだから仕方ないかもね。
 文明レベルでは、中世の最初ぐらい? もう少し発達してるかな? 近代ではないのは確かだな、少なくともコーデリアの家は、だ。
 オークとかエルフとか、魔法使いだとか、そんなものが存在している世界。あ~来たくなかった。本気でそう思うよ。
 しかもコーデリアって、引き篭もりだし……。

「わらわは研究に忙しいのじゃ!」
「ないすばでぃーの……な」
 
 コーデリアは毎日、作業を行っていた。
 最初は何をしているのか分からなくて、聞いてみたんだ。そうしたら帰って来た答えが、ないすばでぃー……。脱力したよ。この上もなくな。あ~頭痛い。


「……お主も言葉を話せるようになったことじゃし、そろそろ街へ行ってみることにするか?」
「それはいいな。ぜひそうしよう」
 
 夕食時、コーデリアの作ったシチューを前に会話をしていた。
 俺自身もこの世界の事が知りたくなってきた頃だったし、ちょうど良いかもしれないしね。

「まあそれはそれとして、どうじゃ。わらわの作ったシチューは?」
 
 そう言って、コーデリアは期待に満ちた表情で見詰めてくる。
 なんだろうか? いつもとは違うのか?
 そういえば何だかいつもよりも黒いような気もするが……新しいレシピを試してみたのかな?
 一口飲んでみる。少し苦いが、不味いというほどでもない。
 もう二口ほど飲んでみた。

「少し苦いかな?」
「それだけか?」
「……どういう事だ? うん。怒らないから言ってみろよ。ええ!」
「怒っておるではないか? まあよい。説明してやろう。わらわがないすばでぃーになる為の研究をしておる事は知っておるな」
「ああ」
 
 コーデリアはうっとりとした表情で説明し始めた。

「まず、小人族のままでは、ないすばでぃーにはなれないのじゃ。なる為にはまず、お主らの言うところの遺伝子レベルで変化するしかない。これは生物学上、人間の女性になる為の薬を混ぜたシチューじゃ。これでわらわもないすばでぃーじゃ!」
 
 コーデリアは嬉々としてシチューを掻き込んでいく。二杯もおかわりしやがった。

「俺を巻き込むな!」
「お主は実験動物じゃろうが!」
「誰が実験動物か!」
「何の為に我が家に連れてきたと思ってるんだ!」
「この為かよ」
「そうじゃ! 潔く腹を括れ!」
「えげつないやつだ……へこむぞ」
「いやなに、異世界から来たというから……なにかあっても問題ないかな? って思ってな……ゲフン。ゲフン……いやなんでもない。こっちの話じゃ」
 
 文句を言おうと立ち上がった瞬間に、目の前がぐらっと揺れた。

「あれっ……」
 
 汗がだらだらと流れていく。体が熱い。力が入らない。

「おい。どうした? さっそく効果が現れたのか?」
 
 目の前がくらくらとしている中でコーデリアの笑顔が眩しかった。
 なんていい笑顔しやがるんだ……。
 そうして俺は気を失った。


 ベットの上で目が覚めた。
 どれほど寝ていたのか、外は日が昇っている。

「……目が覚めたようじゃの……」

 どんよりとした空気を纏ったままコーデリアは上目遣いで睨んでいる。
 その目には殺意さえあった。
 なんだ、その目は……。
 ベットの上で横になったまま視線をコーデリアに向ける。体が重い。
 その上、胸が重い。息苦しい。
 右手を胸に当てると、ぐにゅっとした感触が伝わる。
 あれ? なにこれ……?
 ふかふかと揉んでみる……ああ、これは確かに胸だ。乳だ。女の乳だ……。

「なんじゃあ~こりゃあ~!」

 叫んだ!
 コーデリアが耳を塞いでいる。
 勢いあまってベットから転げ落ちた。
 そのまま立ち上がる。両手を股間にあてがう。

「ない! ない! どうしてくれんだぁー。がぁー!」

 叫び声再び……。
 コーデリアは一旦、部屋の隅に逃げたが、立ち上がった俺の姿を見ると、怒りに燃えた目でつかつかと近寄る。

「この胸が、この胸がー。憎いー。なんでお主だけがないすばでぃーになっておるんじゃ! がぁー!」
「ええい! 揉むなー」

 両手でぐにぐにと揉んでくるコーデリアを引き剥がす。
 しばらく取っ組み合いの争いをしていた。
 コーデリアは泣きそうな目でぽかぽかとおれの胸を叩いている。
 痛い。痛いんだよ。胸叩かれると……。

「はぁはぁ……実験は失敗だった……」
「……これってもしかしてさ。女性になる薬なんじゃないか?」
「……そうじゃ! それがどうした?」
「お前、女じゃん。だったら薬を飲んで女性にはなれないだろう。元々女なんだし?」
「おおそうじゃ! その通りじゃ!」

 コーデリアは初めて気付いたという顔をした。
 お前、気付いてなかったのね……。その所為で俺は女になっちまった……。

 どうしてくれんだぁー!
 家の中をおれの叫び声が響く。

「元に戻せ!」
「無理じゃ!」
「なんで!」
「原料の1つである銀水晶という花が、1年に1度しか咲かんからじゃ。来年になるまでどうしょうもない!」
「じゃあなに? 来年までこのまま?」
「そうなるのおー」
「がぁー!」

 元の世界に帰る方法も見つけなければならないというのに……なんでこんなことになるんだよぉー。
 絶対、男に戻ってみせる! そうして元の世界に帰るんだ!
 俺は決意を新たにした。




「ところで、わらわたちはこうして見ると美人姉妹に見えんか?」

 気を取り直したのか、コーデリアは、ないすばでぃーになったら着ようとしていた服のコレクションを部屋に持ち込み、俺は着せ替え人形になってしまっていた。

「どう見ても俺が姉だな……」
「わらわが姉じゃ! コーデリアお姉さまと呼ぶのじゃ!」
「秋お姉さまと呼べ!」

 すっかり長くなっていた髪にリボンを結ばれながら俺は自棄になっていた。
 明日は、街に行く予定になっている。
 どうなる事やら……。



[12791] 第3話 「古都アデリーヌ ヘンタイあらわれる」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/18 22:59

 第3話 「古都アデリーヌ ヘンタイ現る」


 コーデリアの家がある村から、アデリーヌまでは、馬車で三時間もかかるという。
 朝早くから、コーデリアに叩き起こされた俺は、訳の分からないまま、洗顔だとか髪型を整えられたりとコーデリアの手によって散々弄り回されて、出発する前からくたくたになってしまった。

「お主はもう少し、女の身だしなみと言うものを考えねばならんぞ」
「俺は男だ! そういう事にしておいてくれ。悲しくなるから……」
「……しかし、この乳が! この乳が憎い……本当ならわらわのものじゃったのに……」
「いい加減、諦めてくれないか」

 俺は頭を抱える。昨日から散々コーデリアに愚痴を聞かされ辛かったんだ。
 そして、あれから一夜にして俺の寝泊りしている部屋は、女の部屋に改造されてしまった。
 
 だいたいなんだ! このポプリとかって? その上、化粧品……乳液ってなに? 保水液? 洗顔剤? 石鹸じゃ駄目なのか? それに香水まで……クローゼットの中には女物の服が並んでいるし……。
 クシとかは、まだ分かるんだよ、うん。下着も仕方ないだろう……でもスカートが……スカートが嫌だ!
 俺の魂の叫びは誰にも聞かれることはなかった。
 片隅に置かれてある制服が少し悲しい。くっすん。


 くたくたになったまま、俺はコーデリアに押されるようにして2階建て馬車に乗り込んだ。
 コーデリアは大きな荷物をキャスターに載せて転がすように家から持ってきていた。それを見ると何か、家の近所に住んでいた腐女子のお姉さんが即売会に向かう光景を思い出した。
 
 乗り込んだ馬車の中には色んな人達がいる。
 太った大柄な年配の男や着飾った女――30過ぎぐらいだろう。
 若いなんだかニヤニヤしている男とか、ちらちら見てくる10代の若い女の子とか……。
 いろんな人の視線が痛かった。

「やっぱり、この格好、少し派手だったんじゃないか?」
「何を言うか、わらわのコーディネイトが不服なのか? 自信を持て! 女は自信を持たねばならんのじゃ!」

 俺たちは人目を気にして小声で話している。
 しかし、コーデリアはああ言うが、やっぱり派手じゃないのかな?
 俺は俯いて自分の服装を確かめた。
 白と黒を基調としたレースとフリルをふんだんにあしらった薄手のドレスに淡い青色のショール。肘ぐらいまである白い絹の手袋。足元は黒い皮のショートブーツ。手には日傘を持っている。しかも頭に小さなフリルの帽子を被っている。
 どこのパーティーに行くんだよ? って感じじゃね?
 コーデリアはもっと派手だった……けど……。
 一応、スカートの下にナイフを護身用に持ってる……スカートの下は白い絹のストッキングだぜ。しかもガーターベルト。ガーターベルトって身に付けたことあるか? 泣きたくなるぞ。
 ……大きい剣がほしい。つくづくそう思う。なんか不安だ。

「ほれ。ちゃんと前を向かんか」
「何か見られてるよな?」
「当然じゃ。男どもはわらわの美貌に見蕩れ、女どもは嫉妬しておるのじゃ。見られて当然じゃ」
「……その自信が俺も欲しいわ……」

 どっからそんな無根拠な自信が出てくるんだろう? 鏡を見ろよ。ちびっこ。ぺたんのくせに……。

「なにやら、不穏な気配がしたのじゃが……」

 コーデリアがきょろきょろ見渡している。
 その光景は旅行に来た小学生のようだ。
 やっぱ、ちびっこ?

 心の中で泣いているといつの間にか古都アデリーヌに着いていた。
 乗合馬車の駅でコーデリアと俺は降りた。
 石畳の道。煉瓦造りの町並み。窓にはガラスが嵌め込まれているどう見ても―――中世の町並みとは思えなかった。
 どうやら18世紀か19世紀ぐらいには発達しているみたいだ。

「どうしたんじゃ? きょろきょろしおって」
「いや、結構、発達してるなと、思ってさ」
「首都ノエルはもっと凄いのじゃぞ」
「そうなのか」

 俺は馬車が行き交うのを見ながら言った。道幅は5~6メートルはあるだろう。もっと道の左右で露天商が立ち並んでいるが。
 ふとコーデリアの方を見れば、無い胸を張っていた。

「さあ行こう。わらわがいつも行くのは、この先にある職人通りじゃ。そこには同じ学院で学んだ学友の錬金術師が工房を開いているのじゃ」
「へえ~。どんな人?」
「……………優秀な錬金術師じゃ…………」
「……何を隠してる?」
「………何も?」

 俺はジト目でコーデリアを見る。
 コーデリアは視線を逸らした。

「………行けば……分かる。うん。解るとも…………優秀な錬金術師ではあるのじゃ……」
「性格は?」
「錬金術に対しては真面目な男じゃ」
「そうなのか?」
「そうなのじゃ! ええい。つべこべ言うな! 行くのじゃ!」
「うおっ! 逆ギレ?」

 こうして不安を抱え、俺たちは職人通りにある工房へと向かった。

 2人でてくてくと歩いている内に工房の前に着いた。左右を確認する。取り立てておかしい所はなさそうだ。
 もっとも、ここに来るまでに近所の奥様方がなにやらひそひそと話をしている場面に出くわしたが……。視線を向けると逸らすし。
 いったいなんだ。と言うんだ!

「ターレンハイム伯爵。入るぞ」
「……伯爵?」

 コーデリアは木で出来た扉を開け、中に入っていく。
 俺も後を付いていくが、中はまあ、こんなものだろう。といった感じだった。
 想像していた通りの錬金術師の工房だ。ちょっと匂いが気になるけどね。

 コーデリアが声を掛けると奥の部屋からコツコツと規則正しく優雅に靴の裏に打った鉄の鋲が石畳を打つ音が聞こえてくる。
 それは一旦、奥の扉の前で止まる。
 何か逃げ出したくなるようなプレッシャーを感じる。冷や汗が背中を伝う。
 扉が開かれた。中からあらわれたのは……。

 2メートルはありそうな筋骨逞しい金髪碧眼の男性だった。
 金モールで彩られた派手な衣装。濃厚な化粧が施された顔。長いまつげは見事なカールを描き、切れ長の目が妖しく光る。
 真っ赤な薔薇を口に銜え、両手を広げ登場する。
 どこからともなく現れた赤いライトが彼を照らす。
 そして銜えていた薔薇を顔の前にに翳しつつ叫ぶ!
 バックでシンバルの音が聞こえた!

「あたしこそ。雪の中の宝石と称えられるノエル王国にもっとも気高く美しく咲き誇る薔薇! ルパート・フォン・ターレンハイム伯爵よ!」

 一瞬、フラッシュが焚かれたように眩しく光った!
 バックに孔雀と薔薇のオーラが見える。

「こ、これが……コーデリアの学友……」
「きゃあ~! ルパート。すてき~!」

 コーデリアは物凄くはしゃいでいる。

「へ、ヘンタイ……だ」
「ノン、ノン、ノン。ヘンタイとは失礼ね」
「……なんで化粧をしているんですか? えっと男性ですよね?」

 腰が引けてしまっているが、仕方ないだろう! どう見ても街で会いたくないタイプの人間だし。

「あら、化粧は男の身嗜みよ。それよりも、コーデリアちゃん。この子、可愛いわねぇ~」

 せ、背筋がぞぞっとした。
 か、帰りたい! 元の世界に帰りたい。今、痛切に感じていた。

「そうじゃろう。中々の逸材じゃと思わぬか?」
「そうねえ~お嬢さん。貴方、素敵よ。その艶やかな長い黒髪。透き通った黒い瞳。赤く小さな唇。きめ細かい白い肌。すらりとしていながら、素晴らしいプロポーション。最高だわ!」
 
 ルパートは胸の前で両手を組み、身をくねらせる。
 帰りたい。帰りたい。帰りたい。褒められても嬉しくない!

「貴方、化粧品は何を使っているのかしら?」
「……え~っと、分かりません」
「まあ、若さね。若さなのね。若さになんて負けられないわ!」
「あ~あ~」

 俺は圧倒され呆然としている。
 コーデリアは持ってきている荷物をルパートに見せ、話をしていた。
 それをただ、呆然と見守るだけであった。

 

 異世界は怖いところです!



「ところで貴方、うちで働く気はない? 貴方なら店で一番になれると思うわ」
「どんな店かー!」
「お金持ちのおじ様におねだりしたり、お酒の相手をするだけのお店よ」
「風俗は嫌ですぅ」
「じゃあ、錬金術師を目指してみない? 楽しいわよ」
「…………………(錬金術師ってこんなヘンタイぞろいなんだろうか?)」
「うん。返事はまた今度でいいわ(チュッ)」

 ヘンタイは投げキッスを放った!
 俺は精神にダメージを負った。
 もう、やめてー! ゆるしてー。




[12791] 第4話 「職人通りの魔術師と錬金術」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/20 20:21
 第4話 「職人通りの魔術師と錬金術」

 

 ルパート・フォン・ターレンハイム伯爵のインパクトに呆然としたまま、俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。
 窓の外では馬車や人が行き交っている。
 職人通りと呼ばれているからだろうか、着飾っている人は少なく、男も女も少し汚れた仕事用のエプロンを身に着けていた。
 なんだか昔の映画を見ているような、奇妙で懐かしい感じがする。
 金槌やのこぎりを背負って歩いているのは大工さんかな? 向こうの人は小さなタンス? を背負っている。どんな仕事なんだろうか?紐で首から体の正面に木の箱を持って売っている人がいる、何を売っているんだろう?
 あっ、小さな女の子が走っている。こっちを見て手を振ってる。手を振り返したらにっこり笑って走っていった。
 黒いローブを着込んだ男が歩いていた。
 ちらっとこちらを見たような?

「あ~き。こっちに来なさいよ~」

 ルパートの呼ぶ声――そう表現するとどこかの邪神を思い出す――が聞こえた。
 振り向くとルパートが3冊も分厚い本を抱えていた。

「これ、あきにあげるわ。錬金術の本よ。あたしが使っていたものだけど……『初等錬金術』に『中等錬金術』、それと『炎の女』の三冊。読んでみると面白いわよ」
「いいんですか? 頂いても」
「良いの良いの。錬金術に興味を持って欲しいからね。使いたい道具があったら、いつでも工房に来なさいな。コーデリアの家にもあるでしょうけど」

 錬金術がどういう物か分からないけど、頂いておこう。役に立つかもしれないし……。

「いか~ん! こんなヘンタイに学んでは、いか~ん!」

 突然、扉は開いて外から、黒いローブを着込んだ男が入ってくるなり叫んだ!

「なによ。変質者のラッセンディルじゃない」
「誰が、変質者か! 話は聞かせてもらった。そこの美しいお嬢さん! こんなヘンタイに学ぼうとしては、いか~んのだ」
「話を聞いたって、また盗み聞きをしてたのね! この変質者!」

 ルパートと黒いローブの男は言い争っている。

「なあ、あの男は何者なんだ?」
「フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵……東の塔で学んだ魔術師で、ノエル王国の東にあるザクセン公国の貴族なんじゃが、よく話は聞かせてもらった。と言っては姿をあらわすんじゃ」
「へえ~。……で、性格は?」
「……ヘンタイじゃな」
「……ヘンタイが多いんだ……」
「まあ、魔術とか錬金術を学んでいる者には多いんじゃ。趣味に生きてる連中じゃからな」
「そうなんだ」
「それでもルパートはマシな方なんじゃ、実害無いし……」
「ルパートがマシな方なのか?」

 俺は再び、呆然とした。
 あれがマシな方……。そんな馬鹿な?

「美しいお嬢さん! 貴方のその美しさを永遠に留めたいとは思いませんか? 思うでしょう。思うはずです。思っているに違いない! ……分かりました。この不肖、魔術師ラッセンディルが貴方の美しさを永遠にしてあげましょう~!」
「駄目よ! ゴーレムにされちゃうわ!」
「さあ行きましょう! 私の工房へ! 永遠へと、いざ赴かん!」
「行きません。放してください」

 俺がそう言って腕を振り解くと、まるで絶望の淵に落ちたかのように天を仰ぎ、両手で顔を覆う。

「おお~! なんと言うことか! この美しいお嬢さんは、ヘンタイの魔の手に落ちてしまっているのか~! いや、まだ間に合う。間に合う筈。美しいお嬢さん。私が貴方を洗脳してあげますぅ~」
「洗脳されてたまるかぁー!」

 両の手をわきわきと握ったり開いたりしながら近づいてくる変質者を、思いっきり蹴り飛ばす!
 ルパートの方がまだマシって言うのが分かった。
 おかまと変質者では、オカマの方がまだマシ!
 蹴り飛ばされたラッセンディルはルパートの手によって工房の外へと叩き出されていった。


「のぉー。私はまだ諦めんぞー!」

 
 工房の外で変質者ラッセンディルの遠吠えが聞こえた。
 やだなあ~。

「あき。災難だったわね……でも安心して。あたしたちが守ってあげるわ」
「仕方ないじゃろうな。あんな変質者からは、守ってやるか。感謝するのじゃぞ」

 ルパートに抱き締められるが、嫌悪感が湧いてこなかった。あれと比べればルパートの方が確かにマシだった。
 オカマなだけで性格は悪く無さそうだし……。そういう意味では好感はもてる。

「……じゃあ、気を取り直して、錬金術の話でもしましょうか。あきは興味あるかしら?」

 ルパートが問いかけてくる。
 それに頷き、話を促す。

「お願いします」
「では、コホン。――錬金術というのは、レシピといわれる割合にしたがって幾つかの原材料を組み合わせる事により、色んな物を作っていくのよ。だからレシピさえ、知っていれば基本的には誰でも作れるの。ここが魔術とは違うところね。魔術は魔力が無いと使えないから……。でも錬金術を学ぶ者は魔力を得る為の訓練もしなければいけないのよ」
「どうしてですか? 魔力は必要ないんじゃ?」
「そう思うでしょ? でもね。錬金術で出来る物には魔力を含む物もあるのよ。その時に魔力が無いと出来た物がどういう物なのか? 危険なものではないのか? とか判断できないでしょ? だから魔力を身に着けるの。分かる?」
「はい。魔力が無くても作れるけど、魔力が無いと分からない物があるから、魔力が必要になると?」
「そうよ。そして作った物の影響を受けないようにする為にも必要になるの」
「ほうほう」
「魔術師っていうのは、基本的に学者ね。錬金術師は技術者といったところかしら。魔術師って塔の中に閉じ篭りがちなのよ。街中で見ることも稀な位なんだけど……あんな変質者もいるのよ。むしろまともな人は出て来ないの! 反対だったら良かったんだけど……」

 なんというか、苦笑いしか浮かべる事ができない。
 ルパートに言われるほどか……。

「あきの場合は、コーデリアがいるから、魔力に関しては教わるといいわ。後は基本的に錬金術の本を読んで解らない所があれば、あたしかコーデリアに聞くのが手っ取り早いかしら。最初から難しい物はやらないで簡単な物から、1つづつね。後は調合あるのみ」
「はい。頑張ります」
「じゃあ、一番基本的な、触媒から作ってみましょうか」
「は~い」

 ルパートに促され、工房の机の上に置かれてある器具を手にとってみる。
 ビーカーとかフラスコって、こっちの世界も元の世界と同じ形しているんだね……それとも機能性を重視すると同じような形になるんだろうか? でも解り易いからいいかっ。

「えーまず。ここに用意した魔法の草があります。名前はアッシュです。他の草じゃ駄目よ。魔法の草だけね。これをフラスコの中で煮ます。するとどうでしょうフラスコの上に繋がれたガラス管を通って水に着けたビーカーに魔法の草のエキスが溜まってきますね。これが植物系の触媒としてもっと汎用性の高い触媒です。レシピは初等錬金術の3ページに書かれています」

 まるで3分間クッキングのように触媒を作っていくルパート。
 その後ろで本の3ページを捲ってレシピを確かめている俺となぜかうんうんと頷いているコーデリア。……コーデリア、お前、錬金術師じゃないのか?
 他にも蒸留水とか、燃える砂? 火薬じゃないのか? とかを使った調合を行っていった。
 その横で乳鉢で原料を砕いたり、天秤で量ったりと色々手伝っている。
 結構、面白いかも……。元の世界とは、原料その物が違うのかな? 鉄は同じみたいだけど? やっぱりちょっと違うのかな?
 夢中になって、ルパートと一緒に調合をしていた。

「ターレンハイム伯爵」

 カラン。と音がして扉が開かれる。
 3人で振り返ったら、お客様のようだ。
 ルパートがいそいそと相手をしている。偉く金持ちそうなお客だった。

「今日は、ソフィアの傷薬が欲しくってね。寄らせてもらったよ」
「いつも有難うございます。ではお幾つ必要でございますか?」
「……3個くれないか」
「銀貨240枚でございます」
「これでいいかね?」
「はい。結構でございますとも。ありがとうございます。またどうぞー」

 金貨と銀貨の詰まった皮袋を手にルパートが戻ってくる。
 コーデリアはルパートに詰め寄る。

「あの傷薬が銀貨80枚じゃとぉー! ぼったくりではないかぁー」
「品質は良いのよ!」
「学院では30枚だった筈じゃ!」
「学院の薬はアデリーヌまで売りには来ないわ! いいじゃないのお金持ちからふんだくっても」
「貧乏な者には……」
「してないわよぉ~。その辺は薄利多売ね。儲けは出ないけど……」

 コーデリアとルパートが言い争う。
 どうやら、売値が高い安いで揉めているらしい。
 相場を知らないからどっちがいいとは言えないなぁ~。

「日常では一日、いくらぐらいいるのかな?」
「……う~ん。だいたい月に銀貨30枚ぐらいあれば楽よね。金貨なら3枚ぐらい」
「銀貨10枚で金貨1枚になるのか?」
「そうね。でも銅貨100枚で銀貨1枚よ」
「えっ! 銅貨100枚で銀貨1枚。銀貨10枚で金貨1枚でいいのか?」
「今のところはね。でも昔は、新金貨3枚で金貨2枚の時もあったのよ」
「ほぉー経済が回復したんだ」
「ま、そういう事ね。今のところは安定してるわね」
「パン1ついくらなんだ?」
「物にもよるけどふだん食べる用なら、銅貨30枚も出せば4人分買えるわよ」
「そんなもんか?」
「もっとも1日の日当が銀貨1枚と銅貨50枚なんだから」
「無駄遣いしなければ、か……」
「そういう事」

 いずこも世知辛いな……。異世界でも同じか……。
 ちょっと悲しい気分だな、楽園なんてどこにもないか……。



[12791] 第5話 「神父な女、シスターな男の娘(司祭と待祭)」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/20 20:35

 第5話 「神父な女、シスターな男の娘(司祭と待祭)」


 ルパートの店を出て、今度はオープンテラスのカフェでコーデリアと2人、紅茶を飲みつつ小休憩。
 あれから幾つかの店を見て回った。
 ……それにしても、おかしな世界だな? 建物とか見ると結構、発達しているようにも見えるが、中身はたいした事が無い。なんていうのか……重工業や機械工業が全然発達してない。手工業は発達してるくせに、中世なのか? 近代なのか? どっちだ?
 通り過ぎる人波を眺めながらぼんやりとそんな事を考えていた。アデリーヌの宮殿、マドレーヌがテラスからも見えた。
 通り過ぎる人達がちらちら俺たちに視線を投げかけては通り過ぎていく。

「なんだか見られてるよな」
「わらわの美貌に見蕩れておるのじゃ、ああ美しさは罪なものじゃ。高嶺の花に憧れるのは人の定めとはいえ、わらわも罪なおんなじゃ、毎晩枕を涙で濡らしている男どもも多かろう……わらわも辛い気持ちなのじゃ……」
「どうしてそこまで自画自賛できるんだ?」
「真実は常に1つじゃ。当然の結果じゃろ?」
「前提が間違っているような気もするが……」
「わらわの美貌にケチをつけたくなる気持ちは分かるが……あまり言うと己が惨めになるだけじゃぞ。慎んでおいた方がよい。わらわからの忠告じゃ」

 がっくし、うな垂れた。
 自信過剰もここまでくると凄いよね。

「おや。コーデリアじゃないか~。珍しいね、君が来るなんて。僕に会いに来たのかい? ああ解っているよ。君は恥ずかしがり屋だからね。ふっ、そうやって視線を逸らすところがかわいいよ」

 ふいに声を掛けてきた上に勝手にコーデリアの横に座る……男?
 黒いローブを纏い。その下には同じく黒の修道衣のような? 服を着ている。映画で見た事があるだけだから間違っているかもしれないけど。たぶん宗教関係者だろうが。…………そのどこぞの舞台の男役のようなメイクはなに? 背中に背負ってる羽は?
 
 解った。もう何も言うな。お前もヘンタイだろう。そうだ。そうに決まっている。
 ヘンタイには2通りいる。
 無害なヘンタイと危険なヘンタイだ。
 お前はどっちだ!

「お主に会いに来たわけではないのじゃ。今日はこの秋の為にアデリーヌの観光案内に来たのじゃ。はよう帰れ! お主は教会に帰れ! 出て来るな」
「なんて連れない事を言うんだい。自分の気持ちに嘘をついてはいけないよ。さあ自分に正直になるんだ」
「かえれ! はなせ!」

 コーデリアは男装女に抱き締められ、ばたばたと手足を暴れさせ、逃れようとする。




「駄目だよ……神の愛からは誰も逃げられない」




 こ、こわっこわっ、こわああああー。
 そんな神様はいやだ。
 助けるべきか? いや。……でも、関わりたくない。関わりたくないんだよぉー。

「司祭様! 何をしてらっしゃるんですか!」

 背後から引き裂くような声が聞こえた。
 もしや。この場を収める救世主があらわれたのか?
 振り返れば、奴がいた。
 赤いリボンを結んだ長い金髪を揺らして走り来る。可愛らしい―――女装した男の子が……。

「アデル! なぜここに?」
「アビゲイル司祭様が教会を抜け出したりするから、探しに来たんです。ほら帰りますよ。ほらほら、立って」

 チャキチャキと動く男の子。なぜに女性用の修道衣を着ているのか聞いてみたいが知りたくはないような気もする。

「では、コーデリアさん。アビゲイル司祭様は連れて帰りますね。――あっ、そちらの方はどなたですか?」
「う、うむ。香月あきという娘じゃ。仲良くしてやってくれ。司祭とは別にな……」
「は、初めまして香月あきです。よろしく」
「はい。こちらこそよろしくおねがいしますね。あきさんって、お綺麗ですね。憧れちゃいますぅ~でもちょっと嫉妬しちゃうかな?」

 な、なんだ? この男の子から感じる黒いオーラは?
 目が笑ってない。口元が三日月のようだ。
 視線を向けるとコーデリアはテーブルの下に隠れていた。
 その下で首を振り続けている。

「え、えっと……」
「なんですか?」

 ずいっと一歩近づいてきた。
 いつの間にかアビゲイル司祭は地面に泡を吹いて転がっている。
 なにをやったんだ? まったく気付かなかった。

「アデルさんも可愛いじゃないですか?」
「やだ! もう~」

 キラッとアデルの腕が動く。無意識のうちに俺の体は動いていた。
 ブンッと鈍い音がして俺の鼻先をナイフが掠める様に通り過ぎる。
 至近距離から放たれた一撃をなんとか避けた。剣道、やっててよかった。本当に良かった。おかけで命拾いしたよ。

「チッ!」

 誰かが舌打ちをした。
 目の前から聞こえたような?
 アデルは、転がっている司祭を肩に担ぐとにこやかに笑いながら、

「あきさん。今度は教会の方にも来て下さいね」

 と笑わない目で言い。走り去っていった。

「はぁー」

 椅子に座り込んだ。
 周囲を見渡したら、周りの席には誰もいなかった。みんな遠くに避難していたようだ。建物の影から覗いている顔がちらほらとあった。

「だ、大丈夫だったみたいだが……。コーデリアは知っていたんだろ?」
「この街で知らん者はおらん」
「助けてくれても良かったろう?」
「わらわを見捨てようとしたくせに!」
「……いや、それは……」
「しかし……決して教会には近づくでないぞ! 死にたくなければな」
「なんであんなのが教会にいるんだよ! 何の神様拝んでんだ?」
「コルディア―――結婚、婚姻や男女の愛を司る女神。と言われておる。結婚式はたいがいあの教会で行われるな……」
「……結婚式って……今まであいつらに殺されそうになった花嫁とかいなかったのか?」
「それは聞いた事はなかった……ただ、コルディアという女神は嫉妬深い事でも有名な女神じゃ」
「それに関してはぴったりだな……」
「とにかくじゃ。近づくな危険じゃ。わらわも教会には近づかん事にしておる」
「その方がよさそうだ。しかしよくあのアビゲイルという司祭、生きてられるな?」
「あーアビゲイルかー。あやつなら死んでもいいのじゃが」

 コーデリアは心底嫌そうな顔をしていた。
 ルパートには、そんな顔をしたりしないのに、なんでだろうか?
 だから聞いてみた。

「なんでそこまでアビゲイルの事を嫌うんだ? ヘンタイならルパートだって同じだろう?」
「ルパートをアビゲイルやアデルと同じにするでないわ! ルパートはオカマじゃが、それ以外はまともじゃ! 性格も考え方も行動もな! じゃが、あやつらはロリコンの上に行動が変質者な女と嫉妬のあまり人を殺そうとする男の娘……どちらも関わりとうない」
「その意見には同感だ。関わりたくない」
「はぁー。もう帰るか……」
「……はぁー。帰ろう」

 俺たちはとぼとぼ乗り合い馬車の駅まで歩いていく事にした。
 途中で必要な日常品を買い集め、コーデリアのキャスターに括りつける。

 乗り合い馬車の駅でなぜか、騎士が1人、剣を地面に突き刺し、腕を組んで立っていた。
 まだ若そうだが、大柄で逞しい体つきをしている。きっとかなり鍛えているんだろう。すごいマッチョだ。
 俺たちは視線を合わせないようにしながら、馬車を待っている。
 こそこそとコーデリアに聞く。

「あいつ、何者?」
「アデリーヌに駐在している騎士団の隊長でアーヴィン・ハルフォードと言う」
「いつもああしているのか?」
「いや、滅多にここに来る事はないな。今日はどうしたんじゃ?」
「なんだかいやな予感がするのは俺だけか?」
「いや、わらわもいやな予感がしておる」
「早く馬車が来ないかな?」
「来て欲しいのじゃ」

 俯いて馬車を待っていたが、ふと視線を感じて顔を上げた。
 目の前にアーヴィンが立っている。
 なんで?

「おい。女!」
「えっ?」
「貴様だ!」
「なにか?」
「見かけぬ顔だが、アデリーヌは初めてか?」
「ええ。そうですが? それがなにか?」
「最近、この辺りでもヘンタイが多い。気をつけるがいい」

 そう言うとまた、剣の所まで歩いていった。

「お前が言うな……」

 と言う声がどこからか聞こえてきたような?

「なんだったんだ? 今のは……」
「ほっ……良かったのじゃ。まあ、アーヴィンは女嫌いの男好きじゃから絡む事はなかろうが気をつけたほうがよいぞ」
「ええー。そうなのか?」
「ルパートとは似て異なるタイプじゃな」
「なあ、1つ聞いていいか?」
「なんじゃ?」
「ヘンタイしかいないのか? この街は?」
「そんなはずはない…………と思う………」

 がっくりした気分のまま、俺たちはやがて来た馬車に乗り込んだ。
 窓から見るとアーヴィンが俺を見ていた。
 いやな予感が晴れないのはなぜだろう?


 




 そうして今、俺たちはコーデリアの家で風呂に入っている。

「ぬおおおおおおおおー、乳が浮いておる!」
「見るな!」
「なんで、浮くんじゃ?」
「つつくな!」
「いいのうーこれ」
「揉むなぁー!」

 風呂ぐらいゆっくり浸からせてくれ……。



[12791] 第6話 「見習い錬金術師と近くの森」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/21 22:24

 第6話 「見習い錬金術師と近くの森」


 アデリーヌの街から帰って来た俺は、翌日から錬金術の勉強を始めた。
 とはいえ、文字を覚えるところから始まった。さすがに2ヶ月では会話はともかく文字までは覚え切れなかったからね。
 コーデリアに教わりながら、調合をしている。レシピは数字だったけど、原材料と作り方が読めなかったのさ。
 あと、魔法の勉強も同時にしてるよ。少しだけ魔力を感じ取れるようになった。
 そうして午前中は調合をして、午後から採取に出かける毎日である。

 ――――ドカーン!

 工房の中で派手な爆発音が響く。
 工房の中はコーデリアの家で一番広く天井が高い。俺が真っ直ぐに立てるぐらいだ。身長170cmあるのに? 女になってからすこし縮んだような気もするが……。部屋の壁には、本棚と戸棚が置かれ中には錬金術の本と色とりどりのガラス瓶がびっしりと納められている。部屋には暖炉もあって、大きな鍋が掛けられていた。
 他には机と作業台。……でも作業台は低いから椅子に座って前屈みにならないと作業出来ないんだよ。ソファとテーブルで作業している感じかな?
 ……錬金術を学んでいるうちに1つ気付いた。やっぱりここは異世界なんだと思い知らされる。
 シャナン川の上流にあるスーリスの泉(治療の泉として結構有名らしい)で採取した水(魔力を多く含んでいるそうだ)をバールと呼ばれている堅い針葉樹の枝を木炭にした物で濾過しているだけなのに、なんで爆発するんだ?

「だから注意をしろと言うたのじゃ!」
「どこに爆発する要素があるんだ!」
「魔力じゃ! 魔力が反応しているのじゃ!」
「……ああ魔力ね……」

 ちなみに今、作っているのは『蒼の触媒』という名の『水の触媒』になるものだ。
 水系の調合をするときには必ず。と言っていいほど頻繁に使用する物だと『初等錬金術』に書かれてある。
 触媒系をまず作ろうとしているんだけどうまくいかない。……へこむ~魔力不足を痛感させられる。

「お主は、魔力そのものがまだ少ないんじゃ。安定しないのは仕方が無い。ほれ、やり直せ!」
「はい。分かりました」

 コーデリアは一応、俺の師匠になっているのだから言う事は聞かないとね。
 とりあえず、床に散らばったガラスの欠片をほうきとちりとりでさっさと掃除する。
 さかさかさか……っと。
 ゴミ箱に捨てて、もう一度手を洗って、さあ再チャレンジだ!
 ビーカーの上にドリッパーをセットしてと、今度はゆっくりと……水を濾過していく……。
 やっている事はコーヒーを入れる要領だ。上から下へ落とすだけ。
 ぽとぽと、ビーカーに濾過された『蒼の触媒』が溜まっていく。なんで木炭に透しているだけなのに、蒼くなるんだろうか? こんなものだと割り切った方がいいのかもしれない。ここは異世界なんだから。
 
 傍から見ると分厚い防護服と顔面を覆うヘルメットを被り、水を滴らす妖しい女がそこにいるのだろう。調合している時は、鏡を見たくないね。こりゃあ重工業が発達しないはずだ。村の鍛冶屋ぐらいなら個人の魔力で何とかなるだろうが、大量の材料を集めたら、それだけで爆発しそうだ。
 ちなみに家や建物を建てる時は建築ギルドの手によって魔力を押さえられるらしい。やり方は分からない。秘伝の方法だそうだ。どこのギルドも何かしら秘伝を持っているそうだ。

 しばらくする。ビーカーの中に『蒼の触媒』が溜まった。
 今度は触媒を専用のガラス瓶の中に入れていく。入れ終わったら蓋をして完成。
 ようやく1つ出来た! ばんざ~い!

 出来上がった『蒼の触媒』をコーデリアに見せる。
 コーデリアはガラス瓶を上に持ち上げ透かして見ながら……。

「まだまだじゃの。もう少し、魔力が上がると品質も良くなる」

 と言い。C判定と手に持っている採点表に書き込んでいった。

「……C判定」
「……仕方なかろう。初心者じゃし、見習いじゃし……しかし最低でもAぐらいにはせんと売り物にはならんぞ。学院ではA以下は認められんし……」

 コーデリアが哀れむように俺を見て言う。

「Aの上は?」
「うん? Aの上はSにSSじゃな。まあSSクラスを作れるのはそうはおらん。わらわでもS+じゃし……」
「ルパートは?」
「ありゃあ、数少ないSSクラスじゃ。学院でも優秀なマイスターと呼ばれる導師級じゃ」
「人は見かけによらないねえ~」
「学院にいた頃はあんなんでは無かったのじゃが……」
「魔力が無くても作れるって言ってたのに……」
「はん! あんなもんは素人を誘う時の常套句じゃ。本当に魔力も無くレシピだけで作れるのなら今頃、この世は錬金術師だらけじゃ。考えてみれば解る事じゃ。誰でも簡単に出来るのなら錬金術の学院がご大層にある訳無かろう?」
「ううー」

 ルパートのばかー!
 俺はいじいじ床の上にののじを書いていた。
 コーデリアがゲシゲシと蹴ってくる。ううー。だーまーさーれーたー。
 でも負けない。ちゃんと作れるようになって、いざとなれば自分で薬を作れるようにしなければ……。
 がんばる。ファイトだ! 次いこ。つぎー。

「次は『燃える砂』じゃ。材料は……」
「燃える石!」
「使う道具は?」
「乳鉢!」
「良し。では始めよ」
「は~い」

 燃える石を少しづつ乳鉢で細かく砕き、すり潰していく。
 燃える石って、石炭かと思ったんだけど、違ったよ。赤い岩石だった。石炭と違って魔力を込めた火をつけると本当に燃えるんだよ。こんなのが火山の近くで取れるんだから怖いよねー。すり潰すと赤い火薬みたいになる。こわいよねー。
 失敗したらボンっと爆発する。注意、注意。
 ごりごりっと……細かく細かく。
 すり潰して粉になったら、燃える砂になる。
 出来たらまた専用のガラス瓶に詰める。出来上がりっと!
 コーデリアに見せると、驚いた。

「おお、これは! B判定じゃ! 中々やるものじゃ! 驚いたぞ」

 にこにこして採点表に書きこんでいく。
 こうして今日の午前の調合は終了する。作った触媒を俺専用の棚に置いた。
 『緑の触媒』『蒼の触媒』『燃える砂』に『ボム』と呼ばれる爆弾なんかが置かれている。『炎の女』って爆弾の作り方が載っているんだ。こわいねー。使う時は魔力を込めて使うそうだから俺が使っても大した威力にはなりそうもないけど。


 昼食を終えた午後、俺とコーデリアはいつものように近くの森に採取に出かける。
 近くの森に行くには、コーデリアの家から真っ直ぐカーライル村を横切ったその先にある。そのまま街道を行けばボロディル山脈へと続いている。燃える岩とか取れるのだ。そのうち行ってみようと思う。
 今日の服装はと言うと、ねずみ色ぽい長袖のカットソーに肩ひもで結んだブラウンのワンピース。その上に青っぽい長めのポンチョ。足元は黒のブーツ。
 なんだかコーデリアの着せ替え人形になった気分である。いいかげん赤いリボンを外したいんだが……。大きな大きな赤いリボン~♪
 ……外そうとするとコーデリアが怒る。なんで? 
 森に行くというのにワンピース。散歩に行く訳でもないのに……防護服の方が断然いいと思うが! 安全だし!
 背中にかごを背負って、中にはコーデリアの作った『ボム』を入れ、手には精霊の弓を持ち、矢筒を腰に付け、出発する。

 カーライル村の人達とも顔見知りになった。会うとよく話をしている。
 もっとも、息子の嫁にこねえか? というお誘いには丁重にお断りしている。……しかし考えてみればこの世界では早けりゃ13,4才で嫁に行く事も稀ではないのだから……17の俺はひょっとして嫁き遅れ? だと思われてるのか? ガッデム! なんてこったい。
 だからといって嫁にいく気はないけどな!

「まあ気にするでない。あのじいさんは誰にでも言うておるんじゃ」
「お婿に行けなくなったらどうしてくれる?」
「嫁にいけば良いではないか」

 そんな馬鹿話をしつつ、森にやってきた。
 2人で手分けして薬草を採取している。

「魔法の草にジール。魔法の草にジール」

 残念ながら俺にはまだこの二つぐらいしかはっきり解っていないのだ。きのこ類なんて難しいよ。食べられるか食べられないかで探すのならまだ、解りやすいんだが……効用別となるとまだまだ……はっきりしていない。
 一旦、コーデリアと合流する。
 お互いにかごを見せ合い、後どれくらい持って帰るのか相談する為だ。

「これぐらい?」
「これぐらいかもなぁ~」

 ―――ガサッ!

 俺達の背後から物音がした。
 俺はコーデリアの背後にまわる。
 コーデリアから採取に行く際に厳しく言われているのだ。

「お主はまだ、魔力が少ない。下手をすればこの世界で生まれたばかりの赤子よりも少ないかもしれん。この世界の獣は少なくともお主よりは魔力を持っておる。噛みつかれでもしたら、一発で死んでしまうぞ。戦闘になりそうだったらわらわの後ろに隠れるか、少なくとも背後から弓を撃つぐらいしかしてはならん。一撃でも喰らったら死ぬと思うのじゃ!」

 さすがに魔力不足を自覚しているだけに、死ぬと言われたら、そうだろうな~ぐらいには思える。
 コーデリアは杖を構え、物音がしている方を見詰めている。
 俺も弓を構え、じっと見ていた。

 …………どれくらい経ったのか?
 木々の後ろからウォルフに追われている女の子が飛び出してくる。その背後では二匹のウォルフがこちらに向かってきていた。

「来るのじゃ!」
「よし!」

 狙いをつけ、矢を放つ! 当たった! ……でも、動きが止まらない。
 コーデリアが魔法を唱えている。
 俺は女の子を抱きとめ、コーデリアを見詰めていた。

「雷撃じゃ! 喰らうが良いわ!」

 コーデリアが放った雷撃は物凄く大きな横倒しにした筒の様だった。
 それが真っ直ぐウォルフ達に向かっていく。
 当たった瞬間、俺は目を逸らす。
 離れていても漂ってくる黒後げになったウォルフから漂うタンパク質の燃える匂い。

「大丈夫?」

 俺は抱き締めていた女の子に声を掛ける。
 女の子は目をぱちぱちさせながらこくこく頷く。そうして……。

「ありがとうございますぅ」

 とお礼を言った。
 コーデリアは鼻を高くしていた。

「いや、それほどでもないのじゃ!」
「お礼なら、コーデリアに言ってくれ。俺はただ見てただけだ」
「いえいえ、ありがとうございます……ええっと、お名前をお聞かせくださいますか?」
「わらわはコーデリアじゃ!」
「あんたに聞いてないわよ。黙ってなさい。このロリ!」

 …………一瞬、空気が凍った…………。

 女の子は俺の胸元にすりすりと顔を摺り寄せている。
 その目はどんよりと濁っている。なんともいいようのない禍々しい雰囲気が彼女から立ち上っていた。

「え、えっと……」
「わたしはアメリアと言うんですよ。お名前を聞かせてくださいますよね? ね?」

 濁った眼で俺を見詰めてくるアメリア……。
 あまりの事に、横目でコーデリアを見る。両手で×印を作っていた。
 俺は彼女の方に手を置き、引き剥がすとコーデリアと目で合図をする。
 そうして……脱兎の如く逃げ出した!

「ああ!お待ちになってぇー!」

 背後からアメリアの声が聞こえてくる。
 走っても走っても声は一向に遠ざからない。
 コーデリアが後ろを振り向き、恐怖の表情を浮かべ、逃げる足が早くなった。俺は置いていかれない様に必死になって走る。
 しかし好奇心に負け、後ろを振り返ってしまった。
 そこには悪魔がいた。人はあんな表情が作れるものなのだろうか?
 どんより濁った眼。口元は笑う形を留めたまま追いかけてくるアメリア……。
 神様仏様。これはいったいどのような報いでしょうか? 過ちを認めるのは理不尽な気がしますが、行いは改めます。だから助けて!
 カーライル村を通り過ぎ、丘を越え、必死になって走り続け、祈りが通じたのか? ようやく彼女、アメリアを撒いた。


 俺たちは家のお風呂で足を擦っている。
 走り続けて足がぱんぱんになっていた。

「いったい、なんだったんだ?」
「解らぬ、解りとうない」
「しばらく引き篭もっている方がいいかな?」
「そうするか……」

 お互いに足を揉みあいながら話をしていた。
 魘されそうな夜になるかも……。湯船の中で鳥肌が立っている。



 夜中にコーデリアが俺のベットに入り込んできた。
 1人で寝るのは怖いそうだ。俺だって怖かった。……だから2人で抱き合って寝た。
 そんな一日。



[12791] 第7話 「ストーカー(潜む女)」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/23 19:53
 第7話 「ストーカー(潜む女)」


 近くの森であの悪魔(アメリア)と遭遇してから5日ほど過ぎた。
 そのあいだ、家に引き篭もり続けていた俺たちはようやく心の傷も癒えようとし、今日は2人でアデリーヌへお出かけである。食料品も補充しなければならなくなったからだった。

「今日はお買い物~お出かけ楽しいなぁ~♪」
「今日はお買い物じゃ~♪」

 俺とコーデリアはまるで自分を奮い立たせるかのように……歌っている。
 昨日までは外に出るのが怖かったのだ。
 悪魔(アメリア)と出会ったらどうしようかと……そう考えると怖くて外に出れなかった。
 しかし! いつまでも怯えてばかりもいられない。
 幸いな事に今日は天気も良い。朝のうちに洗濯をおえて、アデリーヌへ買い物に出かけよう! とどちらとも無く言い出した結果、たまった洗濯物を洗っていた。
 洗い終わった洗濯物を打ち込まれている2本の木の杭あいだに結ばれている紐に掛け、太陽と風に当てて乾かす。

「う~ん。お日様が気持ちいいな~」
「おお眩しいのじゃ」

 5日ぶりに朝の太陽を浴びて心地よさを満喫する。色とりどりの服が風に煽られ揺れていた。
 それを眺めながら久しぶりに俺たちは心から笑いあう。
 
 家の玄関の方でカポカポとのんびりした馬の足音がする。あの足音はカーライル村のトマス爺さんだろう。トマス爺さんは村で野菜農園を営んでいて、よく朝早くに自分とこの荷馬車で野菜を売りに来る。カーライル村の名物爺さんである。
 トマス爺さんのアスパラガスは、おいしいんだ。コーデリアにアスパラガスのグラタンを作ったらものすごく喜んでいた。
 他の野菜もおいしい。無農薬野菜とかオーガニックとか、元の世界では言っていたけど、この世界ではどこの畑でもみんなそうだ。

「トマス爺さんが来たようじゃ。野菜を売りに来たんじゃな」
「ここんとこ、保存食ばかりだったから今日は野菜を食べよう。何にしようかな?」
「ロールキャベツがいい!」
「ロールキャベツ? それもいいね、じゃあそうしようか」

 コーデリアが元気よくリクエストをした。それに答え、俺たちは急いで玄関へと向かう。
 案の定、相変わらず真っ白な髪の上に高く伸ばされた黒い帽子を被って、パイプを銜えたトマス爺さんが荷馬車の後ろに野菜を乗せて止まっていた。
 トマス爺さんは俺たちを見て顔を綻ばせた。

「よお! 最近、顔を見せなかったが元気だったか? 心配していたんだぞ」
「……まあ、色々とあってね」
「色々あったのじゃ……」

 帽子を取ってのんきに声を掛けてくるトマス爺さんに俺たちは視線を逸らしつつ返事を返す。
 忘れかけていた悪夢が甦ってきそうだ。あ~思い出したくない。
 首を振って忘れようとしていると隣でコーデリアが同じように首を振っていた。
 そんな俺たちをトマス爺さんが不思議そうな表情で見ている。

「ま、まあ……なにはともあれ今日は、どれにする?」

 気を取り直したトマス爺さんはそう言った。

「……今日は、キャベツ1個とにんじんと1本―――」
「アスパラガスじゃ!」
「―――アスパラガス1束とたまねぎ2個、じゃがいも2個。あ、あと卵3個。それぐらいかな」
「それで良いのじゃ♪」
「そうかい。まいどあり!」

 トマス爺さんから野菜を受け取ると家の中に入った。
 台所の棚に置いていると、コーデリアが後ろでにこにこ笑っている。

「なに?」
「ロールキャベツ楽しみなのじゃ♪」
「そう……じゃあ、そろそろ街に行く?」
「行くのじゃ!」

 簡単な朝食を終えた俺たちは、ぼさぼさだった髪を整え、服を着替え、出発する。
 馬車に揺られているあいだもコーデリアは、にこにこしていた。その笑顔を見ていると俺まで楽しくなってくる。ここしばらく沈んでいたから、たまにはこんなのもいいかも? 今日は楽しもう♪

 馬車駅を降りて、さっそく買い物をする為にまず、雑貨屋へと向かう。この世界は元の世界とは違って、食料品を扱っているのは雑貨屋か肉屋ぐらいしかない。野菜は各村で作っている人達が売りに来るし、牛乳なんかもそう。鍛冶屋も村にいるし、お酒は酒屋――といっても居酒屋みたいなところで買うしかない。
 コーデリアは、首都ノエルには専門店が軒を並べていると言っていたが、俺はまだ見た事が無い。
 雑貨屋の棚を見ていると、色んなスパイスが置かれてある。ハーブ類は自分の家の庭で栽培しているけど、さすがにスパイスまではね。
 しかし見ているうちに……もしかしてカレーが作れるかも? と考え付いた。
 この世界にはカレーが無い。と言うか、米がない。おそらくまだ遠方の国々とは交易が進んでいないのでは? と思っている。
 キリスト教もないし……おそらく他の宗教も無いのではないだろうか? 多神教だし、魔法や錬金術の方が発達しているしね。とはいえ、思わず俺は、カレーに必要なスパイスを買い求めていた。
 ローレル、オールスパイス、ターメリック、クミン、コリアンダー、チリーペッパー、ブラックペッパー、カルダモン、ナツメグ、シナモン、クローブなど全て名前こそ違っていたが、元の世界と同じものだった……そう考えると……やはりカレーが無い事が不思議だ!
 材料があって料理がない。と言うのもおかしな話である。……う~ん。まっいいか。この世界にはこの世界の都合があるのだろう。世界に文句を言ってみてもしょうがない。
 材料は手に入ったんだから自分で作ればいいの。カレー大好き。日本人だもん。
 嬉々としてスパイスをかごに入れていると背後からコーデリアに声を掛けられた。

「のう。お主……かなり精神的に女性化が進んでないか?」
「えっ?」
「いや、お主は嬉々として棚を見ておったが……前はそうでもなかったろう? 買い物好きは女の特徴じゃぞ……」
「えっ? ええっー! い、いつのまに……」

 俺は両手で顔を覆った。
 頭の中は真っ白になる。まったく気付かなかった……。

「ほれ、そういうところも……男の仕草ではなかろう」
「が~ん。なんという事だ。精神的汚染が進んでいるのか……いかん。気を引き締めなければ! 俺は男。俺は男」

 自分自身に言い聞かせていく。
 まったく、どうした事だ! なぜこんな事になってしまったのか?
 打ちひしがれた気分だった。楽しい気分が沈んでいく……。
 落ち込んだままロパートの店にたどり着いた。

「コーデリア? どうしたの、あきは?」
「いや、実はな……」

 コーデリアが俺の事をルパートに話している。それをぼんやりと聞きつつ心の中では泣いていた。
 ルパートの顔が驚いたり、青くなったり、心配そうになったりと百面相を繰り返している。

「ま、まあそうだったの! あき。心配しないであたしは貴方の味方よ。あたしも協力してあげるわ。ううん、協力させて! きっと立派なレディーにしてあげる!」
「違うわー! 男に戻る方法だ! ルパート! 薬持ってないか?」
「持ってないわ」

 つーんとルパートがそっけなく言う。
 てっきり、オカマやってるから女になりたいのかと思ってたけど? 作れなかったとか?
 でも、コーデリアはルパートは優秀なマイスターだって言ってたのに……。
 思わず、じとっとルパートを睨んだ。ルパートはちらっと俺を見るとつーんとした顔でそっぽを向く。

「だって、あたしには必要ないもの」
「えっ? でも……」
「あら? あき、勘違いしてない? あたしは女になりたいわけじゃないのよ。今の自分が好きなだけ。好きでやっているのよ」

 ルパートは真面目な真剣な表情で言った。
 俺は先入観からこの男を見損なっていたのかもしれない。どっちの方角を見ているにしろ。自分自身で決めたことをやり通そうと言うのは難しい。それがたとえ小さい事であっても、良い事であっても反発や悪意や善意から捻じ曲げようとする者は少なからずいる。
 それをオカマである事を選んでその通りに生きようとするなら、絶対、反発があったはずだ。それでもやり通そうとするなら、それはそれで凄いと思う。俺は今までそんな風に生きてこれたか? ……違うな。そんな風にはなれなかった。

「…………そうか」

 それだけしか言えなかった。
 そう言うとルパートにぎゅっと抱き締められる。
 自分の中にあったこの世界に来てから無意識に感じていた不安や女になった事の恐れとか戸惑いが溢れだし知らず知らずのうちに泣いていた。涙を流しながらこんなにも不安だった事に気付く。
 ルパートにしがみつき、わんわん泣いた。涙とともに自分の中から不安が流れ出していくような気がしていた。頭を撫でられて少し心地よかったのは秘密にしておこう。誰にも言わない。
 心配そうに見ているコーデリアを見てそう思った。

「さっ。紅茶でも飲みましょうか」

 ルパートはそう言い。テーブルの上のカップに注いでいく。
 紅茶の香りが店の中に漂い。しばしゆったりと落ち着いた気分になっていった。

 気分が落ち着いたところで俺とコーデリアは近くの森で遭遇した悪魔(アメリア)の事を話した。
 話しながらコーデリアの体ががくがく震えていたのは見物だったが、自分にも降りかかっている災いともなれば笑ってなどいられない。ルパートは話を聞いている最中、うんうん頷きながらも黙って聞いていた。

「……それでね。これからどうしようかと、不安なんだよ」
「う~ん。女の子が2人っきりで住んでいるんだから、なにかあったら大変よね。……そうだわ。しばらくあたしもそっちに行こうかしら?」

 ルパートはパンと手を打ちそう言った。
 俺とコーデリアは顔を見合わせる。
 確かにルパートが居てくれたら心強いかも?

「でもいいのか?」
「店はどうするんじゃ?」
「大丈夫。ちょうど良かったわ。実はお店を改築しようと思っていたとこだったのよ。それであたしもしばらく住む所を見つけなきゃと考えていたところよ」

 そうとなれば、急いで支度をするわ。と言ってルパートは2階に走り去っていった。
 呆然と取り残される俺とコーデリア。

「どうする?」
「仕方ない。もう少し買い物に行くのじゃ。それしかあるまい」

 肩を落として、店を出た。
 ……店を出てしばらく歩くと居酒屋が立ち並んでいる一角に出た。
 そういえば、前はこの辺りには来なかったな。そう思う。

「あき。居酒屋に寄って、ワインを買っていくのじゃ!」
「飲めるのか?」
「わらわは大人の女じゃ。酒ぐらい飲めるわ!」
「はいはい」
「人の話を聞くのじゃー!」

 コーデリアが喚いているのを無視して、居酒屋のドアを開けて中に入る。
 居酒屋の中はなんと言おうかほこりっぽかった。それと人が多くて熱気がむんむんとしている。客の誰もが剣を腰につけ、鋭い目つきで見ている。どうやら俺は場違いな所に迷い込んだと思われているのだろう。
 カウンターから店主らしき、ひげ面の男がやってきて「何か用かい」と妙に猫なで声で言う。

「ワインを買いに来たんだよ」
「ああ! そうか、そうか。うん。それでどんなのがいいんだい?」
「コーデリアはどんなのがいい?」
「無論、ザクセン産の赤じゃ!」
「俺は泡のあるのがいいんだけど……」
「スパークリングワインなら、ルリタニア産の白がいいのじゃ」
「ほおー。子どもの方がよく知っているじゃないか」
「わらわは子どもではないぞ」
「小人族だろ。それぐらい知ってるさ。小人族は体も小さけりゃ、胸も無いってな!」
「おのれー! ようも言うてくれたな! 消し炭にしてくれるわ!」

 コーデリアが魔法を唱えようとする。店内のざわめきが一瞬、止まり俺達に注目が集まった。

「おいおい。コーデリアはザクセン産の赤だな。俺はルリタニア産のスパークリングワインにするから、魔法はやめろ。店主、聞いたとおりだ。ザクセン産の赤とルリタニア産の白のスパークリングワインの2本をくれ。持って帰る」
「あ、ああ」

 店主は驚いたような顔をしてコーデリアを見詰めていた。

「ほら早く!」
「う? ああそうだった」

 店主が慌ててカウンターに戻るのと同時に店内のあちこちでひそひそと話す声が耳に届いてくる。

「おい。あの小人族、魔法使いか?」
「魔法使いがこんな場所にくるかよ」
「しかし、いま使おうとしたぞ」
「ハッタリだよ。魔法使いが塔から出る訳ねえよ」
「ちげえねえ」

 男達の笑い声が店内に響く。
 コーデリアの表情が険しくなり、俺は止めるのに必死になっていた。
 ワインを持ってきた店主に金を払い。俺はコーデリアを引きずる様にして店を出る。
 まったく、心臓に悪いよ。コーデリアはまだむくれていた。仕方ないので途中でベリーのクレープを買うとコーデリアに食べさせて機嫌を取る。
 ルパートの店に帰りこの事を話すとルパートは笑っていた。
 ルパートも、もう!
 俺の方が怒りたくなった。





 


 とうとう見つけましたわ!
 あの方の住むお家を……。
 まあ、洗濯物を干したまま出かけるなんて、無用心ですこと。くすくすくす。
 ふふふ。これなんか、きっとあの方の下着ですわね。ええそうですわ。なんていやらしい下着を身に着けていらっしゃるのかしら……。
 こっちの子どもっぽいのは、あのロリですわね。こんな物要りませんわ。
 窓を開けてっと、ふふふ。あの方のベットはっと……。ありましたわ、大きなベット……あら、ここはああ~。あのロリの部屋ですわ、ええそうに違いありません。こんな色気の無い下着の入った衣装棚、なんて紛らわしい。なんでわたくしの邪魔をするのでしょうか?
 こっちの部屋は、間違いありませんこの部屋ですわ!
 あの方は毎日、このベットでお休みになっていらしゃるのですわ。ふふふふ。

 このベットの上であの方に……あ~んなことやこ~んなことをして差し上げます。
 そうしてあのお方はわたくしのペットになるのですわ。ええ、可愛い首輪を着けてあげますからね。きっと可愛いですわ。子犬のように可愛がってあげますわ。そう四つん這いになったあの方が上目遣いでわたくしを見上げ、かわいらしく「ワンワン」と鳴くのですわ。
 想像しただけでわたくし。わたくし、ああー。

 さあ、帰ってくるまでどこで隠れていましょうか? ふふふ。楽しみですわ。




 

 
 乗合馬車に乗って俺たち3人はカーライル村へと帰って来た。
 荷物が重い。女になってから力が弱くなっていたようだ。その点、流石にルパートは男なだけあって軽そうに持っていた。
 荷物を置いて、まず洗濯物を取り入れよう。

「ああー!わらわの下着がないー!」
「えっ?」
「ほれ見てみい」
「……確かに黒い下着が無くなっている」
「干しっぱなしで、出かけたりするから村の男か誰かが、盗っていったんじゃないの?」
「お気に入りじゃったのに……」

 コーデリアは落ち込んでいる。とぼとぼと家の中に入っていった。
 洗濯物を取り入れた俺は、ため息をつく。もう一度、洗い直しだな……面倒だな。下着泥棒に対しておもいっきりむかついていた。

「ああー。わらわのベットがー!」
「今度は何よ?」

 ルパートが家の中へ入っていく。
 俺はまた、ため息をついた。
 家の中ではコーデリアとルパートがベットのシーツを交換していた。

「なんだか知らないけどね。ベットのシーツが濡れてたのよ」
「わらわのベットが……」

 コーデリアが泣きそうになっていた。
 ルパートがため息をつく。

「やっぱり、女の子だけで住んでいるから狙われやすいのよ」
「おのれー。絶対に許さぬからな!」

 と憤慨していた。
 コーデリアの顔には怒りが滲んでいる。
 なんかやだなーと思いつつ、俺は夕食を作っている。
 コーデリアのリクエストで今日はロールキャベツをシチュー風にして、とアスパラガスのグラタンも作った。
 あとは、今日買って来たワインを開けよう。
 テーブルに夕食を並べていると窓のガラスに誰かの顔が映ったような?
 ぞくっと背筋に冷たいものが走る。
 もう一度みると誰も居ない。首を振りつつ、また並べだしていく。
 ……怖がっているから幻覚が見えたのさ。そうに違いないよ。自分に言い聞かせる。

 並べ終えると同時にコーデリアとルパートがやってきて食事が始まった。
 俺の前にコーデリアとルパートが仲良く並んでいる。
 コーデリアは小さい口でロールキャベツを咥え、噛み切ろうと一生懸命だった。それを見てルパートが笑う。
 ワインも入って楽しい食事風景だった。

「おいしいのじゃ」
「ほんと。おいしいわ」
「あきは料理が上手なのじゃ!」
「いいお嫁さんになるわよ」
「勘弁してください」
「あらあら、いいじゃないの」
 
 ルパートにからかわれ、赤くなる……あ、ワインのせいですよ。本当に!
 ルパートは平気な顔で結構、飲んでいた。
 ふいに笑いながらもアスパラガスを齧っているコーデリアの顔が恐怖に歪む!

「どうした?」
「うん?」

 俺とルパートが声を掛ける。
 コーデリアは怯えながら首を振リ続けている。

「窓に! 窓に!」
「窓?」
「何かいたのじゃ!」

 俺とルパートが窓を見るとはっきりとは見えなかったが何かが動いて逃げていったのは分かった。
 楽しい時間は過ぎた。
 


 こうして、恐怖の一夜が幕を開けた。
 




[12791] 第8話 「ストーカー(監禁する女)」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/23 19:53
 第8話 「ストーカー(監禁する女)」



「窓に! 窓に!」
「窓?」
「何かいたのじゃ!」

 俺とルパートが窓を見るとはっきりとは見えなかったが何かが動いて逃げていったのは分かった。
 ルパートが立ち上がって、窓に近づいた。

「誰も居ないわよ」

 窓から外を覗いてルパートが言う。
 俺も窓に近づいていく。

「本当に誰かいたのじゃ!」

 背後からコーデリアの声が聞こえていた。

 ―――バタン!

 大きな音を立ててドアが開く。
 俺たち3人は振り返ってドアの方を見詰める。
 …………誰も居ない。

 ―――バン!

 今度は窓が開いた!
 慌てて窓の方に振り返った。
 …………誰も居ない。

「も、もういやじゃ~!」

 コーデリアが泣き出しそうに叫ぶ!
 蹲るコーデリアを慰めるように俺は背中を擦る。
 ルパートは立ったまま耳を澄ませていた。

 ―――コツコツコツ。

 誰かが廊下を歩いていく音が聞こえている。
 ドアから廊下を覗いたルパートが首を振る。

「誰も居ないわ」
「部屋に入り込んだんじゃないかな?」
「そうかもしれないわね」

 廊下に出ようとするルパートの袖を掴んで止めた。

「3人で一緒に行こう。バラバラに行動するのはまずいと思う」
「そうね。そうしましょうか」

 泣きじゃくるコーデリアを立たせると俺たち3人は廊下へと出て、部屋を見て回ることにした。ついでに俺は台所においてあるめん棒を掴み、ぎゅっと握り締めた。
 ルパートの泊まる客室は誰も入り込んだ痕跡はなかった。
 ほぉーと安堵のため息をつき、今度はコーデリアの部屋へと向かう。下着の一件といい、ベットの事といい。狙われているのはコーデリアっぽいし……。窓の事もコーデリアしか見てないし。
 しかしコーデリアの部屋は荒らされた痕跡がなかった。

「こうなると後は、あきの部屋に行きましょう」
「そうだね」

 足音を忍ばせ、俺の部屋に近づくにつれ「はぁはぁ~」と荒い息遣いが聞こえてきた。
 ルパートが頷き、そろそろとドアの隙間から中を覗く。
 中を覗いていたルパートが左手の人差し指を1本立てて、中には居るのは1人だと俺たちに伝える。
 めん棒を握り締め、息を凝らす。
 ルパートは勢いよくドアを開ける!

「動くな! ヘンタイ!」
 
 勢いよく部屋に踏み込んだルパートが大声で言う。
 部屋の中には黒いローブを着込んだ男が……衣装棚から下着を取り出し、口に咥えている。
 男は……ラッセンディル男爵だった。

「こ、この他人の下着に何してる!」

 めん棒を振り上げ、叩き付けてやろうとした。
 だが、それより早くラッセンディルは、へたり込んで後退りしていた。空振りした俺は、ルパートの腕に掴まり、体を支えた。見上げると、ルパートと目が合う。苦笑いされてしまった。恥ずかしさで顔が赤くなってしまう。視線を逸らした。ううー。もう、やあー。
 逸らした視線の先でコーデリアとラッセンディルが言い争っていた。

「ち、違う。違うんだ」
「何が違うんじゃ! この下着泥棒が! わらわの下着を取ったのもお主じゃろう!」
「コーデリアの下着になんぞ、興味は無い!」
「やかましい。このヘンタイ! 喰らうがよいわ!」

 背後で怯えていたコーデリアは今や怒りに燃えていた。両手の間から飛び出した雷球がラッセンディルに直撃する。
 黒焦げになったラッセンディルの体からぷすぷすと音を立てて、黒い煙が立ち昇った。

「うわぁ~。……死んだかな?」
「相変わらず、凄い威力ねえ……大丈夫でしょ、魔法防御力は無駄に高いし……」
「一遍死んでくるとよいのじゃ!」

 黒焦げのラッセンディルの体を踏みつけ、コーデリアが叫んでいるのを俺とルパートが呆気にとられたまま見ていた。

「あ~あ、まったく! 人騒がせな男よね。この変質者は!」
「……何者かと思えば……こいつだったとは……」
「しかし、何でこやつはわらわの家に来たんじゃ? やはり下着を盗む為なのか?」
「うーん。それはちょっと、違うんじゃないかしら?」

 ルパートは手馴れた縄捌きをみせ、手早くラッセンディルを縛り付けていく。
 コーデリアと俺は顔を見合わせ首を捻っていた……。
 ……しかし、ルパート……その縛り方はちょっと、ヒワイじゃないかな? こわいからうっとり、笑わないで……。

「ふふ。亀縛りなのよ。お店で一番人気が高い縛り方よ。あきも縛って欲しい?」
「……遠慮しておきます。思う存分、ラッセンディルを縛ってやってください。そいつならいくらでもどうぞ」
「あら、残念」
「いや、そんな事はいいのじゃ。それより、違うとは、どういう事じゃ?」

 ルパートはラッセンディルを足で踏みながら、言い始める。

「どうせ、こいつの事だから……昼間の話を盗み聞きでもしてたんでしょ? それで私たちの先回りをして、コーデリアの家にやって来て、洗濯物が干されてあるのを見つけて、犯行に及んだんじゃないかしら?」
「おお! ありえる話じゃ!」
「確かにそうかも」

 俺とコーデリアは納得した。うんうんと頷いていたら、ラッセンディルが、目を覚ました。
 こいつ……しぶといな~。蹴ってやろうかな? めん棒を叩きつけてやれなかったし?
 俺はとことこ近づく。

「せーの」

 ボカッとおなかを蹴る。「ううー」と呻き声を出してラッセンディルの頭が俺の足首にもたれかかる。

「じゅるぅ~」
「きゃあー!」

 悲鳴を上げて飛び退く。

「どうしたんじゃ!」
「どうしたの?」
「あ、足を舐められたぁ~」

 心配そうに近づいてきたコーデリアに抱きつき泣いてしまう。
 コーデリアは俺を抱き締めつつ、ラッセンディルのおなかをさらに蹴り、ルパートは尻を蹴っ飛ばした。

「あき! もうこいつに近づいちゃ駄目よ!」
「そうじゃ! 近づくでないのじゃ」
「それにしてもここまで、変質者だったとは……あたしにも見抜けなかったわ」
「わらわもじゃ……」

 仰向けでぴくぴくしてるラッセンディルを冷たい目で睨みながら2人は俺を抱き締め、頭を撫でている。
 ううーヘンタイめ……こわいよー。なんか死んだと思っていたごきぶりが実は生きていて、飛んできたみたいだ。俺はルパートとコーデリアの間からびくびくしながらラッセンディルを見ていた。

 ラッセンディルがルパートの手で引き立てていかれた後、めちゃくちゃにされた衣装棚を見ながら泣きたくなった。

「……気にする事はないのじゃ。新しい下着ぐらいいくらでも買ってやるからの。明日買いに行くのじゃ。これは焼却処分にしような、それが良いのじゃ」
「う、うん」
「じゃあ、キッチンに行くのじゃ」

 コーデリアに支えられるようにして部屋を出た。
 廊下には魔法で作られたランプが壁に沿って、掛けられており、明るい光を放っている。
 ルパートはもうすでにキッチンの方に入ってしまっている。廊下には俺とコーデリアの2人きりだった。

 ―――フッ――と明かりが消えた。

「な、なんじゃ?」
「なんで?」

 いきなり明かりが消え、俺たちは慌てた。
 廊下の先から甘い匂いが漂ってくる。

「こ、これは……いかん! あき。口を塞ぐんじゃ!」
「えっ?」
「ああーしまったぁー!」

 コーデリアの叫び声に不意を突かれて、一瞬、口を塞ぐのが遅れた。
 甘い匂いが頭の中を白く染めていく。意識がふわりと浮遊する感覚とともに眠くなってしまう。
 意識を失う前に、廊下の向こうに2つの目が赤く光っているのが見えた。




 ふふふ。やっと捕まえましたわ。
 さあ、わたくしの世界に連れて行ってあげますわ。




 気が付けば、明かり一つ無い暗い。知らない。部屋に閉じ込められていた。
 頭の中にまだ、あの甘い匂いが残っているような気がする。首を振って意識を覚醒させようとした。その時、シャラッ……と鎖の音がした。いつの間にか、俺の首に首輪が掛けられ、そこから鎖が垂れ下がっている。両手両足が鎖に繋がれ身動きが取れない。
 しかも服を剥ぎ取られ下着姿にされていた。

「なんだよこれは! 放せ! 外せぇー!」

 いくら喚いても辺りには何の反応も無かった。
 どれぐらい時間が経ったのか? それともさほど経ってはいないのか?
 すぅ~っと甘く冷たい風が纏わりついてくる。まるで風が意思を持っているかのようだ。
 足のつま先から軽く撫ぜるように風が昇っていく。背後から吹く風が首筋を擽る。くすぐったい風に肌が粟立っていく。ぞくぞくと背筋の産毛が立つ。力ずくで体を動かそうとするが、派手に鎖を鳴らしただけでさほど動けなかった。
 その間にも風は纏わりつき、体を擽るように撫でていく。

「はぁはぁはぁ。ゴクッ」

 喉の奥が引き攣る。息が苦しい。甘い匂いが周囲に充満していた。
 匂いを嗅ぐと頭がぼぉーっとしていく。つま先からジンジン痺れが走っていた。体の感覚が敏感になっている。
 体の奥から何かが零れだしていく。

「な、なに?」

 理解不能な現象だった。息苦しい。額に汗が滲んで、頬から顎の先に伝わる。

「はぁはぁはぁ……なんでこんな事に? なってんだ?」

 ―――コツコツ。

 誰かがここに近づいてきた。
 俺を攫ったやつか?
 睨み付けてやろうとじっと息を凝らすが……風に撫でられるたびに「はぁ~」と息が漏れる。
 闇の中から姿をあらわしたのは……。

「あ、悪魔(アメリア)……」
「くすくす。ようやく捕まえる事ができましたの♪ 喜んでくださるでしょ? そうですわ。そうに決まってますわ♪」

 ものすごくはしゃいでいる。
 そのはしゃぎように俺は恐怖を抱き、風が触れるのにも……しばし気付かないほどだった。

「コーデリアやルパートはどうした?」
「ルパート? ……ああー。あのオカマですか? 今頃はあのロリと一緒に寝ているでしょうよ。わたくし、あんなのに触れたくありませんの」
「……そうか、無事か……」

 俺は2人が無事なのを知ってほっとした。
 悪魔(アメリア)は眉間に皺を寄せ、怒りを露にする。

「なんだか、気に入りませんわ! なんですの、その笑顔は?」
「無事でよかったと思ってさ」

 嫌味なぐらいニコッと笑ってやる。

「まあ、いいですわ。これから貴方にはわたくしとここで暮らしてもらいますから……」
「断る! やなこった。誰がお前なんかと暮らすかい!」
「……あら? 案外口の悪い方でしたのね? もう少しお行儀よくなるようにして差し上げますわ」

 悪魔(アメリア)は香炉を目の前に翳した。
 香炉からはあの、甘い匂いが立ち上がっている。甘い匂いにクラッと眩暈がする。歯を食いしばり抗う。
 そんな俺をニヤニヤしながら悪魔(アメリア)は見ていた。

「耐えようなんて、無駄ですわ! これはわたくしのオリジナルですの♪ とっても素直になれるお薬ですのよ」
「……お……俺は、とっくに素直になってるぜ。お前なんか嫌いだ……」
「いいえ。すぐに好きになりますわ。そうなったら、子犬のように可愛がって差し上げますわ」
「ならないね!」
「その強がりがどれぐらい持つか、見物ですわ」

 悪魔(アメリア)の目が赤く光る。
 ……そうか、あの時の赤い光はこいつの眼だったのか?
 怒りが込みあがってくる。が……ふぅ~と風が流れて忘れかかっていた感覚を甦らしていった。

「あっ。はぁー」
「我慢は禁物ですわー」
「じょ、冗談じゃない。あっ……」
「その耐える表情が素敵ですわ~」
「言ってろ……」

 ……しかし、苦しい。というよりなんだか、もどかしい。擽られている肌が粟立つのをやめ、感覚に異変が起きかけている。
 いやだ。いやだ。嫌だ! 理由は分からないが、この感覚に飲まれるのは拙い!
 頭のどこかで危険信号を発している。唇を噛み締めている。噛み締めた唇から血が出ていた。
 うな垂れたまま耐えていた。


 ―――ドン!

 

 どこかで何かが爆発するような音が微かに聞こえた。
 諦め始めた意識が、力を取り戻す。唇を噛み締めたまま悪魔(アメリア)に笑ってやる。
 だが、悪魔(アメリア)は、俺の方を見てはおらず、きょろきょろと辺りを見回していた。

「どうした! 不安そうだが、予定外な事でも起こったか?」
「そ、そんな事はありませんですわ!」
「そうかい? そいつは良かったな!」

 俺の耳にはこちらに向かってくるコーデリアとルパートの足音が聞こえてきていた。
 触れるのを嫌がらずに縛るぐらいの事はしておいた方が良かったみたいだぞ? ほら。もうすぐ……。
 ―――闇の中に一筋の光が、現れた。

「あき! 無事か?」
「あき! 大丈夫?」

 コーデリアとルパートの姿があらわれる。……ついでのおまけの様にラッセンディルもいる。
 悪魔(アメリア)が魔法を唱えようとする。……しかし、ラッセンディルが放つ魔法の方が早く、また恐ろしいほど強大だった。

「凍れ!」

 一瞬にして氷の中に悪魔(アメリア)は閉じ込められた。
 目の前で起きた事なのに理解できない……魔法使いが塔から出てこなくて良かった……と素直にそう思う。
 こちらに向かって走ってくるコーデリアを見ながら、俺は気を失った。



 気が付くとコーデリアの家で自分のベットに寝かされていた。
 ベットの周りには心配そうに見ているコーデリアとルパート……と他人の下着を頭に被っているラッセンディルがいた。
 それを見た瞬間、感謝していた気持ちが消え去った。このヘンタイ!

「どうやら、目が覚めたようじゃ」
「ええ、心配したわ」
「ふごふご!」
「……お主。それは外さんのか?」

 コーデリアが呆れたようにラッセンディルを冷たい目で見る。ルパートも呆れている。

「ふっ……ふふ。あはははっ」

 なんだか言いようの無いおかしさがこみ上げて笑い声が零れた。



「で、結局、あれから何があったんだ?」

 俺は気を失ってからの事をコーデリアとルパートに聞いていた。

「うん。あんな薬なぞ。すぐに効果が消え去ったのじゃ。それから、あの変質者ラッセンディルにな、お主の居場所を探らせたのじゃ」
「まあ、一応、あれでも東の塔では優秀な魔術師だしね。探知の魔法ですぐに見つかったわ」
「でな、お主の居場所についてからは、簡単じゃった」
「見張りも居なかったしね。個人の犯行ってところだったみたいね」
「あやつの事は騎士団に連絡して牢屋にでも放り込めばよい」
「あれぐらいじゃ死にそうもないし。そうしましょう」

 2人はなんだかんだ言いながらもさっさと決めてしまった。それはいいんだけれど……気になっているのが1つ。

「……そうだったの? でもあれはなに?」

 ラッセンディルが被っている俺の下着を指差した。しかし目の前で咥えられると嫌なものだよね?
 ルパートは肩を竦め、コーデリアは頭を掻く。

「それなんじゃがな……お主の居場所を探す時に、お主の身に着けていた物が必要なんじゃが……あの変質者が……」
「下着以外では受け付けないって、言い張ってね。急いでいたし……仕方なかったのよ。お願い、許して!」
「はぁー。そうだったのか……」

 コーデリアとルパートが申し訳無さそうに言う。
 なんだか諦めの境地に立ってしまったようだ。
 ものすごく嫌だけど、一枚ぐらい。諦めようか? 身に着けたくないし……。でも……。あっ思いついた。

「……コーデリア、あれ燃やせる?」
「うん? ……ああ、出来るとも!」
「ええ、そうね。そうしましょう」

 2人はラッセンディルに声を掛けた。
 振り向いたラッセンディルにコーデリアが、「炎の矢」と魔法を掛けラッセンディルごと燃やしてしまった。
 それを見て、流石に本人ごと燃やすのはどうかな? と思ったけど……黙っておいた。
 窓の外はいつの間にか、朝になっている。
 このままうたた寝したいなあ~。……あっ! 思い出したぁ~!

「洗濯しなくっちゃ!」

 俺はベットから飛び起きて、昨日の洗濯物と一緒に、めちゃくちゃにされた衣装棚の物の纏めて洗濯をする為にかごを持って外へと向かった。家の中ではコーデリア、ルパート、そしてラッセンディルが揉めている。

 

 洗い終わった洗濯物を干しながら、まだ終わらない3人の争いを眺めている。
 昨日より多い、洗濯物が太陽を浴びて風に揺れていた。

「しょうがない人たちだなぁ~」

 いい天気だ。嫌な夜だったけれど、太陽を見るとほっとする。
 俺は両手を広げ、太陽の心地よさを満喫していた。




[12791] 第9話 「カレーパンを作ろう。カーライル村、2人はペタン同盟」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/25 09:39
 第9話 「カレーパンを作ろう。カーライル村、2人はペタン同盟」


 ローレル、オールスパイス、ターメリック、クミン、コリアンダー、チリーペッパー、ブラックペッパー、カルダモン、ナツメグ、シナモン、クローブなど全て名前こそ違っていたが、元の世界と同じものだった。ニンニクやしょうがは生でもいいよね。
 ああ、いける。俺ならいける。高校一年の夏、クラブの合宿で先輩たちに混じって本格インドカレーを作ったのだ。
 そうこれは、我が剣道部に伝わる秘伝のレシピである。だから大丈夫!


 ストーカー騒動が終わった翌日から、俺は日々の調合の合間を縫って、買って来たスパイスをすり潰し、カリー粉作りに勤しんでいた。乳鉢でごりごりとすり潰したスパイスを天秤で量り、調合された粉を混ぜ合わして出来上がったカレー粉を前にして感無量である。
 ルパートは俺が何をしているのか? 不思議そうに見ていた。気がつくとそばに寄ってきているラッセンディルの頭を叩きつつ、俺たちは過ごしている。
 あれからまだ、ルパートもラッセンディルもコーデリアと俺の家に一緒に住んでいた。
 なんだかんだ言いつつあの3人は仲が良いのかもしれない。
 庭に簡単な竈を作ってそこでカレーを作りながら3人の争いを眺めてそう思う。
 
「何を作っているのじゃ?」
「うん? カレー」
「カレーとはなんじゃ?」
「俺が居た世界の料理、結構辛くておいしいんだよ」
「……辛いのは苦手じゃ」
「はいはい」
「なんじゃー。その子どもを見るような目はぁー! わらわは子どもではないぞ!」
「はいはい」
「うがー」

 コーデリアは騒ぎ、ルパートに取り押さえられて家の中に連れて行かれる。
 ……しかし、コーデリア。ルパートに小脇に抱えられて連れて行かれるその姿は、子どもだと思うよ……。
 あれっ? コーデリアがルパートの腕を振り解いて、村の方へ走っていった?

 しかし! コーデリアはともかく、いかにカレーが好きだからとはいえ、お米の無いこの世界で単純なカレーを作るほど、俺は馬鹿ではない! 作るのはカレーパンである。パンの材料なんかは、家にあるのだ! 
……毎日パン作ってるし……。これを利用しない手はないだろう!
 という訳で、俺は庭でいそいそと作っているのだ。
 ぼそぼそになるぐらい煮詰めたカレーをパンの種で包み込み、天板に並べてよくしぼった濡れふきんをかけ、しばらく休ませる。
 一旦、エプロンを外し、手を洗って、洗濯物を取り込んで、畳み、衣装棚に仕舞っていく。
 そのあとは、家の掃除である。……こうしてみるとまるで専業主婦だな~。柱や棚をぞうきんで拭きながらそんな事を考えてしまっていた。手のかかる子どももいるし? 男連中は家事の役に立たないし……。ちろっとルパートたちを見た。

「な、何かしら?」
「ふご?」
「こらー! それ、俺の下着でしょうが! 漁るな!」
「ふごー!」

 下着を咥えたままのラッセンディルを蹴り飛ばす!派手に飛んでいく割には、ダメージが少ない。
 ……無駄に魔法防御力が高いっていうのが分かるよ……崖から突き落としてやったら、飛んで逃げたし。魔法使いってずるいよね。これでも、ローデシア大陸にその名を轟かす有名な魔法学院、東の塔ではトップクラスの魔法使いって言うんだから……世の中、何か間違っているような気がする。

 魔法の勉強を教わっているんだけど。それでもこいつを先生とは呼びたくないなぁ~。

「ルパートもこいつを止めてください!」
「ご、ごめんなさいね……あたしの魔法力じゃ、勝てないのよ……」
「あっ……」

 ルパートが落ち込んだ。
 悪いこと言っちゃったかな? ……ラッセンディルが無駄に魔法力が高いのが悪いんだ! そうだ。そういう事にしておこう!
 ぴくぴくしてるラッセンディルをつま先で踏み躙りつつ、ルパートを慰めていた。

 お昼近くになってから、コーデリアはエルフ? を連れて帰って来た。薄い緑色のワンピースは長めで足首まで隠している。……しかし、長い綺麗な金髪だ。それにやっぱり耳が長いんだね。あと、目の色が緑色だった。
 エルフをコーデリアより背は高かったが……凹凸が少ない体型だった。
 思わず、ルパートに聞いてしまった。

「エルフって、みんなあんな感じの体型なのか?」
「……もう少し、胸はあるはずなんだけど? エルフの中でも痩せている方ね」
「ふふふ。所詮、エルフはエルフ。人間の女にはプロポーションでは勝てぬのよ!」
「おい! ようやくまともに話したかと思えば、いきなりそれかい!」
「まったく!」

 ラッセンディルは、俺とルパートが小声で話している間に、にゅうと割り込んできたかと思えば、いきなりそんな事を言う。しかも結構、大きい声で! 俺とルパートは頭を抱え、ラッセンディルはコーデリアとエルフに睨まれた。

「なんや。あの変質者は? 殺してええか?」
「できれば、そうしてやってくれ!」
「あたしからもお願いするわ」
「やってしまうのじゃ!」

 俺とルパートはエルフの背後にコーデリアとともに、並び、エルフが魔法を唱えるのを見ていた。
 エルフは聞いた事の無い言葉で歌うように唱えていく。エルフの周囲に暖かな光が溢れてきた。そうして両手から光の塊を放ち! ラッセンディルに叩きつけた!
 眩しい光がラッセンディルを包む。
 俺たちは手で光を避け収まるのを待っていた。光が収まった後、ラッセンディルは仁王立ちのまま、高笑いをしていた。

「わはははははっー! エルフの魔法如き! この私には通用せぬわ!」
「な、なんやて!」

 エルフは愕然! といった顔でラッセンディルを見詰めていた。
 ラッセンディルは、そうして高笑いしたまま、倒れた……。
 エルフが近づこうとするのを俺は、慌てて止める。

「駄目! 近づいちゃ駄目!」
「なんでや?」
「ごきぶりとおんなじ、死んだと思えても飛んでくるかもしれない」
「……ごきぶりって……自分、結構きついな?」
「いや、甘いぐらいじゃ!」
「そうそう。それぐらいの警戒は必要だわ!」

 ルパートはラッセンディルに近づくと手早く簀巻きにしていく。
 コーデリアは口に布を押し込んだ上に呪文を唱えられないように縛った。
 エルフは呆然と見ている。俺の方が案外慣れていたようだった。

「……おお、紹介が遅れたのじゃ。彼女はタルコット。カーライル村のトマス爺さんの農園で働いているんじゃ」
「ええ、紹介に預かりましたタルコットと言います。よろしゅうにお願いします」
「香月あきです。こちらこそよろしくお願いします」
「ルパート・フォン・ターレンハイムよ。よろしくね」
「ルパートはルリタニア王国の侯爵家の3男で伯爵じゃ。アデリーヌで店を経営しておるのじゃ」
「ほー。それはごっついなー」
「で、あきは……話をした事があったと思うが……異世界から来たんじゃ」
「ああー。うんうん。聞いたわ……でも……なんやねん。この胸は……むっちゃ腹立つわ」
「胸は関係ないでしょう。胸は!」

 俺は胸を隠しながら言った。なんだかタルコットとコーデリアの目が据わったままじりじりと近づいてくるのがこわい。ルパートの背後に隠れる。

 ―――ボカッ!

 大きい音がしてルパートが倒れたぁ~!
 2人はさらに近づいてくる。

「コーデリア! 捕まえるんや!」
「任せるんじゃ! ふふふ。あき、逃げられんのじゃ!」
「いやー」

 逃げようとしたんだけど……魔法で捕まった上にさんざん胸を揉まれてしまった……。
 すっきりした顔で2人は笑っている。……ひどい。

「しかし、コーデリアの目標はこれやな!」
「これじゃ! この乳じゃ」
「これからもうちは、協力は惜しまんで!」
「おお、頼りにしているのじゃ!」

 がっちり、握手を交わしている2人を見ながら思った。……こいつら、同盟を組んでいやがる。
 ふと気がつくとラッセンディルが目を覚ましていた。さんざん胸を揉まれている俺を見ていたらしい。「はぁはぁ」言っていた。
 もうやだ。

「……で、これが、変質者ラッセンディルじゃ……はあ」
「これが、東の塔始まって以来の天才と呼ばれながらも追い出されたと言う。あの、ラッセンディルかぁー」

 タルコットは驚きながらも興味深そうにラッセンディルを見ている。しかし……東の塔始まって以来の天才って? それぐらいの奴だったら、多少の事は大目に見て貰えるんじゃないか? 俺はラッセンディルの行動を思い返していた……いや、追い出されるだろうなぁ~やっぱり。

 

 それから、衣を着けたカレーパンを揚げて、油を切って皿に盛っていく。
 天気が良いからと庭にテーブルを持ち出して、庭先で昼食である。

「うちは辛いのは大好物やで!」
「へぇー。そうなんだ」
「うむ。いくら辛くても平気なんじゃ」
「たまにそういう人って、いるわね」
「ふふふ。エルフの中にも変人はいるのだよ」

 『ふふふ』と不気味に笑うラッセンディルを見ながら、お前ほどのヘンタイはそうそういないだろうとみんな思っていた。
 はぁーとつく、ため息が食卓に流れる。

「ま、まあ気を取り直しましょうか」
「う、うむ。そうじゃ」
「それがいいわ」
「じゃ、じゃあいただきます」

 タルコットがカレーパンにかぶりつくのを見詰めてしまった。あ~ん。と大きな口を開けてまさにかぶりつく。と言った感じである。
 むしゃむしゃと咀嚼する。……ごくっと飲み込み。目を輝かした。

「うわー。めっちゃおいしいわ」
「うん。おいしいわよ」

 ルパートも笑ってそう言う。コーデリアが安心したようにカレーパンを齧り、涙目になった……。

「……辛いのじゃ~」

 なんとも情けない有様である。
 タルコットは頭にはてなマークを浮かばせているように不思議そうな顔をする。

「いや、そんなに辛ないで?」
「うん。それほど辛くはないわよ?」
「辛いのじゃ!」

 コーデリアは水をがぶ飲みした後、主張している。
 舌がひりひりしているようだ。かわいそうな事をしたかもしれない。これからはコーデリアの分は子供用にしようと考えていた。
 それからは、俺たちはのんびりと食事を楽しんでいた。

「えー。うちはな、ヘンルーダの森から、ノエル王国に来たんや」
「ヘンルーダの森?」
「ルリタニア王国にあるかなり大きい森よ。いくつかの山脈を覆っているわ」
「そうなんじゃ。普通なら山脈の名で呼ばれるはずなんじゃが……」
「あの山脈だけは、ヘンルーダの森って、森の名で呼ばれているのよ」
「ローデシア大陸の中でも最大規模のエルフの集落があるんやで! もうあちらこちらにエルフだらけや」
「へー。そうなんだ? すごいねー」

 俺は素直に驚いていた。エルフだらけかー。一度見て見たいかも……。
 その光景を想像していたら、なぜかもぐら叩きのゲームを思い出してしまい、笑ってしまった。
 ぴょこぴょこと森からエルフが出てきて、それをハンマーで叩く。そんな光景が目に浮かぶ。

「でもな。エルフって、うちが言うのも変やけど、もう真面目過ぎるんや! 融通が利かんゆうの? 堅っ苦しいんやで! それが嫌でうちは森を飛び出したんや」
「エルフの生真面目さは有名なのよ」
「ドワーフも意固地な所はあるのじゃが……どちらかというと……」
「エルフの方が意固地かもね。アルウェドの信者が多いからかしら?」
「アルウェドって?」
「なんや自分、知らんのか? アルウェドっていうのは、節度とか厳格とかを司る女神の事や。がちがちに厳格な融通の利かんって感じの女神様なんや」

 あ~なんとなく想像がつく。たまにいるよねそういう女の人って?
 俺が想像していると、ラッセンディルがぶつぶつ何か言ってた。

「……そういう女を、こう、めちゃくちゃにしてやりたくなるよな? そう思うだろう! なぁー!」

 最後の方は叫び声になっていた。
 立ち上がって身振り手振りを交えて自己主張しだす。
 いや。そういう事は、堂々と言うな! 場所を考えろ!
 思わず、引いてしまう……。
 周りを見るとみんな引いていた。

「お、お主は、黙っておれ!」
「喋るんじゃないわよ!」
「ヘンタイは黙るんや!」
「もう、や……」

 再び、ラッセンディルは簀巻きにされ、洗濯柱に括りつけられてしまった。
 気を取り直して、カレーパンを齧る。うんおいしい。よく出来た。
 ほこほことしたカレーパンを食べていると幸せな気分だった。

「だいたい、そのパンだって、(ぴー)みたいじゃないか! あき。お前だって、(ぴーぴー)願望があるんだろ! 自分に正直になるんだ! 望むんなら俺は何時だって相手をしてやるぞ! いや、禁断の世界に行こうじゃないか!」

 ……小学生じゃないんだから……そういうネタは言うもんじゃありません! それに(ぴーぴー)願望なんて無い!

 俺は頭を抱えた。コーデリアとタルコットはカレーパンを見詰め、なんだか複雑な顔をしている。そんな中、平然とした顔でルパートはカレーパンを食べていた。
 なんだか微妙な雰囲気が流れている。

「…………お主という奴は………」
「……自分は……言うてはいかん事を言うたで!」
「も、もう……いやー!」

 コーデリアとタルコットの2人の体から魔力が溢れだす。
 俺はルパートに手招きされてテーブルの下へ避難していた。

「吹き飛べ!」
「吹き飛ぶのじゃ!」

 庭を暴風が吹き荒れ、洗濯柱ごとラッセンディルが飛ばされていく。

「「成敗!」」

 2人の声が重なった。
 庭先は暴風の為に地面ごと抉られている。
 それを見ながらため息をついた。


 


 遠くの方から騎士団がこちらに向かってくるのが見えた。
 先頭に居るのは騎士隊長のアーヴィン・ハルフォードだ。
 後ろには大きな護送馬車が付いて来ている。

「ああ、あの悪魔(アメリア)を護送した帰りかな」
「うむ。そうじゃろう」
「これで、一件落着になったわね」
「話に出てきたストーカー?」

 俺たちは騎士団を見送っていた。
 あの悪魔(アメリア)も反省してくれるといいなぁ~。
 俺はそう思っていた。

「しかし……ラッセンディルもついでに連れてっていってほしいのじゃ」
「ええ、本当にそう思うわ」
「なんで? 連れて行ってくれへんのやろ?」
「国外追放した方がいいんじゃないか?」

 街道に倒れているラッセンディルはアーヴィン・ハルフォードの馬に踏まれ、護送馬車に轢かれても、平気な顔で生きていた。
 やっぱり、魔法使いって、凄いかも?
 
 アーヴィン・ハルフォードの隊から、騎士が一騎、列を離れこちらに近づいてくる。
 見ていた俺たちの前にやってくると騎士は馬から降り、ヘルムのバイザーを上げた。

「自分はクラウス・フューブナーであります。この度、古都アデリーヌ駐在騎士団からカーライル村に駐在するよう命じられました。以後、よろしく!」

 そう言って敬礼する。
 俺たちはそれぞれ挨拶と自己紹介をしていく。
 彼は馬に跨るとカーライル村へと戻っていった。
 それを見送りつつ俺たちは言い合う。

「やっぱり、あれも男好きなんじゃろうか?」
「アーヴィンの部隊だからねぇ~たぶんそうだわ」
「いや、そうやけどまだ、染まってはいなさそうやったで?」
「出来ればまともなままでいてほしいなぁー」

 俺がそう言うと……。

「「「多分、無理!」」」

 と、返事が帰って来た。 悲しいね。





[12791] 第10話 「夏が来る 水着とユニコーンとむきむきマッチョ」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/25 21:45
 第10話 「夏が来る 水着とユニコーンとむきむきマッチョ」

 
 早いもので俺がこの世界に来てから、もう3月になろうとしていた。
 この世界の月は1月、2月とは、呼ばれない。

  1月 金の月  アルウェド  節度、厳格の女神(エルフたちが信仰しているらしい)
  2月 薄紅の月 ドムブルフ  商業の神(ラヴェルナと仲が悪い)
  3月 春の月  ラヴェルナ  風の女神(盗人の神でもあるらしい)
  4月 萌葱の月 メイヴ    酒の神
  5月 緑の月   レイア    花の女神
  6月 新緑の月 アルドヴィ  河の女神
  7月 青碧の月 エギル    海の神
  8月 空色の月 アンシャル  太陽神
  9月 茜の月  コルデリア  婚姻、男女の愛の守護女神(アビゲイルとアデルのいる教会の神様)    
 10月 紅の月  ゲヴユン   農業の神
 11月 白の月  カレヴァラ  天空の神
 12月 銀の月  アローナ   月の女神(アンゲローナという名の冥界の女神でもある)

 1月は30日で、年の初めに余日(ユール)と呼ばれる祭日? を5日とって、1年を365日としている。
 閏年は6日ね。
 それなのに、週日の方は数字なんだぜ。1,2,3……って。元の世界で一週間は7日だったけど、こっちでは10日だった。そして、それぞれの月には、守護する神様がいる。1月ならアルウェドというように……。
 そして今日は、青碧の月、第3週の29日である。

 なぜ、こんな話をしているかと言うと、あと2日で空色の月になるからである。……いや、正確にはあと2日で、泳げるようになるからである。
 ローデシア大陸の最北端の国、ノエル王国では、空色の月までは海で泳いではならないそうだ。そして茜の月になると泳ぐのを禁止される。いや、泳いでもいいんだよ? 凍死してもいいのならね? 北の国に短い夏がやってくる。
 
 という訳で、俺とコーデリア。そしてタルコットの3人はアデリーヌへ水着を買いに来たのであった、まる。

 アデリーヌへついた俺は、はっきり言って驚いた。
 街のあちこちの店、服屋だけでなく雑貨屋でも居酒屋の店先にすら水着が売り出されている。そこには女性達が大勢が屯していた。いつもなら大きな顔で店に居座っている冒険者とか、力自慢の男達も肩身が狭そうにしている。店内には簡単な試着室が拵えてあり、なんとか試着室を覗こうとしている連中がこそこそと近寄っては追い出されていた。

「……すごいね」
「まったくなのじゃ」
「どこにこれだけの人がいたんや?」

 俺は、その光景を見て圧倒されてしまう。
 やっぱり、買い物に群がる女性のパワーには、勝てそうにないよ……。 俺? 無理。
 逃げ出そうとしてコーデリアとタルコットに腕をつかまれ引きずるように連行されていた。

「無理。無理。無理だから!」
「ええい! 往生際が悪いのじゃ!」
「そうやで、自分もちゃんと選ばんと!」

 無理矢理連れてこられた服屋の店内でコーデリアとタルコットの着せ替え人形と化していた。
 目の前にいくつもの水着が掛けられている。目のやり場に困るよね? なんたって目の前で女の人たちが裸になって着替えているんだから……。最近ようやく気にならなくなってきたと言うのに……うわーん。

「これなんか、どうじゃ?」
「白い水着は透けるんやで? こっちの方はどうや?」
「真っ赤じゃな!」
「どうやええやろ?」
「なんで! さっきからビキニばっかりなんだよ? ワンピースでいい。ワンピースで!」

 ビキニの水着を手にとって俺に押し付けてくるコーデリア達に文句を言った。言ってやった!
 そうしたら……物凄く怖い目で睨まれた……しかも、店内にいた女性達にも睨まれてしまう。なんで?
 つかつかと近寄ってきた、目が据わり、長い耳をピンと立てた、タルコットが俺に真っ赤な水着を押し付けつつ言う。

「……自分。余裕か? 余裕なんか? ええ! ちょっとスタイルがええからって、うちらに喧嘩売ってんのかぁー!」
「わらわたちは、ワンピース以外は着たくても着れんのじゃぁ~! があー!」

 『がおー!』と、コーデリアとタルコットの咆哮が店内に響き渡る!
 
 

 一瞬、2人のバックにドラゴンが浮かんだ!
 
 


 それを聞いて周囲にいた女性達がうんうんと頷いていた。店内の気温が低くなったような気がする。夏なのに。周囲の女性陣の目が冷たい。
 小声でなにやら、ひそひそと言われている。
 ……俺は諦めて……真っ赤なビキニの水着を着る羽目になってしまった。
 泣いて縋り、パレオ? って言うの? 腰に結ぶスカーフのような物を身に着ける事を許してもらう。


 それから……さらに幾つかの店を見て回り、結局、真っ赤なビキニの水着を買う羽目に陥る。……とほほ~。

 ぐったりとした俺は、カフェで座り込んでいる。
 動きたかねえー。もう嫌だ! 女の買い物に付き合った男なら誰でも言いそうな感想を心の中で呟いていた。
 コーデリアとタルコットの2人は、きゃわきゃわと騒いでいる。……しかし、こいつら何でこんなに元気なんだろう? 俺もう駄目。精神的に疲れたよ。もうそっちに行ってもいいよね……パト○ッシュ……。
 脳内で天使達が舞い降りる光景が浮かんでいた。

「きゃあー! きゃあーきゃあー!」

 商店街の街道で女性達の悲鳴が耳に飛び込んでくる。
 カップに入ったアイスクリームを舐めていたタルコットの長い耳がピクッと動き、くるくるっと回る。
 悲鳴の聞こえた方を見てみれば、真っ白い馬が一頭、うろついているだけだった。その周囲で女たちが逃げ惑っている。

「あー。ユニコーンかぁ~」
「何で誰も、手綱を取ってどこかに止めようとしないのかな?」
「あーあかん。あかん」

 タルコットは手のひらをひらひら振りながら言った。
 それに対してコーデリアは嫌そうにユニコーンを見つつ言う。

「ユニコーンというのはじゃな、男嫌いの女好きでな、しかも処女以外には懐かんのじゃ。男が手綱を取ろうとしたら暴れまくるのじゃ」
「そうそう、それも、物凄い処女好きでな、いかに女でも処女以外は女やないちゅうぐらい。嫌がるんや」
「その挙句に、もう何年ぐらい前じゃったかな……母親と小さな娘がユニコーンに出くわしてな……」
「ああ、20年ぐらい前やったな、それで母親の方がユニコーンに殺されてしもうたんや。何も殺さんでもええやんか? そう思うへん?」
「その事件以来、ユニコーンは女達からは物凄く。ものすごーく、嫌われているんじゃ!」
「なんで、ユニコーンは母親の方を殺したんだ?」

 俺は疑問に思う。男嫌いの女好きなら、いくら処女じゃないからといって女を殺す事はないだろう?
 そう言ってみた。

「自分、甘いわ!」
「そうじゃ! 甘すぎるのじゃ!」
「処女以外は、女扱いせずに嫌がるのじゃ!」
「子どもを産んだ母親は、処女やないからな。まったくむかつく生きもんやで! 子どもを産んだら女やないちゅうんかい!」

 タルコットがテーブルを叩く。ガタッとテーブルの上の俺の分のアイスが倒れてしまった。あー。俺のアイス~。
 コーデリアは、とっくに自分の分のアイスを手に持って避難させていた。ううー。

「まーそのうち、騎士団がやってきて、あの馬を捕まえるか、殺すかするじゃろう」
「そうそう。ほっとき、ほっとき」

 コーデリアとタルコットの2人はそれっきり、ユニコーンの方を見なくなった。
 俺はしばらくユニコーンを見ていた。真っ白な毛並み。鋭く尖った一本角。ファンタジーでよく見かける姿そのものだった。
 男嫌いの女好きかぁー。確かに処女以外はその背に乗せないって言うのは、よく言われる話だけど……実際に関わるとなると、最悪の生き物かもしれないなー。絵本の中だけで充分だな……。

 そのうちに、騎士団がやってきて、さっさと捕まえて連れて行ってしまった。
 あっさり、捕まえたなー。でも、ユニコーンの手綱を持っているのが……アーヴィンとは、皮肉かな?
 男嫌いの女好きが、女嫌いの男好きに捕まっていく。なんと言おうか、シュールな光景だった。
 お互いに対極にいるのが分かるのか? 物凄くユニコーンもアーヴィンも嫌そうだったのが、印象的だった。

「さあ! 買い物の続きやでー!」
「おー!」

 タルコットとコーデリアが腕を上げて宣言する。
 ……まだ、行くのかー? 帰りたいよー!
 泣きそうになりながらも2人に連れまわされる俺だった……。疲れるー。


 散々連れまわされたあと、ルパートの店(改築が終わったらしい)に着くと、カーテンが閉まっている。

「あれ? お休みかな?」
「扉は開いておるのじゃ?」
「じゃあ、ええやん。入ってみよ」

 タルコットはさっさと入っていく。その後を、俺とコーデリアは付いていった。
 店内は明かりが消え、暗くなっている。改装が終わった後の店内は綺麗に磨き抜かれていた。明かりがついていたらもっと、綺麗に見えたかもしれない。

「おーい。ルパート? 居らぬのかー?」
「おーい」

 声を掛けてもルパートは出て来ない。
 初めて会った時は、奥の部屋から出てきたんだよな? また、奥にいるのかも? そう思って奥の部屋に声を掛ける。

「おーい。ルパートー!」
「う~ん。ちょっと。待ってね」
「奥にいたんか?」
「そうみたいじゃ」

 俺たちは顔を見合わせ、しばらく待っていると奥からルパートの足音が聞こえてきた。
 ルパートは一旦、扉の前で立ち止まり、それからおもむろに扉を開けた。
 ルパートが店内の中心に立つと、同時に店内に明かりが灯る。
 磨きぬかれた店内が明かりに反射して輝いている
 その中心で……。


 きわどいビキニパンツを穿いたルパートがポージングを決めていた。


「ふん!」

 ……呆気に取られる俺たち3人に向かって、筋肉を見せつけながらポージングを変えたルパートが言う。

「あたしの肉体美を見て! どお、素晴らしいでしょおー! ふんふん!」

 眼が点になる……というのは、こういうことだろうか……?
 呆然としている俺を尻目にコーデリアとタルコットの二人の方が早く再起動していた。

「おのれー。 ルパート!」
「これは負けてられへんで!」
「そうじゃ!」
「そうや!」
「あき! あんたの肉体美を見せ付けてやるんや!」
「あき! お主の肉体美を見せ付けてやるのじゃ!」

 俺は再び、2人に引きずられながら奥に部屋へと連れ込まれる。

「いーやーだー!」

 泣きながらも魔法で拘束され、服を脱がされ水着に着替えさせられる。
 真っ赤になって手で顔を押さえながら2人に引き立てられるかのように店内へと戻された。

「こ、これはー! 負けられないわ! あたしの肉体美を見なさい! ほらー! ふん!」

 ルパートがポージングを次々と変えていく。筋肉が汗で光っている。
 真っ赤になったままの俺にコーデリアとタルコットの罵声が飛ぶ!

「なにしてんのや! ほら、ポージングを決めんかい!」
「そうじゃ! 決めるのじゃ!」

 …………罵声を浴び、やけになった俺は、胸を張り、顔を上げていわゆるモデル立ちというのをした。
 そうして次々とポーズを変えていく。
 もうヤケクソである!

「おー。ええで! ええで!」
「そうじゃ! その調子じゃ!」

 あまりにコーデリアとタルコットの声が大きかったのか?
 いつの間にか、店内に人が集まってきていた。その中にアビゲイルがひょっこり顔を出した。

「やや、何をしているんだね? 君たちは!」

 アビゲイルが店内に入ってくるなり叫んだ!

「うぬぬー。そうかそうか。あきとやら、それは私に対する挑戦と受け取るぞ!」
 
 アビゲイルは俺を見るなり、俺の顔に指を突きつけ、いきなりそんな事を言い出して奥へと入っていった。それからあっという間に、アビゲイルも黒くきわどい水着を着て出てきた。

「見ろ! 私の方が美しい!」

 そう叫び! ポーズを決める。

「あたしの方が美しいわー!」
「いや、私だー!」
「……もう、帰りたい」

 俺は泣きそうになりながらポーズを決め、立ち尽くしていた。
 店内に溢れ返った観衆の見ている中で俺とアビゲイルとルパートの3人は水着を着たまま、ポーズを決めている。
 このままでは、俺までヘンタイの仲間入りをしてしまう。
 
 それだけは、それだけはいやだー!

 俺の絶叫は誰にも届かず……。
 観客たちの熱狂と絶叫の中に埋もれていった。

 



[12791] 第11話 「夏が来た 深窓の王子さま 男の娘は好きですか?」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/27 13:08

 第11話 「夏が来た 深窓の王子さま 男の娘は好きですか?」


 ノエル王国アルル地方、古都アデリーヌから、馬車で3日、西に向かって進んだ先の大きく突き出した岬のそばにアイヴスという町がある。この町は古くからノエル地方の人々が海水浴に訪れる町であった。
 空色の月には、この町の人口か一気に100倍にまで膨れ上がるとまで言われている。本当かどうかは分からないが……。夏の観光地としては、有名な町ではあるそうだ……。

 アイヴスの海は深い蒼色で綺麗だという。
 馬車から身を乗り出したコーデリアとタルコットの2人が口々に言い合っていた。

「ほらほら。2人とも危ないから馬車の中で大人しくしてなさいな」

 ルパートが御者席から振り返ってコーデリアたちを窘めている。その隣りでは、ラッセンディルが簀巻きにされて括りつけられていた。理由は推して知るべし。……言うまでも無い。変質者ラッセンディル。この言葉が、全てを物語っている。
 俺はというと……馬車に酔ってぐったりとしていた。……だって、こんなに長く馬車に乗った事なかったんだよ! それにぐらぐら物凄く揺れるし……。あー目が回るー。
 吐き気を堪えつつ外の風景を眺めていた。

 アイヴスに近づくにつれ海が近くなっていく。
 窓の外は一面の海! 太陽が海に反射してキラキラと輝いている。

「おー凄いのじゃ!」
「うわーめっちゃ、きれいやで!」
「ほんと、綺麗だ……海かー」

 はしゃいでるコーデリアたちの隣で、俺は日本を思い出していた。
 みんな、今頃どうしてるかな? まさか俺が女になっているとは思わないだろう……な。綾姉や香月家の人たち、それにぽちや学校のクラスの連中の顔が次々と思い出されてくる。
 俺は首を振って、考えないようにした。焦ってもしょうがない。錬金術のスキルもたいして上がってはいないのだから……。その代わりといってはなんだけど、魔法防御は少し……ようやく一般人並みに上がった。これで少しは戦えるだろう。馬車の中に持ち込んでいるレイピアを撫でながら、一歩前進、一歩前進と自分に言い聞かせる。

 町の入り口にある関所の門を潜りアイヴスの町にようやく着いた。と思ったら……ルパートは岬の方へ馬車を進めた。

「あれ? ルパート、どこに行くの?」

 不思議に思って俺がそう聞くと……、

「岬の近くにターレンハイム家の別荘があるのじゃ」
「ええ、別荘へ向かっているのよ」

 コーデリアとルパートがなんでもないように返事を返してくる。
 別荘とは……やはり、貴族の余裕というやつか……。

 岬のそばの森の中に入っていく。といっても街道は整備されているし、石畳の上を馬車は進んでいた。
 街道の両脇から張り出した木々のカーテンを潜り抜ける。
 その先にターレンハイム家の別荘があった。

「うわー。……なにこれ……?」
「うわー。ごっついなー」

 俺とタルコットの声が微妙に重なった。
 ……別荘? 宮殿じゃないのか? こんなんありか?
 それは、左右に張り出した両翼を持つ、豪華絢爛という言葉が相応しい大きな建物だった。

「驚いているようじゃの。無理も無いわ。わらわも始めて見たときは、驚いたものじゃ」
「これ、本当に別荘?」
「ええ、そうよ」
「嘘やろー。こんなん、本宅やん」

 タルコットが突っ込んでいた。
 俺は呆然としていた。う~ん。なんと言うのか? ウィンザー城とかエリゼ宮とかを見せられて、これが私の別荘よ。と言われたら、今の俺と同じように呆然とするしかないだろう? そんな気持ちだった。

「元々はカプールの初代女帝が建てた物だそうよ。その後、改築を繰り返して帝国崩壊の際に戦勝国であるルリタニアの手に渡ったの、その時、ルリタニアの王家と共に戦ったターレンハイム家は、侯爵家として取り立てられて、この女帝の別荘を手に入れた。という訳」
「はー。元々は初代女帝のもんやったんかー。うん。それなら分かるわ。派手好みやし。古都アデリーヌも元々は女帝の別荘やとも言われているしな」
「……無駄に豪華。あんまり使わないのに、維持するのも大変だろう?」
「仕方ないのよ。一応、ルリタニア王家もここに泊まる事もあるし、他の国の王家もね」
「あーそうかー。他国の王家を迎え入れる為でもあるのかー」

 あーそれなら、仕方ないかな? でもそういうのって、王家とか王国が予算を組んで維持する物なんじゃないかな? いくら侯爵家だからって、一貴族が維持するのは、大変じゃないのかな? やっぱり政治的な問題が絡んでいるのか? 宮廷闘争! 嫌な言葉だ。あんまり触れない方が良さそうだ、うん。

 大きな扉を潜り、中に入ってまた驚いた。
 ぴっかぴかのキンキラキン。ふっかふかの赤い絨毯。いくらぐらいするんだろう?
 足元を見詰める。そして上を見上げれば、天井にはおーきなしゃんでりあ……。
 違う。違いすぎる。……今までの俺の生活とはあまりにちがいすぎるぅ~。もう腹も立たんし、嫉妬もできない。ここは異世界。ここは異世界。と自分に言い聞かせた。

 すっと気配もなくそばにやってきていた執事のおじいさんが、俺の手から荷物を取り上げ運んでくれる。コーデリアたちもメイドさんたちに荷物を持ってもらって部屋に案内されていく。

「あっ、ありがとうございます」

 そう言うとなんだか驚かれた。
 俺? おかしいこと言ったかな? 首を捻りながら執事さんの後に付いていった。途中でメイドさんたちがすれ違う時に壁に身を寄せ、会釈しながら見送ってくる。その度に俺はメイドさんに頭を下げて会釈を返していた。
 階段を上り、2階の部屋にたどり着く。開かれた扉から中を覗いてぼぉーっとしてしまう。
 この部屋だけでコーデリアの家より、ワインを買った居酒屋よりも広い……。端まで遠いよぉー。
 部屋の真ん中辺りに天蓋のついたおーきなベットが置かれてある。キングサイズどころじゃない。一度に10人は一緒に寝れそうだ。そのそばにはこれまた、おーきな鏡台が置かれていた。百貨店とかのトイレの手洗い場にある鏡よりおーきい。
 これが……個人用? 目の前がくらくらしてきた。

「どうぞ中へお入りください」

 扉のそばで中を覗いていた俺は執事さんに声を掛けられ促される。

「あっ、すいません」

 そういい。慌てて中に入る。
 執事さんの顔は見えないけどもしかしなくても呆れられてるよね? でも、仕方ないじゃないかー。こんなとこに入るのは初めてなんだし!
 鏡台の前の椅子に座って、俺はそんな事を考えていた。
 なんか、物凄く豪華な部屋だよー。ここって寝室なんだよねー。ベットと鏡台しかないし?
 天井に吊るされているおーきいしゃんでりあを見上げている俺であった。

「この部屋は、カプール帝国初代女帝アデリーヌが過ごしていた部屋でございます」
「えっ? ええー! なんでそんな部屋に?」
「ルパート様のご命令でございます。貴女様には最高の部屋に案内いたすようにと命じられております」
「ルパートさんが? なんでだろ?」
「存じかねます。それとこの部屋には、対魔法防御が施されております。外部からの魔法は一切! 透しませんからご安心ください」
「あー魔法封じかー」
「では、わたくしはこれにて失礼致します。御用がおありになるのでしたら、ベットのそばに置かれてある紐を引きますとメイドが窺いに参ります。ではこれにて失礼致します」
「あーありがとうございます」

 執事さんが頭を下げて出ていくのに、俺も頭を下げてお礼を言った。
 扉を閉めるときに執事さんは、物凄く生暖かい笑顔で笑って立ち去る。
 なんでだろ? ぼんやりと鏡を見ながら考えていた。

 
 鏡に映る俺の顔は、鳴神家の長女、鳴神秋菜に似ている。
 コーデリアの作った薬の所為で女性化したときに、俺の体は女に作り変えられた。なら同じ両親から生まれた姉の秋菜に似ているのは不思議ではないのかもしれない。次女の茜とも妹の亜貴とも違うのは、それだけ俺と秋菜が近い存在だったのかもしれない。俺の方がプロポーションはいいけど……これも薬の所為だ。

 もう思い出す事もないだろうと思っていた鳴神家の事を鏡を見るたびに思い出していく。あの頃の鳴神家の中は物凄く暗かった。ギスギスとしていた鳴神家で、誰もが刺々しい雰囲気を漂わせていたような気がする。
 もしかしなくても俺を嫌っていた姉たちも本当に余裕がなさ過ぎたのかもしれない。母親は妹を産んでから寝たっきりだったし、妹も産まれつき病気がちだった。祖父は、ぼけが始まっていたのだろう……。夜中に徘徊する事もあった。
 その中で1人空気を読まずに、のほほんとしていた俺は姉たちから見ると腹立たしい存在だったかも、な。今から思えばそう思う。
 記憶の中に居る鳴神秋菜は、鏡に映っている俺とは違い疲れて、とげとげしい顔をしていた。そんな顔しか出来なかったのだろうか?そう思うと憎んでいた筈の姉の事も悲しく思えていた。


「おーい。あきー」

 部屋の外でタルコットの呼ぶ声がして、俺は思い出の中から引き戻された。
 急いで鏡台の前から立ち上がり、扉へと向かう。
 扉を開け、タルコットを迎えると、タルコットは部屋に入るなり―――。

「おー!」

 と言う声を上げた。
 そうして、俺の方を向き、

「……あき、自分だけなんでこんなええ部屋に泊めて貰えるんやー!」

 と、騒ぎ始める。
 そんな事、俺だってわかんない。
 執事さんは、ルパートの命令だって言ってたけど? 

「わかんない」
「わかんないって、うちらの部屋は、ここの10分の1ぐらいやでー!」
「ええー!」
「なんでや? 怒らんから、うちにいうてみ? うん? なんでやねん!」
「うわー。もう怒ってる! 怒ってるじゃないか!」
「怒ってないわー!」
「ルパートの命令だって! 執事さんがそう言ってた!」
「よっしゃ! ルパートの命令やな? 問い詰めてきたるわ!」

 そう言うとタルコットは急いで部屋を出て行こうとする。扉のところで一旦、立ち止まると、こちらを振り向き、「そうそう、一階のテラスでお茶を飲もうって、コーデリアが言うてたで!」と叫んでから走り去っていった。
 タルコットを見送った俺は、コーデリアとお茶を飲むために一階に下りていこうとした。
 
 ……迷った。一階だから……階段を下りたんだけど、テラスがわかんない。テラスどこー?

 きょろきょろしていたら、柱の影でコーデリアぐらいの小さな女の子が俺をちらちら見ているのに気付いた。

「うん? ……お嬢ちゃん。こんにちは」
「……こんにちわ」

 女の子はとことこ柱の影から出てくると俺のそばにやってきた。
 小さな女の子が俺を見上げている。
 俺はしゃがんで女の子と目線を合わせた。
 よく見ると可愛らしい子だ。着ている物もふりふりの青いドレス。レースとフリルがいっぱいついていた。
 頭には小さなティアラが載っている。

「お嬢ちゃんのお名前は?」
「お姉さんのお名前は?」

 ……聞き返された。ああそうだね。知らない人だもんね。

「え~と、う、うん。私は香月あき、と言います。お嬢ちゃんのお名前はなんていうのかな?」
「エル。エルだよ」
「へ~エルちゃんかー。よろしくー」
「はい。よろしくー」
「エルちゃんは、テラスがどこにあるのか、わかる?」

 小さい女の子に聞くのは情けないかもしれなかったが、分からないので聞いてみた。
 そうしたら、エルちゃんは、頷いて俺の手を引いて歩き出す。俺たちは手を繋いで長い廊下を歩き出した。
 もう長い。長い廊下をてくてくと歩く。
 だいぶん行った先に、ようやくテラスが見えてきた。
 コーデリアが俺たちに気付いて声を上げる。

「遅いのじゃー!」
「悪い。悪い。道に迷ってた」
「あーここに来るの初めてだから仕方ないわ」
「おー。エルではないか! 元気じゃったか?」
「元気だよ」

 コーデリアは俺と一緒にいたエルにも気付き、声を掛けた。エルは返事をする。それから俺を見上げるとにこっと笑う。
 ルパートは、席を立ち上がるとエルの前に膝をつき、恭しく挨拶をした。

「ルパートも元気だった?」
「はい。ですがわたくしより、エル様の方はいかがでしたでしょうか?」
「元気だよ。うん元気」
「エルは食が細いからいかんのじゃ。もっと食べんといかんぞ!」

 コーデリアがお姉さんぶって、エルに言い聞かせようとしていた。
 なんというか、同じような背丈なものだから、小さいお姉さんが小さな妹に言うみたいで、ほほえましい?
 それから俺たちはテーブルを囲んでお茶会を始めた。周囲には何人ものメイドさんや執事さんや男たちが動いている。
 お茶1つ飲むにもこんなにメイドさんたちがいるんじゃ、落ち着かないのは、俺が貧乏性だからだろうか? 落ち着いていないのは俺だけのようだから多分そうなんだと思う……やっぱ、住む世界が違うわ!

 しばらくしてからようやく落ち着かないお茶会は、終わりを迎えた。
 肩が凝っている。部屋に戻って肩を揉みたい。
 そう考えていたんだけど……エルちゃんに誘われて、庭の中を散歩する事になってしまった。その上、誰もついて来てくれない。なんで? 執事さんには、真面目な顔で『よろしくお願いいたします』なんて言われるし……。
 結局、俺はエルちゃんと2人っきりで庭を散歩していた。

 何か花壇で作られた迷路の中を歩いたり、池の上をボート! を漕いだり、池の小島にある東屋で休んで話をしたりしていた。
 池って言ったって広いよ! 迷路って言っても学校の校庭ぐらいあった! 
 歩きつかれたのか? エルちゃんは東屋でうたた寝をしている。細い金髪が太陽の光を反射してキラキラ光っている。座っている俺の太ももの上にエルちゃんの頭を乗せて指で髪の毛を梳いていた。

 エルちゃんを見ていると幼い頃の自分を思い出す。
 家族に邪険にされ、孤立していた頃の俺だ。立場や家柄も違うだろうが、問題を抱えている家なんて、似たようなもんだ。エルちゃんの話から俺はそんな事を思っていた。貴族の家でも色々あるさ。

 結局、日が落ちそうになってもエルちゃんは目を覚まさなかった。
 仕方なく抱き上げて、宮殿みたいな別荘まで抱きかかえて連れて帰って来た。
 建物の入り口には衛兵がずらりと並んでいる。
 俺は執事さんにエルちゃんを渡すと部屋に戻っていった。執事さんに物凄くお礼を言われたけど? なんで?

「おーい。あーき! お風呂に行くでー!」
「はーい」
「しかし自分、物凄く、あのエルって子に懐かれとったなー」
「そうだねー」

 タルコットが呼びに来たので、一緒にお風呂に入りに行く。
 お風呂に向かって歩きながらふと、思う。入ってから再び、この距離を歩いて帰るかと思うと湯冷めしそうだ! 女帝! その辺はどう考えていたんだー! 俺は古の女帝に心の中で突っ込んでいた。

 お風呂を見てももう驚かない。
 そんな事だと思っていたよ。お風呂場がめちゃくちゃ広いなんてさ。分かっていた事さ。泳げそうだと思ったけどね。
 コーデリアとタルコット、そして俺は、すごく広い風呂場を3人で占領していた。

「わーい。どうじゃー!」
「うちの方が凄いで!」

 コーデリアとタルコットが風呂場で泳いで競争している。

「本当に泳げるんだもんなー」

 しかも、天然の温泉だし……。
 かつて大陸を統一した女帝の権勢を思い。少し怖くなった。権力を持った独裁者が贅沢をするとどこまで行くんだろうな?
 湯気で白くなった風呂場で俺はそんな事を考えていた。
 湯気の向こうからエルちゃんの姿が見えた。

「おや? エルちゃん、起きたのか?」
「うん、なんや?」
「おーエルなのじゃ!」
「うん。起きた」
「それで風呂に入りに来たのじゃな?」
「ほー。よっしゃ! うちが洗うたるからな。こっちおいで!」

 タルコットが声を掛け、手を引こうとして、止まる。
 俺は不思議に思いながら見ていた。

「あ、あき……こっち、きてみ」
「うん? どうした?」

 タルコットの声が震えている。俺はすこし不審に思いながらも近寄ってみた。

「あれ?」
「どうしたんじゃ?」
「コーデリアは知ってたんか?」
「なにがじゃ?」

 コーデリアは不思議そうな顔をしている。
 俺とタルコットは深呼吸してから声を上げた。


「「この子。男の子ー!」」

 
 俺たちの声が風呂場に響き渡る。
 俺たちの声にラッセンディルが勢いよく風呂場に侵入してきた。

「どうしたー! 俺にも見せろー! 男の娘! はぁはぁ!」
「くんなー! ヘンタイ!」
「字が違うー!」

 タルコットと俺が投げた桶が顔に直撃して、ラッセンディルは気絶した。
 鼻から出ている鼻血がおけが当たったからなのか? それとも裸を見たからなのか? 判断がつかなかった。でも! こいつの事だ。予想の斜め上を行くだろう……。
 タルコットは、急いでバスタオルを巻いて、ラッセンディルを外へ放り出そうとしていた。
 そうして俺は、エルを見て、呟いた。

「男の娘って、なにー? アデルの同類ー?」
「あき、お姉ちゃん。男の娘でもいい?」
「な、なにごとー!」

 驚いている俺に向かいエルはにっこり笑って言った。

「男の娘は好きですか?」
「あ、あははー」

 俺はただ、虚ろな笑い声を発していただけだった。あははははぁー。






「俺は男の娘だって、食っちゃう男なんだぜー! 王子様。ゲットだぜー!」

 遠くからラッセンディルの叫び声が聞こえてきた。ついでに殴られる音も……。
 ルリタニア王国の未来は暗いかも……。
 エルと一緒にお風呂に浸かりながらそんな事を考えている。



[12791] 第12話 「海に行こう 王子とメイド 晩餐会の夜 ルリタニアの深い闇」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/28 18:06
 第12話 「海に行こう 王子とメイド 晩餐会の夜 ルリタニアの深い闇」


 昨夜は眠れなかった。
 だって! だって! 本性を露にしたエルがベットに忍び込もうとしてきたり、ラッセンディルが覗こうとしていたりと、散々な夜だった。
 魔法防御はどうしたー!
 執事さんにそう言ったら、しらっとした顔で物理攻撃には無力でございます。と言いやがったー!
 そうか、そうだったんだな! だからあんなに生暖かい眼をしてたんだなー! 最悪だー!
 一夜の攻防戦を終えた俺は疲れ切っていた。

 それでも俺は、朝になって元気を取り戻して、着替えをしようとしたんだ。
 そうしたらね……メイドさんたちが沢山やってきたんだよ。それでね。何人もの眼の血走ったメイドさんの手によって着替えさせられてしまったんだ。あとで、コーデリアに聞いてみたら、コーデリアとタルコットの部屋には着替えの為のメイドさんは来なかったらしい。
 なんで! 俺だけー! しくしく泣いている俺は妙にすっきりした顔のメイドさんたちに連行されるように食堂に連れて行かれたんだ。
 食堂も、朝食も豪華だった。
 朝からこんなに食べられない。そう思うほどに……。
 なんで、朝からフルコースが出てくるんだー! どう考えても間違ってるだろー!
 今日は朝からいったいどれくらい叫んだだろう? もう疲れた。
 
 仕方なく、比較的に軽そうなエビとホタテのムース、クレープ包み焼きと野いちごのミルフィーユぽいのを食べた。
 他の連中は旺盛な食欲でいっぱい食べてた……。どんどん平らげていく人たちを見ていると俺の方がおかしいのだろうか? と思えてくる。朝からフルコース食べて平気な人たちとあんまり食べられない俺とどっちがおかしいのだろう? 分かんないね。
 こっちじゃ。これが普通なのかなー? コーデリアの家じゃあ、パンとスープだけだったのに……もしかするとコーデリアはいつも足りないと思っていたんだろうか? だったら悪いことしてたな……帰ったら朝食を増やしてあげよう!


 それから……俺たちは今、海に来ている。
 メイドさんたちの手によって……確保された海岸でね。
 俺たちの背後ではメイドの集団が周囲を威嚇していた。
 ここに来る前は、夏といえば海だよね? とか、海ではバーベキューとかしたいね? とか、いっぱい話していたんだよ?
 海岸での俺たちは、そんな思いとは裏腹にこの暑いのにきっちりとメイド服を着こなしているメイドさんに囲まれ、横になっていた。他にやることないし……。メイドさんたちに監視されながら海に入るのは怖いし……。

 目の前に海ではラッセンディルだけは、浜辺に来ていた女性をナンパしようとして、殴られたり、メイドさんに抱きついて、三連撃を喰らって、海に叩き込まれたりしていた。
 でも……メイド必殺拳ってなによ?
 メイドさんの拳が光ったと、思ったら……ラッセンディルが吹き飛ばされていた。頭から海に叩きつけられたラッセンディルを見ながらそんな事を思っていた。

「おおー! あれは、古くからルリタニアに伝わるという伝説の暗殺拳! ゴッドブロー!」
「知ってるのかー?」
「うむ。かつて帝国戦争の末期に使用され数多の魔術師たちを葬ってきたという、伝説のスーパーブローじゃ! まだ伝える者がおったとは……」
「おそろしかー」

 俺は突っ込むべきなんだろうか?
 いや、そんな事より……パラソルの下で寝ている俺にぴったりと張り付いているこのメイド長のアデーレの方が問題だ!

「あのー。離れていただけませんか?」
「嫌ですか?」
「なぜ、俺にくっついているのでしょうか?
「それは……このすべすべの肌が気持ちいいからです」

 頭が痛い。
 なんでこうなったんだ? 俺が何をしたというんだ?

「香月さま……今夜はわたくしといかがですか?」
「何をするんですか? 何を!」
「ナニです。今夜は寝かしたりしませんよ」
「今夜はゆっくりと1人で! 寝ますから!」
「……そんな事を言って、一人寝は体が火照ったりするでしょう。遠慮しなくてもいいんです」
「遠慮なんかしてませんし。火照ったりもしません!」

 俺はアデーレを無理矢理引き剥がすとコーデリアの元へと逃げ出した。
 コーデリアを楯にしつつアデーレと対峙する。
 そこへエルが来た。青いワンピースにバレリーナのようなフリルをつけた水着を着て。

「あき。どうこの水着は?」

 エルはにっこりと笑う。
 男が女物の水着を着ていることに対してなんら疑問を持っていないようだ……。
 エルはとことこと俺の元へ近づくと耳元で囁く。

「今夜は眠らせたりしないからね」
「ひゃっ!」

 そう言って俺のお尻を撫でる。
 撫でられた俺は思わず、飛び上がっていた。

「王子様! それはわたくしの尻です」
「いや、ぼくの物だ!」
「おほほほ」
「ふふふふ」

 エルとアデーレの2人が笑いあう。
 でも、眼が笑ってない。

「俺の尻は俺の物だ……」

 そんな俺の主張を聞く者はどこにもいなかった。
 
「いえ、貴女のお尻は貴女一人の物ではないのです」
「そうだ。そうだよ。そうだとも! みんなの物だ!」

 いや……聞いていても否定する奴ばかりだった。くっすん。

「しかし、安心してください。わたくしが今夜、しっかりと調教してあげますから!」
「ふふふ。あき。王家に伝わる秘術を持って調教してあげるから、ぼくに任せて!」
「嫌です。お断りします」

 コーデリアに縋りつきながら俺は言う。
 タルコットは我関せずといった顔をしている。コーデリアは呆れていた。
 エルとアデーレの2人が『パチン』と指を鳴らす。
 2人の背後に騎士団とメイド集団がそれぞれ、集結し共に対峙していた。

「オンブリアの騎士団の実力を見せてやる!」
「オンブリアの闇を司ってきたメイドの実力を教えて差し上げますわ!」
「あきを調教するのは、ぼくだ!」
「わたくしです!」
「調教なんて、されたかねえー!」

「「マーチ!」」

 エルとアデーレの号令によって騎士団とメイド集団が闘争を始める。
 夏の浜辺を舞台に騎士とメイドの戦い……なんでこんな事になるんだろう? コーデリアの背中に身を寄せて見ながら、俺は、がたがたと震えるだけであった。
 いつの間にかルパートも俺たちのそばにやってきている。
 醜い争いを見て、呆れかえっていた。ラッセンディルはなぜか、喜んで争いに参加している。
 あっ、ラッセンディルがメイドさんの服を魔法で切り裂いて卵の殻を剥くように裸にしていく。そこへ騎士の一撃がラッセンディルに叩き込まれた。騎士とメイドは、抱き合って泣いてる? ラッセンディルが袋叩きにされていく。
 戦いの舞台は海の浅瀬でも始まった。互いに水を掛け合い。なんだかとても楽しそうだ……笑顔が眩しい。いいなー。

「ぼくの力を見せてやる!」
「来なさい。王子!」

 浜辺ではエルとアデーレの戦いが佳境に入ろうとしている。
 エルが拳を振り上げ、呪文を唱える。魔力が拳に集まっていく!

「喰らえー! 王家の秘術! 必殺のタイムブロー!」
「はっ! 甘いですわ! ゴッドブロー!」

 閃光と共にエルとアデーレの姿が重なった!
 光が消え去った後、エルが宙に吹き飛ばされていく。

「……泥棒猫の名は、貴方にこそふさわしい! さらば、王子! わたくしはあきと、ニャンニャンするぞ!」

 アデーレのバックに稲妻が走ったー!
 ゴゴゴ! という効果音と共にアデーレが俺達に向かい振り返る。唇を舌でぺろりと舐める。

「あ、あんた……今まで、何人の女を手に掛けてきたんだ?」
「ふっ。100から上は覚えていない。わたくしは『女喰い』と呼ばれる女!」
「いやー。コーデリア。た、たす、助けて……!」
「やれやれ。仕方ないのじゃ」

 そう言って、コーデリアは立ち上がった。
 その姿は、まさしく雄雄しい! と言った感じである。俺の心に希望の火が灯る。

「ぬ! 邪魔をする気か!」
「掛かってくるのじゃ!」

 コーデリアが中指を一本立てて、アデーレを挑発する!
 一瞬、驚いた顔のアデーレであったが、ふっ、と笑い。拳を構えた。

「行くぞ!」
「来るのじゃ!」

 2人が互いに技を繰り出そうとした刹那!
 上空からエルの声が聞こえた。

「その必要はない! 喰らえタイムブロー!」
「なぁーにー?」

 砂浜に着地すると同時にエルの拳がアデーレに突き刺さる。
 アデーレの体が動かなくなる。身動き出来なくなったアデーレを前にしてエルは宣言した。

「タイムブローは、時を超える! あきはぼくがにゃんにゃんする! お前はそこでただ、見ておけ!」

 一気に言い切る。エル……。振り返ったその眼は獲物を前にした肉食獣のものであった。

「ただ、見てるのはいやですわー!」
「ぬ! まさか……動ける。というのか?」

 驚き、アデーレを見るエル!
 アデーレは、確かに動き、そして倒れた……。

「なんという事じゃ」
「見事だ! アデーレ。だがしかし、敗者は敗者! 我が忠実なる騎士諸君! 乱○パーティーだ! 思う存分楽しむといい!」
「おおー!」
「流石、王子! 話せます!」
「王子、着いていくっす!」
「いやー」
「たーすーけーてー」

 エルの宣言に喜ぶ騎士と泣き叫ぶメイドたち。阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る海辺の光景であった。
 騎士達がそれぞれメイドを担いで別荘へと戻っていく。後に残されたのは、俺たちとエルそして動けないアデーレのみだった。

「アデーレ。飼い猫が泥棒猫になるとは……お前には調教が必要だ。今夜は徹底的に責めてやる!」
「あんまり、非道な事はどうだろうか……?」

 俺はエルに引き摺られて連れ去られていくアデーレを見てそう思ってしまった。だから口に出した。
 そんな俺にエルは優しく微笑み――――言う。

「あきは優しいよね。……そうだ! あきも一緒に3○しようじゃないか! それで○ゾの喜びを教えてあげるよ。ぼくの子猫にしてあげる。だから○わで縛られたり、ム○で叩かれたり、もいいんじゃない?」
「3○も○ゾも○わもム○もいやー!」
「楽しいのに……。気が向いたら地下室においでよ」
「行かない! 行かないったら、行かない!」
「ふっ! ぼくがイかせてあげる」
「いーやー!」

 アデーレが連れて行かれるのをただ見ていることしか出来ない俺であった。
 だって、怖いし……。
 エルたちが立ち去った後、今まで、ずっと笑ってみていたタルコットが口を開いた。

「なあ……自分。なんか、ヘンタイを引きつけるフェロモンみたいなん、出してんのとちゃうか?」
「それはあるかもしれんのじゃ。子犬だったり子猫だったり、お主も大変じゃのう」
「そんなフェロモンはいやだー!」

 夕日に赤く染まった海辺に俺の絶叫が響いている。
 結局、泳げなかった……くっすん。


 

 ルパートの別荘に戻った俺はさっそく、コーデリアの部屋に荷物を移動させた。
 今夜一晩ゆっくり眠る為である。昨夜みたいなのは嫌だからね……。そうしたらルパートに怒られてあの部屋じゃなければ駄目だって言われる。コーデリアもなぜかあの部屋じゃなければ駄目って言う。仕方ないから、コーデリアにあの部屋に来てもらう事にした。
 それなら良いって、ルパートも言った。なんでー?
 あと、晩餐会にはちゃんとドレスに着替えてから来なさいって言われる。だからドレスに着替えて食堂へと向かったよ。その際に今朝の事をコーデリアに聞いてみた。『いつもの朝食って、足りないのかな?』って……そうしたら、こんなに凝った食事は滅多にしないから食い溜めをしていたらしい。
 聞いてみれば、納得できるかも……王族レベルの食事って作れないしね。よし。俺も晩御飯はいっぱい食べよう! コルセットがきついけど……うん。大丈夫。

 食堂は今朝とはまた違う飾られ方をしていた。
 ふわー。流石、王族の晩餐会だー。部屋のあちこちに備え付けられた魔法の光が眩く食堂の中を照らしている。これだけの明かりを維持するのにいったいどれだけの魔力が必要になるんだろう? 
 それだけじゃない。壁に掛けられているレリーフが踊っていた。柱に刻まれているガーゴイルが羽ばたこうと翼を動かす。食堂の中で、備え付けられている絵画も彫刻も明かりさえも、なにがしら動作を繰り返していた。

「すごいねー」
「うむ。初代女帝の権力というか、旧帝国の財力を思い知らされるのじゃ」
「しっかし、これだけの魔力を使うなんて、どんだけ後ろで魔術師が控えているのか分からんな?」
「初代女帝の頃も今もこれは、おそらく示威行動の一環だ。俺には分かる」

 ラッセンディルが珍しく真面目な顔で言う。その眼は鋭く食堂のあちこちを睨むように見ていた。
 なんだ。こんな顔もできるんじゃないか? 普段からしていればいいのに……。

「示威行動って、なんや?」
「いつでも、これだけの魔術師が後ろに控えている。魔法防御も魔法攻撃も食堂にいる者全てを殺戮できるという証だろう。そして初代女帝の頃は、100人以上もの魔術師が控えていた。招かれた客は恐怖を感じていたに違いない。優雅な脅迫だ」
「こわいねー」
「独裁者初代女帝アデリーヌの時代には、魔術師も軍に組み込まれていたのだ。もっとも初代女帝の後は魔術兵士も数を減らしていたそうだが」
「なぜじゃ?」
「東の塔の反乱だよ。魔術師というのは、自分の研究が第一だ。常に王の後ろにいたのでは研究もできまい。それに嫌気が差したのだろう。初代女帝には逆らえなくても、二代目、三代目には逆らえるのさ。初代女帝ほどの奴はそうそういないからな」

 ラッセンディルが馬鹿にしたように吐き捨てる。
 なんだか、ラッセンディルは、東の塔や魔術師を馬鹿にしているようだ? 自分だって魔術師なのに……魔術師が嫌いなのかな?
 ふと、疑問に思って聞いてみた。
 ラッセンディルは、少し悲しそうな目をして、自嘲するように言う。

「お前は東の塔を知らないから分からないのさ。……まあ目の前の食事に集中しようとするか、冷めるぞ」

 それっきり、ラッセンディルは黙り込んでしまった。なんだか悪い事を聞いちゃったみたいだ。う~ん。もしかしてラッセンディルは普段ふざけた事ばっかりしてるけど……昔は真面目な魔術師だったんじゃないかな? なんかそんな気がする。違うかな?
 あれ? ルパートがこっちを見てた? ルパートもオカマだったりするけど……物凄く優秀だし? それなのにアデリーヌにいるんだよな……本当ならルリタニアで貴族をしているはずなんじゃないのかな? 領地とかどうなっているんだろ?
 食堂には俺たちだけではなくて、他にも何人かの貴族っぽい人たちが座っていた。
 ルパートとエルはその人たちの相手に忙しそうだ。
 しかしこうしてみると、ルパートも普通だよね? 普段の言動を隠してる。やっぱり国際問題になるからかな? エルも普通だし。あの辺りは世界が違ってるよ。宮廷って、あんな感じなのかな?

『海亀のスープでございます』

 ぼんやり考え込んでいたら、スープが運ばれてきた。
 海亀かー。元の世界じゃあ乱獲されて数が少なくなっていたような? 違ったかな?

「でも……海亀って、お料理されても水の中……う~ん。なんだっけ?」
「あき! なにを言っておるんじゃ?」
「あき? そんな事言う人いないよ?」
「自分。なに言いだすんや?」
「いやいや。なかなか楽しいお嬢さんですな」
「うむ。ターレンハイム伯爵のお知り合いだとか?」
「私にも紹介して頂きたいものですな!」
「さよう」
「はっはっは」

 みんなに笑われてしまった。ううー。失敗したー。
 もう食べてしまおう。それがいい。おいしいー。

『アスパラガスとたらこのソースでございます」

 たらこ? この世界にもいるの? だったら明太子もあるかな? いやいや、たらこがあるんならたらこスパゲティーが作れるかも? 頑張って探してみようー!
 一口食べる。うんおいしい。このソースって、マヨネーズ? フォークに刺して、ぺろっと舐めてみる。確かにマヨネーズにたらことレモン? みたいな柑橘類を混ぜ合わせた物だ。これなら作れそう。胡椒もあるし、マスタードもある。大丈夫作れる。
 あれ? みんなこっちを見てる? なんで? あっ、目を逸らした……。また、失敗した?

『かつおのタタキのサラダでございます』

 えー! かつおのタタキ? うわっ。本当だ。でもかつおのタタキって、柵にしたかつおを炭火で炙った物なんだから出来ないわけじゃないんだよね。でも……しょうゆとポン酢がほしい。赤ワインのビネガー系やバルサミコ系もおいしかったけどね。

『オマールえびのムースでございます』

 もうよく分かんなくなってきた……。ううー。お腹も辛くなってきたし……でも、がまん。がまん。

『牛ランプ肉のマスタードマリネでございます』

 …………重い。お肉が重い。お腹が……。量が多いよ。
 みんなよく平気で食べてるよね? ルパートなんかワインも飲んでるし。ラッセンディルもパンをパクパク食べてる。この2人はまあいいとして、体格もいいし……背も高いし……。でもコーデリアとタルコット! この2人はよく入るよね? 平気で食べてる!
 でも今日のご飯って、ちょっと辛くないかな? 辛目の味付けのものが多いよ? それともこれが普通なのかな?

『デザートは、いかが致しますか?』
「り、りんごのムースで……お願いします」

 う、ううー。忘れてた。デザートがあったんだ……もう重い物は無理。コルセット外したい。
 あと少しのがまん。最後まで頑張ろう。大食い大会に出場している気分だよ。ううー。

「自分。大丈夫か?」
「大丈夫。大丈夫。平気、平気」
「無理せんでもいいんじゃぞ」
「そうそう、がまんしなくてもいいよ」
「大丈夫。甘い物は別腹だから……」
「そうなの? でも無理しちゃだめよ」
「うん。ありがと」

 タルコットにコーデリア。ルパートに心配される。う~ん。みんなは平気そうだよ。
 ラッセンディルは貴族たちの動きを鋭い目で監視してる。

『リンゴのムースでございます』

 あーデザートが運ばれてきた。
 スプーンを持つ手が震える。小さくすくって口に運ぶ。なんだか皆が注目してる。
 あっ、おいしい。甘ーい。もう一口すくって口に運んだ。おいしい。うん。平気。全部食べちゃった。
 あれっ? みんな、ほっとした顔をしてる。どうしてかな?

 その後は、みんなで席を立って部屋を移動した。
 ルパートとラッセンディルは部屋の隅で葉巻を吸ってる。なんだろ? ものすごくいい匂いがしてる。元の世界の煙草とは違うのかな?たぶん違うんだろう。吸った事ないから分からないけど……。

「……おーい。あきー」
「……うん。なに?」
「大丈夫か?」
「……実は」
「なんや?」
「コルセットを外したい」
「……うちもや」
「……わらわもじゃ」

 俺たちは小声で言い合い、顔を見合わせる。
 そんな事を話していたら、さっきの貴族たちが話し掛けて来た。
 3人とも、ルリタニア王国の貴族だった。
 
 アドルフ・フォン・リッフェンシュタイン子爵。……すごく太ってる。金髪がハゲかかってた。きんきらきんの服を着てるし、宝石じゃらじゃら指につけてた……なにも全部の指に填めなくてもいいんじゃないか、親指にまで填めてる……なんだか趣味が悪い。
 アルフレード・フォン・ヴォルケンシュタイン子爵。なんだか、軍人さんっぽい。背筋がぴんとしてる。目つきも鋭いし、でもこれぐらいじゃ平気。怖くない。……うん? 目つきも鋭いのに怖くない? なにかおかしくないかな? なんでだろ? 怖さがすっぽり抜け落ちてる。……まるで、軍人のお人形さん、みたいな印象だ……。
 アロイス・フォン・リッシェンハイム男爵。……こっちの方が怖いよー。リッフェンシュタイン子爵の方が威張っているけど、この人の方が黒幕ぽい……。なんの黒幕か分からないけど、気をつけよっと。
 
 当たり障りのない話をしておいたんだけど……なんだかルパートの弱みを握りたがっているみたいだ。ルパートはオカマなんだから、それだけでも弱みといえば弱みなんじゃないのかな? それ以外にもあったっけ? 
 この人たちと話してしていると貴族の宮廷での行動とか社交術とか、透けてみえる。話題はぽんぽん飛ぶし、話は楽しいし、女性を丁寧に扱う仕草とか……よく分かるんだけど……でもこの人たちなんかいや。目つきがいやらしい。ちらちらルパートの方を見てる。
 スケベとか好色とか言うんじゃなくて、なんだろう? 品性? ……一言で言えば下種っぽい。悪代官みたいだ。ルパートも大変だねー。
 貴族たちと別れてから、コーデリアとそんな事を話した。コーデリアは驚いていたけど……。


 そうして晩餐会も終わり、俺たちも部屋に戻った。
 俺とコーデリアはさっそく、コルセットを外す。……開放感がー。お腹が、一気に楽になった。
 あー。苦しかった。俺とコーデリアは顔を見合わせて、笑った。
 あの貴族たちと顔を合わせるのが嫌だったからもう寝てしまう事にして、さっさとベットに入る。

 

 

 今日はもう終わり。
 扉の向こうは騒がしいけど……おやすみなさーい。










「暢気なお姫様じゃの…………仕方ないのじゃ。わらわも損な性分をしておるのじゃ」

 コーデリアは眠っているあきの寝顔を見て呟いた。
 そうして、あきを起こさないように静かにベットから起きだし、部屋を出て行く。
 部屋の外ではタルコットと武装したメイドたちが待っていた。
 2人は、扉を見て苦笑いを浮かべる。
 廊下に向き直ると、顔を引き締めて歩き出した。コーデリアの指には魔法の発動体である指輪が填められている。指輪が魔法の光を反射して煌めく。
 扉の前では、メイドたちが見張りをしている。
 部屋の窓から下を覗けば、騎士たちが警護しているのが見えたかもしれない。

 

 ルリタニア王国とノエル王国の国境近くにある美しい海辺の町。アイヴス。初代女帝の別荘フラビア城。アデリーヌの娘、フラビア姫の名を冠する。この城の中でもっとも警護の厳しい部屋―――アデリーヌの寝室。
 本来ならば、王族の寝室であるはずの場所に香月あきが眠っている。
 ルリタニア王国、ターレンハイム侯爵家ルパート・フォン・ターレンハイム伯爵の希望をプリンス・オブ・オンブリアこと、エルンスト・ルリタニアが、受け入れた結果である。

 フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵の言う示威行動は、真実であった。
 この城に集められた貴族にその力を見せつけ、反乱の蠢動に釘を刺す。それでも止めようとしない場合には、処刑さえ敢行される。
 優雅な処刑場。カプールとルリタニア……そしてノエルの深い闇。

 今夜、これからこの城に集められた3人の貴族の処刑が行われる。正式なものではない。暗殺である。
 彼らの反抗を防ぐ為にラッセンディルが彼ら貴族の魔力を部屋ごと封じていた。断末魔の悲鳴があきの耳に届かないように……。
 精霊の動きをタルコットがコントロールしていた。彼らの恨みの感情があきに影響を与えないように……。
 エルンストとルパートが見守る中、コーデリアが毒薬をワイングラスに注いでいく。
 アデーレの指示により、メイド達が彼らの口に無理矢理飲ませていった。

 苦悶の表情を浮かべ悶えながら死んでいく。
 エルンストは冷酷な目でそれを見詰めていた。

 全てが終わり、死体がルリタニア王国へ戻される。国内の貴族に見せ付ける為に……。街道沿いにはノエル王国の騎士団が警護しているはずである。
 彼らにはこの城でなにが行われているのか知らされてはいない。ただ、夜更けにルリタニアへ向かうオンブリアの馬車を警護するようにノエル王家から命令されているだけである。
 馬車は闇の中をルリタニアに向け、騎士団に守られ走っている。夜明け前にはルリタニアに着くだろう。そこでルリタニアの騎士団に引き渡される。その後は、ルリタニア王国が処理するだろう。


 
 アデリーヌの寝室では香月あきがすやすやと眠っていた。その寝顔は穏やかであった。
 朝になり、朝日がアデリーヌの寝室にも訪れる。
 眩い朝日の下、身を潜めてベットに忍び寄る二つの影……。
 
「あーきー。眠ってる? ……眠っているねー」
「よくお休みになっております。では、今のうちにいただきまーす」
「起きました。起きましたから、服を脱がそうとしないでー!」
「モーニング・エッチといこう!」
「朝に行うのも良いものですわー」
「いやですー! いやー!」
「まったく。困ったものなのじゃ」

 泣きそうなあきと、苦笑いを浮かべるコーデリア。
 なわを手にしてにじり寄るエル。
 一緒になってにじり寄るアデーレ。

「よいではないか」
「よいではないかー」
「もう。いやー!」

 香月あきの悲鳴が朝日の中で木霊している。
 今日も騒がしい一日になりそうだ。コーデリアとタルコットはそっと、ため息をついた。
 ふと気が付けば、部屋の隅でラッセンディルが『はあはあ』言っている。顔を見せたルパートがラッセンディルを見て、ため息をつく。

 

 闇は朝日とともにその姿を消していた。
 香月あきの前に姿をあらわすのは、闇ではなくヘンタイたちであった……。





[12791] 第13話 「地方警備 フラビア城の怪 妄想と言う名のパラダイス」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/29 13:06

 第13話 「地方警備 フラビア城の怪 妄想と言う名のパラダイス」


 アーヴィン・ハルフォードはノエル王国聖騎士団に所属する下級騎士団内アデリーヌ駐在騎士団の隊長である。

 今から24年前の戦乱の最中、両親と死に別れ、騎士団内部に作られた教会で育てられた戦災孤児の一人である。戦乱によって大幅に人口を減らしたノエル王国では戦力の維持を図る為に貴族の条件を満たさずとも形ばかりの騎士叙勲を受け、騎士になる事も可能な時期があった。 アーヴィンはその可能だった時期の最後の騎士叙勲組の一人である。
 下級騎士団に配属されてからのアーヴィンは上司、先輩達に恵まれ1つ――定員10名――の小隊を率いていた。
 それが……王女クラリッサ・ノエルの横槍によってアデリーヌへと飛ばされる事になる。
 この前代未聞の人事異動は下級騎士団だけではなく。大臣達や聖騎士団をも驚かした。

 ――王族が下級騎士団の一小隊長の人事に口を挟む事など今まで無かった事であり、それよりもなによりもクラリッサ王女がアーヴィンの名を知っている事の方が王国の上層部を驚かした。そしてアーヴィンに対して徹底した事情聴取が行われたが王女とアーヴィンを繋ぐ事柄など見出せず、一旦事情聴取は打ち切られた。
 これはアーヴィンに対する人事異動が栄転ではなく明らかに左遷だった為に上層部内にも幾らか同情的雰囲気が漂っていた為でもあった。
 上層部とすれば下級騎士団の騎士の処遇など知った事ではなかったのであろうが、結果としては訳の分からぬままに左遷されるアーヴィンの名は多少の同情と共に上層部内に知られる事になる。

「なんでアーヴィンの奴が左遷になるんだ? あいつはそれなりに優秀だし実績もある」
「王女の横槍って言うがアーヴィンも俺達も王女に会った事は無いぞ?」
「そうだよな。俺達王城内に入った事も無いよな……」
「ああ騎士叙勲式も教会で聖騎士団長に叙勲されたぐらいだもんな」
「貴族なら王城で国王に叙勲されるのにな……王女に睨まれるような事も無い筈だ」
「それ以前に俺、王女の顔も知らねぇよ。アーヴィンだって同じだと思うぜ」
 
 これはアーヴィンの左遷が発表された際に下級騎士団内部で囁かれた会話の一部である。

 
 近衛騎士団の所在地である王城を見上げながら下級騎士団駐屯地までの道をとぼとぼとアーヴィンは歩いていた。
 長かった事情聴取から10日ぶりに解放され、ようやく下級騎士団にある自分の部屋へと戻る事が出来る。数日中にはアルル地方古都アデリーヌへと向かわねばならない。

「はぁ~。もう少しで連隊長になれたのにな……」
 
 アーヴィンの口からため息と共に愚痴が零れる。
 名誉職である聖騎士団とは違い下級騎士団には家柄の低い者達が集まっていた。しかしいかに家柄が低かろうと低いながらもその中にも序列があり、騎士階級の生まれとはいえ、後ろ盾も無い。戦災孤児であるアーヴィンなどは底辺も底辺だ。本来であれば小隊長にもなれない筈ではあったが、騎士見習いの頃から何かにつけ引き立ててくれていた上司のアロイス・フォン・シュルツ伯爵やマテウス・フォン・ライマン子爵などの推挙もあって18歳の春に小隊長に任命された。
 
 それからというもの、小隊長になったアーヴィンは王都の中でもスラム街に近い地域で……いや、贔屓目に言ってもスラム街から一歩外に出たかなっ? ぐらいの地域を担当し日夜、カッパライやスリを追いかけて捕まえたり盗賊を捕まえたり、迷い込んだいいとこのお嬢様達を保護したり、見廻りをしたり、王都の商人達に働きかけたりと目一杯に忙しく働いていた。
 その甲斐があってかアーヴィンが担当してきた地域は今までと比べ、犯罪件数も死傷者の数も減少し、住みやすくなってきて、引っ越してくる住民も多くなり、明らかにスラム街とは一線を画し始めて来た。
 
 そうすると現金なもので今まではアーヴィンがいくら誘っても断り続けていた首都の商人達も新しい商業地として注目し始めてきた。
 アーヴィンが担当する地域が安全になるにつけ、下級騎士団の中でもアーヴィンに対し担当地はそのまま。その上で人員を増加して犯罪者を一掃させ、盗賊達を駆逐させてしまおう。
 その際には連隊長に昇進させてやってもいい。と言う話も出ていた。
 無論、アーヴィンとしてもそれほどお気楽でもない。担当地域が普通の町になったら家柄の良い貴族と人事変更になるくらいは分かっていた。
 
 だが昇進の話は既に内々に打診があったし、ほぼ本決まりだった筈。
 その矢先に左遷である。しかも階級はそのまま……昇進見送り……。
 下級騎士団からはアーヴィンの担当地域での功績と特に現状と計画を聖騎士団に上申し翻意を促したが、王家からの命令であると言われれば引き下がる他無かった。

 
 こうしてノエル王国アルル地方、古都アデリーヌへと赴任してきたのである。
 アデリーヌに赴任してきたアーヴィンは、先任騎士隊長から、この町の権力者……要注意人物のリストを知らされた。
 その筆頭がルパート・フォン・ターレンハイム伯爵である。
 家柄、血統、地位、能力……それらを知ったアーヴィンは、その時の恐怖をいまだに忘れる事が出来ないでいた。
 
 ターレンハイム家の3男。しかし、ただそれだけで伯爵になれる訳ではない。それは他の親族が許さないだろう。伯爵の称号には領地が付随してくるのだ。領地には領民がおり、そこから上がる税は、領主に富をもたらす。
 ルリタニア王国でもっとも広大な領地を支配するターレンハイム侯爵家。そこの伯爵である。その気になれば、どれほどの権力を振るえる事か……事に因れば、ルリタニア王国とノエル王国の戦争すらもありえる。
 それほどの人物がなぜ、古都アデリーヌで一店主として甘んじているのか? アーヴィンには分からなかった。
 ただ1つ、性癖はヘンタイだという事だけは分かった。
 
 その他、リストには、東の塔出身の大魔術師フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵の名やコーデリアという名の小人族の錬金術師。エルフのタルコット。首都ノエルの大商会メイスン家の娘、アビゲイル・メイスン……。北の魔女、アリステリア。カルクス王国のロデリック・フォン・アッシャー子爵など……有名な実力者。もしくは実力者の娘の名が連なっていた。
 
 いったいこの街は、どうなっているんだ! どいつもこいつも優秀な魔術師、錬金術師。魔女に商人。大貴族。そんなのがぞろぞろと出てくるじゃないか!
 これが首都ノエルなら、まだ分かる。一国の首都だ。要人が集まっていても不思議ではない。しかもこいつらは、それほど仲が良い訳ではないのだ。基本的には互いに無干渉らしいが、いつ闘争を始めてもおかしくない化物たち―――魔人どもだ。
 
 異常性癖のヘンタイどもめ! アーヴィンは心の中で彼らを罵っていた。
 もっとも、彼らがそれを知れば、お前もな……と、言い返したことだろう。
 
 能力だけなら、1人でもこの街を破壊できそうな化け物ぞろいだ! というのに……そんな奴らが、この街で戦いを始めたら……この街そのものが吹き飛ぶ!
 アーヴィンの背中に冷たい汗が流れる。肌が粟立ってくる。
 そしてアーヴィンは、彼らの監視を首都ノエルの聖騎士団に進言するのであるが、藪をつついて蛇を出しかねないと却下される。
 その為にアーヴィンは、個人で彼らの監視を行い。彼らの周辺をうろつき始めた。
 なんらかの反応があるだろうとの考えではあったが……暖簾に釘押し……彼らから歯牙にもかけられずにいた。

 

 それから、一年が過ぎ。―――春。あの娘がこの街にあらわれた。
 香月あき。
 コーデリアがアデリーヌにつれてきた娘。アーヴィンの見たところ、それなりに鍛えていたようだが、コーデリアやターレンハイムとは、比べようも無いほど、弱く大人しい娘だ。コーデリアたち化け物どもとは違い、彼らのような周囲に撒き散らす威圧感もない。ただの普通の人間であり、娘だった。
 それがいつの間にか、コーデリアに守られ、ターレンハイムのお気に入りになり、ラッセンディルにすら、可愛がられている。
 あの、ラッセンディルを蹴り飛ばす事のできる人間がこの街に何人いるだろうか? 他の者であれば、一瞬で燃え滓にされてしまうだろう。それをあの娘は、平気で蹴り飛ばしてしまう。怖くはないのか……? いったいあの娘は何者だ?
 
 アーヴィンが、香月あきに興味をもったのは、それよりほんの少し前の事、アメリアという取るに足らない小物の魔女の1人が、香月あきを攫った事件からである。この時、コーデリアやターレンハイム。ラッセンディルですら、協力して救出に向かったという。
 その際、彼らはアメリアを殺害してはいない。

「あら、あきを怯えさせる気はないわ」
「ふん。殺すまでもないのじゃ。魘されるであろうしの」
「殺しては、あの娘は泣くだろうよ」

 アーヴィンが彼らに尋ねてみたところ帰って来た返事はこうであった。……結局、彼らはあの娘の為に自分たちに敵対した者を殺さずに済ましたのだ。
 あの娘の存在がこの街での破壊活動を抑える役目を果たし始めている。
 そして、その後の……ターレンハイムの店での騒動。何事かと思えば、ターレンハイムとアビゲイル―――メイスン家の娘と香月あき、あの娘が次々とポーズを変え、遊んでいるだけだ。
 あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いがこみ上げてくる。

 いま、あの娘はアイヴスの町に遊びに行っている。それもこの街の大物を引き連れて、おそらくターレンハイムの別荘に泊まっているのだろう。あの豪勢な別荘、初代女帝の建てたフラビア城……。そこでいったい何をしていることやら……。

 
 アーヴィンは、騎士隊長室の窓から、空を見上げた。
 空には月が明るく輝いていた。眼下にはアデリーヌの街が見下ろせる。一つ一つの建物から明かりが零れていた。
 人々の営みがそこで行われている。この街の平穏を守るのが自分の役目である。あの娘が抑止力になるのなら、それでいい。
 強大な魔獣の群れの中で妙に元気に暮らしている子猫。アーヴィンは、香月あきの事を、そんな風に考えていた。

 街を見下ろしているとどこかの居酒屋の店員が騎士団の駐屯所に駆け込んでくるのが見えた。酔っ払いが暴れているのだろう。魔物や魔法使いが暴れるよりはよほどマシだろう。
 アーヴィンは、剣を取り上げ一階へと降りていった。














「いやー! なんでー?」
「ええーい。おとなしくするのじゃ!」
「そうそう。おとなしくしたほうがいいよ」
「そうですわー」
「ううー。しくしく……肉って、ひどいよー」
「額に肉は定番なのじゃ」

 ううー。夕食の後で、コーデリアに誘われてゲームをしたところまでは良かったんだけど……。途中でエルがお酒を持ってきたところからおかしくなった……。みんな、ガンガン飲んで、結局、酔っ払ったんだ!
 酔っ払いに絡まれて……額に肉……うわーん。

「あきはまだ、マシよ。あたしなんて……」
「男じゃな♪」
「うちは、耳やでー! それこそ、怒りたいわー!」
「わらわなんぞ! 小とは、なんじゃ! 小とは!」

 みんな、酔ってる。目が据わってる。
 テンションがいつもとちがーう!
 俺は寝室に逃げることにした。コーデリアたちはまだ酒盛りをしている。こそこそっと逃げよう……。脱兎!

「あー! あきが逃げたでー!」
「おえー。追うのじゃー!」

 廊下に飛び出してはいたものの……どこへ逃げよう?
 コーデリアたちに見つかる前にっと。
 廊下を走る。走るー。あっ! 前にメイドさんがいた。
 見つかったら、まずいかな? こそこそっと……柱の影に隠れて。メイドさんの後をつけるように、足音を立てずに歩いている。
 メイドさんが廊下を曲がった。
 
 曲がり角の陰に隠れて、様子を窺う。
 あれ? いない。どこにいったんだろう? キョロキョロと辺りを見渡した。

「う~ん。どこにもいない?」

 キョロキョロ見渡していると廊下の壁に嵌め込まれている窓のガラスが目に映った。窓のガラスにメイドさんが映っていた。
 あれ? 後ろを振り返っても誰もいない? あれ?
 もう一度、窓を見る。
 メイドさんが映っていた。
 振り返る。誰もいない。
 さぁーっと、血の気が引いていく。

「……うそ? えっ? えっ?」

 窓に映っているメイドさんがにやりと笑った。

「いーやー!」

 悲鳴を上げてもと来た廊下へ逃げ出した。
 廊下の途中でルパートに出あった。

「ルパートー!」
「どうしたの? 泣きそうな顔をして?」
「メ、メイドさんのゆ、幽霊が……」
「幽霊?」

 俺はさっき見た事を泣きそうになりながらルパートに話した。
 ルパートは半信半疑、といった感じで中々信じてくれなかったけど……一緒について来てくれる事になった。
 先ほどの廊下にまで、ルパートの後ろに隠れながら戻ってきた。
 窓を見てもメイドさんは映ってはいなかった……。なんで?
 ルパートが不思議そうな顔をしている。ううー。きっと信じてないんだー!

「映っていたのに……」
「幽霊も別の所に行っちゃったのよ。きっと」
「そうかなー?」
「ええ。だって、この城は旧帝国時代から建っているんだもの、幽霊がいても不思議じゃないわ。……ああ、そう言えば……昔、この城でね。あるメイドが……」
「あー! 聞きたくなーい」
「あら、残念だわ。怖いのに」
「怖いのいやー!」

 両手で耳を塞いで聞かないようにする。
 ルパートは黙ったまま、部屋まで連れて行ってくれようとした。
 感謝してルパートの後をついていく。
 廊下を歩いている最中に、ルパートの姿がぼやけた。
 あれ? どうしたのかな? じっと見詰めていると……ルパートの姿がメイドさんに変わった。

「やあー! ルパートがー」
「あたしが、どうかした?」

 振り返ったその顔はさっきのメイドさんだった!

「いやー!」

 俺はその場から逃げ出した。
 うしろからルパートの声が聞こえてくる。
 振り返ると、メイドさんが追いかけてきていた。
 必死になって逃げている。すると目の前にコーデリアがいる。

「おおー。見つけたぞ。あき!」
「コーデリアー」
「どうしたんじゃ? 泣きそうな顔をして?」
「ル、ルパートがー」
「ルパートが、どうしたのじゃ?」

 さっきの話を、コーデリアにもする。
 コーデリアは俺の頭を撫でながら話を聞いていた。

「ふむふむ。怯えることは無いのじゃ。わらわがついておる」
「コーデリア……」
「まあ、よいわ。部屋まで戻るのじゃ。タルコットも待っておるのじゃ」
「う、うん……」

 コーデリアと一緒に部屋まで戻ることになった。
 一緒に歩いていると途中でコーデリアが話をし始める。

「そういえば、わらわも聞いた事があるのじゃが……むかし、この城でとあるメイドが……」
「や! 聞きたくない! やだ!」

 両手で耳を塞ぐ。
 やだ。やだ。やだ。聞きたくない。
 そうすると、コーデリアが黙り込んで歩き出す。俺は置いていかれない様に後をついていく。
 塞いでいる耳になぜが、ぴしぴしっと、肉を叩くような音が聞こえてくる。
 きょろきょろ辺りを見ると、窓のガラスにメイドさんが、映っている。

「やー!」
「どうしたんじゃ?」
「あ、あれ……」

 窓の方を指差した。

「あれ?」

 コーデリアが窓の方を向いた。窓にはメイドが映っている。
 きっと、コーデリアにも見えたはず! そう思った。でも……。

「なにもないのじゃ?」
「えっ? 窓に、メイドさんが……」
「わらわには、見えんぞ?」
「ええー!」
「お主は、疲れておるのじゃ。部屋に戻って休むとよいのじゃ」

 そう慈しむような目と優しい声でコーデリアは言う。メイドさんに姿に変わっていきながら……。

「やっ!やだー!」
「あっ! おい。待たんか!」

 走って逃げる俺の後ろからメイドさんの声が追いかけて聞こえてくる。
 わき目も振らず、寝室まで走り、ベットに飛び込んだ。シーツを頭から被り、ベットの上で丸まってしまう。
 ここは安全だと思う。なんたって魔法防御は凄いんだから……幽霊だってこの部屋には入って来れない……と思う。うん。安全、安全。シーツに包まり、丸まりながら……いつしか、眠りに落ちていった。

 
 朝日が部屋を明るい光で満たしていく。
 う~ん。むにゃむにゃと言いながら、あきは目を覚ました。
 窓の外には、明るい朝日が輝いている。どこからかちゅんちゅんと鳴く小鳥の声が聞こえていた。
 ベットの上で大きく背伸びをする。深呼吸に合わせ豊かな胸が揺れ動く。ベットから起き上がったあきは、簡単に着替えると、部屋の扉を開けた。

 あれ? まだ暗い?
 寝室に戻ってみた。窓の外は明るいよ……。でも、廊下は暗い……。もしかして? 牡丹燈籠?
 牡丹燈籠って、お札を貼って、朝まで待っているんだよね。そして、窓から朝日が入ってきて、小鳥の鳴き声が聞こえて、扉を開けたら、まだ夜だったって……それで幽霊に取り殺される……。

「おおー。起きたのじゃな。昨日は心配したのじゃ」
「そうよ。あき、急に悲鳴を上げて逃げだすんだもの、心配したわ」
「……あさ?」
「うん? なにを言っておるんじゃ?」
「もう朝よ」

 心配そうな顔で覗いてくるコーデリアとルパートの顔がメイドさんに変わっていった。

「う~ん……」

 そのまま気絶してしまった。



「わー! あき! こりゃ、しっかりせぬか!」
「……気絶、しちゃってるわ」
「なんや、どうしたんや?」
「昨日から、あきの様子がおかしいのじゃ」
「幽霊とか、言ってたわね」
「ははーん。うちにはもう、分かったで!」

 心配そうにあきを見守っているコーデリアとルパートを横目に見ながら、アデリーヌの寝室に入ったタルコットは言った。

「幻覚を見せられたんや」
「幻覚?」
「そう幻覚や! とはいえ、流石にアデリーヌの部屋にまでは、効果は及んでおらんようやけどな。しっかし、こんな事できるのは、1人しかおらんで!」
「「ラッセンディル!」」

 コーデリアとルパートの声が重なる。
 ラッセンディルは昨日から姿を見せていない。

「どこにもおらんと思っとったら……おおかた、どこぞの影に潜んで、あきが怯えてんのを見て喜んでいたんやろ」
「あの野郎! 自分だけ!」
「1人だけ、楽しみよって、わらわたちにも教えるのじゃ!」
「おいおい!」

 タルコットは突っ込みを入れた。しかし、コーデリアもルパートも聞いていなかった。
 2人は、怒っていた。なぜ、自分たちにも教えなかったのか? と……。知っていたらもっと、怯えさせて泣き顔を楽しもうとしたのに!
 惜しい事をした。2人の怒りは……ラッセンディルへと向かった。

「こりゃあ、ラッセンディル! この変質者ー!」
「1人だけ楽しんだりしてー!」

 影に潜んでいたラッセンディルを見つけると、ぐるぐる縛って、簀巻きにしていく。
 その騒ぎに何事かとやってきた、エルとアデーレにも、昨日の話しを2人はした。……話を聞いた彼らも袋叩きに参加していった。

「うわーん。分かってたら、城中全部使って、怯えさせたのにー!」
「怯えるあきを、そのまま、楽しみましたのにー!」

 ぞろぞろと、集まっていたメイドたちも、一様に頷いた。
 その場にいた人々の心が1つになった瞬間である。

「こんなことなら、S○プレイなんか、楽しんでいるんじゃなかったー!」
「昨日のムチの音は貴方たちだったの?」
「そうですわ。メイド相手に楽しんでいたのにー」

 エルとアデーレが2人で抱き合い泣いている。
 それを見ながらコーデリアたちは呆れていた。



「う~ん。幽霊が~メイドさんが~」

 再び、魘されつつも目を覚ますとベットの周囲にはコーデリアたちが覗き込んでいた。

「おお! 起きたのじゃ」
「……あき。もう心配しなくても大丈夫よ」
「原因は、ラッセンディルや。幻覚を見せられたんや」
「……幻覚?」
「そうじゃ! 昨日からのは、全部幻覚なのじゃ!」

 ……窓の幽霊も? メイドさんも、コーデリアやルパートの姿が変わったのも、全部?

「そうよ。幻覚だったの」

 朝の光の下でルパートが言う。
 ようやく、実感が湧いてきた。安心した~。全部、幻覚ー。幽霊なんかいなかったのさー。

「そこでじゃ!」

 コーデリアが、大きなハンマーをベットの下から取り出した。
 見た目よりも軽そうだけど……なにそれ?

「これは、マジックハンマー、『ぴこぴこ君』じゃ!」
「ぴこぴこ君?」
「これはね。打撃力は0だけど、これで叩くと相手に幻覚を見せる事が出来るのよ。持続時間は1時間」
「その通りなのじゃ。さあ、これで、ラッセンディルに復讐をするのじゃ!」

 マジックハンマー『ぴこぴこ君』を受け取って、ラッセンディルの方を見た。ラッセンディルはぐるぐる巻きにされていた。
 ベットから起き上がって、『ぴこぴこ君』を振り上げる。

「えーい。覚悟ー」
「わー! 待て待て! 話せば分かるー」
「問答むよー!」

 『ぴこぴこ君』を振り落とした。
 ぴこぴことした音が鳴るだけで何も変化が無い。……あれ?

「幻覚を言うのじゃ!」
「そうそう。見せたい幻覚を言うのよ!」

 そう言われても……考えてなかった……えっと、えーっと。あっ!

「むきむきマッチョに囲まれるー!」
「なんじゃーそれはー!」
「それは、罰なのかしら?」
「なにか、ヘンな性癖を増やすだけのような気がするのじゃ……」

 ラッセンディルの顔が恐怖から恍惚に変わっていく。あれ? おかしーなー?

「うおおー! 兄貴ー! いい!」
「まったく、変質者にまた1つ……性癖が増えたのじゃ……」
「こんなはずじゃ……なかったのに」

 ちょっと、落ち込んだ。くっすん。
 タルコットが俺の肩をポンと叩く。なんだか楽しそうだった。指でエルとアデーレを指差す。

「あっちにもやったり!」

 首をくるっと回す。エルとアデーレの2人と目が合った。
 そういえば、この2人にも……海辺やベットで……。……チャーンス!

「な、なにかな? あき……」
「そ、そうですわー」
「覚悟ー」

 2人にも『ぴこぴこ君』で叩いた! よし! これで!

「ぼくは負けない!」
「そうですわー!」

 なんだか、必死な顔をしてる? でも無駄だよー。

「むきむきマッチョに囲まれるー!」
「勝ったー!」
「わたくしもですわー」
「えっ? えっ?」

 エルとアデーレの顔が恍惚として、だらしなく口元が歪んでよだれが……?
 コーデリアやルパート。タルコットも興味深そうに覗き込んでいく。なんだか、嫌な予感……。コーデリアたちも首を捻っていた。

「どうしたんじゃ?」
「どうしたのかしら?」
「どうしたんや?」

 俺たちの見ている前でエルとアデーレが、はあはあと息を乱れさせだした。体がくねくねとさせている。

「もう、あきったら、そんないやらしい格好でぼくを誘っているのかい?」
「ああー。あき……わたくしの前で、そんな淫らな事をするなんてー。もうがまんできませんわー」
「えっ? えっ?」

 2人が寄り添って、ぐねぐねしてる。まさか……。幻覚の中身って……。

「ああー。あきの幻覚を見ておるんじゃな……」
「なんという妄想力……!」
「流石……ヘンタイ王子とそのメイドやな。こりゃかなわんわ……」
「えー! そんなー」

 コーデリアたち3人は、ため息をつき、俺は泣いていた。
 明るい朝日の下、ヘンタイたちは幻覚という妄想の中で楽しそうだった。なんでこんなことに……なったんだろう?

 


 もうやだ……!
 俺の泣き声が部屋の中に響きだしていた。
 …………ヘンタイには勝てない。そんな事を思った朝だった。




 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 
 ヘンタイたちは、能力的には物凄くスペックが高いんですよね。
 そんな彼らが周りから、どんな目で見られているのか?
 主人公から見たヘンタイ集団とは違う、離れたところから見たヘンタイたちの評価を書いてみました。

 しかし、主人公からしてみれば、周りからどんな目で見られていても彼らは、ただのヘンタイたちです。
 そんな、ヘンタイたちに振り回される主人公……。
 冒険に出たら、主人公が一番弱いですね。そのかわり、すごく守られたりします……。
 そのうちに、ノエル王国から離れて冒険にでます。でもまた、すぐに帰ってきます。
 やっぱりアデリーヌを中心にして、話は進みます。本当に進んでいるのかは分かりませんが……。



[12791] 第14話 「未知との遭遇 Part2 女神の祝日。前編」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/31 22:17
 第14話 「未知との遭遇 Part2 女神の祝日。前編」


 ―――茜の月。
 茜の月を守護するのは、コルデリアという名の女神である。
 婚姻とか、男女の愛を司るといわれている。これが何を意味するのか……? つまり、この月には結婚式が多い。もっとも、農業主体の村とかは、忙しい時期でもあるから、そんなに多くは無いけど……。
 それでも街などでは、毎日のように結婚式が行われている。アビゲイルなどは、あまりの忙しさに、目を回しているらしい。日によっては、一日に2件、3件と行う事もあるそうだ。ルパートから聞いた。普段は、違う神様にお祈りしている人たちも、結婚式だけはコルデリア教会で行う人も多いらしい。
 
 それと……もう1つ、この月には、女神の祝日と呼ばれている日がある。
 実際に祝日な訳ではなく。通称であり、一種のお祭騒ぎでもある。いったい、どんな事をするかというと……。
 ぶっちゃけ、バレンタインデーと同じである。……この世界でも、お菓子業界というより、砂糖を売っているギルドと、コルデリア教会が、手を組んで行い始めたそうだ。金儲けのネタはいずこも同じ、ということだろうか?
 という訳で、コーデリアと俺とタルコットを合わせた3人は、お菓子作りに勤しむ事になった。
 
 この世界でも義理だ。本命だ。とかは、あるらしい。仕方ないよね……。チョコレートはないから、クッキーだそうだ。毎年、この時期になると、村にも綺麗なリボンだとか、布なんかを売りに来る商人がやってくる。
 それに群がる女の子を見ていると元の世界で、チョコの売り場に群がっている女の子を思い出して、少しホームシックに囚われそうにもなった。
 しかし、自分が作る側に回るとは、思ってなかったな……。
 小学校、中学の時は夏恋に貰ってたし、高校の時はクラブの女の子に義理で貰った。まるでお中元やお歳暮の様だったが。

「……お主は、誰にやるのじゃ?」
「う~ん。ルパートとラッセンディルとトマス爺さんかな? なんだかんだ、言ってもお世話になってるし……」
「なんや、自分。エルには贈ったらんのか?」
「……えっ? エルはいらないだろ? 男の娘だし、贈る側なんじゃないかな? アデルもそうだろ?」
「う~ん、言われて見れば、そうかもしれんな~」

 タルコットは首を振りながらも、納得したようだ。クッキーの種を纏めながら、うんうん頷いている。
 俺とコーデリアは生地をめん棒で伸ばしていた。それからいくつかの木型で型を抜く。鳥や魚、狼や……魔獣の型もあった。案外、型抜きというのは、楽しい。ついつい夢中になって遊んでしまう。台所には甘い匂いが溢れている。

「うまく……抜けた。ほら、キメラ!」
「おー。綺麗に抜けたなー。うちは、ペガサスやで!」
「うまいのじゃ! ほれ、ゴブリンじゃ!」
「「ゴブリン……」」

 俺とタルコットの声が重なる。うーん。ゴブリンなんて、型もあったんだ……ゴブリン型なんて、誰が喜ぶんだろう? 俺が首を捻っているとコーデリアがにやりと笑う。タルコットもにやにやしてる。

「これはの、嫌いな男に贈る嫌がらせようじゃ。……クッキーを貰って喜んでいる男は、これを見て落ち込むんじゃ!」
「う~ん。それならいっそ、贈らなくてもいいんじゃないか?」
「それじゃ。面白くないのじゃ!」
「……本命、義理に、嫌がらせ用かい。そこまでくると男連中が憐れになってくるわ」
「なんだかな~」

 なにもわざわざ、嫌がらせしなくてもいいんじゃないか? 俺なんかは、そう思うんだ。

「あきも、そのうち分かるわ。毎年この時期になるとうっとうしい男連中が増えるんや」
「そうじゃ、そうじゃ。これはラッセンディルにくれてやろう……」
「じゃあ、うちも……他におもしろそうな、型はないかなっと?」
「これなんか、どうじゃ? グールじゃ」
「いや、このユニコーンなんか、どうやろ?」
「おおー。それはいいのじゃ!」

 コーデリアとタルコットは嫌がらせ用の型を選ぶのに夢中になっていた。しかし、なぜこうもいやがらせに夢中になれるのだろう? ちょっと、ラッセンディルが憐れに思えてきた。ヘンタイの変質者だけどさ……。実のところ、ラッセンディルの言う事も分からなくはないんだよ。あいつは自分の性癖を隠そうとしてないだけで、誰だって似たようなところはあると思うんだが……? あそこまでとは言わないけど。

 ……夢中になっているコーデリアとタルコットはほっておいて、クッキーの生地を型で抜いていく。
 ついつい、俺も夢中になってしまったようだ。気がつけば、繰り抜かれた大量のクッキーの生地が置かれてある。いつの間にこんなに作ってしまったんだろう? でも、……まあいいか。みんなに配ろー。魔獣の眼の位置に、赤い粒の砂糖菓子を乗せながら考えていた。
 赤い眼に、緑の角。砂糖菓子で彩られたクッキーの生地がさらに増えていく。

 
 くらっと、目の前が揺れた。
 茜の月に入ってから、どうも体が熱っぽい。体が妙に重く感じるときがある。
 もしかして、貧血だろうか? 調理台の上に両手を置いて体を支える。目を瞑ってしばらくすると少しは楽になる。いったいどうしたんだろ? 原因はなんなのかな?
 目を開けるとコーデリアとタルコットが俺の顔を覗きこんでいた。

「自分。どうしたんや? 真っ青やで?」
「……どうやら、貧血っぽいのじゃ。すこし、ベットで休むといいのじゃ」
「う、うん。ありがと……ちょっと、休んでくる」

 そう言って、ベットへ向かおうとして、ぐらっと体が揺れる。
 そこにタルコットがやってきて体を支えてくれた。

「危ない。気をつけんといかん。うちがベットまで連れていったるわ」
「タルコットに支えてもらうといいのじゃ」
「ありがと……」

 コーデリアを振り返って見る。コーデリアは心配そうな顔で俺を見ていた。そしてそのまま、タルコットにもたれるようにしてベットに向かい。横になる。
 俺をベットに寝かしたタルコットは、部屋を出ようとする。出て行く前に俺を振り返り……。

「何か、あったらうちらを呼ぶんやで」

 と言って、部屋を出て行く。
 俺はそのまま、ベットの上で目を瞑る。





 台所に戻ったタルコットは、コーデリアと目が合った。コーデリアも心配していた。タルコットは首を振り、口を開く。

「どうも、ほんまに調子が悪いみたいやな」
「最近、ちょくちょく、倒れそうになっておるのじゃ」
「通りで、最近姿が見んな~と思うたわ」

 コーデリアはクッキーを作る手を休め、問いかけた。

「お主は、どう思うのじゃ? あきの体の精霊を見たのじゃろ?」
「……どうも、それがおかしいんや。体そのものは、どこもおかしいとこはなさそうや。でも血の気がなさそうなのは、よう分かるわ」
「なにが、原因じゃろうか? どうも熱っぽいみたいじゃし……心配じゃ」
「それは、うちも気付いたわ」

 そう言って、タルコットは考え込む……何が原因かと考え、ふと、ある事に気づく。気付くと今までこの可能性を考えなかったのは、不思議だと思える。

「なあ、コーデリア?」
「なんじゃ?」
「あきって、月のものは来てるんか?」
「……月のもの……?」

 コーデリアは、首を傾げる。……月のもの……。頭の中で何度か繰り返した。
 そうして、気付いた。

「まだ、来ていない。と思うのじゃ。来たら、大騒ぎするじゃろうし……」
「そうやな。……でも、来る可能性は?」
「あるじゃろう。わらわの作った薬の為に完璧に女性化しておるから……」
「うちも、あの薬のレシピは見せてもろうたけど……よう出来てたわ。あれなら、来てもおかしくないわな」
「今、知られてある性転換薬では、男から女に変化しても、月のものは来る事は無かったから、可能性を考えなくても良かったんじゃが……」
「あきは、違うで……来るわ。いや、もう来てるのかもしれん。本人も気付いてないようやけど……」

 2人は深刻な顔で頷き、考え込んでいた。
 問題は、月のものが来た結果、どのような副作用があるのか? である。単に元から女であれば、お祝いして教えれやればいいのだが、あきは、男だった。いくら身体的に女性化したとはいえ、男性から女性に変化した事で、心身ともに負担は大きいはずである。

「……わらわのつけていたレポートを読ませたおるじゃろう。あれを読んでどう思うのじゃ?」
「性転換薬による身体の精神への影響……。急激な変換による肉体への負担、及び精神の変化。……悪いけど、そこまでは分からんわ」
「そうか……」
「ルパート。……いや、ラッセンディルに相談するべきやな。あいつは禁断の魔法に手を出して、東の塔を追い出されたんやから、こういうのを相談するには、ええ相手やと思うで」
「そうじゃな……相談してみるのじゃ」
「無論、ルパートにも相談するんや。あきの為やったら、協力してくれるやろ」

 こうして急遽、コーデリアの家に、ルパート、ラッセンディルが呼ばれ、4人の会合が持たれる事になった。
 香月あきは、昨日からまで眠ったままだった。4人は眠っているあきの寝顔を見詰めてから、コーデリアの部屋に集まった。

「コーデリアのレポートを読ませてもらったわ。よく出来ていると思うけど、かなりキツイ薬だったみたいね」
「小人族から人間の女になる為の薬じゃからのう。キツイのは承知の上じゃった」
「でも、それをあきに飲ませるなんて……」
「初めておうた時、異世界から来たと言うたから、実験動物として使い捨てにする心算じゃったんじゃ」
「実験動物か……東の塔の考え方だな……」
「そんな! ……そんな事、錬金術の学院では教えてなかったはずよ!」

 ルパートは激昂した。
 女になったと聞いた時も、ああ、実験の失敗だろうぐらいに、思っていたのだった。だから、男に戻ると、あきが言い張っていた時も、からかう余裕があった。しかし、このレポートを読んだ時は、流石にルパートも頭を抱えたくなった。

「怒っていても仕方ないんや。あきの事をどうするかや」

 タルコットは場を押さえるように言う。喧嘩をするのは、後でも出来る。今は、あきの事を最優先にするべきや。タルコットはそう主張する。それに、賛同したのは意外な事にラッセンディルであった。レポートを一番、最後まで放さなかったのも、ラッセンディルだった。そのラッセンディルが口を開く。

「結論から言うと、男に戻るのは、無理だ。はっきり言う。戻れば死ぬぞ」
「死ぬじゃと!」

 ラッセンディルは真剣な表情で言い切った。
 ルパートが息をハッと飲む。コーデリアは椅子から立ち上がり、タルコットはへなへなとへたり込んだ。

「どういう事かしら?」
「あきは、完全に女性化している。それも一夜にしてだ! そんな事をもう一度繰り返してみろ。肉体が持つ訳無いだろう」
「確かにな……うちもそう思うわ。そうなるとや。月のものが来たんは、まだ幸運なのかもしれんな……」
「そうね。二度と男に戻れないのなら、女として生きていくしかないものね。ラッセン。あきは子どもを産めるのかしら?」

 ルパートの質問にコーデリアもタルコットもラッセンディルを見詰める。
 ラッセンディルは、天井を見上げながら目を瞑り、考えている。

「どうかしら?」

 ルパートがもう一度聞く。
 ラッセンディルは、目を開くと3人を見渡し、「産めるだろう」と答えた。

「そうか……」

 ラッセンディルの答えを聞いた3人は、しばらく黙っていたが、そのうち、タルコットがようやくそれだけ言う。
 ほっとした空気が部屋の中に漂う。が、ラッセンディルの次の言葉で、3人は青ざめた。

「……だが、それは、うまく月のものが来たとしたらの話だ。俺の見たところ、この2,3日が峠だな。その間に来たら、容態も良くなるだろうし、肉体も安定するはずだ」
「どうしたらええんや?」
「月のものが不順な時に飲ませる薬があるじゃろう。それを飲ませるか?」
「そんなもの飲ませても大丈夫かしら?」

 コーデリアたち3人が口々に言い合うのを見ながら、ラッセンディルは呆れたように言う。

「お前たち、よほど頭が働いていないようだな。そんな物飲ませる訳にはいかんさ」
「なら、どうする言うんや!」
「神聖魔法があるだろうが! あれのヒーリングを掛けるんだ。あれなら体に余計な負担は掛からん」

 ラッセンディルの言葉にはっとしたように、3人ともが顔を見合わせる。

「そうや、忘れとったわ!」
「ヒーリングがあったわ……」
「あっ、でも今は、茜の月や。コルデリア教会はてんてこ舞いやで、アビゲイルもくたくたのはずや。魔法が使えるんか?」
「ヒーリングなら、アデルでも使えるさ。金は掛かるがな。……しかし、それなら俺が出してやってもいい」

 ラッセンディルが懐から、金貨の詰まった皮袋を取り出し、テーブルの上に置いた。
 それを見て、ルパートとタルコットが慌てたように言い合いを始める。

「ちょっと待ちなさいよ。あたしが出すわよ。あたしはあきの事を気に入っているんですからね!」
「俺だって、気に入っているさ」
「そりゃあ、うちもおんなじや」

 なぜか、ルパートとタルコット、そしてラッセンディルの3人は、誰が金を出すかで揉めだす。3人とも椅子から立ち上がり、一発即発の様子を見せ始め、不穏な空気が漂う。
 じりじりとした空気の中で、ルパートが立ち上がったとき、テーブルの隅に弾かれていたカップが、落ちそうになっている。
 タルコットが身動ぎする、テーブルにほんの僅か触れ、カップが落ちる。
 ―――カシャーン。とカップの割れる音がした。
 
 …………音と共に、乱闘が始まる。椅子が壊れ、魔法が飛び交う。阿鼻叫喚の絵図がそこにあった。
 そして、今まで、乱闘を見ながら黙り込んでいた、コーデリアが立ち上がり、叫んだ!

「やかましい! お主ら、あきはわらわのお気に入りなのじゃ! お主らには渡してなどやらぬのじゃー!」
「あー! 実験動物扱いしとったくせにー」
「そうよ。そうよ!」

 掴み合いをしていたタルコットとルパートが騒ぐ。
 足蹴にされていたラッセンディルが床に倒れたまま、必死に、タルコットのスカートの中を覗いている。頭の中はあきの事を心配しながらも、体は、どこまでも己の性癖に正直な男。それがラッセンディル! 目に映るのは鮮やかな青。口元にはよだれが垂れている。

「やかましい! それはわらわも後悔しておるのじゃ! いいから黙っておれ! わらわが金を出すのじゃ! 文句があるかー!」

 コーデリアの咆哮に2人が黙り込んだ。
 元はと言えば、コーデリアの実験動物という、発言から起こった。あきの保護を誰が受け持つかという争いである。コーデリアがあきの保護を行うというのなら、任せるのは仕方が無いと、言える。今現在、あきの保護はコーデリアが受け持っているのだから……。

「まあ、仕方が無いわね」
「しょうがないな~」
「仕方あるまい」
「では、あたしがコルデリア教会に行って交渉してくるわ。みんなはあきの事を頼んだわよ」
「任せておけ」
「よっしゃ。任せとき!」
「うむ。任せるのじゃ」

 ルパートが部屋を出て行ったあと、残された3人は、誰があきに説明するのかを相談し始める。コーデリアは自分が説明すると言い張ったが、ラッセンディルが、俺が受け持つと言った。魔術師としての見解を話した方があきには、受け入れやすいだろうと思われるからだ。と2人に説明をする。
 そう言われれば、なおも我を押し通す訳にも行かず、コーデリアとタルコットの2人は後ろで控えている事に決まった。
 あきが目を覚ましたら説明をする事になった。






「う~ん。よく寝たかな?」

 台所で眩暈を起こしてから、ずっとベットに寝てた。眩暈は治まったけど……お腹はずきずきと痛み出している。まだ少し貧血ぽいし……。

「よお、目を覚ましたようだな」
「あれ? ラッセンディル? ずっとここにいたのか?」
「ずっと、という訳でもないがな」

 目を覚ましたらベットのそばの椅子にラッセンディルが座っていた。後ろにはコーデリアとタルコットの2人が心配そうに立っている。ラッセンディルも珍しく真剣な表情だし……どうしたんだろう?

「目覚めて、すぐにこんな事を言うのはどうかと、思うんだが、お前の体の事だ……」
「俺の体がどうした?」

 コーデリアの方を見る。コーデリアはなんともつらそうな顔をしていた。タルコットも同じだった。
 もしかして、俺……物凄く重い病気とか? そういうんじゃないだろうな? そう言ってみた。そうしたらラッセンディルは似た様な物だ。と言う。なんだかものすごく気になる。最近、体の調子が悪いのは自覚していたけど……後ろの2人はまるでガン患者の付き添いのような辛そうな様子をしていた。

「結論から言うと、お前は男には戻れない。まずこれを頭に入れておけ。いいな」
「男に戻れないって? それは原材料が1年に一度しか取れないからって、そうだったんじゃ?」
「原材料の話ではない。お前の体の事だ。急激な肉体の変貌……性転換をもし、また行えば、お前の体は持たん。結果は死だ」
「そんな~」
「ショックだろうが、これは受け入れるしかない。死んでも男に戻りたい。と言うのなら材料は俺が手に入れてやる。だが、よく考えるんだ。死ぬのはいつでも出来る。だが、お前はまだ生きられるんだ……女としてならな」
「ううー」

 ショックだ。なんでー? 頭が真っ白だよー。ラッセンディルも冗談を言ってる様子も無いし……コーデリアたちだって、真剣に頷いてる。ううー。

「……そして、いま、お前の体に起こっている症状は、初潮だ。肉体が急激に女性化した事で、遅れていたようだが、ある程度の年齢の女なら誰でも起こる事だ。病気ではない」
「初潮? 初潮って、生理? 月のものとかいう? あれ?」
「そうだ」
「ええー! なんでー?」
「女だからだろう。それ自体は不思議ではない。だが、ここでもお前は問題を抱えている。うまく体内から排出されていないのだ。したがって、このままいけば、やはりお前は死ぬ」
「なんてこったい……。確かに言われてみれば、そうかもしれないけどさ……考えて無かったよ……で、あと、どれくらい俺は持ちそうなんだ? それを言いに来たんだろ?」

 やっぱり、ガン告知かー。ガンじゃなかったけどさ~。あ~あ、短い人生だった……。会うは別れの始まり、と言うではないか、さよならだけが人生さ……。どっかで聞いた事のある言葉が頭の中で木霊している。
 るるるー。

「黄昏ている所を悪いんだが、その問題はなんとかなる。ルパートが神聖魔法の使い手、つまり神官を呼びに行っている。初潮の問題は、どうと言うことはないんだ。問題はお前が女として生きていくか、男に戻って死ぬか、という事だ。どっちにする。まあ、まだ時間はある。真剣に考えておけ! 話はそれだけだ」

 ラッセンディルは椅子から立ち上がった。そして、立ち去ろうとする。
 俺はラッセンディルを呼び止めた。

「なあ、女としてなら、どれくらい生きられるんだ?」
「ふっ、まあ、100年は無理だろうが、トマス爺さんと同じかそれ以上、生きられるだろうよ」
「……そうか。女になって普通には生きられはするのか……」
「そういう事だな……」
「そうか」

 死にたくはないよな……。確かにそう思う。死にたくない。でも、女として生きるのはどうだろう? 最近、女性化が進んでいるのは自覚してはいたよ。でもやっぱり、男だと言う感覚は残っているんだ。それを捨てられるのか? 性同一性障害だったっけ? 自分の性別を受け入れられないとか、拒絶してしまう。というんだったか……俺もそんな感じになるんだろうか? 男としての自我を捨てるのは、難しいよ。


「あら、みんな集まっているわね。連れてきたわよ」
「まったく、強引な男だな! だから私は男は嫌なんだ」

 アビゲイルがルパートに連れられて、怒りながら部屋に入ってきた。

「おお、ルパート! アビゲイルの方を連れてきたのか、よくやったのじゃ!」
「まあね。出来るだけ確立のいい方を選んだのよ」
「ふん。私はいい迷惑だ! しかし、コーデリアー。永遠の乙女よ。私の心を癒しておくれ!」
「患者は向こうなのじゃ! ほれ、さっさとヒーリングを掛けぬか!」

 アビゲイルがコーデリアに抱きつこうとして強引に俺の方を向かされる。アビゲイルは嫌そうに俺の方を見ると、男連中に部屋から出るように指示する。ルパートやラッセンディルは意外と素直に部屋を出て行った。もっとも、ラッセンディルは部屋を覗くなよ! と言われていた。ルパートが簀巻きにしておくから安心して。と言っていたから大丈夫だと思う。

「話は聞いた。……神聖なる女神は君を見捨てる事をお許しにはなるまい。大変、不本意ではある。泥棒猫を救うなど。……不本意ではあるが! ヒーリングは掛けよう」
「おれがいつ、泥棒猫になったんだ?」
「この家で暮らしているだろうが! コーデリアの家で! 夜な夜な、きっと羨ましい……いや、いやらしい。淫らな事をしているに違いない! ええそうだろう。そうだと言いたまえ! コーデリアはどんな感じなんだ! ちゃんと答えたまえ」
「そんな事はしてない!」

 アビゲイルは不審そうな顔で俺を見る。なんだよ? その顔は……疑うような目は?

「では、君は処女かね?」
「えっ? ……俺って、処女になるのか? コーデリア」
「なんで、そこで、コーデリアに聞くのかね! やはり。しているんだなー。この泥棒猫!」
「処女には違いなかろう。男とはやってはおらんのじゃろ?」
「してない」
「なら、処女じゃ」
「女とは、やっているのかー!」

 アビゲイルの咆哮が耳に飛び込んでくる。あーうるさい。男から女になったからさ。その辺の扱いはどうなるのかなって? 思っただけだ。他意はないぞ。……でも、考えてみれば、女として生きると言う事は男とやる事もありえるのかー! えー! ラッセンディルが真剣に考えろ。と言ったのは、こういう事も含まれているんだ。きっと……どうしよう? 俺も女好きになろうか?

「……はよう、掛けんか!」
「むむ。仕方が無い。では、いくぞ。神聖なるコルデリアの女神よ……」

 あーどうしよう? あれ? 体の周りに光が? 光に包まれてる? なんだろうこの光は、物凄く暖かい。体の痛みが和らいでいく。ううん。それだけじゃない。心の中の深い部分にある。傷も癒されるようだ。ああそうか、これが女神の癒しなのか……。確かに神聖魔法だ。

「終わったぞ。ふっ、流石は、女神コルデリア様の癒しだ。女性の体の病には素晴らしい効果を齎す」
「確かに……調子が戻った」

 そう言ったとき、体の奥からどろりと何かが落ちていくのを感じた……。シーツを捲ってみると、シーツに血が……。

「血がー!」
「どうしたんや?」
「どうしたのじゃ?」
「血。血ー!」

 コーデリアとタルコットがシーツを覗き込んだ。
 そうして、にこりと2人が笑う。コーデリアが飛び上がって喜んでいる。あ……アビゲイルに抱きついた。あーあー。アビゲイルのあのとろけきった顔……。タルコットが俺の肩をばしばしと叩く。

「よかったな~。ちゃんと、月のものが来たで!」
「月のもの……? えー!」

 くらーっと意識が遠くなって気を失ってしまった。
 コーデリアとタルコットが騒いでいる声を夢うつつの中で聞いたような気がする。

 これから、どうなるんだろう……?



[12791] 第15話 「女神の祝日。後編 メイドさんと女王様」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/10/31 15:26

 第15話 「女神の祝日。後編 メイドさんと女王様」

 
 昨日、アビゲイルのヒーリングを受けた俺……いや、私は、(コーデリアとタルコットに一人称を変える様に言われた)体の調子もすっかり良くなって今日は、元気一杯です。月のものも昨日で終わったらしい。これから毎月、あんな思いをするかと思うと気分は重くなってしまうけど、こればっかりは諦めるしかない。と言われた。女って面倒だよね……。
 そして、今日は女神の祝日なのだー。
 まず、朝早くにやってくるトマス爺さんにクッキーを上げる。なんだか物凄く喜んでいた。

「わしもまだまだ、捨てた物ではないな」

 と、上機嫌で帰っていった。うん。喜んでくれたのはいいのだけど……なんだかとっても嫌な予感?
 そして今は、朝食を作っている。気分が良いから今日のメニューは、ちょっと凝った物にしようー。といっても、朝だから簡単に食べられる物だけどね。ルパートもラッセンディルも泊まっているから、5人分。ちょっと大変かな? でも大丈夫ー。普段からちょこちょこ用意してあるのさ。るるるー。
 鼻歌まじりに、シチューボウルの上にパイ生地を被せていく。シチューの中身は、ポテト、オニオン、キャロット、ブロッコリー、そしてトリのホワイトシチュー。竈の中に入れたら、あとは、パンを薄く切って、ハムにチーズを挟んだサンドウィッチ。こんなものでしょ。

 さあ、コーデリアたちを起こしに行こー。

「もう起きているのじゃ」
「なんや、自分、ものごっつう機嫌が良さそうやな?」
「そおー?」
「鼻歌も歌っておったし……」
「楽しそうに料理しとったし……」
「体の調子が良いからね」

 コーデリアとタルコットが不思議そうな顔をして目を合わせている。なんじゃらほい?

「いやー。うちら、月のものが終わってもそこまで上機嫌になれんで?」
「そうなのじゃ」
「けだるい感じは残るしな……」
「じゃあ、女神の癒し、かな?」
「そうとちゃうか?」
「たぶん、そうじゃ」

 コーデリアとタルコットは、そう言いつつも、目は食卓へと注がれている。
 それから、おもむろに席に座ると、わくわくとした顔で竈を覗いていた。パイが膨らむ前にルパートとラッセンディルを起こしに行こう。かわいそうに、この2人は一部屋に閉じ込められている。
 しかし、床に転がされている、ラッセンディル。簀巻きにされたまま良く眠れるよね? ベットの上にはルパートが眠っていた。2人を起こす為にベットに近づいた。
 コーデリアから、ラッセンディルを起こす時には、お腹を踏め! と言われているのだ。普通に起こそうとしても起きないらしい。という訳で先に、ルパートを起こしましょ。

「おーい。ルパートー。朝だ。あーさー。早く起きろー」

 ばっさばっさと、書類の紙で風を起こして、ルパートに送る。朝の風は冷たいのだ。案の定、ルパートはもぞもぞして、起きだそうとしている。では、今度は、ラッセンディル。君だ! お腹をふみふみ。あれ? 起きない。ふみふみ。足で踏んでいるのに起きない。なんで?

「そんな、優しい踏み方じゃ駄目よ」
「あっ、ルパート、起きたんだ。おはよー」
「おはよう。あき、調子は、良さそうね?」
「うん。良いよー」

 ベットから起きだしたルパートは床の上に立つと、私を後ろに下がらせ、ラッセンディルの前に立った。
 そうしてから、振り向いて言う。

「こうするのよ。よく見ておきなさい。ふん!」

 ドン。という音が聞こえそうなほど、鋭い蹴りが、ラッセンディルのお腹に決まった。床を滑るように飛ばされるラッセンディル。
 あっ、テーブルの足に頭をぶつけた。大丈夫かな? もぞもぞと動き出した。うわー。あれで、平気なんて凄いよね?

「うわー」
「これぐらい、しなきゃ駄目よ、ね。おはよう、ラッセン。いい朝ね」
「うむ。いい朝だ」
「うわー。……じゃ、じゃあ、着替えたら食堂まで来てね。朝ごはん出来てるから」
「分かったわ」
「うむ」

 2人の返事を聞いてから、食堂へと戻る。食堂ではなぜか、コーデリアとタルコットがテーブルにもたれてうつ伏せになっていた。
 どうしたんだろ? 近くに寄ってみた。なにやら、小声でぶつぶつ言ってる。

「お腹がすいたー」
「腹がへったー」

 う~ん。いくらお腹が空いているからといって、ここまでなるものかな? 昨日だってちゃんと、ご飯を食べたのに……?
 不思議に思っていたら、ルパートたちが食堂にやってきた。パイも膨らんでいるし、竈から取り出してっと、テーブルの上に並べていく。おや、コーデリアとタルコットが起き上がった。2人とも、既にスプーンを握り締めている。

「では、どうぞー」
「「「「いただきまーす」」」」

 そう言うと、みんな、凄い勢いで食べていく。
 なんだかなー。普段、食べさせていないようだ……そんなにがっつかなくてもいいと、思うんだけど?

「いえ、ほら、あたしたちって、普段、自分で食事を用意しなくちゃならないでしょ?」
「そうやから、こんな風に食事が出てくるんは、感動するで!」
「うむ。久しぶりにまともな、食事をした」
「ほっほっほ、わらわは、毎日、こんな食事をしておるのじゃ! どうじゃ、いいじゃろ~」

 コーデリアが勝ち誇ったように笑い声を上げる。
 あれっ? なんだか、みんな……殺気立ってる? 食事の後で、紅茶を出していると、そんな言葉が聞こえてきた。
 う~ん。どうした、ものか?

「ねえ、あき。家に来ない?」
「そうや、うちんとこに来んか?」
「うむ。食事の用意をしてくれるだけでいい」
「えっ? えっ?」
「こりゃー。あきにヘンな事を言うでないのじゃー!」

 みんなに、誘われた。そんなにみんな、食事の用意が嫌なんだろうか? 食事は楽しみだと思うんだけど……? テーブルの上の食器を片付けて洗い物をしている。それが終わったら、洗濯物だ。かごを持って家の外へ向かう。
 今日は、5人分あるから、大変だよー。
 物干しに洗った服を掛けて、それから、毎日の楽しみの太陽を浴びて、日光浴。う~ん。太陽が気持ちいい。
 家に戻ったら、5人がぐだぐだとしているのを、追い出して、掃除をする。この家に来てから、毎日のようにしているから、慣れたものだよ。ほうきとちりとりを持って、各部屋を回っていると、なぜか、視線を感じる。
 振り返ったら、みんなが見てた。

「なに?」

 聞いてみる。

「メイドさんだ」
「メイドさんや」
「メイドだな」
「メイドさんって? どこにいるの?」

 きょろきょろと周囲を見てみた。誰もいないよ? そう言うと、3人が顔を合わせ、苦笑いをした挙句に、私の方を指差してくる。うん? 私? 自分の顔を指差してみた。みんなが、一斉に頷く。

「ねえ、あき。やっぱり、家に来ない?」
「いや、家のとこに来んか?」
「家に来て欲しいぞ」

 また、みんなに誘われた。タルコットが私の腕を引っ張って、コーデリアの元へ連れて行く。しかも、コーデリアの部屋の隅に私を、追いやって、なにやらこそこそと、小声で話をしていた。話し終わったのかこちらを向くと、「せーの」と言って、いきなり服を脱がされた。その上、コーデリアの服のコレクションから、メイド服を出すと着替えさせられてしまう。

「うむ。似合うのじゃ」
「似合うてるわ」

 それから、2人に引き摺られながら、ルパートたちの下へとやってきた。しばし驚いている顔をしていた2人は、口々に似合うと言い出し、急遽、私はメイドさんと呼ばれる羽目に陥る。
 うー。なんでこんな事になったんだろう? 訳が分からなくなった。
 そして、私は、メイド服のまま、錬金術と魔術の講義を受ける。『高等魔術の教理と実践』という魔術の教科書をラッセンディルから貰った。ルパートからは『プロとして恥ずかしくない錬金術の大原則』と『貴族階級と平民』を貰う。これで勉強をしろと言うことだな。考えてみれば、私はこの世界の教育は受けてないし、なにをするにしても、この世界の事は知っておいた方がいい。という事だろう。タルコットからは『男爵婦人の秘密』というエロ小説だった……これも勉強か……実際、女の身だしなみなんか、知らないし。ありがたく頂く事にする。調合の時は流石に防護服を着せてもらえたけど、その他の時は、メイド服のまま……。
 お昼になると、この格好のままで食事を作って、洗濯物を取り込み、アデリーヌへと向かう羽目にもなってしまった。
 でも、メイド服のまま、レイピアを腰につけるのはなんだか、恥ずかしいよ……。

「いや、似合ってるで!」
「ええ、似合ってるわ!」
「いや、ここは、ショートスピアを持っている方が似合うのではないか?」
「よし、持ってくるのじゃ!」

 コーデリアは家の中から、ショートスピアを持ってくると私に持たせる。槍って使った事が無いんだけど……。そんな事はお構い無しに、4人が言い合い。結局、短めのハルバートに決まったようだった。長いのは持てなかったのさ。いいもん。

 乗合馬車の駅まで、5人で歩いていると、村の男連中が、じーっと、こちらを見ている。右手にハルバート。左手にはクッキーの入った大き目のバスケットを持っているんだけど……。クッキーが欲しいのかな? 女神の祝日だしね。
 ああ、こうやって、義理チョコならぬ、義理クッキーが増えていくのか……? なんとなく納得。そんな風に思っていたら、見ていた男連中の1人が、こちらに向かって歩いてきた。私たちの前まで、やってくるといきなり、手を出して……。

「ほら! クッキーを寄越せ!」

 と、言いやがった。
 こいつ、馬鹿? そんな風に言って、貰えるとでも、思っているのだろうか? 馬鹿の相手はしたくないから、放っておこう。とばかりにみんなで無視をすることにする。もっとも、ルパートとラッセンディルに睨まれるとすごすご、戻っていったけど……馬鹿だなあーと思う。何がしたかったんだろう?

 馬車駅で待っていたら、今度は小さい男の子が、近づいてくる。手には幾つかのクッキーの袋を持っていた。まあ、5歳ぐらいかな? この子たちには、3人で、クッキーを上げた。喜んで走っていく。でも、小さい女の子には、睨まれてしまった。

「ふふふ。嫉妬しておるのじゃ。わらわに、男の子を取られてしまうと、怯えているのじゃ。うむうむ」
「えー」
「いや、案外そうかもしれんで? あの女の子から見たら、コーデリアは自分らと同じぐらいに見えたかもしれん」
「ああー。そういう事かー」
「お主ら、さっきから何を言っておるのじゃ?」
「いやー。コーデリアはもてるなーって、言ってたとこ」
「うむうむ。そうじゃろ。そうじゃろ。全て、わらわの美貌が悪いのじゃ。あー。なぜ、わらわは、このように美しく生まれてしまったのか?」

 コーデリアが自分に酔っているうちに、気になっていた事を、ルパートに聞いてみた。

「ねえねえ。ルパート。コーデリアって、錬金術の学院にいた頃から、こんな感じだったの?」
「いや、もっと、ずっと、大人しかったわよ」
「そうなんか? なんでこんな風になってしもうたんやろ?」
「謎だー」

 タルコットと2人で話していると、ルパートが苦笑いしていた。
 しかし、気になるのは、さっきからぞろぞろとついてくる、村の男連中だ。あいつら、何を考えているんだろう? ルパートにそう言ったら、聞いてきてあげるわ。言って、男連中のところへ向かった。


「ちょっと、あんたたち、いったいどういうつもりなのかしら?」
「お前、言えよ」
「お前こそ……」
「何こそこそしてるのよ。はっきり言いなさい」
「……実は、朝からトマス爺さんが、村外れに住んでいる。錬金術師の家の娘にクッキーを貰ったって、村中に自慢してたんだよ」
「俺たち、あっちの方には行かないから、どんな娘か知らなかったんだ」
「爺さんは美人だと、言ってたけど……な」
「俺らは信じてなかったんだ。それで、錬金術師のあんたらが歩いているのをみて、どんな娘か見に来たんだ」
「それで、どうしてぞろぞろ付いて来てるのよ。もう見たでしょ?」
「……あの娘がさ。大きなバスケットを持ってるだろ?」
「あれ、クッキーだよな?」
「……そうね。それがどうしたのよ?」
「貰えないかな?」
「無理ね。だって、貴方たち、嫌われちゃったじゃない」
「何でだよ?」
「ほら! クッキーを寄越せ! なんて言った。馬鹿がいたからよ。あれであの子、怒っちゃったのよ。だから諦めなさい」
「誰だ! そんな事言ったのは?」
「さっき、1人で近づいてきた男がいたでしょ。あいつよ」
「ローダーの所のアロイスだ!」
「あの野郎……!」


 ルパートたちの話がここまで聞こえてきた。
 私たち、3人は、溜息が出た。そうして相談して、あげる事にした。

「ほいほい。並びな! 配るさかい。順番にな」
「ほれほれ、みな並ぶがよいのじゃ」
「はい」

 そう言うと、男連中は素直に並びだした。なんだか、悲しい光景だった。そうして、彼らに配っていく。妙に喜ぶところが、さらに悲しい。
 結局、並んでいる人たち全員に配ってしまった。配り終えたタルコットが男連中を追い払っていく。

「ほら、あんたらも仕事があるやろ。さっさと帰って、手伝って来い。でないと怒られるで!」
「そうそう。仕事に戻るのじゃ!」
「はい。さよならー」

 手を振って追い返す。男連中は村へすごすごと帰っていく。なんだか寂しそうだけど仕方ないよねー。あとで、怒られるのは嫌だろうし……。
 追い返していたら、ようやく馬車が来た。


 馬車に乗って、3時間。アデリーヌは、大騒ぎ!
 
「すごいねー」
「女神の祝日やからな!」
「……あき、お主はどこへ行くのじゃ?」

 コーデリアとタルコットはいつも錬金術の薬やアイテムを買ってくれている店の人たちにクッキーを配りに行くと言っていた。一応、私もコーデリアについていくつもりではあるんだけど……それとは別に、2箇所、行きたい所があったのだ。

「騎士団の駐屯所とコルデリア教会。ほら、悪魔(アメリア)の時のお礼に行こうかなって、それにアビゲイルには昨日、助けてもらったし」
「おおー。そうか、では後で、そこにも回ろう」
「うちは、エルフの秘薬を卸してる店に行くわ。またあとで、ルパートの店で待ち合わせや」
「うん。わかったー」

 こうして、タルコットと別行動を取る事になり、私は、コーデリアと一緒にお店周りに行きだした。
 『アルマンの店』『カロリーヌの店』『ゼルギウスの店』『アリツィヤの店』『ルドミラの店』と、大小幾つかの店を回る。どの店でもコーデリアに紹介され、挨拶をしていく。まるで営業の新入社員のようだ。
 
 『アルマンの店』では、気取った男が着飾って格好をつけていた、けど……なんだか、ルパートの物まねみたいだ。そう、コーデリアに言ったら、本人の前では言うなよ。と釘を刺される。言わないけど? アルマンというのは、元はカルクス王国の貴族だったらしいけど、家が没落して以来、アデリーヌで店を開いているそうだ。
 その際に、ルパートにだいぶん、お世話になったそうなんだけど? ルパートの事を嫌っているらしい。なんでって? 聞いたら、ルパートって、ルリタニアの大貴族らしくて、没落して無いくせに趣味で店をしていて、しかもアデリーヌでは、一番腕がいいそうだ。それが気にいらないんだって。気にしない方がいいのに……。
 
 『カロリーヌの店』は、夫婦でやっている店で、店名は奥さんの名前だった。薬草とか、他に野菜の種なんかも扱っているんだって。毎年、近隣の村が買い付けに来るそうだ。10年ぐらい前にこの辺りの村が、酷く不作な年にただで、種を配った事から、アデリーヌ周辺の村の買い付けを一手に引き受ける事が出来たそうだ。凄いやり手だと思う。店も大きいし……。奥さんは美人だった。
 でも見た目は気のいいおっちゃんっていった感じだったよ。眼は鋭かったけどさ。

 『ゼルギウスの店』は、怖かった。物凄く厳ついお爺さんが、怖い眼でジロジロ睨んでくる。コーデリアが私の事を紹介した時も、ふんって言うんだ。ふんって。私が作った『緑の触媒』と『蒼の触媒』を見せたら……。

「これじゃー。売り物にならねえな!」

 と、言われた。コーデリアには、Aランクだって言われたのに……。ううー。
 でも、これはうちで、引き受けてやるよ。って……買ってもらえたけど……ううー。へこむ……。店を出てからも落ち込んでいたら、わらわも始めはあんな感じじゃったぞ! と言う。ルパートもそうだったって……。でも、コーデリアやルパートと違って、私はちゃんとした錬金術の勉強はしてないんだよー。と言ったら、コーデリアに怒られた。コーデリアもルパートも錬金術の教師の資格を持っているらしい。一流の錬金術師に家庭教師をして貰って、その言い草はなんじゃ! って、怒られる。うーうー。

 『アリツィヤの店』は、一言で言うと、すごく太ってた。
 もうね。なにをどう、食べたらあんなに太れるんだろうって、思うほどだよ? ドラム缶なんてもんじゃない。もっと恐ろしいなにかだった。私には無理。どうしたって、あんなに太れない。お腹が出てるとか、肌がたるんでるとか、そんな問題じゃない。
 そう思っていたら、『あんたは、痩せすぎだよ! もっと食べなきゃ駄目じゃないか!』と怒られた。あれ? その上、これを食べなって、ホールごと、ケーキを出された。いくらなんでもホール丸ごとは無理だよー。涙目になりながら、コーデリアと2人で何とか食べる。ううー。気持ちが悪いー。お腹がー。重たいよ。

 『ルドミラの店』は、アデリーヌでもあんまり人の来ない裏通りにあった。ルパートの店のある職人通りから、服飾通り(ここには、色んな布を卸している問屋さんが並んでいる)を越えて、さらに東に進んで、鍛冶屋さんたちが集まっている武具通りと絵画を専門に扱う店が並ぶ、道の2本、筋を渡ったその先にある。外見も店の中も典型的な魔女の店って感じだった。
 店主のルミドラさんは、かなり年を取ったおばあさんだ。トマス爺さんより上かな? でも穏やかな目をしてる優しそうな人だったよ。
 クッキーを渡したら……。

「あらあら、こんなおばあさんに、渡すなんて、他の若い男の子に上げればいいのに」

 と、言ってた。
 それで、ルミドラさんから、クッキーを貰っちゃった。いいのかな~? コーデリアはルミドラさんとお茶を飲んで話をしてる。私は店の中を見てた。棚には、死にまねの薬だとか、蛇の毒だとか、解毒剤とか、魅了の薬なんかが、いっぱい並んでいる。媚薬なんかもあった。誰が買うんだろう?

 

 そうこうしているうちに、今度は、騎士団駐屯所にやってきた。
 でてきたアーヴィンに騎士団の人たちに、と言って、クッキーを渡す。最初は、貰うわけにはいかない。と言っていたアーヴィンだったけど、背後で騎士たちが、わくわくした顔で待っているのに気付くと、溜息をついて受け取った。

「今度は、ゆっくりと遊びに来いよ」
「おー。コーデリアーまたなー」
「あきお嬢ちゃんもなー」

 騎士たちに見送られ、私とコーデリアは駐屯所を立ち去った。長居しても迷惑だろうし……。
 コーデリアは手を振っている。意外なところでコーデリアは大人気だった。騎士達に傅かれて、大満足だったみたい。コーデリアの笑顔が眩しい。でも……「コーデリアちゃん。はあはあ」とか「ちっちゃい子っていいよね」って言ってるのを聞いて、私はなんだか、妙な気分だった。騎士たちって、ロリコン?


 やってきましたコルデリア教会。
 朝から一件、結婚式を終えたらしい教会内は、アデルが必死になって掃除をしていた。他にも何人かの神官らしい人たちが掃除に参加している。アデルに挨拶をしてから、アビゲイルの部屋に向かう。ドアをノックすると中から気だるい声で、アビゲイルが返事をした。

「では、入るのじゃ」
「おじゃましまーす」
「おおー。コーデリア! 疲れ果てた私の元へ会いに来てくれたんだね。うれしいよ。さあ、ベットへ行こう。遠慮する事は無い」

 アビゲイルはいきなり、コーデリアに抱きつき、服を脱がせていく。その手腕には、驚くしかない。あっという間にコーデリアは下着姿にされてしまった。

「放すのじゃ! 放せー!」
「う~ん。この柔らかいお腹が、私を駆り立てるのだよ」

 コーデリアのお腹に顔を埋め、もふもふしてる。

「アッー!」
「よいではないか。よいではないか。ぺろぺろ~。う~ん。いい味だ」
「舐めるでないのじゃー!」
「このおへそがまたなんとも言えずに素晴らしい!」
「へそを舐めるでないわ!」
「では、噛もう」
「噛むな!」
「あれも駄目。これも駄目。とは、なんという我侭な事を言うのかね? そんな事ではいけないよ。これは愛だ」

 アビゲイルがコーデリアのおへそを噛もうと一生懸命になっている所へ声を掛ける。

「キシャー!」
「うわっ!」

 威嚇された。再び、おへそを嘗め回す。アビゲイル。
 心臓がばくばく言ってる。こわい。

「さあ、ぬぎぬぎしようね。ふふふ」

 コーデリアの下着を脱がそうとしているアビゲイルと脱がされまいとするコーデリアの争い。
 あっ! コーデリアが負けた……。するすると足から下着が脱がされていく。

「いや! それは拙いだろ!」

 アビゲイルを引き剥がす。そうしたら、ようやく私の存在に気付いたらしい。さっきのはなんだったんだ?

「なんだ、君か? 私は忙しいのだよ。邪魔をしないでくれたまえ」
「ヘンタイ性欲は抑えろ!」
「ヘンタイ? 誰が?」
「あんただ。あんた!」

 心底、分かっていないような顔でアビゲイルが言うのに、突込みを入れる。

「ヘンタイとは聞き捨てならないな。私はヘンタイではない。小さいおんなの子が大好きなだけだ!」
「それを世間ではヘンタイというのだ!」
「見解の相違だな。私は女神コルデリアの司祭だぞ。神を愛するように小さいおんなの子を愛しているのだ! 女神もそれをお認めになっている。私が女神の神聖魔法を使えるのが、その証拠だ!」
「うわー。本当になんで、この人に使えるんだろう?」
「ふっ。女神の愛だからさ……。君には分かるまい。では、私は忙しい。もふもふ」
「やめるのじゃー」
「ぷくぷくのおしりがー。おいしい!」
「だから、やめろと言うとろうがー!」
「ええい。邪魔するでないわー」

 アビゲイルはそう、叫ぶと修道衣を脱ぎ去った。
 中からあらわれたのは……赤い下着に身を包み、足には太ももの辺りまである長いロングブーツを履いた、アビゲイル。ブーツはハイヒールになっている。そして、手には鞭を持っている!
 ―――ピシッと、鞭が床を叩く! どこから見ても女王様だった。

「君とは一度、じっくりと話し合わねば、と思っていたんだ。いい機会だ。この際、君を説得してやろう!」
「鞭を振り回すのは、説得とは言わない!」
「見解の相違だ。これは女神コルデリア流、説得術だよ!」
「絶対、違う!」
「何を言うか! これはかつて、ルリタニアにおられた大司教様が考案なされた。由緒正しい、ものだ」
「やっぱり、ルリタニアなのかー。ルパートにしろ、エルにしろ。なんであんなにヘンタイ揃いなんだ? あの国は!」
「Call me Queen!」
「女王様か!」

 アビゲイルの鞭が私に襲い掛かってる!
 慌てて、ハルバートで防御するが、鞭はしなり、ハルバートに巻き付いてしまった。
 力比べ! どちらの力が強いのかの勝負になる。でもこれは、私の方が不利だ。どうしよう……。
 神様仏様。コルデリア様。負けそうです。なぜに、アビゲイルが神聖魔法を使えるのでしょうか? 力比べをしながら、思わず、神に祈っていた。

 ―――――あれはあれで。

 なに? いまなにか、聞こえた。
 あれはあれでってなんだ?

「今の声は誰だー?」
「なにを訳の分からぬ事を!」
「あき、なにか声が聞こえたのか?」
「いまさっき、確かに聞こえた! あれはあれでって」
「誰もそんな事、言ってないのじゃ」
「司祭様! さっさとして下さい。次の方がお待ちですよ!」

 アデルが部屋に飛び込んできた。
 一瞬、アビゲイルの注意が逸れる。その隙にハルバートをフルスイングで叩き込んだ。体が九の字に折れ、アビゲイルは倒れた。

「はあはあ、勝った……」
「よくやったのじゃ!」

 息を切らせて喘いでいる。
 コーデリアは服を着て、クッキーをアデルに押し付けると私の手を取って、教会から逃げるように走り去る。
 私はコーデリアの手に引かれ、ルパートの店に急ぎながら、さっきの声を考えていた。
 



[12791] 第16話 「ルリタニアに行こう アデリーヌの領主からの依頼と女神の声」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/01 22:43

 第16話 「ルリタニアに行こう アデリーヌの領主からの依頼と女神の声」


「厄介な事になった」

 ノエル王国アルル地方、古都アデリーヌ。地方領主ハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵は、近頃起こった厄介事に頭を抱えていた。
 青碧の月の第3週29日に、ユニコーンがこのアデリーヌに迷い込んできたからだ。この街に来るまでに誰かに殺されていれば、さほどの問題にはならなかったのだが、一旦都市に入ってしまった以上……はいそうですかと殺すわけにもいかないからだ。
 ここがゴブリンやオークなど、魔物、魔獣といわれるものとは違い、ユニコーンの厄介なところである。その美しい容姿から古来神話や物語に登場することも多く。都市部では見かけることも無い為に被害者が出てもさほど重要視されることもない。処刑すれば眉を顰める者も多いのだ。

「まったく、自分たちに被害が及ばないとなると好き勝手な事を言う。なにが生息地に帰してやれ。か!」

 ハインリッヒは、首都ノエルにいる大臣たちや市民に対して腹立たしさを感じていた。実際のところ、ユニコーンを連れてヘンルーダの森まで、いったい誰が連れて行くというのか? どこの処女がその役目を果たすというのか! ユニコーンを見る機会のある女が、どれほど、ユニコーンを嫌っていると思ってんだ! ああ! あのくそ野郎どもが! 段々考える事が過激になっていくハインリッヒであった。
 そうして、城の騎士団だけでなく下級騎士団にも、連れて行くことの出来そうな処女に心当たりがないか? と調べさせたところ……もしかすると、という条件付ではあるが、1人だけ該当する者が報告されてきた。

 ――――香月あき―――である。

 まず、この春にアデリーヌに来たばかりである事。そして錬金術師コーデリアの弟子である事。ターレンハイム伯爵やラッセンディル男爵とも、知遇があり、さらにはヘンルーダの森出身のエルフ。タルコットとも知遇があるという事、なによりユニコーンに対してさほど拒否感がないと思われる事が、アーヴィンが提出した報告書に書かれていた。
 まったくうってつけの人物ではあるが……彼女に危害が及ぶ場合には、コーデリアたちがユニコーンを殺害する可能性がある事と、彼女が処女である事は、コルデリア教会のアビゲイルから聞かされただけであり、本人の確認が必要と追加の報告書に記されてあった。

「とにかく、一度この城に連れて来い」

 と、報告書を読み終えたハインリッヒが命じ、ヴィクトリア城の文官が、ルパートの店へと急いでいた。
 直接、会いに行くより、一度、彼を通した方が話を進めやすいだろうとの判断である。それにルパートはルリタニアのターレンハイム侯爵家の一族でもある。ヘンルーダの森のあるオンブリア地方を治めるプリンス・オブ・オンブリアにターレンハイム侯爵家から話を通してもらおう。という考えがあったのも確かであった。無論、ノエル王国の王家からルリタニア王家に話は行くだろうが、いったいどれほどの危機感があるのか、知れたものではない。
 危機感の無い王家がルリタニア王国に対し、ユニコーンの処遇について口を挟むようなことがあれば、国際問題になりかねない。その問題を防ぐ為にも水面下でルリタニア側と交渉をしておく必要があるのだ。

 ルパートの店に着いた文官は店の奥の魔法防御を施された一室に通され、ルパートと交渉を行っていた。
 ユニコーンをヘンルーダの森に隔離するという事とルリタニア王家に対して話を通しておく事については、双方、ほぼ満足できる結果を得られた。問題はヘンルーダの森に行くまで、ユニコーンの世話役を香月あきに任せると言う事にはルパートは難色を示した。

「いや、そこをなんとか」
「ハインリッヒの立場は理解できるし、これがコーデリアに任せるというのなら、請け負ってもいいんだけど……あきは、ね」
「しかし他に、任せられる人物もいないのですよ」
「あんまり危険な事はさせたくないのよ。特にユニコーンみたいなのとは関わりにはさせたくないわ」
「では、他に誰かいませんか? 任せられるような人物が!」

 ルパートは文官の追い詰められた必死な態度に少し引きながらも考え込む。
 そういわれてみると、この街の魔術師、錬金術師、剣士、冒険者といわれる者たちの情報に詳しいルパートにも、これといった人物は思い浮かばない。アデリーヌの領主が頭を抱えているのも無理からぬ話である。
 
 だいたい前提条件の処女である事が最大の難問なのだ。ある程度の実力を持っている女の冒険者はそれなりにいる。しかしそういった女たちは年齢的に、それなりの経験を積んで来ているのだ。その中にはそういった性的な事も含まれている。
 それにまったくの子どもという訳にもいかない。ユニコーンの世話が出来ないからだ。14,15で結婚する事も多いこの辺りの娘たちに条件に合うような娘がいたとしても、親は断るだろう。いや、親だけではない。無理に押せば、村の総意として断ってくるだろう。だからと言って貴族の娘はというと、これは能力的にも性的にも論外である。
 
 こうなると、ハインリッヒがあきに白羽の矢を立てたのは、苦肉の策とも言えた。あき個人だけでなく。その背後にいるであろう。コーデリアやタルコット、ラッセンディル、エルンストなども考慮に入っているはずだ……。

「う~ん……」

 ルパートは腕を組んで考え込んでいる。








「本当に聞こえたのじゃな?」
「うん。力比べをしてた時に、『あれはあれで』って聞こえた」

 ルパートの店に向かう途中で、コーデリアと話をしている。コーデリアは器用に腕を組みながら歩いている。その後を、ハルバートを片手に持って、バスケットを揺らしながらついていく。
 向こうからタルコットが歩いてきた。バスケットの中には、クッキーじゃなくて、小さな瓶がいくつか入っている。

「なんや、自分らも用事が終わったんか?」
「うむ。終わる事は終わったのじゃが……」
「どうしたんや?」
「……あきが、どうやらコルデリアの声を聞いたようなのじゃ」
「ほーお、女神の声かー……って! ええー」

 タルコットに肩を揺さぶられた。あ、あああー視界が揺れるー。頭がー。
 バスケットの中の瓶が擦れて、甲高い音を立てていた。

「タルコット、揺さぶるのはやめて……」
「いや、自分。女神の声を聞いたんやろ? 神聖魔法の使い手になったんか?」
「わかんない」
「……コルデリアの声とも限らんのじゃ。いくらコルデリア教会の中だったとはいえ……」
「そりゃまあ、そうやな……でも確かめんといかんな。一遍、ルリタニアのコルデリア大神殿に行く必要があるで」
「わらわもそう考えていたところなのじゃ」

 なんだか、大事になってるみたいだ。
 なんでこんな事になったんだろう……やっぱり、あの時……コルデリアに祈ったのが原因かな?
 考え込んでいたらいつの間にか、ルパートの店の前についていた。店の前には立派な6頭立ての馬車が停まっている。御者席に座っていた男が、じろじろと見てくる。なんだかな~?
 店の中は閑散としていた。声を掛けてもルパートは出て来ない。

「また奥の部屋におるんとちゃうか?」
「そうかも?」
「よし、わらわが行って連れてきてやるのじゃ」

 コーデリアが奥の部屋に向かった。私とタルコットの2人は店の中を見て回っている。
 棚を見ていたら少しだけ埃が落ちていた。

「う~ん。こういうのを見ると掃除したくなるね」
「……まあ、自分はそうかもしれんな」

 タルコットは棚の上に置かれてある幾つかの薬を手に取りながら、「少しぼったくり過ぎやないか」とぶつぶつ言っていた。それを聞きながらコーデリアを待っていたら、先にラッセンディルが店にやってきた。

「お前たちも来てたのか?」
「あれっ、ラッセンディルも来たんだ? ああそうそう、これをあげる」

 そう言ってラッセンディルにクッキーを差し出す。ラッセンディルは受けとると素早く店の隅に走り、こそこそとしゃがみ込み、中を確かめた。
 う~ん。あんなに警戒しなくてもいいのに? そんな感想を持って見ていた。確認が終わったのかラッセンディルは立ち上がって、こちらを向くとなぜか、泣き出した……。

「ど、どうした?」
「ようやく、まともなクッキーを貰えた……どいつもこいつも、ゴブリンだとかユニコーンだとかそんなんばっかりだったんだ……」
「ユニコーンはうちやな。そんでもってゴブリンはコーデリアか……あきのは、どんなんやったんや?」
「えっ? 星型とか花びらとかの型だよ」
「ううー」
「まともやな~。もっと、受けを狙わんと……」

 いや受け狙いであげるような物でも無いと思う。
 泣くラッセンディルとからかっているタルコットを見ながらそう思う。う~ん。そうだよね。本当に嫌いならあげないし……。
 あっ……あれ? コーデリアが戻ってきた。後ろにルパートと見た事の無い人がいる。ああルパートのお客さんか。

「あき、お主に客じゃ」
「……私に?」
「そうじゃ。アデリーヌの領主からの依頼を持ってきたのじゃ」

 自分の顔を指差しながら聞く私に、コーデリアは頷きながら答え、後ろにいた人を手で示した。
 後ろに控えていた人は、「コホン」と咳払いをしてから前に出て話し始める。

「えっと、私はアデリーヌの領主、ハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵の使者として貴方にお願いに参ったものです。どうかわたくしどもと、ヴィクトリア城へ来ていただきたい」
「えっ? えっ? どういうこと……?」

 思わず、きょろきょろと辺りを見回す。コーデリアとルパートがじっと、見ている。タルコットは眉間に皺を寄せて使者を睨んでいた。ラッセンディルは警戒心を露にし、私の前に出ようとしていた。

「……これ、ラッセンディル。今回はそんなに警戒する必要はないぞ。厄介な話ではあるがのう」
「そうね。ただ……この話、あき以外には、やる人はいそうにもないのよ。私たちもついていく事になるでしょうね」
「無論じゃ! あき1人に行かせるものか!」

 なんだか、話が見えないんだけど……私以外にはやる人がいそうもないって? 私より、コーデリアやルパートの方が能力はあると思うんだけど? どういう事かな?

 そのあと、使者の人から話を聞くと、要するにユニコーンをヘンルーダの森まで連れて行ってくれないか? と言う話だった。それぐらいなら、私じゃなくても……と言ったら、ルパートが説明をし始めた。物凄く長い話だったよ。
 なんでもユニコーンはとにかく嫌われているし、処女じゃなければならない。とか、条件が大変らしい。

「ところで、貴方は処女か?」

 と真面目な顔で聞かれた時は、殴ってやろうかと思ったけど……。慌てふためく使者を見て殴るのはやめておいた。
 それで結局、みんなが一緒に来てくれるなら、と条件を出したら……使者の人は大きく頷いて、了解した。その他の条件やお金の事は、コーデリアとルパートにお任せしておいたからね。私から言う事はないのさー。相場知らないし……。

 馬車の中で使者の人は喋りっぱなしだった。いかにも肩の荷が下りたという顔をしてにこやかな顔をしている。
 アデリーヌの街の中心に位置するヴィクトリア城は、初代女帝の離宮の1つだったそうだ。ルパートの別荘よりも大きかった。元の世界で見た事のある大阪城みたいな広さだった。皇居は入った事が無いから分からないね。
 とにかく広い。跳ね橋を通って中に入るとこれがまた、広い。門を潜ってからだいぶん経つのにまだ、城にたどり着かない。なんて不便なお城だろうか……。
 城の中には騎士が訓練していた。この城の中にいる騎士とアーヴィンの騎士団は、所属が違うらしい。使者の人が教えてくれた。アーヴィンは、ノエル王国の下級騎士団所属で、この城の騎士はハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵の領地から選ばれたそうだ。

 城にたどりつく。あまりの大きさに見上げすぎて首が痛くなりそうだ。

「どうぞ。こちらへ」

 使者の人に言われて、中に入った。無駄に豪華絢爛……ルパートのところでも思ったけど……ここはもっと凄い。桁が違う。初代女帝は派手好み。と言った。タルコットの言葉が理解できた。こりゃ誰だってそう思う。
 建物の中には、沢山のメイドさんがいた。そういえばと気がついた。私もメイド服を着てた。でもなんか違うけどね。視線が集まっているような気がする。ちらちらと見られてる。この城に客が来るのは珍しいのだろうか? そんな事を考えてしまう。
 
 コーデリアたちに囲まれるようにして、領主の下へと向かう。
 領主の部屋の扉の前につく。大きな扉は二階建ての大きさぐらいの高さがあった。
 左右に立っている騎士が2人がかりで扉を開ける。正面には一面のガラス窓だった。……でも、これなら驚いたりはしない。元の世界じゃあ珍しくも無いからね。ビルの窓なんて、もっと凄いのもあったし……。
 窓に背を向け、こちらに向かい合う位置に領主の大きな机があって、そこに領主のハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵が座っていた。扉が開いた事を確認してから、領主は立ち上がって、こっちに向かって歩いてきた。

「初めまして、お嬢さん。領主のハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵だ。あきとお呼びして宜しいかな?」
「えっ、ええ。いいですよ」

 初めて会った領主のハインリッヒは、想像していたような派手な人物ではなかった。
 背は高くがっしりとした筋肉質で体格も良かった。髪は金髪で短く切り揃えている。眼は鋭い。口元は引き締まっている。綺麗に剃りあげて髭もなかった。パッと見には渋いおじさま。だと思われた。……

もしかすると初めて会う。まともな人かも……私の期待は急上昇して胸がドキドキいってる。顔が熱くなってきた。

「……今現在、アデリーヌには問題が発生しています。聞かれたと思うが、ユニコーンの事です。貴女にはユニコーンを連れてヘンルーダの森まで行って貰いたい」
「ええ、お話は伺いました。私にどれだけの事が出来るか分かりませんが、出来るだけの事は致します」
「おお。そう言って下さると我々としても安心できます」
「ええ、お任せください」

 そう言った挨拶を交わした後で、コーデリアとルパートの2人がハインリッヒさんと向かうルートや条件、ルリタニア側との交渉及びお互いの身分証明の書類や符丁などを取り決めていた。

「後々の厄介事を避ける為にも、万全を期したい。こちらが確かにユニコーンを渡した。という確認をルリタニア側に渡し、ルリタニア側からも確認を貰わなければならない。どちらが欠けても駄目だ」
「確認は誰がするのじゃ?」
「アデリーヌ側からは、文官のエドモンドを連れて行ってもらおう。ルリタニア側からは、エルンスト王子が直接、確認をして頂ける手筈になっている」
「エルンスト王子か……」

 コーデリアがぼそっと零す。私はエルの名を聞いてビクッとしてしまった。
 ああーこの夏の記憶が蘇ってきたぁ~。どうしよう……。ガクガクと震えてしまう。
 ちらっとハインリッヒさんが、私を見て、首を捻った。

「あきは、どうかしたのかね?」
「あきは、エルンスト王子と面識があるのです」
「おお。そうか。それは好都合だ!」

 ルパートが言うのに、ハインリッヒさんが喜んでいる。
 うむうむ。と頷き、ルリタニア側ともうまく事を運べるだろう。と言っていた。ユニコーンの事はうまく行くかもしれないけど……私個人は、王子に何をされるか分からなくなってきた……こわい。こわすぎる。
 それからの話は耳を通り過ぎてしまった。頭の中では、エルとアデーレがダンスを踊っていた。てぐすね引いて待ってます。って感じだ。どうしよう……。


 それから文官のエドモンドさんを紹介される。う~ん。真面目そうな人だと思うけど……よく分かんない。なんだか、影が薄いというのか、印象が薄いのか、インパクトがない。もっともルパートみたいに印象が強すぎるのも困るけどね。


 話が終わった後、みんなでハインリッヒさんの個人的な部屋へと案内された。
 なんでも、ノエル王国有数のコレクションの持ち主だという話だとルパートが教えてくれた。何のコレクションかは、言ってくれなかったけど、「見れば分かるわ」と言ってた。
 宝石かな? 武器だったりして……。お洒落そうだから、身に着けるものかもしれない。楽しみだー。
 城の中をしばらく歩いて、コレクションを納めている部屋へとたどりつく。
 厳重に鍵を掛けられている扉を開けて中に入ると…………。

 ――――大量の人形が飾られていた。

 大きいのから小さいのまで、いっぱい、あった……。
 ハインリッヒさんは、その1つを抱き締め頬擦りをしながら言った。

「見てくれたまえ。私の愛するこの子達を! ああ、素敵だよアリス……君はいつも美しい」

 くらーっと、意識が遠くなりかけた。……この人……人形フェチだ!
 まともだと思ったのに! 初めてまともな人に会ったと思ったのに! さっき起こった胸のときめきを返せー! やっぱり、この街には普通の人なんかいないんだー! みんなヘンタイなんだ。
 心の中で眼の幅ぐらいの涙が溢れていた。ううー。がっくり。くそぅ、とろけきった顔しやがって!
 コーデリアやルパートは驚いていた。タルコットは溜息をつき、ラッセンディルは興味深そうに人形を眺めている。
 ハインリッヒさんは、人形の一つ一つを抱き締め、この人形はどういうものかを嬉々として説明していく。私はそれを見ながら、落ち込んでいるだけだった。

 落ち込んだ気分のまま……部屋を去った。
 今日はヴィクトリア城に泊めて貰うことになっている。城の中を見て回るといいと言うので馬車に乗せて貰い、見て回っている。馬車の中では、コーデリアとタルコットが女神の声の事をルパートとラッセンディルに話をしていた。ルリタニアに行ったら、コルデリアの大神殿で一度、確認した方が良いのではないか? と言って、相談している。

 私は心の中で涙を流していた。
 みんなヘンタイなんだ……。きっと、馬車の中から見えているあの騎士団もヘンタイの集まりなんだ……。エドモンドもきっと、ヘンタイさ。すこし、やさぐれたい気分だった。今日は、お酒を飲んで寝よう……。


 ルリタニアまでの旅を思うと……不安でいっぱいになってしまっていた。くっすん。




[12791] 第17話 「ルリタニアへ行こう ユニコーンとロードの町とヘンな騎士」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/03 14:49

 第17話 「ルリタニアへ行こう ユニコーンとロードの町とヘンな騎士」


 ヴィクトリア城に泊まった翌日の早朝。
 わたし達はユニコーンが繋がれている厩舎へとやってきた。厩舎の周囲は、騎士団の騎士たちが警護している。
 エドモンドさんが先頭に立ち、警護している騎士に声をかけて厩舎の戸を開けた。中には一頭の真っ白な、額に優美な螺旋を描いた一本の角を生やしたユニコーンが繋がれていた。

「うちがユニコーンに話し掛けてみるわ。あきは後ろに下がっとき」
「はーい」

 そう言ってタルコットの後ろに下がる。遠巻きにコーデリアたちが見守っていた。ラッセンディルは杖を握り締め、いつでも魔法を唱えられる体勢をとっている。
 よく見ると、ユニコーンは興奮しているのか? 息を荒くしていた。

「うちらはあんたをヘンルーダの森に帰すように、この城から依頼された者や。落ち着いて聞き! これからあんたを馬車の荷台に乗せて連れて行くさかい。大人しくしときや。それからヘンルーダの森に着くまでは、後ろにいる娘が世話をしてくれるから、くれぐれもいらん事をするんやないで! ええな!」
「私は帰れるのか?」
「ああ、その事は保証したるわ」

 タルコットは精霊の言葉でユニコーンと話している。しばらく会話していたと思ったら、ユニコーンが首を縦に振る。了承したのかな? 落ち着いたみたいだし……近づいても大丈夫だよね。
 タルコットの後ろから覗き込むように、ユニコーンに近づいた。

「―――乙女だな。うむ……乙女だ!」
「何を言っているのか分からないけど、まず自己紹介するね、香月あきだ。これからよろしく」
「……乙女よ、もう少し近くによってくれ」
「なんて言ってるのかな?」

 タルコットを振り返って聞いてみる。タルコットは渋い表情で『もうすこし近寄ってくれ』って言うてるわ。と言った。
 ふーん。じゃあもう少しだけ、近寄ってみよう。とことこユニコーンに近づいた。ユニコーンは鼻先をわたしの胸元に近づけ『ふんふん』言ってる。その様子を見て、昔聞いた事を思い出す。馬は臆病だからまず匂いを嗅いでみるんだって? 馬に轡を填める時にまずよく見せて匂いを嗅ごうとして近づいた所へ口に押し込むんだそうだ……。見たこと無いから本当かどうか分からないけど?

「……久しぶりの乙女の匂いだ。やはり良いものだ。どれ味見を……」
「こら! やめるんや!」
「な、なに?」

 胸元に押し付けられていた鼻先を上げ、ユニコーンは舌を伸ばしてくる。そうして……胸を舐められた。
 ―――ボカッとあまりの事にユニコーンの顔面を殴りつける。胸を庇ったままユニコーンから離れて警戒をする。

「何しやがる! この色ボケモンスター!」
「乙女よ、痛いぞ。しかしなかなか良い乳をしている」
「やっぱり殺してええか?」
「殺ってしまうのじゃ!」

 タルコットとコーデリアはユニコーンを睨みつけていた。わたしはと言うと、殴った拳が痛かった。女の体になってから……腕力が落ちていたのは自覚してたけど、殴れなくなっている事に今更気付かされている。おもっきり殴ったら骨が折れそうになったー。くやしいよぉー。俺の上段打ちで鍛えた黄金の左腕がー。
 エドモンドさんがコーデリアたちを抑えている。それを見ながら涙目でユニコーンを睨んでいるわたしであった。

「もう遠慮はしない!」

 わたしはそう宣言する! そうしてユニコーンを用意された荷馬車の後ろに押し込めた。
 私とコーデリアはルパートと一緒に、荷馬車の御者席に座る。タルコットとラッセンディルはそれぞれ馬に乗っていた。人形を両手で抱きながら見送りにやってきたハインリッヒさんに出発を告げ、私たちはルリタニア王国へと向かう。


 ルリタニア王国はノエル王国の西隣に位置する。古都アデリーヌからはアイヴスの町を通ってさらに南西に向かうと、ノエル王国とルリタニア王国の国境の町”ロード”がある。この町はノエルとルリタニアの陸上での交易の中心地でもある。したがってこの町には多くの商人達が集まっていた。アイヴスの町まで馬車で3日、そこからロードまで半日ほどでたどり着く。

 ここに来るまで街道沿いで野営をしながら進んできた。街道を旅する人たちが何度も同じような所で野営をしてきたためか、所々に火を起こしやすいように地面が少し掘り起こされている場所があり、そこは水辺にも近い所だった。野営しやすい場所を探すとみんな同じような場所に落ち着くらしい。わたしたちと同じ場所に隊商(キャラバン)の人たちも野営を行っていた。
 ルパートが隊商(キャラバン)と交渉をして一緒に野営する事になった。向こうも人数が多い方が襲われにくいから幾つかの隊商(キャラバン)が集まって野営をする事は多いらしい。隊商(キャラバン)の人たちから聞く。
 
 わたしたちと隊商(キャラバン)の人たちが火を囲んで食事をしたり、話をしたりしている。
 この人たちはカルクス王国からルリタニア王国を通ってノエル王国に向かっているそうだ。隊商(キャラバン)の人たちから色んな話を聞く。なんでも今年はルリタニア王国の小麦や野菜類が豊作で、カルクス王国は不作だったらしい。その上、王様がまだ小さく幼い為に、母親のお后さまが実権を握っているそうだけど、このお后さまというのが、派手好みだそうだ。前の王様が亡くなってから急に税金が上がってみんな困っていると言ってた。

「ノエルはどうなのかな?」
「ノエルは今のところ安定してるわね。いまの王様はまだ50歳だし、お后さまは質素な方だから……もっとも皇太子のお妃は中々の派手好みだそうだけど」
「そんなに派手にしなくてもいいと思うんだけど? 建物だって初代女帝の遺産で物凄く派手なんだから」
「初代女帝が派手好みだったからさ。言い訳にしやすいんだ」
「そうなんだ?」

 ルパートと話をしていたらラッセンディルがやって来てそんな事をいう。ルパートも頷いているし、隊商(キャラバン)の人たちも頷いている。

「ほら、いくら派手にしたって、初代女帝よりも慎ましいですわ。なんて言われてみろ……なんて答える?」
「なんて答えるって、大陸を統一した帝国の女帝と分裂した後の小国の妃が同じな訳無いだろうって言うしかないよ。大陸全部を集めた財力と、その中の一国では財力が違いすぎるだろう?」
「その通り、正解だ。だがそれが分からん奴らが多いんだ」

 ラッセンディルが頷く。みんな頷いてた。
 でもなんでだろうね? 初代女帝の真似なんかしたら財政が火の車になると思うんだけど?
 その後はどこの食べ物がおいしいとか、ルリタニアのお肉はうまい、とかザクセン公国の魚の干物は良く売れるとかいう話になっていった。魚の干物と聞いてよだれが出そうになる。そういえばこの世界に来てから魚はあんまり食べてない。さかなさかなさかな……。刺身でなくてもいい。干物でいいからわたしに魚を喰わせろー! 味噌汁は諦めたから……さかなー。米もないしー。パンばかりじゃ嫌なんだ! オムレツじゃなくて四角い玉子焼き、ピクルスじゃなくてお漬物! 食生活の改善を真剣に考えるべきだ!

 夜も遅くなって隊商(キャラバン)の人たちも合わせて見張りに立つ事になった。わたしも見張りをしたよ。ルパートと一緒だったけど。火を囲んでルパートと一緒に座って話をしているうちに、聞いてみたい事があったんだよってルパートにいってみた。

「なにかしら?」
「錬金術の学院とか東の塔とかってどんな所?」
「……う~ん、そうね。まずノエル、ルリタニア、ザクセン、カルクスの4つの国には代表的な4つの学院が存在してるのよ。ノエルには錬金術の学院……つまり北の塔ね。ザクセンには東の塔。ルリタニアには西の塔。カルクスは南の塔。それぞれ魔術とか錬金術やその他の学問を教えているのよ」
「錬金術の学院って、北の塔なんだ?」
「そうよ、知らなかったの?」
「知らなかった」

 ルパートの話では、4つの国はそれぞれ魔術だの錬金術などを学ぶ為の学院を建てて、学ばせているらしい。最初は同じような感じだったのに、ただいつの間にか、それぞれ特色が表れていったそうだ。特に東の塔なんかは、4つの国どころか大陸でも一番に魔法研究が進んでいるそうだ。錬金術が一番進んでいるのはノエルの錬金術の学院なんだって。
 ルパートとかコーデリアの学生生活ってどんな感じだったんだろう? 気になったけど……ルパートとかはあまり思い出したくないらしい。だから黙ってた。なんか辛そうだったし……。

 見張りをしていたら、ゴブリンがあらわれた。
 ルパートが大きな斧――ハルバートを構える。わたしはレイピアを抜いた。
 3匹だったから群れで現れたわけじゃないらしい。ゴブリンの顔ってなんかブルドックに似てる。動きもそんなに速くない。剣道の試合の方がよっぽど速いよ。『ゴブゴブ』とか言ってるゴブリンをレイピアで切る。
 ええい。伊達にこの世界に来てから毎日のように、鳥や獣を捕まえて処理してた訳じゃないんだぞ。毎日のご飯は戦った結果なんだ。負けるもんかー。
 ……とわたしが一匹、ゴブリンを倒している間にルパートが2匹とも倒してわたしの戦いを見てた。

「なかなかやるわね」
「……ゴブリンより、いのししの方が強かったよ」
「いのしし? ……ああカウの事ね。でも今回は数が少なかったけど、こいつらは群れで襲ってくるから気をつけなさいね」
「群れかー。うん気をつけるよ」
「では、ゴブリンは街道から離れた森の中に捨ててきましょう」
「はーい」

 ルパートと一緒に森の中にゴブリンの死体を捨ててきた。ゴブリンって食べられないからね……。ものすごく不味いらしいよ。ラッセンディルが言ってた。
 
 わたし達はいま、ロードの町に来ている。町中は石畳で覆われ、道のあちこちには露天商が並んでいる。町の所々では大きなテントが張られて、その中で商人達が商談をしていた。歩いている女の人は服の上から薄い布を幾重にも巻きつけ、宝石類をいっぱい身に着けていた。

「うわー。大きい町だー」
「そりゃあね。交易の中心地だもの」
「この町ではビヘモス牛の肉がうまいのじゃ」
「ビヘモス牛?」
「ビヘモス牛というのは体長約2フィールもある大きな動物で肉質は柔らかく味が良い事で知られておるのじゃ」

 う~ん、1フィールがだいたい1.5メートルぐらいだから、2フィールで3メートルぐらい? 大きいね。象みたいな牛だな~。もっとも、牛というより、マンモスぽい……。顔は牛に似てるけど、毛むくじゃらだし。市場に売られていく、ビヘモス牛を見ながらそう思った。

「じゃあ、食事にする?」
「するのじゃ」

 ルパートはタルコットとラッセンディルに合図を送り、荷馬車をルリタニア側の騎士団駐屯地に乗り入れた。騎士団には本国から私たちの事を知らされていたらしく。出迎えてくれた騎士隊長は丁寧な物言いをしていた。
 ユニコーンを一旦荷馬車から下ろし、水を飲ませる。水を飲んでいる間に飼い葉を用意する。飼い葉は騎士団の厩舎から貰った。ユニコーンの世話をしていると、ロードの騎士団の騎士が近づいてくる。なんだか思いつめた眼をしてる。

「貴女がユニコーンの世話役か?」
「ええそうですけど、それがなにか?」
「……という事は、貴女は処女な訳だ……」

 ムカッとした。確かにそうだけどさ。処女だろうと非処女だろうと、どっちにしても言われて嬉しい事じゃないよ。なんだか嫌な奴だ。相手にするのをやめて無視する事にした。もくもくとユニコーンの毛並みをブラシで擦って整えてあげる。

「す、すまない。怒らせるつもりじゃなかったんだ。……君も知っていると思うが、ユニコーンというのは嫌われている。その嫌われ者のユニコーンの世話役を好き好んでしたがるような女性はいないだろう? それに君の両親は断らなかったのか?」
「親はこの世界にいません」

 なにか驚いた顔をしてる? 嘘じゃないぞ。異世界から来たもんだから両親は『この世界』にはいないのさ。あれっ? 俯いて拳を握り締めた……。どうしたんだこいつ……思いつめた顔をしてるよ?

「……そうだったのか……僕はルリタニアの騎士クラウス・フォン・ゾンバルトだ。父は男爵だが必ず説得する。君の役目が終わったら、ぼくと一緒にファブリスに来てくれ!」
「はぁ~?」

 ……なに言ってんだ? なんか1人で盛り上がってるけど……脳が沸いたか? こっちは役目が終わったらアデリーヌに帰るんだけど、お前についていく暇はないよ。だいたいファブリスってどこよ。

「いや、返事は後でもいい。君がヘンルーダから戻ったら聞かせてくれ!」
「は、はぁ~。さいですか」
「じゃあ僕はもう行くよ」
「はい。さようなら~」

 1人で盛り上がったまま去ってった。
 あいつ、なにが言いたかったんだ? ヘンな奴……。さっさとユニコーンの毛並みを揃えて私も食事に行こう。

「おーい。あきーご飯やでー」
「はーい」

 ユニコーンを厩舎に繋いで、タルコットの後についていく。ビヘモス牛ってどんな物か興味があるんだ。コーデリアがあんなに言っているんだからおいしんだろうな~。楽しみだなー。
 ついていった先ではビヘモス牛のかたまり肉が豪快に串に刺されて焼かれていた。火の左右に鉄の杭を地面に突き刺して肉を突き刺した杭を掛けている。肉のそばには2人の騎士が杭に取り付けられているクランクみたいなのをぐるぐる回して肉に火を通していた。
 豪快だなー。肉の脂が火に落ちてパチパチ音を立てている。辺りには香ばしい匂いが立ち込めていた。
 
 お皿を持ってタルコットと一緒に肉を貰いにいく。火のそばにいた騎士が豪快に切り分けてくれる。お皿の上に乗せられたお肉を見ながら、いったい何グラムぐらいあるんだろうと思った。300グラム? いや500グラムはありそうだ。肉は香ばしく焼けて肉汁が溢れていた。ナイフで小さく切り分け一口食べる。味付けは塩と胡椒だけだったけど……おいしい。噛むとじわっと肉汁が口の中に溢れる。もう一口、もう一口と食べていく。味は牛というより鯨に近いかな? でもかなり柔らかい。人気があるのも分かる。こういうのが好きな人も多いだろうな。牛も好きだけどね……。
 
 ぱくぱく食べているとルパートが赤ワインを飲んでいるのが見えた。よく飲むよねー。お酒が強いのは知ってるけどあんまり、飲まない方がいいんじゃないかな? ルパートの近くでコーデリアとラッセンディルが仲良く並んでお肉を食べている。
 ……コーデリアは両手に串を持ってかぶり付いてる。幸せそうな顔をしてるな~。

「コーデリアもよく食べるよね」
「うん? ほおやねー。うんぐうぐ」

 タルコットに話しかけたら、タルコットも大きな肉にかぶり付いていた。

「ぷはぁー。なんや自分、そんなにちまちま食べとったらあかんで! もっと豪快に食べんと」
「そうなのか?」
「ビヘモス牛ちゅうんは豪快に食べるもんや。みんな見てみい、かぶり付いてるやろ?」
「言われてみれば……確かにみんなかぶり付いてる」

 周囲で食べている人たちを見れば、みんなかぶり付いていた。切り分けて食べていたのはわたしだけだった。

「ほれ、かぶりつくんや!」
「う、うん。あー」

 ガブッとかぶり付いた。小さく切り分けていると柔らかかったけど大きな塊で食べると歯ごたえが良かった。ああだからみんな、かぶりつくのか。歯ごたえはあるのに、簡単に噛み切れる。うん。おいしい。

「どうやおいしいやろ?」
「ほんほー」

 タルコットはまたかぶり付いていく。口の中にいっぱい肉を詰め込んだまま周囲を見ていたら、さっき話しかけてきたクラウスとかいう騎士が肉をかじりながらきょろきょろあちこちを見ていた。
 あいつなにしてんだか? お前ここの騎士団の所属だろ? 珍しくも無いだろうに落ち着きの無い男だな。肉を食べながらそんな事を思っていた。

 タルコットがもう一度お肉を貰いにいくからと言って……行っちゃった。同じように500グラムはありそうなお肉だったのによく食べるよね。わたしはもう満腹だよ。お肉を500グラムも食べたらそうなるよね。
 1人になったわたしは近くにいた騎士に声を掛けた。小柄なお爺さんの騎士だよ。

「なにかのおー」
「この町の女の人がみんなね、服の上から布をいっぱいに巻きつけて宝石を身に着けていたんだけど、なんで?」
「おお、お前さんは外国の人じゃな。この周辺では、家の財産は女が身に着けることになっているんじゃよ」
「そうなんだ?」
「どこへ行くにも身に着けて行ってな、必要になれば売ったりもするんじゃ。女が着飾れば着飾るほど、その家は裕福という事になる」
「財産を身に着けて歩いているんだ? 襲われたりしない?」
「この町の中ではないな。そんな事をしたら、この町そのものが敵に回るぞ。盗賊連中のギルドも町では盗みはさせんしのう。しかし一歩町の外に出たら襲われたりもするがの」
「外で襲って来いってこと?」
「有り体に言えばそうじゃな。しかし連中は頭がいい。町の中では盗みもさせんし、殺し合いも抑えておる。おかげで町は平和だ。少しばかりのショバ代を取る事もあるが……微々たるものじゃ。その代わり、町の商人から金を預けさせて、その金を貸す事で儲けておる」

 ……それって、銀行と高利貸しじゃないか? 盗賊のギルドが銀行と高利貸しを営んでいる。確かに町中での盗みを抑えて町を裕福にした方が儲かるよね。交易の中心地の金融を押さえるなんて頭いいなー。きっと儲けてるんだろうな?
 個人レベルの高利貸しじゃなくて、盗賊のギルドが銀行かー。もしかしたら色んな所のギルドと手を組んで銀行のネットワークみたいなのを作っているんじゃないかな? そうすれば情報とかも自然と入ってくるし。


 その夜は騎士団の駐屯地の屋敷に泊めてもらった。
 わたしとコーデリアとタルコットの3人は同じ部屋だ。寝るまでのあいだ、今日会ったヘンな騎士の事を2人に話す。

「……そりゃあ、気いつけた方がええで!」
「そうなのじゃ。そやつは勝手に盛り上がって追いかけてくるタイプじゃ」
「うんうん。そうやな、そのあげくに『僕の気持ちを裏切ったなー!』って言うて、襲い掛かってくるかもしれん」
「そんな事無いと思うけど……考えすぎじゃないか?」
「あき! あんたは甘いわ!」
「どうにもまだ、男の感覚が抜けとらんようじゃ。男同士の話ではないのじゃぞ」
「そうや。そうや」

 コーデリアとタルコットに男女の感覚の差とか、男女関係とかを講義されてしまう。
 女だと思って舐めてくる奴も多いから強気でいくものだ。とか甘い言葉で誘ってくる奴には気をつけるんや! とか散々聞かされていた。う~ん。ただのへたれだと思うんだけどな~。というとへたれはへたれで怖いもんなんや! と怒られてしまった。くっすん。
 なんならうちが、断って来るわ! と言ってタルコットは部屋を出て行ってしまう……。あとに残されたコーデリアとわたしは呆然と見送ってしまった。

「もう寝てしまうのじゃ」
「それがいいね」

 呆れたような声を出してコーデリアは言う。それに返事を返して部屋の明かりを消した。窓の外には月が出ている。ノエル王国よりも南西に位置する、この辺りにも寒さがやってきていた。ノエルでも寒くなっているんだろうな~と思いながら目を瞑った。
 一階ではタルコットの怒鳴り声が聞こえている。多分大騒ぎになっているんだろう。
 明日も朝早くに出発するんだから、早く寝なきゃ……そう思っているうちに眠りに落ちた。
 



[12791] 第18話 「ルリタニアへ行こう ヘンルーダの森とエルフの長 友達はドラゴン」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/04 22:36

 第18話 「ルリタニアへ行こう ヘンルーダの森とエルフの長 友達はドラゴン」


 夜明け近くにわたしたちはロードの町を出発した。
 見送ってくれた騎士たちの中に袋叩きにあったらしいクラウスの姿を見て、ほんの少しだけ心が痛んだ。昨夜は意気揚々とタルコットが戻ってきてから、騎士団の中で吊るし上げを食らったみたいだった。平謝りしていた騎士団長には悪いことをしたなぁ~。出世に響かなければいいけど……。
 
 
 それはともかくロードの町から西南西に向かう街道を進んでいく。はるか彼方にヘンルーダの森が見えている。といっても山脈なんだけど、その近くにファルスいう村がある。ロードの町を出てから既に2週間も旅をしていた。
 国境を過ぎるとルリタニア王国内だ。なんと言うか……ノエル王国とは違い派手だった。雪の印象に残っているからかも知れないけどノエルは全体的に白いイメージがある。ところがルリタニアは色とりどりの色彩が豊かなイメージを持った。

「ふわー。あの山脈全体がヘンルーダの森?」
「そうなのじゃ。ローデシア大陸最大のエルフの森なのじゃ!」
「大きいし……広いなー」
「あの山脈全体がエルフの領地だから……広いわ」
「山脈全部がエルフの領地?」
「そうなのじゃ。あの山脈全体が、通称ヘンルーダの森なのじゃ」

 ファルスの町まであと少し、わたし達は結構疲れていた。特にタルコットはファルスの町に近づくに連れて口数が少なくなっている。そんな中でユニコーンだけが段々元気を取り戻していく。やっぱり故郷に帰れるのが嬉しいのだろう。ラッセンディルなんて馬の上でへたり込んでいた。
 
 ファルスの町が見えてくる。既に連絡を受けていたのだろう。町の外にルリタニア王国の騎士たちが待っていた。
 この旅のあいだ……すっかり影が薄くて忘れてしまいそうだったエドモンドさんが、ルリタニアの騎士と話をする為に馬車を飛び降りた。

「あの人、こんな行動力があったんだ? というかあの人馬車に乗っていたんだ」
「うむ。いるのかいないのか、分からなくなってしまいそうじゃったのに……」
「この旅のあいだ、まったくあの人の印象が思い出せないんだけど……?」
「あそこまで印象の薄い男って珍しいわ」

 わたしとコーデリアとルパートの3人は、騎士と話をしているエドモンドさんを見ながら勝手な事を言っていた。ルリタニア王国の騎士に誘導されてユニコーンを乗せた荷馬車を町の騎士団所在地まで進ませる。
 騎士団駐屯地には……エルが待っていた。

「おそーい。ぼく、ずーっと待ってたのにー」
「おお、エルではないか!」
「エ、エル!」

 荷馬車を降りるとエルがプンプン怒りながら飛びついてきた。エルはわたしの胸に顔を埋めて頭を動かしている。しかも手はお尻を撫でている。片手でエルの頭を引き剥がしつつ、もう片方の手でお尻を撫でている手を掴む。再会したと思ったらいきなりセクハラとは頭が痛くなりそうだよ。

「ちょ、ちょっとー。エルー」
「あきがやってくるというから楽しみにしていたんだよ。だからこれぐらいいいじゃないか」
「そうなんだ? でも駄目」
「わたくしも楽しみにしておりました」

 アデーレさんがいつの間にか背後に立って後ろから胸を揉んでくる。この人も神出鬼没だよ。身を捩ってアデーレさんの手を跳ね除けようとしていた。その後ろではメイド集団が手をわきわきとしながら近づいてくる。

「いやー。助けて!」
「よいではないか」
「よいではないか」
「それーかかれー」

 アデーレさんとメイド集団の手によってセクハラをされてしまう。もう身も心もボロボロさ……地面に座り込んでののじを書くわたしであった。しかし、なんとか貞操は守ったぜ! 貞操って言い方もなんだけどさ……。パンツを脱がされそうになったのには慌てたけど。なんとか死守したぜ! でもそのかわり乳を揉まれまくってしまった。乳を吸われたときは泣きたくなったよ。
 セクハラのあとで、ユニコーンを降ろすのを手伝ってくれた……メイドさんって処女が多かったんだね。てっきりアデーレさんの毒牙に掛かっていたと思っていたんだけど……そうでもなかったのかな?

「いえ、処女を奪わないようにヤル術を心得ているだけですわ」
「人の心を読むなー!」
「顔に出ておりました」
「えっ? 本当?」

 思わず、顔に手を当ててしまう。それを見たアデーレさんに笑われてしまうし、メイドさんにはからかわれてしまうし……困ったもんだよ。騒いでいるとタルコットがルパートと一緒に騎士団の建物に入っていくのが見えた。エルは先に入っていたみたいだ。
 建物の中ではノエル側のエドモンドさんとルリタニア側のエルとの交渉が始まっているのだろう。疲れていると思うのにエドモンドさんも大変だよね。そんな事を思いながら厩舎の方へユニコーンを連れて行くと、エルフが何人か待っていた。

「……ユニコーンを運んできてくれたのは君たちか?」
「ええ、わたし達です」
「これから先は我々が管理しよう。繋ぐ所までは見ておくから、繋いでしまうといい」
「はい。では繋ぎました」
「うむ。確認した」

 厩舎の柵にユニコーンの手綱を繋ぐ。それを背後からエルフたちがじっと見ていた。繋ぎ終わった事を言うとエルフが、手綱を確認してわたしの役目は終わった。
 終わったと思うと……今までの事が思い出される。ユニコーンに胸を舐められたり、飼い葉を与えようとしたらお尻を舐められたり、毛並みを揃えていたら『あれ』を目の前に突きつけられたり、隙あらば、襲いかかろうとするユニコーンを殴ったりと……散々な目に会わされた。ユニコーンに処女を奪われてたまるかってんだ! でもこれで終わりだ!

「その様子だと、散々苦労したようだな……」
「ええ、それはもう! 何度この角を叩き折ってやろうかと思ったことか!」

 そういうとエルフが慰めてくれた。慰められると泣きたくなるよ。とほほ……。
 話をしているエルフたちの服装はルパートを地味にした感じだった。アイヴスであった貴族の服にも似てるからルリタニア風の服なんだろう? エルフにもルリタニア風の服が浸透しているのかなって聞いてみた。

「いや、そうではない」
「この格好は、今回のユニコーン返還に伴う交渉に出席する為のものだ。我々エルフも人間と交渉する時は相手の流儀に合わせる必要があるからな」
「そうなんですか?」
「うむ。そうなのだ」

 このエルフたちは、ヘンルーダの森の代表団なんだろう? 今回のユニコーン返還ってそんなに大事だったんだ。あらためて考えるとハインリッヒさんがあんなに悩んで、オンブリアの領主のエルまでやってくるんだから、簡単な問題じゃないんだよね。もしかしたら気楽に考えていたのはわたしだけ?

「そんな事は気にする必要はない。君は役目をきちんと果たしたのだからな」
「えっ?」
「おや、なぜ考えている事が分かった? といった顔だな」
「君は考えている事が顔に出やすいみたいだ」

 うわーん。笑われたー。アデーレだけでなくエルフにも言われたー。そんなに顔に出やすいんだろうか? 気をつけよう。にやにや笑っているエルフが憎い。おのれー! どうしてくれようか!

「そんなに恨みがましい眼をしないでくれるかな」
「その通りだ。君の表情がでやすいのは我々のせいではない」
「でも黙ってろよー!」

 タルコットの嘘つきーエルフは堅苦しいほど真面目だって言ってたくせに……こいつら全然違う。その後も散々からかわれながら、わたしたちは厩舎を出て騎士団駐屯所の建物にやってきた。
 中に入るとエルフとエルとエドモンドが3者会談を行っている。どうやら一点だけ話が纏まらないようだ。エルフ側はユニコーンを引き取る代わりに、補償金代わりとして町での権益を寄越せと主張しており、エルはそんな事は認められないと言い返していた。
 エドモンドもノエル王国としてもそんな権益は認められないだろう。と言っている。またユニコーンがノエル王国にまでやってきたのはエルフ側の不手際であり、管理体制の強化と損害賠償を求めると主張していた。エドモンドは物凄く生き生きしてる。
 う~ん。こういうのも政治問題になるんだな~。でももし……ユニコーンを殺していたら、殺していたでエルフは文句を言ってきていたんじゃないかな? そう考えるとノエル王国の首脳部がユニコーンをエルフ側に返還しろ。と言ってきたのは問題を避けるためだったんだろうな。

「ユニコーンは精霊獣の一種であり、その体内に存在する精霊力を人間側が悪用しようとして、ユニコーンを攫ったのではないか? ユニコーンの精霊力はエルフにとっては貴重な力の源である。それを攫うなどエルフの弱体化を狙った人間側の陰謀ではないのか?」
「精霊力の問題ならば、ユニコーンでなくてもいいはずだ。それに人間の世界ではユニコーンは嫌われている事はエルフも承知しているはず、にも拘らず、ユニコーンを攫うメリットは人間側にはない! むしろエルフ側の人間の世界を混乱させて権益を手にする為の策謀でないとは言い切れまい!」
「ルリタニア王国はエルフの管理下にあるユニコーンがノエル王国に迷い込んだというから、ユニコーン輸送の警護とノエル王国とエルフの交渉の場を作ってあげたというのに、なんという無礼な物言いか! むしろこちらの方が交易の権益を貰おうか。とりあえず、ドワーフとの直接交易権を貰おう!」

 うわー。お互い言い掛かりだと分かっていながら、自分の主張を押し通そうとしている。政治ってこわいねー。3者が主張しあっている周囲でもタルコットとエルフが話し合っている。こっちは帰って来い。帰らないと言い合いしてた。

「タルコット。親父さんが心配しているんだぞ」
「うちは人間の世界が気に入ってんのや。帰るつもりはないで!」
「お前の姉さんのところでは子どもが生まれて、お前にも会わせたがっているんだ。それでも帰らないつもりなのか?」
「なに言うとんのや。子どもが生まれた言うても6人目やろ? そのうちに会いに行ったるさかい。今回は帰らんで!」
「お前の姉さんにそんな事を言ったらこっちがどんな目に遭わせられるか、分かったもんじゃない! 首に縄をつけても引き摺っていくからな」

 建物の外に出たら、コーデリアたちも外に出てた。3人がお茶を飲んでいるところに顔を出すと三人とも疲れたような顔をしている。ルパートがわたしにもお茶を入れてくれたので同じように座る。

「言い争い凄いよねー」
「ユニコーン返還を、なんとか自分たちの利益にしようとしておるのじゃ」
「仕方ないとはいえ、近寄りたくないわ」

 4人ともお茶を啜りながら溜息をついた。
 これからどうなるのかな? とルパートに聞いてみたら、とりあえず私たちの役目は終わったからどうなっても関係ないわ。と言ってた。コーデリアはここまで来たから、ついでにヘンルーダの森に行ってみるか? と聞いてくる。

「あらっ、それは面白そうね。あきはどうする?」
「ヘンルーダの森かー。行ってみようか」
「ではタルコットに案内させるのじゃ」

 わたし達はタルコットに案内してもらおうという事で話を決めた。その事をルパートがタルコットに言いに行く為に建物の中へと戻っていく。そうしたら……すぐにタルコットと話し合いをしていたエルフがわたし達の席にやってきた。
 諦めたような顔のタルコットと嬉しそうなエルフの顔が対照的に見える。

「ヘンルーダの森に入りたいとの事だがタルコットが道案内するというのであれば、認めようではないか」
「わたし達はそれでいいんだけど……タルコットは?」
「……しゃあないな。うちもそれでええで」
「では、明日の朝に出発しよう」
「ユニコーンはどうするんですか? 置いておいてもいいの?」
「ああそれに関しては、他のエルフたちが残って世話をするだろう。まだしばらくは交渉も終わりそうにないしな」
「ユニコーン返還は交渉が終わってからなんだ」
「その通りだ。しかしそこまでは君たちの責任ではないから気にしなくてもいいだろう。自由に行動してくれてかまわない」
「明日の朝にヘンルーダの森に向けて出発なのじゃ!」
「「「おおー!」」」

 ヘンルーダの森かー、楽しみだ。
 騎士団駐屯地の建物の明かりは夜遅くになってもまだ灯っていた。交渉はいまだに終わっていないのだろう。大変だよね、なんて勝手な事を思いつつも眠ってしまう。
 隣りのベットではコーデリアがすやすやと眠っていた。




 翌朝は快晴だった。
 わたしたちはヘンルーダの森に向けて出発する。ファルスの町を出ていくらも歩かないうちにヘンルーダの森の入り口に付いた。

「近いんだね」
「ヘンルーダの森の入り口にファルスの町が作られたのだ。エルフと人間の交易に為にな」
「エルフと人間の交易はかなり古くから行われているのじゃ」
「ヘンルーダの森の向こうにはドワーフの集落があって、ドワーフと人間の交易を仲介する事もあるわ」
「仲介料をむっちゃ取っとるけどな」
「直接交易は出来ないの?」
「そこをエルフが邪魔しとんのや」
「おいおい。そんな風に言わないでくれないか。我々にも貴重な収入源だ」

 エルフのダグマルさんが困ったように頭を掻きながら言う。ドワーフとはどんな物を交易してるの? と聞くと……。

「主に美術工芸品や宝飾類だな」
「ドワーフの工芸品は人間よりも優れた物が多いからじゃ」
「あとは、武器とかもあるわ」
「品質はええけどむっちゃくちゃ高いから、王室の儀礼用や。持っとる者は多くないで、遺跡から見つけん限り、そうそう手に入るもんやないんや」
「ドワーフの剣といったら、それだけで一財産になるわよ」
「すごいねー」

 そんな話をしながら森の奥へと歩いていく。むわっとした木の香りが濃厚だった。それにどの木も樹齢が何百年にも達しそうなぐらい太くて立派な木ばかりだった。
 しばらく歩いていくとどこからともなくエルフが数人現れる。ダグマルさんがなにかを話していた。エルフの言葉って分からないんだよね。ダグマルさんが話すとエルフは立ち去っていった。この辺りから少し坂になっている。
 さらに登って山の中腹ぐらいだと思う場所で洞窟がある。そこから中に入っていく。中は幾つもの分かれ道があった。

「知らない者が入ってきたら迷うように出来ているんだ」

 ダグマルさんが教えてくれる。ラッセンディルは珍しそうにきょろきょろしていた。時折立ち止まっては壁に書かれている文字を読んでいるようだ。
 洞窟を抜けるとそこはエルフの集落だった。
 木々をくり貫いたような家や木の枝と枝の間に床をつけて作っている家もある。石畳とかはなくって土の地面だった。太い木の上には紐が渡されているその紐に箱のようなものが取り付けられていてその箱に乗って木の上に作られた家に向かっている。
 エレベーターがわりだね。太く高い木の上の家は高層ビルのように聳えていた。上を見上げすぎて首が痛くなってしまった。巨大な木と木の間に渡された床が見える。あの上にも家があるんだろうか? あるんだろうな。

「ます、エルフの長に会いに行くとするか」

 ダグマルさんがそう言って私たちをその巨大な木の上の家に連れて行く。木で出来たエレベーターに乗って上がった。このエレベーターは精霊の力で動いているそうだ。でも床が落ちそうな気がして少し怖いかな……。木を組み合わせて作られた床から下が覗けるんだもんな~。
 昇った先には木の椅子に座ったものすごーく長く白い髭を生やしたお爺さんが座っている。本当に長いよ、床についているだもんな。その周りに子どもを抱いた女の人が立っていた。

「ヤツェク様、只今戻りました」
「うむ。よく戻ってきた。ユニコーンは戻ってきたのか」
「ユニコーンにかんしては人間側と交渉をしております」
「そうか、して後ろの方々は何者なのか?」
「タルコットの友人でございます」

 エルフの言葉で話しているから分からないな……と思っていたら。わたし達の上を見て、急にノエルの言葉で話し始めた。

「よう! 娘っ子。いいから近う寄れや」
「はぁ~」
「なにしとんのや。ええからはよこんかい! あっ、男はくんなや」

 エルフのお爺さんが手招きしてくる。わたしとコーデリアは顔を見合わせて首を捻りながらも近づいていった。近づくとにこにこしながらお爺さんは両手でわたしとコーデリアの頭を撫でる。

「あ、あのー」
「うわー。めっちゃめんこい子らやな。ここにいる間は自分の家やと思うてええで。ゆっくりしいや」

 すごく機嫌は良さそうなんだけど……言葉遣いが悪いというのか? なんと言っていいのやら……タルコットの言葉って、絶対このお爺さんからだよね。お爺さんはコーデリアを膝の上に乗せてゆらゆら揺れていた。コーデリアは喜んでいるけどなんだか孫とお爺さんって感じだよ。コーデリアいいの? それで……。
 子どもを抱いている女のエルフが近づいてくる。

「タルコット、あんたも久しぶりやね。まったくいつまでもふらふらしてからに! お母さんも心配しとったよ」
「ね、姉ちゃん。そないな大声出さんでも聞こえてるって!」
「なにゆうてんの! ええからお母さんとこに顔出してきなさい」
「あ、あとで行くさかい。もおええやろ?」
「あんたってこは、なんでいつもそうなんや。そうやって逃げる気やろ!」
「ちゃんと顔出しますさかい勘弁してえな……」
「はあ~。まったく」
「ところでその抱いてるのが、生まれた子かぁー」
「そうや。かわいいやろ!」
「でも、姉ちゃん。産みすぎやないか? 6人目やろ?」
「なに言うてんのや。お母さんは7人産んだし、お祖母ちゃんは12人産んだんやで! うちはお祖母ちゃんを超えるで!」
「そんなん競争するもんやないやろ?」
「いや。うちは勝ってみせたる!」
「………姉ちゃん…………」

 うわー。うわー。あのタルコットが落ち込んでるのを始めてみた。がっくししてるよ。
 それにしてもタルコットのお姉さん、すごく豪快なひとだなー。12人以上産むつもりなんだ? エルフって多産なんだろうか?

「あの連中だけや。あれがエルフの基準やないで」
「普通は4,5人ってところですよ」

 お爺さんとダグマルさんが言った。
 タルコットがお姉さんにやり込められているのを見ていたらごーとかぐぎゃーとか言う何かが吼えている声が聞こえてきた。

「あの鳴き声はなに?」
「ドラゴンの鼾です」
「ドラゴン! ドラゴンがいるの! ねえ、いるの?」
「な、なんですかその眩しい笑顔は……?」

 えっ? だってドラゴンだよ。ドラゴン! ファンタジーの代表みたいな生き物だよ。この世界に来てから……ヘンな生き物は見た事はあったけど……魔物とか幻獣ってゴブリンとかユニコーンしか見た事が無いんだよ。それなのにドラゴン! 見たい。見たい!

「見に行こう!」
「ええー!」
「あき……お主、ドラゴンじゃぞ?」
「うん。ドラゴンだよ」
「ドラゴンって、とっても危険な生き物なのよ?」
「でも、見たい!」
「「「はぁ~」」」
「仕方なかろう。行くとするか」

 みんなが呆れたように溜息をついている中でラッセンディルがそう言った。やる気のなさそうなみんなを無理矢理連れてドラゴンを見に行く事にする。ドラゴンドラゴンドラゴーン! 楽しみだなー。
 
 エルフの集落からドラゴンの巣まではそれほど離れてはいないらしい。山の裏手の岩場が住処になっているそうだ。大きな岩をよじ登りながらみんなで進む。すこし離れたところから煙が噴出しているのが見える。

「あそこがドラゴンの巣です」

 ダグマルさんが煙の下を指差して言う。
 そうか、あそこか……ではあそこを目指して行こう! わたしは急いで岩を登りながら進んでいった。

「ちょ、ちょっと、あきー待ちー」

 後ろの方からタルコットの声が聞こえている。でもそんなの関係ないもんね。急いで行くよー。
 岩をよじ登って次の岩に飛び移った。飛び移った岩がぐらりと揺れ、わたしは岩だらけの坂道を転がり落ちていく。

「うわー! 助けてー」

 叫びながら落ちていった先に水辺があって、そこにポチャっと落ちた。『あわわ』と言いつつ必死になって岸に這い上がる。遠くの方からタルコットがわたしを見ていた。

「おーい! あーきー。大丈夫かー!」
「うーん。大丈夫ー!」
「着替え持ってきてやるさかい。そこでおとなしくしてるんやでー!」
「わかったー!」

 タルコットが引き返していくのを見ながら少し反省していた。
 やっぱりいくら見たいからって急ぎ過ぎるのは良くなかった。みんなを引き離してしまったし……水辺に落ちたものだから服を水浸しになってたし……仕方ない。脱いで乾かそう。
 鼻歌交じりに服を脱いで水辺の木の枝に服を干していた。

 ――――バサバサという音に振り返ると……何か白いものが飛んできて後ろに吹き飛ばされたと思ったら気を失ってしまった。









「しまった! 暴発してしまった」

 先ほどから騒いでいる者たちがいると思い、見に来てみれば人間の女が服を脱いでいるところへ出くわした。女は自分に気付いた様子もなく歌を歌いながら服を木の枝に掛けている。
 ドラゴンの眼からは遠くの者でもはっきりと見える。しかもこの近くからなら女の姿はさらによく見えた。この辺りで人間の姿を見ることは無い。ましてや人間の女の裸などここ数百年見たことは無かった。エルフの凹凸の少ない体とも同族のドラゴンとも違う人間の女である。思わずじーっと見てしまいつい興奮してしまった。そのあげくに近づきすぎの興奮しすぎの暴発である。

「こんな所を嫁に見られでもしたら……」

 おそらく嫁に尻尾を噛み千切られるだろう。そう考えると鱗が逆立つのを感じた。
 しかし……自分の物を浴びて仰向けに倒れている女から眼が離せなかった……。女は息か苦しいのか口を開いて息をしている。開いた口にドラゴンが出した物が口の中へと流れ込んでいった。意識が無いのだろう、そのまま女は息と一緒にそれを飲み込んでいく。
 女の口に飲み込まれていくそれを見詰めドラゴンはさらに興奮していた。ドラゴンは魔法で女の体に飛び散っているそれらを掻き集め、女の口元へ運んでいく。運ばれたそれらは口から喉へと嚥下されてる。嚥下するたびに上下に動く胸をドラゴンはじっと見詰めていた。
 ――――だから気付かなかったのだろう……己の天敵ともいえる嫁が近づいていた事に……。

「あなた……なにをしているのですか?」

 上空から嫁の声が聞こえてきた。ドラゴンが逃げるより早く降下してきた嫁の足に翼を掴まれドラゴンは逃げられない!

「ちょっと、人間の声が聞こえたから見に来ただけだ!」
「ええそうですか、人間を見に来て魔法で掻き集めた物を飲ませただけですわね!」
「そ、それはー」
「あなたという竜は……この浮気者ー!」

 嫁が放った雷撃がドラゴンに直撃する人間が食らえば一瞬にして炭になってしまうであろう雷撃の直撃を食らって無事な所はさすが、ドラゴンである。しかし嫁の前でぺこぺこ頭を下げるドラゴンはどこか情けなくも感じられる。この世界で最強の種族であるドラゴンも嫁には弱かった。嫁の翼でばしばしと叩かれながら頭を下げている。
 そこへ一匹のドラゴンが飛んできた。体格は嫁よりも遥に小さく小柄なドラゴンである。

「どうしたのー? お父さん、お母さん?」
「いま浮気者に鉄槌を下しているところですよ。あなたも気をつけなさい。雄というのは眼を離すとすぐに浮気をする生き物なのです」
「そ、そんな事を……この子に言うなんて……」
「なんですか? えっ? あなたは自分のした事をちゃんと理解していますか? どうなんですか!」
「私は浮気者です……」
「お父さん、浮気したんだ……さいてー」
「ぐわー! エステル、お前に言われるとお父さんは……」
「しかしこの被害者は綺麗にしてあげなくてはね……」

 娘に責められ落ち込んでいるドラゴンの方を軽く無視して嫁は人間の女を魔法で持ち上げると水辺の中にちゃぽんと漬け濯ぐように水で洗い流していく。洗い流したあとドラゴンのブレスで軽く乾かしてしまう。

「お母さん。すごーい!」
「あなたもこれぐらいは出来る様になりますよ」
「本当かなー?」
「本当ですとも」

 母と娘が和気藹々している隅でドラゴンは落ち込んでいた。







 気が付くと3匹のドラゴンがそばに居た。大きいのが2匹に小さいのが一匹。雄らしいのは青っぽく、大きい方の雌は赤い色をしている。小さいのも赤い色をしている。それら3匹がわたしをじっと見ていた。

「あなたは私たちの言葉が分かりますか?」
「えっ? 下位古代語?」

 ドラゴンは下位古代語を話していた。それならコーデリアから教わっていたからなんとかなる。

「ええ、分かります」
「それは良かったです。この馬鹿ドラゴンが貴女には酷い事をしてしまいました。お詫びしますわ」
「えっ? えっ? なにをされてしまったんでしょうか?」
「それはわたくしの口からは……」
「えー? そんな酷い事をされてしまったんですか?」
「しかし……なぐさめる訳ではないのですが、ドラゴンの体液は魔力の塊でもあります。それを飲み込んだ以上、貴女はかなりの魔力を得たはずですわ」
「体液? 飲んだ? …………えー!」

 何か嫌な言葉を聞いたような……? まさか? そんなことないよね? ね?
 雌のドラゴンが首を振っている……。泣きたくなったよ……。忘れよう。というか考えないようにしよう。記憶はないから大丈夫! そういう事にしておけ! 必死で自己暗示を繰り返していた。

「えーっと、お名前はなんて言うの?」

 必死で自己暗示を繰り返している私に小柄な方のドラゴンが声を掛けてくる。
 なんだか子どもぽい。

「香月あき。あきでいいよ」
「あき、あき。ね。私はエステルって言うの、お友達になろうよ」
「うん。エステル、お友達になろ」
「うん。お友達ー」

 そうやって小柄なドラゴン、エステルと友達になった。
 乾いていた服を着て、エステルの背中に乗って3匹のドラゴンと一緒に空を飛ぶ! なんと素晴らしい! 空を飛ぶのっていいなー。下を見るとエルフたちが驚いている。タルコットが着替えを持ったまま呆然といた顔で見上げているのが見える。そのそばには、コーデリアやルパート、ラッセンディルにダグマルさんもいた。

 その後、ドラゴンとエルフやわたし達を交えて話をする。エステルはわたし達と一緒に人間の世界に遊びに行く事になった。アデリーヌは寒いと思うけど大丈夫かなって聞いたら……ドラゴンは平気だとお母さんの方に言われた。お父さんの方は泣いて、エステルに縋っていたが……結局はおれた。

「うちの娘をよろしく。どうかよろしく頼む」

 とドラゴンから頼まれてしまう……なんか想像してたのとは違うよ……。
 こうしてわたし達にドラゴンの仲間が増えた。

 



[12791] 第19話 「ルリタニアへ行こう ドワーフとへウレンの洞窟 空飛ぶ船」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/02/14 12:39
 第19話 「ルリタニアへ行こう ドワーフとへウレンの洞窟 空飛ぶ船」


 エステルの背中に乗って、わたし達はへウレンの洞窟という所にやってきた。ここにはドワーフの集落があるそうだ。
 へウレンの洞窟はヘンルーダの森の中でも奥の方の海辺に近い場所にあってに、小さな港には大きな帆船が泊まっていた。ドワーフの集落に近づくに連れて金属を叩く音が聞こえるような気がする。
 ドラゴンに乗ったわたし達が近づくと港にいたエルフやドワーフが驚いたように見上げていた。地面に降り立ったわたし達はエルフとドワーフに取り囲まれてしまう。

「あたし達はエルフの長、ヤツェク様の許可を得てここにやってきたのよ。ここの代表はいるかしら?」
「ルパート、久しぶりだな」
「……ロパート兄さんがここの代表だったの?」
「いや、船の修理に寄っただけだが、お前の声が聞こえたのでな」

 現れたルパートのお兄さんは、ロパート・フォン・ターレンハイム子爵と名乗った。ルパートに似ているんだけど、お兄さんの方は陽に焼けて引き締まった筋肉質の体に浅黒い顔をした精悍な感じだった。う~ん。元の世界にいた頃、わたしは陽に焼けにくかったんだよね、外にいても赤くなるだけで黒く焼けなかったから、こういう陽に焼けた感じにはちょっと憧れていたりする。
 
 ターレンハイム家のルパートのお兄さんなのにお兄さんの方が子爵なのって、不思議に思って聞いてみた。そうしたらいろいろあるのさって言ってた。ロパートさんはターレンハイム家の次男らしい。長男のロバートさんはルリタニアの首都ファブリスにいるそうだ。
 ロパートさんに案内されてここを管理しているエルフのダグラスさんとドワーフのモレルさんを紹介された。
 何しに来たんだ。と聞かれたからドワーフを見に来たと言ったら、笑われた……。モレルさんなんか、腹が痛いなんて言って転げまわってるよ。そんなにおかしいかな~?

「まあいい。好きなだけ見ろ。どうせ見たって真似できゃせんし」

 笑いながらそう言われたので、みんなでぞろぞろ見学させてもらう事にする。ラッセンディルだけは、エルフの魔法に興味があると言って、集落のあちこちに作られているエルフの仕掛けを見て回る事にするそうだ。
 ヘウレンの洞窟のあちこちではドワーフの鍛冶屋が鉄を叩いて剣を作ったり、銀を加工して小さなアクセサリーを作ったりしていた。物凄く精巧で綺麗なアクセサリーが、工房の机の上に無造作に転がっている。それらを手にとって眺めながら……。

「綺麗だよねー」
「綺麗なのじゃ」
「さすがドワーフの細工やな」
「本当に……綺麗だわ」
「それは失敗作じゃ!」

 わたし達が口々に言い合っていると細工をしていたドワーフが振り向きもせずに言った。驚いてもう一度まじまじと見詰める。コーデリアも一緒になって見詰めていた。

「これが失敗作?」
「嘘じゃ!」
「そんな物がドワーフの細工だと思われては困る!」

 ドワーフさんに怒られてしまった。机の上に無造作に転がっているアクセサリーを見回して、これが失敗作ならドワーフの細工はどこまで凄いんだろう……? しばし呆然としてしまった。
 わたしやコーデリア、タルコットの3人は、アクセサリーを見ながら思わず『ほしいなー』と口に出ていた。するとドワーフは慌てたような声で怒鳴ってくる。

「いかんいかん。そんな物がドワーフの細工だと、世間に出されたらドワーフの名折れだ。こっちの方をやるから諦めろ!」
「えっ? いいの? ありがとう」
「綺麗なのじゃ!」
「うわー、ええもん貰うたでー!」

 ドワーフが放り投げてきた腕輪とかブレスレットや髪飾りを、受け取ったわたし達はご機嫌になってしまう。3人でお互いに身に着けあい、どれにするのか相談している。……その結果、わたしがブレスレットでコーデリアは髪飾り、タルコットは腕輪になった。
 それを見ていたルパートが羨ましそうにしていた……ドワーフは『男にはやらん!』と言い張って、ルパートは泣く泣く諦めたらしい。

 次に行った工房では、武器を作っていた。
 誰が使うんだろう? と思うような大きい剣が立てかけられている。2mぐらいありそうだ……。その隣りには普通の槍だとか、バトルアックスが立てられていた。斧なんかも大きいよ、動かそうとしてもビクともしない。

「お嬢ちゃんには、そいつは無理だ。いいとこ、このレイピアがお似合いだ」
「……レイピア? バスタードソードとか……」
「ぷっ! ……なに言ってやがんでい。その細っこい腕でよ。無理しねえで、こいつでも振ってな!」

 くそぅー! ドワーフに馬鹿にされたー。でも持ち上がらない。くやしい……でも仕方なく、レイピアを受け取って振り回した。レイピアを振っていると、ドワーフの目つきが変わった。なんだろう? 物凄く厳しい目になってる。

「……お嬢ちゃん、こいつを切れるかい?」

 わたしに向かって、薪がふわりと放り投げられてくる。空中にある薪に、レイピアを一閃させる。薪は抵抗もなくすっと真っ二つに切れた。さすが、ドワーフの鍛えた剣だ……。まじまじとレイピアを見詰めた。

「ふわー。このレイピア、すごく切れるよ」
「そいつは、ここにあるうちじゃあ、一番のなまくらだ。……お嬢ちゃん……かなり剣の修行をしたな?」
「6,7年くらいかな?」
「そうか、腕だけなら、そこいらで威張り腐っている連中には負けないだろうな」
「でも、まだまだ弱いよ」
「お嬢ちゃんに足りねえのは、実戦経験だ。てめえの腕で人を殺した事はねえだろう?」
「ない。したくない」
「まあ、せずに済めば、それに越した事はねえんだが……ふむ。こいつをやる! 持ってけ」

 ドワーフは、壁に立てかけていたレイピアを手に取るとわたしに渡してくる。ドワーフらしい精巧な細工を施された鞘。渡されたレイピアを抜いてみた。細かく細工がされてある握りは手のひらにすっと馴染み、細い刀身は鋭く研ぎ澄まされて光っている。一目でかなり上質な剣である事が理解できる。それはそんな剣だった。

「……いいの、貰っても?」
「ああ、持ってけ! そいつに合う使い手が、いなかったんだ。お嬢ちゃんじゃ、まだまだだが、見込みがない訳でも、ねえからな。そいつをここで腐らせとくのは、勿体ねえと思っただけさ」
「ありがとうございます。頂いていきます」

 そうお礼を言って頭を下げる。コーデリアとタルコットはにやにやしながら、つっかえながらも話すドワーフを見ていた。ドワーフはそのずんぐりむっくりとした筋肉質の小さい体を思いっきり反らせ、武骨な大きな手で硬そうな髪の毛がもじゃもじゃしてる頭を掻きながら言う。どこか照れくさそうに見えたのは気のせいでもないかな? 口が悪いというより、口下手なドワーフさんだよね……。ぎゅーと抱き締めると、頭がわたしのお腹ぐらいまでしかない。もがもがと暴れるドワーフさんを見て、コーデリアとタルコットも抱きついてからかっていた。

「ぎゅーぎゅーや」
「放せー! こらー!」
「ぎゅーなのじゃ」


 その後いくつかの工房を見て回った。
 へウレンの洞窟から出てきた時には、わたし達は色んなアクセサリーを身につけていた。
 コーデリアは髪飾りと指輪、タルコットは腕輪にネックレス。わたしはブレスレットにレイピアと白銀に輝いている籠手をつけている。そんなわたし達を見たロパートさんが、眼を丸くしていた。

「お嬢ちゃん達……ドワーフから、よく巻き上げてきたな~」
「みんな、プレゼントだったよ」
「ドワーフからの贈り物なのじゃ」
「そうやでー」
「はいはい……女は怖いねぇ~」
「そうかな~?」

 ロパートさんがぶるぶると肩を震わしているのを見て、そんな感想を持った。みんな怖くないよ。でも貰うだけ貰ってそのままじゃ悪い気がするので、みんなでドワーフさん達に甘い物を作ることにした。洞窟の工房で鍛冶をしていると疲れるだろうから、甘い物が欲しいかも? と思ったからだ。炭鉱とかで働いている人達は、甘い物が好きだという話をどこかで聞いた事があったし……。疲れた時は甘い物が欲しいよね?
 という訳で……ヘウレンの洞窟近くにある集会所の台所には、シュークリームが大量に作られていた。台所にあった材料で、大量に作れそうなのはこれぐらいしかなかったんだよ……。
 いったい何個ぐらい作ってしまったんだろう? 大量に置かれてあるシュークリームを見ながらそんな事を思う。

「200個までは、数えとったんやけどな……」
「わらわは最初から数えとらんのじゃ」
「自慢する事やないで」
「500個ぐらいありそうだよね?」
「それぐらいあるやろな?」

 ぼんやりとシュークリームを眺めていたら、ドワーフさん達が洞窟から出てくる。

「仕事が終わったみたいやで」
「それでは配るのじゃ!」
「じゃあ、呼んで来るね」

 洞窟から出てきたドワーフさん達を呼び止めて集会所に連れてくる。もっともわしらは、エールが飲みたいんじゃが、という言葉はこの際無視していた。
 連れてこられたドワーフさん達は、大量のシュークリームを見て驚いていた。

「なんじゃこりゃ?」
「喰えるんか?」
「わしら、こんなの見た事ねえぞ」

 驚いているドワーフさんの口に、コーデリアがシュークリームを押し込んだ! 眼を白黒させて、ドワーフさんは、押し込まれたシュークリームを飲み込んでいく。他のドワーフさんたちは、それを見詰めていた。

「こりゃあ、女こどもが好きそうじゃ! 誰か、女どもを呼んでこいや、わしらだけで食ったら後で、恨まれそうじゃ!」
「よし、わしが呼んで来る!」

 ドワーフさんの一人が、どすどすと音を立てて、走っていった。
 しばらくすると、ドワーフの女の人たちがやってきた。そのそばには、小さな子どももいる。ドワーフの子どもって、やっぱりずんぐりむっくりとしてる、手足が固そう。女の人と男の人が同じように見える……。髭があるのが男で、髭が無いのが女の人だよね? どっちもゴツイ筋肉質だし、胸だって固そうだったし……。胸というより、筋肉? ドワーフの女性を見て、ボディービルダーの女性を思い出す。はじめて見たドワーフの女性と子どもにわたしは驚いていた。コーデリアとタルコットも驚いているようだった。

 子どもたちが両手にシュークリームを持って食べていた。女性は子どもと一緒になって食べる。男の人は……エールを飲みながら、シュークリームを食べていた……。シュークリームをつまみにエールを飲むなんて! とタルコットは驚愕している。
 わたしとコーデリアはすでに理解を放棄していた。こういう種族なんだよ……。気にしたら負けだと思う。喜んでくれているのは分かるから、それだけでいいや。


 


 その夜は、ドワーフの集落に泊まる事にした。
 ヘウレンの洞窟、ドワーフの集落には交易を取り仕切る役目のエルフが何人も住んでいる。エルフの小屋は、はっきり言って、事務所だった。書類が山のように置かれ、交易品の数を書き記している。眼の下に隈のあるエルフって……。
 事務仕事も大変だよね。もう3日も寝てないんですよと、ハイテンションで語るエルフも凄いな、ナチュラルハイとかワーカーホリックなんて言葉が頭を過ぎる。ドワーフと値段の交渉をしているエルフもいるし。
 邪魔しちゃ悪い気がしたので、立ち去った。

 仕方なくロパートさんのところに泊めて貰うことになった。
 話をしていると、ロパートさんが……ルリタニア王国の盗賊ギルドの長だという事を知って、驚く。

「ルパートは知ってたの?」
「そりゃあ、知ってたわよ。兄弟ですもの」
「そうやったんか~」

 タルコットも驚いていたようだ。コーデリアとラッセンディルは動じてない。この二人の感覚にも驚く。
 その後の話で、なぜかお金の取引の話になった。何でこんな話になったんだろう? ロパートさんが、ルリタニア王国の現状を語っていたのに、財政が厳しいという話になって、そこから金融の話になったんだっけ?
 なにか意見は無いか? と聞かれたから何も言わずにいるのは不味いかなっと思って、ロパートさんに元の世界の銀行の話をしてみた。金融取引とか、株式とか先物取引とか……新聞で読んだぐらいしか知らないけど、話をするとロパートさんが思いもかけず食いついてくる。特に金融取引と株式の話なんか、すっごく考え込んでいる。

「今現在の盗賊ギルドでは商人から金を預かって、その金を他に貸す事で利益を上げているんだ。そこに貴族の領地から上がる収入をも『銀行』と言ったか、そこで取引する事が出来れば、利益は今より遥に上がるな」
「貴族が金を使う時に小切手みたいなのを使わせれば、実際にお金を動かさなくてもいいんじゃないのかな?」
「書類上の取引と言うわけか……商人にも同じように小切手を使わせれば、大量の金貨を危険な思いをして持ち運ぶ必要が無くなる。いい考えだ。その考え貰ったぞ!」
「両替商みたいなのはあるんでしょ?」
「ああ、それも盗賊ギルドが一手に引き受けている。しかし、いまいち信用されていないようだ」
「名前が悪いんじゃないの?」

 だんだん疲れてきて、わたしの返事も適当になっていた。眠いんだよ……。コーデリアとタルコットとラッセンディルはもう寝ているし、今ここで起きているのは、わたしとルパート、ロパートの兄弟だけだった。

「うむ。この際、『銀行』と名を変えてもいいな。盗賊ギルドの一部門ではなく『金融業』と名を変えよう。この話を各国にあるルリタニアの盗賊ギルドの支部に知らせて、今の考えを徹底させよう。これなら堂々と他国に支部を出せる」
「他国に堂々と出せるなら、船に金貨を乗せて取引をすると転覆した時に大損をしたりする危険を回避できるわ」
「確かに荷物だけで済むな……荷物を失うのは痛いが、金も一緒に失うよりはマシだ。そして他国に支部を堂々と出せるのは大きい。この話がうまくいき始めれば、他の国も真似するだろうが、それより先に俺達の勢力の方が大きくなればいいのだ!」
「もう寝ていい?」
「あらあら、すっかりおねむなのね?」
「ああもういいぞ。あとはこちらで考えるからな」
「おやすみなさーい」

 わたしはコーデリアの隣にごそごそ入り込むと、眠った。ルパート、ロパートの兄弟はその後も話をしていたようだ。2人の会話を子守唄のように聞きながら眠りにつく。夢の中で、ルパート、ロパートの兄弟がにじり鉢巻を締めて、算盤を弾きながらお金を数えている光景がうかんでいた。それを見ながらこの世界に算盤ってあったっけ? そんな事を思っていた。起きたら聞いてみよう……むにゃむにゃ~。

「王宮の兵士たちの給料も『銀行』から支払うようにすれば……」
「貴族の収入も一度、『銀行』に預けさせれば、貴族の不正や領地の経済も把握できるわ」
「うまくすれば、他国の国力も把握できるな」
「やるなら速い方がいいわ」
「その通りだ」


 
 翌朝、ルパートに起こされた。ロパートさんは船の方にいるそうだ。夢の中で浮かんだ算盤の話をルパートにしたら、いきなりお姫様だっこで船のところまで連れて行かれてしまう。うわーうわー!

「ロパート! あきが大事な事を思い出したそうよ!」
「うん? なんだ?」
「ほら、あき。算盤というのを話して!」

 2人にせっつかれて、地面に算盤の絵を描いて話をした。ルパート、ロパートの兄弟が真剣な顔で、地面に書かれた算盤の絵を見ているのは少しだけ、面白いかな。確かに算盤は数百年ものあいだ使われてきた計算道具だから、覚えたら便利だよね? でも、ふと思ったんだけど……これでルパート、ロパートのターレンハイム家が儲けても、わたしには関係ないんだよね……。わたしだってお小遣いがほしい。また、触媒とか作って売ろうかな?

「材質は木と石か……支点になる部分に印をつけて、計算させれば、分かりやすいな」
「いくつか作らせて、支部のみんなに覚えさせれば……」
「計算は楽になる、これは便利な物だ。部下に言って作らせよう、いい事を教えてくれた」

 そう言うとロパートさんは船の出航準備を急がせていた。
 わたしとルパートはまた部屋へと戻っていく。部屋に戻るとコーデリアとタルコットが目を覚ましている。

「あんたらの騒ぎで目が覚めてしもうたわ」
「朝から大騒ぎなのじゃ」

 コーデリアたちは目を擦りながら言っている。エルフが運んでくれた朝食を食べながら今日の予定をルパートたちと話していた。ルパートはなぜか、ルリタニアの首都ファブリスに行く事を主張してる。
 なんでかな? と思ったら、ロパートさんの船がファブリスに向かうからだそうだ。それならわたし達も一緒に行こうか、という話になって、船に乗せて貰うことになった。エステルは空を飛んで船についていけるよ。と言ったので安心したよ。行けなかったらどうしようと思っちゃった。

 船の中でロパートさんと話をしてたら、昨日の話しの続きをルパートとしていたそうだ。ロパートさんはすごいよ。なんにも言って無いのに、商人達の取引に使われるであろう書類上のお金のやり取りに手数料を取ることを考えている。その際には金貨一枚につき、銅貨10分の1だって、金貨10枚で銅貨1枚の手数料。高いのか安いのか、よく分からないなぁ~。でも計算したら、ルリタニアだけでなく他の国のも合わせたら、1日で金貨100枚以上にはなりそうなんだって、何にもしなくても毎日、金貨100枚以上のお金が入ってくるって凄いよね。巧くいったらもっと儲かりそうって言ってる……。濡れ手に粟か、取らぬ狸の皮算用なのか? どっちだろう?

 どっちにしてもわたしには、関係ないもん。わたしには入ってこないんだから……。楽しそうなロパートさんに少し嫉妬する。

 話をしていると、昨日のルパートが伯爵でロパートが子爵なのは、お兄さんのロパートさんが盗賊ギルドの長になったからだって、話してくれた。一応、貴族の中でもそれなりの地位にあって、なおかついざと言う時には、問題が起こりにくい適当な地位だったからだって言うけど、子爵でもたいした地位だと思うんだけど……?公爵とか侯爵とか、から見ればたいした事は無いのさ、と言ってる。
 貴族って、よく分かんないねー。

 
 わたし達は、ロパートさんの船に乗って海を航海している。船の中をあちこち見て回っていると、昔の帆船みたいで楽しい。風に煽られているマストが大きく膨らんでいる。大砲がいくつも乗せられていたよ。火薬の大砲じゃなくて、魔法を発射する大砲だったけど……。なんでも大砲の中に魔法を込めた筒を入れて必要になったら、キーワードを唱えるだけで発射するんだそうだ。呪符魔法の応用なんだって、東の塔で開発されたらしい。ファイヤーボールとか氷の魔法が飛び出ると言ってた。魔法の詠唱が要らないから早く発射できるそうだよ。船乗りさんに教えてもらう。
 
 この船はルリタニア王国からノエル王国、カルクス王国、ザクセン公国まで航海していると言ってた。
 ノエル王国とルリタニア王国は仲が良いらしい。ザクセン公国とも同盟を組んだりして、それなりに仲は良好な方だけど……カルクス王国とは、前の王様の時は良かったらしいんだけど。……今の国王というより、母親の皇后が無茶をしてるから各国は距離を取って様子見をしているそうだ。もしかすると内乱もありえるらしい……。
 海を見ながらそんな話をロパートさんがしてくれた。
 空を見上げたら、エステルが船の横を飛んでいた。マストの上の見張り台から見張り役の船乗りが手を振ってる。船乗りさんの一人が、やってきてロパートさんに、「準備は良好です!」と言って走っていく。

「よし、あきも船の中に……いや、俺とついて来い! 面白い物を見せてやろう」

 と言われたのでついていく。なにかなー?
 船長室の中では、何人もの船乗りが忙しそうに働いていた。ロパートさんが船長室に入る。くるくる回りそうな舵輪の前に立つと、壁沿いに取り付けられている管から聞こえてくる声に返事を返し、指示を飛ばす。船長室の中は魔法の光が光りだして部屋全体が輝いていた。

「準備よし!」
「飛行可能!」
「乗組員、船内に入りました!」
「魔法陣、起動! 飛行する!」

 ロパートさんの声と共に船はがくんと揺れ、少しづつ浮き始めた。窓の外を見る。ヘウレンの洞窟が低くなっていく。慌てて窓に近づき、下を覗くと……船は空に浮かびながら進んでいた。

「ふわー。浮かんでる」
「どうだ。ルリタニアの飛行船は」
「すごいねー。船飛ぶんだ!」
「この船はな、他にもいくつか飛ぶ船はあるが、こいつほど大きい船はないな」
「すごいすごい。あー! ヘンルーダの森って、半島だったんだー。あの先にあるのがヘウレンの洞窟だー」

 窓の外にエステルの顔が覗いている。手を振るとエステルは首を振って答えてくれた。空から見下ろすヘンルーダの森はとても綺麗だった。その後しばらくはロパートさんが船長室を離れられないと言うので、船室に戻る事にした。案内してくれた船員さんのハンスさんは、50過ぎのおじさんで貴族だと言ってた。

「まあ、貴族と言っても、下の方ですがね、準男爵です」
「準男爵?」
「ええルリタニアには、そういう位があるんですよ。お偉い方には歯牙にもかけられちゃいません。この船にはそんな奴らばかりが乗っているんです」
「ロパートさんは、子爵だよね?」
「……ターレンハイム家の3兄弟は優秀揃いですよ。ロパート様は盗賊ギルドを盗人から金貸し……いや『銀行』、『金融業』って変更になりましたね。……そいつに変えちまいましたし、長男のロバート様は、王宮で活躍しております。ルパート様は……」
「ルパートはなに?」
「……ああ見えても、錬金術師としちゃあ、かなりのもんです。ノエル王国の北の塔を首席で卒業しましたしね」
「……知らなかった。首席で卒業なんて?」
「コーデリア様は次席だったそうで」
「2人とも凄いなー」
「あき様もかなり優秀とお聞きしましたが?」
「全然、わたしなんかたいした事はないですよ。ほんとに」

 首を振って違うと言っておく。誤解されても困るし……。ルパートやコーデリアと同じだと思われたら大変だよ。ハンスさんは不思議そうに見てくるけど、違うからね。
 船室の前でハンスさんは立ち去っていく。
 船室の中には、コーデリアたちが揃って寛いでいた。船室は豪華な部屋だ。赤い絨毯に天蓋つきのベット、ドワーフの細工らしいランプにソファー、テーブルも細かい細工で彩られている。なんで客船でもないのにこんな部屋があるんだろう?

「王族専用の部屋だからよ」

 ルパートがそう言って部屋を眺め回す。コーデリアたちは、ワインを飲んで酔っ払いそうになっていた。

「王族専用の部屋に泊めてもらうなんていいのかな~? やっぱりルパートがいるから?」
「とんでもないわ、兄さんの事だから、あたしだけだったら一番下の船底に放り込まれていたわ」

 ルパートは真っ青な顔になって言う。じゃあなんでだろ? コーデリアとかタルコットやわたしとか女がいるからかな?
 そんな事を考えていたら、ルパートが苦笑いを浮かべて言った。

「あき、貴女の為よ」
「……わたし?」
「……気付いてなかったのね、貴女はロパートに、ルリタニア王国の経済を発展させるすごいアイデアを教えたのよ。その報酬がこの部屋に泊めるぐらいなら安いものよ」
「たいした事言ってないのにな~。ほとんどロパートさんが考え付いたのに?」
「本当に気付いてなかったのね、あきらしいわ」

 そう言ってルパートにぎゅーと抱き締められる。それを見たコーデリアとタルコットにも抱きつかれた。ラッセンディルはすでに酔っ払って眠ってしまっている。
 窓の外には青い海が広がっている。それを見ながらルリタニア王国首都ファブリスへわたし達は旅をしていた。


 ――――ルリタニア王国首都ファブリス――――どんなところだろう、楽しみだなぁ~。



[12791] 第20話 「ルリタニアへ行こう ああ女神さま! 壊れた人形(ホムンクルス)」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/07 22:17
 第20話 「ルリタニアへ行こう ああ女神さま! 壊れた人形(ホムンクルス)」


 ルリタニア首都ファブリス―――コルデリア大神殿。
 
 そこは巨大な建物だった。高い天井にはアーチが架かり、いくつものシャンデリアが吊るされている。細かいレリーフが彫られてある柱は太い石柱だ。石造りの建物は先の尖った屋根がパッと見にも、20本ほど立っている。ぶっちゃけ、GOSICK様式ぽい? 違うかな? でもあれってフリーメイソンとかが関わってたんじゃなかったかな? よく知らないけど? ここは異世界なのに……なんでGOSICK様式? しかもこれに似た建物なにかで見た事があるような……う~ん……カレンダーだったっけ? 確か……カンタベリー? あーそうそうカンタベリー大聖堂だったっけ? もの凄く大きくてつんつんした屋根のある教会。
 わたしたち3人は、そんなコルデリア大神殿の前に立っていた。

 首都ファブリスに着いたわたしたちは、さっそくと言っていいのか、分からないけど……コーデリアとタルコットに引き摺られるようにして、コルデリア大神殿に連れてこられた。

「もうすこし、ファブリス見物をしたかったのに……」
「用事が済んだらいくらでもつきあったるで!」
「先に済ませてしまうのじゃ」

 ファブリスの街は、アデリーヌとは違って華やかだ。綺麗に区画整理された町並みは、いろんな色で彩られている。石畳さえもいくつかの色で模様や絵が描かれて、街に彩りを与えていた。商店の看板も工夫が施されて、見ているだけでも楽しい。
 広場では大道芸が披露されて、サーカスの看板が立てられている。遠くでは高い塔の屋根に当たる場所に鐘が取り付けられてあった。噴水から水が噴出しているのを眺めていたら、コーデリアとタルコットに引き摺られたというわけ……。ルパートはロパートさんと一緒に、やる事があるからと言って、行ってしまったし……ラッセンディルは知り合いに会いに行くと言ってどこかに行ってしまった。

 神殿の中に入ると、何人もの神官や信者が行き来している。コーデリアが、近くにいた神官の女性に声を掛けて話をしている。話が終わったのか、女性神官はわたし達に近づいてくると、「案内します」と言い。
 なぜかわたしだけが、ついていく事になった。
 石畳の廊下を通り過ぎ、連れてこられたのは……神官たちの礼拝堂だった。そこには大司祭と呼ばれる老女が女神像の前に跪いてお祈りをしている。女神像は右手に天秤を持ち、左手には花束を持った姿の石像だった。神官さんに教えてもらうと左手の花束は愛情を示し、右手の天秤は誠実と不義を測っているそうだ。
 話をしている間にお祈りが終わったのか、老女は立ち上がり、わたし達に向かって歩いてくる。

「お名前をお聞きしても宜しいですか?」
「はい。香月あきです。あき、とおよびください」
「香月あき? では、あきさんは、神の声をお聞きになったのですか?」
「神の声かどうかは分かりません。ですが確かに何かの声は聞きました」
「その時の事を、お話ください」

 わたし達は、礼拝堂の椅子に座って話をしていく。
 アデリーヌのコルデリア教会での話をしていくと、アビゲイルの話になってしまう。老女、この人はコルデリア大神殿の大司祭で、マリア・マリブランというらしい。そのマリアさんはアビゲイルの話を聞いて、眼を白黒させていた。確かにアビゲイルの行動には驚くよね。
 そして話し終わった。マリアさんは、聞き終わると「すこしお待ちを」と言って礼拝堂を出て誰かに言付けをしている。わたしは女神像を眺めて待っていた。

「大司祭さま、連れてまいりました」

 連れてこられたのは一匹の小さなねこだと思う。虎縞のなんだかゴツイ顔つきだったけど……一瞬、虎かなっと思ってしまった。

「この仔猫は、怪我をしているのを神官が見つけて世話をしているのです。本来ならば自然の治癒に任せるところですが、貴女に治して貰いましょう」
「いや、治せと言われても……」
「この仔猫が、治るように神に祈るのです。神聖魔法は誰かに教えて貰うものではありません。神の声を聞いた者には、自然と使えるようになるものです」
「う~ん。やってみます」

 そうして仔猫を見つめて心の中で祈る。祈り続けている……そのうちに何か分からない力が自分の中に満ちてくる。その力で仔猫を包み込むようにすると……仔猫の傷がみるみるうちに癒されていった。

「仔猫の傷が治りました。貴女は確かに神の声を聞いたようです。神聖魔法が使えるのが何よりも強く、それを語っています」

 マリアさんの話を聞きながらわたしは驚いていた。まさか魔法使いになってしまうなんて? 錬金術はまだ理解できたんだよ。法則が違うだけである種の理論通りの行動と結果だし……でも神聖魔法って祈ってるだけだし、これで魔法が使えるようになるなんて!

「……ですが、貴女が如何なる神の声をお聞きになったのかは、これから調べましょう」

 マリアさんの声で考え事から引き戻される。そうだよ、まだどの神様か分かっていないんだ。こいつは問題だ。邪神とかだったら嫌だな~。暗黒神とか闘神とかだったらどうしよう……。あっ、闘神とかだったら別にいいか。闘いの神の守護ってなにかかっこいいよね?

「マリアさま、どうぞ」
「では、あきさん、これに手を触れてください」

 そうして差し出されたのは小さな台に、ビロードぽい布を引いた上に乗せられた6本の棒だった。どれか1つを手にとって握り締めなさい。と言われ、真ん中の棒を握り締めた。
 握り締めた棒が紅く輝きだす。紅い光は大きくなりわたしの体を包み込んでゆく。

「げっ!」

 ―――――げっ! とは何か。元男が! これからは女としての愛を知らねばならんぞ。

「ごめんなさい。それは……」

 心の中に聞こえてきたのは女神コルデリアの声で、思わず、アビゲイルと同じかよ。と「げっ!」と、呟いたら女神に突っ込みを入れられた。呆れられたような気もするが……。しかしこれで分かったあの声は、コルデリアだ。

「如何なる神でしたか?」
「女神コルデリアでした」
「そうでしたか、では貴女にはここで修行する権利がありますが、どうしますか?」
「わたしは錬金術を学んでいますから、ここで修行は致せません」

 周囲に集まっていた神官達にざわめきが起こる。しかも白い眼で見られた。なんだよ? こっちの勝手だと思うけど……絶対修行しなけりゃならない訳じゃないんだろ? そう思う。

「そうですか? 分からない事があれば、いつでもここや、他のコルデリア教会にお聞きに来なさい」
「はい。有難うございます」

 他の神官の事は気にしないようにして、マリアさんにお礼を言ってから、立ち去ることにする。
 帰り道で案内をしてくれた神官と話をしていたら……。

「神の声を聞いて、修行を断ったのは貴女が初めてですよ」
「……そうだったんだ? どおりで……」

 あの神官たちの反応も理解できた。そりゃあ驚くわな? 白い眼で見るだろうさ。だけどこっちにも予定ややる事もあって、修行している訳にもいかないんだよ。元の世界に帰りたいし……。
 神殿の集会所では、コーデリアとタルコットが待っていた。

「どうじゃった?」
「どこの神様や?」
「コルデリアだった」
「そうかー聞いたのはコルデリア教会やったから、そうかもしれんな~やっぱり」
「それで、どうするんじゃ?」
「うん? ああ修行は断った」
「「断ったー!」」
「うん」

 コーデリアとタルコットが驚きの声を上げる。二人とも信じられないと言った顔をしている。固まっているコーデリアを尻目にタルコットが慌てて言う。

「あ、あきー! あんたはどうしたんや? 女神の声を聞こえる人間は、そうそうおらんのやで!」
「おお、その通りじゃ!」
「でも、絶対修行しなくちゃならない訳じゃないんだろ?」
「そりゃそうやけど……もったいない気がするで?」
「……お主が決めたのなら仕方が無い。本当に修行はいいのじゃな?」
「ああ、構わない」

 わたし達3人は大神殿を後にして、ファブリスの街に出た。
 アデリーヌと比べ、人も店も多い。3人で店を見て回る。コーデリアが雑貨屋で綺麗なレースを見て溜息をついてる。その横ではタルコットが、ケーキを見ながら指を咥えていた。

「綺麗なのじゃ」
「おいしそう~」

 それを眺めているわたしは道行く人たちに、ちらちらと横目で見られていた。どこかおかしいかな? と思ったら……わたしって銀の籠手をつけてるじゃないか? しかも腰にはドワーフのレイピアを差してる。その上にメイド服だし……そりゃあ見られる筈だよ。
 ……迂闊だった。でも気にしても仕方ない。どこかで着替える訳にもいかないし……。

「あきー、これ食べようやー」
「なにかな~?」
「白ワインのチーズムースや」
「わらわはこの、ベリーのタルトが食べたいのじゃ」

 さっきまでレースを見ていたコーデリアも一緒になって店先に置かれてあるメニューを見ながらで騒いでいる。そこへ行くのは少し恥ずかしい気もするが、名指しで呼ばれているものだから通行人の視線が痛くなってきた。
 店内に入ると、丸いテーブルが並んでいる。その中のひとつに案内されてわたし達は席に座った。聞きに来た女の子に注文を言い。待っている間、他のテーブルを観察している。
 隣りのテーブルに座っているのは……虎?

「ねえねえ。コーデリア、あの人はいったいどう種族なのかな?」

 コーデリアは視線を向け、隣のテーブルを見た。

「あれは、ワータイガーじゃ、さらに言うなら、その隣りに座っておるのはワーキャットじゃな」
「虎と猫?」
「そうじゃ」

 隣りのテーブルをもう一度見る。ワータイガーの男は大きな体を小さくして、丸っこい指でフォークを摘んで、ケーキを口に運んでいた。虎の顔だから表情はよく分からないんだけどうれしそうだと思う? 髭にクリームがついてる。反対にワーキャットの女の方はなんだか嫌そうにケーキを口に運びながら、虎の顔についたクリームを拭いてやっていた。彼らの会話が聞こえてくる。声が大きいから丸聞こえなんだけど……。ワーキャットの女は、猫の耳がついているだけで人間と大して変わりが無いね。あっ、尻尾がついてるのか?

「どうしたんだ? ここのケーキはうまいぞ」
「あんたもこういうの好きだね~。あたしは甘い物は苦手なんだよ」
「なんと? 甘い物が嫌いとは! 人生の楽しみを半分失うのと同じだぞ!」
「あんたと一緒にしないでおくれ。あたしゃ充分、人生を楽しんでるよ」

 甘党の男と甘い物が苦手な女の組み合わせかぁー。面白いよね? でもケーキのホール丸ごとというのはどうだろう? 他のテーブルにも眼をやると……戦士ぽい男女の組み合わせもある。こちらはテーブルの上のタルトを取り合っていた。

「あんた! それで4個目だろ!」
「お前こそ、5個目だろうが!」
「男のくせにけちくさい事、言うんじゃないよ!」
「てめえ! こんな時だけ女を振りかざしやがって!」
「やかましい!」

 こっちはこっちでなにやってんだろ? さらに他のテーブルを見てみた。店の奥のテーブルでよく似た双子ぽい男の子と女の子がケーキをうれしそうに食べていた。わたしよりも年下に見える。可愛らしいフリルとレースの飾りのついた服を着ていた。女の子の方は真っ白な髪を長く伸ばして大きな青いリボンを後ろに結んでいる。男の子の方も青いリボンを髪につけていた。二人ともそっくりな顔をしてる。
 あっ、女の子の方がこっちを見た! にっこりと笑う顔がかわいいな~。 2人の横に彼女たちには似合わないぐらい、大きな剣と斧が立てられていた。
 2人が立ち上がって店員に支払いをしようとしている。

「ねえねえ、コーデリア、あの子達かわいいよね?」
「うん。誰の事じゃ?」
「ほら、あそこで支払いをしている双子だよ」

 わたしが女の子を指差して、コーデリアとタルコットがそちらを向いた時には、2人は店を出ようとしていた。男の子の方が店を出ようとした瞬間――――斧で店員の女の子の首を切り落とした……。

「えっ?」
「いかん!」

 あまりに一瞬の事で、なにが起きたのか分からなかった。
 コーデリアがわたしの頭を押さえてテーブルの下へと誘導する。タルコットは精霊魔法を唱え、テーブルの周りに風の障壁を張った。テーブルの下から周りを見たら、あちこちのテーブルから『カウンターマジック』だとか『レジスト』を唱える声が聞こえてくる。

「俯いて耳を塞いで目を瞑っておれ」
「うん」

 コーデリアの声が聞こえて言うとおりにする。次の瞬間に、店内で爆発が起こった!
 ……爆風が収まって眼を開けると、店内はめちゃくちゃになっていた。ごそごそと瓦礫になった店内のあちこちで起き上がりだした中、隣の席に座っていた虎は猫を庇ったまま手足が千切れている。猫も両手が千切れていた。タルトの取り合いをしていた男女は、跡形も留めてない。

「嫌だ。嫌だ! なんだよ、これー!」

 訳が分からないまま、祈っていた。どうかみんなを助けて!
 虎の手足を見つめながら、ただ祈っている。やがて体の中から力が溢れ、虎や猫に注がれていった。手足がくっつき、傷が塞がれていく。息を吹き返していく虎と猫を見て、わたしは気を失った。





 

 ラッセンディルは西の塔の近くにある居酒屋で、人を待っていた。
 西の塔に来るといつも寄っていた懐かしい場所でもある。そこで彼とよく会っていた。もう5年以上も顔を見る事の無かった男だった。ラッセンディルが東の塔にいた頃、その男は3つ上の魔術の成績は優秀な先輩で、西の塔ではこれ以上学べないと言って、西の塔から東の塔に留学してきたのだ。当時、特待生だったラッセンディルとは不思議と気が合い、共に研究をしていた仲でもあった。『ホムンクルス』『ゴーレム』の研究なら一番先を進んでいた男だった。ラッセンディルが東の塔を追われてからは、連絡を取る事もなかったが、ルリタニアに来る事になった時、会える事を楽しみにしていた。
 
 男が居酒屋に入ってきた。かつては煌びやかであったろう服はよれよれになっていた。整えられていた金の長髪はぼさぼさで、目の下には隈ができ、無精ひげが生えている。かつての彼を知っている者から見れば、驚くほどの落ちぶれぶりであった。
 男の名前はジルベール・ド・ブランヴィル。カルクス王国の古い伯爵の家系で、父親はカルクス王国で財務を司っている。

「ジルベール先輩……」
「……フリッツか? どうしたこざっぱりとした格好をして、女でもできたか?」
「先輩こそ、その格好は……どうしたんですか?」
「おれか? おれは研究に没頭していてな……ついつい面倒になってしまったんだよ」

 ジルベールがラッセンディルに近づいた時、ぷ~んと酒の匂いがした。恐らくここに来るまでにどこかで、飲んでいたのだろう? 眼の焦点も合っていないようだった。ラッセンディルが頼んだワインを乱暴に飲み干していく。さらにもう一本欲しそうにし、ラッセンディルに絡んでくる。その様子から、先輩が金に困っているのだろうと見当をつけたラッセンディルではあったが、先輩に気付かれないよう溜息をついて、もう一本ワインを頼んだ。先輩は一口飲む度に周囲の愚痴を零す。

「先輩、もうお酒は止めましょう。それがいいです」
「やかましい! どいつもこいつも、おれの研究にけちをつけやがって!」
「……先輩は、今どんな研究をしているんですか?」
「『ホムンクルス』に感情を与えてやったんだ!」
「それで、どうなったんですか?」
「けっ! 逃げたよ。逃げやがった」
「じゃあ、探さないと!」
「逃げたきゃ、勝手に逃げればいいんだよ! どうせどこかでのたれ死ぬだろうさ……」
「先輩! 『ホムンクルス』にどんな感情を与えたんですか?」
「…………人間とおんなじさ。喜怒哀楽……だ」

 ジルベールはどこか虚ろな眼で零す。しかしラッセンディルにはそれだけでは無いような気がしていた。ただ感情を与えただけでは家畜やペットと同じのはずだ。こちらが愛情を持って接すれば逃げ出すような事はない。『ホムンクルス』には、主人に対する忠誠を製造の始めから、刷り込まれる。いや刷り込まなくても生まれたばかりの赤子と同じなのだから……やはり、愛情だろう。それが欠けていた。
 だがしかし、先輩は『ゴーレム』や『ホムンクルス』には愛情を持って接するべきだ! と一番主張していたのに……いったいなにがあったんだ?
 ぶつぶつと愚痴を零しているジルベールを見ながらラッセンディルは考えていた。

 その後、酒を飲みたがるジルベールに肩を貸しながら、ラッセンディルはジルベールの部屋にまで送っている。途中で散々喚き散らしていた。

「だいたい、お前のその格好はなんだ? 昔は着たきりで、汚れていても気にしてなかった癖に!」
「そ、それは……」

 それは、香月あきのおかげである。
 ルリタニアに来る前、2日、いや3日に一度はコーデリアの家に行くようになってからというもの……着たきりだったラッセンディルに『とにかく着替えろ! 洗濯しろ!』と言い募り、その挙句には面倒だったら、『洗濯籠に入れとけ!』洗っといてやるからとすら言われた。
 それ以来、ラッセンディルの服はあきが洗ってくれている。しかもコーデリアの家で泊まったりすると、普段は研究に没頭すれば、疎かになりがちな食事もちゃんと食べろ! と言われ……食卓に座らされるのだった。おかげで栄養のバランスの取れた食事をしているものだから、すっかり健康的になってしまった。最近では工房に戻ると近所の奥様方から、驚かれる始末である。
 まあ、それは俺だけではないんだけどな……コーデリアやタルコットも同じような感じだと思い、苦笑いを浮かべた。
 その苦笑いが癇に障ったのか、ジルベールは喚き、暴れようとする。

 
 部屋について酔っ払っているジルベールのポケットから鍵を取り出して、部屋の中に入る。
 部屋の中はそのものは、ラッセンディルやコーデリアの工房と同じような感じだ。取り立てておかしいとも思わない。『ホムンクルス』の製造に必要な器具がいくつか並んでいるぐらいだ。それだって専門が『ホムンクルス』なのだから当然と言えば、当然でもある。
 
 ジルベールを工房ではなく私室のベットに寝かせるとラッセンディルは、ジルベールの研究ノートを読み始めた。
 読み進めていくうちに、なにか、どこか、肝心な……足りない部分があることに気付く。そして工房をぐるりと見渡し、奥に扉がある事に気づくと中に入った。


 部屋の中には、沢山の拷問器具が置かれている。どれも使われた形跡が残っていた。部屋の中央には大き目のソファーが置かれていて、そこに座ると大きめの拷問器具が眺められるようになっていた。

 ――――深靴の形をした鉄製の足枷。三角木馬。水責め檻。洋梨。蜘蛛。鉄の人形。

 どれもこれも、拷問用に使用される道具ばかりが並んでいた。それらの横に一際大きな箱が置かれてある。中を覗くと無残に手足を破壊され、殺された『ホモンクルス』の死体が押し込められている。
 ラッセンディルはそれらから目を逸らす、吐き気を抑えてソファーにまで下がった。その時、自分の足に躓き、床に叩きつけられる。床にジルベールの研究ノートが転がっていた。
 
 ラッセンディルはノートに手を伸ばし、手に取ると床に倒れたまま、読み始めた。
 始めは、『ホムンクルス』に感情を与えた事が記され、次に愛情や好意を教えていく過程が記されていた。それが段々と変化していった。『ホムンクルス』が可愛がっていた小鳥が死んだ事、それによって、『ホムンクルス』が涙を流した。それは悲しみの感情の現れであり、悲しむ『ホムンクルス』を前にして、喜んでしまう自分に対する嫌悪が書かれていた。
 そこから研究が変化していく。悲しみから恐れへと、恐れから恐怖へと変わっていく過程が記されて、拷問へと至るのにたいして時間を必要とはしなかったようだ……。
 ラッセンディルの目から知らず知らずのうちに涙が流れていた。

「ジルベール先輩……」

 10代だった頃のラッセンディルは、その魔術の才能を期待され、特待生に選ばれて東の塔で学んでいた。周囲の妬みや期待に押し潰されそうになっていたラッセンディルを救ってくれたのが、ジルベールである。その先輩がおかしくなっている事に対して、泣かずにはいられなかった。




 目が覚めると、そこは豪勢なベットの上だった。
 体に力が入らない。それにもの凄く疲れている。体を動かそうとして、呻き声を上げてしまう。

「お目覚めですか?」

 メイドさんに声を掛けられる。頷くとベットのそばに置かれていた呼び鈴が鳴らされ、部屋にコーデリア、タルコット、ルパート、ロパート……そして、知らない顔のお爺さんが入ってきた。

「おお目覚めたのじゃ!」
「あき! あんた無茶するから!」
「話は聞いた。いかに神聖魔法の使い手とはいえ、手足がちぎれた者を回復させようとは、無茶をする」
「もう~心配したわ」
「ごめんなさい」

 反省。
 やっぱり、無茶だったよね? でもそのままにしておくのは、嫌だったんだよ……。
 ……知らないお爺さんが、じっと見つめて来るんだけど、この人はだれ?

「初めまして、香月あき。ルドルフ・フォン・ターレンハイムだ」

 ルドルフ・フォン・ターレンハイム? もしかしてルパートたちのお父さん? ターレンハイム侯爵?

「その通りだ。私がルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵だ。あき、君を歓迎しよう。ターレンハイム家へようこそ」

 ターレンハイム侯爵は、ルパートたちとよく似ていた。鋭い目つきなんかはロパートさんに似てるし、雰囲気なんかはルパートに似てる? という事はもしかして……ヘンタイの元締め? ……この人の性癖はいったいなんだろう?
 思わず、じーっと見てしまう。

「言っておくが、私はごく普通の人間だと思っている。息子たちは変わってしまったがね」
「えっ?」
「君はよく、考えている事が顔に出やすいと言われないかね?」
「あ、あわわわ……ごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。息子たちを見れば、誰でもそう思ってしまうだろう」

 うわー。失敗したかな? 呆れちゃったかも? でもでも仕方ないよね。
 シーツを顔から被って隠れる。

「ああそうそう。あき、あの店を襲った双子な、逃げられてしもうたみたいや」
「いま、ファブリスの騎士たちが捜索中だ」
「なぜ、あの店を襲ったのかも判明してはいない」
「双子の事は、騎士団に任せるとして、虎と猫がお主に感謝しておったぞ」
「助かったの?」
「無論じゃ、神聖魔法の使い手が気を失うほどの力を注いだのじゃ! 助かって当然じゃ」
「良かったぁ~」

 助かった事を聞いて、ほっとする。良かったよ……。他の人たちはどうしょうもなかったし……。
 シーツから少し顔を出した。コーデリアとタルコットが怖い顔をしていた。あれ?

「「まあ、それはそうとして」」
「うん?」
「無茶しすぎやー!」
「無茶しすぎじゃー!」

 2人の怒鳴り声が、部屋中に響き渡った。ルパートやロパートさんやルドルフさんにメイドさん達まで、耳を塞いでいる。塞ぎ損ねたわたしは耳が……キーンとしてしまった。

 その後、怒られるし、ベットに括り付けられそうになるし、ルドルフさんには笑われるし……泣きたくなったよー。

「自業自得なのじゃ」
「そうやそうや。当分、安静やで!」

 コーデリアとタルコットの声を聞きながら、わたしはあの双子の事が気になっていた。
 どうして、あんな事をしたんだろう? 楽しそうにケーキを食べていたのに……。
 



[12791] 第21話 「ルリタニアへ行こう Sweet Pain Little Lovers 銀の雪」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/09 12:23

 第21話 「ルリタニアへ行こう Sweet Pain Little Lovers 銀の雪」


 ロパート・フォン・ターレンハイムが、ラルースの店が爆破された報告を受けたのは、あきから聞いた話に加え、ルパートと話し合った結果を配下の部下たちに話している最中の事であった。
 盗賊ギルド内では、慎重に犯人特定を急ぐと共に首謀者を洗い出せ! とそれぞれの配下に命令を下した。
 これは被害者の中に香月あきの名があった事から、他国の盗賊ギルドの警告とも考えられるからである。無論、警告されたからと言っておとなしく引き下がる気はない。むしろ特定したら、こちらから攻撃するつもりであった。


「で、もう一度聞くが、確かに双子の兄弟だったんだな?」
「顔はそっくりだったよ」
「それで、爆破の前に男の子の方が店員の首を斧で切り飛ばしたと?」
「うん。そこまでは見た。その後は、コーデリアにテーブルの下に押し込まれたから、わかんない」
「……そうか。いや、ありがとう。参考にさせてもらう」

 そう言って、ロパートさんは部屋を出て行った。
 ロパートさんって、刑事みたいだったな? どうしてだろう? 天蓋付きの広いベットに横になって考えていた。この部屋って伯爵家に嫁いだ娘の部屋だったんだって、広いし豪華絢爛だし……侯爵家って凄いね。コーデリアとタルコットが『わらわたちは、ただの客室じゃというのに、お主だけ豪勢な部屋に泊まりよって!』と言ってたけど……そんな事言われてもねえ?

「コーデリア、爆破の時に起こった事を話してくれないか?」
「お主も大変じゃのう。……まあ良いわ。あの時はあきをテーブルの下に押し込めて、様子を窺うと双子の連中が魔法を放ったのじゃ! かなりの高レベル呪文じゃったな。ラッセンディルに聞けば、早いのだろうが……あやつもおらんし、困ったものじゃ」
「魔法だな? 錬金術系の爆弾ではないのだな?」
「それは確かじゃ」

 ロパートは困惑を隠しきれていなかった。魔法使いが塔の外で事件を起こす事が、今まであまり無かった事でもある。しかも大概、事件を起こすのは低いレベルの魔術師であったからだ。今回の爆発を起こせるほどの魔術師が野放しになっているとは考えにくい。

「しかし、魔法使いが街中で魔法を放つか?」
「連中が塔を吹き飛ばしたのならともかく、街中と言うのは考えにくいのじゃが、確かに魔法じゃった」
「精霊魔法でも神聖魔法でもなく古代語魔法か……しかも高レベルだと! いったいどうなっているんだ」
「西の塔に聞いてみれば良いではないか?」
「それはすでに、打診をしている……が、該当者は存在していないそうだ」
「それを鵜呑みにしておるのか?」
「まさか、調べさせているさ。だが報告でも該当者はいなかった。まったく同じ顔の双子なんかいないんだとさ!」

 双子の魔術師……しかも高齢ではなく、幼いともいえるような子どもが2人。そんな子どもが塔から出てきて街中で魔法を使って爆破だと……魔術師ってやつは、基本的に金持ちの子供か、才能があるやつしかなれん。しかも塔の中では衣食住は保証されている。研究費だって、かなり出ているはずだ。碌でもない真似さえしなければ、多少贅沢をしながらでも生きていける。そんな連中が金目当てでも復讐でもなく、無差別に爆破なんぞ、するか?

「魔術師ではないかもしれんのじゃ」
「塔以外で魔術が学べるか?」
「……あきは、ラッセンディルから学んでおるのじゃ、同じように学んでいる者がおっても不思議ではあるまい?」
「それほどの高レベルになるとは思わんがな? まあいい調べてみよう」

 ロパートはそう言うと部屋を出ようとする。その背にコーデリアの声が聞こえた。

「わらわも追うのじゃ!」

 振り返ったロパートにコーデリアは言う。コーデリアの眼は冷たい光を湛えている。
 それを見たロパートは背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。部屋を出てからようやく溜息をついた。







「よう、くたばりぞこない!」
「死んだんじゃなかったのか?」

 ワータイガーのアッシュが爆破の翌日、酒場に来た時には、ラルースの店が爆破された話で持ち切りになっていた。念のためにミアはベットに寝かせてある。顔見知りのバーテンたちが声を掛けてくる。周囲にいた連中も興味深げにカウンターに座ったアッシュを見ていた。

「ありがたい女神の癒しのおかげで助かったのさ」
「そいつも聞いたよ。えらくお人好しの神官に助けて貰ったんだって?」
「……神官じゃなかったらしい」
「おいおい。どういうことだよ? 神聖魔法を使ったんだろ? 神官じゃねえか」

 あの後で、助かったアッシュはコルデリア大神殿にお礼を言う為に出向いた。しかしそんな神官はいない。と言われ、首を振りつつ酒場にやってきたのだった。
 ……ありゃ、確かに女神コルデリアの神聖魔法だった。

「ああ、その話で妙な事を聞いたぜ」

 バーテンがカウンターから身を乗り出す。

「なんだ?」
「おめえらを助けた女が気を失った後でな、ターレンハイムの馬車がやって来て、連れて行ったらしい」
「ターレンハイム? どっちだ? ロパートか、それとも親父の方か?」
「そこまでは分からねえが、ターレンハイムのお屋敷に入っていったそうだ」
「ターレンハイムっていや、ドラゴンの子どもを見かけたって話も聞いたぜ」

 いったいどうなってんだ? アッシュは訳が分からなくなっていた。神聖魔法を使う神官じゃない女に、爆破事件……。頭が痛くなっていた。

「よお、時化た面してるじゃねえか!」

 新しく店に顔を見せた、顔なじみの傭兵が口を開く。そのままアッシュの肩を叩くと、どかっと隣の席に座る。

「けっ、ルーベルじゃないか、なんしにきた?」
「儲け話だよ、儲け話! 盗賊ギルドが犯人に賞金を掛けたそうだ。金貨1000枚だってよ」
「「金貨1000枚!」」

 周りで聞いていた連中が騒ぎだす。中には剣を持って店を飛び出していく奴もいた。

「……あいつ顔知らねえだろ? どうする気だ?」
「馬鹿はほっとけ!」
「それで? おれになんの用だ?」
「―――お前だけだろ、顔を知ってんのは」

 ルーベルがアッシュの肩を叩き、双子の行方を捜す計画を持ちかけていく。周りにいた傭兵たちも話に加わりだした。
 彼らが話をしているさなか、酒場に男が飛び込んできた。

「おい。今度はエスターの店が爆破された!」







 エスターの店はファブリスの外周近くにある。
 店の周りには関所を通ってやってくる荷馬車を置く為に広いスペースが設けられ、客の大部分は行商人だ。関所の騎士たちが遣ってくる事もあるが、大概は別の場所に行ってしまう。
 爆破された店の前でロパートと騎士団の隊長が話をしていた。集まった野次馬は騎士団の騎士たちによって遠ざけられている。

「情報があるのか?」
「店員が1人生き残っていた……死に掛けてるがね」
「そうか」
「で、概要はこうだ――――」

 まず、そいつらが、店にやってきた。青みがかった真っ白な髪をしていたそうだ。貴族のご令嬢が着ていそうな真っ黒の喪服みたいなドレスを着ていたそうだ。でだ……。『お嬢ちゃんたち、店に何か用かい』そう、エスターが聞いたそうだ。そこで双子は、西の塔の紋章を出して、こう言った。『わたしたち、人を待っているの』とな、そん時、お前に連絡するか、俺達に連絡してりゃ死なずに済んだんだが、そうはならなかった。
 それからしばらくして西の塔の導師をやってるジュスト・ド・ダストール男爵がやってきた。こいつは西の塔で植物系の研究をしていたらしく、出入りしてる商人に変わった種を注文する事が多かったそうだ。魔術師にしちゃあ珍しく行動派だったようだな。
 ダストール男爵に双子が寄って、『おじさん、遊びましょ』と言ったんだそうだ。
 それから、双子の男の方が、斧で男爵の腕を切り落とした。女の方は、魔法を唱えていた。それであとは、ドカン! さ。
 ここからが肝心なんだが、男爵は死ぬ間際に『ホムンクルス』と言い残した。

「『ホムンクルス』か……」
「そうだ。そいつに関しちゃあ、西の塔に確認したよ。『ホムンクルス』を専門に研究しているのは、ジルベール・ド・ブランヴィルだそうだ」
「そうか……」





 ラッセンディルは、ジルベール先輩の研究ノートを持ったまま、工房を逃げ出していた。
 あの工房に居たくない。痛切に感じたからである。飛び込んだ居酒屋でワインを頼むと一気に飲み始めた。1本、2本と飲んでも一向に酔いが回ってこない。握った拳を噛みながら考えていた。だが、4本目になると流石に、酔いつぶれ椅子に座ったまま眠ってしまった。
 朝になった。居酒屋は一晩中営業をしていたらしく、酔いつぶれた客がテーブルにちらほらと見えている。
 ラッセンディルは逃げ出したい気持ちを抑えて、工房へと戻っていった。
 中に入ると、血の匂いが工房の中に立ち込めている。慌てて拷問部屋を覗くと、椅子にはジルベールが座らされ拷問を受けていたらしくボロボロになって息絶えていた。
 部屋を飛び出し玄関で吐いた。吐き続けて、もう出す物が無くなっても吐く。ゲェーゲェーと吐いていると、騎士団が現れラッセンディルは保護された。

「おい。ここで何があったんだ」
「ジルベールが『ホムンクルス』に感情を与えたのさ……こいつに書かれてある」

 ロパートに引き渡されたラッセンディルは、研究ノートを片手に持って問いかけに答えていく。

 ―――分かってみれば、大した話じゃない。感情を与えられた『ホムンクルス』に拷問を手伝わせていたんだ。最初は嫌がったらしいが、自分たちが拷問に掛けられてからは、しぶしぶと手伝い始めた。いやいやながら拷問を手伝っていくうちに、ジルベールが喜ぶような殺し方や拷問を覚えていった。そうして次第に慣れていき、最後には拷問や殺しを楽しむようになっていった。
 その頃になってようやくジルベールは、手伝わせていた『ホムンクルス』を閉じ込めたのさ。だが逃げ出して、今度は自分たちの楽しみとして殺しをやる様になった。

「だが、拷問されて殺されたのはジルベールだけだぞ?」
「この部屋で出来なかった殺し方は、爆殺だけさ。だから爆殺なんだ。それに飽きれば違う殺し方をするようになるだろうさ」

 ロパートは椅子に座らされているジルベールに眼をやる。
 血塗れで息絶えているジルベールの顔は、引き攣っていて苦悶の表情を浮かべていた。

「自業自得と言うか……いや、逃げ出した『ホムンクルス』はなぜ、あの店を選んだんだ?」
「それは……ジルベールの愚痴からだろう。ラルースの店にしろ、エスターの店にしろ、かつてはジルベールの行きつけだった。だが、西の塔から追い出されかかっていたジルベールには、行きにくくなっていたんだ。昨日、散々愚痴を聞かされたよ」
「ダストール男爵は?」
「『ホムンクルス』の研究を手伝っていた事があったらしい。拷問の方をな……」
「……そうか」

 ロパートは、話を聞き終わった後、それだけ言うと部屋を出て行った。
 胸糞の悪くなるような話だった。馬鹿が自滅するだけならともかく、イカレタ殺人鬼を残しやがって! 椅子か何かを蹴り飛ばしてやりたくなったが、なんとか堪え、配下に命令を下した。

「怪物退治だ。街中に網を張れ!」







 夜になった。
 空は黒い雲に覆われ雪が降り始めている。

 わたしはは降り続く雪の中、ターレンハイム家の庭でレイピアを振っていた。コーデリアもタルコットもいないし……暇になっちゃったからね。エステルと2人で庭を散歩していたのだけど、広すぎて歩くのが疲れてしまう。それからエステルの背中に乗って空から庭を眺めたりもしていた。で、今はレイピアを振っている。
 庭に備えられたテーブルには、紅茶のポットが置かれている。その傍には火が焚かれ、その上にヤカンと鍋が掛けられていた。エステル用のカップなんかないから、鍋でお茶を飲むのだ! しかもこれで2杯目なのさ。バケツ3杯分の水が鍋に入っている。
 鍋の中にお茶の葉っぱを布に入れて煮出している……。

「あき、あき、誰かこっちに来てるよ。血の匂いがする」
「血の匂い?」

 振り返ったその先に、昨日の女の子が立っていた。
 昨日見た大きな剣を抱えている。

「今晩は」
「今晩は」
「お姉さん、会いに来たの」
「わたしに?」
「そう、昨日会ったよね?」
「うん。会ったね」
「お話しようよ」
「じゃあ、テーブルに座って待ってて、お茶を入れてあげるから」
「うん、いいよ」

 女の子は素直にテーブルに備え付けられている椅子に座って待っていた。エステルは怯えて近づこうとしない。ポットにお湯を入れて紅茶を蒸らしてから、女の子の前に置いたカップに注いでいく。エステル用にも鍋の紅茶を地面に置いておいた。エステルは紅茶が熱いのか? ふうふう息を吹きかけている、息で鍋自体が揺れているのを見て、女の子と2人で少し笑う。

 女の子とは、取りとめの無い話をしている。昨日食べたケーキがおいしかった事、一緒にいた男の子がいじわるな事、可愛がっていた小鳥が死んで悲しかった……など、どうしてあんな事をしたのか、聞きたかったが聞けば、彼女は逃げ出してしまうだろうと分かってしまうから、言えなかった。
 
 雪が空から落ちている。きらきらと明かりを反射して銀色に輝いていた。
 女の子が雪を見上げながら言う。

「ねえ、お姉さん。わたしね、雪を見るのは初めてなの」
「そうなんだ」
「春に生まれて……しばらくはお外にも出してもらえたけど……そのあとは、ずーっと部屋の中に閉じ込められて来る日も来る日も部屋の中にいたの」
「部屋の中で何をしていたの?」
「――――拷問」
「……拷問?」
「そう、生まれてくる兄弟たちを、毎日拷問していたの。わたしね、上手だって、褒められたのよ」
「上手なんだ?」
「うん。あの子より上手なの。あの子は泣いてばかりだったけど……わたしは平気よ」
「あの子って、男の子?」
「そう、でも男の子なんだから、1人でも出来る様にならないといけないの」

 女の子はお姉さんぶって、あれやこれやと男の子の事を言う。でもその表情に男の子に対する好意が滲んでいるのは、わたしにも分かる。

「あの男の子の事が好きなんだ?」
「そ、そんな事はないわ! ただあの子は泣き虫で、わたしがいないとすぐに泣いちゃうから心配なだけよ。うん、そうよ」
「じゃあ、今頃、泣いてるかもね?」
「う~ん。でもでも、男の子は泣いちゃ駄目なのよ。ちゃんと1人でもできないと」
「男の子は何をしているのかな?」
「拷問をしに行っているの」
「誰を?」
「ラッセンディル」
「どうして?」

 その名前が出た瞬間、血の気が引いた。額から汗が滲んでいるのが分かった。
 女の子は、にっこりと笑う。その笑顔がたまらなく怖かった。

「わたしたちはね、ずーっと聞かされて続けてきたの。マスターが彼の愚痴を言っているのをね。そうそう、こうも言ってたわ。あいつを殺したくなる時もあるって」
「マスターって、誰?」
「ジルベール・ド・ブランヴィル。わたしたちに拷問のやり方を教えてくれた人」
「……ジルベール・ド・ブランヴィル」

 その名を口にした。会った事もない人だったけど……どうしてラッセンディルを殺したがるのか、分からない。ラッセンディルってちょっとおたくっぽい、変質者とか言われてしまうような魔術師なのに? すけべなだけで殺されそうになるぐらい恨まれているなんて? 女性に殴り殺されるならともかく、拷問なんてされるほどじゃないと思うんだけど……。

「そろそろ、お姉さんも殺しちゃうね」
「どうして?」
「羨ましかったんだって、死ぬ間際にマスターが言ったのよ。でもそれが、お姉さんだったなんてね」

 女の子は大きな剣を抜いた。
 エステルは驚いて上空へと逃げる。わたしはレイピアを抜くと後ろに下がった。
 ぶんっと切り裂く音を出して、振り抜かれる。テーブルが破壊され粉々に吹き飛ばされた。離れていても風圧を感じる。

 ……迂闊に近づけないね。

 そう思いつつ、女の子の動きを見つめる。
 振り回されながら近づいてくる剣をレイピアで受け流して、女の子の隙を窺う。一合、二合と打ち合い。その度に剣と剣が擦れ、火花が散る。さすがドワーフの剣だよ、普通なら折れてる。心の中でドワーフに感謝していた。




 その頃、男の子の方は盗賊ギルドと賞金を稼ぐ為に街中に散らばっていた傭兵たちに追われていた。
 ラッセンディルは工房から出た後、広場の噴水の前に立っている。昼間はここでサーカスが行われていたが陽も落ちた今は、人気もない。なぜ、ここを選んだのか、ラッセンディル自身よく分かってはいなかったが、待っていれば……向こうから現れるだろうとそんな気がしていた。空を見上げると雪が降っている。

 がさっと、音がして男の子が姿を見せた。
 それを見て、ああやっぱりな。とそう思っただけだった。

「フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵だね」
「―――そうだ」
「時間がないから、遊べないけど仕方が無いよね」

 斧を振りかざし、走り寄る男の子の腕をラッセンディルは『ブレイド』で切り飛ばした。男の子は切り飛ばされた自分の腕を見つめて呆然としている。
 フリッツ・フォン・ラッセンディルは、黙ったまま男の子を見ていた。
 もう片方の腕で斧を投げつけようとした男の子の足をさらに切り飛ばす。男の子は体勢を崩し、石畳の上に倒れこんだ。

「名前はなんと言うんだ?」
「な、名前……?」

 何を言われているのか良く分からないといった表情で、倒れ伏した男の子はラッセンディルを見つめた。

「名前をつけてもらったろ? 思い出せ」
「ははは……よく思い出せないよ」
「そうか……お前の名は、アロイスだ。女の子は、クローディア。それがお前たちの名だ」
「そうだったかな?」
「そうだ。墓にはそう刻んでやる」
「……アロイス……クローデリア……思い出した……うっうっう……」
「泣くな。泣き虫はクローディアに嫌われるぞ」
「はははは……そうだね。泣き虫は嫌われるんだ……会いたいな」

 そうして―――アロイスは死んだ。
 ラッセンディルはやりきれない思いを抱いたまま空を見上げている。




 女の子の動きが速くなっていく。
 それに連れて、剣の速度も速まる。

 くそぅ……段々ついていけなくなってきた。何でこんなに速いんだ? 避けるのが、辛くなってきたどうしよう?

 辛うじてかわしながら、劣勢を挽回する方法を考える。周囲に眼をやる余裕が無い。
 レイピアが弾かれ、女の子の剣が振り上げられた、その時一瞬、女の子の動作が止まった。

「―――アロイス?」
「えっ?」

 女の子が呆然とした表情を浮かべる。
 その表情に驚いているわたしの背後から矢が通り抜けた。

 ――――音もなく女の子の胸に矢が―――突き刺さった。

 そのまま女の子は仰向けに倒れていく。その時、ようやく……どさっと音がした。
 後ろを振り向けば、ルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵が弓を構えて立っていた。

「お姉さん……クローディアよ」
「えっ?」
「わたしの名……思い出したの」
「クローディア」
「そう」
「わたしは、あき。香月あき」
「……あき」
「そうだよ、クローディア」

 彼女は、クローディアは死んだ。こんなにも簡単に……死んでしまった。
 もう女神の祈りも届かない。空には雪が降っている。降り続く雪はクローディアの上に降り積もり、黒いドレスを白く染めていく。
 わたしは空を見上げて涙が出てきた。


 翌朝、ラッセンディルが帰って来た。
 両腕に冷たくなった男の子を抱きかかえて……。雪の中に埋もれているクローディアを見ると男の子をその隣りに寝かせた。
 コーデリアとタルコット、ロパートさんにルパート、ルドルフさんも並んでラッセンディルを見ていた。エステルは空から見ていた。
 ラッセンディルは、しばらく2人を見つめ、それから私の方を見る。

「アロイスだ」
「男の子の名前?」
「そうだ。アロイスとクローディアだ。……祈ってやってくれないか?」

 わたしは2人の傍に跪くと祈った。女神の聖句も知らないけど……それでもこの子達が救われるように祈る。


 こうして、ファブリスの爆破事件は幕を下ろした。

 ロパートさんの掛けた賞金は、わたしとラッセンディルの2人に渡される事になった。
 ラッセンディルは、賞金でジルベール・ド・ブランヴィルさんの墓を建てた。わたしはあの子達のお墓を建てて、一緒にお墓の中に入れてあげた。破壊されていた他の『ホムンクルス』にも建ててお墓に入れる。
 お墓に花束を供えていたら、ラッセンディルがやってきて二人とも、まだ1歳にもなっていなかった事を教えてくれる。それを聞いて、クローディアが『雪を見るのは初めてなの』と言っていたのを思い出して、涙が出てきた。
 コーデリアとタルコットの2人に支えられながら、二人のお墓から立ち去っていく。



 その後、しばらくしてからの事だった。ラッセンディルがルパートに話しているのを聞いた。
 2人は同じ材料から創り出された『ホムンクルス』だから、感情や感覚も魔術的に繋がる事がある。それは破壊された他の『ホムンクルス』にも同じ事が言える。あの子達は他の『ホムンクルス』を拷問に掛けながら、自分たちも拷問に掛かっているようなものだと言っていた。

「…………だから、壊れない方がおかしいんだ」

 そう言うラッセンディルの声は哀しそうだった。窓の外には雪が降っている。降り続く雪はファブリスの街を白く染め上げていた。
 アデリーヌやカーライル村でも雪はふっているのかもしれない。



[12791] 第22話 「ルリタニアへ行こう 晩餐会の夜 サド侯爵? 生命の腕輪」
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Date: 2009/11/11 12:06

 第22話 「ルリタニアへ行こう 晩餐会の夜 サド侯爵? 生命の腕輪」



 双子の『ホムンクルス』を探してアッシュとミアは、とある居酒屋に入って待ち続けていた。

「本当にここに来ると思うのかい?」
「仕方ないだろ、他の店は盗賊ギルドに押さえられちまったんだからな」
「あたしゃ、来ないと思うね、賭けたっていいよ」

 ワーキャットのミアは手のひらで金貨を弄びながら、アッシュに言う。ミアの自信たっぷりな物言いにアッシュは首を振りつつ聞いてみる。

「なんで、そう思うんだ?」
「爆破のあった時さ……あんたはうつ伏せになってあたしを庇ってくれてたろ?」
「ああそうだったかな」
 
 アッシュは照れくさそうに視線を逸らす。そんなアッシュに苦笑いを浮かべ、ミアは話し出した。

「そん時に、あたしは見たんだよ。あの聖女様があたしらを助けてくれていたところをさ」
「……聖女様? 誰だそれは?」
「あんたも恩知らずな男だね~。あんとき神聖魔法を使って、死に掛けていたあたしらを助けてくれた女の子の事さ」
「そんな神官はいないって言われたぜ」
「だったら、なおさら聖女様だよ。神官でもないのに、神聖魔法を使えるし、今時は神官だって、コネと大金を払わないと治しちゃくれないんだよ。それなのに見ず知らずのあたしらを只で、気を失うぐらい力を使って助けてくれるなんて……」
「確かにそうかもしれんな……」
「今度会えたらちゃんと、お礼を言わなきゃ」

 ミアはそう言うと、テーブルに顔をつけて眠ろうとする。アッシュは慌ててミアの背を揺さぶりながら起こそうとしていた。

「おいおい。それでどうして、この店に来ないって分かるんだよ!」
「……だからさ。次に狙うんならこんな店じゃなくて、あたしゃ聖女様だと思うよ」
「聖女が狙われている?」
「あたしらの事は噂になってたじゃないか? 連中の耳にも入っているだろうさ」
「連中、ターレンハイム家に向かっているのか?」
「だからもう、終わりさ。ターレンハイム家に押し入って、生きて出て来れるとは思わないね」
「そうか……そうだよな、終わりか」

 アッシュもテーブルに顔を埋めて眠ってしまった。







 ルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵。
 ルリタニア王国でもっとも広大な領地を持つ王国内でも、最大級の大貴族である。妻とは死に別れてしまったが、3男1女に恵まれ、娘は伯爵家に嫁いでいる。侯爵は、只1人だけの娘エリザベートをたいそう可愛がっていた。その娘が嫁いでから……。むさ苦しい息子たちを屋敷から追い出してはみたものの、屋敷内は一際寂しいものになっていた。

「それで、どうしてこうなるんですか?」

 わたしは侯爵に沢山のドレスを押し付けられて、頭を抱えていた。ルパートもロパートさんも笑っているだけで頼りにならない。コーデリアもタルコットもドレスを前にして喜んでいる。ラッセンディルに至ってはとうの昔に逃げ去っていた。

「まあそう言うなや。数年ぶりにターレンハイム家で晩餐会を開くちゅうんや! うちらは花の代わりやな」
「おとなしく花を演じておればいいのじゃ」
「あんたらはいいよ。でも……社交界だの晩餐会なんて言われても、どうしたらいいのかなんて分からない」
「笑って立っとき」
「向こうの方が気を使うのじゃ」

 メイドさんたちが数人がかりでやってきて、上から下まで着替えさせられしまった。うっ、コルセットがキツイ……。
 髪の毛にもくるくるとたくさん巻き毛を作られる。その後は、化粧に手袋に扇子にと、メイドさんたちに次々と渡されたり、メイドさんの間を行き来したりと、目が回りそう。そうしてでき上がった自分の姿が鏡に映し出される。真っ白なドレス? ウエディングドレスじゃねえのか? しかもなに? この胸元の開き具合は! 肩まででてるぜ! 胸元は青い宝石と紅い宝石で飾られて、首からは青い宝石の周りをダイヤモンドで囲まれた大きなネックレスを下げて、手首にはドワーフさんに貰ったブレスレットを填めていた。
 ……このネックレスっていくらぐらいするんだろう? こんなのを首に掛けていたら肩が凝りそうだ。ちらっとコーデリアとタルコットの方を見た。コーデリアは淡いピンクっぽいドレスに同じくピンクの羽飾りのついた帽子を被っていた。小学生ぐらいの女の子のピアノ発表会みたいだ。近所の女の子がそんな格好で行った事を思い出す。
 タルコットは濃い緑色のドレスを着ている。普段は気にならなかったけど……こうしてみると胸が無いのがはっきりと分かってしまう。あっ、じろっと睨まれてしまった。

「エスコート役はどうなっているのかね?」

 ようやく準備が終わったわたし達の元に侯爵たちがやってきた。侯爵は金モールの入った白を基調とした色鮮やかな衣装を身に着けている。タキシードじゃないんだね。ルパートやロパートさんも一緒だ。二人とも着飾っている。しかしルパートのくるくる巻き毛には笑える。侯爵って片目にモノクルを掛けて金の細い鎖を垂らしている。髭をピンと尖らせているのは何か塗っているのだろうか? 髪型はオールバックだし、アイロンのしっかり掛かった服装をしている。ロパートさんはワイルドな感じだし、ルパートは女性ぽい格好だから、どちらにも似てないんだよね……。

「エスコート役って?」
「舞踏会に1人で出席する訳にはいかんから、男女一組で出ていくんや、その際に相手やな」
「みんなで一緒に行けばいいじゃないか?」
「そういう訳にはいかんのや」

 コーデリアたちは、話し合っていた。わたしは蚊帳の外でぼんやりと見ているだけだ。
 その結果、わたしと侯爵。コーデリアとルパート。タルコットとロパートさんに決まった。決まったときには侯爵なんかは、

「エスコート役は、娘が嫁いで行ってからというもの、やっておらんかったな」

 と言ってなんだか嬉しそうだ。
 それからまだ集まるまでには、時間があるからみんなで2階の窓から招待客が来るのを見ていた。
 日も暮れかかった夕暮れの道を馬車が何十台も列を成してやってくるのを見ている。……大名行列? そんな感想を持った。ターレンハイム家の屋敷の傍には高い時計台の上に鐘が取り付けられていて、鐘の音で時刻を教えている。

 招待客が大広間に集まってきたと言うので、わたし達も降りていく。玄関に向かって大広間の2階から真っ直ぐにおりる階段の上にやってくる、招待客たちが一斉にわたし達の方を見上げてきた。
 大広間は明かりがたくさんつけられており、まるで昼間のように明るかった。こうしてみて、分かったんだけど……壁とか柱は金箔で飾られている? 明かりに照らされた金箔がキラキラ赤っぽく輝いている。
 
 煌びやかなドレスで着飾った女性たちと同じく着飾った男たち……。うーん。いわゆる上流階級というやつですか? そうですか? こうして上から見ると、貴族のお姫様といっても美人は少ないね……。なんでかな?

「心配しなくてもいい。エスコートはしよう。任せておきなさい」
「ありがとうございます。お願いします」

 紅い絨毯が敷かれた階段を侯爵と腕を組んで降りていく。大広間に降り立つ、たちまちにして貴族たちに囲まれた!
 コーデリアは隅に行ってしまった。
 タルコットは女性たちと話をしている。
 わたしは逃げられない! どうしよう?

「ターレンハイム侯爵。そちらの女性を紹介して頂けますかな」
「はっはっは。ポルタルス伯爵、こちらはあき、と申す娘でしてな。私のお気に入りです」
「おお、侯爵の……」

 侯爵がそう言った。聞き耳を立てていたらしい貴族たちがとたんに目の色を変える。うわー。肉食獣の眼だ。こわー。『笑って立っとき』というタルコットの教えを信じて……にこやかに笑いつつ、逃げ出すタイミングを探しているわたしであった。でも侯爵がさりげなく断ってくれてたりするから、任せておこう。侯爵を矢面に立たせて、わたしは後ろでこそこそっと隠れていよう。
 あそこにいるのが、ヴァルテル子爵、あちらがアンドレ男爵、向こうがフラオー伯爵……などなど何人もの貴族を紹介されていく。全員が独身の貴族である。ダンスに誘われるが、踊れないので笑いつつ断っている。
 疲れる。周りを見渡すと女の人たちはにこやかにしながら踊っていたり、話をしたりしていた。よく疲れないよね?




「いやー。あきも大変やな?」
「うむ。侯爵家のお姫様か後妻みたいに見えるからの」
「コーデリア、変わってやった方がよかったんやないか?」
「侯爵も嬉々としてエスコートしておるから、そういう訳にもいかんじゃろ」
「あの辺の女連中がぎらぎらした眼であきを睨んでるで」
「カラマン伯爵夫人、モリアン男爵夫人、ダルマシー伯爵夫人じゃな?」

 2人はちらちらとあきの様子を窺っている3人の女性の動きを見張っている。彼女らにはそれぞれ娘がおり、自分の娘を侯爵家に嫁がせようと画策していたのだった。そこへぽっとあらわれた娘……侯爵にエスコートされるのが当然と言った顔で、笑っている娘と彼女らは思っていた。もっとも、あきの内心を知れば、より脅威に感じたかもしれない。なにせ侯爵には夫人がいないのだから……。
 
 遠くから見ているだけでも、あきが侯爵にどれほど気に入られているのか解る。着ているドレス、身に着けている宝石……特に胸元を飾るのは侯爵家の秘宝の品である。かつて侯爵夫人が舞踏会で身に着けていた事をこの場にいる貴族たちは知っていた。
 知らないのはもしかすると……あきだけだった。この突然現れた侯爵家の秘宝を身に着けた娘の存在に侯爵家の財産を狙う貴族たちは警戒を強めていた。

 
 

 さて、お楽しみの食事だよ。他の人達からも逃げられるし……そう思っていました。
 わたしの席は、侯爵の隣りです。一番上座? 注目の的? なぜわたしはこんな席にいるんだろうか? 人生の不条理を噛み締めていた。テーブルの上には銀の食器や花が飾られている。ワイングラスが光を反射してきらきらと輝いていた。光に負けまいと着飾った女性たちも席に座ってにこやかに笑顔を振りまいている。ただ時折こっちを見る目つきが射抜くようで結構怖いぞ。

「きのこと貝のかにソースでございます」

 みんなに見られながらの食事が始まった。
 ほっき貝ぽいのとしめじぽいのにわたりがにかな? かにソースを掛けた物だった。おいしいんだけど……みんなが見てる。特にアンドレ男爵! 獲物を見るような眼はやめろ! ヴァルテル子爵はにやにや笑うな!

「おいしいかね?」
「ええとても……」

 侯爵が気を使っていてくれるのはありがたいんだけど、周りの視線が……痛いよ。タルコットなんか気楽にぱくぱく食べてるし、コーデリアも同じようなものだった、のになんで? わたしだけー!

「舌平目のファルシィでございます」

 持って来てくれたのは、執事さん? テーブルに皿を置く時にさりげなく『フォローはしますからご安心を』と言ってくれた。
 フォークとナイフで切り分けて食べる。お酒は飲まないようにして、とにかくボロを出さないようにしよう! バターソースがキツイ。

「野鳥のゼリー寄せでございます」

 ゼリー寄せ? でも砕けているんだけど? ゼリーを固めてから砕いたような物がでてきた……スプーンで掬って食べるのかな? 掬って口に恐る恐る入れた。口の中でとろりと溶ける感じ? スープ代わりなのかー。結構おいしかった。お皿を下げに来たフットマンにそう言ったら、『コックに伝えておきます』とにこりと笑って去っていく。

「ビヘモス牛のローストでございます」

 これはロードの街で食べたことがある。うん。でも小さいよ? 豪快にかぶりつくんじゃないの? 周りを見てもちゃんと切り分けて食べてる。ソースも掛かっているし……ちまちま切り分けて食べたけどさ。かぶりついた方がおいしいよ?

「どうしたのかね?」
「ビヘモス牛はかぶりついた方がおいしいですよ」
「おおそうかね。わたしも昔はかぶりついたものだが、いかんせん年かな? もう豪快には食べられんよ」
「そんな事は無いと思いますよ」

 侯爵はそう言いながらも、上品に切り分けて口に運ぶ。こうして見ると育ちがいい人なんだと思う。ルパートもロパートも育ちは良いはずなのに……どこか窮屈そうだ。貴族の女性たちもちまちま食べていた。がぶっと豪快に食べたいなー。

「ベリーのソルべでございます」

 やた。きた! デザート! なんだかこれだけが楽しみって感じだよ。スプーンで軽くすくって口に含む。冷たい氷が口の中で溶けていく。凍りついたベリーのしゃりしゃりとした食感が、おいしい。暖かい部屋で食べるアイスは冬の楽しみだったりする。部屋が寒いと悲惨だけどね……。
 
 食事が終わり、みんな部屋を変わっていく。男たちが数人、喫煙室に向かっていった。きっと葉巻でも吸うんだろう。わたしは応接間に行くか書斎に行くか迷ってしまった。
 書斎にはルパートとラッセンディルがいるだろうし、応接間はコーデリアたちがいるけど女の人たちも多いし。ロパートさんは喫煙室に行っちゃった。どこへ行こうかな?

 1、書斎
 2、応接間
 3、喫煙室
 こうしてみると選択肢みたいだ。どのルートを通ろう?

「どうしたのかね?」
「どこへ行こうか、迷いまして……」
「おおそうか、では私と応接間に行くとするか?」
「分かりました。では応接間へ」

 選択肢は2だったようだ。
 応接間は半円を描いた部屋だった。一辺がガラス窓で外が見えるようになっている。天井には女神たちの姿が描かれている。広い部屋のあちこちに置かれた椅子やソファーには女性達がそれぞれ集まっておしゃべりをしている。
 部屋に入ると中にいた人達が注目してくる。視線が痛い。勘弁してくれ……。

「あき、こちらにくるとよいのじゃ」

 近寄ってきたコーデリアに誘われて、タルコットが待っている一角へと足を向けた。侯爵はなんだか偉そうな貴族と話をしている。
 ソファーに座ってコーデリアたちと話をしていたら、モリアン男爵夫人という人が近づいてきた。

「ここよろしくて?」
「かまわぬのじゃ」
「かまへんで」
「……ええどうぞ」

 モリアン男爵夫人はコーデリアたちの言葉に眼を白黒させて驚く。わたしたちは3人とも貴族じゃないもんな、そりゃあ驚くだろうさ。それでも気を取り直したのか、モリアン男爵夫人はコーデリアやわたし達に話しかけてきた。
 どこの生まれだとか、ご両親はどちらに? とかいくつも質問をしてきたけど、その度にコーデリアとタルコットが答えていた。それによくとわたしは、ヘンルーダの森の生まれで、エルフのヤツェク様やドワーフのモレルさんに可愛がられていたのが、コーデリアの元に修行に出されている事になっている。その上、エルこと、エルンスト・ルリタニア――――プリンス・オブ・オンブリアの名前が出てくるに至って、モリアン男爵夫人は眼を見開いて驚いていた。
 話がドラゴンのエステルのことに及び、さらにドワーフさんに貰ったブレスレットを見たいと言うので見せてあげたら……。

「失礼しますわ」

 と言って慌てて逃げ出すように他の貴族の女性たちの下へと立ち去っていく。
 ……なんだったんだ? コーデリアたちは、にやにや笑ってるし? ついでに貰ったレイピアも見せたかったのに……。
 モリアン男爵夫人が立ち去った後……周囲から刺す様な視線がきつくなったような気がする?

 ふいに入り口の方が騒がしくなった。貴族の人たちが入り口を注目していた。

「プリンス・オブ・オンブリア――――エルンスト・ルリタニア様のおな――り―――!」
「げっ!」

 エルの姿を見た瞬間、わたしは呆然と口を開いたままでぼーっとしてしまった。隣りにはアデーレさんも一緒にいる。
 侯爵が先頭に立って挨拶をしていた。その周りには貴族の女性達が群がっている。

「わたし達も挨拶に行った方がいいのかな?」
「そうじゃな……一応公式な場じゃ」
「しゃあないな~」

 3人とも溜息をついて立ち上がり、エルの元へと向かう。
 群がっている貴族の人波をすり抜け、エルの前に立った。エルがわたし達に気付いて抱きついてきた。

「あきー! ここにいたんだ?」
「ちょ、ちょっと、エル! 離して!」
「嫌だもんね。僕が交渉しているうちにヘンルーダの森に行っちゃったんだから」
「……エルンスト王子は、この女性をご存知なのでしょうか?」

 わたしがエルを引き剥がそうと必死になっているのに、空気を読まない貴族がエルに話しかけてくる。エルは抱きついたまま、話しかけてきた貴族を睨む。

「そうだ。ご存知だ。……あっそうそう、あきはぼくのお気に入りだから手を出したら許さないよ」
「め、滅相もありませんとも」

 貴族の男は額の汗をハンカチで拭う。抱きつかれたままにわたしを侯爵が助けてくれた。けど……エルと侯爵の間で取り合いになってしまっている。

「ターレンハイム侯爵、その手を離したまえ」
「王子様こそ、どうぞお手をお離しください」
「あきはぼくのものだよ」
「あきは娘のようなものですから、私のものです」
「わたしはわたしのものです!」

 あーどっかで同じような事があったような気がするなー。アデーレさんはコーデリアたちと楽しそうに話をしている。薄情者ー! 見捨てる気かー! タルコットの眼が語っていた。『あきらめ』と……。
 周囲に貴族が引いてる。応接間の一角で取り合っている侯爵と王子を中心として輪が出来ていた。こんな輪の中に入りたくないな。痛切にそう思っていた。現実は厳しいです。誰も助けてくれません。
 なんとか自力で引き離したわたしはコーデリアの背後に隠れた。

 

 その後は、ぐだぐだになって晩餐会はお開きになった。
 貴族さんたちの何人かは屋敷に泊まるらしい。エルも泊まると言っていた。わたしとコーデリアは一旦部屋に戻り、着替える事にする。そうして着替えてから再び、応接間に戻ったら、カラマン伯爵夫人、モリアン男爵夫人、ダルマシー伯爵夫人の3人が固まって話をしていた。
 他にもいくつかのグループが出来ていて話をしているようだ。
 
 カラマン伯爵夫人は、伯爵家の未亡人らしく家族は娘が1人だけいるそうだ。大柄な美人で黒いドレスを派手に着飾っていた。コーデリアが言うには、浪費をしすぎて内情は火の車だそうだ。

 ダルマシー伯爵夫人も同じような感じらしい。娘の嫁ぎ先を心配していると言っていた。娘さんというのが派手好きで何度か婚約をしていたそうだが、結局相手から断られるそうだ。カラマン伯爵夫人ほどじゃないけど、この人も派手めの美人かな? どっちかというとホステスさんぽい。
 で、その理由というのが、婚約先が家計を心配してのことらしい。あんな浪費癖のある嫁はいらん! という訳だそうだ。

 モリアン男爵夫人は、私たちのところへ話しをしに来た人だった。この人も浪費癖があるらしい。旦那の男爵は王宮の倉を管理する役目についているそうだけど、領地からの収入だけではやっていけなくなっている……これはロパートさんから聞いた。ブランド物を買い漁るおばさんっていった感じの人だ。

 貴族と言っても内情は厳しいらしい。それでも平民から比べたらかなり贅沢な暮らしはできるそうなんだけど、後先考えずに使いまくる人はかなりいるそうだ……こうして没落貴族というものが出来るとラッセンディルが言った。あーそういえば、ラッセンディルも没落貴族だって言ったっけ?
 3人ともかなり酔っていて、メイドさんに当たっている。

「あれ、何とかした方がいいんじゃないか?」

 そう言ったら、執事のアンリさんが、『あんなもなー右から左です」と言って気にしていないようでした。
 そういえば、侯爵とエルとアデーレは? って聞いたら……用事でしょうと言っていた。どこにいるのかなーと思って部屋を出て探そうとしたら、執事さんが慌てて止めに来た。

「行っちゃあいけません!」
「どうして?」
「……侯爵様もお忙しいお方ですし、エルンスト王子とお越しになられたのですから、政治的なお話があるのです」
「あーそうかー。エルフとの交渉もあったしね。邪魔しちゃ悪いよね」
「左様で御座いますとも、はい」

 探すのを止めると執事さんがほっとしたような顔でにこやかに笑い、紅茶はいかがですか? とカップに注いでくれる。
 紅茶を飲みながら、わたし達は執事さんも交えておしゃべりをしていた。










 その頃、ターレンハイム家の地下の一室では女たちの嬌声が響いていた。時折、鞭を振るう音が聞こえている。
 あられもない格好で吊り上げられた女たちは侯爵の振るう鞭によって、引き裂かれた衣装から覗く肌が紅く染まっている。

「おお、この苦悶と羞恥の表情がたまらなく良いものです」
「流石は、ターレンハイム侯爵家だ。素晴らしい女たちがいますね」
「いやいや、エルンスト王子の女たちも中々良いものです」

 3人は楽しそうに女たちを責めていた。

「同好の士に会えて幸いですな」
「そうですねー」








 わたし達は大広間から書斎へと場所を移した。あのおばさん3人組がわたし達に絡んできそうになったからだった。書斎の中には一面の壁に本が納められている。
 『禁断の薬』『無名祭祀』『精霊変化』『賢者の石』『エリキシル』『錬金術の旅人』『楽園の喪失』など、他にもいっぱい錬金術の本が並べられていた。それ以上に魔術の本も納められている。

「ほう。個人の蔵書としてはかなりの物だ。大陸でも上の方だろう」

 ラッセンディルが賞賛の声を上げている。コーデリアも本棚の中から一冊取り出すと読み始める。
 おかげでわたしは急遽、臨時講座を受ける事になった。

「家に帰ったら、いくつかのレシピを試してみるとよいのじゃ」
「何冊か写本させて貰うのもいいかもしれん」
「だったら、あたしたちも手伝ってあげるわ」
「しゃあないな、手伝ったるわ」

 わたし達は、書斎で写本を行う事になってしまう。執事さんがペンと白紙の本をいくつか持ってきてくれた。という訳で、手分けして写本をしている。
 
 どれぐらい経ったのだろうか? わたしはようやく一冊の本を写本し終えた。書斎の窓から塔を眺めると明かりに照らされた時計台が見える、日付は疾うに変わっていた。ドムブルフの時刻の半分すぎ―――およそ2時半ぐらいだった。
 コーデリアたちはもう、2冊目に入っている。わたしが一番遅い。椅子の上で背伸びをする。首を回すとポキッと関節が鳴った。メイドさんがいつの間にかやってきていて、テーブルに紅茶を置いた。

「メイドさんたちって、まだ寝ないの?」
「わたし達は交代で休んでおりますから、お気になさらなくても結構ですよ」
「そうなんだ?」
「はい」

 メイドさんが部屋から出て行った。
 わたしが頑張って2冊目に掛かろうとした時、屋敷の明かりがふっと―――消えた。

「えっ?」

 わたしは顔を上げた。明かりは電気とかじゃないから停電とかありえないのに……? わたしよりも早く異変に気付いたコーデリアたちは部屋のあちこちに散らばっていった。コーデリアが指を唇に当てて『しーっ』というようにわたしに合図を送っている。頷き返して黙って息を凝らしてジッとして待っていた。

 コツコツと廊下を歩く音が聞こえている。
 足音は書斎の前を通り過ぎ、立ち去っていった。

 気配が消えた事を確認したコーデリアたちは廊下に出て周囲を警戒している。ラッセンディルがルパートにこの屋敷には女の幽霊がいるのかと聞いている。
 幽霊の特徴は、長い金髪で白いドレスを着ている線の細い女だそうだ。そしてわたしがつけていたネックレスをつけていたそうだ。

「お母様だわ」
「……今まで出てきたことはなかったぞ?」

 ルパートとロパートの2人が困惑している。わたしは自分の首を擦ってしまった。なんかやだなー。もしかしてわたしがあのネックレスを付けた所為なのかな?
 そう言ったら、ありえん事では無いな。と素で返されて……びくびくしてしまった。

「要するにだ。これであきが、ルパートなりロパートの嫁になる女だったら出てこなかったかもしれんが、そうではなくてしかもエスコートしたのは侯爵だ。今日来ていた貴族も警戒していただろう? もしかすると侯爵の後妻かもしれんと?」
「ああそうじゃったな」
「それで亡くなった公爵夫人も姿を現したというわけなんか?」
「わたし……恨まれてないよね?」

 コーデリアたちが呆れたようにわたしを見た。なんか溜息をつかれた?

「あのな、もしそうやったら、この部屋に出とるわ!」
「そうなのじゃ!」
「いっちゃん危険なんは侯爵や!」
「あたし見に行ってくるわ」
「俺も行こう」

 そう言ってルパートとロパートの2人が走っていった。
 2人が行ってしばらくした頃、大広間の方で悲鳴が上がった!
 わたし達は顔を見合わせると大広間へと向かう。
 そこには、半狂乱になったカラマン伯爵夫人、モリアン男爵夫人、ダルマシー伯爵夫人の3人の姿があった。メイドさんがおろおろとしている。執事さんが、3人を見て首を振りながら頭を抱えている。

「あき、あんた神聖魔法であの3人を正気に戻せんか?」
「やってみる」
「わらわたちが抑えておいてやるのじゃ、ほれ執事も手伝うのじゃ」
「あっ、はい。分かりました」

 みんなに見られながら、女神に祈りを捧げて神聖魔法を引き出していく。案外こういう魔法もあるんだなー。あっそうか修行ってどんな魔法があるのかを知る為にやるのかな?
 しばらくすると3人が正気を取り戻していく。
「ほぉー」と一番深く溜息をついたのは執事さんだった。わたしの手を取って振りながらお礼を言う。なんでだろう?

「ターレンハイム家に招待した貴族のお客様がおかしくなったなどという噂が流れては困りますから……」

 あー。外聞を憚るのね。なんとなく分かるような? これだけ大きい貴族なんだから色々あるんだろうなー? 正気に戻った3人はメイドさんに支えられながら寝室へと連れて行かれた。
 結構、お酒も飲んでいたみたいだから、文句を言ってきたら飲み過ぎたために幻覚を見たのでしょう! と突っぱねるつもりだそうだ。
 寝室に連れて行かれた3人は女の幽霊が! とか騒いでいるらしい。戻ってきたメイドさんが愚痴を零している。応接間でもあの3人がおもらしした為に掃除が大変だとこっちでも愚痴を零していた。結局朝までになんとかしなければ、という事で休んでいたメイドさんも起こして総出で掃除と洗濯をする事になったそうだ。

 わたし達は邪魔にならないように、それぞれ寝室に戻って休む事になった。
 写本を終わらせたかったのに、くっすん。

 寝室で休んでいると、ぼーっとした光が集まって……幽霊が現れた。
 幽霊は部屋の扉の所まで向かうとついて来いとでも言うように手招きをしてくる。なにかな? と思ってついて行くとどんどん先に進んでいき、とうとう庭にまでやってきた。
 庭の一角を指で示す。示された先には時計台がある。幽霊は時計台の中に入っていく。その後を追いかけた。幽霊の後を追って塔を昇っていったら天辺近くの機械室の壁を幽霊は叩いている。

「ここ?」

 そう言うと、幽霊は頷く。

「ここに何かあるのかな?」

 幽霊は自分の腕を示して腕輪を見せてくる。他にも首筋を示してネックレスを見せようとしていた。
 もしかして、この壁の向こうに宝石類が隠されているとか? 宝探し! なんて胸の躍る言葉だろう! わたしが幽霊にお礼を言うと幽霊は消えていった。
 わたしがどこかに隠し扉みたいなものはないかな、と探していたらルパートがやってきた。

「あき? ここで何をしてるの?」
「え~と、幽霊がね、連れてきてくれたんだよ。何かこの向こうに宝物があるみたい」
「宝物?」
「うん。幽霊が自分の腕輪とかネックレスを示してた」
「う~ん。ちょっと下がってなさいな。あたしが見てみるわ」

 ルパートが壁を叩いたりしてどこかに開ける扉が無いか探し始めている。わたしも一緒になって探す。

「見つからないわね」
「そうだね」

 二人して、床に座り込んだ。そうしてぼんやり、壁を眺めていたら、下の方に少し出っ張った煉瓦があった。それを引き出そうとする。ぐらぐらと揺れている煉瓦を何度か引っ張る。
 ぼこっと煉瓦が外れて、その奥に紐があった。

「ルパート、これ」
「引っ張ってみるわ」

 ルパートが引っ張る。壁が奥に嵌ったかと思ったら横にスライドしていく。その奥に小さな部屋があって、部屋の中には沢山の宝石が隠されていた。

「ふわー。すごいねー」
「こんな部屋があったのね……どれくらい昔のものかしら?」

 ルパートが侯爵を呼びに行っている間、わたしは宝石を眺めていた。ダイヤやサファイアやルビー? 他にも金貨も沢山ある。いったいどれくらいの価値があるんだろう? 想像も出来ないくらいだった。
 眺めていたら幽霊がまた現れた。

「今度はなに?」

 幽霊は宝石の山の中から腕輪を1つ指を差して、わたしに示した。取り出してみる。幽霊は右手を示して填めろというような仕草をしていた。填めてみたら今度は、一冊の本を指差している。本のページをぺらぺら捲っている……そのうちの1ページを捲った時、幽霊に指が一箇所を示した。そこを読むと……生命の腕輪? なになに昔、ある魔術師が魔力を付与した腕輪で回復魔法の効果を増加する事が出来る? へーマジックアイテムなのかー。

「これ貰っていいの?」

 そう聞いたら、幽霊は頷いて消えた。
 やがてやってきた侯爵やコーデリア達は、部屋に入って驚いた顔をしている。わたしが読んでいる本を覗き込んでわたしの腕に嵌っている腕輪を見つめて聞いてきた。

「どうしたのかね?」
「うん。幽霊がね。腕輪を示して填めろって、それから本を読めって示したんだよ」
「あきーあんたは、そうほいほい填めるもんやないで!」
「そうじゃ、呪いのたぐいじゃったらどうするんじゃ!」
「ごめんなさい」
「それで、その腕輪はなんなのじゃ?」
「生命の腕輪だって?」
「なになに……ほぉー回復魔法の効果を増加させるんかー」
「……それは、あきにあげよう。亡き妻が君に差し出したものだからな」

 侯爵に本も一緒に渡された。わーい。マジックアイテム貰ったー。
 その後は、侯爵とルパートとロパートさんが、宝石や金貨を数えたり、分類したりしていた。何代か前の侯爵が集めていた物だったらしい。噂ではあると言われていたけど、見つからなかった物だったそうだ。その何代か前の侯爵の所為で一時は、財政が傾いたほどだそうだ。それくらいだから……ここにあるのもどれくらいの価値があるのか分からないらしい。傾いた時に売ろうとしても見つからなかったから、ここ何代かの先祖は苦労したそうだ。侯爵は父親の苦労を語りだした。
 ターレンハイム家が傾くほどの財宝? 頭が痛くなりそう……。
 

 頭が痛くなってきたから、わたしは寝るために寝室へと戻って眠る事にする。もう遅いし……おやすみー。





[12791] 第23話 「ルリタニアへ行こう 古代遺跡へ行こう 初めての冒険」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/12 20:34

 第23話 「ルリタニアへ行こう 古代遺跡へ行こう 初めての冒険」


 翌朝、1人でわたしは食堂で朝ごはんを食べている。
 みんなは時計台の方で一晩中、分類をしているらしい。メイドさんが教えてくれた。

「うまうま」

 朝ごはんにはコックさんが特別にと、フルーツのサラダもついてきた。執事さんがにこやかな顔で紅茶を入れてくれる。食事が終わって優雅に紅茶を飲んでいるとようやくみんなが食堂にやってくる。

「あーきー。あんたは1人だけ優雅に紅茶を飲んでるなー」
「うん?」
「あんた、欲が無いにもほどがあるで?」
「そうなのじゃ、折角財宝を見つけたというのに、腕輪だけで満足するでないわ! もっとハングリーにならんといかんのじゃ!」
「ハングリー?」
「そうじゃ。その為に、お主には冒険に行って貰おうと思うのじゃ!」
「冒険はキツイで!」
「可愛い子には旅をさせろじゃ」

 という訳で……朝食が終わった後、わたしはターレンハイム家の馬車に乗って、冒険者の集まる酒場にやってきた。なんでも酒場の壁に依頼が張り出されて、自分にやれそうな依頼があったら店主に声を掛けて、冒険に出るという仕組みだそうだ。
 
 店主さんにわたしでも出来そうな依頼ってありますか? と聞く。店主さんはわたしをじろりと睨んで『壁を見な』と言った。振り返って店内を見てみる。冒険者の集まる酒場は、ランプで明かりがつけられている。魔法の光じゃないんだ? って店主に聞いたら、いったいどこの金持ちのお屋敷が魔法の光で明かりを取っているんですかい? と返された……。コーデリアの家とかルパートの店なんかは、魔法の明かりなのに?
 フラビア城もそうだったよね、ターレンハイムの家も……。何か注文をしろよと言われて、お酒以外に何かありますかと聞いた。今は冬だからシャーベットが安いんだって? シャーベットとかは夏じゃないの? と言ったら……あんた、どこのお屋敷に奉公してたんだ! と怒られてしまった……へこむ。

「いいかい? シャーベットを作るには氷がいるんだ。それは分かるよな?」
「うん。分かる」
「夏に氷を手に入れようとしたら、山から取ってくるか、冬の間に氷室に詰め込んでおくか、しかないんだ」
「氷の魔法が……」
「魔法使いに氷を作ってもらったら、シャーベット1つの値段は金貨10枚くらいになっちまうよ」
「そうなの?」

 普段はラッセンディルに氷ちょうだいって作って貰ってたから……簡単だと思ってた。

「魔法使いってやつはね! 俺たちみたいなのは相手にしやしないんだ! あんたはおそらく金持ちの貴族のお屋敷に奉公していたんだろうが、普通はそんな生活はしてないんだぜ。その辺を弁えとけよ。こいつは忠告だ。いいな!」
「うん。分かった」

 店主さんに怒られてから、いまや第二の制服のようになってしまったメイド服を着て、ドワーフに貰ったレイピアを腰につけ、生命の腕輪を左手に填めて、右手には籠手をつけ、背中にはたくさんの爆弾や薬を詰め込んだ背負い袋を背負って、羽飾りのついた帽子を被ってわたしは、酒場の壁を眺めていた。

「う~ん。ゴブリン退治? こっちはオーク?」

 ぼんやりと眺めていたら、後ろから声を掛けられた。

「ああー聖女様!」
「えっ?」

 後ろにいたのはワーキャットだった。あれっ? 何処かで見たような……ああラルースの店にいた虎の相方。やっぱりその後ろには虎もいた。

「ほら、覚えていないですか? 助けて貰ったミアです。こっちはアッシュ!」
「アッシュです。その節は助けていただきありがとうございました」
「甘党の虎さんと猫さん?」
「ええ、あたしはワーキャットでこいつはワータイガーです」
「わたしは、香月あきですよ。あきでいいです」

 虎と猫とわたしはテーブルについて、話をしていた。ワータイガーのアッシュは2m以上ありそうな身長だ。体格もすごくいいし、腕なんか丸木みたいだよ。わたしの太ももぐらいあるね。背中は虎らしく黄色と黒の縞々の毛並みをしてるけどお腹は白っぽい毛並みだ。それから本当に虎の頭を首の上に乗せたみたいだった。耳がぴくぴく動くのはかわいいかもしれない。お腹の辺りを蔽うような防具をつけていた。
 ワーキャットのミアはわたしよりも背が高い。顔は人間なんだけど耳がねこ耳だー。髪は短くて黄色と黒が混ざっている。三毛猫? しっぽが話をしているとゆらゆら揺れたり、ピンっと立ったりする。みみとしっぽ以外は人間と変わらないなー。ゴツイ皮製の防具を身に着けていた。背中にはとげとげのついたメイスを背負っている。アッシュは大きなバトルアックスだったよ。
 
 わたしが大神殿で修行するのを断ったと言うとものすごく驚いている。そして錬金術の勉強をしている事も話した。それで冒険に行って来いと言われてやって来た事を言ったら、驚くのを通り越して、呆れていたようだ。
 3人で話していると店主さんが、ベリーのシャーベットを持ってきてくれる。アッシュとミアはエールだった。

「……なあ、あんたメイドだったんだろ? どこから来たんだ?」
「アデリーヌだよ。でもメイドじゃないんだ」
「そうかい? しかしその格好はメイドだよな?」
「一緒にいた人達の趣味で着せられていたんだ。他に服は無いし……仕方ないよ」
「そうか……やけになるなよ。この街だってまっとうに生きようと思えば生きられるさ。じゃあがんばんな!」

 そう言って、店主さんはなぜか、しんみりした顔でカウンターに戻っていった。
 それからは3人で古代遺跡に行ってみようという話になって、店主に言うと店を出た。
 
 古代遺跡はファブリスから3日ぐらいの距離にあるらしい。何でも初代女帝の前から存在しているそうで……いまだに全貌が明らかになっていない場所だとか? 地図を見せてもらった。

 そうしていま、エステルの背中に3人で乗って、遺跡に向かっている。アッシュとミアの2人はドラゴンの背中に乗るのは初めてらしく、少し緊張してた。歩いて3日ならドラゴンなら一日も掛からない。急いで行こー!

 上空から見た、遺跡は石造りの建物みたいなんだけど、半分以上、地面に埋まっているみたいだ。なにかでこじ開けたように崩れかかった場所から出入りしている。入り口近くにある登録所で名前を書いて、確認をしてもらうそうだよ。もし何かあったら、他の人についでに探してもらう為だそうだ。そこでエステルはわたしの友達だから襲わないでね、と言っておく。係の人は驚いていたけど、冒険者たちに連絡しておくと約束してくれた。

 地下2階までは、モンスターは既に掃討されていないらしい。でもそこから先はまだ把握できていないと言ってる。今回の目的は3階を中心に出来れば、4階に下る場所を見つけることだそうだ。入り口を見つけただけでも報奨金が出ると言ってた。見つけたら入り口に自分たちの印を付けて、一旦、戻ってきた方がいいと言ってる。少ない数で降りても全滅するのが関の山だからだ。
 
 エステルには入り口近くで待って貰って、わたし達は中へと入っていく。古代遺跡って言うから、マヤとかアステカみたいなのを想像していたけど実際はビルの地下街みたいだった。表の店舗がある方じゃなくて従業員通路みたいな感じ……?
 地下1階から2階に下りていく途中で、あちこちに罠の痕があった。
 いよいよ3階に下りる。
 降りたところは、左右に道が分かれていた。右手の方は今までにも何回も冒険者たちが、行ったことがあるらしいけど、見つからなくて、今では行く人もあまりいないとか言ってる。

「どっちに行くかい?」
「実はどっちでも同じようなものだと思うしね。あたしはどっちでもいいよ」
「う~ん。右かな~? 右に行こー!」

 という訳で、右の道へ向かう。てくてくと歩いている。途中でアッシュとミアが冒険者らしい人達と挨拶を交わしていた。こうやって顔を売っておく事で、何かあった時に気付いて貰えたり、助けて貰える事が多いらしい。誰だって知らない奴は見捨てても、知っている奴ならお互い様という気になるんだそうだ。特にこういった古代遺跡では顕著に現れるらしい。そうやって挨拶を交わしながら、いくつか角を曲がって来た事がない辺りにやってきた。そして目の前に扉が現れた。虎のアッシュが素早く近づいて中の様子を探る。

「中には誰もいないようだ」
「じゃあ入ろうー」

 そう言って扉を開ける。
 虎と猫が後からついてくる。部屋もやっぱり、石造りで斜めに傾いている。かなり広い部屋だった。なんとかバランスを取りながら周囲を見渡す。なんにもないね。目の前には歪んだ扉がある。あれ開くのかなー?

「あーあれね? アッシュ、開きそう?」
「何とか開きそうだ」

 アッシュは扉を強引に開けようとしている。ミアもアッシュの後ろに立って警戒をしていた。わたしも警戒していたんだけど扉が開いても誰もいなかった。
 中に入ると4方に扉がある。1つは私たちが入ってきた扉で目の前と左右に扉がある。ここもかなり広い。どっちから行こうかな?

「あたしは右から行こうと思うよ」
「俺はどっちでもいい」
「わたしもー」
「じゃあ右だね」

 右の扉を開ける。
 中には、ゴブリンが5匹もいた。アッシュが扉を開けたまま後ろに下がる。ゴブリンは右の部屋から真ん中の部屋へと出て来ようとしている。そこへアッシュとミアがそれぞれバトルアックスととげとげの一杯ついたメイスで攻撃をしている。
 わたしも攻撃しなきゃと考えていたら、頭の中に神聖魔法が浮かんできた。
 少し離れた所から扉の真ん中を狙って出てこようとしているゴブリンに魔法を放つ!

「フォース!」

 伸ばした両手から光の球が飛び出してゴブリンに当たる。当たったゴブリンはその場に倒れて動かなくなってしまった。

「すごい! あき……神聖魔法って凄いね」
「ああ、あんまり神官もこういう冒険にはなかなか出てこないから分からなかったが……凄いもんだ」

 でも2人は2匹づつ倒したのにわたしは、1匹だけー。

 部屋の中は、台所? 食器棚とか竈とかがあった。引き出しとか開けてみても何にも入ってない。考えてみれば台所だもんねー。なくて当たり前か。と、思っていたら竈の近くに錆びていない包丁があった。……あれっ?

「アッシュ? これ錆びてないよね?」

 アッシュとミアに包丁を見せてみた。

「ああ、錆びてないな?」
「魔法が掛かっているみたいだね。一応持って帰って鑑定してもらおう。でも魔法の包丁とはねー。あたしゃ驚きだよ」

 右の部屋で見つけたアイテム、魔法の包丁ゲット!
 今度は左の扉を開けてみる。
 扉を開けた瞬間、ミアにガスが絡みついた。

「ミストだ!」
「ミスト?」
「ガス状のトラップだ! 倒す方法は風で吹き飛ばしたらいいんだが……」
「爆弾じゃ駄目?」
「爆風か! あるのか?」
「爆弾は持ってる」

 背負い袋の中から『ボム』を取り出した。『ボム』をミアの近くで爆発させてガスを吹き飛ばした。

「げほげほ……えらい目にあったよ」
「吹き飛ばされたら死んじゃうのかな?」
「ああ、あいつらはトラップの一種だから、生物じゃないんだ」
「纏わりつかれたら、窒息しちまうんだよ」

 ミアは、げほげほと息をしているので、神聖魔法のヒーリングを掛けて休ませておく。部屋にはわたしとアッシュが入った。部屋の半分は抉れていて地面がむき出しになっている。テーブルの向こうで何か、動いた。

「下がれ!」

 アッシュがバトルアックスを構えて、警戒している。動いていたものが姿を現す。……骸骨? 骸骨が動いてこっちにきたー!

「くそ! スケルトンウォーリアだ」
「強いのかな?」
「結構、強い! 気をつけろよ」
「うん!」

 骨だけならレイピアじゃすり抜けてしまうかな? でもやってみよう!
 レイピアを構えた。
 やってきた骨は剣と楯を構えている。

「なまいきなー」
「何を言ってるんだ?」

 わたしは骨にレイピアを振って叩きつけるように攻撃をする。ぐらっと揺れた。けどそれだけ、効いてない!
 アッシュがバトルアックスで骨を攻撃する。骨の楯に弾かれた!

「ええい! こうなったら!」

 『ボム』を骨に投げつけた!
 骨の足元に転がった『ボム』は骨の足を吹き飛ばす。でも骨は上半身だけで動いてこっちに向かってくる! なんか、こういう怪談を聞いたことがあるような気がする。アッシュがバトルアックスを上から叩きつけて骨を粉々にした。
 他には動いている物はいないようだった。
 部屋の中を探してみる。衣裳部屋の様で衣装棚があった。中を漁る。

「これはネックレスかな?」

 千切れているネックレスを発見。他にも宝石箱発見。中には宝石がたくさんある。ドレスは持って帰った方がいいのかな? アッシュに聞いてみたら、基本的には価値がありそうならなんでも持って帰るそうだ。ドレスとか帽子とか靴とかを集めて、アッシュは風呂敷! に包んでいく。

「アッシュ? 風呂敷ってあるんだね?」
「なにを言ってるんだ? 壊れやすそうなものとか、軽いくせに嵩のある物を包んで持って帰るのには、こいつの方が都合がいいんだ」

 風呂敷を背負ったアッシュが言う。風呂敷を背負った虎……こんなものを見る事になるなんて……。思わず、笑いが込みあがってくる。アッシュは不思議そうな顔を? をしていた。一旦部屋を出て、ミアと合流する。
 ミアは落ち着いたみたいだった。それから今度はまん前の扉を開けた。ミアとわたしは離れた所で警戒していた。
 扉の向こうには岩肌が剥き出しになっている。あー地面が抉れて中にまで溢れているんだな? わたしたちは岩の所まで向かった。すると岩の上からなにかヘンな生き物が落ちてきた。

「こいつは……ヴーアだよ。じめじめとした岩肌になんかに生息しているんだ」

 アッシュはバトルアックスで潰しながら話している。ヴーア? このヘンな生き物は、サッカーボールぐらいの大きさで、まん丸な形をしていて口があるだけで目とか鼻がなかった。でも触覚はあるからそこでえさとかを見つけるんだろうか?

「噛み付かれたら喰われちまうけど、たいして強くも無いし、まあゴブリン以下だね」
「そうなんだ?」

 わたしもレイピアで切りながら話していた。それでも20匹ぐらいいたのを全部退治するにはけっこう時間が掛かったと思う。部屋の中を探していると右手に扉を見つけた。
 アッシュが扉を開ける。中には……おーく? おっきなモンスターが3匹いた。

「オークだ!」
「ちっ! 3匹もやっかいだね」

 わたしは両手に『ボム』を持って後ろに下がる。アッシュとミアも下がってきた。アッシュたちを追うようにしてオークが飛び出してくる。わたしは『ボム』を投げてオークの足止めをする。アッシュがフルスイングでバトルアックスを振るう。ミアもアッシュとは反対方向からフルスイングでオークを殴った。頭を前と後ろから殴られたオークは倒れて動かなくなる。

「あと2匹だ!」
「よし!」
「また、投げるよ!」
「任せたよ!」

 部屋から出てきたオークにまた『ボム』を投げつける『ボム』はオークの足の間で爆発をして……なんというか……金玉を吹き飛ばした! オークは動けなくなった。そこへアッシュが痛そうな顔をしながらバトルアックスで止めを刺した。

「男としちゃあ……同情するぜ」
「あき……狙ったのかい?」
「ううん。全然?」

 残り1匹になったオークはあっさりと倒された。いくらオークでも1匹だけなら脅威じゃない。とアッシュが言ってる。部屋の中には魔法のランプがあった。これは呪文を唱えると光を放つそうだ。他にも銀のナイフもある。みんな纏めて背負い袋に入れた。
 部屋には上へ上がる階段がある。

「昇るかい?」
「ああ、行くさ」
「うん」

 3人で階段を上った。先頭はアッシュ、真ん中がわたしで、後ろがミアの順番だった。
 昇り終えた先は、長い廊下になっていた。アッシュは警戒しながら歩いていく。わたし達も警戒しながらついていく。廊下の先に扉がある。アッシュは今までで一番慎重に扉を開けた。
 中にはゴブリンが2匹いた。アッシュはあっさりと倒した。
 しかし、視界の隅に黒い影が過ぎる。

「いまのは?」
「…………アッシュ!」
「立ち去ったみたいだ。今のうちに部屋を探索して逃げるぞ!」
「なんだったの?」
「ダークエルフだよ!」

 そう言うと、アッシュとミアは急いで部屋を荒らしだした。手当たり次第に引き出しを開けたり、目に付くものは何でも手に取って確かめていた。わたしはテーブルの上に置かれていた本が気になって確かめた。
 ……『古の魔神召喚』、著者はアリステリアとしか書かれてない。他の本は『中毒性の植物』『幻覚と薬』……これって麻薬? やっばー! こんな本が出回ったら……麻薬中毒者が、溢れるぞ! これはないない。背負い袋に入れて持って帰ろう。そしてコーデリアに言って隠してもらおう。
 テーブルの上に置かれている器具には、植物の種やどろりとした黒っぽいタール状の物が入っていた。

「ええい! こんな物はー!」

 燃える粉を入れて燃やした。ざまーみろー。
 アッシュとミアは、とりあえず、部屋を家捜しして売れそうな物を風呂敷や鞄に詰め込んでいた。わたしも銀のへらとか天秤とか金の粒とか、背負い袋に詰め込んでいた。

「よし、逃げるぞ!」
「ああ、いいよ!」
「わかったー」

 3人で、さっさと逃げ出した。入っていた部屋を出て階段を駆け下りているさなかに背後から放たれた光の矢にミアが射抜かれた!
 ミアのお腹から血が溢れている。早くヒーリングを掛けないと死んでしまう。

「ミア! しっかりしろ」
「アッシュ! ミアを背負って早く逃げて!」

 わたしはアッシュにそう言って、階段の上にいるダークエルフに向かって紐に括りつけられている『フラム』を10個、纏めて投げつけた。階段を降りきったわたし達が岩肌の剥き出しになった部屋の隅に身を寄せた瞬間、もの凄い爆風が扉を吹き飛ばして炎を吐き出した。

「あっ! 間違えた……これわたしが作った『ボム』じゃなくて、コーデリア作の『フラム』だったぁー」

 落ち込む暇もなく床に横たえたミアに急いでヒーリングを掛ける。その時、生命の腕輪が反応して神聖魔法はラルースの店の時よりも確かに強く力を発揮していく。しばらくして意識を取り戻したミアがわたし達の顔を見つめながら泣き出す。それを抱きかかえて頭を撫でて慰めているアッシュ。見ているわたしの方が照れくさくなってしまうような光景だった。

 わたしとミアが止めたのに、爆風で吹き飛ばされた階段をアッシュが1人で確認しに行く。階段の上の廊下にダークエルフが黒焦げになって死んでいたそうだ。アッシュはダークエルフの死体を抱えて降りてくる。

「ダークエルフの死体をどうするの?」
「こいつは地上にもって帰る。係の者に確認してもらうとな、賞金が出るんだ」
「そうなんだ?」
「まったく、こいつの所為であたしは、また死に掛けたよ……あきがいてくれてよかったぁ~」

 そう言ってミアがわたしに抱きついてきた。ミアのふさふさとした毛並みを撫でていくと気持ちが良かったよ。

 戦利品とダークエルフの死体を持って、入り口にまで戻る途中で、オークやグールと戦っている所に出くわした。

「不味い! あいつグールに喰われそうだ」

 アッシュは襲われている人を助ける為にグールの背後に、バトルアックスを叩きつける。
 襲われていた男は首筋から血を流していた。そんなに深い傷じゃないけど手当てしないとまずいかも……そう思ったわたしは背負い袋の中からソフィアの傷薬を出して男に塗る。その上から布を巻いて応急処置をしておいた。
 そうして周りを見たら、あっちでもこっちでも傷だらけの人たちがたくさんいた。ミアに傷薬とか他の止血剤を渡して、比較的に傷の浅い人を手当てして貰って、わたしは大怪我をしている人たちに『ヒーリング』を掛けていく。取りあえず、倒れている人たちに掛けたらもの凄く疲れた。
 
 結局、わたしがミアに肩を貸して貰いながら入り口まで大勢の冒険者たちみんなで戻っていく。外に出てみるとすっかり暗くなってた。
 アッシュは、遺跡の中でダークエルフを見た事と黒焦げの死体を係の人に確認してもらっていた。係の人は少し驚いたような顔をして、連絡表に書き込んでいる。それからわたしは、エステルを呼んだ。エステルもアッシュやミアと一緒に野営をする事にして、今日はもう休む事になる。エステルにもたれて横になると風も来ないし、モンスターも寄って来ないだろうと思っていたら……人間が寄ってきた。
 冒険者のお姉さん達がやってきて、私たちと一緒に火を囲んで野営を共にする事になる。

「……あんた、名前は?」
「あきだよ」
「そうかい、あき……助けてくれてありがとうよ。あたしはパイラだ」

 赤い髪の逞しい大柄な体つきの女の戦士が私の隣に座って、礼を言ってくる。腰にはモーニングスターをつけていた。この人のグループは女性だけでやってきているらしい。ここでは結構な稼ぎにはなったけど最後に失敗して死ぬとこだったよ、と豪快に笑っている。その隣で騎士風の女の人が真面目な顔で「笑い事ではありません」と怒っていた。それを見た仲間の女の人たちが笑っている。みんなお酒が強いらしくて一杯飲んでいたよ。わたしもお酒を勧められて飲んだらエールじゃなくてもっとキツイお酒だった。

「う~ん」

 ばたっと酔ってしまい。そのまま寝てしまう。なんだか周りで笑う声が聞こえていたような……? 大勢に冒険者の人達が私たちを囲んで話をしているようだった。

 
 翌日みんなに見送られ、エステルの背中に乗って3人でファブリスの街まで戻ってきた。冒険者の酒場で戦利品を山分けする。驚いた事に魔法の包丁は、西の塔が買い取ることになった。研究するんだって。他にもドレスとか靴とか帽子なんかも西の塔が買い取っていった。金貨8000枚になった。宝石より高いんだよ? 驚くよねー! 宝石とかだけなら金貨で3000枚ぐらいだもん。
 
 それからダークエルフの事を二人に聞く。基本的には肌の色以外はエルフと変わらないらしい。ただかつて一族の長が邪神を信奉して以来、ずーっと邪神の信者が多いんだって、なんという神様って聞いたら、2人ともぶんぶん音が鳴りそうなぐらい首を振って、『口に出しちゃいけないんだよ』と言って教えてくれなかった。その教えというのが、『他人の不幸は蜜の味』とかいって不幸の種をばら撒いていくそうだ。その教えを聞いて……。『世の中に何の楽しみなけれども隣りの騒動これが幸せ』という川柳を思い出した。
 
 わたしが持ってきた本は2人には言わなかった。西の塔に売られたら困るもん。黙ってよ。結局合計で金貨11000枚、1人金貨3666枚だよ。遺跡に入る人が多いはずだよ。でもかなり危険が多くて、今回は『ボム』があったから楽だったけど、普通は魔法とか『ボム』とか神聖魔法はないから、今回だって死んでてもおかしくなかったんだって。それにドラゴンの背中に乗って目的地にも行けないから、日数も掛かるしって言ってた。
 名残惜しいけど2人とは、一旦別れてわたしはターレンハイム家へと戻っていく。
 
 エステルの背中に乗って、ターレンハイム家の庭に着いたら、侯爵がほっとした顔で迎えてくれた。コーデリアとタルコットもいた。屋敷の中に入ると、メイドさんたちが喜んでくれる。はやくお風呂にどうぞ。と言うのをちょっとだけ待って貰って、コーデリア達を呼んで遺跡で見かけたダークエルフの事を話して持って帰って来た本を見せた。

「これは……」
「アリステリアか……厄介な本を書きよったなあ~」
「うむ。確かにこれはわらわが預かろう」
「そうね、それがいいと思うわ」
「まあ、これに関しちゃあ、うちらに任しとき!」
「そうそう、あきは、お風呂に入ってきなさいな」

 本をコーデリアに預けてわたしはお風呂に入りに行く。お風呂にはメイドさんが2人いた。

「あきさま、こちらへどうぞ」
「えっ?」
「お背中を流します」
「自分で出来ますからいいです」
「そんな事を仰らずに、どうぞー」
「い、いやー!」

 わたしはメイドさんに羽交い絞めにされて洗われていく。メイドさんの手や指が色んなところにー! 胸は駄目! そこはもっと駄目ー。
 うっうっ……散々弄ばれてしまうわたしであった。



「あー。あきの悲鳴が聞こえてくるわー」
「おー。そうじゃのー」
「なんで、こうなるんやろなー?」
「なぞじゃのー?」




 一方こちらは、冒険者の溜まり場。
 アッシュとミアが酒を飲みながら話をしていた。

「聖女様って、浮世離れしているねー」
「少し天然ぽいな……」
「心配だねー」
「心配だな……」
「「はぁー」」

 こちらは溜息をついていた。
 その後、古代遺跡の周りでは女神の神聖魔法で助けられたという噂話がしばらくの間持ち切りになっていたそうである。

「で、どれだけぼられたんだ?」
「タダだったそうだ」
「…………うそだろ?」
「そんなお人好しの神官がいるかよ。どうせ夢でも見たんじゃねえか」
「それがマジらしい。しかもドラゴンに乗って帰ったそうだぜ」
「それ、女神さまとかいうオチだろ? ほら死ぬ間際に見るとかいう幻覚ってやつ」
「いや、地下から上がって行く最中にオークとグールの群れに襲われた連中が、助けて貰ったそうだ」
「おれもそんな女神様に会いたいぜ」



 


 こうして、香月あきの初めての冒険は終わった……。



[12791] 第24話 「ルリタニアへ行こう アラン・ド・ベルレアン子爵 仮面舞踏会の怪人」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/14 14:20

 第24話 「ルリタニアへ行こう アラン・ド・ベルレアン子爵 仮面舞踏会の怪人」


 初めての冒険から帰って来た翌日、わたしはターレンハイム家の馬車に乗って侯爵と共にオッペンハイム伯爵夫人の下へと向かっていた。オッペンハイム家はターレンハイム家のヴェロニカ―――今はヴェロニカ・フォン・オッペンハイム伯爵夫人となった侯爵の娘が嫁いでいるのだそうだ。
 侯爵は久しぶりに娘に会えるというので朝から上機嫌だった。わたしはコーデリアやルパートから完全武装で行きなさいとか、そうだわ、これを持っていきなさいと銀のナイフを渡されたりしていたものだから不安で一杯になってしまっていた。とはいえ、伯爵家へ侯爵の供で向かうのだからいつものメイド服という訳にもいかず、メイドさんたちの手によってまた! ドレスを着せられてしまう。今日のドレスは淡いピンクを基調としてひらひらのレースやリボンをふんだんに織り込んだ少女趣味ぽいくせに胸元だけはしっかり開いているという、碌でもないドレスである。いったい誰の趣味なんだろうか? それでも生命の腕輪だけはつけている。無いと困りそうだからね。

 カポカポ軽快に走っていく馬車の中で侯爵は膝の上に置いた小さな小箱を大事そうに撫でている。

「侯爵……それはいったいなんですか?」
「これかね?」

 侯爵は小箱を一撫でしてから私の方に振り向いた。その顔は嬉しそうだ。小箱の中身はというと元々はヴェロニカの母親、つまり侯爵の奥さんが身に着けていた宝石だったらしい。娘が嫁に行く時に渡してやるつもりだったのが渡し損ねたまま忘れていたのを思い出したので渡しに行くんだと……。良いねえ金持ちのお嬢さんは……などと思う。今日この頃のことでありました、まる。
 
 馬車に揺られて貴族たちのタウンハウスの集まる一角へとやってきた。この辺りには何人もの貴族がルリタニア王国首都ファブリスに滞在する際に住む屋敷が集まっているそうだ。
 
 そのうちの1つオッペンハイム邸は怪物庭園、廃園趣味と言われるほど変わった庭を持つ屋敷らしい。わざと鬱蒼とした森を作り上げる為に木々を植え、廃れて廃墟となった感じを出すために計算されて造りだされているそうだ。さらに庭のあちらこちらには怪物たちの石像が置かれているらしい。侯爵が話してくれた。
 しかし現実に怪物とかモンスターがいる世界でわざわざ怪物の石像を置く必要があるのか? ちょっと遺跡の辺りに行けばモンスターは沢山いるし……その被害だって少なくない。にも拘らず、庭園に怪物の石像を置くなんて悪趣味だと思うよ。

 オッペンハイム家の屋敷に着いた。玄関の門はターレンハイム家よりも遥に小さい。馬車が着くと入り口で衛士が門を開ける。門を潜った馬車が鬱蒼とした森の中を進んでいく。ときおり庭のあちこちに石像が見え隠れしていた。
 あれが……オッペンハイム家の怪物趣味なのか? 見え隠れしている石像を眺めながらそんな事を思っていた。
 森を抜け、屋敷が姿をあらわす。屋敷は蔦が絡まり、なんだかホラー映画に出てきそうな雰囲気を醸し出している。屋敷の2階の窓には、こちらを見下ろしている女性の姿がある。もしかしてヴェロニカさんかな?

 屋敷の玄関に馬車が止まる。玄関の前で待っていた執事さんが馬車のドアを開けて、降りようとするわたしの手を手を取って馬車から降りるのを手伝ってくれる。玄関には男の使用人やメイドさんたちがずらりと並んでいた。彼女たちが見守る中を侯爵の後についてわたしは屋敷の中へ入っていく。
 ホールはターレンハイム家よりも狭かったがそれでも、充分すぎるほど広かった。

「お父様!」

 そう言って侯爵に抱きつく女性。この人がヴェロニカさんなのだろう。女性はルパートに似ている、そして結構大柄な女性だった。精密画で見た母親の方が美人かも……? ロパートさんみたいに浅黒い肌にルパートみたいな化粧をしている。長い金髪を上に高く纏め上げて、そこへ髪飾りを沢山つけているもんだから、まるで鳥の巣のようだ。
 ヴェロニカさんはわたしにも気付いたようで、優雅に挨拶をしてくる。こういうところがわたしには真似出来そうに無い育ちの差というものなのかな? ヴェロニカさんの後ろになにやらキザったらしい若い男が控えていた。名前はアラン・ド・ベルレアン子爵というらしい、カルクス王国の貴族でルリタニアへは遊びに来ているベルレアン子爵家の3男だとか言ってた。
 
 ヴェロニカさんの先導で、庭にある東屋でお茶会が開かれたんだけど……ここに来るまでこのアランという奴は、ふらふらと石像の影に隠れてみたり、いきなり現れて驚かせようとしたり、鬱陶しい事この上ない。メイドさんたちがお茶を入れてくれている間も、このキザな若い男は1人ずーっと喋っている。わたしと侯爵は無言でいたけどヴェロニカさんは時折、相槌を打っていた。しかしこんな奴が女にもてると言われても首を捻ってしまうんだが? 
 
 ……ああもう。うるさい! 女じゃあるまいし、ぴーちく囀るんじゃねえ! さっきから聞いてりゃてめえの自慢話ばっかり気持ち良さそうに演説しやがって、誰もてめえの自慢話なんぞ聞きたくも無い。男はもっと寡黙であるべきだ! 剣が得意だぁ! とかほざいていやがるが、お前鏡見ろや。その弱そうな握力で重たい剣を握っていられるのか? それにアーヴィンやアッシュと比べるのは可哀そうだが、下手したらわたしより弱いんじゃなかろうか? あとパイプオルガンの演奏も得意だって自慢してる……けど、パイプオルガンってあるの? 楽器の無い世界っていうのは想像できないけどさ。パイプオルガンだったとは……ピアノじゃないんだ?

 まあオルガンはともかくとして、あんまりムカついたから……一手教えてもらうことにした。ヴェロニカさんにレイピアを用意してもらう。

「女性に剣を向けるのは忍びないのですが……仕方ないですね。お相手しましょう」
「ええ、お相手していただきます」
「はは、お手柔らかにお願いしますよ」
「では行きます」

 レイピアの構え方じゃないんだけど両手に持って正面に構えた。アランは片手で構えている。どう見ても剣を握り慣れていないね……。本気で睨んだら戦う前からアランの目が怯えて視線をふらふらさせている。
 結果はやっぱり碌でもない。突き出してきた剣を弾いたら手から剣が飛んでいった。……あのさ~はあ~。いくら弱いからって言っても限度というのものがあると思う。女の力で払われてしかも一撃で剣を手放すなよ……。これがアーヴィンとかアッシュ相手なら仕方が無いとは思えるけど、わたし相手じゃ情けないぞ! 本当に練習してんのか?
 しかし地面に蹲って落ち込んでいる姿を見て、ちょっとだけ悪いことしたかなって? 気にはなった。

「はは、あき嬢はお強いですね……」
「世の中にはわたしより強い人たちはたくさんいます。子爵ももっと練習するべきです」
「どうすればもっと強くなれますかね?」
「練習するしかありません。それ以外には無いですよ」

 レイピアを返そうとして持ってきてくれた男の使用人さんの姿を探す。そうしたらさっきの人じゃなくて顔に包帯を巻いた男が鞘を持って控えていた。ヴェロニカさんがその人を呼ぶ。

「アルノ」
「はい奥様。こちらに」

 包帯のしたからくぐもった声で返事をしてやってくるアルノさん。アルノさんがわたしとアランの剣を受け取って鞘に収めていく。そうして立ち去ろうとする。その時アランがわざと聞こえるように嫌そうに言った。

「ふん。醜い化物め」
「あ――」
「君、そういう事は言うものではない!」

 わたしが怒る前に侯爵がアランを叱りつけた。肩を竦めて謝罪しているけど……謝るなら侯爵じゃなくてアルノさんにだと思うんだけど? 侯爵もそう思っているらしかったけど、首を振るだけでそれ以上なにも言わなかった。アルノさんも一瞬、立ち止まっただけでそのまま去っていった。
 ヴェロニカさんが侯爵を宥めている。アランは肩を竦めるだけで気にした様子もなく紅茶を啜っていた。

「アルノさんの包帯って怪我でもしているんですか?」
「ええ、そうなのもの凄い火傷なのよ」
「治せないんですか?」
「はっ! 誰が神殿にお金を出すというのです?」
「……神殿に頼むのは彼の給金じゃとても足りないわ」
「う~ん」

 アランが訳が分からないといった表情で首を振りながら手のひらをひらひらさせている。
 ……こいつ嫌いだ! はっきり言ってムカつく。いやこいつの事より、アルノさんの火傷を治してあげよう。
 お茶会が終わって、屋敷に戻った。

「お父様。今日は泊まっていかれるのでしょう」
「ああ、今夜は泊まれそうだよ」
「それではゆっくりとお話ができますわね」

 今夜は仮面舞踏会を開くといって紹介状を出していますの、というヴェロニカさんのお誘いでわたし達も出席することになる。案内された部屋で、仮面舞踏会の始まる時間を待っている間、テーブルの上に置かれているいくつかの仮面を見つめながらわたしは考えていた。どうしたものかなぁ~。なんて言って声を掛けたら良いのか分からないね。

「その火傷を治してあげます。……なにか違うような気がするなー」

 いい言葉が思いつかないまま仮面舞踏会が始まる時間が来たらしい。メイドさんが呼びに来た。わたしは仮面を2つ掴むと部屋を出て行く。それからメイドさんにアルノさんの居場所を聞いた。

「アルノさんはどこにいるんですか?」
「アルノは裏方ですから、音楽室にいるとは思いますが……あの~」
「そうですか、ありがとう」

 わたしはアルノさんを探しに行った。一階のサロンの奥にパイプオルガンがあってその裏で調整をしているアルノさんを見つけた。周りでは楽器を持った男達や踊り子さん達が忙しそうに扇子を片手に楽譜を見たり練習したりしている。でも……踊り子さんの衣装って、きわどいのを通り越してすけすけだよー。いいのかなー? 
 マエストロと呼ばれている初老の男が楽譜を片手にアルノさんと話していた。わたしは話している2人の間にちょっと割り込んでアルノさんに話しかける。
 

「アルノさん、ちょっといいかな?」
「……あき様。私に何か御用でしょうか?」
「うん。そのままじっとしててね」
「あの……」

 わたしはアルノさんの前に立って意識を集中させていく。何事かと踊り子さん達がわたし達の様子を窺っているのが分かった。意識を集中させていると神聖魔法が効果を発しだす。包帯の下だから直接は分からないけどそれでも火傷の痕が治っていくのが感じられる。アルノさんにもそれが分かるのか? 少しづつ包帯を剥がしていった。

「これで終わったよ」
「……ありがとうございます」

 包帯を剥がし終わったアルノさんの顔は、火傷の痕が綺麗に無くなっている。ぺたぺたと自分の顔を触っているアルノさんに踊り子さんが鏡を手渡す。それを見たアルノさんは両手に顔を覆って泣き出した。マエストロさんがもらい泣きをしていた。その周りで踊り子さんも泣きそうになっている。

「……えーっと神官様。ありがとうがざいます。しかしアルノには……その……払うお金がないのですが?」
「わたしは神官じゃないんです。だからお金は要りませんよ」

 マエストロさんがおそるおそるといった感じで話しかけてきたのでそう返しておく。あのアランにムカついたのが行動のキッカケだったしね。それを聞いてほっとしたように溜息をつくマエストロ。それからアルノさんに楽譜を渡して今夜の演奏をするように言っている。
 躊躇っているアルノさんに踊り子さん達も説得していた。

「あのーアルノさんって演奏できるんですか?」
「……はぁ?」

 マエストロさんや踊り子さんが驚いたように声を上げる! その勢いにわたしは思わず、耳を塞いでしまう。

「いや、出来るも何も……アルノは元々オッペンハイム家専属の音楽家として雇われていたんですよ? ご存じなかった?」
「今日初めて来たものですから……知りませんでした。ごめんなさい」

 わたしはぺこりと頭を下げた。マエストロさんが慌ててわたしに顔を上げるようにお願いしてくる。それから火傷をする前はアルノさんが、オッペンハイム家で行われる舞踏会や演奏会で演奏してきた事を話してくれた。

「だいたいですな。アルノがやけどしてから、あの子爵がやってきて演奏をするようになったんですよ」
「……でも、アルノと比べたら下手だけどねぇー」
「まあ口だけだからね。偉そうだけど……」
「すけべだしね。私たちの衣装もあいつの指示だから……」

 踊り子さん達が口々に言い合う。そして開演の時間が来たとかで、急いで用意をし始めた。わたしはマエストロさんに今夜の仮面舞踏会を楽しんでください。最高の演奏をお聞かせします。と言われてマエストロさんとアルノさんそれに踊り子さんや音楽隊に見送られて部屋を出て行った。


 玄関の方に回ったら、侯爵とヴェロニカさんが待っていた。侯爵は来た時のままだったけど……ヴェロニカさんの服装は仮装行列と言おうか、ハロウィンみたいだった。というかお前は大晦日の小○○子か! 美○○一なのか? さそり座の女か! 突っ込みたい。ハリセンがあれば叩いていたかも……? ぐっと堪えていた。
 

 一瞬、屋敷中の明かりが消え……一斉に明かりが灯る。玄関ホールから大広間そして庭にまでパイプオルガンの音が聞こえてきて音楽隊が奏でる曲が流れてきた。玄関ホールの階段の上から踊り子たちが踊りながら降りてくる。
 ホールでは招待客たちがくるくる踊っていた。わたしと侯爵も曲に流されるようにくるくると回っている。招待客の群れは庭にまで出てゆく怪物の石像の周りを仮面を被った男女が踊りながら回っている。庭には明かりが灯され華やかな衣装を纏った女性達が時折、グラスを傾け、笑いあいおしゃべりをしている光景も見受けられる。
 ヴェロニカさんの周りにはたくさんの貴族たちが群がるようにして集まっていてまるで女王のようだ。ホールの階段の上で踊っている踊り子が男に持ち上げられて踊っている。まるでスケートで滑るかのように滑らかで綺麗な動きだ。その周りでも何人かの踊り子が同じように持ち上げられ男の上でポーズを取ったりしていた。
 いつの間にかわたしと侯爵は3階まで吹き抜けになっている玄関ホールの2階廊下から、ホールで踊っている人たちを眺めている。

「あき様。ワインはいかがでしょうか?」
「いただきます」
「私も頂こう」

 銀のお盆にスパーリングワインを載せて、配っていた男の使用人が声を掛けてくる。侯爵とわたしはお盆からフルートのようなワイングラスを受け取る。男は一礼をして立ち去っていった。

「しかしなんだね。君を名指しでサービスするとは、いったいいつの間にここの使用人たちに顔を知られるようになったのかね?」
「さあ、それは……?」

 そう言いつつ、舞踏会が始まる前にアルノさんのところに行ったときのことを侯爵に話す。侯爵は驚いたように目を見張り、それから大声で笑い出した。

「はっはっは、それはそれは……今頃、アランは呆然としているかもしれんな」
「でも、アルノさんって音楽家だったんですか?」
「うん? ああカルクス王国では、少しは知られた男だった。カルクス王国というのは、前の国王が芸術方面に力を入れていてね、一時は大陸中から吟遊詩人たちが集まったものだよ。その中から、楽器などが発達して今のパイプオルガンなどが創り出されていったのだよ」
「へぇー。そうなんですか」
「他にも弦楽器や太鼓、笛などを纏めた音楽隊が設立されて、宮廷を彩っていた。中には名曲、名楽器、名工といわれる物も出来たな……。現在ではカルクス王国の首都カールは音楽の都とも芸術の都などとも呼ばれている」
「ほぉー。すごいですね」
「実はな……前の国王が即位した時にカルクス王国はかなり傾きかけていたんだ。その前の国王の道楽の所為でな、でその借金を返す為に色々と考えていた時に、吟遊詩人の楽器を見て思いついたらしい。ここからが先代国王の凄い所だ。吟遊詩人たちを集めて、欲しい楽器とかあれば言ってみろと持ちかけたそうだ」
「それからどうなったんですか?」
「何度か話しているうちに今のパイプオルガンのアイデアが出てきたそうだ。そこで国王のマクシミリアン・パストゥールはパイプオルガンの研究をさせたのだ。確か20年ほど掛かったらしい。他にも服装や宝飾品なども平行して開発を行っていたそうだが、やはり一番大きく花を咲かせたのは音楽だろう。今では南の塔とは別に王立音楽学校というモノもできている、アルノはその音楽学校の卒業生だよ。カルクス王国にいれば今頃は宮廷音楽家になっていたかもしれん。貴族の道楽息子とはモノが違う」

 なるほどー国家レベルでブランド化を目指したわけね。一度ブランド化すれば才能のある人達がいくらでも集まってくるもんな……。いい手だと思う。侯爵の話を聞きながらわたしはワインを飲んで気分が良くなっていた。すこし酔ったかも? 目の前よりも少し高い位置でシャンデリアが明るく輝いている。音楽が最高潮を迎えようとしていた。踊り子さんたちが汗を掻いて、からだに巻きつけている布が濡れて肌に張り付いている……それを助平そうな目で招待客の男たちが見ていた。仮面を被っているから分からないと思っているのかもしれないが、そういうのは分かるんだよ。
 あ、誰だろう女性が階段の上を舞台にして歌を歌いだした。1人だけ仮面をつけていない。

「コレット・ソシュール嬢だ。ヴェロニカご自慢の歌姫だよ。そしてアルノ・ヴィクスの婚約者でもある」
「へー美人さんですねー」
「うむ。私ももう少し若ければ……」
「じろっ!」
「い、いやなに……やましい事はないぞ。アルノが火傷を負ってからは2人で演奏をする事が無くなってしまっていたが、これからはまた、2人の演奏を聞く事ができるのだな。喜ばしいことだ」
「何でアルノさんは演奏しなくなったんですか?」
「……包帯をぐるぐる巻きにした姿で演奏するわけにもいかなかったのだよ。客は貴族ばかりだしね」
「そういうものですか」

 コレットさんが歌っている。みんな聞きほれているのかさっきまでくるくる回っていた招待客がじっと動かなくなってしまっていた。
 階段の上の通用口に真っ黒な衣装を身につけ、片手には紙の束を持ったデーモンぽい仮面を被った男が姿をあらわす。男はいきなり剣を抜いた。

「お集まりの皆さま、今夜の舞踏会の演奏はいかがでしたでしょうか? 楽しめましたかな?」
「ああいい演奏だ。歌も踊りもいい。素晴らしい演奏だ」

 近くにいたかなり太った貴族の男が答える。その言葉に何人かの人達が頷く。すると真っ黒な男は苛立ったように叫ぶ!

「なんという詰まらない客である事か! このような演奏で満足できるとは」

 そう言って片手に持っていた紙の束を階段に叩きつける。勢いよく叩きつけられた紙の束は階段で散らばっていく。それを見た男は『ふん!』と鼻を鳴らし、剣を振り回しだした。

「あれ、余興じゃないですよね?」
「違うな」
「誰だと思いますか?」
「アランだろう。火傷の治ったアルノと演奏を変えられたものだから自棄になったのかもしれん。危険だな」

 わたしと侯爵は頷き合うと廊下を急いで剣を振り回しているアランのところへと向かった。走っている途中でアランの声が聞こえてくる。

「私に任せていればもっと素晴らしい演奏をお聞かせしたものを! それにコレット! 君もなぜ、私の言う事を聞かないのだ」
「まてー!」
「やめたまえ!」

 剣を振りかざしてコレットさんに襲いかかろうとしているアランをわたしと侯爵がとめようと声を掛ける。剣を振りかざしたままこちらを向いたアランは血走った目でわたし達を睨んでくる。

「……そうか、貴様がか? そうだな……貴様ぐらいしか神聖魔法を使える者はこの場にはいないからな」
「そうだ! わたしが治したんだよ」
「余計な事をー!」

 剣を私に向かって振り下ろしてくるのをかわす。こいつぐらいならかわすのは容易い、でも……攻撃はどうしようか? あ、神聖魔法があったよ。

「フォース!」

 両手の間から光の球がアランに向かって飛ぶ! 光の球を叩きつけられたアランは吹き飛び、階段を転がり落ちていった。あまりの情けなさに涙が出そうだ……。
 侯爵がアランを捕まえ、仮面を剥ぎ取る。周囲から驚きの声が上がった。

「アルノじゃなかったのか?」
「アランだったとは……?」
「では今日の演奏は誰なんだ!」

 招待客の人達が口々に言い合っている。そうこうしているうちにヴェロニカさんがアルノさんを連れてきた。
 アルノさんは階段の隅で縛られているアランと怯えているコレットを見比べ呆然とした顔をしていたけど、コレットさんに近づくと抱き締め怯えるコレットさんを慰めている。
 その周りに集まった貴族たちがアルノさんの火傷が治っている事に気付き、驚いたり喜んだしていた。中でもヴェロニカさんがアルノさんの火傷を治す為に神殿に大金を積んだのでは? と聞かれ返答に困っている。

「娘は神聖魔法の使い手をこの屋敷に呼んでアルノの火傷を治してもらったのです」

 侯爵がそう言ってヴェロニカさんのフォローをする。そんな話はでなかったけど……まあいいや。アルノさんとコレットさんはヴェロニカさんにしきりにお礼を言ってる。

「そして彼女が神聖魔法の使い手であります」

 侯爵はそういうとわたしをヴェロニカさんの隣につれていく。困ったなー。見ている貴族の視線が……なんだか痛いよ?
 ヴェロニカさんの隣に連れてこられたわたしとアルノさんとコレットさんを取り囲んだ貴族たちがダンスやお茶会に誘ってくるようになった。なんでかな? 気が付いたら……わたしはとある貴族とくるくる回っていた。

 その夜はぐったりとして眠ってしまった。
 翌朝、メイドさんに起こされた。食堂に向かうと侯爵とヴェロニカさんが深刻な顔で話をしている。

「どうしたんですか?」
「アラン・ド・ベルレアン子爵が逃げ出したそうだ」
「誰が縄を切ったの?」
「分からん。誰が手引きをしたのかもな……」
「困ったねー」
「ええ困った事ですわ。でもお気をつけになって、貴女が一番狙われそうなのですからね」
「えっ? わたし?」
「……そうだな。狙われるとしたらあきか……」
「うわーやだなー」



 こうして一夜の事件は終わったのだけど……。
 帰ってからこの話をコーデリアにしたら、「じゃから気をつけろ! と言うたであろう」と怒られた。

「まあよいわ。アラン・ド・ベルレアン子爵なんぞという小物など来れば蹴散らしてくれるのじゃ」

 となんとも頼もしい言葉をいうコーデリアとルパートだった。ただ……帰ってきてから送られてくる、この大量の招待状をどうしたらいいものかと侯爵に相談したら、招待状を見るなり「ふむ。独身の貴族がいる家ばかりだな」と笑っている。

「えー」
「ははは、まあ見合いの申し込みと同じようなものだ。嫌ならこちらで断ろう」
「お願いします!」
「しかしこのヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵というのは、中々いい男だと聞くぞ。会ってみてもいいと思うが?」
「お見合いはいやですー」
「そうか残念だな……」

 お見合いはいやだよね? 食事をしてあとは若い2人に任せましょうとか言われて庭に出されたりするんだ……ちがうかな? 女性だけの集まりだとかいっているのもあるけど……これだってどういう事になるか分からないよね? コーデリアとタルコットも一緒に行けばいいかな? 悩むなぁ~。

 

 数日後、アンリ・ド・レグール伯爵夫人に庭先でのお茶会に招かれていたわたしとコーデリア達は集まった女性陣に囲まれて質問攻めに合ってしまっていた。テーブルには冬だと言うのに色とりどりの大きな花束に隠れるように紅茶と色んな焼き菓子がふんだんに置かれてある。お茶会に集まった女性たちはジラルタン伯爵夫人とかシメオン子爵夫人とかセイエール伯爵とかがいた。
 女同士のおしゃべりで付き合っていると話題がオッペンハイム家の仮面舞踏会の話になって、アラン・ド・ベルレアン子爵が行方不明になった事が分かった。

「あまりに情けない醜態を晒したものですから出て来れないのではありませんの?」
「そうかもしれませんわね。でもお聞きになりまして?」
「なにをでしょうか?」
「なにかのー」
「アラン・ド・ベルレアン子爵の事ですけれども、仮面舞踏会の怪人と呼ばれるようになったそうですわ」
「「「仮面舞踏会の怪人?」」」

 わたしとコーデリア、タルコットの声が重なる。……なんとまあー。美化された呼称だなー?

「仮面舞踏会の怪人と言って馬鹿と読むのだと思うのじゃ」
「ああ、なるほど仮面舞踏会の怪人(馬鹿)か……確かにそうかも」
「まあ、あきも気いつけるやで? 馬鹿は怖いからな」
「はーい」

 わたし達が話をしていると庭に誰かが出てきた。その人は細く華奢な体でしなやかに動き、わたし達の元へとやってくる。長く伸ばしたウェーブのかかった金髪と青い目。背はそれほど高くはない。とても綺麗な人だった。

「あら、ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵ではありませんの」
「お招きに預かりました。ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵です」
「えー!」

 わたしは思わず、声を上げてしまい注目を集めてしまった。コーデリアとタルコットは見蕩れている。集まっている女性たちは伯爵に自分の隣の席を盛んに勧めて伯爵を取り合っていた。
 わたしは目を合わせないように俯いて時間が過ぎるのを待っていた。

「あき嬢。貴女にお会いできて光栄です」
「は、はい。こちらこそ。光栄です」
「しかしお誘いしても来て下さらなかったようですが?」
「いえ、こちらにも都合が……」
「ああ、それは失礼をしました。貴女の都合も考えずにお誘いした事をお詫びしましょう」

 そう言って頭を下げるヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵。慌ててわたしも頭を下げる。周囲の女性の目がキツクなったよ。その視線をさらっとかわして、伯爵は出来れば、我が家でもお茶会にも来て頂きたいものです。と言い。わたしが返事を返す前にコーデリアが行く事を約束してしまった……。

 どうしよう? どうなるんだろうか? 厄介な予感がー! ルパート助けてー。
 




[12791] 第25話 「ルリタニアへ行こう ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/15 14:54

 第25話 「ルリタニアへ行こう ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵」


 アンリ・ド・レグール伯爵夫人のお茶会で、ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵と出会ってからというもの……毎日のように届けられる招待状を前にして溜息をつく日々を送っている。

「とりたてて会うのがいや、というわけじゃないんだけど……」

 ここしばらく泊まっているターレンハイム家の一室の、窓辺に置かれているテーブルの前に座りながら、錬金術の調合を繰り返してはいるものの、ふと伯爵の事を考えていたりしている事に気付き頭を振って考えないようにしていた。
 なぜ、こうも気になるのか? ……ゆっくりと考えてみれば、この世界に来てからというものヘンな連中とばかり会っている物だから、どうやらまともそうな人に弱いのかも? と少し後ろ向きに考えに至り、落ち込んだりもしている。

「落ち込んでいても仕方ないんだけどな……」

 出来上がったばかりの『雷竜の球』――これは敵に投げつけると雷撃を放つ――を棚に置きながら一人呟く。いつの間にか棚にはたくさんの爆弾や薬が置かれていた。全て自分が作った物である。現実逃避をしている間にこれほどの量を作ってしまったか、と思いさらに落ち込みそうになった。
 ガラガラと馬車の轍が石畳を通る音が聞こえて、玄関の方を窓から覗いてみる。馬車から降りてくるのは、ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵だった。

「あわわわー」

 思わず、ベットに潜り込み頭からシーツを被って寝たふりをしてしまった。
 廊下を歩いてくる足音が聞こえベットの中でびくびくしてしまう。

「あき様。ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵様がいらっしゃいました。お会い致したいとの事です」
「うーん。うーん」
「どうかされましたか?」
「わ、分かりました。会う。会いますから」
「では、そうお伝え致します」

 ドアの前から立ち去っていく気配を感じ、ベットから飛び起きると急いで身支度をする。鏡を見ながら髪の毛が乱れていないか? なんてやたらと気になったり、ネックレスだのイヤリングだのと、どれにしようかと散々悩んで鏡の前から動けなくなりそう……。
 それでもなんとか支度を終えて、ドアの前で深呼吸をしてからドアを開ける。一階まで廊下を歩いているとなんだか生暖かい視線を感じて辺りを見れば、ぴょこぴょこと顔を隠すメイドさんの姿を見かける。
 ……なにかな?
 壁沿いに作られている螺旋階段を下りてサロンに向かう。サロンのソファーでは侯爵と伯爵が話をしていた。

「ようこそ。ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵さま」
「おお、あき嬢。お会いできて良かった」

 伯爵に声を掛けると伯爵はソファーから立ち上がり、わたしのところまでやってくる。それからわたしの手を取り、侯爵の隣に座らせる。
 えーっと、もしかしてここにはわたし達3人だけ? コーデリアとかは?

「コーデリア達は用があるとかで、出かけていってしまったよ」
「ええ、残念です。彼女たちにもお会いしたかったのですが」
「まあ、その分はあきが相手をしてくれるだろう。ゆっくりしていきたまえ」

 そう言って侯爵はサロンを出て行った。
 ちょ、ちょっと、待って! 二人きりにしないで! そんなわたしの願いを無視するかのように侯爵は一瞬だけ振り向き、にやりと笑って立ち去ってしまった。後に残されるわたしと伯爵……。ううー気まずい。散々招待状を無視してたから、どうしよう?

「あき嬢は私と会うのはお嫌ですか?」
「そういう訳ではないのですが……」
「そうですか? なんだかそわそわしていらっしゃるものですから、嫌われているのかと思っていました」
「……嫌いという訳でもないんです……」

 あうー。なんて言ったら良いんだろう? まともそうですから苦手なんです。とは言えない。
 それから伯爵とおしゃべりをしている。すぐに俯きそうになるわたしは伯爵の顔をまともに見れないでいた。しかしその度に伯爵は声を掛けてわたしは伯爵の声に顔を上げる。絹の手袋を填めた指先を絡ませて動かしながらどうしたものかと悩んでいた。

「おや、もうこんな時間になってしまった」
「えっ?」

 話をしている間に日が暮れそうになっていた。屋敷の時計台から鐘の音が聞こえてきていた。
 伯爵は立ち上がると「では、明日、馬車でどこかへ出かけましょうか?」と笑いながら言う。

「ええ、そうしましょう」

 と返事を返して玄関まで一緒に向かうと馬車に乗り込み去っていく伯爵を見送っていた。
 伯爵が帰るとガクッと落ち込む。もっとうまく話せたら良かったのにー! うわーん。コーデリアに泣きつこうとしても……いないし。タルコットもルパートもラッセンディルもロパートさんもいなくなってるー。がっくり……。エステルー。エステルなら居るだろうと思って庭にある森の中のエステルの場所に駆け込んだら……エステルもいなーい。みんなどこへ行ったのー!
 落ち込んだまま部屋へと戻る。

 部屋に戻ると窓辺の椅子に座った。テーブルの上には錬金術の器具が置かれている。その隣の机には写本済みの本が幾つも重ねて積まれていた。それらを見ながらぼーっとしたり、立ち上がって部屋の中をぐるぐる回ったりと、我ながら何をしているんだろうと思う。
 夕食の際に侯爵に明日の事を話すとにこやかに笑いながら「楽しんできなさい」と言われた。侯爵はにやにやと笑ってる。メイドさんたちもなんだか生暖かい目で見てくるー。なんでー?
 お風呂場ではメイドさんたちに明日はお楽しみですねー。なんてからかわれたりするし……。ほんとどうしよう? 部屋でベットに座りながら錬金術の本を読んではみたものの一向に内容が頭に入ってくれない。
 仕方なく夜風に当たって頭を冷やそうと庭に出てみる。エステルがいない庭は、風がそのまま吹きぬけてくるようでとても寒く感じられる。

「あき様。お休みになれないのでしたら、ワインなどを召し上がってみたらいかがでしょうか?」

 ぼんやりと庭で立っていたら、メイドさんがやってきてそう言った。それもいいかもとお願いして部屋へと戻る。部屋に戻ってしばらくしたらさきほどのメイドさんがワインを持ってきてくれた。注いで貰ったワインを一気に飲み干す。
 けふー。
 メイドさんはそんなわたしを苦笑しつつ見ている。でも少しは眠くなってきたかも……。ベットにぱたんと横になって目を瞑った。メイドさんはいつの間にか部屋を出て行ったらしい。朝まですやすやと眠る。


 翌朝早くに目が覚めた。今日はヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵と馬車に乗ってお出かけである。

「あわわわー」

 思い出してみれば、なんという約束をしてしまったんだろう? どうしようどうしようと悩んでいたらメイドさんの集団が部屋にやってきて、私の着替えのコーディネイトを始める。ドレスは赤っぽい色が良いかとか、どちらかというと淡い色系統がいいのではないか? とかわたしをそっちのけで話が弾んでいる。朝からのお出かけであるから軽い感じのほうがいいのではないか? という意見が出てメイドさんたちはドレスを決めたらしい。結局淡いグリーンのドレスに決まった。という訳で、上から下まで着替えさせられる。あのー。いくらなんでもこの下着はどうでしょうか? と言うわたしの意見はあっさりと無視された。「ドレスが軽い感じの色合いなのですから下着は大人っぽくしませんと」だそうだ……。その後はどんな香水が良いかしら? とか、扇子だの日傘だのと帽子だのと、色々と持たされて馬車が来るまでサロンで待つことになった。待っている間にメイドさんが大きなバスケットを持ってきた。

「なにこれ?」
「まあーあき様。これはお2人のご昼食ですわ。色々入っておりますのでご安心を。とのコックからの伝言ですわ」
「えー」
「『えー』では、ありません。せっかく伯爵様がお誘い下さったのですから、ここでポイントを稼いでおきませんと」
「ポイントって……?」
「初めてお2人でお出かけするのですから、好印象を持たれるようにしないといけませんよ」
「そうですわ」
「そうですわ」

 きゃわきゃわと騒ぐメイドさんを嗜める家政婦さんとわたしを励ますメイド長。わたしが知らないうちにわたしと伯爵のお出かけはいつの間にか大事になっていたようだ。
 侯爵は侯爵で式には誰を呼ぶべきかなどと執事さんと相談なんかしている。なんでこんな事に……? 頭を抱えているうちに伯爵が迎えに来た。

「来られましたわ」

 メイドさんの声に胸がドキッとして鼓動が早くなってきた。たぶん顔も赤くなっていると思う。俯いて両手で火照った顔を押さえる。

「おはよう、あき嬢」
「お、おはようございます」

 伯爵に挨拶をされ声が上擦った。侯爵が伯爵ににこやかに挨拶をしていた。本来なら立場が上の人から挨拶をされて流石の伯爵も恐縮しているらしかった。それでもにこやかにわたしの手を取り馬車へと乗せる。

「今日はよろしく頼むよ」
「はい。かしこまりました侯爵様」
「あきも楽しんできなさい」
「はい」

 侯爵とメイドさんに見送られて馬車で出かけていく。後ろを見てみればメイドさんたちがガッツポーズをしていた。はぁーと伯爵に気付かれないように溜息をつく。
 伯爵の馬車は屋根――幌が折りたたみ式になっている社交の低いオープンカーの様な物だった。侯爵家の箱型とは違ったよ。伯爵が自ら手綱を持って馬車を走らせている。ファブリスの街を走っていると見た事のある酒場の前を通り過ぎる。アッシュにミアは元気にしてるかな?

「あき嬢。これから向かう所はすこし遠いですが、景色の良い所ですよ」
「どんなところですか?」

 振り返って言う伯爵に問いかける。伯爵は笑って大きな滝があって、その近くにはヴァルテンブルグ家の別荘があるのだと言う。へー別荘かーさすが貴族は違うねー。……って? 別荘? もしかして2人きりで別荘……? あわわわーどうしよう……?
 馬車を走らせている伯爵の後ろで紅くなったり青くなったりとしているわたしだった。

 ファブリスの街を出て街道を南に進んでいる。冬だというのにこの辺りはそれほど寒くなかった。お日様が明るく地上を照らしている。馬車に揺られながら、そういえば最近、洗濯をしていないな。などと思う。そうこうしている内に少し雪の後が見える森の中に差し掛かる。森の中に作られた道を進むと川が流れている川沿いを馬車でさらに進むと大きな滝が見えてくる。

「うわー。大きな滝!」
「あれが貴女に見せたかったオルフィラの滝です」

 オルフィラの滝は高さが10m、いやもっとありそうな滝だった。滝の上から落ちてくる水はきらきらと陽に当たり輝いていた。滝の中ほどでは小さな虹が浮かんでいる。
 そういえばこんなに近くで滝を見たのは初めてだったかもしれない。わたしははじめて見る滝に圧倒されて言葉を失っていた。

「あき、あき嬢? どうかしましたか?」
「い、いえ初めてこんなに近くで滝を見たものですから驚いてしまっただけです」
「では、初めて滝を見た感想はいかがですか?」
「すごく綺麗だと思います。本当に綺麗です」

 考えてみれば元の世界では、こんなに自然と身近に接するのはあまり無かったような気がする。コンクリートの道に街頭に植えられている木々、森の中に入る事もなかった。そう思えば、こういう景色を見る事が出来るのは楽しい。でも……カーライル村の近くにある森が少し恋しくなった。ユニコーンを送り届ける旅に出てから、もう結構長く家に帰ってないな……。カーライル村の人たちは元気にしてるかな? トマス爺さんの顔も見てないなー。みんなと一緒にいるから寂しいとか感じたりしなかったけど……。

「どうかされましたか?」
「いえ、なんでもないですよ。少しカーライル村にいた頃に近くの森で採取していた事を思い出しただけです」

 わたしは伯爵の問いにそう答えた。ホームシックに掛かりそうとは言いにくいしね。

「……そういえば、あき嬢は錬金術を学んでいたのですね」
「はい。コーデリアに教わっています。ルパートやラッセンディルに魔術も少しだけ」
「その上に神聖魔法の使い手でもある。中々いないものです、そういう方は」
「でも、わたしなんかはまだまだ、全然未熟ですよ」

 なんだか過大評価のような気がする。いくつか教わっているけど今の所は広く浅くだし、器用貧乏にならないように気をつけなければと、常々考えて自戒しているのだ。器用貧乏と言うのは専門職には勝てないしね。

「いえいえ、ご謙遜をアルノを治された事はお聞きしております。実はわたしとコレットは幼い頃に友人付き合いをしていたのです。彼女が悩んでいたのは知っていましたが……アルノの治療費を出すのは伯爵家としても少ない金額ではないのです」

 そういう話は時々聞くのだけど……実際の所はいったいどれくらいかかるんだろう? と不思議だったんだ。

「……そうだったんですか? あのー1つ聞いてもいいですか?」
「わたしに答えられる事でしたら」
「神殿の治療費ってどれくらいかかるんですか?」

 だからそう聞いてみた。すると伯爵は驚いたような顔をして、わたしを見てくる。なにかおかしい事を聞いたかな?

「あき嬢……貴女は神殿で修行をしたのではないのですか?」
「いえ、わたしは神殿で修行をするのを断ったんです。だから神殿の事は分かりません」
「えっ? 神殿での修行を断った?」
「はい。断りました。それがなにか?」

 伯爵が驚いた顔のままわたしににじり寄ってくる。思わず、馬車の後ろの席に逃げてしまう。

「神官になれば、国政に参加する事さえも出来るというのに……? 各国で貴族以上の権勢を振るう事すらあるのに? 断った?」
「はい」
「貴女という人は……なんという無欲なお方なのか。それでいて聖女、いや女神とさえ呼ばれるような事をする」
「聖女? 誰の事ですか?」

 聖女ねえ? どこかで聞いた事があるような気もするけど……どこだったっけ?
 そう言ったら伯爵はさらに驚いたような表情を浮かべ溜息をついた。どうしたのかな? おかしい事を言っちゃったのかな?

「あき嬢……貴女の事です。『ラルースの店』『古代遺跡』を覚えていますか?」
「はい。覚えていますよ、それがなにか?」
「貴女が神聖魔法で死に掛けていた者達を癒した事は、既に色んな所で噂になっております。さすがに貴女の名前までは知られておりませんが、神聖魔法を使える聖女が『ただで』死に掛けた者を癒したという噂が私の耳にも伝わってきております」
「あー『古代遺跡』の時はですね。一緒に遺跡に入った仲間が助け合うのはお互い様だと言ったのですよ。それに『ラルースの店』の時も助けられたのは二人だけですし」

 聖女と言われるほどじゃないよね? ヒーリングで治しただけだし、死人を生き返らしたというのなら聖女と呼ばれても不思議ではないんだけどさ。

「神殿に『ヒーリング』を頼んだ場合、金貨1000枚掛かります。成功しても失敗してもです。金貨1000枚、それは容易く出せるような金額ではないのです」
「ぶっ! 金貨1000枚ー! なにそれ?」

 ぼ、ぼりすぎじゃないか? いくらなんでもただの回復魔法に金貨1000枚とは……あ、そういえばわたしもアビゲイルに『ヒーリング』を掛けてもらった事があったんだ。あとでコーデリアに金貨1000枚返さなくっちゃ! しかしガン治療とか言うのなら分からなくも無いけど……結局、どういう基準で金額を決めているんだろう?

「それに神の声を聞く事が出来る者は大陸中でもそれほど多くは居ないのです」
「えっ? そうなの? 神官はみんな聞こえるんじゃないの?」

 伯爵は首を振って否定をする。なんでも各国にある大神殿と言われる所でも半数以上は聞こえないという。地方の教会では各都市に1人ぐらいで2人いれば多いそうだ。中には使えない神官、司祭しかいない都市もあるという。

「ですから、神の声が聞こえるにも係わらず、神殿での修行を断り、無償で人々を癒すようなお方は、私の知る限りで言えば100年ほど昔の聖女リディアぐらいしか知りません。神殿に所属するとどうしてもしがらみで動きにくくなりますが、名誉は得られます。どちらがいいのかは私にも分かりかねます」
「そんな大げさな……本当はもっといるんじゃないのかな?」
「ええ、もっと昔なら居たかもしれませんが、最後に記録の残っているのが聖女リディアです。それ以外はすでに伝説の彼方です」

 あー。なんというかそんなに神聖魔法を使える人は少ないのかー? だから高いのかな? 安かったら皆来るだろうし、来られても使える人は居ないから困るよね。だからもう少し安い錬金術の薬を買いに来る人が多い訳だ……。なんとなく納得した。

「そうなんだー」

 他に言いようも無いし……どうしたものか。

「あの仮面舞踏会でアルノの火傷を癒したという神聖魔法の使い手として貴女が現れたとき、私は街で噂になっている聖女の事に思い至ったのです」
「あの場にいたんだ……?」
「ええ、私は貴女と踊りましたよ。覚えていらっしゃいませんか?」
「ごめんなさい。あの時はわたしもぼーっとしていましたから、覚えていないんです」
「それは残念です。初めて踊った時から私は貴女が気になっていたのですが……」
「えっ? えー!」

 わたしはわたわたとして困ってしまう。その挙句に「そうだ。昼食を食べませんか?」と言ってしまっていた。伯爵は笑ってそうしましょうか、と言う。滝の傍にシートを引いて、その上に座り、バスケットを開けた。
 バスケットの中はもの凄く豪勢だった。コックさん……これはやりすぎではないでしょうか? 軽く摘めるサンドウィッチみたいなものだったけど中身がローストビーフみたいなものに、魚をフライにしたもの、エビのクリームコロッケ? にトンカツ? にサラダに……カレーパン? カレーパンはわたしがコックの人に教えて作って貰った事があったけど、覚えていてくれたんだ。その他にもクッキーだのケーキだのお肉を焼いたものに、サラダはフルーツだー。でもいいのかなー? こんなにして貰って……? 帰ったらお礼を言いに行こう。
 伯爵も驚いている。そりゃあ驚くよね。お弁当にこんなにたくさんの種類を作るなんて、普通は精々2,3種類だよね? 卵だって安くないんだよ。家で飼っているからと言っても、全員に行き渡るほどじゃないし……。
 でも作ってくれたのだからありがたく頂こうー!

「はい。伯爵もどうぞ」
「では、いただきます」

 こうして滝のそばでの昼食が始まった。
 意外と、と言っていいのか分からないけど伯爵はたくさん食べる。細いからあんまり食べない人かなっと思ったけど、これぐらいなら普通だよね。でもわたしはあんまり食べられないんだよ……なんでか分かんないのだけど、胃が小さくなっちゃったのかな?
 それでももぐもぐとサンドウィッチを食べる。わーい。カツサンド大好き。カレーパンも好き。

「うまうま」
「おいしいですね」
「ほんとうにおいしいです。うまうま」

 ワインをグラスに注いで伯爵に手渡したりとそんな事をしながら、昼食を食べていた。バスケットの中に入っていたワインはザクセン産の赤ワインだった。これも結構良いワインだったと思う。……ターレンハイム家ってお金持ちだよねー。

 昼食の後で伯爵は私の別荘に案内しましょうと言って馬車を走らせた。
 ううー来てしまったか……別荘、どうしよう? 馬車に揺られながら色んな考えが浮かんでくる。わーわー。両手をわたわた振って浮かんでくる妄想をかき消す。うわー心臓がバクバクいってるよ。

 伯爵の別荘はこじんまりとしたコーデリアの家と大して変わらないぐらいの大きさだった。なんとなくほっとする。
 木で出来た玄関を開ける。中から女の子が出てきた。

「お兄様。ようこそ」
「ああ、ヘンリエッテ遊びに来たよ」
「こ、こんにちは、香月あきです」
「……ようこそ。あきさん」

 出迎えてくれた女の子は、え~っと13,4才ぐらいの可愛らしい子だった。伯爵と似てる。長く伸ばした金髪を青いリボンで高く結んでいるポニーテールみたいだ……。でも伯爵に抱きついたりしているのは少し違和感があった。なんでだろう? 不思議ではないと思うんだけど……どうにも違和感を感じてしまう。もしかして嫉妬? えー? そ、そんな事無いよ。うん。そんな事ないない。

 ヘンリエッテちゃんがお茶を入れてくれた。……もの凄く、ものすごーく不味い。うっ! と口を手で押さえた。伯爵の方を見てみれば、おいしそうに飲んでいる? もしかしてわたしにだけ?
 ヘンリエッテちゃんの方を見てみる……うわー。なにあの目? 隠しているけど嫉妬してるのが分かるよ。あーお兄さんを取られるような気がしてるんだねー。仕方ないなー。
 それからも隠れていじわるをされる。なんだか泣いてしまいそう。いくらなんでもいじわるしすぎだよーうっうっ……。

 落ち込みながらカップを棚に直していた。ヘンリエッテちゃんが高い所だから手が届かないって言うものだからわたしが片付ける事になったのだけど、伯爵はヘンリエッテちゃんにしがみ付かれて動けなくなってる。いくらわたしでも高すぎて手が届かないものだから椅子の上に乗ってカップを片付けていたら、椅子がぐらぐらと揺れる。あっあっ、椅子の足がポキッと折れそうになってる。どこからかワインの瓶が転がってきて椅子に当たる。その所為でなんとかバランスを取っていた椅子が倒れてわたしは、落っこちてしまった。

「いたいよー……」

 痛くてしばらく蹲っていたら、ヘンリエッテちゃんが廊下をニヤニヤ笑いながら去っていった。
 ……うわーん。またいじわるされた。くっすん。

「あきさん」
「えっ?」

 後ろから声を掛けられて振り返る。振り返った拍子に肘がヘンリエッテちゃんの顔にまともにガンッとヒットした。そのまま顔面に肘をぶつけられたヘンリエッテちゃんは、そのまま倒れて気を失ってしまう。

「ヘンリエッテ!」
「あわわわー。えーっと、『ヒーリング』」

 伯爵がヘンリエッテちゃんを抱きかかえてベットに寝かせた。わたしは慌てて『ヒーリング』を掛けた。
 目を覚ましたヘンリエッテちゃんに怯えたような目で見られてしまう……へこむー。

 結局、ヘンリエッテちゃんが寝付くまで伯爵がそばについている事になって、わたしは居間で独りぼっち……。もう帰りたい。
 ようやく寝付いたのか伯爵が戻ってきた。そうして帰ることになったのだけど……伯爵はヘンリエッテちゃんを気にしているようだった。それは分かるのだけども、どうしてヘンリエッテちゃんはこの別荘に1人きりでいるんだろう?

「ヘンリエッテは父の愛人だった女性との間に生まれた子どもなんです。普段は使用人がついているのですが今日は、用事であの別荘を離れているんですよ。だから会いに来れた」
「……そうですか、なんだかかわいそうな事をしちゃったかな?」

 そうだよね。めったに会えない兄弟に会えると思って喜んでいたら知らない女が一緒に来たんだもの、いじわるをしたくもなるよね。
 でも……へこんだよー! くっすん。

 ターレンハイム家に戻ってきてからもちょっと落ち込んでしまっていた。メイドさんたちが心配そうに部屋を何度も覗きにやってくる。コーデリアに愚痴を言おうと思ってもみんな、まだ帰ってこない……ううー。コックさんに昼食の事にお礼を言う。コックさんは驚いていたけど、メイド長がフォローをしてくれた。侯爵がやってきて今日は、どうだったのかね。と聞いてくる。それで滝を見た事や伯爵の別荘に行ったことを話すと、侯爵は笑っていた。でも……伯爵の妹の話になると「他所の家のことだからあまり言いたくないのだが……」と話をしてくれる。なんでもただの愛人の子どもだからという理由では、別荘に軟禁されるような事はないらしい。

「どうして?」
「結局な……生まれた子どもがちゃんと育つかどうか分からないからね。本妻の子どもが皆亡くなってしまって愛人の子どもが家を継ぐ事はそう珍しくはないのだよ。使用人にしてもそうだ。愛人の子どもだからと言って邪険にしていれば、もしかするとその子どもが家を継いだ場合、やり返される事もあるからね」
「なるほどー」
「だから、それなりの教育はされる。優秀ならば、さらに高い教育も受けられる。それに女の子なら政略結婚という事もあるし、その時にちゃんと教育していないと……言葉は悪いが価値が低く扱われてしまうのだ」
「そうかー誰だって高く売りたいからね」
「まあ、そういうことだな。という事で軟禁状態の貴族の娘と言うのは、大体のところ本人に問題がある場合が多い。そのヘンリエッテという娘はどういう娘なのか会った事がないから、なんとも言えないが……接する時は気をつけておいたほうがいいね」

 そう言って侯爵は部屋を出て行った。
 わたしは侯爵の言った事を考えながら、ヘンリエッテちゃんの事を思い出していた。よく分からないねー。
 もう寝てしまおう。おやすみなさい。
 



[12791] 第26話 「ルリタニアへ行こう ヘンリエッテと秘密の小部屋 新年の大騒ぎ」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/19 12:46

 第26話 「ルリタニアへ行こう ヘンリエッテと秘密の小部屋 新年の大騒ぎ」


 ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵とその妹のヘンリエッテに会った翌日、コーデリアたちが帰って来た。

「どこへ行ってたの?」
「まあちょっと用事があったのじゃ」
「まあ用事や」
「………ふっ」
「ごめんなさいね」

 コーデリアたちが教えてくれないからエステルに聞きに言った。ターレンハイム家の庭にある小さな森の中にエステルは巣を作っている。わたしが巣に入ると、エステルは気持ち良さそうに眠っていた。

「エステルー」
「むにゃむにゃ……おいしいのー」
「おーい。起きてよー」
「エステルは良い子なのよー。お父さんもあきも浮気者なのー」
「おーい」
「むにゃ?」
「起きた?」

 エステルは口元から涎を垂らして目を前足でごしごしと擦るように動かしている。それからじーっとわたしの方を見ると、慌てて翼を動かして飛ぼうとした。

「エ、エステルはなにも言ってないのよ」
「エステル、待って!」
「あ、あきは伯爵とエッチな事をしていたんでしょ! あきのうわきものー!」
「してないよ! そんな事して無い」
「……じゃあ、エステルと伯爵とどっちがすき?」
「エステルだよー」
「ほんとに?」
「ほんと」

 エステルはばたばたと翼を動かして聞いてくる。じーっと顔をわたしの方に向けて真剣な? 表情をしていた。
 どうしたんだろう? 好きか嫌いかと言われれば、エステルの方が好き。伯爵に対しては、う~ん。どうなんだろう? 好きという訳じゃないんじゃないかな? わたしが答えるとエステルは首を伸ばしてわたしに鼻先を擦りつけて来る。「じゃあ許してあげるのよ」と嬉しそうに言う。
 その後で、どこに行ってたの? と聞いたら……首をぶんぶん振って言えない。言えないのー! と困ったように騒ぐ。風圧でわたしは吹き飛ばされそうになってしまった。緊急避難! 木の影に隠れるように後ろに下がる。わたわたとテンパッているエステルを宥めて落ち着かせるとようやく落ち着いたのか、エステルはしきりに頭を下げて謝ってきた。

「ごめんなさいなのー」
「いいよ、エステルお昼寝の邪魔しちゃったね。後でまた来るからお休みー」
「うん。おやすみなのー」

 エステルがむにゃむにゃと眠るまでそばについていた。こうしてみるとエステルって子どもだよね? お父さんやお母さんと離れて寂しいのかもしれない。眠っているエステルの鱗を撫でながらそんな事を思う。鱗を撫でていたら翼が傷ついてるのに気付いた。
 エステルを起こさないように気をつけながら『ヒーリング』を掛けて治しておく。そうしてもう一度エステルの頭を撫でてから、森の中のエステルの巣を離れて屋敷に戻っていった。それにしてもエステルもどうしたんだろう?

「エステルもまだ幼いからのー。友情と愛情の区別が出来ておらんのじゃ」
「そうなんだ?」
「小さい女の子なんかは仲の良い友達が他の子と遊んでいると嫉妬したりすることもあるわ」
「あきを伯爵に取られたと思っていたのかもしれんのじゃ」
「困ったもんや」
「……ふふ、ドラゴンと人間が女の取り合いか……おもしろい」

 コーデリア達にエステルの事を話したら、そんな感想を言ってくる。でもどこへ行っていたのかは教えてくれない。みんなひどいよー。とぶちぶち言ってたら、タルコットがわたしの肩を叩きながら聞いてくる。

「で、本当のところ自分はヴァルテンブルグ伯爵の事をどう思っているんや?」
「……実は結構、苦手だったりする……なんでか分かんないけど」
「そうね。あたしもなんだか苦手なのよ」
「ルパートもかいな?」
「うむ。ラッセンディルはどうなのじゃ?」
「ふむ。ああいうタイプの男は……どうもな」
「コーデリアやタルコットはどうなの?」
「わらわは……そうじゃの、やはり苦手かもしれぬのじゃ」
「さわやか過ぎて胡散臭く思えるところもあるやんか?」

 結局みんな胡散臭く思っているのね……? そうなんだよね。普通の人だと思えるのになんでだろう? そんな事を思っていたら、コーデリアがぼそっとヘンリエッテちゃんの名前を口にした。その名前にルパート達が反応する。みんながそれぞれ天井を見上げたり、腕を組んで考え込んだりしていた。ラッセンディルが「ゴホン」と咳払いをする声がシンとした部屋の中に響く。

「……普通の人だとは思うんだよね~」
「女垂らしという訳でも無いみたいやねんけどな」
「うーん。名誉欲かしら?」
「あれぐらいやったら、みんな持っとるんやないか?」
「しかしあきを使って自分の名声を高めようとしているのは間違いなかろう」
「確かにそうなのじゃ」
「そんな男にうちのあきは渡せませんからね!」
「……ルパート、小姑かいな……?」

 コーデリア達ががっくりとうな垂れた。その中でルパートが憤慨している。
 そこへ侯爵がやってきた。侯爵は手に手紙を持っていてわたし達に手紙を見せながら言う。

「王宮からの招待状だ。ふむ。王宮で開かれる新年のパーティーの招待状だ。君たちにも出席してほしいと書かれてある。どうするね」

 そう言うと侯爵は私たちを見渡してきた。コーデリアは肩を竦める。ルパート達も肩を竦めて手を振って拒絶を表している。
 どうしたんだろう? 王宮に行くのはいやなのかな?

「あきはどうする?」
「みんなが行きたがらないのでしたら、わたしも行きませんよ」
「……そうか、残念ではあるが断っておこう。新年のパーティーは家でこじんまりとすることにしよう」




 と……いう話がありました…………。

「で! これのどこが! こじんまりとしたパーティーなんでしょうか?」

 ターレンハイム家の庭ではいくつものテーブルが置かれ、花や飾りが盛大に飾られていた。その周りではメイドさんたちが忙しそうに準備に追われている。うわー。ターレンハイム家とわたしじゃ、金銭感覚が違いすぎるー!
 明日は新年である。つまり今日は大晦日! 新大陸暦434年から435年を迎えようとしている。帝国崩壊から旧帝国暦が取りやめとなり、新大陸暦が使われだしてから435年を迎える。
 
 メイドのみんなが忙しそうにしているものだから邪魔するわけにもいかないので、わたしはここのところエステルと遊んでいた。エステルとオルフィラの滝に行ってみたり、アッシュやミアに会いに行ったりとそれなりに楽しくやっていたよ。伯爵とは会わなかったけどさ。
 オルフィラの滝でエステルがシャワーを浴びるように水浴びをしてる。

「冷たくないの?」
「平気だよー」

 エステルがそう言うものだから、わたしは滝の水に触れてみた。……冷たい。凍りそうなほど冷たすぎるー。というか滝の周りには氷が浮かんでるよー。エステルは平気そうだけど見ているだけで体が震えてくる。
 帰りしな、エステルの体は氷のように冷たかった。背中に乗っているわたしは背筋を震わせながら帰る。
 そして今日、新年のパーティーに合わせてエステルも綺麗におめかしする。ラッセンディルに大きな鍋に氷を作って貰ってさらにお湯にして貰う。お湯でエステルの体を洗っているのさ。エステルの上に乗って、たわしでごしごし。

「あきーくすぐったいよー」
「エステル、がまんしてねー」

 たわしでごしごし。そうやって洗っているとタルコットがやってきた。

「おー。エステルも綺麗にして貰ってるやんか」
「うむ。さすがドラゴンだ。こうして見ると綺麗なものだ」
「エステル綺麗?」
「うん。エステル綺麗だよ」
「わーい」

 喜んでいるエステルの頭に花束で編んだ花飾りの帽子を乗せた。うん。会心の出来。タルコットが驚いている。ラッセンディルは驚いて口をぼんやりと開けていた。

「どう?」
「うわー。あき、あんためっちゃ器用やな」
「というか、ドラゴンに花飾りをつけるのはお前ぐらいだろう……」
「エステルは綺麗だもん似合うでしょ」
「あーよう似合うてるわ」
「確かにな……」

 今夜はエステルもパーティーに参加するんだから、お洒落しなきゃねー。
 一旦、わたしも屋敷に帰って着替えようとしていると……やっぱりやってきたメイド集団。

「さー。あき様も着替えましょうねー」
「自分で着替えられます」

 無駄とは思いつつ儚い抵抗を試みる。

「……あき様、酷い……私達の楽しみを奪うなんて……」

 などと泣き崩れるメイドさんたち……。泣きそうな目で睨まれて、泣く泣く着せ替え人形になってしまうわたしであった。最近ではすっかりメイドさんたちも遠慮が無くなってきて、上から下まで着替えさせられてしまう。でも……流石に下着を替えて貰うのは未だに抵抗があるんだけど……「あき様……私達は要らないんですね……よよよー」と泣き出す。うわーん。わたしの方が泣きたいよー。

 

 そうして陽が落ちてターレンハイム家主催のパーティーが始まった。
 侯爵の挨拶は短かった。ほんとーに短かった。「皆さん楽しくいきましょう」だったもんなー。むしろいいのかなーと思うぐらいだった。
 パーティーには、わたし達だけじゃなくてアッシュやミア、それに冒険者のパイラさん達もやってきていた。パイラさんなんかはノリノリで踊ってる。騎士風の女の人が止めようとして怒っていた。この女騎士さんはファーラさんと言うらしい。パイラさんと組んで結構長いと言ってた。ミアは開始早々から、酔っ払ってアッシュに絡んでいる。アッシュはミアに絡まれて困ったような顔をしながらお肉を食べていた。
 でも一番驚きなのは……メイド集団である。
 なにかストレスが溜まっていたのか……中央に置かれているビヘモス牛の丸焼きの前に陣取って、さらにはビールのタルを占領している。

「お酒なくなったー!」
「お肉ちょーだい!」
「アルノさん、なんか弾いてー」
「はいはい」
「コレットさん、デュエットしよー」
「ええ」
「いえーい」

 なんか中央はメイドさんたちの勢いに負けた人達が弾き出されていく修羅場と化している。その中でエステルが踊っていた。

「なんや。エステル踊ってるわ」
「ドラゴンのダンスというものは初めて見るぞ!」
「ドラゴンも踊れるのじゃな?」
「すごいねー」
「負けてられないわね」

 ルパートが対抗して踊りだした!
 あっあっあー! ルパートがアッシュを引きずり出して虎とルパートがワルツを踊っている。ミアがなぜか侯爵と踊っていた。うわー。コックさんが家政婦さんと踊りだした。わたしはコーデリアと踊っている。くるくる回っていたら、いつのまにかパートナーが虎に変わって、さらにタルコットに変わり、とうとうロパートさんと踊っていた。

「あー。目が回るー」

 コーデリアに介抱されていたら、ロパートさんが盗賊ギルドの銀行設立がようやく形になって動き出したと言ってた。やっぱり意見調整が大変だったんだって、ギルド内部は纏まったから今度は商人達を集めて説明するそうだ。今までも個別に説明はしていたらしい。保証の問題はどうするのかとか、利子はどれくらいで利率はどうなるのかとか、色々大変そうだよ。
 アイデアを出すのは簡単でも実際にやるのは難しいよね。でもルリタニア国内はまだ簡単な方だと言ってる。今までの信用がそれなりにあるから商人達もこれからは『銀行』をどうやって利用していくのかを考えているそうだ。それでまず、資金集めというか『預金』集めに走り回っているんだって、今日だってこれから王宮に向かって貴族たちや王様にも説明するそうだ。
 わたしが金貨3000枚を預けておく。と言ったら驚いていた。どこから手に入れたのかって聞かれたから、古代遺跡に潜ったんだよと説明する。そうしたら「あー。部下から報告のあった『古代遺跡の聖女』はあきだったのか」と笑われてしまう。

 侯爵がロパートさんに話しかけてくる。ロパートさんと侯爵がなんだか難しい話をしていたから、わたしはラッセンディルにお願いしてお肉を取ってきて貰う事にした。ラッセンディルとメイドさんの戦いは面白かったよ……。お肉とワインの飛び交う中でエステルが飛んでくるお肉をパクパクと食べていた。
 ラッセンディルが戻ってきてわたし達はみんなでお肉を食べる。コーデリアは両手に持った串を交互に齧りついている。タルコットやラッセンディルも大きく口を開いてがぶっと食べる。お肉に夢中になっていると、侯爵とルパートさんの会話が少し耳に入ってきた。

「まずルリタニア王国に中央銀行を作って……」
「金貨の製造と流通量の調整を担う……」
「他国の中央銀行の権利をターレンハイム家が手に入れる……」

 なんか物騒な事を言っているような気がする? でもそんなことより、目の前のお肉に夢中になってしまう。わーい。ビヘモス牛はおいしいのだー!
 ルパートがワインを持ってやってきた。コーデリアがグラスに注いで貰っていた。タルコットもグラスを差し出してる。あっ、アッシュが凄い! ビールのタルを両手に持って飲んでる。

「エステル、いきまーす! ごー!」

 すごーい。空に向かって炎のブレスを吐いてる。空にはエステルの吐いた炎が高く舞い上がってた。周りではパイラさん達がやんやと囃し立てていた。あっ、ラッセンディルが対抗して空に雷撃を放つ!
 バチバチと音を立てて空へ向かって飛んでいく雷。凄いよねー。わたしそんな芸を持ってないよー。

 そうやってみんなの隠し芸を見ていたら結構遅い時間になって今夜はみんな寝る事になった。アッシュやミアがメイドさんに部屋に案内されていく。パイラさんの一行やアルノさんとコレットさんもだ。他の人たちも案内されていた。メイドさんたちはもう少し飲んでいるらしい。みんなお酒強いよね?



 翌朝、目が覚めたら既にみんな起きていて、お酒を飲んでいる。

「もうー朝からなんてー」
「まあええやん。新年やで!」
「そうそう新年だからね」

 アッシュとパイラさんが仲良くなっていてミアが嫉妬している。それを見たファーラさんがミアさんの味方になってパイラさんを怒っていた。あーあ。でもこれでアッシュとパイラさん達のグループが一緒に遺跡を探索する事になったと言ってた。
 ところでアルノさんとコレットさんのバカップルぶりには驚かされるよ……なんというか、あそこだけ空気が違う……メイドさんたちも近づきにくそうだ。中には羨ましそうにしているメイドさんもいる。

「あ~ん。私も彼氏がほしーい!」
「俺がなってやろうか?」
「あんたはいらない」
「くそーぅ」

 メイドさんに振られたラッセンディルが大袈裟に落ち込んでる振りをしてる。その上メイドさんに抱きつこうとして他のメイドさんに蹴られてた……。コーデリアは既に出来あがっている? 酔っぱらってフラフラしてるよ。
 執事さんもワイン片手にふらふらしてる。コックさんなんかは、朝から庭で「炎の芸術」とか叫びながらお肉をグルグル回してた。酔ってるなー。エステルは庭で大いびきをかいて寝てるし……。それを見たタルコットが苦笑いをしてた。ルパートは一見冷静そうだったけど、目が据わってる。

「あき、ちょっとこっちにいらっしゃいな」
「なに?」
「お嫁になんか行っちゃ駄目よ」
「ええー!」
「ええーってなによ? お嫁に行く気なの?」
「いかん。あきは嫁にはやらんぞ!」
「侯爵も……」

 ルパートと侯爵に絡まれてしまった。酔っ払い2人に絡まれて泣きそうになってしまう。そうしていたらパカパカと馬車の音がする。
 音の方を見てみると、伯爵が……ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵がやってきた。

「新年おめでとう。あき」
「おめでとうございます。伯爵」
「うぬー。家の娘を狙おうとする悪い虫め!」
「侯爵様?」
「侯爵、落ち着いて!」
「ええい。しっし!」
「侯爵様はどうなされたのですか?」
「すいません。酔っているんです……」

 伯爵に謝る。なんかこうしてると侯爵は困った父親のようだ。伯爵は驚いているようだ……酔った侯爵を見たこと無いんだろうなー? でも気を取り直したように話しかけてきた。

「王宮のパーティーに出席されていなかったので、どうなされたのだろうと思ってきてみたのですが……凄い騒ぎになっていますね」
「今日はまだ、マシな方なんです」
「ヘンリエッテも貴女にお会いしたがっておりました」
「ヘンリエッテちゃんが?」

 別荘でいじわるされた事を思い出してしまう……う~ん。怖いよー。

「ええ。ですから連れてきてしまいました」
「ええー!」
「ほらヘンリエッテ、出ておいで」
「はい。お兄様」

 馬車から現れるヘンリエッテちゃん。……この前と同じように目が笑ってない。背後から冷気が吹き付けてくるようだ。馬車から降りるとわたしの傍に寄ってきてボソッと小声で言う。

「お兄様は渡しませんからね」
「…………そういう積もりじゃないんですが」
「では、お兄様に対して恋愛感情はないと?」
「ええ、ないと思います」
「本当ですか?」
「本当です」
「信用して宜しいのですね」
「構いません」

 とわたし達は小声で話し合う。話が終わるとヘンリエッテちゃんは一歩引いて、今度はにこやかな笑顔で挨拶をしてくる。

「お久しぶりですわ。あき様」
「お久しぶりです。ヘンリエッテちゃん」

 そうしてわたし達はにこやかに笑った。伯爵は首を捻っている。侯爵たちは伯爵より私たちの近くに居たために会話が聞こえていたようだ。なぜだか遠巻きに私たちを見ていた。
 その後は打って変わって終始、和やかにわたし達は一緒に過ごしていた。もっとも伯爵を見つめるメイドさんに向ける視線は厳しかったけど……。そうこうしてタルコットがヘンリエッテちゃんにお酒を飲ませてしまう。ヘンリエッテちゃんは伯爵が止めるにもかかわらず、どんどん飲んで最後には一番酔っぱらっていた。

「お兄様には、ヴァルテンブルグ伯爵家の当主としての自覚が欠けていると云わざるを得ませんわ」
「そうかな?」
「ええそうですわ。残念です。ええとても残念ですわ。お兄様にはヴァルテンブルグ伯爵家の秘密の小部屋で調教……もとい。再教育……を受けて貰いますわ」
「えっ……調教♪」
「久しぶりにお兄様を存分に責めてさしあげますわ。ふふっふふふふっはっはははあああああ……」
「い、いい! ヘンリエッテ。その冷たい眼差し、やはり君こそが求めていた本当のご主人様だよ」

 酔っぱらったヘンリエッテちゃんとM男の本性を現した伯爵のテンションにわたしは怯えてしまった。飲ませたタルコットが呆然としている。さらにその周囲では怯えたようにヘンリエッテちゃんを遠巻きに見つめるコーデリアやメイドさんたち。ルパートや侯爵もじっと見ていた。でも侯爵はなぜか、はぁはぁ言ってる。手が小さく振られているんだけど、どうしたの? 伯爵はヘンリエッテちゃんにつま先で顔を踏まれながらも嬉しそうだよー! いやー! 伯爵がM男だったなんてー! なんでー。さわやかそうな人だったのにー。『わんわん』って鳴かないでよ! なにその眼は? 踏んで欲しいって? やだよー。
 そうしてヘンリエッテちゃんに首輪を填められ、鞭でお尻を叩かれながらも嬉しそうに連れ去られていく伯爵だった。

「では、皆様。御機嫌ようー」
「ははは、さようならー」

 呆然と手を振るわたしであった。首輪を着けた伯爵が顔を赤らめて手を振っているけど見ない振り見ない振り……次に会うときはどうなっているのかしら? 考えていたけど、怖い考えになってしまったので、考えるのをやめた。

「さ、さあ飲みなおすでー!」
「ああそうだな。飲もう!」
「そうね。飲んで忘れましょう!」
「そうだ。そうだ。かんぱーい!」
「「「かんぱーい」」」

 皆がお酒の入ったグラスを掲げて一気に飲みだした。わたしもワイングラスを片手にちびちびとスパークリングワインを舐めるように飲んでいる。怖かったよー。眼から光が消えていたんだもん。さようなら……『まともそうだった伯爵』……いえ、『M男』の伯爵、さようなら。わたしあの子と取りあう気にはなれませんし、ノーマルなんです。侯爵たちがやけになったように乾杯をしてお酒をぐいぐい飲み始めた。

「あき、これで良かったのじゃ」
「そうやで、あんなM男に拘わったら命がいくつあっても足らんわ」
「……失恋には酒だ!」
「あきはお嫁に行かなくてもいいのよ」
「……失恋って?」

 ……失恋? 失恋したのかな? ……えー? わたしが男相手に失恋? 考えてみれば何でこんな事になってんのー!
 う~ん。頭が痛くなってきたよー。わたしは頭を抱えてしまっていた。周りではコーデリアたちがわたしを取り囲んでひそひそ話をしている。

「気付いてなかったようじゃ」
「あー。自覚なかったのね」
「恋する乙女って感じやったんやけどな」
「うむ、おもしろい見世物だった」
「なんでー!」

 聞こえてるよー。泣きたくなって、というより泣いた。

「そりゃあ、着実に精神の女性化が進んでいるからじゃ」
「誰も言わんかったしな」
「恋する乙女のあきもかわいかったわよ」
「突っ込みもいなかったしな」

 みんな酷いよー。なんで男相手に失恋なんかしているんだろう? わたしの馬鹿ー! 冷静に突っ込みを入れていく皆も馬鹿ー!
 ぐしぐし泣いてたら侯爵に抱き締められた。

「あきは嫁になんぞやらん」
「嫁に行きたくないですぅー」

 泣きながら、女性化が進んでいる事に気付き、さらに泣いた。まったく気付いて無かったよー。本当にどうなるんだろう。
 そんな新年の始まりだった。

 伯爵たちが帰った後で新年の挨拶にやってきたアンリ・ド・レグール伯爵夫人が、アラン・ド・ベルレアン子爵が見つかった事を教えてくれた。なんでも裏町の売春宿で辻姫と呼ばれる女の人たちにびしびしと鞭で叩かれている所を見つけられたらしい。

「なんで、すぐに逃げなかったのかな?」
「それですわ。わたくしも不思議に思って聞いてみたんですの、そうしましたら……女たちの言うことには子爵を連れてきた一行が女たちにお金を渡して、犬のように扱ってやってくれと言い残したそうですの」
「流石に酷い気がします。子爵は苦しんでいたのではないでしょうか?」
「いえそれが、かなり喜んでいたそうですわ」
「ええー! そうなんですか?」
「わたしも叩いてみましたの。あき様もお1つ叩きに行って見るのも面白いかもしれませんことよ」
「わたしはいいです。遠慮しておきますー」

 わたしと伯爵夫人が会話している間、ラッセンディルがにやにやと笑って聞いていた。その上、わたしに叩きにいくか? と聞いて来るんだよー! わたしノーマルなのにー。コーデリアは鞭を持って叩きに行こうとしないように。タルコットもー。
 
 M男なんてきらーい。



[12791] 第27話 「カルクスへ行こう 花の都カール 王妃の首飾り」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/24 12:33
 第27話 「カルクスへ行こう 花の都カール 王妃の首飾り」


 新年もだいぶん経ったある日、ロパートさんがカルクス王国へ行く用事があるから一緒に行ってみるかと、わたし達に向かって言い出した。コーデリア達と相談した結果、このままアデリーヌに帰っても寒いから南のカルクス王国で冬を過ごそうという事になる。

 という訳で、わたし達はカルクス王国へ向かう為の準備をしていた。侯爵は寂しそうにしていたけど、心配しなくても大丈夫だよと言って安心させておく。メイドさん達もなんだか寂しそうだ。

「あきー。行かないでくれー」
「こ、侯爵……ロパートさんの用事が終わったら帰ってきますからー」
「待ってるからなー」
「分かってますからー」

 泣いて縋ってくる侯爵をなんとか引き剥がす。侯爵ってば、もー。

「あき様のお着替えがー」
「お肌のお手入れがー」

 こっちは何か方向性が違うような気がするので……気にしないようにしておこう。
 アッシュやミア、それにパイラさん達にも伝えておいた。侯爵から女神コルデリアの神聖魔法が、書かれてある祈祷書を餞別にと貰った。これで使える魔法が増えるかな?
 でも気付かないうちに結構、荷物が増えてるなー。作っていたアイテムは仕方ないにしろ、写本した本もかなりあるし、わたしにと貰った服がかなり多いんだよ。アデリーヌを出た時にはトランク1つだったのに……。
 侯爵からカルクスへ行ったら、ターレンハイム家のタウンハウスで住みなさい。と言われる。タウンハウスってなに? と聞いたらターレンハイム家がカルクス王国へ出向いた時に使用している別荘というか、事務所みたいな場所だそうだ。
 エルからは、ルリタニア王国の出先機関でもいいよと言われていたけど……どっちにしようかな?


 出発する日には、ヴェロニカさんやエル達も見送りに来てくれた。みんな……忙しいはずなのに嬉しいけど悪い気もするなー。
 ロパートさんの船に乗って、カルクスへと向かう。エステルは船から離れちゃ駄目だよ、と言い聞かせておいたから大丈夫だよね。でないとカルクス王国から攻撃されてしまうかも……。



 カルクス王国というのは、ノエル王国の南に位置する国でかつて古代帝国の首都があった国である。その事から大陸でも、もっとも華やかな国として知られている。カルクス王国の首都はカールという。元々カプール帝国の首都フローレンスの名を当時の国王の名であるカールに変えただけのものであるから、現在でも都市基盤はカプールの物をそのまま使用している。
 トリテノン宮殿は大陸で、もっとも大きくその華やかさはまさしく花に譬えられる。ノエルが『雪の中の宝石』と呼ばれるようにカールは『帝国の首飾り』と呼ばれている。
 現在の国王はフランシス・パストゥールという11歳の少年王である。しかし実権は母親であるデルフィーヌ・パストゥールに握られている。
 先代国王の遺産でもある音楽、芸術の分野においては大陸の中でももっとも進んでいると言われるが、先代国王の崩御と共にその威光は薄れつつある。というよりも他国が追い上げてきたと言うべきかもしれない。
 かつては音楽、芸術、料理などの流行はカルクスを模倣していたが、今では芸術はノエル王国に取られ、料理はルリタニアに取られ、残るは音楽のみになっているそうだ。その音楽も王立音楽学校を卒業した者達も自国では喰えなくて、大半が他国へ流出しているのだから、陰りが見えてきている。
 その上、ザクセン公国では音楽学校が設立される動きもあるらしい。そして経済的には他の3国と比べると、かなり苦しい現状である。

 と、ロパートさんに説明されているわたし達だった。
 わたし達はロパートさんの船の中の王族専用の部屋に再び、寝泊りしていた。カルクス王国までは船でも3日かかるそうだから、途中でエステルを休ませる為にも何度か船を泊めて休んでいる。流石にエステルを船に乗せられないからね。
 ターレンハイム家のタウンハウスは首都カールから少し離れたアンダイン湖のすぐそばにあるらしい。アンダイン湖というのは、カルクス王国でも有数の湖でもあり、全長は15リーグぐらいだという。ちなみに長さのの単位はこんな感じだそうだ。

 コーン、イン、フール、ヤール、ポール、チェーン、ハロ、メイル、リーグ。そしてフィール。フィールというのは、家具とかに使われている単位だそうだ。2フィールで、小さい店が開けるそうだ。3メートル四方の店かー。1コーンは、およそ1センチ足らずぐらいだと思う。元の世界の物差しを持ってないから比較できないんだけど……。それで、 1コーン=8ミリ……1センチ無いと思う、ぐらいで、イン=3コーン、フール=12イン、ヤール=3フール、ポール=5.5ヤール、チェーン=4ポール。ハロ=10チェーン、メイル=8ハロ、リーグ=3メイルとなる。

 という訳で、15リーグはおよそ、72キロぐらいかな? 長いよねー。しかも横が10リーグあるんだよ。広いよね。アデリーヌの街がすっぽりと入ってしまうよ。取りあえず船はそこに泊めるそうだ。でもアンダイン湖ってルリタニアの領地になっているんだって? 
 
 わたし達は部屋の中でロパートさんと一緒に話をしている。ロパートさんは既にカルクス王家に『銀行』の話を持ちかけてらしい。経済が悪化しているから、すぐに喰いつくさと、人の悪い笑みを浮かべてる。なんか怖いよ?
 
 他の国にも幹部さんたちが出向いているそうだ。実際にルリタニア王国に出来た『銀行』にはわたし達も見物に行ったけど、結構豪華な建物だったよ。キンキラキンな建物だったし……。中には王家から手に入れた権利書なんかも保管しているらしい。地下には金貨、銀貨、銅貨を作る器具が置かれていた……流石に驚いて聞いてみたら、なんでも『ターレンハイム銀行』が王宮から委託を受けて、金銭を流通の調整をする事になったらしい。……それって国家の金融をターレンハイム家が握ったって事? 一応と言うか王宮から監視役として、第2王子が監視するそうだけど……第2王子ってエルだよね。でもエルとターレンハイム家は繋がっているから実質独占?

 あ、頭がくらーっとしてきた。そして他の国の金融も手に入れようとしているのかな? そうだよね? あっ眩暈がしてきた……。それじゃあ損しないじゃないか……だって自分達がお金の流通量をコントロール出来るんだから……あっやっぱり眩暈が……。

「あき、大丈夫かしら?」
「どうしたんや?」
「ふふふ、ようやく気付いたようだ。いいアイデアを教えてくれた」
「う~ん。眩暈がー」

 目が回るー。ロパートさんは笑ってるけど……う~んう~ん。凄すぎて頭がいたいよー。

「まあワインを飲んで、気を鎮めるのじゃ」
「コーデリア……ありがとうー」
「しかし、凄い手を思いついたもんやな?」
「ターレンハイム家も安泰ね」
「安泰どころやないで」
「経済を手中に収めたな」

 わたしはワインを飲んで眠ってしまった。ターレンハイム家って凄い。みんな凄いよー。
 
 目が覚めたわたしは船の甲板に上っていった。船はいつの間にか山を越えて目の前には大きな湖が広がっている。その向こうにカルクス王国の首都カールが見えた。空から見下ろすカールは確かに『首飾り』と呼ばれるほど綺麗に見える。でも……一番財政が厳しいんだよね。船の横ではエステルが気持ち良さそうに飛んでいた。手を振るとエステルは嬉しそうに首を振って喜んでくれる。

「あき様。空は寒いでしょう。中に入られた方が良いかと思いますぜ」
「うん。ありがとう」

 船乗りのハンスさんに声を掛けられて、中へと戻っていく。ハンスさんと会うのも久しぶりだ。そう言ったら、ハンスさんは笑いながら「あっしらもあき様に会えるのを楽しみにしておりましたよ」と言う。そうして甲板の上で作業をしている若い船乗りを指差して「あいつらも楽しみにしてたみたいです」と笑っている。
 ハンスさんが指差した船乗りを見たら、こっちを見ていたので手を振ると向こうも手を振り返してくる。あっ怒られた……悪いことしたかな? ハンスさんは笑ってたけどね。

 船の中にいたら、ゆっくりと下降していくのを感じる。ふわっと体が浮くような感じだ。そうしてしばらくそんな感覚がしていたかと思うと、いきなり体が重くなった。船がアンダイン湖に着水したようだ。
 船は湖を進んでターレンハイム家のタウンハウスの岸辺に辿りついた。岸辺には荷降ろしの為の人手がたくさん集まっている。わたし達は邪魔にならないように、早めに降りてターレンハイム家のタウンハウスへと向かう。

 ……最近、よく思うんだけどさ。タウンハウスとか、別荘とか事務所とか言ってるけど……なんでこんなに大きいんだろう?

 ターレンハイム家のタウンハウスはもの凄く大きかった。一応個人の家だよね? 学校の校舎ぐらいの大きさのある家ってなんだよ。それがひい、ふう、みい……5つ並んでるよ。流石に庭は小さかったけど……でもそれは、ルリタニアの本宅と比べてって事だから比較にはならないような気がする。

「それは本当に事務所代わりでもあるからよ」

 と、ルパートは言うけど……でもさー。

「う~ん。あきはそう言うけどね。この家にはルリタニアのターレンハイム家が行っている事業のカルクス王国における中心地だから、中で働いている人たちも多いし、その人達と家族も住んでいるから、これでも狭いくらいなのよ。
「事務所と住宅が一緒に並んでいるって事?」
「そうよ」

 オフィスビルとマンションが一緒に並んでいると言えば、確かにこれでも小さいぐらいかもしれないのかな? 個人の家とかターレンハイム家の家と考えない方がいいんだろうなー。

 わたし達はメイドさんに案内されて部屋に向かった。わたしが案内された部屋はコーデリアの隣だった……コーデリアとタルコットはまた2人一緒でわたしだけ、1人部屋だよ。寂しいなー。部屋の内装とかはもう気にしない。みんな豪華絢爛なんだから……。気にしないったら気にしない。キンキラキンの部屋なんか気にしないもん。ふかふかの絨毯も天蓋つきの大きなベットも窓辺に置かれてある机も、その上に置かれている宝石も気にしない。
 ……でも、メイドさん。なぜに貴女はこの部屋の隅にいらっしゃるのでしょうか?
 部屋の隅には髪の毛を後ろでぴっちりと纏めた厳しそうなメイドさんが黙って立っていた。年の頃はわたしよりも上で24,5才ぐらいかな? どことなく冷たく感じられるような人だ。美人サンなのにー。クールビューティーってやつ? 名前はアルマ・ベルゲンと名乗った。

「わたくしは、あきお嬢様の身の回りのお世話をするように申し付けられておりますから、ここにおります」
「さようでございますか?」
「はい。なんなりとお申し付け下さい」
「でもお嬢様って?」
「あら、違うのでしょうか? わたくしはターレンハイム家のお嬢様だとお聞きしましたが?」
「えー! 違うよ。わたしはコーデリアの弟子でルパートの友達なだけだよ」
「……その事についてはあとで、確認致します……が、まずはお着替えを致しましょう。流石にメイド服のままという訳にもいきませんから」
「じゃあ、着替えますから部屋の外で待ってて」
「お手伝いします」
「1人で着替えられます」
「あき様。わたくしの役目です。使用人から仕事を奪わないでいただけませんか?」
「はい」

 がっくりとうな垂れる。また着替えさせられてしまうのね……ううー。なんでこうなるんだろう?
 アルマさんにちゃっちゃと着替えさせられた。途中でコーデリアがやってきた時も「お着替えの途中です」と追い出してしまう。でもなんだろう? ターレンハイム家のあのメイドさん達やアデーレさんのメイド部隊の人達の様にあからさまにやらしい事はしないんだけど、触れ方がねちっこいというか、微かに擽られているかのようでぞくぞくする。
 
 着替え終わったわたしはアルマさんの案内で、階下の応接間へと向かった。
 応接間にはコーデリアとタルコット、ラッセンディルが集まっていた。3人とも既に相談していたらしくカール見物に行くそうだ。もちろんわたしも行くよー。
 という訳でターレンハイム家の馬車に乗ってわたし達はカール見物へと行く事になった。音楽の都かー楽しみだよねー。でもルパートとロパートさんは用事があると言って、ここに残る事になった。あれっ? アルマさんがルパートとロパートさんとなにか話し込んでるよ? 時々わたしの方を見てアルマさんが頷いてる。



 馬車に乗って楽しみにしていたんだけど、田園風景を抜けて首都カールの城壁に近づくにつれ、なんだか薄汚れた景色になっていく。城壁のすぐ傍なんか……危ない感じだよー。怖い。

「あき様、この辺りは危険ですのでお気をつけ下さい」
「はーい。コーデリアも気をつけようね」
「わらわは平気じゃ」
「うちも割りと平気やで」
「この程度ならな」
「そうなの?」

 アルマさんに気をつけるように言われたからコーデリアにも言ったら、平気だって言われる。

「うーん。これぐらいなら、他の地方都市も似たようなものなのじゃ」
「あきは知らんやろうけどな」
「アデリーヌは比較的に安全だし、ファブリスもそうだからな。知らんのも無理は無い」
「そうなんだ?」
「そうじゃな、アデリーヌはアーヴィンが気合を入れておるし、ファブリスはロパート達の目が光っておるからの」
「それらと比べたらカールは、無法地帯やな。うちらはともかくあきは気をつけるんやで!」
「あき様はわたくしがお守り致します」

 なんか怖いよ? 無法地帯って? 警察みたいなのはないのかな? アデリーヌには騎士団がいたし、ファブリスにもいたよ。かーるにはいないの?

「騎士団はあるで、役に立たんけどな」
「カール騎士団も先代国王の頃は、華やかで優秀な連中の集まりだったのじゃが……」
「戦争でその大半が失われてしまいました」
「戦争があったの?」
「……あー。あきは知らんかったかー」

 今から、24年ぐらい前に4カ国を巻き込んだ起こった戦争があって、ノエル王国とカルクス王国の間も激しい戦いがあったそうだ。その頃はまだ先代国王も生きていたんだけど、戦争を止める事が出来なかったらしい。その後はなし崩し的に戦局も激しくなり結局、カルクス王国は、ノエル王国の雪山を越える事が出来なくて戦力の大半を雪山で失ったそうだ。

「それからやな、カルクス王国がやばくなっていったんは」
「うむ。戦争中に国王が病に倒れたのも原因じゃな」
「2年ぐらいの期間だったが、失われた国力はかなりの物だろう」
「国王が亡くなったと思ったら、今度は王妃が浪費を始めましたし……」
「あー。あの王妃もなに考えてんのかな~。国王が亡くなったんやから自分が中心になって国力の回復をしなきゃいかんのになー」
「なにも考えてないんだろう」
「「「「はぁ~」」」」

 馬車の中にコーデリア達の溜息が響く。でも戦争かー。いやだよね。……25年前って言ったら、もしかしなくてもみんな戦争経験者なのかな? コーデリア達に聞いてみた。

「そうじゃ。故郷は戦場になってしまったから、ノエルに来たんじゃ」
「うちはヘンルーダの森を出て戦争に巻き込まれてしもうたわ」
「まだ幼かったがな。俺の両親も戦争で亡くなった」
「わたくしは、産まれたばかりでした」

 ……戦争か、みんな色々あるんだよね。でも戦争があったのに結構ノエルやルリタニアは立ち直っているのに、どうしてカルクスは持ち直してないの? それに今の国王は11歳だって言ってたよね? どういう事なのかな?

「それはな。戦争が終わってから国王の体調が持ち直しとったんや」
「国王の体調が持ち直していたからこそ、カルクス王国は未だに持っているようなものだ」
「あのまま亡くなっていたら、今頃はルリタニア辺りに吸収されてしもうていたじゃろな」
「要りませんよ。こんな国……」
「……アルマはんもきっつい事言うな~」
「欲しいですか?」
「「「…………!」」」

 なんでみんな、そこで黙るの? ねえ、そんなに酷い国なの? なんか帰りたくなってきたんだけど…………。
 コーデリアやタルコットにラッセンディル。それにアルマさんも黙り込んでしまった。馬車の中に妙に緊迫した空気が流れている。その空気を押し流すようにコーデリアが口を開いた。なんでも戦争の後の交渉でカルクス王国は国土の3分の1を失ったそうだ。そしてその領土は他の3国で取り合いをして分け合ったらしい。で、領土が減った所為で税収も減る。にも拘らず王妃は浪費を続けると、こうなると完全に悪循環に陥ってしまっているそうだ。下手に吸収して王妃、王族ごと引き取るぐらいなら、むしろ要らない。というのが他の3国の評価らしい。シビアだねー。

 とか言っている内に、首都の中でも中心地に近い店が立ち並んでいる一角にたどり着いた。どんなに怖いところかと思えば、案外普通? 店は綺麗に掃除されているし、道を歩いている人達もファブリスと変わりが無い。ほっと安心したよー。

「あき、気をつけるんやで」
「そうじゃ、一歩裏通りに入ったら危ない連中が寄ってくるのじゃ」
「アデリーヌともファブリスとも違うからな」
「う、うん。分かったー」

 わたしはコーデリアとタルコットに挟まれる形でカールの表通りを歩いていく。一見見たところ普通だと思ったのに、よく見たら街角の影になっているところでは蹲っている人達や、物乞いがたくさんいる。綺麗な服を着て歩いているのは……他の国から来た人達ばかりなのかも……? なんかやだなー。王様何をしてるんだよー!

 コーデリアはわたし達を連れて一軒の店に入った。
 店中は明るく、綺麗に掃除され働いている店員さん達もファブリスと同じようだ。店内を見渡したら、どうやらここはお菓子屋さんなのかな? 並べられているテーブルに座っているお客さんは、楽しそうにケーキなんかを食べている。

「わらわ達もケーキを食べようと思うのじゃ」
「うん。賛成!」
「いいですわね」
「よかろう」

 わたし達は4人席に座ってメニューを開いてみている。コーデリアとラッセンディルはどれにしようか迷っているし、タルコットは「女は黙ってベリーのタルトや!」と言ってる。うん。実に男らしい態度だと思う。わたしは野いちごのショートケーキさ。といっても三角形じゃなくて丸いんだけどね。アルマさんは、わたしと同じ野イチゴのショートケーキに決めたらしい。

「あんたらもさっさと決めえーな」
「といってもだな」
「いや、難しい問題なのじゃ」

 コーデリアとラッセンディルの2人はタルトにするかミルフィーユぽいパイにするか迷っている。う~んう~んと唸りながら悩んでいるのを見てタルコットがさっさと店員さんを呼ぶと勝手にタルトとパイの両方を頼んでしまった。

「こりゃ、タルコット。お主というやつは……」
「さっさと決めんからやで!」
「酷い女だ」
「ふん!」

 タルコットは2人の恨み言をそっぽを向いて聞き流していた。アルマさんは呆れている。
 そうこうしてやってきたベリーのタルトを一口食べると「やっぱりベリーのタルトやな」と満足そうに笑う。わたしは生クリームのたっぷり掛かったケーキを食べて喜んでいた。女性化した影響なのか、味覚がかなり変わってしまっている。はっきり言って甘党になってしまった。なんでかなー? 甘い物を食べていると幸せだよー。

 4人でケーキを食べていたら、近くの席から人の会話が聞こえてくるよ。

「……まだ、リッパーは捕まっていないんだろ?」
「これで3人目だぜ」
「犯人はおそらく複数犯だな」
「なんでそう思うんだ?」
「犯人に馬車の御者を入れたら複数犯だろ?」
「ああ、そうか、そうだな……」

 最近、なにか事件があったのかな? でも嫌な言い方だけど、ここでは事件なんかは日常茶飯事だと思えるんだけど……?
 アルマさんに聞いてみた。アルマさんはフォークを口に咥えたまま、首を振りつつ嫌そうに話してくれた。

「カールの街で最近、娼婦を狙った殺人事件が起こっているんですよ。昨日も1人殺されてしまいましたし」
「騎士団は犯人を捜しているの?」
「一応は、でもあんまり乗り気ではないようです」
「なんで?」
「殺されているのが娼婦だからじゃろう」
「これが金持ちの娘と言うんやったら、騎士団も必死になるんやろうけど狙われているのが娼婦やから、あんまり気にしとらんのとちゃうか?」
「……まったく、娼婦といえど、自国の民だろうに」
「そうですが、騎士団の動きが鈍いのは王家の横槍が入っているからと言う噂もあります」
「だったら、犯人は王族関係者だよ。じゃなかったら横槍を入れないでしょ?」

 わたしがそう言ったら、コーデリアがしーっと、口を塞ぎに来た。そして「あんまりそう言う事は口にするでないのじゃ」と言う。タルコットも頷き、アルマさんとラッセンディルも小声で「言うな」と忠告してくる。そうして小さな声で言い始める。

「よいかお主は、この国でもターレンハイム家のお嬢様として扱われるじゃろうから表立って狙われる事はないが、うかうかしておったら後ろから殺される事もありうるのじゃぞ」
「連中はまともやないからな、殺ったらルリタニアと戦争になるかもしれんという事も分かっとらんやろ」
「うむ。気をつけるのにこした事はないぞ」
「そうですわ。あきお嬢様……一応カルクス王国にはあき様はターレンハイム家のお嬢様として、身分保障をしておりますが、だからと言って油断は禁物です」

 ぼそぼそとした話を終えたわたし達は店を出て、馬車に乗り込むと首都カールの街をぐるりと回りながら、馬車の中から見物をしていく。途中でトリテノン宮殿の前を通り過ぎようとした時、宮殿の門の前でたくさんの人達が騒いでいた。どの人も着ている服は汚れていて所々破れている。中には裸に近いような子どももいた。

「どうしたのかな?」
「……税金を安くしろと言っているのですわ」
「そうなんだ? 税金っていくらぐらいなんだろう?」
「所得の5割です」
「5割? そんなに?」

 宮殿の前を馬車が通り過ぎていく。わたしは後ろを向いて、『大輪の花』と呼ばれているトリテノン宮殿を見ながらつい言ってしまう。「宮殿は綺麗なのに……」時折、水が吹き上げている噴水を見てなんだか嫌な気分になってしまった。
 門の内側では綺麗に着飾った貴族の女性が群れをなして歩いている。門の外では汚れた服を着た人達が屯していた。この国の現状を見事に表している光景だな~。

 現在の王妃はザクセン公国からカルクス王国へ戦争終結と同時にやってきた当初は14歳の少女だったそうだ。国王はその時、40代だった。この年の離れた2人の関係は王と王妃というより、父親と娘のようだと言われていたらしい。とはいえザクセン公国からしてみれば、非常に優秀な王と婚姻関係を結ぶのは得策であるとして、14歳のデルフィーヌを送り込んできたと言う。
 先代国王マクシミリアン・パストゥールが生きていた頃は、カルクス王国は優秀な王と賢臣たちが国政に携わり戦後の復興も巧くいっていたそうだ。ところが突然、国王が亡くなってしまう。それから急激にカルクス王国は没落へと向かうようになってしまった……。
 王妃の国内での人気は最低だそうで、いつまでも子どものように遊んでいる王妃に対する不満が今にも爆発しようとしている。
 嫌な感じだな~。わたしはノエルともルリタニアとも違うカルクスの空気を感じてなんだか気分が悪くなってきた。



 一旦、ターレンハイム家のタウンハウスに戻ってきたわたし達に王宮の王妃から舞踏会への招待状がやってきていた。あて先はロパート・フォン・ターレンハイムとルパートだった。受け取ったロパートさんが招待状を見て溜息をつきながら、ルパートと相談している。
 わたしは舞踏会に行きたくなかったんだけど……ルパートのお相手役として参加しなければならなくなってしまった。

「なんでよ?」
「ごめんなさいね。ロパートが王宮に説明しなくちゃならないし、その為に舞踏会を開くと言ってきている以上参加しないわけにはいかないのよ」
「なんで舞踏会なんだろう? 『銀行』の説明会だったら、大臣たちを集めた議会の場を開けばいいのに」
「うむ。俺もそう思うが、相手はあの王妃だ。仕方あるまい。人を集めるのに舞踏会以外考え付かんのだ」
「それで皆で行くの?」
「いや、俺とルパートにあき、それからエルゼ・フォン・クルーグハルト男爵の4人で向かう」
「エルゼ・フォン・クルーグハルト男爵?」
「ああ、エルゼはターレンハイム家のカルクス支部を統括している女性で男爵の地位についている」
「女性なのに男爵なんだ?」
「滅多に無いけど女性が爵位を継ぐ事もあるのよ」

 そういって話をしていたら、わたし達のいる応接間にエルゼ・フォン・クルーグハルト男爵が姿をあらわした。エルゼさんは30過ぎぐらいのきつい眼をした怖そうな女性だった。こそっとルパートが教えてくれた事によるとエルゼさんはアルウェドの信者だそうだ。
 あーそういえば厳格そうな女性だよ。カツカツとブーツの音を鳴らして近づいてくるとわたしに丁寧に挨拶をしてきた。でも言葉は丁寧なんだけど、言葉の端々に棘がある感じだよ? それに笑わないし……つーんと澄ましてる。

「あき様。今夜はトリテノン宮殿での舞踏会ですから、よろしくお願いしますね」
「はい。分かりました」
「いいですか? 1つ忠告しておきますが、あの王妃の真似はしないで下さい」
「真似?」

 わたしは首を捻ってしまった。真似といわれても会った事がないから分かんないよね?
 エルゼさんは、先代国王が生きていた頃の王妃と同じように、わたしもターレンハイム侯爵に甘やかされているから、きちんとその辺は弁えて贅沢な趣味や博打にうつつを抜かす事が無いように釘を刺してくる。博打をするつもりはないし、贅沢な生活より小市民的生活の方がいいんですー。メイドさんたちに着替えさせられるより自分で着替えたい。下着まで着替えさせられるのは辛いんだよ?
 エルゼさんとそんな話をしていたら、エルゼさんはぷっと吹き出した。

「あき様って……本当に貴族の生活が苦手みたいですね」
「わたしはコーデリアの家で食事を作ったり、洗濯をしている方が似合ってると思います」
「侯爵が可愛がるはずですわ」
「どういう意味かな?」
「さーて、どういう意味でしょうか?」

 エルゼさんがにやにや笑ってる。さっきまでつーんとしてたのにー。
 その後は、どういう服装でトリテノン宮殿に向かうか相談をしていた。ルパートがわたしにダイヤのネックレスをしなさいと言ったら、わたしとエルゼさんが同時に「駄目」と言う声が重なった。

「どうしてかしら?」
「噂の王妃が対抗してダイヤのネックレスを手に入れようとしたら拙いと思う」
「わたくしもそう思います。ターレンハイム家の所有する宝飾品ですので、カルクス王家の物にも引けは取りません」
「そんなのを身につけるのを見たら、絶対それ以上のものを手に入れようとするよ。だから駄目!」
「あき様に賛成致しますわ」
「あんまり高くないシンプルな物がいいと思う」
「むしろ男爵家ぐらいの女性が身に着けている物あたりがいいかと」
「それでいこう」

 わたしとエルゼさんが宝石箱の中から、さほど高くも無い宝石をいくつか見比べながら、どれがいいか相談している。ルパートはなんだか寂しそうだ……ルパートも派手だからなー。


 そうやって決めたドレスを着たわたし達はロパートさんとルパートと一緒に王宮へと向かった。
 エルゼさんってば、スタイルがいいんだよ。胸も大きいし……家を出る前にエルゼさんを見るコーデリアとタルコットの眼が鷹のように鋭かった。しかも小声で「胸が大きいのが自慢か」とか「ふん。いずれ垂れるのじゃ」とかぶつぶつ言ってる。

 トリテノン宮殿の前には沢山の兵士たちが警護についていた。門を潜って宮殿の前にやってくる。馬車を降りた瞬間に、それまで談笑していた貴族たちが値踏みするような眼でわたしを見てきた。なんだかムカッとしたので冷たい目で対抗している。そうしたら向こうの方が目を逸らした。やった。勝った。勝利!
 意気揚々とわたしは宮殿の中へと入っていった。

 宮殿の中は……流石に初代女帝の威光だと思えた。フラビア城よりも豪華だ。
 ホールの前に立っている衛士がロパートさんに声をかけ、中に響き渡るような声でわたし達の名前を叫ぶ。

「ロパート・フォン・ターレンハイム子爵。ルパート・フォン・ターレンハイム伯爵のおなーりー」

 ホールに入るとざわざわした声がわたし達の元まで届いてくる。早速といっていいのか何人かの貴族がロパートさんの元へとやってきて今回の『銀行』の話を聞きだそうとしている。ロパートさんはそれらの声を聞き流し、皆さんが集まってからお話しますとかわしていた。
 玉座を見ると…………なんだか、少女趣味な女性が座っていた。一瞬眩暈がしてくる。もう一度眼を凝らして玉座を見直す。やっぱり、少女趣味の女性だ。

「あれなに?」
「デルフィーヌ・パストゥール。この国の王妃様ですわ」
「子どもっぽいよね?」
「ええ、何時までたっても子どもっぽい方ですわ」
「頭、痛くなってきたんだけど……」
「それが普通の反応ですわ」

 わたし達は、王妃にご挨拶に向かう。玉座の上から見下ろすように、30代後半のくせに子どもっぽい女性が、女の子っぽい声を出して挨拶してくる。身振りも一国の女王じゃないよ! 小さな女の子がお姫様ごっこしているようだ。子どもだったら可愛いと思えるんだけど、なんだろう? 段々腹が立ってきた。ひっぱたいてやりたくなる。その傍には11歳の国王がちょこんと座っている。こいつがまた、母親に輪を掛けて、落ち着きが無い。……エルを見習え! エルはヘンタイだけど、男の娘趣味だけど……いっぱしの領主として行動してるぞ! ええい。腹の立つ奴だ!

「あきは、ターレンハイム家の娘なのですか?」
「ええ、侯爵家のお嬢様ですわ」

 エルゼさんが王妃の問いかけに答えていた。そうしてわたしに話を合わせるように目配せをしていた。わたしを頷き、にこりと笑う。余計な事は言わない。肯定も否定もしない。変に言えば、侯爵やルパート達に迷惑がかかるからね。
 にこにこ笑っていたら、フランシス・パストゥール。この国の国王がわたしのスカートを捲ろうとしてきた。

「おやめ下さいませ。国王殿下」
「僕は国王だ!」

 それがどうした! そういう言葉が喉の奥までこみ上げてくる。言えればどれほどいいだろうか? 殴りたい。いい加減にしろよ! しばきあげんぞ。こら! 
 じろっと睨んだら、怯えたように後ずさる国王。そのへたれな態度がまたムカつく。しゃきっとしろ!

「ターレンハイム家にはそれは見事なネックレスがあるそうですわね」
「……私には分かりかねます」
「……にこにこ」

 ……もしかして、侯爵の奥さんの形見とかいうあれだよね。王妃は見てみたいものですわ。と気楽に言ってるけど多分それは無理だと思う。あれは国外には出さないだろうから……ターレンハイム家の秘宝だし。

「私もターレンハイム家にも負けないようなネックレスを作ろうと考えているのですよ」
「おやめになった方が宜しいかと愚考致します」

 思わず、口に出てしまった。内心では後悔している。エルゼさんも困った。というような顔をしていた。王妃は案の定、ヒステリーをむき出しにして、声を張り上げていく。

「まあ! どうしてでしょうか? なぜですの! カルクス王国の王妃が他国とはいえ、侯爵家が所有する宝石よりもみすぼらしい物を身に着けろと、そうおっしゃるのかしら?」
「王妃様はターレンハイム家が所有する物よりも遥に素晴らしい『首飾り』をお持ちになっているからです」
「どこにあるんですの! そんなもの」
「『帝国の首飾り』と呼ばれるこの街です。これほどの宝をお持ちになっている王妃様が侯爵家の宝石を羨む必要はないと思いますが、いかがでしょうか?」
「『帝国の首飾り』……?」

 王妃が首を捻って考え込んでいる。そこへわらわらとカルクスの貴族達が寄ってきて口々に言い出した。

「さようですな。このお嬢さんの仰る通り! 王妃様は素晴らしい首飾りをお持ちになっておられる」
「まったくその通り!」
「いや、まったく」
「……そうかしら?」

 王妃が貴族たちに問いかける。
 貴族たちは一斉に頷くとさらに言う。大陸でもっとも高価な首飾り。『もっとも華やかな街カール』『カルクスの首飾り』などなど……さらに王妃に対して歯の浮くようなお世辞を言いたてていた。
 わたし達はその隙に、王妃の前から立ち去っていく。いや、逃げたといっていい。

 その後は、ロパートさんとロパートが重臣達を別の部屋へと集めて説明をしていた。
 わたし達は貴族たちと踊ったり、愛想を振りまいたりと社交辞令のオンパレードだった。その間ずーっと、国王がわたしの方を見ていたのが気になっていた。王妃は貴族たちにちやほやされて気分が良くなっていたようだけど……なんだか国王の目が気になる。
 厄介な事にならなきゃいいけど……。


 

 そんな舞踏会だった。……疲れたよー。エルゼさんにひやひやしました。と怒られたしー。くっすん。
 ちなみにアルマさんもアルウェドの信者だそうだ。なんか納得。




[12791] 第28話 「カルクスへいこう 女神の癒しと野戦病院 秘密会議とビリヤード」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/22 13:32

 第28話 「カルクスへいこう 女神の癒しと野戦病院 秘密会議とビリヤード」


 王宮での舞踏会から2日ほどたったある日、わたしとエステルはアンダイン湖の畔で遊んでいた。もちろんコーデリアたちも一緒だよ。
 湖のそばで、お弁当を持ってピクニックー。わたし達はエステルの背中に乗って湖を漂っている。

「ほらー。エステル泳げるのー」
「すごーい」
「おお、速いのじゃー」
「すごいで、エステル」

 泳ぎながらはしゃいでいるエステルは、ばしゃばしゃと水面を波立たせてしまい。漁師さんたちに泣きそうな顔で「お願いですから、おやめ下さい」と言われて反省してたりしてる。
 ドラゴンが現れた所為で魚が逃げ出してしまい魚が取れなくなっているそうだ……。悪いことしちゃったなー。
 
 アンダイン湖の近くに住んでいる漁師さんたちの村からターレンハイム家に訴えがあったそうで、わたし達は湖で泳ぐのを禁止されてしまった。
 仕方ないので庭でエステルとダンスをしたりしていた。あと……漁師さんたちの村にオークの群れが現れたというので、エステルとわたしはお詫びを兼ねて退治しに行った。
 ごー! とエステルのブレスがオークを焼き払い。あっという間に群れは退治された。漁師さんたちは逞しい。黒焦げになったオークの死体を細切れにして湖に撒いている。魚の餌にするんだそうだよ。
 
 話をしているうちに村人の何人かが病気で寝込んでいるという話題が出てきたのでルパートとロパートさんに相談してコーデリアとタルコットたちを連れて、村へと向かった。
 コーデリアは薬草や調合した薬を飲ませていく。タルコットはけが人ぐらいなら精霊魔法で治せると言っていたから、任せた。わたしはと言うと……コルデリアの祈祷書に乗っていた神聖魔法で容態の悪い人たちを中心に治していく。
 もう何年も長患いをしている人もいて、神聖魔法でも大変だよ……一日に5人ぐらいしか治せなかった。そんな事をもう5日も行っている。治った人たちは感謝してくれたけど……わたしは毎日くたくたになってしまう……。タウンハウスに帰るとそのまま、ばたんきゅーとベットに横になって眠ってしまっている。
 
 でも漁師さんたちの村ってターレンハイム家の領地の人になるんだって、ロパートさんが言ってた。タウンハウスを中心として周囲にある村のいくつかはルリタニアの国土になっているそうだ。戦争の時に手に入れたものらしい。それで湖もそうらしい。いや、タウンハウスを中心と言ったけど、そうじゃなくて湖を手に入れて、そのついでに周囲の村も手に入れたんだって……。

「毎日大変だな」
「なんであんなに病人が多いんだろう?」
「流行り病の影響じゃ」
「このあたりにも、きとったんやな」
「カルクス王国には神聖魔法を使える神官がルリタニアより少ないから……手が回らなかったのよ」

 ロパートさんとルパートがそう言ってた。ターレンハイム家も流石に神聖魔法はどうしようもないのか? でも乗りかかった船だし、治るまで村に通うことにしよう。がんばるよー!
 今日も村に通うのさ。と思ってたら、ロパートさんがターレンハイム家の領地の村に布告を出していたらしく、タウンハウスにはたくさんの病人たちが押し寄せていた。タウンハウスの表に出たわたし達はその光景に呆気に取られてしまう……。

「まるで戦場なのじゃ!」
「こりゃあ、しばらく掛かるで!」
「症状の重い人たちはわたしが受け持つよ。コーデリア達は薬を出してあげてね」
「うむ」
「任せとき!」

 メイドさんたちが大勢手伝いに来てくれていたから助かったよー。タウンハウスの一角はまるで病院のようになっていた。ラッセンディルが村人の体調を問診している。ラッセンディルって医者の真似事も出来たんだね? って聞いたら、「一応な」と言う。メイドさんを看護婦代わりに手伝わせて、わたしは神聖魔法で治して、コーデリアとタルコットは薬を作って出す役目をしている。
 村の人達が集まりだしてから、いつの間にか10日以上経ってしまっていた。

「流石に薬の材料が切れかかってきたのじゃ」
「こっちもや」
「材料を取りに行かなくちゃ駄目だよね」
「そうなのじゃが……」
「……誰が行くかやな」

 結局はコーデリアがエステルに乗って材料を取りに行く事になった。出発の前にエステルの前足に大きなかごを取り付けてその中にコーデリアが入っていた。かごの上からちょこんと顔を出したその姿にわたしは思わず、笑ってしまう。

「こりゃあ、笑うでないわ」
「でもコーデリア、この格好笑えるで!」
「そうそう」
「やかましいのじゃ!」

 捨て台詞を吐いてコーデリアとエステルは飛んでいった。わたしとタルコットは必死になって病人の世話をしている。神聖魔法の祈祷書とにらめっこだよ。病気に効きそうな魔法を探しながら、魔法を掛けていく。
 でもその所為なのか、『ヒーリング』『回復魔法』『治癒魔法』はかなりうまく使えるようになっていた。……攻撃魔法は『フォース』しか使った事がないけど、回復魔法は大概使えるようになった。『毒消し』なんか楽勝だよ。今なら『ガン』だって治せそうな気がする。

「あきぐらい、病人を治している神官も少ないかもね」
「……医療系の魔法しか使えなくなりそうだよ」
「それでもいいんじゃないか」

 ルパートとロパートさんに慰められてしまう。ううー。
 そうやって病人の相手をしているのをさらに10日過ぎた頃に、コーデリアが帰って来た。かごの中にはたくさんの材料と薬が入っていた。

「エステルと一緒にヘンルーダの森にまで行ってきたのじゃ」
「遠かったでしょ?」
「うむ。しかしさすがドラゴンなのじゃ。速かったのじゃ」
「エステルも大変だったね」
「エステルは大丈夫なのよ」

 エステルの頭を撫でると嬉しそうにごろごろと喉を鳴らしていた。コーデリアは持ってきた薬草を手早く選り分けて、タルコットと2人で薬を調合し始めている。タルコットは病人たちの間をてきぱきと回って、傷の手当てをしていく。ラッセンディルは椅子に座って問診をしては紙に症状を書きとめ、メイドさんに手渡していた。

「コーデリアさん、戻ってきたばかりで悪いんですけど、食あたりの薬を作って貰えますか?」
「分かったのじゃ」

 コーデリアはメイドさんに頼まれて薬を調合し始めた。わたしは産後の肥立ちが悪いといっていた若い母親の元に向かい『ヒーリング』を掛けていく。

「しかし、こいつは近隣の村中から押し寄せてきているな」
「ええ、そうですわ」

 ラッセンディルがアルマさんに向かって言ってる。アルマさんは澄ました顔でラッセンディルに答えていたけど、さすがに疲れているようだった。そこへエルゼさんがやってきた。エルゼさんは、大量の紙の束を持っている。

「あれなに?」
「おそらく村の者の戸籍だろう。調べていたからな」
「ああ、なにやら治療に来た者から聞いとったで!」
「どの村に何人ぐらい住んでいるのか、きちんとした戸籍がなかったですから……いい機会だと考えたのでは無いでしょうか?」
「この状況なら、村の者も誤魔化さんじゃろうしな」
「ええいい機会でしたから、調査させていただきました」

 みんな凄いよね。どこからでも利益を得ようとするのは立派だよ。……でもわたしも神聖魔法の修行になったよ。もう『治癒魔法』には自信がついた。大概は治せるようになったし、ほくほく。
 コーデリアが帰ってきてから人手も増えて治していくのが早くなっていった。村の人達がお礼を言ってそれぞれの村へと帰っていった。でも村の人と話していたら、カールではまだリッパーが殺人を犯しているそうだ。う~ん。怖いよねー。

 こうしてわたし達、医療班の仕事はようやく終わりを迎えた。
 ばんざーい。


 ターレンハイム家の庭では急遽、慰労パーティーが行われる事になった。
 庭には大きな鍋でシチューが煮立てられている。そのそばでは大きなお肉が焼かれていた。

「よっしゃ。食べるでー!」
「わらわも食べるのじゃ」
「エステルもー」
「はいはい」

 アルマさんがお肉を切り分けてコーデリアたちに渡していく。エステルには大きな馬ぐらいの鹿? を丸焼きにしたお肉が振舞われた。

「熱いのー」
「ふうふう、しなさい」

 ガブッと噛んだエステルがなみだ目になってお肉から口を離す。わたしはエステルの頭を撫でつつ、そう言葉を掛けている。そんなわたしたちをアルマさんが笑いながら見ていた。
 でも、炎のブレスを吐くのにお肉が熱いとはどういうことだろう? 不思議だよね。

「あきも大変だったわね」
「あ、ルパート」

 ルパートとロパートさんがワインを片手にわたし達の所へやってきた。
 ルパートはロパートさんのお手伝いでずーっと宮殿の方に詰めていたそうだ。こっちも大変だったのよ。と言ってワインを呷る。エルゼさんは書き留めていた書類を纏める為に部屋に篭っているらしい。少しは休めばいいのに……。

「あきたちのお蔭で、ターレンハイムの領地ではようやく病の影響が無くなりそうだ」
「うん。みんな治ってよかった」
「しっかし、かなり多かったなみたいやな」
「うむ。あれだけの人数じゃと、村の作物にも影響が出ていたはずじゃ」
「ああ、ここ2年ほど収穫量は減っていた。とはいえ、治るのを待つしかなかったが……」
「お人好しのあきのお蔭やな」
「ああ、お人好しのあきのお蔭だ」
「……お人好しって?」
「あきの事よね」
「あきの事じゃ」

 みんなして……そんな風に言うなんて……ひどいよー。わたしは地面にののじを書いていじけてしまった。ルパートがわたしを慰めてくれたけどコーデリアとかタルコットは笑っている。ううー。なみだ目で睨んでしまう。

「まあそんなにいじけてないで、食べようや」
「うん。食べるよ」

 わたしはシチューのお皿を抱えて木製のスプーンで掬って食べ始める。……おいしい。
 ルパートがアルマさんと話をしているのが見えた。ぼそぼそと小声で会話をしてはわたしの方を時折、見てくる。どうしたのかな? あっ、そこにロパートさんも加わった。なんだかにやにやしてる。なに話しているんだろう?




「……なるほど、『アンダイン湖の聖女』と呼ばれていたのか」
「そうなんですよ。わたくしもびっくり致しましたわ」
「あきらしいわ」
「お蔭で近隣の村での調査も簡単にいったそうです。エルゼ様がお喜びになっておりました」
「なるほど、『聖女』が治療を行うから病の者を隠さずに連れて行けと指示したのか」
「はい。『アンダイン湖の聖女』の噂が広まっていたらしく、皆素直に従ったそうですわ」
「そりゃあ、重い病人を抱えている村ほど素直に来るでしょうね。『ただ』で女神の癒しを受けられるのですもの」
「その分、あき様の負担は重いものでしたが……あの方はその事に不満を言ったりしなかったですわ」
「それこそ、あきらしいわ」
「わたくしにはそれこそが驚きでしたが……」

 アルマはあきの態度にずっと驚きぱなしだった。治療中いつもにこにことしていた事も、爛れた患部に触れる時も躊躇う事がなく、あっさりと触れて治していく。周囲の聖女を見るような眼にも一向に気付かず、気にしない態度にも驚かされた。
 ロパートが、アルマに問いかけてきた。

「金の事も言わなかったのだろう」
「はい。そうですわ」

 アルマはそう答えた。あきは金の事は一切口に出さなかった。欲が無いというのか、のん気なのか? アルマはその両方なのかもしれないとあきについてそう考える事にする。

「そこがいいのだ」
「あきは、ターレンハイム家のアイドルよ」
「とかく恨まれがちなターレンハイム家もあきのお蔭でイメージが変わろうとしている」
「そうですわね」
「その事によるメリットは大きい。ふっ、慰労パーティーぐらいで済めば安いものだ」
「そうね。だからこそあきはターレンハイム家が守らなければならないの。これからもあきの事を気をつけて見ているのよ」
「はい。承知致しております」

 そうしてアルマはルパート達のそばを離れた。後に残った2人は時折、あきの方を見ながら話し合っていた。

「まったく、あきには驚かされる」
「そうね。でもターレンハイム家にとってはかなりありがたい存在かしら」
「それについては異論は無い」
「カルクス王国のフランシス・パストゥールがあきに興味を持って愛妾にしたいと言ってきたわ。断ったけど」
「当たり前だ。あんなガキに差し出す気は無いぞ」
「そうね。でも気をつけた方がいいかもね」
「ああ、警護は強化する」
「任せたわ」



 わたしとコーデリアはシチューのお皿を抱えて座り込んでいた。ようやく治療が終わったと思ったら、どっと疲れが出てきたみたいだ。コーデリアもエステルの背中に乗ってヘンルーダの森まで往復するのは疲れたみたいだった。気が付けばうつらうつらとしている。わたしも眠くなってきたかな……。

「あき様、お休みになるのでしたらお部屋お戻り下さい」
「ふぁーい」

 わたしとコーデリアはアルマさんの指示でメイドさんたちに抱えられるようにして部屋へと連れて行かれてしまう。眠いよー。


 ベットに横になり、眠っているあきの寝顔を見つめながらアルマは椅子に座り周囲を警戒していた。『アンダイン湖の聖女』の噂は周囲の村に瞬く間に広まっていった。その結果、もの凄い数の病人がやってこようとしていた。アルマはロパート達の不在の間、エルゼ・フォン・クルーグハルト男爵の指示によって、ターレンハイム家の領地以外の村人が来ないように手を打っていたのだ。その為に来る事に出来なかった村人の不満をカルクス王家へ逸らせるように細工もしていた。彼らのカルクス王国への不満も溜まっている事だろう。
 それによってカルクス王家からあきが恨まれているかもしれない。警戒は怠る訳にはいかない。……なんと言ってもアルマの家族もあきによって病を癒して貰ったのだから……。この屋敷にいる者たちの中にも家族にも、あきによって癒しを受ける事が出来たものは大勢いる。
 彼らにとってもあきは『聖女』であるのだ。
 現在、このターレンハイム家のタウンハウスでは夜間の警護に普段より倍の人員が動員されている。ロパート、ルパートを警護するだけならこれだけの人員が動員される事は無い。
 この警護はあき、ただ1人を守る為に動かされているといっても過言ではなかった。


 ガサッと草が擦れる音がした。
 黒い影のような者たちがターレンハイム家の庭先に姿をあらわしている。彼らは身振り手振りで互いに指示を出し合い、庭の中に散っていく。カルクス王国の闇に巣食う影と呼ばれる暗殺専門の連中だった。
 しかし彼らは、屋敷に近づく事も出来ないまま、隠れて隙を窺っている警護の者たちの手によって1人、また1人と消されていった。警護を担当しているアデーレ・フォン・クロイツェルとその精鋭たちはプリンス・オブ・オンブリアの指示によって、ターレンハイム家のタウンハウスにあきの警護にやってきていた。
 月明かりの元、庭に横たわり死んでいく彼らを見つめるアデーレの眼は月よりもなお冷たい光を放っている。


 

 朝になって寝室にも朝日が差し込んでくる。
 むにゃっとあくびをかみ殺すかのように声を上げて起きだしたら、目の前にアデーレさんとアルマさんの2人が立っていた。

「あっおはようございますー」
「おはようございます。あき様」
「おはようございます。あきお嬢様」

 3人で朝の挨拶をする。……アデーレさんの眼がにやりと笑った。
 はっ! もしや……。

「エル様は来ておりませんよ」
「ほっ!」
「ですが……私がおりますから、さーあき様、お着替えしましょうね」
「い、いやー服を脱がさないでー。アルマさん助けて!」

 わたしはアルマさんに助けを求めたらアルマさんもアデーレさんと一緒になって近づいてくる。まさか……。

「さー着替えましょうね」
「アルマさんまでー!」
「わたくしもアデーレさんとは仲が良くなってしまったのです」
「ええ、趣味が合うのは良いことだと思いませんか?」
「2人とも……ひどいよー」

 2人に裸にされてしまった上にドレスに着替えさせられてしまった。アデーレさんはメイド服の方がいいと言ったのだったが、ドレスの方が胸元がよく見えると言う発言にアデーレさんは「眼からうろこが落ちましたわ」と言って感動している。

「そんなので感動しないでよー」
「いいえ、あきお嬢様。もっとよく胸を見せてください!」
「そこの曲線が私を悩殺するのです!」
「自分の胸を見てればいいじゃないかー」
「あきお嬢様のが! 見たいのです」
「以下同文! むしろ見せろ! いいじゃないですか、減るもんじゃなし」
「嫌です!」
「じゃあ、下の方をっと」

 アデーレさんとアルマさんがドレスのスカートを捲って中を覗きこんでくる。わたわたとなんとか逃げ出す。食堂まで逃げ込むとメイドさんたちがなぜか手をわきわきとして追いかけてきた。

「なんでー」
「なぜ、逃げるのですか? あきお嬢様ー」
「なんで追いかけてくるのー」
「逃げるからですわー」

 こうして朝から散々逃げ回っているわたしだった。
 なんでこんな事になるんだろう?

 
 ようやく朝の騒動も収まった頃、カルクス王国の貴族達がターレンハイム家にやってきた。ロパートさんが出迎えてすぐさま会議室へと消えていく。その中でいかにも厳ついワシのような高い鼻をした押し出しのいい白髪の貴族がいた。その人はわたしをじろっと睨むように見ていた。わたしはアルマさんに聞いてみる。

「誰なのかな?」
「……アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵です。前国王の弟で現在は王妃と対立しております」
「前の王様の弟なのか……」
「ええ、国民の中では人気も高く国王にという声も高まっております」
「なんでそんな人がわざわざ来たのかな? むしろ向こうから呼び出すぐらいだと思うんだけど?」
「ターレンハイム家を通じて『銀行』の話にいち早く賛同したのですが、『中央銀行』の権利は自分が背負うと言ってロパート様と意見が対立しておりますから、むしろどの様な会議にも顔を出して釘を刺そうとしているのでしょう」
「ロパートさんにとっては、最大の敵なのかな?」
「いえ、巧くいけば最大の味方になるお方でしょう。向こうもターレンハイム家と本気で対立する気はないでしょうし」

 会議室の向こうではどんな話がされているんだろうか? わたしは会議室の扉を見ながらそんな事を考えていた。

 
 お昼過ぎになってから、ようやく会議が終わったみたいだ。庭でエステルにご飯を上げていたら、アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵がエルゼさんと一緒に何か話しながら歩いているのが見えた。

「うーん。エステルおいしい?」
「おいしいよー」
「一杯食べようね」
「うん。食べるのー」

 今日のご飯は焼き魚。湖で取れた魚を庭で焼いたんだよ。ぷすぷすと脂が落ちる音にエステルは耳をぴくぴくと動かして口元には涎が垂れてた。
 モグモグと魚を食べているエステルを見ていたら、いつの間にか公爵がわたし達のそばにやってきていた。

「君は確か、あきという娘だったな」
「はい。そうですアレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵」
「私の名を知っていたのかね?」
「お見掛けした時にそばに居た人に聞きましたから」
「そうかね。いや、改めて自己紹介しておこう。私はアレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵だ。カルクス王国ラ・フォンテーヌ地方の領主をしている」
「わたしは香月あきです」

 わたしが挨拶をしたら、公爵は鋭い眼で少し値踏みをするように見てくる。そうしていると公爵は改めて問いかけてきた。

「君は『アンダイン湖の聖女』と呼ばれているが、その事についてどう思っているのかね?」
「……『アンダイン湖の聖女』? 何の事です?」

 わたしは首を捻って考えてしまう。そんな風に呼ばれていたっけ? アッシュやミアから『聖女』って呼ばれた事はあったけど、それ以外で呼ばれた事なんかないよね?
 首を捻って考え込んでいると公爵は驚いたように眼を瞠る。それからエルゼさんを振り返った。エルゼさんは肩を竦めて首を傾げるといった。

「あきは気付いていないようですわ」
「まさか、自分の称号だぞ」
「そういう娘ですの。他にも『古代遺跡の女神』とも呼ばれておりますし、本人はただ怪我人や病人を助けただけ、と考えているのでしょう」
「……そうか、報告でもそんな風に書いてあったが、いや、実際こうして会ってみると驚かされるな」
「私どももそうでした」

 どうしたのかな? なんだか知らない所で過大評価を受けているような気がする。
 公爵はわたしの方に向き直って「また改めて食事にでも誘うとしよう」とそう言ってエルゼさんと一緒に立ち去っていく。
 なんだったんだろう? ぼんやりと公爵の後姿を見送っていた。

 エステルの食事が終わって屋敷に戻ってみたら、会議が再び始まっていた。あれ? さっき会ったのは休憩中だったのかな?
 ロパートさんやルパートにエルゼさんも会議中だ。仕方ないのでコーデリア達のところへ向かう。コーデリア達はサロンでなにやら布を見ていた。

「コーデリア、どうしたの?」
「あき、こっちにくるのじゃ」
「今な、新しいドレスの為の布地を見てたんや」
「ドレスの布地?」

 サロンのテーブルの上に幾つもの布が置かれていた。シルクにリンネル、ビロードぽいものもある。その中でひとつ気になる布があった。……これってもしかして羅紗かな? ビリヤード台に使われているやつ。手触りといい丈夫そうなところといい。確かに似ている。わたしは他の布を退けてテーブルに広げてみた。そうして手触りを確かめてから、周りを見てみると石の球が彫刻台に置かれていたのを見つけて布の上で転がしてみる。いけそうだ。

「ねえ。この布貰っていい?」
「いや、それはいいのじゃが、どうするんじゃ?」
「ふふふ。いい事だよ。それじゃあ貰っていくね」

 部屋に急いで戻ると持ってきた荷物の中から『雷竜の球』を取り出した。そうして机の上で転がしてみたり、ぶつけてみたりする。うん。やっぱりいけそうだ! 後はテーブルだよね。それにキューも必要だよ。チョークもかな? 急いで用意をしてみよう。
 わたしは部屋を出るとメイドさんたちにちょうどビリヤード台ぐらいの大きさのテーブルがないかな? と身振りを交えて聞いてみる。そうしたら「倉庫にテーブルがいくつかありますから、探してみましょうか?」と言ってもらえたので一緒に探しに行く。
 ターレンハイム家の倉庫にはたくさんのテーブルが使われずに置かれてあった。その中からちょうど良さそうなテーブルを見つけた。そして庭師のお爺さんにテーブルを運ぶのを手伝ってもらってメイドさんとわたしとお爺さんの3人で運んでいった。
 そのあとで、おじいさんにテーブルの加工を出来る人はいないかなと聞いた。そこでお爺さんと同じ庭師の人を紹介してもらったから、その人に言って加工してもらったー。やったよ。これでビリヤードができるー。

 出来たばかりのビリヤード台でカンカン音を鳴らして打っていたら、コーデリア達がやってきて興味深そうにみてくる。

「それはなんじゃ?」
「ビリヤード。元の世界での遊びだよ。こうやって木の棒で球を弾いて、他の球に当ててポケットに落としていくの」
「よっしゃー。うちも試してみるわ」
「わらわもじゃ」

 そうこうしているとメイドさんたちも集まってきていつの間にかビリヤードの講習会になってしまっていた。その上、その上にアデーレさんとか、アルマさんとかって、ちょっと試してみただけなのに……わたしよりも巧くなったー! くっすん。

「案外楽しいですわ」
「ええ、アルマさん一勝負しませんこと」
「いいですわ。致しましょう」

 わたし達は2人の勝負を見ていた。……なんというかすごいよ。とても今日始めたばかりとは思えない……うわーん。ワンクッションどころかツークッションで弾いて球を落としていく。

「こりゃ、泣くでないのじゃ」
「そうやで、この2人と競ってもしゃあないわ」

 勝負はアデーレさんの勝ちで終わった。アルマさんは次は勝つ! といって仕事に戻っていった。アデーレさんも勝った。勝ったと喜びながら仕事に戻っていった。残されたわたし達は再び、カツカツと音を立てながら遊んでいる。

「うん。それはなんだ?」

 ロパートさん達は会議が終わったのか、わたし達が遊んでいる広間にやってきていた。コーデリアが『ビリヤード』じゃ。と説明していく。ロパートさん達も興味を持ったのか、カツカツと音を立てながら遊びだした。……また『ビリヤード講習会』が始まって、また! ロパートさんとか、ルパートとか、公爵とかは私よりも巧くなったー! やっぱりうわーん。
 その上、これは面白いとかいって、喫煙室に持ち込んでいかれちゃったー。かえせー。男連中は喫煙室で葉巻を吸いながら『ビリヤード』をやっているらしい。くっすん。

 食事が終わってからも会議に集まった貴族達は喫煙室で『ビリヤード』に嵌まったらしい。しばらくタウンハウスに泊まり込む事になるからいい暇つぶしになるとか言ってる。ふんだ。わたしは負けるもんかと思いながら、コーデリアやタルコットと相談して『トランプ』を作ろうとしている。あと『バックギャモン』とか『オセロ』とか……『チェス』はあったけど『トランプ』は無いんだよ。なんでかな? ありそうなものだけどなー。
 さすがコーデリアだ。錬金術でトランプに適した紙質の物を創り出した。そうして画家さんが絵と数字を書き込んでくれた。それで『大富豪』とか『ババ抜き』とか『7並べ』に『ポーカー』『ブラックジャック』をしていた。お金なんか掛けないよ。ただ遊んでいるだけー。
 メイドさんたちを巻き込んだ『ババ抜き』は面白かった……。でも、またー簡単なルールを書いたメモごと、ロパートさんに持っていかれてたー。うわーんかえせー。喫煙室にいる男連中が皆で『ポーカー』や『ブラックジャック』をしているそうだ。メイドさんが教えてくれた。
 しかもロパートさんは、コーデリアにいくつか『トランプ』を作ってくれと相談していた。その他にも『オセロ』も『バックギャモン』も持っていかれたし……くっすん。ひどいよー。

 結局、わたしが頼んで作ってもらった物はみんな、男連中に取られてしまった……おのれー!

「おのれ! ロパート。眼にもの見せてくれるのじゃ!」
「襲撃するで!」

 コーデリアとタルコットが喫煙室にいたロパートさんを襲撃して暴れたそうだ。取り返してきた『オセロ』を意気揚々と持って帰って来た。コーデリア達は逞しいな……。でもコーデリアの魔法の被害に遭ったのはラッセンディルだったそうだ……なんで?

「ロパートのやつがうまくかわしよって、ラッセンディルに当たったのじゃ!」
「ちぃっ! 逃げ足の速い奴や!」

 コーデリアは黒焦げになったラッセンディルをゲシゲシと蹴りながら、文句を言ってた。かわいそうだからラッセンディルに『ヒーリング』を掛けて癒す。復活したラッセンディルは「貴様ら!」と叫んで魔法を唱え、一時魔法合戦がサロンで繰り広げられていた。
 わたしは被害を逃れるように庭にいるエステルの元に逃げ込んでいるのさ……怖いし……。

 アルマさんに聞いたら、ロパートさんってば、喫煙室に持っていった『ビリヤード台』の他にも何台かちゃんと作らせる積もりらしい。なら一台ぐらいよこせー。と主張しているわたしであった。



 

 ロパートはあきの作った『ビリヤード台』を見ながら、これはちょうどいい口実になると考えていた。
 他にも『カード』、『トランプ』と言っているが、このゲームも役に立つ。『銀行』設立に向けて、いやその他の相談や計画の為にも貴族たちを集める必要がある。そう度々舞踏会も行えない。第一それでは人が集まりすぎる。だが、これならまだここに集まった連中しか知られていない。と言うことは先に集まった連中が嵌ってしまったと言えば適当ないい訳になる。
 疑う者は出てくるだろうが疑う者には実際に台を持ち込ませてやらせてみても良いのだ。

「まったく、よくよくいい手を思いついてくれるものだ」
「あきは、そんな積もりで作った訳じゃないと思うけどね」
「そうだ。あきはそんな事を考えてなどいないだろうさ。だが実際にここにいい手がある使わない手はない」
「彼らも本当に嵌まっているしね」

 ルパートは溜息をついて『ビリヤード台』を見た。そこには何本かの棒とあきとコーデリアが作っていた『雷竜の球』が無造作に転がっている。
 現国王たちを排除して、アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵を新しい国王として即位させる計画が密かに進行していた。仲間に引き込みたい貴族を誘う口実に『ビリヤード』が使われていく……。



[12791] 第29話 「カルクスへいこう テオドールとジョゼフィーヌ・ド・ラ・ブリュイエール」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/24 12:41

 第29話 「カルクスへいこう テオドールとジョゼフィーヌ・ド・ラ・ブリュイエール」


 わたしとエルゼさんはアレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵にお誘いでわたし達はトリテノン宮殿にある公爵の館へとやってきた。
 公爵はわたし達を快く出迎えてくれたのだけど、それを見ていた貴族達がなにやらひそひそと話をしていたのが気になる。もっともエルゼさんは気にしていないようだった……。コーデリアには宮殿では気をつけるのじゃ。と忠告された。本当ならコーデリアたちにもついて来て欲しかったのだけど、招待状にはわたしの名前しかなかったのだ。それでも流石に1人で行くのは拙いという事でエルゼさんがわたしの侍女として! ついて来てくれる事になった。よかったよー。

「あきお嬢様。到着したようですわ」
「うん。でも門を通ってから遠いよね」
「ええ」

 公爵の馬車に先導されてわたし達の乗っている馬車は館の玄関にようやくたどり着いた。ターレンハイム家よりも広いんだよ。トリテノン宮殿全体は……さすが、『帝国の首飾り』と呼ばれるだけの事はあるよ。
 館の中に足を踏み入れたわたし達は大勢の使用人の人達に出迎えられた。ずらりと並んだ使用人さん達が一斉に頭を下げてくる光景は、一種異様な光景だと思ってしまう。公爵とわたし達は白い両壁の間に作られた大理石の階段を上がって2階へと向かう。壁の左右には、壁一面を使って絵が描かれている。なんだろう? 戴冠式の絵っぽいな。大きな大広間の中で若い女性が王冠を捧げ持っている。その周りを跪いた百官達が取り囲んでいる絵だ。

「女帝の戴冠式だ」
「あ、やっぱり……」

 でも初代女帝が戴冠式を行った時はこんなに若くなかったんじゃないかな? 絵の中に女帝は10代ぐらいに見えるよ。それに美人でスタイルもいい。本当にこんな感じだったらすごいよねー。そんな事を思いながら階段を上っている。

「女帝がカプール王国の王位に就いたときは、まだ10代だったそうだ。その後大陸を巻き込んだ戦乱があり、カプールを勝利に導き、最後には大陸を統一した最初の王になった」
「へぇー。そうだったんだ。知らなかった」
「ふむ。そうかね。初代女帝アデリーヌはその生涯に3人の王子と5人の王女を産み、帝国の基盤を磐石な物にした……が、しかしその後は誰も初代女帝ほどの権力は握れなかったそうだ」
「どうしてですか?」
「王子、王女達による権力争いだよ。いざこざが絶えなかったらしい」
「纏める人がいなかったんですね」
「そうだろうな」

 公爵はそう言うと2階の廊下に足を踏み入れる。長い廊下の先にある扉には2人の衛士が左右に立って警護していた。てくてくと廊下を進む。扉の前にたどり着いた公爵を見ると衛士達は扉を開け、中に知らせた。

「アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵のお成り!」

 ざわめいていた大広間は一瞬でシンと静まり返る。その静寂を破るように公爵が中へと入っていく。
 わたし達も公爵の後についていくように入っていった。

「広い……」

 なにこれ? 大広間の先が遠いよ。うん。先まで200mはあるね。
 私たちが歩いていくとまるで波が引くように貴族たちが大広間の端の方に下がった。すごいねー。こんな光景見たこと無いよ。公爵が一番上座の位置に付いた途端に貴族達が公爵に群がってくる。それらの貴族たちに対して公爵は意外と愛想良く話しかけていた。

「公爵様、こちらの女性たちはどなたですかな?」
「ルブラン男爵、こちらはターレンハイム家の娘であきと申す娘でな。仲良くしてやってくれ」
「ターレンハイム家の……」

 聞き耳を立てていた貴族たちの目の色が変わった。だからそんな獲物を狙うような眼はやめて下さい。怖いから……。わたしはただにこにこと公爵のそばで笑っていた。ひょっとしたら引き攣っていたかもしれない。
 周囲を見渡してみれば、あちらこちらでひそひそと話をしている貴族達がいる。よく見れば、タウンハウスに来ていた人達だ。なにを話しているんだろう? なんだか深刻そうな顔をしていた。

「どうかしたんですか?」
「えっ? どうしてそう思うのでしょうか、あき様」
「いえ、なんだか深刻そうな顔をしていらしたものですから」

 わたしはちょっと彼らの所に行って聞いてみる。彼らは少し疲れたような顔をして溜息をついた。

「ここのところ連日、会議ばかりをしていたもので、疲れているのかもしれませんな」
「ああ、あまり寝ていないだけです。ご心配なく」
「『ヒーリング』をかけましょうか?」
「それはありがたいですが、あき様もお疲れでしょう」
「わたしは大丈夫ですよ。じゃあ『ヒーリング』」

 わたしは彼らに『ヒーリング』をかけた。うわー。ぼきぼきと骨が鳴る音が聞こえてきた。しばらくすると骨の鳴る音が止み、彼らは元気を取り戻したようだった。

「『ヒーリング』というのは凄いものですな。すっかり体が楽になりました」
「溜まっていた疲れが解れましたな」
「よっぽど疲れていたんですね」
「いや、自分でもこれほどとは思いませんでした」
「ええ、眠気も取れました……」

 彼らが元気そうになってよかったよ。ロパートさんも疲れていたし、会議に出席していた人達はみんな疲れていたんだろうな。

「疲れも取れたようですから、さっそくれいの議題を行っていただきたいですわ」
「うわっ!」
「クルーグハルト男爵……」
「よろしいですね!」
「分かっております」

 エルゼさんに追い立てられるように彼らが大広間から飛び出していった。その後姿を見てエルゼさんが溜息をつく。

「どうしたの?」
「あき様、あまりそう神聖魔法をそう容易くお使いにならないように致しませんといけませんわ」
「そうかな?」
「確かに彼らにお使い頂いた事で、問題は早く終わりそうですが他の者の手前上全員にお使いになる訳には行かないのですから、いいですね!」
「はーい」

 くすん。怒られちゃった……。エルゼさんは公爵と一緒にどこかに行ってしまったし、残されたわたしは仕方ないから壁に描かれている絵でも眺めていよう。描かれている絵は女帝の姿だったけど、女帝の頭には王冠の代わりにノエルと書かれている宝石のついた髪飾りを挿している。胸元には宝石と花をあしらった首飾りがある。右手には輝いている剣を、左手には魔法の杖を持っていた。
 わたしは女帝の絵を見ながら考えていた。髪飾りはノエル……『雪の中の宝石』、カルクスは『帝国の首飾り』、ザクセンは『魔法の杖』でルリタニアは『宝剣』……ああ、それぞれの国の『称号』を女帝は身に着けているのか……。
 結局……女帝の影響から逃れられている国はないんだなー。女帝の生涯を書いた本とかないのかな? あったら読んでみたいな。

 ぼんやり絵を見ながら壁に沿って歩いている。

「前を見て歩かないと危ないですよ。アンダイン湖の聖女様」
「えっ?」

 声を掛けられ振り返ったら目の前に若い貴族の男がわたしの肩を支えるように立っていた。
 金髪を短く切り揃え、ワシのように高い鼻、目つきは鋭く、体も引き締まっている。ピシッとアイロンの掛かった衣装は体にぴったりと合わせていてお金が掛かっているように見える。もしかして公爵の息子だったりするのかな?

「驚かして申し訳ない。私はテオドール・ド・ラ・フォンテーヌです」
「もしかして公爵様の……?」
「ええ、息子です」
「やっぱり、似てる」
「はは、よく言われます」

 テオドールはそう言って笑った。……う~ん。さわやかそうな人なんだけど、あの伯爵もそうだったしな~。やっぱりこの人も、どこかヘンタイ的なところがあるのかな? ちょっと警戒……。

「テオドールさんは、えーっと、やっぱり……」
「私がなにか?」

 やっぱりヘンタイなんですか、とは聞けないよね? どうしようかな。
 そんな事を考えていたら、テオドールは「お1ついかがですか?」とわたしにグラスを差し出してきた。

「これは、なに?」
「カルクス産のスパークリングワインです。ザクセン産の物よりランクは下と言われていますが、結構イケますよ」
「ありがとうございます。頂きます」

 テオドールからグラスを受け取るとクイッと飲んだ。最近スパークリングワインが好きになったんだよ。あちこちで飲んでいるからかな?

「結構、イケる口ですねアンダイン湖の聖女様は」
「えー。聖女じゃないですよー。みんな勘違いしているんです」
「そうでしょうか?」
「だって、病気の人や怪我をしている人を治しただけですよ。神聖魔法を使えるなら出来ますよー。わたしが聖女なら神官の女性はみーんな聖女ですよー」
「そうかもしれませんが、出来るのと実際に行うのは違います。貴女は聖女と呼ばれ、彼女らは呼ばれていません」
「なんでかな~?」
「私にも貴女の噂は聞き及んでいます。『古代遺跡の女神』『アンダイン湖の聖女』、それらは貴女が行ってきた事による称号です。……実際に行うのは中々出来ることじゃありません。普通の神官ならどれだけ儲けられるか、考えてしまいますし、実際に儲けています」
「あはは、コーデリアやルパートのお世話になっているから、お金の心配をしてなかった……どうしよう? 食費を払った方がいいのかな~?」

 あーどうしようかな……。やっぱり払った方がいいよね。でもロパートさんにお金を預けちゃったからないんだよー。困ったな。
 うじうじと考えているわたしをテオドールはおかしそうに見つつ笑い声を上げる。しゃらんと手首に掛けている金のブレスレットが音を立てた。あれっ? もしかしてドワーフのネックレス? 細いのに丈夫そうで見事な細工が施されている。

「気にしなくてもいいのではないでしょうか?」
「そんな事無いよー。やっぱり気になるもん」

 わたしとテオドールが話しているのを見ていた柱の影に隠れている女性が、冥い眼つきで睨んでいるのに気付いた。目から光が失われている。なんかこわいよー。ちらっと見たらテオドールは気付いてない?

「……あの柱の影に隠れている女性なんですが、知っておられる方ですか?」
「うん? 柱の影? ……あの女性は」
「知ってるの?」
「ええ、ジョゼフィーヌ・ド・ラ・ブリュイエールです。ラ・ブリュイエール伯爵家のご令嬢で……私の婚約者です……」
「婚約者がいたんだ? じゃあちゃんとお相手してあげなきゃ、駄目ですよ」

 わたしはそう言ってテオドールを女性の方へと行って貰おうと思ったんだけど……テオドールは、顔を真っ青にして嫌がる。その上に女性の方をちらっと目をやり、ぶるっと体を震わす。どうしたのかな?

「確かに彼女は私の婚約者ではあるのですが、私は……彼女が……」

 そう言うとテオドールは私を、壁に沿って置かれているソファーに座らせると自分も隣に座って彼女の方を見ずに小声で話し始める。

「彼女が……怖いのです」
「こわい?」
「ええ。彼女、ジョゼフィーヌは私の幼馴染という奴です。幼い頃はよく一緒にトリテノン宮殿の中を走り回って遊んでは怒られていました。あの事はマクシミリアン国王もお元気でおられましたし、父と国王はよく一緒に政務を行っていました。いい時代だったと思います。カルクス王国も今とは違って、華やかで国民も豊かに暮らしていましたから……」
「あの~」

 なにか話がずれてきているよね? 彼女の話じゃないの?

「私達は幼い頃によく言い合ったものです。大きくなったらお嫁さんになりたい。なってほしいと……」
「ああ、よく聞く話ですよね。その通りにうまくいく人達はあまりいませんけど、それでどうして仲が悪くなったの?」
「彼女は私の事を愛しています。とても深く……」
「いい話じゃないですか?」

 テオドールは自分の肩を抱くと震えている。うまく言葉が選べていないようだ。そんなにこわいの?
 わたしはちらっと柱の方へ眼をやった。柱の影でジョゼフィーヌは、冥い眼をしたままじっとわたしたちの方を見つめていた。……そこだけ冥い闇が凝っている……う~ん。確かにこわいかも?

「あれはまだ私達が小さく幼い頃でした。私はその頃……小さい兎を飼っていたのです。庭に作られた小屋で毎日、自ら餌をやり小屋を掃除してやりました。私にとってはそれがとても大事な仕事だったのです」
「へー。かわいかったんですね。わたしも兎を見たかったなー」
「ある日、いつものように餌をやりに行くと小屋の前でジョゼフィーヌが、座り込んでいました。私はてっきり、ジョゼフィーヌも兎に餌をやりたがっているのだと思い、そのときの異様な雰囲気に気付かず声を掛けたのです」
「……それで、どうなったの?」
「ジョゼフィーヌは兎を絞め殺して切り刻んでいました。その時のジョゼフィーヌの無表情な顔を見て私は震え上がったものです」
「うっ……」

 でもでもわたしだって、コーデリアの家で暮らしていた時は毎日、鳥や小動物を殺してお肉にしていたんだから、わりと平気かな? テオドールは台所で見た事がなかったのかな……って、そう思うけど、食べる為に殺すのと楽しむ為に殺すのは違うよね。

「私はどうして? と聞きました。彼女がジョゼフィーヌがそんな事をするとは思っていなかったからです。その時彼女は、こう言いました。この兎はテオドールに一番好きだって言われたのよ。テオドールの一番は私のはずなのに! と……」
「兎に嫉妬したんだ?」
「ええ、ですが兎が好きなのとジョゼフィーヌを好きなのはまったく別物です。そう思いませんか?」
「確かに違いますよね」
「そうでしょう。しかし彼女にとっては同じだったのです。私が好きなのはジョゼフィーヌだけであるべきで、他のものに眼を向けるのは浮気だとそう言って私を責めました。その後もいくつか不審な死が起こるのです」
「兎以外にも殺していると言うんですか?」
「ええ、証拠はありませんが……もしかすると人間も殺していると思います。そう私の母親すら……」
「お母さんも? 流石にそこまではしないのでは?」

 わたしがそう言うと、テオドールはふっと寂しそうに笑い。貴女もそう考えてしまいますよね。と言った。そして誰も信じてはくれないのです。とも言う。
 う~ん。いくらなんでもそこまではしないでしょう。と思うんだけど、テオドールの母親の事はジョゼフィーヌも知っているだろうし、でも……。もし仮にジョゼフィーヌがテオドールの母親すら殺したとしよう。……もしかしたら、いやそんな事はないかな?
 テオドールの横顔を見つめた。そうして柱の影にいるジョゼフィーヌを見ながら言った。

「テオドールさん。あなたはカールの街で娼婦に声を掛けた事はありますか?」
「娼婦?」
「ええ、娼婦です」
「私はよくカールの街で色んな人達に声を掛けて話を聞く事はあります。街の人が何を考え、何を望んでいるのかを知る為にです。その中には娼婦もいたかもしれませんが、それが何か?」
「リッパーの噂を聞いた事は?」
「街で娼婦を殺しているという、あのリッパーですか?」
「ええ、そうです」
「……まさか、貴女はジョゼフィーヌが、犯人だとそう思っているんですか?」
「分かりません。ただ街中で捜査をしている騎士団がどこからか圧力を受けていると聞きました。では騎士団に圧力を掛けられる貴族はどれくらいいますか?」

 テオドールはじっと考え込んでいる。わたしだって、ジョゼフィーヌが犯人だとは確信して無いよ。でも騎士団が圧力を受けているのなら、掛けているのは誰だろうと思ったから、テオドールに聞いてみただけなのさ。ジョゼフィーヌさんには悪いけど……話の種になって貰おう。

「王族、私の父であるド・ラ・フォンテーヌ公爵。それに近衛騎士団長のド・ラ・ブリュイエール伯爵家でしょうか?」
「うわっ! 出て来ちゃった」
「えっ、何がですか?」
「ジョゼフィーヌさんとこの名前」
「そう思っていたのでは?」
「公爵家から圧力を掛けて、捜査を進めるようにする事はできますか?」
「それは父がすでにしていると思いますが」
「それなら公爵の圧力を無視しているのかもしれませんね」
「私からも騎士団に言いましょう。リッパーの事は私も気になっておりましたから」
「お願いしますね」
「ええ、分かりました」

 そう言うとテオドールは立ち上がって、どこかに向かって歩き出した。リッパーを捕まえるのはテオドールに任せてしまおう。私にできることはないし……。そう思ってすっかり気の抜けたスパークリングワインの残っているグラスを見つめていた。
 ふっと辺りが暗くなった。視線を上げると目の前にはジョゼフィーヌさんが無表情にわたしを見つめている。

「あのーなにか?」
「テオドールに近づかないで……」
「少しお話しただけで……」
「そんな事はどうでもいいの! 近づかないで!」

 うわっ! こわいよー。全然聞く耳持ってないー。
 しかもその手はなに? わきわきと握ったり放したりしてる。もしかして首をぎゅっとする気なの?

「近づく気は無いんだけど……挨拶はしとかないと、怒られるー」
「……ふっ、まあそうね。貴女にも立場というものがあるでしょうし、いいですわ。それぐらいなら認めてあげましょう」

 めっちゃ上から目線だ。なにその勝ち誇ったような眼は……なんか、むかっとしちゃった。いいもん。テオドールとお話しするもん。ジョゼフィーヌさんには悪いけどリッパーの事は知りたいからねー。

「ふんだ」
「……あまり余計な事は詮索しないほうが身の為ですわ」
「負けないから」
「ふっ!」

 ジョゼフィーヌさんはそう吐き捨てるように立ち去っていった。なんだか背中に黒い影を背負っているようだ。ジョゼフィーヌさんの周りから貴族の人達も下がっていって、遠巻きにするだけで近づこうとはしない。みんな怖いんだろなー。

 その後はエルゼさんが帰ってくるまで話しかけてきた貴族さん達とお話していた。ここに集まった人達は今の王妃に嫌われたりして王宮でも窓際に左遷されている人たちが多いみたいだ。話していると段々愚痴になっていく。みんなストレスを溜め込んでいるんだなー。貴族でもそうなんだから、平民とか貴族じゃない人達はもっと不満を持っていると思うよ。と言ったら、集まっていた人達がみんな深刻に頷く。分かっていても中々うまくいかないらしい。

「とにかく王妃の浪費を何とかしなければならない」
「財布を取り上げたらいいと思うけど?」
「御用商人から勝手に取引をして支払いを回してきます」
「財務担当者が首都の商人達に財務担当を通さずに売った物には支払わないと言ったら? それで王妃が文句を言ってきても無視しちゃえ」
「人事権を持っているのは国王で、国王は母親のいいなりですから……そうしても勝手に人事を変更するでしょう」
「あの王様を誰かひっぱたいてやったら? わたしが叩いてあげようか?」
「いけません! そんな事をしたらルリタニアと戦争になってしまいます。そうしたらルリタニアと同盟を組んでいるノエル王国やザクセン公国もカルクスに攻め込んで来るでしょう。そうなったらまた領土を失ってしまいます」
「困ったねー。他に王位継承権を持っている貴族と王様を交換しちゃえ」
「王位継承権第2位をお持ちなのはアレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵です。他には先代国王の妹の娘であるロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人がおられますが、この方は少し、困った性癖がありまして王位継承権からは外されております」
「……そうか公爵かー。で、困った性癖って?」
「……なんといいますか、女性でありながら女好きなのです。それに残酷な趣味の持ち主でもあります」
「う~ん。困った人だよねー」

 もしかして公爵はクーデターを起こすつもりなんだろうなー。わたしでも考え付くんだからみんな考えているんだろうなー。深刻なはずだよ……。結局、王妃の浪費だけが問題なんじゃなくて、王妃が先代国王の重臣たちを追い出したのが問題なんだよね。王妃なんだから多少の贅沢も許されるのだろうけど、無計画に使われては困る。という事なんだろう。他にも割り当てなければならないし……。それにやっぱりヘンタイばかりなんだねー伯爵夫人もレズの上にサド趣味だし……。

「今の国王が成人するまで、先代が生きておられたら良かったのですが……」
「言うな! 今更言っても仕方が無い」
「まだ子どもだからな。母親のいいなりにもなる」
「国王としても教育を身に付ける前に王になってしまったのだ」
「はぁ~」

 なんだかみんな溜息をついてる。仕方ないけどさ。国王を叱ってやれる人がいないんだよね。そういう人達は追い出されてしまったから。頭を抱える筈だよ。あれ? 王妃の母親は?

「王妃の母親って誰なの? その人から手紙でも書いて貰って叱って貰ったらどう?」
「ザクセン公国の王妃にですか?」
「うん。王妃のお母さんだし、母親から娘に手紙を書いて貰えたらいいんじゃないかな? ザクセン公国もカルクス王国が潰れるのは困るだろうし」

 下手に潰れて、王妃や王族を引き取るのは嫌みたいだしね。手紙ぐらいですむなら書いて貰えるかも?

「……公爵様に相談してみるか?」
「カルクス王国の恥だが、相手に王妃の母親という立場で言って貰えるなら、それほど傷にはなるまい」
「うむ。そもそもきちんと教育をされていない王女を寄越したのだからな、その辺りを突付けば、なんとかなるかもしれん」
「考えてみる価値はありそうだ」
「やれる事はやらんとな。文面も考えねばならんし」

 貴族さんたちが急いで部屋を出て行っちゃって、代わりにエルゼさんが今日はこの館に泊まって、臨時会議が開かれる事になったと言う。それで何か心当たりが無いかと言われた。だから貴族さんたちとの話を言ったら、それが原因ですわ! とまた怒られたー。くっすん。「あまり寝てませんのに……」と疲れたように言うから、『ヒーリング』を掛けてあげる。そうしたら元気を取り戻しちゃって、一時間ぐらい説教される。うわーん。その上にカルクス王国の税収を増やすアイデアはありませんか? と聞かれたから、『ファッションショー』とか『コンテスト』とか『音楽祭』みたいなのをカルクス王国で開くようにして、カルクス王国の『ブランド』を高めるようにしたらどう? と言っておいた。よく分からないけど、元の世界でもそういうのってあったし、他所の国に取られかかっているとはいえ、元祖とか本家とかいう『ブランド』は残っていると思うしね……。

 わたしも泊まる事になってしまう。帰ろうとしたらエルゼさんに私は会議がありますから帰れませんし、1人で帰す訳にもいきませんからって、怒られた。
 仕方なく用意してもらった部屋で寝る事になる。でも寝る前に会議に出席する貴族達にも『ヒーリング』を掛けてくださいとエルゼさんに言われて全員に掛けたら、みんな元気になった。もしかしてドーピング? でも『ヒーリング』だから体力を取り戻したんだろう。そう考えておこう。でも貴族の人達が鳴らしていた骨の合唱は少し、面白かったかも。
 
 結局、私だけが疲れ果ててベットに横になった。
 おやすみー。ぐー。



 臨時で開かれた会議は白熱している。あきが言った事も理由だったが、それよりも出席している者達全てが『ヒーリング』を掛けられ、体力を取り戻した事の方が大きい。『ヒーリング』は彼らの疲れ果てていた体を癒し、気力、体力を甦らしていた。
 真夜中だというのに公爵家の館はまるで昼間のような喧騒を取り戻している。
 そんな中でジョゼフィーヌは館を抜け出す事が出来ずにいた。テオドールと楽しそうに話をしていたあきに威しをかけようとしていたが、真昼のような喧騒の中ではそれもうまくいきそうにない。ジョゼフィーヌのなかであきに対する憎悪は膨れ上がろうとしていた。
 
 
 テオドールはトリテノン宮殿内にある騎士団の元に向かいリッパーに関する資料を漁っていた。殺害現場や被害者の名を知っていく毎に、ジョゼフィーヌに対する不信感を募らせていく。被害者はテオドールが接触した事のある女たちだったからだ。そうして被害者は立派な馬車に誘われてついていったと書かれている。立派な馬車という噂があるにも拘らず、なぜ娼婦たちは素直についていったのか? 警戒しなかったのか? と考えている最中に犯人は身分の高い女性である。という一文を見つけて冷や汗が吹き出るのを感じていた。娼婦たちは一旦、別の場所に連れ去られ、死体は街に投げ捨てられている事が分かっていた。
 さらに近衛騎士団長のド・ラ・ブリュイエール伯爵家が騎士団に対して圧力を掛けていた事にも恐れを感じずにはいられない。


 この日、カールの街を徘徊するリッパーは出没しなかった。



[12791] 第30話 「カルクスへいこう あきVS伯爵令嬢 血の伯爵夫人」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/26 22:00

 第30話 「カルクスへいこう あきVS伯爵令嬢 血の伯爵夫人」


 ジョゼフィーヌ・ド・ラ・ブリュイエールは、カルクス王国近衛騎士団長を勤めるラ・ブリュイエール伯爵家の令嬢であり、アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵の息子テオドール・ド・ラ・フォンテーヌの婚約者だ。幼少の頃からテオドールの事を思い続けてきた。幼い恋は年とともに形を変えていき……彼女の思いをテオドールが恐れ始めた時、テオドールはジョゼフィーヌを避けだした。
 
 ラ・ブリュイエール伯爵家はカルクス王国首都カールを警護する近衛兵を率いて首都内の治安維持に努める家系だ。ここ最近のリッパーの跳梁と王家からの圧力に頭を抱えている。

 

 公爵家では臨時会議が行われている。館はまるで昼間であるかのように騒がしく、薄暗い廊下を行き来していく者達で慌ただしかった。彼らは両手に書類の束を持ち、足早に通り過ぎていく。
 ジョゼフィーヌはロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人から頂いた毒薬を手の中に隠したまま、扉にぴたりと張り付きながら廊下の様子を窺っていた。

 ――カツカツ……。廊下を通り過ぎていく足音が遠ざかっていった。

 ジョゼフィーヌはゆっくりと音を立てないように気をつけて扉を開ける。すばやく左右を見渡し誰もいないことを確認すると、部屋を出て足早に歩き出す。明かりを細められた廊下は薄暗く喧騒に包まれているとはいえ、今が夜中である事を伝えている。あきの部屋は3階に上がる階段の隣にある。コツコツ小さな音を立ててジョゼフィーヌは階段を踏みしめる。視線はいつしか階段の横に向かう。
 ……この壁の向こうにあの女がいる。ふふふ、泥棒猫、ワタシとテオドールを引き離そうとしている女。許せない。ええ、許す事などできませんわ。
 ジョゼフィーヌの眼は暗く澱み、口元が微笑を湛えていた。



「ぐー」

 あきは気持ち良さそうに夢の中を彷徨っている。生命の腕輪があるとはいえ、流石に会議に参加する者たち全員に『ヒーリング』はきつかった様だ。ごろごろベットの上を転がっていた。
 夢の中であきはエステルの背中に乗って湖を泳いでいる。

「エステルーすごーい」

 寝言を囁き、ごろりとうつ伏せになる。少しだらしない顔でむにゃむにゃとさえ言う。ドレスを脱ぎ、薄い絹の寝巻きに身を包むあきの月明かりに照らされ、吐息を漏らす寝姿はそれなりに色気を漂わせているが色気というよりも、のん気そうな寝顔が台無しにしていた。コーデリアが見れば苦笑を漏らしただろう。

 ――カタッ。

 扉が開かれる音が微かに鳴り、ひんやりとした冬の空気が部屋の中に流れ込む。

「ふみゃ?」

 ぶるりと体を震わせ、ごそごそシーツの中に潜りこもうとしている。
 明かりに消えた部屋の中を月明かりだけを頼りにジョゼフィーヌはベットに近づき、毒薬を垂らそうとしたが、シーツに潜りこんでいるあきには飲ませられそうにない。仕方なくジョゼフィーヌは短剣を取り出し振りかぶると勢いよく突きたてた!

 ――ザクッとした音と共に短剣はベットに突き刺さり、シーツが縫い付けられる。

「ふみゅ?」

 ごそごそとあきが、シーツの中で寝惚け眼を擦りながら突き立った短剣を眺める。蹲ったままじーっと見つめ、シーツから顔を出す。ベットの横ではジョゼフィーヌが短剣を突き刺した格好でベットに覆いかぶさるようにして前のめりに立っていた。

「……どうしたの?」

 あきはあくび混じりにジョゼフィーヌに問いかける。

「ちっ!」

 ジョゼフィーヌは素早く短剣を抜き出して振りかぶった。寝惚けていたあきの目の焦点が短剣と合った。振り下ろされる短剣から逃げ出そうとわたしは、ごろごろジョゼフィーヌの方へと転がっていく。
 
 
 身を乗り出していたジョゼフィーヌのお腹にわたしの肩がぶつかり、体勢を崩したようにわたしの上に覆いかぶさっている。ジョゼフィーヌのお腹の下をもぞもぞと潜り抜けて、わたしはベットの端へと逃げ出した。

「なにをするー」
「死んでお願いだから!」
「死にたくない!」

 大声で叫んでいるうちに完全に眼が覚めてしまった。
 ベットの端に逃げ込んだわたしを殺そうとしてジョゼフィーヌが毒薬を取り出して回り込もうとしてくる。わたしはベットの上をごろごろと逃げ回る。そして転がり落ちてしまった。

「これで終わりよ!」
「や!」

 かかとでジョゼフィーヌの左足のつま先を踏みつける。金糸銀糸で誂えられた薄い部屋履き用の靴の上からつま先を踏まれ足の爪を剥がされたジョゼフィーヌは、その場に蹲ってしまった。その隙にわたしは立ち上がると一目散に部屋を逃げ出す。

「逃がすもんですか!」

 足の先から血を流しつつもジョゼフィーヌは立ち上がると、左足を引き摺りながら扉へと向かう。
 中から見て左の扉が開き、ジョゼフィーヌが姿をあらわした。

「フォース!」

 扉のすぐ横で構えていたあきが神聖魔法の『フォース』を放つ!
 放たれた『フォース』はジョゼフィーヌに直撃し、彼女の体を吹き飛ばしていく。薄暗い廊下の中に飛ばされたジョゼフィーヌはそのまま気を失ったように見える。わたしは少しずつ後ろに下がり、階段の所まで逃げ出すと向けを変え廊下を降りて逃げ出した。

「公爵ーエルゼさんー」

 わたしは階段を駆け下り2階の長い廊下を裸足で走りながら、会議をしている部屋へと急いで逃げようとしていた。

 ――――逃がしませんわ。

「えっ?」

 ジョゼフィーヌの声が聞こえて窓の外に眼を向けた。窓の外にはジョゼフィーヌが上から垂らしている縄を使い、勢いよくガラスへとぶつかり廊下へと飛び込んできた。ガラスの割れる音と一緒にガラスの破片が廊下に飛び散る。裸足では走り抜けられそうにない!
 わたしは走ってきた道をまた戻りだした。背後からジョゼフィーヌが追いかけてくる。
 寝る前に『ヒーリング』を一杯使ったから、もうあんまり使えそうにないのにー!
 階段を駆け上がり、廊下をひた走る。廊下の先にジョゼフィーヌの姿があった。

「先回りされた! どうやって?」
「逃がしませんわ」

 短剣を振り上げ走り寄ってくるジョゼフィーヌの冥い眼と合ってしまう。振りかざした剣で切りつけてきた!

「うわっ!」

 避ける。避けてかわして、逃げ続けているうちに気付いた。
 こいつ素人だ。剣の扱いに慣れている訳じゃない。そうなると余裕がでてきた。ジョゼフィーヌの動きをよく見てかわしながらも剣を取り上げようする。

「テオはワタシのもの……貴女には渡さないわ」
「欲しくないです」

 やたらめったら振り回しているだけの短剣から目を離さずに言う。

「ワタシはテオの事を愛しているのよ。そう。ワタシが一番愛しているの!」
「うわっ聞いてないー」

 狂気に彩られたジョゼフィーヌを見ているうちに沸々と怒りで腹が立ってきた。
 この女――。むかつく!
 こいつがテオドールの事を好きだろうが、愛してようが!
 ――俺には関係ないだろう!

 首筋を狙った短剣で切りつけられる。
 ――避けきれない。
 瞬時にそう判断を下した。ジョゼフィーヌの振るった刃を左腕で払って流す。
 ざっくりと切り開かれた腕から血が溢れだした。ぼたぼたと廊下に落ち、広がる。
 激痛を感じた。悲鳴も呻き声も上げる余裕は無い。ギリッと歯を噛み締め、押し殺す。

「なめんな!」

 おもいっきりジョゼフィーヌの顔面に右の拳を叩き込んだ!
 拳がジョゼフィーヌの頬を歪ませ、首を捻ると共に仰向けに倒れていく。体を捻った時に廊下の壁に血が撒き散って、血の雫をたらしていった。足元に転がっている短剣を蹴り飛ばし、遠くへ飛ばす。

「『ヒーリング』」

 左腕に『ヒーリング』を掛けながら、未だ血の滴る腕でジョゼフィーヌの胸倉を掴んで持ち上げた。

「うっ……ぐっ!」
「あんま、人をなめんなよ。こちとら神聖魔法の使い手だぜ。多少の傷はすぐ直せるんだ」

 睨みつけ、もう一発殴る。壁にジョゼフィーヌの体を押し付け、顔面をまた殴りつけた。
 ジョゼフィーヌの後頭部が壁に叩きつけられ鈍い音が薄暗い廊下に響く。

「化物……」
「てめえに言われる筋合いねえよ。『ヒーリング』を掛けてやる。治ったら殴り合いだ。いくぜ!」

 『ヒーリング』を掛ける。
 ジョゼフィーヌの体の傷が癒され、元に戻っていった。
 頭がくらっとする。神聖魔法の使いすぎだ。今日はこれで打ち止めだな……。
 ジョゼフィーヌが掴み掛かってくる。それに合わせて右の拳を突き上げ、顔面に叩き込んだ。ジョゼフィーヌが苦悶の表情を浮かべながらも睨みつけてくる。

「あ、貴女何者よ……?」
「神聖魔法の使い手で見習い錬金術師だ。女を苛めるのは好きじゃないんだが、人を殺しに来たんだ。

てめえ覚悟はできてるんだろうな!」
「えっ? えっ?」

 ジョゼフィーヌは訳が分からない。といった顔で俺を見つめてくる。最近肉体に引き摺られていたとはいえ、元は男だ。いくら肉体が女になったと言っても、素人の女に負けるほど弱くはねえよ。

「いくぜ!」
「い、いやぁ~! こないでー!」

 廊下に切羽詰ったジョゼフィーヌの悲鳴が響き渡る。眼を一杯に見開き、冥かった眼は恐れている表情を浮かべ、大きく開けた口からは涎が飛び散っていた。
 身分を嵩に来て、弱い立場の者を追い詰め殺してきた冷酷さも貴族のプライドも剥ぎ取られ、剥きだしの本性が現れている。

「そいつはてめえが殺してきた女たちに言いな、リッパー!」
「ち、違うワタシはリッパーじゃない! 違うの……」

 叩きつけようとした拳を止めた。ゆっくりと拳を戻し、ジョゼフィーヌの様子を窺う。
 怯えきった眼から涙がぼろぼろ零れている。
 ……嘘か? いや、でもこいつは刃物の扱いは素人だ。人一人解体なんかできる様な力が無い。共犯者がいるのか?
 拳を握り締めたまま少し考えていた。

「1つ確認するが、テオドールの母親はお前が殺したのか?」
「違うわ。テオのお母様はワタシとテオの結婚を望んでくれていたもの、ワタシの事を分かっていてくれいてたし、あの方が亡くなっていなければ今頃、ワタシとテオは結婚できていたわ」
「はあ? 母親が亡くなったから結婚できなくなった? どういう事?」
「テオは喪に服しているのよ。そう言ったもの」

 ジョゼフィーヌはテオドールを信じきった眼で言い切った。

 ――どたばたとしたブーツの音が聞こえてきた。

 流石に誰か気付いたようだ。階段を上ってくる音と共に衛士たちが姿をあらわす。
 衛士たちは壁に背をつけへたり込んでぼろぼろと泣いているジョゼフィーヌとその前に立っている俺を見比べ、困惑していた。
 そのうち、気を取り直したのか……。

「これはどういう事でしょうか?」

 とおそるおそると言った感じで声を発した。

「……テオドールに近づいたわたしを殺しに来たんだよ」
「は、はあ~。誰が?」
「ジョゼフィーヌが」
「誰を?」
「わたしを」
「はぁ~」

 衛士たちは呆けている。困惑している表情がさらに困ったような顔になっていった。
 そうこうしているうちに公爵たちも駆けつけてくる。エルゼさんがへたり込んでいるジョゼフィーヌに手を貸して立たせようとする。その時、ジョゼフィーヌの手元から毒薬の入った袋が零れ落ちた。ジョゼフィーヌより早くエルゼさんは袋を拾い上げ、懐に仕舞い込んだ。

「何があったんだ!」
「は! あき嬢の話によりますと、ジョゼフィーヌ・ド・ラ・ブリュイエール様がテオドール様に近づこうとしているあき嬢を殺害しようとして襲い掛かったものだそうです」

 公爵の問いに衛士は直立して答えた。
 公爵は俺とジョゼフィーヌを見比べ、ふう~。と溜息をついた。それから右手の指先で目頭を押さえ軽く動かしている。エルゼさんが、公爵の耳元でなにやら呟いている。それに頷くと俺の方を向き、深刻な顔でジョゼフィーヌも含めた皆を下がらせる。
 廊下の片隅で俺と公爵、そしてエルゼさんの3人が話をする事になってしまう。公爵は悲しそうな目でジョゼフィーヌを見ていた。

「ジョゼフィーヌが毒薬を手にしていた事はここにいるクルーグハルト男爵が確認した。……そこでだが……どうする?」
「毒薬をどこから手に入れたのかと、リッパーじゃないって言ってたからその確認をしてほしいな。……う~んと、後はいいよ」

 公爵は口をあんぐりと開けたまま、何度か首を振った。
 そうしてもう一度、俺の方を見つめる。
 エルゼさんはホッとした様に溜息をついた。

「いいのかね?」
「わたしはいいんですけど……公爵、公爵の奥方が亡くなったのはジョゼフィーヌが関わっているんですか?」
「いや違う。テオから聞いたのかね?」
「ええ」
「……妻が亡くなったのは、王家の差し金だよ。ジョゼフィーヌの所為ではない。テオはそう信じているようだがね。あれにも困ったものだ」
「テオはジョゼフィーヌの事を怖がっているようですが?」
「ああ、兎を殺した話だろう」

 公爵は遠くを見るような眼をしながら話す。

「本当なんですか?」
「殺したのは本当だ。もっとも本来ならテオがやらなくてはならない事だったのだがな」
「どういう事ですか?」
「簡単な話だ。病気だよ。あの時は家畜小屋で病気は蔓延していた。兎だけではない。鳥も病に罹っていた。だから病気に罹っている家畜を処分しなければならなくなったのだ。兎とて例外にはできなかった」
「はぁ~。で、テオは殺せなかったんですね」
「そうだ。だが放って置くわけにはいかない」
「そこでジョゼフィーヌが、兎を処分した?」
「そうだ」

 鳥インフルエンザみたいなものか、かわいそうだけど病気を流行らせる訳にはいかないから、処分しなければならない。テオは可愛がっていた兎を殺せずに世話をしていて、心配したジョゼフィーヌが代わりに殺した。……なんというかジョゼフィーヌは貧乏くじを引かされたな。

「でもなぜ、テオはジョゼフィーヌが母親を殺したと思っているんだろう?」
「母親が病に倒れた時に献身的に世話をしてくれていたのが、ジョゼフィーヌだ。妻は感謝していたが、結局治らずに死んでしまった。テオはジョゼフィーヌがちゃんと世話をしなかったから死んだのだと思い込んだのだ。自分は世話をしなかったくせに!」
「……なんというか、ジョゼフィーヌがかわいそうになってきた」
「隣で泣くだけなら誰でもできる。だが世話をするのは大変だよ。君にはそれが分かるだろう。『アンダイン湖の聖女』と呼ばれる君ならばな」
「テオと結婚していないのは? 喪に服しているからと言っているようですが?」
「たんなるテオの言い訳だよ。断るならはっきりと断ればいいものを逃げているだけだ。私としてはジョゼフィーヌには、テオではなく、もっといい相手を探して欲しいぐらいだよ。テオの父親である私が言うような事ではないが……な」
「ジョゼフィーヌはテオの事が好きですからね……」
「うまくいかないものだな」
「そうですね。ジョゼフィーヌの事は公爵にお任せします。ただ毒薬とリッパーに関してはこちらにも報告を頂きたい」
「うむ。それに関してはこちらで調べよう」

 後の事はエルゼさんに任せて、俺は部屋に戻り、もう休むことにする。寝ないと神聖魔法も使えそうに無いよ……。
 ごそごそとベットに潜りこんで寝た。ぐー。


 部屋の外では公爵が衛士達に緘口令を出し、今夜の一件を忘れるように指示する。
 エルゼはベットで寝ているあきを見ると溜息をつき、公爵と協議を行い今夜の事についてルリタニアは不問にする事に合意した。あきには悪いが……いや、あきも構わないと言っているのだから、問題ないだろうとの判断からである。それに大事の前の小事だとエルゼは考えていた。むしろあきがジョゼフィーヌを処分しろと言い張った時は、なんと言って止めようかと考えていたぐらいだ。
 しかし毒薬の入手先とリッパーにのみ解明を求めただけで後は構わないといった時は本当にホッとした。
 ロパートがジョゼフィーヌを処分しろとは言わないだろうが、コーデリア達は怒るだろう。それでもあき本人が構わないと言うのであれば、それ以上は何も言わないだろう。

「どうなる事になるかと思いましたが、ホッとしました」
「私もだ。あき嬢には感謝しなくてはな。ラ・ブリュイエール伯爵家もあき嬢に感謝するだろう」

 公爵とエルゼは会議に戻っていく。



 翌朝、目を覚ましたらもう陽が高く昇っていた。

「ふわー。寝過ごしたよー」

 慌てて起きだす。右手がすごく腫れあがって痛かったので『ヒーリング』を掛けて癒した。それからドレスに着替えて部屋を出たら……なぜか、公爵家の使用人さんたちのわたしを見る眼が生暖かい。なんでだろう?
 ふわわ。とあくびを噛み殺し、食堂へと向かう。
 食堂にはジョゼフィーヌが萎れきって俯いたまま座っている。わたしが食堂に入っていくと、ぱっと顔を上げ見つめてくる。
 昨夜は泣いていたのか厚ぼったく目蓋を腫らしていた。
 メイドさんたちがわたしとジョゼフィーヌを遠巻きにしてちらちらと見ていた。

「おはようー」
「お、おはようございます」
「眼が赤いよ? う~んと、『ヒーリング』」

 泣き腫らした顔を見てわたしはジョゼフィーヌに『ヒーリング』を掛けた。うん。寝たら調子がいい。回復魔法系だけは、もの凄い勢いでレベルが上がっているようだ。
 萎れきっていたジョゼフィーヌは、あっという間に顔色も良くなり目蓋も元に戻っていく。

「あ、あの……」
「うん? どうしたの?」
「ワ、ワタシはあなたの事を……」
「……テオドールの事は狙ってないよ。だから安心していいよ」

 椅子に座ったまま俯いているジョゼフィーヌをぎゅっと抱き締め、ぽんぽんと頭を撫でるように叩いた。

「はぁー」

 ジョゼフィーヌが深く溜息をつく。
 そのホッとした顔を見ながら、わたしはメイドさんにお願いした。

「お腹が空いたから、ご飯ちょうだい。ジョゼフィーヌも一緒に食べよう」
「え、ええ」

 やがて運ばれてきた朝食はやけに豪華だった……。
 なんでかな? と思っていたら、運んできたメイドさんが「ジョゼフィーヌ様の事をありがとうございます。とコックが申しております」と小さく言って下がっていった。ジョゼフィーヌって、公爵家の人達から好かれているようだ。
 ありがたく頂く事にする。

「うまうま」
「おいしいですわね」
「ほんと、おいしいね」

 もそもそと食べていたジョゼフィーヌも少しずつ食欲が戻ってきたのか、テーブルに出されている食事を平らげていった。
 昨日の話は出さないようにしていたんだけど……ジョゼフィーヌがぽつりと「ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人に頂きましたの」と言う。何の話かな? と思ったけど、考えたら昨日の毒薬の話だった。そうかーロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人かー。
 確か、先代国王の妹だったっけ? レズでサド趣味って言われてたな……。困ったもんだ。
 食事が終わってからジョゼフィーヌにはゆっくりと休むように言った。

「『ヒーリング』を掛けたけど寝るのも大事だからね」
「はい。休みます。……テオドールはワタシの事を……」
「大丈夫だよ。公爵もテオドールとの結婚は認めてるし、強引に結婚して尻に敷いちゃえ」
「お尻にですか?」
「そうそう。ああいう男は優柔不断だから、強引にいったらいいと思うよ」
「そうですわね。ふふふ」

 ジョゼフィーヌの顔に笑顔が戻っていった。やっぱり女の子は笑っている方がいい。
 そうしてジョゼフィーヌを部屋まで送ってベットに寝かせた。

「はい。おやすみー」
「おやすみなさい」

 大広間にやってきたらテオドールが息を切らせて走ってきた。手には書類が握られている。

「あき嬢。……ジョゼフィーヌは本当にリッパーかもしれない」

 深刻そうに言いながら書類を手渡してくる。なんだかホッとしているようだ。テオドールから受け取った書類を左手に持ち替えた。

「その事なら違うよ」
「えっ? どういう事ですか?」

 訳が分からないといった顔でテオドールがわたしを見てくる。言っておいてなんなんだけど……ちょっとムカついたからいいよね。

「テオドール。歯を食いしばってね」
「え、え?」
「ほら早く」
「は、はい」

 歯を食いしばったのを確認してから、テオドールを一発殴っておいた。
 テオドールは右の頬を押さえたまま、呆然と眼詰めてくる。

「ジョゼフィーヌの事をちゃんと見てなきゃ駄目だよ」
「はい。見張っておきます」
「ちがーう! ジョゼフィーヌはリッパーじゃないし、もしかしたら今度はジョゼフィーヌが狙われるかもしれないでしょ? だから助けてあげてね。いい?」
「は、はぁ~」
「ほら、シャキッとして! ジョゼフィーヌのところにいってらっしゃーい」

 テオドールを送り出してみたものの大丈夫かな~。不安だよー。
 なんというかテオドールは、自分の周りに起こる厄介事を自分で処理せずにジョゼフィーヌに尻拭いしてもらっていたんだよ。それなのに自分の事しか見えてなくて、ジョゼフィーヌに八つ当たりしてる。ジョゼフィーヌが歪むのも分かるなー。でもこれからはテオドールもジョゼフィーヌに尻に敷かれてしまうんだよー。面白いよねー。

 

 部屋に戻ってテオドールから受け取った書類に目を通す。
 リッパーに関する報告書だったけど……その中にロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人に関する一項があった。
 伯爵夫人のいるベルリオーズ伯爵領ではここ2,3年……若い女性が行方不明になったり、殺されているのが発見されたりと死者の数が急増していると書かれていた。
 伯爵夫人が館の女の使用人たちを酷く虐待し、しばしば死に至らしめる事もあるという噂が流れてきているとの事だった。ベルリオーズ伯爵領では、ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人は『血の伯爵夫人』と言葉少なに囁かれているという。
 ただ先代国王の妹であると言う事と、ド・ベルリオーズ伯爵というカルクス王国でも広大な領地を所有している裕福な貴族の奥方である為に誰も咎めだて出来ないでいる。
 さらに王妃とは仲も良く、よく2人で宮廷内で話しているところを目撃されている。宮廷に出入りしている貴族の中では、ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人こそが実質的な王妃だと言う者もいるそうだ。

「これは確かに手出ししにくいな……」

 わたしは報告書を読んでそんな感想を持ってしまう。
 レズのサド趣味でさらに、『血塗れ伯爵夫人』かー。困ったねー。どうしようか?
 う~んう~んと悩んだ挙句、わたしはコーデリアに相談する事にした。宮廷の中なんて分かんないし……。

 という訳で、御者さんにターレンハイム家のタウンハウスに手紙を持っていって貰う事にした。

「お願いしますね」
「はい。かしこまりました」
「いってらっしゃーい」

 御者さんは馬に鞭を放ち、風のように早く駆け抜けていく。
 わたしはそれを見送りながら手を振っていた。

 遠くに見えるトリテノン宮殿の庭で王妃が遠目から見ても豪勢なドレスを着た女性と共に散歩している。
 空はまだ青い。

 ……吸血鬼という訳でもないんだなーなんて、つまらない事を思ってしまった。

 その頃、館の中では公爵はテオドールとジョゼフィーヌの婚姻を発表しようか、迷っていた。テオドールの嫁としては、いい娘だと思うが……テオドールが恐れているのも確かではある。
 結婚してもうまく行かないのではないかと不安を感じてもいた。
 どちらかというと公爵はジョゼフィーヌの事を娘のように考えていた。できるだけ幸せになって貰いたい。本当に小さく幼い赤子の時から知っている娘だ。その幸せを願わない訳がない。
 その為にもテオドールにはしっかりして貰いたかったのだが……。

「うまくいかないものだな……」

 公爵は執務室の椅子に座り考え込んでいる。

 もっとも別の部屋ではテオドールがあきに殴られた痕を、ジョゼフィーヌに治療して貰っていた。
 甲斐甲斐しくテオドールの世話を焼いているジョゼフィーヌは、幸せそうだった。

「それで……『テオドール。歯を食いしばってね』と言ってあき嬢に私は殴られてしまったんだ」
「まあ、あき様ったら……」

 テオドールが殴られたときの話をするとジョゼフィーヌが口を押さえながら、ころころと楽しそうに笑う。その顔を見てテオドールは憮然とした顔をしている。

「君はあき嬢の事を嫌っていたのではないのか?」
「ええ、そうでしたわ。でももういいんですの……あの方とは仲良くなれそうですわ」
「……そうかい?」

 にこやかに笑うジョゼフィーヌの表情をテオドールは眩しそうに見つめていた。



[12791] 第31話 「カルクスへいこう 血の伯爵夫人 コルデリアの聖女 Call me Queen」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/28 18:26

 第31話 「カルクスへいこう 血の伯爵夫人 コルデリアの聖女 Call me Queen」


 『血の伯爵夫人』ことロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人についてコーデリアたちに相談しようと、御者さんに頼んだらお昼前にエステルに乗って、コーデリアにタルコット、ルパート、ラッセンディルの4人がやってきた。
 公爵の館にいた貴族達がエステルを見ると怯えたように逃げ惑っていた。トリテノン宮殿の方でも大騒ぎになっているようだ。

「だーかーらー気をつけろと言うたのじゃ!」

 出迎えたわたしはいきなり怒られてしょぼんしてしまい、ルパートとタルコットに慰められる。

「でも無事でよかったわ」
「そうやで、あきも女の子やねんから、気をつけんといかんよ」

 コーデリアの後ろでラッセンディルが苦笑いをしていた。エステルも慰めるようにわたしを鼻先でつんつんつついている。

「まあ『血の伯爵夫人』とやらはなんとかしてやるさ。コーデリアもそう怒ってやるな」
「それは、分かっておるのじゃ」

 ラッセンディルの言葉にコーデリアはボソッと呟く。

「御者から受け取った手紙を読んだ途端、コーデリアは心配したらしく慌てて飛び出してきたんだ。あきもそう気を落とすな」
「ごめんなさい」

 わたしはコーデリアに心配を掛けた事を謝った。コーデリアは「「それはいいのじゃ」とそっぽを向いたまま照れくさそうに言った。

「それであきを苛めたのは誰なのー? エステルがやっつけてあげるのー」
「エステルー。それはいいんだよー」
「なんでー。やっつけるのー」
「わたしは大丈夫だから……」

 翼をバタバタさせて騒いでいるエステルをなんとか宥めて、それからわたしの部屋へと向かう。途中でエルゼさんと出会った。エルゼさんはコーデリアたちの顔を見ると一瞬、驚いたような顔をしたけど、コーデリアがさっと手を振るとそのままどこかへ行ってしまう。
 なんでだろう? 顔色が悪かったけど……。
 公爵が書類を読みつつ貴族と話をしながら会議室へと入っていった。
 よくあれで歩けるよねー。そう言ったら、コーデリアは慣れじゃろう。と返してくる。

 部屋の中でコーデリアとラッセンディルに昨日の話をする。途中で、ジョゼフィーヌの話になるとベットで胡坐を組んでいたコーデリアとタルコットの眉がピクッと動いたけど、わたしが「ジョゼフィーヌもかわいそうだよね」と言うと何も言わずに黙って聞いていた。
 ソファーにもたれて、床に座り込んでラッセンディルはリッパーの報告書を読み耽っていた。ルパートは鏡台の前に置かれている大きな椅子に座ってわたし達を見ていた。
 ラッセンディルも普通に座ればいいのに……そんな風に思ってしまう。

「なるほど、こいつは性質が悪いな」

 報告書から顔を上げてラッセンディルが言う。

「先代国王の妹が好き勝手しておるのじゃろう。特に目新しい話ではないのじゃ」
「問題はこいつが誰と繋がっているかだな」
「うむ。国王の妹がわざわざ自分の手で女を攫ってくる訳もないじゃろうし、特殊な毒薬を作り出せるとは考え難いのじゃ」

 コーデリアとラッセンディルが言い合う。ラッセンディルは、報告書を覗き込みながらあーでもない。こーでもないと話していた。
 わたしは2人の話を聞きながらふと疑問が出てきた。

「あのさ、伯爵夫人はトリテノン宮殿で生活しているんだよ。王妃や国王は気づいてないのかな?」

 わたしがそう言うと2人は肩を竦めて言う。

「気付いてるだろうさ」
「気付いておるじゃろうな」
「じゃあなんでかな?」

 ラッセンディルが報告書をぽんと手の甲で軽く叩き、苦々しく笑って言う。

「王妃や国王も関わっているんだろう」
「そうじゃ。そうでもなければ、流石に王宮では大人しくするか、別の場所に住むはずじゃ」
「じゃあトリテノン宮殿で女性が殺されていると?」
「いや、流石に殺すのは違う場所じゃろうな」
「宮殿では他の貴族の眼があるからな」





 『血の伯爵夫人』ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人。

 先代国王マクシミリアン・パストゥールの末の妹である。先代国王が在位していた頃にカルクス王国でも辺境の地ベルリオーズ伯爵領を支配する。ガスパール・ド・ベルリオーズ伯爵と結婚した。ド・ベルリオーズ伯爵家はカルクス王国の中でも帝国戦争以来の名家、名門と呼ばれ、その領地には豊かな金鉱を有している。先代国王が崩御した後のカルクス王国の中にあって財政的に没落しかかっている他の貴族たちとは違い、現在でも富裕な富を蓄えていた。
 ガスパール・ド・ベルリオーズ伯爵は高い教養と豊かな財力を持ち、先代国王そして公爵と共にカルクス王国の政務を司っていた事もあり、カルクス王国を『芸術の都』『音楽の都』というブランド化を推進していた立役者の一角でもあった。
 しかし数年前に……原因不明の病によって亡くなっている。噂では伯爵夫人が毒殺したのではないか? と言うものもあったが、真相は未だ解明されてはいない。先代国王が崩御した後、ド・ベルリオーズ伯爵家に……いや、先代国王の妹の元に調査員を派遣する事のできる権力者はアレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵しかいなかったが、公爵と王妃の対立により、調査は断念された。
 伯爵が亡くなった後、ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人がド・ベルリオーズ伯爵家の全ての財産を受け継ぎ、その財産を湯水のように使っていると言う……。
 ガスパール・ド・ベルリオーズ伯爵の死後、伯爵夫人はその館にいる女の使用人たちに対して酷く虐待しているという噂もあるが、表立って逆らえる者が領地にはいない為、やりたい放題だと流石に貴族たちの中でも眉を顰める者も多いという。

「領民は財産だ。うまく生かせば富を生み出す」
「罪無き領民を殺すなど、館に自ら火を放つようなものだ」
「家畜が汚いからと言って太る前に殺す者がおるか? そんな者はいなーい!」

 貴族らしいエゴイズムからでる発言であるが……大多数の貴族にとっては真理ではあったろう。

「領地経営は領民を生かす事から始まる」

 これは領地を継ぐ後継者たちが厳しく言われる代表的な格言である。
 無論これの大部分は建前ではあるが、貴族が理想とする領地経営者達が語ってきたものであるために一定の抑止力と成りえていた。
 しかし現皇后――王妃デルフィーヌ・パストゥールが女王として君臨した頃から、抑止力が薄れてきたのだった。



 わたしは部屋の中ですっかり寛ぎきっているコーデリア達を見ながら少し呆れていた。
 余裕なのだろうか? ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人とどうやって戦うのか考えるはずなのに……。

「いやでもな。あんなん、ぼこぼこにすんのは簡単やで」
「そうなのじゃ。『血の伯爵夫人』如き、しばきあげてやるのじゃ!」
「頼もしいと言うか、なんと言っていいのか、分かんないねー」

 腕まくりしてどうやってしばきあげてやろうか? と相談しているコーデリアとタルコットを見ながら……なんとも言いようのない気分になってしまう。
 ルパートは鏡台に置かれている香水を手にとって香りを嗅ぎながら「あら、結構いい香りね」なんて言ってるし、ラッセンディルはクローゼットに掛けられているドレスに顔を埋めていた。

「おーい。それは着たこと無いよー」
「なに? そうだったのか! ではいらぬ」
「ラッセン……」

 わたしはがっくりしてしまった。最近真面目だったのに……。
 ラッセンディルはごそごそとタンスを漁ると下着を取り出し、顔に被った。下着から眼だけ出している姿は情けないよ!

「……その下着わたしのじゃない」
「では、誰のだ?」
「未使用品だよー」
「つまらん。あきのは無いのか?」
「もう洗濯してるよー!」
「ええーい。いい加減にするのじゃ!」

 コーデリアのドロップキックがラッセンディルに炸裂する。ラッセンディルはまともに喰らい。吹き飛んでいった。
 すとんと床に降り立ったコーデリアが、どこからともなく取り出した鞭を振るい追撃しようとするが、かわされてしまった。その上、奪い取られてコーデリアに叩きつけようとする。

「だめー。駄目だよ」

 わたしはラッセンディルを止めに入って鞭を奪う。
 
「今じゃ! ラッセンディルを叩くのじゃ!」
「えっ? えっ?」

 コーデリアの叫び声に思わず、鞭を振るってしまった。
 ぴしぴし、と鞭がラッセンディルのお尻に当たる。

「い、いいー。もっとー。もっと強く!」
「えっ? ええー?」

 ラッセンディルは鞭を打たれて喜んでいた。なんでー?
 鞭で叩くのを止めようとするとラッセンディルが「止めないで、もっと打って!」と言って催促してくる。

「えーい」

 ぴしぴしと鞭を振るう。

「ああ、いい。もっと、もっとぶって!」
「もうやだー」

 ぴしぴし叩いていたら、ガチャッと扉が開いて、テオドールが顔を覗かし……そのまま扉を閉めた。

「ああー待ってー誤解しないでー」

 わたしは鞭を放り投げ走って扉に縋りつき開ける。
 扉の外ではテオドールが固まっていた。

「あ、あき嬢は、そういうご趣味だったのですね……」
 
 テオドールは真剣な眼でわたしを見つめながら言った。

「違うよー!」

 泣きそうになりながらわたしは言う。

「い、いえ、わたしは理解はある方だと思います。むしろ……私もぶってほしい!」

 テオドールは縋りつくように言い出した。
 なんでー? ジョゼフィーヌならきっと喜んで叩いてくれるよー。

「いやー! ジョゼフィーヌに頼んでよー!」
「ジョゼフィーヌには言えなかったんです。私がこんな趣味をしているという事は彼女には言えない! でも貴女なら同じ趣味だから分かって貰えるでしょう?」
「違うもん。そんな趣味してないもん!」

 涙目になって言い返していたらジョゼフィーヌが廊下を歩いてくるのが見えた。

「ジョゼフィーヌー」
「ああ、あき嬢。待ってください!」

 わたしは構わずジョゼフィーヌに向かって走り出し、抱きついた。

「ど、どうしたの?」
「実は……」

 廊下にへたり込んだテオドールを無視して、ジョゼフィーヌに訳を話した。ジョゼフィーヌは驚愕していたけど……やがてにっこり笑うと、テオドールに顔を向けた。その表情はまるで聖母のような顔で慈愛に満ち……そして少し病んだ眼をしていた。

「テオ。そうだったの……ワタシは貴方の事を分かってあげられなかったのね。でも安心して、今夜からはワタシが貴方を叩いてあげるわ」
「……ジョゼフィーヌ。こんな私を許してくれるのかい?」
「ええ、許してあげるわ」

 ジョゼフィーヌは廊下に座り込んでいるテオドールをギュッと抱き締めて囁いていた。
 なんだろう? いい光景なはずなのに……こわいよー。ジョゼフィーヌとテオドールがうっとりした眼で見つめ合っている。
 そうして2人は抱き合うように歩いていった。
 
 とぼとぼと部屋に戻る。部屋ではラッセンディルが鞭を持ってわたしを待っていた。期待に満ちた目を見て、がっくりと落ち込んでしまう。なんでわたしの周りには、こんなのしかいないんだろう? うわーん。
 やけになってぴしぴしと叩いて、ヒールのカカトで踏みつけたら、ラッセンディルはヒールをぺろぺろ舐めだした。
 もうやだー。

「あき、似あっとるで!」
「そうじゃ。もっとぶってやるのじゃ!」
「あき、貴女はやっぱりお店で一番になれるわ」
「えーい。女神コルデリア流説得術! Call me Queen!」

 コーデリア達の感想を聞きつつわたしは心の中で泣いていた。くっすん。ヘンタイなんかに……なりたくなーい!




 トリテノン宮殿地下通路から東へ向かった先にロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人の住んでいるプティ・トリテノンがある。地上ではささやかながら農園風景か作られ、鳥を飼う農婦や鍛冶屋、樵まで存在していた。
 ここは元々先代国王が政務に疲れを感じたとき、一時休む為に作られたものだったが末の妹ロザリーが産まれた時マクシミリアンとロザリーの母親である皇后が居住していた。その為にロザリー自身も幼少の頃ここに住んでいた事もあり、彼女がここに住む事を拒絶できる者は王宮にはいなかった。

 その地下室でロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人は立っていた。
 足元にはタライが置かれ、宙吊りになった大きな鳥かごからは鮮血が零れ落ちている。鳥かごの下に立った伯爵夫人は零れ落ちてくる血を浴び体中に塗りたくっていた。地下室の中には生臭い血の匂いが立ちこめ吐き気を誘う。
 だが伯爵夫人の表情は恍惚とし、うっとり目を瞑って時折、滴り落ちる血を手のひらに受け止め、飲み込んでいく。

 地下室の扉の外ではアデーレが鍵穴から中の様子を窺い。公爵夫人の行動を確認すると素早くその場を立ち去っていく。次にアデーレがやって来たのは公爵夫人に殺された娘たちが捨てられている死体置き場だった。
 いくつかの死体を確認しているうちに、カルクス王国におけるターレンハイム家の領地の村に住んでいて、近頃行方が分からなくなっていた娘の遺骸を見つける。娘の遺骸を見るとアデーレの口元に笑みが広がっていく。そうしてアデーレは今度はプティ・トリテノンから立ち去っていった。

 タウンハウスに戻ってきたアデーレから報告を受けたロパートは、娘の父親を呼び出す為に馬車を走らせる。

「ようやく見つけたな」
「はい。エルンスト王子にも報告致します」
「そちらの方は頼むぞ!」
「ええ、かしこまりました」

 ロパートは馬車に乗り込み公爵の館へと急がした。




 首都カールにあるアンシャル大神殿。
 天空の神を信奉している大神殿の大司祭長の下に位置する司祭長アルバン・ド・サルヴェールは神聖魔法を使う事ができない。元々サルヴェール伯爵家の3男坊であり、大神殿で学問を学んでいたが家を継ぐ事はできない為に司祭になったのである。
 その後は伯爵家の後押しもあり、着々と大神殿内では出世を重ね、今では大司祭長の次の位にまでなった。
 ルリタニアにいるという『聖女』の噂はアルバンの耳にも入ってきてはいた。しかしルリタニア王国の事でもあり、ましてや女神コルデリアの『聖女』だからと気にしていなかったが、最近……その『聖女』がルリタニア王国がカルクスの領土を奪い取って支配しているアンダイン湖に現れ、神聖魔法を使って周辺の村人たちを癒したという噂が入ってきた。

「まずい。まずいですぞ」
「いかが致しましょうか?」

 司祭達の問いかけにアルバンはなんと言うべきか、悩んでいた。
 対抗して病を治そうとしてもカルクス王国には、神聖魔法を使える神官は何人もいない。なぜなら貴族の子弟が学問を学ぶ為に神殿へとやってきて、そのまま司祭になっていくのが大半だからである。
 特に天空神アンシャルの神殿では、最高神という自負もあり多彩な儀式や作法が存在し、神の声よりも儀式、作法を完璧にこなせる者が出世していく事の方が多く、低い身分に収まりがちな、神の声を聞くことのできる者は各国に招聘されて行ってしまう。
 したがって首都カールの大神殿と言えど、神聖魔法を使える司祭は大神殿の大司祭長ただ1人だけであった。

「まさか大司祭長様に各地で治療を行え。とも言えまい」
「……確かに」

 今までは神聖魔法を使用して貰えるのは大貴族達だけに許された特権だったが、『聖女』は貧しい者達にも奇跡を行った。
 その事により信者達の中では不満の声が高まっている。『なぜ奇跡を行ってくれないのか?』と神の声を聞く事のできる者はそう多くは無い。そう言い聞かせても、『聖女』は1人で病を癒し続けた。と言う声に掻き消されていく。
 頭の痛い話だった。
 しかも司祭達の報告によれば、『聖女』は回復魔法だけならば大陸でも数少ない高レベルの癒し手だという話だ。

「いったいどれほどの病人を癒してきたのでしょうか?」
「分からん」
「10や20どころではなかろう」
「おそらく何度も自分の命を危険に晒してきたはずだ。そうでなければそれほどのレベルにはなるまい」
「女神コルデリアの『聖女』は……まだ若い女だとか」
「若く美しく慈悲深い『聖女』か……民衆の理想像ではあるな」

 アルバンは言い合う司祭達を尻目に自室へと退く。
 自室の椅子に腰掛け、深く溜息をついた。

 ――コンコン。

 扉を叩くノックの音が聞こえた。

「入りたまえ」

 アルバンが声を掛けると入ってきたのはアルバンの愛人の1人であるニーナ・ド・モンドンヴィル伯爵夫人だった。
 
 ニーナ・ド・モンドンヴィル伯爵夫人は、戦争で没落したモントロン子爵家の娘だったがモントロン子爵が亡くなってからは、母親と共に街娼にまで落ちぶれていた。そんな時にベルリオーズ伯爵夫人の知遇を得て、貴族の教育を受ける事ができた。
 ニーナは美貌と街娼の頃に身に着けた手管で、まんまとモンドンヴィル伯爵を手玉に取り伯爵夫人になりおおせた。そこで満足していれば良かったのだが……、彼女のお金に対する執着心は国政にすら口出しのできる神殿の重役であるアルバンの愛人となる事によって、さらに強くなっていた。

「王妃様が欲しておられるターレンハイム家にも負けぬ。首飾りはどうなっているのでしょうか?」

 モンドンヴィル伯爵夫人がいきなり切り込んできたのを聞くとアルバンは不快な気持ちを抑えきれなくなりそうだった。

「モンドンヴィル伯爵夫人。その件はお断りした筈ですが?」

 アルバンは振り向きもせずに言った。
 頭の中は『聖女』の問題で一杯であったからだ。取るに足らない王妃の見栄の為に莫大な金を使わせる訳にはいかない。それは王宮にいる大臣、貴族達にとって常識となりつつある。
 しかしモンドンヴィル伯爵夫人は、そんなアルバンの態度をせせら笑うように見下し、アルバンの前に立つ。

「王妃様の命令ですわ。お願いしているのではありません。これは命令です。お分かりですね」
「…………ふん」
「捕まって牢屋に入れられたくなければ、なんとか手に入れる事ですわ」
「無理ですな」

 アルバンは言い切った。
 それに対してモンドンヴィル伯爵夫人は話題を変えるように扇子を共に紙切れを取り出し、読み上げる。

「……女神コルデリアの『聖女』がアンダイン湖に現れて癒しを行ったそうですわね。それでアンシャル大神殿には信者達の不満が高くなっているとか? 王妃様もその噂を不快に思っております。何とかしなければなりませんわね」
「……ちっ!」

 アルバンの舌打ちを無視して、モンドンヴィル伯爵夫人はさらに言う。

「王妃様は、あなた方が神聖魔法を使えない事を問題視しております。そのような者を大司祭にしてよいものかと、……この辺りで王妃様の機嫌を取っておく必要があるのではなくて?」
「しかし、ターレンハイム家の首飾りは初代女帝の持ち物だ。それ以上のものなどルリタニア王国でも所有している者はいない。それを越えるなどと、いったいどれほどの物を作り出せというのか!」
「それは貴方が考える事でしょう?」

 アルバンの激昂をモンドンヴィル伯爵夫人はかわして部屋から出て行った。
 部屋に1人残されたアルバンはしばし考え込んでいた。そしてテーブルの上に置かれている便箋を引き出し、アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵宛てに手紙を書き出した。

 ラ・フォンテーヌ公爵の館まで使いに行くよう命じると、再び司祭達の集まっている部屋へと足を向けた。



 夜になった。アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵邸には、ロパートも既にやってきており、公爵と話し合いを行っていた。

「……では、妹のロザリーがリッパーであると言うのか?」
「そうです。ラ・フォンテーヌ公爵」
「なんという事か! あのロザリーが……」

 公爵はがっくりとうな垂れた。幼い頃から仲が良かった妹である。兄マクシミリアンが生きていたらどんなに嘆くだろう。

「ベルリオーズ伯爵夫人は我がターレンハイム家が所有する領地の娘を攫い残虐に殺害しました。ターレンハイム家としては見過ごす訳にはいかない。『領地経営は領民を生かす事から始まる』……そうではありませんでしたかな?」
「その通りだ」

 ロパートの言葉に公爵は噛み締めるように声を出す。

「ここに殺害された娘の父親を連れてきております。即刻踏み込んでベルリオーズ伯爵夫人を捕らえ、確認させなければならない。ルリタニア王国ターレンハイム侯爵家は、カルクス王国の誠意ある行動を望みます」

 公爵の顔に苦渋の表情が浮かび、……やがて、キッと顔を上げた。

「誰か、おるか!」
「はっ!」

 部屋の外で待機していた貴族が公爵の声に返答し部屋に入ってくる。

「我が妹、ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人を捕らえよ! 罪状は……首都カールを騒がすリッパーとしてだ!」

 公爵は叫ぶように声を張り上げた。その言葉に貴族は声を出せないでいた。

「……公爵様!」
「なにをしておる。さっさと兵を集めぬか!」
「はっ!」

 公爵の怒号に貴族は部屋を飛び出していった。しかし部屋を出る前に公爵の眼には涙が浮かんでいるのを確かに見た。
 公爵家の庭先には大勢の兵が集められ、騎士隊長の命により、プティ・トリテノンへと向かっていく。


 わたし達は庭先での騒ぎに気付くとメイドさんに聞いてみた。
 そうしたらロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人を捕らえる為にプティ・トリテノンへ向かったという。

「どうしよう?」
「……行動が早いのじゃ」
「見物に行くか?」
「そうやな。行ってみようや」
「そうね。見に行きましょう」

 という訳でわたし達もエステルの背中に乗っていく事にした。
 行ってみたら、プティ・トリテノンは阿鼻叫喚の大騒ぎになっていた。捕らえられ縄で縛られた貴族や使用人が大勢連れられていく。
 ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人は、昂然と顔を上げて騎士隊長に文句を言っている。

「私を誰だと思っているの!」
「ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人でございます」
「先代国王マクシミリアン・パストゥールの妹にしてベルリオーズ伯爵家の当主よ。その私を捕らえるなんて許されると思っているのかしら?」
「公爵閣下のご命令であります」
「お兄様が……嘘よ。そんな事ある筈無いわ! お前は嘘を言っているのよ。本当は誰に言われたの?」
「公爵閣下であります」

 伯爵夫人はうな垂れ、地面に座り込む。騎士隊長を伯爵夫人を抱きかかえるように持ち上げ、馬車へと乗せようとする。
 わたし達はそんな光景を空から見ていた。地面に降りたら邪魔になりそうだし……。そう思っていたら伯爵夫人が空にいるわたし達に気付いた。

「……そうか。お前がお兄様を誑かしたのね! この魔女! 降りてきなさい」

 伯爵夫人が騒いでいる。魔女ってわたし?
 思わず、自分の顔を指差してコーデリア達に問いかけてしまう。コーデリア達は首を振る。

「ありゃ~まったく自分のした事を分かっとらんで!」
「大量虐殺なのだがな……」
「どうしようもない馬鹿だわ」
「もう帰った方がよさそうなのじゃ」
「魔女じゃないもん」

 がっくりと落ち込んでしまった。
 みんなもなんだか疲れてしまったようだった。そんな中でエステルが「あきは『聖女』だよー」という声が空に響いていた。
 地上ではロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人が空を見上げ、罵る声が聞こえてくるような気がした。
 もう帰って寝よう。それがいいと思う。

 伯爵夫人が捕まった後、館の地下ではロパートに連れて来られていた父親が、娘の遺骸を見せられ泣いていた。

「確かにお前の娘だな」
「はい。そうです」

 問いかける騎士は辛く。父親は泣き出しそうなのを堪えた声で話していた。
 だが、父親が娘の遺骸を抱きかかえ、連れて帰ろうとするのを騎士は止めなければならなかった。

「騎士さま……」
「許せ。ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人を有罪にする為には遺骸を残しておく必要があるのだ。事が終わるまで待っていてくれ」

 騎士は唇を噛み締め言った。父親はその場に泣き崩れ、そばに居た騎士たちに抱えられて地上へと戻っていく。
 被害者の確認が終わるまであと何人の親が泣くところを見なければならないのだろう? そう考えると気が重くなっていく騎士たちだった。

「しかしなぜ、リッパーは娼婦の死体だけ、投げ捨てたのだ?」
「身元の確かな娘を捨てる訳にはいかんだろう。それから目を逸らせる為ではないか?」
「リッパーは娼婦を狙うか? ……では、他の死体はどこへやったのだ?」
「プティ・トリテノンには農園もある。そこへ埋めたのだろうよ」

 騎士たちの溜息が地下室に流れていく。



 公爵家の館に帰ったら、公爵とロパートさんが深刻そうに話し合っていた。

「どうしたの?」
「うん。あきか……」
「王妃の馬鹿さ加減も行き着くとこまできたようだ」

 公爵とロパートさんが溜息をつく。なんだろう? 伯爵夫人が捕まって今度は王妃なの?
 頭が痛くなりそうだよー。



[12791] 第32話 「カルクスへいこう 王妃の首飾り ターレンハイムの首飾り」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/01 18:28

 第32話 「カルクスへいこう 王妃の首飾り ターレンハイムの首飾り」


 アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵の妹ロザリー・ド・ベルリオーズ伯爵夫人が捕まってから10日過ぎた。
 ロパートさんとエルゼさんと公爵は毎日忙しそうに走り回っている。
 伯爵夫人は監獄に一旦入れられているらしい。裁判を行うという話だけど、いったいどれほどの関係者が捕らえられる事になるのか想像も出来ないぐらいだそうだ。
 わたしはというと……伯爵夫人が捕まった翌日から、ロパートさんに頼まれてターレンハイム家にやってくる病人に治癒魔法を掛け続けている毎日であった。最近よくタウンハウスにやってきている貴族とか騎士達が病人たちと彼らを治しているわたしを見比べ驚いたような眼で通り過ぎていく。

「ほれ、あき! 今度はこの赤ん坊じゃ」
「それが終わったら、次はこの子やで!」
「うん。分かったー」

 毎日毎日、やってくる病人の数は増えていき、気がつけば……もう100人以上も治癒魔法を掛けていた。
 なんでかな? と思って病人の受付をしているルパートに聞いてみたら、ロパートさんと公爵にアンシャル大神殿の司祭長アルバン・ド・サルヴェールが頼み込んできたんだって。
 アンシャル大神殿には神聖魔法を使える者がいないから、なんとかしてやってくれという事らしい。
 でも全部の病人に神聖魔法を掛けるのは流石に無理があるから、薬ではなくて神聖魔法でしか治せない病人だけをわたしが神聖魔法を使って癒す事になったのだ……。
 いま目の前にいるのは、子どもがお腹にいる時に魔獣の毒にやられたという元冒険者の母親と赤ん坊だった。母親の方は無事だったんだけど赤ん坊の方は魔獣の毒に犯されて、石の様な皮膚になってしまっている。
 母親の方ははらはらしながら見守っている。なんかプレッシャーが……。
 治癒魔法を掛けると石のような赤ん坊の体が綺麗な皮膚に戻っていく。

「治ったよー」
「ありがとうございます。ありがとうございます」

 母親が何度も頭を下げて帰っていった。
 他にも毒に犯された女の人や男や子どももたくさん来ていた。
 夜遅くまで神聖魔法を使い続けて、ようやく今日の分が終わった。疲れたよー。
 エステルに会いに行ったら、ここのところエステルと遊んでなかったから拗ねてた。

「エステル?」
「ふーんだ」

 ばさばさと翼を揺らして拗ねるエステル。そのくせ、ちらちらっとわたしの方を横目で見てくる。

「エステルってばー」
「あきはお人好しすぎるのよー。ほっといてもいいのにー」
「でも、かわいそうだよ……」
「赤ちゃんはかわいそうなの……でも男はいいと思うのよー」
「そんな風に言っちゃ駄目だよー」

 エステルは首を伸ばしてわたしの顔をじっと覗き込んでくる。

「あきって、男好きなの?」
「えっ?」

 いったい何を言い出すんだろう?
 まじまじとエステルを見返した。

「あきが男に走るなんてー。あきの男好きー」

 そんな事を叫んでエステルは空へと飛んでいった。

「あー。いろんな意味で誤解を招くような事をー!」

 ぐるぐるとタウンハウスの上空を回っているエステルに向かって泣きそうになりながら戻ってきてー! と叫んでいた。
 しばらく言い合いを続けていたらコーデリア達がにやにやしつつ見ていた。うわーん。エステルのばかー!
 館の中へ泣きながら走っていくわたしだった。寝室でぐすぐす泣いていたら、窓の外からエステルが覗きこんでくる。

「あき、ごめんなさいなの」
「エステルー」

 窓の外にいるエステルの顔を撫でながらわたしは頬擦りをしていた。

「あきは男好きじゃないよね?」
「違うもん」
「エステルの事好きだよねー」
「エステルすきー」

 その後、しばらくエステルとお話をしていた。終わりの方になるとエステルはすっかり機嫌を直して巣に戻っていった。



「あき。今日まででなんと、200人超えたわよ」

 エステルが巣に戻ってからルパート達が疲れきって寝室のソファーで、ぐたっとしていたわたしに声を掛けてくる。手には病人のカルテぽい書類を持っていた。

「もうそんなに来てたんだ……」
「流石にあきも、疲れきってるやんか」
「しかし10日で200人以上も癒せる神聖魔法の使い手は、大陸でもそうはいないぞ」

 ぼんやり答えていたら、タルコットとラッセンディルがわたしを見てそんな事を言ってる。ルパートが「寒くなってきたわね」と言いながら、暖炉に火をつけた。しばらく薪を棒で突付いている。その様子を見ながらコーデリアがテーブルの上に置かれていたワインを取り上げ、グラスに注ぐと口を付ける。

「あんまり無理はさせたくないのじゃが……」
「大陸でもトップクラスの『癒し手』になっちゃったわね」
「『治癒魔法』だけはな、そういえばあきは、攻撃魔法系はどうなんだ?」
「フォースしか使った事ないよー」
「へぼへぼだな」
「うー。いいもん」

 床に座り込んでいるラッセンディルにへぼへぼと言われて拗ねてしまう。いいもん。へぼへぼでも、いざとなったら爆弾使うもん。

「しっかし、もったいないな~本当なら金貨20万枚の稼ぎやで」

 テーブルの上で座っていたタルコットがそんな事を言い出した。わたしの隣に座ったコーデリアがふわーとあくびをしつつ言う。

「一件につき金貨1000枚の金を払えるような金持ちは来ていないのじゃ」
「そうね。それだけのお金を払える金持ちなら他の国に行って治して貰ってるわ」

 そうだよね。お金が無いからわたしに頼ってきているんだから……。神聖魔法の値段が高すぎるんだよー。

「そうだな。もっともあきが今まで癒してきた病人からも金を取っていれば今頃、もの凄い金持ちになっていただろうがな」
「それはあきには、似合わないのじゃ」
「かなり無欲やから……」
「あきは『聖女』だしね」
「『お人好し』やと思うで!」

 うー。みんな勝手な事言ってる。『聖女』じゃないもん。

「でも、まあ10日で200人以上を治したのは伝説クラスの偉業だから、あきは凄いわ」
「また『コルデリアの聖女』の噂が広まってしまうのじゃな」

 ルパートは褒めてくれるけど……コーデリアは心配そうな顔をしていた。

「そろそろ『女神の愛娘』と呼ばれだしてるで!」
「『女神の愛娘』……ぐったりしているあきを見ていると女神という感じはしないわね」
「どちらかというと、『女神の小間使い』じゃな」

 タルコットが言うとルパートとコーデリアが笑って返していた。ラッセンディルもここんとこ問診を続けていたものだから疲れているようだ。わたしも眠くなってきちゃった。もう寝よう。
 ベットにパタンと倒れて眠ってしまう。





「しかし、アンシャル大神殿には癒し手がおらぬのか?」
「そうらしいわね」

 あきが眠ってしまったあと、コーデリア達がひそひそと話をしている。コーデリアの問いにルパートが答えていた。

「アンシャル大神殿は儀式とか儀礼に煩いから、神聖魔法の使い手はみんな他の国に行ってしまう事が多いのよ」
「その結果、あきに負担が掛かってしまったか……厄介な話だ」
「それにしてもいくらあきが、お人好しやからと言うてもここまでしてやる事もないで」
「あきにしてみれば、病人は病人だろうけど……それにしても大神殿も不甲斐ないわね」
「他人の尻拭いをしてやっているようなものだからな……」

 コーデリア達は大神殿に対して不満を零していた。本来ならば大神殿が自ら行わなければならない筈である。しかし神聖魔法の使い手がいない以上、あきに頼るしかないのも事実ではある。神聖魔法の使い手は少なく……現時点ではあき以上に治癒魔法を行っている神官は数えるほどしかいない。それも長い年月を掛けて行ってきた。実のところあきほど短期間で使い続けてきた者はいない。
 それゆえに『聖女』『女神の愛娘』『古代遺跡の女神』『アンダイン湖の聖女』と呼ばれている。本人だけが分かっていないだろうが、大陸でも最高レベルの神聖魔法の使い手に成長していた。攻撃魔法はへぼへぼだったが……。

「それにしても、ほんっとに『治癒魔法』ばっかり使っとるなあ~」
「あきが先陣を切って戦う事はないから、ね」

 タルコットが不思議そうな顔で周囲を見渡しながら言う。
 ルパートが肩を竦めながら答え、コーデリアとラッセンディルが溜息をついた。

「……別段、戦わなくてもいいと思うが、『フォース』だけでは心もとないのも確かじゃ」
「いざとなれば、爆弾という手もあるがな」

 ラッセンディルが気楽な顔で言った。
 3人がそれぞれ考え込んでいると寝室の扉が開き、ロパートが入ってきた。

「あきは起きているか?」
「寝てるのじゃ」
「寝てるわよ」
「そうか、仕方が無いな」

 ロパートは手に持っていた鞄を開け、中身をコーデリア達に見せる。
 鞄の中にはターレンハイム家の秘宝――首飾りが入っていた。

「これって……」
「舞踏会の時にあきが身に着けたネックレスじゃな」
「なんでここにあるんや?」
「取り寄せたのか?」
「ああ、こいつを身に着けてあきには、トリテノン宮殿の舞踏会に出席して貰おうと思ってな」

 ロパートがぬけぬけと言う。それを聞いて呆れるようにコーデリアが言い返した。

「お主、あきに何をさせる気じゃ?」
「王妃デルフィーヌ・パストゥールに見せ付けてやるんだ。あの王妃はこいつを欲しがっていた。そこにこれを身に着けたあきが現れれば、必ず大臣たちに無理難題を押し付けるだろう。そうしたらあの王妃を女王の座から引き摺り下ろす理由ができる」

 ロパートはここのところずっと公爵や貴族達と話し合っていた計画をコーデリア達に話した。それを聞いたコーデリアは呆気に取られ、ルパートとタルコットは怒り出した。ラッセンディルはあきの寝顔を見つめていた。

「だからってあきに身に着けさせたら……狙われるのはあきよ! そんな事はさせられない!」
「そうやで! あきはあんたらの為に病人を引き受けてるんや。それだけで充分過ぎるほど役に立ってるはずやろ? これ以上危険な眼に遭わせられんわ!」
「まったく次から次へとあきに厄介事を押し付けるものじゃ!」
「しかしこの役はあきで無いと勤まらん。他の者では贋物だと思われるからな」

 ロパートはあきの噂がカルクスの宮廷に伝わっている事を言いながら説明をしていく。

「どうしてもか?」

 それまで黙って聞いていたラッセンディルが口を開く。
 ロパートはラッセンディルに向き合うと頷いた。

「そうだ。どうしてもあきでなければならん。あきは親父……いやルリタニア王国ターレンハイム侯爵のお気に入りだ。その事はカルクス王国でも知れ渡っている。だからこそ、こいつを身に着けても贋物ではないという説得力を持つ。他の者では無理だ。たとえルパートや俺でもな」
「……『聖女』か……」
「ラッセン……? どうしたんじゃ?」

 ラッセンディルがぼそっと呟いた。
 コーデリアがその言葉を聞いて、ラッセンディルの方を向くと問いかける。

「あきはターレンハイム侯爵家のお嬢様扱いを受けている。そのあきがターレンハイム家の秘宝を身に着けていても誰もおかしくは思わん。……だが、それだけではないのだろう?」
「……ラッセンディル!」

 ロパートはラッセンディルの言葉を遮ろうとして鋭く名を呼ぶ!
 タルコットが不思議そうな表情で首を捻る。コーデリアとルパートはロパートとラッセンディルの2人を見つめていた。

「なんや?」
「あきは『聖女』だ。少なくとも『聖女』と呼ばれ、呼ばれるに値するだけの事をしている。だからこそ! あきが王妃を断罪すれば、王妃に不満を持っているカルクス王国の国民はあきの言葉を支持するだろう。それが狙いか?」
「……そうだ」

 ラッセンディルの言葉にロパートが眉間に皺を寄せ、拳を握り締めたまま答えた。
 その光景に3人は息を飲む。王家を断罪する『聖女』……確かに効果はあるだろうが、あきが危険に晒される事は間違いない。王家だけではなく国政に関わっているアンシャル大神殿も敵に回すかもしれない。ただでさえアンシャル大神殿では病人を癒せずにあきに頼らなければならない状況なのだ。これ以上自分たちの権威を落とすような真似は認めたくないだろう。
 もしかすると、いや確実に命を狙われる事になる。

「うちは認めへんで!」
「わらわもじゃ! そんな事はさせんのじゃ!」
「あたしも反対だわ」

 コーデリア達はロパートを睨みつけ、反対をする。3人の目は怒りが篭っていた。
 その眼を真っ向から見据え、ロパートは口を開く。

「だが! これ以上カルクス王国の国力が落ちるのは他の3国にとっても望ましくない! ただでさえカルクスの国力が落ち、今のうちに征服してしまえ。という主戦論も噴出しているのだ。俺はカルクスの財政を『銀行』によって支配しようとしてきたが、武力で征服しようとする動きも他の国から出ている。王妃の母親であるザクセン公国の皇后さえも押さえ切れなくなっているのだ。いま、なんとかする必要に迫られている。幸いな事にこの国にはまだ公爵が生きている。公爵ならば、と考えている国民も多い。だからこそ王妃を玉座から下ろして公爵に王位に就いてもらう」

 そこまで言い切るとロパートは3人を見渡した。ロパートの額には汗が滲んでいる。そうしてテーブルの上に置かれているワインを瓶ごと掴むとコルクを引き抜き、ぐいっと瓶を傾けラッパ飲みをする。
 コーデリア達は固唾を飲んで見ている。

「ふぅ~。どうした? 言いたい事があるなら聞くぞ」
「その為に『聖女』を利用するのか?」

 睨みつけるように言うロパートに言い返したラッセンディルの声には棘が刺さっていた。

「そうだ。その通りだ! 俺は『聖女』を利用する。俺もあきを連れてカルクスに来た時には……あきがまさかこれほど噂になるとは思っていなかった。『アンダイン湖の聖女』と呼ばれた時も利用しようとは思わなかったが、今回アンシャル大神殿の司祭長アルバン・ド・サルヴェールからどうしても、と頼み込んできた依頼を知った時に俺は利用しようと考えたのだ。そしてあきは『女神の愛娘』と首都カールの者達から呼ばれるようになった。この際、利用できるものならなんでも使うつもりだ! それがたとえ『聖女』であろうともな……」

 ロパートの声は叫び声に近かった。
 あきがベットの上で「うう~ん」と言ってごろりと体勢を変える。コーデリアやルパートはあきを見ながら溜息をつく。

「あきの安全が誰が保証してくれるのかしら? まさか何にも対策を練っていない訳じゃないんでしょ?」

 ルパートがあきの寝顔を見つめながら言う。
 コーデリアもタルコットもその言葉に頷いた。

「そうじゃ。誰があきを守るのじゃ?」

 コーデリアの問いかけにルパートは指を折りながら答える。

「お前たちは勿論として、ルリタニアからエルンスト王子配下のアデーレ以下暗殺部隊。それからカルクス王国の騎士団、盗賊ギルドのメンバー。……ターレンハイム家の騎士達もやってきている。他にも首都カールの商人連合、冒険者ギルドにも連絡がいっている」
「……革命を未然に防ぐ為に集まった連中だな?」

 ロパートの言葉にラッセンディルは辛辣な口調で言った。

「そうなるな。できれば穏便に済ませたい。と思う連中は大勢いる。王妃と国王の首を取り替えればなんとかなりそうだからな」
「カルクスの貴族たちの中には王妃に味方する者も多いでしょう? その人達はどうするのかしら?」
「一気に取り押さえる。流石に王宮の舞踏会ではターレンハイム家の騎士達は表立って動けん。お前達とアデーレ達に期待する」
「ロパート。お主はどうするんじゃ?」
「俺は公爵と共に行動するが、断罪の場には立ち会えん。ルリタニアやターレンハイム家が関わっていると思われる訳にはいかん。ルパートお前もだ」

 ロパートはルパートに釘を刺す。
 慌ててルパートは「じゃあ誰が、あきのエスコートをするの?」と聞いた。

「テオドール・ド・ラ・フォンテーヌにしようと考えたが、公爵と相談した結果、あいつではあきを守る事は出来ん!」
「じゃあ誰じゃ?」

 コーデリアが腕組みをしつつ問う。
 ロパートはにやりと笑うとラッセンディルを見た。一堂の視線がラッセンディルに集まる。

「フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵に頼もうか……」
「俺か?」
「そう。お前だ。フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵、東の塔の天才魔術師……噂は聞いているぞ。お前がやった事もな」

 ラッセンディルは苦々しそうにロパートを睨みつけたが、ロパートから視線を逸らし、あきの寝顔を見ると「よかろう」と答えた。

「……あきを失いたくないのは俺も同じだ」

 ロパートはそう苦しそうに言った。そうしてあきの寝顔を見る。
 寝室の中は騒がしかったが、すやすやとよく眠っているあきを見ると口元を緩ませる。上着の内ポケットから葉巻ケースを取り出すと中から一本葉巻手に取り、ルパートやラッセンディルにも進める。ルパートは断ったがラッセンディルは受け取ると口にくわえた。
 赤々と燃える暖炉から木切れを摘み火をつけ、2人は煙を吐き出す。

「舞踏会であきを守る。王妃の命令であきが襲われるのなら躊躇わずに魔法を使うぞ!」
「かまわん。やってしまえ! ただし王妃は殺すな。恐らくあきが王妃の現状を知ればつい口が滑って文句を言ってしまうだろう。そのときは、お前が抑えろ。もっとも王妃は言い返すだろうがな……その時こそ我々が動く機会だ」

 ラッセンディルが言い切るとロパートは頷き答える。
 それから舞踏会で自分達がどう動くのかを相談し始めた。
 決行は明日の夜――トリテノン宮殿の舞踏会。王妃、国王を退位させ、新たにアレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵をカルクス王国の王位につける計画が進められていく。

 窓の外では雪が降り始めた。月が厚い雲の波間に見え隠れしている。冴え冴えとした青白い光を放って月が地上を見下ろしていた。




 わたしが目を覚ましたら、窓の外に雪が積もっていた。
 一面の銀世界。思わず、庭に飛び出して足跡をざくざくとつけてしまう。

「なにをしとるんや?」
「元気じゃのう」
「えっ、ゆき……」

 太陽の光を反射して輝いている雪の中を走り回っていたわたしは、コーデリアとタルコットに声を掛けられ立ち止まった。コーデリア達に雪に足跡をつけてたと言うと2人とも一緒になって庭を走り回りだす。そうして3人で雪合戦をしたりしている。

「えーい」

 丸めた雪をコーデリアにぶつける。コーデリアは頭の上に雪を乗せたまま投げ返してきた。

「これでも喰らうがよいわ」
「ふふん。うちには当たらんで!」
「あータルコットの周りに風がー!」

 タルコットの周囲には風が渦巻き雪を舞い上げていた。

「精霊魔法なのじゃ。おのれー卑怯者めー喰らうがよいわ!」

 コーデリアが作り出した雪だるまぐらいありそうな雪球がタルコットに向かって飛んでいく。

「なんのーそれしき!」

 コーデリアとタルコットの間で雪球が止まり、ぐるぐると回転していた。回転が早くなるにつれ雪球は周囲の雪を巻き込み大きく大きくなっていった。その様子を見ながらわたしはガタガタ震えているだけだった。こわいよー。
 いつしか巨大になった雪球が宙に浮いたまま回転している。

「あきー」
「エステル?」

 空を見上げるとエステルがばさばさと飛んでやってきた。眼が合うと嬉しそうに翼を一振りする。
 バサッと翼から巻き起こる風によって雪球が崩れ、わたし達3人の頭上から落っこちてきた。

「うわー」
「なんや?」
「エステルー」

 砕けた雪球の下に埋もれてしまうわたし達だった……。うーん、エステルのばかー。
 なんとか助け出されたわたし達3人は館の中で紅茶を啜っていた。コーデリアとタルコットが寒そうに毛布に包まって暖炉の前を占領していた。タルコットの耳がくるくる回っている。

「お主が精霊魔法なんぞ使うからこんな事になるのじゃ」
「コーデリアもむきになってたやんか?」
「……死ぬかと思うたのじゃ」
「うちかてそうや……」

 わたしはメイドさんにお風呂が沸いたと言われたので入りにいく。
 ちゃぽんと湯船に浸かると冷たくなっていた手足の先が痺れたようにじんじんとしている。

「ふわー。気持ちいいなー」

 朝から入るお風呂ってなんでこんなに気持ちいいんだろう?
 ぼんやりしているとコーデリアとタルコットも入ってきた。

「あきーうちらも入りにきたでー」
「そうなのじゃ」

 3人で湯船に浸かってのんびりしていたら、メイドさんがシャーベットを持ってきた。

「あき様。お風呂で食べるシャーベットはおいしいですよー」

 そう言って渡してくれたのでありがたく頂く事にする。わーい。
 でも、じーっとわたしを見てくるメイドさん……どうしたのかな?

「どうしたの?」
「い、いえなんでもありませんわ。失礼しますね」

 そう言ってメイドさんは足早に去っていった。どうしたんだろう?



 うわーうわー。初めてあき様の裸を見ましたわ。
 なんていいプロポーションでしょうか? ふっくらと大きな胸なのにつんと上を向いてるし……それに腰も細いし。そのお肌がほんのり紅く染まって……私が男だったら襲ってますわ! いえ女でも襲いますわ! じゅるり――。あっいけません。よだれが……。
 あのなんにも分かっていなさそうな無防備な笑顔がいけないんです。あれは絶対誘ってますわ。

 こうしてまた1人。悪に染まってしまうメイドが増えた……。



 夕方、わたし達はロパートさんに頼まれてトリテノン宮殿の舞踏会に出席する事になっているんだけど……。なんかみんな緊張してる? なんでかな~。
 メイドさんに着替えさせられながら、周りを見ているとコーデリアとタルコットがドレスの下に武器を隠しているのに気付く。わたしも持っていったほうがいいのかな? って聞いたら生命の腕輪だけでいいんとちゃう? と言われた。
 薄紅色のドレス。胸元と肩をむき出しにして、胸元は青い宝石と紅い宝石で飾られて、首からは青い宝石の周りをダイヤモンドで囲まれた大きなネックレス――ターレンハイム家の秘宝だった、を下げて、手首にはドワーフさんに貰ったブレスレットを填めていた。
 その上にアンクレット? 足首にも宝石を使った飾りをつけて、指輪や髪飾りもつけた。こんなにいっぱい宝石を身につけたことないよー。ドレスにもいっぱい宝石がついてるし……いったいどうしたんだろう?

 館の入り口にまでやってきたら、ラッセンディルがきちんとした正装で待っていた。ちょっと驚く。こうして見るとラッセンディルも二枚目さんなんだよねー。普段から真面目にしていればいいのに……。そうしたらもてそうなんだけどなー。

「今夜のエスコート役はフリッツ・フォン・ラッセンディル男爵じゃ」
「えっ? そうなの」

 ラッセンディルに手を引かれて馬車に乗り込んだ。
 コーデリア達は違う馬車で向かうらしい。馬車に乗り込むときラッセンディルとコーデリア達が目配せしているのに気付いたけど、誰も口を開かなかったので黙っていた。

 トリテノン宮殿の前にはぼろぼろの服を着た人達が息を潜めてわたし達の馬車が通り過ぎるのを見つめている。なんだかもの凄い緊張感が漂っている。
 大勢の人達が集まっているのに馬車の車輪の音しかしない。
 門の中にわたし達が入った途端、背後で『ほぉ~』と溜息が聞こえてきたような……気がした。



 『女神の愛娘』がトリテノン宮殿の門を潜った。
 固唾を呑んで見守っていた首都カールの人々は溜息をつく。今夜ここに集まった人達はこれから何が起こるのか薄々気付いていた。宮殿の周囲は騎士団に取り囲まれている。いつもなら小競り合いが起こるはずなのに今日だけは遠巻きに見守るだけである。
 『女神の愛娘』の噂は彼らも知っている。あきが何をしているのか、それによってどれほどの人達が助けられたのか……。王家に対する不満はあるが、『女神の愛娘』を傷つけようとする者は集まっている者達の中にはいなかった。

 

 煌びやかな宮殿の中に入る。
 金箔を張られた部屋の中は明かりを反射して光り輝いていた。
 豪勢なはずの宮殿の中はなぜだか、寒々しく感じられる。どの貴族の顔も笑いあいながらも緊張しているようだ。

「ここに来るのも久しぶりだよねー」
「そうだな」

 ラッセンディルに声を掛ける。でも帰って来たのは短い返事だけだった。なんかつまんないなー。
 わたしはラッセンディルと腕を組んで階段を上っていく。時々貴族の人達を会話をしていくけど、なんだろう? みんな道を開けてくれた。というよりも、避けられてる?
 通り過ぎていく後から、わたし達の噂が囁かれているようだ。ひそひそと声が聞こえてくる。

「あれがターレンハイム家の秘宝ですわ」
「……本当に見事な首飾りですこと」
「では、あの娘が……ターレンハイム家の?」
「ええ、ターレンハイム侯爵のお気に入りという娘ですの」
「可愛い顔をしてどうやって誑かしたのやら?」
「いえ、『女神の愛娘』という話ですわよ」
「あの街で噂になっているという『女神の愛娘』……神聖魔法の使い手?」
「あんなに若かったの?」

 ううー。聞こえてるよー。みんな噂好きなんだから……。それに誑かしてなんかいないよー。がっくり。
 落ち込みそうになっていたらラッセンディルが「気にするな」と言って慰めてくれた。
 2階の大広間にたどり着いた。扉の前には衛士が2人立っている。わたし達が名乗ると緊張した面持ちで扉を開け、中に向かって声を張り上げた。

「ターレンハイム侯爵家ご令嬢! 『女神の愛娘』あき様とフリッツ・フォン・ラッセンディル男爵のおなーりー!」

 それまでざわめいていた人達がピタッと黙り込んでわたし達の方を見てくる。
 あちこちに公爵家で見た人達やタウンハウスで見かけた人達が着飾った格好で部屋の中を歩き回っていた。わたし達が進むと部屋の中央にいた人達がさーっと左右に分かれていく。
 部屋の真ん中に道ができて部屋の奥で座っている王妃――皇后と国王の姿が見えた。
 真っ直ぐ前を歩いて王妃――皇后と国王の前に立ちお辞儀をして挨拶をする。顔を上げたとき、王妃の目が鋭くわたしの胸元にある首飾りを睨みつけていた。

「……それがターレンハイム家の秘宝かしら?」

 王妃が吐き捨てるように言う。ぎらぎらとした眼がわたしを睨んでいる。
 隣に座っている国王がじーっとわたしの胸元を見つめては、にやにやしていた。

「ターレンハイム侯爵家の秘宝、初代女帝アデリーヌの首飾りだ」
「あっ!」

 わたしが口を開くより先にラッセンディルが言った。
 王妃の目がじろりとラッセンディルを睨む。

「私はそれを超える首飾りを作らせようとしているわ。貴方はその首飾りがご自慢なのでしょうけど、私の首飾りの方が素晴らしい筈よ」
「それは無理だ!」

 うっとりしたように話す王妃の言葉をラッセンディルが一言で切って捨てた。

「この首飾りは初代女帝の物だ。それを超えようとするなら大陸を統一するしかない」
「……私は命じたわ!」

 王妃が段々ヒステリックになってきた。わたしは溜息がでそうだよー。初めて会った時にも言ったのになー。

「王妃様は素晴らしい首飾りをお持ちになっています。それは『帝国の首飾り』と呼ばれるこの街だと申した筈ですが?」
「そんな身に着けられないような物はいらないわ」

 王妃は吐き捨てるように言う。なんかムカッとした。

「……では王妃はこの街はいらないと仰るのでしょうか?」

 むかっ腹を堪えてゆっくりと話していく。

「私が欲しいのは、素晴らしい首飾りよ。ちゃんと身に着けられるね。この街の事なんか知らないわ」
「あんた、それでも皇后か! この街やこの国がどうなってるのか知っているのかよ!」
「あき! 冷静になれ!」
「あっ……ごめんなさい。ラッセン……」

 ラッセンディルに謝る。迷惑かけちゃうし……謝ろうと思って王妃の方を見たら、王妃の額に青筋が立ってた。
 大広間の隅では、何人かの貴族が頷きあい、目配せをしている。

「この者を捕らえよ! 王家に対する反逆じゃ!」
「王妃様。この者はターレンハイム家の娘にございます。捕らえる訳にはいきません!」
「私は捕らえよ。と申したのじゃ! 国王の命令が聞けぬか!」
「ルリタニア王国と戦争になります。どうかお止め下さい」
「では、戦争を回避する為にあきには僕の愛妾になってもらうよ」
「国王陛下! なにを言い出されるのですか?」
「だってあきが、暴言を吐いたからこうなったんだよ。責任を取ってもらおうよ」
「ターレンハイム家の娘ですぞ!」
「嫌だって言うんなら戦争しかないよ」
「なりませぬ陛下!」

 大臣らしい貴族が必死になって止めようとしていた。悪い事しちゃったなー。どうしよう?
 わらわらと人が集まってきた。わたしはラッセンディルに引き摺られるようにして王妃の前から離されていく。

「構わぬ! あの者を捕らえるのじゃ。そうして私自ら責めてくれるわ!」
「戦争を避けるのです。その為にも御自重を!」
「ルリタニア如き、恐れるものか! 戦争になっても構わぬ!」

 いつの間にか大広間の中に騎士団の姿があった。その前に公爵が立ってる。
 貴族達が遠巻きにして推移を見守っていた。

「皇后と国王を捕らえよ!」

 公爵の声に従って騎士団が貴族の輪の中に飛び込んでいく。いつしか輪が遠くに去っていて、あっさりと王妃と国王が捕らえられた。

「なぜじゃ~。なぜ私が捕らえられてしまうのじゃ!」
「なんで僕まで!」
「やかましい! つまらぬ戦争をさせる訳には行かぬ」

 公爵はあっという間に騎士団に命じると皇后と国王を部屋から連れ出していった。
 わたしは呆気に取られてそれを見ていた。

「え~っと、何が起こったの?」
「……一種のクーデターだ」
「そうなんだ……?」

 なんだかな~、訳が分かんなくなっちゃったよー。
 大広間の隅に置かれているソファーに座ってラッセンディルやコーデリア達に囲まれて話していた。わたし達の周囲にはなぜか、騎士団が警護に立っている。
 コーデリア達に説明して貰おうと思って聞いたら、ここでは話せぬ。と言われて別の部屋へと連れて行かれた。わたし達と一緒に騎士団の騎士達も付いてくる。なんかな~?

 別室でコーデリア達に説明をされる。
 なんでも最初からクーデターを起こす計画だったそうだ……その為のきっかけとしてわたしに首飾りを身につけさせて王妃の前に立たせる事になっていたらしい。わたしが思わず暴言を言ってしまう事も織り込み済みでー王妃たちの反応も予想通りだったんだって。
 その上にあの大広間にいた貴族達はクーデター派と全て入れ替わっていたらしい。

「王妃達はどうなるの?」
「まあ処刑される事はないじゃろうが……」
「伯爵夫人と同じように牢屋にいれられるそうよ」

 ラッセンディルが窓の外を見ながら「外を見ろ」と言った。
 わたし達が窓の外を見下ろすと馬車が宮殿の外へと向かって進んでいた。

「皇后と国王の乗った馬車が宮殿を去っていく」
「それと一緒に進んでいるのは公爵ね」
「そうやろうな~。宮殿の前に集まっとった連中の前で発表するんやろうな」
「新しい国王として即位するか……」
「そうじゃろうな」

 なんだか……呆気に取られてしまうよ? わたしの所為なのかな? 

「それは違うわ。あきの所為じゃないからね」
「ルパート……」

 わたし達はタウンハウスに帰る事にする。ここにいても仕方ないし……。
 帰りしなコーデリア達は真剣な顔をで周囲を警戒していた。門をくぐりぬけようとした時、集まっていた人達がなぜか歓喜の声を上げて迎えてくれたんだけどどうしてかな~? そう聞いたらコーデリア達が苦笑いしてた。

「こうして支配者に都合のいい話が作られていくのじゃ」
「そうやな、『聖女』が王家を断罪するという話や」
「わたし、そんな事してないよ?」
「ふっ。だからお話さ」
「そうね」

 わたし以外のみんな笑ってるよー。なんでかな?
 タウンハウスに戻ったわたしはもう寝なさい。と言われて寝室で寝る事になってしまった。

「おやすみなさい」
「おやすみ」
「おやすみやで」
「ゆっくり休むといい」
「よく休むのじゃ」

 ベットにごろんと横たわると眠気が襲ってきてすぐに寝てしまった。




 ターレンハイム家タウンハウスでは、あきが眠ってからアデーレ率いるメイド部隊や騎士団が屋敷内を警戒していた。
 あき達が戻ってきてからすでに2度、王妃派の貴族達が忍び込もうとしていた。牢屋へと向かう馬車も襲われていた。しかし襲撃は織り込み済みであった為に彼らの計画は全て徒労に終わっている。
 
 そしてアンシャル大神殿では、司祭達が集まって会議を行っていた。
 問題はただ1つ。これから新しい国王である公爵とどうやって付き合っていくかである。司祭長アルバン・ド・サルヴェールは公爵に手紙を書いた事を司祭達に話し、今回の騒動に一枚噛んでいた事を言い聞かす。
 そして公爵から、今まで通りにカルクス王国の国教として付き合う事を約束済みである事を伝え、司祭達に行動の自重を求める。
 
 無論司祭達の中には王妃と繋がっていた者も多かったが、自らを再建派と名付け、アンシャル大神殿再建に司祭達の眼を向けさせる事によって権力の強化を押し進めて、彼らを排除していく事も忘れていない。これから各地にいる神聖魔法の使い手を呼び戻さなければならないのだ。
 『女神の愛娘』にアンシャル大神殿の権威を傷つけられたと喚く司祭達の中にあって、司祭長アルバン・ド・サルヴェールだけがほくそ笑む。

「まあまあ、今はそのような事を言っている場合ではない。まず各地にいる神聖魔法の使い手を呼び戻さなくてはならないだろう」
「確かに司祭長の仰るとおりだ」
「司祭長様は涙を飲んで病人を救うために『女神の愛娘』に頭を下げられたのだ」
「その頃、あなた達は何をしていたのだ!」
「アンシャルの神聖魔法の使い手達を統括するのは司祭長様こそが相応しい」

 会議に参加していた司祭の中でもアルバン・ド・サルヴェールの腰巾着である数名の司祭達がアルバンの言葉に賛成し、司祭達の言葉を封じ込めていく。アルバンは表面上は謙遜しながら内心では、うまくいったことに満足していた。
 こうして終始アルバンの主導によって会議は進行し、アルバンが各地にいるアンシャルの神聖魔法の使い手達をその配下に収める事になっていった。

 自室に戻ったアルバンはワイングラスを傾けつつ沸き上がってくる笑みを押さえ切れずにいた。
 邪魔になってきた愛人の1人であるニーナ・ド・モンドンヴィル伯爵夫人を体よく切り捨てる事もできたし、大神殿内での権力も強化できた。これからも自分が中心となって大神殿を動かしていくのだ。アンシャルの神聖魔法の使い手達が戻ってくれば、王宮での発言力もさらに大きくなる。

「ふふふ。『聖女』も使い方次第という事だ……」

 そう言うとグラスに入ったワインを飲み干した。



 公爵はトリテノン宮殿の門の前に立ち、集まった民衆に歓喜の声で迎えられていた。
 これからは先々代国王の頃のようにカルクス王国を復活させようと語りかけている。熱狂している民衆を前にして公爵は機嫌良く話していた。

「国王陛下万歳!」
「ラ・フォンテーヌ王朝万歳!」

 ……今日、この日からカルクス王国はパストゥール王朝からラ・フォンテーヌ王朝へとその名を変えた。




[12791] 第33話 「カルクスへいこう エトージュ村 ミノタウロスと初代女帝のヌード」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/03 13:00

 第33話 「カルクスへいこう エトージュ村 ミノタウロスと初代女帝のヌード」


 ――――戦いが終わらない。
 人はどれほどの犠牲を支払えば、戦いを終わらせる事ができるのだろうか……?

 
 2人の女が睨み合っていた。
 その眼はただひたすら獲物を追い。虎視眈々と隙を狙っている。
 彼女達を遠巻きに見ている事しかできない非力な者達は怯え、彼女らの牙が自らに襲い掛からないように祈るしかない。
 ここは……カルクス王国にあるターレンハイム家のタウンハウス――。

「これでうちの勝ちや!」
「ふっ、甘いのじゃ!」

 タルコットの腕が指先が、伸びる。すかさずコーデリアの腕がそれを阻み、さらにタルコットに襲い掛かった。
 一合。二合。さらに2人の攻防は繰り広げられ、周囲には逃げ惑う人達の悲鳴が響き渡る。
 コーデリアの牙が獲物に喰らいつき引き裂く。タルコットの牙はコーデリアの獲物をすかさず奪い取って噛み千切った。

「もう……やめようよー」

 わたしの言葉はすでに彼女らに届かなくなってしまっている。
 どうしてこんな事になってしまったのだろうか……? 零れ落ちる涙を手のひらで受け止めながら考えていた。




「ほっとけ」
「そうよ。ほっとけばいいのよ」

 ラッセンディルとルパートが興味なさげに言い放つ。

「2人とも止めようよー」
「ほっとけ、ほっとけ」
「そうそう。なんで焼き芋ぐらいであんなに戦えるのかしら? 分からないわー」

 わたしはぽかぽかとラッセンディルの背中を叩いた。座り込んで棒で焚き火の中にあるじゃがいもを転がしていたルパートが呆れたように言う。
 今日は庭で、じゃがいもを焼いていたのだ……。灰の中でごろごろ転がっているじゃがいもにバターを塗って食べていたら、コーデリアとタルコットの2人が、1個多い、いや少ないと言い争って、挙句の果てに奪い合いになってしまった。

「あき、この辺の奴が焼けたぞ」
「う、うん」

 ラッセンディルから受け取ったじゃがいもを2つに割ってバターを塗りかぶりつく。

「どお、おいしい」
「おいしいよ。うまうま」

 ルパートとラッセンディルがじゃがいもを咥えながら、コーデリアとタルコットの戦いを観戦している。周囲ではメイドさん達がわいわい騒ぎながら食べていた。さっきまで逃げ回っていたのにメイドさん達は逞しいなー。
 コックさんが鉄板とお肉を持ってやってきた。

「どうです。今日のお昼は焼肉にしましょう」
「わーい。やきにくー」

 わたし達は争う2人をほっておいて、焼肉を食べだした。
 うまうま。焼けて脂と肉汁の滴るお肉に胡桃ぽい木の実をすり潰したソースを塗ってぱくぱく食べていく。

「あき様。あーん」
「えっ?」

 メイドさんにお肉を差し出されてテレながら口に含む。

「おかえし、あーん」
「はーい。あーん」

 メイドさんと食べあいをしていたらラッセンディルが羨ましそうに見てくる。ラッセンラッセンと呼んでお肉を口元に持っていってあげると喜んで口を開いた。ルパートにも「あーん」と食べさせる。

「あーん」
「あーん」

 みんなして食べさせっこになってしまう。
 ふと……冷静になってみるとなんて恥ずかしい事をしているんだろうか? いけない冷静になっては、この場はそのままのノリでいかなければ……。

「あき、ノリノリね」

 いやー。ルパート言わないでー! わたしを冷静にさせないでー。お願いだから、今日だけはー。
 自己嫌悪に陥ってうじうじと地面でののじを書いていたら、ばたばたと館からメイドさんが息を切らせて走ってきた。
 
「あ、あき様。急患です!」
「急患?」

 なにかな? 首を捻って考え込んでしまう。わたしお医者様じゃないよ?

「は、早く来てください!」

 メイドさんに腕を引っ張られて、お肉を咥えたまま館の方へ走っていく。 あんまり慌てているからわたしまで何事だろうと思って心配になってきた。ルパートも一緒についてくる。むしゃむしゃ口に咥えていたお肉を飲み込んで玄関をくぐる。
 館の中にいたのは、若い女性だった。女性はターレンハイム家のサロンのソファーに横たわってぜいぜいと息を切らせている。もしかして、流行り病というやつ? インフルエンザでもないよね、服を脱がして見ると体中に赤い斑点がぽつぽつと点在している。
 とにかく『治癒魔法』を掛けて治しておく。でもかなり体が弱っているから、メイドさんに寝室に連れていって休ませるように言っておいた。それから持ってきたという手紙を読もうとしたんだけど……ルリタニア語だから読めなかった。

「代わりにあたしが読んであげるわ」

 という訳でルパートに読んでもらう。
 『アンダイン湖』を挟んだ向こう岸にあるエトージュ村で、急に病気が流行りだして村人の大半が倒れてしまったと書かれていた。それで助けて欲しいという事なんだけど……。

「ルパート……」
「あき、どうする?」
「助けに行かなきゃ」
「さっそく準備にかかるわ」

 ルパートはそう言ってメイドさん達になにやら言いつけていた。
 わたしは庭に走っていくとコーデリア達に手紙の事を話して、みんなに来てくれるようにお願いする。コーデリアとタルコットはまだ戦ってたけどわたしがお願いしたら一時休戦する事になった。ラッセンディルも一緒についてきて貰う。
 それからエステルの前足にかごを括り付けて皆を乗せて飛んでい事になった。コーデリア達は治療にいくはずなのに、薬だけじゃなくてなぜか武装している。わたしもレイピアと銀の籠手に爆弾の入った鞄を背負って、頭には羽飾りのついた帽子を被って出発する。

 こうしてわたし達はエトージュ村へと向かう事になった。ロパートさんや公爵はあのクーデター以来、さらに忙しくなったみたいで全然顔を見かけない。ずーっとトリテノン宮殿の方にいるらしい。『銀行』設立に向けてやる事が多いんだって。


 ルリタニア王国アンダイン地方領――カルクス王国内にあるこの地方は現在、ターレンハイム家の所有領地となっている。全長15リーグ、横幅10リーグもある巨大な湖を中心としたこの地方は漁業が盛んであり、アンダイン湖から海へと続くマルヌ川を通じて海運も盛んであった。巨大な湖の周辺には数多の村が存在していた。その中の1つに……エトージュ村がある。
 人口120人ほど、漁業と農業を兼業しているこの村を流行り病が襲い掛かっている。

「わたし達が病気を治していた時には来てなかったよね?」
「そうだったのじゃ」
「手紙には、ここ2,3日で一気に発病したと書いているわ」
「2,3日で村人の大半が発病……どうも嫌な予感がするぞ」
「撒き散らしたもんがおるとか?」

 アンダイン湖沿いに広がっている森を少し入った所にあるエトージュ村は一見穏やかそうな村だった。
 鬱蒼と茂った針葉樹の枝には雪がまだ残っている。木造の家が集会所らしい広場をぐるりと取り囲むように建てられていた。広場には木で出来た長椅子がいくつか置かれている。外には誰の姿も見えない。

「誰も出てこないね?」
「家の中に閉じ篭っているのじゃろう」
「だれもいないのー?」

 わたし達が様子を窺っていると集会所の中心に降り立ったエステルが大きな声で叫んだ!
 途端に家の中からガタガタという音が聞こえてくる。家の前に積もっている雪に足跡が無い事から誰も外に出ていない事が分かる。

「よし、手分けして村人の様子を見ていくか?」
「そうやな」

 村に降り立ったラッセンディルとタルコットの2人がそれぞれ別の家に向かっていく。

「気をつけてね」
「ああ」
「分かってるで」

 タルコット達の返事を聞きながら、わたしも別の家に行こうとしたんだけどルパートとコーデリアに止められてしまう。

「あきはここにいて」
「そうじゃ。何かあったときにいつでも動けるようにしておかんといかんのじゃ」
「う、うん。分かった」

 わたしはコーデリアとエステルと一緒にここで待っている事になった。
 空はまだ蒼く、雲ひとつ無い空は穏やかだ。でも森の中からは小鳥の声も聞こえてこない。静まり返った森は獣の気配もしなかった。

「あきー」
「なに? エステル」
「なんかねー。ヘンな気配がするよー」
「どこからじゃ?」

 エステルが首を伸ばして森の奥の方を向く。

「森の奥か……」

 コーデリアは木々の間から奥を見通そうとするかのように眼を凝らしている。わたしも見ているんだけどさっぱり分かんない。

「エステル、どんな気配なの?」
「う~んとね。魔物?」
「まものー!」

 エステルの言葉にわたしとコーデリアが顔を見合わせる。
 いったいどんな魔物がいるんだろうか? そう考えると少し不気味に思えてきた。
 じーっと森の奥を見つめていたら、ルパート達が戻ってきた。ルパートは腕を組み首を振っている。

「どうしたの?」
「……あき……落ち着いてね。村人の大半は亡くなっていたわ」
「生きてるのは3人だけや」
「急いで助けなきゃ!」

 走り出したわたしはラッセンディルに案内してもらって生存者の下へ駆けつけた。
 家の中に飛び込んで見ると……両手両足が腐りきっている。肉の腐った匂いが家の中に充満していて吐き気を催す。流石に一旦家の外に出て深呼吸をしてから、もう一度入っていく。
 死に掛けているのはまだ……若い女性だった。隣には小さな赤ん坊の死体が横たわっている。『治癒魔法』を掛けて、女性の体が元に戻っていくのを確認するとまた別の家に走っていく。そこの家でも似たような光景だった。
 そうして助ける事にできた人達を一纏めにして寝かせておく為に、ルパート達が一軒の家を掃除していた。

 その後、わたし達は広場の集会場に集まって話し合っていた。

「結局助けてあげられたのは3人……ううん。ターレンハイム家にやってきた人を合わせても4人だけだね……」
「あき。そう落ち込むな。来た時に既に手遅れだった――それはお前の所為じゃない」
「そうよ。あきが泣く事はないのよ」

 ぐすぐす泣きそうになっていたら、ルパートとラッセンディルに慰められる。
 でも……泣きたくなるよー。エステルがつんつんと鼻先を擦りつけてくる。見上げたらエステルも泣きそうだった。

「あきー泣いちゃだめー」
「うん。エステルごめんね……」
「ううん。エステルはいいのー」

 コーデリアとタルコットが顔を見合わせて話し込んでいる。

「それにしてもや。病気が発生してからまだ、2,3日やろ? それで一気にこうなるか?」
「……うーむ。考えにくいのじゃ」
「病人を診たら――病気というより毒だな、あれは」
「毒!」
「ああ、その可能性が高い」

 ラッセンディルがそう言う。わたし達はラッセンディルを見つめて話の先を促す。ラッセンディルは「ごほん」と咳を1つしてから話し出した。

「村人全員が一度に発病するという事が、まず考え難い。抵抗力とかの関係で発病時期がずれるのが普通だ。にも拘らず村人全員が病に犯され、死んでいった」
「でも、ターレンハイム家にやってきた女性はまだマシだったわよ?」
「あれは村を離れたからだろう。村にいたら死んだ連中と同じだったと思う。若い抵抗力のある女に伝えに行かせてから、さらに毒を撒かれたものと推測するが」
「誰が撒いたか、や……?」
「エステルの感じたという魔物の気配が怪しいのじゃ」
「調べに行くか」
「それはいいのだけどね、病人達はどうしたらいいかしら?」

 そこでみんな考え込んでしまう。病人をほったらかしにする訳にもいかないし、かといってターレンハイム家に連れて行っている間に魔物に逃げられるのも拙い。
 今回は皆で行った方がいいと思うしね。

「あきをここに残す?」
「駄目よ。襲われたら拙いわ」
「コーデリアも一緒に?」
「そうなると魔物が強力だった場合、あたし達が不利になるわ」
「病人をエステルのかごに乗せて少し上空で待機させるとか……」
「やはりそれしかないか?」
「そうね。それでいきましょうか」

 わたし達は各家を回って綺麗な毛布なんかをかごに敷くと病人達をかごに寝かせてエステルにしばらく上空で待機しておいてもらう事にする。エステルは嫌がっていたけど、なんとか宥めたよー。

「あきはいじわるなのー」
「エステル、ごめんねー」
「ぶーぶー」

 森の奥へわたし達は入り込んでいく。
 先頭はタルコットとラッセンディル、その次にわたしとコーデリアで後ろをルパートが守っている。
 ざくざくと霜を踏みしめる音が妙に耳につく。どさっという音がして目を向ければ雪が落ちた音だ。深呼吸してまた歩き出す。ゆっくりと警戒しながら奥へと進んでいった。

「とまり!」

 タルコットが右手でみんなの進行を止めた。
 2人の間から覗いてみる。大きな岩がごろりと転がされて、地面にぽっかりと穴が開いている。

「……封印が外されたのか?」

 ラッセンディルが転がっている岩に刻まれていた紋章を見て唇を歪ませ嫌そうに言った。

「封印かー。なにが封じ込まれていたのかな?」
「どうせ碌でも無い奴じゃ!」

 遠巻きに穴を見つつコーデリアが吐き捨てた。

「……入ってみる?」

 ルパートがそんな事を言い出した。「入るって?」わたしが聞き返すとほっとく訳にもいかないでしょって言ったー。コーデリアもタルコットも入る気だしー! ラッセンディルは? と思って振り返ったら、ごきごきと柔軟体操をしていた……。

「では、行こうか」

 そう言うとラッセンディルがひょいっと穴の中に飛び込んでいったー!
 もう少し警戒した方がいいんじゃないかな? コーデリアとタルコットも次々と降りていく、ルパートがわたしをお姫様抱っこをして飛び降りた。

「わーわー」
「騒いじゃ駄目よ」

 ルパートに注意をされて黙る。穴の中はまるで坑道みたいだった。じめじめと水が染み出てきて、足元でちょろちょろと奥に向かって流れている。
 タルコットとラッセンディルが先頭に立って歩き出す。くり貫かれたような地下の坑道の壁には一面にヘンな模様が描かれている。

「これってなにかな?」
「触るんじゃないぞ! 魔法の罠だ」
「そうやで、発火の呪文とかもあるで」
「そうなんだ……」

 ラッセンディルとタルコットに注意される。わたしは壁に書かれている絵を見ながらみんなの後をついていった。
 さらに先に進むと奥からコブリンの群れが現れた!

「ラッセンディル!」
「まかせろ! 『雷撃』」

 ラッセンディルが呪文を唱え、『雷撃』の魔法を放つ。坑道の壁一杯に広がった雷撃は物凄く大きな横倒しにした筒の様だ。
 雷撃はゴブリンの群れに襲い掛かり消し炭にしていく。

「ふわー。凄すぎるー」

 狭い坑道の奥深くにまで突き抜けていった雷撃は、ゴブリンだけでなく奥に隠れていた者たちも消し炭にしたようだった。
 魔法が凄いのかラッセンディルが凄いのか分からないけど……多分両方だろう。消し炭になったゴブリンの死体を踏み越えて先に進んでいく。でも驚いているのはわたしだけでみんな、なんとも思ってないのかな? 平気そうだよ。

 進んでいくと左右に分かれている道に差し掛かる。
 どっちに行くのかな? と思ってみていたら……ラッセンディルが左右にまた……『雷撃』を放った。それから右に進んでいく。歩いていくと坑道の先にオークの死体が黒焦げになって転がっている。
 なんていうか、ラッセンディルって1人でもダンジョン攻略出来るのでは? と思ってしまう。

「凄いよねー」
「そうね」

 そう言ったら……後ろを警戒していたルパートが答えた。ルパートは爆弾を手に持ったまま歩いている。
 そうこうしている内に、大きく開かれた水溜りのある一角にやってきた。どうやらアンダイン湖と繋がっているようだ。

「地下水脈ね」
「そのようじゃ」

 コーデリアの背中越しに覗き込む。魔法の光に照らされた小さな泉は透き通って綺麗だった。でも底の方に何か金色の靄のようなものが漂ってる?

「あき! 下がりなさい」

 ルパートに腕を引かれて、すっぽりとルパートの腕の中に収まってしまう。

「くるで!」
「分かったのじゃ!」

 タルコットの声が部屋の中に響く。コーデリアが『フラム』を構え、ラッセンディルは左手の中指に填めた魔法の指輪に呪文を吹き込む。ルパートの腕の中にいるわたしはコーデリア達の動きを見守っていた。
 泉の水が盛り上がり、水を撒き散らしながら魔物が姿をあらわした。
 金色の髪。真っ白な肌。何一つ身に着けていない裸体がわたし達に背を向けて水面の上に立ち上がる。警戒を緩めようとはしないコーデリア達を泉からあらわれた女性が振り向く。
 綺麗な顔だと思うけど……口元は冷笑を湛えたように歪み、目には憎悪の色が浮かんでいる。
 水面の上を魔物が複雑な動作で踊りだし、口からは聞いた事の無い歌を歌っている。

「ふっ、黙れや!」

 タルコットがそう言うと両手を広げてから前に突き出す。……それまで聞こえていた歌と魔物が踊っているのに合わせて聞こえていた水音が、聞こえなくなった。

「残念だが先を急ぐ。凍れ!」

 ラッセンディルの言葉と共に魔物が凍りついた。コーデリアが魔物の首元に『フラム』を置くとわたし達を奥へと急がせる。泉を通り抜けて、奥の通路に入った時、背後から爆発音が聞こえてくる。振り返ったら煙が立ち込めていて良く見えなかった。
 みんな凄いよねー。わたしなんにもしてないよー。

「さっきの魔物はなんだったの?」
「マリ・モルガン。水妖の一種かしら」
「水の中に住んでいる魔物で歌を歌い、人を招き寄せては溺れさせる。本来は海に生息しているんだが、アンダイン湖から紛れ込んでいたのだろう」
「綺麗だったのに……」

 わたしが言うとラッセンディルが「綺麗な女には棘があるもんだ」とか言ってる。

「棘だらけで悪いのー。うりうり」

 コーデリアがラッセンディルの背中を指でつついていた。嫌そうに体を捩って逃げるラッセンディル。

「やめろ。幼児体型!」
「くっ! わらわもそのうち、ないすばでぃーになって見せるのじゃ! 今に見ておれ」
「はいはい。遊んでないで進みましょうね」

 言い争っているコーデリアとラッセンディルを窘めるとルパートは先を急がせる。
 洞窟というか坑道というのか、地下をだいぶん先に進んだ所に広い部屋があった。部屋の中心には台座が作られていてその上に女の子が鎖で繋がれていて牛頭人身の怪物に襲われていた。

「ミノタウロス?」
「女好きの怪物めが!」
「厄介ね」

 女の子がわたし達の方を泣きながら見つめている。どうやって助けよう。

「ラッセンディル、奴の首を切り落とせるか?」

 コーデリアがミノタウロスを正面から睨みつけて言う。ラッセンディルは肩を竦め、難しいなと言い返している。
 ミノタウロスが女の子を持ち上げ楯にしながらも襲い続けていた。女の子の悲鳴が部屋に響く。あっ、肩に噛み付いた。

「酷い事を……」
「ああ、ムカつくでー」
「では八つ裂きにしてやるのじゃ!」

 コーデリアが素早く台座に近づくと『フラム』を床に転がし、爆発させる。煙が部屋の中に充満して中の様子が窺えなくなった。煙の中でラッセンディルとタルコットの声が聞こえた。

「『ブレイド』」
「『ブラインド』」
「グオー! グガァー」

 ミノタウロスの吼える声が聞こえているんだけど見えない。
 なにがどうなってるのー? みんなどこー?
 あちこちから動いている音が聞こえてくる。でも見えないよー。ドンッと誰かがぶつかってきた。

「あっ、ごめんなさい」

 あやまるって見てみるとミノタウロスに襲われていた女の子だった鎖に繋がれていたはずなのに、いつの間にか鎖が切られていた。手足にも顔にも肩にも噛み千切られた痕から、血が流れ出している。

「あーあー」
「すぐに治してあげるから『治癒魔法』を掛けてあげる」

 そう言ってわたしは女の子に神聖魔法を掛ける。泣いて暴れだしそうな女の子を抱き締めて、その場に押さえていた。うーうーとか呟いて女の子は泣いている。ぽんぽんと背中を叩いて慰める。
 煙が晴れた。
 ミノタウロスはウォーハンマーを振り回し暴れている。
 コーデリア達が取り囲んで魔法やら爆弾で攻撃していた。そうしているうちにミノタウロスがなにか袋のような物を地面に叩きつけた!

「やばい! 村を襲った毒や!」
「散開! 部屋から出ろ!」
「大丈夫!」

 コーデリア達……ミノタウロス以外の全員に神聖魔法を掛けて防護した。
 1つの毒に対処するだけなら、6人ぐらい一度に掛けられるよ。わたし達の体を神聖魔法の光が包み、毒から身を守っている。
 コーデリア達は驚いて、神聖魔法に包まれている自分達の体を見つめた。

「くっくっく。残念だったな化物!」

 ラッセンディルがにやりと笑って、呪文を唱えている。コーデリア達も笑った。
 わたしは部屋の中の毒を浄化する為に女神に祈っている。
 怒り狂ったミノタウロスがラッセンディルに掴みかかった。ラッセンディルの両手から放たれた光の矢がミノタウロスの胴体を貫き、胸からお腹に掛けて大きな穴を開ける。
 そのまま仰向けに倒れたミノタウロスを見下ろし、コーデリア達がおかしそうに笑う。
 ……なんかみんな怖いよー。女の子を抱き締めたままガタガタ震えてしまう。震えているけどなんとか部屋の中に充満している毒を浄化できた。
 みんなはミノタウロスの死体をほっておいて、部屋の中を家捜ししていた。

「あのー、皆さんは何をしてるのー?」
「あら。あき、部屋の中を漁っているのよ」
「何か、ええもんが無いかと思ってるんやー」
「ダンジョンの基本じゃぞ!」
「うむ。こういったところにこそ、珍しい書物とかお宝があるものだ」

 みんなー。逞しいというのか? 呆気に取られてしまうよー。

「何をしていてるのじゃ? お主も探さぬか!」
「そうそう」
「ちゃんと探すんやで!」
「見つけたら、鑑定してやるから知らせろよ」
「はーい」

 わたしは皆に返事をしてから、女の子と2人で部屋の中を探し出した。まず女の子の服を見つけたからそれを着せて、何かないかなーと思いながら部屋のあちこちを漁っていた。
 そうして漁っていたら、台座の下から薄い本を見つけた。中を見てみると……女の人のヌードの絵だった。ガクッと落ち込んでしまう。なにかゴミ捨て場でエロ本を見つけた気分だよ……ほっておこうと思ったんだけど、描かれている女性がどこかで見た事があったような気がしたから、ラッセンディルのところへ行って見せる。

「うん? この本がどうした?」
「どこかでこの女性を見た事があるような気がしない?」
「……そう言われてみれば確かに見た事があるような……?」
「なんや?」
「なんじゃ?」
「なに?」

 コーデリア達も集まってきてみんなでエロ本を眺めている。どこかで見た事があるような気がするんだよー。そう言うとラッセンディルが「……初代女帝」と呟いた。

「そうや。初代女帝アデリーヌや!」
「初代女帝のヌード?」

 タルコットが驚いている。わたしはなんで初代女帝のヌードがあるのか分からなかった。

「噂には聞いた事はあったのじゃが……現存しておったとはな」
「噂があったんだ?」

 コーデリアがそんな事を言い出す。

「初代女帝が自分のヌードを描かせた事は記録に残ってはいるのよ。実物は焼かれたと言われているけどね」
「もしかすると……ここって初代女帝のヌードを隠しとったんか……ミノタウロスは番人やな」
「封印が外れて穴が開いてしまったから、ミノタウロスは番人として知ってしまったであろう村を皆殺しにした……」

 ルパートが説明してくれるタルコットはミノタウロスの死体をちらっと見て呆れたように声を出した。ラッセンディルは少し怒ったような口調で言う。
 わたしは呆れるやら泣きたくなるような気分だ。女の子が泣きそうになってわたしは慰めていた。そうだよね。こんな本の為に村を襲われて家族とか殺されたら、腹が立って腹が立ってどうしょうも無いよね。

 そうしてわたし達は地上へと戻ってきた。
 ラッセンディルが封印の岩を元に戻している。わたしは空で待っていたエステルを呼ぶとみんなでかごや背中に乗り込んでタウンハウスへと帰っていく。
 空の上から誰もいなくなったエトージュ村を見下ろし悲しくなってしまう。たった一冊の初代女帝のヌード本を守るために1つの村の住民が殺されて生き残ったのは4人だけだ……。そこまでして守るぐらいならさっさと燃やしてしまえばよかったのに!
 会った事も無い初代女帝に対して怒りがこみ上げてくる。なんだかとても嫌な気分だ。

 女の子や村人さん達はターレンハイム家で体が治るまでいる事になった。それから他の村に移住する事になるらしい。
 結局、エトージュ村は廃村になると言ってた。もう誰もいないし、それは仕方ないと思うけど……泣きたくなるよね?

 




[12791] 第34話 「華麗なる一族 ターレンハイム家の趣味と保険の話」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/11 14:10
 第34話 「華麗なる一族 ターレンハイム家の趣味と保険の話」


「あきー。ルリタニアへ帰るわよー」

 いつものように目を覚まして食堂へ向かうと珍しい事にコーデリア達全員がそろっていた。
 わたしが朝の挨拶をするより早く、ルパートがそんな事を言い出す。

「えっ? もう少しカルクスにいる予定じゃなかったっけ?」
「いや、その予定じゃったのじゃが……」
「侯爵がな、はやく帰って来いって言い出したんや」
「今のカルクスは危険だから、とにかく早く戻って来いとな」
「そうそう。あきだけでもいいから、というよりあきの安全の為に連れて帰って来いって、ね」

 わたしが言うとコーデリア達が口々に侯爵の言葉を言い出した。ルパートなんか、侯爵から届いた手紙を指で摘んでひらひらさせてる。侯爵も心配性なんだから……。

「ロパートさんはなんて言ってるのかな?」
「仕方ない。……ですって」

 ルパートがロパートさんの口調を真似て言う。
 それを聞いていたみんなが溜息をついた。メイドさん達が寂しそうにしてたけどわたし達はみんなでルリタニアへ帰ることになった。
 あ~あ、結局美術品とか見れなかったなー。音楽も聴きに行けなかったし……。

 それから公爵じゃない。国王に挨拶したり、テオドールとジョゼフィーヌにも挨拶したりエルゼさんやアルマさんにも挨拶したよ。
 そうして帰る日にはなぜか国王以下、騎士団の騎士たちも見送りにやってきた。
 みんなに手を振って別れた。わたし達はエステルに取り付けたかごの中に入っているんだけど、荷物が一杯だからエステルも重そうだった。

「あきー。おもいのー」
「エステル。ごめんなさい」
「エステル。がんばるのじゃ」

 途中何度も休みながら、わたし達はルリタニアへと帰って来た。
 ターレンハイム家の庭に降り立ったエステルの前に侯爵が走り寄ってくる。

「あきー!」
「むぎゅ!」

 かごから降りた途端、侯爵に抱きつかれて頭を撫でられる。

「心配したぞ!」
「侯爵ー。苦しいよー」
「わたしの心の方が苦しかったぞー。心配させて悪い子だ」

 ぐりぐりと頭を撫でられて、なんとか逃れようとしていたら、コーデリア達がさっさと館の中に入っていくのが見えた。うわーん。誰も助けてくれないー。ひどいよ、みんな……。エステルもメイドさんが持ってきてくれたお肉をむしゃむしゃと食べてるし、侯爵放してー!

「苦しいから侯爵放して」
「ううー。あきも反抗期になってしまったのか……この私の心を分かってくれないのかー?」
「うわーん。苦しいよー!」

 ようやく放してもらえて部屋に戻ろうとすると今度はメイドさん達に捕まる。

「あき様ー。お帰りをお待ちしておりました」
「むぎゅー!」

 またみんなにもみくちゃにされてしまう。
 部屋に戻ったら戻ったで、「さーお着替えしましょう」といきなり裸にされて着替えさせられる。
 白いドレスを着て、宝石を一杯つけた首飾りにブレスレットにアンクレット。髪には蒼いリボンを括りつけられて、赤い髪飾りを飾られてしまう。みんなしてもー。着せ替え人形じゃないもん。

「あき。着替え終わったようじゃの」
「あっ、コーデリア。終わったよ」

 コーデリアはわたしの格好をまじまじと見て、ふむふむと頷いている。

「どうしたのかな?」
「いや、お主。ドレスばかり着ておるが、たまには男装をしたくはならんか?」
「……持ってない。考えてみれば男物の服を持ってないよ」
「買いに行くか?」
「えっ? 買いに?」
「そうじゃ。買いにじゃ!」
「行く! 行こう」

 コーデリアを連れて今から行こうと言ったら、笑われた。

「流石に今からという訳には行かぬのじゃ。明日にしような」
「ううー。そうだね……」

 そんな話をしてからわたし達はサロンへと向かう。壁沿いに作られた螺旋階段を下りていくとサロンのソファーでは、侯爵と知らない貴族が座って話をしている。なんだか侯爵は怒ってる?

「いや、うちのあきにはまだ早い」
「そうは仰いますが、あき様も17歳でございましょう。早過ぎるというほどではございませんぞ」
「いや、なんと言われようとあきは嫁にはやらん!」
「……ふむ。では一度会うだけでも会っては下さいませんか? 私どもも先方にくれぐれも宜しくとお願いされているものですので、そこのところを酌んでお願い致します」
「うぬぬー。良かろう。会うだけは会わせてやろう」

 何かヘンな話になってる。嫁にやるとか、やらんとかってなに?
 わたし達がサロンに下りていくと話をしていた侯爵と貴族が気付いてわたし達の方を向いて挨拶をしてくる。

「これはこれはあき様。お初にお目にかかります。私はノエル王国の伯爵位を持っておりますジュール・フォン・レグールと申します。お目にかかれて光栄です。これからは何卒宜しくお願いしたいものです」
「こちらこそ。よろしくお願い致しますレグール伯爵様」

 そう言ってわたしはお辞儀をする。隣でもコーデリアがお辞儀をしている。
 その後で、レグール伯爵は何度も頭を下げて帰っていった。侯爵はなんだかとても機嫌が悪いみたいだ。

「まったくどいつもこいつも!」
「どうしたの?」

 わたしが声を掛けると眉間に皺を寄せていた侯爵は表情を緩ませ、溜息と共に言い出す。

「あきを嫁にくれという話がここのところ舞い込んできておるのだ。いや、今までもきてはいたが全て断ってきた。処が最近はしつこくてかなわん」
「……嫁に行く気はないんですが」
「私もあきを嫁にやる気はない!」

 侯爵は力強く言い切る。
 コーデリアが隣で溜息をついていた。

「どうしたのかな?」
「いやな……あき、お主も女として生きていかねばならぬのじゃから、一応嫁に行く事も考えておかねばならんぞ」
「でも……男と結婚するのは抵抗があるよ」
「それは分からんでもないのじゃが……いつまでも一人身という訳にもいかんじゃろう」
「コーデリアも1人だよ」
「わらわは、まだ若いのじゃ! しかしお主は人間じゃ。わらわとは違うのじゃ」
「でもなー」
「まあ、一応頭にはいれておくのじゃ。良いな」
「う……うん。考えておく」

 そんな話があって、翌日は男物の服を買いに行こうと思っていたら、侯爵がルリタニアの王宮での舞踏会に出席する事になったと言い出して、みんな慌てていた。
 なんでも昨日やってきたレグール伯爵が王宮での舞踏会の招待状を持ってきて紹介したい方がいらっしゃるからぜひ参加して欲しいとの事らしい。侯爵も一応約束した事もあって断る訳にはいかなかったそうだ。
 こうしてわたし達は王宮での舞踏会へ行く事になった。


 ルリタニア王国首都ファブリス――レティシア宮殿。
 カルクス王国のトリテノン宮殿よりも確かに小さかったけど、それでも華やかな宮殿だった。
 わたしは侯爵と白い絹の肘まである手袋をした腕を組み、エスコートされて宮殿へと入っていく。宮殿の中はやはり金銀で彩られ、廊下の壁には細かな細工を施されたレリーフが彫られていた。魔法の光に照らされたステンドガラスが複雑な模様を床に投げかけている。
 
 わたしがメイドさんに着せられた薄いピンクのドレスは腰のところでキュッと締まってスカートの後ろがふわっと広がっている。、スカートにはこれでもかというほどレースとフリルで飾られている。今回の衣装で気付いたんだけど、この世界にも寄せてあげる為にブラがわりのビスチェがあったんだね、知らなかったよ……。
 鏡に映った自分の胸に出来た谷間を見て微妙な気分に陥る。髪もいつもならそのまま後ろに垂らしていたのに今日は髪をいくつも編んで纏められごてごてと宝石のついた髪飾りをつけられてしまった。そして今やトレードマークになってしまった羽飾りのついた帽子を被っている。
 衣装に関しては誰もわたしの意見なんか聞こうともしない。なぜだろう? さすがに寒いから上に羽織るショールが欲しいと言ったら、もの凄く薄いシルクのショールを渡された。これって役に立ちそうにないよー。
 侯爵は珍しく黒い布地の衣装を纏っていた。でも黒い服には金糸銀糸で模様が描かれ肩には金モールが垂らされている。右目には金の細い鎖のついたモノクルを填め、白い手袋の上から蒼い宝石のついたブレスレットをしている。
 侯爵の皮の靴とわたしのヒールの足音が一緒のペースで音を立てていた。

 侯爵にエスコートされて廊下を歩きながらターレンハイム家での騒動を思い出していた。

「いいですか、あき様。王宮での舞踏会に参加するのですから、貴族の女性達は、はりきって着飾ってきます。ターレンハイム家のお嬢様ともあろうお方が、そこら辺の貴族なんぞに負けてはいけません」

 メイドさんたちがそんな風に主張している。

「そうかなー?」
「そうですとも、あとはこのネックレスを身に着けて胸に注目をさせるのです。そこにはあき様の胸の谷間が! これで勝てます!」

 ぐっと拳を握って顔を近づけてくるメイドさん。
 なんでそこまで盛り上がれるんだろうか? 不思議だ。

「……胸で勝っても仕方ないような気がしますが?」
「なにを仰います。そこら辺に転がっているような貧弱な体つきの貴族の小娘ですら、胸をアピールしているというのに! あき様のような巨乳の持ち主がなぜ、隠すのですか!」
「……巨乳なのかな?」

 自分の胸をふかふかと揉んでみるけど、よく分からないねー。とはいえ最近肩が凝るからたまに自分自身に『ヒーリング』を掛ける事もあるんだけどね。
 そうして自分の胸をふかふか揉んでいたら、じろりとコーデリアとタルコットに睨まれてしまった。

「あーきー。お主、それは嫌味かのー?」
「さっきから見とったらふかふかと揉みよって、揉むほどもないうちらを馬鹿にしてるんやな?」
「そ、そんな事無いよー」
「いいや、うちらに見せ付けてるで!」

 タルコットとコーデリアから不穏な空気が立ち上がってくる。周囲にいたはずのメイドさん達は素早く部屋の隅に逃げ込んでいる。

「そうじゃー。ちょっと乳がでかいと思っていい気になっておるんじゃな……ふふふ、そうかそうか」
「この乳がいかんのや。少し削る必要があるかもなー」

 2人の目から光が消えてる? じりじりと近づいてくるコーデリアとタルコット。なんというかホラー映画より怖いよ。
 わたしは後ろに下がりつつ逃げ出そうとしている。

「でかい乳は女の敵。絞ってやるのじゃ!」
「そうや。いくで! 同志コーデリア」
「そうとも、同志タルコット」

 部屋の隅に追い詰められ胸を散々揉みくちゃにされてしまいそうになる。無駄な抵抗と思いつつも必死になって胸を庇っていると、勇気あるメイドさんの1人がコーデリアとタルコットに対し大声で叫んだ!

「おやめ下さい! 形が悪くなってしまいます!」
「そうですわ。形の崩れた胸になってもらっては困ります」

 1人が口火を切ると他のメイドさん達も次々と言い出した。

「そもそも。女性の胸と言うのはもっと優しく愛撫するものです。コーデリア様達のように無理矢理揉みくちゃにするものではありません。私が手本を見せてあげます」

 なんだか話が変わってきたような? わたしは近づいてくるメイドさんから距離を取ろうと後ろに下がったが、コーデリアとタルコットに両腕を掴まれ、身動きができなくなってしまう。

「くるな。こないでー!」
「そう怯えずともよいのですわ。優しくしてあげます。ふふふっ」

 そう言うとメイドさんはわたしの胸をさわさわと擽るように軽く揉み指先でつつくようにもしてきた。放せ放せと騒いでいるわたしを周りにいるコーデリアもタルコットもメイドさん達すら、じーっとわたしの反応を見ている……。
 あわあわ騒いでいるうちに、くすぐったいのが変化してきて背筋がぞくぞくしてきた。息が苦しくなってはぁはぁと呼吸が荒くなっていく。自分でも目がとろんとしてくるのが分かる。触れられている処が熱く感じている。足がガクガク震え立ってられなくなりそう。ギュッと瞼を閉じ、何も考えないように歯を噛み締めて堪えていた。

「も、もうやだー!」

 とうとう足に力が入らなくなり、その場にぺたんと座り込んで泣き出してしまった。
 コーデリアとタルコットに腕を掴まれたまま泣いている。周囲にいたメイドさん達がばつが悪そうな顔で見ていた。

「ま、まあ悪乗りが過ぎたのじゃ」
「いや、うちらも悪かったわ」

 コーデリア達が謝ってくるのを泣きながら聞いていた。
 でも、メイドさん達が部屋を出て行く途中でひそひそ話をしているのが聞こえてくる。

「あき様って、敏感ですよね」
「そうそう、あれはかなり反応が良い方です」
「襲われたらすぐに抵抗できなくなってしまうよねー」

 ううー聞こえてるよー。悪かったなー反応が良くって! 襲われたくないよー。なんでわたしがこんな目に遭うんだろう? そもそも男の時はこんな風に感じたりしなかったのに、女になってからなんだか敏感になっているような気がする。……こうして女の感覚に慣らされてしまうんだー! 自分の体とはいえ少し恨めしい。
 はっきり言って女の感覚でイキたくない。そうなったら完全に女に成りきってしまいそうだ。ただでさえ、知らず知らずのうちに女性化が進んでいて女として行動する事に違和感が失われつつあるというのに!
 振りほどいた両手で顔を隠して、ぐすぐすと泣いていた。

 
 あー。思い出すと悲しくなってきた……。
 侯爵の隣を歩きながらそんな事を思っているわたしだった。


 大広間を抜け、サロンへと足を進める。
 扉の前にはやはり衛士がいて、部屋の中に向かってわたし達の名前を知らせていく。こういうのはどこでも同じなのかな?
 部屋の中でくるくる回っている貴族達の間を縫って、侯爵とわたしは部屋の中を進んでいく。途中でルパートとロパートさんを足したようなメガネを掛けた貴族と出会った。もしかして……。

「ロバート。久しぶりだ。元気にしていたか?」
「お蔭さまで。……ふむ。そちらの娘が近頃噂になっているあきという娘ですね?」

 ロバートさんはわたしを真っ直ぐに見据えると厳しい目で値踏みするように見つめた。

「はじめまして、ロバート・フォン・ターレンハイム伯爵」
「はじめまして、お嬢さん。君の噂はルパートやロパート達からも聞いている。王宮では慣れないことも多いだろう。なにかあれば私に遠慮なく言ってくれたまえ。君は私にとっても妹のようなものだからね。出来るだけ配慮はしよう」
「ありがとうございます」

 そう言ってお辞儀をする。侯爵はロバートさんに最近の国内の情勢や財政なんかを聞いていた。ロバートさんはロパートさんの実行している『銀行』に王室側から働きかけているそうだ。なにか堅物といった感じの官僚? ぽいよ。そういう所はルパートにもロパートさんにも似てない。

「なんと言っても、税収を一括して管理できる所が王室にとってもメリットがある。これまでは見る者によって多少どころではない差があったからね。これが巧く行けば、王室の予算も組みやすくなるだろう」
「今まではどうしていたんですか?」

 ふと疑問に思って聞いてみたら、ロバートさんのメガネがキラッと光った。メガネの奥で笑っていた目が真剣になった。

「うむ。金貨とかの硬貨はきっちりとしてはいたが、他はどんぶり勘定といった感じだったな。それ故に誤魔化しやすかった。その所為で財政が苦しくなっていたのだが、これからは数字で管理できる。ああ、そうそう君がロパートに教えたという算盤な、あれは便利だ。重宝しているよ」

 ロバートさんが算盤の珠を弾くような指使いを見せる。もしかして財政を管理している貴族達が部屋で算盤を弾いているのかな?

「そうだね。今では財政管理には欠かせなくなっている。それから帳面に記載する簿記といったか、あのやり方も理解してみれば合理的だった。これからは王宮に出仕する貴族にとって欠かせなくなるだろう」

 読み書き算盤というけれど……貴族の嗜みになってしまうとは世の中分からないものだなー。算盤教室が出来るのも近いかな?

「すでに王宮内で出来ていて、何十人もの貴族の子弟が学んでいる」
「ふわー。行動が早いというか? すごいですねー」
「いや、それほどでもない。必要な事をしているだけだ」

 まじめな官僚さんは、そう言って他の貴族さんと話をする為に去っていった。
 残ったわたしと侯爵は肩を竦めて話をする。

「ロバートは真面目すぎる所があって、困っているんだ」
「真面目なのはいい事だと思いますけど?」
「いやいや、普段堅苦しいほど真面目なものだから私生活になると鬱憤が溜まっているのか、女性に対して……そのなんだ、乱暴にしてしまうところがあるのだよ。あきも気をつけなさい」

 ひそひそと侯爵が教えてくれる。でも乱暴って、DVみたいな感じなのかな?

「いや、殴ったりじゃない。鞭やロウソクを使うのだ」
「それって……?」

 もしかしてSMなの? ふわー人は見かけによらないなー。そう考えていたら侯爵が「アレはいかん」とぶつぶつ言ってる。

「そもそもだ。鞭は振るってもいいが、ロウソクがいかん。あれは女性の肌を醜くしてしまう。痛みや苦痛を与えるだけで羞恥心を煽る訳ではない。そこのところがあいつは分かっておらんのだ! なんと嘆かわしい事か!」

 侯爵がいきなりSMの講釈を小声で言い始めた。「だいたいあいつは縄の使い方もなっておらん」なんて言ってる。侯爵ってもしかしてそういう趣味があったの? SM趣味? 鞭でビシビシってしてるの?
 侯爵ってまともだと言ってたのにー! それなのにーサド趣味だったんだー! 思わず、じとっと見てしまう。

「うん? あき、どうしたんだ?」
「……侯爵様のヘンタイ」
「違うぞ。私は普通だ!」
「でも、女の人を鞭で叩くんでしょ?」
「ふむ。叩く事もあるな。しかしそれは女性の羞恥心を煽る為であって暴力というのではないぞ。そこのところを勘違いしてもらっては困る」
「そういうのをヘンタイっていうんだよ」
「なんという狭量な事をいうのだ。あきもまだ若い。大人になれば分かるだろう」
「分かりたくないよー」

 わたしはそう言って侯爵の傍を離れていった。
 ううーまともだって言ったくせにー。みんなヘンタイなんだ! 侯爵も例外じゃなかったんだー。ひどいよ騙してたんだ……くっすん。
 サロンの隅っこでスパークリングワインを飲んでいた。もうやけ酒だよー。侯爵の事信じていたのに……。
 ぼんやりくるくる踊っている貴族の男女を眺めている。きっとここにいる貴族達もヘンタイなんだ……。みんながヘンタイだったら普通の人の方がおかしいのかな? ヘンタイが普通でまともな人がヘンタイ扱いされちゃうのかも? そんなのいやだよー。わたしの前を通り過ぎていく貴族の男女がちらちらとわたしの胸元を見ていく。見られたくないなーと思ってショールで隠しておいた。
 もう一杯スパークリングワインを貰おうと壁から離れたら、貴族の男性とぶつかってしまう。

「あっ、ごめんなさい」

 そう言って謝ったら、ぶつかった貴族がにこやかに笑って許してくれた。でも、じ-っとわたしの事を見つめてくる。

「わたしになにか?」
「いえ、もしかしてターレンハイム家のあき様でしょうか?」
「……(ヘンタイ揃いの)ターレンハイム家のあきです(わたしはまともですけど!)」
「これは失礼しました。私はノエル王国のエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵でございます。あき様にお会いできて光栄です」

 グリューネヴァルト伯爵はそう言って優雅にお辞儀をして見せた。
 ルパート達のように綺麗な金髪で、なんとなくヴァルテンブルグ伯爵に雰囲気が似てる美形な貴族だった。洗練された動作に隙の無い身のこなしを見せる。かなり強いと思う。でも……この人もヘンタイかもしれない。しかしルリタニア王国の貴族じゃなくてノエル王国だから、まだマシかもしれないよねって! アーヴィンもノエル王国出身だった……じゃあもしかしてホモ? 男好きなのかな?
 じーっと見てたら、グリューネヴァルト伯爵は首を傾げてにこりと笑う。う~ん美形は得だよね。でも対抗してにっこりと笑い返した。

「グリューネヴァルト伯爵はルリタニアには長いんですか?」
「いえ、それほどではありません。ノエル王国にも『銀行』設立に向けての説明がありまして、その関係で来たのですから」
「では、ノエル王国でも独自に『銀行』を設立するお考えですか?」
「その辺りはなんとも言えませんね」

 グリューネヴァルト伯爵がにこやかに笑って言った。

「……設立しようにも実務を行える人手が足りない?」

 そう言ったらグリューネヴァルト伯爵の目が一瞬鋭く光った。様な気がする。
 そうして少し探りを入れてくる感じでわたしに問いかけてきた。

「そういえば、あき様が『銀行』のアイデアをお出しになったとか?」
「わたしは無責任に言ってみただけですから、実際に実現可能にまで持っていったのは他の方々のお力です」
「私どもにも何かいいアイデアはないでしょうか?」
「そうそういいアイデアなど出るものではないでしょう?」
「そうですね。いえ埒もない事をお聞きしました。申し訳ない」

 グリューネヴァルト伯爵がわたしに詫びるとそのまま立ち去っていく。でも少し離れたところで一瞬、こっちを振り向いて鋭い目つきで見てきた。気付かない振りをしてわたしはスパークリングワインを手に取ると口を付ける。すっかり酔いが醒めちゃった。再びやけ酒っと。
 でも、いいアイデアは無いかと聞かれてふと保険業の事を思いついたんだけど……言った方が良かったかな? あとでロバートさんに伝えてみよう。ロイズだったっけ? かなり昔からあるイギリスで出来たという海運とかの保証を請け負う保険があったよね? コーヒーの本で読んだ事あったんだよ。雑学の本だったっけ?
 忘れないうちに言っておいた方が良いかも? そう思ってワイングラス片手にロバートさんの姿を探してみる。ロバートさんは貴族というよりも官僚といった感じの人達と話をしていた。その近くで侯爵もいたからついでに連れて行く。
 そうしてロバートさんと侯爵にロイズの保険の話をしようと思ったら、「ここではいかん」と言われて別室に連れて行かれてしまう。

「で、保険と言うのはなにかね?」

 サロンの近くにある官僚さん達専用の小部屋でわたし達が入った途端、侯爵が口を開いた。

「うん。海で商品を送ると沈没したりする事があってお金を損するでしょ?」
「まあ、そういう事も多々あるが、それで?」

 そう切り出したわたしにロバートさんが聞く。右手をメガネのフレームに当てている。

「それで、船で商品を送るときに前もって船と商品に保険、この場合沈没した時に決められた額のお金を払うの、でもちゃんと着いた時には船の持ち主か、商品を積み込む商人から、これも前もって決めていた金額を貰うという仕組みなんだけど……分かるかな?」
「まあ大体はな……。しかしそれだと積荷を失ったとか嘘を言い出す奴もでてくるだろう?」

 ロバートさんが言う。侯爵も頷いていた。

「その時は船の持ち主を詐欺罪で捕まえて、船を没収するの。その際には取られたお金も取り返すけどね」
「そうなるとルリタニア王国にその為の法を作る必要があるな。それでも船以外でも応用は利きそうだが、ふ~む。考える余地はあるか」
「そうだなロバート。お前の部下達と相談して考えてみるといい」
「他にはないか?」
「健康保険とか?」

 わたしはこれに関しては首を捻ってしまうんだけど、この世界にも医者はいるんだよ。一応東西南北の塔でも医学は教えているみたいだし、ラッセンディルは診察とかできるしね。
 やっぱりロバートさんも首を捻っている。

「なんだ、その健康保険と言うのは?」
「……月々いくらかのお金を払っておくんだよ。それで例えば病気になった時に、本来の治療費の一割とか3割ぐらいで診て貰えて、薬も貰える。それで、医者には国から残りのお金が支払われるというんだけど」
「しかしそれなら流行り病が蔓延した時、集めていた金だけでは足らぬようになる……いや、前もって月々決められた金額を払うんだな?」

 ロバートさんが急に真剣な顔で考え込みだした。右手の人差し指でこめかみを軽く叩いている。

「う、うん。そうだよ。どうしたの?」
「ルリタニア中から集めた金だ。1人銅貨10枚ぐらいとしてもかなりの金額になる。その金を保険とかに回してさらに増やせるな。それに『銀行』に資金提供をして利益を得る事も出来る。その一方でいざと言う時に溜め込んでいれば、後はなんとでもなるか」

 わたしはロバートさんをじーっと見てた。考え込みだしたら周りの事は気にならなくなるタイプみたいだ。ぶつぶつと口の中でなにやら計算している。手元が算盤を弾くように動かしてた。

「どうしたのかな?」
「ロバートは小さい頃から考え込むとこうなるんだ。算盤を弾く手つきは見た事なかったがね」

 侯爵とわたしは小声で話していた。

「……とにかくある程度の纏まった金だ。使い方によっては何でも出来そうだな。それに金持ち連中から多く取って、その分貧乏人から少なく取れば文句もでにくいだろう。よし。それも一緒に提案するか! となるとこれから忙しくなるぞ。とりあえず部下を集めなくては」

 なんか、自分の中で話が纏まったみたいだ。うんうんと頷いてる。

「それで決まったかね?」

 侯爵が声を掛ける。
 ロバートさんはハッとしたように侯爵とわたしの方を見て、ようやく気付いたというような顔をしてた。

「ええ、とにかく部下を集めて提案をします。それからあきのアイデアを元に具体的な事を決めていか

なくてはならないでしょう。やるとなったら大仕事になりますよ。ロパートにも話を通さなくてはならないでしょうし、法律も考えなければなりません、それに医者達や塔にも話をしなければならない」

 やっぱり、実際にやる人は大変だよね……アイデアを言うのは楽だけどさ。法律とかわたしには分かんないし、どうしょうもないんだけど……。あっ、グリューネヴァルト伯爵になにかいいアイデアは無いかって聞かれたんだった。これを知ったら恨まれそうだよね?

「いや、そんな事は気にする必要はない!」
「そうだぞ、あき。グリューネヴァルト伯爵に言わなければならない訳はないだろう?」

 ロバートさんがそう言い。侯爵も頷きながら私の目を見て聞いてくる。
 確かに言わなければならない義理はないんだよね?

「う……ん。聞かれただけだから……」
「まあ、あきはお人好しだから気になってしまうんだろうが、何かあったら私達に言いなさい。いいね」

 侯爵がそう言うとロバートさんも頷いて、私も力になろうと言ってくれる。

「はーい」
「うむ。それでいい」

 それからロバートさんは部屋を出て、官僚さんっぽい貴族を集めてどこかへ行ってしまった……。その後、コーデリア達と合流したわたし達はテーブルに置かれている料理を食べたり、お話したりして過ごしていた。

「これ以外といけるで」
「うむ。かなりおいしいのじゃ」

 タルコットとコーデリアが赤いゼリーみたいなものを上に乗せた一口サイズのケーキを摘んで言い合ってた。わたしも食べてみたけど確かにおいしかった。なんというのか、いちごというより、杏みたいに甘酸っぱい味で、少し汗を掻いていた体にすーっと沁みこんでいくような気がして、うまうま。
 ロバートさんと話をしている間にちょっと汗を掻いちゃったしね。なんか緊張するんだよー。
 
「あき。ヘンな男がこっちを見てるで」
「えっ?」
「振り返るんやない。鏡が目の前にあるやろ、それに映っとるから、視線を合わせんように見るんや」
「う、うん」

 タルコットに言われてそーっと鏡を覗いてみたら、グリューネヴァルト伯爵がわたし達の様子をちらちら窺ってる。
 なんでわたし達の様子を窺うんだろう? なんか嫌な気分だよ……。コーデリアも気づいたらしく小声で「ムカつくやつじゃ」と言った。

 それからわたし達が帰るまでずーっと様子を窺ってくるグリューネヴァルト伯爵の姿があった。
 なんだろう? なんであんなにこっちを気にしているんだろうか?
 ターレンハイム家に帰る為に馬車に乗り込んだわたし達はそんな話をしていた。

「結局レグール伯爵いなかったね?」
「そうじゃのう、おらんかったな」
「なんでだろ?」




[12791] 第35話 「エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/11 14:08

 第35話 「エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵」


 エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵はノエル王国のブランヴェリエ侯爵一族の一員である。
 グリューネヴァルト伯爵領はルリタニアとノエルの国境を境に向かい合っており、その為に互いの行き来も盛んでもあった。当代の当主はエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト。20歳の独身貴族である。仲の良い友人にはヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵がいる。

「つまり、ヴァルテンブルグ伯爵のお仲間という訳ね」
「やっぱりMなんだろうか?」

 わたしは王宮での舞踏会の後で、ルパート達にエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵の事を話した。
 コーデリアとタルコットは、あまりいい印象を持っていないようだ。ルパートは「ヴァルテンブルグ伯爵のお仲間ねー。この家にもなんどか来た事があったと思うわ」と肩を竦めている。ちなみに侯爵はまだ戻ってきてない。ルパートに聞いてみたらロバートさんと話があるんだそうだ。

「あら、あきがロバート兄さんに何か言ったからなんでしょ?」

 と言ってる。もしかしてあの話の所為なのかな?
 侯爵も大変だよねー。と言ったらそれを言うならロパート兄さんなんかもっと大変よー。とルパートに笑われた。
 うーん。でもねー。

「もしかして余計な事を言っちゃったかな?」
「そんな事無いわよ。お蔭でルリタニア王国の国力が増えるんだから、あきが気にする事はないのよ」
「そうやで、あきの話をきっかけにしてるだけやねんから」
「そうなのじゃ。ロバート辺りは忙しい方が嬉しいのじゃ」

 コーデリア達が好き勝手な事を言ってる。それに舞踏会で一杯食べてたのに帰ってきてからまたお菓子を食べてた。2人してクッキーを取り合ってる。なんだかなー。

「……戸籍を調べると言う事は人口を調べる事だからね。それだけならいいんだけど収入を調べられると税金が増えると思われて正直に言わない人も多いのよ。でも『保険』と言ったかしらその為の調査なら村長達にも協力させやすいわ」
「そうかなー?」
「治療費が高くて治療を受けられない人も多いのよ。だから安く受けられるなら協力するわ。それにロバート兄さんならこの機会に医者に治療費の上限を低くさせるだろうしね」
「治療費の上限を低くさせる?」
「そうよ。医者によって治療費はまちまちなの。だからルリタニア王国ではこれから病気ごとに治療費を統一させるつもりなんじゃないかしら?」

 ルパートがそんな事を言ってる。

「でもそんな事出来るのかな?」
「その為にロバート兄さんは知恵を絞るでしょう。その辺りは任せてもいいと思うわ」
「あいつらはそういった事を専門にしているんだからあきが気にしてもしょうがないぞ」

 いままでぷかぁ~っと葉巻を吸っていたラッセンディルが写本から顔を上げて言った。ラッセンディルは王宮から何本もの葉巻をくすねて来たらしい。戦利品だとポケットの中から葉巻を取り出して見せてくれた。

「ラッセンディル、それで何本目?」
「まだ、3本目だ」
「葉巻は控えた方がいいよ」
「……あきは葉巻の匂いは嫌いか?」
「そうでもないけど……体に悪いよ」
「……なら控えるとするか」

 ラッセンディルはそう言いつつもぷかっと吸ってる。ううー、もう知らないもん。
 ルパートはラッセンディルの取ってきた葉巻を咥えると火をつけて吸い出すし、コーデリアとタルコットはクッキーの取り合いをしてるし、みんな……エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵の事なんか眼中にないって感じだよー。どうしようかな?
 そんな事を考えていたらコーデリアに酒でも飲んで寝てしまえと言われてしまう。いいもん。もう寝るから……でもその前にお風呂に入ろう。そう思ってお風呂場に向かうとメイドさんに捕まってしまった。

「あき様。お風呂ですか?」
「そうだよー」
「では、ご一緒させていただきます」

 と強引に一緒に入る事になってしまった。
 お風呂場でメイドさんに髪の毛を洗って貰うと気持ちがいいのでついついぼんやりしてたらいつの間にかメイドさんの手が私の胸に!

「うひゃ!」
「あき様って巨乳ですよね……」
「巨乳はいいから揉まないで!」
「気持ちがいいでしょう?」
「そ、そんなことないです」
「そうですかー?」
「いやーそんなとこ、つまんじゃ駄目ー!」
「えー」

 メイドさんのセクハラに耐えながらのお風呂は辛いよ……。なんでみんなわたし相手にセクハラしてくるんだろう? メイドさん集団の中でやってればいいじゃないかー!

「これぐらい。スキンシップですよ?」
「絶対。違うと思う」

 はっきり自己主張する。
 その後なんとかセクハラを止めて貰って部屋に戻った。
 ベットに横たわり目を瞑る。ぼんやりしているうちに段々眠気がやってきていつしか眠りの中に落ちていく。



 3月 春の月。
 暦の上ではもう春だが未だ風は冷たく雪もぱらつく日もある。あと2月ほどで、あきがこの世界に現れてから一年が経とうとしていた。
 ベットの中でシーツに包まりあきが眠っている寝室の窓の外、ベランダに人影が現れた。
 ターレンハイム家の敷地内でもあきの部屋に忍び込もうとしている人影はエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵だった。
 長い真っ直ぐだった金髪の髪は波立ち、青い目は今は赤く輝いている。軽く開かれた口元からは鋭い犬歯が見えている。
 グリューネヴァルト伯爵の手が窓のガラスに触れようとした時、伯爵の背後から鋭い声が放たれた。

「そこまでです! 立ち去りなさい」

 ゆっくりとした動作で振り向いた伯爵の目にメイド集団の姿があった。メイド達は手に手に武器を持ちいつでも攻撃できる態勢をとっている。グリューネヴァルト伯爵はメイド達に視線を向けたまま軽く笑うと窓に手を触れた。

 ――ジュッと肉の焼ける音と匂いが風に流され、メイド達に届く。

「つぅ!」
「何の防御も無いと思いましたか?」
「……さすがターレンハイム家という所か、仕方が無い今日のところは諦めるとしよう」

 そう言ってベランダから立ち去ろうとする伯爵の足元に鋭い針のような剣が打ち込まれる。驚き振り返る伯爵の前にコーデリア、タルコット、ラッセンディルの3人の姿があった。

「よいか、あきを襲うとなればわらわ達が相手になるからの」
「分かったら、二度とやるんやないで」
「失せろ!」

 3人に凄まれた伯爵がブルッと体を震わし立ち去っていった。



 朝、馬車の音で目を覚ます。
 うとうとしつつ窓の外を覗いてみればラッセンディルが馬車に乗って出かけるところだった。

「ふにゃ?」

 寝惚けた頭でどうしたのかな? と考えても答えなんかでない。
 仕方なく着替えようとベットから降りてクローゼットを開く。どの服を着ようかと迷っている。

「あー! あき様が勝手にお着替えをしようとしてるー!」
「なんですってー!」

 わらわらとメイドさん達が部屋の中に駆け込んできた。メイドさん達がまるでわたしが何か犯罪でも犯したかのように口々に攻め立ててくる。なんでわたしが怒られるんだろう?

「あき様のお着替えは私共の大事な仕事なのです。それを勝手に着替えようなんて……あき様のおにー!」
「ヒドイですー!」
「そうですよ。あき様!」

 メイドさん達に泣きながら責められわたしは結局いつものようにメイドさん達に着替えさせてもらう。
 メイドさんが持ってきているかごの中から……絹の下着……もの凄く薄そうなやつだった。それをわたしの前で広げ、罰として今日はこれを着て貰いますと言い出した。

「や!」
「や! ではありません!」

 無理矢理着替えさせられたもののなんだかすーすーしてる。その上今日は天気もいいですからドレスも薄い方がいいですわ。とさらに言い出し、ぺらぺらというのか、ふわふわというのか分からないけど、とにかく薄くて軽いドレスに着替えさせられてしまった。
 なんだかホステスぽくないかな? と鏡を見た時そんな風に思ってしまった。

「……前から聞こうと思っていたんだけど、なんでいつも胸元が大きく開いているドレスなのかな?」
「あき様が巨乳だからです!」
「隠すなんてもったいないです!」

 まったくおかしくも無いかのように言われてわたしは自分の感覚の方がおかしいんだろうか? とさえ思ってしまう。
 まあとにかく着替え終えると、食堂に下りていくんだけど食堂にはルパートと侯爵が揃っていた。侯爵もう帰っていたんだ?

「侯爵、ルパート。おはようございます」
「うむ。おはよう」
「おはよう。あき」
「コーデリア達は?」

 わたしは席に着きつつ侯爵に問いかける。
 侯爵は首を振り「今日もまだ起きてこないようだ」と言う。

「昨夜はコーデリアとタルコットの2人は遅くまで騒いでいたから……」
「ラッセンディルは?」
「ラッセンディル男爵は、用があるとかで早くから西の塔へと向かったそうだ」

 ラッセンディルは用があるのかー? 仕方ないよね。今日はコーデリア達と男物の服を買いに行こうと思ってたんだけど……。
 侯爵に今日の予定は? と聞かれて昨日コーデリアと話した男物の服を買いに行く事を言った。

「……なにも男物の服を着なくてもいいと思うが?」
「でも、着たいです」
「ならば、仕立て屋を呼んでやろう。作ってもらいなさい」
「それでもいいかなー?」
「いいんじゃないの?」

 侯爵に仕立て屋さんを呼んで貰う事になった。楽しみだなーどんな服にしよう。動きやすい方がいいよね。朝食を食べながら楽しみにしていたら、エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵が食堂に入ってきた!
 あ、あわわわ……なんで? どうしてターレンハイム家にいるの?

「おはようあき嬢。おはようございます侯爵様」
「うむ。よく眠れたかね」
「お蔭さまで」
「それはよかった」

 侯爵は全然驚いてない。わたしはフォークに洋梨ぽいフルーツのシロップ漬けを刺したまま、侯爵と伯爵の顔をきょろきょろ見比べていた。そんなわたしに気づいた侯爵が笑いながらエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵は昨日この屋敷に泊まったのだよ。と言う。
 それを聞いてほぉーっと溜息をつく。

「そもそもグリューネヴァルト伯爵は、ノエル王国からルリタニア王国が始めた『銀行』の視察と運営方法を学ぶ為にルリタニアへやってきたのだ」
「ええ、ノエル王国でもターレンハイム家の主導で行われている『銀行』には興味を示しております。この機会に我がノエル王国も負けじと学ぶ必要を感じております」
「じっくりと学びたまえ。君達若い世代がこれからノエル王国を背負っていかねばならないのだからな」

 侯爵が鷹揚にそう言うとグリューネヴァルト伯爵が神妙な顔で頷く。その後は侯爵とルパートを交えて伯爵がいくつか質問をしていた。『銀行』業務に必要な人材の育成や貴族への対処方法なんか聞いてる。
 実際の業務の事はわたしには分からないなー。でも聞いていると侯爵もルパートも伯爵もわたしよりも遥に頭がいいんだよね……それが分かるのが辛いよー。がっくりしちゃうな。

 朝食を食べ終わる。侯爵達3人が喫煙室へ向かう。わたしはコーデリアとタルコットの部屋へとやってきた。

「コーデリアー」

 ゆさゆさとベットで眠っているコーデリアを起こす。もぞもぞシーツの中に丸まって逃げようとするコーデリアを起こす為にシーツを引き剥がした。

「うがー! 寒いのじゃ!」

 寝惚けているのか、それとも野生の本性なのかコーデリアはわたしからシーツを奪うと再び丸まってしまった。襲われたわたしはベットの傍でへたり込み、涙目でコーデリアを睨んでいた。

「ひ、ひどいよー!」
「やかましいのじゃ!」
「あんたらうるさいわ。眠れんやんか……」

 わたしとコーデリアの騒動で目を覚ましたタルコットが眠そうに眼を擦りながら恨めしそうに言う。
 そうしてへたり込んでいるわたしとベットで丸まっているコーデリアを見比べ、コーデリアにダイブした。ぼふっという音と共にコーデリアの体がベットに沈み込む。

「お主ら、わらわになんぞ恨みでもあるのか……」

 寝起きで不機嫌そうなコーデリアが睨みつけてくる。……でも、枕を抱きかかえながら言っても迫力に欠けるよね?

「さっさと起きへんあんたが悪いんや!」

 タルコットがしらっとした口調で言う。コーデリアとタルコットの2人は目を覚ますとさっさと自分達で着替えを済まし、欠伸をしつつ食堂へと向かった。

「ちょ、ちょっと待って!」
「話は食事をしながら聞いたるわ」
「そうなのじゃ。ついて来るがよいのじゃ」

 引きとめようとするわたしに構わず2人とも食堂へと歩き出す。
 コーデリア達の後に付いてわたしが食堂に顔を出すとメイドさん達が驚いたような顔で見てくる。

「あき様はお食事は終えられましたから、どうなさいますか?」
「紅茶を貰えるかな?」
「はい。ただいま」

 紅茶のいい香りが漂っている。わたしはがつがつ朝食を食べている2人をメイドさん達と呆れながら見ていた。コーデリアは朝からお肉のお代りをしてタルコットは卵のお代りをしている。

「それで、グリューネヴァルト伯爵がターレンハイム家に泊まっておるからなんじゃ?」
「そうやで、侯爵が連れてきたんならしゃあないと思うで」
「そうなんだけど……」

 2人にグリューネヴァルト伯爵が泊まっている事を話すと2人は気にしてもいないように言う。

「それにじゃ。うんぐっ、あやつも『銀行』の視察の為にノエル王国から来ておるのなら、ターレンハイム家はその中心なのじゃから当然と言えば当然の選択じゃ」
「そうやな。中心地に泊まれるんならそうするわな。ごほごほ」

 コーデリアとタルコットは朝食を喉に詰まらせている。そしてメイドさんに背中を叩かれていた。2人ともがつがつ食べるのは行儀が悪いと思うよ。
 確かに『銀行』の視察を目的としているならターレンハイム家に泊まるのは仕方ないかもしれない。なんといっても中心地であるのは確かなんだから……でも妙に気になるんだよね。舞踏会の時にわたし達を観察していたからかな?

「それ自体は不思議ではないのじゃ」
「そうやで」

 わたしが考え込んでいたらコーデリアとタルコットが食べるのをやめて声を掛けてきた。
 はっと顔を上げる。コーデリアがフォークにお肉を刺したままわたしの顔を覗きこんでいた。

「どういう事?」

 首を傾げてコーデリア達に聞く。

「あき、お主がターレンハイム家の元に居るのは秘密でもなんでもないのじゃ」
「そうそう、それでな。あきがやってきてからターレンハイム家の事業が変更され始めた。となると、あきとターレンハイム家の事業を結びつけて考える者もでてくるわな」
「で、あきの事を調べると」
「でてくるのは『アンダイン湖の聖女』と呼ばれる『あきという名の聖女』の話や」
「その結果、お主に接触してくる者もでてくるという訳じゃ」

 2人はうんうんと頷いている。
 考えてみたらそうかもしれないな~。別に隠したりしてなかったし、伯爵もわたしがアイデアを出したって言ってたしね。でも単にアイデアを出しただけだからそんなに重要という訳でもないと思うんだけど?

「いや、そうでもないで。最初にアイデアを出したという事が他の国にとっては厄介なんや」
「うむ。他の連中にとっては一歩も二歩も先に進まれたようなものじゃ」
「実際のところ、他の国はまず人材育成から始めなならんしな。この上あきからターレンハイム家。いやルリタニアにアイデアを出されると困ると思うってんのやろ」
「お主も身辺に気をつけるのじゃ」
「う、うん」

 コーデリアとタルコットの話を聞いて昨日の事を思い出した……。わたし伯爵に聞かれたのに、思いついたアイデアをロバートさんに言っちゃったよ。もしかしてそんな事を伯爵が知ったらどういう行動に出るんだろうか? なんか怖くなってきた。
 両手で顔を覆ってがたがた震えていた。そんなわたしの様子にコーデリアが不思議そうな顔で問いかけてくる。

「お主、なにか怯えるような事があるのか?」
「なんや、言うてみ」

 コーデリア達に昨日、伯爵に何かアイデアが無いかと聞かれて思いついた『保険』の話を侯爵とロバートさんに話した事を言った。2人とも腕を組んで考え込んでいる。コーデリアは指で頭を叩き、タルコットはフォークを咥えたまま天井を見上げていた。

「いや、もう知られていると思うで」
「気にして負い目を持つな! 負い目を持てば、そこを点いてくるじゃろう」
「そうやで、まず。知り合ったばかりの伯爵よりもルパートの方を優先したと考えるや」
「あっ! 確かにそうだよ。わたしとルパートは仲良いもん」

 タルコットの言葉にうんうんと頷く。

「そうじゃ。伯爵が皮肉を言ってきたら、いいアイデアを思いついたから、ターレンハイム家というより、ルパートに教えたとそう言い返してしまえばいいのじゃ。遠慮する事は無いのじゃ」
「それでも文句を言ってくるようならな、あんたよりルパートの方が好き! と言ってやるんや! 結局この言葉に勝てる奴はおらんで」
「そうだよね。グリューネヴァルト伯爵よりもルパートの方が好き。伯爵はわたしから情報が欲しいだけだもん。そんな相手を気にしてやるよりも、ルパートが喜ぶ方がいいよね」

 気が楽になっちゃった。伯爵なんかどうでもいいもんねー。コーデリア達のお蔭で気分がよく紅茶を飲んでいる。
 そうしたらガタッという音がして振り向けば……侯爵が泣きそうな顔で立ってた。侯爵はわたしの元まで走りよってくる。

「あきー。ルパートよりもわしの方が好きだよな! なあそうだろう?」
「侯爵ー!」

 侯爵に抱きつかれてわたしはわたわたしてしまう。

「あき、どうなんだ?」
「侯爵、苦しい放してー」
「いやだ。娘に嫌われたくないー!」

 手足をばたばたさせて何とか逃げようとしたけど意外と、侯爵は力が強くて逃げられない! ぎゅーっと抱き締められ頭を撫でられていた。ひょこっと顔を出したルパートが呆れたような顔で眺めてる。あっ、コーデリアがルパートの耳元で囁いてる。

「侯爵もルパートも好きですよー。それに比較の対象が伯爵なだけで他意はないですー」
「どっちが好きなんだー!」

 耳元で喚かれて耳が痛くなってしまった。
 ルパートとコーデリアが無言のまま頷いてる。タルコットは笑ってるけど、なんだか生暖かい笑みだ。

「侯爵ですー」
「おおそうか。わしかー! そうかー」

 ぎゅーっと抱き締められたまま、わたしは侯爵に言った。そう言ったら侯爵は力を緩めてくれた。その後でニコニコしながらもメイドさんに、今日の夕食は豪華にしよう。なんて言ってた。うわーん。苦しかったよー。
 侯爵が立ち去った後で、コーデリアとタルコット、それにルパートに頭を撫でられた。メイドさん達はわたし達の周りを取り囲んで生暖かい眼で見てる。グリューネヴァルト伯爵は『銀行』の方へ視察に出かけて戻ってくるのは夕方だそうだ。

「あき様も大変ですね……」
「言わないで悲しくなってくるよ……」

 侯爵も子どもみたいな事を言うんだから、もー。メイドさんにぼさぼさになってしまった髪の毛を整えて貰っている間にコーデリアがルパートにさっきまでの話を説明していた。ルパートは真剣に聞き、頷いていた。

「あき、伯爵の事は気にしないようにね。なにかあったらすぐに私たちに言いなさいね」
「うん。そうする」

 ルパートが真剣な顔で確かに、他の国々がわたしの事を気にしているらしい。と話してくれた。その噂の中にはわたしがもの凄い陰謀家でルリタニア王国を我が物にしようと企んでいる話もあるそうだ。

「あきが陰謀家というのは笑えるけどね」
「なんで、そんな話が出たんじゃ?」

 コーデリアが笑い声を噛み殺して聞いている。その横でタルコットは爆笑してた。

「ふふふ、ルリタニアというよりターレンハイム家の急激な変化を気にするあまり、ロパート兄さんが盗賊ギルドを『金貸し』に変更していたという事を忘れてるのよ」
「変化は気になるけど実際のところは……設立しようにも実務を行える人手が足りない?」
「その通り。ロパート兄さんは盗賊ギルドを『金貸し』に変更していたからこそ、あきのアイデアの重要性と可能性に気づいたんだしね。あきが同じ事を他の人に言っても実現は無理だろうと思われていたとあたしは考えてるわ」

 情報を探りにルリタニアにやってきている人達がいるとルパートが愉快そうに笑っているのを見てタルコットが皮肉っぽい口調で言う。

「まあ他人が成功したのを見て秘密を探っても、自分のところでは難しいかったんやろ?」
「そこで、ノエル王国は外交ルートを使って視察と運用を研究し始めているという事じゃな」
「それが一番の近道だと思うわ」
「それだけに専念してればやな……」

 あれっ? なんで3人ともそこで溜息をついてるのかな?
 その後、なぜかグリューネヴァルト伯爵の悪口の言い合いになってる? なんでだろうか……。だいたいあんな女好きを視察にやっても『銀行業務』を見るより女を見る方に忙しいやないか? とタルコットが言い出してコーデリアも頷いてる。ルパートは案外、ヴァルテンブルグ伯爵と2人でヘンリエッテに責められて喜んでいるのかしら、と笑う。
 そうだ、ヘンリエッテちゃんに手紙を書いてグリューネヴァルト伯爵の事を聞いてみよう。そう3人に言ってみる。すると3人ともがいいかもと言い出してさっそく連絡を入れる事になった。

 ヴァルテンブルグ伯爵とヘンリエッテちゃんの元に馬車を向かわせた。
 返事が返ってくるのを待つ間にわたしは仕立て屋さんに男物の服を作って貰っていた。
 体の寸法を測って貰っていると仕立て屋さんは一々驚いた声を出してる。

「そんなに驚く事無いでしょ?」
「いやー。そんな事ありませんよ。なんというのかこの胸のサイズに対して腰の細さは驚きですな」
「そんなに細い?」
「ええ、よく見るとかなり鍛えられているとお見受けしますな」
「最近、サボっているんだけどね」
「いやー。勿体無いですな。ちゃんと体型を維持するように鍛えておくべきです」

 そんな話をしつつ、どんな服にするのかを話し合ってた。
 で……結局、胸の辺りに余裕を持たせたシャツに腰周りも余裕を持たせるとどうしても、だぶっとした感じになってしまうらしい。だけど元の世界での女性用のズボンとかシャツとかのイメージを話してなんとか分かって貰えるようにかなり長く話し込んで、ようやく分かって貰えた。ばんざーい! これでドレスを着なくてもいいんだ。嬉しいよー。と喜んでいたらメイドさん達にじろっと睨まれてしまった。

「あき様。たとえ男物の衣装が出来たとしてもドレスは着て貰いますからね!」
「そうですよー。ターレンハイム家のご令嬢ともあろうお方が男装なんてよくありませんわ!」
「仕立て屋さん。もっとこう胸元の開いた服を作って頂きたいです」
「仕立て屋さん。さっきのでいいから!」
「あき様!」

 メイドさん達に追われ部屋の中をぐるぐる逃げ惑っている。仕立て屋さんは呆然とした顔でそんなわたし達を見ながら帰っていった。
 ばたばた暴れているうちに部屋の扉が開いて、ヘンリエッテちゃんとヴァルテンブルグ伯爵が入ってきた。

「貴方達は何をしてるの?」
「ヘンリエッテちゃん」
「きゃーきゃー。逃げるわよ!」
「はーい」

 メイドさん達がすばやく逃げていってしまう。取り残されたわたしは気まずい雰囲気の中ヘンリエッテちゃんと見つめ合っている。わたし達を取り成すようにヴァルテンブルグ伯爵が話しかけてきてヘンリエッテちゃんに足を踏まれた。

「で、知りたい事はなんですの?」
「エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵の事。どういう人なのかな?」

 ヘンリエッテちゃんは人差し指を頬に当て少し考え込んだ。

「グリューネヴァルト伯爵は私の友人だよ。西の塔で一緒に学んだ仲だ。彼がどうかしたのかい?」
「お兄様。あきさんがお知りになりたいのはそんな事ではないと思いますわ」
「伯爵はノエル王国で、どういった立場にある人なのかなーって?」

 こつこつと音を立ててヘンリエッテちゃんは部屋の中を行き来しだした。観察してると5歩進んで、そこでくるっと回り、また5歩歩いてる。それを何度も繰り返している。

「……そうですわね。まずブランヴェリエ侯爵一族の一員ですわ。ブランヴェリエ侯爵家というのはノエル王国でも有数の大貴族です。その点はターレンハイム家と同じですわね。伯爵はブランヴェリエ侯爵に可愛がられ現在は対外情報活動をしているそうですわ」
「スパイ?」
「有り体に言えば、そうですわ」
「……でも、外交ルートでターレンハイム家の『銀行業務』を視察しているんなら、それで目的は果たせるんじゃないの?」
「目的はあきさん。貴女かもしれません。貴女をノエル王国に連れて行って自分達の為に『銀行』を作らせるつもりではないかとそう、思います」

 ヴァルテンブルグ伯爵は「まさか」と言ったけどヘンリエッテちゃんは澄ました顔をしてる。でもわたしを捕まえてもしょうがないと思うんだけど、実務関係は出来ないだろうし……。

「それを彼らが知っていると思えません」
「勘違いされているんだろうなー」
「おそらく、そうでしょう。もしくは目的はあきさんでも『銀行』でもなく他にあるのかもしれませんが」
「どうしたものかな?」

 ぽつっと零したらヘンリエッテちゃんがにんまりと笑って「私が責めて聞きだしましょうか?」と言ってくる。

「そんな事出来るの?」
「あら、私はルリタニアでもこの人あり。と呼ばれる調教師ですわよ。おーほほほほっ」

 ヘンリエッテちゃんは右手の甲を口に当て高笑いをしてる。……調教師って、なに? そんな事してたの?
 ヴァルテンブルグ伯爵が顔を赤くして自分で自分の体を抱き締めてる。

「流石だよ。ヘンリエッテ! それでこそ僕のご主人様だよ。それにエルヴィンも何度か僕と一緒にヘンリエッテに責めて貰った事もあるし!」

 がっくりしちゃうな……あいかわらずのヘンタイだったよ。ヴァルテンブルグ伯爵は。でもグリューネヴァルト伯爵もM男だったんだね。そんな気はしてたけどさ。まともな男はいないんだろうか? いないんだろうなー。

 ヘンリエッテちゃんの発言にルパート達が興味を示して目的を聞き出す事を頼んでいた。その為にはターレンハイム家の地下室を使ってくれてもいい。と侯爵が言い。ヘンリエッテちゃん達は地下室に案内してもらってたけど、わたしは案内して貰えなかった。なんで?

「あきは見なくてもいいんだ」
「そうよ。知らない方がいい事もあるのよ」

 侯爵とルパートがそう言って連れて行ってくれなかったんだ! わたしも見たかった。酷いよみんなー。
 サロンでうじうじしてたら、メイドさんがシャーベットを持ってきた。

「あき様。シャーベットですよー。今日はベリーのシャーベットですわ」
「あき様の大好物ですよー」

 みんなしてシャーベットで誤魔化そうとしてるー。ううーでもおいしい。
 メイドさん達に頭を撫でられながらシャーベットを食べている。




「流石はターレンハイム家です」
「そうだろうそうだろう」
「では、決行は今夜です」

 侯爵達が戻ってきた。みんな楽しそうだった。わたし1人を置いてきぼりにして……みんなで楽しんでいたんだー!
 ルパートとコーデリアはなにやら準備があると言ってどこかへ行ってしまう。タルコットはメイドさん達に用意する物を頼んでる。侯爵はニヤニヤしてたし、ヘンリエッテちゃんはヴァルテンブルグ伯爵にグリューネヴァルト伯爵を誘い出すように指示してた。
 わたし1人蚊帳の外……くっすん。あれっ? シャーベットがしょっぱいや……。

 こうしてエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵の目的を知る為の計画が立てられていった。
 わたしはエステルに慰めてもらうから後の事は知らないもん!





 エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵は『銀行』内部を視察し、話を聞くたびに驚いていた。

「しかしよくこれだけのアイデアがあったものです」
「そもそもロパート・フォン・ターレンハイム子爵が『金貸し』に変更していたという下地があったからだとは思いますがね」
「いえ、それにしても大したものです。ノエル王国も負けてはいられません」

 金融業においてノエルはルリタニアよりも10年以上遅れている。と思わざるをえない。王宮の収入を増やす算段を早急に考えなければ、いずれはノエルはルリタニアに支配されてしまうだろう。
 ブランヴェリエ侯爵家からは、ルリタニアの秘密を調べてこいと命令されていたが見つけても簡単に実行できる訳ではない。だがそんな答えでブランヴェリエ侯爵家が満足するとも思えない。なにか他にもっと現在の技術で行えるような方法を見つけなければ……。
 その為にはやはり、あの娘から情報を引き出さなければならないだろう。

「それにしても『保険』だと……確かにうまく機能すれば良いが扱いが難しい」

 入ってくる情報を確認する度に思う。あの娘はどこまですごいアイデアを出してくるのか? ノエル王国はルリタニア王国へスパイを何人も放っており、いくつもの情報は舞い込んでいるがあきに関する事だけが分からない。
 あの娘は何者なんだ? メイソン家の娘、アビゲイルからはあきが元は男だったと言う事は知らされていた。
 だからと言って、今更そんな物は意味を成さなくなっている。
 あの娘は『アンダイン湖の聖女』と呼ばれる『あきという名の聖女』なのだ。下手にそんな事を言えば、こっちが悪者にされてしまう。実際に『聖女』にふさわしい結果を出している。それ以外で何かあの娘の弱みを握らなくてはならないだろう。

「そろそろお帰りになる時刻です」
「そうか」

 案内してくれていた貴族に言われて思考の海を漂っていた伯爵は戻ってきた。
 外に出てみれば、陽は傾き薄暗くなっている。貰った資料を小脇に抱え馬車でターレンハイム家へと戻っていく。頭の中ではどうやってあきの弱みを握ろうかと考えながら……。
 今日一日で分かった事なのだが、『銀行』内でのあきの評判はすこぶる良い。なぜか? あきが自慢しないからだ。あの娘は確かこう言っていたな、「わたしは無責任に言ってみただけですから、実際に実現可能にまで持っていったのは他の方々のお力です」と、確かに現実に行動している連中にとってはその通りだろう。
 あの娘の言う通りだ。しかしそこで大抵の奴は自分がアイデアを出したお蔭だと自慢する。だがあきにはそれが無い。それどころか実現に持っていった連中の方が凄いと本気で思っている節がある。だからこそ内部で動いている連中もあきのアイデアのお蔭だと気楽に言えるのだ。それにあき本人は『銀行』から利益を得ている訳でも無い。

「多少の贅沢な生活も侯爵に可愛がられているからだしな」

 さて、どうやってあの娘を陥落させてやろうか……?




 ターレンハイム家では、豪華な夕食の用意に追われていた。
 わたしは忙しく働いているメイドさん達の邪魔にならないようにエステルの元に来ていた。

「……それでねエステル。みんなが地下室に連れて行ってくれなかったの」
「あきは行かなくてもいいと思うのー」
「でもーみんな、なんだか楽しそうだったー」
「きっと悪巧みしてるのー。だからあきは関わっちゃだめー」
「そうかな?」
「そうなのよ」

 エステルは大きく首を縦に振って言う。エステルから見れば、みんな悪者に見えるらしい。「みんな悪い事ばかり考えてるの」と強く主張してる。日が暮れてから戻ってきたラッセンディルはコーデリア達に計画を話されたらしくて、楽しそうにしてる。

 夕食の席についたわたし達は表面的には楽しくやっていた。グリューネヴァルト伯爵はヴァルテンブルグ伯爵とヘンリエッテちゃんがいる事に驚いてた。ヴァルテンブルグ伯爵がグリューネヴァルト伯爵に話しかけて楽しく話していた。
 コーデリア達は心底楽しそうだったけど……わたしはあんまり楽しめなかった。食事はおいしかったんだけどね。
 鮭をバターで焼いたものとか、ビヘモス牛のほほ肉を煮込んだものもおいしかった。シュークリームの生地を薄く焼いてパイっぽくしたものにカスタードクリームとフルーツのシロップ漬けにした物を重ねていったのはミルフィーユぽくっておいしかったよー。さくさくした生地にカスタードクリームとフルーツの甘さが引き立っててついついもう1つ貰っちゃった。うまうま。

 食事が終わった後、わたし以外の人たちはみんな喫煙室の方へ行ってしまった。

「あき様。今日はもうお休み下さい」
「えー?」

 メイドさん達がにこやかな顔なんだけどなんだか怖い笑顔で言ってくる。
 そうしてわたしに近づくとそーっと耳元で言ってきた。

「実は本日は、特別に私たちメイドもパーティーをしても良いと侯爵様に許可を頂いているんです。侯爵様達は地下室へ行かれますし、後はあき様がお休みになってくれますと私たちが楽しむ時間が増えます!」
「そうですーあき様」
「パーティーの準備は万端なんですー」

 メイドさん達はそれぞれ準備万端で待っているようだった。気迫に負けてわたしはベットに潜り込んだ。

「はーい。あき様いい子ですねー。お休みなさーい」
「お休みなさーい」

 ベットの中で目を瞑る。下の方からメイドさん達の歌が聞こえてくるようだ……みんな楽しそうだなー。くっすん。
 そうしてわたしは泣きそうになりながら眠った。






「あきが地下室に覗きに来たりしないかしら?」
「大丈夫だろう。その為にメイド達にパーティーの許可を与えたのだ」
「うろついたりしたらメイド達の邪魔をする事になるのじゃ。だからおとなしくしておる事じゃろ」
「お人好しやからな……パーティーを楽しみにしとるメイドの邪魔はせんやろ」
「……この部屋は見せたくないな」

 ラッセンディルが拷問部屋の中を覗き、溜息と共に言った。ターレンハイム家の地下室には無数の拷問道具が設置されていた。ターレンハイム家の歴史の中には他者を拷問して喜ぶというそういった当主も存在していた。この部屋はその為に作られたものである。
 拷問部屋の隣の部屋には場違いとも思える机と椅子が並べられていた。机の上にはいくつもの書類が置かれ、その中にはエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵に関する調査書もあった。今回は伯爵の目的よりもブランヴェリエ侯爵家の目的を聞き出す事が主題となっている。
 ヘンリエッテがグリューネヴァルト伯爵を責め立てているのを壁に設置されているガラス窓越しに横目で見つつ侯爵やルパート達が会話をしている。

「グリューネヴァルト伯爵は『銀行業務』を知りたい。もしくはノエル王国でも行える特効薬的アイデアをあきに求めているのは、最初から分かっていたのよね」
「そうだな。ルパート」
「問題は伯爵を使うて、ブランヴェリエ侯爵家があきの誘拐を狙っているという事や」
「アイデアはあっても実務はあきには無理なのじゃ」
「その事はノエル王国にも非公式に伝えておこう。それであきの誘拐は諦めるだろう」

 侯爵達はノエル王国に対する今後の方針を話し合う。
 隣の拷問部屋では盗賊ギルドから派遣された者達がヘンリエッテの手伝いをしているのが見える。最初は戸惑っていたグリューネヴァルト伯爵も友人であるヴァルテンブルグ伯爵が嬉々として調教を受けているのに引き摺られるかのように調教を受け入れていった。

「呼び水としてヴァルテンブルグ伯爵を連れてきたのは正解やったな」
「グリューネヴァルト伯爵だけだったら警戒してこの部屋に連れ込む事もできなかったのじゃ」
「では、グリューネヴァルト伯爵に暗示を掛けてくるとしようか」
「頼んだぞ。ラッセンディル」
「任せておけ」

 くっくっくと笑い。ラッセンディルは拷問部屋へと向かった。







 翌朝、眼が覚めたわたしが食堂に下りていくと、そこには……四つん這いになっているグリューネヴァルト伯爵を椅子代わりにして座っているヘンリエッテちゃんの姿があった……。ちなみにその横で四つん這いになっているヴァルテンブルグ伯爵の背中にはコーデリアが座っている。
 いったい昨夜なにがあったんだろう? たった一晩でこんな事になってしまうなんて! 調教師ヘンリエッテ恐るべし!
 わたしは食堂の入り口でがたがた震えていた。

「あきさん。おはようございます」
「おはようなのじゃ」
「おおおお、おはようございます……」

 がたがた震えてたらメイドさんにお気を確かに。と言われたりしてしまう。
 おそるおそる近づいてみると二人の伯爵は口に猿轡を噛ませられて首輪もつけられヘンリエッテちゃんが首輪から伸びている鎖を引いていた。

「だ、大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫です。グリューネヴァルト伯爵も喜んでいますわ。ねっ、そうでしょ?」

 ヘンリエッテちゃんは鎖を引いて伯爵の顔を上げさせる。グリューネヴァルト伯爵の表情は苦しそうにも嬉しそうにも見えた。
 グリューネヴァルト伯爵にしっぽが生えているのに気づいて後ろに回ってみれば……ズボンが少し破られてそこにしっぽが差し込まれている。中がどうなっているのか想像したくない! 見ない振りをしておこう。
 さわさわとヘンリエッテちゃんがしっぽに触れる。その度にグリューネヴァルト伯爵は嬉しそうに首を振ってるー。苦しんじゃないの?

「あきさん。この男に乗ってみますか?」
「い、いえ結構ですー」
「あら、お前振られちゃったわね」

 グリューネヴァルト伯爵はがっくりしたような眼でわたしを見つめてくる。そんな眼をしても嫌だよー。乗りたくないよー。

「では、こちらに乗ってみるのじゃ」

 コーデリアがヴァルテンブルグ伯爵の背中から降りてわたしの元に引っ張ってきた。ヴァルテンブルグ伯爵も乗って欲しそうに首を振っている。コーデリアは乗れ、と言って迫ってくるし、ヴァルテンブルグ伯爵はわたしの足に顔を擦りつけてくるし、どうしようかと思っていると後ろから、乗ってあげなさい。という侯爵の声が聞こえてきた。

「こ、侯爵?」
「あき、ヴァルテンブルグ伯爵の背中に座ってあげなさい」

 メイドさん達も期待に満ちた目で見てくる。なんだかどきどきしてきた。

「ヴァルテンブルグ伯爵、ごめんなさい」

 そう言ってギュッと目を瞑り背中に座る。目を開けるとヴァルテンブルグ伯爵は嬉しそうな顔でわたしを見ていた。髪の毛を軽く撫でてあげる。ヴァルテンブルグ伯爵がさらに嬉しそうな顔をして見上げてきた。さらにしっぽも撫でてあげる。

 周囲ではメイドさん達がきゃーきゃー騒いでいる。
 そんな一日の幕開け……。

「あきさん。こういうのも楽しいでしょ?」

 ヘンリエッテちゃんが同意を求めてくるけど、わたしはやっぱり普通がいいと思うの。
 というか、M男なんかやだー。

 侯爵とコーデリア達は頷きあってるし、目的と言うのは聞き出せたんだろうか? チラッとグリューネヴァルト伯爵の様子を窺う。
 嬉しそうにヘンリエッテちゃんの足に顔を擦りつけている姿を見たら、聞き出せたんだろうな~と思った。でもなんでヴァルテンブルグ伯爵まで、こんな事になっているんだろう?

「それはじゃな、昨夜グリューネヴァルト伯爵を責めているうちにヴァルテンブルグ伯爵が自分も一緒に責めてくれと言い出したのじゃ」
「そうだったんだ……」

 やっぱりM男だったんだね伯爵……。がっくりしちゃったよ。聞き出すのが目的なのに自分も楽しんだら駄目でしょ。パシッと頭を叩いたら嬉しそうだった。
 M男に折檻はご褒美だったー。もうやだー。



[12791] 第36話 「お見合い騒動 結婚するって本当ですか?」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/12 20:53

 第36話 「お見合い騒動 結婚するって本当ですか?」



 ターレンハイム侯爵家の執務室で侯爵は読んでいた手紙を握りつぶした。その表情は苦悶に満ち、苦々しく握りつぶした手紙を睨みつけている。
 ドサッと椅子に身を深く沈め、はぁ~っと溜息をつく。手もたれの上に肘をついて両手の掌を合わせ親指にあごを乗せると目を瞑って考え込んでいる。磨きぬかれた黒檀の机の上に侯爵の渋い表情が映っていた。

「奴が動いたか……」

 ぽつりと零した言葉は部屋の中で聞く者もなく漂い消えていった。
 ゆらりと蝋燭の炎が揺れる。ほんの少しだけ開かれている窓から風が流れて微かに音を立てる。目を瞑ったまま侯爵は流れる風の音に耳を傾けていた。
 窓の外では月明かりが蒼い光を地上に向けている。シンと静まり返った夜の中、再び漏らされた溜息が風に乗って漂っていった。



 ルリタニア王国ハインリッヒ・ルリタニア国王はルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵と同い年である。幼少の頃より共に学んできた仲であり、国王と侯爵という地位についた後も公私共に付き合ってきた。ハインリッヒの妻――エルマ・ルリタニア王妃はさほど地位の高い身分の生まれではなく騎士階級の出身であり、国王との恋物語はルリタニアでは有名な話として知られ多くの女性達の憧れともなっている。
 王妃は贅沢を慎み、とかく軍事バランスのみに目が行きがちな国王に民衆の暮らしを良くする様に進言していた。その事からルリタニアの母とも慕われている。
 しかし近年、思慮深く思いやりのある国民に愛されていた王妃は変貌してしまった。貴族同士の結びつきでもある婚姻に口を挟み始めたのである。とにかく年頃の男女がいれば、なんとか結婚させてしまおう。と考えるようになり、王宮に呼んではお見合いさせるという。
 密かに若い貴族達は王妃の事をお見合いおばさんとあだ名をつけていた。
 そのお見合いおばさんこと王妃が、あきに目をつけたのである。

「……王妃には会わせない様にしてきたというのに、まずい事になった」

 実のところ宮廷では『コルデリアの聖女』の名は若い独身貴族の間では密かに話題になっていた。しかしターレンハイム家を恐れ誰もが遠巻きに見ているだけで直接、声を掛けてきたのはヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵のみである。
 しかしあきを一目見ようと何かにつれターレンハイム家に出向いてくる貴族もここのところ増えていた。ベランダで庭でサロンで大広間であきの姿を見つめては溜息をついている貴族の姿を見かけるようになった。
 中には自分の思いを手紙に託し届けようとする者やお茶会に誘う者もいたが、それらは全て侯爵に阻まれている。

「何とかあき様を舞踏会にお連れしよう」

 を合言葉に、今では若い貴族を中心とした会が出来ていた。
 という訳で、毎日のように届けられる招待状を庭で焼いている侯爵の姿が最近見られるようになったという。とあるメイドはそう証言している。なお、ターレンハイム侯爵は実の娘ヴェロニカの結婚の時よりもぴりぴりしているという証言も密かに知られていた。
 侯爵は独自のルートを使い王妃に翻意を求めたが、王妃は聞く耳を持たず、とにかく連れて来なさいと言い張っている。

「あきは嫁にはやらん!」
「そうやって、娘を籠の中に閉じ込めるのはいかがなものでしょうか?」
「断じて認めん!」

 王妃と侯爵の意見は平行線を辿っている。
 若い独身の貴族の中でもこの話題はひそひそと交わされている。

「王妃が考えている見合いの相手というのは誰だ!」
「……ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵でないのは確かなのだが……」
「独身の貴族も多いからな」

 と、相手を探る者達もいれば、見合いを潰そうと画策する一派もある。中でも過激派と呼ばれるグループはあきを攫おうと計画を立てているそうだ。その中でも異質なのは……あきをモデルにした小説を書いているグループだろう。

「今回はあき様がいかがわしい者達に囚われ、あーんな事やこーんな事をされてしまうのだ」
「……段々過激になってきたな。初めはあき様の色々ドジなところを可愛く書いていたというのに」
「なにを言う。我々なぞ可愛いものだ。これを見ろ。匿名で密かに出回っている物だが……」
「……これは過激だ。過激すぎる! 誰が書いた物だ?」
「分からん。ただ王室に近い者が書いたものらしい」

 そこにはあきが若い貴族に囚われ、散々調教されていく姿がじっくりと描かれている。最新刊ではあきが犬のように鎖で繋がれ舞踏会に連れて行かれるところで終わっていた。

「続きはまだなのか?」
「まだ出回っていない。俺も探しているのだがな」
「そうか……見つけたら読ませてくれ」
「しかし誰が書いているのだろうか?」
「あき様の事をよく知る者が書いているのだろう。特にここだ。あき様は料理が得意だそうだ。そんな事まで知っている奴だぞ」

 そして別の場所では……。
 若い貴族達が集まって朗読をしていた。

「――ゆさゆさと揺れる乳房を自ら両手で揉みほぐし、あきは甘えきった声でご主人様に訴えた。肉の快楽が彼女をさらおうとしている」

 朗読している貴族を取り囲んで続きを促す。薄暗い部屋の中は男達の荒い息の音で満ちている。部屋の中の様子を窺っていた貴族が隣にいた仲間に問いかけた。

「作者はだれだ?」
「あれも分からん」
「まったく色んな連中が書いているのだな」
「そうらしいな。中にはあき様が女に弄ばれる物もあるそうだぞ。そいつは女が書いていることしか分かっていないが」

 ――鎖に引かれ、あきは四つん這いでご主人様に付き従った。ガチャッと扉が開けられると、あきの真っ白な肢体がブルッと震えた。このまま人々の前に引きずられ、惨めな姿をさらされたらという恐怖が心を凍らせる。
 控え室と大広間はステンドガラスで区切られている。色とりどりのガラスを交互に使用された扉の向こうから、明かりが差し込むと同時に笑い合う貴族達の影が浮き彫りになる。
 ご主人様が手に持っていた鎖を放し大広間に歩き出すと、あきの心に一種の失望感が芽生えていた。
 他人に惨めな姿をさらす恐怖感が薄れていく。牝犬に堕ちたあきには知らず知らずのうちに大勢の前で痴態を曝けだしてみたいという願望が生まれていたのだった。

 通り過ぎていく貴族達の後では部屋の中から朗読の声が聞こえてきていた。


「とにかく一刻も早く相手を見つけて見合いをやめさせなければならない!」
「そうだ!」
「今のところターレンハイム侯爵が王妃を止めようとしてはいるが、聞くところによれば、国王も乗り気だそうだ!」
「諸君。このまま引き下がっていていいのか!」
「良くない! 断固として止めるべし!」

 過激派の一派が激を飛ばしている。
 周囲には若い貴族達が集まり、ターレンハイム家に忍び込む計画を立てている。進入経路に逃走経路など考える事は山ほどあった。

 王宮では若い貴族を中心とした集団が多数行き来をしていた。どの顔も深刻そうに行き交う姿はまるで戦争が始まるかのようである。彼らの姿を見た人々はみな一様に不安に駆られていた。
 国王はこの事態を重く見て、国王直属の諜報担当に何が起こっているのか探らせだした。

 王妃は王宮の背後であきに会えるのを楽しみにしていた。周囲には女官達が王妃の話し相手を勤めている。

「あきという娘はいったいどんな子でしょうか?」
「――『コルデリアの聖女』と呼ばれているぐらいですから、きっと慈悲深く優しい子だと思います」
「ええ、ええきっとそうでしょうね。早く会いたいわ」

 王妃はあきに会ったらどんな話をしようかと楽しみにし、またドレスを眺めている。
 あきがターレンハイム家で贅沢な生活をしていると聞いて、それを諌めようと憂慮していたのだ。その為に富豪の侯爵家ではなくもっと慎ましい家庭に嫁に行かせる事によって国民の生活を体感させ身を慎む事を教え、贅沢な生活から切り離そうとしていた。

「でも……男遊びとかもっと悪い遊びをしているという噂を聞かないという事は、まだまだ見込みはあるわ。ターレンハイム家での生活が当たり前だと勘違いしているのかもしれないわ」

 そうに違いないと王妃は自分に言い聞かせる。そして侯爵が甘やかしているのが問題なのだとさらにあきに対して心配をしていた。
 王妃は近侍の者達に慎ましいお茶会の用意をさせると共にあきを呼び出すよう言いつけていた。




 ターレンハイム家ではあきがぼんやりとエステルの巣に来ていた。

「なんか最近ね。ターレンハイム家に忍び込んでくる人達が増えているんだって?」
「そうなのー。エステルもがおーっておどかしているのよー」
「なんでかなー?」
「分かんないけど、みんな深刻そうだったよー」

 しばらくエステルと遊び、日も暮れかけた頃にあきは館へと帰っていった。
 今日も一日、錬金術の勉強をして調合をして、エステルと遊んで終わってしまった。

「いいのかなー?」

 少し不安に駆られるあきであった。
 翌朝、王妃からお茶会の誘いがあり、あきは王宮へと向かった。レティシア宮殿の王妃の部屋に連れて行かれ、あきは初めて王妃と対面を果たした。

「あき。よく来てくれたわ」
「王妃様。初めましてあきです。お目にかかれて光栄に存じます」
「いいのいいの。さあこっちにいらっしゃい」

 挨拶もそこそこに王妃に手を引かれ王妃の隣の椅子に座らされてしまう。王妃の衣装は大国ルリタニアの王妃であるにも拘らず、大層質素なものだった。緑色のドレスは最近の流行とは違い袖が膨らんでいる。スカートの後ろもそれほど大きくもない。身に着けている宝石もあきよりもはるかに小ぶりだった。あきは王妃のドレスを見て首を捻ってしまっていた。

「王妃様。王妃様のドレスは、そのー」
「ああこれ? これは先代王妃のドレスを仕立て直してもらったものよ」

 王妃は自分のドレスを見下ろしながら言う。その表情はにこやかであり、お古を着せられているとは思っていないようだった。あきはそんな王妃の態度に好感を持った。そうして自分自身が着ているドレスを示しながら、ターレンハイム家のメイドさん達に無理矢理着せられているんですと苦笑いしながら言った。

「まー。そうなの?」
「ええ、どうやらヴェロニカさんが結婚して館からいなくなってから、着せ替えさせる楽しみがなくなってしまっていたようで、わたしが着せ替え人形になっているんですよ。このドレスも元々はヴェロニカさんの物だそうです」

 王妃は驚いたように両手で頬を押さえ、それからあきの胸元に飾られている首飾りを指差して言う。王妃の胸元で真珠のネックレスが揺れる。

「そうなのー。じゃあ宝石も?」
「これは……何代か前のターレンハイム家の先祖が集めていたものです。それを見つけてから時々わたしが身に着けているんです」

 あきは指で胸元を示しつんつんと首飾りを突く。サファイアを中心にダイヤが取り囲むように円を描き、さらに3連のダイヤが首の周りを飾っていた。いったいどれほど高価なものなのかあきには分からなかった。
 王妃自ら入れてくれる紅茶を飲みながら、あきと王妃は会話を楽しんでいた。
 特に王妃が興味を示したのはエステルの話だった。

「まー。エステルって古代竜の子どもなの?」
「そうなんですよ。おそらくわたし達よりも年上だと思うんですけど、まだまだ子どもです」
「じゃあ心細いかもしれないわね」
「そうかもしれませんがあれで、結構コーデリア達と一緒になって楽しんでいるようです。寂しいと感じるよりも物珍しさが先にきているのかもしれませんよ」
「それだといいのだけど……」

 その後、王妃はあきにターレンハイム家での生活を聞いていた。何か困った事は無いかとか、どんな生活をしているのかと根掘り葉掘り聞き出そうとしている。あきは首を捻りつつ答えていく。
 冒険者の集まる酒場でアッシュやミアと古代遺跡に入った時の話もした。アッシュが古代遺跡の中ではお互いに助け合うのが暗黙のルールだとか、その為にアッシュがグールに襲われている冒険者を助けた事や大怪我をしている人に『ヒーリング』を掛けて結局、自分がミアに肩を貸してもらって地上に出た事も話す。その話に尾ひれがついて『聖女』と呼ばれたりしてるけどあんまり実感がないの。とあきが言うと王妃は楽しそうに笑う。

「あらあら、噂話に尾ひれがついちゃったのね」
「そうなんです。困っちゃいますよね」
「でもアンダイン湖でも『治癒魔法』を使ったんでしょ?」
「あの時は近隣の村で流行り病の影響がまだ残っていたらしくて病気の人が多かったんですよ。だからコーデリア達みんなで一緒になって治していたんです。その話をロパートさんが他の村にも伝えたらしくて一杯来ちゃったんです。途中で薬も切れかかっちゃうし大慌てだったんですよー。わたしなんかコルデリアの祈祷書片手に何とか治していたけど、毎日くたくたになっちゃいました」
「それでこそ『聖女』よ。おかげでルリタニアの民は病から立ち直る事ができたわ。あき、お礼を言います」
「そんな王妃様にお礼を言われるほどじゃないですよ。みんなにお礼は言われましたし治ってよかったです」

 王妃とあきはお礼の言い合いになり、隣の部屋で待機していた近侍の者達がくすくすと忍び笑いを押し殺していた。
 こうして第一回目の王妃とあきのお茶会は終了した。
 馬車で帰っていくあきを見送りながら王妃はあきの事を考えていた。
 
 ――あの子はカルクスの皇后とは違うわ。本当はもっと慎ましい性格をしている。自分で食事を作ったり洗濯や掃除をこなして毎日過ごす方が似合っているのよ。ターレンハイム侯爵にも教えてあげなくてはいけないわね。でも侯爵が可愛がるのも分かるわ。
 さてどんな男性と一緒にさせてあげましょうか? あの子に似合うような真面目で優秀な貴族っていたかしら……。ロバート・フォン・ターレンハイムなんかお似合いなんだけど、彼はターレンハイム家の貴族だし……どうしたものかしら?


 あきがターレンハイム家の戻ってくると侯爵が急いで出迎え王妃に何を聞かれたかと次々と言い募ってくる。あきはそんな侯爵に対し少しだけ呆れたような、それでいてほんの少しだけ可愛くも感じていた。
 追いすがってくる侯爵を引き離しお風呂へと向かい湯船の中で泡を掬っては飛ばしていた。

「泡のお風呂も気持ちがいいなー」

 泡だらけになった体をお湯で流す。泡が流れていくと同時にきめ細かい真っ白な肌があらわれる。髪を洗い纏めるといつもは髪に隠されているうなじの線が露になり、うなじから下にかけてなだらかな曲線をお湯が滑り落ちていった。
 背後からカタッと物音がして腰を捻って振り返る。腰を捻ると同時に二つの双乳がぷるんと揺れる。

「だれー?」
「あき、わらわなのじゃ」

 ターレンハイム家の広いお風呂場の扉を開けて湯気を掻き分け入ってきたのは珍しい事にコーデリアだった。
 コーデリアはその華奢な体を隠そうともせずにあきの前に立つ。あきはコーデリアを椅子に座らせるとお湯を掛けて体を洗い出した。やわやわとした布に石鹸をつけ泡を立たせ、コーデリアの背中を擦っていく。気持ち良さそうに身を捩るコーデリアを押さえつけるためにあきは両手を前に回し抱きかかえた。あきの双乳がコーデリアの背中に押し付けられぐにゃりと形を変え擦るように動いた。

「けしからん乳なのじゃ」
「どうしたのー?」

 前に回った両手でコーデリアの体を洗う。その度にあきの双乳も背中を擦り上げていく。コーデリアはあきの乳の感触を背中に感じ、気持ちがいいような、それでいてなんとも言いようのない気分に陥っていった。
 あきに背後から抱きかかえられながら湯船に浸かる2人だった。コーデリアはあきの双乳に頭を預けあきの顔を見上げる。

「ルリタニアの王妃がお主に見合いをさせ、結婚させようとしておるのじゃ」
「えっ? どういうこと?」

 コーデリアの言葉にあきはびっくりして思わずコーデリアの体をギュッと抱き締める。
 抱き締められ乳で口を塞がれたコーデリアは苦しそうに湯船の中でばたばた手足を暴れさせた。

「苦しいのじゃ。お主の乳は凶器か! まったくけしからん乳じゃ」
「そんな事はいいから、教えてよ。なんでそんな話になってるの?」

 コーデリアはあきの乳を睨みつつ話し出す。

「うむ。ルリタニアの王妃は近年、貴族同士のお見合いを趣味にしだしているのじゃ。今までもいくつか纏めてきたのじゃ、それで今回はあき、お主に目をつけたというわけじゃ」
「困ったねー」
「大弱りじゃ。なんというても相手は王妃じゃから断りにくいのじゃ」
「どうしよう?」
「お主に好きな男がいれば、断るのも簡単なんじゃが、おらんじゃろ?」
「いないよー」
「まあそれはともかくとしてじゃ、お主が本気で嫌じゃと言うのなら、わらわ達はお主の味方につくのじゃ」


 フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵はここ最近ルリタニアにある西の塔で魔術の新理論の研究に勤しんでいた。生来優秀な魔術師であるラッセンディルは瞬く間のうちに新理論を自らのものとし、西の塔の首席導師から教員にならないかと誘いを受けていた。
 その為に今回の見合い騒動を知らされていなかった。

「ラッセンディル男爵。君はいまターレンハイム家で寝泊りしているそうだが聞いたかね?」

 首席導師が問いかけてくる。昼食用にと、あきから持たされていたバスケットに入っているハムとチーズのサンドイッチを齧っていたラッセンディルは顔を上げ、首席導師を見上げる。

「何の事でしょう?」
「おやおや、知らなかったのかね?」

 首席導師は肩を竦め手に持っていた紅茶をテーブルに置くとラッセンディルと向かい合い話し出した。

「うむ。ターレンハイム家のご令嬢であるあき嬢に王妃様がお見合いをさせようと色々企んでいるそうだ」
「……そうなのですか?」
「ああ、まったく王妃様にも困ったものだ。どうにもこう下町のおばさんのようにお節介な感じになってしまった。まあしかし、浪費や贅沢をしない分、かわいいものだがね」

 首席導師の発言は首都ファブリスでは普通に話されている話だ。王妃様が若い貴族を見合いさせ仲人を買って出ているのは広く知られている。だからといって国民レベルではまったく問題にもならない為に面白おかしく話されているだけで済んでいた。

「それであきに誰と見合いさせようとしているのですか?」

 ラッセンディルの問いかけに首席導師はテーブルに身を乗り出し、くすくすと笑いながら言う。

「それがなんとだね。ルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵だよ。あのブラウンシュヴァイク侯爵の孫の、ターレンハイム家とも並ぶ名家の孫だ」
「……ブラウンシュヴァイク侯爵家。王室とも何度か婚姻関係を結び、先々代の国王は現当主の父親とも言われているあの……?」
「そうとも、しかもだねこの話にブラウンシュヴァイク侯爵家は乗り気らしい。王妃様にもすでに挨拶に出向いているそうだ」

 ラッセンディルは手からサンドイッチを取り落とした。床に落ちたサンドイッチが通りかかった研究者の足に当たりどこかへと飛ばされていく。
 流石に相手が悪い。ブラウンシュヴァイク侯爵を敵に回す度胸のあるような貴族はターレンハイム侯爵ぐらいだろう。冷静に考えれば、この話は両家にとっても悪い話ではないのだ。侯爵はなんと答えるのか? ラッセンディルの額から冷たい汗が零れ落ちる。

「くそっ!」

 思わず低く言った言葉に首席導師の眉がピクッと動く。ラッセンディルの様子を窺っていた首席導師はにんまり笑うと肩を叩く。

「なんなら見合いの席に乗り込んで奪い取ってくるといい。王妃もそうやって国王の元へやってきたのだ。そうなればブラウンシュヴァイク侯爵には王妃が取り成すだろう」
「い、いやそんな事は……」
「何を言っているんだね? あき嬢が他の男のものになってもいいというのかね?」
「それは……」

 ラッセンディルは視線を逸らしてもごもごと口の中で言っている。首席導師は立ち上がるとラッセンディルの背中を強く叩き、立ち去っていく。食堂から出て行く前に振り返り、叫ぶ!

「男なら好きな女を奪い取ってくるぐらいの気概を持たねばならんぞ!」

 首席導師の声に食堂にいた魔術師達の視線がラッセンディルへと集まる。じっとテーブルを睨んでいたラッセンディルは勢いよく立ち上がり食堂を出て行った。
 後ろから魔術師達の頑張れよ! という声が聞こえていた。




 ルリタニアから遠く離れたカルクス王国ではロパート・フォン・ターレンハイムが本国からの報告を聞き、吸っていた葉巻を取り落とした。

「馬鹿な事を言うな!」

 報告していた部下に怒鳴りつけたものの、部下は確かな事です。と言って報告書をロパートに押し付ける。押し付けられた報告書を読むとロパートは全ての予定をキャンセルして、飛行船の出航を急がせた。

「ルートリッヒのくそ野郎にあきを取られてたまるかよ!」

 飛行船の船乗り達はその言葉を聞くと皆一丸となって作業に取り掛かっていく。急いで出航した飛行船は通常3日の行程を1日半でルリタニアへ到着しようとしていた。



 ターレンハイム家ではあきの見合いの日が近づくにつれ誰もが口数が少なくなっていた。一応準備は整っていたが、溜息ばかりが館の中を埋め尽くしている。
 コーデリア達は見合いを成功させるか、邪魔をするかで意見が対立していた。

「あきにとっても良い話だとは思うのじゃ」
「そうは言うけど、ブラウンシュヴァイク侯爵家に行ったらもうあんまり会えなくなるのよ!」
「ルートリッヒってどんな奴なんや?」
「はっきり言ってへたれよへたれ! 甘ちゃんのへたれよ!」

 ルパートがテーブルを叩いて主張する。コーデリアとタルコットは肩を竦め、「まったく小姑なんやから」と溜息をつく。
 侯爵は今日も王宮へと向かい王妃に対して翻意を促していた。

「うちのあきをあんなへたれにくれてやる気はない!」
「危険な発言はおやめ下さい。ブラウンシュヴァイク侯に聞かれでもしたらどうするつもりですか?」
「へたれをヘたれと言って、どこが悪い!」

 侯爵は王宮の近侍達に取り押さえられてしまう。王妃はその様子を見ながら溜息をついた。
 ――まったくどうして男親と言うのは娘の結婚に反対ばかりするのでしょうか? 困ったものです。
 王妃の頭の中ではあきとルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵の結婚式の様子が展開していた。

「きっと素敵な花嫁姿ですわ。うふふふ」

 王妃の様子に諜報担当から報告を受けた国王が溜息をついていた。

「まったくどうしたものか? 頭が痛いものだ」

 国王は王妃の部屋を立ち去り、執務室へ向かうと諜報担当者を呼んで見合い相手の調査を命じた。




 お見合いの当日――ターレンハイム家を出発した馬車の中であきは溜息をついていた。
 メイド達に着せられた白いドレスがまるで死に装束のように思える。煌びやかな装飾類を身に纏い今までで一番気合の入った化粧を施された姿は確かに美しく、『コルデリアの聖女』あきの姿を一目見ようと集まってきているファブリスの街の住民達が馬車の窓から見えるあきの姿を見て、うっとりした様に溜息をついていた。
 ファブリスの街を進むにつれ見物客の数は増していき、うっとりとしていた。

「『コルデリアの聖女』様ってお綺麗だな~」
「初めて見たけど別嬪さんじゃぁ~」

 いつしか街道を埋め尽くしそうなほど溢れ返った住民達の間を馬車はレティシア宮殿に向かって進んでいく。
 宮殿にたどり着いた馬車の周りには若い貴族達が取り囲んでいる。どの顔も深刻そうな表情を浮かべ、まるで弔事に集まっているかのようであった。
 宮殿内を案内役の貴族に手を引かれて進むあきを見る貴族の顔は俯き、シーンと静まり返った宮殿内はまるで葬式のようだ。通路を歩くあきと案内役の足音だけが静かな宮殿に響いている。
 
 ルリタニア王国エルマ・ルリタニア王妃の私室の前に立っている衛士があきの姿を認めると扉を開いて中に声を掛ける。

「ターレンハイム家ご令嬢。あき様のお成りー」

 部屋の中にはハインリッヒ・ルリタニア国王とエルマ・ルリタニア王妃が花束の飾られたテーブルの上座に座って待っていた。その横ではターレンハイム侯爵が座っている。
 席を立ってあきを出迎えたのはルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵である。ルートリッヒは年齢25歳。長く伸ばした黒髪を後ろで括りつけている。背は高く筋肉質でがっしりしていた。しかしどことなく甘い雰囲気を漂わせ、育ちの良さを振りまいているかのようであった。

「あき様。お目にかかれ光栄です」
「こちらこそ。ルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵様。お目にかかれて光栄です」

 互いに挨拶を交わしたあきとルートリッヒの視線が絡み合う。フッとルートリッヒが笑った。そうしてあきの手を取り席へと導く。
 その様子を見ていた王妃は楽しそうに笑っている。
 席に座り、王妃からまず国王を紹介された。国王は固く結ばれた口元を綻ばせあきに対して挨拶をし、ターレンハイム侯爵と私は友人同士なのだ。と話した。それを聞いて侯爵は苦笑いを浮かべている。
 しばらくターレンハイム侯爵の話題で会話が進み、ひとしきり終わった後、王妃様が自らお茶を入れあき達に振舞う。



 若い貴族達の中でも過激派といわれる一派が王妃の私室へと忍び寄っていく。
 レティシア宮殿に近づいた飛行船から、ロパートが指示を飛ばす。

「あきは王妃の私室だ。近づけろ!」
「よっしゃー。行きますぜ!」

 ロパートの指示によって飛行船は宮殿の王妃の私室へと近づいていった。
 コーデリア達は馬車に乗り込むといつでも出発できる体勢を取っている。何かあったときにすぐに逃げられる様にである。
 ルパートは宮殿内を王妃の私室へと堂々と歩いていく。途中止めようとする者たちへじろりと睨みつけ、たじろがせる。ラッセンディルはすでに魔術を使いその姿を隠して忍び込んでいた。



 あきとブラウンシュヴァイク伯爵はそれなりに楽しく会話していた。時折王妃が2人の様子をお似合いだといってにこにこと笑っている。
 2人が会話していると扉の向こうが騒がしくなっていく。

「なんでしょうか?」
「どうしたのかなー?」

 首を捻って不思議そうにしているあきを抱き締めるようにブラウンシュヴァイク伯爵は腕をまわす。それに気づいたあきが身を捩って逃げようとしていたその時、扉が蹴破られ、息を切らせたラッセンディルが姿をあらわした。

「あき。帰るぞ!」

 ぐいっとあきの腕を掴み、強引に連れて行こうとするラッセンディルにブラウンシュヴァイク伯爵が割ってはいる。

「君は何者だ!」
「フリッツ・フォン・ラッセンディルだ! そこをどけ!」

 あきの腕を引き部屋を出て行こうとする。伯爵がラッセンディルの肩を掴んだ。

「放しやがれ!」

 ラッセンディルがおもっきり伯爵の顔面を殴りつけ吹き飛ばした。

「ラッセンディル。こっちよ!」

 部屋の外からルパートが合図する。ラッセンディルとあきの2人は部屋を走り去って宮殿内を駆け抜けていく。その2人の姿を見た若い貴族の集団が追いかけてくる衛士達を防ぎ、妨害していた。
 衛士に追われたあきとラッセンディルは2階へと階段を駆け上って、ベランダへと追い詰められてしまう。
 上空では騒ぎに気づいたロパートがベランダへと飛行船を近づけ、正面玄関ではルパートがコーデリア達を呼んで飛行船へと走り寄っていた。

「もう逃げられんぞ」
「おとなしく捕まれ!」

 追いかけてくる衛士達はベランダには入ってこずに口々に言い放っているだけだ。どの顔にもあきが嫁に行くのは嫌だ。と書かれてある。とはいえここでラッセンディルを取り逃がしたら相手が変わるだけで結婚してしまうかもしれないという矛盾にも気づいていた。他にも衛士としての役目もある。ジレンマの中でどう行動しようかと迷っているようだった。

 あきとラッセンディルの上を影が覆う。上を見上げれば飛行船がベランダに近づいてきていた。

「あき。飛ぶぞ!」
「えっ? えっ?」

 困惑しているあきの腕を掴んだままラッセンディルはベランダから身を投げ出した。
 注目していた貴族や衛士たちの口から悲鳴が飛び出る。ラッセンディルは空中で呪文を唱え、ふわりと空を飛んで飛行船に飛び乗った。それを見届けたルパート達は急いでその場を離れターレンハイム家へと戻っていく。


 王妃の私室では呆然としている王妃とブラウンシュヴァイク伯爵を見て国王とターレンハイム侯爵の2人が笑いあっていた。

「いや、愉快だった」
「一時はどうなる事かと思ったがな」
「そう言うな、ハインリッヒ。お前だってこうなる事ぐらい予想していただろう?」

 笑いあう二人を見て王妃は呆然としながら声を掛けた。

「どういう事ですの?」
「うん。あき嬢に結婚して欲しくないと思っている貴族――いや男どもは多いということさ。それを無理矢理結婚させようとするとこうなると言う事だ。今回の事でお前も懲りただろう」
「……まあ私も、昔の事を思い出しましたが……そうでしたわね。私達もあんな感じでしたわ。あの時はターレンハイム侯爵が手助けしてくれたのでしたわね」
「そうでしたな~」

 国王、王妃、侯爵の3人が笑いあう中をブラウンシュヴァイク伯爵がラッセンディルに殴られた頬を押さえながら悔しそうに立ち上がった。国王は伯爵が立ち上がった事に気づくとパンパンと手を鳴らし、近侍の者を呼ぶ。

「国王陛下。お呼びでしょうか」
「うむ。あの者をここへ」
「はっ!」

 近侍の者が立ち去ると国王はブラウンシュヴァイク伯爵に椅子に座るように言いつける。座った事を確認すると王妃にもう一杯紅茶を入れてくれるように頼んだ。
 私室の中を紅茶の香りが漂う。国王が一口飲んだ頃に近侍の者が女性を連れてやってきた。
 伯爵は入ってきた女性を見て驚きの声を上げる。

「ブラウンシュヴァイク伯爵、君の婚約者だ。いかんぞ、婚約者をほったらかしにしては、な」
「婚約者がいるなんて聞いてませんわ!」

 王妃は立ち上がり伯爵を詰ろうとする。国王は王妃の腕に手をやり座らせた上で語りかける。

「王妃自ら指名された以上、婚約者がいますとは言い難いだろう。お前もこれからはお見合いをセッティングしたがるのは控えなさい。王家の横槍というのはどこでどんな悲劇を生み出すのか分からないものだ。今回のお見合いが成功していれば、誰もが不幸になっていたかもしれんよ」

 国王の言葉を大人しく聞いていた王妃は椅子に座り込んでがっくりとしていた。
 良かれと思ってやってきた事が不幸の原因になってしまう。その事を目の前で見せ付けられ流石の王妃も落ち込んでいるようだった。国王はブラウンシュヴァイク伯爵とその婚約者に今回の事は国王であるわたしがブラウンシュヴァイク侯爵家に話を通しておこうと請け負って2人を下がらせた。
 2人ともほっとした顔で王妃の私室を下がっていく。



 飛行船でターレンハイム家に戻ったあき達をメイド達が出迎えた。飛行船から降りたあきはメイド達に抱きつかれ揉みくちゃにされてしまう。

「あき様ー。お嫁に行っちゃ嫌ですー」
「そうですよー」

 揉みくちゃにされている最中ルパートやコーデリア達が馬車に乗って帰って来た。
 馬車から降りた3人は揉みくちゃにされているあきを見て溜息をついた。

「あーあー。結局、いつもと変わらずやなー」
「そうなのじゃ」
「仕方ないわね」


 こうしてお見合い騒動は終わったのだったが……その後しばらくラッセンディルは西の塔でさんざんからかわれたそうである。
 ファブリスの街では『コルデリアの聖女』の恋物語として語られているそうだ。しばらくしてからアッシュとミアから話を聞いて赤面したくなるような恋物語になっているのを知ったあきは2,3日ベットの中で転げまわっていた。

「もー。恥ずかしすぎるー! もうやだー」




 ちなみにとある匿名の小説の続きが出回り、舞踏会に連れて行かれたあきは大勢の貴族達に弄ばれ散々痴態を曝け出していたそうだ。朗読会で大声で読み上げていた貴族の中には興奮のあまり周りに止められる者も続出したらしい。
 彼らの頭の中には宮殿で出会ったあきの姿が焼きついていた。

 さらについでの話、貴族の中でも絵心のある者達によってあきの姿を絵画にしたものが出回っているそうである。肖像画ではなく想像上の痴態を描いたものらしく匿名の小説の場面を描いているらしい。

 ……そんな事になっているとはあきは知らないでいた。



[12791] 第37話 「琥珀色の風景から……男達の行動。陰謀と小細工」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/17 21:32
 第37話 「琥珀色の風景から……男達の行動。陰謀と小細工」



 あのお見合い騒動以来ベットで転げまわるのもようやく落ち着き、あきはいつものようにメイドさん達とお弁当を作っている。ルパートとロパートはロバートの計画によりあちこち走り回っている。その他にも銀行業務の為に落ち着いて食事をする暇も無いほどだった。2人がぶつぶつと愚痴を言っていたのを耳にしてあきはメイド達にいう。

「だったら2人もお弁当を持っていけばいいのに?」

 バスケットの中にサンドウィッチを詰めながらあきは首を傾げ不思議そうな顔をしている。その顔を見ていたコックはメイド達にも気づかれないうちに溜息をついた。
 バスケットの中にはあきが栄養バランスを考えて肉やチーズだけでなく野菜を使った料理もいれられている。サンドウィッチにしてもマフィンにハムを挟んだり、まるでパイのようなパンに燻製した鮭を挟み込んでいる。パン粉をつけて揚げた肉を挟んだりといくつも工夫しているのには驚かされていた。だいたいパンに塗るバターにも工夫している柑橘類を練り込んだり、ガーリックバターだったり、その他にもコックには不思議だったがフルーツの砂糖漬けを混ぜたパウンドケーキというものも入っていた。
 それを見ていると話に聞いていたコーデリアの家であきがどんな生活を営んでいたのかが窺えて、ルパート様やラッセンディル男爵がなぜコーデリアの家に入り浸りになっていたのかが分かるような気がした。

「そうですよねー」
「……あき様にお弁当を作って欲しいんじゃないでしょうか?」

 メイドたちが話すのを聞くとあきの表情がさらに困惑しているように見える。

「いいけど? いまでもラッセンディルにも作ってあげてるし……いるんならルパートとロパートさんの分も作るよ。でもわたしが作るよりもコックさんが作った方がおいしいと思うんだけど……?」

 そう言って手早く同じようなバスケットにルパートとロパートの分も詰め込んでいく。その様子を見てコックはもう一度溜息をつく。
 コックが周囲を見回したとき、メイド達が小さく溜息をついているのに気づいてしまった。

「……あき様のお手製が食べたいのだと思うんだけど?」
「そうよねぇー」
「あき様気づいてないのかしら?」
「あの顔は気付いてないと見た」
「はぁ~」

 小声で話していたメイドたちと奇しくもコックの溜息が重なる。溜息が重なった時コックとメイド達の視線が合い、双方が苦笑いを浮かべる。
 そんな彼らに気づかずに手早く詰め込んだバスケットを持ってあきはいそいそとサロンへ向かう。

「はい。お弁当」

 あきはそわそわ立っていたルパート、ロパート、ラッセンディルの3人にバスケットを渡すと彼らの背中を押して玄関へと向かう。3人はあきに押されながらおとなしく玄関へと歩いていく。

「おいおい」
「急がないといけないんでしょ?」
「まあそうだが……」
「いってらっしゃーい」

 馬車に3人を押し込め、手を振っている。
 3人はそれぞれ渡されたバスケットに目をやり苦笑いを浮かべて手を振るあきを振り返った。そこには群青色のドレスの上に白いエプロンを身に纏ったあきが馬車を見送っている光景があった。

「まったくあきも困ったものだ……」
「兄さん。そう言いながら笑っているわよ」
「そういうルパートだって笑っているじゃないか?」
「2人とも似たようなものだ」

 ラッセンディルはそう言うと、皮の大きな鞄から書類を取り出し読み始める。ラッセンディルに突っ込まれた2人はお互いに顔を見合わせる。そうしてラッセンディルに「お前が一番笑っているぞ!」と文句を言い出した。
 馬車の中は朝から大騒ぎである。

「大概にしていただきたいものです。はぁ~」

 馬車を操る初老の御者の声が風に乗って流されていった。



 西の塔に着いたラッセンディルは首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵の下へと向かった。ツィルヒャー男爵はもう60に手が届こうかという年ではあったが、若い者には負けられんと首席導師となってからも研究に余念が無い。

「おはようございます」
「おおフリッツ君。おはよう」

 首席導師は振り返るとラッセンディルが手に持っていたバスケットに目をやりつつ挨拶をする。視線に気づいたラッセンディルはバスケットを後ろに隠した。

「首席導師。物欲しそうな目をせんで下さい」
「あき嬢のお手製じゃろ? ええのう~」

 首席導師は両手をわきわきしながらにじり寄ってくる。ラッセンディルは後ろ手で扉の取っ手を持ち、扉を開けて逃げ出した。

「こりゃーフリッツ! ケチケチするでない、男らしゅうないぞ! 戻ってきてわしにも分けてくれー」
「お断りします!」

 ラッセンディルは声を響かせながら研究用に与えられた私室に駆け込んでいく。背後からは首席導師の声が聞こえていた。

「まったく首席導師にも困ったものだ」

 部屋の中は書物や器具が散乱して足の踏み場も無いほどである。しかし流石に調合用のテーブルの上だけは綺麗に整理されていた。ラッセンディルは椅子に座ると何か連絡事が入っていないかと連絡用の箱を開けた。
 中に入っている手紙をさーっと流し読みをしていく。いくつか読んでいるうちに……ある1つの手紙に目が留まる。

 ――近日中に会いに行く。そろそろ嫁は見つけたか?

 その手紙にはただそれだけ書かれていた。差出人の名はクルト・フォン・リンドホルム男爵。ラッセンディルの母方の祖父である。
 ラッセンディルはじっと手紙の文面を見つめている。冷たい汗が頬を伝っていった。



 ターレンハイム銀行の会議室ではターレンハイム家の3兄弟が会合を開いている。

「今日、届いていた手紙の中に妙な物が紛れ込んでいた」

 ロパートがテーブルの上に手紙を放り投げた。テーブルの上を滑るようにルパートの元へと流れていく。
 ルパートが手紙に目を落とすとそこには「狩の魔王召喚」とだけ書かれている。その手紙をロバートに回しながらルパートが口を開く。

「どんな奴が届けてきたの?」
「近所のガキが、持ってきたものらしい。ガキは黒尽くめの男だったと証言している」
「狩りの魔王召喚、か……どういう意味だ?」

 ロバートは腕を組んだまま手紙を見ると唸るように言う。朝とはいえカーテンを引かれた薄暗い部屋の中をテーブルの上に置かれた6本立ての蝋燭立てに立てられた蝋燭の火がぼんやり部屋の中を照らしている。

「差出人の名は……Phantom of Shadow……?」
「馬鹿馬鹿しい名ね」

 ロバートが手紙をひっくり返し差出人の名を読み上げた。すかさずルパートが馬鹿にしたようにはき捨てた。

「名前のセンスに関してはどうでもいい。問題はこいつの目的だ」
「狩りの魔王を呼び出すと宣言しているんだから、目的は暗殺かしら?」
「ターレンハイム家を狙う輩は大勢いる。暗殺を計画する者がいても不思議ではないが、暗殺は手段であって目的ではないぞ。それに誰を狙うというのだ?」

 ロパートの問いかけにルパートとロバートがそれぞれ言い出す。ターレンハイム侯爵家には政敵が多い。しかもルリタニアの金融を一手に支配しだした今となっては権益を狙って暗躍する家もさらに増えただろう。
 目的が金融の権益であるなら狙われるのはここにいる3兄弟だと思われる。だがターレンハイム家に恨みを持つ者の仕業であるなら誰が狙われても不思議ではない。

「……この件に関してはこちらで調査しておくとして、お互いに身辺には気をつけよう。では本来の議題だが」
「私から話そう。今現在、ロパート達に準備をして貰っている『保険』に関するものだが、国王に進言した結果ルリタニア全土において正式におこなわれる事になった。ただその前の段階として、ルリタニア全土で戸籍を整える必要がある為に王宮で新たに70名からなる特別評議会が設置される事になる。この特別評議会に親父……ターレンハイム侯爵を評議会議長にするよう働きかけているのだが、どうもうまく行っていない。どうやらブラウンシュヴァイク侯爵家あたりが裏で暗躍し始めているらしい」

 ロバートはそこまで言うとブラウンシュヴァイク侯爵家の資料を2人に回した。資料を読みロパートはアゴを撫でながら、なにやら考え込んでいる。

「その件に関係あるか分からんのだが……ノエル王国のクラリッサ王女が影で密偵に摘発に動き出している。ただ摘発されているのがターレンハイム家、いや盗賊ギルドに所属している奴ら、それも『経済関係』を調べている者だけだ。誰かが俺たちの動きを調べてクラリッサ王女に伝えているらしい」

 手に持った書類をパンと手で弾いてロパートが2人に言った。

「……ブラウンシュヴァイク侯爵家か?」
「その系列の貴族とも考えられるわよ」
「こっちが向こうに繋ぎをつけている奴と接触して確認させなければならんな。俺が直接ノエルに行くつもりだが一応お前達も警戒しておいてくれ」
「よかろう」
「こっちも警戒しておくわ」
「頼んだぞ」

 その後はこまごまとした議題を片付けていく。テーブルの上に置かれていた書類が次々と処理されていった。
 ターレンハイム3兄弟の定例会議がようやく終わったのはもう昼をかなり回った頃だった。
 会議が終わった時にロパートとルパートの2人がいそいそとテーブルの上にバスケットを置く。

「なんだ、それは?」

 ロバートが首を捻って問いかけた。バスケットの中には色とりどりのサンドウィッチや料理が詰め込まれている。

「あきに作って貰ったお弁当よ」
「うむ。そうだ」

 バスケットの中からサンドウィッチを摘み、フォークで肉を突き刺しながら2人が言う。ロバートはそれを聞くと呆れたような声を出した。

「お前達、あき嬢にお弁当を作って貰っているのか?」
「ああそうだ」
「最近、食事の時間も取りにくかったからね」

 2人が嬉しそうにぱくついているのを見て、ロバートは横からひょいっとバスケットの中に詰まっていたサンドウィッチを取って口へと運んだ。

「うむ。うまいな」
「ロバート兄さん!」

 横取りされたルパートがロバートに食って掛かる。ロパートは取られないようにバスケットを抱え込んだ。ロバートは騒ぎ立てているルパートやバスケットを取られまいと抱え込んでいるロパートを見ながら、こいつらも変わったな。とそう思った。
 幼い頃から知っていた2人の弟を見て、誰のおかげだろうかと考えふと脳裏にのん気そうに笑っているあきの顔を思い浮かべ苦笑いを漏らす。
 ――あき。君のお蔭でどちらかというと貴族社会や世間の汚い部分しか見てこなかった弟達も本当に笑えるようになったようだ。感謝する。
 そうしてロバートはルパートとロパートの手元にあるバスケットを見つめどちらから盗ろうかと考えながらじりじり2人に近づいていく。






 ルリタニア王国とノエル王国の国境近くにある美しい海辺の町アイヴス――初代女帝の別荘フラビア城。
 3月、春の日差しはこの小さな海辺の町にも降り注いでいる。
 ロパート・フォン・ターレンハイム子爵の働きかけによってこの城で舞踏会が催される事になった。
 ルリタニアとノエル間だけではなく各国の交渉事もしばしばこの城で行われる事も多い為に、この城にノエル王国の貴族達を集める事は簡単ではあったが、それは同時に他国の密偵をも集める事にもなる。
 
 最近の話題はカルクス王国の王権交代であった。フラビア城にはカルクス王国から先代から財務を取り仕切るブランヴィル伯爵がやってきていた。ノエル王国からはおそらくクラリッサ王女の命令でいつもよりも多くの貴族達がやってきている。
 フラビア城の舞台ではカルクス王国の王立音楽学校より、音楽隊がやってきて演奏を行われた。客席を見渡しながらロパートは目的の人物に当たりをつけている。もっともロパートの様子を窺う者たちも多かったが……。
 客席のあっちこっちでひそひそと会話がなされていた。

「あいつ、ターレンハイム家のロパートだ」
「なんでそんな奴が来ているんだ?」
「ほら、例の銀行の話だろう?」
「ああ、うちにも話が来てたぞ。……ノエルと揉めているらしい」
「カルクスとじゃなかったのか?」
「そっちは王権交代の際にうまく掻っ攫ったらしい」
「うちのザクセン公国も警戒しているぞ」
「ルリタニアの1人勝ちにはさせられんからな」

 演奏会が終わった後の立食パーティーでフラビア城の大広間に集まった貴族達はそれぞれのグループに分かれて会話をしている。彼らがにこやかに会話していると扉の方で賑やかに騒がれながら入ってくる一団があった。
 ノエル王国エドワーズ・フォン・ブラウニング伯爵とその妻オルタンス・フォン・ブラウニング伯爵夫人である。ブラウニング伯爵は今年65歳で大分腹も出はじめていた恰幅のいい人物であった。カルクスの音楽に造詣が深くノエルでも音楽学校設立に力を注ぎノエルをカルクスを超える芸術の都にしようと走り回っていた。

 ロパートは貴族達の間を積極的に動いて銀行のプランを説明していく。
 そうしてブラウニング伯爵夫妻のところに向かうと話しかけた。

「お久しぶりです。ブラウニング伯爵」
「おお、ロパート君じゃないか。元気にしとったかね」
「おかげさまで」
「相変わらず机の上で数字とにらめっこをしとるのかね?」
「ええ」
「いかんよ君ぃ~。たまには美しいものを見て心を潤さなければ」

 ブラウニング伯爵は大仰に顔を顰める。そうして周りにも聞こえるよう大声でターレンハイム家も金儲けにばかり勤しまずにもっと芸術面においても尽力するべきだ。と言った。
 周りで聞いていた貴族達ももっともな意見だとブラウニング伯爵に同調している。

「残念ながら私はそういった方向には、とんと疎いもので弟のルパートなら分かるのでしょうが……」

 ロパートが肩を竦め、苦笑いを浮かべた。それを見たブラウニング伯爵が数字とにらめっこばかりせずに折角アイヴスの町に来たのだから朝焼けの海でも見て自然の美しさに目を向けたまえ。とロパートの肩を叩く。

「では、明日からさっそく行なってみましょう」
「そうしたまえ。アイヴスの海は実に綺麗だ。君にとっても良い事だ」

 こうして立食パーティーは終わりを迎えた。ロパートは部屋に戻るとフラビア城に駐在している部下を呼び、明日の昼にはルリタニアへ戻れるように船を準備させておくように命じた。


 翌朝、まだ陽が昇る前にロパートは海辺の近くへと向かう。海から流れてくる霧が薄っすらと視界を遮っていた。
 じゃりっと音を立てて砂浜を歩いていると前方に人影が現れる。ロパートは上着のポケットから葉巻を取り出し火をつけた。

「ブラウニング伯爵」
「ロパート。私に何の用かね」

 昨夜の和やかな雰囲気とは違い、互いに張り詰めた空気が漂う。ロパートは最近、ノエル王国内で行われている密偵狩りについて尋ねる。ブラウニング伯爵はその事については、クラリッサ王女の独断で行われているもので私は関与してはいないが、確かにそうやすやすと密偵を見つけ出せるのはよほどの情報源があるのだろうと推測していた。

「分かり次第こちらにも連絡を寄越してくれ」
「よかろう。それとクラリッサ王女はかなりルリタニアに対して警戒を強めている。去年、いや一昨年ぐらいからだがアデリーヌだけでなく他の都市にも下級騎士団から騎士を配属させている」
「アーヴィンだけじゃなかったのか?」
「違うようだ。それとこれは噂なんだが……クラリッサ王女直属の暗殺部隊が設立され各地で暗躍しているらしい。私がノエル王国内に作り出した情報網もかなりやられていて、逃げ出した私の部下がルリタニアのロードの町に潜伏しているのだ。できれば保護してやってくれ」
「いいだろう。そいつの名前は?」
「レスタ・フォン・アボット子爵だ」

 夜明け前の朝霧の中、ロパートとブラウニング伯爵は別々の方向へと歩き出した。




 あきがコーデリアに錬金術の講座を受けている。机の前に座ったあきはコーデリアが壁際に設置されている黒板に複数の記号を書いている文字を書き写していた。タルコットはベットの上で胡坐を組んでぼんやりとしている。
 廊下からどたどたと誰かが走ってくる足音が聞こえてくる。あきとコーデリアが顔を見合わせた。

「なにかな?」
「なんじゃ。大騒ぎしおって?」

 どたどたという音はあきの部屋の前にやってくると乱暴に扉を蹴破るように入ってきた。
 息を切らせたラッセンディルがあきの姿を見るなり、じっとあきを見つめ真剣な表情で声を張り上げる。

「あき。結婚してくれ!」
「………………えっ?」

 あきは呆然とした表情でラッセンディルを見つめる。コーデリアはギギッと首を捻ると机の上に置かれてあった『雷竜の珠』をラッセンディルに投げつける。
 雷竜の珠からはじき出された雷撃がラッセンディルの体を包み込み、火花を散らす!
 ぶすぶす黒い煙を立ち上らせているラッセンディルを踏みつつコーデリアが喚いた。

「あっ……」
「お主は何を考えているのじゃ! いきなり結婚してくれとはどういう了見なのじゃ!」
「そうやで、どういうつもりや?」

 タルコットがラッセンディルの足をげしげし蹴った。何か言おうとするより先にコーデリアが動いた為、言葉をすかされたあきの顔が真っ赤になり両手を絡ませもじもじしている。

「あきー。お主も何をもじもじしておるんじゃ!」
「真っ赤になってるで!」
「め、面と向かってプロポーズされるとなんだか、て、照れるよね……」

 コーデリアとタルコットの突っ込みにあきは両手で顔を覆うと呟いた。
 ぶすぶす煙を吐いているラッセンディルが倒れたままコーデリア達に訳を話し出す。なんでも西の塔にラッセンディルの母方の祖父から手紙が送られてきて、嫁はまだかと催促されたそうだ。そこであきに祖父が現れた際に偽装の手伝いをしてくれと頼み込みに来たらしい。それを聞いてコーデリア達がさらに怒り出す。

「お主という奴は……」
「乙女心を弄びよってからに!」
「あき。こんな奴の頼みを聞いてやる事は無いのじゃ!」
「だいたいいきなり結婚してくれとプロポーズしておいて、それが偽装やて? そんな不埒な考えで結婚を申し込んだんか! ふざけとるわ」
「頼めそうな相手があきしかいなかったんだ」

 ぼこぼこにされたラッセンディルが息も絶え絶えになりながらも言い募る。あきの胸にズキッと小さな棘のような痛みが走った。

「だったら、プロポーズすんなや!」

 タルコットのアッパーカットがラッセンディルのアゴに決まった!
 ラッセンディルが部屋の隅に吹き飛んでいく。
 あきはなんだかかわいそうにも思えてラッセンディルに『ヒーリング』を掛け癒す。そうしておいてから、その祖父というのは何時来るのかと問いかける。

「分からん。近日中に会いに行くとしか書かれてなかった」
「うーん。じゃあ来たらどうすればいいの?」
「あき! こんな奴の頼みを聞いてやるつもりなのか?」
「そうやで、お人好し過ぎるわ!」

 コーデリアとタルコットがさら言い募ってくる。あきはもやもやとしたものを感じながらもなんだか面白そうだしと言って笑った。
 その少し寂しそうな笑顔を見てコーデリアは一瞬、顔を顰めたが深呼吸を1つするとにやりと笑いラッセンディルと偽装の計画を建て始める。呆れていたタルコットもコーデリアが乗り気になったのを気づくと諦めたように計画に参加しだす。
 計画は侯爵やメイド達も巻き込んで立てられていく。侯爵は最初、烈火の如く怒り狂ったが、あきに頼まれ最後はしぶしぶといった感じで計画に参加する事になった。


 計画が進みだした頃、ラッセンディルはジルベール・ド・ブランヴィルの墓にやってきていた。
 墓に花を添えるとその前に座り込んでしばらくじっと考え込んでいた。

「……ジルベール先輩。本当はあんな祖父の事を気にする必要はないと思ってはいるんですよ」

 クルト・フォン・リンドホルム男爵はラッセンディル家が没落した時、一切援助する事もなく真っ先に見捨てた祖父であった。そんな祖父が何を言い出してきたとしても一向に気にする必要などないはずだとそう思いはする。
 ラッセンディルが東の塔に特待生として入る事になったときも会いは来ずに、ようやく会いに来た時はラッセンディルが東の塔始まって以来の天才だと評された時だった。ゆくゆくは宮廷魔術師として国政に参加する事になるだろうと噂されだした頃、掌を返したように卑屈なまでに媚を売ってきた祖父に対して嫌悪感しか持たなかった。それでも嫌悪感を押さえて相手をしたのは亡き両親が祖父を恨まないでくれと言い残したからだった。
 東の塔を追い出された後は再び没交渉になっていた祖父から今回、手紙が来たのもラッセンディルがターレンハイム家と繋がりが出来たのを知ったからだろう。

「まったく厄介な遺言を残してくれたものですよ……」

 ラッセンディルはしばらく墓の前で、物思いに耽っていた。

 翌朝、あきはコーデリアから計画の一環としてラッセンディルと共にお弁当を持って西の塔へと向かうように言われてやってきた。
 西の塔……というよりこの世界の学問の施設に入るのは初めてであった為にあきは少し緊張していたが、ラッセンディルに伴われ塔の中へと入っていく。
 西の塔に入ったあきとラッセンディルは首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵の下へと向かう。ラッセンディルにとっては毎朝の予定であり、あきにとっては初めて会う首席導師との対面である。

「おはようございます」
「おはよう。フリッツ……お、おおー。あき嬢ではないか! よく来たよく来た。ささーこちらへ来たまえ」

 首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵はあきの顔を見ると勢いよく椅子から立ち上がりあきの下へ駆け寄ってきた。その動きはとても60を前にした男の動きとは思えないほどであった。ラッセンディルが声を掛けようとすると首席導師はちらっとラッセンディルの方に目をやっただけでしっしと手を振って部屋から追い出そうとし始める。
 その様子を見たあきは驚きながら首席導師を観察する。
 塔の部屋から出る事があまり無いのか青白い顔に白く長い髭を生やした老人だった。元は金髪だったのだろう髪はもうすっかり白くなっている。青い瞳は皺だらけの顔の中で埋もれるようになりながらも輝いている。そして灰色の毛織の服に黒いマントを羽織って、踵の低い頑丈そうな黒い深靴を履いている。幅広の皮ベルトを締め、銀色に輝く留め金具からちゃりんちゃりんと音を鳴らしている鍵の束をぶら下げていた。

「初めまして、首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵様」
「ああ。そんな挨拶なんぞいらぬよ、あき嬢。会えて嬉しく思うぞ」

 首席導師はニコニコと顔の皺を深くしながら頷いている。あきは手に持っていたバスケットの1つを首席導師に差し出して言う。

「首席導師様が、毎日のようにフリッツにねだっているとお聞きしましたので今日は、首席導師様の分も作ってまいりました。どうぞ」
「――あき嬢のお手製の弁当か! いやー嬉しいのう。うんうん。ありがたく頂く事にするぞ」

 バスケットを受け取った首席導師は頬擦りしつつ嬉しそうに笑う。あきとラッセンディルが首席導師の部屋を出ようとすると名残惜しそうに「行ってしまうのか~」と言い。泣きそうな顔になった。
 あきは一瞬、立ち止まりそうになったがラッセンディルに背中を押され、部屋から出て行った。
 廊下を進む。時折すれ違う研究者達が驚いたような顔であきを見つめ、振り向き見送っている。中には後をついてくる者もいたがラッセンディルに追い払われていく。

 ラッセンディルの部屋に入ったあきは部屋の惨状を見て呆気に取られる。

「な、なにこれ?」
「俺の研究室だが?」
「掃除」
「はっ?」
「まず、掃除が必要だよ。ラッセンディル、掃除道具を持ってきて! 速く!」
「あ、ああ」

 言われるままにラッセンディルは用具室へと走っていった。部屋に残されたあきは床に散らばっている書類を一つ一つ拾い集めて整理していく。それから棚の上にめちゃくちゃになっている本を纏め、きちんと整理していった。
 掃除道具を持ってやってきたラッセンディルを部屋から追い出し、床を掃いていく。バケツに水を汲んでこさせて雑巾で机から柱からガラス窓も拭いてぴかぴかに磨き上げていった。
 廊下ではあきが掃除をしている様子を研究者達がじっと窺っていた。中には手伝おうか。と言い出す者もいたがすべてあきに追い出され、扉のところで見守っているだけになっていた。
 
 その後、廊下に出たあきは、研究者達を前にして部屋の扉を開ける様に指示する。開けられた扉から部屋の中を覗いたあきは、ラッセンディルだけでは無い事を知って、全員に今日は大掃除だよ! と宣言した。

「後で見て廻るからね!」

 不満を漏らす研究者達をじろりと睨んで掃除をさせていくあきであった。それからしばらく廊下を行ったり来たりしながら、各部屋の掃除を見て廻っていた。
 さっさと済ましてしまおうと手を抜く者には容赦なく叱り、綺麗にする者は褒めて頭を撫でていく。その為に他の者が頭を撫でられているのを見た者が必死になって綺麗にしていくのを見て掃除がさらに加速していった。
 お昼になろうとした頃には西の塔はぴかぴかに磨き上げられていた。
 
 掃除が終わった後、あきは研究者達と食堂でお昼を食べる事になった。研究者達が強く頼んでい来たからである。食堂の一角、あきの座っているテーブルでは誰があきの隣に座るかで研究者達の間で密かにそれでいて過酷な争いが行われていた。
 過酷な争いに勝ち残った者があきの隣に座り、ようやく食事となった。もっともあきはなぜ、みんな座らないんだろう? と不思議そうな顔で研究者達を見ていたが……。
 あきがテーブルの上にバスケットを置くと首を伸ばして中を覗こうとする者達が大勢、現れ一時は混乱に陥ろうとしていた。同じようなバスケットをテーブルに乗せたラッセンディルと首席導師に対して妬みの視線がきつくなっている。
 首席導師は見せびらかすようにしてバスケットの中からサンドウィッチを取り出し口へと運んだ。

 修羅場のような雰囲気の中であきと研究者達との食事が始まり、あきの食事風景をじーっと見つめている研究者達がいた。
 あきは隣に座った研究者がじーっと見ている事に気づき、持っていたサンドウィッチを差し出すと「いる?」と聞いた。研究者は必死になって頷き、差し出されたサンドウィッチに噛み付いた。それは他の者達から見れば、あきが彼に「あ~ん」と食べさせたようにも見える光景であった。
 その瞬間、彼の名は西の塔内でブラックリストの最上位に位置する事になる。

「一発殴ってやろうぜ」
「一発ぐらいじゃ足らねえ。ぼこぼこにしてやるぜ」

 ぶつぶつと小声で囁かれていく不穏な声。食堂の中は殺気だっていった。ラッセンディルはそんな光景を胃が痛くなるような思いで見ていた。もしこれで計画を知られたら……俺とてどうなるか分からんな? 背筋に冷たい汗が流れていく。
 食事が終わってから、あきはラッセンディルと一緒に部屋へと戻っていった。
 部屋の中で真面目な顔で魔術の研究に勤しむラッセンディルを見ながらあきは昨日からの胸のもやもやの事を考えていた。

 

 あきが西の塔に通うようになってから数日が過ぎた。
 いつものように首席導師やラッセンディルの部屋でぼんやりしていると下の階が騒がしくなっている。
 なんだろうと覗いてみれば、西の塔の玄関にラッセンディルの祖父クルト・フォン・リンドホルム男爵がやってきていた。大声で名乗り叫んでいるリンドホルム男爵の声が、6階建ての塔の5階、最上階近くにあるラッセンディルのところにまで届いていた。
 あきは部屋の中をぐるぐると回り、わたわた慌てている。

「ラッセンディル~。どうしよう~」
「なにを情けない声を出しているんだ?」

 慌てているあきの肩に右手を置き、ラッセンディルは支えるようにしてあきを抱きしめる。その様子を扉の向こうから窺っていた研究者達が「キィー!」という声を出してハンカチを噛み、引っ張っていた。
 階下では、首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵がクルト・フォン・リンドホルム男爵の様子に不審な者を感じ、行かせまいと文句の言い合いを始めている。

「やはり、殺ってしまおう」
「うむ。そうだな……」

 廊下から不穏な空気が立ち込めている。それをどたどたという音がかき消した。扉を乱暴に叩く。
 ラッセンディルが扉を開けるために近づき、あきはソファーに座ったままじっと見守っている。――ガチャっと音がして扉が開かれた。

「よお! フリッツ。元気にしとったか!」

 扉が開くと同時にリンドホルム男爵が大声で言った。ラッセンディルは少し肩を竦め、男爵を招きいれる。

「リンドホルム男爵。お久しぶりですね。今日はなんの御用でしょうか?」

 ラッセンディルの声が部屋の中に冷たく響く。あきはラッセンディルがそんな冷たい声で話すのを初めて聞き、背筋が震えた。
 しかし男爵は気にした様子もなく部屋の中をじろじろ眺め回し、あきと目が合った。

「初めまして、クルト・フォン・リンドホルム男爵。あきと言います」

 目が合ったあきはソファーから立ち上がり、男爵に作法通りの挨拶をする。
 男爵はあきと目が合うとじろじろと好色そうな視線を隠そうともせずに嘗め回すように見る。いやらしい視線を感じたあきはぞくっと背筋を震わせ、深紅のドレスの下で鳥肌が立ったが、嫌悪感を隠してにっこりと笑いかけた。

「おお! 貴女があき嬢ですな。お噂はかねがね聞いておりますぞ! なんでも『女神の愛娘』と呼ばれておるとか! いやまったく。大したものですな!」

 男爵はそう言うと大仰にお辞儀をする。下を向いた男爵はしばらく顔を上げることが出来なかった。男爵はあきの表情に、いやあきの中にある女神の力の片鱗を感じ取り、怯えきっていた。
 ――神聖魔法の力というのはこれほどのものだったのか?
 滅多の見ることの無い力は男爵を怯えさせるのに充分なものだった。もっとも敵意を持たずに見れば、威圧感を感じる事もなかったのだが……。
 男爵はポケットの中からハンカチを取り出すと額の汗を拭きながら顔を上げた。
 顔を上げると男爵は卑屈にも見える満面の笑顔であきに近づき、手を差し出した。あきはその手を見て首を捻り、それからうん。と頷くと握手を交わす。男爵の手はにちゃっと汗と脂が滲み、なんともの言い様のない気持ち悪さを感じる。その所為で握り締める手に力が篭り、男爵の顔が一瞬歪む。
 ラッセンディルがさりげなくあきの肩に手を置くとあきは握手していた手を離し、ラッセンディルの背後に控えるように引き下がる。それから男爵から見えない位置に立つとそっと掌をハンカチで拭う。

「リンドホルム男爵。何の用で来られたのか」
「……ふん。祖父が孫に会いに来るのに理由が必要なのか!」

 男爵は気分を害したように吐き捨てた。ラッセンディルはおろおろしているあきに振り返り、小さく頷くと男爵に向き直り、「必要ですな」と言い切った。

「はっ! そういうところはお前の親父にそっくりだ! まったく。他人の娘と勝手に駆け落ちした挙句、散々人を虚仮にしよって!」
「父の悪口を言いに来たのですか? 私としてはそんな話は聞きたくありませんな。帰っていただきましょうか」

 いかに祖父を恨むなと、言い残されたとはいえ両親の悪口を言われてまで我慢する気はラッセンディルにはなかった。
 部屋から強引に男爵を追い出すとラッセンディルはあきに近づき、ほっと溜息をつく。廊下からは男爵が大声でラッセンディルの父親の悪口を言い続けている。
 同じ階に並んでいる部屋から研究者達が姿をあらわすと魔力を隠そうともせずに男爵に近づくとぞっとするような声で男爵を追い出してしまう。

「けっ! 聞いてりゃ散々恨み節を言いやがって!」
「今度来たら、我々が実験台にしてやるぞ!」
「つうか、ラッセンディルはともかく。あき嬢を怯えさすな! 石化させんぞ。こらぁ!」
「爆炎の実験台になりたいかー!」

 研究者達に脅され怯えきった男爵が玄関までようやく辿り着いた時、首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵が西の塔の衛士を引き連れ待ち構えていた。

「拘束せよ!」

 首席導師が衛士に命じ男爵を拘束すると暴れる男爵の言葉には取り合わずに実験棟に連れ込み、薬品を男爵の両手に振りかけ、男爵の両手から脂と共にあきの体液を洗い流していった。

「……いったい。誰に頼まれたのだ? うん?」

 首席導師が笑わない目でクルト・フォン・リンドホルム男爵に問いかけていく。男爵は顔色を青くして首を振り「何の事だ?」と掠れたような声でそれだけを言った。

「西の塔を甘う見て貰っては困るのう。ラッセンディルにあき嬢を紹介させ、その体液を手に入れ、呪でも掛ける積もりじゃったんじゃろう? それが分からんと思われるほど西の塔は甘く見られておったのか?」
「ど、どこに証拠がある!」
「お主の頭の中じゃよ。なんならギアスを掛けて喋らせてやろうかの? あれはきついぞー」
「わ、わしは何も知らん!」
「ああそうかい。そんな事はどうでもいいんじゃ。お主はあき嬢を怯えさせた。それだけで充分じゃ!」

 首席導師はわざとらしく肩を竦めてみせる。それから実験棟にいた研究者達を呼ぶとどんな手を使ってもよいから背後関係を吐かせろ。と命じて、実験棟から出て行った。
 実験棟から出た首席導師は西の塔のラッセンディルの部屋を見上げ、「まだまだ甘いのう」と呟く。実験棟の中では首席導師の許可を得た研究者達が嬉々として、クルト・フォン・リンドホルム男爵に対してどんな薬を使ってやろうか、と相談している。
 それを聞かされている男爵は恐怖のあまり気を失ってしまった。


 ラッセンディルの部屋ではあきがラッセンディルの話を聞いていた。幼い頃に両親を失った事や、東の塔に特待生として引き篭もっていた事など、ぽつぽつと話しているのを黙って聞いている。
 あきはラッセンディルが泣いているところを初めて見てぎゅっと抱き締めた。廊下ではばたばたという音がしている。
 扉が勢いよく開かれ、飛び込んできた首席導師があきに抱き締められているラッセンディルを見るとどんと突き飛ばし、あきの胸元にするりと入り込んだ。

「お主だけずるいぞ! わしも抱き締めてくれー。この年になるまで色々と辛い事もあったんじゃー」

 あきの胸にすりすり頬擦りしている首席導師を呆然と見ながらあきは固まっていた。

「首席導師だけずるいですぞー!」
「私もー」
「いや、俺もだー!」

 部屋を覗いていた研究者達が我も我もと部屋に飛び込んで言い争っている。

「やかましい。わしは首席導師じゃー!」
「それがどうした!」

 突き飛ばされ床に転がっていたラッセンディルは固まっているあきと駄々を捏ねている首席導師を見て大声で笑い出した。
 悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、色んな事が台無しな光景だった……あきはまだ固まっている。
 ラッセンディルは、よっと床から立ち上がるとあきを助け出す為にあきたちの下へ近づいていった。




[12791] 第38話 「男達の行動。陰謀と小細工 はた迷惑な男達」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/19 17:18

 第38話 「男達の行動。陰謀と小細工 はた迷惑な男達」


 フラビア城から戻ってきたロパートはすぐさま、ロードの町へと急ぐ。ロードの町はルリタニアとノエルの貿易の中心地であり、行き交う商人の数も多く逃亡した密偵が逃げ込むには都合のいい町であった。
 ロパートは盗賊ギルドの幹部からロードの裏街に逃げ込んだというレスタ・フォン・アボット子爵の行方を聞き出した。盗賊ギルドの支部から裏街をしばらく歩き、アレシアという名の店に入る。
 店に入った途端、ロパートの額に汗が滲んだ。この辺りは春の月とはいえまだ寒く店の中では、暖炉に薪が大量にくべられ暖炉の火と人の熱気で噎せ返るような暑さだった。
 奥の片隅にある席に座ると、光沢のある薄絹だけを纏った女が露になった肌に汗を滲ませロパートの傍に近づいてくる。しなだれかかろうとしてくる女を払いのけ、ロパートは自らの名を名乗り店主の所へ案内するように言った。
 店に入ってきた時からロパートの様子を窺っていた用心棒達が音も立てずに近づいてくる。彼らを見たロパートは溜息を1つ吐くと、右手の中指に填めている指輪を見せ名乗った。
 指輪を確認した用心棒達と共にロパートは店の奥に向かう。
 店の奥にはアレシアの店を預かる男が、机の上に肘をついて待っていた。

「ロパート・フォン・ターレンハイム子爵。相変わらず行動が早いな」
「分かっているなら、さっさとレスタ・フォン・アボット子爵を出せ」
「よかろう。誰か、レスタ・フォン・アボット子爵を連れて来い!」

 男は右手を払うように動かすと用心棒達に命じた。そうして左手の指の間に挟んでいた葉巻を吸う。
 ロパートと男は待っている間、最近のロードの町の動向を話し合っていた。その中でノエル王国のクラリッサ王女がルリタニアの動きを危険視している事やザクセン公国と繋ぎを取っている事、そしてルリタニアに現れた『聖女』に興味を示している事などが情報として示された。話された情報の大半はエドワーズ・フォン・ブラウニング伯爵と同じだったが、『聖女』に興味を示している事は初耳だった。

「『聖女』に興味を示しているか?」

 ロパートは首を捻る。それを見た男は軽く笑うと両手をひらひらさせた。

「なんたって派手に動いていたからな『聖女』は、な。現れてからそんなに経っていないというのにいったいどれほどの奇跡を見せたと思う?」
「……やりすぎか」
「まあそういう事だ。各国の王室関係ではいまや有名人だぞ、あの聖女様はな。それにノエル王国には今現在、王子がいないからな、婚姻を結ぶ事によって王室に引き込む事もできん。かといって臣下と婚姻させるのは危険すぎる。なんと言ってもバックにターレンハイム家があるからな。従って……暗殺という手段に訴えるという動きもある」
「――なんだと!」

 ロパートは内心、ギクッとした。「狩の魔王召喚」とだけ書かれていた手紙の事を思い出す。差出人は確かPhantom of Shadowだとか言ったか?

「Phantom of Shadowか……確か初代女帝の配下に『影』と呼ばれる暗殺部隊があったな? 初代女帝の死後構成員の名も知られないうちに消えてしまっていたが、そいつらの末裔か?」
「分からん。俺たちの元へ狩の魔王召喚と書かれた手紙がやってきたぞ」
「狩の魔王か、それはクルト・フォン・リンドホルム男爵の事だったと思うが?」
「何者だ?」
「なんでも殺したい相手の体液を手に入れて、泥人形に塗りこめ、呪い殺すとかいう秘術の使い手だったと聞いていたが、そういえばリンドホルム男爵の一人娘が跡を継ぐのを嫌がって、どこぞの若い貴族と駆け落ちしたという噂を聞いたことがあるぞ」

 男は部屋の壁をぼんやり見ながら思い出すように言う。
 ロパートは聞いた事の無い名前が出てきた事に戸惑いを覚えていた。

「聞いた事の無い名前だが……」
「そりゃあそうだ。もうだいぶ昔の話だからな。お前さんが生まれる前の話だ。しかし暗殺家業から足を洗ったと思っていたんだがな」

 その後もしばらく話をしているうちに用心棒達がレスタ・フォン・アボット子爵を連れてやってきた。
 ロパートはレスタ・フォン・アボット子爵を連れて店を出ると飛行船でファブリスまで帰って来た。ファブリスについたロパート達は銀行でもターレンハイム家でもなく盗賊ギルドのアジトでレスタ・フォン・アボット子爵を匿う事にする。エドワーズ・フォン・ブラウニング伯爵と約束した手前、匿う必要はあるが、だからと言って銀行やターレンハイム家に迎えるのは危険すぎたからである。




 ターレンハイム家ではあきがコーデリアと一緒にお風呂に入っていた。
 なぜこんな事になったかというと、あきに体を洗ってもらった時の感触を思い出したコーデリアがせがんだからである。お風呂場でコーデリアはむにむにとしたあきの胸の感触を堪能している。

「……むかつく胸じゃが、良い感触なのじゃ」
「なんかコーデリア、赤ちゃんみたいだよ?」
「赤ん坊ではないのじゃ。そんな事を言うと乳を吸うのじゃ」
「わ、わわー。吸っちゃだめー!」
「あんたらなにしとんのや?」

 カラカラと音を立ててお風呂場の戸が開き、タルコットが入ってくるなり呆れたように言う。
 タルコットの目にはあきにしがみ付いて乳を吸っているコーデリアと必死になって引き剥がそうとしているあきの姿があった。コーデリアが乳から口を離し訳を説明する。タルコットは呆れていたが、話を聞いているうちに興味を示しコーデリアと一緒になってあきの乳を吸いだした。

「だから、だめだって!」
「こんなデカイのを2つもぶら下げとるんやからかまわんやろ?」
「好きでぶら下げているんじゃないもん!」

 あきは涙目になって反論していた。

「そうですわ! ぶら下げているとは失敬な。あき様の乳は垂れてませんわ!」
「どっからでてきたのー?」

 メイド達がどこからともなく姿を現し、じっとあきの乳を見つめ主張しだす。身振り手振りをまじえ、熱心に話し出すメイドの主張が高まるにつれメイドの顔は高揚し、あきの顔が青醒めていく。
 メイドの話が大きさ、形、感度に進んだところであきは逃げ出すように風呂場から立ち去っていった。

「みんな、ひどいよー」

 濡れた髪のままあきはベットに横たわり泣き崩れていた。ぽたぽたと滴り落ちる水滴が枕を濡らしていく。あきの様子に気づいたルパートが部屋へやってきてあきの髪をタオルで乾かして整えていった。その間あきはされるがままになりながらも、ルパートにお風呂場での話を言い。愚痴っていた。ルパートは黙って聞いている。そうしてあきが泣き疲れて眠ってしまうまで傍についていた。

「まったくメイド達も困ったものね」

 ルパートはあきの体にシーツを被せて明かりを消すと部屋から出て行った。
 お風呂場ではメイドがまだ熱弁を振るっていた。
 ルパートが出て行った後、ラッセンディルがあきの部屋へと入っていく。ベットに寝ているあきの寝顔をしばらくじっと見つめてから部屋を立ち去った。その様子を侯爵がぴりぴりしながら見つめている。

「おのれー。ラッセンディル! お主にあきは渡さんぞ」

 ここのところラッセンディルを危険視しだしている侯爵であった。

 


 西の塔の首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵はクルト・フォン・リンドホルム男爵から背後関係を聞き出し王宮へと報告する為に書簡を認め、届けさせた。
 王室は事の次第を知ってどうするべきか緊急会議を開く事にする。会議の参加者にはロバート・フォン・ターレンハイムも文官として参加していた。

「ノエル王国のクラリッサ王女がクルト・フォン・リンドホルム男爵を唆し『女神の愛娘』を暗殺しようと画策した事についてルリタニア王国はノエル王国に対しどうするべきか!」

 王妃が口火を切ると喧々囂々の騒ぎとなった。集まった貴族の中にはいかに『女神の愛娘』とはいえ、一介の神官……神官ですら無い者に対し暗殺企てたからといって、一国家が他の国に表立って警告を発するのは拙い。と言い出す者も多く存在している。

「いや、そうは仰るが! 『女神の愛娘』が暗殺された場合ルリタニア王国が非難を浴びることにもなりかねませんぞ」
「確かに『聖女』暗殺を阻止できなかった場合、非難を浴びる事にもなりかねませんな」
「『聖女』は各国でも噂になっておりますからな。今回はツィルヒャー男爵が阻止してくれたからいい様なものの、今後はさらに警戒が必要になるでしょう」
「そういえば、今現在『聖女』を誰が守っているのですか?」
「はい。現在『聖女』はターレンハイム家の元に居住しており、従ってターレンハイム家を筆頭にフリッツ・フォン・ラッセンディル男爵。コーデリア、タルコット及びルリタニア王国第二王子エルンスト・ルリタニア殿下の配下であるメイド達が警護についております」

 ロバートが居並ぶ大臣達に説明をしていく。大臣、貴族達はそれぞれ名の上がった者達を思い浮かべ驚いていた。いずれもかなりの実力者揃いだと思われる者達が名を連ねている。特にエルンスト王子の名が出た時には息を飲む者もいた。

「……『聖女』にはそれだけの者達が警護についているというのか?」
「いったい。どういう繋がりがあるのだ?」

 ロバートはコーデリア達と話し合って決めていたあきの経歴を彼らに話していく。曰くヘンルーダの森の出身であり、エルフのヤツェク様やドワーフのモレルに可愛がられていたのが、コーデリアの元に修行に出されている事になっている。その上でフラビア城においてエルンスト王子と出会い、交友を持つに至った事やルリタニアへ来た経緯なども話していった。
 大臣達の顔が蒼白となっていく。下手に手を出せばエルフも敵に回してしまう事が分かったからである。現状維持。彼らの頭の中にその言葉が浮かんでいる。

「と、とにかく表立って警告するのは拙いだろうが、何も言わずにいるのはもっと拙い。非公式にノエル王国には警告は発しておこう。彼らもエルフを敵に回す気はないだろうしな」
「それだけではないぞ。下手に手を出せばカルクス王国も敵に回す事にもなる。無論ルリタニアもだ。いかにクラリッサ王女といえど、この二つの国とエルフを加えた勢力に喧嘩を売る気にはならんだろう」
「もしかするとクラリッサ王女は第二の初代女帝になりたいのではないか?」
「それは有り得るかもしれんな?」
「そうなった場合、こちらの対応はどうするのだ?」
「その時は、『聖女』を押し立ててクラリッサ王女に対抗するしかあるまい。『聖女』の名声は今や大陸中に広まりつつある」
「『聖女』に女帝になるという野心があった場合は?」
「あー。それはあり得ませんな。実際に『聖女』に会った事のある者なら、皆そう言うでしょう」
「そうなのか?」
「それに関しては私もそう思いますわ」

 今まで黙って聞いていた王妃が発言した。その言葉に一瞬、皆が黙り込んだ。その後国王までもが王妃の意見に賛成するに至って大臣達の懸念は薄らいでいく。

「はっきり申しまして、『聖女』には世俗的な野心も宗教的野心も存在していないと思われます。虚飾や贅沢も好みませんし、どちらかと言うと日々のんびりと過ごしたいと考えているようです」

 ロバートの発言に呆気にみなが取られた。さらに『聖女』が神殿での修行を断った理由についてコーデリアの弟子として勉強している事が上げられ、さらに呆気に取られる。呆然としている大臣達を尻目に王妃がくすくすと笑い声をたてた。

「あの子らしいわ。本当に慎ましい性格をしている事。そうね、あの子は良いお嫁さんになるわよ」
「お、王妃様!」
「あらロバート。貴方もそう思うでしょ?」
「その意見には賛成しますが……」

 大臣、貴族達の頭に自分達の一族の中に『聖女』と同じような年頃の男子がいなかったか、思い巡らされていく。さらに王宮での若い貴族を中心とした『聖女』に興味を持っている集団も浮かんでいた。




 ロパートはターレンハイム家に戻ってきてすぐにあきに会う事を決めた。そうしてやってきたら、あきはすやすやと眠っていた。

「まったく心配ばかりさせてくれる」

 溜息と共に呟き、そのまましばらくあきの寝顔を見つめていた。呼吸に合わせて緩やかに上下するあきの胸を見てロパートの腕が胸元へと伸びていった。

「ロパート」
「うっ!」

 ぴたっと腕が止まった。
 驚いて声がした方に目を向けるとコーデリアとタルコットがジト目で睨んでいた。
 コーデリアはロパートの腕を掴み、「さー少し話し合おうか」と部屋から連れ出していく。

「いや、だからそんなつもりはない!」
「ほぉー? そうは見えんかったけどなー」
「そうなのじゃ。まったく寝込みを襲うのはどうかと思うのじゃ」
「い、いやだからな……」
「うちらの目が光っているうちは不埒な真似はさせんで!」
「というか、おぬしらは直接あきを口説く気は無いのか?」
「そうや、そうや。どいつもこいつもまったく!」

 しどろもどろになって言い訳をしているロパートとそれを責めるコーデリアとタルコットの姿があった、言い訳をしているロパートの姿はとても盗賊ギルドの長とは思えないほど情けなかった。それはあたかもお父さんドラゴンの姿を思い浮かばせる。




 翌日、ロバートから報告を受けた侯爵はロパート、ルパートの2人に話した。2人とも話を聞くと驚いたが、ロパートのノエルでの報告と共に今後の対応を考える事で話は終わった。
 その後、ロパートはあきの用意してくれていたお弁当を持って西の塔へと出向き、首席導師と面会をしてクルト・フォン・リンドホルム男爵に関する情報を得た。

「我らがあき嬢を穢そうとする者に死を与えてくれるわー!」

 首席導師はそう言って気炎を上げる。ロパートはその様子を見て頭を抱えたくなった。そうだそうだと背後でも研究者達が首席導師と同じように気炎を上げていた。

「ついでにラッセンディルにも死を!」
「ああ、あの野郎もぼこぼこにしてやらんとな!」
「……ラッセンディルがどうかしましたか?」

 ロパートは不思議に思い、首席導師に問いかけた。すると首席導師はラッセンディルの奴はあき嬢に抱き締められていたんじゃ! と文句を言い立てる。もっとも自分もあきに抱き締められた事など言いもしなかったが……。
 興味を持ったロパートは話を聞くと今度は本当に頭を抱えてしまった。
 その時、首席導師の目が一点に止まり、ギロッとロパートを睨みつけた。

「……ターレンハイム子爵……そこにお持ちになっているのはもしかするとあき嬢のお手製のお弁当ですかな?」

 とてもとても優しく言い聞かせるかのような声にロパートは不審さを感じながらもその通りだと答えた。すると首席導師の表情が鬼と化した!

「よく聞け! こやつもあき嬢のお手製の弁当を持っておるぞ!」

 その言葉を聞いた研究者達から殺気がロパートに対して放たれる。ロパートはまともに殺気を浴び、背筋が凍りつく思いを感じる。

「そうかそうか、貴様もか……」
「ちょっちこっちにこいや!」
「ようこそ、西の塔へ。今なら西の塔の秘術を無料体験出来ます」
「なにからが宜しいかな? 灼熱ですか? 極寒ですか? セットで雷撃などは如何でしょうか?」

 ロパートは逃げるように西の塔から飛び出していった。

「待て。逃げるか!」
「戻って来い!」

 研究者達の嫉妬の炎が盛んに燃えさかっていた。



 あきは侯爵に抱き締められ泣かれていた。なぜこうなったのかよく分からないでいる。

「侯爵ー。どうしたんですか?」
「あきー。嫁に行かないでくれー」
「行きませんよ?」
「本当か? 本当だよなー」
「どうしたんですか?」

 あきは、おーいおーいと泣いている侯爵を引き剥がそうと必死になっているが侯爵の力が強くてうまく行かないでいた。よくよく話を聞くと王妃が昨日王宮の会議で発言した、あの子は良いお嫁さんになるわよ。という発言にそれを聞いていた貴族達から今まで以上に見合い話が舞い込んでくるようになったと侯爵は泣きながら言い募っていた。
 泣いている侯爵を少しかわいそうにも感じたが、あきは必死になって引き剥がしエステルの元へ逃げ込んでいった。

「エステルー」
「あきー。お嫁にいっちゃやだー」
「エステルまでー。なんでー?」
「だって、さっき侯爵がやってきて愚痴を言ってたんだよー」
「もー侯爵ったら……」
「あきはお嫁に行かないよね?」
「行かないよー」

 あきはがっくりしながらエステルの元から立ち去っていく。背後からはエステルのあきーと呼ぶ切ない声が聞こえてくる。
 落ち込んだまま館へと戻るとなぜか貴族達からの贈り物が大量に部屋に置かれていた。その周りにはコーデリアとタルコットが呆れたように立っている。

「なにこれ?」
「貴族連中からの贈り物や」
「愛しいあき様へ。とのメッセージ付じゃ」
「なんでこんなのが来るのー?」
「王妃が悪いー!」

 侯爵がぬうっと顔を出して言う。やっぱり王妃の良いお嫁さんになるわよ発言がよくないのだ! と言っていた。

「……いいお嫁さんかー。そうかもしれんのじゃ」
「確かになー。そうやろうと思うわ」
「あきー。お嫁に行かないでくれー」

 どうしたものかとあきはコーデリア達と話して結局、当分館の中に引き篭もる事に決定した。
 こうしてあきはターレンハイム家において引き篭もる事になった。

 引き篭もり始めて5日過ぎた。
 毎日館の中ばかりで過ごしているのも辛いだろうからと言って出来るだけ姿を現さないようにしながら館の庭を散歩するように心がけている。毎日、エステルと遊んでいるものだからエステルは喜んでいた。
 機嫌が良いからだろうか、エステルは庭でダンスを踊っている。あきとエステルのダンスを見ながら侯爵も喜んでいる。あきは毎日お弁当を作って、錬金術の勉強と調合をこなし、エステルと遊んで過ごすようになっていた。
 そんな風に過ごしていた頃、アッシュから知らせがやってきた。なんでも古代遺跡の中で毒が蔓延して大量の人間が苦しんでいると届けられた手紙に書かれていた。

「古代遺跡に行かなきゃ!」
「待って。あたしも行くわ」
「わらわ達も行くのじゃ」

 知らせを受けたあき達はエステルの背中に乗って古代遺跡へと向かう。上空から見ても遺跡近くにはテントが大量に設置されて歩いている人間の数が少なくなっている事が分かる。
 
「みんな、どうなっているの?」
「あきか! 今のところまだ死人は出てはいないが時間の問題だろう」

 アッシュが降りてきたあきに向かって言う。あきはとにかく病人のいるテントに向かうと『治癒魔法』を掛けていった。それから2日かけて病人を癒したあきは、へとへとになって眠ってしまっていた。
 コーデリア達が病人達から事情を聞いていたらしく、深刻な顔をしてひそひそ話し合っている。

「どうやら毒を撒いた奴がおるらしいわ」
「……てっきりエトージュ村の時と同じじゃと思ったのじゃがな」
「でも、おかしいわ。死人を出さないように手加減していたとしか思えないのよ」
「どういう事や?」

 ルパートはコーデリア達を見ながら、これは自分の推測だけどと前置きをしてから話し出した。

「とにかくね、病状がそれほど重くないの。ほらエトージュ村の時は発生してから2日ほどで村人がほぼ壊滅したでしょ?」
「そうやったな」
「なのにここでは、発生してから5日経つのに死人はでてないのよ。という事は毒を撒いても殺すのが目的ではないとなるわ」
「では目的はなんなのじゃ?」
「もしかするとあきを引っ張り出す為かしら?」
「ここのところ引き篭もっていたから外へおびき出す為にか?」
「そうとも考えられるわ。この話は黙っていてね」
「無論じゃ。あきが狙われているかもしれんのじゃからな」
「という事はこの中にあきを狙う奴が紛れ込んでいるかもしれんいう事や」

 コーデリア達はエステルに何かあれば、あきをつれて空へ逃げろと言い聞かせている。

「うん。分かったのー」

 とエステルは返事をしてテントから少し離れた場所で待機する事になった。
 その夜、あきとコーデリア達は病人の治療を終え、アッシュ達のテントで休んでいた。かなり大きなテントにはパイラ達のパーティーも一緒に横になっている。
 夜も更け始めた頃……。
 あきの寝ているテントに気配を消して近づいてくる人影がある。影はテントの外から中の様子を窺い、寝静まっている事を確認するとそーっと中に忍び込んであきの胸にナイフを突きたてようと振りかぶった。
 ナイフの鈍い光が闇の中で光る。ナイフの先にはどろりとした毒が塗られていた。
 振り下ろされようとするナイフをアッシュが弾き飛ばす! 弾き飛ばされたナイフはパイラの頭の上を通り過ぎ、テントの布に刺さる。その気配にパイラも目を覚ます。

「おい。なにしてんだ?」

 パイラは目を擦りながら起き上がった。

「――ちいっ!」
「あんまり冒険者を舐めるな!」

 逃げ出そうとした暗殺者をアッシュが羽交い絞めにして押さえ込んでいく。パイラも参加して足を踏みつけたりしている。
 アッシュのテントでの騒ぎを聞きつけた冒険者達が駆けつけてきて、テントの外で待機していた他の暗殺者達も取り押さえられていった。テントの中ではアッシュが暴れたものだからテントの布がびりびりと破れ、むき出しになってしまう。
 エステルはそんな様子を見て、あきを助ける為に飛んでくる。エステルの羽ばたきが周囲に荒れ狂いいくつかのテントが吹き飛ばされていった。

「こりゃーエステルー」
「もう少しおとなしくせえや!」
「あきを助けるのー」

 ばさばさと羽ばたくエステルの翼から吹き荒れる風によって暗殺者達も地面に叩きつけられてしまった。
 ようやくエステルが大人しくなった時には古代遺跡周辺に建てられていたテントは全滅していた。あきは未だに夢の中を彷徨っている。

「『聖女』様って豪胆だな……」
「この状況でまだ起きないとはな」

 ぼろぼろになった冒険者達が寝ているあきを見て、ポツリと零した。
 コーデリアに起こされたあきが辺りを見た。

「なにがあったの?」

 呆然として問いかけるあきに苦笑いを浮かべるしかない……。その時冒険者達の心は1つになっていた。やれやれ、と……。
 こうして暗殺者達は冒険者たちによって取り押さえられ縛り上げられた。コーデリア達は縛り上げられた暗殺者達をエステルに括りつけていたかごに押し込めるとファブリスまで帰ることになる。
 あきは大勢の冒険者達に見送られてエステルの背中に乗って帰っていく。

「あきさまー」
「聖女さまー」

 助けられた冒険者の中にはあきに結婚を申し込む奴もいたが……ルパートが「あきはお嫁には出しませんからね!」ともの凄く怖い口調で怒鳴りつけられ、散っていった。

 ――――その後、しばらくの間……古代遺跡の周辺では聖女様には怖い父親が睨みを効かせているという噂が流れるようになった。


 ターレンハイム家に戻ってきたあきは侯爵に泣きつかれ、再び羽交い絞めされていた。

「侯爵ー。なんでー?」
「わしに黙ってどこかに行くからだー!」
「古代遺跡で毒が撒かれたから助けにいっただけだよー」
「それでもだー」

 ぎゅうぎゅう抱き締められ、あきは苦しそうに侯爵に放してくれる様に頼んでいる。侯爵はぶつぶつと小声で「いっそ、館の中に閉じ込めてしまうか」などと物騒な事を呟いていた。
 コーデリア達は暗殺者を王宮にいるロバートに引渡し、これまでの経緯を説明する為にエステルと共に去っていく。後に残されたあきは侯爵から逃げ出すために必死になっていた。
 説明を聞いたロバートは暗殺者達を牢屋へと閉じ込め、報告書を書くために執務室へと入っていく。報告書を書き終えたロバートの眼鏡がキラリと光る。
 こうしてルリタニアへ送り込まれた暗殺部隊はほぼ壊滅状態となり、ノエル王国に対して非難文書を作成する事になっていく。

 コーデリア達がターレンハイム家に戻ってきた時、あきは侯爵の監視下にしっかりと置かれて泣きそうな目で見ていた。
 その夜の事である。
 あきの部屋へと向かったラッセンディルとロパートが部屋の前でばったりと出会い。2人ともが微妙な空気を纏わせたままあきの部屋へと入っていった。それを見ていたルパートは溜息をついて立ち去っていく。

「まったくどうしたものかしらね……」

 同じような言葉をコーデリアとタルコットが言っているのをルパートは知らなかった。

「しっかし微妙な三角関係になりつつなるなー」
「なんでこうなったんじゃろう?」
「いや、分からんわー」

 コーデリアとタルコットの2人が溜息をついていた。



[12791] 第39話 「ルリタニアの王子様登場 舞踏会とぬいぐるみ」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/22 21:43

 第39話 「ルリタニアの王子様登場 舞踏会とぬいぐるみ」



 ルリタニア王国ハインリッヒ・ルリタニア国王はルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵と同い年である。幼少の頃より共に学んできた仲であり、国王と侯爵という地位についた後も公私共に付き合ってきた。ハインリッヒの妻――エルマ・ルリタニア王妃はさほど地位の高い身分の生まれではなく騎士階級の出身であり、国王との恋物語はルリタニアでは有名な話として知られ多くの女性達の憧れともなっている。第二王子エルンスト・ルリタニアはオンブリア地方の領主として普段はオンブリアに在住していた。
 そして……第一王子エルヴィン・ルリタニア――プリンス・オブ・ルリタニアは王宮に居住している。
 ここのところのあきを巡る騒動では一向に顔を出す事はなかったが、毎日のようにあきの報告を受け、王子の中であきに対する興味が湧いていた。
 
 その結果、ターレンハイム侯爵家に第一王子プリンス・オブ・ルリタニアより舞踏会の招待状がやってきた。

「――これなんかどうじゃ?」

 コーデリアは純白のドレスを手に取り、着替えようとしている。それを見ながらタルコットがうちはこれにするわ。と濃紺のドレスを身に纏っていた。
 あきはメイド達にどのドレスにしましょうか? と言われ、大量のドレスを前に震えている。まだ寒いのだ。薄いイブニングドレスでは上にコートが欲しくなる。そういったあきの主張はメイドたちには届いていないようだった。

「あき様、やっぱり深紅のドレスに致しましょう」
「それに敢えて宝石は黒い物を選んで、大人っぽくしていつもとは違う印象を与えて王子様ゲットだぜ! という感じにしましょう!」
「王子様ゲットなんかしたくないですー」
「まーなにを仰っているのですか? プリンス・オブ・ルリタニアならばあき様にふさわしい地位のお相手ですわ」
「でも……王宮ってドロドロそうじゃないかー」
「そこがいいんじゃないですか、ドロドロとした王宮で傷ついたあき様は……いけないいけないと思いつつも好きになってはいけない相手と身を焦がすような不倫をするのですわ~」
「どこの昼メロだよー?」
「いかん、いかんぞ! あきはそんな事をしてはいかんのだ!」

 あきとメイドが話しているところへぬうっと侯爵がやってきた。なんだか目に涙が浮かんでいる。
 侯爵はメイド達に「まー着替えている最中に入ってくるなんて!」と叱られ落ち込んだ。そしてあきが着ている深紅のドレスを見て、今日の舞踏会には行っちゃダメー! と言い出す。
 ぶーぶーと言うメイド達の不満を無視すると侯爵は「絶対、だめ!」と一歩も譲らない姿勢を見せ付ける。

「あき様ーおかわいそうに……」
「そうですわー。あき様かわいそう……」
「うぐっ……だがダメだー!」

 メイドたちと侯爵の言い争いによってあきは宮殿での舞踏会には参加しない事に決まってしまう。
 結局舞踏会に参加するのはコーデリアとタルコット、それからルパート、ロパートの2人に侯爵とラッセンディルのメンバーだけである。あきはお留守番になった。

「留守番はいいんだけどさー。コーデリア達が楽しそうにどのドレスを着ていこうかなんて話をしているのを聞いているとなんだか寂しい気がするー」
「仕方ないのじゃ……今回は諦めるがよい」
「侯爵も心配性なんやから……」
「そうじゃのー」

 コーデリアとタルコットは言い合いをしている侯爵とメイド達を見て呆れているようだ。ここのところ侯爵はさらに心配性になっていた。

「いかーん。あきは嫁にはやらんぞー!」
 
 侯爵の絶叫が部屋の中に響き渡る。
 こうしてあきは侯爵達を見送ると1人寂しく留守番をする事になってしまった……。
 もっともラッセンディルとロパートが館に残ろうといったのだが、侯爵に無理矢理引きずられるようにして馬車に乗せられてしまう。という場面もあったが……。

「お主も舞踏会に参加するのだ」

 馬車に乗らず残ろうとするラッセンディルを侯爵は強引に馬車へと押しやっていく。

「それほど行きたい訳ではないのだが?」
「いいや、お前も来い!」

 嫌がるラッセンディルを侯爵が問答無用とばかりに引きずっていく。

「では、俺が残ろう」
「ロパート! お前も残す訳にはいかんぞ!」
「そうだな。その意見には賛成しよう」

 では、俺が残ろうと言い出し馬車から降りようとするロパートの首根っこを捕らえ、侯爵は馬車から降ろすまいと必死になっている。ラッセンディルもこの時ばかりは侯爵に協力して、ロパートを降ろすまいとしていた。その彼らの様子を見ながらコーデリアは「どうでもよいのじゃが、はよう行かんのか?」と溜息をついている。
 侯爵は舞踏会に出かける前から疲れているようだった。それを見かねたルパートがあたしが残りましょうか? と言い出したのを見て侯爵の顔に一瞬安堵の色が広がったが、すぐに思い返したのか「いや、ルパートも来てくれ」と言い。ラッセンディルとロパートを抑える役を頼み込んでいた。
 馬車の中ではレティシア宮殿に向かうまでの間、侯爵を間に挟んでラッセンディルとロパートが微妙な空気を漂わせている。ルパート、コーデリア、タルコットの3人は肩を竦め、そんな彼らの様子を観察していた。

 ターレンハイム家の馬車がレティシア宮殿に着いた時、若い貴族を中心とした一団がわらわら集まりだす。侯爵や他の者達が馬車から降り、宮殿に向かうと誰とはなしに溜息が零れていく。

「あき様は来てないのか?」
「そのようだな……」
「どうなされたのだ?」
「侯爵様が警戒してお連れにならなかったのではないか?」

 誰かがそういうと聞いていた者達が大きく頷いた。その後は女好きとの噂のあるプリンス・オブ・ルリタニアに対する不満が少しずつ零れていく。エルヴィン・ルリタニアは今年25歳になるが、国王と王妃に甘やかされてきたからだろうか、どことなく頼りない雰囲気を漂わせている。いつも眠たそうな目に長い金髪は伸ばしっぱなしであり、きちんと纏めても勝手に頭を掻いてめちゃくちゃにしてしまう癖がある。その上侍女達にきちんと衣服を着せて貰っているというのになんとなくだらしないような印象を受ける王子であった。
 王宮では弟のエルンスト王子の方が国王にふさわしいのではないかと言う声もあるが今のところ国王は王位継承に関して何も発言はしていなかった。

「だいたいだな、国王陛下はあの通りの愛妻家ではあるが王子はなぁ~」
「気に入った侍女などは王子に無理矢理、寝室に引きずり込まれるらしい」
「我々が同じような事をすれば、国王からお叱りを受けるというのに……あの王子と来たら」
「いや、叱られているらしいぞ。ただ言っても聞く耳を持たないそうだ」
「あんな王子にあき様を渡す訳にはいかんな!」

 若い貴族の1人がそう言うと集まっていた貴族達が「その通りだ」と口々に言い合う。たった今この場で、王子の魔の手からあき様を守る会が結成された。
貴族達が気づいてみると侯爵達はすでに宮殿の中へと入っていた。後を追いかけるように若い貴族の集団は宮殿内へと急いでいく。
 宮殿の中ではあきが欠席した事が噂になって広まっていく。
 驚く者、びっくりする者、落ち込んでいる者などが大広間の中で散らばっていった。くるくると廻りながら踊っている貴族達も時折ちらちら侯爵達一行を盗み見ていた。


 一方、ターレンハイム家ではあきとメイド達がぬいぐるみ製作に勤しんでいた。

「なんでこんな事になったんだろう……?」

 あきがポツリと零した。サロンのテーブルではメイド達が思い思いの場所に座って布に綿を詰める作業をしている。すでにあきも2体目のぬいぐるみを製作している。最初はネコだった。その次にこいぬに挑戦していた。

「あき様ーお上手ですわー」
「この子なんていう名前ですかー?」
「みけだよー」

 あきが作ったねこはみけと名付けられ、メイド達に人気になってメイド達はみけをぎゅーっと抱き締め、取り合いをしている。
 ――羨ましいようなそうでもないような光景だな~。
 あきはこいぬのぬいぐるみに綿を詰めながらそんな感想を持ってしまう。
 サロンには大量のぬいぐるみで溢れ返っていた。総勢40人近いメイド達が一斉にぬいぐるみを作り出すとあっという間に溢れるぐらい出来るだろう。メイド達が布へ型紙を使って印を付け裁断していく。それを別のメイドが簡単な仮縫いをして、さらに別のメイドが本針を入れていく。まるで家内制手工業の様である。

「ぽち完成ー」
「わーぱちぱちー」

 大量に並んでいるぬいぐるみにはどれもあきが少しずつ関わっていて、メイド達は館に来る若い貴族達にあきお手製のぬいぐるみだと言って売りつける計画を立てていた。

「嘘ではありませんわ」
「絶対に売れます!」
「いくらで売りつけようかしら?」

 商魂逞しいメイド達である。
 もっともあきが全部作り上げた、みけとぽちの2体に関しては、あきが侯爵にあげようと言い出した為に売り物には出来なくなってしまったが……。

「侯爵様は絶対に喜びますわー」
「……むしろロパート様とラッセンディルの2人が嫉妬するでしょうね」
「なんで?」

 メイド達が口々に言い出すのにあきは不思議そうな顔で首を捻っている。それを見たメイド達が溜息を漏らす。さらにそれを見たあきはますます首を捻って不思議そうにしていた。

「あき様。お食事ができました」
「わーい。今日はみんなで一緒に食べようー」

 あきは出来上がったばかりのみけとぽちを連れて食堂へと向かう。呼びに来たコックが不思議そうな顔をしてぬいぐるみを見ていた。
 
「どうぞこちらへ。今日は侯爵様がいらっしゃいませんから……特別に変わった物をお出しします」
「なにかな~?」

 席に座ったあきに対してコックがにこにこしながら、話しかけていた。
 その事を聞いたあきが楽しみにしていると出てきたものは――カレーだった。以前あきがコックに言った事を覚えていたのか? コックは米の代わりにつぶつぶのパスタ……クスクスに似た物にカレーをかけた物とかつおのタタキが出てきた。

「やったね。ばんざーい。カレーだー」

 あきは喜んで食べ始めたが確かに侯爵家の食事には出せそうに無いメニューではあった。
 テーブルにはあきが言ったお箸も用意されている。異世界にきて久しぶりに使うお箸である。あきは喜んで使っていた。食卓ではカツカツとスプーンがお皿に当たる音がリズミカルに鳴っている。
 周りではメイド達がにこにこしながら一緒に食事をしながらあきを見ていた。広い食堂の中であきは初めてメイド達と一緒に食事をして喜んでいる。
 デザートにはタルトタタン。あきが作って貰ったものだ。その他にも沢山のケーキが並べられてテーブルの上はまるでケーキ屋さんのようだ。あきはコックさんにいくつかケーキを切り分けて貰い、嬉しそうに頬張っている。タルトタタンの甘くて少しほろ苦い味が口の中に広がり、懐かしいな~と目を細めていた。




 あきがカレーを食べて喜んでいた頃、宮殿でも晩餐会が始まっていた。
 侯爵は食事を口にしつつ今頃、あきは1人で食事をしているものと思い、寂しがっているだろうと胸を痛めている。侯爵の脳裏には広い食堂で1人っきりで寂しく食事をしているあきの姿が浮かんでいた。今頃あきは……1人寂しく……許してくれー!

「侯爵様、どうかしましたか?」

 浮かない顔をしている侯爵に隣の席に座っていた貴族が心配そうに聞いてくる。侯爵はいやなんでもない。と言いつつも頭の中はあきの事で一杯である……。
 侯爵は上座に座っているエルヴィン王子をちらっと見て思う。――あんな王子にうちのあきを渡してなるものか! と……。
 上座に座っているエルヴィン王子は落ち着きなく周囲をきょろきょろしていた。エルヴィン王子の頭の中では一向に姿を見せることの無いあきはいったいどこにいるのだろうと思っていた。
 舞踏会の挨拶のときに侯爵からあきは欠席すると言われていたのだったが、エルヴィン王子の頭の中にはそんな事は綺麗さっぱりなくなっている様だ。そらにそんなエルヴィン王子の様子に国王は頭を抱えそうになっていた。そっと漏らした溜息が悲しく思える。


 晩餐会が終わった後の喫煙室でロパートが葉巻を吸っているところへラッセンディルが部屋に入ってきた。喫煙室には西の塔の研究者の1人であるエンリケ・フォン・ベラスケス男爵が葉巻を吸っていた。ベラスケス男爵は最近頭の毛が薄くなってきたのを気にしている30半ばで、西の塔には妻子を置いて研究に来ていた。塔では家畜の改良を研究しているという西の塔でも物好きな研究者だと思われているが、自分の所の男爵領では家畜の放牧を推奨していて、男爵の研究によって改良された家畜はベラスケス男爵領の特産品となっている。男爵の研究のお蔭で男爵領はそこそこ裕福な環境にあり、領民からの評判も悪くない。ラッセンディルはロパートに軽く会釈をするとベラスケス男爵に近づき話をし始める。

「よお、フリッツ。今日はあき嬢はどうしたんだ。姿が見えないが?」

 ラッセンディルに問いかけるベラスケス男爵の言葉に喫煙室にいた貴族達の耳がピクッと動く。ラッセンディルは肩を竦めて指先で頬をかくと「侯爵に止められてな」と言った。

「ほほう。侯爵様はあき嬢をエルヴィン王子に会わせたくないのだな」
「どうもそうらしい」

 部屋の中にいた貴族達の間で「なるほど」と納得したような空気が流れた。
 ラッセンディルは部屋のテーブルに置かれているシガーケースから一本取り出すと口に銜え火をつける。ふぅ~と煙を吹き出して再び、ベラスケス男爵と向き合い会話を続けた。

「しかしそれならフリッツも舞踏会に参加せずにあき嬢のお相手をしていれば良かったのに?」
「……侯爵に無理矢理連れてこられたんだ」
「ははあ~。侯爵に警戒されているな」
「どうもそうらしい」
「侯爵はあき嬢には甘いからな」
「まったくだ」

 ラッセンディルはターレンハイム家で留守番をしているあきの事を思い浮かべ、溜息をつく。こうして離れていると焦燥感がわきあがってくるような気がしていた。ラッセンディルが会話をしているところから少しだけ離れた場所でロパートも他の貴族達と会話をしていた。

「それにしてもあき嬢が来ないとつまらんな……」
「……そうだな」
「だいたいだな。今日ここに集まった貴族の大半はあき嬢が目当てなんだからな」
「そうなのか?」
「ああ、王妃があき嬢はいいお嫁さんになると仰ってからと言うもの、どうやらあき嬢の価値にようやく気づいたらしい。まったく見る目の無い連中だ。そうは思わんか?」
「あきの価値か……」
「簡単に言えば、容姿性格は勿論の事だが、まず『聖女』の称号だ。それに神聖魔法の使い手というのもある。さらにはターレンハイム家と繋がりが出来るというのもあるな。ここまでくれば狙っている貴族も多いぞ。敵はルリタニアの貴族だけではないしな、他の国からも狙われているらしいぞ」
「まったく困ったものだ」
「しかし一番のライバルと言えば、あいつか」

 そう言うと会話をしていた貴族がちらっとラッセンディルの方を見た。ロパートは葉巻を銜えたまま軽く頷く。

「見合いの際にあいつはあき嬢を連れて逃げようとしたのだったな……」
「そうだな」
「ありゃあ派手だった。王妃も驚いていたようだったし、ご自分の若い頃を思い出したそうだ」
「どうしたものか?」

 ロパートはじっと葉巻の火を見つめ考え込んでいる。
 まったくどうしてこんな気持ちになるのか自分でも分からなかったが、気になるものは仕方が無い。ロパートはあきと初めて会ったときの事を思い出していた。
 思い出してみれば、初めて会ったときから気になっていたとも思う。その時はルパート達と楽しそうにしていたから気にならなかったが、やはりあきの結婚というのが王妃の手によって実現しようとしたからなのか? あの時あきをルートリッヒに渡したくないと本気で思ったのだった……。


 侯爵は国王の間で国王に対して酒に酔って絡んでいた。

「でやんでー。うちのあきをてめえとこのエルヴィンの坊主なんぞにやれるかっつうんだ!」
「おいおい。ルドルフ……」
「あきはな~うちのお姫様だぞ~。それをあの小僧がー! つまみ食いしようなんぞと、喧嘩売ってんのかー。がぁー」
「エルヴィンには私からも慎むように言い聞かせよう」
「……そうしてくれ」

 酔っぱらってくだを巻く侯爵を見ながら国王は頭を抱えたくなってしまった。
 まったく国内で最大規模の大貴族の令嬢に手を出そうなどと……わが子ながらエルヴィンも、もう少し思慮深く行動してくれれば良いものを。それは国王にとって偽らざる本音であった……。
 
 こうして様々な思惑を孕んだ舞踏会が終わりを告げた。侯爵達は帰りの馬車の中で行きと同じように微妙な空気を漂わせながら帰っていった。


 ターレンハイム家に侯爵達が帰って来た頃、あきとメイド達はエステルと共に庭で踊っていた。食事の後で舞踏会の話になり、私達も踊りたいな~と言い出したのを聞きつけたメイド達の内数名が生まれ育った村の踊りです。と言って踊りだしたのが原因だったが、結構みんなノリが良くって夢中になって踊っていたのだった。
 その光景はまるで村の盆踊りのようである。

「あきさまー楽しいですねー」
「うん。楽しいよねー」
「たのしいのー」

 エステルも輪の中心で楽しそうに踊っている。
 庭の中であき達がきゃっきゃっと騒ぐ声が響いていた。


 侯爵は庭で踊っているあきたちを見て驚いた。いったいこれは何事だ?

「あ、あき……?」
「あっ侯爵ーおかえりなさーい」
「あ、ああ、ただいま……」

 侯爵が帰って来たのを見てあき達は踊るのをやめて館の中へと入っていく。大人しく侯爵も一緒についてきた。
 そして侯爵は不思議そうな顔をしながら、あきに問いかける。

「さっきのはいったい?」
「うん。……えーっとメイドさんの村の踊りだよ。みんなで踊ってただけ」
「お、おおーそうかそうか、そうだったのか。楽しかったかね」
「うん。たのしかったよー」

 侯爵は舞踏会に行けなくて寂しそうにしていたであろうあきを見かねてメイド達が庭での踊りに誘ったのだろうと解釈していた。村の踊りなのはメイド達にとっては宮廷でのダンスなど踊れないだろうからと思い。怒る気にはなれずにいる。
 侯爵がそんな事を考えているとサロンからあきがみけとぽちを持ってやってくる。

「侯爵ーみけとぽちのどっちがいい?」
「うん?」
「ぬいぐるみを作ったの。それでね侯爵にあげるから、どっちが欲しい?」

 あきは両手に抱っこしたぬいぐるみを侯爵に差し出して聞く。侯爵はう~んとあごを擦りながら考え、こっちの犬にしようと言った。あきからこいぬのぬいぐるみを貰った侯爵はぬいぐるみを抱き締め頬擦りをして喜んだ。

「おお! あきのお手製のぬいぐるみか、うれしいな……」

 そうして背後を振り返りロパートとラッセンディルに見せびらかすように抱きかかえた。

「どうじゃ。いいだろうー!」

 あきはそんな侯爵をみけを抱きかかえたまま首を傾げてどうしたんだろう? と思いつつ見ていた。ロパートとラッセンディルは溜息をつき、うれしそうな侯爵を見つめている。
 しかしぬいぐるみがみけとぽちの2つしかないと知ると……悔しそうな顔をする。

「ちっ!」
「くそっ」
「どうだー。あきに貰ったぬいぐるみだー♪」

 侯爵はぬいぐるみを抱き締めサロンの中をくるくる回って頬擦りしている。うれしそうな侯爵を見たあきはにこにこしていた。

「やはり、言った通りになりましたね」
「ええ、侯爵様はお喜びになり、ロパート様とラッセンディルの2人は悔しそうにしていますわ」
「あき様って……」
「意外と男を手玉に取ってる?」
「本人はまったくそんな気はないようなんだけど……?」

 あき達の周りでメイド達がひそひそ話し合っている。コーデリアががっくりと肩を落とし「なんだかな~」と呟いてタルコットに肩を叩かれていた。ルパートは我関せずとばかりにサロンの椅子に座り紅茶を飲んでいる。
 コーデリアがあきに宮殿での舞踏会の様子を話していた。中でもエルヴィン・ルリタニアの話題になり、王子の印象を話すとあきの表情が曇る。

「……それじゃ~エルの方が王子様っぽいね」
「確かにそうじゃ。なんのかんのと言うてもエルは王族としてふさわしい能力を持っているからのー」
「うまくいかないよねー」

 あきとコーデリアが話している所へ侯爵がやってきて「あんな王子に輿入れなどさせんから安心したまえ!」と力強く言い切った。侯爵の言葉に安心すると共に嫁に行くのはちょっとなーと思うあきである。

 ――パンパンとリズミカルに2つの音が聞こえた。

 あきとコーデリアが振り向くとタルコットがルパートとラッセンディルの頭を叩く音だ。

「あんたらなに、聞き耳立ててるんや? もうちょっとしゃきっとせいや」

 タルコットに言われ、小さくなりながら聞いている2人である。あきはその様子が少し気になったがルパートにもうお休みなさいと言われて部屋に連れて行かれてしまう。あきを抱きかかえて部屋へと向かうルパートの姿を見て2人は腰を浮かせかけたがタルコットにバシッと頭を叩かれ椅子に座りなおした。

「あんたらも情け無い事ばっかりしとるとルパートに取られるで! なんのかんのと言うてもあんたら3人の中やったら、あきはルパートの事を一番頼りにしてるんやからな!」
「ルパートの事をか?」
「そうやで、あきにとってはルパートは頼りになるお父さんみたいな感じなんや。侯爵の事は優しいおじいちゃんみたいに思ってるけどな」

 ロパートとラッセンディルはがっくりとしていた。ぎゅーっとルパートにしがみ付いていたあきの姿を思い浮かべ肩を落とす。
 もしかすると……。

「もしかしなくても、ルパートが一番のライバルじゃ」
「あんたらはひょっとしたらまだ、スタートラインにもついてないかもしれんで」
「まあ、これから頑張る事じゃな」

 そう言うとコーデリアとタルコットは自分達の部屋へと戻っていく。
 後に残された2人はしばし考え込んでいる。いつのまにか侯爵もいなくなっていた。

 あきはルパートにベットまで連れてこられていた。ゆっくりと降ろされごろんと転がったあきにルパートはシーツをかける。そうしてポンポンとあきの体を軽く叩いて部屋をでていこうとする。

「ルパート。おやすみなさーい」
「ええ、あき。おやすみなさい」

 部屋の明かりが消され、あきは眠りに落ちていった。両手で抱きかかえるようにしてみけを抱き締めている。
 いつしかすーすーとあきの寝息が部屋の中で聞こえていた。
 同じ頃、侯爵もベットの中にあきが作ったぽちを抱き、寝ようとしていた。

「そういえば、昔もこうやってヴェロニカを寝かしてやったものだ……」

 侯爵はぽちの頭を撫でながら眠った。

 サロンから喫煙室に場所を移したロパートとラッセンディルの2人が酒を飲んでいる。2人ともぐいぐいとグラスに入った酒を飲み干しながら文句を言い合っている。
 酒盛りというよりやけ酒のようになっていた。
 喫煙室の前を通りかかったルパートはそっと溜息をつくと足早に自室へと向かう。

「ほんと、どうしたものかしら?」

 頭を抱えそうになっている。
 別の場所、コーデリア達の寝室でも頭を抱えている2人がいる。

「しっかし、なんであんなに情けなくなってしまうんやろ?」
「2人とも我が道を行くって感じじゃったのに……な」
「あれやったらエルヴィン王子の事笑われへんで」
「まあ、あれと比較するのもどうかとは思うのじゃが」
「これからどうなるんやろな?」
「分からんのじゃ……」

 この夜、ターレンハイム家のあちらこちらでひそひそと交わされる囁き声が夜遅くまで聞こえていた。



[12791] 第40話 「桜の森の満開の下 夢の中の見えない指輪」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/24 22:10

 第40話 「桜の森の満開の下 夢の中の見えない指輪」


 4月、萌葱の月はメイヴという酒の神が守護神である。季節はこの月になってようやく春らしく草木も彩りを讃えていく。

 わたしはターレンハイム家の庭を散歩しているうちに桜の木があることに気づいてしまった。まだ満開には少し早い蕾が枝について花が開くのを待ちかねているようだ。
 しかしどこから桜の木が来たのだろうか? 不思議だと思う。
 まあそれは兎も角、春である。桜の木もあるとなればやる事は1つ――。

「お花見だー!」

 わたしはうきうきしながら桜の木の周囲を歩いていく。春らしく淡いピンクの軽くて薄いドレスを身に纏い、重たいブーツではなく軽いヒールを履いていると、微かに流れてくる風までも肌に心地いい気分だった。
 桜の木を離れ、ターレンハイムの館の近くにまで戻ってくるとコーデリアが庭に出したテーブルの席について紅茶を飲んでいる。遠くから歩いてくるわたしに気づいたようで、テーブルの上に置かれたカップにわたしの分の紅茶を入れて待っていた。

「あき、散歩か?」
「うん。そうだよ。コーデリアはお茶を飲んでたの?」
「うむ。読書のついでにな」

 コーデリアはそう言うとテーブルの上に読んでいた本を置く。テーブルには春らしく色とりどりの花束と沢山のお菓子でが飾られ、花の香りとお菓子の甘い匂いで噎せ返りそうになるほどだ。その中で紅茶の香りが微かに漂ってきていた。わたしはお皿に盛られている細いクッキーを摘み、そっと舌の上に乗せて味わう。口の中でクッキーはさくっとした歯ざわりと甘くそしてほんの少しだけほろ苦い味が広がる。
 空には暖かいお日様が昇り、白い雲が緩やかに流れていく。庭のあちこちでは若芽が萌え、春の日差しの中で輝いている。春眠暁を覚えず。そんな言葉を思い出すほどに心地いい。こうして座って庭を眺めていると眠たくなってしまう……。

「おやおや。眠たくなってしまったようじゃ」
「うん。おやすみー」

 あきはコーデリアにそう言うと、庭に置かれている椅子に座ったまま夢の中へと落ちていった。


 目を開けてみると目の前には一面の桜吹雪が舞い散っている。
 周囲をぐるりと見ても誰もいない。足元には桜の花びらが敷き詰められ薄紅色に染まっていた。風が微かに吹いている。ぽつんと1人でいるのが寂しく感じられてエステルを呼んでみても返事は返ってこない。ゆっくりと桜の木に近づいて太い幹にもたれて舞い落ちる花びらを目で追う。降り注ぐ花びらがまるで雨の様に視界を遮っていた。
 びゅ~っと強い一陣の風が吹いた。花びらが空へと舞い上がりどこかへ飛ばされていく。
 花びらのカーテンが途切れ、舞い落ちる花びらの向こうから誰かの影のような姿があらわれる。

「だれ?」

 わたしが声を掛けるとその黒い人影がゆっくりと近づいてくる。段々と近づいてくるにつれ姿がはっきりとしていく。黒い紋絹のマントにはルビーの留め金でつけた銀色のレースがかぶさっている。マントの下には銀綾織の胴着が見え、凝った針目の手編みの黒レースが縁取りについて、金ボタンが何列も飾ってあった。マントや胴着と同じように黒いズボンにも銀糸で刺繍が編みこまれている。ベルトの代わりに蝶結びになった皮の飾りが巻かれてある。目深く被った帽子の上で白い羽飾りがささやかな微風によって揺れていた。

「――あき」

 私の傍に近づいてきた影が口を開く。その声はラッセンディルだった。いつもの黒いローブはなくて、まるで仮面舞踏会に出席するような格好で目の前に立っている。

「……ラッセンディル?」

 ……どうしたの、という言葉を飲み込む。ラッセンディルの表情や目がとても真剣で鋭く思わず目を逸らしてしまいそうになる。でもなぜか目を逸らす事ができない。体が動かなくてその場に釘付けにされてしまったよう。じっと息を飲んで見つめ返していた。
 ラッセンディルは懐から黒いビロードに包まれた小さな箱を取りだして開く。中には青いサファイアを填めた指輪が入っていた。
 指輪を取り出すと私の左手を握り締めて薬指に指輪をそおっと填めていく。

「……ラッセンディル。これって?」
「受け取ってくれないか?」
「えっ? えっ?」
「……あき。好きだ」
「えーっ?」

 ラッセンディルの手がわたわたと慌てているわたしのあごの先に添えられ上を向かせていく。そうして抱き締められ、見つめあい。顔が近づいて唇が重なる。






「ふにゃー!」
「ど、どうしたのじゃ?」

 叫び声を上げて目を覚ますと辺りには桜の木はなく、庭に供えられたテーブルと椅子がある。椅子に座ったままの格好で、はあはあと息を切らせていた。コーデリアの顔が心配そうに覗き込んでいる。
 ……な、なんで? こんな夢を見るんだろう? もしかしてあんな願望があったとか? うそー? そんな事無いそんな事無い。
 わたしは首を振って忘れようとする。おそらく顔が真っ赤になっていると思う。両手で顔を隠して俯いた。

「ふみゅ~ん」
「……あき。どうしたと言うのじゃ?」

 コーデリアに体を揺さぶられてがくがく揺れる。
 でもこんな夢の事なんて言えないよー。どうしよう? しかもなんで相手がラッセンディルなの? うわーん。べ、別にラッセンディルだから嫌だという訳じゃなくて! え~っと、なんというのか、相手は男……うん。そうそう男相手にそんな関係になるのは抵抗があるというか。うわーん。どうしよー。メイドさんたちだったらまだ、そう! まだ良かったよー!
 顔を覆っていた両手を離して左手の薬指を見つめる。そこには指輪はなかったが、唇にはさっきの感触が残っているような気がした。唇に右手の指先で触れるとさっきまでの感触を思い出し、顔が熱くなってしまう。

「ふにゅー!」
「どうしたのじゃ! 顔が真っ赤じゃぞ!」

 わたしはふらふらと椅子から立ち上がると館の方へ歩いていく。コーデリアが心配そうにわたしを支えて一緒に歩く。
 わたしの頭の中はさっきの夢の事で一杯になっていた。よろよろ館の中へ入っていくと、侯爵とルパートが話をしていた。ルパートが真っ赤になっているわたしに気づき近づいてきた。

「あき、どうしたの、熱でもあるんじゃないの?」
「なに? 熱だと! それはいかん。早くベットで休みなさい」

 侯爵はメイド達に指示を出してわたしに早く寝なさいと言う。
 わたしはコーデリアとルパートに支えられて寝室へと向かいベットに横たわる。でも寝るのが怖い。さっきの続きを見たらどうしよう? そんな考えが浮かんで、中々寝付けない。
 ベットの傍ではメイドさんが心配そうに見つめていた。
 額に冷たく絞った布が置かれて、そこからひんやりと考えすぎて熱が出そうな頭を冷やしていくようだった。
 目を瞑って考えないようにしていると、うとうとと眠気がやってきて再び、夢の中へと誘われていく。


 夢の中で目覚めてみれば、わたしは桜の木の下でぺたんと座り込んでいる。傍にラッセンディルが居ない事を確認するとほっと溜息をつく。のろのろと起き上がり、桜の木から離れて歩き出す。微かに風が流れて桜吹雪が舞い。辺りは一面の薄紅色。薄明るい光が周囲をぼおっと照らし、乳白色の光が道を示している。
 わたしは光に誘われるように歩いていく。どれぐらい歩いたのだろうか? 足元もはっきりとしない場所で道に迷うように歩き続ける。つま先が何かに引っかかって前のめりに倒れこんでいく。両手を前にして固い地面にぶつかるのを覚悟していたのだけど……。ぽすっと柔らかい羽毛布団を敷き詰めたような柔らかい感触が体を包み込む。

「――あき」

 どこからか声が聞こえてきた。

「ら、ラ、ラッセンディル?」
「――そうだ」

 わたしは羽毛布団の上にごろんと仰向けにされてしまった。鼓動が激しくなり胸がどきどきしてる。
 仰向けになったわたしを抱き締めて、ラッセンディルは髪を撫でている。なんだか力が入らなくて頭がぼーっとしてしまう。髪を撫でていた手がわたしの頬に触れ、顔を上げられ見つめられる。しばし見つめ合って、また唇が重なり合う。
 頬に当てられていた手がすーっと下へ降りてわたしの胸に触れる。

「あっ……」

 胸に触れられて思わず声が出てしまった。メイドさんとかコーデリアに触られてもこんな感じにはならないのにどうして?
 もう一方の手が背中に回され、ドレスのホックが外されてするりとドレスから肩が剥きだしになる。ひんやりとした空気が肩に触れてゾクッとする。
 剥きだしになった肩からするするとドレスが脱がされて、ラッセンディルが露になった胸に近づき、唇が乳房に触れた。






「ふなー!」

 叫び声を上げて目を覚ました。

「ま、まただよー。な、ななななんであんな夢を見るかなー?」

 ガタガタと震えながら両手で体を抱き締め、服が乱れていない事を確認してほっと溜息をつく。
 ――もうやだ。寝るの怖い。このまま最後までいったらどうしよう? なんで体が動かなくなるんだろう? わかんないよー? なんで男相手にこんな夢を見るんだろう? ……もしかして無意識に願望があったりするとか? あ、あいでんてぃてぃ~が~崩れていく~。
 ベットの上でガタガタ震えていた。

「あき様。起きられたのですか?」
「う、うん。起きたよ……」
「どうかなされましたか? お顔の色が悪いようですが?」
「だ、大丈夫だよ……うん。大丈夫」
「そうですか? お腹は空いていませんか? 食事ができておりますが」
「――食べる」

 部屋に入ってきたメイドさんに助けられてベットから降りる。お腹は空いてないけど食べないと体が弱ってしまいそう。だから食べなきゃ。そう思ってなんとか食堂へと向かう。
 食堂には侯爵やコーデリア達――そしてラッセンディルが揃っていた。
 じっとわたしを見つめるラッセンディルと目が合った途端、顔から火が出そうなぐらい赤くなってしまう。

「どうしたのかね?」

 公爵に声を掛けられてようやく我に返る。何とか席に座って女神様に祈った。
 ――いったいこれは何事でしょうか?
 そう問いかけてみても女神様から返事がない。
 食事が運ばれてきても、味なんて分からなかった。時折ちらちらとラッセンディルの様子を窺ってきたけれど変わった様子も無い。もしかしてわたしだけがこんな事を考えていて願望が夢に現れたとかないよね? そんな事無いよね? どうしよう……。
 食事の間中、わたしはずーっと考え込んでいた。

 食事の後でコーデリアとタルコットがカードゲームをしようと誘ってくれる。とてもそんな気にはなれなかったのだけど、心配してくれているのが分かるから、お誘いに乗って遊ぶ事にした。

「なにをするの?」
「ババ抜きにしようか、大富豪にするか、それが問題や」
「……ババ抜きにしようよ」

 わたしがそう提案してババ抜きをする事になった。
 配られたカードを揃えて捨てていく。テーブルの上に何枚か組になったカードが置かれている。コーデリアからカードを引き抜き、揃ったカードを捨てていると、目の端にラッセンディルが通り過ぎる。思わず、目で追ってしまう。
 いつもと変わらないその姿に少しだけ、ほんの少しむーっとしてしまった。自分の気持ちが理不尽だと思ってるよ。でもなんでわたしだけ悩んでいるんだろうと思うと八つ当たりしたくなるんだよ。心配してくれてもいいのに……。ふーん、だ。いいもんねー。コーデリア達と一緒に遊んでいるもんねー。
 何度か繰り返しているうちに少し飽きてしまったので、ルパートも誘って今度は大富豪をする。ラッセンディルは誘ってあげないんだから。コーデリアとタルコット。そしてルパートも一緒になって遊んでいる。
 一番運がいいのはタルコットだ。コーデリアはカンが良くってルパートは計算が速くて記憶力がいい。一番弱いのはわたしだった……。

「よっしゃー! うちが大富豪や」
「くーっ、貧民になってしまったのじゃ」
「あたしは富豪ね」
「……大貧民だよー」

 がっくりしてたらコーデリアがうりうりと「大貧民めー」と言いつつ、わたしの手札からカードを?ぎ取っていく。

「ううー。次は負けないもんね」
「返り討ちにしてやるのじゃ」
「ほっほっほ。下々の者は貧しいものよのー」
「……タルコット」

 タルコットが調子に乗っていた。左団扇で扇いでいる。ええい。まけるもんかー。
 それから何度か遊んで、結構遅くになってしまった。

「もうそろそろ休みなさい」

 侯爵がサロンで遊んでいるわたし達に声を掛けてくる。

「はーい」
「もう休むのじゃ」
「そうやな」

 わたし達はサロンを出て部屋へと戻っていく。その途中でわたしはコーデリア達に明日は、桜の木のところでお花見をしようと声を掛ける。

「お花見?」
「なんやそれ?」

 わたしは庭に桜の木がある事を話して元の世界では春になると桜の木を見ながらお酒を飲んだり、食事をしたりしてみんなで騒ぐんだよ。と言って誘う。

「ほうほう。桜の木の下でどんちゃん騒ぎかー。それもええなー」
「わらわは構わぬのじゃ」
「じゃあメイドさんにお弁当を頼んでおこうー」

 コーデリア達と別れてからメイドさんにも話して、お弁当を用意してもらう事にする。侯爵にも話すと侯爵はわしも参加するぞー! と言い出した。という訳で明日はお花見である。楽しみだなー。

 薄いピンクのドレスを脱いで部屋着に着替えるとベットに横たわる……。

「あっ……忘れてた。またあの夢を見るかもしんない。どうしよう?」

 じーっとベットに横たわったまま、固まっていた。

「ほんとに、どうしよう……怖いよー」

 ベットから飛び起きるともう一度ドレスを着ようかどうかと迷っていた。いかに薄いドレスといえど、部屋着よりはマシである。しかし部屋着の方が脱ぎにくいのも確かなんだよね……。ドレスは背中にホックで留めてるけど部屋着は前からボタンで留めてるから。
 よし、部屋着のままで寝てしまおう。前開きボタンに期待だー!
 大丈夫。大丈夫と自分に言い聞かせて再びベットに横たわった。おやすみなさーい……。


 3度、夢の中で目覚めると桜吹雪が舞っている。

「まただよー。なんでー?」

 わたしは周囲を警戒しつつ辺りを見渡す。桜吹雪に遮られて良く見えない。がたがたと震えて蹲ってしまう。
 ……コーデリア、助けてー!
 背後からざくざくと花びらを踏みしめてやってくる足音が聞こえる。振り返ってみれば、ラッセンディルが立っていた。

「――あき」
「うーうー」

 涙目になって睨んでいる。そうしたらラッセンディルはわたしの隣に座って桜を見上げた。しばらくそうしていたかと思うとわたしの方を振り返って、伸ばされた腕で抱き寄せられてしまう。
 わたわた慌てて振りほどこうとしても案外力が強くて振りほどけない。そのままじーっと動けずにいた。
 ラッセンディルはわたしを抱き締めたまま桜を見上げていた。抱き締めている腕が少し緩んだ。頭を動かしてラッセンディルを見上げていると少し寂しそうな目をしたラッセンディルの表情が見える。動けなくなったまま2人で桜を見上げていた。
 押し付けられた耳に鼓動がまるで子守唄のように聞こえて体中の力が抜けていく。そうして目を瞑るとラッセンディルの鼓動の音を聞きながら夢の中で眠ってしまった。
 夢の中で見る夢で、わたしとラッセンディルの鼓動の音が重なっているような気がした。きっとラッセンディルにもわたしの鼓動の音が聞こえているんだろう。そう思うとなんだかおかしな気分だった。

「……あき」
「なにかな、ラッセンディル?」
「フリッツだ。そう呼んでくれないか?」
「フリッツ?」
「フリッツ・フォン・ラッセンディルだ」




 朝、目が覚めてみると頭がぼーっとしている。なんだかまだ夢を見ているような気がする。特に嫌な夢じゃなかったのは良かったけど、よく考えるともの凄く恥ずかしいような気もするような? なんだかよく分からない気持ちになっていた。
 ベットから降りてカーテンを開くと朝日が眩しい。窓を開き、風を入れる。微かに流れてくる風に乗って花の匂いが部屋の中に広がっていった。

「う~ん。今日もいい天気だよー」

 う~んと背伸びをする。その頃になってメイドさん達が入ってきた。手には着替えのドレス一式を持っている。今日もまた着替えさせられてしまうのね。毎日の事とはいえ朝からがっくりとしてしまう。
 部屋着を脱いで今日も薄い春物のドレスに着替えた。緑色のドレスは腰のところからふわっと広がっていてスカートの下にはフリルや刺繍で飾られたぺティコートを身に着けている。そしてさらに絹のストッキングを穿くと案外温いのだ。春とはいえまだまだ肌寒いからね。こうやって防寒対策をしているのだよ。ほっほっほ。でも足元には靴下が欲しいな~。ブーツじゃないからつま先が……。他にもイヤリングだとか、ネックレスとかブレスレットなんかも着けられてしまう。
 ただ……指輪を填められそうになった時には、流石にやめてもらった。指輪をしていない両手を見ていると左手の薬指にあのサファイアの指輪が嵌っている幻が見えて、思い出すと少し気恥ずかしい気もする。
 鏡の前でそんな風に照れていたらメイドさんが不思議そうな顔をして見ている顔が映っていた。

「あき様。どうかなされましたか?」
「ううん。なんでもないよー」
「そうですか~?」
「そうそう。なんでもない、なんでもない」
 
 着替え終わるとメイドさん達は一旦下がっていく。わたしもその後から廊下に出てサロンへと向かう。螺旋階段の上でラッセンディル、いやフリッツとばったり会う。

「おはよう――あき」
「おはよう。フリッツ――」

 朝の挨拶をするとラッセンディル――フリッツが少し笑う。
 そうして2人並んで螺旋階段を下りてサロンへと向かった。

 サロンには既に侯爵やコーデリア達が待っていた。わたしとフリッツが一緒に姿を見せるとコーデリアが驚いたような顔をする。コーデリアはわたしに近づいてくると、小声で問いかけてきた。

「どうしたのじゃ?」
「なにが?」
「いや珍しく2人揃って来たものじゃから……」
「階段の上でばったり会っただけだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「それならば良いのじゃが……」

 コーデリアが首を振りながらテーブルの前の椅子に座る。隣にはタルコットがいた。今日はみんなでお花見だ。メイドさん達がもうすでに桜の木のところへ行って用意してくれているらしい。
 わたし達はみんな一緒に出かける。あっ……ロパートさんは今日も銀行に向かっている。どうやら忙しいようだ。仕方ないよね? ロパートさんは今度一緒に遊ぼうー。
 
 みんなでてくてく桜の木まで歩いていく。こうやって歩いてると遠足みたいだ。小さい頃は面倒だと思っていたのにこうして歩いていくのもなんだか楽しい。コーデリアとタルコットの2人が日傘を差してくるくる回している。時折ぶつけ合って遊んでいた。
 侯爵は桜の木の由来を話している。なんでもかなり昔、侯爵が若い頃に根っこごと吹き飛ばされていたのを見つけた侯爵が庭に植えたらしい。どこから来たものなのかは分からないと言ってた。それに一々相槌を打っているフリッツ。館を出た時から侯爵に捕まって相手をさせられていた。わたしはルパートと並んで話をしながら歩いている。途中で羽帽子が飛んでいってしまいそうになるのをルパートが押さえてくれた。

「ほら、あき。気をつけなさい」
「はーい」
「コーデリアとタルコットもいつまでも遊んでいないの」
「うむ」
「へいへい」

 ルパートに注意をされて2人が日傘をぶつけ合うのをやめた。憮然としているコーデリア達の様子を見てわたしは少し笑ってしまう。そうしたらコーデリアに睨まれてしまった。

「こりゃ、ラッセンディル男爵。どこを見ているのかね」
「あ、いや別に……」

 侯爵に怒られているフリッツ。あ~あ、余所見なんかしてるから……怒られるんだよー。慌てているフリッツを見て思わず、くすくす笑ってしまいそうになる。口元を押さえて笑いを堪えていたら、コーデリアとタルコットがじーっと見つめていた。

「どうしたのかな?」
「いや、なんというか……」
「あき。あんた、えらくかわいくなったなー」
「うむ。ついこの間までわたわた慌ててばかりじゃったのに……なんというか、その~」
「なに?」
「――女の子やな。すっかり女の子が板についてきたな」
「おお、そうじゃ。その通りじゃ」
「……女の子?」

 コーデリアとタルコットがお互いに頷き合っているのを見て、ショックを受ける。気づかないうちにさらに女性化が進んでいたのか? なんでこうなるんだろう? もう自分で自分の事が分からなくなってきたよ……。
 がっくりしてたらコーデリアとタルコットが慰めてくる。背中を擦られて気にするでない。と言われた。

「そうやで、別に悪い事やないで」
「うむ。女性化が進むのは良い事だと思うぞ」
「あきも女として生きていかんとならんのやから、うまく女性として違和感がなくなっていくのは結構な事やないか?」
「その通りじゃ。ヘンに男のままでいる方が生き難くなるのじゃ」
「うちらから言う事は1つや。『あきらめ』」
「そうじゃ。あきらめて女として生きていくのじゃ!」
「ううー」

 昨日からの夢といい、なんでこんな事になるんだろうか? 最近おかしいよね……。泣きたくなって来た。

 桜の木へとやってきた。桜の木は夢で見たように満開に咲いていた。昨日はまだ蕾だったのに……一夜にして咲き誇っている。メイドさん達が用意してくれていた場所に座って、みんなで桜の花を見ていた。
 桜の木の下には死体が埋まっているという話もあったよね? これまでは気にならなかったけど、昨日の夢を見たからかそんな事を思い出していた。侯爵がフリッツに酒を飲んで絡んでいる。コーデリアとタルコットは並べられているお菓子に夢中だ。わたしはお皿の上からクッキーを摘んで口に放り込んでいた。噛み締める。ほろ苦い味が口の中に広がって今の気分にぴったりだった。

「あき。踊りましょうか?」

 ルパートに声を掛けられて我に返る。周りではいつの間にかコーデリアやタルコット、メイドさん達が踊っていた。
 わたしも立ち上がるとルパートの手を取って踊りだす。桜の木の下でくるくる回って踊る。相手がルパートから侯爵へと変わり、コーデリアになりタルコットと踊って……フリッツになった。

「……あき」
「どうしたの?」
「俺は――――」

 わたしは指でフリッツの口を塞ぐ。なんとなく言いたい言葉が分かった。でも聞いたら何かが変わってしまいそうでまだ聞きたくない。

「――ごめんね。まだ自分の中で整理がついてないんだよ。なんと言っていいのか分からないけど……」
「……そうか」

 本当にちゃんと考えなきゃならないんだよね。どうなるのか分からないけど、でも答えは出さなきゃね。だからそれまでは待って貰おう。

「ちゃんと、答えは出すから、……ごめんね」
「ああ、待つさ」

 そうしてしばらく2人で踊る。周りではコーデリア達が笑って、侯爵はハンカチを咥えてキィーって言ってた。ルパートはにこにこ笑ってタルコットと踊っている。メイドさん達も踊っていて、楽しそうだ。
 見上げると桜の木から花びらが舞い降りてくる。そうして風が吹いて花びらが空へと舞い上がり、空には桜吹雪が舞っていた。
 みんな踊ったり、お酒を飲んだりお菓子を食べたりして楽しく過ごしている。踊り終わったときにフリッツがわたしの左手のくすり指にキスをした。夢の中で填められたサファイアの指輪がある場所だ。
 それを見た侯爵にフリッツはどーんと突き飛ばされる。その上にコーデリアに踏みつけにされタルコットにぽかぽか叩かれてる。どうも最後まで決まらないな~。

「あき! 大丈夫? 消毒する?」
「大丈夫だよー」
「いや、ちゃんと消毒するのじゃ!」
「おのれー! あきに何をするー!」

 結局はいつも通りにみんなだった。と言ってもおかしかったのはわたしだけだったかも? そんな気もする。騒いでいるみんなを見ながら、もう少しこのままでもいいかな? そう思っていた。

「あきー。なにを笑っておるのじゃ!」
「そうやで! 復讐するは我にありや!」
「絞首刑にしてくれるわー」
「あんまり騒いじゃダメよ」

 ルパートがみんなに注意をして引き剥がしていく。わたしもルパートを手伝って騒いでいる侯爵を止めていった。

「あきー。止めないでくれー」
「もうー。侯爵さまー」

 ぽかっと侯爵の頭を叩いた。侯爵は叩かれた頭を抱えて「あきが反抗期になったー」と泣き出してしまう。

「侯爵様……おかわいそう」
「あき様。反抗期ー」
「ぐれちゃったんですねー」
「あきさまーぐれちゃった」

 メイドさん達も騒ぎ出す。わたしの周りを廻って、きゃわきゃわ言ってる。
 こうしてお花見は一日中、大騒ぎのままだった……。
 夜も近くなって疲れきったわたし達は早めに寝る事にした。今日は夢を見ないように寝る前に祈っておいた。
 


 お花見からしばらく経った。どうやらあれ以来、気がつくとなんだかくすり指が熱く感じられる。
 ――わたしの左手のくすり指には見えない指輪がはまっている。はずしてしまう気はないけどね、時折見えない指輪を見つめるようになった。



[12791] 第41話 「嵐の夜 ブラウンシュヴァイク侯爵家――白の城」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/12/27 18:33

 第41話 「嵐の夜 ブラウンシュヴァイク侯爵家――白の城」


 お花見の次の日、まだ日も昇っていない頃――。
 わたしはロパートさんに起こされた。春眠暁を覚えず、というわけでベットで惰眠を貪っていたというのに……。フリッツとロパートさん達のお弁当はコックさんに任せてしまおう。知らないもんねー。ねむいのー。ベットの中でごそごそ丸まってたらロパートさんが体を揺さぶってくる。

「こら。あき、起きろ!」
「ふみー?」

 体を揺さぶられてぐらぐらして目が覚めてしまった。眠い目を擦って見てみるとロパートさんがベットの傍で立ってる。

「ようやく起きたか、はぁ~」
「いきなり溜息なんかついて、どうしたのー?」

 ロパートさんは溜息をつきながらわたしを見下ろしてる。どうしたんだろう? 何か予定があったかな……? ロパートさんに引きずられるようにしてベットから起こされてしまう。目を瞑ったまま、う~んとベットの端に座って背伸びをする。薄目を開けてみるとロパートさんがじーっとわたしの方を見てる?

「あき様!」
「ロパート様はあっちへ行っててください」
「お、おう」

 メイドさんが走ってきてロパートさんは部屋から慌てて出て行く。

「どうしたのかな?」
「あき様。寝巻きが乱れております!」
「えっ?」

 メイドさんに言われて見てみる。部屋着の前のボタンが外れてはだけた部屋着から胸が見えてた……。
 もしかしてロパートさんに見られた?

「はい。もうはっきりと!」
「本当に?」
「そりゃもう、じーっとあき様の乳を見ておりましたから……」
「い、いやー!」

 慌てて部屋着の前を隠す。うわーん、見られた。苦しいから寝る事はビスチェは付けてないんだよー。ぐしぐし少し泣いて、それからメイドさんに着替えを手伝って貰いながら着替える。いつの間にかビスチェにもペティコートにも慣れてしまった。今日のドレスは青っぽいペパーミントグリーンなんだよ。首元にはスノーホワイトのレース。スカートにも青いレースが飾られている。ドレスの下には生命の腕輪をつけてる。
 エメラルドのイヤリングをつけてドワーフのブレスレットも手首に填める。メイドさん達に勧められた銀のアンクレットも足首につける。黒いストッキングの上にアンクレットが光っている。その後でヒールを履く。その間にもメイドさんに化粧をして貰っていた。今日の帽子は薔薇の飾りがついてるんだよ。でもなぜか黒いの……。
 メイドさんが部屋の扉を開けるとロパートさんが入ってくる。

「……ようやく着替え終わったか?」
「うん。終わったよ」
「女の着替えは時間がかかるな」
「そうでもないよ」

 そう返事をすると、ロパートさんが肩を竦める。
 なんだろう? 急いでいたんじゃないの?

「――ああ、今日はブラウンシュヴァイク侯爵の館に呼ばれていてな。あきも連れてきて欲しいとの事だ」
「……わたしも?」
「そうだ。ブラウンシュヴァイク侯爵にはいたくあきの事を気にしているらしい」
「なんで?」

 そう言ったら、ロパートさんは大げさに溜息をつく。

「――あき。ブラウンシュヴァイク侯爵の孫であるルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵との見合いを壊しただろう?」
「あーそんな事もあったね」
「それで侯爵はあきに会ってみたいと言い出したんだ。という訳で今日は、ブラウンシュヴァイク侯爵家へ向かうぞ」
「ええー! そんな~」
「ぐずぐずしてないで、行くぞ!」

 こうして強引にロパートさんに馬車に押し込められてしまった。馬車の中でわたしはごはんー。とか心の準備がー! と騒いでいたのだけど……ロパートさんは聞いてくれなくて、さっさと馬車を走らせていく。玄関を振り返るとメイドさん達が手を振ってた。
 もっともお腹が空いたら食べてくださいとバスケットを渡してくれたので、わたしは泣きそうになりながらバスケットを開けて中に入っているパンをもそもそ齧ってる。1人で馬車の中にいても話し相手がいないから寂しいんだよー。それなのにロパートさんのばかー!
 馬車の中にはなぜか、大きな鞄が入っていて中を見ると着替えが一式詰め込まれてた。

「なんでー? お泊りなのー?」

 馬車の中でわたしはかえりたーい。と騒ぎ、手綱を取ってるロパートさんに「うるさい!」と怒られた。でもー勝手に連れてきてうるさいはないよー。うわーん、コーデリア、タルコット、ルパート、フリッツ! 助けてー!
 ロパートさんがなぜか、フリッツの名が出たとき、ばしっと屋根を叩いて怒る、なんでー?

「あいつの名は出すな!」
「なんでー?」
「何でもだ!」

 ロパートさんはなんか機嫌が悪くなった……。急に馬車の運転が荒くなる。ガタガタ揺れる馬車の中でわたしは両手を握り締めて泣きたいのを我慢してる。もうやだー帰りたい。
 
 馬車はどんどん遠くへ走っていく。ファブリスの街を出て街道を南に進んでオルフィラの滝を通り過ぎ、ヘンリエッテちゃんの住む別荘も通り過ぎていく。そこから馬車は山の上へと上っていった。
 ごつごつした岩場を越えて、鬱蒼とした木々の中を走っている。馬車の中から外を覗くと山の中腹に白いお城が見えてきた。大きな屋根のそばに2つの尖塔が左右に立ってる。遠くから見ると3本の塔のようだ。でもお城の壁も塔の壁も白い。というより白以外の色が使われてない。なんでだろう?

「あれがブラウンシュヴァイク侯爵家の城だ」
「ふわー。大きくて白いお城だねー?」
「ああ、ブラウンシュヴァイク侯爵家。通称――白の城だ」

 山の中に入った途端に急に天気が崩れて雨が降り出しそうになってる。黒い雲が厚く空を覆っていた。なんだかゴロゴロと雷も鳴り出す。ゴシックホラーっぽい雰囲気が漂いだした。
 ぽつぽつ降り出した雨があっという間に土砂降りとなり、白の城に辿り着いた時には激しい雷雨になる。
 門の前には騎士が立って私たちを待っていた。

「ロパート・フォン・ターレンハイムと侯爵家令嬢あきだ」
「はっ! お待ちしておりました。どうぞ中へお入り下さい」

 ロパートさんは馬車を門の中へと入れ、ブラウンシュヴァイク城の広い庭へと進んでいく。
 玄関に横付けされた馬車の出口から玄関の中にまで大きな天幕が広げられて雨に濡れないようにしてくれている。馬車を操っていたロパートさんはびしょ濡れだったけどわたしは濡れずにお城の中へ入る事ができた。
 玄関の前には大勢のメイドさん達と執事さんが立ってる。わたしが玄関の前にやってくると執事さんが玄関の扉を開けて中へと招き入れてくれる。中に入るときに執事さんがロパートさんは後から来ますと教えてくれた。

 中に入るとブラウンシュヴァイク城はターレンハイム家とは違い、薄暗くとても怖い怪物の絵とか像がたくさん並んでいる。正面にある階段の踊り場に上に大きな絵が飾られていてその絵の中には裸の女性が何人もの男に襲われている絵だった。
 ――趣味悪。
 思わず口に出そうになる。そう思って壁に掛けられている絵をぐるッと見てみる。どの絵も女性が怪物に襲われている。それも拷問に掛けられたりとかしていて、見ていて気分のいいものじゃない。
 裸の女性の絵を飾るにしてももう少し、綺麗な絵だったらいいんだけど……もしくはHな奴とかならまだ分かるけどさ。あっ、でも1つだけ船に乗り込もうとしている3人の人魚の絵がある。題名が『セイレーン』で船の上にいる男は怯えているけど? その下に何か書いてあるけど読めない……。
 首を捻って「なんで怯えているのかな?」と執事さんに聞いてみた。そうしたら執事さんが言いにくそうに目をそむけた。

「『セイレーン』というのは『娼婦』をさす代名詞だ」
「『娼婦』?」
「そうだ。これは男を狙う『娼婦』を描いた物だそうだ」
「むー。『娼婦』を狙うのは男の方じゃないの!」
「まあ俺が描いた絵じゃないから、はっきりしたところは分からんが、作品の題名と一緒にそう書いてあるぞ」

 馬車を留めてきたロパートさんがやってきてそんな事を言う。服が濡れて寒そうだ。執事さんが侯爵に会う前に着替えませんと、と言う声が聞こえる。ロパートさんは執事さんに案内されて近くの部屋へと向かう。わたしは飾られている絵をまた見始めた。
 岩肌に鎖で繋がれている女性や木に括りつけられている女の子の絵が飾られていて……気持ち悪い。特に相手の男が怪物だったりしているものだから余計にそう思うのかもしれない。
 気分が悪くなって壁際に置かれているソファーに座って休んでいると2階の右側の扉が開いて中から男の人がでてきた。男の人はゆっくりと階段を降りてくる。
 ターレンハイム侯爵と同じような年の頃に見える男の人は一階に降り立つとわたしの方に向かって歩いてきた。わたしは気持ちが悪いのを堪えて立ち上がり待っている。多分この人がブラウンシュヴァイク侯爵なんだろう。

「初めましてかな? あき嬢。私がウルリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイクだ」
「初めまして、ウルリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク侯爵。わたしはあきです。お会いできて光栄に存じます」

 ドレスを少し持ち上げて挨拶をする。侯爵は頷き、ソファーに座るように言う。そうして自分も私の隣に座る。
 ブラウンシュヴァイク侯爵は貴族っぽい雰囲気を漂わせた美形だ。――と思う。髪が黒くて、髭を生やしていた。くっきりとした眉は濃く、黒い瞳は鋭く。形のいい鼻は高くて、口元は引き締まり、強い意志を感じさせる。そして黒尽くめの格好をしている。仕立ては良さそうなんだけど上から下まで全部黒だ。その中で胸に飾られている宝石だけが紅かった。でもそれ以上に身に纏っているぴりぴりとした緊迫感で息が詰まりそうになってしまう。
 侯爵もわたしの事を観察しているようだ。じっと見つめてくる目から圧力を感じる。目が逸らせない。逸らしたら二度とこの人と視線が合わせられないような気がする。だからじっと見つめ返す。じーっと見つめ合っていて気づいた。この人は鏡だ。この人から感じる圧力は自分が相手に出しているもので、この人はただ跳ね返しているだけだ。
 その事に気づき、にっこりと笑う。そうしたら感じていた圧力が消えた。侯爵も笑い返してくる。

「あき嬢、君は馬鹿ではないようだ。白の城へようこそ。歓迎しよう」
「ありがとうございます」

 侯爵が立ち上がるとメイドさん達がすすーっと音もなく姿を現して一斉に壁に掛けられていた絵を取り除いていく。その後に違う絵が飾られていった。今度は綺麗な風景や裸婦画でも女神を題材とした物だった。
 あの絵はわたしを試していたんだろうな~。なんとなくそう思う。
 その次に明かりが灯され、玄関ホールの中が一気に明るくなった。改めて明るい中で部屋を見渡してみる。金箔や磨きぬかれた金銀細工が光を反射してキラキラ輝いていた。

「さあ、こちらへ来なさい。案内しよう」
「はい」

 侯爵に手を引かれて2階へと上がっていく。紅い絨毯を引かれた階段を上っていくと左右に渡り廊下がある。渡り廊下を右側に向かい扉を開けて中へ入る。そこはサロンだった。
 サロンの中にはいくつかの椅子やテーブルが置かれ、話が出来る様になっている。

「ルリタニア産のスパークリングワインだ」

 椅子に座ったわたしに侯爵がグラスに注いだスパークリングワインを進めてきた。侯爵も同じものを持って受け取ったわたしのグラスに当てる。キーンと澄んだ音を立ててグラスの立てる音がサロンの中に響く。

 侯爵が孫のルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵が迷惑を掛けたと謝ってくる。わたしは王妃様のお言葉ですからと言い、謝罪には及ばない、と言っておく。そうして2人して笑った。

「王妃にも困ったものだ」
「王妃様は優しい方ではあるんですが、どうも思い込みが激しい方のように思えます」
「確かにそういった所はあるな。だがあの方は国費を浪費したりしないし、道楽も一国の王妃としては慎ましいものだ」
「そのようですね」
「うむ。あのままでいてくれれば……我々貴族も安心できるし、多少の道楽にも目を瞑れる」
「お見合いをさせたがる事ぐらいですか?」
「そうだ。もっとも下級貴族などにとっては、王妃の口添えというものは価値を持つだろう。それで家同士の繋がりが出来れば好都合と言う事もある」
「悪い事ばかりじゃないんだ?」
「そういう事だな」

 侯爵は手に持ったグラスを傾けてスパークリングワインを飲み干す。それからテーブルの上に置かれてあるワインクーラーから瓶を引き抜くとグラスに注ぐ。……みんなお酒が強いんだから……わたしは同じようなペースでは飲めないんだよ。ちびちびと舐めるようにグラスを傾けていた。侯爵がしきりにお酒を勧めてくる。そんなに飲めないのにー。ううーと思いながらグラスを飲み干した。
 何杯か飲んでいるうちに段々侯爵が近づいてきた。ソファーの端っこに逃げているんだけど追い詰められてしまう。ぎゅーっと手を握り締められる。

「こ、侯爵様……あの~手を離して……」

 わたしは及び腰で逃げているんだけど侯爵が逃げた分だけ近づく。その上じーっと見つめられてお酒が入った所為か顔が赤くなってしまう。

「本当にいやかね?」
「あー。あのー離して……ください」
「これでいいかい?」

 侯爵が握り締めていた手を離してくれた。ほっとため息をついていたら、両手で頬を挟むように包まれる。あわわわー。わたわたと慌てて逃げようとして両腕で侯爵の体を押し返す。でもびくともしない。段々近づいてくる。顔を上に向かされた。怖くなって目を瞑ってしまう。うわーやだよー。フリッツ助けてー! 頭の中で助けを求めていた。そうして息がかかるくらい近づいた時――。

「――あき」

 ロパートさんの声が聞こえた。
 はっとして目を開けると侯爵がロパートさんとにらみ合ってる。わたしは少し顔を傾けて上を向いたままだった。ロパートさんに腕をつかまれて持ち上げられるようにして引き寄せられる。力強く抱き締められて少し苦しいほどだ。なんだか怒ってる?
 侯爵はロパートさんの方を見て肩を竦め、苦笑いを浮かべながら手をパンパンと鳴らしてメイドさん達を呼んだ。

「2人を部屋へ案内してやってくれ」
「はい。承りました」

 わたしはロパートさんに抱き締められたままメイドさんに案内されて客間へと向かう。歩いている最中ずーっとロパートさんは黙ったままだった。
 部屋の中はそれほど広くはなかったが、大きな窓から山の景色が見える。あいにくの雷雨で暗かったけど……。窓を叩く雨音と雷の稲光がフラッシュのように部屋を一瞬明るくする。部屋には大き目のベットに鏡台が1つ、端の方にソファーが置かれて、キャンドルで明かりが灯されていた。
 ぼーっとした薄明かりの元、わたしはロパートさんの腕の中から逃れるようにして既に運ばれていた荷物へと向かおうとした。

「あき!」

 呼び止められて振り返った。ロパートさんは目を瞑ったまま立っている。怒ってるのが分かる。そうして目を開けるとつかつかとわたしに近づき、両手を纏めて上に持ち上げられベットに押し倒された。

「ロ、ロパートさん?」

 圧し掛かってくるロパートさんに目がこわい。怒っているのは分かるんだけど……それだけじゃないような気もする。

「どうしてブラウンシュヴァイク侯爵相手にあんな事をするんだ!」
「あ、あんな事って?」
「とぼけるな! ブラウンシュヴァイク侯爵に迫られてその気になっただろう?」
「そんな事ないもん!」

 言い返す。違うもん。その気になんかなってないもん!
 じっと睨みつけられ、思わず睨み返した。ロパートさんが強引にキスしてくる。ベットに押さえつけられ無理矢理だった。絡み付いてくる舌に噛みつく。口の中に血の味が広がってロパートさんが離れていく。わたしはベットから立ち上がって両手を腰に当てて怒る。

「部屋から出てって!」

 わたしは扉を指差して言った。ロパートさんは何か言いたげだったけど取り合ってあげない。本当に怒ってるんだから!
 部屋を出て行くロパートさんを見送ってから、鏡台の前の椅子に座った。窓の外では雷が鳴ってる。鏡に映ってる自分の姿を見た。押さえつけられたときに髪が少し乱れたみたい。唇には血がついてる。鏡台の上に置かれていた櫛で髪型を整えているうちに、ぽろっと涙が零れて頬を伝う。両手で顔を覆い、少し泣いた。

「――フリッツ……助けてよー」

 泣きながらフリッツに助けを求めている自分に気づいて驚く。今までなら助けを求める相手はコーデリアやエステルだったはずだったのに? どうしたんだろう。自分でも分からなくてまた泣いてしまう。
 もの凄い光と音がして耳を塞ぐ。窓から外を見てみると近くの木に雷が落ちたみたい。木が燃えてる。パチパチと燃える音がここまで聞こえてくるようだった。驚いている自分の顔が窓に映っていた。無理矢理笑顔を作ってみる。窓に映っている笑顔は少し泣き笑いになって、その場で蹲ってしまった。
 ギーッと、扉が開く音がする。
 振り返るとブラウンシュヴァイク侯爵が立っていた。侯爵は窓に両手をついて蹲っていたわたしを抱き起こして椅子に座らせ、そっと背中を擦る。

「侯爵様……」
「なにも言わなくていい。泣きたい時は泣きなさい」
「うっ、うっ……うわーん」

 侯爵の胸にすがり付いて泣く。泣いているうちにいろんな事が思い起こされて後から後から涙が溢れてきた。しばらくそのままで泣いている。そうしてぐすぐすとしゃくりをあげ、背中を擦られて泣き終わるまで侯爵はそばにいてくれた。
 泣きやむ頃になってメイドさん達がお湯を持って部屋へとやってきた。

「顔を洗いなさい。綺麗な顔が台無しになっているよ」
「う、うん」

 お湯で顔を洗う。その後メイドさん達にメイクをしてもらった。うっすらとメイクをして貰っているうちに段々落ち着いてきたような気がする。オレンジの口紅を塗って貰いながら鏡を見ると侯爵が見ていて恥ずかしかった。

「侯爵様、見ないで……」
「ああ、すまないね。こうやって女性の化粧を見たのは初めてだったものでね。中々興味深い」
「もおー」

 怒ってみたんだけど気にした風もなく、くすくす笑われてしまう。むー余裕だー。どうしてくれようか? ターレンハイム家だったらメイドさん達に言って化粧をさせてやるんだけど……ここではそういう訳にもいかないし! むーむー。
 ふくれているわたしを見て侯爵がくすくす笑う。
 メイクが終わって侯爵が近づいてきた。

「さあ、もう食事の用意も出来ている頃だろう。行こうか」

 侯爵に手を取って貰い、立ち上がり歩き出す。部屋を出て階段を降りて食堂へと向かう。廊下の所々ですれ違うメイドさんたちはわたし達に出会うとすっと廊下の壁際に下がる。軽く会釈をしながら通り過ぎていく。
 食堂に入ると長いテーブルがある。上座と下座が遠く離れている。わたしは下座に座る。上座に座った侯爵が遠いよ。

「遠いな。あき、こちらへ来なさい」

 侯爵がそう言って上座の近くへと呼ぶ。執事さんがわたしを連れて侯爵のそばの角近くの椅子を引いてくれる。
 椅子に座って周りを見てもロパートさんの姿が見えない。

「あのー侯爵様。ロパートさんは?」
「ああ、彼は気分がすぐれないので部屋で休むと言っていた」
「……そうですか」

 流石にちょっと顔を会わせ辛かったので、ホッとしたのは秘密にしておこう。でも侯爵にはばれているかも?
 食事の最中、侯爵は色んな話をしてくれた。ブラウンシュヴァイク侯爵家とターレンハイム侯爵家は数代遡れば親戚関係だった事もあったらしい。今でも会うこともあるのだが、最近は付き合いが悪くなってしまったのだ。と言ってる。

「その原因が、あき。君だよ」
「わたしですか?」

 侯爵にいわれて驚いた。なんで? ターレンハイム家の付き合いが悪くなった原因になっていたなんて!

「どうやら、むさ苦しい貴族の男どもに会うより君と一緒の方がいいらしい。気持ちは分かるがね」
「でも、ターレンハイム侯爵の立場が悪くなるんじゃないかと思うと……」
「ふっ、そんな事は気にしなくていい。ターレンハイム家に近づこうとする貴族を跳ね除けているだけだ。王室とも関係が強くなっているしな」
「そういえばターレンハイム侯爵は国王様と親友だと言っていました」

 わたしがそう言うと侯爵は大笑いする。その上に胸を叩いて咳払いまでしてる。

「くっくっく。そうだよ。私も含めて、先代国王からは悪ガキ3人組と呼ばれていた」
「悪ガキ3人組って、何をしていたんですか?」

 思わず身を乗り出す。身振りを加えながら話してくれる。

「いや、たいした事じゃない。私達がまだ若かった頃、ファブリスでも美人で有名な娘がいてね。彼女を一目見る為に今の国王がお忍びで城を抜け出すのを手伝った事もあったし、3人で酔っぱらって街中で喧嘩をした事もある」
「やんちゃだったんですねー」
「そうだな。今から思えば、やんちゃだったと言えるな。ルドルフなんかは酒場で踊り子に抱きついて蹴り飛ばされた事もあった」
「ターレンハイム侯爵が?」
「国王も凄かったぞ。城にいないと大騒ぎになると、いつも先代国王に私達が呼び出されて探して来い! と言われてしまうんだ。それで探しに行くと娼婦の下で飲んだくれていたりとかね」

 話を聞いている内にわたしはくすくすと笑っていた。帰ったら侯爵に言ってみよう。きっと驚くだろうなー。
 さらに侯爵がいくつか昔の話を教えてくれた。

「ルドルフに言ってやりたまえ。きっと驚いて泣き出すぞ」
「そうしてみます」
「私は驚く顔が見られないのは残念だがね」

 侯爵がにやりと笑う。そうして楽しかった食事が終わり、わたし達は席を立つ。別れ際に侯爵が楽しかった。またこうして話がしたいものだ。と言った。

「ええ、そうですね」

 廊下に出てわたしが階段を上ろうとしたとき、侯爵に抱き寄せられてキスされてしまった。両手をわたわたとさせて何とか逃げ出す。

「ふー!」

 威嚇しても侯爵は余裕な表情で「では、おやすみ」と言って立ち去っていった。
 ううー。やはりどうしてくれよう! なんとか復讐をしなければ……。そんな風に考えながら部屋へと戻っていく。

 部屋に戻ってベットに倒れこむように横になった。ごろんと転がって指で唇をなぞる。ブラウンシュヴァイク侯爵って侯爵って! ぜーったい、女に手が早いと思う。ターレンハイムの侯爵とはちがーう。ごろごろベットの上を転がりながらそんな事を考えていた。

「負けるもんかー!」

 ベットの上で立ち上がり両手を腰に当てて宣言する。
 なにに負けたくないのか分かんないけど、とにかくそう思った。
 ぽすっとベットに倒れこむのと同時に扉が開いた。首を捻って扉の方を見てみれば、ロパートさんが思いつめたような顔で部屋に入ってくる。わたしは思わず、シーツに包まって防御を取ってる。
 ロパートさんはベットの端に座ってじっと見つめている。シーツから顔をちょっと覗かせてわたしはロパートさんを見た。窓の外はごろごろ雷が鳴ってた。

「――あき」

 ロパートさんが口を開いた。わたしはまたシーツに包まって顔を隠してしまう。
 すっとシーツごと抱き寄せられてしまった。
 ――しまったー。みの虫みたいなものだからごろんと転がっていくー。
 シーツごと抱き締められて、身動きできない。

「ううー」
「さっきはすまない」
「うー」

 シーツの隙間からじーっとロパートさんを見る。
 ロパートさんはみの虫状態になってるわたしの膝辺りに話しかけてた。

「こっちー」

 もぞもぞと動きながら頭の存在をアピールする。一旦、ごろんと転がされ今度は正しい位置になった。

「俺は……あき、お前が好きだ」
「ふにゃー!」

 わたわた慌ててしまう。……昨日といい。いったい何事ー! ああ、夢かーそう夢なんだよねー。昨日も夢だったし、おやすみなさーい。きっとわたしは夢の中ー。

「現実逃避しないでくれ。本気だ」
「ど、どうしてー?」
「――自分でも分からん。それでもだ」
「うう――ごめんね。まだ自分の中で整理がついてないんだよ。なんと言っていいのか分からないけど……」
「……そうか」

 本当にちゃんと考えなきゃならないんだよね。どうなるのか分からないけど、でも答えは出さなきゃね。だからそれまでは待って貰おう。同じことを昨日、フリッツにも言ったんだよ。どうして急にこんな事になったんだろう……分かんなくなっちゃった。

「ちゃんと、答えは出すから、……ごめんね」
「ああ、待つさ」

 そう言うとロパートさんは部屋から出て行った。
 わたしはベットに転がったまま、考えていた。これからどうなるのかなんて分からないし、どうしたらいいのかも分からないけど本当にちゃんと考えなくっちゃダメなんだよね。本当にどうしよう?
 頭が痛くなってきた……。

 外は嵐でわたしは白の城でずーっと考えている。
 そうして考えているうちに夢の中へと落ちていく。夢の中でコーデリアとタルコットがはぁ~とため息をついていた。



[12791] 第42話 「『初代女帝』と『聖女』 ブラウンシュヴァイク侯爵家と保険の話」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/01/02 10:59
 第42話 「『初代女帝』と『聖女』 ブラウンシュヴァイク侯爵家と保険の話」



 あきが夢うつつと彷徨っていた頃、ブラウンシュヴァイク侯爵家の執務室ではロパートとブラウンシュヴァイク侯爵が話し合っていた。執務室の中も壁一面に置かれている本棚が目に付いた。大きな黒檀の机に窓際に置かれている丸テーブルがあった。テーブルの上には葉巻を入れたヒュミドールが載せられている。窓には白いレースに金糸でドラゴンの模様が入ったカーテンが引かれている。
 黒檀の机の前には厚いガラスのテーブルと黒皮に飾り鋲を打ったソファーが置かれ、床には深い瑠璃色を基調とした色合いに丸い花紋を模った絨毯が敷かれている。ロパートはソファーに座って侯爵と話をしている。

「ルリタニア王国における社会保障に関する保険の話はターレンハイム家ではなくブラウンシュヴァイク侯爵家の主導で行う事になった。国王陛下にはターレンハイム家のみに力を集中させる事を懸念されているのだ」

 ブラウンシュヴァイク侯爵は机の上で山積みになっている書類の1つを取り上げ、ロパートに渡す。ロパートは渡された書類を見ながら言う。

「保険の話はロバートが担当している筈ですが?」
「――しかし、銀行と盗賊ギルドに関しては君が担当だろう? 集められた保険料は君のところの銀行に納められるのだからな。一度、君とも話し合っておきたかったのだ」

 侯爵のひらひら動かされていた手が自然に合わせられていく。机の上に肘をついた。そうして親指を突き出すと侯爵はそこにあごを載せていった。少し前のめり気味になった侯爵の視線がロパートを貫く。
 ターレンハイム侯爵と長年に渡って勢力を二分してきた大貴族から放たれる圧力にロパートは少したじろいた。

「そ、そうですか?」
「ああ、私からはそこの書類に書かれている通りにやってもらいたいと思っている。やる事は山積みだぞ。治療費の上限、医師を免許制にして各医者のレベルを高めねばならん。無論この事はすでに西の塔にも打診している。その他にも国内の人口調査に各村の構成や戸籍の製作。それに国内の男女比を調べる事にもなるだろう。その他にもこの際、村ごとの特産品なども調査しておきたい」

 侯爵は目を瞑り一つ一つやるべき事を言っていく。ロパートは侯爵の話を聞きながら書類に書かれているリストを目で追っていた。リストには侯爵が言った以上の事が書かれている。この書類に書かれている事をすべてやるとなればとんでもない大仕事である。

「大仕事になりますね」
「無論、一年や二年で出来るとは思っておらんさ。それ以外にもロバート君があき嬢から聞いたという農協とかいう物も設立させたい。弊害もあろうが、作物が何らかの打撃を受けた時、新しい種籾を与えるだけでも回復は早いだろう。そうすれば今まで以上に各村に睨みが効くし、離村という事態にも陥る事はあるまい」

 ここまで言うと侯爵はにやりと笑った。飴を与える振りをしつつ、今以上に支配力を高めようというのである。その飴も各村から集めた金を元に行うつもりなのだから、自分の懐は痛まない。社会保障を充実させると言いつつもやっている事は増税なのだから、たいした悪党である。しかも農協を利用して穀物の価格も支配するつもりだ。
 不作の年にはパンの値上がりが激しくなるが、大本の村から穀物を買い上げる時点で値段を抑える事もできる様になるだろう。各村の収入は保証の方から出す事になるだろうが、ルリタニア全土で不作と言うのは考えにくいし、不作の年の回復を早める事で出費を抑えようというのだ。しかし文句は出難いだろう。不作の年の苦しさは各村では骨身に沁みて分かっているのだから……。

「その為の施設を各村に設立すると?」
「いや、いくつかの村を纏めて管理させるつもりだ。いくつかの村を町に置いた施設で管理させる。そしていくつかの町を都市に管理させて全体を首都で管理する事になるだろう」
「領地を支配する貴族が文句を言いそうですな」

 ロパートが書類を指で叩きつつそう言った。侯爵はそ知らぬ顔で「これは国王陛下の命令だよ」とさらっと言う。言外に逆らう貴族は取り潰すと取り潰した領地を自分達が手に入れると、そう言っているのだ。ロパートはその答えににやりと笑った。

「では、そのように取り掛かりましょう」
「うむ。ブラウンシュヴァイク侯爵家からはルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵を派遣する。彼がロバート君と共に働いてくれるものと、私は期待している」

 それから各貴族の役割を説明する為に近いうちに王宮で貴族達を集めて議会を開く事を決めた。

「その際には侯爵にも出席していただけるのでしょうね」
「無論だ。私が議長を務めることになるだろう」

 一通りに話が終わった後で、侯爵がヒュミドールから葉巻を取り出して火をつけた。ふ~っと煙を吹き出し、椅子に深く座りなおした。

「ところで……あき嬢はかわいらしいな」

 侯爵が話題を変える様に言う。
 ロパートは書類を落としそうになったが、なんとか持ち堪えた。侯爵の方を見るとにやにや笑っていた。

「……侯爵? 先ほどの行いはとても大貴族の行動とは思えませんでしたね」
「君の行動もだよ。無理矢理はいかんな。無理矢理は」

 ロパートの皮肉を侯爵が切り返す。

「しかしどういうおつもりでしょうか?」
「ふむ。私も妻を亡くしてから独身を通してきたものでね。そろそろ新しい妻が欲しいと思っているのだよ」

 侯爵は煙と共に吐き出した。

「まさか、あきを妻にしようと?」
「いかんかね? 王妃からグリューネヴァルト伯爵の妻にと話があった時はそれも良かろうと思ってお受けしたのだが、見合いが壊れてから改めて調べさせてみるとだ。グリューネヴァルト伯爵には勿体無かろうと思ったのだよ」

 ロパートの目が段々不穏なものになっていく。そうしたロパートの変化をにやにやしながら侯爵は楽しそうに見ていた。

「侯爵……様」
「くっくっく。なんだ。本気にしたのか? 冗談に決まっているだろう」

 侯爵が大笑いしながら言った。葉巻が笑い声に揺れて煙が複雑な模様を宙に描いている。

「はぁ~?」

 ロパートが呆気に取られた声を出すと侯爵はさらに笑う。

「なんて顔をしているのだ。あき嬢はルドルフとハインリッヒとエルマのお気に入りだ。私があき嬢を妻に迎えるとあの3人が怒るだろうな? 特にルドルフだ。宮殿でいきなり殴りかかってくるかもしれん。それはそれでおもしろいがね。しかしその時には国王も協力するだろうからそれは困る」
「親父はともかく、国王と王妃が怒る?」
「その通りだよ。あき嬢は若い頃の王妃に少し似ているな。性格だがね。話をして分かった。彼女は国王の好みのタイプだ。そりゃあ可愛がるだろうさ。王妃にとっても娘のような感じに思えるだろう」

 侯爵が昔を懐かしむように話す。

「あの頃、私達3人がまだ若かった頃にルドルフとハインリッヒが好きになるのはいつもあき嬢のようなタイプだった。あの2人はだね。一度女性の取り合いをした事があるのだ」
「親父と国王が!」
「宮殿で殴り合いをした事もあったな……あれはおもしろかった。その後、先代国王に2人とも、いやなぜか私まで殴られたがね」

 昔を思い出したのか侯爵がお腹を抱えて笑う。息が苦しそうにさえなっていた。ロパートは侯爵の変化を息を飲んで見守っている。

「……親父と国王が殴りあい……想像もできん」

 ぽつりと零したロパートの言葉に侯爵が笑いを噛み殺すかのように言う。目尻に涙が浮かんでいる。

「ハインリッヒもルドルフもああ見えてかなり激しい性格をしていたからな」

 目に浮かんだ涙を指で拭いながら侯爵が言った。

「はあ?」

 ぼんやりとロパートが返事にもならない返事を返している。初めて知った父親の若い頃の話に呆気に取られてしまっていた。

「まあ、それはともかくとしてだ。ローデシア大陸は『初代女帝』の影響が未だに著しく残っている」

 侯爵の声が真剣な色合いになった。雰囲気が変わった事を感じたロパートは侯爵を見つめる。

「確かに残っています」
「カルクスの前皇后もある意味『初代女帝』になりたかったのだろう。そして……ノエルのクラリッサ王女もそうらしい」
「クラリッサ王女も……?」

 ロパートは首を捻って侯爵の言葉を聞いていた。

「不思議な事ではないよ。王族に生まれた女性は全員といっていいほど『初代女帝』に憧れる。身の程知らずにもな。『初代女帝』がなくなってから1000年になろうとしているが、未だにそれを超える者は生まれてはいない」
「だからこそ憧れる……」

 ロパートが呟く。

「そうだ。そして本当の意味で『二代目女帝』になりたがる。アデリーヌの再来にな。しかしルリタニア王国としてはノエルのクラリッサがアデリーヌになろうとするのを認める訳にはいかん」
「戦争になりますしね」

 侯爵に返事をしたロパートの言葉に侯爵は頷きながら続けた。

「それもある。だが、だからと言ってこちらからノエルに戦争を仕掛けるつもりも無い。そこでだ。ルリタニア王国はクラリッサに対抗して、『初代女帝』の再来として『聖女』を宣伝することになる」
「『聖女』?」
「そうだ『聖女』だ。『初代女帝』に対して『聖女』だよ。クラリッサ王女がどれほど『初代女帝』になりたがっても、『聖女』がいる以上、決して認められない。と噂を流していくのだ。そして彼女――あきの噂は『聖女』と呼ばれるにふさわしいものになりつつある」

 侯爵はあきの噂を纏めた物を読んでいく。ルリタニアでカルクスで行った奇跡の数々、『古代遺跡』から、いや爆破事件から始まった『聖女』の行動を読み上げた。

「しかしそうなると『聖女』が『初代女帝』のようになってしまうのでは?」
「だからこそ。ここへ呼んだのだ。『聖女』と呼ばれるあきがどんな女性なのかを確かめる為にだ。一応ルドルフやハインリッヒとエルマの意見も確かめたが、自分の目で確かめたかったのだ。これはルリタニア王国だけの問題ではないのだよ。ノエル王国が『初代女帝』を擁する為には他の国々に戦争を仕掛けてくる事になる」

 侯爵が『初代女帝』の伝説を言うとノエルのクラリッサ王女が取るであろう行動を推測していく。『初代女帝』は大陸を……いや、4つの国を統一したからこそ呼ばれた称号だと言う。ロパートは侯爵の激しい物言いに圧倒される。

「統一とはどういう事か分かるかね。戦争だよ。戦争。4つの国全てを巻き込む戦争だ。25年前の戦争が再び行われようとしているかもしれんのだ。まったくようやく国力が回復したというのに、ここまで回復するのに20年掛かっているんだ。君は幼かったから分からんだろうがね。カルクス王国を見たまえ。未だ戦争から荒廃した国力が回復してはいないではないか!」

 侯爵は今までの穏やかな言い方ではなく机を叩きながら激しく言い切った。以前国王が同じように主張していた事をロパートは思い出す。国王と侯爵は似ているのかもしれない。となれば親父も似たような所があるのかも? とロパートは思う。
 ――悪ガキ3人組か……。
 先代国王はそう言ったというが、その悪ガキどもを、なぜ国政の中心から外そうとはしなかったがようやく理解できた。
 戦後の復興はこの人達が中心となって行ってきたのだ。

「戦争を防ぐ為に『聖女』を利用すると?」
「君もカルクスの王権交代に利用したではないか?」

 ロパートはギリッと歯を噛み締めた。

「確かに……」
「あの話から王を断罪する。いやできる存在になったのだよ。『聖女』はな。王を否定できる『聖女』――『初代女帝』の伝説に対抗するにはこれ以上の逸材は無い」

 シンと静まり返った部屋で侯爵が長くなりすぎた葉巻の灰を灰皿に落とした。落ちた灰がそのままの姿で灰皿の上を転がっていく。煙を吸い込むように燻らせ、ゆっくりと吐き出していった。
 そうして部屋の中を見渡すように首を回すと再び口を開く。

「無論、あきの警護はこれまで以上に強化せねばならん。分かるな?」
「ええ、分かります」
「今後、ルリタニア王国は『聖女』の警護を王族並みに強化する事はすでに決定しているし、国王の許可を得ている」
「……既に?」
「既にだ。西の塔にも気をつけるように命じてある。騎士団にもだ」

 侯爵はあきに会うまでにそれこそ、既に行動を終えていた。国王にも騎士団にも西の塔にも支持を取り付けていたのだろう。恐ろしい男だと今更ながらロパートの背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。





「ふにゃ~」

 夢の中でお菓子の家に埋もれていた。周囲は色とりどりのお菓子が並べられて甘い匂いに包まれている。

「これ全部食べていいのかな~」

 わたしはその中からクリームの一杯乗ったケーキを取り上げるとあーんと大きく口を開けて食べようとする。

「いただきまーす」

 食べようとしたときになぜか地震が起きてお菓子の家が崩れていった。体がゆさゆさ揺すぶられている。いやー! お菓子がー。泣きながら手を伸ばしているのだけど届かない。どうしてー?



「あき。起きろ!」

 ゆさゆさと揺すぶられて目を覚ますと目の前にロパートさんと侯爵様がいた。わたしはお菓子が食べられなかったから思わず、じーっと睨んでしまう。

「ううー」
「あき……もしかしてまだ、昨日の事を怒っているのか?」

 ロパートさんが悲しそうな顔をして見つめてきた。侯爵様がロパートさんに少しどきたまえと言って私の前に来るとそっと抱き締めてきて囁く。

「朝ごはんの後で、ケーキを出してあげよう」
「ほんとー?」
「本当だとも」
「わーい」

 わたしは侯爵様に抱きつくとベットから飛び起きた。ロパートさんがなぜか、悔しそうな顔をしてる?

「……あき。どうしてそう食い意地が張っているんだ?」
「ふみゅ?」

 ロパートさんが何を言ってるのか分かんない。ケーキを食べるのを邪魔したくせにー。侯爵様が朝ごはんが出来てるから早く起きてきなさいというから急いで着替えるよー。ロパートさんも侯爵様も、部屋から出てってー!

「はいはい」
「……分かった」

 わたしは寝巻きから持ってきてあったドレスに着替える。メイドさんが用意していたドレスは……えっちい! なにこれ? うわー。ここぞとばかりにえっちいドレスを入れたなー!
 胸元が大きく開かれているのはまあ、いつもの事として……問題はその周りだ。開かれた胸元の周りは薄く白いレースで出来ていて、はっきり言ってすけすけ……。下に身につけているビスチェがはっきり見えてる。それだけじゃない。ビスチェも薄いシルクでよく見ると透き通ってる。いくらなんでもこれは……恥ずかしいよ。わたし露出狂じゃないもん!
 他にないかなって荷物の中を探したら上から羽織るショールがあった。

「ほっ……」

 流石に山の中だから寒い事が分かっていたらしくて、厚手のショールだった。これなら見えないだろう。助かったー。見えないようにしっかりと隠してっと。胸元でショールを合わせカフスで留める。イヤリングだとかブレスレットとかアンクレットを留める為に化粧台の前に座って……しまったー!ネックレスをする前に化粧をしなきゃ。もー大変だよー。ちゃっちゃと化粧を施していく。

「ようやく終わったよ……疲れる~」

 鏡の前でもう一度確認してから深呼吸をして、部屋を出る。
 てくてく歩いて食堂までいく。食堂には待ちくたびれたのか? 侯爵とロパートさんがだらけた格好で待っていた。

「あきー。遅いぞ」
「ごめんなさーい」
「女の着替えは時間がかかるのはなぜだ?」
「男の着替えは楽でいいよね。女の着替えは大変なんだよ」

 本当に大変なんだから、椅子を引いてくれたフットマンさん? にお礼を言ってから座る。フットマンさんだと思ったら家令さんだった。なんでも侯爵に代わって普段は領地を管理しているんだって、凄いよねー。
 給仕さんが料理を持ってきてくれる。テーブルの上にはオニオングラタンスープが置かれた。侯爵の好物だそうだ。朝はいつもこれなんだって。溶けたチーズが乗ってるパンを沈めて中のスープを飲む。うん。おいしい。たまねぎは甘いのだー。チーズが溶けたパンもおいしい。はふはふ。朝は寒いから温かいスープはうれしい。他にはアルジャントゥイユ――ホワイトアスパラガスのたらこソースだった。ホワイトアスパラガスは大好きなのだ! うまうま。あ~春だなー。
 約束通り侯爵はケーキを出してくれた。わーい。クリームがいっぱいのイチゴのケーキ。
 イチゴのケーキを食べていると侯爵が笑って見ているのに気づく。フォークを銜えたまま、首を傾げて侯爵を見た。

「侯爵様、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」

 侯爵はくすくすと笑いを堪えていた。どうしたのかな?

 食事の後で侯爵にロングギャラリーに案内してくれるというのでついて行くと長い部屋の壁一面にずらっと並べられた裸の女性の絵があった。昨日飾られていた絵もある……。

「侯爵様……」

 ううーっと涙目になりながら侯爵を睨む。侯爵はそ知らぬ顔で「おやおや。あき嬢には刺激が強すぎたか?」なんて言ってる! 酷いよー。別に裸の女性なんか気にしないんだけど! 怪物に襲われている絵はいや!

「あき嬢は怪物が怖いのか?」
「怖いよー。襲われたくないもん」

 この世界には実際にいるんだよー。元の世界にはいなかったから気にしなかったろうけど……この絵のように被害を受けた女性がいるかもしれないのに。悪趣味だよー。
 よろよろしながら壁際に置かれてある椅子に座って休む。侯爵が家令さんに言って飲み物を持ってくるように言いつけてた。
 わたしはじっと椅子に座ったまま固まっている。家令さんが戻ってきて銀のお盆に載せたフルート形のワイングラスに入ったスパークリングワインを渡してくれる。受け取ってコクッと飲むとほっとため息をついた。
 ロパートさんがロングギャラリーに入ってきた。両手に一杯書類の束を持ってる。

「あき。どうしたんだ?」

 座り込んでスパークリングワインを飲んでいるわたしを見てロパートさんが不思議そうに聞く。わたしは無言で壁に掛かっている絵を指差す。ロパートさんは絵に視線を向けたけど首を捻っていた。どうも分からないらしい。ふーんだ。ロパートさんの鈍感! いいもんねーだ。わたしはつーんと横を向いた。
 ロパートさんは首を捻ったまま侯爵に話しかけてそのまま2人で部屋から出て行ってしまう。取り残されたわたしは壁の絵を見ないようにしながら部屋を出て寝室へと戻っていった。

 寝室の椅子に座って本を読んでいるんだけど……退屈だよー。ひまひまだー。

「もう帰りたい……」

 あまりの退屈さにわたしは暇を持て余して、部屋の中を歩き回った挙句、ベットに飛び込んで不貞寝をしていた。
 そうこう不貞寝をしているうちにお昼過ぎになってようやく帰る事になった。わたしはいそいそと荷物を片付けて馬車に乗せる。侯爵はお土産だといってお菓子をくれた。ブラウンシュヴァイク侯爵領で取れた木の実を使ったパウンドケーキだ。

「ありがとうございます」

 お礼を言ってありがたく頂く事にする。帰ったらコーデリア達と一緒に食べよう。わたしは馬車の中でケーキを膝の上に置いたまま帰っていった。山を下っている最中はもの凄く怖い。今にも滑り落ちてしまいそう。必死になって馬車の中で椅子にしがみ付いていた。

「ロパートさんってば、運転が荒いよー」

 馬車の中でわたしは悲鳴を上げてる。

「気にするな!」
「怖いよー」

 ロパートさんの言葉に怖い怖いと連発して恐怖を紛らわせていた。
 帰り着いたときにはわたしはへとへとになっていた。よろよろと馬車を降りて倒れこむようにコーデリアにもたれかかる。

「大丈夫か、あき!」
「自分、どうしたんや?」
「馬車に酔ったー。ううー」

 ふらふらコーデリアやタルコットに掴まって部屋まで戻っていく。ターレンハイム侯爵が心配そうな顔で見守っている。部屋へ戻ってベットに倒れこむように横になる。
 コンコンとノックの音が聞こえ「はーい」と返事をする。メイドさん達が入ってきて口々に言い立ててくる。

「あき様。とりあえずお化粧を落としましょう」
「寝巻きにお着替えしましょう」

 メイドさん達に取り囲まれて化粧を落とされ、着替えをしてベットに横になって寝てしまった。おやすみなさい。

「今日はもうだめ……」

 そういえば、わたしは何のためにブラウンシュヴァイク侯爵家――白の城へ行ったんだろう?
 分からないね……ぐー。



 あきが眠った後、ラッセンディルが部屋に入ってきた。ラッセンディルはベットの横に置かれてある椅子に座り、あきの寝顔を見ながら指で髪を梳く。そうしてしばらく見ていたかと思うと部屋を出て行った。

 同じ頃、ロパートは侯爵と話をしていた。
 ブラウンシュヴァイク侯爵と話し合った事を伝え、今後の対応を決めていく。明日からは銀行で新たにやってくるエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵とそのスタッフの為に用意をしなければならない。やる事は山積みになっていた。

「頭が痛いぜ!」

 ロパートは本当に頭を抱えたくなっていた。
 ブラウンシュヴァイク侯爵の行動をターレンハイム侯爵に伝えると侯爵が怒り出した。

「あいつとあきを2人っきりにするからだー! あの女好きめー。どうしてくれよう……」
「いや、しかし相手はブラウンシュヴァイク侯爵です。国内有数の大貴族で、復興の立役者でしょう?」
「そんなん関係あるかー! あいつの事はわしが一番良く知ってる! あいつはとんでもない女好きなんだ。それなのに……2人っきりにするとは危機感が足らん!」

 そう言うと侯爵はあきの部屋へと走っていく。部屋の扉をこじ開け、寝ているあきの寝顔を見つめて抱き締めた。

「うおおー。あきー。あいつに何かされたのかー!」
「ふみゅ! な、なにー?」

 侯爵はあきの体をがくがく揺さぶり言い募る。

「犬に噛まれたと思って気にするんじゃないぞー! 大丈夫心配するな。わしはあきの味方だー」
「な、なにー? 何事ー?」
「苦しいとこは無いか? うう……あきー」

 侯爵は泣きながらあきを抱き締める。あんな奴のところへ行かせるんじゃなかった。とまた泣いた。

「なにかあったの?」

 ようやく落ち着いたわたしは侯爵の頭を撫でながら問いかける。
 侯爵があんな奴にって言ってるのはブラウンシュヴァイク侯爵の事だよね?

「あいつに襲われて弄ばれてしまったんだろう? かわいそうに、うっうっ……」
「そんなことないよー!」

 わたしがそう言うと侯爵が顔を上げて襲われたんじゃないのか? と聞いてくる。そんな事無いもん。ちょっとキスされそうになっただけだもん。

「あんな奴を庇う事はないんだぞ」
「してないもん!」
「じゃああきは、まだ処女なんだな?」

 侯爵が真面目な顔で言う。
 わたしは一気に顔が赤くなってしまって……侯爵を突き飛ばしながら叫んでしまった。

「まだ、処女だよー! 侯爵のばかー!」

 そう言ってシーツを被って丸まっていた。侯爵はそうかそうかと言いつつうれしそうに部屋を出て行った。
 ううー侯爵のばかー。変な事聞くんだからー!

 わたしは怒りながら不貞寝してしまった。
 なんでこうなるんだろう? もう知らない!



[12791] 第43話 「わりとヒマなあきの1日」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/01/03 20:43

 第42話 「わりとヒマなあきの1日」



 ブラウンシュヴァイク侯爵家――白の城から帰ってきてからというもの、わたしの周りでは微妙な空気が流れている。
 フリッツとロパートさんは分かる。うん。凄く分かる。自分が三角関係の中心になるなんて考えてなかったけど……。でも、侯爵がべったりとくっついてくる様になったのには驚く。どうしたんだろうか? やっぱりウルリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク侯爵から聞いた話を侯爵に話したからだろうか?

「あきー。捨てないでくれー!」
「人聞きの悪い事を言わないで下さい!」
「いやだー。離れないぞ!」

 と、言う事が度々あってわたしは日中は西の塔へと逃げ込んでいる。宮殿だったら追いかけてきそうだし、まったく侯爵にも困ったものだと思う。ロパートさんは銀行の方へ詰めっぱなしになってるし、ルパートは用があるとかでどこかへ行ってしまった。残っているのはわたし達4人にエステルだけだった。
 わたしが西の塔へ行くのにコーデリアも一緒について来た。なんでも新しい理論というのを学びたいそうだ。2人して西の塔へ講義を受けにやってきている。流石に講義を受けるのにいつものドレスじゃ拙いだろうと思って、花柄地紋を浮き織りにしたシルクサテンのパステルブルーのワンピースを着ている。胸元にはフリルがついていて見えないようになっている。足元はヒールじゃなくてシンプルな黒いブーツなんだよ。ふっふっふ。これでどこから見ても普通の街の娘にしか見えないだろう……。
 1人でほくそ笑んでいた。

「いや、良家のお嬢様に見えるのじゃ」
「どうして!」
「……生地と仕立てが良いからのー。普通の家の娘にはシルクサテンの生地は買えんじゃろう」
「がーん」

 ショックを受けた。いつもの着飾ったドレスをやめて普通の格好をしていたと思ってたのにー。しくしく……。
 とはいえ、落ち込んでばかりもいられない。講義を受けなければ!

「本当ならノエルの北の塔で聞く方がいいのじゃが……」
「そうなの?」
「うむ。錬金術に関しては北の錬金術の学院が一番進んでおるからな」

 コーデリアと一緒に講義を聞きながらそんな話をしていた。わたしは講義の内容を把握するのに一生懸命になっていて頭が痛くなりそうだよ。難しいんだから……。ちんぷんかんぷんになりながらもノートだけは取っている。後でコーデリアに復習させてもらおう。
 午前中の講義が終わり、わたしとコーデリアは塔の中庭でお弁当を食べる事にする。食堂に行くとみんなが寄ってきちゃうんだよ。困ったものだよね?

「あき嬢とコーデリアではないか、講義は終わったのかね?」

 首席導師のツィルヒャー男爵がわたし達の座っているテーブルに近づいてきた。手には大きめのパンを持っている。不思議なんだけど、首席導師って男爵だから貴族なんだよね。それなのに着ている服とか汚れてるし、いつも同じような感じだし、アイロンとかも掛かってない。自分で洗うのが面倒ならメイドさんとかに洗ってもらえばいいのに? どうしてそうしないんだろう。わたしがそんな事を考えていると首席導師は話しながら同じテーブルに座ってわたしとコーデリアの前に置かれているバスケットの中をじーっと覗いている。

「欲しいんですか?」
「い、いや、そんな事は無いぞ。男やもめで食事を作ってくれる嫁がおらんものじゃから、わびしい食事をしているなんて事は無い」

 と言いつつ目は釘付けになっている。指をくわえるのはお行儀が悪いと思います。仕方ないので少し分けてあげることにした。お皿の上にお箸で摘んでエビフライを乗せると、首席導師だけでなくなぜか、コーデリアまで一緒になって目で追っていた。タルタルソースをつけて首席導師に差し出す。

「わらわも欲しいのじゃ」

 コーデリアが自分の分のエビフライをフォークに刺したまま言い出す。

「コーデリアの分はちゃんと入ってるでしょ?」

 わたしはコーデリアが持っているフォークを指差して言った。

「わらわも欲しいのじゃー!」
「わがままだな~はい。どうぞ」

 駄々を捏ねるコーデリアを見てため息をつきながらエビフライをコーデリアのバスケットに入れてあげる。

「うむ。いただくのじゃ」

 コーデリアと首席導師は仲良くエビフライを食べている。それを見ながらまた、ため息が出そうになる。エビフライはわたしがコックさんに頼んで作って貰ったものだけどこんなに人気になるとは思わなかったな~。なんでだろ?
 コーデリアが両手に持ったフォークに2本も刺して食べてる。口元にタルタルソースが付いちゃってるよ。
 ハンカチでコーデリアの口を拭く。……首席導師? その目はなんですか? 指で頬を指差してるし……。

「しませんよ」

 ちろっと見てからにこやかに言い切る。

「うおおーっ」

 わざとらしく嘆く振りをする首席導師……大人げないと思います。コーデリアが今度はロールキャベツにかぶりつく。よく食べるよね。タルコットも食べるけど、コーデリアの方が凄い。フードファイターになれるのではないだろうか? いったいどこに入るんだろう?
 わたしはそんなに食べられない。見ているだけでお腹が一杯になりそうになってしまう。もぐもぐとパンを食べている。玉子焼きにお箸を伸ばすとじーっと首席導師が見つめている。首席導師……奥さん貰った方がいいと思います。がっくりとしてしまった。
 食事が終わった後でコーデリアとさっきの講義の復習する。教えてもらいながら青いインクで書かれた下位古代語で埋まっているノートとにらめっこだ。じーっと考えていると頭が痛くなってくる。

 そうしているうちに午後の講義が始まる。
 わたしとコーデリアは揃って塔の3階にある講義室へと向かった。途中で色んな種族の人たちとすれ違う。アッシュと同じ虎がいる。他にもエルフや小人もいた。あっ、あそこに犬がいた。

「狼じゃ。犬と呼ぶと怒るぞ」
「……狼? 違いが分からない……」
「まあそうじゃろうな。犬系の獣人は狼だけじゃ。猫系は虎とか猫とかおるんじゃがな。そうそう獅子もおるのじゃ」
「そうなんだ」

 獅子って、かっこいいかも? ふさふさしたたてがみを靡かせたライオンを思い浮かべる。うん。きっとかっこいいと思う。見てみたいな。そんな事を思いながら部屋へと入っていく。
 席に座って前を見ると……講師はフリッツだった。

「な、なんで?」

 呆然と呟いてしまう。コーデリアの方を見る。全然気にして無い?

「あのな~あき、ラッセンディルがここのところ研究者として西の塔へ来ているのは知っていたじゃろ?」
「うん」
「と、いう事はじゃ、いくつか講義を受け持っているという事なのじゃ。研究費を出して貰う代わりに授業をせねばならんのじゃ。分かるな?」
「う、うん。分かる」
「もっとも、嫌がって休講してばかりの奴もおるのじゃが……」
「――そこ煩いぞ!」

 コーデリアと話していたらフリッツに怒られてしまった。ううー。でも、こうして見ると真面目にしてるフリッツというのも珍しい、かな? 真面目にしているのはいい事だと思う。授業は厳しいけどね。
 学院生の質問にもちゃんと答えてるし、いくつか実践してみせた魔術も凄かった。

「――これで授業を終えるが、次の講義の際に課題を提出するように。以上だ」

 がーん。課題がでたー! 宿題、なんて嫌な言葉だろう……。
 課題が書かれているノートを見ながら愕然としてしまう。やっぱりわたしもやらなくっちゃダメだよね?

「当然じゃの」
「ううー」

 落ち込みながら部屋を出る。わたしには難しいんだよー。西の塔の学院生とは違って何年も勉強して来た訳じゃないんだからー!
 本とノートにペンと青いインク壷を鞄に詰めて、廊下に出るとフリッツが待っていた。ううーっと涙目で睨んでしまう。

「――あき。ちゃんと課題をしてこいよ。間違ってもコーデリアのを写すんじゃないぞ」
「そんな事しないもん。頑張ってやるもん」
「それでいい。じゃあな」

 そう言ってわたしの頭を撫でるとフリッツは立ち去っていく。何人かの生徒が後についていって質問をしているらしい。歩きながら質問に答えている声が聞こえてくる。少し見蕩れてしまった……。
 振り返ってコーデリアに一緒に帰ろう。と告げる。

「うむ。帰るとするか」
「あっ、途中でどこかに寄ってみようか?」
「それもいいかもしれんのじゃ。して、どこへ行くのじゃ?」
「ラルースの店とかはどお?」

 そういうとコーデリアが目を輝かす。急にわたしの手を取って走り出そうとする。

「それは良いのじゃ! わらわはパイが食べたいのじゃ」
「わたしは何にしようかなー」

 馬車の中でコーデリアが楽しそうにしている。わたしは窓から流れていく外の風景を眺めていた。
 ファブリスの街を馬車が走ってラルースの店へと着いた。2人で降りて店の中へと入っていく。店の中はすっかり修繕されて綺麗になっていた。

「あき、ここに座るのじゃ」
「うん」

 店員さんに案内されて席に着くと、さっそくメニューを広げてどれにしようかと相談していた。メニューを見ながらう~んう~んと唸ってしまう。

「わらわは野イチゴのタルトにするのじゃ。あきは迷いすぎじゃ」
「パイとか言ってなかった? う~ん……あっ、わたしはクレームブリュレ」

 散々迷ってから店員さんに注文してコーデリアと話しながら来るのを待っている。

「今日は帰ってから課題をせねばならんのじゃ」
「そうだよね。でも難しいんだよ。身代わりになるアイテムってどうすればいいんだろう?」
「そうじゃのー。よく作られるのは金貨に魔力を付与して、攻撃や不慮の事故に対してダメージを負わないようにした物が作られるが」
「素材は金貨でいいの?」
「素材は何でもいいのじゃが、金貨が一番良く使われる。魔除けなら銀貨じゃがな。どちらにしても魔力付与の技術じゃ」

 そんな話をしながらお金の入っている袋の中を見る……金貨は入ってない。どうしよう? がっくりしてるとコーデリアが袋の中を覗きこんで笑う。

「ううー。あんまりお金持ってないんだよ……」
「侯爵に貰うか、ロパートの所へ行って引き出すかじゃな」

 どっちにしようかな? 考えているとケーキが運ばれてくる。テーブルの上に置かれたタルトを見て、コーデリアが「やっぱり、パイにしておくべきじゃったか」と呟いている。コーデリアは来てから迷う事が多いなー。
 さくっとフォークで一口切り分けて、口に運ぶ。コーデリアの目が輝く。

「おいしいのじゃ。これで正解じゃった」

 あーコーデリアは分かりやすいな~。わたしもスプーンで掬って一口食べる。

「うー。おいしい。カラメルがぱりぱりしてて、中はとろ~っとしてる」
「あきは分かりやすいのじゃ」

 2人でじたばたしてると周りで話している声が聞こえてしまう。「なんで女の子ってじたばたするんだろうね?」そんな声が聞こえてコーデリアと2人で赤面してしまう。……いらない恥を掻いてしまった。

「ううー恥ずかしいよー」
「うむ。大人の女としてはあるまじき事じゃった」
「大人の女って、だれ?」

 きょろきょろ見渡すとコーデリアにポカッと叩かれた。

「わらわじゃ!」
「――コーデリアが?」

 思わず、口元を押さえてくすくす笑った。その所為でコーデリアにぽかぽか叩かれてしまう。痛いよー。やり返すんだから!
 しばらく叩き合いが続いて、店員さんに怒られる。

「お客様、他の方のご迷惑になりますので、もう少し静かにして頂けませんか?」
「ごめんなさい」
「……悪かったのじゃ」

 2人で謝って大人しくケーキを食べるのを再開する。おいしい。
 食べ終わって馬車のところへ戻ると御者さんが露天で売ってるお肉を頬張ってた。わたし達の姿を見ると急いで飲み込もうとして喉に詰まらせてごほごほしてる。

「――大丈夫?」

 背中を叩く。御者さんは涙目になって頷いてる。そんなに慌てなくてもいいのに……。手に持っていたお酒をぐーっと飲んで一息をついた。

「あ、あき様。コーデリアさま、失礼しました。お帰りですか?」
「え、ええ帰るんですけど、本当に大丈夫?」
「少し落ち着くがいいのじゃ。慌てんでよいぞ」

 御者さんが落ち着くのを待ってから馬車に乗り込む。今日はこのまま帰った方がいいかもしれない。御者さんも休みたいだろうし?
 コーデリアと2人でそんな事を話してこのまま帰る事にした。馬車が動き出してターレンハイム家へと向かう。かぽかぽ走っている馬車の中でコーデリアが「金貨は侯爵に貰うとよいのじゃ」と言う。

「うん。そうする。何枚ぐらいいるかな?」
「5枚ぐらいで良かろう。そんなに使わんじゃろうし」

 ターレンハイムの門を潜って庭を進む。相変わらず広い敷地だよねー。歩くと一時間以上もかかるんだよ。メイドさん達もどこかへ行く時は何人かで馬車に乗って行くんだ。他の貴族の屋敷なんかではメイドは歩いていけ。とか言われるそうなんだけど、流石にこれだけ広かったら歩いて行くのは大変だと思う。

「とはいえ、普段からメイド達は歩いて玄関まで向かっておるぞ」
「大変だよねー」
「一時間以上かかるのはあきの足が軟弱なだけじゃ。少しはメイド達を見習うがよい」
「ううー。そうする」

 玄関まで帰って来たわたし達をメイドさん達が出迎えてくれる。いそいそと鞄を取り上げられてしまう。そうして部屋へと歩いていく。コーデリアとわたしは後をついていくように階段を上っていった。
 一旦部屋に戻ってから、侯爵のところへ行く。てくてく廊下を歩いているんだけど遠い。なんていうの? ショッピングセンターの様に広いんだよ。端から端までどれぐらいあるんだろう? 山越え谷越えみたいに階段を上って廊下を歩いてまた階段を下る。そうしてようやく辿りついた侯爵の部屋。
 扉をノックして侯爵の声を聞いてから部屋に入る。

「おお、あき。どうしたのかね?」
「ただいま帰りました、侯爵様。金貨を5枚下さい。お願いします」

 ぺこりと頭を下げると侯爵が不思議そうな顔をした。そうして首を傾げながら聞いてくる。

「……何に使うのかね? あきの生活の面倒は見ているし、お金が必要になったとも思えないのだが?」

 わたしは侯爵に今日の講義で出た課題の話をして、身代わりになるアイテムを作るために金貨が必要になった事を言う。コーデリアが「素材は何でもいいのじゃが、金貨が一番良く使われる」と、言っていた事を話したら、じーっと話を聞いていた侯爵は机の引き出しからお金の袋を出しながら「5枚でいいのかね?」と聞いてくる。

「コーデリアには5枚ぐらいでいいと言ってましたから5枚下さい」
「よかろう。5枚持っていきなさい」
「ありがとうございます」

 金貨5枚を受け取って、もう一度お礼を言って頭を下げてから部屋を出て行って自室へと戻っていった。
 部屋に戻ると、机の上に金貨を置いて本とノートを広げ、身代わりになるアイテム製作に取り掛かった。ノートを見ながら羊皮紙に儀式用の図面を描く。途中でノートに今、やっている儀式の手順を写す。そして呪文を確認すると、魔力を込めて、呪文を唱え、魔法を構築していく。構築された魔法を金貨に封じ込める。青い光が収束していき、金貨の中に閉じ込められた。これで……完成なはずなんだけど?

「これって、できてるのかな~?」

 羽ペンをノートの上に転がして、金貨を明かりに翳して見る。
 蝋燭の明かりに照らされた金貨は光を反射して輝いていた。手を翳して魔力の反応を確かめると確かに魔法が封じ込められている。試しにもう1つ作ってみた。出来上がった2つの金貨を並べて見比べながら腕組みをして考えている。
 
「でも……効果が分かんないよね?」

 どうしようかと思ってコーデリアのもとへノートと本と羊皮紙を持って向かった。
 廊下を走って向かうと部屋でコーデリアとタルコットがベットで寝転びながら話をしている。

「コーデリアー!」
「どうしたのじゃ?」
「どうしたんや?」

 わたしは身代わりのアイテムである金貨を見せながらさっきまでやっていた儀式を話して、ちゃんとできているかどうか、確認してもらう。コーデリアは金貨を明かりに翳してじーっと見ている。

「できておるではないか?」
「本当に?」
「何か不審な点でもあるのか?」
「なんや?」

 わたしはできているとは思うんだけど、効果が分かんない。と2人に話す。2人が金貨を眺めて首を捻る。

「……そもそも、身代わりのアイテムと言ってもちょっとした事ぐらいにしか効果はないのじゃ」
「そうやで、これを持っていれば死なずに済む。と言うもんや無いからな」
「そういう意味では十分できておると思うのじゃ。本来は何枚か作って一番魔力が篭っている物を使うのじゃが、まあ、これでも良かろう」
「……そうなんだ? てっきり……」
「てっきり、もの凄い効果があると思っていたんやな」

 タルコットが突っ込んでくる。うん。そう思ってた。だから何か凄い力みたいなものを感じると思っていたんだよ。

「身代わりのアイテムは魔力付与の防御系の魔法じゃ。ダメージを減らす事はできてもなくす事はできんのじゃ」
「自分が込めた魔力以上の効果はないで……あっ、そうや詳しい事は明日にでもラッセンディルに聞きに行きや」
「えっ?」

 なんだか、タルコットがおもしろがって言った。後ろでコーデリアもにやにや笑い出したし……2人とも面白がってる? 今こそ身代わりのアイテムが効果を発揮しないかな? 金貨を握り締めながらそんな事を思っていた。
 コーデリア達にからかわれていると部屋の扉がノックされてメイドさんが夕食の時間になった事を伝えに来た。一旦、部屋に戻って使わなかった金貨3枚を侯爵に返す為に持っていく。食堂にはすでに侯爵が座って待っていた。近づいて金貨を返す。

「おや、使わなかったのかね?」
「ええ、2枚だけ使いました」
「また必要になったら言いなさい」
「はい。ありがとうございます」

 金貨を返してから席に座って待つ。わたしの前に夕食が運ばれてきた。今日のごはんは……。ビヘモス牛の赤ワイン煮込みだー。
 おいしいんだけど……これを食べると酔うの。酔っちゃうの。仕方ないから一緒に出てきたポテトフライをモグモグ食べながら、その合間にお肉をつつくように食べる。スパイスを混ぜたお塩を振ったポテトフライはおいしい。ついつい食べ過ぎてしまう……。フォークに刺して食べていると侯爵が苦笑いを浮かべて見てる。

「あき。ポテトばかり食べているようだが……」
「ポテト、おいしい」

 侯爵に聞かれて返事をするとタルコットが突っ込みを入れてくる。

「あきー。お肉も食べるんやで」
「はーい」
「――普通は肉ばかり食べるでない。と言うところなのじゃが、いもばかり食うなと言われるのも珍しいのじゃ」
「おイモ好き……」
「分かった分かったのじゃ」

 コーデリアが再び、フォークとナイフでお肉と格闘をしだした。タルコットはお肉を大きく切り分けて食べてる。わたしはニンジンを炒めた付け合せをぽりぽり食べる。お肉は小さく切り分け飲み込んでいった。アルコールで酔いそうだよー。
 ごはんが終わったら、デザートだー。今日はグラタン皿に入ったオレンジのフランだよ。とろっとした熱いプリンのような食感とオレンジの酸味、甘酸っぱいのがおいしい。ふうふうしながらスプーンで掬って食べる。あー幸せだな~。はふはふ。後でコックさんに作り方を教えてもらおうー。

 食事が終わった後、侯爵は葉巻を吸いに喫煙室へと行こうとする。いつも思っていたんだけど、どうして喫煙室でしか吸わないんだろう? 気になったからついて行って聞いてみることにした。
 とことこついて行くと侯爵が不思議そうな顔をして振り返る。

「どうしたのかね?」
「うーん。侯爵様って喫煙室でしか葉巻を吸わないけど、どうして?」

 侯爵が遠くを見るような目をしながら話し出す。

「うむ。あれはまだ妻が生きていた頃だ。その頃はロバート達も幼くてな、私は執務室でも葉巻を吸っていたんだがロバートが真似をして葉巻を吸おうとしたのだよ。それを見た妻が『貴方が執務室でも吸うから真似をしたがるんです! お吸いになりたいのでしたら喫煙室に閉じこもっていて下さい』とそれはもう恐ろしいほど怒られてしまったのだよ」
「うわー」
「それからというもの、私が喫煙室以外で吸おうとしたら妻が飛んできて怒るようになってしまって、葉巻を吸う時には喫煙室に隔離されるようになったのだ。それ以来ずーっと喫煙室でしか吸わせてもらえなかったのだ。妻は怖かったのだ……」

 侯爵は話しているうちに思い出したのかガクガクと体を震わせる。それでも奥方の事を思い出してにやけてる。なんだかなー。怯えながらにやけるという器用な行動を取る侯爵……。
 侯爵が喫煙室に入っていくのを見送って、わたしはコックさんにデザートのレシピを聞きにいく。
 厨房ではコックさん達が休憩をしていた。コックさんにオレンジのフランのレシピを教えてもらう。

「あー。あれはですね。卵黄が3個、砂糖がだいたい胡桃ぐらいでクリームがカップに1杯、風味付けにオレンジのお酒をスプーン一杯ぐらいですか」
「お砂糖はかたまり?」
「ええ、かたまりで胡桃ぐらいの大きさを粉にするんです」
「カスタードみたい……」
「基本的には同じようなもんです」

 コックさんにお礼を言って厨房をでた。今度はお風呂に入りに行こうー。
 部屋に戻って、宝石類を外してから、着替えを持ってお風呂場へ向かう。脱衣室で着ていた服をかごに入れる。服と下着は別々のかごに入れる。お風呂場の仕切りを開けて中に入ると湯気で前が見えにくくなった。真っ白な湯気を掻き分けるようにしながら、大理石の床を歩いて湯船に近づく。
 お風呂場はきんきらきんなんだ。あちこち金細工で飾られていて光を反射して眩しいほどだよ。侯爵に聞いてみたところ、男性用はここまで豪華じゃないらしい。じゃあなんで? ってきいたら……たまに泊まりにやってくる貴族の女性用だそうだ。男性は貴族の女性ほど豪華じゃなくても文句を言わないらしい。
 他にもドラゴンの口からお湯が出てくる仕組みがあった。この世界ではライオンじゃないんだね……。よく見ると少しエステルのお父さんに似てるかも? エステルのお父さんを思い出して少し笑ってしまう。
 ぱしゃっとお湯を浴びて、タオルに石鹸を泡立てて肩から洗っていく。ふわふわの泡で全身が覆われる。

「あわあわー」

 両手に泡を掬ってふーっと吹く。泡が舞う。洗い流して今度は髪を洗う。この世界にも髪の毛専用の石鹸があるのだ。かなり昔に東の塔で開発されたらしい。ザクセン公国のアラン・ド・アラベール男爵という人が作った。アラベール男爵はカルクス王国からザクセン公国へ亡命してきて、髪の毛専用の石鹸を開発して以来かなりのお金持ちになったという。フリッツから聞いたんだけど、東の塔のサクセスストーリーの1つとして語られているんだって……。

「長いから大変だよ。短く切ろうかな?」

 指先で髪を梳かして、そんな事を呟く。しっかり濯いでおかないと髪の毛が痛んじゃうし、長いと大変だよね。でも切ろうとするとコーデリア達が怒るしなー。
 湯船に浸かるとお湯の中でストレッチ。足とかを揉んで解しておくんだ。でないと明日の朝が大変な事になってしまう。……こんな事は男だった時には考えた事なかったよ。

「ほっほっと」

 毎日やっておけと言われているバストアップ体操もやっておく。コーデリア曰く「豊かな胸は大胸筋から!」だそうだ……。腕立てとかベンチプレスの方が効果がありそうなんだけど? あんまり重いのは持てないけどさ。重いといえば胸も重いんだよ。なんでこんなに重いのかな?ぐにゅっと揉むと中に芯が入っているような感じがする。強く揉むと痛いんだよ……。漫画とかで胸を掴まれるというのがあるけど、あれ絶対、痛いよね? ……わたしだけかな~?
 後はゆっくりと浸かって疲れを癒す。お風呂に浸かっているとなんだか幸せだな~気持ち良いし。
 熱いお風呂で温まって湯船を出て体を拭く。バスローブを着て、髪の毛を纏めてタオルを巻くんだ。こうしなさいってコーデリアに教えてもらってからずーっとやってる。脱衣場の鏡の前に座って保水液をぱしゃぱしゃ、そのあと乳液もっ……。爪も磨いてっと、鏡の前に座ってこうしてると、女って面倒だなーっとつくづく思う……。男の方が楽だよ! お手入れだって大変だしさ!
 髪の毛を乾かして、髪型を整えて、ようやくお風呂が終わる。

 部屋に戻るとコーデリアとタルコットが集まってた。
 コーデリアとタルコットの2人は顔をパックで覆ってる。わたしはそれを見ながらおもしろいな~と思う。女性の化粧品はかなり充実しているのではないかな? と思っているんだ。アラベール男爵いらいどこの塔でも一攫千金を狙って研究されているそうだからね。
 パックを外したコーデリアが口を開く。

「あき。お主もするか?」
「うん。する」

 コーデリアに塗ってもらう。顔の上をコーデリアの指がすーっと動いてくすぐったい。パックをすると顔を動かす訳にはいかないから黙ってた。時間が経つのが遅く感じる。しばらく本でも読んで時間が経つのを待っていた。
 パックが乾いてぺりーっと剥がしていく。この瞬間が楽しい。パックの後でもう一度保水液を塗っておいた。ほっぺたがぷるんとしてる。コーデリアやタルコットとほっぺたのつつき合いをしている時、ノックの音が聞こえた。

「だれ?」
「――俺だ」

 フリッツがやってきたみたいだ。「開いてるー」と返事をすると扉を開けて入ってくる。
 フリッツがやってきて4人で話をしている。タルコットとフリッツは怖い話が好きでお互いに言い合ってた。わたしとコーデリアは聞きながら手を握り合ってる。

「という事があったんや」
「――ふ、ふふん。こ、怖くないのじゃ」
「ほぉー。なら今度は俺が話そう――」

 強がってコーデリアが言ったものだからフリッツが話を始めてしまった。ついでにタルコットが部屋の明かりを消してしまう。真っ暗な部屋でフリッツの話している。

 ――あれはおれがまだ東の塔にいた頃の話だ。
 東の塔には色んな国から魔術師、研究者が集まる。その中の一人にマリアンという男がいた。そいつはザクセンでも子爵の位を持っていてな、家は大きい館だった。しかし財政が苦しくなってそいつはどうしたものかと考えて所有していた船を客船として活用する事を決めた。従業員はメイド達がいたし、船は大きく小奇麗でそいつの家は料理がうまい事では有名だったから、これはイケルとメイド達ですら納得した。
 俺も一度泊まった事があったが感じのいい客船になっていたよ。
 ところが一年が過ぎた頃……。ザクセン公国の近海を航海していたある日、数名の男女が泊まりにやってきた。貴族には見えなかったが裕福な商人の子弟だと思われた。
 そいつらは2部屋に分かれて宿泊していたが、夜になって船上パーティーが行われた時、マストの紐を括っていた器具を酔って破壊したのだ。他の客は気づかずにそれぞれ思い思いの場所で酒を片手に談笑をしていた。
 そこへマストの紐が水平に襲い掛かる。
 一気に走り抜けた紐が壁にぶつかり紐が撓んだ時――。
 ――客達の体がずれて甲板に落ちたー!

「怖いわー!」
「怖いのじゃー!」

 フリッツが脅かすように大声を出した!
 わたしとコーデリアは抱き合ってフリッツを睨みながら叫ぶ! 話が終わった後、しらっとした顔で……「本当にあった話だ」と言った。
 それを聞いて余計に怖くなった。ケタケタ笑ってるフリッツ、酷いよー。タルコットがその後はどうなったんや? と聞いていた。

「ああ、マリアンが東の塔を通して、そいつらの実家へ損害賠償を求めた。王室も東の塔からの報告で騎士団を動かす事に同意して保証は得られたそうだが……流石にその客船は廃棄処分になったらしい。今でも別の客船で商売をしてる」
「という事は、そいつらの実家は潰れたな……」

 タルコットが苦い物を噛んだような顔をして言う。フリッツも肩を竦めて貴族の客が多かったからなと言った。
 わたしとコーデリアは2人でガタガタ震えてベットに潜りこんでいる。シーツから顔を出すとフリッツとタルコットがにやにや笑い……。

「臆病だな」
「臆病やな」

 と言って2人で笑いながら部屋を出て行く。

「おやすみやで」
「よく休めよ」

 後に残されたわたし達はベットの中で震えていた。
 ――こうして1日が過ぎていった。おやすみなさーい。



[12791] 第44話 「月の雫と愛の逃避行?」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/01/09 18:20

 第44話 「月の雫と愛の逃避行?」


 国王陛下と王妃様に宮殿に招かれるとそこにはウルリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク侯爵にルートリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク伯爵、さらにエルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵までがいた。その他にも知ってる貴族さん達がいっぱいいる……。
 エルヴィン・フォン・グリューネヴァルト伯爵って、ノエル王国の貴族さんなのにどうしてブラウンシュヴァイク侯爵の部下のようになっているんだろう?

「ああ、甥っ子なのだよ」

 侯爵がそんな事を言った。ブランヴェリエ侯爵一族とブラウンシュヴァイク侯爵家は何度か婚姻をしていてその関係で付き合いがあるらしい。複雑な親類関係があるんだな~。

「貴族社会とはそういうものだよ」
「ええーい。貴様はあきに近づくなー!」

 わたしとブラウンシュヴァイク侯爵とが話をしているとターレンハイム侯爵がわたしの腕を掴んで引き寄せ、ブラウンシュヴァイク侯爵を足蹴にする。ブラウンシュヴァイク侯爵は倒れ際にターレンハイム侯爵の足を払い。2人で宮殿の床に転がった。ついでにわたしも転がってしまう。痛いよー。
 そんな2人の様子を国王が倒れたわたしを起こしながら苦笑いを浮かべ見ている。

「おいおい――」

 国王が口を開き、声を掛ける前に2人の侯爵は立ち上がり、掴みあってる。

「ルドルフ!」
「ウルリッヒ!」

 わたしとエルマ王妃様は2人の様子を見ながらため息をついた。

「まったく困ったものね」
「そうですね……」

 子どもみたいな2人の侯爵を止める為にわたし達は近づいて引き剥がしていった。……なんでわたし達がこんな事をしているんだろう? 周囲を見れば、衛士も他の貴族達も遠巻きに見ているだけで誰も動こうとはしない。その態度に少し呆れてしまう。
 その後、別室に移ったわたしがエルマ王妃様にそう言うとエルマ王妃様は頷きながらも扇子で顔を隠して話し出した。

「ターレンハイム家とブラウンシュヴァイク家の二大巨頭があんな風に争っているところへ止めに入って睨まれたくないんでしょう?」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。あの場で2人を止められるのは立場上、私とあきだけよ。ほらっ、あきと私ならあきがターレンハイム侯爵を止めるでしょう? 私はブラウンシュヴァイク侯爵ね。それが国王と私だけならどっちがどっちの侯爵を止めるかでも問題になってしまうの」
「気苦労で大変ですねー」
「宮廷なんてそんなものよ」

 2人の侯爵に国王陛下とターレンハイムのロバート・ロパートさん達、それからブラウンシュヴァイク伯爵とグリューネヴァルト伯爵さん達が会議室へと向かっていった。会議室には官僚さんたちや大臣クラスの貴族さん、ヴァルテンブルグ伯爵なんかも……。会議室に入る前にたくさんの貴族さん達がわたしのところに挨拶に来たんだけどなんでかな?
 わたしとエルマ王妃様は会議室には入らなかった。政治的な難しい話は分からないし……。

「あき。難しい話はハインリッヒ達に押し付けて、私達はお茶でも飲んでいましょうか?」
「……そうですね」

 王妃様に誘われ王妃様の私室へとやってきた。
 私室の中でお茶を飲みながら話をしていると王妃様が「会議なんて長いだけなんだからあの方達に結論を出させて、私達は結論に不備があったら文句を言えばいいのよ」なんて言う。流石王妃様、難しい話はハインリッヒ達に押し付けてなんて言うからどうなるのかな? と思ったけどちゃんと後でチェックするんだ……。

「そりゃあそうよ。あの人達に任せてたらどこまで暴走するか分からないわよ」
「――暴走ですか?」

 思わず、じっと王妃様を見つめる。王妃様は「あらやだ」なんて言って両手で頬を押さえるけど、わたしは侯爵達を思い浮かべてがっくりしてしまう。

「――どうしたの?」

 王妃様がカップをテーブルに置いて覗き込むように上目遣いで見てきた。

「やっぱりほっといたら暴走しますよね……」

 わたしは先代国王が言ったという悪ガキ3人組の話を言うと王妃様が扇子で口を押さえつつ肩を叩いてくる。目に涙が浮かんでいた。なにもそこまで笑う事も無いんじゃないかな?

「その話なら私も先代国王陛下から聞かされましたよ」
「そうなんですか?」
「ええ、そうよ。それでね『くれぐれもあの3馬鹿を監視しておいてくれ』と頼まれたわ」
「3馬鹿って、先代国王陛下も言う事キツイです~」

 2人して笑ってしまった。話をしているうちに貴族さん達が挨拶に来た事を話したら王妃様が人差し指を頬に当てて、にやりと笑う。なんでかなって聞いてもにやにや笑うだけで教えてくれない。むー。王妃様もいじわるだよー。
 それからあきも好きな人はできたかしら? と聞いてくる。わたしが慌てると王妃様はすすっと近づいてきてねえねえ、と肩を揺さぶってくる。王妃様の目が好奇心で輝いていた。わたしがフリッツやロパートさんの事を話すとにやにや笑って「まあまあ!」と大げさに両手をくねらせて喜ばれてしまった。

「えっ、え~と、王妃様。そういえば宮殿に置かれている葉巻ってどこの物なんですか?」

 騒いでる王妃様から話題を変えようとして、わたしは聞いてみた。侯爵がいつも吸っている物とは違うような気がしたし、ブラウンシュヴァイク侯爵が吸っている物とも違うよね? 売ってる店を見たこと無いし……。

「――えっ? 葉巻?」

 王妃様は戸惑ったような顔をして聞き返してきた。

「ええそうです。売ってる店を見たこと無いです」
「あれはクラクフ産なんだけど、王室御用達だから売ってないわよ」
「えっ? そうなんですか」

 驚いてしまった。王室御用達なのは分かるけど売ってないなんて……もったいない。売り出せば儲かると思うんだけど? そう言ったら色々あるのよ。と言われてしまった。でも欲しいならあげましょうか? と言われたから貰う事にする。帰ったら侯爵にあげよう。
 王妃様がお付きの侍女に言って持って来させた葉巻の箱をありがたく頂く。50本入りで結構大きい箱だった。B4サイズぐらいで厚みは雑誌ぐらいある。これより小さい箱は無いんだって。コロナとかパナテラとか言われても分からないよね。
 テーブルの上に置かれた葉巻の箱を見ながらそんな事を話す。王妃様が笑って私も分からないわって言う。

 それからも長いこと話していたのだけど、会議が中々終わらなくてわたしは宮殿を帰る事になった。
 王妃様に見送ってもらって馬車に乗って帰る。黒塗りの4頭立ての馬車なんだよ。いつもなら2頭立てなんだけど宮殿に来るからっていつもよりも多いんだ。普通車から高級車に変わったようなものかな? 国王陛下なんて6頭立ての馬車に乗ってる。リムジンって感じ?

 ターレンハイムのお屋敷に帰って部屋に戻るとフリッツがやってきた。フリッツは部屋に入るなり「明日、シリル・ド・アルカデルト男爵の店に行くんだが一緒に来るか?」と聞いてきた。

「シリル・ド・アルカデルト男爵って?」
「西の塔の魔術師でな、魔力付与を専門にしていたんだが。店には変わった香水があるそうだ」
「――行く!」

 なにかおもしろそうだ。楽しみだな~。フリッツが明日は西の塔へ行ってからアルカデルト男爵の店に向かうというので今日中に用意をしておこう。
 フリッツが部屋を出て行ってから大急ぎで用意をし始めた。お店に買い物に行くのだからドレスは着てこなくてもいいと言ってるし、魔術を見せてくれるらしいから、身軽な格好で行った方がいいよね。

「じゃあ、服はどれにしようかな?」

 ドレッサーの扉を開けて中に吊るされている衣装を見ていく。春だから薄地の方が良いかな? でもまだ寒いしな~。上に羽織るものを持っていった方がいいよね。そう思いながらドレッサーの中を探して回る。
 青地にチェック柄の薄地のワンピースにネクタイ代わりにリボンを結んで……と、仕方ないのだ。この世界にはこういう服しかないのだ。大体貴族さん達はドレスしか着ないし、街の人だってドレス系だよ。生地が高いか安いかだけだもん。後、装飾品とかで違いをだしてるだけだしね。たまにはズボンとか穿きたいよね? というかコルセット外したい。いっそ折角作って貰ったんだから、アビ(上着)、ジレ(ベスト)、キュロットの三つ揃いでも着てやろうかな? でも……ルパートとかは長ズボンなのになんでわたしだけキュロットなんだろ? 
 とまあ、散々引っ掻き回して服を決めたのだけど……。お洒落って面倒だよー!

 服が決まったところで明日持っていく荷物を用意する。日傘はいるかな? ノートにペン、それからインク壷にタオルとかも持っていこう。葉巻はどうしようかな?
 机の上に置かれている葉巻の箱をじっと見つめる。侯爵へのお土産に貰ったものだけど、アルカデルト男爵への手土産にしてもいいかな?

「うん。持っていこう」

 いそいそ荷物の中へ入れていく。
 こうやって用意を済ませると明日のお弁当のお願いをしに厨房まで向かう。厨房ではコックさん達が忙しそうに夕食の下拵えをしていた。
 コンコンと開けられたままの木の扉をノックする。音に気付いたコックさんがやってきて何か御用ですか? と聞いてきた。

「明日ね。お弁当を二人前欲しいんだけど」
「二人前ですか、分かりました。用意しておきます」
「お願いします」

 ぺこっと頭を下げて厨房を立ち去る。
 侯爵たちも帰ってこないし今日は早く眠ってしまおう。夕食を食べて(お魚だった)お風呂に入って眠ってしまう。

 翌朝早くにわたしとコーデリアとフリッツの3人は西の塔へと向かう。
 コーデリアはいつもより多いわたしの荷物を見て首を捻っていた。わたしは不思議そうな顔をしているコーデリアを見ながらにこにこと笑みが浮かんでいた。楽しみだな~。
 午前中は別々の講義室へと向かう為にわたしとコーデリアは違う部屋へと別れていく。フリッツはとっくに研究棟へ行ってしまっている。

「ではまた、昼食の時にいつもの中庭にいるのじゃ」
「うん。中庭でね」

 手を振って別れる。
 わたしは2階の講義室へと向かい途中でフリッツと逢った。フリッツは重そうな書類の束を両手に持って歩いている。さっき別れたばかりなのにもう、雑用に駆りだされているんだね……。あれじゃ前が見えないよね。たくさんの書類を持っているのを見て少し笑ってしまう。

「ラッセンディル男爵。あとはこちらもお願いしますね」
「――ああ」

 すれ違い際にフリッツの隣から声が聞こえた。ちらっと見たら何かもの凄く着飾った女の人が書類を捲りながら一緒に歩いている。
 ――あの派手な人誰だろう? 見たことないな~。
 そう思って見てたら女の人に睨まれてしまった……なんで?
 冷たい目で睨まれて動けずに立ち止まっている。その横を書類の束を抱えて歩いているフリッツと女の人が通り過ぎていった。
 部屋に入って席に座ってからもずーっとさっきの女の人の事が気になっていた。

「睨まれるような事はしてないと思うんだけどな……」

 机の上に置いた本をぺらぺらっと捲りながら考えている。

「――あき君。わしの授業は退屈かね?」

 いつの間にか首席導師が隣に立ってた。

「えっ? あ、あわわわー」

 授業、始まってたー! うそーいつの間に?
 あわあわと慌てていたら、首席導師に本で頭をぽかりと叩かれてしまった。ううー。失敗したー。

 午前中の休み時間に首席導師から説教をされてしまい。がっくりと落ち込んでいた。

「しかし何があったのかな?」
「――実は……」

 朝、廊下でフリッツと女の人が一緒に歩いていて、それはいいんだけど女の人に冷たい目で睨まれてしまった事を話す。首席導師は天井に視線を向けなにやら考え込んでいる。しばらくそうしているかと思えば、ぽんと手を叩いて思い出した。と言い出した。

「それはカスタニエ男爵の娘のメルクール嬢だな……」
「どうしてかな~?」
「そりゃあ……あの娘があき嬢を妬んでいるからじゃ」
「……なんで?」
「あの娘は、大魔術師と呼ばれたいんじゃよ。それこそフリッツ・フォン・ラッセンディルのようにな。ところが古代語魔術の中でも失われた秘術と言うものは中々お目に掛かれん。教えて貰おうとしても知っている者は口が固いしの、フリッツにしてもそうじゃ。ところがあき嬢なら簡単に教えてもらう事ができるじゃろう。と思われているんじゃ」

 首席導師は目を瞑ってこめかみを指で叩きながら話している。
 でも聞いても教えて貰えないと思うんだけど……。秘密にしているのは危険だからでしょ?

「それが分かるぐらいならあき嬢を妬んだりはせんじゃろうな」

 そうやって首席導師がため息をつく。その上、メルクール嬢はそれほど魔力が強くないから秘術を使える訳ではないのじゃが、とも言ってる。強くないから使いたいんじゃないの? って聞いたらそれもあるかもしれんな、と言う。
 お話していたらフリッツが部屋に入ってきた。

「――フリッツ?」
「噂をすれば影だな」
「何の事でしょう?」
「いや、こっちの話じゃ」

 そのあと、首席導師とフリッツが何か難しい話を始めた。仕方ないからわたしはその辺をぶらぶらする事にして部屋を出て行く。
 廊下を歩いて途中で売店によってクッキーを買い求め、塔の屋上にある空中庭園にやってくるとベンチにさっきの女の人――カスタニエ男爵の娘のメルクール嬢が座っていた。わたしは別のベンチに座って買ってきたクッキーを齧りながら空中庭園から雲を見上げている。

「あ~雲が流れてくー」

 お日様が気持ちいいなー。ぽかぽかして眠たくなるけど……。頭がぼぉーっとしてきちゃうよ。目を瞑ってお日様の気持ちよさにうとうとしていた。
 背後でがさっと音がして振り返ったらベンチに座っていた女の人が後ろに立ってる。

「――はえ~?」
「ここいい?」
「いいよ」

 メルクール嬢がわたしの隣に座る。なんだか視線を感じる。首を捻って隣を見ると、メルクール嬢がじーっと見てた。

「なに?」
「あきさんはラッセンディル男爵のお弟子さんなんでしょう?」
「違うよ。コーデリアの弟子だよ。フリッツには少し教わってるだけだよ」

 あっ、眼つきがキツクなった。怒ってる?

「どうしてですか?」
「どうしてって言われても……」

 先にコーデリアの弟子になったんだし、錬金術を教わっているからかな?

「もったいない! せっかく大魔術師の近くにいるというのに学ぼうとしないなんて、どうかしてます!」
「うわー」
「私なら絶対、必死になって学んでいます」

 それってわたしの勝手だと思う……。錬金術を学んでいるから魔術にまで手が回らないだけなのに。どうかしてます。なんて言われたくないよー。それに魔術の才能も無いし……。というかわたしはこの世界の生まれじゃないから基本的に魔力が少ないんだぞー! だから古代語魔術なんてあんまりできないんだよぉ~。特に攻撃魔法なんて無理。神聖魔法は女神から力が送られるから使えるけどね。

「ふーんだ」
「まったくなんて向上心の無い人でしょうか! それなのにこんな人に秘術を教えて私にはどうして教えてくれないんでしょう……?」

 なんか1人で百面相をしてる。教えてくれないのは危険だからだと思うけど? 分かってないのかな……。

「危険だからだと思う」
「私には扱えないとそう仰るんですか!」

 テンション高いなー。でもその通りじゃないかな?

「……例えばね。え~っと、メルクールさん?」
「――メルクール・ド・カスタニエです。父は男爵です」

 メルクールさんが胸を張っていう。

「うん。分かった。それでね、メルクールさんはクレイモアを持って使える?」
「えっ? クレイモアですか?」

 あっ、呆気に取られた?

「そう、クレイモア」
「そんな物使える訳ないじゃないですか!」

 怒り出した短気だな~。手足をばたばたしてるよ。カルシウムが足りてないんじゃないかな。

「うん。使えないだろうね。でも魔法も同じじゃないかな。メルクールさんがクレイモアを使えないのは基礎体力が無かったり腕力が弱かったりするからでしょ? それと同じように秘術を使うには基礎的な魔力が足りなかったり、体力が無いからだと思う。だから教えられない」
「私の魔力が弱いとでも仰るんですか!」

 メルクールさんはベンチから立ち上がって怒ってる。
 でもさ。フリッツよりも魔力は弱いと思う。メルクールさんって気づいてないの?

「フリッツよりもね。弱いと思うよ。違うかな?」
「ラッセンディル男爵と比べないで下さいませんか! あの方は特別です」
「でも、その特別な人と同じようになりたいんでしょ? フリッツ並みに魔力が無いと無理なんじゃないかな? フリッツはその強い魔力を背景にして魔法を構築してるし、秘術も同じだと思う。だからね同じぐらい魔力がないとそもそも使えない」

 ギラギラした目で睨んできて怖い。わたしから見てもメルクールさんの魔力はたいした事無いと思えるんだけどね。コーデリアやルパートでさえ、フリッツには魔力で負けているんだよ。タルコットだって魔法を防御されちゃうし、はっきり言ってあの3人よりも魔力が強いとは思えないなー。それなのに秘術を使いたいと思うのは無謀だと思う。

「魔力が弱いから諦めろと仰るんですか?」
「ねえ、秘術が使いたいの? それとも大魔術師と呼ばれたいのかどっち?」
「……大魔術師です」

 メルクールさんがベンチにぺたんと座り込んで言った。なんか目が虚ろになってる。まずいかな?

「大魔術師になりたいのなら魔法の精度を高めたり、使い方を工夫すれば名人みたいになれると思う。名人になったら大魔術師と呼ばれるでしょ。違う?」
「そうかもしれませんわね……」
「よく考えた方がいいよ。精度を高めたいのなら、フリッツや首席導師だってやり方を教えてくれるよ」

 わたしは虚ろにぶつぶつ言ってるメルクールさんを置いてベンチから立ち上がると塔の中へ戻っていく。
 こういうのって自分で考えなきゃね。階段を降りながらそんな事を考えている。最上階を降りたところでばったりフリッツと出会った。

「あき。ここにいたのか?」
「どうしたの?」
「今からアルカデルト男爵のところへ行くぞ。荷物を取って来い」
「えっ? 今から?」
「そうだ!」

 びっくりだー。そんな急に行くとは思ってなかったよー。
 わたしはフリッツに急かされるように講義室へ荷物を取りにいった。途中でコーデリアに連絡しておこうと思ったんだけど、馬車に乗せられてしまって連絡を取れずじまいになってしまった。
 馬車の中でフリッツがなにやら書類を読みふけっていた。

「なに読んでるの?」
「うん? ああこれか、これはアルカデルト男爵の研究報告書だ」
「なんで急に行くことになったの? コーデリアと一緒に行こうと思ってたんだけど」

 フリッツは馬車の窓を見ながらぶつぶつ言ってる。なんだろ?

「コーデリアも連れて行くとタカられるじゃないか」
「えー。そんな事無いと思うけど」
「いや、あきはそう言うがな、コーデリアといいタルコットといい。あいつらは金を持ってるくせに連れてくと、ここぞとばかりにタカリに走るんだ」

 そう言ってフリッツはまた窓の外に目をやる。
 そんな風には……いや、面白がってタカるかもしれない。コーデリアとタルコットのにやにや笑う顔が目に浮かんだ。
 ――仕方ないかな? でも残念だなー。

 アルカデルト男爵のお店はファブリスの中でも魔法街と呼ばれる一角にあった。
 この辺りには魔術師や錬金術師達の店が立ち並んでいる。店のショーウインドウには見た事が無いような商品が並んでいる。その中には小さなホムンクルスが首輪を掛けられて繋がれている店もあった。

「ねえねえ。あれは何のお店なのかな?」

 わたしはホムンクルスが首輪を掛けられて繋がれている店先を指差してフリッツに聞く。フリッツはちらっと見て知らなくていいと言って答えてくれなかった。

「なんでよー」

 むーっと睨んだら、ため息をついて聞かない方がいいと思うんだが、と前置きをしてから話し出した。

「――ホムンクルスというのは道具扱いされているんだ。しかし一応人間と同じような構造をしている。……だからな、その、物好きな客を対象としたホムンクルスの娼館いうものもあって、まあはっきり言えば女衒のような店だ」
「女衒?」
「そうだ」
「かわいそうだよー」

 わたしがそう言うとフリッツは基本的にホムンクルスには感情を与えられる事はないし、こういった事を取り締まる法もないんだ。と言い出す。

「ルリタニアだけじゃないんだが、法律と言うのは人間を対象としたものだし、エルフやドワーフ、小人なんていうのはそれぞれの種族が交渉した結果、人間と同じ法の対象となった経緯があるんだ」
「それまでは対象となってなかったんだ?」
「まあ、そうだな。その所為で争いが絶えなかったが、かつてはエルフの法によって人間が処刑される事もあったぞ。無論エルフが処刑される事もあったがな」
「多種族間の法律問題があったんだ」
「だからファルスの町でエルフと人間の交渉が行われているんだ。あそこは交易の拠点というだけじゃない。そういった問題を交渉する場でもある」
「ふ~ん。エルがユニコーンの交渉をしているところしか見た事なかったけど色々してるんだね」
「まあ、そうだな」

 馬車の窓から外を見ると往来を呼び売りたちが底の磨り減った深靴を踏みならし足踏みをしている。春とはいえまだ寒いから所々で繋がれている馬を囲んで温かい脇腹に子供達が体を押し付けてる。太った母親がマントの中に子供達を入れて寄り添うように通りを歩いていく。空を見上げる。建物の煙突から白っぽい煙がいくつか立ち昇っていた。通りに面した店内では着飾った女性達が楽しそうに話をしていて窓の外ではへばりつくように子供達が中を覗きこみ追い払われている。
 錬金術の工房で慣れているから気にならないのだけど結構この辺りは色んな薬品の匂いが立ち込め混じり合っていた。

 アルカデルト男爵のお店の前で馬車が止まる。御者さんがドアを開けて、タラップを降ろしてくれた。先に下りたフリッツに手を引かれて馬車から降りる。屈みこんで足を下ろすとき、視線を上に向けると2階からわたし達をじっと見下ろすように覗いている女性の姿が見えた。
 木の扉はぴかぴかに磨き上げた真鍮で飾られ、硝子がはめ込まれている。ショーウインドウには色とりどりの小さな瓶が飾られていた。扉に書かれている店名を読む――アルカデルト香水店。
 香水のお店だったんだ……。アルカデルト男爵も一攫千金組かな?
 
 店の前に立ったわたし達をアルカデルト男爵が思いつめた顔で扉を開けて招き入れる。店の中は色んな香水の香りが充満していて良い香りだったけど雰囲気がぴりぴりしてる?

「初めまして、シリル・ド・アルカデルト男爵――」

 わたしが挨拶をしようとした時、アルカデルト男爵がわたしの足元に跪いてスカートのリボンを握り締め足にすがり付いてきた。
 な、なにごとー? わたわたと慌ててしまう。フリッツも呆気に取られたようだった。

「――アルカデルト男爵?」
「む、娘を助けて下さい!」

 フリッツが声を掛けてしゃがみ込んだ。でもアルカデルト男爵はフリッツの方を見ようともせずにわたしを上目遣いで見上げて、すがり付いてくる。

「なな、なにかな?」

 視線を逸らしてフリッツを見る。視線が合うと頷いてフリッツはアルカデルト男爵の肩を叩き「何事ですか?」と問いかけた。
 泣き声になりながらアルカデルト男爵が言うには娘さんが病気になって医者に見せたのはいいのだけど誰も原因も治療法も分からずじまいで今にも死にそうになっているらしい。

「聖女様ー! む、娘をー」

 話を聞いていると奥からもの凄く太った母親らしき女性がそれこそ転がるようにやってきてアルカデルト男爵と同じように縋りついてくる。

「と、とにかく、娘さんに会わせて!」

 わたしはそう言って2階へと駆け上がっていく。フリッツも着いてこようとするのを止めて、お湯を一杯沸かして綺麗な布を用意して貰って! っと言った。母親は重たそうな体を震わせながら階段を一生懸命に上ってくる。
 2階の娘さんの部屋に入ると、腐ったような匂いが立ち込めて娘さんの片足が腐りかかっていた。

「え~っと、まず、服を脱がせて」
「は、はい」

 ようやく階段を上り終えた母親がいそいそと、はあはあと息を荒くして、娘さんの服を脱がせていく。布が腐っている足に引っ付いているのか、ぐしゃっていうのか水分を含んだ重たい布がベットの横に置かれている桶の中へ落とされた音が聞こえる。
 わたしはベットの横に立つと『治癒魔法』を唱えていく。

「女神コルデリアの名において――」

 隣では母親がエプロンを握り締めて見守っている。ぼんやりとした赤い光が娘の体を包み込み『治癒魔法』がゆっくりと沁み込んでいく様に足から膿が後から後から溢れだしシーツを滲ませていく。

「――病める者を癒したまえ」

 母親がその様子を見て、目を潤ませて息を飲む。部屋の外からたくさんのお湯が桶に入れられて運び込まれてきた。わたしは綺麗な布をお湯に浸して絞ると娘さんの体を拭う。何回も何回も繰り返していくと膿が拭い去られ下から綺麗な皮膚が現れてきた。娘さんがごほごほ咳き込み、わたしが差し出した桶の中に血と膿の混ざった物を吐き出していった。

「はい。これで口の中をゆすいで」

 水の入ったコップを口元へ持っていき、ゆすがせる。うがいをさせると口の中に溜まっていた膿が残らず吐き出されていく。それと共に顔色が良くなり呼吸も静かになってゆく。
 もう一度、お湯を持ってきて貰って娘さんの体を綺麗なお湯で洗っていった。ようやく終わった頃には娘さんはすやすや眠ってしまい、呼吸も安定していた。

「せ、聖女様……」
「もう大丈夫だよ」

 わたしがそう言うと母親が泣き崩れたから部屋から連れ出そうとしたのだけど、びくともしない。重いよー。う~んう~んと唸って、ここで泣かれると娘さんが眠れないからね。と言って部屋から出そうとしてたら、横からひょいっとアルカデルト男爵が母親を抱えるようにして持ち去っていった。凄いねー。よくあんなに重たいの持ち上げられるなー。妙なところで関心してしまった。





 あきがシリル・ド・アルカデルト男爵の娘、アンヌ・マリー・ド・アルカデルトを治療していた頃……。西の塔ではコーデリアがあきを探していた。

「あき~。どこにおるのじゃ? わらわはお腹が空いたのじゃ」
「あき嬢。どこだ~」

 首席導師のリヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵も一緒になって探している。
 あき嬢。行方不明! その言葉が頭の中をぐるぐると回っている。近くにいた研究者や学生を巻き込んで捜索が行われたが西の塔のどこにも見当たらなかった。
 そのうち、馬車が一台いなくなっている事に気づいた首席導師は御者の集まる一角へと足を運び、あきを乗せていった者はおらんか? と聞いて回っていた。

「そういえば、午前中にラッセンディル様が馬車を用意してくれと言ってきました」
「なに。フリッツが、か?」
「え、ええ。そうです」

 首席導師はコーデリアのところへ向かうと御者達から聞いた話をする。コーデリアは目を見開き驚いた。

「まさか……誘拐?」
「いや、そんな事はあるまい」
「それでは拉致か! おのれーあの変質者めー!」

 コーデリアがターレンハイム家に使いを出そうとするのを首席導師は必死になって止めようとする。

「落ち着け。落ち着くのじゃ!」
「え~い、離すのじゃ!」

 じたばた暴れるコーデリアを抱え、首席導師はターレンハイム家に連絡すると事が大げさになってしまうと言う。コーデリアはあきが心配なのじゃー! と喚き、それを聞いていた研究者の1人が勝手にターレンハイム家に使いを出してしまった。

「短絡するでない。遊びに行ってるだけかもしれんぞ?」
「それなら、わらわも連れて行くはずなのじゃ!」

 ターレンハイム家ではやってきた使いの言葉を聞いて、すぐさま捜索隊が結成され捜索に乗り出した。ついでに侯爵に言うべく宮殿にも使いが出される。

「もしかすると今頃、あき様は、ラッセンディルに散々弄ばれてしまっているかもー」
「もしそうなら……ふっふっふ。――殺す!」
「生死は問わぬ。ラッセンディルを見つけ次第、取り押さえよ!」

 メイド長の指示により、結成された捜索隊のメンバーが声を揃えて口々にころせー! と叫び出す。

「行け!」
「おおー!」

 猟犬のような捜索隊がファブリスの街に放たれた。

 さらに一方、宮殿では会議の最中に届けられた知らせに会議に参加していた貴族達が真っ青になっていた。

「ノエル王国の策謀か?」
「いや、ラッセンディルの犯行だそうだ!」
「とにかく一刻も早く探し出せ!」

 使いを下がらせたターレンハイム侯爵が席を立ち上がり、部屋に集まっている貴族達に向かって宣言する。

「奴の所為で、あきが何らかの精神的、肉体的な苦痛を蒙った場合、私は断固たる態度をとるつもりだ。考えうる限りの厳しい処罰を覚悟してもらおうか、ふっふっふ」

 ターレンハイム侯爵の不気味な笑い声に、それまで喧騒に包まれていた会議室がしーんと静まり返る。

「ラッセンディルがあきに何らかの……何らかの破廉恥な行為に及んでいた場合……私はあやつを抹殺する! いや! それだけではない。ありとあらゆる手段を持って精神の均衡を失うまで拷問に掛けてくれる。肉体を五分刻みに切り刻んで魚の餌にしてくれるわー!」

 ターレンハイム侯爵の背後で、怒りとも不安とも焦燥ともつかないような、ほの暗いオーラが揺れていた。めらめらと。ドス黒く。
 なんとなく、自分を見失いかけているような感じさえする。
 最後にうちの娘に手を出す奴はころーす! と叫んだところで、ウルリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク侯爵が動いた。

「ターレンハイム侯爵が錯乱なされた。誰か、医務室へお連れしろ!」
「はっ!」

 という声と共にいく人かの貴族達がターレンハイム侯爵を抱えて会議室を出て行った。

「あのバカはほっておいて、騎士団に捜索を開始させろ!」

 連れ出されていくターレンハイム侯爵を横目で見つつブラウンシュヴァイク侯爵は会議室に残っている貴族達に命じる。
 ターレンハイム侯爵をバカと言って切り捨てる事の出来るのはブラウンシュヴァイク侯爵だけだろうとこの場にいる全員が心の中で思っていた。
 国王陛下は連れ去られていくターレンハイム侯爵を見ながら、頭を抱えていた。ブラウンシュヴァイク侯爵に目をやってため息をつく。

「国王陛下……あのバカは眠らせておきましょう。話がややこしくなる」
 
 呆れたような目でブラウンシュヴァイク侯爵が国王陛下に向かって言った。

「しっかし、ルドルフのやつも親バカになったな……」

 国王陛下が抱えていた頭を上げてブラウンシュヴァイク侯爵に話しかける。

「あき嬢が絡むと途端におかしくなる……困ったものだ」
「はぁー」

 と、2人してため息をついていた。そこへ王妃が飛び込んできた。

「あきとラッセンディルが駆け落ちしたんですって?」

 息を切らせた王妃は入ってくるなり国王に向かって問いかける。なんだか顔が紅くなって興奮している。その場でくるくる回りながら夢見るような目で「愛の逃避行ね」と嬉しそうに言う。

「……王妃様。駆け落ちではないと思います」
「あら、違うの?」

 王妃はどこか残念そうだ。

「ああ、エルマ。大方どこかで遊んでいるのだろうと、私は思うよ」
「国王陛下の仰る通りだと思います。ルドルフが騒いでいるだけで駆け落ちだの逃避行だのと言った事ではないでしょう」
「なんだ。つまんないの。いっそ本当に駆け落ちだったら面白かったのに……」

 王妃はそう言って部屋を出て行った。部屋に残った国王陛下とブラウンシュヴァイク侯爵の2人はため息をついた。
 私室に戻った王妃は侍女達にラッセンディルとあきの『愛の逃避行』を手助けするように配下の者たちを動かすように命じる。頷いて出て行く侍女達を見送りながら王妃は呟く。

「いっそ本当に『愛の逃避行』にしてしまいましょう。くすくす……」

 王妃の笑い声が部屋の中に響き渡る。




 そんな事になっているとは露知らず、あきはアルカデルト男爵の店で香水を見ていた。

「これは?」

 わたしは治療が終わったあと、いくつかの香水を試しながらアルカデルト男爵の店で近所の人達と話をしている。
 店に並べられている香水はどれもいい香りがしてうっとりしてしまう。店の中には集まってきた人達で一杯になってる。近くに店を構えているというおばさんがクッキーを持ってきてくれた。なんでもアルカデルト男爵の店で作られたオレンジの香料を使用しているとかで口に入れるとオレンジのいい香りがしておいしい。

「紅茶にも香りをつけようと試しているんですよ」
「あー。イチゴの香りとかつけたら、おいしそうだよねー」

 ぽりぽりクッキーを食べながら聞く。うまうま。
 そうやって話をしていたら、赤ん坊を連れた母親がやってきて、ぼそぼそと小さい声で「この子の病気も治してくれませんか?」とびくびくしつつ聞いてくる。それを聞いた他の人達が一瞬、固まってしまった。
 ひそひそと話し声が聞こえてくる。いくら掛かると思ってんだい。とか、言ってる。
 わたしは子どもの前にしゃがみ込むと両手で顔を挟んで『神聖魔法』使って治してしまう。別にお金はいらないんだけどな~。そうして治してから子どもの口にクッキーを放り込んだ。子どもと2人でぽりぽり食べる。にっこーと笑う顔がかわいいな~。
 
「あの~。いくらかかるんでしょうか?」

 おずおずと聞いてくる母親に只でいいよ。と言ったら、店にいた人達が急いで出て行ってしまった。あれー。どうしたんだろ?
 みんないなくなってしまった店内で、わたしと子供と母親がクッキーを食べてる。



 ラッセンディルはアルカデルト男爵に詰め寄っていた。

「――アルカデルト男爵。新作の香水が出来たから試しに来てくれと言ったよな? それなのに病人を治してもらう為に嘘を言ったのか」
「そうでも言わんと来てくれないだろう!」
「そんな訳あるか! 正直に言ってくれたらちゃんと用意してきたさ。今回は治って良かったが、薬が無くて手遅れになったらどうするつもりだったんだ!」
「『神聖魔法』の使い手だろ? 薬は使わないんじゃないのか?」
「それでも魔術師か? 万能の力がある訳無いだろうが!」

 あきに聞こえないように注意しながら喧々囂々の言い争いをしている。



 街中を捜索しているメイド達はあきの乗った馬車を探していた。時折、騎士団が馬で走り去っていくのを横目で見ながら噂を集めていく。その中で『聖女様』が魔法街の方へ行ったという噂を聞きつけ、急いで向かう。
 メイド達を追い越すように王室の紋章をつけた馬車が走っていく。


「聖女様。この子もお願いします!」
「この子も!」
「うちの人もお願いします!」

 お店の中には病気の人達で一杯になってしまった。全員一度に言われても困るんだけど? とにかく並んで、と言って順番に見ていく。なんでこんなに病人が多いんだろう?

「フリッツ。手伝ってー!」

 わたしは姿の見えないフリッツを大声で呼ぶ。奥の部屋から姿を見せたフリッツは驚いていたけど、頷くと病人達を並べて問診を始めた。アルカデルト男爵もフリッツに連れられて手伝っている。
 なぜか、アルカデルト男爵のお店は病院のようになってしまった。順番に治していく。う~ん。どうも慢性的な病気の人が多いな~。中にはどうみてもアルコールの飲みすぎで肝臓を壊したような人もいる。

「お酒禁止!」

 両手でバツ印を作って言う!

「酒を禁止されたらおれは死んじまうよー」

 泣きそうな顔をして男の人が駄々をこねる。

「だめったら、ダメ! はい、次!」

 とりあえず、肝臓は治したけど、お酒を飲んだらまた、なるよー。と脅しておく。
 目が見えなくなった人もいた。『神聖魔法』で治るのかなって思ったけど……どうも栄養不足のようだ。鳥目ってやつかな?

「野菜とか食べるようにね。ハーブなんか雑草と同じなんだから庭とかに蒔いておいたら、勝手に育つよ」

 治す事はできるんだけど……すぐまた病気になってしまいそう。ちゃんと栄養を考えて食べないと駄目なんだけどな~。ルリタニア王国の首都に住んでいる人達がこんな栄養状態なんだと思うと……どうしていいか分かんないよね? 王様とか王妃とかこういうのって知ってるのかな? 今度聞いてみよう。

 こうして治していってると店の外がなにやら騒がしくなった。
 何かなって思って見てみると……メイドさん達が武装して集まってる?

「あき様ー。ご無事ですかー!」

 飛び込んできたメイドさんがわたしに抱きついてきた。そうしてフリッツの顔を見るなり、剣を抜こうとする。

「死ねい! ラッセンディル」
「だめー! こんなとこで抜いたら危ないよー」

 わたしはメイドさんを押さえた。店の中は大騒ぎになってしまい。ちょっとしたパニックになっていた。メイドさんを押さえていたわたしは背後から誰かに抱えられる。首を捻って見てみると王妃様の侍女達だった。

「あき様。こちらへ」
「えっ? えっー?」

 侍女さん達に抱えられて連れ去られようとしてしまう。わたしは病人達に明日にでもターレンハイム家に来てねー。と叫ぶように声を掛ける。隣には侍女さん達に誘導されたフリッツがいる。
 わたしとフリッツは2人とも、王室の紋章のついた馬車に押し込められて連れ去られてしまった……。

「どこへ行くのー?」

 わたしが御者席に座っている侍女さんに聞くと……。風に紛れて返事が帰ってくる。

「お2人の愛の巣にです」
「愛の巣?」
「なんだそれは!」

 わたしとフリッツは顔を見合わせる。
 何か話がおかしくなってない? いつのまに愛の巣なんか作られたんだろう? というか、わたし知らないよー!

「フリッツ、知ってる?」
「いや、俺にも分からん」

 2人してとにかく一度、止めて話を聞かせろ! と、馬車の中から騒ぎたてている。
 そのお蔭か、馬車が止まった。馬車の中にやってきた侍女さんに話を聞くと王妃様がわたしが行方不明! になったのは『愛の逃避行』だとか言い出して、手助けしてあげなさいと命じたかららしい。

「違うよー。アルカデルト男爵の店に遊びに来たら病人がいて治療していただけだよ」
「ああ、新作の香水があるからあきに試して欲しいと頼まれてな。連れてきただけだったんだが……こんな事になってしまった」

 わたしとフリッツが説明をしていく。侍女さんが「では、駆け落ちではないのですね?」と確認してきた。

「ちがーう」
「……そうだ。違うぞ」

 あれっ? フリッツが一瞬、言い澱んだ?
 ちらっとフリッツの方を見る。視線を逸らされてしまった。むー。

「――アルカデルト男爵の店に戻ろう」

 フリッツは何かを誤魔化すかのように言ってる。

「では、アルカデルト男爵の店に戻りますか?」
「戻るよ。病人さんもいるし、治さないといけないからね」

 わたしがそう言うと、馬車が急回転してアルカデルト男爵の店へと爆走! して戻っていく。
 もの凄く怖い。馬車の中で倒れないようフリッツにしがみ付いていた。
 店に戻るとまだ、病人さん達は店の中に残っていた。みんな唖然とした顔をしている。わたし達が戻ってくるとほっとした顔になった。急いで馬車から降りると治療を再開する。フリッツは怖い顔をしたメイドさん達に睨まれながら問診をしていく……。

「聖女様。なにがあったんですか?」
「聞かないで、悲しくなるから……」

 来た人達全員の治療を終えたのは夜も遅くなってからだった……。疲れた~。
 くたくたになったわたしは、メイドさん達に抱えられるようにして馬車に乗り込む。帰りしなアルカデルト男爵と奥さんが何度もお礼を言ってくれたけど疲れていて、うんうん。と頷くだけのわたしだった。

 ターレンハイム家へ帰る途中の馬車の中でお昼ごはんを食べてない事に気づいて、お弁当をフリッツと2人で、もそもそ食べる。買い物もしてないし……。わたしは治療しに来ただけになってしまった。
 帰り着いたら、コーデリアが玄関で怒って待っていた。

「こりゃ~あきー! お主はどこをほっつき歩いていたのじゃ!」
「コーデリア。ごめんなさい」

 コーデリアに謝って、屋敷の中へ入ると……今度は侯爵が待っていた。

「あき。帰って来たんだな……」

 いきなり抱きつかれてしまう。侯爵……お願いはなしてー。引き剥がそうとするけど、疲れてて力がでない。ふらふらになりながら侯爵に振り回されていた。
 部屋に戻ってベットに横になるとそのまま眠ってしまった……。あ~結局、お土産の葉巻を渡しそびれたな~。むにゃむにゃ。




 あきが眠った後、ラッセンディルは侯爵の部屋に呼ばれていた。

「ラッセンディル。呼んだ訳は分かっているな」

 侯爵は椅子に座って、ひらひら動かされていた手が自然に合わせられていく。机の上に肘をついた。そうして親指を突き出すと侯爵はそこにあごを載せていった。少し前のめり気味になった侯爵の視線がラッセンディルを貫く。
 ルリタニア王国の中で長年に渡って勢力を拡大してきた大貴族から放たれる圧力にラッセンディルは少したじろいた。

「――はい」

 机の前で直立したラッセンディルが答える。

「メイド達から報告は受けた。従ってあきが疲れているのは大目に見よう。……しかし、君がだ。あきに何らかの破廉恥な行為に及んでいた場合は! その場合には覚悟してもらおうか」
「そのような行為には及んでいません」
「その件に関してもシリル・ド・アルカデルト男爵からメイド達が確認している。男爵の娘――アンヌ・マリー・ド・アルカデルトの治療をしており、大変だったそうだな。男爵はあきに感謝していたそうだ」
「……そうですか。それは良かった」

 侯爵から放たれる圧力が強くなった。

「うむ。大変喜ばしい事ではある。近隣に住む住人達からも感謝されていたそうだしな。しかしな、それらとは別に1つ分からんのはだ。なぜ、誰にも言わずにあきを連れて行ったのかだ。どうしてかね?」

 ラッセンディルの背中に冷たい汗が流れていく。喉がからからに渇いていた。侯爵に睨みつけられながらラッセンディルは考えていた。しばらく考え、口を開く。

「あきにも言った事ですが、コーデリアを連れて行った場合、ここぞとばかりにタカリに走られそうだったからです」

 侯爵は目を瞑ってラッセンディルの答えを黙考している。しばらくそのままでいたかと思うと目を開けて言う。

「確かにそうなるだろう。その事に関しては私も同意見だ。しかし首席導師には言うべきだったな」
「はっ! 私の思慮不足でした。以後気をつけます」
「そうしてくれたまえ。それから君に言っておく事がある。……君の所為で、あきが何らかの精神的、肉体的な苦痛を蒙った場合、私は断固たる態度をとるつもりだ。考えうる限りの厳しい処罰を覚悟してもらおうか、ふっふっふ」

 再び、侯爵の背後で、怒りとも不安とも焦燥ともつかないような、ほの暗いオーラが揺れていた。めらめらと。ドス黒く。
 なんとなく、また自分を見失いかけているような感じさえする。
 ラッセンディルは侯爵の迫力に圧されそうになっていた。しかしそれでもじっと侯爵の目を外さずに真っ向から受け止めていた。

「以後気をつけます」
「そうしてくれたまえ」

 ラッセンディルが部屋を立ち去る時、背後からふふふ、と侯爵の笑い声が聞こえていたが気にしないように自分に言い聞かせる。
 そのままあきの部屋にやってくると部屋に入り、ベットで寝ているあきの寝顔を見つめた。いつのまにかメイド達の手によって化粧は落とされ、夜着に着替えている。すやすやと眠るあきの寝顔を見つめ髪を撫でている。
 背後からカタッと音がして振り返ると――コーデリアがいた。コーデリアの目は怒りに燃え、ラッセンディルを睨みつけている。親指を扉の方へ向け、出ろと目で言う。
 コーデリアとラッセンディルの2人はあきを起こさないように部屋から出た。

「ラッセンディル。よくもわらわを除け者にしてくれたものじゃ」
「お前が来るとタカるだろう」
「それがどうしたと言うのじゃ。あきには買ってやるくせに」
「当然だろう。しかし土産はあるぞ。香水だ。新作らしい」
「今度からはわらわにも言うておけ。それだけじゃ」

 コーデリアは香水を受け取ると自室へと戻っていった。ラッセンディルはコーデリアを見送りながらため息をついた。こほんと咳払いの音がする。タルコットが姿をあらわす。

「うちの分もあるんやろうな~」

 手を差し出してくるタルコットに新作の香水を手渡しながら心の中で再び、ため息をつく。こいつらはまったく。と、そう思う。
 タルコットが部屋に戻り際に「あきとデートがしたいんやったら、協力はしたるで」と言い残して去っていく。ラッセンディルは再びあきの部屋に戻ると新作の香水を枕元に置いて部屋を出て行った。

「まったく。今日は予定とは大分違ってしまったな……」

 部屋に戻っていくラッセンディルがそう呟く。
 あきの枕元には香水の瓶が月明かりに照らされて輝いている。
 新作の香水の名は――『月の雫』と書かれていた。



[12791] 第45話 「アデリーヌの召喚 古の城――アレイシア」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/01/15 21:19

 第45話 「アデリーヌの召喚 古の城――アレイシア」


 ターレンハイムの屋敷でわたしとメイドさん達が朝から忙しくフィナンシェを作っていると、珍しい事にロバートさんがやってきた。

「あきはいるか?」
「おお、ロバートではないか。あきなら厨房におるのじゃ」
「そうか……」

 サロンの方からコーデリアの声が聞こえる。サロンの椅子に座って退屈そうに足をぶらぶらさせ、お菓子の甘い匂いに釣られて鼻をひくひくさせているコーデリアに声を掛けたらしい。
 厨房でわたしがボウルを抱えて生地をかき混ぜていた。アーモンドプードル、小麦粉、お砂糖をふるいにかけて、卵白を入れて、バターを焦がしてボウルで混ぜる。フィナンシェは『初代女帝』が好んだお菓子という事であちこちの店で色んなレシピが存在しているそうだ。わたしが作っているのは、その中でも一番古いレシピである。もっとも単純ともいう。アデリーヌが好んだのも同じだと言われている。

「ぐるぐる~」
「あき様ー。型に溶かしバターを塗りましたよー」
「はーい」

 スプーンで型に注ぎ込んでいく。ターレンハイム家に出入りしている鍛冶屋さんに作って貰ったの、5段分もあるからたくさんできるのだ。空気を抜く為に型をポンポンと叩いていた。
 コックさんに頼んでオーブンで焼いてもらう。わたしはオーブンといっても薪を使うからあまり使わせてもらえないの……とがっくりしてしまう。わたしもコーデリアの家で料理をしてたんだぞー。くっすん。生地を注いだ鉄板を手渡すとコックさんがオーブンに入れていく。
 
「焼きあがったらお知らせします」
「はーい。お願いします」

 わたしが厨房を出てエプロンを外しているとロバートさんが姿をあらわした。珍しい。
 ロバートさんがアビ(上着)、ジレ(ベスト)、キュロットじゃなくて、長いズボンの三つ揃いを着てることに驚き、観察していた。上着のコートなんて袖を折り返して大きくて金糸銀糸で刺繍を施したカフスにしてる。他にも房飾りやゆったりとしたスカーフをしてるし、靴のバックルなんて無駄に豪華にしてた。なにがあったんだろう? ルパートみたいな、おしゃれしてるよ……?しかもなに? 星型のつけぼくろ? 似合わないな~とおもう。

「――あき。急な事で悪いんだが、クラウス・フォン・シュトラウス伯爵の城へ行ってくれないか?」
「……なにしに?」

 ロバートさんが急にそんな事を言い出した。首を捻りながらどうしたのかなって思ったから聞き返す。そうしたらロバートさんは拳で頭を叩いて話し出した。
 ――実はな。この間の会議で各村ごとに特産品を作って売り出す事が決まったんだが、その確認の為に領主達には調べさせる手はずを取るように言った。ところが現在、シュトラウス伯爵家は当主が亡くなってまだ新しい領主が決まっていない。従って国王の命令を届ける相手がいないと言う事だ。しかしながら特産品ははっきりと分かっているから……。

「――つまり、新しい領主候補を尋ねに行くという訳だ」
「……なぜ、わたしもなの?」

 そう言ったら、あきが行くとなれば、向こうも必要以上に警戒を持たないだろう。と思われるからだ。と言う。

「わたしが行くと警戒しないの?」
「……我々だけで行くよりはな」

 よく分からないけど、結局のところ宮殿内の権力争いの一環だろうと考えて、わたしはしぶしぶ頷いた。じとーっとロバートさんを睨みながらコーデリアも一緒に行っていいよね? と問いかける。
 ロバートは頷くとタルコットも誘ってもいいという。喜んでコーデリアとタルコットを呼びに走った。

「コーデリア、タルコットー」
「なんじゃ?」

 2人を呼ぶとコーデリアが椅子から立ち上がり、そばにやってくる。タルコットの姿は見えない。
 コーデリアに問いかけると「寝ておるのじゃ」と言う返事が返ってきた。

「寝てるの?」
「そうなのじゃ。あやつ、最近、寝てばかりなのじゃ」

 コーデリアが腕を組んでため息と共に吐き出す。わたしはう~んと、首を傾けて部屋に呼びに行こうとする。しかしコーデリアに止められ仕方なく諦めた。コーデリアにロバートさんの言うクラウス・フォン・シュトラウス伯爵の城の事を説明する。

「よし、わらわも行くのじゃ!」

 力強く賛同を得る事ができた。
 そうしてわたしは部屋に戻り、着ていく服を物色する。衣裳部屋の扉を開け、中に並べられている服を見ていく。

「どれにしようかな?」

 きょろきょろと見ているうちにアビ(上着)、ジレ(ベスト)、キュロットの三つ揃いが目につき、三つ揃いを着ていく事に決める。いそいそ着替えていく。ドレスを脱いで左手に生命の腕輪をつけてその上からブラウスを身につけ、ジレに腕を通している最中にロバートさんが部屋に入ってきた。

「――あき?」

 振り返るとロバートさんは声を掛けた体勢のまま固まっている。

「――覗くなー。というかノックぐらいしてよー」

 ボタンを留めていないために閉じられていないブラウスとジレから素肌が見える。わたしは慌てて両手でブラウスの前を隠す。むにゅっと腕の中で乳房が形を変える。視線を逸らしたロバートさんが部屋を出て行った。その隙に慌てて着替えてしまおう。

「大体、キュロットなんだから先にストッキングを穿かないといけないんだから……」

 ぶつぶつ零しながらベットの端に座って白いストッキングを穿いていく。女性用のストッキングは男物と違って透き通るように薄い。くるくる~っと丸めてつま先から転がすように上へと上げて最後にガーターベルトで留める。キュロットを穿き、ベルトを留めてレイピアを腰につけた。
 アビを羽織って鏡の前でくるっと回って見てみる。鏡の中に淡い青を基調として刺繍を施した男物の服を着た自分の姿が映っている。白いスカーフを首に結び胸元に垂らして手首は折り返した袖が大きなカフスになってる。足元は低いパンプス。ヒールじゃないんだよ。

「……こうして見ると男物には見えないんだけどね」

 でも一応男物なのだ。本当に久しぶりに着た男物の服なのだよ。ほっほっほ。
 こうなると髪もアップして帽子を被れば男っぽく見えるだろう。いそいそと髪型を整えて、羽飾りのついた帽子を被る。鏡に映っている自分の姿を見て頷き、意気揚々と部屋を出ようとすると……メイドさん達がやってきて驚いた顔をした。

「あ、あき様ー!」
「……男物の衣装を身に着けるなんて!」

 よよと泣き崩れるメイドさん達に向かって今日はこの格好で行くから! と力強く宣言をする。
 うんうん。我ながら意思を強く持って言うとメイドさん達も諦めてくれたようだ。これでいいのだ。

「しかし! ターレンハイム家の令嬢ともあろうお方が装飾類の1つも身に着けないのは問題があると言わざるを得ませんわ」
「……そんな事ないと思う」

 メイド長が立ち直って迫ってきた。わたしはメイドさんの勢いに負けそうになってしまう。喧々囂々と言い争っているうちに、メイドさんは装飾類を身に着けるのは贅沢と思えるかもしれませんが、他者に自らの地位と財力を見せつけるという役割があって、わたしが何も身に着けなければターレンハイム家の財政が疑われてしまうのです。とまで言い切った。

「ですから、ちゃんと身に着けていただきますね。いいですね!」
「……はい」

 がっくり落ち込んで返事を返した。
 メイドさんは勝ち誇るようにスカーフを外してネックレスを巻く。他にも髪飾りとかブレスレットにアンクレットと……。わたしは化粧台の椅子に座らされて化粧をされながら宝石類を付けられてしまった。指輪はやめてもらう。嫌なの……。

「あき様。今日はオレンジの口紅にしましょう」

 軽く上を向かされて、口紅のパレットから筆にオレンジの色を取って唇に塗られてしまう。

「はい。どうぞー」

 と薄い紙を渡されると口に、はむっと銜えて余計な口紅を拭う。いくつかの香水が目の前に並べられどれにしますか? と聞かれる。目の前にある香水の瓶を見ながら、『月の雫』を取り上げた。本当ならオレンジやラベンダーの方がいいんだけど、安っぽいのはダメって言われるし、何でもいいよって言うとムスクとか付けられてしまうからね。スズランでもいいんだけど……。『月の雫』ってフローラルアルデハイディック系だと思うんだけどな~。違うかな?それとパルファムだよね……。オーデパルファムでもないし、オーデトワレでもコロンでもないからね。

「これですかー?」
「――うん」

 私の手から香水の瓶が取り上げられ、点々と一滴ずつ耳の後ろや手首に付けられる。
 化粧が終わって立ち上がるとふわっとジャスミンの香りが纏わりつき、その中でもう1つよく分からないけど時間が経つと甘い香りが体に添って流れていく。きっとこれが『月の雫』の秘密なのだろう。トップノートがジャスミンでミドルノートとラストノートが麝香系なんだよ……。

「昼は聖女で夜は……いけない関係ですね~」
「むー」

 にやにやしながらメイドさんが部屋の扉を開けてくれる。開かれた扉を出ていくときに、背後からメイドさん達があき様の胸が~。と言ってるのが聞こえたけど気にしないように歩いていった。
 ――見えない方がいいんだからね。というか見られて喜ぶ趣味はないよー。

 一階のサロンに下りていくとコーデリアがドレスを着て待っていた。

「遅いのじゃ」
「ごめんなさい」

 コーデリアのドレスは左右からかぶさるような前開きの作り。背中側は布地が上部で深くたたまれ縫い止められたプリーツが、裾に向かってふわっと広がりながら下りている。スカートの部分は横広がりのシルエット。ローブは前面がウエストから裾に向かって三角形に大きく開いている。大きく開いた部分には、共布のペティコートが見える。
 ローブのV字の下の逆三角形の胸当てにはリボン結びの列の装飾が施されて、下にいくほど小さなリボンになっている。袖口にもレースが大きく広がっている。
 わたしもコーデリアもどちらかというと原色よりも淡い色彩を好み、着ているドレスは大抵、薄い色合いのものが多い。今日のコーデリアのドレスも淡いピンクでリボンや飾りの部分が他のグリーンやら赤が使われているぐらいだった。
 髪型は首元でくるくるっとウェーブが掛かっていてよく見ると緩やかな立てロールっぽい。コーデリアの亜麻色の髪が所々艶やかに光っていた。

「もしかして、金粉を振りかけた?」

 ひそひそと話しかけるとコーデリアがにやりと笑う。

「よく気づいたのじゃ」
「――やっぱり」

 2人して顔を見合わせ笑った。
 玄関には馬車が二台も並んでいて、メイドさん達がわたし達の荷物を馬車の上に乗せていた。メイドさん達に一通りの物は乗せておきましたからと言われた。コックさんがレースを敷いたバスケットにフィナンシェを一杯入れて渡してくれる。受け取り、ロバートさんに手を引かれて馬車に乗り込み、コーデリアと一緒に座る。膝の上にはバスケットが載っていてコーデリアが涎を垂らしそうな感じで見ていた。

「出発してからね」
「――食べたいのじゃ」

 駄々を捏ねるコーデリアを押さえてバスケットを膝から脇へと避けて隠す。

「我慢してね」

 そう言って首を伸ばして覗き込むコーデリアを引き剥がす。もう1つの馬車にはロバートさんの部下達が乗っているらしい。周りには護衛の為の騎士団が取り囲むように馬に乗って待機している。馬車が動き出して、わたし達はクラウス・フォン・シュトラウス伯爵の城へと向かう。馬車が動き出した途端、コーデリアがバスケットを奪い取り、フィナンシェを貪りだした。わたしも1つとって食べる。しっとりとした食感と焦がしたバターの香ばしさが口の中に広がっていく。おいしいんだけど、コーデリアが両手にフィナンシェを持って食べているところを見ちゃうとがっくりしちゃう……。
 ファブリスからクラウス・フォン・シュトラウス伯爵の領地、バーデンまでは馬車で1週間ほど掛かる。途中で村々に立ち寄っては、ロバートさんが自分自身で積極的に村の人達から村の特産品、名物、領主の評判を聞いて回っていた。


 そうこうしている内にバーデンまでやってきた。
 ――バーデン地方の街レミュザ。
 ルリタニア王国内でも有数のお酒の産地だという。ワインやエール。それにビールにブランデーなんかも多く作られている。一説によるとルリタニア産のワインといえば、この地方の物と思えば、まず間違いないらしい。ロバートさんが特産品ははっきり分かってると言ったのはこれが理由なんだね。

「あき嬢が好んでいるスパークリングワインもここで造られているのだ」
「へぇ~。じゃあ、おいしいのが飲めるかな?」
「お土産に何本がブランデーを買って帰るのじゃ」

 コーデリアが提案し、わたし達は頷いてそうしようと言いあう。わたしは侯爵にルパートにロパートさんにフリッツに首席導師に、と指折り数えて何本買っていこうかと考えていた。
 
 馬車は速度を緩め、ぽくぽくと蹄の音立てて進んでいく。地方都市レミュザを通り過ぎ、シュトラウス伯爵家の門を潜る。正面に広がる鬱蒼とした森の中へと入っていった。木々の間をすり抜けるように進む。枝が張り出し、空を覆っている。日の光を遮ってまるで、木々が作り出したトンネルのようだ。長い長いアプローチをわたし達は進んでいる。
 ――まだ昼だというのに、どこかでケモノの遠吠えが聞こえてくる。遠くの方でお城が微かに見えてきた。
 昼なお暗い鬱蒼とした森。ケモノの遠吠え。古いお城。――ゴシックホラーの世界だよ~。怖いよー。……って、あっ、元々この世界ではこれぐらいは普通なんだった。最近はターレンハイム家とか宮殿ばかりにいるから忘れてたけど、元の世界とは違うんだった。
 ――ほっとしちゃった。

「あき。霧が出てきたのじゃ」

 コーデリアがそう言って窓の外を指差す。わたしも窓の外を覗いてみたら、確かに霧が立ち込めてる。

「まだお昼だよ?」
「うむ。昼じゃ。しかし霧は出ておる」

 やっぱりこわいよー。
 ばさばさと羽音を立てて何かが窓の近くを飛んでいった。

「きゃーきゃー」
「怯えるでないのじゃ」

 コーデリアにしがみついてしまって、窘められる。ロバートさんにまで呆れられてしまった。……凹む~。

「で、でもヘンなのが飛んでった」
「騎士団の連中を見てみよ。誰も怯えてなんぞおらぬのじゃ」

 ガラス窓越しに外を覗くと護衛の騎士団の騎士たちは霧の中でも平然と馬を進めていた。そのまま上を見上げてみると霧の中で大きな足音を立てて何かが歩いていく。

「こ、コーデリア、あ、あれなに?」

 わたしはコーデリアを引っ張って窓に近づけると大きな生き物の方を指で示した。コーデリアは目を細めてじーっと見つめている。

「ああ、あれはゴーレムじゃろう。材料を石じゃな」
「ゴ、ゴーレムって」

 コーデリアの肩を掴んで揺さぶりながら聞く。声が震えてる?

「慌てるのではないのじゃ。大方シュトラウス伯爵家の誰かが作った物じゃろう。それにそれほど大きくもないのじゃ」
「10m――2ポールはありそうだよ?」
「そうかもしれぬが、どうということはないのじゃ」

 わたしはやけに落ち着いているコーデリアに対してむーっと頬を膨らませて睨んでしまう。コーデリアはため息をついてわたしの方を見ると話し始めた。

「――あき。そう怯えずともよいのじゃ。あちらがわらわ達に襲い掛かるというのは考え難い。一応わらわ達は王室から派遣された正式な派遣団御一行様なのじゃ。それに襲い掛かるというのはシュトラウス伯爵家がルリタニア王国に対して反乱を起こしたと思われてしまう。そうなれば王室から討伐軍が派遣されるじゃろう。それは避けたいはずじゃ」
「でも、それとは別に魔物とかいるような気がする」
「そのために騎士団を連れてきておるんじゃろうに」

 馬車の中でわたしとコーデリアが騒いでいるうちにクラウス・フォン・シュトラウス伯爵の城――アレイシア城が見えてきた。
 ――アレイシア城は、ターレンハイム家ともブラウンシュヴァイク侯爵家――白の城とも違って大きな石を組み合わせた石造りのお城だった。いかにも中世のお城って感じだ。
 お城の周りには堀が廻らされている。黒っぽい水がゆっくりとした風にあわせてチャプチャプと音を立てていた。
 わたし達が門の前にたどり着くとガラガラと鎖の音を響かせて木製の橋が引き降ろされる。橋を先頭を騎士団の馬が進み、わたし達の乗っている馬車がその後に続いて橋を渡っていった。敵に備える堅牢な城壁を潜り終えた時、橋が戻されわたし達はこの城の中に閉じ込められた形となったような気がした。どこかで鳴いているカラスの声が聞こえている。ケモノの遠吠えまで聞こえてきた。
 
 馬車は中庭へと向かっていく。中庭にも霧が立ち込め、お城の中を真っ白な霧で蔽い尽くしている。玄関の前から円を描くように階段が作られていて数えると12段もあった。さらに玄関の上には石で出来た庇が幅広く迫り出して庇を石の柱が支えていた。扉の横に執事が独りで立っている。霧の中でゆらゆらと揺らめいて時折、ふっと居なくなってしまうのではないかと、そう思えるほどだ。

 馬車から降りて玄関に向かう。玄関では執事さんが扉を開けて中へと導く。
 わたし達が中に入ると後ろで扉が閉じられる。振り向いても執事さんがいない。

「なんで?」

 わたしが首を捻っていると騎士達が扉を開けようとノブを動かしていた。何回も動かしているけど開かないらしい。ざわざわと騎士達が騒ぎ出す。

「閉じ込められた?」

 そう言ってコーデリアも首を捻る。
 ロバートさんも呆気に取られたような顔で首を捻っていた。

「――バーデン地方のシュトラウス伯爵家はルリタニア王国でも有数の酒の生産地であり酒蔵だ。その為に王室からも保護を受けている。王室に弓引くが如き行動をするとは思えんが?」

 ロバートさんが不思議そうな声でそう言うと騎士団が扉を壊しても良いかと聞いてくる。ロバートさんが頷きかけた時、ホールの正面に作られている大きな階段の上から声が聞こえてきた。

「ルリタニア王国使節団の皆様。アレイシア城へようこそ」

 わたし達や騎士団も含めて一斉に階段の上を見上げ――時が止まった。

 そこにはアビ(上着)、ジレ(ベスト)、キュロットの三つ揃いに白いストッキングを穿いた若い貴族の男性が立ってわたし達を見下ろしていた。アビといい。ジレといい。そこまでやるか? というほど着飾っている。髪の毛もくるくるとした巻き毛でさらに髪飾りをつけ、じゃらじゃらとネックレスだの指輪だのと一杯つけてた。顔には濃厚な化粧を施して、気持ち悪い。はっきり言って気持ち悪い。ルパートも似たような格好をしてるけど、もっと趣味がいいぞー! 似合わないからやめとけー。男はもっとシンプルに纏めるべきだー。
 再起動したわたしの頭の中で一瞬にしてこれだけの考えが流れていった。
 きょろきょろ見回すとコーデリアがあんぐり口を開けて見てる。ロバートさんも同じだ。騎士団に至っては剣を抜こうとする者までいた。

「おやおや。驚かせてしまったかな? ――ふむ。王室使節団というのはもう少し礼儀を心得ていると思ったのだが、違ったようだ」

 クラウス・フォン・シュトラウス伯爵らしき男はそう言ってワザとらしく肩を竦めてみせる。やれやれという言葉さえため息と供に吐き出した。

「初めまして、クラウス・フォン・シュトラウス伯爵。あきと申します。お会いできて光栄ですわ」

 わたしは軽くお辞儀をして挨拶をする。これ以上、このバカに馬鹿にされたくないしね! わたしが挨拶をするとコーデリアもロバートさんも再起動しだして挨拶と用件を口にする。
 一旦、ペースを取り戻すとロバートさんは強い。厳しい口調で城に着いてからの招き方から扉を開けて中に入ってからの事を責め立てる。クラウス・フォン・シュトラウス伯爵はさっきまでの芝居がかった態度から一転してたじたじになってしまった。

「――そもそも、出向かいの人数が少ないのはこの天候だ。致し方ない処もあろうが、閉じ込めるが如き所行は王室に弓引くと思われても仕方がない! その事をよく考えた上での行動か!」

 シュトラウス伯爵は反論できずに口の中でもごもご言ってる。
 ロバートさんはさらに階段の上にいる伯爵に向かい。降りて来い! と命じた。

「なんだね。使節団を見下ろして嬉しいのか? 君の方こそ、礼儀を弁えるべきだな」

 慌てふためいて階段を駆け下りてくる。
 なんだかな~。いくら言われても階段を降りずに格好をつけていれば、まだ気骨を見せる事が出来たのに……。降りずに上がって来い。と言った方が良かったんじゃないかな? やるんならそこまでやった方が良い。やらないんならちゃんと礼儀を守る。
 ぺこぺこ頭を下げてるクラウス・フォン・シュトラウス伯爵を見ながら、コーデリアと顔を見あわせ「何がしたかったんだろう?」と小声で話していた。
 サロンの方に案内されたわたし達はやってきたクラウス・フォン・シュトラウス伯爵以下、伯爵家の人達と対面を果たす。ロバートさんは伯爵を相手にせずに酒蔵の担当者に直接、王室からの報告と指示を伝えてる。シュトラウス伯爵家の下でブドウ畑や酒造を管理しているブルーノ・フォン・アードルンク男爵はちらちらシュトラウス伯爵の方を気にしながらロバートさんと話し合っていた。
 ブルーノ・フォン・アードルンク男爵は40過ぎぐらいの貴族というより、いかにも職人さんといった感じの人だった。
 サロンのテーブルの上には出来たばかりのワインやスパークリングワインが並べられてアードルンク男爵が一つ一つ説明していく。わたしは説明を受けながらふと、思って「カルバトスとかジンはないんですか?」と聞いた。

「カルバドス……ジン? いったいなんでしょうか? リンゴ酢なら作っておりますが?」

 アードルンク男爵が首を捻って聞いてきた。わたしはカルバドスはリンゴで作ったブランデーでジンは……? あれっ? 確か、杜松の実だったっけ? ああー。ギムレットには早すぎるとか、君の瞳に乾杯。とか変な事ばかり思い出して肝心な事が出てこない。う~んう~んと唸ってしまう。

「あの~」
「思い出すのに時間が掛かっているようだな? 気にしないでやってください」

 心配そうに見てくるアードルンク男爵にロバートさんがフォローしていた。
 必死になって思い出そうとしていたら、ようやく思い出した。うん。杜松の実だ。確か小麦とか大麦で蒸留酒を造って杜松の実で香りをつけたものだったと思う。何かの小説で薀蓄を語っている場面で読んだ記憶がある。

「……ジンというのは確か、小麦とか大麦で蒸留酒を造って杜松の実で香りをつけたものだったと思います。カルバドスはリンゴをブランデーにしたものです」

 ようやくそれだけ言うとアードルンク男爵がリンゴを原材料にしてブランデーを作る? とジーッと考え込んでいた。

「ジンの方は西の塔で研究させてみれば良いのじゃ」

 と、コーデリアがロバートさんに提案している。ロバートさんは頷いて「そちらの方は任せるが、ブランデーは西の塔ではできないな」と言う。

「原料がリンゴと言うのなら試してみる事はできますが……費用が掛かりますな」
「その費用に関しては、王室の予算から出す事もできますよ。今回の会議で各村毎に特産品を作るのも決定しております。従って計画提案書を出していただければ、予算は下りるでしょう」

 ロバートさんとアードルンク男爵が予算がいくらぐらい掛かるかと話を始めた。
 そうだよね。お金がかかるから簡単にはできないよね? あれっ? そうすると余計な事を言っちゃったかな?

「そんな事はないだろう」
「ええ、ブランデーを造るための道具も施設も揃っておりますから、原料のリンゴさえ、余分に集めればいいのです。保管場所はこちらで考えましょう」
「しかしブランデーは熟成に時間が掛かる。一年や二年ではできまい」
「確かにそうですな。ですが、今から始めれば5年後には完成しているものと思います。始めるなら早い方がよろしい。と考えます」
「その他にもいくつかの果物を使用して試してみるのも悪くはないな」

 コーデリアはテーブルの上に紙を置いてジンの研究を始める事を書き記している材料に小麦、大麦、杜松の実と書いて、小麦や大麦で蒸留酒を造って杜松の実で香りをつけたもの。と記す。目が生き生きとしてる。

「そりゃあそうじゃ。わらわも研究者の一人じゃからな。研究のネタがあるのは楽しみじゃ」
「――そうなんだ」

 わたしとコーデリアが話をしているとロバートさんとアードルンク男爵がチェリーブランデーというのも面白そうですな。と言い合ってる。

「こういった嗜好品は成功すればルリタニアだけでなく他の国々にも輸出できますからやる価値はありますな」
「そうです。ルリタニアの経済を活性化させるにはやれる事はやりませんと」

 そう言ってアードルンク男爵の言葉をロバートさんが頷きながら聞いていた。さっきから無視された形になっていたシュトラウス伯爵はテーブルの上に置かれていたワインを飲んで酔っぱらっていた。
 ぐーぐー鼾を掻いて眠っているシュトラウス伯爵を見てロバートさんとアードルンク男爵の2人がそっとため息を零した。
 
 その後、眠っているシュトラウス伯爵を無視してわたし達は食堂へと向かった。夕食はこの地方で作られている家庭料理だ。赤ワインを使った煮込み料理が出てきてコーデリアがおいしそうに食べている隣でロバートさんとアードルンク男爵がルリタニアのワインの評判をどうやって広めていくかを相談している。食事中ぐらい仕事の話はやめておけばいいのに……なんて思う。
 料理を持ってきてくれたコックさんにわたしはポテトをもの凄くものすごーく薄い輪切りにした物を油で揚げて塩を振って持ってきてと注文をした。ポテトチップスが食べたいのだ。

「我侭言ってごめんなさい」

 そう謝りつつ楽しみにしている。
 しばらくしてやってきたのは確かにポテトチップスである。指で摘んで口に入れるとパリッとした食感で懐かしい。久しぶりに食べるのだ。おいしい……。パリパリ食べてると横からコーデリアがひょいっと取って食べる。パリパリ食べて飲み込む。
 コーデリアの――目が光った。それからものすごい勢いでバリバリ食べだして全部平らげられてしまう。

「わたしのポテトチップスがぁ~」
「早い者勝ちなのじゃ!」

 コーデリアに取られてしまって泣きそうになる。呆れたような目で見ていたロバートさんとアードルンク男爵。

「お代りをお持ちしましょう」

 と、言ってコックさんに同じものを作るようにと言ってくれた。その際にロバートさんとアードルンク男爵にも同じものをと言ってたから自分達も食べたいのかもしれなかったが……。
 アードルンク男爵が新たに持ってきたポテトチップスを口にした途端、コックさんに急いでビールを持ってくるように指示する。ロバートさんにも勧めて、2人してポテトチップスをつまみにビールを飲み出す。

「イケる。イケますぞ」
「うむ。なかなかよいな」

 村の居酒屋に置かせましょう。とアードルンク男爵が言い。ロバートさんはファブリスの居酒屋でも作らせようと言う。さっきまで真面目に仕事の話をしていたはずの2人の雰囲気が居酒屋で飲んでいるおじさんみたいになってしまった……。ああ~。どうしよう。余計な事をしちゃった~。頭を抱えるわたしである。

 がっくりしたまま、飲んだくれているロバートさんとアードルンク男爵を置いてわたしとコーデリアは寝室へと向かう。
 寝室は質素でどこかほっとする。コーデリアと一緒だしね。
 コーデリアと2人でベットに横になる前にお風呂が沸いているというので入りにいく。石でできた城の中を歩いているとどこからか隙間風が入り込んで少し寒い。急いでお風呂場へと向かって部屋に飛び込んだ。
 脱衣所でコーデリアはさっさとドレスを脱ぎ、湯船に浸かりにいく。わたしはコーデリアの脱ぎ散らかしたドレスを畳んでいる。
 ……やっと、畳み終えてドレスを脱ごうとする。背後でカタッと音がして足元が開き――落ちた。

「ふにゃ~!」

 悲鳴を上げて落とし穴に落ちていく。
 ばふっと干草の上に落ち、埋もれてしまう。急いで干草から顔を突き出すと目の前には血走った目をしたシュトラウス伯爵と見た事のない男が立ってた。

「……だれ?」

 見た事のない男を睨みつけ、わたしは問う。
 すると大仰な仕草でお辞儀をしながらそいつは口を開く。

「これはこれは初めまして、『聖女』様。わたくしめはタンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵と申し、悪い魔法使いでございます」
「その悪い魔術師さんがわたしに何の用?」

 にやにや笑っているヴァイトリング子爵を睨みつける。子爵は手に持った杖を振りながら歌うように話す。

「これは異な事をお聞きしました。悪い魔法使いが欲しいのはいつだって美しいお姫様と決まっております」
「――お姫様じゃないんだけど? 本当は何の用なの?」

 ヴァイトリング子爵は両手を広げ、シュトラウス伯爵を見る。わたしも釣られてシュトラウス伯爵の方を見ると伯爵はじろじろわたしを嘗め回すように見ていた。なんか気持ち悪い。干草に埋もれてしまって身動きが取りにくい。ちくしょう~。

「――丁度、昨年の今頃でしたでしょうか? わたくしめはアデリーヌ――『初代女帝』を召喚しようと儀式を行いました」
「……それがなに?」

 こいつ、何が言いたいんだろうか? じっと聞く。

「アデリーヌは現れなかった。召喚自体は成功していたにも関わらずにです」
「現れなかったら、失敗なんじゃないの?」
「ええ、わたくしもそう考えました。しかーし、召喚自体は成功していたのです。つまりこの世界のどこかにアデリーヌは現れ、存在している。それが魂なのか、生まれ変わりなのかまでは分かりませんが」
「それでなに?」
「何が足りなかったのか? 何が必要なのか、考え、わたくしめは『聖女』様。貴方を召喚の受け皿にしようと考え付いたのです」
「……それって?」
「アデリーヌをもう一度、召喚する為に貴女が必要なのですよ。貴女はアデリーヌになれるのです。名誉な事だと思いませんか?」
「やだ! なりたくない。お断りします」

 はっきり断る。なんで初代女帝にならなきゃいけないんだろう? 冗談じゃないよ。やだからね。

「この際、あなたの意思は関係ありません。わたくしめは実行致します。そう! アデリーヌを召喚するのです!」
「というか、既にアデリーヌがこの世界に召喚されているのなら呼んでも来ないと思う。それにもし生まれ変わりなら受け皿は必要ないと思うよ」
「わたくしめは実行します。するのです!」
「うわー。なんでそんなにアデリーヌに拘るの?」

 そう言ったらヴァイトリング子爵は目を見開いて驚く。なんか信じられないといった表情をしてる?
 それから天井を見上げて深いため息をついた。首を振りながらわたしをじっと見つめてくる。

「――初代女帝アデリーヌ。この大陸に生まれた者なら幼い頃から聞かされている伝説ですよ。かつてローデシア大陸を統一した唯一の王。今なおその影響を受けずにはいられない伝説。……わたくしめのヴァイトリング子爵家はかつてはカプールの貴族でした。帝国崩壊の際に領地を奪われ、なんとか逃げ落ちて彷徨い何時かはかつての領地を取り戻したいと願ってきたのです。以来500年近い年月に渡って悲願ともなっております。シュトラウス伯爵家も同じです。カプールの貴族でありながらルリタニア王家に仕えなければならなかった。その屈辱が貴女には分からないのでしょう!」

 じーっと怒りとも哀しみとも思える目で見つめてきた。
 かつての栄光が恋しくて初代女帝を召喚して栄光を取り戻したいのかな? でももしアデリーヌが召喚されてもきっとうまくいかないと思う。何でか分かんないけどそう思えるよ。

「うん。分かんないし、無駄だと思う」

 だからそう言って、この人達の願いを否定する。わたしは否定する。きっとアデリーヌも同じだ。
 今まで黙っていたシュトラウス伯爵が血走った目で剣を抜き、何か分からない事を叫びながら振り下ろそうとする。

「やめるのです!」
「そうじゃ。やめるのじゃ!」

 ヴァイトリング子爵の声とコーデリアの声が重なって聞こえた。
 上を見上げるとコーデリアが落ちてきた。ばすっと干草の上に降り立ち、シュトラウス伯爵の剣を弾く!

「コーデリア」
「聖女は召喚に必要な受け皿だと言ったでしょうが!」

 わたしがコーデリアの名を呼ぶ。ヴァイトリング子爵は弾かれたシュトラウス伯爵の剣を取り上げて、ちらっとコーデリアを見ると一目散に逃げ出した! そのあまりに見事な逃げっぷりにわたしは驚くやら感心するやらで呆然としてしまう。

「逃げたのじゃ。あやつはまだ諦めておらぬな」
「きっとまたくると思う。計画が失敗したらさっさと逃げ出して次の計画を練るんだろうな~」
「そうじゃ。あれは心底諦めんタイプじゃ」

 それに引き換え、こっちは……剣を弾かれたシュトラウス伯爵は体を丸めてガタガタ震えている。こいつもさっさと逃げればいいものを。見ていて情けなくなってくる。逃げ出したヴァイトリング子爵の方がまだたいした者だと思うよ。
 コーデリアはシュトラウス伯爵を気にせずにわたしを干草の中から引き上げると納屋から2人で出て行こうとする。その時ようやく気づいたのだけど、コーデリア……裸だよ。ええー!

「……コーデリア。ふく……」
「おお、着ておらぬのじゃ。お主寄越せ!」

 そう言ってシュトラウス伯爵の上着を奪い取り羽織った。
 騒ぎに気づいた城の人達がやってきてわたし達とシュトラウス伯爵を見比べ呆然としている。やってきた人達の中にはロバートさんとアードルンク男爵もいて、コーデリアは2人にさっきまでの出来事を説明していた。
 わたしはガタガタ震えているだけのシュトラウス伯爵を見ている。

「はぁ~」

 ため息が出て、説明しているコーデリアの側へと向かった。
 これじゃ~カプールの貴族の栄光なんて取り戻せないよ。そしてシュトラウス伯爵家は今回の事できっと潰されてしまうな……。そう思うと情けない気分になってしまった。
 説明の終わったコーデリアと一緒に城へと戻ってようやくお風呂に入った。つかれたよー。
 湯船に浸かりながらコーデリアにヴァイトリング子爵の言っていたアデリーヌ召喚の話をするとコーデリアはじっと黙って考え込みだした。あんまり考え込んでいるものだからコーデリアは真っ赤になってのぼせそうになってしまう。湯船から引き上げ、拭いてあげて夜着を着せてベットまで運び込んだ。

「今日はもう寝よう」
「それがいいのじゃ」

 わたしがコーデリアにそう言うと上の空で答える。シーツを被せてから、明かりを消した。
 こうしてわたし達は眠りに落ちる。
 夢の中でヴァイトリング子爵の言ってたアデリーヌ召喚の事を考えていた。一度本当にアデリーヌの事を調べた方が良いかもしれない。でも……コーデリアも何を考え込んでいるんだろう。


 夢の中でどこかであった事があるような懐かしい感じがする男の人が現れてわたしを呼んでいる様な気がした。



[12791] 第46話 「カプールの王子と異国の少女」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/01/16 20:57
 第46話 「カプールの王子と異国の少女。
       『初代女帝』アデリーヌ・ラ・フォンテーヌ・ド・カプール」


 
 4月 萌葱の月。カプール王国ノエル地方――カーライル村の近くにある森。
 カプールの王子であるシャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールは度重なる王位継承候補との争いに疲れ、ノエル地方にあるカーライル村へとやってきた。半分以上やけになっていた。シャルルはカプール王国の中でも最北端のこの地方を領地として与えられた。一番の辺境に追いやられたともいえる。

「王位継承などで争っている場合ではないというのに……」

 国王が病に倒れ国内では誰もが不安に感じているというのに、いやそれだけではない。大陸ではいつ戦乱が巻き起こっても不思議ではないぐらい緊迫した雰囲気が立ち込めている。
 この情勢でカプール王国で内乱が起きれば他国が侵略してくるだろう。それを避けるためにも一刻も早く次期国王を決めなければならない。それなのに……兄上達は!

「まったく王位継承争いから逃げ出した私が言う事ではないが……」

 ため息と共に吐き出しながら弓と矢を持ち森の中を歩いていた。視界の隅を金色の髪を靡かせた少女の姿が過ぎる。興味を持ったシャルルはそっと少女の後をつけていった。




「アデリーヌ。どこに行ったのー?」

 エルフのビルギットは先ほどから姿の見えなくなったアデリーヌを探していた。森の中を呼びながら歩いていく。

「まったくあの子ったらふらふらしてー」

 お昼ごはんを食べてからというものあっという間に姿を消したアデリーヌがどこにいるのか皆目見当がつかない。ヘンルーダの森からカーライル村へと来てからというもの毎日、あちこちを歩き回っているアデリーヌにビルギットは少し呆れていた。

「昨日は確か、村の鍛冶屋を覗いていたわね。今日はどこへ行ったやら……」




 ビルギットが探し回っていた頃、アデリーヌは森の中で怪我をしているけもの達を女神コルデリアの『神聖魔法』で癒していた。

「もう大丈夫だよー」

 『神聖魔法』によって傷が癒えたけもの達がアデリーヌの頬に擦り寄ってくる。くすぐったそうにしながらもふかふかした毛並みに顔を埋め、もふもふとアデリーヌは幸せそうにしていた。
 けもの達がピクッと耳を動かし立ち上がって威嚇しだす。

「どうしたのー?」

 アデリーヌは不思議そうな顔をしてけもの達が見ている方向をじーっと見つめる。しばらくするとがさっと音がして若い男――シャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールが姿をあらわす。

「すまない。驚かせてしまったようだ」
「だれー?」
「私はシャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプール。ノエル地方の領主なんだが知ってるかな?」

 今度は驚かせないようにとゆっくりアデリーヌの傍により、けもの達の頭を撫でながらシャルルは問いかける。

「――知らない。わたしはね、アデリーヌだよ」
 
 けもの達の首に両手をまわして抱き締めながらアデリーヌはシャルルに言う。

「アデリーヌ――君はカーライル村の子かい?」
「違うの、わたしはヘンルーダの森から来たの。ビルギットも一緒だよ」
「ビルギット?」
「うん。エルフのビルギットだよ」

 シャルルは驚く。エルフと人間は仲が悪い。アルトゥル王国ルリタニア地方にあるヘンルーダの森のエルフと人間は長いこと争ってきた。しかし目の前にいるこの少女は明らかに人間だった。年の頃は12,3ぐらいか、シャルルよりも3つ4つぐらい幼く見える。金色の髪、顔立ちは幼いとはいえ、あと少しすれば大層綺麗になりそうに見える。しかしエルフ達の長いグリーンのワンピースを着たどことなく暢気そうに見えるこの少女を見ているとシャルルは警戒心が緩むのを感じていた。

「アデリーヌはここで何をしていたんだい?」

 けもの達に守られるように囲まれているアデリーヌを見ながらシャルルは優しく問いかけた。

「この子達がね、怪我をしてたから治してあげてたの」

 暢気そうな口調でアデリーヌは答える。幼い頃からエルフ達に囲まれて育ってきた為に世情に疎いアデリーヌは警戒心が薄く、誰にでもすぐに懐いてしまうという欠点があった。

「しかし君は薬を持っていないじゃないか?」
「女神様にお願いすると治るの」
「『神聖魔法』か! 君は使えるのか?」

 シャルルは目を瞠る。大陸中を探しても神聖魔法の使い手はそれほど多くはない。しかも大概は神殿に連れて行かれてしまい王子とはいえ小国のカプールでは見た事がなかった。つい大声を出してしまったシャルルをきょとんとした表情でアデリーヌは見つめる。
 その表情を見て、シャルルはこの子は『神聖魔法』というものを分かっていないのだろう。と考える。そしてその価値がどれほどのものかと言う事も……。
 アデリーヌに手を伸ばしかけたシャルルをけもの達の唸り声が止める。

「……なに?」
「――つっ!」

 引っかかれた手の甲を舐めながらシャルルはアデリーヌを見つめた。アデリーヌはけもの達の首に抱きつき、もふもふしている。

「はぁ~」

 と、ため息をついてシャルルがアデリーヌに今度、カーライル村にある私の家に遊びに来ないか? と誘いかけた。

「ビルギットも一緒に行ってもいい?」
「ああ、かまわないよ」
「じゃあ~行くー」
 
 アデリーヌは両手を挙げて喜ぶ。
 その後、アデリーヌとシャルルは仲良く話をしていた。ヘンルーダの森の事やカーライル村に連れてきてくれたドラゴンの夫婦の事も話に出てくる。

「――それでね。ドラゴンさんってば、ちょくちょくわたし達の処にやってきて、いっつもお嫁さんに怒られるの。このうわきものーって」
「あははは……」
「ドラゴンさんの背中に乗ってヘウレンの洞窟に行くとドワーフさん達が来てね。これを食べろ。あれを食べろって一杯ご飯を持ってきてくれるんだけど……そんなに食べられないの。こーんなに大きいお肉なんだよー」

 アデリーヌは両手を広げて大きなお肉をあらわす。シャルルはビヘモス牛か鹿の丸焼きだろうかと考えて、肉を押し付けられて困っているアデリーヌの顔を想像して笑ってしまった。
 笑っているとアデリーヌがむーっと言って頬を膨らます。ぽかぽか叩いてくるアデリーヌの手を受け止めて、苦笑いを浮かべた。

「――アデリーヌ?」

 アデリーヌとシャルルが話をしているところへビルギットがやってきた。ビルギットはけもの達に囲まれているアデリーヌの姿には驚かなかったが……シャルルの姿を認めた途端、一気に警戒心を露にする。耳がピンっと立つ。いそいそとアデリーヌの傍によるとシャルルから引き剥がしていく。

「ふみゅ?」
「アデリーヌ。いいですか? 男はみんなケダモノなんですよ。ほいほい近づいちゃいけません」

 ビルギットはシャルルを睨みつけながらアデリーヌに言い聞かせる。アデリーヌは抱えていたケモノをビルギットに向かって差し出しながら「この子達と同じ?」と聞いている。

「そういう意味ではありません!」

 困ったようにため息をつくビルギットときょとんとした表情を浮かべたアデリーヌの姿があった。
 ――まったく、長のシグリッド様やドワーフのモルトさんが甘やかしているものだから……アデリーヌはすっかり浮世離れしてしまっているのですわ! だいたい警戒心が無さ過ぎるのです! あ~こんな森の中で男と一緒に居るだなんて……襲われでもしたらどうするつもりでしょうか? いけないいけない。私がちゃんと見張っていなければ!
 ぐぐっと拳を握り締めて、決意を新たにするビルギットであった。ビルギットも充分甘やかしている事に気づいていないらしい。
 しっしとばかりにビルギットはシャルルを追い返していく。

「では、今度はわたしの家で待っているよ」

 手を振りながらシャルルは立ち去っていく。

「またねー」
「二度と近づくなよー!」

 アデリーヌは手を振り返し、ビルギットがシャルルの背中に向かって言うとけもの達も一斉に唸り声を上げ威嚇する。
 これがヘンルーダの森、エルフの国の娘アデリーヌとカプール王国第3王子シャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールの出会いであった。時はカプール王国暦286年、萌葱の月。ローデシア大陸を巻き込んだ統一戦争前の出来事である。



 時は流れて王国暦289年を迎えた。
 日増しに近づいてくる戦乱の予感を誰もが感じていた頃、カーライル村では1つの祝い事が行われようとしていた。
 ヘンルーダの森、エルフの国の娘アデリーヌとカプール王国第3王子シャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールの結婚である。

「いや~シャルル王子。ようやくここまで来ましたな」

 シャルルに従ってカーライル村までやってきていた貴族の部下達が喜びに湧き立っている。アデリーヌと出会って以来、シャルルは毎日のようにアデリーヌに会いに出かけ、ビルギットの監視の目を潜り抜けてアデリーヌに結婚を申し込むに至った。
 それからというものカプールの首都にいる兄や貴族達を説得し、ヘンルーダの森にまで行って長のシグリッドやドワーフのモルトなどに殺されそうになりながらもなんとか認めてもらったのである。

「一時はエルフ達に皆殺しにされるかと覚悟しましたぞ」
「いやいや、ドワーフ達の方が……」
「それよりもドラゴンが……」

 部下達がひそひそと話している。
 結婚式の場にはヘンルーダの森からエルフやドワーフ、ドラゴンの一族達がやってきていた。小人族に他にもセイレーン、ミノタウロス、グリフォンといったモンスター達まで来ている。
 むしろ人間の方が少ないぐらいだ。カプール王家からは一応、祝辞が送られてきたが誰も出席してはいない。しかし東の塔から魔術師の長ヤルミル達が、アデリーヌの結婚を祝う為に来ている。東の塔のヤルミルはかつてヘンルーダの森に住んでいた事があり、その頃に幼いアデリーヌを可愛がっていた事があったからだ。魔術師、錬金術師の集団が珍しそうな目でドラゴン達を観察していた。カーライル村や他の村からもアデリーヌを見ようと大勢集まってきている。シャルル王子よりもアデリーヌの方が人気があるようだった。

「おおー! 花嫁のお出ましだ」
 
 真っ白なパゴダスリーブのドレスを纏いドワーフ達がこの日の為に作り上げた装飾品で飾られたアデリーヌの姿を一目見ようと集まった者達が首を伸ばす。
 シャルルと腕を組んで現れたアデリーヌの姿に集まった者達が見蕩れていた。

「初めて見たときから将来は美人になるだろうと思っていたが、これほどになるとは思いもよらなかったぞ」
「なに言うてんのや、あたりまえやで。わしの娘やぞ。美人に決まっとるわい」
「俺の娘だ」
「わしのや、言うとるやろ!」

 モルトとシグリッドが言い合い、ビルギットとドラゴンに睨まれ口を噤む。

「アデリーヌー。嫁に行くなー」

 ドラゴンが叫び、嫁に噛み付かれて泣く。周囲ではドラゴンの声によって耳を塞ぐ者達の姿が見える。

「痛い。痛いぞ」
「貴方というドラゴンは……このうわきものー」

 ドラゴンの雷撃が一瞬、辺りを明るく染める。
 ぶすぶすと音を立てて黒焦げになったドラゴンを見て笑い声が湧き起こる。

「いっそ、このまま攫ってやろうか?」

 やってきていた他のドラゴンが言う。しかも結構大きな声だったものだから一瞬、みなが期待したが雌のドラゴン達に睨みつけられすごすごと大人しくなる。
 結婚式はこういった雰囲気の中で行われ、最後に集まったみんなの前でアデリーヌとシャルルのキスで終わった。

 その後は、ヤケ酒を飲んでいるエルフとドワーフの姿が見えた。シグリッドとモルトである。そこへドラゴンとヤルミルが加わり、シャルルを睨みつけている。
 アデリーヌはビルギットに絡まれていた。

「アデリーヌ、飲みなさい」
「ビルギット……もうやめておいた方が」
「ええ? 私のお酒が飲めないとでもいうのー?」

 なんとかビルギットからお酒を取り上げようとアデリーヌは頑張っている。シャルルがアデリーヌを助けようとした時、ビルギットに脛を思い切り蹴り飛ばされその場で蹲ってしまった。

「私の妹を盗ってった悪い虫がデカイ顔すんじゃないわよ!」
「――ビルギット~」

 アデリーヌはシャルルの足を『神聖魔法』で癒しながらビルギットにダメだよーと泣きそうな顔で言う。ビルギットはアデリーヌの泣き顔を見ながら泣きたいのはこっちよー! と言い、ぐいっとお酒を飲み干した。話すたびに耳がピンッと立ったりへにゃっと寝たりくるくる回ったりと忙しく動いている。感情表現の豊かな耳だった……。

 新居はカーライル村から結構離れた馬車で3時間ぐらいかかる場所に作られた。ドワーフやエルフに東の塔の魔術師や錬金術師までが設計と建築に携わり、小さいながらも見事な細工が施された家である。
 その周囲には部下達の新居もついでのように建てられた。

「こっちはおまけじゃ」
「そうそう、アデリーヌをよろしく頼むぞ」

 ドワーフとエルフ達がそう言い残して帰っていく。
 新居ではアデリーヌが家事をこなしながらの生活が始まった。あれやこれやとちょこちょこ器用に炊事洗濯に料理をこなしている。それを見ていた貴族達は皆、使用人を雇わなくてもよいのですか? と口々に言ってきたが、アデリーヌは家事を1人でやっていた。

「いくら辺境に追いやられたとはいえ、カプールの第3王子のご家庭に使用人の1人も居ないのは問題があるのでは?」
「しかしノエル地方は貧しい。年中雪で埋もれている土地もある。贅沢はできんよ」
「我々も開拓や交易品を作るのに精一杯だしな……」
「アデリーヌ様は贅沢を好まんから大助かりだ」
「むしろ質素なぐらいではないか?」

 ノエル地方は雪に埋もれている土地も多く。開拓も放牧も中々うまく行ってはいなかった。そればかりか特産品と呼べる物もなく大陸中を見渡しても一番貧しい土地だと思われていた。
 しかしアデリーヌがシャルルの元へやって来てからというもの……エルフやドワーフ、それにドラゴン達の協力を得る事ができる様になり、土地の開墾や精霊力を利用した沃土化によってようやく生産がうまく行くようになってきた。ドラゴンやエルフ達は他の村へも助けに行って感謝されていた。
 ドラゴンが縄を銜え土地を開墾する光景など他では見られないものだ。こうして1年が過ぎていった。

「おーい。みんな休憩しよー」

 お弁当を持ってきたアデリーヌが畑で働いている貴族達に声を掛けていく。アデリーヌの周囲には貴族達の奥方が集まっている。ノエル地方では貴族といえども自ら畑を耕せなければ食べていけないのだった。シャルルも鍬を持ち土に塗れていた。

「――もう、そんな時間か、よーし。みな休憩だ!」

 シャルルの声によって畑を耕していた貴族達が集まってきて、お弁当のバスケットからパンを取って食べ始めていく。
 パンを食べながら作物のなっている隣の畑を見る。一面に小麦が生り、金色に輝いている。

「こっちの畑は豊作になりそうです」
「ああ、ようやくだ」
「ここまで来るのに長かったです」
「私がノエル地方に来てから5年になる。こんな日が来るとは来た当時は思わなかった」
「アデリーヌ様のお蔭ですな」
「そうだな」

 シャルルとミランダ子爵がそう言って笑い合う。アデリーヌの方を見るとパンを銜えていた。派手でも高価な服でもないがきちんと洗濯され、小奇麗な格好をしている。シャルルの服も同じだ。解れたところもきちんと繕われている。自作の麦藁帽子を被りニコニコしていた。その笑顔に癒される。

「皇后様から勧められた貴族の娘を嫁に貰わずにいて正解でしたな」

 モリエール男爵がアデリーヌを見ながら言った。シャルルはつくづくそう思うと返す。

「なにー? 何の話?」

 アデリーヌが首を傾げて聞く。シャルルと貴族達がにやにやしながら顔を見合わせた。

「むー」
「アデリーヌ様を奥方に迎える事ができて良かったと言っていたのですよ」
「あわわわー」

 アデリーヌは照れて俯いてしまう。その真っ赤になった顔を見てシャルルや貴族、奥方達までが笑いあった。
 王国暦290年――茜の月、第1週9日。この日までは平和であった。
 翌10日、アルトゥル王国とカプール王国が交戦状態に入ったとの知らせがシャルル達の下へと知らされた。さらにアイヴス方面からアルトゥル王国軍が攻めてくるとの報告も知らされる。

「シャルル様。いかが致しますか」

 貴族の1人がシャルルに詰め寄る。シャルルは首都ローランに伝令を飛ばすと共にドラゴン達にも協力を要請する事を決めた。

「いいか、首都に援軍を求めた場合、送って来ない上に我々が援軍に回らなければならなくなる。なんと言ってもドラゴン達がいるからな、だから援軍は乞うな! アルトゥル王国軍が攻めてきた事だけ伝えろ。何か聞かれたら、こっちも手一杯だと言え!」
「はっ!」
「よし、行け!」

 伝令役の貴族が首都ローランへと向かい馬を走らせる。それを見送ったシャルルはドラゴン達の下へ行き、援軍を要請する。

「あまり人間同士の戦争に関わりたくはないのだがな。まあアデリーヌもいることだ。よかろう」
「ありがたい。感謝する」

 シャルルはドラゴン達に協力を要請してから貴族達を集めて作戦会議を始めた。

「首都に援軍を乞わなかったですと?」
「そうだ」

 ミランダ子爵の問いかけにシャルルは短く答える。

「なぜですかな。お聞きしても宜しいか?」
「援軍を要請した場合。ノエル地方を見捨てて首都ローランの援軍に回れとの兄上達から命令が来る事は明白だからだ」

 シャルルの答えにモリエール男爵が腕を組んで頷く。

「確かにそうなるでしょうな。そしてジェレミー第1王子とジョエル第2王子は宮殿の奥に隠れてしまわれる」
「なんと無責任な! 戦争を起こしたのはジェレミー第1王子達ではないか!」

 モラン男爵は机を叩いて怒る。集まった貴族達の顔の上にそんな事は分かっているという表情が浮かぶ。

「エルフ達に援軍は要請できませんかな?」
「難しいと思いますぞ。アイヴス方面からという事はヘンルーダの森の傍を通ってやってくる筈、エルフ達もヘンルーダの森が攻撃されるとなればそちらを優先させるだろう」

 ネルヴァル子爵が言い。ミランダ子爵が答えた。
 シャルルは目を瞑り腕を組んで黙り込んでいる。しばらくそのままでいたかと思うと目を開き口を開いた。

「実のところは、大軍に関しては心配していないのだ。ドラゴン達の協力を取り付けてあるからな。ドラゴンのブレスで蹴散らして貰える。しかし少人数での暗躍となるとそう簡単にはいかないだろう。その事については何か意見はないか?」

 シャルルの言葉にみなが黙り込んだ。シャルルにつき従ってノエル地方へ来た貴族は10名。その家族にカーライル村などの村から兵士を集めたとしても多く見積もっても200人がいいところだろう。いかにドラゴン達がいるからと言ってもやはり援軍を乞うべきではなかったか? という思いが過ぎる。

「ミノタウロスとかモンスターじゃダメかな?」

 会議をしている部屋へアデリーヌが顔を出して言う。

「――モンスター?」

 驚く貴族達を見ながらアデリーヌはドラゴンさん達にお願いしてあちこちから連れてきて貰うの。と言った。

「……しかし、モンスター達が言う事を聞きますか?」
「あれっ? 結婚式に来てくれたミノタウロスとかいたでしょ?」
「ああ、確かにいましたな。彼らをどうするのですか?」
「各村とか領内を守って貰うの。護衛役だよ。強いからきっと守ってくれるよ」
「彼らが村人を襲わないという保証はありませんな」
「わたしの友達は大丈夫だよー、それにドラゴンがいるのが分かっているんだから襲わないよ」
「そうか……奴らもドラゴンの命令には従うのか……」

 部屋の中にどことなくホッとした空気が流れる。アデリーヌは更に東の塔にも援軍を頼もうと言った。

「東の塔にですか?」

 ミランダ子爵が驚き、椅子から立ち上がりかけた。
 他の貴族達も同じようである。東の塔は大陸でも一種の不可侵な存在だった。武力で制圧しようとしても魔力で呪われ、滅亡へと至ると言う噂もある。従ってどこの国も利用したがっていたが、どこの国も利用できずにいた。

「どうやって援軍を頼むのですか?」
「わたしがヤルミル様にお願いする」
「アデリーヌ様がですか?」
「うん」

 アデリーヌは頷いてシャルルを見つめる。シャルルはジッと考え頷いた。

「アデリーヌに頼もう。行ってくれ」
「うん。分かったー」

 アデリーヌが東の塔へ向かった頃、カーライル村などいくつかの村から兵士として村人達が集められていた。その数、わずか200人ほどである。どの顔にも悲痛な表情が張り付いている。

「アイヴス方面からアルトゥル王国軍が攻めてくるとの知らせがあった。我々はノエル地方を守らねばならない。不安に思うだろうが、いくつか心強い援軍もある。まずはドラゴン達が味方についている」

 シャルルの背後からドラゴン達が姿を現す。その数20頭。これほどの群れはそう滅多に見れるものではなかった。その他にもミノタウロスの群れに巨人達の姿も見える。大陸中からドラゴン達が集めてきたモンスター達であった。
 集められた村人達の中で驚きの声が上がる。

「彼らはわが妻。アデリーヌの願いを聞いて集まってくれた者たちだ。安心してくれていいぞ!」

 アデリーヌの名が出た瞬間に村人達の表情に安堵の色が浮かぶ。アデリーヌ様ならどんなモンスターを集めても言う事を聞かせてしまうだろうという安心感がある。結婚式に集まってきたモンスター達を思い浮かべる者たちもいた。

「他にもアデリーヌは東の塔に援軍を頼みに向かっている。これだけの軍勢だアルトゥル王国軍なんぞに負けるはずがない!」
「おおー!」

 シャルルの言葉に集まった者達は大声で答える。
 ドラゴンだけでも一軍を蹴散らせてしまえそうだ。集められた村人達は伝令役と周囲の村を見廻る役を与えられそれぞれ10名づつの集団に分けられていく。


 茜の月、第3週21日――。アルトゥル王国軍が姿を現した。
 一地方を攻めるには多すぎるだろうと思える大軍であったが……迎え撃つシャルルが率いるノエル地方軍の軍容を目にした途端、彼らは浮き足立ってしまった。

「人間の軍じゃねえよ……」
「俺たちの相手はドラゴンなのか?」

 ドラゴンのブレスに焼かれ、巨人達の棍棒で吹き飛ばされ、ミノタウロスに押し潰されていった。
 初戦はノエル地方軍の圧勝であった……。見ていた村人達が呆気に取られるぐらいの完勝だった。必死になって逃げ出していくアルトゥル王国軍を見ながら、シャルルは気持ちが暗くなっていくのを感じていた。
 ――圧勝過ぎる。噂はきっと首都やアルトゥル王国軍全てに広がるだろう……その結果、和平が成立すればよいが、あの兄上達の事だ。どんな馬鹿な事をするか知れたものではない。
 圧勝に湧き立つ者達を見ながらシャルルは貴族達を集め今後の対応を話し合う事に決めた。アデリーヌはまだ戻ってきてはいない。その事がシャルルには不安である。
 その結果――シャルルの腹心であるミランダ子爵が和平交渉を進言し行うべく首都ローランへと急ぎ向かった。

 首都ローランにたどり着いたミランダ子爵は王子達に謁見を求める。その時、宮殿の奥から悲鳴が聞こえた。走って奥へと向かうミランダ子爵はアルトゥル王国からの休戦を申し入れた使者を切り殺すジェレミー第1王子の姿を見た……。

「和平だと! 我がカプールの属国になるというのならば兎も角、ふざけた事を申してくる奴らだ! ふふふふはははっははは」

 心底可笑しそうに笑う王子達を見た瞬間、ミランダ子爵は目の前が真っ暗になったような気がした。
 ――カプールは終わりかもしれん……。その場でぐらりと倒れたミランダ子爵を見つけたジェレミー第1王子が笑いながら「シャルルに申し付ける。アルトゥル王国を征服してまいれ。と伝えよ」と言っていたが意識が朦朧としていたミランダ子爵は聞いてはいなかった。

 前もって伝令として首都ローランに来ていたミュッセ男爵に王子達の命令と現状をシャルルに伝えるように言い、ノエルに向かわせると共に自らは第1第2王子達を説得する為に再び宮殿へと足を向けた。

 使者を殺されたアルトゥル王国はノエル地方に少数の軍を配置しておき、残りを全て首都ローランに向けて軍を進めてきた。そもそも守備勢力が少ないノエルは僅かな兵とはいえ、無視する訳にもいかず、動くに動けなくなっていた。
 それでもドラゴン数体を中心としたモンスター達を援軍として首都ローランへと向かわせる。

 10月 紅の月に入り、第1週の3日、アルトゥル王国軍の総攻撃を受けた首都ローランではドラゴンのブレスを潜り抜けて宮殿へと入り込んできたアルトゥル王国軍による虐殺が行われ、第1王子以下、王族達が悉く殺されていく。

「シャルルめ~許さん。必ず殺してきてくれ……」

 ジェレミー第1王子は最後まで自らの非を認めずシャルルを呪い死んだ……。死の際、近くにいた王室付きの暗殺者がジェレミー第1王子の死体に頷くと宮殿から姿を消す。この時点でカプール王国の正当な後継者はシャルル第3王子しかいなくなってしまった。

 ノエル地方では、シャルルとアルトゥル王国軍との睨み合いが続いている。
 そこへ首都ローラン陥落の知らせが届き、ノエル地方は動揺していた。

「小国のカプールが大国であるアルトゥル王国相手に戦争を続けられる訳がない。そんな事は始めから分かっていた事だ。ドラゴンが現れ動揺したアルトゥル王国が休戦を申し入れてきた時が戦争をやめる唯一の機会だったのだ」

 シャルルはテーブルに肘をついて周りを囲んでいる貴族達に話している。部屋の中は重苦しい空気に包まれていた。

「まったくどこまで……」

 愚かなのか……と言いかけてモラン男爵は言葉を飲み込む。もはや言っても仕方がない。ジェレミー第1王子もジョエル第2王子も死んだのだ。ただテーブルについた両手で顔を覆っている。ネルヴァル子爵もモリエール男爵も同じような感じである。
 そこへ重苦しい空気を吹き飛ばすように「ただいまー」といってアデリーヌが帰って来た。背後にはヤルミル以下、100名の魔術師達が並んでいる。
 シャルルは席を立ち、ヤルミル達を招きいれた。他の貴族達も立ち上がって席を勧める。シャルルが現状を話すとヤルミルの表情が青ざめていく。

「現状は思っていた以上に厳しいな」
「はい。唯一の機会を失ってしまいました」

 ヤルミルはヘンルーダの森のエルフと組んでノエル地方に集まっているアルトゥル王国軍を挟み撃ちにしておいてから、ノエル地方の守備をエルフ達に任せてシャルル達は首都へ向かうように言う。

「それではヘンルーダの森はどうなるのでしょうか?」

 シャルルはエルフ達の心配をしてしまっている。それを見抜いたヤルミルはアルトゥル王国軍はノエルに置いている軍を除くと他は全て首都ローランに集結している、ヘンルーダの森を攻める余裕はない。と教え、エルフ達にはすでに連絡を取っている事を言った。

 紅の月、第1週9日。
 ノエル地方軍とエルフ達の攻撃により、アルトゥル王国軍は壊滅し、シャルル達はノエル地方をエルフに任せて首都ローランへと向かう事になった。

「ノエル地方は我々に任せておくがいい」
「そうや。ちゃんと守ってやっとくからな」
「お願い致します」

 シャルルはやってきたモルトとシグリッドに後を任せる事を頼み出発の用意を指示する為にノエル軍が集まっている場所へと向かう。

「アデリーヌー。心配しとったでー」
「ふにゃー。シグリッドさまーはなしてー」
「こら! シグリッド。独り占めするな。アデリーヌ、俺も心配していたぞ」
「モルトさんもー」

 モルトとシグリッドに抱きつかれて揉みくちゃにされてしまうアデリーヌである。その光景を見ながら「いいなー」と指を銜えてみている村人達であった……。

「アデリーヌ様ーおらたちもー」

 なぜか村人達までがアデリーヌに抱きついてきてはエルフとドワーフに追い返されていく。

「なんでー?」
「俺の娘になにをするー」
「わしの娘やと言うてるやろがー!」

 戦争中とは思えないような雰囲気の中でアデリーヌは揉みくちゃにされ泣いていた。


 その夜、シャルルとアデリーヌは一緒にいた。

「それでね。シグリッド様とモルトさんがね……」
「――それは大変だったな」

 シャルルはベットの中でアデリーヌの髪を抱き締めながら髪を撫でている。久しぶりに会った彼らの話を楽しそうに言うアデリーヌを見ていると自然と笑みが浮かんでくる。
 こうしてゆっくりとする時間をまたしばらく持てないかと思うとシャルルはアデリーヌを引き寄せた。
 ふにゃふにゃと力が抜けているアデリーヌを抱き締め、愛撫していく。手で口を押さえ声を押し殺すアデリーヌを見ているとついつい苛めたくなってしまう。シャルルは結婚してから知ったアデリーヌのこういう変わらないところが好きだと思っていた。

 散々アデリーヌを苛めて少しうとうとしていたシャルルは部屋の外で何者かの気配を感じた。中の様子を窺っているらしい。剣を引き寄せ、抜き放つ。窓の外から魔力が膨れ上がるのを感じ、とっさにアデリーヌを庇う。
 膨れ上がった魔力は爆発し轟音を放ち、部屋の中を吹き飛ばしていく。

 魔力を感知したヤルミル達が見たのは黒焦げになり死に掛かっているシャルルとその体にしがみ付いて『神聖魔法』で治癒しようとしているアデリーヌの姿だった……。

「治んないの。なんでー?」
「――アデリーヌ」

 ヤルミルはシャルルを見て一種の呪いだと知った。そしてアデリーヌの『神聖魔法』のレベルでは治らないだろうという事も分かってしまった。止めさせようとアデリーヌ肩に置いた手を振り払われてしまう。

「アデリーヌ……もう治らない」
「治るもん」

 シャルルは黒く炭になりかかった腕を持ち上げ泣いているアデリーヌの頬を撫でる。アデリーヌはシャルルの腕に手を重ねて涙を零していた。

「大丈夫だから、助けるから……」

 ぶつぶつ小声で呟きながらアデリーヌは『神聖魔法』を掛け続けて、目を瞑った。
 ヤルミルやモルトとシグリッドが見ていられなくなり視線を逸らした時、アデリーヌが呟いた。

 ――魂の入れ替え。

 その言葉を聞いた瞬間、驚き止めようとヤルミルが振り向いた時、アデリーヌとシャルルの体が赤い光に包まれた。

「アデリーヌ、やめよ!」
「アデリーヌ」

 光が収まった。シャルルの腕がぱたんと地面に落ちる。

「――アデリーヌ」

 と、黒焦げになったシャルルを見つめ、シャルルが言った。アデリーヌの口からアデリーヌの声で……。倒れたままのシャルルから、

「助けるって言ったよ」

 と、アデリーヌが呟く。シャルルの口からシャルルの声で……こうしてアデリーヌとシャルルの魂の入れ替えが終わった。




 首都ローランに向かったシャルルはアルトゥル王国軍を追い返し、自らの手で王冠を被る。戴冠式にはエルフやドワーフ、東の塔のヤルミル達が出席した。12月 銀の月の頃である。空からは雪が降っていた。降り積もる雪は首都ローランを白く染めあげる。
 第1第2王子も王族の全てが死に絶えてしまった為に残されたのは第3王子シャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールの妻であったアデリーヌだけだった……。
 こうしてカプール王国始まって以来初の女王が誕生した。シャルルは王位に就くとき、自らの名をアデリーヌと名乗った。


 ――アデリーヌ・ラ・フォンテーヌ・ド・カプール。ヘンルーダの森、エルフの国の娘。カプール王国、第3王子シャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールの妻。――アデリーヌ。
 エルフやドワーフ、ドラゴンまでもその配下に従え、ローデシア大陸を初めて統一した『初代女帝』の始まりである。

 ノエル王国地方都市、古都アデリーヌ。『雪の中の宝石』
 初代女帝と同じ名を持つこの地方都市はアデリーヌとシャルルが一緒に過ごした家を中心に作られた巨大な墓標である。
 しかし今ではその事を知る者はドラゴン達の他には誰もおらず、この地にはシャルル肉体とアデリーヌの魂が眠っているという。
 そうして彼女――アデリーヌは全ての礎となった。







 初代女帝は玉座に君臨してからというもの全てを冷徹に行い続けていた。それは自らの肉体さえも道具として見るほどであった。
 ……晩年、死の間際に「私が亡くなった後必ずアデリーヌに葬るように」と言い残して亡くなったが、二代目皇帝になった息子は偉大なる『初代女帝』を辺境に葬るのは忍びないとカプールのかつての首都ローラン、現ノエル王国首都ノエルに巨大な墓を建ててそこに葬った。『初代女帝』の願いは果たされなかったのである。
 

 ――古都アデリーヌにはシャルルの肉体とアデリーヌの魂だけが眠っている。



[12791] 第47話 「ノエル王国 雪の王女と異国の子爵」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/01/29 20:22

 第47話 「ノエル王国 異国の子爵と雪の王女」


 ノエル王国首都ノエル――ローラン城。
 かつてのカプール王国の首都の名を持つこの城の一角でクラリッサ王女は独りっきりで立ち竦んでいた。固く強張った顔は青ざめている。ノエル王家らしく金髪碧眼ではあるが、長い髪は後ろに引き詰められ、他の者とは違い化粧も薄く、口紅が塗られている程度だ。意志の強そうな眼。くっきりとした眉、すっと通った鼻筋。引き結ばれた口元。そのどれもが化粧をすれば、険が取れて美人になるだろうに……と惜しまれていた。そしてクラリッサは取り立てて自分が美人だとは思っていなかった。18歳のクラリッサは凛とした雰囲気を身に纏い。周囲からは男であればと惜しまれるほど才気に満ちており、大臣達にもハッキリした物言いで恐れられていた。そのクラリッサの引き結んだ唇が今泣き出しそうに震えている。振り向けば、遠くで次期国王であるミハエルとその妻である皇太子妃クリスティーナが仲良く春の日差しの中、王城の庭を楽しそうに笑顔を振りまきながら歩いているのが見える。
 春らしく淡い青の花柄地紋を浮き立たせた薄い散歩着を着てミハエルと腕を組んで歩いているクリスティーナは派手好きで国費を浪費していた。クラリッサは常日頃からそれを諌めてきたがクリスティーナは一向に聞く耳を持たなかった。それどころかそんなに国費が心配なら貴女の分を返還すればいいじゃないの。とまで言い放った。
 その噂がいつの間にか国民にまで知れ渡り、おそらくクリスティーナの侍女たちだろう。だが、今更どこから漏れたとしても、一向に予算を返還しないクラリッサに対する国民の感情は悪化し続ける一方だ。
 片や、クラリッサに予算の返還を求めたクリスティーナは国民から慈悲深い皇太子妃だと人気が高まっている。その為にクリスティーナの派手好きは目立たず、慎ましい筈のクラリッサの生活の方が国民から非難を受ける始末だ。その上、優秀な騎士隊長を幾人か地方へ廻した為に彼らが担当していた地域から不満の声が上がっている。

「地方領がどれほど、治安が悪くなっているか知らないの?」

 クラリッサは彼らに問い質したかった。しかし、返ってくるであろう返事は聞かずとも分かっている。おそらく彼らはこう言うであろう。
 ――そんな事は知らない。と……。
 目先にある。自分達の生活だけしか知らず、地方の事など、どうでもいいのだ。だが、クラリッサは王族である。地方の治安にも気を配らねばならない立場であった。本来ならば、これらは国王や次期国王であるミハエル皇太子のやるべき事であったが、今の国王もミハエルも国政にはさほど関心がないようにクラリッサには見える。首都の民衆と同じだ。
 その為に口先だけの耳に心地よいクリスティーナなどの無責任な言葉を信じ、現状を見ようとはしていない。ただその中にも今のノエルに危機感を持っている者達もいる。
 首都の大商人と呼ばれる者達だ。彼らはノエル王国の経済が悪化している事に気づいていた。そしてクラリッサがどうして治安回復に気を配っているのかも正確に見抜いていた。今はまだ、経済の悪化が表面に出ていない。しかし必ず近いうちに生活が脅かされるほどに悪化するだろう。その前に手を打とうとしているクラリッサに対して期待をかけている。
 
 そんな状況の中、地味な灰色のリンジーで誂えられているスカートを固く握り締め、浪費を続けるクリスティーナを見つめるクラリッサの目には憎悪が篭っている。


 この日の少し前、王城にブランヴェリエ侯爵が国王に面会を求めてやってきた。
 クラリッサは朝食の途中であったが、急いで面会場所へと向かう。ブランヴェリエ侯爵とクラリッサは相談の上で外交ルートを使い、一族の者をルリタニア王国が行っている『銀行』について学ぶ為にルリタニアへと派遣しているのだ。
 ――おそらく、その報告だろう。とクラリッサは期待する。しかし、王女であるクラリッサはその場に入る事を国王から止められてしまった。国王はクラリッサ、いや王女が――『女』が自分達を無視して国政に口出ししている事を不満に思っていたのだ。

 クラリッサは目の前で閉ざされた王の執務室の扉を前にして呆然と立ち竦んでいた。

 ――そんなにわたしが国政に口を出すのが気に入らないのなら……もう少し、真面目に政務に勤しみなさいよ! 誰の所為でここまで経済が悪化していると思ってるのよ!

 クラリッサは拳を握り締め、扉を睨みつけていた。王族の誰とも似ていない後ろに引き結んだ金髪がかすかに揺れ動いている。
 とぼとぼと俯いて自分の部屋に帰る。クラリッサの頭の中はノエル王国に埋もれているであろう人材を探し出す事に向けられていた。

 部屋に戻る途中、階段に足を乗せたところで朝食を中断していた事を思い出した。
 思い出した途端、お腹がぐ~っと鳴る。ため息を1つ吐き、食堂へと戻る。テーブルの上にはまだ、食べかけの食事が残されている。冷え切ったスープ。硬くなっている卵とパン。席について食べ始めると慌てて女官達が飛んできた。

「クラリッサ王女殿下。申し訳ございません。急いで作り直させますから」

 ぺこぺこ頭を下げる女官に作り直させた場合、これらはどうなるの? と聞く。

「……それは、捨てます。捨てますわ」

 妙にはっきりと言い切られてしまう。クラリッサは今まで彼女達に言い聞かせてきた事が無駄であった事を思い知らされた気分に陥る。

「いえ、作り直さなくて結構。わたしはこれを頂きます」
「――王女殿下」
「無駄に捨てる余裕はどこにもありませんの。わたしはそうあなた達に言い聞かせてきた筈よ。忘れたの?」
「……それは……」

 真っ青になる女官達を見て言い過ぎたかもしれない。そう思った。わたしの悪い癖だ。ついつい言い過ぎる。彼女達はよくやってくれている。それは分かっている。感謝もしているのだ。それなのにどうして素直に言えないのだろう。今だってもっと他に言いようがあったはずなのに……。
 
 シュンと落ち込んで立ち去っていく女官達を見送りながら、わたしは後悔の念が沸き起こっていた。
 自分以外には誰もいない食堂のテーブルにぽつんと独りで座り、冷めた食事を食べていると……泣き出しそうになってしまう。
 国王や兄であるミハエルだけでなく……母親や女官達にすら疎まれているのは分かっていた。それでもこうして思い知らされるのは辛いものだ。と思う。
 もそもそと朝食を食べ終わり、立ち上がると弱みを見せないようにキッと顔を上げ、自室へと立ち去る。背後で女官達がホッとため息を漏らしている雰囲気がクラリッサの下にまで伝わってくる。
 すれ違うたびにそそくさと壁際に逃げるように下がっていく女官達を見ないようにしながら歩く。通り過ぎるたびに背後でひそひそ小声で話し合っている女官達の会話が聞こえてくる。

 ――いっそ、振り返って聞こえているわよ。とでも言ってやろうかしら? そんな考えさえも浮かんでいた。

 自室に戻る。元は王女らしく贅を凝らした部屋であったのだろうが、今は煌びやかな装飾品を押しのけるように、頑丈そうな机がいくつも置かれ、大量の書類が机の上に溜まっていた。クラリッサは机の上に置かれている大量の書類にちらっと眼をやるとため息をついた。しかし渋々といった感じで書類を手に取ると書かれている内容を読み、羽ペンでいくつか書き加えていく。
 しばらく、書類と格闘していたが、羽ペンを机の上に投げ出して、肩を揉んだ。

「毎日毎日……お父様やミハエルがほったらかしにしている政務を処理するのは辛いですわね……」

 クラリッサの元には大臣や貴族の役人達から毎日、報告書や嘆願書などが舞い込んできていた。国王や王子が政務に関心がない今、クラリッサ1人が政務をこなしている。お蔭でクラリッサの部屋は執務室のようになっているのである。クラリッサは書類を運んできた侍女にロデリックを呼ぶように言いつける。

 ロデリック・ド・アッシャー子爵。元々はカルクスの子爵であったが、今はノエルに亡命しており、古都アデリーヌに在住していた。東の塔出身の魔術師。ラッセンディルほどではなかったが、それでも優秀な魔術師として知られている初老の魔術師だ。年は50ぐらいだろうか? そのロデリックをクラリッサは首都ノエルに呼び寄せていた。

「お呼びでしょうか?」

 ロデリックはクラリッサの前に好々爺のような笑顔を痩せた顔に浮かべて恭しく進み出る。アビ、ジレ、キュロットの三つ揃いに白い絹のソックスを穿き、キュロットの内側で留めている。足元は派手なバックルを付けた黒皮の靴で踵の部分が高くなってブーツのようだ。その為に枯れ木のような体を実際よりも高く見せている。
 頭に羊毛で作られた白い鬘を被り、髪粉を振っている。鬘は後ろで絹の袋に収められ、黒い絹のリボンで結ばれていた。アビには大きな刺繍を施したポケットが付けられている。おそらくその中には魔術の触媒となるものが入れられているのだろう。クラリッサは見た事がなかったが、そう思っていた。

「貴方に頼んでいたルリタニア王国の調査の結果はどうなりましたか?」

 クラリッサは努めて平静な面持ちで問いかける。内心ではブランヴェリエ侯爵の報告が気になっていたが気にしていない様子を取る。
 そんな王女の態度にロデリックは微笑ましく見つめる。自分よりもかなり年下の王女がツンと澄ましている様子がまるで子供のように見えていた。

「ルリタニアの聖女の調査でしたかな?」

 ぽんと頭を叩いて、ロデリックはクラリッサに聞く。
 クラリッサは顔が真っ赤にして両手を振り回す。よく見れば、頬が膨らんでいるようにも見える。ロデリックが分かっていながら惚けているのが分かっているのだ。……クラリッサは確かに『聖女』の事は気にはなっていたが、その事をロデリックに言った覚えがない。それなのに……。おそらくこの態度からすると、ロデリックは『聖女』の事も調査してきたのだろう。
 ありがたい反面、余計な事を、とついつい反発してしまうのだった。

「ルリタニアの『銀行』の事です!」

 クラリッサがロデリックの耳元で大声を出した。時折、ロデリックは耳が遠い振りをしてクラリッサの問いかけを聞こえない振りをするのだ。そのために度々クラリッサはこういう手段を取る様になった。

「おお、おお。そうでしたな。ルリタニアの『銀行』の事でした。うんうん」

 ロデリックはうんうんと頷いている。今回はまだ、惚けるつもりらしい。むーっとクラリッサが頬を膨らます。椅子の上にどっかりと座り込み。つーんとそっぽを向く。クラリッサが時折する怒ってます。という意思表示である。

「お~。クラリッサ王女殿下。如何なされた。座り込んだりなされて、どれ、この爺が飴をあげましょう。おいしいですぞ」

 そう言ってロデリックはアビのポケットから色鮮やかな飴玉の詰まったガラス瓶を取り出した。蓋を開け、どれが良いですかな? などと言いながら、クラリッサに差し出してくる。
 つーんと横を向いていたクラリッサがちらっとガラス瓶の中を覗きこんで赤い飴を1つ取り上げた。そうして口の中に放り込む。口の中にイチゴの味が広がった。クラリッサは驚き、ロデリックの顔を見つめた。

「これは……こんな飴は今まで食べた事がありません。どうしたのですか?」
「この爺が、開発したのです。飴の中に果物の果汁を練りこんだ物でしてな。うまくすればノエルの新しい売り物になりますぞ」

 ロデリックはクラリッサの手に飴の詰まったガラス瓶を置く。そしてもう片一方のポケットから小さな麻でできた袋を取り出した。クラリッサが袋を見つめる。ロデリックが袋を開くと中には小さな黒い豆が詰まっている。

「なんですの?」

 ころころと口の中で飴玉を転がしながらクラリッサが聞く。

「これはコーヒーと言いましてな。細かく砕いて抽出するとおいしい飲み物になります。ノエル王国でもザクセン側にある山脈で見つけたものですが、本来は恐らく温かい地方に適した木でしょうな。見つけられたのは幸運でした。これも売り物になりますぞ」

 ロデリックはクラリッサにそう言うと部屋の隅にいた侍女に用意させていたお湯と道具を持ってこさせた。
 クラリッサの前にテーブルと椅子を用意し、ネルドリップに砕いた豆を入れ、カップの上にセットしてからお湯を注いでいく。クラリッサの部屋にコーヒーの香りが漂いだした。クラリッサは漂う香りにうっとりとしながら滴り落ちていくコーヒーを見つめていた。
 やがて、入れ終わったコーヒーがミルクと砂糖を添えてクラリッサの前に出された。一口飲んだクラリッサはあまりの苦さに顔を顰めた。

「苦いです」
「ははは。では、砂糖とミルクを入れましょうか?」

 ロデリックが椅子に座り、コーヒーに砂糖とミルクを入れて出す。クラリッサは今度は恐る恐る口に入れ、笑顔になった。

「今度は、おいしいです」
「そうでしょう、そうでしょう」

 ロデリックはうんうんと頷くながら、自分のために入れたコーヒーを、砂糖もミルクも入れずに飲んだ。
 そうして、これがうまく、受け入れられた場合には、商人達の手によって砂糖の需要が増え、砂糖業界を支配しているギルドもノエル王国との取引を重要視するだろう。と話していく。

「なんなら、新しくノエル王国が主導でコーヒー業界を作り出しても良いかもしれませんな。こういう嗜好品は受け入れられれば、強いですぞ。それにこの飴も……砂糖ギルドに話を持ちかければ、飛びつくでしょうな」
「その辺りは貴方に任せましょう。お願いしますね」
「畏まりましたぞ。この爺にお任せあれ」

 しばしまったりした空気が流れる。
 ほっと、一息ついたクラリッサにロデリックはルリタニアでの調査報告をしていく。

「ルリタニアでも人材集めに苦労しておるようですな。今はまだ、ロパートの率いる盗賊ギルドが中心となっております」
「なんとか、ノエルでもできないものでしょうか?」
「そのためには人材が必要になります」
「人材不足は深刻です……ルリタニア以上に」
「そこで、爺は考えました。ルリタニアで行われている簿記をですな。ノエルの者にも学ばせるのです。そうして、ノエルで検定試験を実施致します。ノエルの試験に等級を付けるのです。そうすれば権威を握れますぞ。こういうものははじめた者より、権威を握った者の勝ちですぞ」

 ロデリックはぐぐっと拳を握り締めてクラリッサに迫る。
 クラリッサはロデリックの気迫に只ならぬものを感じた。そうして頭の中で計画を考え出す。ノエルの決めた基準が世界の基準となる……。うまくすれば確かに権威を握れるでしょうね。

「そう、うまく行くでしょうか?」
「実はこれには成功例があります」

 ロデリックが声を潜めてクラリッサに言う。クラリッサはロデリックに顔を近づけ、聞き返した。

「成功例ですか?」
「ええ、カルクス王国の先々代の国王です。あやつは一時はカルクスを芸術の都。音楽の中心としました。しかし後継者があれだったものですから、落ち目になりましたが……成功例には違いありません。ノエルを同じように勉学の都にしてしまいましょう」
「勉学といえば、東の塔が最高峰ではないのですか?」
「あれは魔術です。その意味で言えば、ノエルの錬金術も有名ですぞ。それとは別に経済や商売の為の学問を学ばせるのです」
「具体的には?」
「算盤、簿記を含む帳簿の付け方。輸出の為の船の学校。船は学ぶ所が船の上にしかないのです。その為の学校などないですからな。それに軍の為の学校も建てましょう。指揮官が育てられます。そこで軍略も研究させるのです。そうすれば軍略に強い国になります」

 クラリッサはそこまでの予算は無いだろうといった。実際にやりたい事は山ほどあってもやれる事は少ないのだから……。
 ロデリックは頷く。

「まず、現状はルリタニアに中央銀行の権利は渡さない事。次にノエルから新しい輸出品を宣伝して、浸透させる事。この2つを中心に据えましょう。その後の事は計画を立てさせるだけでも構いません。いざ出来る様になった時には計画が練られている分、動きが速くなりますからな」

 その後、聖女の話になった。ロデリックは聖女と争うのは無益だとクラリッサに言い聞かせる。聖女はクラリッサが会いたいといえば、必ずやってくるだろうと話した。

「……本当に来ますか?」

 疑わしそうにクラリッサは聞き返した。その表情は暗い影が滲んでいる。クラリッサの頭の中で聖女とクリスティーナが重なっていた。聖女はターレンハイム家で贅沢三昧をしていると思っていたのだ。
 噂では、ひょっとしたら一国の王女であるクラリッサ以上の生活をしていると言う者もいるぐらいだった。
 ロデリックはその噂を否定する。聖女はそのような人物ではない。クラリッサが虚心になってノエルの現状を話し、その現状を何とかしたがっていると言えば、必ず、味方になるだろうと訴えた。

「ひょっとしたら、聖女こそ。クラリッサ王女の一番の味方になってくれるかもしれませんぞ」
「……そうでしょうか?」
「噂に惑わされずに、是非一度、お会いになると宜しいかと、この爺はそう考えますぞ。ぜひそうなされ」
「……考えておきましょう」

 ロデリックはクラリッサにそう言い残して部屋を出て行った。扉を閉め、もたれかかる。眼を閉じた。
 ――クラリッサ王女殿下。貴方こそがこのノエルの女王になるべき人だと爺は期待しておるのです。

この爺の期待を裏切らずにいて欲しいものです。
 クラリッサの机の上にはブランヴェリエ侯爵からの報告書が置かれていた。今日の朝早くにブランヴェリエ侯爵からロデリックの元へ届けられたものだ。国王に提出する書類よりも遥に詳しく。また厳しい現状が記されている。
 ブランヴェリエ侯爵はクラリッサにも見せるようにと、手紙を添えていた。

 ロデリックは王城の一角に与えられている。塔の一室へと向かう。
 ローラン城の東にある塔の中は大量の器具が設置されていた。ロデリックが運び込ませたものだ。部屋の中央には3つの釜が火に掛けられている。曲線を描く壁沿いは大量の写本が詰められた本棚で囲まれていた。釜の1つでは若そうな女性が腕を震わしながら、大きな鍋でコーヒーの豆を煎っている。栗色の髪を後ろでだんごに纏めて、細かな金細工で飾られた髪飾りで留めている。深い紫のワンピースの後ろを赤いリボンで結んでいた。整った顔立ちは控えめに付けられている化粧でさえも不要とばかりに輝いていた。大鍋を振っていても女性の周囲には気品が漂っていた。黙って立っていれば、どこの貴婦人だろうかと噂されるだろう。

「ロデリック! あんた。あたしにこんな事をさせておきながら何してたんだい」

 女性が塔に入ってきたロデリックの姿を見た途端、食って掛かる。貴婦人の雰囲気が壊れた……。高貴さが消えうせ、やさぐれた女がそこにいた。

「王女殿下に呼ばれておったんじゃ。悪かったのう。手伝わせて」

 一向に悪いとは思っていなさそうな口調でロデリックは言う。鼻をひくひくさせ、なべの中を覗きこむ。女性は煎った豆をロデリックに見せると、こんなもんかい? と問いかけた。

「まったく、こんな事はあんたの弟子にさせればいいじゃないか。まったくなんだって、あたしがやらなきゃいけないんだ! まったく!」

 女性は鍋から豆を細かい眼の入ったざるの上に入れると鍋を放り出して、調合台の椅子に座り込む。ロデリックはざるに入れられた豆を均す。指で1つ摘んで焙煎具合を確かめる。丁度いい具合に赤茶けた色をしている。アリステリアはロデリックの言ったとおりに焙煎を仕上げてくれたみたいだ。出来上がりにロデリックは満足そうに頷く。

「仕方なかろう。こういう細かい判断をできる弟子がおらんのだ。……お主には感謝しておるよ、アリス」
「勝手なことをお言いでないよ」

 椅子に座り込んで汗を拭っていた女性――アリステリアは調合台に置いてあったワインを瓶ごと傾け、ごくごくと飲み込んでいく。
 そんなアリステリアを見て、ロデリックは苦笑いを浮かべる。

「まったく。お主も素直でないのう」
「あたしは素直さ。自分に対してこんなに素直な女はいないと思っているぐらいさ」

 そう言って、着ているワンピースの胸元をぱたぱたさせて風を送り込んでいる。深い紫のワンピースはほっそりとしたアリスの体に張り付き、体の線を露にしている。深くくびれた胸元からアリスの大きく盛り上がった乳房を半ば以上見せており、汗が深い胸の谷間に流れていった。
 ロデリックはアリスの隣に腰掛け、ワインを取り上げて自分のグラスへと注いだ。ワイングラスを手に取ろうとしてやめた。そうしてグラスを見つめたままアリスに話しかけた。

「……のう。アリス……」
「なんだい?」
「ルリタニアでお主がやろうとしておった麻薬製造な……あれ、中止できんか?」

 ロデリックはそう言うとワイングラスを持ち上げる。アリスはふっと笑い。肩を竦める。

「もう。製造は中止しているさ……聖女の所為でね。写本を見つけられて、隠された。一冊しか書いてなかったんだ。もう一度書くのは面倒だね。でも……あんたがそんな事を言い出すとわね。どういう心境の変化だい?」

 アリスはワインボトルを傾けてグビッと呷る。それからワイン瓶を持ったまま手の甲で口を拭った。目の中には面白がっている色が窺えた。ロデリックはワイングラスを見つめたままアリスに言う。

「クラリッサ王女殿下にはノエルの女王になっていただきたい。その為に麻薬を作らせているという噂が流れるのは困るのだ」
「……女王ねえ~。そりゃあーあのクラリッサが女王になったらノエル王国はいいだろうさ。……でも、ね。あの子が不幸になるのは眼に見えてるからね。あたしゃあまり賛成したくないねえ……」

 アリスは幾分同情的な発言をする。その言葉にロデリックは眼を見張った。

「お主……お主がそんな事を言うとは、思わなんだぞ」
「なんだい。それは? あたしだってクラリッサの事は気に入ってるんだよ。そうじゃなきゃこんな事してるもんかい」

 アリスは大量に設置されている錬金術や魔術の道具に眼をやった。そして視線をずらし、積み上げられている木の箱をみた。木の箱の中にはアリステリアやロデリックが今まで集めてきた薬草や鉱物、それらを使用した薬や道具が入っている。彼らはクラリッサから費用をせしめたりしてはいなかった。全て自前の金で集めたものだ。ノエルの財政が苦しい事は分かっている。その中からクラリッサはクラリッサ自身の生活を切り詰めて費用を捻出しようと彼らに申し出たのだった。それを断り、彼らは自前で掻き集めていた。もっとも貴族達から資金提供もあったが……。

「……そうか」

 ロデリックも箱を見ながら言った。
 しかしこのままではノエルは苦しくなる一方であるのも確かだ。それを食い止めるにはクラリッサを担ぎ出すのが良い。それはロデリックだけの考えではなく。大商人達や貴族の中にも同じ考えの者は多くいる。ブランヴェリエ侯爵などはその代表格である。
 ブランヴェリエ侯爵はクラリッサの為にロデリック達の資金を提供していた。無論、クラリッサには内緒ではあったが……クラリッサが知れば気にするだろうし、もしかすると自身の生活をさらに切り詰めて金をロデリック達に押し付けるかもしれないからだ。
 それから……アリスの言う。クラリッサが不幸になるというのも考えなくはなかった。

「……クラリッサが男だったら、こんな事で悩んだりしないんだけどさ」
「確かにのう……男なら間違いなく次期国王で、今頃すでにノエル王国は立ち直っておるかもしれんな」
「盆暗のミハエルじゃあねえ~」
「巧くいかんものだ」

 いっそ、クラリッサに何もかも投げ出させてアデリーヌにでも逃げ出させたい。と思う事もあった。ノエル王家がどうなろうと知った事か。と言わせたくもなる。そうすれば王家は兎も角、クラリッサは不幸にはならないだろう……。
 しかし、しかしだ。そのクラリッサがどうしても、政務を投げ出そうとはしない。

「国王でさえ。政務を投げ出しているというのに……1人だけ一生懸命になっておるのは哀れなことだ」
「何でここまで国王も王子のやる気がないのかねえ~。むしろ、そっちの方が不思議になってくるよ。てめえの父親は必死にやってきたろうにさ」
「比較的に安定していた時期が長かったからな。今の国王も若い頃はそれなりに政務をこなしていたぞ」
「女王陛下は質素な方で……クラリッサも質素でクリスティーナだけが派手好きだと思えば……王子までが派手になってきたからね」
「クリスティーナは兎も角としてだ。王家の女達より男の方が派手で盆暗というのはいただけんな」
「まあ、女はさ。仕方ないよ。派手でもね。しかしねえ……男連中の経済感覚の無さはどうしたものだろうね」

 ロデリックとアリステリアは2人でため息を吐く。ここまでくれば何か、呪いでも掛けられているのではないのかとさえ。疑っていた。





 クラリッサはロングギャラリーの初代女帝の肖像画の前で立っていた。
 この絵の前に立つ度に胸が締め付けられる。どうしようのない孤独感に襲われる。それと同時に何かが違うと感じていた。
 この絵ではない。
 なにが違う。何がおかしいのか。
 分からない。
 クラリッサは以前、この絵を見ながら初代女帝のようになりたいのではないのか? と言われた事がある。
 そうかもしれない。わたしは初代女帝になりたいのかもしれない……。
 だけど、それはこの絵ではない! これは違う。
 わたしはこの絵のような初代女帝にはなりたくはない!
 違う。違う。違う。違う。
 これではないのだ。この初代女帝は違う。頭を振って絵から眼を逸らす。胸が締め付けられる。苦しくなる。どうしてこんな気持ちになるのだろうか?
 もう一度、絵を見た。
 幼い頃から、見る度に胸を締め付けられながら不思議に思っていた事がある。

 どうして、初代女帝は絵の中心ではなく。少し左に立って椅子の背もたれに左手を掛けた姿で描かれているのだろう?
 まるで、隣に座るべき人がいるようだ。
 初代女帝は常に一人きりの姿で描かれている。
 どうして、初代女帝はシャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプールの姿を描かせなかったのだろうか?
 なぜ、立っているのだろう?

 これではまるで――女王を見守る王のようではないか?
 椅子に座るべきなのは初代女帝であって、この絵のように誰も座っていない椅子に視線を送っているのはおかしくはないか?
 この椅子に座るはずの誰かを見つめているようにも見える。この椅子には誰が座るのだろう?

 わたしは絵の前で立ち竦む。……そうして心の中で思う。本当はこんな国がどうなろうとどうでもいいのだ! ノエル王家が他国に征服されようが、滅亡しようがどうでもいい。ノエル王国の国民なんて全員皆殺しにされようとどうでもいい。せいぜい見苦しく足掻けばいいのだ。その時。殺されていく国民を見ながらわたしは嘲笑うだろう……。こうなる事は解っていた事ではないのか、と。考えてみればわたしにはこの国に守りたい人はいないのだ。わたしと仲の良い人達はこの国でなくても生きていける。そんな人たちなのだから……。
 
 ああ……思考が空転している。よくない傾向だ。時折こんな事を考えてしまう。この絵を見ているとわたしはおかしくなってしまう。息が苦しくなる。会いたい。この絵に描かれなかった人に会いたくて堪らなくなる。なぜこんな事を思うのかも分からない。なにせ1000年も前の人物だ。そんな人に会える訳もない。
 わたしは……たぶん、あの絵に描かれなかった人の事が気になっているだけだと思う。この国――ノエルには初代女帝が眠っているという。彼女は幸せだったのだろうか? それとも後悔していたのだろうか?
 胸を締め付けられながら、わたしは立ち去った。頭を切り替える。やるべき事はたくさんあるのだ。頭を振って初代女帝の絵を脳裏から追い出した。
 顔を上げ、真っ直ぐ前を見て、わたしは歩く。
 わたしの執務室はもうすぐだ。守りたくもない国を国民を守るためにまた忙しく働こう。
 この国が滅亡するまで……できればわたしが生きている間に来て欲しいものだ……。



[12791] 第48話 「雪の国の王女様と荊の森の少女」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/02/14 13:02
 第48話 「雪の国の王女様と荊の森の少女」


 
 とある春の出来事――わたしは恋をした……。

 ノエル王国でも有数の貴族の子弟がクラリッサ王女殿下を招待したいと申し出てきた。
 ここ数年来、そのような申し出はなく。クラリッサは青天の霹靂という面持ちで招待状を見つめた。

「――これはどういうつもりなのか。分かりますか?」

 クラリッサは自らの私室――執務室でロデリックとアリステリアに問いかける。
 招待状をロデリックに渡す。渡されたロデリックは招待状をまじまじと見て明かりに透かしていた。その隣ではアリスも招待状を覗き込んでいる。

「大まかに考えれば二通りですな。好意に基づくものか、悪意によるものか、ですが……」

 ロデリックは腕を組んで首を傾げる。

「……ヴィルジール・フォン・ブランヴェリエか。こいつは確か、侯爵と敵対していたよな? ロデリック」

 アリスはそう言ってロデリックの方を見た。手にはコーヒーカップを持って熱そうに飲んでいる。一口飲んで眉を顰めた。カップを皿の上に置き、スプーンで砂糖を掬い2杯も入れた。その上にミルクもたっぷりと入れる。ぐるぐるかき混ぜる。

「ええ、ヴィルジールは侯爵の次男ではありますが父親の侯爵とは折り合いが悪くもう随分と長く会っていないそうです」

 クラリッサは陶器でできたピンクの花柄の皿の上に乗せられているビスケットを二枚まとめて齧るとパキッと割り、噛み砕いた。バターの香りと甘みとほんの少しの苦味が口の中に広がっていく。

「王女殿下、お行儀が悪いですぞ」

 ロデリックがクラリッサにまるで子供相手のように言う。クラリッサが肩を竦めると「がぁー!」とロデリックが叫ぶ。

「あんたの声の方が行儀が悪いよ」
「そうですわ」

 アリスとクラリッサが共にロデリックに言った。2人とも耳を塞いでいる。ロデリックの「がぁー!」は耳に響くのだ。

「何を仰っているのですか。クラリッサ王女殿下。仮にもノエル王国の第一王女ともあろうお方が、卑しい街娘のように二枚重ねで食べるなどという事をなさってはいけませんぞー!」

 ハンカチを噛み締め、泣きそうな顔でロデリックがクラリッサを見つめる。
 アリスがため息を吐き、クラリッサの脇腹を肘でつついた。ちらっとクラリッサがアリスを見る。首を小さく振ってからアリスは頷いた。
 クラリッサもまた、小さくため息を吐いてロデリックに謝る。

「わたしが悪かったですわ。もう致しません事よ」
「それで宜しいのです。もう、してはいけませんぞ」

 クラリッサがしおらしい態度で言うとロデリックが重々しく頷き、王女としての心構えを滔々と話しだした。

「……なんでこいつはクラリッサに対して教育係のような態度を取るんだろう?」
「というか、口うるさい小言お爺さんですわ」

 クラリッサとアリスは顔を見合わせて小声で言い合った。2人ともがっくりとしていた。
 彼らの背後では侍女達がくすくすと笑っている。

「……という訳で、王女たるもの常に優雅に行動しなければならないのですぞ。分かりましたかな」
「ええ、大変よく分かりました。以後気をつけます」

 クラリッサは小言を右から左に流していたが、返事だけはきちんと言った。ロデリックはうんうん頷きながらハンカチをポケットにしまう。

「まあ。この招待状が善意であれ悪意であれ、行くべきでしょうな。もし仮にクラリッサ王女殿下に危害を加えようとするなら、我々がその者を排除致します」
「――まあ、クラリッサはあたしらが守るから安心してていいよ」
「……では、警護はお任せしますね」
「任せておきたまえ」
「了解。了解」


 こうしてわたし達はヴィルジール・フォン・ブランヴェリエの屋敷に訪れた。
 ヴィルジール・フォン・ブランヴェリエの屋敷は廃園趣味で構成されていた。庭のあちこちに恐ろしげな怪物の彫刻が置かれ、花のない薔薇の枝が棘を尖らせ、今にも触れる者を傷つけんとしているかのようだ。
 ヴィルジール主催のつまらない。取り立てて可もなく不可もないお茶会が終わり、わたしは庭を歩いていた。考えてみれば久しぶりの外出なのだ。この機会に少し歩いてみるのも悪くはないだろう。
 
 わたしはそう思い。ロデリック達と分かれて迷路のようになっている庭園を散歩している。頭上ではさらさらと音を立てて風が流れている。迷路のような森を右に左にと折れ、歩き続けているうちに迷路の中心に辿りつく。中心には小さな田舎風の家が建てられていた。どうして貴族はこう田舎の風景にあこがれるのだろうか? 実際には住む気もないくせに……。
 苦笑いを浮かべて踵を返そうとした時、視界の端にいきなり、彼女の姿が飛び込んできた。

 ――一瞬、全ての音が消えた。

 彼女は小さな木で出来た椅子に座っている。少し上を向き、目を瞑り、両手を絡ませ、小さな小さな子犬を抱き締めていた。昼を少し回ったこの頃の光が彼女に差し込み、わたしは魅入られたようにじっとその場を離れる事ができなくなった。
 綺麗な金髪の髪。ほっそりとした体。三日月の眉が、睫毛が、赤く紅を引いた唇。少しだけ痩せた白い頬にほつれ毛がかかり、太陽の光に反射して輝いている。足元には子犬達が彼女を取り囲み、靴を舐めている。音が蘇った。くぅ~ん。と鳴く声が私の耳に届く。
 いつか何処かで見た事のあるような風景。
 胸を締め付けられ、わたしは……涙を流していた。

 わたしは彼女を驚かせないようにゆっくりと近づく。子犬達が侵入者に気づき、微かに唸り声を上げる。唇に指を当てて声を出さないようにお願いしてみるが、子犬には通じようもない。
 彼女が眼を開けてわたしを見る。
 その透き通った蒼い瞳がわたしを射抜く。

「わたしはクラリッサ。あ、あなたは、だあれ?」

 ようやくそれだけを言った。喉がからからに渇く。聞きたい事はたくさんあるのに、思うように言葉が出てこない。
 彼女の小さな手が子犬を撫でる。子犬は気持ち良さそうに目を瞑り、ひくひくと耳を動かし、しっぽを振る。彼女はわたしの方を見た。
 年の頃は12,3ぐらいか、クラリッサよりも3つ4つぐらい幼く見える。金色の髪、顔立ちは幼いとはいえ、あと少しすれば大層綺麗になりそうに見える。長く淡い色合いのグリーンのワンピースを着たどことなく暢気そうに見えるこの少女を見ているとわたしは警戒心が緩むのを感じていた。

「わたしは……アデリーヌよ」

 この瞬間、わたしはこの少女に……魅入られた。
 意識が遠のく。へなへなと温かい日差しを浴びている大地に座り込んでしまった。
 アデリーヌ。アデリーヌ。初代女帝と同じ名前……。それ自体は珍しくもない。初代女帝と同じように美しく。聡明になって欲しいと願う親達は娘にアデリーヌと名付ける事もおおい。わたしの祖母もアデリーヌという名だった。この少女の両親も同じように願ったのだろう。わたしはその両親に感謝しよう。
 守りたくもないこの国の中で唯一わたしが守りたくなったものがここにいるのだから……。

 わたしは無理矢理、彼女を抱き寄せこの場から連れ去った。両親に彼女を貰い受ける交渉をしようと思ったのだ。ところが彼女は、『ホモンクルス』だった……。製作者はタンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵。元はカプール帝国の貴族だったと言う。帝国崩壊の際に没落した貴族の末裔らしい。未だにカプール貴族の称号を名乗っている。馬鹿馬鹿しいが、それが彼の誇りなのだろう。
 わたしはヴィルジール・フォン・ブランヴェリエの下に身を寄せているヴァイトリング子爵ごと、アデリーヌを王城へと連れて帰って来た。ロデリックとアリステリアは驚いていたが、何も言わずにヴァイトリング子爵を助手として扱う事に決めたらしい。アデリーヌにはわたしの部屋で寝泊りさせる事にする。
 片時も離れたくなかったのだ。
 わたしの身の回りの世話をアデリーヌに任せた。それぐらいはできるらしい。ならば、彼女がいい。アデリーヌにして欲しい。

「アデリーヌ。次はこのドレスを着てみようか?」

 わたしはいそいそとクローゼットの中を引っ掻き回して、アデリーヌに似合いそうなドレスを着せる。

「アデリーヌ、少し、右足を上げて」

 アデリーヌの何も身に着けていない裸体がわたしの前にある。どこもかしこも柔らかそうで……風が吹いても傷つきそうだ。まるで殻を剥いたエビのよう……。抱きついてしまいたいのを必死に堪え、ズローズを穿かせる。そうして後ろに回る。アデリーヌの細い体に手を回して、ビスチェを着せようとした。まだ膨らみきっていない小さな乳房がわたしの手の中にすっぽりと納まっている。
 ああ、このまま。揉みしだいて蹂躙してしまいたい! わたしは唇を噛み締めて堪えた。何も分かっていないアデリーヌは新しいドレスが嬉しいのか、笑顔を向ける。
 そんな眼で見ないで! わたしの心の中にあるどす黒い欲望を気づかれてしまう……。
 あらかじめ暖炉で暖めたシュミーズを着せると、わたしの心もようやく落ち着きを取り戻した。アデリーヌを椅子に座らせて足を上げさせた。ぷにぷにとした足を、指を、わたしの指先が弄びそうになる。

「やん。くすぐったい」

 ……気づかないうちに弄んでいた……。わたしは、わたしという者は……自制心というものがないのか? いかん、いかん。このままではアデリーヌの足を舐めてしまいそうだ……。白くて、小さくて、可愛らしい。指が……おいしそう……。じっと見つめる。

「だあー! 何を考えているのだ」

 わたしは頭を抱えてしまう。そんなわたしの様子を首をかしげたアデリーヌが不思議そうな表情で見つめている。

「こほん」

 努めて冷静な表情を作り、妄想を吹っ切った。アデリーヌにコルセットを付けながら、背中で蝶結びで縛る。コルセットの次はキャミソール。その上に胸飾りを付ける。そして絹のペティコート。それからようやくドレスになる……。アデリーヌはわたしの腕の中で身を任せている。視線だけはうっとりと立てかけられているドレスを眺めていた。
 そのうっとりとした表情を覗き見ているうちに我慢が限界を超えそうになってしまう。

「うっ、うん。うっ……ぷはっ」

 気づいたときにはわたしは、アデリーヌをベットに押し倒して両手でアデリーヌの顔を挟み込み、唇を奪っていた。
 ……わたしの理性はこれほど脆いものだったのか……少しへこんだ。
 泣き出しそうなアデリーヌを見つめる。

「やっ。やあー」

 手足をバタつかせ、アデリーヌは泣いていた。ぐすぐす泣き声をあげ、その綺麗な瞳から大粒の涙がぽろぽろ零れる。わたしの心に罪悪感が溢れ出す。まだ幼い女の子を見初め、権力を振るい。無理矢理王城へと連れてきた挙句に、襲い掛かる。
 同じ事を他の誰かがしたとなれば、わたしはその者を厳罰に処すだろう。嫌悪感を持って断罪するかもしれん。だが、いま。わたしは自らが嫌っている者達と同じ事をしているのだ。胸が張り裂けそうになる。
 しかし。しかしだ。泣きじゃくるアデリーヌを見ていると我慢などできん!
 アデリーヌの唇を何度も何度も啄む。唇を舌で抉じ開け、舌を吸い、絡ませる。わたしの舌はアデリーヌの歯を、舌を、口内を蹂躙し尽くしていく。

「アデリーヌ。アデリーヌ……」

 わたしの腕が、手の平が、指がアデリーヌを求めて衣服の上を彷徨い。僅かな隙間から忍び込もうとしていた。

「――そこまでです!」

 後頭部に重い一撃を喰らった。
 さらに横から吹っ飛ばされ、ベットの上を転がっていく。アリステリアがアデリーヌを抱き締めているのが朦朧としたわたしの目の前に見える。アリステリアは素早くアデリーヌにドレスを着せ、わたしの体を足蹴にし、わたしはベットから転がり落ちてしまった。

「ぐすぐす……こわかったよー」

 アデリーヌはアリステリアにしがみつき、ぐすぐす泣いている。アリステリアはアデリーヌの頭を撫でた。そうして優しい笑みを浮かべて、アデリーヌを強く抱き締めている。

「アデリーヌ。あんなヘンタイなお姉さんに近づいてはいけませんよ」
「ぐすぐす……。うん」

 アリステリアの優しい言葉に、こっくりと頷くアデリーヌ。……そんな事を言わないでー! こんなにも愛しているのに……。
 わたしは朦朧とする意識の中でがっくりしてしまっていた。

「さ~。アデリーヌ。あっちへ行ってお菓子を食べましょうね」

 アリステリアはアデリーヌの手を引いて部屋を出て行ってしまった。残されたわたしは涙を零しながらそんな2人の後姿を見送るしかなかった。

「クラリッサ王女殿下。いつまで寝ているのですかな? さっさと起きなさい!」

 ロデリックに叩き起こされる。ロデリックの手には何故か、鞭が握られていた。
 よろよろと立ち上がる。ロデリックはピシッと直立の体勢を取っている。踵を鳴らし、わたしに向き直ると「はぁ~」とため息をつき、じろっと睨んできた。

「ロ、ロデリック?」

 その眼つきに不穏なものを感じる。わたしは逃げ腰になりつつも問いかけた。ロデリックはずいっと一歩踏み出してくる。一見してにこやかな顔なのに眼が笑ってない。


「王女殿下。私は王女たるもの常に優雅であれ。とは申しましたが……あのような幼い子供に襲い掛かれとは一言たりとも申しませんでしたぞ!」

 ロデリックはカツカツ音を立てて近づいてくる。床の上に倒れ伏したままの体勢でわたしはそれを見ていた。

「あわわわ……」

 ぎこちなく手足を動かして何とか逃げようとする。そうはさせまいとロデリックはわたしの足を掴んだ。ぐいっと足を持ち上げ、ベットの上に叩きつけられてしまう。

「な、何をするのですか!」
「それは、こちらの言い分ですな。クラリッサ王女殿下」

 ロデリックは右手に持った鞭を左手の手の平にぴしぴしと当てる。しばらくそうしていたかと思えば、鞭をビシッとわたしに突きつけてきた。

「あのようなか弱い幼子を手篭めにするような事が許されて良い訳はなかろうがぁー!」

 ロデリックの『がぁー!』がわたしの耳元で炸裂した。転げ落ちた所為で痺れていた腕では両手で耳を塞ぐのが遅れてしまい。耳がキィーン。とする。ベットの上で転げまわる。ロデリックはこの際とばかりにアデリーヌが来てからのわたしの生活態度に対する説教を始めた。

「そもそもです。クラリッサ王女殿下はノエル王国の第一王女ですぞ。それなのに色に溺れるとは何事かぁー!」
「わたしとて、好きな女の子の1人ぐらい構わないと思います」
「やかましい! 女のくせに女が好きだと公言するでないわー! あれか? 同性愛の上に幼女趣味か? さらに無理矢理か? どこまでどこまで罪深い行動をする気なのじゃー」

 わたしの反論はロデリックの一喝によって封じられてしまった……。いつ果てるとも知れないお説教の嵐をただただ耐え凌ぐしかないわたしであった……。


 クラリッサがロデリックに説教されていた頃……。
 アデリーヌは塔の一角にあるアリステリア達の部屋で試作品のお菓子を振舞われていた。

「アデリーヌ。こっちのお菓子もおいしいのよ」

 アリステリアは周囲にいる者達が呆気に取られてしまうほどの猫なで声でアデリーヌに接する。甲斐甲斐しくアデリーヌの口元に付いているクリームをハンカチで拭い。いそいそとお茶を用意して飲ませようとしていた。

「熱いからね。ふうふうしなさい」
「ふーふー」

 アデリーヌはお茶の入ったカップを両手に持って覗き込むようにふうふう息を吹きかけお茶を冷ましていた。テーブルにはクリームのたくさん載っているケーキに木の実を練りこんだクッキー。それに飴にリンゴのパイにタルト……など等が所狭しと並べられていた。
 アデリーヌの持ったフォークがどれから食べようかと空を彷徨う。
 目の前に差し出されたクリームの乗ったケーキにフォークを刺し、口を大きく開けて頬張る。眼が輝く。はむはむ咀嚼して飲み込んだ。

「ふわぁ~」

 眼を輝かしたアデリーヌを前にしてアリステリアの顔がへにゃっと崩れた。

「ああー、もう。かわいいんだから~」

 かいぐりかいぐりアデリーヌの頭を撫でるアリステリア。北の魔女と恐れられた女とは思えないほどの崩れようである。
 へにゃっと崩れているアリステリアとアデリーヌの下にヴァイトリング子爵が近づいてきた。手には大量の書類を抱えている。ヴァイトリング子爵はアリステリアに書類を見せると承認を求めた。ヴァイトリング子爵は旧領復活の為にノエル王国に協力する気を見せ、ルリタニアの銀行業務に対抗する為の人材集めを一任されているのだった。

「とりあえず幾人かの候補をリストに纏めておきました」
「ああ、そう。そこに置いておいて」

 アリステリアはヴァイトリング子爵のリストにちらっと眼をやり、めんどくさそうに言う。アデリーヌの頭を撫でている手は休めてはいなかった。ヴァイトリング子爵はそんなアリステリアの態度にも腹を立てた様子もなく。引き下がると引き続き人材集めの為に貴族達の内情を調べた書類に眼を向ける。

 ヴァイトリング子爵は自らが作り出した『ホモンクルス・アデリーヌ』に視線を向けた。
 そうして思う。女を差し出して地位を得る。こうして考えると私がやっている事は昔からある古典的な行動だな……もっとも差し出したのが『ホモンクルス』というのがおかしなものだが、友人知人、親類、一族。その他の係累がいないだけ後腐れもないがな。
 ヴァイトリング子爵としても自らが作り出した『ホモンクルス』に対して愛情がない訳でもなかった。虐待されるというのであれば、やはり抵抗を示しただろうが……ここまで愛情を注がれると首を捻る反面、諦めにも似た境地に至った。
 アデリーヌも嫌がってないし、まあいいか……。
 ため息をついて再び書類に眼を向けた。



 塔の外からどどど! という何者かが走る音が聞こえてくる。塔の中にいた3人は視線を扉に向ける。
 扉を叩き割るかのように姿を見せたのはクラリッサであった。

「アデリーヌ。助けて~」

 瞳に大粒の涙を浮かべたクラリッサはアデリーヌに抱きつくように縋りつく。わたわたと慌てたようにアデリーヌは手足を動かす。

「なんですか? クラリッサ王女殿下?」

 アデリーヌをかわいがるという至福の一時を邪魔されたアリステリアは冷たい声でクラリッサに問いかける。視線が凍りつくように冷たい。
 クラリッサはそんなアリステリアには眼もくれずアデリーヌの小さな胸に頬を擦り付けている。

「ロデリックが、ロデリックが~」
「どうしたのー?」

 クラリッサにしがみつかれたまま、きょとんとした表情でアデリーヌは聞いた。
 ぐすぐすと泣き出しそうになりながらもクラリッサはアデリーヌに説明していく。

「今日中に溜まっている書類を片付けないとアデリーヌと一緒には寝かさないって、ロデリックが言うのよ。そんなの嫌よね? ね?」

 アデリーヌの眼をじっと見つめクラリッサは言う。

「ヴィルジール・フォン・ブランヴェリエの屋敷から戻ってきてからというものサボっているからです。いい機会でしょう。片付けてしまってくださいクラリッサ王女殿下。アデリーヌはあたしと一緒に寝ますから心配しなくてもいいですから、ね!」

 アリステリアはアデリーヌを引き寄せながらクラリッサに言った。
 引き離されまいとクラリッサは必死になって抵抗をしている。左右から抱きつかれているアデリーヌは痛がっているがクラリッサもアリステリアも気にした様子は見えない。2人ともアデリーヌ争奪戦に夢中になっているようだ。
 ヴァイトリング子爵はそんな2人の様子を見て再び、ため息をついた。

「クラリッサ王女殿下~。どこにいるのですかな~」

 地獄の底から響いてくるかのような。亡者が生者をあの世へ引き寄せるかのような。陰に篭ったロデリックの声が近づいてくる。こつこつと廊下を歩く音が不気味に響く。
 にゅうっと扉の隙間からロデリックの眼が見え隠れしている。
 クラリッサはアデリーヌに抱きついた。アリステリアも同じく抱きつく。

「……ここにいたかぁ~」

 にたりと笑ってロデリックが姿を現した。
 がたがたとクラリッサが怯え、体を震わす。抱きつかれていたアデリーヌもクラリッサに体を揺さぶられてがくがく震えていた。ロデリックはクラリッサに近づくと無理矢理引きずって連れ去ろうとする。

「いやぁ~。アデリーヌ、アデリーヌ~」

 泣き叫びながらクラリッサはロデリックに引きずられていた。アデリーヌは真っ青な顔で両手を胸の前で祈るように組む。

「クラリッサ。頑張って!」

 と、そう応援をした。歯はガチガチと音を立てて震えていたが……。
 引きずられていくクラリッサの姿が見えなくなると3人は大きなため息を吐いた。

 ――ノエル王国に来たのは間違いだったかもしれん……。

 ヴァイトリング子爵は4度、ため息を吐いたが後の事は考えるのをやめた。

 こんな風にノエル王国の日常は暮れていく……ノエル王国の未来は暗いかも……?








 蝋燭の炎が揺れるクラリッサの執務室ではクラリッサが1人きりで書類を片付けていた。
 刻一刻と迫り来る今日の終わり。減りゆくアデリーヌ分。名状しがたき作業はいつ果てることなく続く。
 刻限を知らせる鐘の音が冒涜的に鳴り響く。

「ああ……アデリーヌ~」

 羽ペンを机の上に転がし、クラリッサは物思いに耽る。
 ばさばさと不気味な音がクラリッサの耳に届く。
 音の方向に視線を向ける。

「ああ、窓に! 窓に!」




[12791] 第49話 「ノエル王国へいこう すれ違う人々」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/02/14 13:03
 第49話 「ノエル王国へいこう すれ違う人々」


 ノエル王国のクラリッサ王女からルリタニア王国のターレンハイム家へ正式に招待状が送られてきた。侯爵は手紙をひらひらさせながらサロンに集まったあき達と話をしていた。
 問題は只1つ。招待を受けるか受けないかである。
 コーデリアとタルコットは行ってもいいのではないかと発言する。ロパートは反対し、ラッセンディルとルパートの2人はあきに任せようと言い出した。

「行ってもいいよ」

 コーデリア達の視線を一身に浴びながらあきはそう言う。のほほんとしたその表情を見たコーデリアは大笑いをする。目尻には涙が浮かび口元を押さえてはいるが、込み上げてくる笑いを抑えきる事はできなかったらしい。コーデリアの笑い声が部屋に響き渡り、タルコットも釣られて笑い出す。ルパート達男連中が呆気に取られている間にあきも笑っていた。

「話は決まったのじゃ。ノエル王国に行くのじゃ」

 コーデリアが立ち上がる。ルパートは慌てて止めようとするが、差し出されたその手をコーデリアは振り払い。荷物を纏めるべくサロンを出て行った。あきやタルコットもまたサロンを出て部屋へと向かう。

「ちょ、ちょっと……」
「おいおい、どうしたんだ」
「危険だと言っているのが分からないのか?」

 ルパート達の引き止める言葉にあきが振り向く。

「危険なのは分かってるよ。でもね、いずれは会わなくっちゃならないと思うの。クラリッサ王女にね」

 あきはそう言ってにっこり笑うと螺旋階段を上がっていく。その後をタルコットが従い、二人は部屋へと向かう。
 メイド達が集められ、急いで荷物を纏めるようにあきに頼まれた。

「あきさまぁ~。ターレンハイム家を出て行かれるのぉ~」
「ちがうよー。ちょっとノエル王国に行くだけだよー」

 あきはメイド達にしがみつかれてしまう。その上ドサクサに紛れて胸やお尻を撫でられる。引きとめようとするのか痴漢行為を働きたいのか、分からないようなメイド達の行動にあきは泣きたくなってしまっていた。

「ふにゃー!」
「ふぎゃー!」
「うなー」

 あきの悲鳴にメイド達の叫びが混じってよく分からない状況に陥っている。

「……なにやってんだか」

 入り口に立って中を覗いていたラッセンディルが呆れながら見ていた。頭を抱え込んで座り込んだその姿は少し情けなくも感じる。

「フリッツ。見てないでたすけてよー」
「はいはい」

 座り込んでいるラッセンディルに気づいたあきは助けを求めた。ラッセンディルはため息を吐きながらも部屋に入り、揉みくちゃにされているあきを引っこ抜くように引き寄せ助け出す。
 ラッセンディルの腕の中であきはぜいぜい息を切らせ、涙目になっている。ドレスが少し乱れ、スカートの裾からペティコートが覗いていた。胸元も乱れて宝石が取れかかっている。ラッセンディルは宝石を元に戻してやろうと胸元に指先を近づけた。

「成敗!」

 背後からメイド達の掛け声と共に飛び蹴りが襲いかかり、ラッセンディルの後頭部に突き刺さった。ごろごろとあきとラッセンディルは床に倒れ込んで転げまわる。抱き締められたまま床を転げまわったあきは目を回してしまう。

「う~ん」

 頭をぐらぐらと揺らし立ち上がろうとしてぺたんと床に座り込むあき。視界の隅ではラッセンディルがメイド達にぼこぼこにされている光景があった。
 のそのそと這い蹲りながらぼこぼこにされているラッセンディルに近づく。あきがラッセンディルに近づくにつれメイド達は1人減り、また1人と遠ざかっていった。遠巻きに取り囲んだメイド達はあきがラッセンディルをぽかりと叩くだろうと期待に満ちた目で見つめていたが、あきはラッセンディルの頭を軽く撫で『神聖魔法』で癒す。そうしてそのままあきはラッセンディルの胸元に倒れこんでしまった。

「わぁ~。あきさまー」

 慌てふためくメイド達に担ぎ上げられあきはベットに寝かされる。額には水で濡らしたタオルを乗せられ緩やかに上下している胸元を緩めようとメイドが手を載せる。すかさず、他のメイドが阻止しようと突き飛ばす。ベットの周辺はメイド達の静かなそれでいて激しい戦いが繰り広げられていく。
 一方、あきに『神聖魔法』を掛けて貰ったラッセンディルは立ち上がろうとするたびにメイドに蹴られ、踏みつけられている。哀れ、ラッセンディルは床の上をごろごろ転げまわりメイド達の足から逃げ惑うばかりだ。ラッセンディルがあきに告白して以来、メイド達の警戒心は高まる一方である。

 そうこうしているうちに出発の日が来た。
 ロパートの飛行船に乗り込んだあき達はほっとため息を吐く。あき達がノエルへ行くと聞いた国王が警護の為にルリタニア軍を派遣しようとして、あき達の必死の説得によって、ようやく諦めてくれたのだ。

「たいへんだったねー」
「国王も心配性なのじゃ」

 あきがソファーに埋まるようにもたれかかり、コーデリアに話しかける。コーデリアは部屋に入ると早速とばかりにワインを開け飲み出している。タルコットは摘まみにしようとコックに渡されたバスケットを開き、中から肉の燻製を取り出して食べだした。

「出発したばっかりやのに、うちらいきなり疲れてきたわ」

 もぐもぐお肉を噛み千切りつつタルコットが言う。あきは頷いて渡されたワイングラスに口を付けた。ワインを飲むと疲れが一辺に出てくるような気がしてつい、うとうとしてしまう。ソファーに座って目を瞑る。眠気がやってきてあきはそのまま眠ってしまった。

 目が覚めるとあきはベットの上でドレスを脱いだ格好で眠っていた。両脇ではコーデリアとタルコットが眠っている。シーツをめくろうと手を掛けてみれば、コーデリアもタルコットも裸だった。
 ……いったい、昨夜はあれからなにがあったんだろう? あきの頬を冷や汗が伝っていった。
 何とかベットを抜け出る。床の上ではルパートやラッセンディルが転がるように眠っている。周囲にはお酒の瓶が何本も転がり、飲み干されてある。部屋に充満しているお酒の臭いから逃げようとしてあきは飛行船の甲板に上がっていった。
 昇り来る朝日が眩しい。上空から見下ろすとノエル王国の首都ノエルが見える。王城の近くには高い塔が立っていた。

「もしかするとあれが、北の塔かな?」
「――そうだ」

 手すりを掴んだまま身を乗り出すように見ていたあきは、背後から聞こえた声にビクッと体を震わす。慌てて振り向いたらロパートが傍にやってきていた。

「……昨夜は良く眠れたか?」
「ワインを飲んですぐ寝ちゃった」
「それは良かったな。昨日はコーデリアとタルコットが大騒ぎをしていてな、交代で休んでいたうちの船乗り達が眠れないといって泣いていたぞ」
「あちゃ~。そうだったんだ」

 あきは酔っぱらって騒いでいるコーデリアとタルコットの姿を思い浮かべた。そして床に転がっていたフリッツやルパートの事も思い出して頭を抱えてしまう。ロパートはそんなあきの様子を見てそっと抱き寄せようとする。腰に手を回して手繰り寄せ、抱き締めようとした時……。

「船長~」

 甲板に上ってきた船員に声を掛けられあきとロパートは振り向いた。息を切らせ、手には地図を持っている。ロパートは小さく舌打ちをして船員の下へと急いで去っていった。
 あきは再び、ノエルの街を見下ろす。首都の中、王城の近くに大きな公園のような所があった。その中に大きな石像が立てられている。あきはその石像を見た瞬間、ぽろりと涙が零れた。

「あれっ?」

 両手で零れ落ちる涙を受け止めながら、どうして泣いているのか自分でも分からなかった。いつの間にか両手で顔を覆い息を殺して泣いている。

「……あき?」

 甲板に座り込んで泣いているあきに気づいたルパートはそっと足音を忍ばせ、あきに近づいた。ぐしぐし声を殺して泣きじゃくっているあきの隣に座った。ルパートはあきの背中を擦りながら声を掛ける。

「どうしたのかしら?」
「ルパート」

 あきはルパートの姿を見るとその胸に飛び込んで泣く。ルパートは何事かと思ったがしばらくあきの背中を擦り続けた。
 しばらくそうしているうちにあきはさっき見た公園の石像の話をルパートにする。ルパートは黙って聞いていたが、あきがあの石像はだれ? と聞いてくるのには答えた。

「あれはカプールの初代女帝の石像よ」
「初代女帝……」

 あきはなぜ、自分が初代女帝の石像を見て泣いてしまったのか分からなかったが、ノエルに着いたらあの公園に行きたい。とルパートに言った。ルパートはあきの言葉に頷くと「ええ、行きましょうね」と言う。
 そんな彼らの様子をラッセンディルが悔しそうに眺めている。さらにその背後ではコーデリアとタルコットがため息をつきながら見ていた。

「本当なら、あきを慰めるのは自分がしたかったというところやな」
「さっきのロパートといい。どうもうまくいかぬようなのじゃ」
「しっかし結局、ルパートが一番、あきに頼られとるなぁ~」
「ルパートじゃな~」

 コーデリアとタルコットが呟いているのを耳にしたラッセンディルは憮然として2人を睨んだ。睨まれたコーデリアとタルコットはニヤニヤしながらその場を逃げ去った。ラッセンディルはあきの方を見て再びため息を吐いた。


 飛行船はノエルの王城近くに着いた。
 降りようとあき達が階段の上に立つと地上にはノエルの大臣クラスが勢ぞろいして待ち構えていた。あきは階段をゆっくりと降りていく。出迎えがなんだか大袈裟な気がしたが、一緒に来ているのがルリタニア王国のターレンハイム家の一族だからしょうがないのかも、とそんな事を考えながら地上へと降り立つ。

「――ルリタニアの聖女。あき様ですな」
「えっ? えっ?」

 ノエルの大臣がいきなり声を掛けてきたのに、あきはびっくりして思わず聞き返した。そしてきょろきょろと周りを見回してしまう。ルパートやロパートは首を傾げてあきを見つめていた。
 ……なんで? わたしに声を掛けるのかな?
 あきは首を傾げながら大臣と思われる人に一応、挨拶をしていった。内心ではわたしよりもターレンハイムのルパートやロパートさんのところに行った方がいいのに、と思いながらである。
 
 ノエルの王城で晩餐会を開くというのであき達も招待される。
 あき達は王城の中へと案内されて一旦、休む事になった。あきは部屋についた途端、着替える事にした。晩餐会に招待された事だし、着替えておかないと困るかもという判断であった。
 あきは着替えている間、部屋の中を眺めている。部屋の中は妙に派手な飾りで飾られていた。

「ねえ、コーデリア。この部屋って統一感が無いと思わない?」
「なんというか、まるで成金の部屋に見えるのじゃ」

 あきに声を掛けられたコーデリアは部屋を見渡しながらそう返事を返した。
 タルコットも首を捻る。

「なんや、王城とも思われへんな~」
「派手なのは分かるけど、趣味が悪いよねー」
「安もんと高価な品が並んでるからや。なんも考えんとちょこちょこ買い足していった結果、出来たような部屋やな」
「しかも贋作が多いのじゃ。選んだ者は見る目がないのじゃ」
「誰だろう、選んだ人は?」
「晩餐会で顔を会わせるじゃろう。多分一目で分かる筈なのじゃ」

 コーデリア達が話している隣であきは今のうちに飛行船から見た公園へと行ってみたかったが、一応ルリタニア王国の使節という立場上おいそれと城を抜け出す事などできないためにぼんやりと窓の外の風景を眺めていた。
 2階の窓からは城の庭が見下ろせる。城の片隅に頭1つ高い塔が立っていた。そこから小さな女の子がちょこちょこと出てきた。両手には大きな紙袋を抱えていた。その後ろではなにやら真っ白な鬘をつけた老人と女性が心配そうについて歩いている。
 彼らの様子にあきは好奇心がむくむくと湧き出てきて、窓から外のベランダへと出た。さらにベランダの手すりから身を乗り出して眺める。女の子は身を乗り出しているあきに気づいたのか、立ち止まってあきの方を見つめる。手を振るとにっこりと笑った。

「おーい」

 あきが声を掛ける。女の子は両手に持っている紙袋を振り回すように手を振り返してくる。それから女の子は再び城へ向かって歩き出す。あきは急いで部屋を出ると廊下を急ぎ、階段を駆け下りて女の子の下へと走った。
 外へ出てみると女の子はまだ城の中へは入っていなかった。あきが近づく。後ろにいた老人と女性が女の子を守るように傍に立っている。

「はじめまして、わたしはあきだよ。君はだあれ?」
「わたしはね、アデリーヌだよ」

 あきが自己紹介をする。アデリーヌはにっこり笑う。後ろにいた2人は警戒心を露にしていたが、あきが自己紹介をした途端、一気に警戒を解いた。張り詰めていた空気が溶ける。
 あきがアデリーヌの荷物を持ってあげようとすると二人が止めた。

「あっ、ああ~。よちよち荷物を持って歩くアデリーヌがかわいいのに~」
「アデリーヌのお使いを邪魔せんでくれー」

 泣き出しそうな2人の様子にあきは少し引く。引いてしまったが、お使いの邪魔をするのもどうかと思い。彼らと共にアデリーヌの後ろをついていくことにする。てくてく歩き続けてやってきたのはクラリッサ王女の部屋の前だった。晩餐会の前にクラリッサ王女に会うのはどうかとも思ってしまう。

「あきも一緒にお茶の時間にしようよ」

 立ち去ろうとするあきをアデリーヌが引き止める。あきはアデリーヌに誘われて部屋に入る事にした。後ろにいる2人も肩を竦めるが「まあ、いいか」と言い。4人で部屋に入る。
 老人が部屋の扉を開ける。

「アデリーヌー!」

 中から勢いよく女性が飛び出してアデリーヌに抱きついた。そのままアデリーヌの小さな体を抱き締め、頬擦りをした。その様子にあきはターレンハイム家のメイド達の行動を思い浮かべてしまい。少しげんなりとしてしまった。視線を逸らすと背後の2人も呆れた眼で見ている。あき達3人は視線が合うと頷きあいため息を吐く。
 呆れた眼で見られている事に気づいたのか、女性は立ち上がってあきに対して自己紹介を始めた。

「は、はじめましてかしら。ノエル王国第一王女、クラリッサ・ノエルよ」
「はじめまして、あきと申します。クラリッサ王女殿下」

 ぎこちない挨拶の後であき達は部屋の中に入り、お茶会となった。
 書類が山積みとなっているテーブルの上に人数分のコーヒーが置かれる。その香りにあきの目が輝く。久しぶりに飲むコーヒーである。この世界にもあったんだな~。そう思うと喜びも一段と高まる。
 コーヒーを飲みながらの会話が始まった。クラリッサはいそいそと甲斐甲斐しくアデリーヌの世話を焼く。従って主に話をしていたのはあきと老人と女性である。

「如何ですかな? ノエルのコーヒーは?」
「おいしいです。……でもわたしはエスプレッソの方が好みなんですよ」
「エスプレッソ?」

 ロデリック・ド・アッシャーと名乗った老人はあきの言葉に食いついた。根掘り葉掘り聞いてくる。あきはその質問に1つずつ答えていく。ロデリックはあきの言う事をメモに取り、う~ん。と考え込んだ。あきは勧められた飴を口の中で転がしながら、ミント系なんかに薬草を配合したのど飴なんかはどうかな? と言い。さらにロデリックを悩ませてしまう。

「薬草を配合したのど飴……。医薬品扱いとすれば、乾燥した地域で売れそうですな」
「風邪とかで喉を痛めた人にもいいかも」
「他には何かないですかな?」
「医薬品という訳じゃないんだけど、カレーなんかはどうかな? 結構好きなの、中に入っているスパイスは薬草だし」
「ほおー。そうなのですか? できればレシピを教えていただきたいものですが、どうでしょうか?」

 ロデリックがそう言ってくる。あきは前に作ったカレーの配合をロデリックに言った。ロデリックはメモを取りながらスパイスなどを一つ一つ確認していた。

「……と、まあこんな感じ? 本当はもっと良い配合があると思うんだけど、そこまでは分かんないだよね」
「いやいや、ありがたい。しかしなぜ今までこれを思いつかなかったのでしょうな」
「パン食だからじゃないかな。小麦を主体とした食事でしょ? これはお米を主食とした文化だから」
「お米ですか?」
「ワイルドライス系があってもおかしくないと思うんだけど、まだ誰も見つけてないんだよ」
「なるほど」

 ロデリックはあきの言葉に頷きながらもあきはもしかすると、ローデシア大陸の出身ではないのかもと考え出していた。小麦以外のお米を主体とした文化系など、ロデリックにしても聞いた事がないのである。しかしそのような考えは面に出さず、あきと会話を続けていた。ただあきの言うカレーにしても考える余地はありそうだし、カレーパンを作ったというのは中々のアイデアだと思う。こちらとしても利用できるものは利用したい。そう考えてあきの言葉に耳をすませていく。
 
 さきほどから、黙ってあきとロデリックの会話を聞いていたアリステリアはじっとあきの事を観察していた。あきの隙だらけの行動といい、会話といい。性格的にはアデリーヌと似ているのではないかと思い始めていた。
 ちらっとクラリッサに抱き締められているアデリーヌとあきを見比べてみる。なんとなく纏っている雰囲気が似ている。コーデリア達がかわいがっている理由が分かるような気がする。実際アリステリアやロデリックもアデリーヌの事をかわいがっているのである。そう思えば、コーデリアがあきをかわいがるのもアリステリア達と同じようなものなのかもしれなかった。

「あきー。これも食べて」

 アデリーヌがあきにお菓子を差し出してくる。ふわふわとしたシフォンだ。あきがぱくっと口に入れる。アデリーヌも同じようにぱくっと咥えた。もぐもぐ食べる。アデリーヌとあきがごくんと飲み込む音が重なり、2人は顔を見あわせ、にこっと笑う。

「わ、私も負けられません」

 クラリッサがあきに対抗してぱくっと咥え、がつがつと食べだす。呆気に取られて見つめるあきとアデリーヌ。喉に詰まらせたのか胸を叩いているクラリッサの背中をアデリーヌが叩く。それを見ていたロデリックとアリステリアが「はぁ~」とため息をついた。
 あきはそれからしばらくしてから、クラリッサの部屋を立ち去った。部屋に戻るとコーデリア達が心配していた。

「どこに行っていたのじゃー!」
「そうやで。あんまうろうろしたらあかんでー」

 コーデリアとタルコットに怒られてしまいあきはしゅんとしてしまう。それから嵐のような尋問が始まった。
 どこへ行っていたのか?
 誰といたのか?
 誰がいたのか?
 根掘り葉掘り聞かれてあきはそれに一つ一つ答えていく。話がクラリッサとアデリーヌの仲になった時、コーデリアはしばし考え込んだ。それからロデリックの名が出た途端、コーデリアとタルコットが顔を見合わせた。コーデリアの眼つきが鋭くなる。タルコットは指先で頭を軽く叩いている。

「まあ、起こってしまった事は仕方ないのじゃ」
「そうやな。しかし奴らが何を考えているのか、が問題やな」
「その辺りはラッセンディルにも相談するのじゃ」
「晩餐会に出てくるとは思えんで」
「出てこんじゃろうな。アデリーヌも恐らく出て来ぬはずじゃ」
「うちらはどうする?」
「出席するのはあきとルパート、ロパートの3人で良かろう。わらわ達はロデリック達と話し合う事にするとしよう」
「そうやな。それがええわ」

 あきはコーデリアとタルコットがひそひそ話し合っているのを見ていた。
 2人は部屋を出て行った。1人残されたあきはぼんやりと部屋の中に取り残されてしまう。あきがソファーに座って持ってきていた本を取り出して読み始めた。退屈を紛らわそうとするのだけど、中々時間が進んだようには思えずに足をぶらぶらさせていた。
 
 あきがうとうととしだした頃、コーデリア達が戻ってきた。ラッセンディルとルパートも一緒にいる。

「それで、ロデリックがクラリッサ側についているというんだな」
「あきがロデリックとあったらしい。それから魔術師らしい女性もいたというんや」
「――もしかすると」
「おそらくアリステリアじゃ」
「あの2人がクラリッサについているとなると厄介ね」
「アデリーヌと呼ばれる女の子もいたらしいんや」
「クラリッサに猫かわいがりされていたそうなのじゃ」

 コーデリア達は部屋に戻ってきてからもひそひそ相談をしている。時折ちらちらとあきの方を見てくる。あきは首を捻ってコーデリア達の様子を眺めていた。
 ――あき達の部屋に晩餐会の用意ができたとノエルの使者が呼びにやってきた。
 あきは立ち上がって部屋を出ようとしたが、着いてきたのはルパートだけだった。コーデリアに声を掛けるとコーデリア達は用事があるから参加はしないという。あきは仕方なくルパートと一緒に部屋を出た。

 晩餐会の場所にあきがやってくると既に席には国王以下、王妃、王太子、王太子妃が座って待っていた。しかしなぜかクラリッサ王女だけは国王達と少し離れた場所に座っている。あきは席を勧められて座った。長いテーブルを隔てていたが、ホストである国王の正面である。この席次は招かれた側の代表的位置づけであった。
 あきはなぜ、自分が代表扱いなのか分からない。あきにしてみれば、ロパート辺りが座るべきだと思っている。
 テーブルの上には艶やかな花々が置かれ、出てくる食事も豪華ではあったが、なんとなく居心地の悪い感じがした。国王や王太子との会話もあまり面白くない。最近の服の流行などこの場で出すようなものとも思えない。ちらっとクラリッサの方を見た。クラリッサは何も言わずにもくもくと食事をしていた。あきはクラリッサに話しかけた。

「クラリッサ王女殿下は最近のノエルの経済状況をどうお考えでしょうか?」

 あきが言葉を掛けるとクラリッサが顔を上げる。国王達の顔色が変わった。クラリッサはあまり良いとは言えませんね。と只それだけを言う。その言葉にクラリッサの王室内の立場が見えたような気がした。

「――ところで、あき様はルリタニア王国でもかなりお洒落と窺っておりますが、最近の流行は如何でしょうか」

 王太子妃のクリスティーナがあきに問い掛けてくる。あきはそんなの知らないと言いたかったが、そういう訳にもいかないだろうとメイド達に聞いた話をそのまま言った。どこぞこのお屋敷のメイドから聞いたとか言ってたからルリタニアの流行だろうと思っている。
 でも、話をしていて気づいた。この城の趣味が悪いのは王太子妃のセンスだろう。着ているドレスにしても扇子にしてもけばけばしくてなんだか寄せ集めっぽい。高けりゃいいってもんでもないと思う。バランスが悪い。
 王妃の方は王太子妃のように贅沢なドレスではないけど、うまく纏まっていて上品だった。王太子妃も生まれはノエルでも大貴族らしいのになんでこんなに成金趣味なんだろう? なんとなく成金趣味と少女趣味の差はあってもクリスティーナとデルフィーヌ・パストゥールは似ている気がした。ノエルもあんな感じになってしまうんだろうか?
 そう思って改めてテーブルに座っている王族を眺めてみる。
 まともそうに見えるのは王妃とクラリッサ王女だけだという状況に眩暈がしそうになってしまった。頭が痛くなる。

 ようやく晩餐会が終わりを迎えた。
 あきは王太子妃に誘われたが、長旅で少し疲れました。と言ってお断りする。クリスティーナは残念そうな顔をしたが疲れているのは本当だから部屋で休みたい。でも……クラリッサとは話をしてみたいかな。

 部屋に戻ると中にはコーデリア達にロデリックとアリステリア、それにヴァイトリング子爵がいた。

「な、なんでー。子爵がいるのー?」

 つい思わず、指差してしまった。子爵は肩を竦めた。

「わらわが呼んだのじゃ。あきもここに座るが良いのじゃ」

 コーデリアが自分の隣の席をポンポンと叩く。あきはコーデリアの隣の席におずおずと座る。

「あきは異世界から来たんだってね?」

 アリステリアがいきなり問いかけてきた。あきはコーデリアの顔を見た。コーデリアは頷き、その通りじゃと言った。

「……という事はわたしが初代女帝アデリーヌの召喚をした時に呼ばれてきたのはあき嬢ということになるのか?」
「その可能性は大きい。が、初代女帝とあきは似ていないと思うがな」

 子爵の言葉にラッセンディルが答える。コーデリアも頷いた。ロデリックとルパートは首を捻る。

「でもさー。アデリーヌ。……ああ、この場合、『ホモンクルス』の方ね。と、あきは似てると思うよ」
「あれは私がアデリーヌ召喚の受け皿として製作したものだ。召喚されたアデリーヌの魂が中に入っているはずなんだが」
「しかし、あきがアデリーヌの生まれ変わりだとしたら、あのアデリーヌはいったいどういうことだ」
「ヘンルーダの森に忍び込んでアデリーヌの形見を触媒と使用したものだからもしかすると、アデリーヌの性格が込められたのかもしれん」

 子爵の言葉にラッセンディルが腕を組みながら考え込む。アリステリアもまた考え込んだ。

「ちょっとええか?」
「なんじゃ、タルコット」

 タルコットが挙手をして言う。

「うちはヘンルーダの森からやってきたんやけど、昔からアデリーヌの伝説があってな。アデリーヌはヘンルーダの森の出身やねんけど、カプールの王子やったシャルルと結婚して、シャルルが亡くなってアデリーヌが女王として即位したんや」
「それは知ってる」

 タルコットの言葉を遮るように子爵は言った。言外にそれがどうしたと言っているようだ。

「そんでな。ヘンルーダの森にいた頃と即位してからのアデリーヌは性格が変わっているようなんや」
「それがどうしたのじゃ?」
「……魂の入れ替え。アデリーヌが使ったそうや」
「魂の入れ替え!」

 タルコットとあき以外の全員の声が重なった。あきはその声の大きさにビクッとしてしまう。

「誰と誰だ!」

 ラッセンディルがタルコットに迫る。コーデリアがラッセンディルを押さえながらタルコットを見つめる。アリステリアやロデリックも同じく身を乗り出す。ルパートはあきを見つめていた。

「誰と誰を入れ替えたのか? ……他でもあるまいアデリーヌとシャルルしかない」

 子爵がそう言って「なるほどな」と呟いた。

「それで性格が変わったのじゃな。中身が違うのじゃから当然と言えば当然じゃ」
「私はアデリーヌを召喚した。しかしやってきたのは初代女帝の中身であるシャルルではなくアデリーヌ本人だったと言うのか」
「そうだな。あの『ホモンクルス』もアデリーヌ召喚の受け皿だったのだろう」
「初代女帝の中身であるシャルルを召喚するべきだったという事か」
「だが、シャルルは即位する前に亡くなったと思われていたからな。召喚しなくても不思議ではない」

 じーっと全員が考え込んでしまっている。その中でロデリックが口を開いた。

「クラリッサ王女殿下があれほどまでにアデリーヌに執着しておるのはどういう事だと思う?」
「あたしゃー。もしかするとクラリッサはシャルルの生まれ変わりの可能性を考えてたけどね」

 その言葉に子爵が頭を抱えた。コーデリアがその子爵の様子に不審なものを感じて声を掛けた。

「どうしたのじゃ?」
「クラリッサ王女がシャルルなら、ここにアデリーヌであるあき嬢がいる。2人とも揃っているというのに私は別にアデリーヌを造ってしまった」

 子爵はそう言って両手で顔を覆って泣き出してしまった。
 あきは話されている事が自分の事だとうまく考えられずにいた。なんだかよく分からないけど初代女帝の石像を見て泣いてしまった事といい。自分がアデリーヌの生まれ変わりかもしれないと言うのはなんとなく納得も出来るような気はするけど……。
 誰もが黙り込んだ部屋の中で子爵の嗚咽だけが聞こえている。
 しばらくして泣き止んだ子爵はいきなり部屋を飛び出していった。ルパートが部屋を出て追いかけていった。

「なんだか嫌な予感がするのじゃ」
「うん」
「そうやな」

 コーデリアが立ち上がる。あきも立ち上がると他の人達も立ち上がった。そうして部屋を飛び出していく。
 今日は長い夜になりそうだ。あきはそんな気がしていた。これから大変な事が起きそうだと……。



[12791] 第50話 「アデリーヌ退去 飛ばされるあきとアデリーヌ 義姉とぽち」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/03/09 18:26

 第50話 「アデリーヌ退去 飛ばされるあきとアデリーヌ 義姉とぽち」


 ばたばたと部屋を飛び出していったヴァイトリング子爵を追いかけて、あき達もまた部屋を飛び出していく。用意されていた2階の部屋から廊下を走って階段の所までやってきた。

「……しまったぁ~。子爵はどこへいったんだろう?」

 勢い良く飛び出してみたものの、どこへいったのか分からなくなってしまう。それでもおそらくクラリッサの部屋だろうと見当を付けて、あきは急いでクラリッサの部屋へと向かう。廊下の途中で何人かのメイド達に出会ったけど、あきはメイド達の間をすり抜けるようにして駆け抜けて行った。
 鉄の鋲を打った重々しい扉の前に立ち、中の様子を窺う。

「きゃあ~。なにをするのー」

 中からアデリーヌの悲鳴が聞こえてきた。
 あきは扉を叩いてアデリーヌとクラリッサの名を呼ぶ。

「アデリーヌ。クラリッサ王女。大丈夫? どうしたの? そこにヴァイトリング子爵がいるの?」

 立て続けに問いかけて、扉を叩く。扉のノブを引っ張る。木と木が擦れる重い音がして扉は呆気なく開いた。
 扉を開いて中を覗きこんだあきは、固まってしまった。
 中でクラリッサ王女がアデリーヌのスカートを脱がそうとしていたのだ。クラリッサの眼がなんだかギラギラしてアデリーヌは怯えきっている。どっかで見たような光景。どこだっただろう?
 あきが部屋に入りアデリーヌに声を掛けると、アデリーヌが縋りついて、大泣きしている……。呆然とするのはあきの方である。
 クラリッサは欲望にギラギラした表情を浮かべて、あきの背後で隠れているアデリーヌを求めて近づいてくる。すぐ後ろではアデリーヌがおろおろとしていた。
 ――こんな事している場合じゃないのにー!
 あきはアデリーヌをつれて部屋から逃げ出した。追いかけてくるクラリッサから逃げる。アデリーヌは怯えきってるー。

「こわいよー」
「わたしもこわいよー」

 なんでこうなるのー? クラリッサってもしかしてフリッツと同類だったりするんだろうか? いや、でも……フリッツもここまで即物的じゃないような気がするー。
 あきとアデリーヌの2人は手を繋いで、お城の中を必死になって逃げ回っていた。


 あきとアデリーヌがクラリッサに追いかけられて逃げ回っていた頃……。
 コーデリアとラッセンディル達は部屋を飛び出した子爵を探して塔までやってきていた。中に入ると塔の上、子爵の部屋から明かりが漏れ出している。

「あやつは部屋にいるようじゃ」
「よし。踏み込むぞ」

 コーデリアが部屋の扉を蹴破るように開け、中に突入する。

「ヴァイトリング子爵――!」

 ラッセンディルが部屋に入ると同時に大声を出す。部屋の床には魔方陣が描かれてそこから淡い光が輝きだしている。アデリーヌを召喚したときとは少し違う魔方陣。あきとアデリーヌをこの世界から一旦、追い出してから再び召喚しようと企んでる。
 アデリーヌは1人だけでいい。
 振り返った子爵は喉の奥から振動を震わすように呪文を唱え、叫ぶ!

「――アデリーヌ退去!」

 一瞬にして部屋の中に光が溢れだし、眩い光にコーデリアとラッセンディルは目を逸らして光を遮った。


 あきとアデリーヌは追い詰められていた。涎を垂らさんばかりに近づいてくるクラリッサから逃れようとして二人は抱き合いながらも後退りしている。

「あき。こわいよー」
「大丈夫だよ。アデリーヌ……助けるから」

 あきはアデリーヌを抱き締めて耳元に囁く。それからクラリッサに向き合うと睨みつけた。

「アデリーヌは私のものよ……あき――貴女には渡さないわ!」

 抱き合っている2人を見つめてクラリッサは叫ぶように言う。
 あきはなぜ、ここまでクラリッサがアデリーヌに執着するのか解らなかった。いや。それよりもアデリーヌはクラリッサに懐いていた筈。普通に接していれば、アデリーヌはクラリッサの傍から離れようとはしなかっただろう。
 無理矢理力ずくで襲い掛かる必要など無かったはずなのに……。どうしてこんな行動に出たのか解らない。
 あきにして見れば不思議に思えたであろうが、実の所、元は同じ魂の双子ともいえるあきとアデリーヌはクラリッサから見ても仲が良く。行動も似ており、それがクラリッサに不安を抱かせる事になってしまっていた。

「クラリッサ王女――」

 あきが声を掛けようとしたその時、あきとアデリーヌが座り込んでいる床から光が輝き、2人の姿が掻き消えていった。
 あきは驚いて真っ青になっているクラリッサの顔を見ながら、以前にも同じような光景を見たような気がしていた。

「いやぁー。アデリーヌー!」

 光が消え、1人残されたクラリッサは廊下でアデリーヌの姿を求めて叫んでいた。
 クラリッサの叫び声を耳にしたタルコットは廊下にへたり込んで泣いているクラリッサの姿を見つけた。傍に近づくとクラリッサは小声でぶつぶつとなにやら呟いている。

「どうしたんや?」
「アデリーヌ、アデリーヌ……」

 廊下を見回してもクラリッサ以外の誰の姿もない。クラリッサはまだ呟き続けている。放心したように虚ろな眼で、呟き続けているクラリッサからなにやら不穏な雰囲気が漂っていたが、タルコットは気づかない振りをして抱えると部屋まで連れて帰っていく。





「秋くん。秋くん。どこいっちゃったのぉ~」
「わーん。秋先輩~」
「……あなた誰よ?」
「えっ? ボクですか? ボクは秋先輩の彼女になる予定の柏木春菜です。よろしくお義姉さん」
「ちょっと! 待ちなさいよ。秋くんは誰にも渡しませんからね」
「うわっこの人、小姑だ」
「誰が小姑よ!」
「ううぅー」
「かるるるぅ」

 地面から光があふれ出してあきとアデリーヌの姿があらわれた。

「あれっ? ここは?」

 地面に座り込んだままあきとアデリーヌは周囲を見回す。夕暮れ近い街中で目の前では綾姉とぽちが言い争っている。

「きゃあ」
「きゃあって、小姑のくせにかわい子ぶらないでくださいよ」

 綾姉とぽちが突然現れたあきとアデリーヌの姿を見て悲鳴を上げる。

「……綾姉、ぽち?」

 目の前にいる2人を見てあきは懐かしくなり、思わず声を掛ける。2人は突然現れたドレス姿の女性を見つめおずおずと近づいてくる。

「……あのー。どうしてわたしの事を綾姉と呼ぶのかな?」
「……ボクの事をぽちって言いましたよね?」
「あきだよ。香月秋彦……もとい。あきです。異世界に飛ばされてまた戻ってきたんだよ」
「うそー。秋くんは男の子だよー」
「そうです。秋先輩は男の人です」
「……いろいろ有って女になってしまったの」

 愕然としている2人を見て、あきは落ち込んでしまった。頭を抱えたくなる。
 怯えているアデリーヌがあきの背中にしがみついた。アデリーヌの体温を感じて、あきはアデリーヌを助けなきゃと思い。2人に今までの事を簡単に説明していく。
 異世界に飛ばされてから、コーデリアやタルコット。フリッツやターレンハイム家などを言うと、綾姉とぽちの顔色が赤くなったり青くなったりと忙しく変わっていった。

「……とまあ、わたしはともかく、この子……アデリーヌだけでも元の世界に戻してあげなくちゃいけないの」
「う~ん。とりあえずこのままここでいる訳にはいかないから、家に帰りましょうか」
「あっ。ボクも一緒に」
「あんたはこなくてもいいわよ!」
「あー小姑がいじわるするー」

 てくてく歩いている女4人の一行……そのうち2人は大仰なドレス姿だ。あきの胸元にはターレンハイム家のネックレス。耳には真珠の耳飾り。手首足首にも宝石をつけていた。上から下まで宝石で飾られたその姿は絵本にでてくるお姫様のようである。アデリーヌに至っては、小さな体をふわふわのドレスに包まれてかわいらしい。
 香月家に帰る間にも道行く人々にちらちらと見られていた。
 帰り着いた香月家の玄関であきは思わず、涙が零れそうになる。異世界に飛ばされて、もう二度と帰れないかもと思っていたのに、懐かしさが胸に込み上げてきた。アデリーヌとぎゅっと繋いでいる手に力が篭もる。

「あき……」

 アデリーヌに声を掛けられてあきはハッとしてアデリーヌを見つめた。
 不安そうな眼。少し顔色が悪い。
 あきはアデリーヌの様子を窺う。よくよく見れば、アデリーヌは体調が悪いみたいだ。しゃがみ込んでアデリーヌと目線を合わせる。額に手をやる。熱はない。むしろ体温が低いぐらいだった。アデリーヌの体に込められている魔力を確かめた。著しく魔力が失われていっている。

「――アデリーヌ?」

 声を掛けて見つめるとアデリーヌがぎこちなくにこっと笑う。アデリーヌをぎゅっと抱き締めた。
 今日明日というわけでもないだろうが、このままこっちの世界にいるとアデリーヌは死んでしまう。あきにはそう思われた。基本的に向こうの世界とは違い。この世界には魔力がない。『ホモンクルス』であるアデリーヌはこっちの世界では生きていけないのだ。
 急いで向こうの世界に送り帰してあげなければ、あきは唇を噛み締めた。
 
 あきとアデリーヌが見つめ合っているところを観察していた綾姉はあきの姿を見て、鳴神家の秋菜を思い出していた。
 う~ん。確かに秋くんにも似てるし、秋菜にも似てるのよね~。どうして女の子になっちゃったんだろう? それにしても美人になったわー。ちょっとじぇらしー? プロポーションもいいし、さらに嫉妬! ぐぬぬぬー。ゆるせん! ちょっと話しただけだけど……元々の秋くんに近いとすれば、美人系で、欠点も萌え要素ってか!

「ゆるせないわー!」

 綾姉は玄関の前でいきなり叫び声を上げる。
 ビクッとするあきとアデリーヌ。ぽちはあ~あ、といった感じで綾姉を白い眼で見ていた。

 家の中に入ると香月家の両親が揃って玄関までやってきていた。母親の葉子はエプロンの前を握って叫び声を上げた綾姉をジッと睨みつける。父親は綾姉の後ろに立っているあきとアデリーヌに気づき、見蕩れていた。

「――綾!」
「まあまあ。後ろにいるのは綾の友達かい?」

 叱りつけようとする母親を制して父があきに声を掛ける。
 あきはアデリーヌの手をぎゅっと握ってから、おずおずと口を開く。

「……あの~。あきです。香月秋彦です」
「…………はあ?」
「秋くん?」

 あきがそう言うと、母の葉子がふら~っと倒れた。

「わー。葉子!」
「おかーさーん」
「秋くんがぁ~。女の子に……」

 ふらふらと倒れた母に肩を貸して父はリビングのソファーに寝かす。後ろをついていったあき達は心配そうな顔で見守っている。
 やがて落ち着いたのか? 葉子は頭を振りつつあきに声を掛ける。

「本当に秋くん? 朝、学校に行く時は男の子だったわよね? 一体何があったのー! 女の子になりたかったのー?」

 あきの肩を揺さぶりながら母である葉子があきを問い詰めた。
 ――あきは再び、異世界に飛ばされてからの事を両親に話していく。
 じっと耳を澄ませて聞いていた父が口を開いた。

「確かに……異世界なんてものがあるとは思っていなかったし、女の子になった事を差し引いても、秋くんが着ているドレス。いや。身に着けている宝石を考えると異世界というのは否定し切れんな」
「あなた。信じるの?」
「……葉子。秋くんの身に着けている宝石は私の見たところ、10億、いや。もっとするだろう。上から下まで数えると下手をすれば50億は下らないぞ。それだけの宝石をこんな僅かな間に手に入れるなんて、普通では考えられん」

 そう言われて葉子はあきを見た。着ているドレスも仕立てが良いし、宝石だって見事なものだ。それになによりかつての秋彦の面影が確かにある。この子は確かに秋くんだわ。そう確信する。それからあきの隣に座っているアデリーヌに視線を向けた。

「……アデリーヌちゃん?」
「うん。アデリーヌだよ」

 葉子に声を掛けられ、にこっと笑うアデリーヌの笑顔を見た葉子の顔が崩れた。

「かわいいわー」

 むぎゅっと抱き締めると頬刷りをする。抱き締められ頬刷りをされたアデリーヌは眼を白黒させて驚いていた。
 その様子を黙って見ていたぽちがあきに抱きつき、胸に頬刷りをしだす。

「秋先輩。巨乳だったですね。ボク嬉しいです。さー今すぐ、百合の花の咲く禁断の世界に行きましょう」
「いかないよー。ぽちってそんな子だったのー」
「ふふふ。秋先輩がいけないんですよ。秋先輩とわたしは赤い糸で結ばれた関係なんです。いざ行かん。禁断の世界へ!」
「ちょっと、待ちなさいよ! 秋くんはあなたには渡さないわ!」
「小姑は黙っててください!」

 綾姉もあきに抱きつく。それを見ていた父は場を治めようと、取り繕うように声を掛けるが……。

「あっ、あなたまだいたんですか?」
「気が利かない人ですね」
「お父さん。邪魔!」

 次々と罵声を浴びせられ、すごすごと部屋から出て行こうとする。
 あきだけが、出て行こうとする父を引き止めた。

「待って! たすけてー」

 助けを求めるあきの声に一瞬振り返る。が、しかし……あきとアデリーヌ以外の女性陣に睨みつけられて再び、逃げ去っていった。

「ふっ、父親とは悲しいものだな……」

 ベランダで父は泣いた。火をつけた煙草から立ち上る煙が少し物悲しい。



 ようやくリビングでの騒動も終わり、あき達も落ち着きを取り戻す。
 あきはアデリーヌを自分の部屋のベットに寝かせる。アデリーヌが寝付くまで手を握っている。しかし心の中では、女神コルデリアに祈っていた。あきには召喚だの退去だのといった魔術的な技量はない。ないよりマシかもと思い神聖魔法をアデリーヌに掛けようとする。
 神聖魔法は辛うじて効果を発揮するが、向こうの世界ほどの効果はなかった。
 どうか、アデリーヌを元の世界に戻す方法を教えてください。
 祈りを捧げる。
 あきの心の中にコルデリアの声が聞こえてくる。しかしまるでノイズの多いラジオを聴いているようではっきりと聞き取れないほど微かでしかなかった。あきの心に絶望感が湧きあがってくる。
 一旦、女神の声を聞くのを諦め、再びリビングへと戻ってきた。

「冗談抜きでね。このままこっちの世界にいるとアデリーヌは死んじゃうの」

 テーブルを囲み、あきは集まっているみんなに話し出した。

「どうして?」

 葉子は不思議そうに問いかける。父は黙って耳を澄ませている。

「この世界には『ホモンクルス』であるアデリーヌが生きられるほどの魔力がないんだよ。だから……このままじゃ」
「死んじゃうの?」
「うん」

 綾姉が泣きそうな顔で聞いてくる。さすがのぽちも顔色を悪くしていた。
 あきは泣きそうになるのを堪えてみんなを見た。

「しかしどうやって送り返すんだ? 方法はあるのか?」
「女神の神聖魔法が使えるから、何とかなると思うけど……アデリーヌだけ送り返すのは無理だと思う。わたしも……」
「秋くんも行っちゃうの!」
「それしかないと思う。コーデリアやフリッツなら他にも方法があるんだろうけど、わたしにはそれしか方法がないからね」
「秋くんは戻ってこれるんだよね? ね?」

 綾姉の言葉にあきは首を振る。先ほどの神聖魔法の効果を考えるとこっちの世界では女神の力が弱すぎて、戻れないだろうと思えた。向こうへ行った時は、魔術の召喚だったから強引に連れ去られたけど、今回は自分から向かうのだから帰る方法が見つからないかもしれない。召喚は首に縄をつけて引っ張っていくようなものだ。道を繋げるわけではないと思う。それは体験したから感じるものだったが、恐らく正解だろうと思えた。そして退去は括り付けた縄を切るようなものだ。縄がなくなれば元の世界に追い返される。
 ……だけど、自分から向かえば縄がないから戻れない。向こうから帰ろうにも帰る前に力が弱まってまた別のところに飛ばされてしまうだろう。だからもうこの世界には戻れなくなる。
 あきはみんなにそう説明していく。

「……そんな!」

 葉子は真っ青になって両手で顔を覆う。
 綾姉とぽちは息を飲んであきを見つめている。父は頭を抱えていた。

「あの子。アデリーヌといったか、どうしてもあの子を戻さなければならないのか?」

 苦しそうに父が言う。

「アデリーヌはこの世界では生きられない」
「しかし……」
「約束したんだよ。助けるってね」

 あきがそう言うと父は椅子に深く凭れ掛かるように身を沈めた。
 ああ、そういえばこういう子だった……。父の脳裏にあきの性格や考え方が思い起こされていた。どちらかというとアデリーヌにはかわいそうだが、向こうの世界に行かずに残っていてもらいたい。そう思う。しかしそれはこの子にはできないだろう。あき、いや秋彦がそう言うのだ。たとえその為に死ぬ事になってももう二度と帰って来れなくなってもこの子なら行ってしまうだろう。

「今日帰る訳ではないんだろう? 一晩ぐらい、いられるんだろう?」

 父はそう言った。もう二度と会えなくなるこの子達と一緒に過ごしたかったからだ。

「うん」
「――秋くん」
「諦めなさい。この子が決めた事だ。何を押しても行ってしまうさ」

 暗い雰囲気がリビングに立ち込めている。その中で父だけがあきにあれやこれやと話しかけて向こうの事を聞いている。ターレンハイム家の事に話が差し掛かり、侯爵の話になった。

「なんだ。親バカな感じの方だな」
「そうなの。あきは嫁にはやらんって言うんだよ」
「私もあきを嫁にやる事になるとは考えてなかったぞ」
「わたしだって考えてなかったよー」

 父とあきの笑い声だけが響くリビングだった。周りでは母や綾姉、ぽちは顔を引きつかせて笑っている二人を見ていた。

「おやもう。こんな時間か、葉子。食事の支度をしてくれ。おいしいものを、な」
「えっ、ええ……」

 母は力なく立ち上がり台所へと向かった。

「春奈君といったな。今日は泊まっていきなさい。私から家に連絡を入れておこう。私は少し出てくるから、すぐに戻ってくるよ」
「はーい。いってらっしゃーい」

 父が立ち上がるとあきは笑顔で送り出した。
 後に残された3人はそれぞれなんとなく居心地が悪くなって押し黙ってしまう。

「あ、あのね。秋くん……」
「なに? 綾姉」
「わたしも向こうの世界に行きたいんだけど……」
「ダメ!」
「秋先輩! ボクも」
「ダメ。ダメだったらダメ!」
「秋くん」
「先輩」
「もう二度と戻って来れなくなるんだから、連れて行くわけにはいかないの! それにお父さんやお母さんが心配しちゃうでしょ?」
「でも!」
「綾姉、ぽち――春奈。ねえ、向こうの世界に行って戻って来れなくなるのはわたしだけで良いんだよ。2人ともこっちの世界で幸せになってほしいの。お願いだから向こうに行きたいなんて言わないで」

 葉子は台所で夕食の用意をしながら涙が溢れそうになるのを止められなかった。
 まさか、こんな事になるなんて。とそういう思いがあふれ出す。今朝、学校に行くまではいつも通りだったのに……どうしてこうなったのかしら?
 初代女帝だの、ローデシア大陸だのということを知らない葉子には理不尽にしか感じられない。それでも最後の晩餐となるであろう夕食を気合を入れて作っていく。あきが私たちの事を覚えていてくれますようにと思いを込めて……。

 アデリーヌが起きだしてくる。リビングで話をしていたあきと綾姉達はアデリーヌを交えて会話を楽しんでいた。
 綾姉とぽちは時折言葉につまり、泣き出しそうになるがあきは気にしない振りをしながら話をしている。
 仕方ないんだよ。綾姉もぽちもこっちの世界で暮らす方がいいんだから。

「夕食ができましたよ」

 ことさら優しい声で母の葉子がリビングにいたあき達を呼ぶ。
 テーブルを囲んであき達が座った頃になって父が帰って来た。両手に大きな紙袋を抱えている。あきはなんだろうと不思議に思ってしまう。
 そのあきの視線に気づいた父が笑って、紙袋の中をあきに見せる。中には色んな本が入っていた。

「金融工学とか蒸気機関や医学、薬学、法律、その他色々買ってきた。持っていきなさい。向こうの世界はこっち側より工業が発達していないんだろう? 知識があるなら秋くんの待遇も良いはずだ」

 そう言ってにっこりと笑う。
 あきのうろ覚えの知識とは違って、専門書ならもっと色んな知識が書かれているだろう。翻訳してロパートやロバートに渡したら喜ぶだろう。あきは父の気遣いに涙が出そうになる。

 夕食の場でアデリーヌはぎこちなく食事をしている。始めて使う箸に興味津々のようだった。お味噌汁を飲んでなぜか、眼を輝かしている。おしょうゆをつけすぎて泣きそうにもなったが。アデリーヌはこっちの世界、日本語は分からないが、それでも楽しそうだった。

「辛いのー」
「そんなにたくさんつけなくても良いんだよ」

 あきはアデリーヌの口元を拭いてあげる。その様子を葉子が微笑ましそうに眺めた。

「まー可愛げのない綾と違ってアデリーヌちゃんは可愛らしいわね」
「ふーんだ。どうせわたしはかわいくないですよーだ」

 綾姉はがつがつご飯をかき込む。ぽちは慎ましく食事をしていた。ぽちの様子を見たあきはこんな感じの子だったかなっと驚く。いつもはもっと元気ではっちゃけた子なのに……。眼が合う。

「秋先輩って上品ですよねー」
「そうかなー」
「はあ~。綾ももう少し上品に育ってくれれば良かったのに」
「まあ、そう言うな。女の子も元気でなくちゃいかんからな」
「それはフォローのつもりか!」

 綾姉が箸を父親に向ける。
 ぷんぷん怒る綾姉。食卓は妙に賑やかだ。アデリーヌもなんだか楽しそうである。

 夕食の後、あき達4人は一緒にお風呂に入った。
 綾姉がアデリーヌの背中を流し、あきは綾姉を洗い。ぽちはあきを洗ってアデリーヌがぽちを洗う。ぐるっと円を描くように丸くなっている。アデリーヌが楽しそうにきゃっきゃと騒ぐ。あきとは違い。アデリーヌはクラリッサとしか一緒にお風呂に入った事がなかったのだ。クラリッサはアリステリアがアデリーヌと一緒にお風呂に入るのを阻止していたからだけど、ロデリックは最初からアデリーヌをお風呂に入れるつもりはなかったから、クラリッサと揉める事はなく。その点では平和だった。

「秋先輩っていい体してますねー。じゅるり」
「なにかな~。その言い方?」
「あきみたいなのを男好きするっていうんだって」

 アデリーヌの言葉を翻訳しそうになってあきは慌てて口を噤む。

「アデリーヌ……誰から聞いたの? そんな言葉」
「淫ら。みーだーら。秋くん、みーだーらー」
「綾姉も!」
「アリスからー」

 わーい。とばかりにアデリーヌが両手を挙げる。あきは落ち込みそうになる。そうして帰ったらアリステリアに問い詰めてやろうと決心する。お風呂場であきだけが赤面したくなるような事になってしまっている。なぜこうなるんだろうか? あきにはあら不思議としか言いようがない。

 お風呂から出るとあきの部屋で4人は一緒に寝る事になる。最後の晩ぐらい一緒にいたいと綾姉やぽちが言い出したから……。
 寝るまでのあいだ、4人はおしゃべりをしている。アデリーヌの言葉はあきの通訳である。
 あきは異世界に飛ばされてからの事で、コーデリアやタルコットなどの女性陣の話をする。ルパートやフリッツなどといった男連中の話は避けたほうがいい様な気がしたからだった。

「さすが、ファンタジー。ドラゴンがいるとは!」
「エステルっていうんだよ」
「コーデリアっていうにはそんなにないすばでぃーになりたがってるの?」
「うん。そう」
「クラリッサもなりたがってる」
「えっ? クラリッサも?」

 クラリッサの話はあきにも初耳だった。そうだったのかー。クラリッサの意外な一面を見た気がする。

「エルフって見てみたいです」
「耳が長くて尖ってるよ」
「ミノタウロスもいるんだよー。がおーってこわいの」
「オークもこわいよねー」

 ファンタジー世界の苦労話をしている内に夜も更けて、アデリーヌがまず先にころんっと眠ってしまう。その次は意外な事にぽちが眠ってしまった。あきと綾姉が最後までおしゃべりをして過ごしている。

「ねえ秋くん。戻ってこれるなら戻ってきてね」
「うん。そうする」
「ねっ、約束だよ」
「約束」

 でももう戻って来れないだろうな。とそう思うあき。でもそんな事は口に出さずに約束をする。帰って来れますように、と。


 翌朝、太陽な昇り、明るくなる。
 あき達はのそのそと起きだして、着替える。階段を降りると朝食が出来上がっていた。
 ほかほかのご飯に焼き魚。お味噌汁に玉子焼き。きゅうりのお漬物。食べたい食べたいと願っていた食事であった。あきは一つ一つ噛み締めるように食べだしていく。もう二度と食べる事はないだろう。向こうにはお味噌もおしょうゆもないのだから……。
 そう言うと、持っていく? と母が聞いてくる。

「持っていっても無くなるのが悲しいからいいよ。ごめんね」
「向こうで味噌を作っていけばいい。買ってきた本の中に作り方が載っているからな」
「ありがとう」

 それから再び、あき達はあきの部屋に戻っていく。
 あきとアデリーヌは部屋の中央に立つ。

「秋くん。向こうに行っても元気で、な」
「秋先輩。忘れちゃやです」
「秋くん。元気で暮らすの……」
「お母さんも元気でね」
「秋くん。ううーうわーん」

 綾姉が泣きながら抱きついてくるのを抱き締めて頭を撫でる。ぽちも抱きついてくる。
 あきは泣きそうになるのを堪えていた。

「じゃあ、アデリーヌ。向こうの世界に帰るよ」
「……うん」
「みんな元気でね」
「みんなー。また会いたいよー」

 アデリーヌは泣き出す。あきはアデリーヌの言葉を伝えて、頭を撫でる。そうして荷物を持った。

「神聖なる女神コルデリア――」

 祈りの言葉を唱え、神聖魔法を構築していく。
 部屋の床に複雑な文様が描かれて暖かい光が溢れる。向こうの世界とは違い。その光は弱々しいものだったが、向こうに近づくにつれ、強くなっていくだろう。

 ――帰ろう。わたし達が暮らすあの世界に。連れ去られるのではなく。呼び出されるのでもなく。今度は自分の意思で向こうの世界に、ローデシアへと向かう。

 あきとアデリーヌは見つめあい。そして周囲を取り囲む香月家の人々とぽちの姿を眼に焼き付けるように見つめていく。
 これで最後。もう会えなくなる人々に別れを告げる。

「さようなら」

 あきとアデリーヌの姿がぼやけて、それと共に光も消えていった。



[12791] 第51話 「始まりの森 再会の森」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/03/13 21:19

 第51話 「始まりの森 再会の森」


「ええーい。このいらん事しいがぁ~!」

 アデリーヌ退去の魔術を行い。あきとアデリーヌの2人をこの世界から消し去ってしまった原因であるヴァイトリング子爵は、コーデリアとラッセンディルにぐるぐる巻きにされて、コーデリア達の前に引き出されていた。
 そこへクラリッサを部屋に連れて行き、休ませたタルコットが戻ってきた。
 ぐるぐる巻きにされているヴァイトリング子爵を見たタルコットはコーデリアから説明を受け、現状を知ると鋭い打撃音を響かせて、ヴァイトリング子爵を殴り飛ばしてしまう。
 さらにコーデリアが止めるのも聞かずにぼこぼこに殴っている。
 ルパートに取り押さえられてようやく殴るのをやめたタルコットはぜいぜいと肩で息をしている。
 周囲では重苦しい雰囲気が立ち込めていた。

「……あきは元の世界へ帰っていってしまったのじゃ」
「……ま、まあ、あきにとってはこれで良かったのかもしれないわ」

 コーデリアが暗く呟く。ルパートもぎこちなく言った。元々あきは異世界の人間なのだからいずれは帰る。別れの日が来るとは覚悟していたが、こんな風に別れてしまうとは思ってもいなかった。

「アデリーヌはどうなってしまったのだ?」

 ロデリックがヴァイトリング子爵に問いかけた。
 ぼこぼこにされたヴァイトリング子爵が、おそらくあきと共に異世界とやらに行ってしまったのだろう。と、つかえつかえ言う。その言葉を聞いて、ロデリックの顔から血の気が引く。

「アデリーヌがあきの世界で生きていけるとは思えんぞ」
「……『ホモンクルス』だからな」

 ラッセンディルはあきの世界には魔力がないだろうと思い。アデリーヌが生きていけない事に気づくと、どれほどあきが嘆き悲しむのか考えて落ち込む。

「もう一回、あきを呼ばれへんか?」

 タルコットがラッセンディルに詰め寄る。ラッセンディルは首を振った。

「あ、あきは元々この世界の人間じゃないからな。ようやく元の世界に帰れたんだ。こっちの都合で連れ戻すわけにもいかないだろう……」

 ラッセンディルはそう言うとそっぽを向く。ポケットから取り出した葉巻を咥えて火をつけた。何度もせわしく吸いながら、ソファーに深く凭れ掛かる。
 そう言ってしまえば、聞き耳を立てている他の者達も何も言えずに黙り込んでしまう。
 シーンと静まり返った部屋の中で誰もが落ち込んでいる。その中でぽつりとアリステリアが零す。

「誰がクラリッサにこの事を言うんだい?」

 黙り込んでいたみんながハッと顔を上げる。

「……わしが言おう」

 ロデリックが首を振りつつも言う。みなの口からほっとため息が漏れる。
 それからコーデリア達の頭の中で、誰がターレンハイム侯爵に言うのか考え始めた。侯爵だけではない。国王にも王妃にも言わなければならない。こう考えると、あきの事を好きな者たちはたくさんいて、彼らがどれほど悲しむだろうかと想像されてしまい。さらに落ち込んだ。
 ラッセンディルが何も言わずに部屋から出て行く。コーデリアはラッセンディルを見送りながら、あやつもわらわ達以上に落ち込んでおるのじゃろうと思い、何も言わずにいた。

 コーデリア達はそれぞれ、部屋に帰って休む事にする。これ以上ここで落ち込んでいてもはじまらない。これからノエル王国との交渉が控えているのだから……。
 ヴァイトリング子爵はロデリックとアリステリアに引き立てられ、王宮の地下牢へと連れていかれる。魔術を使用出来ないように猿轡を填められ、両手両足を縛られて固い木のベットに括りつけられてしまった。
 ルパート、ロパートは明日からの会議の為の書類作りに没頭することであきの事を考えないようにとしている。コーデリアとタルコットはベットに横になり、声を殺して泣いている。2人とも無言でいたが、部屋の中にすすり泣く嗚咽が微かに聞こえていた。


 部屋に戻ったラッセンディルはベットに腰を掛けて頭を抱えている。
 しばらくそうしていたかと思えば、一縷の望みをかけて探知の魔法を唱える。あきの左手の薬指にはラッセンディルが夢の中で填めた指輪がある。もしかすると、いやまさかと思いつつも諦めきれない為に行ったが、指輪の反応はなく。がっくりしてそのままベットに倒れこみ、目を瞑る。

 翌朝、陽も高くなりかけた頃……。ラッセンディルの探知の魔法に反応があった。
 反応があった事に気づくとラッセンディルは勢いをつけて起き上がり、着替えるのももどかしく部屋を飛び出していく。

「コーデリア!」

 コーデリアとタルコットがいる筈の部屋に飛び込むと探知の魔法に反応があった事を伝える。

「どこにいるのじゃ!」
「どこやねん!」

 コーデリアとタルコットはラッセンディルの首を絞めながら問いかけている。

「くっ、苦しい。はなせ……」
「はよ。言わんかい!」

 なんとかコーデリアとタルコットの腕から逃れたラッセンディルが息も絶え絶えになりながら伝える。

「古都アデリーヌ。カーライル村、……コーデリアの家だ」

 ラッセンディルの発言によって、コーデリアは急いでカーライル村へ向かう事に決める。急いで着替えるとタルコットと共に荷造りをはじめた。あきとアデリーヌがカーライル村に居ると分かれば、こんな所でゆっくりしている暇などない。

「急ぐのじゃ!」
「でも……ロパートの船は使えんで?」
「馬車で向かうのじゃ!」

 コーデリアとタルコットが荷造りをしながら、カーライル村までの移動手段を言い合う。
 ノエルからカーライル村までは、ロパートの船なら2日ほどで着くだろうが、馬車では10日は掛かる。

「そんな事は関係ないのじゃ! ここでグズグズしているより急ぐのじゃ!」

 2人が騒いでいる。その騒ぎを聞きつけたルパートが部屋にやってきた。昨夜は眠れなかったのか? ルパートにしては眠そうだった。

「なによ。騒がしいわね」

 欠伸交じりにルパートは言う。

「おお、ルパート。あきが見つかったのじゃ!」
「――どこに居るのかしら?」

 コーデリアがルパートにラッセンディルが探知の魔法であきの居所を見つけた事を話す。それを聞いたルパートはコーデリアに詰め寄り、肩を揺さぶりながら聞く。

「あががが……カーライル村じゃ!」
「急ぐわよ!」

 ルパートは居場所を聞くといきなり、部屋を飛び出していってしまった。ルパートが向かった先の部屋ではロパートが机に向かって書類を作成していた。今日からの会議に使用するためのものだ。昨夜から一睡もせずに書類に向かってそれ以外の事を頭から追い出している。

「ロパート兄さん。あきの行方が分かったわよ」

 ルパートが部屋に飛び込んできた。ロパートはめんどくさそうに振り返ったが、あきの行方が分かった。と聞かされ、腰を浮かせる。ルパートと一緒に部屋を出る。
 部屋の前にはロデリックがやってきていた。

「なにやら、騒がしいがどうしたのかね?」
「あき達の行方が分かったそうだ」

 ロデリックの眉が少し動く。ロデリックは急いで廊下を走り出そうとするロパートの腕を掴む。

「待ってもらおうか。どこへ行くつもりだ」
「――あきの所だが?」
「会議がある。クラリッサ王女殿下も参加する事になっているのだ」
「悪いが会議は延期してくれ」

 ロパートがロデリックを押しのけて進もうとするのをロデリックは素早く前に回り、両手を広げて防いだ。

「行かせる訳にはいかん。今回の会議はノエル王国の興廃を決めてしまうほどのものだ。延期などさせる訳にはいかんな」
「……そっちはアデリーヌの事が心配じゃないのか?」
「心配だ。心配だとも。だが、だからと言ってノエル王国を見捨てる訳にはいかんのだ。おぬしにもこの国の現状は分かっておるだろう!何を押してもこの会議で経済関係は決めてしまわねばならんのだ! その為にもおぬしらは行かせんぞ」

 ロデリックがロパートに詰め寄る。その迫力にロパートは少したじろいでしまう。それまで黙って様子を窺っていたルパートが2人の間に割って入った。

「ロパート兄さん。会議に出席しましょう。考えてみれば、会議をすっぽかして迎えに行ったら、あきは怒るわ。『迎えに来るより、会議をしなさい』ってね。あきだってこの国の現状は知っているんだから会議を優先するべきよ」
「しかし……ラッセンディルは行くんだろう?」
「ええ。でもね。ロパート兄さんが会議を優先して、迎えに行かなくてもあきは怒らないけど……もう一度言うわよ。会議をすっぽかしたら。あきは怒る」

 自分は迎えにいけないのに、ラッセンディルが行く。その事にロパートは頭を抱えて悩んでいたが、さすがにそこまで言われると諦めたように予定通りに会議に出席する事を決めた。ルパートも会議に参加する事をロデリックに言う。

「ありがたい。感謝する」

 ロデリックは2人に頭を下げると、今度はクラリッサの部屋へと向かった。ロパートは部屋に戻ると会議の書類を纏めだす。ルパートは一旦、コーデリアの所へ行くと、会議に出席する事を伝えた。

「……そうか」
「まあ、しゃあないな。あきにはそう伝えたるわ」
「会議が終わったら、あたし達も向かうわ」

 ルパートと話が終わるとコーデリア達は荷物を持って城を出ていこうとする。



 一方、こちらはクラリッサの部屋。
 ロデリックからあきとアデリーヌの行方が分かった事を知らされたクラリッサは慌てて部屋を出て行こうとした。しかしロデリックとアリステリアに引き止められてしまう。

「はなして、はなしてちょうだい」

 クラリッサは暴れるようにしてロデリック達を振りほどこうとしている。

「クラリッサ王女殿下! 今日から会議が始まります。出席せねばなりませんぞ。それにルリタニア側は会議に出席すると言っております。クラリッサ王女殿下が出席しなければ、あの国王や王子がルリタニア側とまともに交渉できるとは思えませんぞ!」
「でも! アデリーヌがぁ~」
「アデリーヌの事はあきに、聖女に任せましょう。助けてくれる筈です」
「あきにアデリーヌを取られちゃう~」
「今回の会議はようやく国王にクラリッサ王女殿下が参加する事を認めさせた上で開催するものですぞ。王女殿下が出席しなければ、ルリタニア側に不利な条件を飲まされるに違いありません。それでも宜しいのか! ノエル王国をお見捨てになる気ですか!」

 クラリッサは泣き喚いている。ロデリックとアリステリアは2人でクラリッサを慰め、もう少しアデリーヌを信用してあげましょう。と言い。その上でアデリーヌはアリステリアが迎えに行く事に決めた。
 クラリッサはしぶしぶといった感じだったが、アリステリアが迎えに行く事を認める。その代わりと言ってはなんだが……クラリッサは会議に向かうにあたってやたらと気合が入り始めた。

「迎えに行けない……この不満を会議にぶつけてあげるわ!」

 ぐぐっと拳を握ってロデリックを睨みつけた。

「おお。なんという頼もしいお言葉。このロデリック・ド・アッシャー、歓喜の極み」

 妙な盛り上がりを見せる主従を横目で見ながらアリステリアはため息をつき、アデリーヌを迎えに行く為に部屋を出て行く。
 城の中庭に出る。そこにはコーデリア達も集まっていた。
 大きな影が中庭を覆う。
 コーデリア達だけでなく。アリステリアも見上げると空にはドラゴンがいた……。

「みんな。エステルに黙ってノエル王国に行くなんてひどいのー」

 現れたドラゴンはエステルだった。エステルは空の上からコーデリア達に文句を言ってる。ばさばさと翼を揺らして、風が舞い上がる。飛ばされまいとアリステリアは中庭の木にしがみついた。

「おおーエステル。ちょうどいいところに来たのじゃ!」
「そうや。エステルに乗ってカーライル村へ向かうで!」

 コーデリアとタルコットが口々に言い合う。エステルは何を言っているのか分からずに、首を捻っていた。
 中庭に降りてきたエステルの首元にかごを取り付ける。そこへコーデリア、タルコット、ラッセンディル、アリステリアの4人が乗った。簡単にコーデリアからあきの状況を聞かされたエステルは「やっぱり、あきにはエステルがついていないとダメなのー」と、うんうん首を振っている。
 アリステリアはそんなエステルの様子を興味深そうに観察していた。

「よおし、エステル。カーライル村に向かって急ぐのじゃー!」
「行くのー」

 ドラゴンに乗った一行はカーライル村へと飛んでいく。
 それを見送る残された者たちはそれぞれ、自分達のやるべき事をする為の準備に追われていた。



 

 この世界で陽も高くなりかけた頃……。あきとアデリーヌの2人はカーライル村の近くの森に姿を現した。この森はあきとコーデリアが初めて会った場所であり、アデリーヌとシャルルが出会った場所でもある。

「うわー。戻ってきたと思ったら、ここかぁ~」

 あきは周囲をぐるりと見回した。その隣でアデリーヌがきょとんとした表情であきを見つめている。

「あき~。ここどこ?」
「カーライル村の近くの森。コーデリアの家の近くだよ」
「コーデリアの?」
「うん。そうだよ。さあ、とりあえず、コーデリアの家に行こう」

 あきはそう言ってアデリーヌの手を引いて歩き出す。繋いだ手をぎゅっと握り、二人は歩いていく。もう片方の手には向こうの世界。元の世界から持ってきた紙袋が重そうに持たれている。
 しばらくてくてく歩いて、ようやくコーデリアの家に辿りつく。
 懐かしさに感無量である。思えば、ここを出てからもう一年近くになろうとしていた。懐かしい。こんな気分になるとは思わなかったけど、この家にもたくさんの思い出がある。
 魔法の鍵を掛けられている玄関の前に立って、呪文を唱える。

「――アンロック」

 玄関の扉が開く。
 中から埃っぽい匂いが流れてきた。

「けほけほ」
「うわー。これは掃除しなくっちゃ」

 埃を吸い込んでけほけほ言っているアデリーヌを見ながらあきは最初にまず、そう考えてしまう。
 ハンカチで口元を押さえて、2人は中に入った。薄暗い家の中で、窓を1つずつ開けながら中へ中へと向かった。窓を開けていくと光が差し込み、日の光に埃が煌めく。
 あきとアデリーヌは一旦、外に出る。アデリーヌを庭に置かれている椅子に座らせた。
 それから、今度はあき1人が中へ入っていく。中に入ったあきは、掃除道具を取り出して、勢いよく掃除をし始めた。
 まず、ベットのシーツや布団を外に出して家の裏手にある物干し代わりの2本の木に縄を張り、そこに干して叩いて埃を払う。ある程度、埃が取れると今度はまた、家に入って床掃除に柱や机、テーブルや食器を洗っていく。
 ざっと一通り終わる。暖炉とお風呂場に火を入れて、お湯を沸かす。お風呂が沸く間に暖炉で沸かしたお湯でお茶を入れる。

「アデリーヌ。お茶が入ったよー」
「はーい」

 やってきたアデリーヌにお茶を振舞う。お茶菓子が無いのはしょうがない。後で村に買いに行こう。そう思うあきであった。
 2人は庭先でお茶を飲んでいる。家の煙突から煙がたなびいていた。
 ぼんやりと家の前の道を眺めつつお茶を飲んでいると、カポカポと馬車がやってくるのが見える。
 黒くて高い帽子にパイプを咥えた姿。トマス爺さんである。あきはトマス爺さんに気づくと手を振る。馬車の上からも手を振ってくるトマス爺さんが見える。

「おおー。煙突から煙が出ていたんでな。来てみたんじゃが、あき。元気だったか? 長いこと姿が見えんかったが」
「ルリタニアに行ってたんだよ」
「おおそうか。……おや。隣にいるのは誰だ。可愛い子じゃのう。こっちに来てくれ」

 トマス爺さんはアデリーヌを手招いた。あきの後ろに隠れるようにしながら見ていたアデリーヌが、トマス爺さんの近くに寄った。
 アデリーヌは恐る恐るではあったが、トマス爺さんに頭を撫でられて気持ち良さそうだ。あきは微笑ましくそれを見ながら、トマス爺さんに聞く。

「あのね。戻ってきたばっかりで食べる物がないの。何かあるかな?」
「キャベツにじゃがいも。鳥肉があるが、それでいいかね」
「うん。それでいいよ。あっ、そうだ。バターはある?」
「バターか、あるぞ」
「それもお願い」
「よしよし」

 あきはトマス爺さんからいくつか買うと、台所に並べておく。
 2人は一緒にお風呂に向かう。埃塗れになっていたものだから、お風呂が心地いい。あきとアデリーヌは良い気分で泡を吹きながら入った。
 お風呂から出ると、あきはアデリーヌにコーデリアのないすばでぃー用の服を着せてあげる。あきは予備のメイド服を着た。そういえばこの服を着るのもほんとに久しぶりである。あきはアデリーヌの手を引いて、カーライル村へと向かう。
 カーライル村の一軒だけある雑貨屋であきはいくつかの食料を買い求める。店番のおばちゃんと久しぶりに会話をした。
 さすが、おばちゃんである。次から次へとあきに質問をしだすと止まらない。
 やれ、どこへ行っていただの、いつ帰って来ただのと根掘り葉掘り問いただしてくる。
 挙句の果てに……。

「あきは結婚する気はないの? いや~、うちの人の甥っ子でね。最近アデリーヌで店をだした子がいるんだけど、その子に嫁を世話してやろうとうちの人が探しているんだよ。あきなら良いと思うんだけどね~。どうだい。一度会ってみるだけでも?」
「まだ。結婚する気はないです」
「なに言ってんだい。あきももう18になるんだろ? それなら早すぎるって事はないよ。あたしだって17の時にここに来たんだからね。あきもいつまでも一人身という訳にもいかないからさ。そろそろ考えた方がいいよ」
「い、いえ。結構です」

 あきはアデリーヌの手を引いて逃げ出した。
 逃げないと甥っ子というのを呼ばれそうだ。

「おばちゃんにも困ったものだよね?」

 あきはアデリーヌにそう言う。
 アデリーヌは首を傾けながらじっとあきを見つめる。

「あきは好きな人はいないの?」
「えっ?」

 アデリーヌにそう問いかけられて、あきの頭の中にフリッツやロパートやルパートの顔が浮かんできてしまう。慌てて手を振って脳裏に浮かぶ光景を払拭していく。
 好きな人かぁ~。言われてみれば、わたし誰が好きなんだろう?
 今まで考えないようにしてきた事が頭に浮かんできてしまう。

「アデリーヌはね。クラリッサやアリスやロデリックが好きなんだよー」
「そうなの?」
「うん。でも、あきもすきー」
「あ、はははは……わたしもアデリーヌの事、好きだよ」

 あきとアデリーヌは手を繋いで、コーデリアの家まで帰っていった。
 家に帰り着く。

「じゃあ、ご飯を作ろうー。アデリーヌも手伝ってね」
「はーい」

 あきは雑貨屋で買ってきた小麦粉をボールに入れる。融かしたバターにお砂糖と刻んだハーブも加えた。

「アデリーヌ。これを混ぜてー」
「うん」

 アデリーヌがボールを抱えるように持ってぐるぐるかき混ぜていく。
 あきは野菜と鳥肉を鍋で煮込む。シチューにするのだ。

「ローレル、ローリエ、月桂樹~」

 あきは鍋の中身をかき混ぜながらそんな事を口ずさんでいる。
 ある程度、煮込まれたところであきは竈の上にフライパンを乗せて熱し始める。それからアデリーヌから受け取ったボールの中身をフライパンに流し込む。ホットケーキである。ぷつぷつと生地に泡が立ち出す。ひっくり返してきつね色に焼けた生地を皿の上に乗せるとホットケーキの上にさらにバターを乗せる。とろ~っと溶けていくバターを見ながらアデリーヌも眼を輝かす。

「アデリーヌ、できたよー」
「わーい。いただきまーす」

 アデリーヌはフォークとナイフでホットケーキを食べ始めた。切り分けた生地からバターがお皿の上に落ちる。フォークに刺した生地に落ちたバターを塗りつけて口にくわえる。アデリーヌの口には大きすぎるほど大きく切られた生地を一生懸命になりながら食べる。

「アデリーヌ。そんなにむきになる必要はないのに……」

 少し呆れそうになって見ていた。あきはアデリーヌが食べている間に、明日のパンの用意をしておく。生地を練って発酵させて、休ませる。その間にあきも食事をする。アデリーヌが食べている横にシチューのお皿を置いた。お腹が空いているのかアデリーヌは食欲が旺盛である。あきはお皿を洗ったり、フライパンを洗ったり、お皿を直したりとゆっくりしている暇がない。
 考えてみれば、この家に住んでいた頃は毎日こんな風に過ごしていたのだった。電化製品のないこの世界では主婦業は大変なのであった……。

 食事が終わり、アデリーヌがうとうとし始める。あきはアデリーヌをベットに寝かせると、自分はテーブルの上に持ってきた本を広げてノートに下位古代語で翻訳しはじめた。まず銀行業務などを含む金融関係の本である。
 蝋燭の炎がゆらゆら揺れる。2時間ほど書き写していると流石に手がだるくなってくる。立ち上がってお茶を入れるために台所に向かった。
 廊下に出る。あきの部屋。アデリーヌが眠っている場所で泣き声が聞こえている。あきは足音を忍ばせて、部屋へと向かう。扉を開けるとアデリーヌがシーツに包まりながら泣いている。

「アデリーヌ、どうしたの?」

 あきはベットに腰かけてアデリーヌに聞いた。
 シーツから顔を出したアデリーヌがぽつり、クラリッサに会いたい。と言い出す。

「……落ち着いたら、会いに行こうね。でも今日はこのまま眠ろうね」

 あきはアデリーヌの髪を撫でながら眠るまで傍についていた。
 ぐずぐず鼻を鳴らしていたアデリーヌも髪を撫でられているうちにうとうとして眠りに落ちる。アデリーヌの寝顔を見ながらあきは、本当なら今すぐにも首都ノエルに行きたいのだけど、アデリーヌの体力、魔力が戻らないと向かう訳にはいかないと思っていた。今のアデリーヌでは首都ノエルまでの馬車の旅は耐えられないだろうと考えてしまう。
 帰って来たからといって、失われていた魔力がすぐに戻る訳ではないのだから……。それでも2、3日すれば、魔力は元に戻るだろうと考えていた。

 あきは部屋を出て、テーブルの上を片付ける。それから着替えてアデリーヌの隣で横になると目を瞑る。
 ……もう眠ってしまおう。
 明日になれば、アデリーヌの魔力も少しは取り戻しているだろう。
 アデリーヌを抱き締めてあきも眠った。ぐー。
 夢の中であきは金髪の男性と会っていた。会った事のない人のはずなのだけど、どこか懐かしくて胸が締め付けられる。

「アデリーヌ」

 そう呼ばれて、この人がシャルルなのだと思い出す。思い出すと後から後から涙が零れだして苦しくなってしまう。思わず抱きつく。シャルルの胸に抱き締められると懐かしくて安心できて体中の力が抜けていくような気がする。
 ああ、こんなにもアデリーヌはシャルルの事が好きだったのだと思い出された。抱き締めてくれていたはずのシャルルの姿が消える。慌てて周囲を見回せば、シャルルはクラリッサに姿を変えて、アデリーヌを抱き締めていた。
 その光景を見ていると辛くなってしまう。なんだか嫌な気分になる。2人の間に割って入りたくなるのだけど、なぜかどうしても体が動かなくて泣いている事しかできずにいた。




 翌朝、眼が覚めると、まだアデリーヌは眠っている。
 あきは欠伸をしつつ、メイド服に着替える。なんだか欠伸が抑えきれない。う~んと背伸びをして目を覚まそうとした。
 竈に火を熾す。竈が熱くなる。天板にパンの生地を並べて、焼く。

「さて。今日も頑張りましょう」

 あきは自分自身に言い聞かせていく。
 掃除洗濯、食事の用意とやる事はたくさんあるのだ。

「考えてみると……主婦業だよねー」

 アデリーヌを寝かしたまま、あきは主婦業に勤しむ。午前中は家事をして午後からアデリーヌを連れて近くの森に向かう。家の中にいるよりも森の中にいた方が、アデリーヌの魔力の回復にいいだろうと考えた結果だった。その所為か、アデリーヌの魔力も少しずつ回復している。
 こうした生活が2日ほど続き、あき達がこの世界に戻ってから、3日ほど経った。
 アデリーヌが眠ってから行っている翻訳もようやく目処がつきそうになっている。もうすぐ一冊分が終わろうとしている。
 そうして、あきとアデリーヌが近くの森の中で日課となっている瞑想を行っていると……上空でなにやら翼の羽ばたきが聞こえてきた。2人が空を見上げる。

「あれなにー?」
「もしかして、エステル?」

 アデリーヌの問いかけに答えるのも忘れてあきは呟いた。
 上空から姿を見せたドラゴンはあき達の姿を確認すると、一気に森の中に突っ込んできた。

「きゃあ~。あきー」
「アデリーヌ、危ない!」

 あきはアデリーヌを庇って木の影に隠れた。エステルは森の木々を揺らして地上に降り立つ。

「あきー。どこにいるのー?」
「あき。どこじゃー」

 エステルとコーデリアの声が聞こえてくる。
 あきとアデリーヌは声の聞こえてくる場所へと向かう。森の中心近くにある少し開けた場所でエステルは降りていた。

「コーデリア。エステル?」
「あき。あきー」

 あきが声を掛けるとかごから飛び降りたコーデリア達が駆け寄ってきた。
 両手を広げてあきに抱きつこうとするコーデリアとタルコットを脇に追いやってラッセンディルがあきを抱き締めてしまった。

「こりゃあ~。ラッセンディル。いい所で邪魔するでないわー」
「そうや!」
「ああ、あき。会いたかったぞ」
「……フリッツ~」

 感動の再会になるはずの場面を邪魔されたコーデリアがラッセンディルに文句を言うが、聞いちゃいなかった。あきを抱き締めつつ、キスしようとしてコーデリアとタルコットに羽交い絞めにされ、邪魔をされる。

「うちらの邪魔をしておいて、自分だけがええ目を見られると思うなや!」
「そうなのじゃ。感動の再会の邪魔をしよって!」

 その光景をきょとんとした顔で見ていたアデリーヌはアリステリアの姿を見た途端、アリステリアに向かって走っていく。

「アリス」
「アデリーヌ」

 両手を広げてアデリーヌを待っているアリステリア。こちらは綺麗に感動の再会を果たしていた。

 その後、あき達はコーデリアの家に戻ってきた。道々エステルがお姉さんぶってあきに「エステルがいないとダメなんだからー」と調子に乗っていた。
 庭先に置かれているテーブルと椅子を囲んでこれまでの話や向こうの世界の話をしていく。コーデリア達は興味津々と言った感じで聞いていたが、あきが向こうの世界には魔力がない為にもう向こうには帰れない。と言うのを聞いて、コーデリアが泣きながらあきの胸を叩きだした。

「こ、この……あきはお人好し過ぎるのじゃ。折角帰れたというのに、何も戻ってくる事はなかったのじゃ」
「……約束したし。この世界もみんなも好きだよ。でも、心配かけてごめんね」
「ふ、ふん。わらわは心配なんぞしておらんのじゃ」
「……まあ、あきもこの世界で暮らしていく事を決めたんやから、うちらにできる事は助けてやるで。あっ、それからな。コーデリアはあきがいなくなってから一晩中泣いとったんやで」
「泣いてなどおらぬのじゃ!」
「心配するな。あきは俺が助けてやるからな」

 ラッセンディルがそう言うと、コーデリアとタルコットの2人があきを引き寄せる。

「お主には渡してやらぬのじゃ」
「あきはうちらのもんや」
「ちがうよー。エステルのものだよー」

 エステルが大声で自分のもの宣言をする。その声は遠くカーライル村にまで届いたという。
 ちなみにアリステリアとアデリーヌは和気藹々とした感じで仲良くしている。コーデリア達とラッセンディルの間に流れている緊迫感など気にもしないでいちゃいちゃしている。その光景はクラリッサが見たなら、嫉妬したであろうと思われるほどであった。

「では、首都ノエルに戻るとするのじゃ」

 コーデリアが立ち上がって宣言する。

「でも、その前に行きたい所があるんだけど……」
「どこや?」
「シャルルのお墓。古都アデリーヌのヴィクトリア城にあるんでしょ?」
「……シャルルの墓か……」

 あきの言葉にアリステリアが反応して、抱き締めていたアデリーヌを見る。アデリーヌと目が合うと頷いて「行ってみるか」と言う。
 こうして急遽、あき達一行は古都アデリーヌにあるヴィクトリア城へと向かう事になった。コーデリアは古都アデリーヌの地方領主ハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵に約束していたユニコーン輸送の代金をついでに貰ってこようと考えている。
 しかしその前に、コーデリア達は本当に久しぶりにあきの作った食事をいただく事に決めた。

「あきー。食事を作って欲しいのじゃ」
「はいはい」
「久しぶりやな~」
「あきの作る食事か……楽しみだな」
「あきのごはんおいしいよ」
「あんたら、もしかしていつもあき嬢に食事を作らせていたのかい?」

 アリステリアがそう言うとコーデリア達はなぜかそっぽを向いてあらぬ方を見る。にや~っと笑って覗き込んでくるアリステリアにコーデリアが真っ赤になって言い返しだした。

「あきが一番料理上手なのじゃから、これでいいのじゃ」
「というか、あんたらが下手なだけじゃないのかい」
「う、うるさいのじゃー」

 あきは台所でコーデリア達の騒ぎを呆れながら聞いていた。

「まったく、困ったものだよね~」

 大量に揚げられているコロッケを前にしてあきはため息をつく。



 食事が終わり、あき達は荷物を纏めて、エステルに乗るとヴィクトリア城へと向かう。
 城の中庭に降り立つと騎士達が取り囲むがあきが姿を現すと領主の地方領主ハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵に使いが出され、あき達はシャルルのお墓へと案内されていく。

「思ったよりも小さいよね」

 お墓を見た瞬間、ぽろっと涙が零れてしまう。あきの中にあるシャルルに対する思いが浮かんできてしまう。それはあきの中にあったアデリーヌの思いだ。あきはそんな感想を持った。シャルルのお墓は小さな石でできている。その周りには花々が植えられて、お墓と言うよりも花壇といった感じである。素朴だけどシャルルの愛情が感じられた。
 シャルル・ラ・フォンテーヌ・ド・カプール。初代女帝の夫であり、アデリーヌと入れ替わった事によって、初代女帝として君臨していた人物。そしてここにはシャルルの肉体とアデリーヌの魂が眠っている筈なのだけど……。アデリーヌの生まれ変わりであるあきとアデリーヌの魂を召喚された『ホモンクルス』アデリーヌが二人揃ってお墓参りしている。

「妙な気分じゃ」
「そうだね。でも来て良かった。初代女帝は本当に好きだったんだね」

 ……アデリーヌの事が……と、口には出さずにあきは心の中で思う。お墓を眺めているうちにふと、クラリッサの顔が浮かんできた。あきはアデリーヌを見つめる。

「ねえ。アデリーヌはクラリッサの事は好き?」
「うん。大好きだよ」

 にっこりと無邪気に笑うアデリーヌ。

「――そう」

 あきはそうとだけ言う。
 わたしじゃなくてもアデリーヌで良いよね。アデリーヌからクラリッサを奪う気にはなれない。だから……シャルルの事は忘れた方がいいよね。そう忘れなきゃいけないんだろうな……。
 生まれたばかりに『ホモンクルス』であるアデリーヌはあきよりも遥かに子供だ。それだけにアデリーヌの思いに強く影響されている。それはあきも同じだったが、あきの方はアデリーヌの持っていたお人好しな部分が強く表に出ていた。
 それはアデリーヌにシャルルを譲るという行動にでてしまう。もしアデリーヌがあきの思いを知れば、同じような行動を取るだろうと思われる。この2人は似ているのだから……。

 後ろで立っていたラッセンディルがあきの肩に手を置く。振り返ったあきとラッセンディルの目が合い。微笑みあう。

「――行こうか」
「そうだね。首都ノエルへ行こう」

 アデリーヌをクラリッサ――シャルルの元へ連れて帰ろう。あきは自分の中にあるシャルルへの思いを振り切る。
 そうしてアデリーヌの手を引いてコーデリア達のところへと歩き出す。

 こうして1000年も前に始まった恋はあきの中で終わりを告げようとしていた。



[12791] 第52話 「クラリッサの思い。初代女帝の思い」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/03/14 22:19

 第52話 「クラリッサの思い。初代女帝の思い」



 あき達が古都アデリーヌでシャルルのお墓参りを終え、首都ノエルに向かって空の旅をしていた頃、ノエルではノエルとルリタニア間の会議は一応の合意を持って終了した。
 この会議において、ノエルの中央銀行はクラリッサ王女が管轄してブランヴェリエ侯爵家が担当する事になる。ノエル側にとってはルリタニアによるノエル王国の金融支配を防ぐ事ができたわけだが、人員及びノウハウはルリタニアに頼らなければならないのは不本意な結果だった。
 もっともロデリックなどがノエル王国内の商人達を集めて新しく開発した商品を提示した為に銀行設立の為の資本金は予定よりも多く手に入りそうではある。
 こうしてノエル、ルリタニア、カルクスの3国間の経済流通が新しい局面を迎えようとしていた。

「お疲れでしたな。ターレンハイム子爵」
「いや。そちらこそ。かなり粘るようになったようで、さすがクラリッサ王女殿下というべきか」

 ロパートとロデリックが肩を叩きながら、テーブルに置かれたコーヒーに口を付ける。琥珀色の飲み物はルリタニアにもまだ無いもので、ロパートも興味深そうに飲んでいる。ロパートはなぜあれほどまでにロデリックがクラリッサに拘っていたのか、今回の会議で思い知らされた。今までは国王や王子を相手に好き放題できていたのに、クラリッサ王女が出てきた途端に、散々ルリタニア側が譲る事になってしまった。
 ――厄介な。……いや、頼もしい人物が現れたというべきなのか?
 ロパートがそんな感想を持っているのを分かっているようにロデリックはにやりと笑う。その笑顔が少し癪に障る。

 ともかくくたくたに疲れきった会議が終わり、ロパート達は部屋に戻って休む事になった。
 首都ノエルのローラン城では大半の者が疲れ果て、ベットに入るなり夢も見ずに眠りに落ちた。
 夜も更けた。
 月明かりは雲に覆われ深い闇に閉ざされている。城の地下牢に閉じ込められていたタンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵は仮面舞踏会の事件の後、ノエル王国に逃げ込んでいたアラン・ド・ベルレアン子爵の手引きによって脱獄を果たした。

「――ベルレアン子爵」
「ヴァイトリング子爵。無事でよかった」

 かなりやつれた顔なのに目の色だけがギラギラと輝いているアラン・ド・ベルレアン子爵を見た瞬間にヴァイトリング子爵はこいつをうまく利用してやろうと考える。
 現状に不満を持っているアラン・ド・ベルレアン子爵はその境遇の大半を他者に原因があると考えていた。特にあきの事が気に入らない。神聖魔法が使えるから『聖女』だと呼ばれているだけの癖にいい気になっている女。そんな女にしてやられた事が気に入らない。だからあきに復讐するつもりだ。
 アラン・ド・ベルレアン子爵はヴァイトリング子爵にそう熱っぽく言い募った。
 自分以外の者は全て愚か者に見えているのだ。その考え方こそが不幸の原因だとは思ってもいないらしい。

「まず、クラリッサ王女殿下の身柄を手に入れる必要がある。おそらく今頃寝室で眠っている筈だ」
「よかろう。攫ってこよう。それでどこへ連れて行くのだ?」
「この城の地下にかつて、初代女帝が使っていた儀式用の部屋がある。そこへ連れて来るんだ」

 ヴァイトリング子爵はベルレアン子爵を連れて地下室の廊下を歩いてその部屋の前にまでやってきた。
 その部屋は洞窟を平らにしただけの部屋であった。床は平らであったが、壁は岩がそのまま残っている。天井も岩肌が剥き出しになっている。

「これが、初代女帝の部屋……なのか?」
「そうだ。ここが初代女帝が儀式に使用したという部屋だ。こここそが初代女帝の力の源だ」

 ヴァイトリング子爵はローラン城に出入りするようになってから、この城の構造を調べ上げて、この部屋の存在に気づいた。部屋そのものは秘密ではなかった。だが、誰もこの部屋が何に使われていたのかまでは知らないようだった。
 ロデリックやアリステリアでさえ。この部屋には注意を払ってはいなかったのだ。
 愚か者め。ヴァイトリング子爵も心の中でそう吐き捨てた。
 ――ここから、カプールの栄光が再び始まるのだ!
 ヴァイトリング子爵は笑いを押し殺す事ができずに大声で笑っている。ベルレアン子爵はヴァイトリング子爵の目の中に狂気の輝きを見た。

「カプールの栄光」

 その言葉がベルレアン子爵には甘美なものに聞こえてくる。再び大陸を統一し、自分が大貴族として君臨する場面を想像して興奮していた。
 ベルレアン子爵はヴァイトリング子爵の指示に従いクラリッサを攫う為に地下室から城へと向かっていった。

 地下に1人残ったヴァイトリング子爵は部屋の中で儀式の準備を始める。大体の道具や触媒などは、既に用意されていた。出番を待っている。足りないものなども塔の中からロデリックやアリステリアの物を盗み出していた。
 最初に調べた時にはこの部屋が何を目的に作られたのか分からなかったが、牢に閉じ込められる前、コーデリアやロデリック達の話によって想像ができた。
 しかしアデリーヌとシャルルが入れ替わっていたとは考えもしなかった。話を聞いた途端に、全ての記号が嵌った。
 ロデリックは部屋の中に隠されていたアンゲローナの像を設置すると魔方陣を起動させていく。
 部屋の中に赤黒い光が現れる。ヴァイトリング子爵は光に触れないように部屋の隅、入り口近くに下がっていった。

 ベルレアン子爵が部屋から出て行ってから一時間ほどが経つ。扉の向こうから男の足音が聞こえだした。ヴァイトリング子爵はそっと影に隠れると様子を窺う。扉を開けて現れたのはベルレアン子爵であった。
 うまく攫ってきたようだ。もっともロデリックは塔に篭もっているし、ルパートやロパートなどは疲れ果てて部屋で眠っている。他にはコーデリアやアリステリアなど主だった魔術師、錬金術師達もいないのだ。この条件で攫って来れないほど無能ではなかったらしい。

「――ヴァイトリング子爵。連れてきましたぞ」
「おお、さすがはベルレアン子爵だ。流石よのう」

 ヴァイトリング子爵は白々しいほどベルレアン子爵を褒め称えた。ベルレアン子爵は鼻を高くして賛辞を受け取っている。

「では、クラリッサ王女殿下を、魔方陣へとお連れ下され。この役目は偉大なるカプールの栄光への第一歩となる役目ですぞ」
「うむ。さようか。確かに王女を導くのはこのアラン・ド・ベルレアンをおいて他にはなかろう」

 ベルレアン子爵が魔方陣へと近づいていく。赤黒い光に触れる。光はベルレアン子爵を絡めとって魔方陣の中へと連れ込んでいった。中に完全に入り込む。魔方陣から放たれている光は半円のドームのようになってクラリッサとベルレアン子爵を閉じ込めてしまう。
 赤黒い光の中は見通せないほど暗く。また中から骨の砕ける音に混じって、肉の引きちぎられる音がしていた。

「――愚か者め。アンゲローナは冥界の女神。その儀式においては生贄が必要なのだ。ベルレアン子爵。貴公には生贄になってもらおう」

 タンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵は半円のドームを見つめながら哄笑する。腹の底から笑いがこみ上げてくるようであった。
 

 
 クラリッサは夢の中で、何者かが自分を呼ぶ声が聞こえていた。そして狂おしいほどの消失感が全身を心に襲い掛かる。それはクラリッサが今までにもなんとなく感じていたものであり、アデリーヌと出会ってからは感じる事のなかったものである。
 夢の中でアデリーヌはあきと仲良く遊んでいる。
 楽しそうに。笑顔を見せて。
 クラリッサはアデリーヌを呼ぶが届かない。
 アデリーヌとあきが遠ざかっていく。
 2人は笑顔で、お互いに見つめあい。楽しそうにしている。そこにコーデリアやタルコットなどもいる。ロデリックにアリステリアまでアデリーヌと笑いあっていた。
 ただ、クラリッサだけが取り残されていく。
 腕を伸ばす。駆け出す。しかし遠く離れている距離が縮まらなくて、クラリッサは取り残され、闇の中で1人きりになってしまう。
 へたり込み。両手で顔を覆って泣き出した。
 あきがアデリーヌを呼ぶ。アデリーヌは笑顔で答える。

 ――あの女がお前とアデリーヌを引き裂こうとしているのだ。

 クラリッサの耳元で何かが囁く。クラリッサはあきが自分を睨みつけてきた事を思い出した。
 そして2人で消えた事も。
 アリステリアがアデリーヌを迎えに行っている。
 今、アデリーヌとあきは2人っきりでいるのだろう。クラリッサの中で嫉妬心が湧き上がって来る。

 ――許せないだろう。

「許せない」

 クラリッサは自分からアデリーヌを奪おうとするあきに対する憎悪に心を塗りつぶされていった。
 アデリーヌを失い後悔し続けてきたシャルルの心とアデリーヌを奪われそうなクラリッサの心が重なっていく。嫉妬と憎悪。この二つが重なり、気づかないうちにアンゲローナの支配を受け入れてしまっていた。



 光の半円が収まり、魔方陣の中が見通せるようになった。
 そこにはクラリッサが……いや。シャルルが立っている。シャルルは軽く上を向き、アンゲローナに対する祈りを捧げる。冥界の女神アンゲローナの神聖魔法の力が地下室の中に満ちる。

「――古の盟約に基き、ドラゴン達よ。魔物達よ。我が命に応えよ」

 地下室に満ちた力が空へと舞い上がり、空一面に広がっていった。
 クラリッサ――シャルルがタンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵を振り返る。子爵は膝をつき、恭順を示す。

「――我が宝物を手に入れてくるがいい」
「宝物ですか?」
「そうだ。ルリタニアを示す剣。ザクセンを現す杖。カルクスの首飾り。そして……ノエルの髪飾り。このうち3つはこの城の中にある。そして……残りの1つは、あの女が持っている」
「あの女……『聖女』」
「二度と、私の前であの女の事を『聖女』と呼ぶな!」

 クラリッサから放たれる憎悪に子爵の体が震える。圧倒的な力を前にして子爵は全身が凍りつく思いだった。
 ……まさか、これほどの憎悪を押し殺していたのか? それともアンゲローナに乗っ取られてしまったのか? 私はまた、失敗したのだろうか……。
 子爵は背筋に冷たい汗が流れていくのを感じていた。がくがく震える膝で何とか立ち上がる。そうして逃げるように部屋から出て行った。廊下を走り、地上へと向かいながら子爵はため息をつく。
 後悔の念が首を持ち上げている。それでも初代女帝の宝物を手に入れるために走っていた。

「宝のある場所は……やはり宝物殿だろうな」

 子爵は宝物殿へと向かう。宝物殿の前には衛士が2人見張りをしていたが、子爵が現れると気さくに声を掛けてきた。
 どうやら、私の事は彼らにまで伝わっていないのか? 子爵はそう考えて衛士達に声を返しながら近づいていった。

「こんな遅くにどうしたんですか?」
「いや。クラリッサ王女殿下に剣と杖と髪飾りを取ってきて。と頼まれてな」
「……そうですか? いつもならロデリックさんが来るのですが?」
「ああ、私もそう行ったのだが、いいからとって来い。と言われてな。私が来たのだ」
「あははは。困ったものですよね~」
「そういう訳で、頼む」
「はい。いいですよ」

 衛士達は宝物殿の扉を開けると子爵と共に中に入る。
 宝物殿の中に入ると色々と入り混じっていて何がなんだか分からない状態である。

「なあ、ルリタニアの剣ってどれだ? あとノエルの髪飾りと、ザクセンの杖も」
「えーっと、剣はこれですね」

 衛士がひょいっと一本の剣を差し出してくる。それは実用には向かない儀礼用の剣であった。柄と鞘に沢山の宝石が散りばめられているが、魔術的には特に何ということもないような品である。ザクセンの杖も同じである。ノエルの首飾りも綺麗ではあるが特にどうと言う事も無い。
 3つの宝物を手にしてその場を立ち去る。
 子爵はなぜこれを手に入れて来い。とシャルルが言うのか分からなかった。

「後1つは、『聖女』が、あきが持っているか……」

 それを奪うのは簡単な事ではないな。子爵はそう思って身震いをする。
 一旦、シャルルの元へと戻る。3つの宝物を差し出す。シャルルは髪飾りを身につけ、剣と杖を持った。部屋の中に満ちているアンゲローナの力が震えて、点滅を繰り返していく。

「クラリッサ王女殿下。これは一体?」
「これは盟約の証だ。ドラゴンや魔物のな」
「盟約の証……」

 その言葉に答えるかのように力が脈動を繰り返す。
 再び、子爵の背中に冷たいものが走った。




 あき達は首都ノエルに帰る途中で、野営をしていた。
 エステルの体を風除け代わりにして、火を消さないように交代で見張りをしている。そんな中、エステルだけが気楽といってもいいほどの態度で眠りに落ちていた。

「まったく、エステルは気楽でいいのじゃ」
「まあ、ドラゴンやからな。襲われる事の無いし、こんなもんやろ」
「確かに、ドラゴンに襲い掛かるような豪胆な魔物はいないのじゃ」
「人間ぐらいやな。昔の伝説にもあるわ。竜殺しの英雄いうんが」

 コーデリアとタルコットが見張りをしながら話をしている。エステルの耳がピクッと動く。コーデリアとタルコットはエステルが自分達の話に反応したのかと思い。黙って様子を窺う。
 エステルは首を持ち上げて空を見上げた。目をごしごし擦る。

「大変なのー。ドラゴン達が集まってくるのー」

 エステルが大声で騒ぎだした。エステルの下で眠っていたあき達は何事かと起きだした。

「なんやなんや。エステル。どうしたんや」
「あのね。ドラゴン達が向こうの方へ向かっているのよ」
「――向こうの方?」

 あき達はエステルが示した方角を見る。向こうの方とは首都ノエルの方角である。
 アデリーヌを除く全員が首を捻る。

「どういう事や?」
「ドラゴンが集まっていくとはどうしたんじゃろう」
「ねえ、エステル。ドラゴン達が集まりそうな事があるのかな?」
「うーんとね。なんだか無理矢理呼び出されているみたいなのー。お父さんとお母さんもいるのー」

 コーデリアの頬に汗が伝う。タルコットは鳥肌の立っている二の腕を擦りだした。ラッセンディルは眉間に皺を寄せて考え込む。

「エステル。向こうの方角にドラゴン達が集まっているのじゃな」
「そうなのー」
「わらわ達も急ぐのじゃ」
「なんや嫌な予感がするわ」
「俺も嫌な予感がしているぞ」
「行こう」

 あき達は素早く火を消すとエステルのかごに乗り込んで首都ノエルへと向かう。
 空の上から地上を見下ろすとあちこちの方角から魔物たちがノエルへと向かって走っている。ミノタウロス。スキュラ。グリフォン。ワイバーン。その他にも空から陸から川から湖から山からも魔物たちの群れが首都ノエルへと向かっているのが見える。

「一体どうなっておるのじゃ」
「分からんわ」
「尋常な事ではない……な」
「間に合うと良いんだけど……」
「まあ、ルパートやロパートもおるし、ロデリックもおるから城の方は無事かもしれんが、首都の街が心配やな」
「そうだよね……」
「ここで心配しているより、とにかく急ぐしかないのじゃ」
「エステル。お願いね」
「うん。急ぐのー」

 東のザクセンの方角から陽が昇り始める。
 そして夜が白み始めた。夜が明ける。少し蒼くもある空をドラゴンが群れをなして飛んでいく。
 地上には魔物達の群れ。
 明日――いえ。もう今日はとてもとても大変な日になりそう。
 そう。アデリーヌと共に元の世界に飛ばされてしまったときの様に。

 首都ノエルが遠くに見えてきた。
 ドラゴンのブレスが街を焼いている。真っ赤に燃える。悲鳴がここまで聞こえてくるような気がする。
 エステルの耳には悲鳴が聞こえているのだろうか?
 コーデリアは真っ直ぐ前を睨みつけている。
 タルコットは目を凝らし街の様子を見ようとしている。
 フリッツは目を瞑って考え込んでいる。
 アデリーヌはまだ眠りの中にいる。わたしは燃え上がっている街の下で亡くなっていく人たちの為に祈る事しかできなくて、唇を噛み締めていた。



[12791] 第53話 「灼熱の都 聖女の旗の下に」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/03/21 12:09

 第53話 「灼熱の都 聖女の旗の下に」


 “それ”に気づいた者はそれほど多くはなかった。
 酒場の前で酔っぱらっていた男は何気なく上を見た。
 首都の街を巡回していた騎士は音を聞いた。
 娼婦は宿の窓を閉めようとしていた。

 ノエル王国、首都ノエル。
 その夜、ノエルの頭上に10数頭のドラゴンが集まってきた。
 多くの者がその事に気づいたのはドラゴンのブレスが建物に叩きつけられた瞬間だった。
 10数頭に及ぶドラゴンのブレスが一斉に街に襲い掛かる。
 最初の攻撃によって街の大半が燃やされた。その後を追うようにドラゴン達の羽ばたきによって、風が巻き起こり、風は火を煽る。
 眠りに落ちていた街は一瞬にして炎に包まれていく。

「なんで、ドラゴンが襲ってくるんだ?」

 酒場を燃やされた店主は呆然と夜空を見上げた。燃えさかる店の中から逃げ遅れた客の悲鳴が聞こえている。店主はその悲鳴を聞こえない振りをして街の外へと逃げ出す。
 大通りには逃げようとしている人々の群れでごった返し、馬車につながれた馬は炎を恐れて恐慌状態に陥っていた。
 後ろから逃げてくる人々に押し潰され、踏みつけられた人間が足元で悲鳴を上げる。だがその声に耳を傾けるものはいない。

 逃げ惑う人々の群れを掻き分けるように流れに逆らい。急いで飛行船に向かう者たちもいる。
 ロパートとルパートである。ロパートは王城からドラゴンの攻撃を見ていち早く城を飛び出し飛行船のところへと走っていた。

「なぜ、ドラゴンが……」

 呆然とルパートが呟く。それは酒場の店主が呟いた言葉と同じであった。
 城の中では騎士団が街の住民を逃がすために城を飛び出しかけていたが、命令を下す者がいないために無駄に城の中に留まざるを得なかった。
 騎士団の団長が国王からの命令を貰う為に王の間に駆け込んだが、国王は呆然としたままで、身動き1つしなかった。
 団長は急いで、王子の下へも部下を走らせる。王子もまた同じように固まっている。王妃や王太子妃は体を小さくして怯えているだけであった。

「くそっ! クラリッサ王女殿下に命令をいただいて来い!」

 団長の表情が曇る。結局、こんな時にはクラリッサ王女殿下に頼らなくてはならなくなるのだ。身動きしない国王を見ながら団長はクラリッサ王女の事を考えていた。
 クラリッサ・ノエル第一王女殿下――。
 ノエル王国にあって実力はあっても国民の人気は低く。国王や王子からも嫌われている王女。ノエル王国の経済、流通、軍事に一々口を出してくる。そのために騎士団からも大臣クラスからも嫌われているが、王女がいなければとっくにノエル王国は潰れてしまっていたかもしれない。その事に気づいてはいるものの王女が口を挟んでくる事に対して、反射的に嫌ってしまう者も多い。結局のところ女が政治に口を挟む事に対して反感を抱いてしまうのだ……。

「クラリッサ王女殿下がどこにも見当たりません!」

 考え込んでいた団長の下に部下が息を切らせて走ってくる。

「おらん訳無かろうが!」
「それが……何者かの手によって部屋の中が荒らされております」
「な……んだと……」

 団長は目の前が真っ暗になったように感じた。
 この最悪とも思える状況において、国王は呆然とするばかり。その上、頼りのなりそうな王女は行方不明。目をぎゅっと瞑ってしばらくそのままでいた団長はカッと目を見開く。

「騎士団は団を2つに分けて片方は街の者の避難を優先させろ。もう片方はドラゴンを迎撃させるんだ。それから各騎士団から数名ずつ伝令として北の塔に向かわせて、協力を要請するんだ」

 団長は国王の命を待たずに自らの権限で命令を下した。団長の命令によって城の中で待機していた騎士たちが飛び出していく。
 城の中にいた騎士達は悉く出て行ったために城の中に騎士の姿はなくなってしまった。


 飛行船にたどり着いたロパートは急いで船を飛ばすように命じる。
 高く空を飛んでいるドラゴンに地上からの攻撃は届かない。同じように空から攻撃しなければならない。
 ロパートの命令で飛行船の中はまるで……いや。まさしく戦場と化す。船にいた船乗り達は忙しく作業をしている。ルパートは甲板の上で、大砲に込める魔法を構築していた。
 ――あたしより、ラッセンディルの魔法の方が威力があるんだけどね……。無いよりマシよ。
 次々と魔法が封じられた大砲の弾が作られ、並べられていった。

「船を飛ばすぞ!」

 ロパートの声が船の中に響き渡る。船乗り達が急いで船の中に入った。
 船の下に魔方陣が現れて、船が浮き上がる。それから急速に高度を上げていく。船乗り達は床に蹲るように耐えていた。
 船が浮き上がるのとほぼ同時にドラゴンの第2陣が現れる。
 ドラゴンはどこからともなく連れてきたモンスターを王城へと落としていく。
 王城の中にモンスターの群れが放たれる。手当たり次第に城の中にいる女官達や事務官などに襲い掛かり、殺戮していった。
 騎士団の存在が無くなった城の中ではモンスターの群れを押し返すほどの武力はなく。ただただ一方的な虐殺が行われていた。


 ロデリックは塔から出てくると、急いでクラリッサの下へと向かう。
 ――他の王族が死に絶えてもクラリッサのみ生き残っていてくれれば、ノエル王国は大丈夫だ。我ながら酷い考えだと思うが、役に立たん王族など邪魔になるだけだ。
 ロデリックは城の中で暴れているモンスターの群れから身を隠しつつクラリッサの下へと走っている。
 いくつかの廊下を走る。そして角を曲がった先に、タンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵がいた。

「――ヴァイトリング」
「ロデリックか……」
「お主、どうやって牢から抜け出した?」

 ロデリックは警戒しながら話しかける。肩を竦めたヴァイトリング子爵はアラン・ド・ベルレアン子爵が助けてくれたのさ。と言った。

「アラン・ド・ベルレアン子爵?」
「元はカルクスの子爵家の者だ。聖女たちに酷い目に遭わされて恨んでいたそうだ」

 恨んでいた。――過去形か?

「そいつをどうした?」
「生贄になってもらった」

 ヴァイトリング子爵は薄っすらと哂いながらロデリックを見つめる。その表情は小馬鹿にしているようでもあり疲れているようにも見えた。ロデリックはそんなヴァイトリング子爵の態度に不審を抱く。

「……お主、何をした!」
「クラリッサ王女殿下にシャルルを呼び出す為の儀式を行った。ただ……それだけだった」
「それだけだった?」
「ああ、私はクラリッサ王女殿下にシャルルの魂を呼び出す事によって、初代女帝に降臨していただこうと考えていただけだったんだ」
「――まさか……これは? この状況は……」

 ロデリックは城の惨状を見回す。あちらこちらにモンスターによって殺された死体が転がっている。

「初代女帝が古の盟約によってドラゴン達を呼び出してやらせているのだ」

 ヴァイトリング子爵も周囲を見回しながら言う。そのうち壁際に凭れかかるように倒れている女官の死体に目を留める。痛ましいものを見るかのように眉を顰めた。

「なぜ、初代女帝がこの様な事をするのか……」
「アデリーヌが原因だろうよ。こんなにもアデリーヌに執着していたとは思わなかった……」
「アデリーヌか……」
「そうだ! アデリーヌだ! アデリーヌアデリーヌ……。アデリーヌのいない世界など滅んでも構わないのだ! 初代女帝にとってはな」
「……何を怒っておる。お主が引き起こした事だろう!」
「初代女帝ともあろう者が、たった一人の女にこれほどまでに執着している。その事が腹立たしいのだ。かつて初代女帝はローデシア大陸中を相手に戦ったのだぞ。その原因がたった一人の女だったとは……その上、自らの領土をドラゴンに攻撃させるとはな……」

 狂ったように吠え立てていたヴァイトリング子爵はがっくりしてその場に座り込んでしまった。ロデリックはそんなヴァイトリング子爵を見下ろして、静かに問いかける。

「お主、何がしたかったんだ?」
「――私は貴族に戻りたかった……自称子爵ではなく。れっきとしたな」
「その事なら、クラリッサ王女殿下が即位すれば叶ったはずだ。ノエル王国の子爵としてな。……いやもしかすると子爵以上の位ももらえただろうに」
「違う。私はノエルの貴族になりたかったのではない! カプールの貴族に戻りたかったのだ」
「お主が初代女帝に執着していたのはそのためだったのか」
「そうだ。しかしその事はもう叶わないだろう。初代女帝は自らの王国を攻撃させた。これではカプール帝国再興などできるものではない」

 ロデリックが見つめている。ヴァイトリング子爵は諦めきったような顔で俯いている。初代女帝が復活すれば、ノエル王国にいる不平分子を一掃して、他の国々をもその支配下に置く事もできるだろう。と考えていたヴァイトリング子爵はドラゴンがノエルの街を攻撃した瞬間、絶望に心を塗りつぶされてしまっていた。大陸中のドラゴンを支配下に収めた軍事力による恫喝なら兎も角、自国を攻撃するとは考えてもいなかったのだった。そのヴァイトリング子爵の背後にミノタウロスが近づき、ハンマーを振り上げた。

「――逃げよ。ヴァイトリング子爵!」
「もういいのだ」

 ヴァイトリング子爵はロデリックに向かってにっこり笑う。そうしてミノタウロスのハンマーがヴァイトリング子爵に叩きつけられ、叩き潰してしまった。

 ――ミノタウロスがロデリックの方を向く。

「――残念ながらわしもまだ、死ぬわけにはいかんのだ。許せよ」

 ロデリックが構築していく魔法が空中に現れる。魔法は光の槍となって襲い掛かってくるミノタウロスを貫き、その肉体を引き千切っていった。ロデリックはミノタウロスの横を通り過ぎて先を急ぐ。
 廊下を走ってさらに角を曲がって、大広間へと出る。

「きゃあ~」
「誰か助けて!」

 逃げ遅れている女官達がモンスター達に追われ逃げ惑っていた。
 ロデリックはチラッと先の廊下を見たが、諦めたように首を振ると女官達を追うモンスター達の前に立ちふさがる。

「老い先短いわしは兎も角、まだ若い女官達はクラリッサ王女殿下の役に立ってもらわねばならん。こんな所で死なせる訳にはいかぬ」

 ロデリックはそうモンスター達に向かって言う。そして女官達に逃げるように言い。襲い来るモンスターを相手取って戦い始めた。




 空中で戦っているロパートの飛行船はドラゴンに囲まれていた。
 甲板で船乗り達が大砲に魔法の弾を込めて撃ちつけている。しかしドラゴンにはそれほどダメージがあるようには見えない。ブレスが襲い掛かる。その度に甲板にいる船乗り達はその身を焼かれ、一人また1人と死んでいった。

「でかい図体には弾は効かんようだ。口の中を狙え!」

 ハンスが大砲に弾を込める船乗りに指示していた。ハンスもまた、ドラゴンのブレスによって足を焼かれて炭と化していた。それでも自らの体をマストに括りつけて持ち場を離れようとはしなかった。

 ノエルの街はドラゴン達によって攻撃され燃えている。その様子を見ているハンスはギリッと歯を噛み締める。
 他所の国だと思うが、こんな風になると腹が立つ。聖女がいなくて幸いだったのか? それとも不幸だったのか? 聖女がこの場にいたらどうしていたろう……。ハンスはふとそんな事を思う。

「くそったれ。喰らいやがれ!」

 ブレスを吐こうと真正面に近づいてくるドラゴンを引き付けられるだけ引きつけていた船乗り達は大砲をドラゴンの口の中に放つ。口から体内に魔法の矢を放たれたドラゴンの一匹が体勢を崩して墜落していった。

「ざまあみろ!」

 そういう船乗り達を別のドラゴンが怒り狂ったように襲い掛かってきた。

「この船なら、逃げ切れたかもな~」
「ノエル王国を見捨ててか?」
「そういう訳にはいかんか?」
「そうだろうな……」

 ドラゴンのブレスが襲い掛かってくる瞬間、彼らはそんな事を言い合っていた。ブレスが船乗り達に襲い掛かり炎によって燃やされた船乗り達は炭となって風に吹き飛ばされていった。

 


 街中では騎士団が住民を避難させるのに忙しく動いていた。上空からはドラゴンが地上ではモンスターが襲い掛かってくる。3人一組となってモンスターに挑みかかりなんとか追い返してはいるが、数が多い。

「どうなっているんだ!」
「無駄口叩くな!」

 逃げ惑う住民達は怯えきってどこに逃げたらいいのか分からずにいた。



 北の塔では塔に所属している全ての魔術師、錬金術師を総動員して迎撃に向かわせていたが、上空を飛びまわっているドラゴンに対して有効な攻撃など無く。手を拱いていた。
 魔術師達は街中に散らばり、モンスターを蹴散らせていっていた。無論、ノエルにいる冒険者と呼ばれる者達もモンスターを相手に戦っている。
 しかし……やはり、ドラゴンにはどうしようもなかった。
 戦っている者達の心の中にも絶望的な感情が湧き出てきた。

「もうやめるのー!」

 上空から何者かが大声で叫んでいる声が地上にまで伝わってきた。地上で戦っている者達の中には空を見上げる者もいた。彼らは空を飛び、ノエルへと向かってくる一匹のドラゴンの姿を見た。集まっていたドラゴン達よりも小さく。首元には大きなかごが取り付けられている。
 かたまっているドラゴン達はその小さなドラゴンに道を譲るように離れていく。
 飛行船の上で止まったドラゴンのかごから数名の男女が飛行船に降りる。

「もうやめてなのー」

 泣き出しそうな声で小さなドラゴンは周囲にいる大きなドラゴン達に訴える。

「エステル。我らは古の盟約によって縛られている。やめる訳にはいかんのだ」
「誰と約束してるのー?」
「――アデリーヌ。1000年も昔に我らはアデリーヌと約束を交わしシャルルに従っている」

 ドラゴンの言葉に船に降り立った時から船乗り達を治療していたあきが反応する。

「……アデリーヌがこんな事をしろっていったの?」

 あきは船の先端に近づくとドラゴン達に向かっていった。その顔はもの凄く怒っている。今まで見た事が無いくらいに怒っていた。
 その迫力に押されたのか、ドラゴンがあきに向かって話し出す。

「そ、そうだ。我らはかつてアデリーヌに頼まれたのだ」
「もう一度。聞くよ。アデリーヌがこんな事をしろって言ったの?」
「くどい!」
「わたしが! アデリーヌだよ。アデリーヌはそんな事言わなかった! ただ襲ってきた敵から守ってっと頼んだだけなのに!」
「攻撃こそ。最大の防御だ」
「――まて、君は何者だ?」

 あきに向かって大きな口を開いて威嚇してくるドラゴンの背後から別のドラゴンが問いかけてきた。

「香月あき――アデリーヌの生まれ変わり」
「――アデリーヌの……」

 問いかけてきたドラゴンはあきをじっと見つめる。その目は何かを見通そうとするかのようであり、あきはそのドラゴンの正面に立って視線を受け止めていた。

「証拠はない。……しかしアデリーヌを名乗るとは許せん」

 あきは視線を受け止めながらも、女神コルデリアに祈った。睨み合いを続けているうちに女神があきとドラゴンにその言葉を伝えた。

 ――彼の者はアデリーヌの生まれ変わりなり。

 女神の言葉を直接聞かされたドラゴン達に動揺が広がっていく。いや、それ以上にアデリーヌの生まれ変わりが目の前に立っていることに動揺していたのかもしれない。

「やめてよー」

 いつの間にか、あきのそばにやってきていたアデリーヌがドラゴン達に訴える。ドラゴン達はあきとアデリーヌを見比べて首を捻っている。

「どちらもアデリーヌなのか?」
「そうなるのかな~。わたしが生まれ変わりで、この子はアデリーヌの魂を召喚された『ホモンクルス』だよ」
「――そうか、我らはアデリーヌに頼まれ、シャルルの命に従っている。いかにアデリーヌがやめろといおうともシャルルがそれを認めまい」
「――シャルル……クラリッサ王女がこんな事をさせているの……」

 あきは呆然としてしまう。まさか、クラリッサ王女が? ほんの少ししか話をしなかったけど、こんな事をするとは思えない。何があったんだろうかと考え込んでしまった。

「クラリッサを止めなきゃ!」

 あきはそう言うとドラゴン達に向き直る。飛行船の周囲に集まっているドラゴン達を見た。

「やめてって言ってもやめられないんだよね?」
「そうだ」
「じゃあ、わたし達は全力で抵抗する。そしてクラリッサ――シャルルを止めてみせる」
「我らは古の盟約に従い戦うぞ」
「必ずとめてみせるから」

 あきが言うと、ドラゴン達は一斉に散っていく。そして再び、攻撃が始まった。
 あきはルパートやコーデリア達に向き直ると、クラリッサを止める為に王城へと向かうと告げた。

「あきだけでは危険なのじゃ」
「アデリーヌも一緒だよ」
「なお危険じゃ!」
「ちょっと待っとき!」

 タルコットがあきを引きとめ、コーデリア達とひそひそと話し合う。

「止めても引き下がらんで!」
「では、誰を一緒に行かせるのじゃ?」
「最大の戦力を投入する必要があるわね」
「となるとや……」

 コーデリア達の視線がラッセンディルに集中した。ラッセンディルはすでにあきの傍につきながら、大砲の弾に魔法を封じていた。アリステリアもまた、大砲の弾に魔法を封じていた。コーデリア達が話し合っている間に、何発もの弾が並べられていく。それはルパートの封じた魔法よりも威力が大きいと思われるほど、輝いている。ラッセンディルはあきを守るために覚悟を決めていた。

「……あき。お前は俺が守る。いや、守らせてくれ」
「……フリッツにはここで、大砲の弾を作っていて欲しいんだけど」
「あきとアデリーヌだけではクラリッサの下まで行き着けないかも知れない」
「大丈夫。必ずたどり着いてみせる!」

 こうしてあきとアデリーヌにラッセンディルを加えたメンバーが王城へと向かう事になった。
 エステルのかごに乗ったあき達が王城へと向かう。コーデリアとタルコットも地上へと向かった。船にはルパートとアリステリアが残る。

「アリステリア。大砲の弾は頼んだわよ」
「任せな。ラッセンディルほどじゃなくてもあんたよりはマシだよ」
「期待してるわ」

 ルパートは船の中へと入っていった。ロパートの手伝いをするためにであった。船の中も外と変わらず戦場である。ドラゴン達の攻撃により、どこの部署も人手が足りないのだ。
 ルパートから話を聞かされたロパートは手元にある伝令管を通じて、マストに女神コルデリアの旗を立てさせた。そして地上に向けて、聖女の旗の下に戦おう。と伝えていく。

 地上で戦っている騎士や冒険者達は、『聖女』の旗の下にという言葉を聞いて、呆気に取られる。

「『聖女』って誰の事だ?」
「噂に聞くコルデリアの愛娘ってやつだろうな」
「ノエルに来てるってのは聞いてたからな」
「ふん。『聖女』様が俺たちを助けてくれるってのかよ」
「分からん。分からんが噂じゃかなりの治癒魔法の使い手らしいからな。少しは期待できる」
「はっ。どうだか……」

 口々に言い合いながらもそれでも少しは纏まりができてきた。
 『聖女』の旗の下にと言う言葉は、せいぜい人を繋げる作用ぐらいしかないが、別々に戦うよりはまだマシな状況にはなるだろう。本来ならノエル王国の王族を偶像として掲げるべきなのだろう。しかし国王は姿を見せず、他の王族の姿も見えない以上他から偶像を引っ張ってくるのなら、『聖女』よりふさわしい偶像はここには無い。
 兎にも角にも『聖女』の名の下に一致団結せよ。個々別々に戦って勝てる相手ではないのだから……。ロパートはそう訴えていった。
 ロパートの訴えに騎士団の団長が食いつく。
 国王も王子も怯えてしまい動けずにいるところを見ていた。聖女であれなんであれ、動揺している騎士団を纏める事ができるのなら藁にも縋りたい心境であった。

「ノエル騎士団は聖女の下に集う。皆の者、女神コルデリアの聖女の名の下に集え!」

 団長は伝令を出して、別々に戦っている騎士達にその事を伝えさせる。この瞬間、王の命令も無いままに勝手に戦い始めた騎士達は聖女。女神の命に従っているという大義名分を手に入れたのだった。
 結局のところ、聖女の名はそれ自体の意味よりも利用される事によって作り出されていくものなのかもしれない。




 あき達はエステルに乗って王城へと辿りつく。不思議な事にドラゴン達の攻撃は無かった。すれ違うときも道を譲る事すらあったのだ。あきはドラゴン達も戦いたくは無いのだろうと、そう考えた。
 だからこそ急いでクラリッサのところへと向かわねばならない。
 あき達は王城の門をくぐる。城の中は死に掛けている人々で溢れ返っている。

「……出来るだけ助けたい」

 あきは彼らに治癒魔法を飛ばして治していく。一度に10数名の人間達が治癒魔法を掛けられて、傷が癒されていった。
 あきが通り過ぎた後には、神聖魔法によって癒された人々の群れが立ち上がっていく。
 それはまさしく奇跡の名にふさわしい光景だった。
 ラッセンディルはあきとアデリーヌの前を進みながら、襲い掛かるモンスターを打ち倒していく。東の塔出身の大魔術師にふさわしい魔力であり、魔法である。
 あきはラッセンディルの魔法を目の当たりにして、今更ながらその魔力に驚かされていた。

「ここまで凄かったんだ……」

 普段の姿からは想像も出来ないほどの魔法の構築の早さと完成度の高さである。
 一度に複数の……10匹ぐらい纏めて吹き飛ばしてしまう。炎の魔法は廊下を巻き込むように走っていった。もしかすると王城ぐらいは一気に燃やせそうにも思えた。雷撃はコーデリアよりも強く大きいし、遠くの距離にまで突き抜ける。

 城の大広間に辿りつく。大広間ではロデリックが息も絶え絶えになりながらも女官達を守って戦っていた。

「ロデリックを助けて!」
「任せておけ」

 ラッセンディルの魔法の矢がモンスターを突き抜ける。腹に大きな穴が開いたモンスター達はその場に崩れる。

「ロデリック」

 あきはロデリックに駆け寄り治癒魔法で傷を癒す。ついでに女官の怪我も治しておいた。

「……あき嬢にラッセンディルか……」
「クラリッサはどこだ?」
「おそらく、地下だ。……初代女帝が使っていたという場所がある」
「そうか。あんたは女官達を連れて城を出ろ」
「入り口からここまではモンスターはいないと思う。みんなフリッツがやっつけちゃったからね」
「凄かったの」
「……アデリーヌまでいるのか?」
「クラリッサはわたし達がとめるよ」
「頼む。頼むぞ。クラリッサ王女殿下はノエルの希望だ。こんな所で失いたくは無い」

 ロデリックに縋りつかれてしまった。あきはロデリックにしてもアリステリアにしてもクラリッサの為に一生懸命になっているのを感じて、ふとありがたく思う。
 そういえば、シャルルにもこんな風に助けようとする人達がいたなー。そんな事を思い出す。
 ロデリックと別れて、あき達は地下へと向かう。地下への入り口はロングギャラリーにある。ギャラリーは2階なのに地下への入り口があるなんて不思議だと思うけど、初代女帝の趣味だったんだろうか? シャルルにそんな趣味があったなんて……。まだまだ知らないことがたくさんありそうだよ。

 ラッセンディルの先導であきとアデリーヌは手を繋いでロングギャラリーにやってきた。

「フリッツは城の中でモンスターに襲われている人達を助けてあげて」
「しかしあき達だけじゃあ心配だ」

 あきは地下室への入り口を開けるとラッセンディルに言った。ラッセンディルはあきと一緒に行きたがる。

「地下にはモンスターはいないと思う。クラリッサに襲い掛かるとは思えないからね。でも城の中には襲われている人達が大勢いる。だからフリッツはその人達を助けてあげて」
「ううーっ」

 ラッセンディルはあきがそういう以上、無理に押しても譲らないだろうと思う。それでも心配なのは確かで、そのために歯切れが悪くなってしまう。
 あきはラッセンディルに近づくとそっと抱きついた。あきに抱きつかれたラッセンディルは一瞬固まってしまうが、あきの体が微かに震えていることに気づく。しばらくあきは抱きついていたかと思うとラッセンディルから離れて、アデリーヌと手を繋いだ。

「クラリッサはわたしとアデリーヌでなんとかするよ。だからフリッツは城の中のモンスターをまとめて倒したら、迎えに来てね」
「……分かった」

 ラッセンディルは唇を噛み締めていたが、あきの言葉を聞いて来た道を戻っていく。
 あきとアデリーヌはラッセンディルを見送ってから、頷きあう。

「行こうか。クラリッサを助けに」
「うん。クラリッサを助けなくっちゃね」
「アデリーヌはクラリッサの事好き?」
「うん。大好き」
「――そう」

 あきはアデリーヌの言葉を噛み締めるとアデリーヌの手を引いて地下へと降りていった。
 

 



[12791] 最終話 「女王陛下とローデシアの聖女」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/03/21 22:05

 最終話 「女王陛下とローデシアの聖女」

 あきとアデリーヌの2人は王城の地下へと向かっていった。
 クラリッサを止められるのはあの2人をおいて他には無く。またそれが分かるだけに引き止めたくてもできなかった。
 ラッセンディルは王城の中、王の間へと足を進める。もしかしたらまだ、王達が生き残っているかもしれない。儚い望みだとは思うが、確かめる為に急いで向かっている。
 王の間に足を踏み入れた。
 部屋の中では王も王子も王太子妃もすでに殺されてしまっていた。王族を守っていたであろう女官達の死体も床に投げ出されて床一面に血溜まりができていた。

「いや~!」

 王妃の悲鳴が聞こえた。ラッセンディルは素早く視線を声のする方に向ける。
 部屋の隅、壁際で王妃はミノタウロスとオーク達に追い詰められている。他にも部屋の中では王や王子の死体をオーク達が喰らっていた。ミノタウロスが巨大な斧を振り上げた。
 ラッセンディルが呪文を唱える。

「喰らえ。氷の槍!」

 部屋の気温が一気に下がる。
 氷の魔法である。
 床に溢れている血溜まりが槍となって、突き立ち。部屋の中にいた全ての魔物を突き刺し、引き裂いていく。
 部屋のあちこちで血でできた槍が立ち上がり、柱のように突き立っていた。引き裂かれ貫かれた魔物達。その光景を目の当たりにした王妃が、ガクガク身を震わせる。
 ラッセンディルが王妃に近づく。王妃は真っ青に血の気が引き、そのままふらっと気を失ってしまった。

「なんなんだ。折角助けてやったというのに……」

 ラッセンディルは唇を歪めて呟く。
 ――一瞬にして、部屋の中にいた10数匹の魔物を皆殺しにしてしまった魔術師が近づいてくるのだ。そりゃあ怖かろう。魔術師特有の無頓着さからラッセンディルは気づかなかったが、王妃はこれほど圧倒的な攻撃魔法を見たのは初めてだったのであった。
 ロデリックよりもアリステリアよりもラッセンディルの攻撃魔法は遥かに強大である。その事気づいていないのはラッセンディルらしい。もしかするとあきの天然がうつったのかもしれない。

 部屋の中に新たな魔物達が入ろうとして、入り口に姿を現す。

「まったく。次から次へとやってくるな」

 入り口の方を振り返ったラッセンディルは両手を上に掲げて、雷撃の魔法を構築していった。

「そら。雷撃だ!」

 放たれた雷撃は入り口付近で押し合っていた魔物達に当たると触れ合っている魔物達を巻き込み。部屋の壁をぶち抜いて隣の部屋まで突き抜ける。
 魔物達は消し炭となり部屋は破壊されている。しばらくしてやってきた騎士達がその光景を見て、呆然とした。

「王妃は任せた」

 ラッセンディルは騎士にそう言うとさっさと別の場所へと向かう。一刻も早く王城の中にいる魔物を消し去ってあきの下へと行きたいのだ。ラッセンディルは内心、焦っていた。
 騎士達は呆然として見送ったが王妃に気づくと、立ち去っていくラッセンディルに向かって一礼する。
 ラッセンディルはあきとの約束を果たす為に城の中を走り回っては、モンスター達を倒していった。所々で待ち伏せに遭いながら、それでも悉く倒した。いつしかラッセンディルの服はぼろぼろになり、体は傷だらけになっていく。それでも戦いをやめようとはしない。




 タンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵の手によって、クラリッサは初代女帝の中身であるシャルル召喚の受け皿とされてしまった。
 あきとアデリーヌはクラリッサを救うためにノエル王国首都ノエル――ローラン城の地下にある初代女帝が使用していたという部屋へと向かう。地下は薄暗く。じっとりと湿った空気に覆われている。しかし黴臭くも無く空気は清浄であった。1000年も前に作られたはずなのに、さすが当時の東の塔がその技術を結集して作っただけの事はあると思わせる。
 しかし意外な事にここに来るまで、まったくといっていいほど、見張りも番人すら存在していない。
 ラッセンディルにはああ言ったけど、それでも見張りぐらいはいるだろうと思っていた。
 あきはその事に不審を抱く。
 あきとアデリーヌは地下の大広間でクラリッサと会う。クラリッサは部屋の中央で立ち竦んでいる。その周りではいくつかの魔法の光が漂い。火花を散らしている。

「クラリッサ~」

 アデリーヌがクラリッサの元へ駆け出そうとするのをあきが引き止める。

「あき?」
「まって、様子がおかしい」

 あきはアデリーヌを抱き締めながら、クラリッサの様子を窺う。
 ――クラリッサは魔術師でも錬金術師でもなかったはず。それなのにどうして、魔術を使えるの?
 あきは不思議に思う。その上、クラリッサはアデリーヌの声が聞こえていないかのように先ほどから、なにか魔術の儀式に没頭していた。クラリッサの右手には剣が左手には魔法の杖が、頭には首飾りが身に着けられている。
 ――という事は、初代女帝が持っていた品なのだろうか? それにしても子爵はどこにいるの? なぜクラリッサしかいないのだろう?
 次々と疑問が湧き起こってくるが、それに対する答えはない。
 今頃は地上でコーデリア達も古の盟約に縛られたドラゴン達と戦っているのだろうか? 早くなんとかしないと。気持ちは焦っているけど、あきにもどうしていいのか分からなかった。

「クラリッサ!」

 しばし迷っていたあきは結局、自らの存在をクラリッサの前に示す。その後ろにはアデリーヌがいる。
 危険なのは分かっている。でも……クラリッサに儀式をやめさせないともっと被害が大きくなる一方だ。あきはそう考えて賭けに出た。
 そうしてクラリッサの元へアデリーヌと共に駆け出す。
 クラリッサの足元に描かれている魔方陣に足を踏み入れた途端、周囲を漂っていた雷光があきとアデリーヌに襲い掛かる。

「きゃあ~」
「――ツッ!」

 弾かれ、引き飛ばされるあきとアデリーヌ。
 ごろごろと地面の上を転げまわり、あきは雷光から逃げる。魔方陣から離れると雷光は追ってこないようだった。しかしこれでは近づけない。アデリーヌはあきよりも遠いところに飛ばされていた。ぐったりと力なく地面に横たわっている。
 ――もしかして!
 あきの心に最悪の事態が浮かぶ。アデリーヌはあきよりもクラリッサよりも弱いのだ。それは『ホモンクルス』である以上避けられないことではあった。
 地面に釘付けにされながら息を飲む。アデリーヌがけほっと咳をした瞬間、あきはほーっと深くため息をついた。
 魔方陣から這い寄る光があきの体に絡みつく。もがくあきを光は容易く持ち上げ、宙に浮かせてしまう。しかし光はアデリーヌには近寄ろうとはしない。『ホモンクルス』であるアデリーヌでは役に立たないと分かっているかのようだった。
 光があきの心にも侵入してきた。
 脳裏に冥界の女神アンゲローナの意思が這い寄ってくる。

 ――クラリッサはアンゲローナに支配されてしまっているの? どうして!

 今まで初代女帝――シャルルに支配されていたと思っていたのに、どうしてアンゲローナが……?
 あきは心の中で自問する。
 その時、アンゲローナとは別にコルデリアの声が聞こえてきた。
 初代女帝はその一生において、アデリーヌを失った事を後悔し続けてきた。もしできる事ならアデリーヌを復活させたいと願い続けていた。この願いをアンゲローナにつけ入れられたのだろう。
 アンゲローナは冥界の女神。死者を支配する者。
 月の女神アローナの別名にして、銀の月を支配している冥界の女神なのだから……。

「……クラリッサ。目を覚まして」

 宙吊りにされたまま、あきはクラリッサに話しかけた。アンゲローナの意思はあきをも支配しようとしている。それに逆らいつつあきはクラリッサに話しかけ続けた。
 クラリッサがまるで糸の切れた人形のように床に崩れ落ちる。赤黒い光を発している魔方陣はそれ自体が意思を持っているかのようにあきの足元で蠢き、近づいてくる。
 それと共にあきを支配しようとするアンゲローナの意思が強くなる。
 今や、あきの中であきと冥界の女神アンゲローナとの戦いが始まった。
 それは女神同士の葛藤であり、アデリーヌであるあきと初代女帝であるシャルルの戦いでもあった。
 かつてアンゲローナは、この大陸を統一した初代女帝を支配して、己の意思を大陸中に広めようとしていた。今、女神の愛娘。聖女と呼ばれるあきを支配する事で自らの意思を広めようとしている。
 あきは女神コルデリアの名を唱える。
 女神はあきの意思に応えて、アンゲローナに対抗していく。あきとコルデリアの意思が交じり合い。その精神はあきの体を越えて、この地下から上へ地上へと向かう。
 地上ではコーデリア達が戦っているのが見えた。
 空ではエステルが、他のドラゴン達を相手に戦っている。エステルは初代女帝が亡くなってから生まれたドラゴンだ。従って古の盟約に縛られていない。だからこそ他のドラゴンを相手にできるのだろう。だが、まだ幼いエステルが1000年以上も生きてきたドラゴン達を相手に戦うには分が悪すぎる。少しずつ追い詰められていく。

「負けられないの。エステルはあきを助けてあげるのー!」

 エステルの渾身のブレスが古のドラゴンに襲い掛かる。


 あきの中で行われている戦いは地上で戦っている者達にも影響を与えだした。あきの中でアンゲローナの意思が強まれば、魔物たちの力も増す。コルデリアの意思が強まると魔物達は弱まっていった。
 あきは意思を振り絞ってアンゲローナに対抗する。

「――あき!」

 突然、あきの本体。肉体が抱き締められた。あきの意識も肉体に引き戻される。
 抱き締めているのはラッセンディルだった。あきを宙に浮かせていた光の鎖を引きちぎって、ラッセンディルがあきを抱きとめていた。
 フリッツの姿はぼろぼろで、あちらこちらから血を流している。ここに来るまでどれほどの敵と戦ってきたのだろう。血を流しながらもあきに向かって笑いかけるラッセンディルの姿に勇気付けられた。
 視線をずらすとアデリーヌがよろよろと立ち上がってクラリッサに近づいていくのが見える。魔方陣の中に足を踏み入れた。赤黒い光がアデリーヌに襲い掛かる。光に襲われながらもアデリーヌは一歩ずつ近づいていくと、クラリッサを抱き締める。

「もう。やめて。お願いだから」

 光に襲われているアデリーヌが血塗れの顔のままクラリッサに笑いかけて言う。
 クラリッサの動きが止まる。じーっとアデリーヌを見つめている。アデリーヌがいる事が信じられないようだ。

「――アデリーヌ」
「アデリーヌはね。クラリッサのことが好き」

 アデリーヌの体勢が崩れる。慌ててクラリッサが抱きしめる。そうしてクラリッサとアデリーヌの2人は抱き合っていた。

 あきはクラリッサとアデリーヌの2人を見つめていた。この戦いをやめさせるために。そして地上でも血塗れで戦っている人達を助ける為に……。アンゲローナを冥界に追い返す。そのためにはクラリッサのシャルルの中にいるアンゲローナを追い返さなければならない。冥界の女神に対抗する為にはこっちも女神の力で戦わなければならないだろう。
 あきは自らの中に女神コルデリアを降臨させる事を決めた。女神を降臨させる。受け皿となる人間は女神を受け止めきれずに死に至る事が多い。あきの脳裏にアデリーヌがシャルルと魂の入れ替えをしたときの光景が映った。
 もしかするとこれで死んでしまうかもしれない。でも……助けなきゃね。
 あきはラッセンディルに向かって笑ってみせた。そして、女神コルデリアを降臨させるための祈りを唱えていく。
 少しずつ女神が近づいてくる。それと共にアンゲローナの意思が下がっていった。
 アンゲローナとコルデリアの力が重なる。

 ――それはまさに光の爆発だった。

 地下室の中から女神コルデリアの眩い光が迸り、広がっていく。
 光は地下から地上へと地面を貫き。城も貫き。空へと白銀の光柱が立ち昇る。
 地下で。城で。地上で。空で。戦っているあらゆる全てを貫いて、厚い雲さえも貫く。
 空の一角に女神コルデリアの姿が降臨した。
 ローデシア大陸中にその姿を見せたコルデリアの前にあって、魔物もドラゴンさえも戦いをやめた。シャルルの盟約を利用していたアンゲローナの意思が引き下がっていったのだ。もうドラゴンを支配していた盟約はなくなった。アデリーヌの約束はすでに果たされていたのだ。その事を知らしめるために女神が降臨した。

「――あき……あの馬鹿者が。女神を降臨させたのか」

 コーデリアが空を見上げて、呟いた。
 その言葉を聞いた近くにいた騎士の1人が『聖女』の名を叫んで剣を振り上げる。
 声は騎士から騎士へと伝わっていく。
 ……やがて、その声は戦う者全てに伝わっていった。
 戦場のあちらこちらから『聖女』を讃える声が聞こえている。

 ――女神を降臨させた『聖女』
 ――女神の愛娘。

 逃げ惑う魔物達を追う者もなく。突然、戦いが終わる。
 空に現れたコルデリアの姿が光と共に弾ける。厚い雲から雨が降りだした。女神コルデリアの光は雨に混じり銀色に輝き、地上へと降り注ぐ。雨は地上に流れる血を洗い流していくだろう。
 戦いが終わった事を知らせるかのように女神の慈愛の雨が人にも魔物にも降り注いでいる。



 地下ではラッセンディルの腕の中であきが崩れ落ちる。力なくぐったりとしているあきをラッセンディルが抱きとめた。

「……あき」

 フリッツが声を掛ける。
 あきはよろよろと立ち上がるとラッセンディルの手を振り解いて、クラリッサとアデリーヌに近づいていく。クラリッサもアデリーヌも意識を失っている。
 あきはクラリッサを抱き上げるとゆっくりと地上に向かって歩き出す。

「……フリッツ。アデリーヌをお願い」

 ラッセンディルはアデリーヌを抱き上げるとあきに向かって言う。

「アデリーヌの方が軽い。クラリッサは俺が受け持とう」
「ううん。クラリッサ――シャルルはわたしが連れて帰る。これだけは誰にも譲れない。もし譲る相手がいるととしたらアデリーヌだけだよ」

 あきはラッセンディルの言葉に首を振って断ると、クラリッサを抱きかかえて歩いていく。
 一歩歩くたびにあきの体が揺れる。王城に入ってからここに来るまで使い続けた神聖魔法のせいで体力が削り取られている。その上に女神を降臨さえしたのだ。普通ならばすでに死んでいても不思議ではなかった。
 女神を降臨させてなお生きているのは奇跡といっても良かった。その状態でクラリッサを抱きかかえて歩くなど無謀としか言いようが無い。あきの背後でラッセンディルははらはらしながら見つめていた。

 あきは一歩歩くたびにクラリッサ。いえシャルルに別れを告げていた。
 こんな風に抱き締めるのはこれが最初で最後になる。その事が分かる。分かっている。だから最後ぐらいは抱き締めておきたかった。
 あきにしてもシャルルの事は好きだったのだから……。
 


 あき達の姿が地上にあらわれると、あき達の姿に気づいた者達から歓声が湧き上がる。王族の大半が死に絶え、王妃が倒れている以上、クラリッサこそが残された唯一正統な王位継承者であった。

「我らが『聖女』と王女殿下が帰って来た!」
「クラリッサ王女殿下万歳!」
「聖女様万歳!」

 歓声はしばらく止む事はなかった。





 ――タンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵が引き起こした事件から半年ほど経った。首都ノエルの復興は早々と行われていた。街中はすでに元の姿を取り戻しつつある。あきはコーデリア達を連れずに1人で復興中のノエルの街を歩き回っていた。初代女帝の石像のある公園にも行った。初代女帝の遺跡を歩き回り、あきがアデリーヌが亡くなった後のシャルルの行動をその目に焼き付けていった。
 そんな風に過ごしているうちに半年ほどが過ぎていった。
 あき達はクラリッサ王女殿下に呼ばれてローラン城へ赴く。
 今日はクラリッサの王位継承の式典が行われる日である。
 ローラン城に着いたあき達は王宮内で歓待を受けていた。とりわけあきは下にも置かない扱いであった。あきがいくらいいですと言って、断っても誰一人として聞く耳を持たない。

「もー困ったものだよねー」

 あきはコーデリアにそう言って愚痴を零すが、コーデリアは笑っているだけだ。

「まあ、諦めるしかないのじゃ。あきはノエル王国を救った救国の聖女様じゃからな」
「そうやで。あきらめ」

 タルコットまでにやにや笑って言う。
 つーんと横を向いたあきの所へアデリーヌがやってきた。

「あきー」
「アデリーヌ。どうしたの? クラリッサのところにいなくてもいいの?」
「クラリッサがね。あきのところで遊んできなさいって言ったの」
「そうなんだ」
「クラリッサのやつ。自分が忙しいもんやから、アデリーヌをうちらに押し付けたな」
「まあ、良いのじゃ」

 あき達は式典が始まるまでアデリーヌとおしゃべりして過ごしていた。



 クラリッサの戴冠式では、アデリーヌがクラリッサの傍に控えていた。
 あきは新しく任命された大臣。高官達に囲まれるようにして、クラリッサの元へ連れていかれてしまう。

「――あき。貴女には感謝の言葉もありませんが、私から一つ称号を送りたいのですが受けていただけますか?」
「称号?」
「ええ。『ローデシアの聖女』です」
「え~っと……」

 あきが困惑している前で、クラリッサが一歩前に出ると戴冠式に並んでいる者達に宣言してしまった。

「ローデシアの聖女に祝福を!」
「なんでー?」

 あの戦いの最中、ロパートがあきの聖女の名の下に集え。と言っていた事を知らないあき。そのあきの戸惑う声にも拘らず、クラリッサの宣言に応えて歓声が上がる。ノエル王国、ローラン城の一角で、初代女帝の生まれ変わりのクラリッサとアデリーヌの生まれ変わりであるあきの2人が並んで立っている。それは1000年も前にシャルルが望んだ光景。
 そして今は、もう1人のアデリーヌを加えて3人で並んでいた。
 クラリッサの手によって玉座に座らされているアデリーヌ。隣でアデリーヌを見つめるクラリッサ。
 以前、この城のグランドギャラリーでクラリッサが見ていた初代女帝の肖像画に描かれていた構図そのままである。ただ1つ違っているのは、玉座が空ではなく、アデリーヌが座っている事だった。
 何かが足りない。どこかがおかしい。クラリッサが感じていた疑問の答えがここにある。
 あの絵は、構図はようやく完成した。

 



 女王を戴く雪の国――ノエル。
 ローデシア大陸の北方に位置するこの国はかつて大陸を統一した初代女帝が生まれた国である。
 その国で再び女王が即位する。
 状況は悪く。道は平坦でない。しかし希望はあった。
 遥か昔に望んでも得られなかったものがここにはある。
 クラリッサは居並ぶ者達を見下ろしながら、この国で本当に守りたいと思うものをようやく手に入れたのだった。










 エピローグ。

 戴冠式の後、あき達はルリタニア王国のターレンハイム家に戻ってきた。

「あきー。心配したぞ~」

 相変わらずの侯爵様だ……。
 あきは少し頭痛がしそうだった。それでも抱きついてくる侯爵に笑顔で応える。メイド達もあき達が戻ってきた事を喜んでいるようだ。あき達がノエル王国に行ってからというものあきが元の世界に飛ばされたり、タンクレート・フォン・ヴァイトリング子爵が引き起こした事件の為に王城で戦いが始まったりと気が気でなかったらしい。
 簡単な報告は受け取っていたそうだけど……あきの顔を見るまでは安心できん! と言い張っていたそうだ。

「侯爵様。ちゃんと戻ってきましたよ」
「もう。あきはどこにもやらんぞ」
「泣かないで下さいー」
「あきが悪いんだー。心配ばかりかけてー」

 まるで子供のように言う侯爵の頭をあきはよしよしと撫でていた。こういうところが男は幾つになっても子供だといわれる所以なのかも? あきはそんな事を思っていた。

 それから、目まぐるしくあき達の生活は変わっていった。
 コーデリアとあきはカーライル村からルリタニア王国のターレンハイム家に引っ越す事にもなってしまった。ラッセンディルは西の塔で正式な研究者として働く事になったそうだ。首席導師が教えてくれた。
 元の世界から持ってきた大量の本を翻訳する為に、あきは西の塔で日本語を教えている。首席導師は蒸気機関に興味を持ったらしい。ロバートさんとロパートはあきが翻訳した金融関係の本を読みふけっている。
 医学薬学、漢方薬の本は西の塔で研究されるそうだ。ラッセンディルが中心となっているグループが日夜実験を繰り返しているらしい。お蔭で中々帰ってこない。

「フリッツのばかー!」

 あきは西の塔に行っては怒って帰ってくる。その様子をにやにや笑ってコーデリアとタルコットが見ていた。

「わたしと仕事のどっちが大事なのって聞いてみたらどうじゃ?」
「そうやそうや。おもしろいかもしれへんで」
「仕事が大事なのは分かるけど、もう少し帰ってこーい!」

 あきが西の塔の一角で叫んでいる。後ろではにやにや笑うコーデリア。
 どうやら……あきとラッセンディルの2人の関係が進展するのはもう少し時間が掛かりそうである。
 
 自棄になったのか、あきはターレンハイム家でお味噌作りに勤しんでいる。お醤油は難しくて、出入りしている商人に任せてしまった。商人は新しい調味料を知って、儲けを考えているそうだ。出来上がるのも案外早いかもしれない。
 他にもあきの持ってきた本によって、色んな事が行われ始めている。うろ覚えの知識ではなくて専門書は正確だったらしくて、研究者達には受け入れられやすかったらしい。

 時折クラリッサから手紙がやってくる。ノエル復興の知らせてきていた手紙には、別の小さな手紙が同封されていた。その手紙にはアデリーヌがあんな事をした。こんなにかわいい。と惚気ていた。その様子を想像してあきは、呆れるやら呆気に取られるやらで、本当に困ったものである。
 対抗してフリッツの事を書いてやろうとして、帰ってこないフリッツに怒りをぶつけるあきであった……。

「本当に帰ってこーい。浮気するぞー」
「浮気なら僕が相手をしてあげるよ」
「いえいえ。私が」

 エルとアデーレがあきににじり寄る。この2人も相変わらずのヘンタイだった。

 この先どうなることやら……。
 ルパートがそんなあきの姿を見て、ため息をついていた。
 ルパートはターレンハイム家を継ぐ為に侯爵について、王宮での会議にも参加している。いずれはルパートがターレンハイム侯爵になるのだろう。

 エステルもヘンルーダの森から帰ってきた。あの戦いでエステルが放ったブレスによってお父さんドラゴンはかなり傷ついてしまったそうだ。肉体だけではなく、愛娘に攻撃されたものだから精神的にも辛かったらしい。

「ううーっ。エステルがぁ~。ぐれたー」
「貴方が悪いんですよ。クラリッサの言いなりになってしまったんですから」
「エステルはあきのところに帰るのー」
「行かないでくれー。エステル~」
「いやなのー」

 そんな事があったらしい。憐れなお父さんドラゴンだった。

 タルコットとコーデリアは西の塔でないすばでぃーになる為の研究に勤しんでいる。

「思い出すのじゃ。わらわ達の野望を!」
「そうや。その通りや!」

 コーデリアが周囲を取り囲んでいる女性達に向かって激を飛ばしている。
 コーデリアとタルコットが同志を募ったところ意外と言うか、当然と言うべきか、かなりの数の女性達が集まってきた。女性達は密かにそして大胆に研究をしている。
 コーデリアとタルコットの野望が成就する日が来るのかは誰にも分からない。


 ルリタニア王国――首都ファブリスにはローデシアの聖女と呼ばれる女性が暮らしている。
 彼女を取り囲む人々との騒動はまだまだ続きそうである。




[12791] 【外伝】『カステル城の幽霊』 第1話 「身分違い」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/04/18 12:57

 「カステル城の幽霊」

 第1話 「身分違い」


 クラウス・フォン・クロイツェル伯爵のお屋敷――カステル城には幽霊が棲んでいるという。
 それは家政婦や侍女にメイドといった女性達の噂話で語られるだけでなく。執事以下、馬番に至るまで男達の間でも密かに伝えられている話だった。

 あの頃のわたしはザクセン公国の首都ロザリンドの一角にあるカフェの店員だった。毎日毎日お客のくれるチップで生計を立てるというほとんどその日暮しに近いような生活だった。自分の事で知っているのは生まれた年だけ。親はいない。物心ついた頃には路上で寝ていた。同じような年頃の子供たちと一緒になって物乞いをしたり、食べ物を盗んだり、市場で買った花を通りすがりの貴族様に売ったりしてなんとか生きていたわけだ。
 そんな生活をしていたわたしが13歳になった頃、女衒に声をかけられるより早く、よく前の道を通っていた店の店主に声を掛けられた。そうしてわたしはその日から店で働く事になる。
 朝早くから店の準備や注文聞きに後片付けと追われるような生活だったが、それでも自分の部屋というものを生まれて初めて手に入れた。店の2階にある狭くて小さな部屋だったけど、あの部屋に入ったときの感動はおそらく一生忘れないだろう。部屋に入った日から毎日掃除をして綺麗にしていた。少しずつお金を貯めて部屋を飾る事もした。それに店主はわりと良い人だったようで、店が終わったあとに字を教えてくれた。それまでわたしは文字を読む事も書く事もできなかったのだ。
 字が書けるようになったときに自分の名前を書いてみた。紙に書かれた自分の名を見ながら少し不思議に思えてしまう。

 ――エルゼ・ノイラート。

 それがわたしの名だ。ノイラートというのは店主の姓だった。無いと困る事もあるだろうと名乗る事を許してくれた。
 店には大柄なコックのノリスやわたしと同じウエイトレスのナンシー。店主とその奥さんの5人がいた。毎日やってくる近所の職人達。毎日忙しくて、店の中はいつも食べ物の匂いと大声が飛び交う賑やかな場所だった。

 そんな中で珍しいと言おうか、場違いとでも言うのか……。毎日同じ時間にやってくる貴族の坊ちゃんがいた。
 いつも夕暮れ近くにやってきては店の隅に座って店で一番安いお茶を飲んでいく。砂糖を鍋で焦がしてミルクを混ぜたキャラメルを入れたお茶だ。その人――貴族の坊ちゃんはそれしか頼まなかった。
 どことなく薄汚れた職人達ばかりやってくるこの店で、その坊ちゃんだけはいつもこざっぱりとした格好をしていた。
 わたし達は坊ちゃんが来るたびによく首を捻っていたものだ。はっきり言ってカウンター席が6つとテーブル席が5つほどのこの店は貴族がやってくるような店じゃなかった。貴族様はもう少し綺麗で上等な店に行くものだと思っていた。
 それでも貴族の坊ちゃんが通うようになって一年が過ぎ、二年になろうとした頃、もう誰も気にする者はいなくなっていた。わたしも気にしなくなっていた。……嘘だ。ほんの少し気になっていた。
 自分達とは違う世界に住んでいる貴族というものに興味があったし、その人はわたしの周りにいる誰よりも格好良かったから……。
 男らしく濃く太い眉。すらりとした鼻梁。意志の強さを示しているかのような引き締まった口元。エメラルドを思わせる緑色の瞳。長い金色の髪は無造作に後ろで纏められていた。一見すれば美形といってもいいような顔立ちだった。
 毎日来るたびに少しずつ話した。そのうちにその人の事が分かってくる。貴族の坊ちゃんはザクセン公国でも、いえ大陸でも最高峰とも呼ばれる東の塔で学んでいる学生だそうだ。
 わたしと同じく親はいなくて、特待生として東の塔に住み込んでいる。
 その話を店主にすると驚いていた。

「東の塔の特待生?」
「そうらしいよ」
「そいつはかなり優秀だな……」
「そうなの?」
「特待生というのは、一般の学生と違って学費は免除される代わりにかなり優秀な成績を求められる。並みじゃやってけんぞ」
「すごいんだね~」
「エルゼはどうも分かってないようだなー」
「学校なんて通った事がないからわかんないよ」

 店主に笑われてしまった……がっくり。

 そんなある日、いつものようにやってきたその人は席に着くなり、頭を抱えた。なにやらぶつぶつと小声で呟いている。

「――フリッツ。どうしたんだい?」

 店主がそう声を掛けるとその人は顔を上げて頭を掻く。

「――ああ、クロイツェル伯爵のお屋敷で開かれる舞踏会に誘われたんだが、つれていく相手がいなくてな」
「なんだ。エスコートする相手がいないのか?」
「……笑うなよ」
「そうかそうか。フリッツももてないんだな~」
「悪かったな!」

 店主とフリッツが話をしているのを聞きながら、わたしは少しドキドキしていた。
 そっか~。フリッツには相手がいないんだ……。

「なんならうちのエルザを貸してやろうか?」
「えっ?」

 店主が豪快に笑いながらそう言う。店の中にいた客達もにやにや笑っている。
 フリッツは立ち上がりかけた体勢で固まってしまった。わたしもトレイを持ったまま動けなくなってしまう。
 いつの間にか傍に近づいていたナンシーがわたしの手からトレイを取り上げるとそのままお客の所へと運んでいく。わたしはそんな事にも気づかずにぼぉ~っと立ち竦んでしまっていた。
 ちらっとフリッツがわたしの方を見た。
 わたしは慌てて視線を逸らす。きっと顔が赤くなっているだろう。そそくさと逃げ出したがったが……奥さんに掴まれてフリッツの前に連れて行かれてしまう。どうしよう? 頭の中は真っ白になってしまって何も考えられなくなっている。
 フリッツの前に連れて行かれたわたしは彼の顔をまともに見る事ができずに俯きそうになって顔を逸らす。フリッツも同じように視線を逸らしていたけど、わたしの方を見ると口を開いた。

「い、一緒に行ってくれるかな」

 フリッツがそう言う。黙り込んでいたわたしの脇腹を奥さんがつつく。

「は、はい」

 へたり込みそうになりながらもそう言った。フリッツは文字通り椅子に座り込んでしまった。店の中は一瞬沈黙した後、大騒ぎになる。職人のおじさん達が歓声を上げて帽子を飛ばし出す。フリッツは肩を掴まれてばしばしと背中を叩かれてたりしていた。
 こうしてわたしはフリッツ――フリッツ・フォン・ラッセンディルと一緒にクラウス・フォン・クロイツェル伯爵のお屋敷で開かれる舞踏会へと出席する事が決まった。

 わたしが舞踏会に出席する事はあっという間に近所の噂話の種にされてしまった。店が終わった後、近所で開業している仕立て屋のおばさん達がやってきて手に手に持った布地でドレスを作ろうとわたしの寸法を計りだしていく。

 その後、わたしは店の休憩中にフリッツにダンスを教えてもらっている。
 初めて舞踏会に行くんだし、踊りの1つも出来なくならなきゃ話にならないだろうし、でも意外と難しいよ。フリッツは難なく踊って見せているんだけどねー。
 2,3日もした頃には綺麗なドレスがわたしの部屋に運ばれてきた。部屋の中に置かれたドレスを見つめながらわたしはじっと考え込んでしまった。ドレスはたくさんの布地で作られている。他にもリボンだのフリルだのとこれでもかというほど飾られていて、布地だけでもわたしの1月の給金を超えるだろう。こんなドレスを作ってもらってもお金なんか払えないよ……。
 目の前が真っ暗になりそうになる。

 隣で舞踏会の為のダンスを教えてくれていたフリッツがそんなわたしの表情を読んだのか、金は俺が払っておこう。と言ってくれた。嬉しいけどわたしとラッセンディルとはやっぱり金銭感覚が違うんだよね……。

「――ありがとう」
「いや、俺が誘ったばかりに迷惑をかけるな」
「ううん。そんな事は無いよ。わたしも舞踏会に行くのは楽しみだし……」
「――そうか。ついでにお土産代わりに出された料理を持って帰ってくるか?」

 フリッツはそんな事を言って笑う。ついついわたしも笑ってしまった。

「そんな事してもいいの?」
「かまわないだろう。ジルベール先輩なんかは舞踏会がある度に、ここぞとばかりにたくさん持ってかえってくるぞ」

 覗きこむように問いかけたわたしを笑いかけながら、フリッツは楽しそうにしている。その顔を見てわたしの中にあった貴族のお屋敷だとか舞踏会というものに対して気後れしていた部分がするりととき解れていくような気がする。
 こうしてフリッツと一緒にいるとなんだか楽しい。今まで知らなかった部分も見えてきたし……。
 真面目で才能があって優秀で……東の塔でも将来を嘱望されている魔術師。東の塔にいるフリッツの友人達を見ていると、わたしなんかとは本当に生きている世界が違う。と思ってしまう。
 フリッツと一緒にいるのは楽しい。でも……勘違いしないように、近づき過ぎないようにしなくちゃね。きっとこの人はそのうちうちの店にも来なくなる。そうしてもっと綺麗で上等な店に行って、そこでわたしなんかよりもっと綺麗で身分の高い貴族の女の人と一緒に過ごすようになるんだろうな……。そう思うと少し寂しくなるけど仕方ないよね。

「どうかしたのか?」
「ううん。なんでもないよ」

 フリッツからそっと離れるとわたしは店へと降りていこうとする。
 背後でなにやら考え込んでいる気配を感じるけど、気にしないでおこう。気にしても仕方ないんだから。部屋の扉を開ける。目の前には狭くて急な階段がある。一歩一歩、ゆっくり降りていく。木で出来た階段の板がギシギシ軋んだ音を立てていた。降りていく途中で壁に沿って作られている棚から、ガラス瓶に入った木苺のジャムを持ってきてくれと頼まれていた事を思い出して持ち上げた。
 両手で重い瓶を抱える。ぐらりとバランスを崩してしまった。

 ――あっ! 落ちる。

 ガラス瓶を抱えている為に壁に手を付くことも出来なくて、階段を転がり落ちてしまいそうになる。

「危ない!」

 背後から誰かに……フリッツに抱き締められてなんとか落ちずにすんだ。魔術師だからもっと華奢かと思っていたのに……案外力強くて逞しい。ぎゅーっと抱き締められている。こうしてると安心感があった。
 ……でも、いつまでもこうしてはいられない。なんだかここ2、3日で自分が凄く弱くなったような気がする。

 舞踏会の日まで、わたしはお店で働いていてフリッツとは中々話が出来ずにいた。フリッツよりもジルベール先輩……アラン・ド・ジルベールの方がよく話をしていたぐらいだ。
 ジルベール先輩はカルクスの貴族だそうで東の塔に留学してきているらしい。本人がそう言っていた。この人も結構優秀な方だと言われている。舞踏会に誘われて以来、よく東の塔の人達が見せにやってくるようになってそんな噂を耳にするようになっている。

「エルゼ。どうしたんだ? ぼんやりとして……」
「えっ?」

 店主に問いかけられわたしはハッとして聞き返す。
 目の前に店主の顔がある。思わず逃げ腰になってしまう。そんなわたしを呆れたように見返しながら店主は苦笑いを浮かべた。
 店主はそのまま何も言わずに立ち去っていく。どうも調子が出ないな~。自分でもそう思う……。やっぱりフリッツの事が気になる。1人で考え込んでいると、やっぱり行くのはやめた方がいいかもなんて思ってしまうんだよ。自分でも呆れてしまうのだけどね。

 舞踏会の前日の夜。
 中々寝付けなくて部屋を出て下の店に行ってみようと思い階段を降りていった。途中で店の中から話し声が聞こえてくる。

「――まさか、こんな風になるとは思わなかったな」
「あなたがあんな事を言い出すからですよ」
「お前だって賛成したじゃないか」
「そりゃまあ賛成しましたよ。でもねえ……」

 ぼそぼそと小声で話をしている。夜中で静かなものだから小声でも結構声は響いて聞こえる。
 深刻そうな話はどうやらわたしの事らしい。店主と奥さんはわたしとフリッツの事を気にしていた。

「フリッツ。フリッツと言っちゃいるが、相手は貴族だしな。もしフリッツがどこぞの商人か職人のこせがれだって言うんなら喜んで、エルゼを嫁に出してやるんだが……」
「そういう訳にもいかないでしょうね~」
「エルゼは身分違いってやつを自覚しているみたいだが、フリッツの方がな……」
「貴族の舞踏会に出席するなんて二度と無いでしょうから行かせてあげようと考えていたのだけど、こうなるんだったら話を向けない方が良かったかもね~」
「……ああそうだな。その方が良かっただろうな」

 店主と奥さんの会話を聞こえないようにわたしは両手で耳を塞ぐ。目を瞑ってその場で座り込みそうになってしまった。
 自分でも分かっているのに……。でも、こんな風に言われたりすると泣きたくなるぐらい辛くなる。いやだ聞きたくない。わたしはそっとその場を離れて階段を上っていった。背後からは店主と奥さんの会話が耳を塞いでいても聞こえてくる。
 部屋に戻ってベットに潜りこんだ。そのまま目を瞑って何も考えないように、眠ろうとする。でも中々眠れない。薄目を開ける。部屋の片隅で窓から入り込んでくる月明かりに照らされたドレスが目についた。
 月明かりに照らされたドレスは綺麗で、それだけに悲しくなってしまう。
 じーっと見つめるとぽろっと涙が零れた。それに気づいて慌ててシーツを頭から被って目を瞑る。
 ――明日は貴族の舞踏会。どうせ一晩だけの夢なんだからせめて精一杯楽しんでこよう。そう考える事にした。
 もう何も考えたくない。わたしはそう思って目を瞑っていた。

 翌日、いつの間にか眠っていたのか……。窓から差し込む朝日で目が覚めた。
 部屋を出て店に下りていくと店主と奥さんはもう起きている。

「おはよう。エルゼ」
「エルゼ。おはよう~」
「おはよう」

 朝の挨拶を交わしながらもの言いだけな二人から目を逸らす。店の掃除をしながらも視線を感じている。昨日の話を気にしているのだろう。でも大丈夫。わたしは分かっているから、勘違いなんてしないよ。そう考えてにこりと2人に笑いかける。
 多分今日の出来事もきっといつか笑い話になってしまう。そう思う。ううん。そうであってほしい。
 掃除が終わった頃になって、フリッツが迎えに来た。
 わたしはドレスに着替える為に部屋に戻る。
 奥さんに着替えを手伝ってもらいながらドレスを着る。奥さんは少し辛そうだった。わたしも同じ気分だよ。多分ね。
 そうして部屋を出る前に、部屋の様子をゆっくりと眺めた。この部屋で過ごした思い出が目の前に浮かんでは消えていく。
 わたしは大丈夫。勘違いなんてしない。傷ついたりもしない。だから……。

「行ってきます」

 元気にそう言って、部屋を出た。



[12791] 第2話 「舞踏会の前日」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/04/22 22:31

 「カステル城の幽霊」

 第2話 「舞踏会の前日」


 クラウス・フォン・クロイツェル伯爵の祖先はザクセン公国にある東の塔で学んだ魔術師である。
 数代前の先祖がザクセン公国において、後に鉛筆と呼ばれるようになるものを作り出した。その鉛筆はザクセン公国の東の塔で好評を持って迎えられ、いつしか大陸中に輸出されてクロイツェル家はザクセン公国でも有数の富豪となり、いまや鉛筆のみならず文具、筆記具全般から白ワインなどの酒類。食料品、嗜好品なども取り扱うまでになっている。
 さらに近隣の領主とも親交を結び、各領地の産業を取り込む形で配下に加えていったために、クロイツェル家はザクセン公国でも巨大な財閥の当主と化していた。
 したがってクロイツェル家主催の舞踏会はなんとかクロイツェル家に取り入ろうとする貴族や商人達が集まってくる。主催者側もその事を分かっていた。初代の当主はともかく、歴代の当主は魔術師として学ぶよりも経済の方を重要視してきた。しかしだからと言って、クロイツェル家と同じように東の塔出身の魔術師達が女性用化粧品などを作り出して、次々と新しい富豪として名乗りを上げていくのを見ていると東の塔との関係が疎遠となるのを恐れ、現当主や親族達の大半が魔術師としても素養を失ってからも、元は魔術師の家系であるという一応の体裁を整える為、舞踏会が開催するたびに東の塔からも幾人かの魔術師を呼ぶ事になっていた。
 ラッセンディルやジルベールなどが呼ばれたのは東の塔との関係を重要視しているという体裁を示す為だけのものであった。だからこそエルゼ・ノイラートというカフェの店員をラッセンディルが連れてくるといった時にも問題視されなかったとも言える。

 今回の舞踏会は新しく爵位を継いだクラウス・フォン・クロイツェル伯爵が、父の代から家令で執事でもあったオリバー・クロイツェルを疎ましく感じ、それゆえ年齢を理由に辞任を迫り、その結果オリバーの最後の行事になっていた。そして今回の舞踏会にはオリバーの代わりに新しい家令としてアンリとブルックがやって来る事になっている。今後、この2人が家令と執事に就任した後で取り仕切るであろう行事でもある舞踏会の様子を影ながら伺う予定になっている。
 オリバー・クロイツェルが新しくやってくる二人を待っている間に支配人室で執務をしている最中、舞踏会の準備に追われていたメイド達の間で1つの騒ぎが起きていた。



「幽霊が出たのよ!」

 メイドの1人であるメリーが扉を蹴破らんばかりに控え室に飛び込んできた。メリーは急いで扉に鍵を掛けると、ようやくホッとため息をついて背中を扉に押し付けたままずるずると座り込んでいく。
 クロイツェル家のありあまる財力はメイド達にも少しは還元されているらしく、メイド用の控え室の中は他の貴族のお屋敷とは違う。部屋はいくつもの装飾品で飾られている。大型の鏡台。化粧台。テーブルに壁に掛けられているランプもまた見事な出来で、メイド達が座る長椅子もかなり高級な品である。さらにテーブルに置かれ湯気を立てているお茶も一般ではお目にかかれる品ではなかった。
 クロイツェル家の領地から集まってきたメイド達は自分達の実家とは天と地ほども違うこの控え室をまるで王宮の一室のように思っている。実際、ザクセン公国の王宮でもこれほどの部屋をメイド達に与える事はしないだろう。
 舞踏会が開催されるまでの時間、交代で休んでいたメイド達は思い思いにお茶を飲み会話を楽しんでいた。そこへメリーが飛び込んできたのだ。
 金切り声を上げて飛び込んできたメリーを振り返ったメイド達の反応は様々である。呆れたような表情をする者もいれば、怯えてしまう者もいる。メイド達の中でも際立って痩せっぽっちで、そばかすの目立つメリーは後ろでお団子に纏めていた栗色の髪を振り乱し、真っ青になって――真っ青になっているためにそばかすの赤い点々がいつもより目立っていたが――怯えている。

「なによ。まだ明るいのに幽霊なんて嫌な子ね。……で! どこで見たのよ!」

 メイドのフィネが露骨に嫌そうな顔をした。フィネはメイドの中でも臆病な方だったが、話を聞くのは好きでもあったので、メリーに対して嫌そうにしながらも続きを促す。

「あ、あたしが2階の角の……塔のある方ね。そこで客室の準備をしてると塔の中にいたのよ~」

 メリーは泣き出しそうになりながらも他のメイド達に訴える。

「ねえねえ。どんなだったの?」
「やっぱり、骸骨みたいだったの?」
「え~。真っ黒なフードを被ってるんでしょ?」
「男だった? 女だった?」

 メイド達が口々に問いかける。幽霊を見たという者は屋敷の中でもかなりいたが、見たはずの幽霊の姿がそれぞれ違っていたために見たことの無いメイド達には興味津々と言ったところではあったのだ。
 クロイツェル家の幽霊はここ数ヶ月前から――正確には3ヶ月前から――それ以前とは違い。頻繁に姿を見られるようになっていた。そして現れるときはまるで壁からぬっと出て来たみたいにも見えて、誰にも話しかけず、話しかけられずに消えていくらしい。
 そして以前は幽霊はちょっとした悪戯をするぐらいでメイド達に危害を加えるような事もなかったためにメイド達にはそれほど恐れられていなかった。もっとも主人であるクロイツェル家に対しては悪戯どころではない危害を加えている事も知っていたが、それが自分達に降りかかってこない限り、所詮は他人事だと思われていた……。
 ところが最近になって様々な小さな悪意がメイド達にも降りかかってくるようになってきた。メイドの誰それが幽霊に脅された。馬番の男が幽霊の所為で馬が暴れだした。と言い出す。
 実際のところ、どこからどこまでが幽霊の仕業なのかメイド達にも分かっていない。もしかすると幽霊など居らず。故郷の村から遠く離れて暮らしているメイドの1人が寂しさのあまり、言い出した空想の話が広まって行っただけなのかもしれない。幽霊の存在に懐疑的な者達はそう言い。馬鹿馬鹿しいと嘲笑う。
 が……しかし、ここ数ヶ月に渡ってほんの少しずつ撒き散らされていた悪意はメイド達使用人の心の中に澱のように沈み、溜まり込んで、いつ不満が爆発してもおかしくない状況になっていた。
 その結果、家令であるオリバー・クロイツェルの心労が増え、ついには辞任する事を決意するという事態になっていた。もっとも表向きは年齢が理由と公表されていたが……。

 メリーは塔にいた幽霊の様子を仲間のメイド達に話し始めた。
 曰く。客室の用意をしていたメリーがふと、窓に目をやると黒いだぶだぶのフードを被った幽霊が居て、貯蔵されているハムを手にとって繁々と見つめていた。と……。

「……それだけなの?」

 フィネが呆れたように声を出す。フィネはもっと恐ろしい事を見たのではないかと、半ば恐れ、半面期待していたのだった。

「それだけってなによ!」

 メリーは泣きながらフィネに食って掛かる。

「はいはい。泣かないの」

 メリーを慰めるように他のメイド達がメリーの肩を叩く。そしてフィネにはメリーをいじめなさんな。と釘を刺した。ぐすぐすと泣いているメリーを抱えたメイドの1人が椅子に座らせて、少し休むようにメリーに言い聞かせている。


 

 カステル城の門の前にがらがらと轍の音を響かせて黒塗りの馬車が到着した。
 中から2人の男達が姿を見せる。アンリとブルックである。2人は馬車から降りると、城の周りを首を回して眺めた。ザクセン公国にその名を轟かせるクロイツェル伯爵家。その城の華麗さに満足そうな笑みを浮かべる。
 お互いに頷き合った。

「アンリ。今日から我々がこの城を、クロイツェル家を差配するんだ」
「そうだとも、ブルック。見ろよ。この門の見事さを」

 2人はクロイツェル家の中でも他人としか思えないほどの遠縁の親戚である。現当主の祖母の兄弟の従兄弟の娘の甥っ子である。もう何がなんだか分からないが、それでも現当主の秘書であるアドルフ・バウアが見つけてきた、それなりに優秀な者たちだった。
 2人はしばらく門の外から城を眺めていたが、肩で風を切るようにして城の中へと堂々と歩き出した。
 その姿はまるで自分達がこの城の主であるかのような態度であった。

 オリバー・クロイツェルが支配人室で1人仕事に勤しんでいるといつの間にか机に置かれていた手紙に気づいた。裏には赤い蝋で封印がされている。その封印は髑髏を模っており、時折舞い込んでくる幽霊からの手紙だと知れた。
 オリバーは手紙の封を切ろうか? 切るまいか? と、手紙を指先で弄びながら悩んでいる。ふと何気ない仕草で壁に掛けられている肖像画に目をやる。そこにはまだ幼いといってもいいほどの若い女性が描かれていた。エメラルドのような緑色の瞳と見事な金色の髪が印象的であった。後もう少し年を重ねれば美女になるだろうが、描かれている少女は未だ幼く子供のように見える。
 オリバーは肖像画から目を逸らした。

「もう……幽霊との交渉は、わたしの役目ではない」

 ポンッと手紙を机の上に投げ出し、オリバーは立ち上がる。
 そのまま部屋から立ち去ろうとした時、ノックの音が聞こえてきた。

「……どうぞ」

 机に両手を掛けたまま中から声を掛ける。一瞬躊躇う気配がしたかと思ったが、何事もなく扉は開き、アンリとブルックの2人が姿を現した。

「初めまして。アンリ・クーニッツです」
「初めまして。ブルック・ドレッセルです」

 姿を見せたアンリとブルックはオリバー・クロイツェルに対して卑屈な口調で挨拶をする。オリバーは何十年もクロイツェル家の家令を勤め、現当主からの信頼も厚い。いかに今日限りとはいえ、下手に出ておいた方が良いと判断した為だろうが、その卑屈な態度はオリバーには醜く感じられた。

「…………お二方とも、よく来られました」

 オリバーは嫌味の1つも言ってやろうかと思ったが、何も波風を立てる事もあるまい。と思い直して少し躊躇った後、歓迎する素振りを見せる。アンリとブルックの2人はそんなオリバーの態度にほんの少し眉を顰めたが、気にした態度を見せる事もなく、気さくさを装ってオリバーに近づいていった。
 ところがオリバーはすいっと2人をかわして、部屋を出る。肩透かしを食らった2人が慌ててオリバーを追いかけるように部屋を出た。廊下でオリバーは二人が出てくるのを待っていた。

「さあ、クロイツェル家を案内しましょうか」

 そう言ってオリバーはどんどん先を進んでいく。
 急いで後を追いかけながら、二人の男は内心、オリバーに馬鹿にされているのではないか? と思い。不満を募らせていった。

 まずやってきたのは、屋敷の2階にある広い大広間である。部屋は初代女帝の王宮と見間違えてしまうほど、華麗で豪華だった。いかにクロイツェル家といえどもこれほどの財力があったのか? と思わせる。

「ここはクロイツェル家の大広間になります。舞踏会ではこの部屋でやって来られる貴族の方々が集う場所となります」

 アンリとブルックの2人も口を開けて呆然としている。

「こ、これは……」
「な、なんと言おうか……」
「如何致しましたかな?」

 オリバーは唇を歪めて哂う。そして二人を無視して大広間から出て行こうとした。
 次に2人が案内されたのは大広間ほどではなかったが、男の部屋とも女の部屋ともどちらにも見えるような、一風変わった豪勢な部屋であった。部屋の片隅では若い女性がソファーに座って刺繍をしていた。
 女性は部屋に入ってきたオリバーに気づき、顔を上げる。

「――おじい様」アデーレ・フォン・クロイツェル

 アデーレが挨拶しようとするのを右手を上げて制し、オリバーは部屋を見渡してアンリとブルックの2人を部屋に招き入れる。

「この部屋はクロイツェル家の幽霊の為に作られた部屋です」

 オリバーのこの発言にアンリは目を見開き、ブルックは大声で笑い出した。

「幽霊の為に作られた部屋ですと?」
「さよう」
「では、貴方もクロイツェル家の幽霊の話を信じていると?」

 アンリはオリバーに問いかけた。アンリは驚いていたが、段々と笑いを堪えきれなくなったのか……皮肉げに口元を歪ませる。だが、オリバーの真剣な表情を目にして、急に不安になったように真面目な顔になり、オリバーに説明を求めるようになった。

「信じる信じないではなく。幽霊は存在するのです。少なくとも屋敷にはです。私は先代の伯爵様から、この屋敷に棲む幽霊のお世話をするようにと申し付けられてきたのですからな。お二方も、この屋敷に参られたからには、クロイツェル家の幽霊のお世話をする事は仕事のうちですぞ」
「……いや。私達は伯爵。クラウス・フォン・クロイツェル伯爵からそのような命を受けてはおりませんな。したがって、私共は幽霊など居らぬものとして、仕事に取り掛かるつもりです」
「その通りです。確かに先代の伯爵は貴方にそのような命令を下したかもしれませんが、私たちには関係の無い事と思われますなー」

 アンリとブルックの言葉に今度はオリバーが鼻白む。そして今にも皮肉を言いそうな雰囲気を醸し出すが、オリバーは何も言わずにちらっとアデーレの方に目線をやった。
 オリバーの視線を追うように二人もアデーレを見た。

「この娘はアデーレ・フォン・クロイツェルと申しまして、私の孫娘に当たるものです。クロイツェル家の親族の中でも爵位……男爵の称号を持っておりましてな。特別にカステル城の幽霊の世話をする為に、この城に住んでおります」

 アデーレはアンリとブルックの2人と目が合うとにこりと笑い。挨拶をする。2人も釣られるようにして笑う。

「という事は君はこの城の幽霊と会った事があるのかね?」

 アンリがアデーレに問いかける。

「いえ、会った事はありませんわ」
「しかし君は幽霊の世話係なのではないのか?」
「ええそうですわ」

 アデーレはアンリの問いかけにしらっとした口調で返す。アンリとブルックは顔を見合わせ。首を捻る。

「では、君はどうやって幽霊の世話をしているのか?」
「声が聞こえますの。その声の望みを叶えて差し上げます」
「……声?」
「ええ」

 ブルックはアデーレの答えを理解できない。と言った感じで大袈裟に首を左右に振り回している。そんなブルックの肩を叩きながらアンリはアデーレを見つめた。

「声はどこで聞こえてくるのかね?」
「この部屋ですわ」
「この部屋……?」

 アンリは部屋の中を改めて見回していく。オリバーとアデーレの目がなければ、部屋中を探して回っていたかもしれない。ブルックは床を右足で踏み鳴らしていた。しかし足元では固い床の感触と鈍い音がするだけであった。
 足を踏み鳴らしていたブルックがふと視線を逸らすとオリバーが部屋の戸棚から書類を取り出しているところが見えた。興味をそそられたブルックはオリバーがこちらに戻ってくるのを待ちきれないように、声を掛ける。

「それは一体何でしょうな」
「ああ。これは幽霊に関する先代伯爵の指示書です。御覧なさい」

 オリバーは2人に古びた書類を見せた。そこにはいくつもの指示が書き連ねられていた。
 
 1。幽霊の望む『物』は可能な限り与える事。
 2.幽霊の為の部屋には決して来客を泊める事は無いようにする事。
 3.幽霊の為の部屋は幽霊の好きにさせる事。
 4.幽霊とは決して争わない事。
 5.幽霊をこの城の中に閉じ込めておく事。
 6.幽霊の正体を知ろうとはしない事。

 他にも細かく書かれていたが……。指示は大まかに二つに分けられる。幽霊をこの城に閉じ込めておく事とその為に幽霊の機嫌をとっておけと言う事だ。
 アンリは指示書を読みながら手を震わせていた。今にも指示書を破りそうにも見えたが、思いとどまったのか? 乱暴にオリバーに指示書をつき返すと、怒りに肩を震わせた。

「まったく。これではどちらがこの城の主か知れたものではない!」

 顔を真っ赤にして怒り狂う。その顔を見ながらオリバーは呆れた表情を見せた。

「アンリ・クーニッツ。貴方はこの城の主ではないぞ」
「分かっている! しかし。なぜ! 幽霊如きにこれほどの厚遇を与えるのか?」

 地団駄を踏みながら叫ぶ。

「――6.幽霊の正体を知ろうとはしない事。ですわ」

 アデーレがさらっと指示書の一文を読み上げた。
 アンリはじろっとアデーレを睨みつけ、部屋から足早に出て行ってしまう。ブルックもアンリの後を追って去っていった。残されたオリバーはため息を吐くと、アデーレと顔を見合わせて、にやりと笑い。彼らの後を追うように部屋から立ち去っていく。
 彼ら3人が部屋から出て行くのを見送ったアデーレは再び、ソファーに座ると刺繍を取り上げた。
 部屋のどこからか、くすくすと笑う声が聞こえているような気がする。アデーレは顔を上げ声に耳を澄ませていたが、しばらくすると刺繍を再開し始めた。



[12791] 第3話 「舞踏会の幕開け」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/06/06 20:42
 「カステル城の幽霊」

 第3話 「舞踏会の幕開け」


 ラッセンディルと共に今まで一度も乗った事の無い馬車に乗り、わたしはクロイツェル伯爵家のカステル城へと向かっている。
 カステル城は首都ロザリンドの郊外にある森の中に建っていた。馬車が森の入り口に差し掛かった時にわたしは思わず、ラッセンディルに問いかけてしまう。

「どうしてこんな森の中に城があるんだろう?」

 それはわたしの正直な感想だった。クロイツェル伯爵家ほどの貴族なら、たとえ森の中に城を作ったとしても城の周辺に領民が住み着いて、町のようになっていたとしてもおかしくないはずなのに。わたしがそう言うとラッセンディルは木立を潜り抜けるように進む馬車の窓から森の中を眺めながら、カステル城の事を話し出した。

「カステル城というのは何代か前のクロイツェル伯爵家の当主が建てた別荘で、居城は他にある。それにカステル城も実のところ村や町ができるほど歴史があるという訳じゃないんだ。どちらかというと裕福な貴族の道楽というやつだな。そして先代の頃に大掛かりな改装がなされた。その時に大量の人骨が出てきたという話もある。が、それよりもカステル城に出るという幽霊の話の方が東の塔では有名だ」
「どんな幽霊なの?」
「さあな」
「さあなって……?」

 わたしは少し呆れてしまった。幽霊の話は有名なのにどんな幽霊なのか知らないって?
 ラッセンディルは肩を竦めて首を振っている。

「分からないんだ。見た者は多いらしいが、現れる幽霊は男だったり女だったり。と目撃した者ごとに違っている。だから本当はどんな幽霊なのか誰も知らないんだ」
「う~ん。それって改装した時に出たって言う大量の人骨の幽霊なんじゃないの? だから複数居るとか?」
「そう考える者もいるな。それら全てを含めてカステル城の幽霊と呼ばれているらしい」
「幽霊はどうして出てくるんだろう?」

 わたしはふと、そんな事を思ってしまった。恨みかな? それとも復讐なのだろうか?
 ラッセンディルの方を見るとわたしの事をまじまじと見つめている。どうしたのかな?

「――原因か……」

 ラッセンディルはポツリと零す。
 そうして遠くの方に見え始めているカステル城を窓から見つめた。どことなく上の空といった感じだったけど、窓から城を見つめながらさらに話し出す。

「……まだ先代伯爵の頃にカステル城に逃げ込んできた女が2人いたそうだ」
「だれ?」
「1人はフランソワーズ・ド・オリオール。もう1人はミレーヌという乳母らしい」
「それで?」

 わたしがそう聞くと窓の外を眺めていたラッセンディルは振り向いて、わたしの顔をまじまじと見つめてきた。

「エルゼも聞いた事が無いか? オリオールの悲劇を……アルザス地方のオリオール家の者達がフランソワーズとミレーヌの2人を除いて皆殺しになったという話なんだが」

 ラッセンディルの言葉にわたしは少し考え込んだ。どこかで聞いた事があるような気がする。お店に来る人達から聞いたのだろうか? 確か……わたしが生まれる前にどこかのお城で起きた虐殺事件だっただろうか?
 でも……生き残りがいたなんて、噂じゃあみんな殺されたって言われていて生き残りがいたなんて知らなかったよ。

「生き残りがいたの?」
「ああ、オリオール家の最後の1人。フランソワーズ・ド・オリオールが生きているはずなんだが……」
「――が?」

 わたしが問いかけるとラッセンディルは肩を竦める。なんだろう?

「誰も生きているフランソワーズを見た者がいない。カステル城に逃げ込んだという話は伝わっているのに先代伯爵はその話を否定するだけだったしな。どこへ行ったものか。生きていれば34,5才になっているだろう……。今から20年も前の話だからな」
「どこへ行ったのかな? カステル城に閉じ込められていたりしてるとか?」
「おいおい。さすがにそれは無いだろう。閉じ込める理由が無いだろう?」
「……でもさ。カステル城に入って出てこないんでしょ?」

 なんだか煮え切らない態度を見せるラッセンディルにわたしは詰め寄ってしまう。

「確かにそれはそうなんだが、フランソワーズがカステル城に逃げ込んだというのも噂だけだし」
「どうしてフランソワーズ達はカステル城に逃げ込んだの?」
「ああ、それはな。オリオール家の領地のアルザス地方は白ワインの名産地で、ザクセン産のワインとしては一番人気だったんだ。だからクロイツェル家がワインを取り扱うようになってからというもの、なんとしても手に入れたがっていてな。かなり好条件でオリオール家と取引をしていたらしい」
「ふーん」
「……なんだか気の無い返事だな」
「そんな事無いよー。で、続きは?」
「まあいい。続きだ。オリオール家の悲劇といわれる惨劇が起きた時、一人娘のフランソワーズは当時からザクセン公国でもかなりの勢力を誇っていたクロイツェル家に助けを求めたらしい。なんといっても取引もあったし、オリオール家がいなくなってもワイン畑もワイン醸造所も職人達も生きていた。その事を考えれば無碍にはしまいと思ったんだろう」
「それで、どうなったの?」

 わたしがそう聞くとラッセンディルは肩を竦めて首を振る。どうしたんだろうか?

「それからが分からないんだ。オリオール家を襲った者達が捕まったという話も聞かないし、フランソワーズの行方も分からなくなった」
「……オリオール家のワイン畑とワイン醸造所はどうなったの?」
「ああ。今ではクロイツェル家の傘下となっている」
「領地は?」
「それもクロイツェル家の物になっているな」
「あのねえ……。何が閉じ込める理由が無いって! 充分すぎるほど理由はあるじゃない。むしろ。オリオール家を襲ったのもクロイツェル家だった。と言われても驚かないよ。絶対、フランソワーズって人はクロイツェル家のカステル城に閉じ込められていたと思う。それどころかとっくに殺されているんじゃないの? 幽霊ってフランソワーズが化けて出てきているんだと思う」

 わたしはついつい怒ってしまった。ラッセンディルに怒っても仕方ないんだけど、なんだか嫌な気分だ。本当に嫌だよね? クロイツェル家が幽霊の所為で苦しんでいると言われても同情する気になれないな~。ぷんぷん。
 わたしが怒っているのを見た、ラッセンディルが少し引いている。なによ? そんなに驚かなくってもいいじゃない。失礼しちゃうな~。

「……エルゼ?」
「ふーんだ」

 情けなく声を掛けてくるラッセンディルを無視してわたしは馬車の窓から外を眺める。馬車は森の中を進み。生い茂っている木々の木立を通り抜け、遠くの方にクロイツェル家の城、カステル城が見えている。先ほどの話の所為か、それとも沈んでいく夕陽に照らされているためなのか、遠くに見えるカステル城はなんとなく不気味に見えてしまっていた。その上、どんよりとものすごい勢いで厚い雲が流れてきているし、もしかすると今夜は雨になるかもしれない。帰れなくなったらどうしよう……。
 馬車の窓から外を眺めていたら、わたし達の馬車の隣を一台の大きな馬車が勢いよく通り過ぎていく。もう少しで馬車と馬車がぶつかるところだった。思わずヒヤッとしてしまう。

「あ、あぶなかったー」

 わたしはラッセンディルにしがみついてそう言う。

「……そうだな。一体どこの貴族の馬車だろう。無謀な運転をさせるものだ」
「そ、そうだよね?」

 ラッセンディルは通り過ぎていく馬車の後ろを睨みつけて言った。その言葉にうんうんと頷くわたしだ……。馬車って怖い。
 でもちらっとすれ違う瞬間、窓から中にいた貴族の姿が一瞬だけ見えていた。中にいたのは着飾った若い貴族の男性だ。他には誰も乗っていなさそうだけど?
 ふと、わたしが舞踏会に来る事になった原因であるラッセンディルがエスコートする相手がいない事に頭を抱えていた事を思い出す。もしかすると女性同伴じゃなくても良かったんじゃないのかな? さっきの人も1人だったし。


 ぼんやりそんな事を考えているうちに馬車はカステル城の前にたどり着いていた。近くで見るカステル城は大きくて、遠くから見ているよりも不気味にも見えてしまう。

「着いたらしいな」
「そうだね」

 わたしとラッセンディルは城から出てきた使用人の人たちの手によって開けられたドアから馬車を降りる。
 そして城へと続く木の橋を渡って石造りの門を潜った。
 門を潜る時、ふと不思議に思う事があった。よく分からないんだけどね。馬車でお城に向かう時は門の外で降りるんじゃなくて、中庭にある玄関の前まで馬車で進むんじゃないのかな? それとも玄関まで向かうのはお偉い貴族の人たちだけで、わたし達みたいなのは、門の外までなのかな? どうなんだろう。
 中庭にまでやって来たときに背後で石が擦れるような大きな音が聞こえてきた。振り返ってみれば、堀を渡す跳ね橋が引き上げられて門が閉ざされる音だった。

「ねえねえ。あーいう門ってすぐに引き上げる物なの?」
「いや。私達が最後という訳じゃないだろうし、一々引き上げたりはしないはずだが……どうしたんだろうな?」

 ラッセンディルも首を捻って不審に思っているみたいだ。なんだか嫌な感じがするよう。
 中庭から城の玄関までやって来た時、さっきすれ違った馬車が玄関の前に横付けにされていた。

「ねえねえ。あれさっきの馬車だよね?」

 くいくいっとラッセンディルの袖を引っ張りながらわたしは聞く。馬車を見つめていたラッセンディルは降りようとしている貴族の姿を見て呟いた。

「あれは……クラウス・フォン・クロイツェル伯爵だ。クロイツェル家の現当主だ」
「えっ? ええー」

 わたしもついまじまじと見てしまう。
 想像していた人よりもかなり若い。ラッセンディルとたいして変わらないぐらいなんじゃないかな? あんなに若いのにクロイツェル家の当主をしているんだ……凄いよね。
 じーっと見つめているわたし達に気づいたのか、クラウス・フォン・クロイツェル伯爵はこちらを向いて軽く会釈をする。わたし達も同じように会釈を返した。てくてく玄関に向かって歩いていたわたし達が辿りつく前にクロイツェル伯爵はお城の中に入ってしまった。
 伯爵が中に入った途端、跳ね橋が再び降ろされる音が背後から響いてくる。
 ああ。伯爵の為だったんだ。
 わたしとラッセンディルは顔を見合わせ、肩を竦めてしまっていた。

「大袈裟だよねー」
「そうだな」

 クラウス・フォン・クロイツェル伯爵の後を追うように城の中に入った途端、わたしは驚きのあまり呆然としてしまう。
 お金持ちだとか、富豪だとか聞いていたけど、想像していたものよりも遥かに豪華絢爛である。伝説の初代女帝にも比肩するほど無駄に凄い内装で飾られている。

「ふわ~。なにこれ?」

 あっけにとられて、呆然としているわたしの肩をラッセンディルが揺さぶる。

「驚くのはまだ早いぞ」
「ほえ~?」

 少し呆れ顔のラッセンディルに手を引かれながらホールの隅に連れて行かれてしまう。そこにはジルベールが華やかな衣装に身を包んだ女性達と楽しそうにおしゃべりをしていた。
 わたし達が近づくとジルベールは女性達から離れ、にやにや笑いながら足早にやってくる。

「よお。フリッツにエルゼ」

 そう声を掛けながらもわたしとラッセンディルを見比べている。しばらくにやにや笑っていたかと思うと急に真面目な顔になり、わたしに向かって、フリッツをよろしくな。と言い出した。

「ちょ、ちょっと、ジルベール先輩?」
「あ、あの~」

 2人してあたふた慌ててしまった。なんだろう? 言外にただの社交辞令とは違うものを感じてしまう。顔が熱くなる。両手で顔を隠して、指の隙間からラッセンディルの様子を窺う。ラッセンディルは天井を見上げていた。

「おいおい。どうしたんだ?」

 不思議そうな表情でジルベールが問いかけてくる。わたしは「ううー」と言葉にもならないような声を上げて上目遣いでついつい睨んでしまっていた。わたしとジルベールの目が合う。
 ぽんっと手を叩いたジルベールはラッセンディルの肩に手を回す。そうしてわたしから引き離すとなにやらこそこそと小声で話し出していた。
 何を言っているんだろう?
 そんな光景を見つつわたしはぼんやりと考え込んでいた。


 オリバー・クロイツェルは2人の新しい執事達から離れ、舞踏会の受付でもあるホールへとやってきていた。
 オリバーの目は、やってきている貴族や商人達よりも忙しそうに働いているメイド達の動きの方に奪われがちになっていた。
 今しがた現当主であるクラウス・フォン・クロイツェルが馬車でカステル城にたどり着き、奥の部屋へと向かっている。おそらく今頃はアンリやグルックなどが揉み手をせんばかりに機嫌をとっているのだろう。
 だがオリバーは今更機嫌を取るつもりにはなれなかった。
 ホールをぐるり見回す。あちらこちらにクロイツェル家に取り入ろうとする貴族や商人達がクラウス・フォン・クロイツェルの登場を待ち構えているようにも見える。そんな中にホールの一角、招待客の中でも少し毛色の変わった3人の男女がなにやら恥ずかしそうに言い合いをしている光景が目に入ってきた。誰だろうかと招待客のリストを頭の中で反芻する。該当する者はおそらく東の塔の魔術師達だろう。
 来客の事情には極力拘らないようにしてきたオリバーだったが、彼らの初々しい雰囲気に頬が緩み、ついつい聞き耳を立ててしまっていた。

「フリッツ。エルゼの事が好きなんだろ?」
「あのですね。そういう事ではなくてですね」
「おいおい。なにしてるんだ。ぼぉーっとしてると他の男に取られるぞ。いいのか? それで?」
「……ジルベール先輩」
「どうなんだ。はっきりしろよ。ええい。このへたれが!」

 オリバーは彼らの会話を耳にして、2人が話している女性とはどんな方だろうと興味を持つ。視線をずらし、周囲を窺う。
 彼らの少し後ろで所在無さげにぼんやりと立って城の中をきょろきょろ見ている女性がいた。
 この女性だろうか?
 長い金髪が緩やかにカールを描いて、光を反射し艶やかに輝いている。立ち居振る舞いから貴族ではないと思うが、魔術師でもなかろう。では一体どういう女性なのか? とそこまで考えたとき、ふとその女性とカステル城のメイド達の雰囲気が重なる。
 ああ、首都にある店で働いている女性なのだな……。長年に渡って数多い人間を観察してきたオリバーはその立ち居振る舞いからおおよその見当をつける。
 どちらかというと世間や世情に疎い、魔術師が彼らよりも世情に疎そうな女性を貴族の舞踏会に連れてきてしまったのだろう。

「……かわいそうに」

 舞踏会が終わるまで暇を持て余した貴族の女性達から悪意やからかいなどを受けなければいいが……。
 オリバーは場違いなところに連れてこられてしまった女性の事が不憫に思えて、できるだけフォローに廻ろうと考えた。時折この様な事が起きて、大概は貴族の女性達による身分の低い。と彼女らの考える領民や首都の女性達に対するいじめが起きてしまうことがある。
 辺りをきょろきょろ見回していた女性が振り返った。
 オリバーは確認をしておこうとその女性を注目する。

「――フランソワーズ」

 振り返った女性を一目見た途端、オリバーは目の前が真っ暗になったように感じた。
 だくだくと冷たい汗が背中を伝う。喉の奥が引き攣り、声が出ない。
 そうしてオリバーは気を失った。


 ジルベールとラッセンディルがなにやら話し込んでいるので、暇になってしまったわたしはお城の中をきょろきょろと見回していた。
 どこからともなく視線を感じるのだけど、やっぱりわたしって場違いなんだろうな……。おもいっきり着飾っている貴族の女性達を見てそう思う。
 ふと何気なく振り返った。後ろでは真っ白な髪をしたお爺さんが、目を見開いてわたしの事をじーっと見つめていた。
 なんだろう? 口をぱくぱくさせてる。額から汗が止め処もなく流れていた。
 体調が悪いのかな? どこかに休むところはっと、わたしはおじいさんが座れそうな椅子を探して周囲を見る。視線をずらした途端、大きな音がした。
 慌てて振り返る。
 おじいさんは床に倒れこんでしまっていた。
 おじいさんの周囲にいた貴族達が慌てて離れていく。

「フリッツ! ジルベール。おじいさんを助けて!」

 わたしの声とおじいさんが倒れた物音に2人が振り向き、わたしに向かって頷く。そうしてラッセンディルとジルベールの2人がおじいさんを抱えて、椅子の上に寝かせる。わたしはハンカチでおじいさんの汗を拭う。真っ青になっていて顔色が悪い。どうしたらいいんだろう? 思わずラッセンディルやジルベールに視線を向ける。気持ちだけが焦ってしまう。
 そんな時、遠巻きに見ている貴族達の間をすり抜けるようにして、カステル城の使用人達が近づいてきた。その中に凛とした雰囲気を漂わせた少女がいた。わたしと同じような年頃だろうか、その少女は私と目が会うと一瞬、驚いたような表情をする。しかし一瞬だけで、すぐにもとの凛々しい雰囲気に戻っていく。

「――後は私共が交代します。祖父を助けてくださって感謝します」
「えっ、はっ、はい」

 わたしは少女に気圧される様にして座り込んでいた場所を退いた。
 少女はメイドさん達に命じて、おじいさんを部屋へと連れて行かせた。そうして自らも部屋に向かうその前に、わたしの方を振り返る。

「わたくしはアデーレ・フォン・クロイツェルと申します。失礼ですが、貴女のお名前をお聞かせ下さい」
「わ、わたしはエルゼ・ノイラートです」
「……そうですか、エルゼさん。改めて祖父を助けてくださって感謝します」

 そう言うと少女――アデーレはメイド達の後を追うようにして、ホールから立ち去って行った。
 後に残されたわたし達はどうしていいのか分からずに3人で立ち竦んでいた



[12791] 第4話 「フランソワーズの行方」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/07/27 22:42

 「カステル城の幽霊」

 第4話 「フランソワーズの行方」


 おじいさんが倒れてしまってからエルゼはぼんやりと、オリバーを抱えるように連れ去っていくアデーレ達を見送った。
 振り返るとフリッツとジルベールが所在無さげに顔を見合わせている。

「どうしたんだろうね?」
「心労が祟ったんじゃないか?」
「クロイツェル家の執事だしな」

 エルゼの問いかけにフリッツとジルベールはそんな事を言い出す。エルゼは執事と聞いて、それなら大変だろうな? と思っていた。とはいえさすがに心配になってきょときょとメイドさん達の姿を探してしまう。
 オリバーがアデーレ達によって奥へと連れて行かれた後ようやくクロイツェル家のカステル城のホールでは舞踏会が開催されようとしていた。ゆっくりと流れ出す音楽に合わせてホールのあちらこちらに飾られているレリーフが動き出す。
 エルゼはその1つに気づきフリッツの袖を引っ張った。

「ねえねえ。あれなに?」

 ラッセンディルはエルゼが指差す方に眼をやる。指の先には壁に飾られている獅子のレリーフが吼えるような動作を繰り返していた。

「ああ、あれは魔術を封じられた彫刻の1つだ。以前ああいった物が金持ちの間で流行った事があった。まあ原理は簡単だ。彫刻に魔力付与しただけのものだからな」
「そうなんだ?」
「でもね。かつて初代女帝が作らせたという彫刻は攻撃魔法も行えるらしいよ」

 フリッツが説明しているところにジルベールが割り込んできてそんな事をいう。

「こわいね?」
「安心しろ。それは初代女帝にしか使えん」
「そうなの?」
「そうだ。初代女帝というのはかなり頭が良い。自分以外の者が悪用できないように幾重にも封印を施している」

 そのあと、エルゼとフリッツ、ジルベールの3人はホールの中央で踊っている貴族達を横目で見ながら並べられている料理を口にし始めた。
 テーブルの上には大量の、それでいて贅を凝らした料理が並べられている。
 エルゼはその1つ。兎の肉を煮込んで柔らかくした上に焼いたものを口にした。肉を噛み締める。とろけるように兎のあぶらがじわっと広がっていく。香辛料も材料も店で使うものより遥かに上質でおいしい。

「はふー。あ~ノリスも連れてきてあげたかったな……。きっとレシピを知りたがるだろうな」

 エルゼはふたたびきょときょと辺りを見回す。どこかにメイドさんがいたらレシピを聞くんだけど……。そんな事を考えていた。

「エルゼ。これもおいしいぞ」

 フリッツが持ってきてくれたお皿の上にはハマグリを焼いたものに香草を塗ったものが載せられていた。
 2人して指で摘んで口へ運ぶ。

「うん。おいしい」

 口の中でハマグリの濃厚な味とバター。パセリ。にんにく。エシャロットの味が絡まり、エルゼはついもう1つ食べてしまった。

「あっ……」
「ごめんね~」

 思わず声を上げたフリッツの前でエルゼがぺロッと舌を出す。フリッツははあ~とため息をつき、もう一度取りにいった。
 フォークを口にくわえたまま、エルゼが辺りを見る。テーブルでジルベールが必死になって料理を持ってきていた入れ物に詰め込んでいる。その周りでは貴族達が呆れたような眼でジルベールを見ていた。視線をずらすとホールの端にメイドの姿がある。

「うん。レシピを聞きにいこう」

 エルゼはとことこ歩いてメイドに近づく。そうしてメイドに出されている料理のレシピを問いかけると驚いた顔をされるが、「コックに聞いてみましょう」と言い。2人はキッチンへと向かった。
 キッチンの中は片付け物をしていた。それでもエルゼに問いかけには面倒くさそうではあったが、とりあえずメニューとレシピはもらう事ができた。

「ありがとうございます」
「まあいいってことよ」

 話をしているうちにコックにもエルゼが貴族では無い事が分かったのか、終わりには気安い態度で送り出してくれる。廊下を帰りつつ。エルゼは貰ったメニューとレシピを胸元になおしこんだ。ぽんぽんと胸元を叩きながら歩いている。

「あーいいお土産ができたー」

 エルゼは上機嫌である。この中の全部はできないだろうが、1つ2つはできるだろう。そうすれば貴族の食事を店でも作れる。きっと評判になる。人気が出て今以上に忙しくなるぞー。そう思うとエルゼはにこにこしてしまっていた。

「お給金アップ!」

 るんらら~。と歌まででてしまう有様だった。
 廊下を曲がると扉にもたれてオリバーが立っていた。額には汗が滲んでいる。はあはあと息も荒い。

「大丈夫ですか?」

 エルゼは急ぎ足でオリバーに近づいた。心配そうに覗き込むエルゼを見るとオリバーは腕を掴み。部屋の中へと連れ込んだ。

「きゃっ。な、なんですか? いきなり」

 エルゼが警戒心を露にして問う。オリバーは腕を掴んだまま、部屋に置かれている机にエルゼを押し倒した。
 うつ伏せに押さえ込まれたエルゼは息苦しそうにじたばた暴れる。
 しかしオリバーは強く押さえ込んだままだ。その上、髪を掴むと顔を上向けさせる。

「何者だ!」
「な、なによ。どうしたっていうの?」
「君は何者だ! どうしてここにいる?」
「エ、エルゼ・ノイラート。ロザリンドの一角にあるカフェの店員よ。ここへはフリッツ・フォン・ラッセンディルと一緒に来たの。フリッツがエスコートする相手がいないっていうから」

 エルゼが叫ぶとオリバーはエルゼの顔を壁に掛けられている肖像画へと向けた。
 そこにはまだ幼いといってもいいほどの若い女性が描かれていた。エメラルドのような緑色の瞳と見事な金色の髪が印象的であった。後もう少し年を重ねれば美女になるだろうが、描かれている少女は未だ幼く子供のように見える。

「見ろ。君にそっくりだ」

 エルゼは肖像画を見て眼を見開いた。自分の小さい頃とそっくりである。

「だ、だれ? ……この人?」

 息苦しさも忘れ、エルゼは問いかける。

「……フランソワーズ・ド・オリオール」
「フランソワーズって……カステル城に入ったまま行方不明になったっていう。あのオリオールの悲劇の生き残り?」
「そうだ! フランソワーズはどこにいる?」

 オリバーが叫んだ。その言葉にエルゼは戸惑い。驚く。

「ちょ、ちょっとまってよ。フランソワーズはこの城にいるんじゃないの?」

 髪を掴んでいた力が緩んだ。エルゼは腕を振り払うとオリバーに向き合った。オリバーは息を荒くしながら、エルゼを見つめている。

「フランソワーズはこの城にはいない。行方不明だ……」
「自分たちが殺したんじゃないの?」

 エルゼの眼がきつくなる。じーっとオリバーを睨みつけた。だが、オリバーは首を振って違う。違う。違う。とうわ言のように言い続けている。それから床にへたり込む。荒かった息が咳き込みだした。エルゼは背中を擦りつつ聞く。

「じゃあフランソワーズはどうして……」

 殺されたの? と言いかけて口ごもった。
 オリバーの背中を擦りながらエルゼはもう一度、肖像画に眼を向ける。絵の中でフランソワーズがにこやかに笑っている。いくつぐらいだったのだろう? 今のエルゼよりも2つ3つは年下のようにも見えた。

「フランソワーズがこの城に来た当時、クロイツェル家では先代の伯爵と奥方の間が巧くいっていなかった。だから伯爵がこの城に滞在する事はそんなになかったのだ……」
「どういうことなのかな?」

 オリバーがエルゼの方を見ようともせずに話している。それは語るというより独白に近く。自身の中にあるものを吐き出しているかのようであった。

「お子様であるクラウス様からも引き離され、奥方は鬱々とした生活をこの城で過ごされていた。そんな時にフランソワーズ達がやってきた。初めて彼女らに会った時、ぼろぼろになったその姿を見た奥方はたいそう同情されてフランソワーズ達をこの城に匿う事に決められた。フランソワーズも奥方に感謝していた」
「それで?」
「彼女達はこの城、カステル城で体を癒していた。少しずつ体調は元に戻っていったが、フランソワーズの体調が戻るに連れて奥方との仲が悪くなっていった」
「えっ? どうしてなの」

 エルゼは理由が分からずに戸惑っている。奥方はフランソワーズ達に同情していたと言ってるし、フランソワーズも同じだったらしいのに……。なにがあったんだろう?

「……フランソワーズはね。オリオールの悲劇を引き起こした者たちに復讐したがっていた。そのために当主である先代伯爵と会いたがっていたのだ。だが、奥方と先代は仲が悪い。中々会わせてくれようとしない奥方に対して不満を募らせていたらしい」

 それはなんとなく分かる。フランソワーズ達にしてみれば、助けてくれたのはありがたいし感謝もするけど、自分達の家族を殺した者たちの行方も知りたいんだろう。クロイツェル伯爵家ほどの貴族が味方になってくれるのならこれほど頼もしい相手はいないしね。でも奥方から見るとフランソワーズたちに復讐なんてやめて一緒に暮らしていて欲しいんだろう。そこにお互い齟齬があったのかー。

「でも、それならフランソワーズはいついなくなったの?」
「……いつ、か? 最後にフランソワーズを見たのは先代とクラウス様がこの城に来た日だから、あれは……20年前ぐらいか」
「20年前?! ……あのぉ~それならフランソワーズはこの城にどれぐらい住んでいたのかな?」
「1年もいなかったな」
「そんなものなんだ。そっか、1年ぐらいしかいなかったんだ。先代伯爵って、この城に何回ぐらい来たの?」
「2回だ。フランソワーズにせっつかれた奥方が、しぶしぶ1度呼び寄せた。その時先代とフランソワーズが会って話をした。どんな話をしたのかは知らんがね」
「それから先代伯爵はもう1度この城に来たんだ?」
「……ああ。そうなるな」
「その時、フランソワーズってどんな感じだったの?」
「あの当時、フランソワーズは妊娠していて身重だった。その頃には奥方とフランソワーズの仲がたいそう悪くなってしまっていた」

 それを聞いてエルゼは大仰にため息をついた。オリバーはそんなエルゼを見て不思議そうな表情を浮かべる。エルゼがちらっとオリバーを見てもう一度ため息をつく。

「フリッツもそうだったけど、何でみんな……小出しにするかな~」

 なんでそこまで分かっていてフランソワーズが行方不明になった事が不思議に思えるんだろう? 想像力がないの? それともいなくなったことばかり考えていて、話を纏めて考える事をしなかったの? ほんとにもう! 今まで聞いた話を纏めると、エルゼがこの城に来た時は奥方に匿ってもらえた。それから先代伯爵に会うために奥方をせっついて何とか会う段取りをつけた。それから……たぶんだけど、先代伯爵とエルゼはそういう関係になったんだろう。それを奥方に知られてフランソワーズはこの城を追い出されたと……そうじゃないかな?

 エルゼがもう一度オリバーの様子を窺うと、オリバーは苦しそうだった。そういえばこの人はさっき倒れたばかりだったっけ。エルゼはオリバーを抱えるようにして椅子に座らせようとする。

「で、できれば2階にある部屋へ連れて行ってくれ」
「2階の部屋ですか?」
「あ、ああ……」

 エルゼはオリバーを抱きかかえるようにして立ち上がるとドアを開け、廊下をゆっくり歩き出した。
 歩くたびに絨毯が二人分の重さに耐えかねて沈み込む。階段がギシッと軋んだ。
 額に汗が滲む。エルゼは手の甲で汗を拭う。力仕事で鍛えていたとはいえ、力が抜けている男性を持ち上げて動かすのは大変だった。これなら酔っ払いを追い出す方がどれほど楽か、そう考えエルゼの口元に笑みが浮かぶ。
 オリバーが2階の廊下に差し掛かったとき、廊下の端、突き当たりにある一室を指差した。そこは廊下の一番角であった。

「あの部屋ですか?」
「ああ、頼む」

 エルゼがノブを捻って開ける。そこは男の部屋とも女の部屋ともどちらにも見えるような、一風変わった豪勢な部屋であった。
 オリバーをベットに寝かせたエルゼが部屋の中を見回すと片隅に作りかけの刺繍が残されている。

「う~ん。豪勢な部屋だこと」
 
 エルゼの部屋とは比べ物にならないくらい豪勢ではあるが、どことなく薄暗く感じてしまう。明かりが足りてない訳ではないのに? なぜだろうと考え込んだ。その時、オリバーが咳き込んだ。

「あっ、いけない。すぐにアデーレさんを呼んで来ますね」

 エルゼが部屋を出た。
 ふと物音がして廊下の端に眼を向けた。
 そこに黒尽くめの人影がある。

「あの……」

 声を掛けようとするエルゼに素早く近づき口を塞いだ。
 もがくエルゼの口や鼻に甘い匂いが広がっていく。目が見開かれ、そしてとろんとゆっくり閉じられていった。
 薬によって眠らされたエルゼを黒尽くめの人影はじっと見つめ、そして廊下の端に抱きかかえて連れて行った。後にはぱたんと扉が閉まる音だけが廊下に響いただけであった。


 フリッツ・フォン・ラッセンディルが料理を取って戻ってきた時にはすでにエルゼはいなかった。
 片手に料理を持ってきょろきょろ辺りを見渡すが、広いホールに中にエルゼの姿はない。

「ジルベール先輩。エルゼがどこにいるか知りませんか?」
「いや、そういえば見てないな」

 持ち返る為に袋詰めした戦利品を片手にワインをラッパのみしてるジルベールが気楽に言う。
 フリッツはホールの中をエルゼの姿を求めて歩き回る。

「エルゼを知らないか?」

 空いた料理の皿を片付けているメイドに尋ねる。

「さあ~分かりませんわ」
「あっ、もしかして金髪の女の人ですか?」

 ひょこり顔を出したメイドの1人がフリッツに聞き返した。

「そうだ金髪の、どこにいるか知ってるか?」

 メイドの肩を揺さぶりながらフリッツは顔を近づける。

「あ、ああ、近い。近いです。あ、あの女の人ならキッチンへ行きましたよ」
「分かった。ありがとう」

 フリッツはメイドを放り投げるようにしてキッチンへと駆け出した。キッチンでは「ああ、あの姉ちゃんならメニューとレシピを上げたら喜んで出て行ったぞ」と言われ、再び行方が分からなくなる。

「どこへ行ってしまったんだ……」

 廊下の真ん中、オリバーの事務室の扉に凭れてフリッツはずるずると座り込んでいった。



[12791] 設定とか
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2009/11/24 12:38
 現時点での登場人物です。
 これからまだ増えますが、とりあえず出て来ている人たちです。
 保有スキルをソードワールド風に書いてみました。
 ソーサラーとは別にアルケミストある設定で……。こんな感じかなっと。


 香月秋彦(香月あき)
 日本人。異世界に来てからコーデリアの薬によって女性化する。17歳。
 ファイター3→2 アルケミスト1 ただし、魔法防御力0
 日本語、ノエル共通語、下位古代語。

 コーデリア
 小人族。異世界から来た香月秋彦に薬を飲ませて女性化させてしまう。小人族特有の幼児体型に不満を抱き、日々ないすばでぃーになる為に研究をを重ねる。30歳。(小人族は30歳で成人と認められる)
 アルケミスト6 ソーサラー4 セージ6 レンジャー2
 ノエル共通語、下位古代語、ザクセン語、ルリタニア語、エルフ語。

 ルパート・フォン・ターレンハイム伯爵
 ルリタニア王国の侯爵家3男。ノエル王国首都ノエルで錬金術の学院を卒業した後、アデリーヌでルパートの店(錬金術の工房といかがわしい居酒屋)を経営している。32歳。オカマ
 アルケミスト7 ソーサラー3 セージ7 ファイター2 レンジャー2 マーチャント4
 ルリタニア語、ノエル語、下位古代語、ザクセン語、エルフ語、ドワーフ語。

 フリッツ・フォン・ラッセンディル男爵
 ザクセン公国の男爵家当主。でも没落貴族。領地ない。称号だけ。ザクセン公国にある東の塔(魔法学院)出身の魔術師。アデリーヌで魔法屋を経営している。29歳。変質者。人格と能力は一致しない見本。
 ソーサラー8 セージ8 マーチャント3
 ザクセン語、ノエル共通語、ルリタニア語、カルクス語、下位古代語、エルフ語、ドワーフ語。 

 アビゲイル・メイスン
 アデリーヌにあるコルデリア教会の司祭。首都ノエルにある女子神学校出身。実家はノエル首都で商売をしている。メイスン商会の一男三女の次女。いつも男装している。ロリコンな女。幼児体型大好き。27歳。
 ファイター1 セージ3 プリースト(コルデリア)3 バード2
 ノエル共通語、ザクセン語、ルリタニア語。

 アデル・メラーズ
 アデリーヌにあるコルデリア教会の待祭。コルデリア教会に捨てられていた孤児。先代司祭に可愛がられていたが、アビゲイルが来てから少しやさぐれている。メラーズは先代司祭の姓。男の娘。嫉妬深い。15歳。
 ファイター3 セージ1 プリースト(コルデリア)1 レンジャー1 シーフ1
 ノエル共通語、ザクセン語、ルリタニア語。

 アーヴィン・ハルフォード
 ノエル王国所属の古都アデリーヌ駐在騎士団隊長。騎士階級出身。女嫌いの男好き。マッチョなホモ。25歳。
 ファイター6 セージ3 レンジャー3 セーラー3
 ノエル共通語、ザクセン語、ルリタニア語。

 クラウス・フューブナー
 ノエル王国、古都アデリーヌ駐在騎士団アーヴィン隊の新入り。騎士階級出身。カーライル村に派遣される。19歳。性癖はまだ明らかにされていない。
 ファイター3 セージ1 レンジャー1
 ノエル共通語、ザクセン語、ルリタニア語。

 アメリア
 近くの森で彷徨っていた魔女。レズ。ストーカー。20歳。
 アルケミスト2 セージ1 シーフ1 (ストーキングだけ5) 特殊能力 暗視(目が赤く光る)
 ノエル共通語、下位古代語。

 タルコット
 エルフ。ヘンルーダの森からやってきたエルフ。トマス爺さんの農園で働いている。幼児体型。コーデリアとはペタン同盟になっている。辛いもの大好き。トマス爺さんと同い年。65歳。
 シャーマン5 セージ4 レンジャー3 
 エルフ語、ドワーフ語、ノエル地方語、ザクセン語、ルリタニア語。

 エルンスト・ルリタニア プリンス オブ オンブリア
 ルリタニア王国、第2王子。ルリタニア王国オンブリア(ヘンルーダの森がある)地方領を治める王子。第1王子とは仲が悪い(母親が違う)水面下で行われている両者の後ろ盾になっている貴族同士の争いに巻き込まれてたりする。男の娘。10歳。
 ソーサラー2 ファイター1 セージ2 (王家の秘術3) 
 ルリタニア語、ノエル共通語、ザクセン語、カルクス語、下位古代語。

 アデーレ・フォン・クロイツェル(元男爵家令嬢)
 ルリタニア王国、第2王子エルンスト・オンブリア直属のメイド部隊隊長。レズ。ヘンタイ淑女。メイド必殺拳の使い手。27歳。
 シーフ6 ファイター6 ソーサラー4 レンジャー4 (現暗殺部隊隊長)
 ルリタニア語、ノエル共通語、ザクセン語、カルクス語、下位古代語。
  
 ロパート・フォン・ターレンハイム子爵
 ルリタニア王国のターレンハイム侯爵家次男。ルリタニア王国の盗賊ギルドの長。盗賊の組織であった盗賊ギルドを金融業、銀行に変えていっている。35歳。
 シーフ7 ファイター4 セージ5 レンジャー3 セーラー6
 ルリタニア語、ノエル語、ザクセン語、エルフ語、ドワーフ語、下位古代語。

 ルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵
 ルリタニア王国のターレンハイム家当主。ルリタニア王国最大の領地を支配する大貴族。3男1女の父親であり、妻とは既に死別している。あきの事を娘のように可愛がっている。サド趣味の持ち主。55歳。
 ファイター3 セージ7 ソーサラー2
 ルリタニア語、ノエル共通語、ザクセン語、カルクス語、下位古代語。

 ヴィオーラ・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵
 ヴァルテンブルグ伯爵家当主。金髪碧眼の美形な貴族。異母妹であるヘンリエッテとはご主人様とドレイな関係。M趣味。20歳。
 ファイター2 セージ3
 ルリタニア語、ノエル共通語、ザクセン語、カルクス語。

 ヘンリエッテ・フォン・ヴァルテンブルグ
 ヴァルテンブルグ伯爵家の愛人の娘。ヴィオーラは異母兄。ヤンでれ? 女王様。ヴィオーラを調教している。15歳。
 シーフ3 セージ3
 ルリタニア語、ノエル共通語。

 マクシミリアン・パストゥール
 カルクス王国先代国王。カルクス王国を一代で芸術の都にした国王。その死後にカルクス王国は斜陽国になっている。

 デルフィーヌ・パストゥール王妃
 現カルクス王国国王フランシス・パストゥールの母親。本来なら皇后と呼ばれるはずであるが、なぜか王妃と名乗り、周囲にもそう呼ばせている。こどもぽい性格。派手好きの浪費家。
 カルクス語、ザクセン語、ルリタニア語、ノエル共通語。
 セージ2

 フランシス・パストゥール国王
 現カルクス王国国王。母親に実権を握られている。政治には無関心でわがままな性格。あきを愛妾にしたがっている。11歳。
 セージ1 シーフ1
 カルクス語、ルリタニア語、ノエル共通語。

 アレクサンドル・ド・ラ・フォンテーヌ公爵
 先代国王の弟。ラ・フォンテーヌ地方の領主。王妃とは対立している。カルクス王国内では改革派の代表格であり、国内での人気も高い。ロパートの『銀行』計画にも賛成している。ただし権利を自らの物にしようとしている。50歳。
 ファイター4 ソーサラー2 セージ5
 カルクス語、ルリタニア語、ノエル共通語、ザクセン語、下位古代語。
 
 アルマ・ベルゲン
 ターレンハイム家のカルクス支部のメイド長。あきの世話係を命じられている。アルウェドの信者。25歳。
 シーフ4 ファイター3 セージ3
 ルリタニア語、カルクス語、ノエル共通語、ザクセン語。

 エルゼ・フォン・クルーグハルト男爵
 クルーグハルト男爵家の当主。ターレンハイム家のカルクス支部を管理している。ルパートの片腕的存在。実はM属性。30歳。
 ファイター4 セージ4 ソーサラー3
 ルリタニア語、カルクス語、ノエル共通語、ザクセン語、下位古代語。
 
 ヤツェク
 エルフ。ヘンルーダの森の長。400歳。
 シャーマン9 ファイター2 セージ8 レンジャー6
 ルリタニア語、ノエル語、ザクセン語、エルフ語、ドワーフ語、下位古代語。

 トマス爺さん。
 カーライル村の農園主。毎朝、荷馬車で野菜を売りに来る。真っ白な髪と高く伸ばした黒い帽子がトレードマーク。いつもパイプを咥えている。65歳。
 ファイター1 セージ5 レンジャー3 マーチャント3
 ザクセン語、ノエル共通語、ルリタニア語、カルクス語。



[12791] 『美少女戦隊アデリーヌ』
Name: T◆9ba0380c ID:d6d20c79
Date: 2010/08/01 11:51

 銀の雨ふるふる。没ネタ。

 第6話 『美少女戦隊アデリーヌ』


 草木も眠る薄紅の刻。
 あきがこの世界にやってきてからもう3月になろうとしていた。ようやく日常会話も覚え、あきは保護者であるコーデリアとともに古都アデリーヌへとやってきていた。
 アデリーヌの夜は暗い。街灯の明かりもまばらにしか点いていない。
 あきは夜のアデリーヌを彷徨う。帰り道が分からなくなってしまったのだった。
 心細く泣き出しそうになってしまう。煉瓦造りの壁に背中をもたれかけ、ぐすっと鼻を鳴らす。

「おじょうさん。どうかしましたか?」

 優しげな声。
 あきは声のした方を見た。
 ごくごく普通そうなおじさんが立っていた。
 黒いマント。その下は――裸だった。

「うわー」

 慌てふためいてあきは逃げ出した。

「どうです。見て下さーい」

 ヘンタイが追いかけてくる。必死になって逃げ惑う。
 はあはあと逃げ惑うあきの呼吸とヘンタイはだかマントの興奮した荒い息遣いが重なる。


「そこまでじゃ!」
「なにやつ!」
「だれ?」

 あきと裸マントがアデリーヌの中心街で立ち止まり、空を見上げた。
 高い建物の上。マスクをつけた小さな影が立っている。

「夜な夜な。罪もない少女を狙うふとどきなヘンタイめ! 愛と勇気の美少女錬金術師(アルケミスト)が倒してくれるのじゃ!」

 あきが呆然として見上げる前でもったいぶった口上を高らかにうたい。「とお!」と建物の上から飛び降りてくる美少女錬金術師。

「コーデリアでしょ?」
「違うのじゃ。わらわは美少女錬金術師じゃ」

 あきの言葉に反論する美少女錬金術師。

「おのれ。美少女錬金術師め! 私は怪人はだかマント。貴様に倒された仲間の仇をとってやろうぞ。覚悟しやがれ」
「貴様なんぞに負けるわらわではないのじゃ!」

 ふふん。と馬鹿にした笑いを浮かべる。
 怪人はだかマントはばっとマントを脱ぎ捨て、裸になった。両手に持ったマントをひらひら動かす。
 その動きがまるで生きているように美少女錬金術師に襲い掛かる。

「どうですか~? このヒワイなうごきは~」
「おのれ! わらわとしたことが……」

 マントに絡め取られ。美少女錬金術師は絶体絶命の危機に陥る。

 ――カッ!

 空から細いナイフが飛来し、マントを切り裂く。

「やっぱ、うちがおらんとあかんみたいやな」
「ぬう。新手か!」

 無駄に渋い声で怪人はだかマントが呟く。
 夜空には仮面をつけたエルフが浮いていた。

「うちはエルフの国からやってきた永遠の乙女や」
「永遠の乙女って……」

 あきはあきれ返ってタルコットを見上げた。

「やはり、来たようだね。美少女錬金術師……今日こそわたしのものになってもらうよ」

 どこからともなく聞こえてくる女の声。

「また。誰か来たの?」

 次から次へと現れるヘンタイ達に怯えて見た。その先には!
 濃いメイクに黒いコート。その下にきわどい格好をした女が立っている。傍には女装した男の娘もいた。

「わたしはアデリーヌを支配する爵位の魔王の部下。美人女幹部だ!」
「美人女幹部……?」
「なにか言いたいことがあるのかね?」
「いえ何も……」

 じろっと見てくる美人女幹部。あきはそっと眼を逸らした。
 美人女幹部は身に纏っていたコートを脱ぎ捨てる。その下は真っ赤な下着に高いハイヒール。手には鞭を持っている。ピシッと鞭がしなり石畳の地面を弾く。

「さあ、美少女錬金術師よ。調教してあげよう。わたしのものになるのだ」

 永遠の乙女は男の娘と対峙していた。
 美少女錬金術師は美人女幹部と怪人はだかマントの2人に襲われ分が悪い。
 はだかマントの攻撃にあきも巻き込まれ吹き飛ばされていく。

「うわー」

 石畳の上を悲鳴を上げて倒れこむあき。その様子を男の娘がじっと見ている。
 ううっと頭を振りながら顔を上げる。目の前に男の娘が立っていた。

「あのね~。さっきの悲鳴はなに? えっ? なんなの?」
「えっ? えっ?」

 何の事だかさっぱり分からない。

「『うわー』はないでしょ。『うわー』は、あのさ~一応、美少女被害者なんだから、もっと可憐に儚げに倒れなくっちゃだめ!」
「え?」
「ほら。もう一度やり直して!」

 訳の分からないまま。あきは男の娘の指示によって倒れ方のやり直しをさせられてしまう。

「きゃあ~」

 絹を引き裂くような可憐な悲鳴が夜の街に響いていく。

「ほら、やれば出来るじゃない。後はスカートだね。はらっと捲れるように。それでいて見えそうで見えないように乱れさすんだ」
「きゃあ~」

 素直にやり直すあき。倒れた時可憐な悲鳴とともに白く華奢な足が露となり、もう少しで見えそうなぐらい。長いスカートが捲れ上がる。

「ベリーグッド! そうだよ。それでいいんだ」

 褒められても嬉しくない。

「おーほほほほっ」

 オカマの高笑いが聞こえてきた。

「今度は誰なの?」

 げんなりした表情を浮かべ、あきは声のした方を見た。
 派手な衣装。濃厚な化粧。ルパートがいた。

「ルパートまで……」
「ノン。ノン。ノン。ルパートじゃないわ。あたしこそ。雪の中の宝石と称えられるノエル王国にもっとも気高く美しく咲き誇る薔薇! アデリーヌを支配する爵位の魔王よ」
「やっと姿をあらわしたな。爵位の魔王!」

 どこからともなく聞こえる音楽。その妙にノリのいい曲にあわせて、姿を見せたのは……まるで王子様のコスプレをしたラッセンディルである。

「……なんだ。変質者じゃないの」
「誰が変質者か! 俺は正義の魔術師だ」
「いや、充分ヘンタイやと思うで」
「そうなのじゃ」

 永遠の乙女と美少女錬金術師も爵位の魔王に同意する。
 倒れ伏すあきのスカートの中を頑張って覗こうとする姿は変質者以外の何物でもなかった。
 あきの蹴りがまともに自称正義の魔術師の顔面に決まる。

「ふごー」
「ふごー。じゃないでしょ。覗くな。この変質者!」

 蹴られてごろごろ転がっていく。

「今日こそ。貴方達を倒してあげるわ!」

 気を取り直したように叫ぶ。爵位の魔王。

「返り討ちにしてくれるのじゃ」

 迎え撃つ美少女錬金術師と永遠の乙女。
 戦いの火蓋が切って落とされた。古都アデリーヌの街中で、魔法が飛び交う。
 あきに蹴られごろごろ転げまわる。自称正義の魔術師。転げまわったその先に男の娘がいた。ずぼっという音が聞こえるかのようにラッセンディルは男の娘のスカートの中に頭を突っ込む。

「あっ、あっ、あ~。息が当たるぅ~。お願い。やめてよ~」

 顔を真っ赤にして身悶える男の娘。スカートの中に顔を入れた自称正義の魔術師がもぞもぞ、何かをしていた。
 男が男の娘のスカートの中に頭を入れて何かをしている。そんな光景を見て、あきはがたがた震えていた。

「やだやだ。見たくないな~」
「ああ~そんな~だめ~」

 一際甲高い声を上げたかと思うと、男の娘の蹴りが自称正義の魔術師に向かって放たれる。妙にスローな動きで自称正義の魔術師は蹴りをかわす。スカートがゆっくりと舞い上がって中が覗けてしまう。あきは見たくない。と顔を逸らした。

「ふふふ。よくぞ。俺の攻撃に耐えたな!」
「それぐらいじゃ男の娘は負けない!」
「だが、我が魔法を見よ! お約束の変身シーン」

 きらきらと眩い光の中で自称正義の魔術師がくるくる回る。光に巻き込まれてしまったあきもなぜかくるくる回る。
 光が収まった。
 着替え終わった自称正義の魔術師が無駄に格好いいポーズを決めて立つ。その後ろであきも着替えていた。

「はっ! どうしてわたしまで? しかもポーズをとってる~。なんでー?」

 今度はこっちの番だー。と男の娘は自称正義の魔術師に攻撃を咥える。
 あきの目の前で猥褻な光景が広がっていた。目を逸らした先でも、美少女錬金術師は美人女幹部とはだかマントを相手取り、猥褻な戦いを繰り広げている。美人女幹部から奪い取った鞭がはだかマントに決まった!
 恍惚とした表情を浮かべ。倒れ伏すはだかマント。
 爵位の魔王が衣服を脱ぎ去り、派手なビキニパンツ一枚でポージングを決め。筋肉を見せ付ける!
 永遠の乙女が前屈みとなって、胸の谷間を作ろうとしていたが、うまくいかない。

「無駄よ。無駄無駄ー。エルフに胸の谷間は作れないのよー!」
「おのれー。爵位の魔王め。馬鹿にしよって!」

 ぎりぎり歯軋りする永遠の乙女。
 美人女幹部の魔の手が美少女錬金術師に襲い掛かった。するっと脱がされた下着。お尻に顔を埋める。

「もふもふ~」
「やめるのじゃー!」
「このお尻がいけないのだよ」

 そんな光景を見ながらあきは呆然としていたが、だんだん腹が立ってきた。

「もうやだ……」

 怒りのボルテージが上がっていく。

 ――さあ。イクがいい!

 どこからともなく何者かの声が聞こえて、あきの体から光が放たれた!
 再び、あきは変身する。紅白の巫女装束。

「しまったー! やつが目覚めたか!」
「なに? なに? 何事ー」

 いつの間にか手に持っていたハンマーを握り締め、あきはきょろきょろ周囲を見回す。
 怪人はだかマントが勢いよく走ってくる。そして天高くジャンプ。

「喰らえ! はだかキーック」

 真っ裸で蹴りを放つ怪人はだかマント。
 あきは訳の分からないままにハンマーを叩きつけた!

「にゃう~んハンマー」

 知らないうちに口からそんな言葉が漏れていた。ハンマーを叩きつけるとぴこぴこ気の抜けた音が飛び出し、必殺『にゃう~んハンマー』によって怪人はだかマントは遠くへ吹き飛ばされていった。

「や、やるな。美少女戦士……がくっ」

 はだかマントはそう言って倒れた。

「び、美少女戦士……? やだやだ。わたしまでヘンタイの仲間入りしたくない!」

 あきは叫ぶ!

「なにを言ってるの? あなたはTSキャラなのよ。充分ヘンタイの仲間よ」
「い、いやあ~」
「さあ。いらっしゃい。ヘンタイの世界へ」

 爵位の魔王が両手を広げ、迎え入れようとする。

「そうやで。自分だけはまともやと思ったらいかんで」
「おぬしもわらわ達の仲間なのじゃ」
「いやぁ~」

 あきの悲鳴がアデリーヌの夜を切り裂く。

「さっきから喧しいぞ!」

 建物の上から住民達の罵声が落ちてくる。

「あっ、すいません」
「ごめんなさい」

 戦っていた戦士たちが口々に住民に頭を下げる。

「今日はこれぐらいにしておいてあげるわ」

 爵位の魔王が美人女幹部と男の娘を引き連れて夜の闇の中へと消えていった。
 
「わらわ達も帰るのじゃ」

 そう言って美少女錬金術師と永遠の乙女もいずこかへ消え去る。
 後に残されたあきはハンマーを握り締めたまま。呆然としていた。やがててくてくと歩き出したあきは泣きながら、カーライル村への道を進む。その背後で新たな敵が見つめている事にも気づいていなかった。






 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


『次回予告』

 精神的にはまともな筈。しかし肉体はTSキャラ!
 ヘンタイと正常の境目は曖昧で、TSキャラはどっちなの?

 次回『美少女戦隊アデリーヌ』

「誕生! 美少女戦士あき。そして新たな敵(ヘンタイ)あらわれる」

 アデリーヌの夜はキケンがいっぱい。

「女神に代わってお仕置きします(は~と)」




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 これは没ネタです。
 第5話と第6話の間に入るはずのものでした。
 書いてる最中はノリノリでした。次回予告まで書いてるからね~。
 でも一晩寝てから見た途端、没にしようと思ったのです。
 これを投稿していたらきっと本編は今とはまったく別のものになっていたでしょう。

 しかしなぜ。こんな話を思いついたのか?
 自分でもなぞです。
 美少女戦隊アデリーヌとか、なんでしょうね?
 怪人はだかマント? あきは巫女さんでしたか?



[12791] 『美少女戦隊アデリーヌ Part2』
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/22 12:25

 銀の雨ふるふる

 『美少女戦隊アデリーヌ Part2』


 あきはまた、アデリーヌの街を彷徨っていた。
 コーデリアにお使いを頼まれたのだ。
 しかし道に迷ってしまった。

「ここはどこ~?」

 さっき通ったのが服飾通りだから、もう一つ道を渡ると職人通りに入るはず。職人通りにはルパートの店があるのだ。
 あきはルパートに助けてもらおうと考えて、てくてく歩いている。
 角を曲がるとルパートの店が見えてきた。ほっとため息をつく。
 店の前でルパートが扉を閉めている。
 あれ? もう店じまいなのかな?

「ルパート~」

 あきは大きな声でルパートを呼び止める。振り返ったルパートはあきを見るとぱあっと笑顔を見せて、近づいてくる。

「あらあら、どうしたの。こんな時間に?」
「道に迷っちゃったの……」
「まあ、しょうがないわねぇ~」

 ちょっと用事があるからそれが終わったら送っていってあげるわ。と、ルパートが言うのであきはルパートの後を一緒についていくことに決めた。てくてくルパートと二人で歩いている。職人通りを通り過ぎ、あき達は居酒屋の集まっている一角へと足を踏み入れた。
 やってきたのはとある大きなお屋敷。門にはおよぐ子犬亭と描かれている。ルパートは鉄の門を開ける。そして大きな木の扉を開くとそこは……。

「は、はだかの男の人が踊ってる……」

 店内に作られたステージ。赤いスポットライトを浴び、肌もあらわにした男たちがあやしげに腰をくねらせて踊っていた。
 あきは足をがくがく震わす。あわてて店から逃げ出そうとする。しかしルパートに両肩をつかまれ、逃げ出せなくなってしまう。

「ふふふ。逃がさないわよあき」
「ああああ、ルパート助けて……」

 真っ青に青褪めながらもあきは訴える。
 ルパートは小さく首を振る。そして強引にあきを奥の部屋へと連れ込んだ。大きく胸元の開いたレオタードのような服。編みタイツに真ん丸いしっぽ。頭にはウサギの耳。奥の部屋であきはバニーガールになってしまった。

「思ったとおりだわ。良く似合うわー」

 喜色満面なルパートは身をくねらせ、いそいそとあきを店内へと連れ戻した。
 店内に戻ったあきを客達が口笛を吹いて迎える。

「風俗はいやですぅ~」
「ノンノンノン。だめよ。そんな事を言っちゃぁ~ね」

 あきは従業員の男たちにお盆とグラスを持たされて、3番テーブルに行くよう言われる。
 こぼさないようにゆっくりと歩く。テーブルを通り過ぎる。その際にあきはお尻を撫でられてビクッと涙目になってしまう。

「お客様。お客様。踊り子に手を出さないようにお願いいたします」

 どこからともなくアナウンスが聞こえてくる。
 あきは踊り子じゃないもん。と呟きながら、なんとか3番テーブルにたどり着いた。
 そこにはアデリーヌ駐在騎士団隊長のアーヴィンが男の娘を口説きつつ寛いでいる。

「い、いらっしゃいませ……」

 そう言いつつ。震える手でグラスをテーブルに置いた。一刻も早くこの場を立ち去りたい。その一心である。
 アーヴィンがあきをちらっと見た。そして立ち去ろうとするあきの手を掴み。強引に席に座らせてしまう。

「あきとか言ったな。君はどこか普通の女とは違う気がする。ふふ、なぜだか分からぬが好ましいぞ」

 獲物を狙うような眼で見つめられ、あきの背筋にぞぞっと鳥肌が立つ。

「あら、隊長。女がいいの?」
「いや、そういう訳ではないが……」

 男の娘たちに左右から抱きつかれてご満悦な表情を浮かべ、にやけるアーヴィン。その隙にあきは逃げ出した。
 奥に戻ったあきはルパートに泣きついた。

「もう帰りたい」
「あらあら、あきには刺激が強すぎたのかしら?」

 ルパートに頭を撫でられながらあきは泣きそうである。

「あきさーん。1番テーブルにご指名が入りましたぁ~」
「なんでー」

 従業員の男性に強引にテーブルに連れて行かれるあき。
 1番テーブルには地方領主ハインリッヒ・フォン・ヴィクセル伯爵が人形を抱きしめながら座っている。

「い、いらっしゃいませ」
「ふむ。見ない顔だね。まあ座りたまえ」

 席に座ったあきは水割りを作る。こんなの初めて作るものだからこんなものでいいのかと悩んでしまう。
 そんなあきの姿をみながらハインリッヒはにやにや笑う。あきの姿を眼に焼き付けてそっくりな人形を作らせようと考えていた。
 ふむ。等身大の人形というのもいいかもしれんな。アデリーヌの『人形愛好会』の会長としては日々創作意欲の湧くモチーフを探すことに余念がなかった。

 その後、あちこちのテーブルに連れまわされたあきはくたくたになってしまった。
 そうしてようやく帰ることが出来るようになる。
 夜のアデリーヌをルパートと一緒に歩いている。
 どこからともなく聞こえてくる。おどろおどろしい曲。まるで特撮の怪人が現れてくるかのようだった。
 あきとルパートは立ち止まって周囲を見回す。
 高い建物の上で妙な仮面をつけた男が立っている。両手に抱いた人形が痛々しい。

「だれ?」
「や、奴は!」

 ルパートが驚いたように声を上げる。

「ふふふ。我こそはアデリーヌにその人あり、と呼ばれる。『人形愛好会』の会長!」

 あきはビクッと身を振るわせる。
 また、ヘンタイに狙われてしまった……。がっくり落ち込みそうになる。

「その『人形愛好会』の会長が何の用かしら?」

 ルパートがあきを庇うように前に出る。

「ふふふ。あき、君を私のパーラダーイスに連れて行ってあげよう。さあ来るのだ。君の等身大の人形を作ろう。最高に抱き心地のいい奴を」
「ダッチワイフなんか作られたくないー」

 あきが叫んだ! 『人形愛好会』の会長はいやらしく手招きをしてくる。
 そこへ派手な曲に合わせて金属の塊が現れた。

「待ってもらおうか! そこの娘は我ら、『男の娘を愛でる会』会長が貰い受ける」
「あきは女性だぞ。貴様らには関係あるまい」
「ふっ。貴様には分からぬだろうが、俺には分かるのだ。あれは男の娘だ」

 ばしばし火花を散らすヘンタイ達。
 あきはがくがく震えている。

「ゆけアリス!」

 『人形愛好会』の会長の手から幾多の人形が夜空を飛び、ミサイルのように『男の娘を愛でる会』会長を攻撃する。
 『男の娘を愛でる会』会長の気合が炸裂し、人形たちは吹き飛ばされていく。

「あいかわらずの人形フェチめ! そんなもの半ズボンの魅力には敵わぬわ!」
「は、半ズボンって?」
「ショタも入ってるようね」

 ルパートが冷静に解説してる。

「ちょーっと、まったあ~! あき。わたし達はあなたを男の娘とは認めないわ!」

 背後から彼らを止める声がする。振り返れば、そこにはアデルを先頭に店にいた男の娘たちが並んでいる。
 誰も認めてほしいなんて言ってない。あきはがくがく足を震わしながら呟く。なんだか泣きそう。
 『人形愛好会』『男の娘を愛でる会』『男の娘』達による戦いが起きようとしていた。

「あき! あなたは男の娘なんかじゃない! 『男の娘相互援助会』アデリーヌ支部支部長のボクが認めないわ」

 アデルの叫びに男の娘達があきに襲い掛かる。逃げ惑うあき。逃げながらあきは本部はどこにあるんだろう。と考えていた。
 上空から雷光が輝き、あきと男の娘を隔てる。とっさに空を見上げた。
 高い建物の上で仮面をつけた小さな影。その横には同じく仮面をつけたエルフがいる。

「もうよいもうよい。ヘンタイども、愛と勇気の美少女錬金術師が纏めて退治してくれるのじゃ」
「黙れ! ロリばばあ! 三十路の癖に年考えろ!」

 男の娘達が罵詈雑言を投げかける。

「わらわはまだ若いのじゃ! とお!」

 美少女錬金術師が飛び降りてくる。額には青筋が立っていた。上空では永遠の乙女ことエルフが妙な構えを取る。
 あれはいったいなんだろうと、あきは思う。永遠の乙女が『人形愛好会』の会長に攻撃を加える。飛んでいる人形のスカートが切られる。

「のー。私のアリスは露出狂ではないぞー。ヘンタイめ」
「たかが人形や!」
「だまれー。私のかわいい人形たちをよくもー!」

 『男の娘を愛でる会』会長がその隙にあきを攫おうとするが、いつの間にか現れていた『爵位の魔王』にせき止められる。
 っていうかルパート。いつの間に脱いだの? あきは呆然と見つめる。

「おーほほほっ、しかたないわね、あき。今日のところは助けてあげるわ!」

 派手はビキニパンツを身に着けた『爵位の魔王』が『男の娘を愛でる会』会長に筋肉を見せ付ける!

「ぬう。なんという筋肉。しかし我が鍛え抜かれた筋肉には及ぶまい!」

 金属の塊が弾けて飛んだ。その下から白い褌を身に着けた姿で『男の娘を愛でる会』会長がポージングを決める。筋肉がぴくぴくしてる。
 あきはそっと眼を逸らした。
 『爵位の魔王』と『男の娘を愛でる会』会長が筋肉を見せ付けあっている。いったいどういう戦いなのか?

「おぬしらにはわらわの大人の魅力が分からぬのじゃ!」
「どっちかっていうとロリでしょ!」
「エルフのようなつるぺったんの作りやすい体型など興味はないわー」
「つるぺったんで悪かったなー」

 あちらこちらで戦いが行われていた。そのどれもがあきの想像を超えたヘンタイ達の争いだった。

 呆然としつつも、だんだん怒りがこみ上げてくる。
 怒りのボルテージが上がっていく。
 あきの体が光に包まれる。そして変身。溢れる光の中であきのシルエットがくるくる回る。
 ないすばでぃ~な体の線が露になる。どうして変身シーンというのははだかっぽいんだろう。美少女錬金術師と永遠の乙女が眉をピクッとさせた。

「おのれー。ちょっとないすばでぃ~じゃと思うて見せ付けておるのじゃ」
「うぬぬ、あのプロポーションはちょっと許せんものがあるで!」

 光が消えたとき、巫女装束のあきがそこにいた。

「――女神に代わってお仕置きします(は~と)」

 にゃう~んハンマーを構えてあきはポーズを決めた。まるで魔女っ子。

「いい! 巫女装束のあきもいい。そうだ! 今度は巫女さんの人形を作ろう!」
「ああ~ようやくヘンタイの世界に染まってきたのね」

 『人形愛好会』の会長が感動に打ち震える。両手を広げ、喜びを表す『爵位の魔王』

「う~ん。そういうのって魔女っ子だと思うよ。巫女さんならもっと清楚っぽくないとだめ!」

 『男の娘相互援助会』アデリーヌ支部支部長があきのポーズにクレームをつけて変更させようとする。自らポーズをとる。
 あきは素直にポーズを変える。しかし……。

「――みんな。まとめて吹き飛んでいけー。煩悩退散! 『にゃう~んハンマー』」

 必殺にゃう~んハンマーによってまとめて吹き飛ばしていく。

「あーれー」
「わらわもかー」
「きっと等身大の人形を作ってみせるぅ~」
「ダッチワイフなんかつくるなー」

 夜のアデリーヌにあきの叫びが木霊する。



[12791] 銀の雨ふるふる IFルート 第01話 「神聖魔法とその結果」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/28 14:05

 銀の雨ふるふる IFルート 『もしもあきのお相手がラッセンディル以外だったら?』

 第01話 「神聖魔法とその結果」

「あき。居酒屋に寄って、ワインを買っていくのじゃ!」
「飲めるの?」
「わらわは大人の女じゃ。酒ぐらい飲めるわ!」
「はいはい」
「人の話を聞くのじゃー!」

 コーデリアが喚いているのを無視して、居酒屋のドアを開けて中に入る。
 居酒屋の中はなんと言おうかほこりっぽかった。それと人が多くて熱気がむんむんとしている。客の誰もが剣を腰につけ、鋭い目つきで見ている。どうやらわたし達は場違いな所に迷い込んだ。と思われているのだろう。
 カウンターから店主らしき、ひげ面の男がやってきて「何か用かい」と妙に猫なで声で言う。

「ワインを買いに来たんだよ」
「ああ! そうか、そうか。うん。それでどんなのがいいんだい?」
「コーデリアはどんなのがいい?」
「無論、ザクセン産の赤じゃ!」
「わたしは泡のあるのがいいんだけど……」
「スパークリングなら、ルリタニア産の白がいいのじゃ」
「ほおー。子どもの方がよく知っているじゃないか」
「わらわは子どもではないぞ」
「小人族だろ。それぐらい知ってるさ。小人族は体も小さけりゃ、胸も無いってな!」
「おのれー! ようも言うてくれたな! 消し炭にしてくれるわ!」

 コーデリアが魔法を唱えようとする。店内のざわめきが一瞬、止まってわたし達に注目が集まった。

「おーい。コーデリアはザクセン産の赤ね。わたしはルリタニア産のスパークリングワインにするから魔法はやめて。店主さん、聞いたとおりだから、ザクセン産の赤とルリタニア産の白のスパークリングの2本をちょうだい。持って帰るから」
「あ、ああ」

 店主は驚いたような顔をしてコーデリアを見詰めていた。

「ほら早く!」
「う? ああそうだった」

 店主が慌ててカウンターに戻るのと同時に店内のあちこちでひそひそと話す声が耳に届いてくる。

「おい。あの小人族、魔法使いか?」
「魔法使いがこんな場所にくるかよ」
「しかし、いま使おうとしたぞ」
「ハッタリだよ。魔法使いが塔から出る訳ねえよ」
「ちげえねえ」

 男達の笑い声が店内に響く。
 コーデリアの表情が険しくなり、わたしは止めるのに必死になっていた。
 ワインを持ってきた店主にお金を払い。わたしはコーデリアを引きずる様にして店を出る。
 まったく、心臓に悪いよ。コーデリアはまだむくれていた。仕方ないので途中でベリーのクレープを買うとコーデリアに食べさせて機嫌を取る。
 ルパートの店に帰り、この事を話すとルパートは笑っていた。
 ルパートも、もう!
 わたしの方が怒りたくなった。

 さて出発しようとした矢先、ルパートのもう一軒のお店から連絡がやってきた。
 なんでも従業員にけが人が出たそうで、お店が混乱しているらしい。わたし達も一緒にお店へと向かう。職人通りを通り過ぎ、わたし達は居酒屋の集まっている一角へと再び足を踏み入れた。やってきたのはとある大きなお屋敷。門にはおよぐ子犬亭と描かれている。ルパートは鉄の門を開ける。そして大きな木の扉を開くとそこは……。

「は、はだかの男の人が踊ってる……」

 店内に作られたステージ。赤いスポットライトを浴び、肌もあらわにした男たちがあやしげに腰をくねらせて踊っていた。
 わたしは足をがくがく震わす。あわてて店から逃げ出そうとする。しかしルパートに両肩をつかまれ、逃げ出せなくなってしまう。

「ふふふ。逃がさないわよあき」
「あわあわ、ルパート助けて……」
「なにをしておるのじゃ? けが人がいるのじゃろう」
「ええそうね」

 コーデリアの言葉にルパートはあっさりとわたしの肩から手をどける。そうして店の奥へと行ってしまった。
 わたしとコーデリアも後を追いかけるように付いていく。
 怪我をした女の人はいすに寝かされ、顔を包帯でぐるぐる巻いている。血がにじんで痛々しい。そっと眼を逸らした。コーデリアはルパートを手伝って薬草を貼り付けている。戻ってきたコーデリアが首を振りつつ「痕が残るじゃろうな」と呟いた。

「かわいそうだね」
「とはいえ、後は祈るぐらいしかやることはないのじゃ」
「祈るって?」
「そうじゃのう。女神コルデリアとかにな」
「アビゲイルのところの女神様だね」

 わたしはこの世界の神様というのには疎いのだ。まだはっきりと分かってない。というのもある。神話とかも知らないし。
 それでも胸の前で両手を組んで祈った。神様。女神コルデリアさま。どうか目の前のこの人を助けてください。
 ――お前がやれ。
 耳元でやかましいぐらい大きく。妙にはっきりと聞こえる明らかに女性の声。
 きょろきょろと辺りを見回す。
 挙動不審になってるわたしのわき腹をコーデリアがつついてきた。

「どうしたのじゃ?」
「なんかね。妙な声が聞こえた」
「なんじゃそれは?」
「助けてくださいってお祈りしたら、お前がやれって言われた」
「なんじゃそれは? ……まあ、女神にそう言われたのなら、一度祈ってみると良いのじゃ。違うと思うのじゃがな」

 コーデリアが呆れたように、どことなく投げやりに言う。
 わたしもなにがなんだか分かんないけど、一応祈りを奉げてみる。
 意識を集中しながら祈っていると、体の奥から何か言いようのない力が湧き出てくる。

「……女神コルデリアの名において傷ついた者を癒したまえ」

 眼を瞑り、祈ってる。いつの間にか女神の祈りが口をついて出てくる。全身から淡い光が溢れて、寝ている女性を包み込む。
 周囲で驚きの声が上がっていた。ゆっくりと薄目を開けた。女性の顔から傷跡が綺麗に消え、分からなくなっている。

「……女神の癒し」

 ルパートが眼を見開いて見つめてくる。わたしだって驚いてる。じっと自分自身の手を見つめた。一体どういう事なんだろう? 驚いているとルパートとコーデリアの手によって部屋から連れ出される。やってきたのは店の一番奥にある事務所だった。

「――あき、いい事。あたし達のいない所ではもう二度と『神聖魔法』を使っちゃダメよ!」

 部屋の入るなり、いきなりルパートはそう言った。コーデリアも顔色を悪くして頷いている。

「下手に使えるところを見せると、縋りついてくる者や神殿から睨まれてしまうのじゃ。良いな。見せるのではないのじゃ」

 2人に詰め寄られて思わずこくこく頷いてしまう。なんだか物凄く真剣な表情をしてる。

「女神の癒しを使える癒し手は大陸でもそんなにいないの。アビゲイルやアデルは神官だから使えてもたいした問題にはならないわ。むしろ神殿でも発言力を持てるけど、あきは神官じゃないから危険なのよ」
「そうなのじゃ。なまじ使えるとあきに使ってくれと頼み込んでくる者達で身動きできなくなってしまうのじゃ。それでいて使ってくれないとなると逆恨みする者もでてくるのじゃ」

 2人にしばらく説教をされてしまった。そうこうしているうちにルパートが怪我をしていた女性の様子を見にいく。と言って部屋を出て行った。後に残されたわたしはコーデリアから散々脅されてしまう。こわいよ~。
 しばらくしてようやくルパートが戻ってきた。そうしてコーデリアを部屋の隅に呼ぶと小声で話し出す。ときおりちらちらとわたしの方を見ている。なんなんだろうな~。気になるけど、近づいたら怒られそう。2人とも真剣な顔をしてる。

「あき。あなたにはノエルの錬金術の学院。北の塔へ行ってもらうことにしたわ」
「はえ?」

 そうこうしているうちにくるっとわたしの方に向き直ったルパートが言ってくる。

「そうなのじゃ。錬金術師として学んでくるのじゃ。そうすれば多少魔術が使えても誰も不思議に思わぬのじゃ」
「もちろんあたし達も付いていくわ」
「一応わらわ達も卒業生なのじゃからな。伝手はあるのじゃ」

 なんだか知らないうちに2人が盛り上がってる?
 あっという間にわたしはノエル王国首都ノエルにあるという北の塔へと向かう事になってしまった……。
 どうしてこうなったのかな?
 取りあえず、今日はここに泊まって明日、カーライル村にあるコーデリアの家へ帰ってから急いで荷物を纏めることに決まった。
 野菜とかどうしよう?



[12791] 第02話 「いざ、ゆかん。北の塔へ」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/29 15:11

 銀の雨ふるふる IFルート

 第02話 「いざ、ゆかん。北の塔へ」

 アデリーヌからアルカラを越えて、ひたすらノエルへと向かう馬車の中、わたしはすっかり退屈してしまっていた。

「遠い」
「仕方ないわ」
「仕方ないのじゃ」

 ルパートとコーデリアも退屈しているようだ。
 とはいえ、馬車の中ではやることもないから、本でも読んでるしかないんだけどわたしは文字が読めないのさー。
 という訳で、急遽文字を覚えるための勉強が始まった。元の世界でもここまで一生懸命に勉強したかな~。と思えるほど必死になってる。学院に入るためにも、何よりこれからの生活のためにも文字ぐらいは読めないと困るのだ。文盲というのも大変だからね。必要は習得の母。ここまで切羽詰っていれば、嫌でも覚えるしかない。
 首都ノエルに着いた頃には少なくとも読み書きは出来るようになった。専門的なことは分かんないけどね! 
 下位古代語難しいよ。ノエル語の方が簡単だった。ルリタニア語とノエル語の違いって、方言みたいなものなのかな~。

「まあ長いこと交じり合ってるから、似たところはあるわよ」
「カルクス語も似たようなものなのじゃ」
「ザクセン語もそうだわ」
「う~ん。そんなものなのかな?」
「いざとなれば、下位古代語で話せば良いのじゃ」
「下位古代語はね。貴族の間では教養科目だから話せない方が恥ずかしいのよ。話せない人は一杯いるけど」

 とか言ってるうちにやってきました。首都ノエル。
 さすがにアデリーヌよりも大きい。街の中も発達してる。基本的にはアデリーヌとノエルは同じだと思う。ルパートもコーデリアもこれはどこの国でも同じだと言ってる。街のつくりとか建物とかはね。でもノエルの方が広いし、また高い建物がいくつも建ってる。
 馬車に揺られながらあちこち眺めていた。大きなお城に巨大な石像。

「あれなに?」
「ああ、初代女帝の石像ね」

 わたしが指差した巨大な石像を見たルパートが答える。
 ついついわたしは辺りをきょろきょろ見てしまう。完全にお上りさんだ。仕方ないよね。ルパートに手を引かれるようにしてノエルの街を歩く。あれなに? これなに? と聞くわたしに一つ一つ答えてくれた。なんだか楽しい気分。
 ふと気づくとコーデリアが居なくてきょろきょろ見てみるとコーデリアは道端で売ってる揚げ菓子をくわえてむしゃむしゃ食べてた。

「あっ、1人だけずるい!」

 ルパートの腕を引っ張ってコーデリアのところへ向かう。屋台で売ってるぷっくり膨らんだ揚げ菓子をルパートに買ってもらった。

「あ~ん」

 かぷっとかぶりつくともちっとした甘いドーナツみたいな味が口の中に広がっていく。表面にまぶされたお砂糖が口の中でじゃりっと音を立てる。

「あふい」
「熱いのじゃ」
「あら、意外とおいしいわね」

 わたし達3人は店先でむしゃむしゃ食べる。ハーブの香りが口の中で漂う。おいしいな。
 食べ終わったら、ルパートが「さあ、早く北の塔へ行くわよ」と言ってわたしとコーデリアを急き立てていく。もう少し見物したかったんだけど、これからいくらでも出来るわ。とルパートに言われて諦めた。

 街の中心を大きなシェラン川が流れていて、街を大きく2つに分けていた。
 さらにノエルの街は25からなる区に分れているそうだ。第1区はもちろん王城を中心としてる。川沿いにほぼ王城だけで1区を占領してた。その真上にあるのが2区で王立劇場があるらしい。まだ行った事ないから分かんないけどね。どんなのだろう? 2区の右側に3区、いろんな神殿が集まってるそうだ。川を渡った4区には囚人を入れておく牢獄があるらしい。行きたくないよ~。怖いし。その左となりが5区になる。それから左に6区、7区となって、また川を渡って8区。大まかに言えば時計回りに螺旋を描くように王城を中心に2区、3区と順に並んでいる。中心は1区だからね。
 
 北の塔は川の下側にある7区にある。川を挟んで右斜め上に王城が見える。
 この辺りは緑に囲まれている。空中から見るとコの字? それとも円の字なのかな? そんな感じだった。荘厳なのか、古風なのか分からないけどとりあえず重厚な雰囲気に包まれてる。石造りの高い建物だ。
 北の塔という名の通り、中心には10階建ての高い塔が建ってる。鉄の門の外側から見上げてると首が痛くなってきた。
 なんかどきどきする。
 ルパートとコーデリアがさっさと中に入っていってしまうので追いかける。広い校庭? を歩いてるとちらほらとわたし達を見てくる学生達。ときどきコーデリアが着てる黒っぽいマントのようなコートを身に着けてた。幼そうな子供から結構な年配の人までたくさん居る。
 学生と言ってもいろんな年代がいるんだ……。結構驚きかも。

 塔の中は豪華に見えた。
 魔法の明かりに照らされたふかふかの絨毯も調度品も高そう。そんな中、わたし達はホールを横切って事務室へと向かう。
 ふっくらとしたソファに座って待っていると、金髪の長い髪をした怖そうな女性がやってくる。
 美人さんなんだけど、目つきが鋭い。ちらっとわたしを見てくる。

「この子が入学希望者なの?」
「ええ、そうよ。名前はあき・フォン・ターレンハイム。あたしの遠縁の子なの」

 しらっとした顔でルパートがそんな事を言い出した。
 わたし、ルパートの親戚じゃないよ。それにターレンハイムってルリタニアの侯爵家でしょ? そんなの困る。
 違うよ。と言う前にコーデリアに口を塞がれた。そして小声で「いいから、ルパートに話を合わせるのじゃ」と言われる。でも……。「お主はこの世界の人間ではないのじゃ。ばれると拙いのじゃ。ターレンハイムの身内としておけば、手出ししにくくなるのじゃ」

「ううー。分かった」
「それで良いのじゃ」

 わたしとコーデリアが話をしているうちにルパートと事務の女性が話を纏めてる。なんでも授業料はターレンハイム家持ちだそうだ。いいのかな~。わたしお金持ってないのに……。
 でも、今は学院は長いお休みに入っているらしい。この世界にも夏休みというのがあるんだろうか?
 茜の月(9月)から、学院に通うことになった。今日のところは教科書とか参考書を買って帰るだけだとか言ってる。

「これからよろしくね。あきさん」
「はい。よろしくお願いします。……えーっと?」
「ジュリエット・バルバートルよ。これから貴方の担任教師になりますからね。何か分からないことがあったら私のところにいらっしゃい」
「は、はい」

 えっ? 担当教師だったんだ。でも、そう言って握手する。そしたらジュリエットさんはルパートとコーデリアを見ながら、「この2人が付いているなら、それほど心配することもないでしょうけど」なんて言い出した。
 なんとなくバツの悪そうな表情を浮かべるコーデリアとルパート。どうしたんだろう?

「同期生なのよ」

 わたしの顔色を読んだのか? ジュリエットさんが言う。

「えっ? そうなの? コーデリア」
「そうなのじゃ。まさか教師になってるとは思ってなかったのじゃ」
「そうね。意外だったわ」
「かつての首席と二位に言われるなんてね」

 ジュリエットさんはくすくす笑いながらコーデリア達を見てる。

「首席? 二位?」

 わたしはきょろきょろ2人を見比べた。どっちがどっち?

「ルパートが首席でコーデリアが二位よ」
「そうなんだ」
「学院にいた頃からこの2人は優秀でね。同期だった私達はいっつも比較され続けていたのよ。お蔭で何人の同期生が辞めていった事か、結局、残ったのは私だけ。私も意地になってたのね。こうなったら意地でも残ってやるわって感じで学院に残ることを決めたの。この2人みたいに好き勝手に生きられそうもなかったしね」

 好き勝手……それは分かるような気がする。こんな話をしている割にジュリエットさんはさばさばした物言いをしてる。こんな風に考えられるようになるまで結構時間が掛かったんだろうな。そう思う。
 でも、ジュリエットさんが思ってるほど、2人とも好き勝手には生きられないような気もするんだけど? なんとなくだけどそんな風に思えてしまうんだよ。ルパートはルリタニアの侯爵家の3男で伯爵なのに、アデリーヌにいるし、コーデリアにしてもアデリーヌからも離れた辺境のカーライル村に住んでいたんだから……。隣の芝生は青く見えるってやつじゃないかな? 口に出して言わないけどね。

「まあ、昔の話なのじゃ」
「そうね。昔の話よ」

 2人はそう言って立ち上がった。
 わたしも2人の後についていく。そうして部屋を出た。
 北の塔を少し見学していく? とルパートに言われてわたしはルパート達と離れて見学することに決めた。塔の中を歩いてる。角を曲がった。

「がぉ!」
「がぉ~」

 ――逃げた。
 トラが、トラが! 二足歩行で、軽快なフットワークで追いかけてきたぁー。
 なんでー?
 タッタッと軽快に追いかけてくる。なんで北の塔にトラがいるの~?
 廊下を走って逃げる。いくつも角を曲がるたびに、ヘンな生き物は数を増やして追いかけてくるー。
 泣きそう。

「カタギの衆を脅かすな~!」

 そんな女性の声とともに背後から爆発音が聞こえてくる。
 急ブレーキで止まって振り返ると、ぶすぶすと黒い煙が立ち込め、煙を吐いてトラが床に倒れてた。
 女性はトラの頭を踏みつつ。爆弾らしきものをお手玉のように弄んでる。ふわふわとしたブルネットの髪に大きな丸めがね。おとなしそうな風貌なのに言葉遣いが……結構わるい?

「ああ、もう大丈夫だよ」
「え、えーっと、どうして北の塔にトラがいるの?」
「はっ? どうしてって? あんたワータイガーを見たことないのかい?」

 驚いた顔で女性が見つめてきた。こくんと頷いて答える。

「見た事ないです」
「あんた。どっから来たんだい」
「カーライル村からですが?」
「カーライル村ねえ……これまた辺鄙なとこから来たもんだ。まあいいやね。こいつらはワータイガーという種族だよ。一応人型だから、北の塔でも学ぶことは出来るんだよ。で、こいつらは初めて会う女の子にはいつもああやって脅かすんだよ。災難だったね」
「え、ええ……」

 女性に踏みつけられているトラを見て、ほっとするやら腹が立ってくるやらでなんともいいようのない気分である。
 踏みつけてやろうか?

「そうしてもいいと思うよ」
「えっ?」
「顔に出てる」
「うそっ?」

 両手で顔を覆う。
 あはは。と笑いつつ女性は手を差し出してくる。

「あたしはイングリット・バーグマン。よろしく」
「……イングリット・バーグマン?」
「そうだよ。どうかしたかい?」
「――君の瞳に乾杯」
「はっ? なに言い出すんだい?」

 はっ! 一瞬動転して、思わず口走ってしまった。でもでも、そりゃあ同姓同名の人がいても不思議じゃないだろうけど、いきなり名乗られたら仕方ないと思う……よね。
 呆れたような顔で見られた。ううー。

「わ、わたしはあき。……フォン・ターレンハイム……です」
「なんだい? その自信なさそうな名乗り方は? 自分の名前ぐらいは自信を持って名乗った方がいいよ」

 な、なんと言っても偽名ですから! 仕方ないじゃないかー。

「ううー」
「まあ、いいか。あき、だね。いや~それにしてもターレンハイム家か~。」
「はい?」

 ようやく握手した。でも、なんかにやにやしてる。それに小声でなにか言ってるし、どうしたんだろう?
 それからイングリットの案内で北の塔を見て回る。
 これから通うことになる学院を回るなんてなんだか、転校生の気分だよ。北の塔は普通課程が2年。専門課程が2年だそうだ。イングリットさんは北の塔の幼年組から上がってきたそうで、そういう人も多いらしい。トラもそうだって。
 校門のところまで来るとコーデリアとルパートが教科書とか参考書を受け取って待っていた。
 イングリットにお礼を言って別れる。彼女は塔の寮で暮らしているらしい。休みの間も寮にいるから遊びにおいでと誘われた。
 お蔭でこれから楽しみかもしれない。えへへ。でも、わたしと同い年なんだよ。もっと年上かと思ったのにー。くっすん。


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